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東京都知事の米国での暴言が問題になっている。たしかにひどい。彼はなぜオリンピック宣伝のために米国などへいってあのようなことをいったのだろう。そのあたりから不可解だ。 内田樹氏もいうとおり、新聞が間違っているのなら、直ちに新聞に抗議すべきだろう。それをせずうやむやにごまかすところに記事の信ぴょう性がある。いや、ひどい人物が東京都の知事になったものだ。 政府の競争力会議に竹中平蔵主査が提出した資料で、氏は特区を設けることで「世界一ビジネスがしやすい」国をつくる、その特区の先頭に、東京・名古屋・大阪を立てると書いている。 なるほど、この都知事といい、名古屋・大阪の知事といい、まことに見事な顔ぶれだ。国を破壊するような政策を実施するのにふさわしい。彼らの発言の一つ一つの妄想ぶり、暴走ぶりは、すさまじい。 こんな知事連中が、高支持率で選ばれるのだから、大都会の住民の気がしれない。 そんなことを思いながら、愛媛新聞をみたら、一面トップに県選出の国会議員全員が憲法改悪に賛成、96条はハードルが高すぎるといっているとあり、保守王国愛媛にしてもあまりのことにがっくりした。愛媛の住民についても気がしれない。 「あああ、いやんなっちゃった、ああああ、おどろいた」という牧伸二さんの嘆き節が頭のなかでひびきわたる。 牧伸二さんのご冥福をおいのりします。
2013/04/30
さっきまでNHKの放送をみていた。82歳の写真家のお話である。植物の精妙な活動ぶりがつぎからつぎへと写された。なんと自然界は精細に巧妙に組み立てられていることだ。 考えてみれば人間もその仲間、人間の体はその細胞の一つ一つから、例えば脳の働きについても複雑精妙にできている。すごいことだ。 それに比べて、人間の愚かで、傲慢であることよ。 グローバリズム、核武装、金がすべての生き方、人間が人間を抑圧し収奪する社会。人間はもっと謙虚にならねばならぬ。 もちろん私もその一人である。
2013/04/29
図書館へ本を借りに行った。書架に『シモーヌ・ベエユ回顧録』なるものがあった。シモーヌ・ベエユには関心があったので借りた。その時、目次を確かめて、厚生大臣をしたとあるのを確認した。 帰ってからもう一度見直してやっと、同姓同名の別人であることに気付いた。関心のあるシモーヌ・ベエユは、思想家であり、第二次大戦中に死亡している。戦後まで生きているはずはなく、間違っても大臣になどなることはない。 目次で確認しながら別人と気が付かないとは、すこしぼけたかなと自覚した。 最近は物忘れがひどい。鶴見俊輔氏は記憶力抜群だが、それでも70台になってから「もうろく手帳」なるものを用意して、こまめにメモしているという。 私にも「もうろく手帳」が必要になったようだ。
2013/04/28
憲法改正をめぐって首相および自民党他いくつかの党は、改正要件3分の2を2分の1以上に変えようとしている。憲法96条先行案である。 憲法は主権者が権力を縛るものである。ところが縛られる当の政治家が縛る要件を変えようとするのは、泥棒が縄をなうようなものである。 現在の選挙制度およびそれに基づく自民党などの多数派形成はまさに主権を盗むにひとしい。この点でもまさに泥棒だ。 憲法改正では、国民投票法では、有効投票の過半数となっており、最低投票率についての規定はない。有効投票の過半数であれば、大多数が投票せず、少数が投票した場合でも、改正が成立してしまう。これもまさに、泥棒だ。 権力を委託されたものが、自分たちに都合のいいように、国会発議でのバーをさげ、国民投票を実質意味のないものにするのは許されない。 今、国会周辺では、憲法改悪を巡ってプロパガンダが渦巻いている。その先頭に立っているのが安倍首相であり、自民党およびその周辺の政党である。 主権者の大多数が実は憲法についても、憲法の意義についても知らない状況でプロパガンダだけが広がっている状況は間違っている。
2013/04/27
日本経済再生本部の産業競争力会議ではとんでもないことが話しあわれているようだ。解雇を容易にしたり、雇用を流動化するなどを話あっている部会もあるのは以前書いたとおり。 竹中平蔵氏が主査の「立地競争力の強化に向けて」という部会の提出資料によるとここでもとんでもないことが提案してある。その提案の表題は「立地競争力の強化に向けて」で、本ペーパーは主査の責任の下、全民間議員の意見を極力取り入れまとめたものであるという注記がある。 「世界一ビジネスのしやすい事業環境に」という小見出しでまとめられたこの資料には、ビジネスをしやすくするためのあらゆることが書いてあるが、その中で特に私が驚いたのは、以下の部分である。 「3、世界一ビジネスのしやすい事業環境にー交通・都市インフラの改善 ★官業の民間開放 ・これまで官業として運営されていたインフラで、利用料金の伴うもの(空港、有料道路、 上下水道、公営地下鉄等)について、民間開放を推進 (続く三項目は省略) ・またインフラの延長上で、官業の民営化の一環として、公立学校の民間委託(公設民営) (続く二項目は省略) ・こうしたインフラは全国で約186兆円の資産規模と推計され、全国的に民間開放の動き 進めることで、少なくとも数十兆円規模の財産創出が見込まれる。 (以下に項目は省略)」 麻生副首相が米国のネオコンシンクタンクでいったのは、ここに根拠があったのだ。確かに、上水道も下水道も民営化すると書いてある。学校も民営化すると書いてある。 上下水道にしろ、学校にしろ、民営化などはとんでもないことだ。上下水道については、すでに南米で米国政府と米国の多国籍企業、IMFなどと地元大資本が結託して、実施したことがある。その結果は、インフラの劣化、料金の高騰であった。 学校の公設民営化もとんでもないことだ。施設はそのまま提供して運営を民営化するということだろうが、教育の劣化と荒廃は目に見えている。 さらに、驚くべきことは「こうしたインフラは全国で約186兆円」と推計しており、それを民営化、つまり民間に売り払うことを考えているということだ。数十兆円の財産創出が見込まれるというが、それはすなわち、民間に安値で売り払うということだ。 こうして社会的共通資本としてのインフラをかたっぱしから民間に売り払えば、人民の生活は根本的に破壊されるだろう。日本の巨大資本、米国のハゲタカ資本の食い物にされるだろう。 なるほどビジネスはしやすくなるかもしれないが、人民は苦労のどん底にあえぐことになる。 (注)詳しくは、産業競争力会議のHPをご覧ください。
2013/04/26
またまた閣僚・議員の靖国参拝がなされた。首相は供物をそなえた。今回の参拝は春季例大祭という靖国神社にとってきわめて重要な祭礼でのことだった。以前は8月15日の参拝が中心であり問題にもなったが、最近は春季・秋季例大祭での参拝が増加しつつある。 彼ら彼女らが口を揃えていうことは、「国のため尊い命をささげた英霊のみたまに慰霊のまことをささげることに何の問題があろう」ということである。 このことばには、いくつもの問題がある。国とはなにか。尊い命をささげたのか。英霊という表現は正しいのか。慰霊の誠をささげることを認めるとしてその場がなぜ靖国なのか。国のためというが戦争といことばがなぜでないのか。などなど。 前提として先の戦争が侵略戦争であり、日本とアジアの人びとに多大の犠牲を強いたという認識が彼ら彼女らにはない。彼ら彼女らは、あれが正義の戦争であると考えているようである。そしてその正しい戦争のために死んだ兵士らを祀るためには、靖国しかないと考える。靖国は天皇のための正しい戦争に死んだ兵士を祀るために明治になって特別に創設された場だからである。 彼らのこうした認識には倒錯がある。国とは軍と財閥と政治家と官僚と貴族などの支配層のことであり、尊い命は奪われたのであり、英霊という美化した表現は間違いであり、そう考えると靖国という場で慰霊を行うことはいけないことであるという認識と真逆の認識がある。 だから、彼ら彼女らは、外国の批判が耳に入らない。首相などにいたっては、「脅かしにはくっしない」などというのである。 「英霊を祭祀」することは、再び戦争への道を踏み固めることに通じる。国防軍をいい、日米同盟の強化をいい、集団的自衛権をいうことと靖国参拝は一体のことである。 だから、彼ら彼女らには、戦争で亡くなったひとたち一人ひとりへについての想像力がない。あくまで「英霊」という神々であって、命を奪われた日本とアジアのおびただしい人々一人ひとりについての哀悼ではないのである。
2013/04/25
麻生副首相が米国の戦略国際問題研究所(CSIS)で講演、その中で「水道はすべて民営化します」などとのべた。 CSISは米国にあるネオコン系シンクタンクであり、日本の政治家がなぜかここで講演し、日本国内でいうまえになにかをいうので有名だ。問題の一つは、日本の政治家、其れも政権政党の政治家が米国の右寄りシンクタンクで約束めいた発言をすることだ。 これは日本の政治家や政権党の議員のある部分が米国のネオリベ、あるいはネオコン政治家と密着している、別の言い方をすれば隷従しているということである。日本の国民にいう前に米国で重大な発言をすることは即刻やめるべきだ。 麻生副首相の「水道すべて民営化」発言は、米国の要求にこたえたものであり、TPPの準備の一つでもあろう。 人民の命綱の一つともいえる水道を民営化するということは、すでに南米など各地で実施され、儲けのために、インフラを放置し劣化、水道代の高騰、水道代の負担ができない層の発生など人民生活の破壊をもたらした。南米などで中道左派政権がつぎつぎと生まれて原因の一つが水道をはじめとする公共設備・事業の民営化にあった。 麻生副首相は水道の他、学校の公設・民営化についてものべたもようである。 米国でこういうことをいうということは、米国の大企業に日本の人民の富をすべて差し出しますから、儲けるだけ儲けてくださいということだ。 政府の審議会等では、さかんに公共の民営化、あれもこれも民営化が言われており、例の竹中平蔵氏などもその先頭にたっているようだが、アベノミクスなどというものの正体を厳しく見極める必要がある。 米国政府や米国のシンクタンクや、米国の手先である国際銀行やIMFなどに褒められていることがすでにアベノミクスの方向を指し示している。 それは米国の大企業や大金持ち、日本の大企業にだけ奉仕するものでしかない。
2013/04/24
安倍首相は、「憲法を国民の手に取り戻す」としきりにいっている。そのために憲法を改正する、そのために憲法96条を改正すると主張するのである。 これはおかしい。これはプロパガンダにすぎない。 憲法は今、自公民、維新、みんなの党などによってめちゃめちゃにされている。彼らは国民に最低限度の文化的生活を保障せず、雇用は流動化し、TPPには参加、消費税は増税。こうして国民の権利をめちゃめちゃに踏みにじっていることなどがその一例である。 改憲を主張する政党の改憲案。たとえば自民党の場合でも、それは国民主権を逆転させて「国家」に主権を与えるものである。憲法を国民の手に取り戻す」というよりも「憲法を国民の手から奪う」というほうが正確だ。 改憲条項の改定など論外である。三分の一の反対で改憲できないのはおかしい、過半数の賛成でよいというが、過半数の賛成とは、約半数の反対があるということである。二分する意見があるとき、一方の数で押し切るというのがおかしい。 憲法は大切な法律であるだけに、三分の一条項は最低限の保証である。 国会中継などをたまに見ると、特に自民党議員の質問などの場合、プロパガンダの場になっている。「憲法を国民の手に取り戻す」などはそのさいたるものだ。
2013/04/23
民主党が定数削減を言い続けている。国会議員定数は国民との比率でみても、いわゆる先進国諸国で下から二番目に少ない。一番少ないのは米国である。 ということは、現在でも主権者の意思を反映することがきわめてすくないということだ。それを民主党は定数削減を言い続ける。それは自民党にとっても願ったりかなったりであろう。 小選挙区というこれも極端に国民の意思を切り捨てる制度で多数を競えば、少数による多数の支配が可能になるからだ。しかも、政官財学マスコミによる支援を受けて、次の選挙でも過半数を超すいきおいだからだ。 定数削減、それも比例区削減によって一票の格差はなくならない。財源の削減にもならない。 票の格差をいうのなら、完全比例制度がよい。財源をいうのなら、まず政党助成金なるものを完全撤廃すべきである。単純計算しても、定数削減による財源の減少はわずかであり、政党助成金とは比較にならない。 財源にことよせてあるいは票の格差にかこつけて、主権者の意思を狭めようと必死になる政治家を民主主義の政治家とはいえまい。
2013/04/22
極早生のタマネギを収穫した。借りている家庭菜園をトラクターですいてくれるという話があったし、ちょうど時期でもあったからだ。 植えっぱなしのなまけものの、時々しか畑に足を運ばない借主だが、なかなか立派なタマネギもできていた。立派なタマネギも、というのは、小さなタマネギもあったということ。 収穫したタマネギを軒下の洗濯竿につるした。それからしばらくして雨が降り出した。いいタイミングであった。 夕食にスライスしたタマネギを水にさらし、マヨネーズで食した。なかなか美味だった。 のらくら家庭菜園主だが、新鮮な野菜が食べられるのが唯一の楽しみである。
2013/04/21
日本のTPP参加について11か国が同意したという。新聞は大きく報じるが、これは喜ぶべきことではない。 11か国の政府代表は、もちろんTPP推進する側である。彼らと日本のTPP推進側にとっては、これは喜ぶべきことだろう。カモがねぎをしょってきたからだ。 日本の参加については、喜ぶ人たちでけではないだろう。日本で反対している人たちはもちろん、11か国で反対している多くの人たちは同情をもって見ているに違いない。 メキシコがNAFTAで甚大な被害を被りTPPにも反対していること、米国財界がNAFTAで大儲けしながらも、一般の米国市民には甚大な被害を被ったとしてTPPにも反対している人たちがいること、ニュージーランドやオーストラリアにも根強い反対があること、こうしたことはまったく報道されないが、事実である。 TPPなるものが、大企業、多国籍企業、大金持ちにとって有利であり、より自由勝手に市場を拡大し大儲けをするだけで、その他にとっては災難の種でしかない。 それなのに、政官財学マスコミ連合はTPP推進が必須のこととして宣伝する。特にマスコミは真実を隠し、TPP推進にまい進する。 先の戦争でマスコミが戦争のチアガールを務めたことの責任もとらないまま、今再び、大企業や富裕層のためのチアガールを務めようとしている。
2013/04/20
選挙にネット解禁と新聞の一面に大きくでていた。できることできないことが、政党、候補者、有権者の別にでていた。有権者はほとんどなにもできない。 選挙制度からそうだが、選ばれる側が選ぶ側を規制している。選ばれる側が勝手気ままにやっている。これでは、代議制民主主義の意義がほとんどない。 選挙は選ぶ側がもっと自由にやれるようにすべきだ。
2013/04/19
民主主義では、人民の政治参加への機会を可能なかぎりで拡大することが求められる。教育委員会制度も出発点はその一つだった。教育委員は公選され、人民のものとしての教育を推進することになっていた。 これを骨抜きにしたのが、自民党である。自民党は教育委員を自治体の長による指名制とした。教育委員は名誉職となり、教育委員会事務局のいいなりに、教育を進めてきた。教育長は教育委員のなかから選ばれるというのは建前で、自治体の首長が指名してきた。こうして文部省から現場までの縦の流れがつくられたのであった。 再生会議は教育長を自治体首長の選任とし教育行政を推進するものとし、教育委員会は、一種の監視機関とすると提言した。これは、現在実質やられていることの現実化であり、建前の廃棄にすぎない。 だが、建前とはいえ教育行政の改悪は、教育を人民のものから、国家のものにしてしまう。わずかに形式として残った教育への人民参加を完全になくしてしまう。 その代わりに、首長による教育の恣意的支配が生じる。 現在でも、文部省や自治体首長の教育への恣意的支配介入は目にあまるものがある。東京や大阪で起こっていることをみればそのことがすぐわかる。それと同じことが全国で一斉に起こることになる。 教育は国家のものであってはならない。国家のものとは、政権のものということである。自民党政権のもと、文部省支配のもと、教育がいかに荒廃させられてきたかをみればそのことがよくわかる。
2013/04/16
朝から晩まで、ニュースといえば北朝鮮情報である。NHKなども、延々とやる。北朝鮮がどのような国であり、今どうしてあのようにしているのかは、もうわかりきっているのでえはないか。 あんなに延々と報道する理由はない。 ミサイルを発射の、迎撃ミサイルを配置の、北朝鮮のテレビがどういったのと延々と報道するのは、日米同盟の強化のためであり、日本の軍事化のためであり、より重要な報道を隠蔽するためであり、それを是とする雰囲気づくりのためである。 北朝鮮報道の陰に隠れて、TPPも東日本大震災の復興も、原発事故も、消費税増税も、雇用規制緩和も、憲法改正のための謀略的手口もすべてかすんでしまっている。 北朝鮮報道は過剰にすぎるのである。それは多分、政官財学マスコミの意図に沿ったものであるだろうと思われる。 マスコミの劣化もひどいものである。
2013/04/15
身を切るといって自公民は比例区の定数削減をしようとしている。定数削減が世界でもまれな少数定数なのにさらに削減し、人民の声の反映を削減しようとしている。 身を切るのなら憲法違反の政党助成金をそっくり廃止すればいいのに、それはしない。政党活動をするのに自分の手と足を使わずに、人民のカネでやろうとする。 次の選挙からインタネットによる選挙活動を解禁するというが、それは政党および候補者であって、肝心の主権者である人民には許可しない。 憲法改正では3分の2条項を改めて過半数にしようとしている。国の基本となる憲法だから、3分の1も反対があれば改めないのが、人民のためというものだ。あの明治憲法にだって、3分の2条項はあった。 これだけ見ただけでも、多くの政党や政権党がいかに人民の意思を踏みにじっているかがわかる。人民不在の政治である。
2013/04/14
淡路島を震源とする震度6弱の大地震が発生した。こちらは軽度だったが、強かったところのみなさんは恐ろしかったに違いない。お見舞いもうしあげます。 今度の地震で中央構造線の大地震が起こらないか心配になった。それが起これば南海・東南海連動地震に匹敵する大地震になるだろう。 寺田寅彦が「早い話が、平生地震の研究に関係している人間の眼から見ると、日本の国全体が一つの吊橋の上にかかっているようなもので、しかも、その吊橋の鋼索が明日にも断たれるかもしれないというかなりな可能性を前に控えているような気がしない訳には行かない」(寺田寅彦随筆集 地震雑感 津浪と人間 中公文庫)といっているが、まさにそのとおりである。 こうなると、越後か越前の大地震の時、良寛が知人への見舞いの手紙に書いたことば「地震にはあうがよろし」と覚悟を決めておかなければならないのかもしれない。 いずれにせよ、大きな地震が続発することだ。【メモ】★TPPに備えて政府は準備を進めている。簡保への新商品開発制限。解雇規制の緩和も、TPP後にそなえての準備の面もあるのだはないか。財界は今すぐにでも解雇をしやすくしたいのではあろうが。★北朝鮮のミサイル騒動で、重要な問題が隠されてしまった。米日と北朝鮮は裏取引をしているのではないかと思うほど、絶好のタイミングで騒動がおこる。★今朝のNHKニュース深読みは、ひどかった。テーマは解雇の規制緩和であったが、メンバーがそれに賛成する女性タレント、政府の宣伝係のNHK解説委員、そしてこの政策推進の中心人物八代某、司会の小野文恵はこの八代と女性タレントと解説委員にしゃべり続けさせた。これはまったくの政府の宣伝番組だった。男性タレントとNPOからただ一人の批判側として出ていた人物はまったくやくにたたなかった。失業なくそれをやると安倍政権はいうが、その点への批判が一切なかった。NHKの劣化はひどい。
2013/04/13
自公は道州制法案を国会に出すという。道州制は維新の会なども提唱しているが、問題点の多い制度である。 道州制は、平成の大合併がそうだったように、政府をできるだけ身軽くし、地方に負担を転移するのがねらいである。 自公は道州制を実施すれば、政府はある限られた事項しかしないとすでに言明している。 道州制になれば、まず福祉や災害対策などなど住民に密着するものが、地方の負担で行われるようになるであろう。どういう形でか財源の地方移転はなされるにしても、政府の財政負担の軽減が目的の一つである以上、地方の負担は増す。 その場合、道州の財政の格差は大きいのだから、地方でできることにも格差が生じる。ちょうどJRで起こっていることと同じことが道州制下ではおこる。財政豊かな州とそうでない道州の間で負担やサービス自体の格差が拡大するのである。 道州制は、企業や政府の政策をやりやすくするのがもう一つの目的である。 今までであれば県、市町村、地元という流れであったのが、道州、市町村、地元という流れになる。こうなると、大規模事業などをする場合、地元との距離が大きくなるだけやりやすくなる。 いずれにしても、政府の財政負担と効率だけを目的にした道州制は平成の大合併と同じく、欺瞞の制度といえる。 政府と財界だけが、負担軽減と事業実施効率で得をする制度であって、人民にはなんの利益もない。
2013/04/12
これは憧れのフランスへの賛歌である。その讃嘆の念は「日本は、自分がその国体、習慣、何にもしらぬ先に、自分の承認を待たずして、自分を日本人にしてしまった」という言葉を語らせる。 この本にはフランスの陰と陽を含めて全面的な愛が語られる。 『あめりか物語』で文壇に確固とした地位を築いた荷風だが、『ふらんす物語』では、そうならなかった。フランス賛歌は、日本への痛烈な批判を伴っていたからだ。『ふらんす物語』は、発禁となり、完全版が読めたのは、太平洋戦争後かなりたってからだという。 彼は日本を軽薄な虚栄心の国、偽善の国家であり、日本の女性は未来の兵卒を産むべき、繁殖の機械にすぎないとまでいう。これらは一部にすぎないが、荷風の明治国家、明治文化への批判は厳しいものであった。 フランスについては知らないが、日本についての批判には今でも納得させられるものがある。収められて短長編の小説の面白さもあって、今なお読むに値する佳品である。
2013/04/11
福島第一原発で汚染水が漏れたという。テレビや新聞の説明によれば、ビニールシートを二枚かさね、粘土を固めて敷いた上に置いたのが、貯水槽だという。之では漏れるのも当たり前だ。 各地の産業廃棄物処理場が同じような構造になっている。敷いてあるビニールシートの厚さは一枚が2~3ミリであり、各地で汚染水が漏れる事故を起こしている。 そんなことは知っていて当たり前と思うのだが、そうれもないらしい。高濃度放射能で汚染された汚染水を何百トンもためていたのだから。 原発関係では常識からみて奇妙なことが多い。先日も原子力規制委員会が原発の安全基準に関して1万年安全なものにするなどといっていた。 考えてみれば容易にわかることだが、人類の文明が始まってから1万年、資本主義が始まってから数百年、原発が稼働し始めてから数十年である。その間にどれだけの文明の興亡があり、変化があり、原発にいたっては、わずか数十年の間に三回も重大事故を起こしている。中小の事故なら、多数になる。1万年の間安全ななどとはよたにもほどがある。 さらに放射性廃棄物の処理まで考えれば、原発は止め、新しいエネルギー源を求めるのが自然である。なにしろ放射能で汚染されて水をビニールシートを敷いて保管するというれべるなのだから。
2013/04/10
先月末頃のことになるが、安倍首相は、一日一人の割合で、大手マスコミ5社、共同通信、およびテレビ会社数社のそれぞれ社長等と会食した。 会食自体これらのマスコミでは報道されておらず、話の内容については明らかではない。 だが、マスコミの社長等が時の政権の首相と会食などしてはいけないのではないか。これらマスコミは平常から政権を持ち上げる報道が多いが、更に応援することになりはしないか。 TPP,アベノミクス、憲法、原発、その他多数の国の方向を変えるような重大問題が山積しているとき、マスコミは政権と距離を置くべきである。 自民党政権に対するマスコミの翼賛ぶりは目に余るものがあるが、さらに腐敗していくのは目に見えている。
2013/04/09
テレビで最近、コンシェルジュという言葉を目にするようになった。某証券会社のCMでは投資コンシェルジュなるものがおり、昨日はNHKでなんとかコンシェルジュが紹介されていた。 いったいコンシェルジュとは何者だろうと思っていたら、永井荷風の『ふらんす物語』に「番人(コンシェルジュ)とあった。なんだ、番人のことかと思いつつ、ネットで調べてみた。 なんのことはない。アパートなどの管理人とか、サービス係をいうのだ。それならそれで日本語でそういえばいい。 ここ十年ほどの間に、わけのわからぬ外国語、特に英語を多用する傾向が著しい。わかりやすい日本語があるのに、わざわざ英語でいう。政治や経済に関する場面でそれが目立つ。 イノベーションなどという言葉は、小泉政権以降盛んに使われているが、いまだに何を意味するのかさっぱり分からない。小泉時代経済政策の中心になり、今回復活した某氏なども盛んにイノベーションによる大規模な雇用の増大などといったが、結果したのは、リストラの進行と非正規雇用の増大だった。 トリクルダウン効果などという言葉もよく使ったが、正直に「おこぼれ効果」とでもいえば、そんなことはありえないということが分かったことだろう。大企業などは、しっかりと内部留保なるものをため込んだが、雇用でやったのは大量首切りと非正規化だった。一滴もおこぼれはなかったのだ。 話がそれたが、米国で洗脳されたり、米国べったりの連中が日本語で言えばわかるのに米国語を多用するのは困ったものだ。 非常にうさんくさく、だましの手口のひとつだなと反省するのである。
2013/04/08
昨夜は猛烈な風が吹き荒れた。ニュースによれば全国的に強風、大雨が吹き荒れたようだ。春の嵐などというのんびりとしたものではない。 今朝のサンデーモーニングで関口氏が東京ではたいしたことはなかったねとつぶやいた。関口氏に反感を持つものではないが、東京で豪邸に住む人はこうなんだろうなと思った。 春の嵐といえば、アベノミックスという虚風が吹き荒れている。株は上がり、円はさがることで利益を得る人たちも多いらしく、テレビでのインタビューでももうけますなどと答えている人がおおい。 一方で解雇を容易にするといい、賃金は下がり続けている。社会保障も破壊されつつある。この先に予見されるものは暗澹たるものだ。 結局は、この滅茶苦茶な政策で人民の多数は被害を被り、一部の人たちは大儲けするのだろう。そしてこの滅茶苦茶な政策から生じる負担は、儲けることのなかった、むしろ被害を被った大多数の人民が担うことになるのだろう。 バブルで儲けた人たちは食い逃げし、バブルで生じた損失は関係のない人民が担わされたという以前のバブルの教訓をもう忘れてしまっているのだ。
2013/04/07
NHKの番組の中でも数少ない良心的番組であった。NHKスペシャルが土曜の夜1時間番組に変更された。延々とクイズ番組が続いた後の以前と比べて時間を短縮してと変更された。 NHKもやたらとクイズ番組、バライティー番組が増えた。政府側に立った番組も増えた。 そして良心的な番組をつぎつぎと減らしている。
2013/04/03
ジャック・ロンドンは1902年、大英帝国のイングランドのロンドンを訪ねた。彼はロンドンの貧民街イーストエンドにもぐりこみ、2か月にわたって住民と同じ暮らしをする。 イングランドはその最盛期の栄華を誇ってきたとき、その下層では、最低、最悪の生活をする人が数百万人もいた。 最低の仕事に何とかありつけたひとはまだいい。物を拾って食べる人。救貧所の施しでなんとか生き延びる人。それも得られない人。一部屋に数人が住む住宅事情。救貧所で夜を過ごす人。それも得られなくて、街頭で夜を過ごす人。最悪の生活が感情を抑えて書かれる。 劣悪な労働事情で人びとは体を壊す。壊した人たちは生活をすべりおちていく。だが、農村から次々補給される労働力。 この本でロンドンは、資本主義というものの酷薄さを徹底して暴き出す。理論でなく事実で。彼はこのような社会にしたやり口を批判する。 『奈落の人びと』は、今も基本的には変わらない資本主義の本質を具体的な事実によって示す。 なお、ジョージ・オウエルの『パリ・ロンドン放浪記』(1933年)は、ジャック・ロンドンのこの本に刺激を受けての本だという。1933年頃のパリとロンドンの最底辺の生活に潜り込んでの事情が叙述してある。これも必読である。
2013/04/02
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