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「ホワイトタイガー ナチス極秘戦車・宿命の砲火」 BELYY TIGR 、(英)WHITE TIGER監督 カレン・シャフナザーロフ製作 カレン・シャフナザーロフ原作 イリヤ・ボヤショフ脚本 アレクサンドル・ボロジャンスキー カレン・シャフナザーロフ撮影 アレクサンドル・クズネツォフ音楽 ユーリ・ポテイェンコ コンスタンティン・シェヴェレフ出演 アレクセイ・ヴェルトコフ、ヴィタリー・キシュチェンコ ヴァレリー・グリシュコ 本編98分 総天然色 ビスタサイズ ロシアの戦争映画です。このような作品は日本未公開になりそうだけれど、2014年1月18日劇場公開されて、でも都会だけのようで地方まではまわってこなかったらしい。まわってきてもまず客が入らないだろう、そんな映画です。 第2次大戦のロシア戦線。1943年のクルスク戦の頃か(と思ったけれど、ソ連のT-34/85の初陣は1944年春です)。 戦場にドイツ軍の1台の重戦車「ティーガーI」(のような型)が現れて、ソ連軍の戦車隊が大損害を受ける。1台のために15台のソ連戦車が全滅したという。 ところがドイツ軍の捕虜に訊いてもそんな戦車は知らないと言う。ヒトラーが密かに命じて造らせた秘密兵器ではないかと問うが、そんなことはあり得ないと。 ドイツの戦車兵にとっては、不利な戦況のなかで突如現れた味方の戦車が敵戦車を蹴散らして、危ういところを救ってくれた。 ソ連軍にとっては、敵のたった一台の戦車によって味方の戦車が全滅した。 その謎の戦車は何者なのか? 破壊されたソ連の戦車から1人だけ奇跡的に生き残った戦車兵が救助される。 全身に90パーセントの大火傷を負いながら奇跡的に回復した男。記憶を失っていて、自分の名前も出身地も所属部隊もわからない。彼はイワン・ナイジョノフと名付けられて前線に復帰します。 謎のドイツ戦車は「ホワイトタイガー」と呼ばれ、悪魔のように恐れられる。対抗するためにソ連は「T-34/85」中戦車の装甲強化型を急造し、イワン・ナイジョノフを車長にして「ホワイトタイガー」を仕留めるように命じます。 イワンが救助されて野戦病院へ運ばれる。回復して、改造T-34の車長に命じられ、砲手と装填手、2人の部下を付けられて、ホワイトタイガーを倒せと特命を受けるあたりまでは、ロシア映画らしい重々しさが感じられたのですが、その後がいけない。 肝心のホワイトタイガーの造型がやっつけ仕事。ティーガーIを一回り大きくした謎の重戦車というわりにはその大きさも感じられないし、恐ろしさも強さも感じられない。 しかも、わずか1台の戦車(乗員は3人しかいない)が、たとえ重装甲のティーガーだとしても、多数の戦車や随伴歩兵を相手にして戦えるものではないだろう。あまりにもバカバカしい設定です。 ソ連のT-34との戦車戦もまったく迫力がありません。ドイツ軍との戦いなのに戦場にドイツ兵が一人もいない。ブルドーザー程度にしか見えないホワイトタイガーたった1台のドイツ軍です。「ナチス極秘戦車・宿命の砲火」という邦題から、ドイツ軍が秘密兵器として造りだした強力無比の重戦車が現れて、それとソ連の戦車が対決する話だとばかり思っていたら、そうではなかった。 ドイツ軍自身もまったく正体を知らない謎の戦車「ホワイトタイガー」は悪霊のような存在で、対抗するソ連の戦車兵も人間ではなく、戦車の生命が乗り移ったかのような謎の亡霊のような存在。 なんだ?こりゃ?な、脱力系の作品です。料金を払ってまで見るようなものではありません。
2015年04月30日
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「増える賞金、死体の山」(1973) CAMPA CAROGNA...LA TAGLIA CRESCE CS放送「さすらいの賞金かせぎ」監督 ジュゼッペ・ロサティ脚本 エンリケ・ロヴェット ジュゼッペ・ロサティ カルロ・ヴェオ撮影 ゴドフレード・パチェコ音楽 ニコ・フィデンコ出演 ジャンニ・ガルコ、スティーヴン・ボイド ハワード・ロス、サイモン・アンドリュー、ハリー・ベアード テレサ・ギンペラ 本編87分 総天然色 シネマスコープサイズ(DVDはノンスクイーズ) テキサス州のメキシコとの国境に近い所で、騎兵隊の馬車がメキシコの山賊アンジェロ一味に襲われて、積荷の銃器と弾薬が奪われ、馬車に同乗していた軍医の娘が拉致される事件が発生。 山賊アンジェロ(サイモン・アンドリュー)に懸かっている1000ドルの賞金目当ての賞金稼ぎコーラン(ジャンニ・ガルコ)は、騎兵隊将校のチャドウェル(スティーヴン・ボイド)とその部下2人の兵隊とともに、さらわれた娘と奪われた武器を取りもどすべく山賊団のあとを追ってメキシコへと向かう。 「増える賞金、死体の山」予告編はこちらです。 1973年のマカロニウエスタンで、日本では劇場未公開作です。 いつだったか、CS放送で「さすらいの賞金かせぎ」というのがあって、知らないタイトルなので見てみると、この「増える賞金、死体の山」でした。 東日本大震災のときに放送され、その時にタイトルが不謹慎とかで改題されたとか。しかし、いくらなんでも「増える賞金、死体の山」が「さすらいの賞金かせぎ」に化けるとは、あまりの安直さ。 主人公はイスラム教徒を自称する賞金稼ぎコーラン。演じるジャンニ・ガルコはマカロニ西部劇の主役としては日本ではあまりなじみがありません。代表作の「サルタナ」シリーズが日本では公開されなかったので、ジュリアーノ・ジェンマやフランコ・ネロほどには、その名が知られていなかった俳優です。「戦場のガンマン」というマカロニ・コンバットが1968年にあったけれど、ジョン・ガルコとアメリカ風に名が変えられていました。 今でもサルタナのシリーズは、先日見た「サルタナがやって来る 虐殺の一匹狼」(70)のみがDVD化されている現状です。「サルタナ」ではパイプオルガンに仕込んだ機関銃や大砲?から銃弾、砲弾が発射されバタバタと山賊が撃ち倒される、「皆殺しオルGUN」なる秘密兵器。 今作では主人公コーランがさしている日傘で、多勢の敵にあって窮地になると傘が機関銃になる「GUNブレラ」が登場する。秘密兵器というより、装弾方法も仕組みも不明という珍兵器です。 初期のマカロニ西部劇にはなかったコメディ的オフザケ路線が、この1970年ごろのマカロニ西部劇のひとつの特徴になっているようです。 騎兵隊の武器を奪い、軍医の娘を拉致したアンジェロを追って賞金稼ぎコーランと3人の騎兵隊員がメキシコへ向かいます。 アンジェロの親分がメキシコのロペス将軍というイカレた男で、岩山の洞窟を利用して砦を築いている。このロペス将軍なる男はナポレオンに憧れているらしく、山賊をやめて子分どもを軍隊にして、テキサスに攻め込もうと考えている誇大妄想狂。悪役というより、イカレた奴にしか見えないのが難点か。 けっきょく軍医の娘も救えず、賞金もうやむやに。スティーヴン・ボイドの騎兵隊将校は山賊に奪われた武器弾薬を爆破できて任務達成できたけれど、これでは娘の救出は二の次だったようです。なんで彼女を死なせないとならなかったのか?脚本がいい加減で、それがマカロニ西部劇だといってしまえば、それきり。 賞金は増えるどころか、もらえるかも不明。死体の山はできたけど。
2015年04月29日
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「007 私を愛したスパイ」(1977) THE SPY WHO LOVED ME監督 ルイス・ギルバート製作 アルバート・R・ブロッコリ原作 イアン・フレミング脚本 クリストファー・ウッド リチャード・メイボーム撮影 クロード・ルノワール音楽 マーヴィン・ハムリッシュ主題歌 カーリー・サイモン 出演 ロジャー・ムーア、バーバラ・バック クルト・ユルゲンス、キャロライン・マンロー リチャード・キール、ウォルター・ゴテル 本編125分 総天然色 シネマスコープサイズ 字幕翻訳:菊池浩司 吹替翻訳:桜井裕子 劇場公開以来、何度目かの鑑賞をすると、前には気づかなかったことに気づいたりします。 今作の悪役はカール・ストロンバーグという名の海運業者。海底に秘密基地(タコのような形のドーム)を設けていて、イギリス、ソ連、アメリカの原子力潜水艦を拿捕し、搭載している核ミサイルを発射して世界大戦を起こそうとしている。 現代では見られなくなった誇大妄想狂的な、世界征服をたくらむ悪役。昔はこのような悪役ばかりだったけれど、近年は現実的になったのか麻薬組織やテロ組織など、映画に夢がなくなったのか、そんなのばかりになった。 演じるのはドイツの大物俳優クルト・ユルゲンスさん。「眼下の敵」(57)でロバート・ミッチャムの駆逐艦長と虚々実々の戦いをするUボートの艦長の役が印象に残っています(写真)。「史上最大の作戦」「空軍大戦略」「ネレトバの戦い」など、かつては戦争映画で貴族的なドイツ軍人役で顔を見ましたね。 007シリーズの正統派悪役として、大物俳優の出演です。 イギリスの原潜とソ連の原潜が同時期に消息を絶つ。英国情報部は007号を、ソ連のKGBはトリプルXと呼ばれるアニヤ・アマソヴァ少佐(バーバラ・バック)を事件の調査に派遣します。 東西の諜報組織のエージェントが共通の敵を相手に協力する、東西陣営の緊張緩和時代に作られた007映画です。この頃から007の敵が東側のスパイではなくなってゆく。 面白い話ですが、悪役カール・ストロンバーグの計画がずさんな感じがして、英ソの情報機関にすぐに尻尾をつかまれます。 科学者を雇って原潜航跡追跡システムを開発させ、英ソの原潜を拿捕した、そこまではいいが、その追跡システムの機密を配下の女が勝手に持ち出して、競売にかけようとした。裏切り者としてすぐにサメの餌食にして処刑したストロンバーグですが、どこか間が抜けている。 その売りに出された原潜航跡追跡システムを収めたマイクロフィルムを追って007号とトリプルXがエジプトのカイロへと向かう。そこに現れたのがストロンバーグの殺し屋ジョーズ(リチャード・キール)。 娯楽アクションお気楽映画としては楽しく鑑賞できるけれども、突っ込み所が満載? 大男のジョーズ(リチャード・キール)。口に鋼鉄(合金か?)の歯をつけていて、相手に噛みついて殺すのだが、殺しの方法としては効率的ではないような。この人のような巨体の力持ちなら絞め殺す、殴り殺す、のほうが簡単だろうに。漫画チックな悪役ジョーズとして子供には受けるだろうけどね。 久しぶりにじっくりと鑑賞した「私を愛したスパイ」。お子様向けアクションというか、ファミリー向けアクション映画です。本作から製作者としてずっと一緒にやってきたハリー・サルツマンさんが手を引いて、アルバート・R・ブロッコリさんの単独製作になっています。
2015年04月28日
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1978年の外国映画興行成績です。 金額は配給収入。1位 「スター・ウォーズ」 43億8000万円 2位 「未知との遭遇」 32億9000万円 3位 「007私を愛したスパイ」 31億5000万円 4位 「サタデー・ナイト・フィーバー」 19億2000万円 5位 「ブルース・リー死亡遊戯」 14億5000万円 6位 「コンボイ」 14億5000万円 7位 「ジョーイ」 11億2000万円 8位 「カプリコン・1」 8億円 9位 「オルカ」 6億4000万円 10位 「ザ・ドライバー」 5億1000万円 映画007シリーズ第10作「私を愛したスパイ」のブルーレイソフトを鑑賞しました。 以下は2012年9月30日に書いたものの再掲です(手抜きでゴメンなさい) 10月19日に007シリーズ全22作を収録したブルーレイBOXが発売されるそうです。 これまでブルーレイ化されていなかった「007は二度死ぬ」や「女王陛下の007」「私を愛したスパイ」「オクトパシー」などが入っていて、いいなあと思うのですが、既発売の作品をいくつか持っていて重複してしまうので単品発売されるまで待つつもり。 シリーズ第10作「私を愛したスパイ」(1977)。日本公開は1977年12月10日となっているけれど、私はもっと早くて夏ごろに見ています(金沢ロキシー劇場)。地方の方が早かったのか? 英ソの原子力潜水艦が相次いで行方不明になるという事件が発生。東西の緊張が高まり、英国情報部は007号ジェイムズボンド(ロジャー・ムーア)に調査を命じます。 同じ頃、ソ連でも自国の原潜が消息を絶ったというのでKGBエージェントのアニヤ(バーバラ・バック)がその捜索にあたる。 英ソの情報部員2人は、それぞれが手掛かりを追う中で出会い、共同で捜査にあたることになる。 地中海に海底基地を持つ海運業のストロンバーグ(クルト・ユルゲンス)が拿捕した原潜の核ミサイルを使って世界大戦を引き起こし、世界征服をたくらんでいることが判明する。 ストロンバーグの巨大タンカー「リパラス号」船内に消息を絶っていた英ソの潜水艦を発見したボンドは捕虜になっていた原潜乗組員を解放し、潜水艦奪還と核ミサイル阻止をはかる。 Q開発のボンドカー水陸両用ロータス・エスプリが登場。鋼鉄の歯を持つ敵の用心棒ジョーズなど、娯楽映画として豪華な一作になっています。 監督はルイス・ギルバート。次々作から監督を務めることになるジョン・グレンさんが編集を担当している。 ボンドガールにはバーバラ・バックさん。そしてもうひとり、われらがキャロライン・マンローさん(写真)が敵のヘリコ・パイロットとして出演。ボンドのロータス・エスプリを空から追跡して銃撃する。このシーンは予告編でも見られます。ヘリコからボンドに向かってウィンクするのがたまらんですねぇ。 この頃のロジャー・ムーアさんのボンドは板についています。このあと「ムーンレイカー」「ユア・アイズ・オンリー」「オクトパシー」「美しき獲物たち」と続く作品の鑑賞は、私には至福の時を味わえるものです。 これこそが「007」の豪華絢爛な世界。最近の、007の楽しさを失ってしまった、ただのありふれたアクション映画に堕してしまった、名ばかりの007にはため息が出るばかりです。 2012年10月19日に「007シリーズ」全22作のブルーレイBOXが発売されると書いていますが、現在では各作品が単品で発売されていて、価格も1500円前後になっています。DVDもブルーレイも価格がそれほどかわらないので、買うなら断然ブルーレイがいいですね。 長くなるので明日につづく。
2015年04月27日
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アントニイ・バージェス 「時計じかけのオレンジ」 福田定一 「豚と薔薇」「名言随筆 サラリーマン」 足塚不二雄 「UTOPIA 最後の世界大戦」「ビブリア古書堂の事件手帖」(三上 延 著 メディアワークス文庫)第2巻では、以上の作品を扱った三つの連作短篇が載っています。 昨日書き漏らした、福田定一「名言随筆 サラリーマン」について。 その本文は今では読むことができない(古書は数十万円の高値がついているそうで)のですが、「まえがき」と「あとがき」は「司馬遼太郎が考えたこと」第1巻(新潮文庫)に載っているので読むことができますね。司馬さんの本名である福田定一の名で発表された、この初期時代の文章に触れるには、「司馬遼太郎が考えたこと」の第1巻がもっとも適しているのではないでしょうか? 足塚不二雄 「UTOPIA 最後の世界大戦」。 足塚不二雄は藤子不二雄さんが初の書き下ろし単行本「UTOPIA 最後の世界大戦」(鶴書房)で用いた名前です。 数冊しか現存しない、たいへん珍しい漫画単行本で、「ビブリア古書堂の事件手帖」によると数百万円の古書価値がついているとか。 テレビの「開運!なんでも鑑定団」では鶴書房版に300万円の鑑定額がつけられたそうです。 2011年8月に小学館クリエイティブから鶴書房版の原本を元にした完全復刻版が刊行されました。3800円+税。本物ではないレプリカですが、松本零士さん所有の鶴書房版をもとに完全復刻をおこなったとのこと。このような復刻版が刊行されると古書価格は下がったりするのでしょうか? 「少年」(光文社)で連載された「シルバー・クロス」。兄が「少年」を読んでいたのを見せてもらっていたので、藤子不二雄さんの作品では最も思い出深くもあり、今でも好きなマンガのひとつです。「怪物くん」と「忍者ハットリくん」。「週刊少年サンデー」で読んだ「海の王子」と「ビッグ1(ワン)」。 藤子・F・不二雄さんの「オバケのQ太郎」や「パーマン」、「ドラえもん」。 藤子不二雄Aさんの「怪物くん」と「忍者ハットリくん」。 私の好みではAさんの「怪物くん」と「忍者ハットリくん」の方です。「シルバー・クロス」はAさんの作品ですが、ギャグ漫画よりストーリー漫画のほうが、当時でも現在でも好きだし、描線が細く白っぽいページより、太い線で描き込まれた黒っぽいページの作品が好みなので、藤子不二雄ではAさんの方がいいと思っています。 写真は私の蔵書「シルバー・クロス」全6巻。2003年に刊行された「藤子不二雄Aランド」(ブッキング)版。同じ時に「まんが道」も全23巻そろえたけれど、何を血迷ったか売り払ってしまって後悔しています。「まんが道」のなかで「UTOPIA 最後の世界大戦」を足塚不二雄の名で出した時の様子が描かれていましたね。
2015年04月26日
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「ビブリア古書堂の事件手帖」(三上 延 著、メディアワークス文庫)の第2巻ではアントニイ・バージェス 「時計じかけのオレンジ」福田定一 「豚と薔薇」「名言随筆 サラリーマン」足塚不二雄 「UTOPIA 最後の世界大戦」 を扱っています。 テレビで放送していたドラマ「ビブリア古書堂の事件手帖」は一度も見なかったし、出演者にも興味がないので今後も見ることはないだろうと思います。 その原作の、このような若者向け小説は普段なら手にしないのですが、「時計じかけのオレンジ」を扱っているとのことで関心を持ちました。 連作形式の小説です。ミステリではないようで、古書についてのエピソード、蘊蓄(うんちく)が古書店主の篠川栞子を通して語られるのが本好きには楽しい。日常的に本を読まない人や書店に足が向かない人は、おそらく読んでも面白くないのでは?そんな小説ですね。「福田定一」と聞いて、司馬遼太郎さんの小説やエッセイに慣れ親しんでいるファンならすぐに司馬さんの本名だとわかるはずです。■司馬遼太郎 しば りょうたろう 1923~96(大正12~平成8) 戦後の小説家。(生)大阪、(名)福田定一(学)大阪外国語学校(大阪外語大)蒙古語科 1946(昭和21)「新日本新聞」入社。1948「産経新聞」京都支局に転じ、のち大阪支局に移る。同人誌「近代説話」創刊に参加。1955刊「ペルシャの幻術師」により講談倶楽部賞を受賞。1960「梟の城」で直木賞を受賞。1961新聞社を退社して文筆専業となり、1966「竜馬がゆく」により菊池寛賞を受賞。「国盗り物語」「世に棲む日日」「坂の上の雲」「翔ぶが如く」など次々と雄大な構想と巧みな語り口で作品を発表した。1981芸術院会員。1993(平成5)文化勲章。 (「コンサイス日本人名事典」第4版 三省堂) 司馬遼太郎さんの推理小説「豚と薔薇」、福田定一名義の「名言随筆 サラリーマン」は現在では古書でしか読むことができない本です(全集にも入っていない)。「ビブリア古書堂の事件手帖」でも触れられているように、かなり高価な古書のようですね。「豚と薔薇」に関してはよくその書名を目にします。「司馬遼太郎が考えたこと」(新潮文庫)の第1巻には、「豚と薔薇」の「作者のことば」(153ページ)と「あとがき」(177ページ)が載っている。「あとがき」では、「ビブリア古書堂の事件手帖」にもあるとおり、「多少読者を意識する時期になってから、書いた。べつに動機はない。推理小説がはやっているからお前も書け、ということで、紙面をあたえられたのである。推理小説には興味をもっておらず、才能もなく、知識もない。書けといわれて、ようやく書いた」とおっしゃっています。 推理小説に登場してくる探偵役を、決して好きではない、と司馬さんは書いている。 他人の秘事を、なぜあれほどの執拗さであばきたてねばならないのか、その情熱の根源がわからない、と。 司馬さんの推理小説、というかミステリ的な作品は「豚と薔薇」だけではないようで、「司馬遼太郎短篇全集」(文藝春秋社)の第2巻に収録されている「マオトコ長屋」がそうです。昭和33年7月「小説倶楽部」第11巻第7号に掲載された作品。 この「司馬遼太郎短篇全集」の第2巻には「マオトコ長屋」の他に現代物としては、推理小説ではないけれども「大阪醜女伝」「白い勧喜天」「十日の菊」が載っていて、司馬さんのたいへん珍しい初期作品です。
2015年04月25日
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アントニイ・バージェス著「時計じかけのオレンジ」がハヤカワ文庫で刊行されたのはいつなのでしょうか? スタンリー・キューブリック監督の映画が日本で公開されたのが1972年4月。その映画公開に合わせて早川書房から単行本が発売されて、そののちに文庫化された。右の写真がその文庫版で、1977年ごろの発行だろうか? その時の文庫本表紙は映画ポスターのデザインから採ったものです。「ビブリア古書堂の事件手帖」第2巻では、栞子さんが小学4年生のときに買って読んで、読書感想文を書いたという、その文庫本が「1995年1月15日 25刷」。 現在、ふつうに書店にある「時計じかけのオレンジ」は2008年9月15日発行の「完全版」で、私が先日買ったのは2014年2月15日 11刷の本です。「時計じかけのオレンジ」の文庫本は、最終章がカットされた「旧版」と、最終章を復活して2008年に発行された「完全版」の2種類があり、「ビブリア古書堂の事件手帖」は、この「2種類の版があるのを知らなかった」を題材にしています。 アントニイ・バージェスの「時計じかけのオレンジ」初版が英国で刊行されたのは1962年。 同じ年にアメリカで出版されたのは最終章がない版だったそうで、出版社はむりやりにとってつけたハッピーエンドにするために作者にカットを要求したのだとか。 しかし、凶悪な不良少年が洗脳されておとなしくなり、それが再び不良少年にもどった、という所でエンドだったら、なんの意味も無い話になってしまう。作者の意図したテーマ「善悪を選択する自由。自由意思」は最終章にこそ描かれているのに、それをカットしてしまった不完全なものが流通し、その状態がずっとつづき、アメリカではようやく1986年に最終章が復活した完全版が刊行された。 日本で早川書房から1971年に出た単行本は最終章のない不完全版。のちのハヤカワ文庫になったのも同じ版。この不完全版がずっとつづき、2008年にようやく完全版のハヤカワ文庫が刊行された。「時計じかけのオレンジ」は3部構成で、それぞれ7章ずつあります。 不完全版はその第3部の第7章がカットされていた。第6章の「おれは、まるっきりなおったんだ」で終了していたものが、完全版ではカットされた「第7章」が復活。主人公アレックスは悪事に飽きて、成長し、大人になることを選んで終了します。 この「第7章」を読まなければ、「時計じかけのオレンジ」を本当の意味で読んでいない、と言われるのは、そういう事情があるんですね。 スタンリー・キューブリック監督の映画化作品は最終章をカットした不完全版をもとにしたものです。 アントニイ・バージェスさんは大人になったアレックスを描かなかったキューブリックを許さなかったそうで、その映画も嫌っていたそうです。 映画は面白いと思うし、これまでに何度も見た、私の好きな作品のひとつ。でも小説を読むと映画とは受ける印象が異なります。何よりも主人公アレックスの15歳という年齢。映画のマルコム・マクダウェルは大人っぽいですね(撮影時28歳?)。
2015年04月24日
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「時計じかけのオレンジ」 アントニイ・バージェス著 乾信一郎 訳 ハヤカワepi文庫 定価740円+税 先日、映画「時計じかけのオレンジ」(1971)をブルーレイソフトで鑑賞したのですが、その原作小説に興味が湧いて、読みました。「ビブリア古書堂の事件手帖」(三上 延 メディアワークス文庫)の第2巻に取り上げられているとのことで、この本も読んでみることに。栞子さんのように本の虫ではありませんが、負けていられない。 スタンリー・キューブリック監督の映画化によって世界的に広く知られた「時計じかけのオレンジ」です。 マルコム・マクダウェル演じる不良少年アレックスとその仲間たち。浮浪者を袋だたきにしたり、押込み強盗や婦女暴行など悪行の限りをつくす。 ついに殺人までおかしてしまったアレックスは仲間の裏切りにあって警察に捕らえられてしまいます。 懲役14年の刑をうけて服役するのですが、凶悪犯罪者を洗脳して善人にする「ルドビコ療法」の実験台にされる。薬物を投与され、暴力シーンを撮った映画を延延と見せられる。その結果、「暴力」を嫌悪し、拒否反応を起こすように改良されたアレックスです。 無害な人間になったアレックスは釈放されて娑婆に戻される。しかし彼を待っていたのは、かつて暴力を振るった者たちからの暴力の返礼でした。 絶望したアレックスは投身自殺をはかり頭を負傷。そのことでルドビコ療法の洗脳を解かれた彼が、これで元通り、「おれは、すっかりなおったんだ」と。 今回読んだのは、「完全版」ですが、以前に刊行されていた旧版は、映画と同じく、アレックスの洗脳が解けて「おれは、すっかりなおったんだ」で終わっていたそうです。 完全版では、この「なおったんだ」のあとに、あと1章がある。 結局のところ、旧版のテーマは「善というものは、心の中からくるものである。善というものは選ばれるべきものだ。人が選ぶことができなくなった時、その人は人間でなくなる」と。「人は自由意思で善と悪を選べなくてはならない。もし善だけとか、あるいは悪だけしか為せないのなら、その人は時計じかけのオレンジでしかない」、人間ではなく機械だというのですね。 それが、最終章を加えた「完全版」では、洗脳を解かれたアレックスは元の不良少年に戻るのですが、かつての仲間が足を洗って結婚して家庭を持ったのを知る。「悪」に飽きたアレックスは考えを変えて、今までの暴力行為と決別し、心を入れかえて、家庭を持って大人になることを宣言します。「わるさ」などはいつまでもやっているものではない。成長し、善悪をきちんと判断し、まっとうになる。それが人間だろう。若者の悪行など、一過性のものにすぎないのだ、というのが「時計じかけのオレンジ」の作者が言いたいことなのだと。 町の名士となった人が、「わしも昔は悪さをやったもんです。あははは」と言うあんな感じでしょうか。 つづきます。
2015年04月23日
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原哲夫さんの漫画「花の慶次」(週刊少年ジャンプ 集英社)に登場する四井主馬(よつい・しゅめ)。 前田利家の命令を受けて前田慶次を狙う加賀忍びの頭領です。毎度、慶次の命を狙って現れるたびに散々な目にあわされます。 この四井主馬がNHK大河ドラマ「利家とまつ」(2002年)にも出ています。 もちろん慶次郎(及川光博さん)も登場していますが、主馬が命を狙うわけではなく、加賀前田家の忍びとしての情報収集の役割を務めている。 まつ様(松嶋菜々子さん)は好まないようですが、もとは甲斐の武田家に仕えた忍者で、後に前田利家に仕え、加賀忍群を率いて利家のために働いたとされる。「利家とまつ」では、来須修二という俳優さんが演じる四井主馬。第27話「夫婦の決心」第29話「人質麻阿姫」第31話「賤ヶ岳の夫婦」に登場(他にもあるかもしれないけど未確認)。 四井主馬という人物は実在したようで、前田家の「寛永4年侍帳」に名前が載っています。「寛永4年侍帳」は石川県立図書館のホームページで見ることができます。 名前が載っているからといって忍者だったかどうかは不明ですが、とにかく前田家にそういう名前の人物がいたのは確かなようです。 原哲夫さんの「花の慶次」はたいへん面白い漫画だけれど、忍者のイメージは私が夢中になっていた昔の忍者とは大きく様変わりしました。 白土三平さんの忍者漫画「サスケ」(小学館叢書)の、第1巻に登場する真田の忍者 猿飛や、伊賀 服部半蔵の妹と配下の忍者たち。黒装束に鎖帷子。刀を背負い、手裏剣を投げる。風のように走り、飛び、火術、水術、土遁の術、毒薬に眠薬。任務に失敗して傷を負い、逃げられないとなれば自決する非情な掟。 このような忍者らしい忍者は、いまの漫画やテレビでは見られなくなりました。 昔の忍者漫画「忍者武芸帳 影丸伝」(白土三平)や「伊賀の影丸」(横山光輝)。テレビの「隠密剣士」と「忍者部隊月光」、良かったですねぇ。
2015年04月22日
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昨日の「続 隠密剣士」を録画ダビングしたDVDは、何枚もある「利家とまつ」の中に紛れ込んでいたのを見つけたもので、前に探しても見つからなかったので諦めていたところです。 NHK大河ドラマとして2002年に放送された「利家とまつ 加賀百万石物語」は全49回。 数年前に時代劇専門チャンネルで放送された時にDVD-R1枚に2話ずつ、全話を録画ダビングしました。 右上の写真は私の本棚にある新潮文庫の「利家とまつ」(上下2巻)です。 大河ドラマの脚本を担当した竹山洋さんの小説ですが、これはドラマのノヴェライズというわけではないらしく、原作小説にあたるのだろうか。 尾張荒子の前田利家が家督を継ぎ、まつを嫁に迎え、織田信長の家臣として働き、出世してゆく。 利家は、信長が本能寺で横死したあと、秀吉に仕え、豊臣政権の重臣となり、秀吉亡きあと関ヶ原の直前に死の床につきます。後継の利長が徳川との戦いを避けて前田家を守るためにまつが人質として江戸へ。 激動の時代を前田利家と妻まつが二人三脚で力を合わせて家を守り、家族を守り、生き抜いてゆく波乱の物語です。 この小説「利家とまつ」は、長い大河ドラマを2冊の文庫本に収めてあるので、駆け足で物語が進みますが、読んでいてたいへんに面白い。 利家というより、主人公は「おまつ様」ですね。女性の、妻の視点から描かれているのが面白いところだと思います。 利家の妻まつと秀吉の妻おねの友情と信頼。「私たちは終生の友でござりますよ。私はどんな時でもあなた様を忘れませぬ。豪の母親ですもの。今宵、私たちは同盟を結んだのでござります。夫に天下をとらせるのです」 戦国から桃山の時代、難しい世渡りを利家とまつの波乱の人生。夫を出世させるために、あるときは叱咤し、あるときははげまし、優しく誘導する。「自分を一番大切に思ってくれる人の言葉は、仏の言葉と一緒であるから、儂(わし)はまつを仏と思い信心するのだ」と利家が言う。 自分の女房を仏と思い、その言葉を仏の言葉だと思うのだ、と。 利家が亡くなるときに、臨終の床でまつに言う。「まつ、幸せであったか?」「はい幸せでした」「儂も幸せであった。とてもとても幸せであった。ありがとう。ありがとう」 自分も女房にこのように感謝して死にたいものですが、なかなか言えないかも。 まつは、利家は幸せだったのだろうか、と疑問に思う。「私はうるさかったから」 利家は天衣無縫の傾奇者なのに、ずいぶん我慢をした。私に叱られるから、我慢をした。「私など、仏でもなんでもないのに」「よくよく、私の言葉を我慢して聞いてくれたもの」 と。「利家とまつ」は素晴らしい女房を持った男の物語なんですね。
2015年04月21日
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DVD-Rに録画ダビングしたままタイトルが未記入だったために、どこへか紛れ込んでしまっていた「続 隠密剣士」(1964)が見つかりました。 DVDを作ったらすぐにタイトルを印刷しないと、あとでどれがどれやらわからなくなってしまいます。「続 隠密剣士」監督 船床定男製作 小林利雄、西村俊一 原作 小林利雄、西村俊一 脚本 伊上勝撮影 松井鴻美術 吉村晟音楽 小川寛興 出演 大瀬康一、大森俊介、牧冬吉 天津敏、佐賀直子、加賀邦男、宇佐美淳也 花沢徳衛、原健策、岡田千代、御影京子 本編83分 モノクロ シネマスコープサイズ テレビ時代劇「隠密剣士」が大人気となり、その劇場版「隠密剣士」第2作目がこの「続 隠密剣士」です。 昭和39年(1964)3月に「隠密剣士」が、8月に「続 隠密剣士」が公開されました。 私が夢中になって見ていたテレビ時代劇「隠密剣士」は昭和37年(1962)10月に始まって、全10部として昭和40年(1965)3月まで放送。毎週日曜の夜7時から30分間です。 徳川第11代将軍家斉の頃、家斉の異腹の兄である松平信千代(大瀬康一)が秋草新太郎と名乗って、平和を乱す忍者団と柳生新陰流の剣をとって戦う話です。 第1部は蝦夷地へ隠密として赴いた秋草新太郎の話ですが、この時はまだ忍者ものではない。 忍者ものになるのは第2部「忍法甲賀衆」からで、相手が忍者との対戦になってから大人気となり、子供たちが熱中して忍者ブームが起こるきっかけになりました。 その劇場版の第2作「続 隠密剣士」は、テレビでは第8部「忍法まぼろし衆」(全13話)が放送されていた時なので、第5部「忍法風摩一族」、第6部「続 風摩一族」の放送が終わっています。 主演の大瀬康一さん、牧冬吉さん。風摩小太郎の天津敏さん、その妹 朧(おぼろ)役の佐賀直子さんなどほぼ同じ顔ぶれなので、テレビの「風摩一族」と同時期に撮影されたのかもしれないですね。 テレビ版よりも俳優陣が豪華で西念寺の住職 呑海に宇佐見淳さん(テレビ版では第2部、3部に登場)、秋草新太郎に密命を下す松平定信の役に加賀邦男さん、それに風摩忍者の一人で東映悪役スターの原健策さんが出ている。 テレビの第5部が全13話、第6部が同じく全13話、合わせて26話の「風摩一族」の巻を83分間の映画にするのは、そもそもが無茶なのかもしれないけれども、テレビ版に夢中になっていた当時の子供たちにはこれで充分だったのかもしれない。 嵐の夜、江戸城に風摩の一団が潜入し、宝物庫から「風神の鏡」を盗み出す。「風神」「水神」「火神」の鏡を集めることで滅亡した北条家が隠した伊豆七金山のありかがわかるという。 服部半蔵がかつて調査した覚書き「風神帳」を狙って風摩の墨衣源内(原健策)と娘 風葉(岡田千代)が松平定信屋敷に侵入。警固の伊賀同心 霧の遁兵衛(牧冬吉)に発見されて源内が手傷を負う。追っ手を食い止めるために源内が盾となって娘の風葉を逃がします。「父上ーっ!」「行けっ、父にかまうな!」涙を振り切って走る風葉に「我は影なり忍び者」の歌(佐賀直子さんの名曲)が入って効果満点。 この冒頭部分がたいへんによく出来ていて、斬り死にする源内と、父を犠牲に江戸の夜の街を走る風葉。その前に現れたのが秋草新太郎。「この夜更けにそのような出で立ちで走るとは盗賊のたぐいか?」と。風摩忍者たちとの立ち回りとなって、風葉はせっかく奪った風神帳を落としてしまいます。 秋草新太郎の大瀬康一さんのチャンバラが最高にスマート。黒装束の風摩忍者もカッコ良い。 このシーンは東映時代劇の真骨頂でしょうか。ワクワクさせられます。 今では、時代劇を見ても、このようなワクワクして嬉しくなる場面がありませんね。時代劇は過去のものになってしまったのでしょうか。 上の写真はテレビ版の風摩忍者です。白いのは霧の遁兵衛(牧冬吉さん)。 テレビの風摩の黒装束は袖が短い。映画のは普通の黒装束でした。
2015年04月20日
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「風の無法者」(1967)AL DI DELLA LEGGE監督 ジョルジオ・ステガーニ脚本 ジョルジオ・ステガーニ ウォーレン・D・キーファー、ミーノ・ローリ フェルナンド・ディ・レオ音楽 リズ・オルトラーニ出演 リー・ヴァン・クリーフ、アントニオ・サバト バッド・スペンサー、ライオネル・スタンダー、ゴードン・ミッチェル グラッツィエラ・グラナータ 本編107分 総天然色 シネマスコープサイズ 500円(税込)DVDです。このようなマカロニ西部劇があるのを知らず、初めての鑑賞です。日本未公開作ではなく、れっきとした劇場公開作(1969年6月、配給は東和)。 リー・ヴァン・クリーフ主演作としては、「夕陽のガンマン」(65)「続 夕陽のガンマン 地獄の決斗」(66)「新・夕陽のガンマン 復讐の旅」(67)「怒りの荒野」(67)に次ぐ位置にあり、本作のあと「復讐のガンマン」(68)「怒りのガンマン 銀山の大虐殺」(69、未公開)、「西部悪人伝」(70)とつづきます。 銀鉱山へ届ける給料を運ぶ馬車に同乗させてもらって、その給料の入った鞄を奪う、そんな悪事を2人の仲間と働いている、どちらかといえば小悪党の主人公カドリップ(リー・ヴァン・クリーフ)。 彼は銀鉱山のあるシルバータウンなる町に成り行きで居着き、成り行きで銀塊を輸送する馬車の護衛を務めることになり襲ってきた強盗団を撃退、さらに成り行きで保安官を引き受けることになってしまう。 悪党だったはずの主人公が、成り行きで善人になってしまって保安官として、強盗団と戦うことになる。 鉱山で経理を務めるきれいな女性サリー(グラッツィエラ・グラナータ)に惚れてしまって、自分ももう年だし、いいかげんに町に落ち着こうかなーなんて、暗にプロポーズするけれど、「これからも友達でいましょうね」と言われたり。「夕陽のガンマン」では妹の仇討ちをする賞金稼ぎモーティマ大佐をクールに決めていたリー・ヴァン・クリーフさんですが、このようなコメディ的な可愛い?役をやっています。 悪党だった男が、周囲の人たちに善人だと信頼されて、それに応えないとならなくなってゆく。「三人の名付親」(48)「俺たちは天使じゃない」(55)などの系統かな?と思うのですが、盗賊が善行を積んで人助けをするというような話は日本の時代小説などにもありそうです。 ただ、このような話がマカロニ西部劇としてふさわしいのか、という意味では異色作なのでしょう。 教会にいた女性や子供が強盗団の人質にされてしまう。 首領のバートンという男(ゴードン・ミッチェル)が「保管されている銀塊をよこせ、さもないと人質を5分に1人ずつ殺すぞ」と脅迫。 奪われた銀塊を取り戻すべく、保安官カドリップたちが逃げた盗賊団を待ち伏せて銃撃戦になります。 マカロニ西部劇らしさがあるのはこの銃撃戦ぐらいなのですが、このようなコメディ的マカロニ西部劇がブーム末期の1970年代ならともかく、殺伐とした復讐ものが主流だった1967年に作られていたんですねぇ。 画質はボンヤリした感じでお世辞にも良いとは言えないし、内容的にも特に他人様にお薦めするようなものではありません。ただこのような異色作までがDVDソフト化されて500円で発売される、以前だったら考えられない、良い時代になったといえる?
2015年04月19日
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「劣等感」 自分が他人より劣っていると思う感情。反対語は優越感。「自尊心」 自らを尊び、その人格を重んじて、品位を傷つけまいとする気持ち。プライド。 ( 広辞林 第六版」三省堂 ) 映画「わらの犬」(1971)を見ていると、登場人物たちの「劣等感」を感じます。 主人公はアメリカ人のインテリで、学者デビッド(ダスティン・ホフマン)と、若妻エミー(スーザン・ジョージ)。彼らが越してきた村はエミーの出身地で、彼女は6年ぶりに村に戻ったらしい。 デビッドは数学者か天文物理学者かよくわからないけれども、数学が得意で、たいへん頭が良いらしい。しかし彼の取り柄はそれだけで、根は小心者であり、腕力はおろか口論でも相手を言い負かせることができないようです。臆病だというのは自覚しているようで、それがデビッドの劣等感でもあり、各所で描写されています。 生活品を買い出しに村の中心部へ出かけても村人たちとは関わろうとせず、パブに入ってもタバコ(アメリカの)を買うだけで、村人の仲間に入ってビール一杯飲もうともしない。 妻のエミーはこの村の若者たちとは顔見知りであり、その中の一人チャーリー(デル・ヘンリー)とはかつて深い仲にあったようです。 デビッドと結婚したのは、おそらくは彼の知性に惹かれたのだろうか? 彼女は読み書きもやっとなくらいの学力しかないのか、それが夫に対しての劣等感になっている。 そして村人たちがアメリカから来たデビッドに劣等感を持っている。都会から来た者に対する劣等感と、自分たちが粗野で無教養なことの劣等感。村の若者たちにはその劣等感に加えて、村でも代表の美人だったろうエミーを嫁にした余所者に対する反発心と憎しみがある。デビッドに対する劣等感と嫉妬と憎しみと、そしていつかエミーをモノにしてやろうと狙っているようです。 そしてエミーは夫デビッドに満足していない。セーターの下にブラを着けないで外出して村の若者たちの視線を浴びているのは、夫を困らせようというのか、欲求不満なのだろうか。 デビッドは彼女に「君は幼稚だ」と言う。精神年齢は14歳くらいか、それとも8歳くらいか?僕にはそのほうが良いだとか、馬鹿なことを言う男です。 デビッドは妻を満足させていないことを悟っているのか、だから妻が幼稚だったら自分が偉くふるまえるとでも思っているのだろうか。二人はベッドに入ってもシーツに潜り込んで子供のようにじゃれ合う。この2人は何なんだ?ママゴト遊びの夫婦ごっこか。 エミーが猫がいなくなったといって捜していると、デビッドが「書斎にいたら殺してやる!」と言う。 自分に懐かないといって、猫にトマトやグレープフルーツを投げつけて虐待。あたりまえだ、こんな奴に猫が懐くものか。猫は人間を見る目を持っているから。 猫にトマトをぶつける、この場面だけで、このデビッドという主人公が嫌いになってしまいます。 映画「わらの犬」。デビッドとエミー、主人公の2人がこれだけイヤな奴らだというのは、映画では珍しいことです。主人公たちに感情移入しようがないので、クライマックスの暴力が爆発するシーンが始まるまで退屈ともいえる展開。 エミーが夫を誘い出されている間にチャーリーともう一人の若者に暴行されるのも、いわば挑発した結果ともいえる自業自得。彼女は夫の村人たちとの争いに被害者であろうとし、傍観者であろうとする。夫の戦いに協力しない妻、足手まといの妻です。ラストで、夫の危機を助けないとならないのにショットガンを撃つのをためらうのは、あくまで被害者、傍観者であろうとしていたからですね。 クライマックスの侵入者たちの襲撃に対する攻防戦は、それまでの小心、臆病から平和主義を装い、事なかれ主義を貫いてきた、それが通用しなくなった時であり、他人の暴力にあって自分の命が危険になったことで、やっと暴力で自分を守ろうとすることに目覚めた、その暴力で守るべく対象は妻や家庭ではなく、自分の自尊心だったんですね。 昨日載せた写真は私が持っている「わらの犬」のDVDソフトです。数年前にヤマダ電機さんで買ったもので、現在は廃盤。プレミアがついているようですが、けっして気分のいい映画ではありません。
2015年04月18日
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一昨日、1972年のキネマ旬報外国映画ベストテンを書きましたが、以下は「ロードショー」の同年読者投票ベスト10です。1位「ゴッドファーザー」2位「ロミオとジュリエット」3位「風と共に去りぬ」4位「屋根の上のバイオリン弾き」5位「時計じかけのオレンジ」6位「ダーティハリー」7位「死刑台のメロディ」8位「わらの犬」9位「フレンチ・コネクション」10位「さらば友よ」 この1972年3月21日に月刊映画誌「ロードショー」5月創刊号(集英社)が発売されました。 当時は「キネマ旬報」と「スクリーン」(近代映画社)を購読していて、さらにこの「ロードショー」も加わることに。創刊号の表紙はカトリーヌ・ドヌーヴさんでしたね。 このファン投票ベスト10作品ですが、投票にルールがなかったのか?、ムチャクチャな感じがする。普通ならベスト作品投票にはリバイバル上映は含まないのに、「ロミオとジュリエット」「風と共に去りぬ」「さらば友よ」が入っていて、そのために3作分の新作が選外になってしまいます。「時計じかけのオレンジ」と「わらの犬」、この2本の「暴力をテーマにした映画」が、評論家が選ぶならばともかく映画ファンが選ぶ作品としてふさわしいのだろうか?どう考えても読者から広く支持を得る人気作とは思えないのですが。「ゴッドファーザー」も「暴力」だとすれば、「ダーティハリー」も含めて、この1972年(1970年代前半?)は「暴力映画」がブームだったものと思われます。「わらの犬」(1971)STRAW DOGS製作 ダニエル・メルニック原作 ゴードン・M・ウィリアムズ脚本 サム・ペキンパー デヴィッド・Z・グッドマン撮影 ジョン・コキロン音楽 ジェリー・フィールディング出演 ダスティン・ホフマン、スーザン・ジョージ ピーター・ヴォーン、ピーター・アーン、T・P・マッケンナ デヴィッド・ワーナー、クロエ・フランクス、ジム・ノートン 本編117分 総天然色 ビスタサイズ(DVDはノンスクイーズ) アメリカ人の数学者だか天文学者だかよくわからないデビッド(ダスティン・ホフマン)が若妻エミー(スーザン・ジョージ)をつれて英国のコーンウォール地方の片田舎に越してくる。妻の故郷とのことで、静かな環境で天文学の本を書くのだと。 しかしその閉鎖的な村の人々はデビッドを快く思わない。 納屋の修理に村の若者たちを雇うのですが、平和主義というか事なかれ主義というのか争いを好まないデビッドは、若者たちが仕事を怠けても妻に色目を向けても気がつかないふりをする。 よそ者に対して閉鎖的な村で、住人たちから嫌がらせをうけるデビッドだが、事なかれ主義の彼は怒らず、そんな夫にエミーも不満を持つ。 若者たちがデビッドを鳥撃ちの狩猟に誘って、彼を森に置き去りにする。その隙に1人で家にいたエミーは若者たちに暴行されてしまいます。 察しがわるいデビッドはそんな妻の様子にも気づかない鈍感さ。 ある日、村の娘が行方不明になる事件が起きて、それに関係するとみられる精神薄弱者ヘンリー(デビッド・ワーナー)をデビッドがかくまったため、娘の乱暴者の親父が村の若者たちと家に押し掛けてくる。 エミーはヘンリーを引き渡そうというが、ディッドは彼らに渡せばリンチされるのが明かだからと頑なに拒否。 仲裁に入った町の有力者が男たちに射殺されたことで、事態は抜き差しならぬことに。 殺人を目撃されたこともあり、凶暴化した男たちはドアや窓を壊して侵入を図ります。「僕の家だ。絶対に奴らを入れない」「奴らを入れたら殺される」 これまで何をされても受け入れてきた事なかれ主義の男が断固とした抵抗を決意する。 孤軍奮闘するデビッド。1対5の攻防戦が繰り広げられることになります。 長くなるので、つづく。
2015年04月17日
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「虹に立つガンマン」(1968)SPARA, GRINGO, SPARA監督 フランク・B・コリッシュ(ブルーノ・コルブッチ)製作 ウィリアム・サックス脚本 マリオ・アメンドラ ブルーノ・コルブッチ 音楽 サンテ・マリア・ロミッテリ出演 ブライアン・ケリー、ファブリツィオ・モローニ キーナン・ウィン、フォルコ・ルッリ、エリカ・ブラン 本編92分 総天然色 シネマスコープサイズ 日本劇場未公開のマカロニ西部劇で、1968年作品。 早撃ちと鞭の使い手として名が知られる主人公スターク(ブライアン・ケリー)は刑務所を脱獄し、裏切った仲間を射殺。追っ手に捕まった彼はメキシコの富豪で大農場主(フォルコ・ルッリ)のもとへ連行される。縛り首にされるところを、その大農場主に仕事を引き受けることで救われます。 その仕事とは、大農場主の一人息子フィデル(ファブリツィオ・モローニ)がアウトローに憧れて家出し、アメリカで無法者の集団に入っている。それを連れ戻してほしい、連れ戻してくれたら命を助けるだけでなく5000ドルを報酬にやる、というものです。 その無法者の集団というのは軍人くずれの、「少佐」と呼ばれる男(キーナン・ウィン)が率いていて、スタークとは古い顔なじみ。スタークは少佐に列車強盗の話をもちかけ、その計画に加わるように見せかけてフィデルを連れ出し、メキシコへ向かいます。 途中で何度も逃げようとするフィデルをつれてのスタークの旅が描かれる。逃げたり捕まえたりの繰り返しのうちに2人の間に友情のようなものが芽生え、やがてスタークは大農場主のもとへつれ戻るのですが、そこで彼らを待っていたのは・・・。5000ドルの報酬を捨ててスタークは銃を取って戦うことになる。 原題の英題は「SHOOT, GRINGO... SHOOT!」で、「撃て、グリンゴ、撃て」という意味。「グリンゴ」とはメキシコ人が見た場合の「アメリカ人の白人男」のようなニュアンスで、「アメリカ野郎」「白人野郎」という感じでしょうか。 監督のフランク・B・コリッシュは「続荒野の用心棒」や「殺しが静かにやって来る」の監督セルジオ・コルブッチの弟ブルーノ・コルブッチの別名で、兄とは「殺しが静かにやって来る」では一緒に脚本を担当している。 これという見所もないようだけれども、音楽が哀調を帯びていて耳に残ります。オープニングで馬で走るスタークにかぶさって入る音楽がマカロニ感を出しています。 全体にマカロニ西部劇としては可も無く不可も無く、といったぐあい(不可の方が大きい?)ですが、何度も見ていると愛着がわいて好きになるかも?、そんな作品。 スタークとフィデルの2人が砂漠で行き倒れているのを通りかかったカリフォルニアへ向かう開拓者一家の幌馬車に救われる。牧場を経営していたけれど夫を殺されて新天地へ向かうのだという女性(エリカ・ブラン)との会話が良いですね。「あなたほどの銃の使い手を一度だけ見たことがあるわ。主人が殺された時に」「俺はガンマンだ。雇われて銃を撃つ。自由があるし金にもなる」「やめようと思ったことはあるの?」「何度かね」「銃を捨てれば済むことじゃないの」 ラストで、銃撃戦で悪人どもをやっつけたあとで、スタークは銃を捨てる決心をし、彼女が向かったカリフォルニアへと馬を走らす。 ハッピーエンドなのか、そうではなくて悲劇が待っているのか? それは無法者集団の少佐たちがスタークと別れたあとの彼女たち家族の幌馬車に何をしたか、によって決まります。 少佐なる人物がよくわからない。マカロニ西部劇によく出る片端から皆殺しにする凶悪な盗賊団なのか?、それとも無益な殺生を避ける統率の行き届いた集団なのか? スタークとフィデルの跡を追う少佐たちが彼女たちの馬車に出会って、馬を買いたいと言う。断ると銃にかけても馬をいただくと脅迫する。そこで場面が転換するので、その後どうなったのか説明がないので不明です(こんな重要なところを省略してはいかんぞ)。 彼女たち家族が向かったカリフォルニアへスタークも行こうとするラストをハッピーエンドと思いたいのですが、彼女たちは無事なのだろうか?
2015年04月16日
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キネマ旬報の1972年外国映画ベストテンです。第1位 「ラスト・ショー」 監督ピーター・ボグダノヴィッチ第2位 「フェリーニのローマ」 監督フェデリコ・フェリーニ第3位 「死刑台のメロディ」 監督ジュリアーノ・モンタルド第4位 「時計じかけのオレンジ」 監督スタンリー・キューブリック第5位 「わらの犬」 監督サム・ペキンパー第6位 「真夜中のパーティー」 監督ウィリアム・フリードキン第7位 「ジュニア・ボナー華麗なる挑戦」 監督サム・ペキンパー第8位 「ゴッドファーザー」 監督フランシス・フォード・コッポラ第9位 「キャバレー」 監督ボブ・フォッシー第10位 「フレンチ・コネクション」 監督ウィリアム・フリードキン いま思えば「ラスト・ショー」なんかが第1位とは信じられません。個人的な好みかもしれないけれども、私は「ラスト・ショー」は不潔に思えて、登場人物に感情移入もできないし、少しも良い映画だとは思わない。 第4位「時計じかけのオレンジ」と第5位「わらの犬」は「暴力」をテーマにした作品ですね。ともに話題作でもあり、劇場公開時に見たのですが(北国第一劇場だった?)、当時は暴力をリアルに直接的に描いた「わらの犬」よりも、なぜか「時計じかけのオレンジ」の方が気に入ったものです。 スーザン・ジョージさんはよくもあのような役をひきうけたものだと思う「わらの犬」にくらべると、「時計じかけのオレンジ」は、なんなのだろう?、暴力を描きながらもなぜか後味の悪さがないようです(近未来のSF調のためか?)。「時計じかけのオレンジ」(1971) A CLOCKWORK ORANGE監督 スタンリー・キューブリック製作 スタンリー・キューブリック 原作 アントニイ・バージェス(ハヤカワ文庫刊)脚本 スタンリー・キューブリック撮影 ジョン・オルコットプロダクションデザイン ジョン・バリー衣装デザイン ミレーナ・カノネロ音楽 ウォルター・カーロス出演 マルコム・マクダウェル、パトリック・マギー エイドリアン・コリ、オーブリー・スミス、マイケル・ベイツ スティーヴン・バーコフ イギリス映画 本編137分 総天然色 ビスタサイズ 近未来の不良グループ。アレックス(マルコム・マクダウェル)をリーダーにする4人組は、浮浪者を袋叩きにしたり、他の不良グループと乱闘したり、作家宅へ押し込んで奥さんを乱暴したりのやりたいほうだい。 しかし、やがて仲間(子分)の裏切りにあってアレックスは逮捕され、懲役14年の刑で投獄。 模範囚となったアレックスは、政府が主導する凶悪犯罪者の人格を改造する治療の第1号被験者に選ばれる。 アレックスは特殊な薬を注射した上で暴力シーンの衝撃的なフィルムを見せつづけられ、生理的に暴力に耐えられないよう洗脳される。 暴力や侮辱に無抵抗のおとなしい人畜無害な人間に変わった彼は釈放され、家に帰ると、彼が使っていた部屋には知らない男が養子として入りこんでいた。家を出るしかないアレックスが町をさまよっていると2人の警官に捕まり、その2人は、かつて彼を裏切った仲間たちだった。暴行をくわえられボコボコにされたアレックスは一軒の家にたどり着いた。それはアレックス一味に妻を乱暴された作家の家だった。 主人公の不良少年アレックスが凶悪人を善人に変える洗脳実験を受け、暴力や悪徳に接すると嘔吐をもよおす無抵抗人間にされて娑婆に戻される。そんな彼を待っていたのは、かつて自分が暴力で支配していた者たちからの報復だった。 スタンリー・キューブリック監督の代表作です。 不良少年アレックスの暴力はたしかに嫌悪感を覚えるものだけれど、人間の暴力性、暴力嗜好性は人間の本能なのではないか? 多少の差はあるだろうけれども「気に入らない奴をやっつけたい」という願望は誰もが持っているのではないか。映画は主人公の視点から描かれ、許せない凶悪な主人公なのになぜか感情移入してしまう、これは危険な映画ともいえるのかも。 善悪の行動判断はその個人にまかされるべきだと。時の権力者が、犯罪の原因となるような個人が持つ怒りの感情、暴力嗜好の性格を強制的に洗脳して消してしまうことが許されるのか?というのが一つのテーマですね。 かつて話題になり廃止された、精神病院で暴力的な患者の脳に処置をくわえて無害な人格に改造するロボトミー手術と同じなのではないか。
2015年04月15日
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テレビ番組を録画したDVDを整理していると「素浪人 月影兵庫」が出てきた。 第9話「月は見ていた」と第10話「狂った刃におびえていた」が入った1枚だけですが。「素浪人 月影兵庫」は1965年(昭和40年)10月から1968年12月まで、全104話が放送。 私が見ていたのはいつだったか?はっきり覚えていないけれども、北陸放送(MRO)で、日曜の夜10時ぐらいだったように思います。当時は都会と地方では放送局も日時も異なるのがふつうでしたね。 テレビ時代劇「素浪人 月影兵庫」は、そのタイトルのとおり浪人者の月影兵庫(近衛十四郎)と旅ガラスの渡世人 焼津の半次(品川隆二)が毎回、旅の途中で事件に遭遇し、漫才コンビみたいな可笑しなやりとりと、月影兵庫のみごとな剣さばきで悪党を退治する痛快な話でした。 酒が大好きな月影兵庫は剣の達人だけれど大の猫嫌い。斬り合いの最中に猫が出てきたりするとパニックに陥るほど。口癖は「いかんなあ」、「この馬鹿たれが」、「けしからん」など、腕が立つので怖い物なしが裏付けの台詞です。 品川隆二さんの焼津の半次は曲がったことが嫌いで、表札でも道しるべでも、座布団でも曲がっていると直さずにはいられない。そして大の蜘蛛嫌い、と。 そんなわけで、第9話「月は見ていた」を何十年ぶりかに鑑賞しました。 兵庫は宿場はずれの林の中で犬が斬られた悲鳴を聞く。 見ると斬られた犬の死骸があり、試し斬りか?だが首をかしげる兵庫。捨てられている懐紙を見る限りでは少ししか血をぬぐっていない。これでは刀に血がべっとりと残っているはずだが、と不審を抱く。 宿についた兵庫は女中から代官所裏の林にお化け(人魂)が出ることを聞く。 好奇心が強い兵庫の旦那、夜になって物好きにも見に行くと、若侍(大村文武)が松明に火をつけ代官所に合図を送っているのを目撃する。しかし内部からは何の反応もなく、若侍は肩を落として去っていく。その時、代官所敷地内から悲鳴が聞こえ、忍び込んだ兵庫は代官が何者かに斬られたところを目撃する。 兵庫は見つかってしまうのですが、なんとか逃げきって宿に帰ってくる。 その姿を偶然に見て怪しげに感じたのが焼津の半次。 翌朝女中から代官殺しの犯人が捕まったことを知った兵庫。捕らえられたのは三好新介という郷士で代官に恋人を妾として奪われた意趣返しだという。証拠として血の付いた刀が家から見つかったと。 宿に役人がやって来て兵庫が捕えられる。昨夜、代官所の方角から戻ってきたのを見たと半次が訴えたのである。 牢に入れられた兵庫は、そこで代官所裏で松明を燃やして合図を送っていた若侍と出会い、真相をつきとめるために一肌脱ぐことに。 脚本は結束信二さんです。 そして代官殺しの犯人に仕立て上げられた若侍を演じるのが大村文武さん。このところ、偶然がつづいて大村文武さんをよく見ます。映画「月光仮面」を見て、高倉健さんの「悪魔の手毬唄」を見たばかりなのに、またまたテレビ時代劇に出ている大村文武さんを見るとは。 近衛十四郎さんの月影兵庫、いいですねぇ。人間味のある暖かな演技と豪快な太刀さばき、これだけ見事なチャンバラができる俳優は他に三船敏郎さんぐらいしか思い浮かばない。 息子さんの松方弘樹さんがいつかおっしゃっていましたが、近衛さんの使う刀は普通のサイズより長いものだったそうです。あれだけ長い刀を振るえる人は、父の他にはいないんじゃないかと松方さんが言っていました。
2015年04月14日
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1950年外国映画興行成績です。 金額は配給収入。 1位「白雪姫」 7323万円 2位「黒水仙」 6518万円 3位「ジャンヌ・ダーク」 6502万円 4位「サン・アントニオ」 5983万円 5位「情婦マノン」 5873万円 6位「アラビアン・ナイト」 5497万円 7位「征服されざる人々」 5394万円 8位「海の征服者」 5382万円 9位「ドン・ファンの冒険」 4863万円 10位「カリフォルニア」 4637万円「征服されざる人々」(47)は配収第7位。1950年3月に日本公開。 ジャンルでは西部劇になっていますが、時代が独立戦争の前、1750年頃のフレンチ・インディアン戦争時代が背景なので厳密には西部劇ではありません。 イギリス人が新大陸に入植して約140年、フランス人入植者と原住民(インディアン)が手を組んで英国人入植者との間に戦いが起こる。 英仏が激しく対立したのはセントローレンス川、五大湖、オハイオ川とミシシッピ川が結びつくアパラチア山脈より西側の地域。フランスは多くのインディアン部族と同盟し、砦を築いて英国の進出を阻止しようとする。結局は英国が勝利し、フランスの勢力が一掃されることになります。 ヨーロッパ人の急激な増加に生活を脅かされるインディアンたちが植民地の入植者たちと交渉したり、聞き入れられない時は自分たちの土地を守るために戦いを挑んだ、そのような時代です。 ヒロインの英国人女性アビー(ポーレット・ゴダード)が殺人罪に問われ、死刑か新大陸で奴隷となって働くかの選択を迫られます。 奴隷として生きる道を選んだ彼女は新大陸へ向かう船上で悪徳商人ガース(ハワード・ダ・シルヴァ)に見初められる。しかし競売にかけられた彼女を競り落としたのはクリス・ホールデン大尉(ゲイリー・クーパー)だった。 ガースがインディアンに武器を密売しているのを知っているクリス大尉はガースを仇敵視する。アビーを競り合って解放させたのもそれが原因だが、クリスは港で下船後、婚約者の心変わりを知らされる。 奴隷身分から解放されたはずのアビーは奴隷商人にだまされ、二重売買されて再びガースに買い取られる。 イギリス軍が守るピッツ砦へ赴いたクリス大尉は不穏な動きをみせるインディアンへの和平使節として赴くが、彼を亡き者にしようとたくらむガースのためにインディアンに襲われる。 砦にもどったクリスはガースが経営する酒場にのりこみ、そこで働かされているアビーに再会。 クリスは彼女を逃がすことでガースをおびき出そうとするが、インディアンの入植者攻撃が始まり、アビーがインディアンに捕えられて火刑に処せられそうになる。クリスが彼女を救出し、インディアンに追われて大河の急流をカヌーで逃げることになる。2人は滝に飛び込んで追跡を逃れる冒険ののち、なんとかピッツ砦へ戻るとクリスは脱走罪で逮捕されてしまう。 かつてテレビの「ゴールデン洋画劇場」で見た時にたいへん面白かった記憶があり、もう一度見たいと思っていた作品ですが、主人公たちが何をしようとしているのか、何を考えているのかよく理解できず、いま見るとそれほど楽しめないのはなぜ? 146分の長尺。退屈するほどではないけれども、展開が単調で盛り上がりに欠けるようです。テレビ放送時は日本語吹替えだったし、約95分くらいに短縮されていたのでそのほうがメリハリがあって良かったのかも。 原題の「UNCONQUERED」は「征服されない」という意味ですね。 邦題の「征服されざる人々」について、「征服しようとしているのはイギリス人入植者のほうであり、主人公たちを指して征服されざる人々というのは変である。インディアン側に対してならあてはまるが」という人がいますが、原題の「征服されない」というのは、侵略者とか被侵略者ということではなく、「他人の横暴な意思に支配されない強い心を持つ」という意味で、「困難にあっても挫けない強い精神」ということではないでしょうか。 期待したほど面白くなかったのが残念。ゲイリー・クーパーさん主演の冒険映画なら「遠い太鼓」(51)か「北西騎馬警官隊」(40)のほうが楽しめるかな、と。
2015年04月13日
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ゴールデン洋画劇場の1971年11月、12月の放送作品リストです。11月5日「ブーベの恋人」(1963) 監督ルイジ・コメンチーニ、出演クラウディア・カルディナーレ11月12日「許されざる者」(1960) 監督ジョン・ヒューストン、出演バート・ランカスター11月19日「絶海の嵐」(1942) 監督セシル・B・デミル、出演レイ・ミランド、ジョン・ウェイン11月26日「夕陽の用心棒」(1965) 監督ドゥッチオ・テッサリ、出演ジュリアーノ・ジェンマ12月3日「赤い河」(1948) 監督ハワード・ホークス、出演ジョン・ウェイン、モンゴメリー・クリフト12月10日「征服されざる人々」(1947) 監督セシル・B・デミル、出演ゲイリー・クーパー、ポーレット・ゴダード12月17日「誘惑されて棄てられて」(1964) 監督ピエトロ・ジェルミ、出演ステファニア・サンドレッリ12月24日「ホワイト・クリスマス」(1954) 監督マイケル・カーティス、出演ビング・クロスビー、ダニー・ケイ12月31日「エルダー兄弟」(1965)再放送 監督ヘンリー・ハサウェイ、出演ジョン・ウェイン、ディーン・マーティン ゴールデン洋画劇場はかつてフジTV系で放送していた外国映画番組です。 毎週金曜の夜9時から。1971年4月2日(土)から始まり、第1回作品は「エルダー兄弟」。(1981年4月から土曜夜9時に移行) 12月10日放送の「征服されざる人々」は面白く見た記憶があり、もう一度見たいとずっと思っていた映画です。それが現在は500円DVD(コスミック出版)が出ていて、容易に見ることができるとは。「征服されざる人々」(1947) NCONQUERED監督 セシル・B・デミル製作 セシル・B・デミル原作 ネイル・H・スワンソン脚本 フレドリック・M・フランク ジェシー・ラスキー・Jr チャールズ・ベネット撮影 レイ・レナハン特殊効果 ゴードン・ジェニングス音楽 ヴィクター・ヤング出演 ゲイリー・クーパー、ポーレット・ゴダード ボリス・カーロフ、セシル・ケラウェイ、ウォード・ボンド キャサリン・デミル、C・オーブリー・スミス 本編146分 総天然色 スタンダードサイズ 本編2時間26分だからテレビ洋画劇場では約50分間もカットされていたのですが、過去の古い作品が見られる貴重な機会だったし、その放送で外国映画の面白さを教えられました。 本題の「征服されざる人々」に入る前に。上の放送リストでは「絶海の嵐」もセシル・B・デミル監督作品ですね。レイ・ミランド、ジョン・ウェイン主演の、これにもポーレット・ゴダードさんが出ている。 セシル・B・デミル監督作品はゴールデン洋画劇場では「北西騎馬警官隊」(40)が同じ1971年9月24日に(これもポーレット・ゴダードさん出演)、「サムソンとデリラ」(49)も番組開始早々の4月30日に放送されています。 この「ゴールデン洋画劇場」で、セシル・B・デミル監督、ヘンリー・ハサウェイ監督、ラオール・ウォルシュ監督。ジョン・フォード監督やハワード・ホークス監督もそうですが、そのような名監督を。 俳優ではゲイリー・クーパーさんやジョン・ウェインさん、リチャード・ウィドマークさんなど、そのような方々を知ることができて、けっきょくのところ、私にとっては「ゴールデン洋画劇場」が映画の教科書だったのかもしれません。 つづく。
2015年04月12日
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「悪魔の手毬唄」(1961)監督 渡辺邦男原作 横溝正史 脚本 渡辺邦男、結束信二 撮影 渡辺孝 編集 祖田富美夫音楽 山田栄一出演 高倉健、北原しげみ、神田隆、小野透、永田靖 大村文武、志村妙子(太地喜和子)、不忍郷子、八代万智子 山本麟一、石黒達也、中村是好、花沢徳衛、五月藤江 本編84分 モノクロ シネマスコープサイズ 日本映画専門チャンネルで放送された「悪魔の手毬唄」。東映の映画で、1961年11月公開作品。 先日から横溝正史さんの小説を連続して読んだところなので、興味深くこの映画を見ました。 高倉健さんがなんと金田一耕助探偵を演じていて、スポーツカーを乗り回し、美人の助手(北原しげみ)までいる。 人気歌手の和泉須磨子(いずみ・すまこ)が岡山県の鬼首町鬼塚村に里帰りする途中で何者かに殺され、鬼首町警察の磯川警部(神田隆)が事件を担当することになります。 同じ頃、スポーツカーに乗ったサングラス姿の金田一耕助(高倉健)が温泉宿 亀の湯に宿泊する。 須磨子の実家である仁礼家は鬼塚村一番の富豪で広大なお屋敷をかまえている。 その夜、テレビで亡き須磨子が最後に録画した番組の放送があり、弔問に訪れた人々が見入るなか、須磨子が歌う、鬼首村に古くから伝わる手毬唄である「鬼首村手毬唄」が流れる。その曲を聴いた当主の剛造はなぜか激しく取り乱す。 剛造の長男の源一郎(大村文武)と次女の里子(志村妙子)は、半年前に剛造のもとに届いた脅迫状が須磨子の死と関係があるとにらむが、その源一郎が直後に死体で発見される。 駆けつけた磯川警部にそれとなく毒殺であることを伝えた金田一耕助は、村のお告げ婆から村の老人 放庵が仁礼家の暗い過去を知っていると教えられるのだった。 横溝正史さんの「悪魔の手毬唄」が原作ですが、話はまったくのオリジナルになっています。 脚本はテレビ時代劇「新選組血風録」や「燃えよ剣」「俺は用心棒」の結束信二さんで、原作をまったく読まずに脚本を書いたという豪傑ぶり。「悪魔の手毬唄」としながらも、青池リカさんも恩田も登場しない。横溝ミステリの熱心なファンが見たら、何というか?、怒り出すかもしれない内容ですが、トリックも何もないけれど、これはこれで案外イケる面白い映画でした。 村の2大勢力家であった仁礼家と青池家。20年前に仁礼家が青池家を落とし入れて(実印を偽造したとか)、そのために青池家は破産し没落。青池の妻は3人の子供を連れて底なし沼に投身したという。その因縁の復讐の話です。 仁礼家の長男 源一郎を演じるのは「月光仮面」の大村文武さん(先日見たばかりだ)。その妹の里子は志村妙子(のちの太地喜和子さん)。狙われているのにかまわずに外出してとびまわる、これは困ったキャラです。 明るく元気に可愛い亀の湯の女中さんは、テレビの「七色仮面」で蘭光太郎のライバル迷探偵 金有左門の助手役を演じていた小林裕子さんです。 しかしまあ、この「悪魔の手毬唄」の珍作ぶりというか、珍品ぶりというか、こんな映画があるのを知らなかったです。高倉健さんがまだ新人だった頃で、東映の任侠映画に出て役柄を定着させる前のようです。 颯爽とスポーツカーを乗り回し、警視庁の嘱託という身分で、眼鏡っ子の美人秘書を従えて名推理で犯罪解決するスマートでちょっとキザな名探偵金田一耕助。案外、シリーズ化すればよかったのかもしれない。
2015年04月11日
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14世紀。なかなか子宝に恵まれなかった国王夫妻に待望のお姫様が誕生する。 姫はオーロラと名付けられ、その祝賀の席で3人の妖精から贈り物を受けます。 1人目の妖精フローラは黄金色の髪とバラの唇をもつ「輝くばかりの美しさ」、2人目のフォーナは「美しい歌声」を。 3人目のメリウェザーが贈り物をしようとしたとき、お祝いの席に招待されなかったことを恨む魔女マレフィセントが現れて、オーロラ姫は「16歳になった時、糸車の針で指を指して死ぬ」という魔法をかけられてしまいます。 3人目の妖精メリウェザーは、その魔法を解くことはできないけれど、「死ぬのではなく眠るだけで、愛する人の接吻で目覚める」という贈り物をする。 王様は国中の糸車を集めて燃やしますが、そのようなことで姫を救えるはずがありません。 妖精たちはオーロラ姫をあずかって、マレフィセントに見つからないよう森の奥の小屋でひそかに育てることに。 農婦を装った3人は、オーロラ姫をローズという名に変えて農民の娘として育てました。そしてローズは妖精たちに見守られて無事に16才の誕生日を迎えることに。 マレフィセントの呪いが消えるその日、何も知らない姫は森の中で一人の若く凛々しい青年に出会って恋に落ちる。妖精たちはローズに、オーロラという王女様であること、父王との約束で今日お城へ返さねばならないこと、隣国のフィリップ王子という婚約者がいる事を話しますが、オーロラ姫の心は恋しい青年のことでいっぱいになっており、悲しみにくれます。 それでも王様との約束どおり、3人の妖精は姫を連れてマレフィセントに見つからないようにお城へ還る。しかし、目を離した隙に姫の存在をかぎつけたマレフィセントが現れ、姫に忍び寄り、塔の上に連れて行って糸車の針をさわらせる。呪いは実現し、オーロラ姫は倒れてしまいます。 メリウェザーの魔法の贈り物により、姫は長い眠りについただけ。3人の妖精は王様やフィリップ王子の父王を始め、お城全体を姫と共に眠らせることにする。 オーロラ姫が森の中で梟やウサギを相手に踊る場面、フィナーレでのフィリップ王子と踊る場面(姫のドレスがピンクになったりブルーになったりする)の、なめらかに動くアニメーションは最高のできばえです。 チャイコフスキーのバレエ音楽「眠れる森の美女」の「ワルツ」をモチーフにした音楽「いつか夢で」が楽しくて美しい。「白雪姫」や「シンデレラ」「ピノキオ」もそうですが、ミュージカル映画としての要素が最も強いように思えます。音楽の流麗な美しさがこのアニメ映画「眠れる森の美女」の一大特徴でしょうか。 王子が眠る姫に接吻すると目覚める、というのは「白雪姫」と同じですが、こちらのフィリップ王子はオーロラ姫のためにマレフィセントと戦って勝利を勝ち取ります。ドラゴンになって襲いかかるマレフィセントとの、このようなアクション場面は「白雪姫」や「シンデレラ」にはないものです。 この映画を娘と映画館に見に行った時、アクション場面にワクワクしてしまった。
2015年04月10日
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1960年の外国映画興行成績です。 金額は配給収入。 1位「ベン・ハー」 5億9025万円 2位「アラモ」 2億6754万円 3位「眠れる森の美女」 1億7824万円 4位「チャップリンの独裁者」 1億6800万円 5位「許されざる者」 1億3330万円 6位「連邦警察」 1億2791万円 7位「太陽がいっぱい」 1億2441万円 8位「バファロー大隊」 1億1992万円 9位「スパルタカス」 1億1014万円 10位「サイコ」 1億512万円 ウォルト・ディズニーの長編アニメ映画「眠れる森の美女」(1959)がこの年の興行成績第3位。公開は1960年7月です。 私が初めてこの映画を見たのは、先日の書いたとおり1984年の子供の夏休み。今はなきテアトル会館にて、同時上映は「ピーターパン」でした。「眠れる森の美女」(1959) SLEEPING BEAUTY監督 クライド・ジェロニミアニメーション監督 ミルト・カール フランク・トーマス、マーク・デイビス オリー・ジョンストン、ジョン・ラウンズベリー製作 ウォルト・ディズニー ケン・ピーターソン原作 グリム童話「いばら姫」 ペロー童話「眠れる森の美女」脚本 ビル・ピート、アードマン・ペナー音楽 ジョージ・ブランス声の出演 メアリー・コスタ、ビル・シャーリイ ヴェルナ・フェルトン、バーバラ・ジョー・アレン、バーバラ・ルディ エレノア・オードリー 本編75分 総天然色 シネマスコープサイズ(DVD&Blu-Ray) 今回、私が見たのはディズニーチャンネルの放送を録画したもので、サイズはビスタになっていました。 長くなるので、つづきます<(_ _)>
2015年04月09日
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戦略爆撃機としてB-24とともに欧州、太平洋戦線で活躍したボーイング社のB-17フライング・フォートレス爆撃機。「フライング・フォートレス」、「空飛ぶ要塞」というのは「重武装と防弾を備えた難攻不落の4発重爆」というイメージから付けられた名前ではなく、「アメリカ本土に対する洋上侵攻を迎え撃つ沿岸防御要塞」という意味なのだそうです。 B-17の開発目的がそうだとすれば、日本海軍の一式陸上攻撃機(一式陸攻)と似ているのではないでしょうか? 一式陸攻は、海軍軍縮条約で米英に対して保有艦数割合を劣勢に制限され、その対米劣勢を余儀なくされた戦艦、巡洋艦を補うために、陸上基地から発進して洋上から侵攻する敵艦を攻撃する(雷撃と爆撃)という目的で開発された機種です。 B-17F全長 22.78m全幅 31.63m全備重量 29.48トン発動機 ライトR-1820-97 空冷星形9気筒(1,380馬力)最大速度 510km/h航続距離 約2400km(爆弾2300キロ搭載)武装 12.7mm機関銃×11、爆弾4.35トン乗員 10名 一式陸攻二二型 G4M2全長 19.63m全幅 24.88m自重 8.05トン発動機 三菱「火星」二一型空冷9気筒(1575馬力)最大速度 437km/h(高度460m)航続距離 約2500km武装 7.7mm機銃×3、20mm機銃×2 爆弾60キロ爆弾×12または250キロ爆弾×4または500キロまたは800キロ爆弾×1。 または800キロ魚雷×1乗員 7名 日本海軍の一式陸攻は記録映画以外にはふつうの戦争映画で実機を見ることができないけれども、アメリカ陸軍のB-17重爆は見る機会の多いものです。 有名な作品では「頭上の敵機 Twelve O'Clock High」(1949)と「戦う翼 The War Lover」(1962)。 この2本は戦後まだ時が経っていないので現存する機体が多かったのか、B-17が主役と言ってもいいくらいです。それと「メンフィス・ベル」(1990)を加えて、3本が代表的なもの。 B-17は本来の開発目的からそれて、敵地の奥深くへ飛んで要地に爆弾を落とすという戦略爆撃機として使われ、その真価を発揮した。 比べて日本の一式陸攻は爆撃機というより敵艦隊への攻撃が主任務で、敵艦への雷撃は九七艦攻や天山、流星改など艦攻が務めたので出番は比較的多くないようですが、その弱防弾は敵の一撃を受けるだけで火ダルマになり「ワンショット・ライター」とまで揶揄された。この武装と防弾の点ではB-17と比べると天地の開きがあるようです。「いくら弾を撃っても落ちない」と言われたB-17爆撃機ですが、台南航空隊の坂井三郎さんが最初に墜としたそうです。 昭和17年8月2日。笹井中尉を中隊長とする坂井一飛曹たち第二中隊の9機の零戦がブナ泊地上空で5機のB-17爆撃機と交戦。全機を撃墜したそうです。 坂井さんたちが編み出した戦法は、ほとんど同高度で、高度差をつけずに正面から反航で突撃する。敵と正面衝突するくらいの気持ちで突っ込み、一撃で有効打を与えるというもの。 敵の防御銃火は構造上からみて前方に手薄だし、防弾装置の頑丈な機体に対しては反航で撃ったほうが両方の速力がプラスになるので弾丸の威力が強くなる、と。 落ちないというのは弾が当たっていないからだと、坂井さんは言っています。B-17の機体が大きいので目測をあやまり、近づいたつもりでもまだ距離があり、遠くから撃っているから当たらないのだと。 参考「大空のサムライ 還らざる零戦隊 下巻」坂井三郎著(講談社α文庫)
2015年04月08日
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「メンフィス・ベル」(1990)MEMPHIS BELLE監督 マイケル・ケイトン=ジョーンズ製作 デヴィッド・パットナム キャサリン・ワイラー脚本 モンテ・メリック撮影 デヴィッド・ワトキン音楽 ジョージ・フェントン出演 マシュー・モディーン、エリック・ストルツ ジョン・リスゴー、テイト・ドノヴァン、D・B・スウィーニー ハリー・コニック・Jr、ショーン・アスティン 本編107分 総天然色 ビスタサイズ B-17爆撃機「メンフィスベル」号の有名な逸話を若い10人の搭乗員たちを中心に描いた青春映画でもあり、戦争映画でもある。 1990年の戦争映画で、日本公開された1991年2月当時、製作者のキャサリン・ワイラーさんがウィリアム・ワイラー監督の娘であるというのが話題になりました。 ウィリアム・ワイラー監督は1944年(第二次大戦末期)に同名のドキュメンタリー映画を撮っていて、その娘さんが同じ題材の作品を製作。 ウイリアム・ワイラー監督のオリジナル版はコスミック出版が500円DVDで発売しています。興味があるので見ましたが、42分の記録映画で、総天然色ですが色褪せている。古い作品なのでこんなものかと不足はないけれど、航空機ファンなら見ておいていいかと、それくらいの内容です。 で、1990年版「メンフィス・ベル」ですが、これは劇場公開時に見て、レンタルビデオで一度見て、それいらいの今回は3度めの鑑賞です(スターチャンネルの放送を録画したもの)。 1943年5月、イギリス本土のアメリカ陸軍航空隊(アメリカ陸軍第8航空軍)基地。 B-17Fの「メンフィスベル」号は爆撃飛行隊として24回出撃を果たしていて、あと1回、25回の爆撃任務を終えれば、みな故郷に帰れることになっています。 10人の若い搭乗員たちは最後の任務を前にして緊張気味。フランスなら楽だと言っていると、爆撃目標はドイツ本土ブレーメンの戦闘機工場だと知らされる。 ドイツ空軍の激しい迎撃が予想されるなか、爆撃隊は離陸し、編隊を組んでドイツへと飛行。 敵の対空砲火と戦闘機の迎撃にあって編隊の僚機が墜されてゆく。 目標上空に達したが、煙で目標の工場が見えない。機長のデニス・ディアボーン大尉(マシュー・モディーン)は旋回して再度爆撃コースをやりなおす決意をする。ようやく煙が晴れて指揮機のメンフィスベルが投弾、全機がそれにならって一斉に爆弾を落とす。 任務が完了して帰途につく爆撃隊を敵戦闘機が襲いかかります。 この作品は賛否両論のようです。 アメリカ軍の爆撃目標が敵の軍事施設や工場、鉄道などに限られ、市街地の一般市民に被害をおよぼすのを避けていたというのは笑止でありおためごかしだという意見。それを理由にこの映画を必要以上におとしめる人がいます。のちのドレスデン無差別爆撃や日本との戦争で東京大空襲をおこない、広島長崎に原爆を落としたアメリカが作ったプロパガンダ映画以外のなにものでもないと。 しかし、そんな単純な貧しい鑑賞しかできないのか。 この1943年当時のアメリカ陸軍航空隊がドイツ本土を爆撃する、その目標を軍需施設に限定していたというのは事実でしょう。 アメリカにはドイツ系の市民がたくさんいる。陸軍航空隊にもドイツ系の人たちがいる。「われわれアメリカ軍はナチと戦っているのであり、ドイツの民間人を相手にしているのではない」という姿勢をしめして国民感情と世論を考慮せざるをえなかったということです。 もちろん高空からのピンポイント精密爆撃が正確なはずがなく、誤爆もあるし、民間施設に爆撃がおよんだこともあるだろう、しかしそのことでドイツ系市民から爆撃反対が持ち上がることはなかったそうです。 この映画「メンフィス・ベル」は爆撃の是非を問うのがテーマではなく、その若い搭乗員10人を描くことにある。自分がその爆撃機に乗っていたらどうするか、どうするべきか、ということです。 いつ自分の機が墜とされるかわからない死と隣り合わせの生活のなかで、誰もが自分に与えられた任務として爆弾を落とすだろう、ということです。そしてその任務をやりとげて早く故郷に帰りたい、それが正直な気持ちではないのか。
2015年04月07日
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「ピノキオ」(1940)PINOCCHIO製作 ウォルト・ディズニー監督 ベン・シャープスティーン ハミルトン・ラスケ動画監督: ウォード・キンボール原作 カルロ・コロディ作詞作曲 ネッド・ワシントン音楽 リー・ハーライン ポール・J・スミス、ネッド・ワシントン声の出演 ディック・ジョーンズ、クリフ・エドワーズ クリスチャン・ラブ 本編87分 総天然色 スタンダードサイズ「白雪姫」(1937)につづくウォルト・ディズニーの長編アニメ映画第2作です。 1940年(昭和15年)作品。「白雪姫」もそうですが、この時代にこれだけのカラー漫画映画を製作する技術を持っていたアメリカという国に驚かされます。「娯楽産業」に、アメリカは欧州で戦火が広がる第二次大戦にまだ参戦していないとはいえ、それだけの余力があるとは。 ゼペット爺さんはからくり時計職人なのか玩具職人なのかよくわかりませんが、猫のフィガロと金魚のクレオといっしょに住んでいる。 一人暮らしのゼペットさんは操り人形を作ってピノキオと名付ける。ピノキオが本当の子供だったらと、星に願いをかけます。 その夜みんなが寝静まった頃、妖精が現れて、ピノキオに命を授け、「勇敢な、正直でやさしい子になるように」と、そうすれば本当の人間の子供になれるでしょうと言う。妖精はコオロギのジミニーにピノキオの「良心」となって正しい方向へ導くように言いつけて去ります。 翌朝、自分で動いてしゃべる人形のピノキオを見てゼペットさんは大喜び。さっそく学校へと送り出します。 ピノキオは学校へ行く道でキツネの正直ジョンと出会い、糸がないのに動くピノキオで大儲けをたくらむ彼の口車に乗せられて、見世物小屋の親方に売り飛ばされてしまいます。 日本公開は昭和27年(1952)5月。私は昭和34年頃に母に連れられて見た記憶があります。 その後、夏休みに娘をつれて見に行ったのが昭和58年(1983)8月(テアトル会館。「ダンボ」との2本立て)。今回の格安DVDでの鑑賞は、だから約30年ぶりです。「勇敢であり、正直であれ」というのはアメリカ人の理想とする美徳なのでしょうか。 ピノキオが嘘をついたときに伸びる鼻は嘘をつく自分の醜悪さを表すのか、嘘をつくたびにグングン伸びる鼻は、嘘が重なるごとに大きくなってゆくことを表しているのか。 子供を観客対象としてのアニメ映画で、このような教育項目をテーマにしながら、厳しさもしっかりと描いてあるのは製作者ウォルト・ディズニーの賞賛されるべき点です。けっして押し付けがましくなく、甘い物語でもない。 人形のピノキオが主人公というのがいいですね。観客の子供たちはピノキオに感情移入し、人間になりたいピノキオがどうすれば願いがかなえられるのか、それには勇敢であり正直であること。 操り人形とは子供のことであり、糸である親のしつけと学校の教育、地域住民たちの見守りと導きを受けて成長してゆき、やがて善悪の判断ができる一人前の人間となる。 糸で操られる人形ならば自分で判断する必要はなく、ただ操られているだけでいい。その糸がなくなって自立した時に、自分で行動を判断しなければならなくなる。 ピノキオに命を与えた妖精は、だから「迷った時は良心に従うように」と言うのですが、人形のピノキオにはその良心が存在しない。だから妖精はコオロギのジミニーにピノキオの良心になるように、と命ずるのですが、この良心がはなはだ頼りない。 自分で動く珍しい人形としてピノキオは目を付けられ、あくどい商売をする見世物小屋に売られて檻に閉じ込められる。 妖精に救われて逃げると、またまたキツネの正直ジョンの誘惑にあって、こんどは人身売買組織の手に渡されてしまう。 その人身売買組織は、遊んでばかりいるバカな子供たちを「学校へいかないでもいい、勉強しないでもいい。いくら食べても飲んでも全部タダだよ」という甘言で集めて、「遊び島」というところへ連れて行く。そこで馬鹿なガキたちが遊びほうけているとしだいにみんなロバになってしまう。ロバになって売り飛ばされそうになるピノキオは、この世の中の暗黒面を思い知る。 困難を経験して成長してゆくピノキオは、行方を絶ったピノキオを探しに出て怪物クジラの腹に飲まれたゼペット爺さんを救うために立ち向かいます。 主人公を一度はどん底に落としておいて、そこからはい上がってヒーローとなる手法は古典的な定石ですが、子供向け冒険アニメ映画としては現代でも充分に通用するものです。
2015年04月06日
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M4シャーマン中戦車は5人乗り。車長、操縦手、副操縦手(機関銃手を兼ねる)、砲手、装填手。それぞれが連携し、自分の役目と責任をはたすことで戦車が動く。 戦場の経験がない者がいきなり戦車に乗せられて戦えと。敵地を戦車が進む途中、新人ノーマン二等兵(ローガン・ラーマン)は森に敵兵を発見しながら、それが少年だというので報告もせず見逃してしまうのですが、そのためにその少年兵が発射したパンツァーファウスト(対戦車擲弾筒)で僚車が撃破されてしまう。 仲間たちは、こんな奴がいっしょだったらたまったもんじゃない、と。お前は俺たちを殺すつもりか、と。 相手が子供だろうと、女だろうと、赤ん坊だろうと、武器を持った者はみんな殺せ。生き残りたいならみんな殺せ。殺される前に殺せ。 戦いを知らない平和な本国から戦地へやって来たばかりの男の子ノーマン二等兵。敵兵を見ても撃つのをためらってしまうのですが、ブラッド・ピットの軍曹が「お前が殺さなければ、俺たちが殺されるんだ!」と。 戦闘中に戦車の窓から、撃たれた敵の兵隊たちが倒れているのが見える。すると隣にいる操縦手が「あれを撃て!」と言う。「でも、死んでますよ」と答えると、「お前は確認したのか!生き返って撃ってくるかもしれない、爆弾を持ってるかもしれないじゃないか、撃て!」と言う。 ノーマン二等兵は「もう、こんなとこにいられない!」「こんなこといやだ!」と取り乱してしまうのです。「自分や仲間が殺されないために敵を殺す」、このようなテーマはかつての戦争映画にはなかったものです。「アメリカン・スナイパー」(2014)という実在のアメリカ海軍のSEALに属する狙撃手クリス・カイル(敵戦闘員を160名射殺)を描いた映画が公開され、まだ見ていないのですが、その原作がハヤカワ文庫から出ています。 そのプロローグで、しょっちゅう訊かれる質問として、「そんなに多くの人間をイラクで殺して、気がとがめないものか?」 それに対して、私はこう答えている、「少しもとがめない」「本気でそう思っている。初めて人を撃つとき、いくらかは臆病になるものだ。本当にこの男を撃てるのだろうか?本当に撃っていいのか?しかしその敵を殺してしまえば、それでよかったのだと思うようになる」「そしてまた敵を殺す。ひとり、またひとりと。自分や同胞たちが殺されないために敵を殺す。殺す相手がいなくなるまで殺しつづける。それが戦争というものだ」と。「標的を殺すことで、大勢の仲間の命を守った」「今の私は、初めて戦争に行ったときの私ではない。 誰もが変わってしまう。戦場に赴くまでは純真な心を持っているが、突然世の中の裏側を目にする。 後悔はしていない。もう一度やってもいい。だが、戦争はまちがいなく人を変える。 死を受け入れるようになる。 SEALになることは、暗黒面に落ちることだ。完全に入り込んでしまう」と。 (クリス・カイル、ジム・デフェリス、スコット・マキューエン著 田口俊樹 訳)「フューリー」のデヴィッド・エアー監督には第二次大戦に従軍した二人のおじいさんがいて、彼らはついに戦争体験を語ろうとしなかったそうです。 おじいさんが深夜に黙って一人で食堂に座っている姿を見た、深夜にうなされて飛び起きる姿を見た。 おじいさんたちが戦争で何を体験したのだろうか?、それを描きたかったと監督が発売されたブルーレイソフトに収録のメイキングで語っています。
2015年04月05日
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2014年外国映画興行成績です。 金額は興行収入。1位「アナと雪の女王」 254億8000万円2位「マレフィセント」 65億4000万円3位「ゼロ・グラビティ」 32億3000万円4位「GODZILLA ゴジラ」 32億円5位「アメイジング・スパイダーマン2」 31億4000万円6位「トランスフォーマー/ロストエイジ」 29億1000万円7位「オール・ユー・ニード・イズ・キル」 15億9000万円8位「猿の惑星:新世紀(ライジング)」 14億2000万円9位「ホビット 竜に奪われた王国」 14億1000万円10位「ノア 約束の舟」 13億8000万円11位「インターステラー」 12億5000万円12位「プレーンズ」 11億5000万円13位「美女と野獣」 11億円14位「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」 10億7000万円15位「X-MEN:フューチャー&パスト」 10億3000万円16位「LUCY ルーシー」 10億3000万円17位「LIFE!」 10億1000万円18位「フューリー」 10億円 第18位「フューリー」は昨年(2014)の11月28日公開された戦争映画です。 金沢ではまったく話題にもならず、見てきた知人が言うには「初日に行ったけれどお客が5人しかいなかった」と。このような戦争映画はまず女性は見ないだろうし、いまの若い人は関心すら示さないだろうと。興行価値がどれだけあるのだろうか?と疑問に思ったものです。 それがこの興行成績を見ると、意外なことに第18位で、10億円の興収を上げている。地域差があるのかと思うけれども、この成績を見る限りでは健闘したといえるのでは。「フューリー」(2014) FURY監督 デヴィッド・エアー 製作 ビル・ブロック デヴィッド・エアー イーサン・スミス、ジョン・レッシャー脚本 デヴィッド・エアー撮影 ローマン・ヴァシャノフ音楽 スティーヴン・プライス 出演 ブラッド・ピット、シャイア・ラブーフ ローガン・ラーマン、マイケル・ペーニャ、ジョン・バーンサル 本編135分 総天然色 シネマスコープサイズ 字幕翻訳:松浦美奈 吹替翻訳:久保喜昭 原題は「FURY」。 1978年に同じ邦題のブライアン・デ・パルマ監督のSFスリラー映画があり、その原題が「THE FURY」でした。「フューリー」とは「憤激」「激怒」「激怒の状態」「激しさ」「猛威」「狂暴」、 または「激しい興奮状態」「復讐の女神の一人」「怒り狂う女」「狂暴な女」「手に負えない女」 など。 デ・パルマ監督作品の場合はヒロインの超能力少女(エイミー・アーヴィング)が最後にすさまじい怒りを爆発させる、まさにタイトルどおりの「激怒、憤激」という意味だったのでしょう。 今回の戦争映画では主人公たちが搭乗する戦車、M4シャーマン中戦車につけられた名前です。 ふつうは愛車などに名前をつけるなら女性名かと思うのですが、だとすれば「怒り狂う女」号といった感じだろうか? 1945年4月、ライン河を渡った連合軍がドイツ本国へ侵攻し、ベルリンに迫ろうとしている。 ドン・コリアー軍曹(通称ウォーダディ、戦争おっさんという意味?)のM4シャーマン中戦車の乗員たちの物語です。戦死した副操縦手の代わりとして新兵のノーマン二等兵(ローガン・ラーマン)がやって来る。彼は司令部付きのタイピストに配属されるはずだったのですが、なぜか戦車隊に。 戦闘訓練も受けず、戦車に乗ったこともない彼が、最前線での戦車乗員になり、厳しい戦闘の中に放り込まれる。殺すか殺されるかの血みどろの、死との背中合わせの戦車内で、自分を見失ってしまうのですが。 明日につづく。
2015年04月04日
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テレビ時代劇「俺は用心棒」の第10話「祇園小路の刺客」を鑑賞。数年前に時代劇専門チャンネルで放送された時に録画したDVDです。監督 河野寿一脚本 結束信二音楽 渡辺岳夫 料亭「千花」。江戸から何かの公務で京へ来た3人の旗本侍が宴をはっている。沖田総司(島田順司)が奉行所から命じられて護衛しているのですが、酒も飲まずにひかえている沖田を目障りだ、用があったら呼ぶからと別室に追い払います。 沖田は与えられた部屋で、お茶を持ってきた若い舞子の小美枝(東 三千)と故郷の話をしたりして打ち解けていると、旗本たちの部屋に刺客が乱入し、急を知った沖田が駆けつけると旗本2人が斬殺され、残る1人は周章狼狽。沖田は逃げた刺客を追って2人を斬り倒すが、渡世人の姿をした新太(中野誠也)という男を取り逃がす。 奉行所の青木という同心(香川凉二)の聞き取り調査に腰抜けの旗本は、自分は必死に防戦につとめたが沖田は別室で舞子と遊んでいて呼んだが来なかったと、護衛としての職務怠慢を責めます。 沖田は「私は女たちの騒ぎを聞いて駆けつけたのです」と言うのみであとを弁解せず、偶然に別の部屋で酒を飲んでいた野良犬浪人(栗塚旭)が、旗本は腰を抜かしたので「声を上げたつもりでも声が出なかったのだろう」と証言する。 旗本は自分の醜態を隠そうとし、同輩と相談の結果、それには下手人をあげることだと。下手人にでっちあげるにはあの時の浪人者がうってつけだと悪謀をめぐらします。 そのはかりごとを相談している二軒茶屋を、祇園さんにお参りに来た舞子の小美枝が不審に思ってのぞいたために、彼女を追って行って惨殺。 京都へやってきた品田万平(左右田一平)がその場に出会わして、斬られて虫の息の小美枝を見つける。彼女は息を引き取るまえに「新選組の沖田さん」と言い残す。 壬生の屯所に沖田を訪ねた万平は舞子が殺されたいきさつを話し、2人は料亭「千花」に居続けしている野良犬のもとへ行き、そこへ旗本たちが斬りにやってくるのですが、怒りの剣で返り討ちにする。 体面を守ることに汲汲とし、武士の心得もない男たちが醜い顔をつきあわせて、自分の醜態を隠すために犯人にでっちあげようと選んだ、その相手が悪かった。 男たちが争う幕末の京都。そのかげで何の関係もない可憐な若い舞子が不憫にも殺された。 沖田は、彼女が白川村の出で、「村ではみんなでお花を作っています」と話していたのを哀しく思い出す。「新選組血風録」「燃えよ剣」と同様に、この「俺は用心棒」も幕末動乱の京都を舞台に、政治や権力争いとは無縁の市井に住む人たちを哀しく描き出す、結束信二さん流の哀しい物語です。
2015年04月03日
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「ピーター・パン」(1953) PETER PAN監督 ハミルトン・ラスケ クライド・ジェロニミ ウィルフレッド・ジャクソン製作 ウォルト・ディズニー原作 ジェームズ・マシュー・バリー脚本 テッド・シアーズ アードマン・ペナー、ウィンストン・ヒブラー ビル・ピート、ジョー・リナルディ、ラルフ・ライト音楽 オリヴァー・ウォーレスナレーション トム・コンウェイ声の出演 ボビー・ドリスコール、キャサリン・ボーモンド ハンス・コンリード、ビル・トンプソン 本編75分 総天然色 スタンダードサイズ これも108円のDVDを買っての鑑賞です。画質もとくに悪くないし、日本語吹替え音声も入っている。 日本公開は1955年3月。私が見たのは例によって子供の夏休み時で、写真の割引券からは劇場名も上映日時も不明(切り取ってしまった)だが、「白雪姫」を見た前年の1984年夏休みで、「眠れる森の美女」(59)と2本立て。横安江町にあったテアトル会館だったと思われます。 ロンドン郊外に住む少女ウェンディ。思春期を迎える年齢のウェンディは父親に明日から弟たちと同じ子供部屋ではなく一人部屋に移るように言い渡されます。 両親が留守のその夜、おとぎ話の主人公ピーター・パンが妖精ティンカー・ベルと共に現れる。 ピ-ターパンは乳母犬ナナに取られた影を返してもらいに来たのですが、ウェンディがピーターパンの足に影を縫い付けてやると、そのお礼にと、空を飛べる魔法の粉を振りかけられて、いつまでも子供のままでいられるという「ネバーランド」へ弟のジョン、マイケルといっしょに連れて行ってもらうことに。 ネバーランドへ行ったウェンディ、マイケル、ジョンの姉弟は、海賊フック船長とピーターパンの争いに巻き込まれて冒険をすることになります。 大人になったら子供の頃の「夢」と「空想の世界」を忘れてしまう。生活に追われたり、夢の挫折など、現実の厳しさを知ることで誰もがそうなってゆくのだろうけれど、いつまでも子供の心を忘れないで、夢を忘れないで、ということがテーマなのでしょう。「白雪姫」と比べると、こちらはいかにも現代のアニメらしい描き方です。ウェンディやその母親に人間らしい細かな仕草と動作が見られますが、弟たち、海賊、インディアンなど脇役はマンガふうにデフォルメされたものです。アニメ嫌い(偏見)の私としては細かくなめらかに動く「白雪姫」のほうが格段に上等だと思います。 ピーター・パンがフック船長の左手首を切り落として巨大ワニに喰わせてしまった。おかげでフック船長は味を占めたワニに狙われ続けている。ワニは時計を飲み込んでいて、近づいてくるとその音が「チクタク、チクタク」と鳴ってフック船長が震え上がります。 ワニに食われそうになって口の中でワーッと飛び上がるフック船長のギャグ、海の上を走って逃げるのはちょっと可哀相だけれども可笑しい場面になっていて、子分のスミーとの凸凹コンビのスラップスティックな可笑しさはマンガ映画ならではの楽しさ。 現在ではインディアンの描写が差別的とされるのですが、ウェンディの弟ジョンの台詞で「狡いやつらだが頭は悪い」と、描き方よりもこの台詞がいちばん差別的に感じました。近年は「酋長」とはいわず「族長」と言い換えるようだけれど、このDVDでは「チーフ」と言っていた。チーフの娘タイガー・リリーが可愛い。
2015年04月02日
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1950年外国映画興行成績です。 金額は配給収入。1位「白雪姫」 7323万円 2位「黒水仙」 6518万円 3位「ジャンヌ・ダーク」 6502万円 4位「サン・アントニオ」 5983万円 5位「情婦マノン」 5873万円 6位「アラビアン・ナイト」 5497万円 7位「征服されざる人々」 5394万円 8位「海の征服者」 5382万円 9位「ドン・ファンの冒険」 4863万円 10位「カリフォルニア」 4637万円 ウォルト・ディズニー初の長編アニメ映画「白雪姫」(アメリカでは1937年12月)が日本で公開されたのは、戦争があったせいか、昭和25年9月だそうです。 配給収入7323万円。興行収入にすると1億2、3千万円くらい? 入場料金がおそらく100円以下の頃にその成績だからものすごい大ヒットではないでしょうか。 昨日、私がこの映画を見たのは、うちの娘が小学生だったころで、1990年くらいか?と書きましたが、保存してあった古い「特別割引券」が出てきたので、確認すると1985年でした。 7月27日(土)より公開!(8月30日まで)となっている。 金沢市教育委員会後援「夏休みおやこ割引券」。一般1500円の処1000円、小学生1000円の処700円。「白雪姫」と「おしゃれキャット」(1970)の2本立て上映。香林坊にあったグランド劇場地下の「グランド スカラ座」です。「白雪姫」はグリム童話を原作にしていて、 姫は雪のように白く、唇は血のように赤く、黒檀のような黒髪。 魔鏡を持った継母の嫉妬。 継母は狩人に命じて、森へ連れて行って殺させようとするが、彼は殺せないで逃がす。 七人の小人の家にかくまわれる。 継母は姫を毒のリンゴで殺す。 殺された姫をガラスの棺に入れる。 王子が来て接吻すると、姫が生き返る。 継母は処罰される。 この最後の継母が処罰される場面は映画にはなく、崖から転落死するように変えられていますが、原作では、継母は姫を「紐で絞め殺す」「毒の櫛で殺す」、いずれも小人たちに救われて、三度目の奸計の「毒のリンゴ」となり、継母は真っ赤に焼けた鉄の靴をはかされて死ぬまで踊らされる刑を受けます。 子供向けの絵本などでは最後の継母の処刑はカットされているようだけれど、幼少のころに「白雪姫」を絵本などで親しんだことがない人はいないだろう、日本人にとってもポピュラーな物語です。 ウォルト・ディズニーさんはこの映画に4年の期間と170万ドルの製作費をかけたとかで、初めて映画に音と俳優の声が入ったトーキー映画誕生の1926、7年から、まだ10年しか(製作期間を入れると6年?)経っていない時代に、このような総天然色のアニメ映画が作られたのは、当時の日本の技術力からは考えられないことです。日本にはこのような娯楽映画のために技術を研究開発する余力はなかったのか?
2015年04月01日
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