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2023年07月21日
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テーマ: 仏教(61)
カテゴリ: 哲学・生き方
 都会の寺院では檀家の減少、老朽化対策のための費用捻出に対して、地の利を活かした取り組みがすすめられている。
 大阪・御堂筋沿いにある真宗大谷派難波別院「南御堂(みなみみどう)」は、ホテル併設の17階建てのビルになった。
 よく考えられており、資産の有効活用だ。過去からのやり方を頑なに守るだけでは仏道もろとも消えていく。
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"倒壊危機"で出費90億円超の絶体絶命…
というスゴ技
2023年7月5日 プレジデントオンライン
  …  (略)  …
 それは、2019(令和元)年秋にオープンした真宗大谷派難波別院(通称:南御堂)。日本で初めての寺院の山門と商業施設とが一体となった建物だ。山門の老朽化に伴う建て替え資金の捻出のための「苦肉の策」だったが、これまで仏教と接点がなかった若者やビジネスパーソンが寺の門をくぐりはじめた。
 大阪を代表するオフィス街、本町。オリックスや竹中工務店などの本社ビルが立ち並ぶこのエリアに、低層部が大きく開口したビルが登場したのが、コロナ禍前の4年前のことだ。これが、難波別院の「山門」である。
  …  (略)  …
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 ここ御堂筋の難波別院の創建は1595(文禄4)年のこと。本願寺12代の教如が大坂渡辺に建立した大谷本願寺に遡る。2年後に大谷本願寺はこの地に移転した。
 1602(慶長7)年、京都の本願寺のお家騒動に乗じて、徳川家康が本願寺を分けたことで、現在の東・西の本願寺が生まれた。そのため大坂における浄土真宗も、真宗大谷派難波別院(南御堂)と浄土真宗本願寺派津村別院(北御堂)に分かれ、現在に至っている。
1926(大正15)年の大阪都市計画において、この「2つの御堂」をつなぐ参道の拡幅工事が完成する。それが、現在の御堂筋なのである。
 しかし、1945(昭和20)年3月の第1次大阪大空襲によって、難波別院や津村別院を含める一帯は焼失した。
 こうして終戦の年、空襲による焼け落ちた難波別院だが、1961(昭和36)年に本堂と山門の再建を果たす。この時、山門は商業ビル「御堂会館」として生まれ変わった。当時も寺院と商業施設の一体型ビルの、先駆け的存在として注目を浴びた。
 御堂会館には1000人規模を収容できるホールがあった。昭和の映画ブームの時代には、試写会の聖地としても映画ファンから知られていた。
 ところが、2011(平成23)年の東日本大震災をきっかけに、耐震性の問題が浮上する。御堂会館は震度6以上で倒壊する可能性が指摘された。建物もかなり老朽化しており、解体を余儀なくされた。本堂の耐震性にも問題が見つかり、改修工事が必要となった。
     ​
■再建の事業費は90億円超…絶体絶命の淵で出た妙案
 耐震調査の結果、補強に11億円、解体だけでも4億円かかるとの見積りだった。独自の再建は断念せざるを得なかった。最終的な事業費は山門だけで、およそ90億円にもなった。
 このとき、飛び出した絶妙なアイデアは次のようなものだ。まず、山門部分の土地約2600平方メートルにたいして、60年間の定期借地権を設定。地代を得ながら再建する計画が持ち上がった。名乗りを上げたのが、地元企業である積水ハウス不動産関西(当時の積和不動産関西)。「御堂筋のシンボルにしたい」と、山門を既存の御堂会館以上の規模感で再建することに。
 つまり、地主としての難波別院は地代を得、家主としての積水ハウス不動産関西はテナント料を得るスキームである。施工は、難波別院の「企業門徒」である竹中工務店が手掛けることになった(昔は、大規模な寺社にはパトロンが多くついていて伽藍(がらん)の寄進や建設を請け負ったものだが、近年では企業が寺社に資金を拠出しにくい企業体質になってきているのが残念だ)。
 新たなビルでは山門の機能を備えるため、低層部の中央は参道として、通り抜けができる構造にした。吹き抜け部の天井は、寺の門であることを主張するため、伝統的な格天井のデザインが採用された。
 2019年11月、地上17階地下1階の複合ビルとしてグランドオープン。山門の「脚」の部分に当たる北棟4階までは、難波別院が寺の施設として積水ハウス不動産関西から借り受けた。
 そのうえで1階にスターバックスコーヒー(南御堂ビルディング店)を誘致。なんと、スターバックスの片隅には経本や難波別院グッズなど、真宗大谷派の布教ツールを販売している。宗教施設の中にスターバックスが出店した事例も、稀有である。
 南棟は積水ハウス不動産関西が誘致した、企業が入居。その南棟1階には、行列のできるスイーツ店「ハナフル」が店を構えており、常に若い女性でいっぱいだ。
 つまり、山門の1階に若い人々が集まる飲食店を構え、彼らを境内へと誘う仕組みである。従前の難波別院ではみられなかった、仏教と接点のなかった若者が寺の門をくぐり始めた。
  ―  引用終わり  ―
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 残念ながらこの方法は、同じように再建費用に苦しんでいても、観光客もビジネス客も乏しい僻地では取組みようもない。
 仏教の教えを広めることが大事だと思うなら、過去の仏教界と同じように、やり方を変え信者を増やす試みがなされて然るべきなのだろう。
 それとも昔ながらのやり方を踏襲し、檀家制度、葬式仏教に安住する寺は、仏の道もろとも消えてなくなるつもりか。
 仏の道、仏の教えは一つの道ではないはずだ。








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最終更新日  2023年07月21日 06時00分11秒
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