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最近はお天気も不安定で、晴れて蒸し暑くなったかと思えば、急に雨が降って来たりと、だいぶ梅雨らしくなってきましたね。さて、先週は仕事の関係で、東京方面へ出かけておりました。信州の山の中から出ていくと、都内は緑が少ないせいか余計に暑く感じますね。京駅 posted by (C)Nao都内での移動はやはり電車が中心になりますが、私の場合、先頭車両に乗って運転席の後方から車窓を見るのが好きです。特に最近の車両は、客室と運転室の間がガラス窓で見えるようになっていて、フロントガラス越しに前方の線路や駅などが見えるので、まるで自分が運転しているような気分を味わえます。いいオヤジが子供のような、、と笑われてしまいそうですね(汗)。中央線快速の運転士さん posted by (C)Naoそんなわけで、今回も山手線や中央線の運転士になっていたのですが(笑)、今回は運転士のほかにも女性の乗務員が一緒に乗り込んでいました。運転士さん目指して訓練中なのかな~、なんて想像しながら、そういえば以前に一度だけ中央線でお見かけした女性の運転士さんのことを思い出しました。その時の印象は、こんな大きな電車をしかも大勢の人を乗せて運転してしまうなんて、何とも衝撃的で、それにきりっとしていて、とても素敵だったんですよね。中央線快速の女性運転士さん posted by (C)Naoたしか2009年頃のことですが、当時JR東日本ではまだ女性の運転士さんは希少でした。鉄道業界はかつては男性の職場などと言われてきたようですが、今では女性もだいぶ増えてきている様ですね。ところで、そんな鉄道業界に働く女性たち(鉄おとめ)の仕事ぶりを紹介する本があります。JTBの時刻表に、2006年から連載されてきた「ダイヤに輝く鉄おとめ」は、鉄道フォトライターで鉄子こと矢野直美さんが、全国の鉄道会社で活躍する女性たちを紹介するシリーズで、その連載を一冊の本にまとめているんですね。ダイヤに輝く鉄おとめ posted by (C)Nao運転士でも車掌でも、女性がやるとスマートでとってもかっこよく、鉄道業界のイメージも変えてしまうようなインパクトがあります。なるほど、ダイヤモンドも鉄道のダイヤも、鉄おとめを輝かせるものなんですね。これからも、より多くの鉄おとめの皆さんに活躍してほしいものですね。にほんブログ村
Jun 30, 2013
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梅雨入りしたものの、信州ではあまり雨が降らず、毎日暑い日が続いています。ところで梅雨の花と言えば、やはり紫陽花(あじさい)でしょうか。たくさんのピンクやブルーの花びらを付けた紫陽花は、この季節にとても似合っていますね。そんな紫陽花の花びらを「ひとつ、ふたつ、、、」と数えて待てば、時間が過ぎるのも早いのでしょうかね(笑)。この花を見ると、そんな紫陽花の咲く駅を舞台にした、あるお話を思い出してしまうのです。アジサイ1 posted by (C)Nao「2秒で通過した駅」は、私の好きなハートカクテル・シリーズのお話しのひとつで、海沿いにある小さな駅を一人で守っている、若い駅長さんのお話しなんですね。その駅は、一日に上り下り各1本しか停車しないとても小さな駅で、あと1年ほどで廃止になることが決まっています。アジサイ2 posted by (C)Naoホームにはたくさんの紫陽花が咲いていて、まさに紫陽花の駅と言った趣。そんな紫陽花の駅を企画したのは、駅長さんがずっと想いを抱いている女の子で、毎日彼にお弁当を作って届けてくれているんですね。ちょっと内気な駅長さん、駅が廃止される前に彼女に気持ちを打ち明けられるんでしょうか。。。よかったら続きをこちらでご覧くださいね。にほんブログ村
Jun 15, 2013
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駒ヶ根市にある養命酒の駒ヶ根工場に、素晴らしい芍薬(シャクヤク)のお花畑があると聞いて、家内とご両親を誘って出かけてきました。養命酒を飲んだことはなくとも、「女は7の倍数、男は8の倍数・・・」のテレビCMでお馴染みの方も多いでしょう。実は養命酒は、400年以上前から飲まれている超ロングセラー商品なんだそうです。養命酒駒ヶ根工場は、3000m級の山々が連なる中央アルプスの山麓に抱かれた標高800mの高原にあり、広さ36万平方メートル(東京ドーム8個分)と言う広大な敷地の70%が森林で覆われているとのことです。養命酒健康の森1 posted by (C)Nao駐車場に車を停めて、まず向かった先は、かつての酒蔵を移築・改装したというこの記念館。緑の木々の中に建つ、白壁のとても風情のある建物でした。養命酒健康の森2 posted by (C)Nao中に入ると、最初にこの壁の飾りが目を引きました。これは養命酒の商標である「飛龍」ですが、これにはこんなエピソードがあるようです。養命酒健康の森3 posted by (C)Nao養命酒が製造開始されたのは、ちょうど江戸幕府が開かれた頃の1602年。そして1603年には徳川家康に献上され、このとき家康から、「天下御免萬病養命酒」と免許され、この「飛龍」の印の使用を許可されたのだそうです。養命酒健康の森4 posted by (C)Nao以来、この「飛龍」のマークは養命酒のパッケージやボトルに使われるようになり、養命酒の飛龍マークは、日本でいちばん古い商標だと言われているそうです。建物の入口からショップまでの廊下には、こうした養命酒の発祥の歴史や、歴代の養命酒の特徴的なボトルとパッケージが飾られていました。養命酒健康の森6 posted by (C)Nao建物の中は、梁をめぐらした広大な空間が広がり、そこに養命酒のさまざまな商品を販売するショップと、50種類の生薬の展示エリアがあって、実際に生薬を手に取っていただけるコーナーもありました。養命酒健康の森7 posted by (C)Naoショップでは、養命酒はもちろん、生薬関連技術を活かしたさまざまな限定商品やミネラルウォーターなども販売されていました。養命酒健康の森11 posted by (C)Naoまた、併設された森の中のカフェ「Cafe Healing Terrace」では、ハーブを使用したゼリーやパウンドケーキ、わらび餅などのナチュラルスイーツや健康ブレンド茶などのほか、森のランチと言ったメニューもありました。養命酒健康の森12 posted by (C)Naoところで、この養命酒はどうやって誕生したのでしょう。その誕生秘話は、こんな具合です。 信州伊那・中川の庄屋・塩沢家の当主・宗閑が、あるとき、雪の中で倒れていた老人を助け、手厚く介抱しました。伊那の地をすっかり気に入った老人は、塩沢家に3年の間身を寄せていましたが、塩沢家を立ち去るとき、助けてもらったお礼に「霊酒の作り方」を伝授したそうです。養命酒健康の森8 posted by (C)Nao宗閑はもともと造り酒屋だったこともあり、老人から教えられた薬酒をつくろうと地元の山に分け入って薬草を集め、なんとか薬酒を造ることに成功、こうして「養命酒」が誕生したと言われています。宗閑は「世の人々の健康長寿に尽くすこと」を願って、「養命酒」と名付けたそうです。養命酒健康の森5 posted by (C)Naoところで養命酒は、国内ではもちろん海外でも広く販売されているそうですが、これに関しても意外なエピソードがあったようです。かつての海軍大将山本五十六がこの養命酒の愛飲家だったようで、1930年のロンドン海軍軍縮会議に参加する若槻禮次郎に同行したときに養命酒を持参したのがきっかけと言われているんだそうです。養命酒健康の森15 posted by (C)Nao養命酒本舗の四男であり、海軍兵学校を次席で卒業し、後に海軍大将になった塩沢幸一が、山本五十六と海軍兵学校で同期だったようで、五十六は塩沢のことを「おい、養命酒」と呼んでいたという逸話もあるそうです。五十六が養命酒を愛飲するようになった背景には、塩沢の影響があるのかもしれませんね。養命酒健康の森9 posted by (C)Naoさて、記念館から外に出て、緑豊かな敷地内を歩いて、芍薬(シャクヤク)の咲く「四季咲きの丘」へと向かいます。そこは中央アルプスの湧水を源流とする小川が流れ、マイナスイオンたっぷりのまさに癒しの空間でした。養命酒健康の森13 posted by (C)Naoそしてお目当てのお花畑に到着。炸薬(シャクヤク)は、生薬として養命酒にも使用されていますが、大きいピンク色の綺麗な花が、中央アルプスをバックに、一面に咲き誇っていました。養命酒四季咲きの丘1 posted by (C)Naoこの日は時間の都合で行けませんでしたが、ここでは工場見学もできたり、また生薬や薬膳について学べる講座や、ファミリー工作のプログラムなどもあるようです。芍薬(シャクヤク) posted by (C)Naoまた諏訪湖畔には、養命酒の経営するレストラン「くらすわ」もあり、そこで焼いているパンは、ここのレストランでも出張販売しているようでした。養命酒四季咲きの丘2 posted by (C)Nao400年もの長い間、愛飲されている養命酒。そこには、時代は変わっても、人とは常に健康・長寿を願うものだというをことを感じます。そして養命酒に纏わるさまざまなエピソードから、その歴史と意外な一面を知ることができました。にほんブログ村
Jun 9, 2013
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