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2024.07.25
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カテゴリ: 神社仏閣・御朱印
奈良時代に開湯とされる古湯玉造温泉で迎えた島根県最終日。
今日も暑くなりそうな一日のはじまりは、玉造温泉街を流れる玉湯川を車で2.3分程上流に走った先の玉作湯神社へ。

宿から玉湯川上流の眺め、この道を先に進んだ信号の角に玉作湯神社の社頭があります。

玉作湯神社駐車場着。
大型車なら10台ほど駐車できる無料駐車場があり、早い時間帯なら余裕で駐車できます。
写真は駐車場から見る一ノ鳥居。
もっとも、黙っていても「叶い石如何ですかぁ」と積極的に声がかかるはずです。

玉作湯神社
「当社は奈良時代の「出雲風土記」天平5年(733)に記される古社で、玉作の神 「櫛明玉命」と国造りと温泉療法の神 「大名持命」と温泉守護の「少彦名命」の三柱を祀っています。
 神社境内は国指定史跡出雲玉作跡(宮ノ前地区)の一画にあたり、歌仙山周辺では最古の玉作り遺跡で、弥生時代末から玉作りが行われていました。
江戸時代には「湯姫大明神」、「湯舩大明神」等と呼ばれ、藩主の崇敬も厚く、隣接する玉造御茶屋(松江藩の静養施設)に松江藩主が訪れる際には、必ず玉作湯神社に参詣しています。
 藩主から神社へ品々の寄進もあり、それらは現在も玉作湯神社に保管されています。
明治時代以後、天皇即位の式典に際しては、ここで作られた瑪瑙・碧玉製品が献上されていた。」

祭神の櫛明玉命は、三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉をこの地で造られたと伝わり、神社には多数の勾玉や管玉が社宝として保管されているという。
 延長5年(927)の延喜式神名帳の記載は「玉作湯神社」が1座、「同社坐韓国伊太氐(からくにいたて)神社」の2座とあり、櫛明玉命が玉作の神、大名持命と少彦名命が温泉守護の神。

それぞれ「出雲国風土記」(天平5年)に記された「玉作湯社」と「由宇社」に比定されるという。
また、永禄元年(1558)の棟札に「湯姫大明神」、享和3年(1803)には、7代藩主の松平治郷より「湖南玉造薬泉神社」銘の額が奉納されており、明治維新後、社号は「玉作湯神社」に戻されたという。
また、配祀神の「五十猛神」は往古の坐韓国伊太氐の祭神。

ニノ鳥居と左に二つの石標があり、柱の左の「神陵之杜」と記された石標は大正12年に寄進されたもの。
更に上を見上げた自然石が社号標で「式内 玉作湯神社」と記されています。
社殿は正面の石段を上り切ると見えてきます。

石段から上の眺め、石段中ほどに踊り場があり、文久二年(1862)寄進の石灯籠と狛犬が安置されています。

寄進年未確認の狛犬。

踊り場の右側に開けた敷地があり、写真の出雲玉作跡出土品収蔵庫が建てられています。
玉作湯社 出雲玉作跡出土品収蔵庫解説は以下。
「古代の住居形ハニワを模した建築 で、昭和35年に完成しました。
 鉄筋コンクリート平屋建、約20㎡の広さがあります。
この中には古代玉作りに関する資料約700点が収蔵されています。
 各種の玉類未成品と玉磨き砥石からなり、そのうち玉類184点、砥石162 点、古代ガラスー括は、昭和14年と33年に国の重要文化財に指定されて います。
古くからの伝世品を除くと、大部分が町内の玉作り遺跡から採集されたもので、住民が発見の都度神社に 奉納したものです。
 収集は明治以降のことですが、文化財の保護に深い関心を寄せられた玉作湯神社歴代宮司の熱心な指導によるものです。
玉作湯神社は、玉作りの祖神とされる櫛明玉命のほか、湯神2柱を祭神としています。
 (収蔵庫見学希望の方は、宮司宅までご連絡ください)
昭和59年11月玉湯町教育委員会 」とあります。
 当日は扉が閉じられており、非公開と思い込んでいましたが、宮司さんに連絡すればこの内部は拝観できるようです。
文化庁の解説
「昭和44年から46年の発掘調査で工房跡などから出土した一括遺物である。
 出雲玉作は、すでに古記録にもみえて、古くより著名である。
遺跡は花仙山の近くにあり、そこから産する碧玉(へきぎよく)・瑪瑙(めのう)・水晶・滑石(かつせき)などの玉材から、玉類の製作が行われ、遺物の多くは未製品であるが、勾玉、管玉、臼玉などの玉類の製作過程を知ることができ、玉類生産の状況が窺える重要な資料である」 とあった。
 保管品の画像では、我々が見慣れた勾玉、管玉とは程遠い製造途中のものばかりで、ここからあの形にするにはどれ程の手間と根気を要したものか想像がつかない。
時短が好まれる昨今、それとは真逆の手間と根気をかけて作っていた痕跡が出雲玉作史跡公園で見られるそうです。
石段を上り切った先の境内の全景。
正面が社殿で右方向に境内社や湯山遥拝殿があります。

石段脇の狛犬。

境内右の手水舎。

拝殿横の「玉作湯神社と玉造温泉」解説から一部抜粋。
 「玉作湯神社と玉造温泉之由来
一.玉作湯神社(内務大臣指定史蹟保存地)
 御祭神、櫛明玉神(八坂瓊勾玉並に宝玉御製作の祖神)、大名持神・少彦名神(当地温泉発見、温泉守護、温泉療法、薬、秘呪の祖神)、五十猛神(同社座、韓國伊太弖社、植林・殖産・産業振興の祖神)。
玉作湯神社は、玉造温泉、玉造川東岸の小高い林の中に鎮座まします式内の古社であります。
 「貞觀13年11月神階従四位下を授く」と三代実録に見え、現今は此の地の氏神で旧県社であります。
櫛明玉神は、天明玉、豊玉、羽明玉、玉祖神などの異称をおもちになって居て、天岩戸の前で神々のお計らいで神楽を奏せられた時、真榊の枝に懸けられた八坂瓊之五百箇御統玉は此の神の御製作であった事は、古語拾遺に明記せられ、玉作部の遠祖と仰がれ、此の地方に居住し、此の地の原石を採って宝玉の製作をお司りになったと伝え、日本書紀に「素盞鳴尊が天に昇りまさんとする時、羽明玉神(古語拾遺には櫛明玉命とあり)は道に出迎えて、瑞八坂瓊の勾玉を進め、素盞鳴尊は之を御姉天照大御神に献上になった」ことが記され、社伝には三種神器の八坂瓊の勾玉は命が御製作になったものと伝えています。
 天孫降臨の際、櫛明玉命は随従の五部の神の御一人として、玉作の工人を率いて日向に御降りになり、命の子孫一族は所属の工人と共に出雲玉造郷に留まって製玉に従事し、其部の長たる櫛明玉命の薫督をお受けになったと云われ、古語拾遺に「櫛明玉命之孫、御祈玉を作る。其の裔、今出雲國に在り、毎年調物として、其の玉を進む」と記され、又同書に「櫛明玉命は出雲國玉作祖也」と見えています。

社宝1.上代各種玉類184点(重要文化財)
  2.上代玉磨砥162点(重要文化財)
  3.上代ガラス製造ルツボ片と上代ガラス一括(重要文化財)
三.玉造温泉
 玉造温泉は少彦名命の御発見と伝えられ、JR玉造温泉駅から玉造川に沿って上ること約2㌔、玉造郷にあって玉造川の清流を挟み、要害山、花仙山の二山を負って多くの人家が相連なり渓間の一小区をなしています。
「出雲國風土記」意宇郡の条に「忌部神戸、郡家の正西廿一里二百六十歩。
 國造、神吉詞を奏しに朝廷に参向する際に、御沐の忌玉作る、故に忌部という川の邊に湯をだし、出湯の在る所、海陸に亘り男女老少、道を行き交い、或は海中の洲に日々集い市を成し繽紛燕会ぶ。
 一度濯げは形容端正しく、再び湯あみすれば万病ことごとく除く。
古より今に至るまで験を得ずということなし、故に俗人神湯といえり」と記されています。
拝殿額は「縣社玉作湯神社」

拝殿から本殿に続く階段の眺め。



境内右の境内社と右手の湯山遥拝殿。

そこに至る参道を守護する狛犬。

御納社。

玉宮神社。
祭神は玉祖命。
三種の神器の八尺瓊勾玉を作った神とされ玉造の神。

遥拝所左手の湯山神蹟。
後方の湯山(要害山)を御神体と捉え崇めるのがこちら、御神体の湯山には中世の山城 玉造要害山城址が築かれたようです。
一ノ鳥居の右から上っていけば辿り着けるようです。

湯山遥拝殿の解説から抜粋。
御祭神は湯山主命(大己貴神)
湯山主命は温泉守護、温泉療法・諸病平などの守護神。
往時より近里・遠群はじめ地域住民から篤く信仰され古歌にも詠われた。
神社宮山に続く玉作要害山は、往古「湯山」と称され、その谷を湯谷と呼ばれていたことが古書に記されている。
その湯山の主が湯山主命であり、今も広く景仰されている。
この遥拝所は古事記編纂1300年、出雲国風土記編纂1280年を記念し遥拝所を整備したもの。

湯山遥拝殿、湯山主命をお祀りします。
遥拝所内部には自然崇拝を色濃く感じさせる御神木らしき切株と、二重亀甲に丸玉管玉勾玉の紋が入った古い棟飾りが安置されていました。



朱の鳥居に続く石段の先に安置されている狛犬。
年代は良く分からなかった。

鳥居の正面の稲荷神社。
 祭神は稲倉魂命。

社の後方の斜面の前に年代物の狛狐があり、その先の祠には無数の狐が安置されています。


稲荷社の左の境内社三社。
右から澤玉神社で、祭神は猿田彦命。
中央が福徳神社で祭神が大國主命。
左が素鵞神社・記加羅志神社、素盞鳴尊をお祀りする。

境内社から眺める玉作湯神社の入母屋平入の拝殿と大社造の本殿。

本殿は安政4年(1857)の造営とされ、棟には外削ぎの置き千木と三本の鰹木が載る。
創建は不明で、幾度となく造営と社名変更を繰り返し現在の玉作湯神社に至っています。

本殿後方の山肌にある「願い石」。
 湯山主之大神として大己貴命が祀られている。
注連縄で張られたほぼ球体の岩が願い石、人の手で加工した岩ではなく、自然が作り出したもの。
 社務所で授けてもらった叶い石で願い石に触れ、願をかけると、願い石のパワーが叶い石に移り願いが叶うと信じられている。
元々は往古の勾玉工房の職人が、いい勾玉ができるとここを訪れ、神に感謝と次への願いをかけてお参りしたのが起源のようです。

 出雲には緑色の青めのうが採れる花仙山があり、特に花仙山で採れる青めのうは世界的にも珍重されるほど良質な緑色で、採掘量も安定したのは花仙山だけと言われたそうです。
弥生時代から古墳時代にかけ、花仙山で青めのうが発見されてからは、それまでヒスイや水晶で作られていた勾玉は青めのうが主流となっていき、北は北海道、南は九州の広い範囲の古墳から花仙山の青めのうの勾玉が見つかっているそうです。
 古代人にとって青は命の源の色として、その勾玉は特別ものだったのでしょう。

右手の「真王の泉」の石標の左の丸石、その上に石が置かれていますが、その石が正に青めのうの原石で、コツコツ手をかけて勾玉に姿を変えていきます。電動工具もない時代の手間と根気の結晶が勾玉。

拝殿北側の御神楽殿・神饌所の眺め。
この一画にも二社の境内社が祀られています。

大物主命を祀る金刀比羅神社。

湯姫大明神社の祭神は湯姫大明神。

本殿側面の眺め、定番の大社造りですが、拝殿から上に伸びる階隠しは、珍柱の入る妻壁と同じ幅で本殿に接続するもの。

天下の名湯玉造温泉や勾玉の原料を育んだ自然を持つこの地、玉造温泉に宿泊したら是非とも参拝しておきたい神社だと思います。
時間に余裕があれば古墳や出雲玉作史跡公園にも訪れたいところです。

玉作湯神社
創建 / 不明
祭神 / 櫛明玉命、大名持命、少彦名命、五十猛神
境内社 / 湯姫大明神社、金刀比羅神社、澤玉神社、福徳神社、素鵞神社・記加羅志神社、稲荷神社、玉宮神社等





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Last updated  2024.07.25 19:00:25
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