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野田民主党政権は、さまざまな策略を使って基地の辺野古移転を強行しようとしている。沖縄の「みなさまのご理解」をと言葉はきしょく悪い丁寧さだが、なにがなんでも強行しようとしている。 日米合意の自民党政権にしても、民主党政権にしても、日米同盟を「強化」あるいは「深化」させようというのであり、要するに米国のいうとおりにするということである。 沖縄には沖縄の記憶がある。それは、本土が忘れてはならないことであるが、民主にしろ自民にしろ権力の維持あるいは奪還だけが頭にあり、そのための米国奉仕しかあたまにない。 「沖縄本島の南部摩文仁の丘の一帯は、先の大戦中、日米両軍が死闘を繰り広げた戦跡地である。その田野を車で走っている時、奇妙な風景をたびたび見かけた。石垣に囲まれて、屋根瓦も壁もしっかりして、庭前の草花も咲き誇っているのに、人の住んでいる気配のまったくない家がここかしこに点在しているのである。売りに出しているのかと聞いたところ、案内人は重い口調で、一家親族がことごとく日本軍と運命をともにして玉砕して死に絶えてしまった家なのだ、という。不意に、広野を吹き渡る風が唸りを立てて肌を刺してくるような戦慄に襲われたものであった。」 「沖縄戦では、民間人16万が犠牲になっている。当時の人口は50万といわれているので、およそ三割にあたる。」 これは脚本家笠原和夫が沖縄返還前に現地調査に行った時の印象の記録である。(『破滅の美学』(ちくま文庫))死者は語らないが、ここでは、死者の跡が語っているのである。 こういう光景はもはやないだろうが、人々の記憶は、死者の記憶とともにある。壮絶な戦争と破壊と死の記憶などなど消え去らない記憶はまだまだある。 「日米同盟」の深化、強化をいい、基地問題を彼らの方向で強行しようとする連中には沖縄の記憶というものが、見えていないのであろう。
2012/01/31
ダボス会議は下記にあるとおり、政財界のエリートが集まる会議。いわば世界を牛耳るエリートのあつまりである。それに、野田首相がテレビ参加(?)をして、消費税増税を柱とする税と社会保障の三位一体改革をやりぬくと「公約」した。http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1327760635/ これで野田民主党政権がどちらを向いて政治をしているかがますますはっきりした。渡辺謙の演説はご愛嬌だが、一国の首相が世界の政財界のエリートとはいえ、私的集まりにテレビ参加して、「公約」するとは異常である。 野田民主党政権は米国や世界と日本の支配層に向かって政治をしているのであって、われわれのためにしているのではない。太田昌国 @OTAMASAKUNI 世界の政財界のエリートが集まるダボス会議は、日本人俳優が演説したこともあってメディアでも報道。ブラジルのポルトアレグレでは、「資本主義の危機。社会と環境の公正」を討議する世界社会フォーラム開会。3万人。多言語でネット検索は可能だが、日本語では赤旗のみ報道。困ったことだ。
2012/01/29
テレビや新聞をみていると、さかんに「国際社会」という言葉を使っていることがある。この「国際社会」という言葉ほど奇妙なものはない。 アフガン、イラクの侵略の際にも「国際社会」という言葉が使われた。この場合の「国際社会」とは、欧米、と日本であって、アフリカ諸国やアジアの多数の国や、南米諸国や、ましてアラブ諸国は含まれていなかった。 今進行中のイラン制裁の場合も、「国際社会」という言葉を学者や政治家やマスコミが使っている場合があるが、この場合の国際社会」は、欧米のことである。 アフガン、イラク、イランの一連の侵略および侵略準備は、米国と米国と手を組むヨーロッパの数か国がこれら諸国の石油資源の強奪、これら諸国の植民地化、すなわち彼らの自由にできる経済圏を確保すること、軍需産業の利益の確保、中東での覇権の確保を目指しているのである。 「国際社会」というあいまいな言葉が、実際は米国、あるいは欧米を指しているのだということを冷静に見つめる必要がある。 消費税増税やTPPについてまで、「国際社会」という言葉が使われることがあるが、実際は、アジアの多数の国、アフリカの多数の国、南米の諸国、その他、世界に多数の国がそれに反対していること。すくなくとも加担していないことを知るべきである。 ついでにイランとアメリカとの関係についていえば、王政下、選挙によって民主的に選ばれた政府ができた時、この政府を倒し、王政に戻したのは米国だった。それがイラン革命により打倒されて以来、米国はイランを攻撃するようになったのである。アフガン、イラク、イランのいずれも、アメリカの介入、侵略が事態を悪化させたのであった。
2012/01/28
民主党野田政権は消費税10%の増税案を発表した。その直後、藤村官房長官と岡田副総理は声をそろえて10%では足りないと更なる消費税増税の必要性を表明した。それを応援するかのようにIMFが日本は消費税15%増税が必要であると発表した。 IMFが日本の政策にどうこういうのは内政干渉もいいところである。これもIMFがアメリカの傀儡組織であり、日本とアメリカ両政府の共同作戦と考えてもいいのではないか。日本の自作自演をアメリカ政府が応援するという構図である。 今日の報道によれば、民主党は年金「改革」で消費税増税4~7%が必要としているという。15%以上の消費税増税を考えているのである。 消費税増税については、社会保障との一体改革などという政府とマスコミ大手の宣伝によって「仕方がない」と考える人も多いようであるが、消費税増税の影響を考えると「仕方がない」とすましていていいものではない。 以下にビル・トッテンさんの意見を紹介する。消費税増税についてはまだまだ問題点はあるとおもうが、要点をついている。一読してほしい。~~~~引用ここから~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 新年早々、野田首相は消費税の増税にあわせて社会保障の改革を推し進めることを国民に発表した。社会保障の改革とは、国民の福祉削減にほかならない。 (ビル・トッテン) 経済停滞まねく消費税増税昨年末から日本を含め欧米の先進国といわれる政府の政策をみていると、各国の政府は1929年に始まった経済不況が広まり世界恐慌となったのと同じ状況を招こうとしているかのように思える。 29年の株式市場大暴落で始まった大不況で政府がとったのは緊縮財政であった。政府予算を均衡させるために、政府の支出を削減することである。緊縮財政は失業率の増加をもたらし、失業手当を受ける人は増え、税収は減少する。 今、日本政府は税収を増やすために消費税を10%にしようとしている。しかし所得に占める消費の割合は、高額所得者よりも低額所得者の方がはるかに高く、貧しい人々は所得のほとんどを衣食住にまわしていると言ってもよい。したがって消費税が増税になれば、多くの国民はますます消費を切り詰め、それはさらに経済を停滞させるのだ。企業は新規投資をやめ、職を失う労働者が増え、銀行は貸し渋りをし、政府の緊縮財政により福祉手当が削減される。こうした悪循環により、経済はますます悪化していく。 さらに、消費税を増税しても見込まれる歳入は12.5兆円にしかならないが、昨年、日本政府は円高を是正し、円の対ドル為替レートを下げるために14.3兆円を費やした。日本の99%の経済を犠牲にして1%の輸出企業を助けるために、国家予算の15%に相当する金額を使ったのである。 国民には痛みを押し付けながら日本政府は企業には寛大だ。原子力産業には相変わらず多額の補助金を出している。原発事故の被害者に補償をするのなら、避難を命じられて家や仕事を失った国民に、直接、今すぐに支援をするべきであろう。 また昨年、日系企業が多く進出しているタイを襲った洪水では、日本政府は10億円の支援を行い、操業ができなくなった日系工場のタイ人従業員には、期間限定で特別に日本で就労できるビザを発給したという。生産コストを下げるために拠点をタイに移し、日本人の雇用を減らした企業を支援する一方で、原発事故によって避難し職を失った自国民には救済の手を差し伸べない。 昨年末、政府は米ロッキード・マーチン社製の戦闘機を42機も購入すると発表した。1機当たり99億円で、維持費も入れると総額は1.6兆円になるという。次の大地震がくればどうなるかわからない崩壊寸前の原子炉がある日本で、なぜこのような価値のないものに巨額の国家予算を投じるのか。アメリカ政府と兵器産業を救済するという理由以外に、なにがあるだろう。 1930年代に始まった世界恐慌は、その後、第2次世界大戦へと進んでいった。戦争こそ、経済を復興させるもっとも効率のよい政策だったからだ。原発事故で放射性物質に汚染された土地で放射能と戦いながら多くの日本人が暮らしている。この地を、これ以上の戦場にしてはならない。
2012/01/26
石原吉郎が『望郷と海』(筑摩書房)の冒頭の「確認されない死のなかで」の書き出しにこうかいている。 「ジェノサイド(大量殺戮)という言葉は、私にはついに理解できない言葉である。ただ、この言葉のおそろしさだけは実感できる。ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、ひとりひとりの死がないということが、私にはおそろしいのだ。人間が被害においてついに自立できず、ただ集団であるにすぎないときは、その死においても自立することなく、集団のままであるだろう。死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。」 東日本大震災においてもおなじことがいえる。多数の死傷者や被災者が数として処理されてはいけないのだ。死傷者も被災者もひとりひとりの名でよばれなければならない。 日が経つにつて、そのことが忘れられ、政治においては、さらにそれがひどい。消費税やTPPが声高に言われ、国難などという言葉が乱用されているなかで、東日本の被害、死傷者そのものがわきにおいやられている。原子力発電崩壊などは意識的に忘れるように操作されている。 先の戦争においてもそうだった。三百万とか二千万とか数で呼ばれ、ひとりひとりの名がよばれることはなかった。そのことが、今の政治の無責任とつながっているようにも思われる。
2012/01/24
これはひどい。民主党と野田政権はマニフェストにあることは議員定数削減以外はやらず、マニフェストにないことをつぎつぎと強行している。「不退転の決意」だという。だが、これでいいのだろうか。 民主党や野田氏がマニフェストについてどういっていたか。下の野田氏の街頭演説をみてほしい。 →ここ 追記、議員定数削減も民意切り捨ての衆院の比例を80削減だ。
2012/01/22
民主党の主軸は今、松下政経塾出身者でしめられているといってもいいだろう。その彼らはTPPに特別熱心であり、野田首相などは「不退転の決意」をいいたてている。彼らはなぜそうなのか。 一つはこれがアメリカの中心政策の一つであり、アメリカの下僕としての彼らが忠実に「使命」を果たそうとしているのであろう。だが、それだけではあるまい。冷泉彰彦氏のメルマガに下記の一節がある。「例えば大阪を代表する企業であるパナソニックは、新卒採用の8割を外国人にし、物流部門をはじめとして本部機構をシンガポールに移す構想を持っています。」 彼らの松下政経塾に関連するパナソニックは日本を棄てようとしているのである。以前からわが県の数か所の松下関連企業が東南アジアへの工場移転で閉鎖されており、海外移転を強力に進めてきたが、それがここまできたのである。 このようなパナソニックにとってTPPによる関税撤廃、各種規制撤廃は都合のいいことであろう。 民主党がTPPに熱心はもう一つの理由がここから浮かびあがる。つまり、大企業にとってそれが有利であるからだろう。 財界の下僕の養成所であるとおもわれる松下政経塾出身者の民主党首脳が「不退転の決意」でのぞむわけである。 もっとも、すべてを松下政経塾のせいにするわけではない。基本は民主・自民をはじめとする多くの政党がアメリカと日本の支配層の道具であるという点にある。
2012/01/21
民主党は議員定数削減と公務員給与の削減をすることを決定した。数多いマニフェストの多くを廃棄し、選挙で約束しなかった消費税増税やTPPを不退転の決意でやるという民主党政権がである。国民との約束だからという。 議員定数削減とは衆院比例定数を80議席削減することである。身を切るとかもいっているが、これは決し手身を切ることにはならない。議員定数削減とは民意の切り捨てである。比例定数削減は、国民の声が直接反映する部分の切り捨てであり、国民の意見を封じることである。 80人の削減は予算上は、最高に見積もっても80億円もはないだろう。それだけの削減でごまかして、多くの民意を切り捨てていいことにはならない。 それに80人の削減は、少数政党の切り捨てになる。場合によっては、政党の消滅になるだろう。民主党は自民党とともに、それを狙っているのだあって、こんなごまかしに騙されてはなるまい。 以前からいっているが、身を切るのなら政党助成金を廃止すべきである。政党助成金を廃止すれば、3百数十億円の経費削減になる。80名の削減は、数十億円の経費削減にしかならず、民意切り捨てという最悪の結果を生む。 数多くのマニフェストを無視し、原発事故では、スピードの情報をアメリカ軍には即座に渡し、住民には一か月も後に一部をしらせるということによく表れているとおり、欺瞞と詭弁に満ちた民主党政権が、唯一この政策を守ろうとは、最悪である。★二人のこどもがいる若い人と話していたら、子ども手当のことになった。彼がいうには、子ども手当はまったく迷惑だったというのである。 というのも、二人分手当はもらったが、税金控除が二人分なくなったので、税金その他がどっと増え、差引すると、よくて同じ、悪ければ負担増だったというのだ。 具体的なことは知らないけれど、これが事実とすれば、ペテンもいいところである。 自民党時代もそうだったが、民主党も朝三暮四のごまかし政策が多い。
2012/01/18
「菅原克己全詩集」を読み終えた。菅原克己は名は早くから知っていたのだが、読もうと思わせてくれたのは、アーサー・ビナードだった。小熊秀雄もおなじである。 「僕の詩は、日常というとことから落とす小さな錘にすぎないが、それでもこの単純、平凡な日常の生活に、いつも溢れるような主題を感じて勇気づけられている」というとおりに、ふつうの平凡な日常を描いて壊れやすい宝石のような詩をつくりだしている。 アーサー・ビナードは全詩集に挟み込まれたしおりのなかでこういっている。 「外連味のない日常を、実況中継するかのように詠み、でもその奥で息づく森羅万象にまで読者をグッと、優しく引き込む」「エリオットがもし、菅原克己の作品を読んだならば、それも羨望の的になったのではないかと思う。」 同じしおりに高田渡のインタビュうがあって、コンサートでよく菅原克己の「ブラザー軒」をうたっていると語っている。彼が菅原の詩に曲をつけたものだという。 ブラザー軒 東一番丁、 ブラザー軒。 硝子簾がキラキラ波うち、 あたりいちめん氷を噛む音。 死んだおやじが入ってくる。 死んだ妹をつれて 氷水をたべに、 ぼくのわきへ。 色あせたメリンスの着物。 おできいっぱいつけた妹。 ミルクセーキの音に、 びっくりしながら 細い脛だして 椅子にずり上がる。 外は濃藍色のたなばたの夜。 肥ったおやじは 小さい妹をながめ、 満足げに氷を噛み、 ひげを拭く。 妹は匙ですくう 白い氷のかけら。 ふたりには声がない。 ふたりにはぼくが見えない。 おやじはひげを拭く。 妹は氷をこぼす。 簾はキラキラ、 風鈴の音、 あたりいちめん氷を噛む音。 死者ふたり、 つれだって帰る、 ぼくの前を。 小さい妹が先に立ち、 おやじはゆったりと。 東一番丁、 ブラザー軒。 たなばたの夜。 キラキラ波うつ 硝子簾の向うの闇に。
2012/01/16
野田首相が「不退転の決意」をくりかえしている。くりかえしているといってもTPPと消費税についてである。不退転とは「決してしりぞかない」ということであり、いかなる意見があろうとも強行するということである。 TPPも消費税も一度も民意を問うたことがない。消費税については民主党は必要がないといっていたのではないか。どちらも世論調査などで主権者である多くの国民からノーと言われている課題である。 不思議なのは東日本大震災の復興や原発崩壊にたいする対策はほとんど放置しているのに、これらについては「不退転」を繰り返すことである。 TPPは国民生活に破壊的影響をおよぼす。消費税増税も同じである。TPPについては国民に周知しない。消費税については税との一体改革などという詭弁を弄する。それをいうののなら、国の財政、税制全体を見直すべきであるが、それをしない。 身を切るなどと言って比例定数を削減するなどという。比例定数削減は民意の切り捨てそのものである。それをいうなら政党助成金を廃止するほうがよほど予算の節約になる。比例定数を80削減したとして効果は80億もあれば最高だろう。政党助成金を廃止すれば、三百億円以上の節約になる。しかも、民意の反映は保障される。 「民主主義とはたんに最高指導者が選挙をつうじて政権を掌握することではなく、相互に影響しあう個人参加方式のプロセスが社会のあらゆるレベルで進行することを意味している。選挙は民主主義と同義ではなく、民主主義が存在することを示す徴(しるし)であるにすぎないのだ」(タミム・アンサーリ) 民主党という党は国民が主人公だという党名を持ちながら、実際にやっていることは、民意の切り捨て、民意無視である。そこにはなんの民主も民主主義もない。 野田首相は「不退転の決意」をもってお前たちを無視すると宣言しているのである。
2012/01/12
莫言(モオイェン)の最新翻訳である。訳は名訳者吉田富夫氏、いつものように快調なリズムの翻訳だ。 中国の共産党国家の成立後、大躍進の飢餓、その後の一時的平安、そして文化大革命、その後の改革開放。それらの歴史の流れの中を生き抜く人々。中国の一地方を舞台にその変転がえがかれる。 それらの流れの中で、中国では毛沢東の指令のもと、一時は子どもを多く産むことが進められる。人口が大幅に増加するなかで、毛沢東は計画出産に方向を変更する。その行き着く先が一人っ子政策である。この小説は、こうした子ども出産に関する党の政策に翻弄される人びとを中心テーマとする。 主人公は語り手のオタマジャクシと産科医の伯母である。語り手オタマジャクシは、時代の変転を精細に見つめながら、党の方針に従って、産めよ増やせよと数千人の子どもを取り上げた時代。計画出産と一人っ子政策により、逆に数千人の子どもをほうむった伯母を描く。 作者莫言は、命の尊さを十分認識しながらも、国の方針に従って命をほうむらねばならない苦悩を描く。苦悩とは産科医である伯母のものであり、子どものいのちを奪われる庶民のものでもある。 作者莫言は、計画出産、一人っ子政策を認めているように思える。認めながらもそれが人々のどれほどの苦悩のなかでなされているかを描くことで命の尊さを訴えているもいるのである。 全編を通して鳴り響く蛙の鳴き声は、生まれでようとする命、ほうむられた命の大合唱のように思える。その声に耳を傾けながら読むとこの作品が、哀悼の作品でもあることがわかる。それは自らの手で生を奪った伯母のひたすらな祈りの日々にもあらわれている。
2012/01/06
石牟礼道子の対談集『魂の言葉を紡ぐ』を読み終わった。対談はそれぞれに面白かったが、石牟礼道子が繰り返しいっていることは、いいかえれば根をもっていきろということである。 近代化は、人間を大地や自然から切り離した。ひとびとは生活から切り離された言語、操作される言語のなかで、仮象を生きている。自然と大地に足を降ろして、生きること、根を持つことが大切だというのである。 私はこの言葉に共感する。幾層にも巧妙に複合された言語世界を降りて行って、もう一度世界を見直すこと。そうすれば、今の世界が、社会がどのように、誰のためにつくられているかが見えてくる。 もういちどそこから世界を、社会を見直してみよう。そうすれば、マスコミや政治の世界に乱れ飛ぶ操作的言語のウソにも容易にきがつくはずである。
2012/01/02
今日から2012年。新しい年になった。 昨日から石牟礼道子対談集をよみはじめている。ほぼ半分ほどよんだ。しみじみと感じるのは平凡な日常のたいせつさということである。これは、東北大震災にも原発崩壊事故にもいえる。 ブログが3000回をこした。昨年は後半、書いたり書かなかったりした。今年も同じペースになるだろう。 こんなブログではありますが、読んでくださる方にはありがとうと申し上げます。 ことし、皆様によいことがありますように。
2012/01/01
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