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新大阪から、博多発ののぞみで帰路についたときのこと。電源が使えて隣に人が座ることが少ないという理由で、私は3列席のA席を予約しておく。更には、人の移動がより少ない車両の中央付近がよい。今日も予約した10番A席に座ろうと思ったら、男の先客が着席していた。指定席券を見せて、私の席であることを告げると、男から理解できない言葉が返ってきた。中国語のようだ。すると10番C席の女が、「ココシテイセキ?」と聞いてきた。何を寝ぼけたことを言っているのだ、とは言わなかったが、不思議な反応。「指定」の表示は分かりやすく嫌でも目に入る。そうこうしていると10番B席の別の女もしゃべりだした。結局二言三言しゃべった挙句、3人同時にサッと立って別の車両に去って行った。どうやら男1人と女2人の、3人連れの中国人グループ。偶々空いていた指定の3列席にちゃっかり座っていたようだ。それにしても、新大阪までの間に検札の車掌が来ているはず。なぜ見咎められなかったのだろう?検札をやり過ごして座ったのだろうか?いずれにせよひどいマナー違反だ。結果、10番B、C席は東京駅まで空席だった。東京駅が近くなる頃、検札の車掌が回って来た。私の予約がなければ、件の3人はずっと座り続けたことになる。最近は新幹線にも外国人が増えたが、それにつれてマナー違反も目に付くようになった。
2015/05/30
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皆野町・東秩父村のポピーまつりに行った。パンフレットには「天空を彩るポピー」とある。秩父高原牧場の5haの丘の斜面には、シャーレーポピーが丁度見頃。ホームページで告知していた通りだ。昨年よりも幾らかポピーの咲いている範囲が広くなった気がする。一方で、人出も増えた。結構早く行った積りだったが、駐車場待ちの渋滞に巻き込まれた。丘の下から見上げるポピーの彩りは、確かに“天空のポピー”。時間をかけて来ただけのことはある。これで空が青く晴れ渡っていたら本当に最高だろう。今回は曇りで、空が白っぽいのが残念ではある。毎年種を採り、牧草を刈り取ったあとに人手で播種するとのこと。手入れに相当な苦労があるようだ。観光協力金200円では申し訳ない。帰りは、ポピー街道を見ながら秩父に抜けるもよし。ユネスコ無形文化遺産に登録された和紙の里を通って、小川町に行くもよし。長瀞・秩父方面の観光にはお勧めだ。因みに、昨年利尻島に行ったとき、観光タクシーのドライバーにポピーの写真を見せたところ、「是非行ってみたい」とのこと。今年来たのかな?
2015/05/24
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ポピーまつりに行った。それは、合併10周年記念だという「こうのす花まつり」のイベントの一つ。有名な川幅日本一の荒川河川敷で開催されていた。因みに日本一の川幅は2537m。今は水量も少なく、川幅2537mと言ってもその中には家も田畑もある。もう一つ因みに、鴻巣市はポピーの栽培面積が日本一(12.5ha)。サルビア、プリムラ、マリーゴールドの出荷量も日本一だそうだ。同じ河川敷の隣では「麦なでしこまつり」も開かれて、淡い紫色のムギナデシコが見頃だった。これまた因みに、ムギナデシコは葉姿が麦に似ているのでその名が付いたという。和名は麦仙翁(ムギセンノウ)。今回初めて知った植物だ。ポピーもムギナデシコも花盛りで、“鴻巣は花のまち”の印象を強くした。
2015/05/17
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近くの公園で開かれた恒例の春まつりに、今年もガリガリ君のキャラクターが来ていた。ガリガリ君と言えば、赤城乳業のアイスキャンディー。会場の赤城乳業のテントでは、2つで50円と、格安な各種ガリガリ君が売られていた。全国各地のコンビニを訪れると、ショーケースには必ずガリガリ君が入っている。もはや全国的に普及している有名ブランドだ。『「遊び心をたいせつにして、おいしさと楽しさを提供するドリームメーカー』と言うだけあってか、キャラクターのガリガリ君もしっかりポーズを決めて撮影に応じていた。
2015/05/16
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大型連休の次の土曜日は久しぶりの雨模様。傘が要らない程の天気だったので、藤を見に行った。場所は「ふじの咲く丘」。それは、その名に相応しい藤岡市内にある。4月26日に行ったときは早すぎて、花が殆ど咲いていなかった。今度は逆に遅すぎた。それでも「九尺」と名の付く藤の花はまだ健在。見事な花總の名残が見られた。天気が良ければもっと鮮やかな藤色が見られた筈だが、雨に煙る藤棚にも趣きがある。
2015/05/10
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大型連休最終日。今年は遠出はせず、家で主に片付けとなった。特に次週から始まる外壁と屋根のリフォーム(塗り直し)のため、壁面に接する植物を片付けた。鉢底を貫通して根を生やした鉢植えは、根を切り取るところから始めた。思わぬ大作業になってしまった。で、リフォーム関係の話題は次に譲るとして、ニュージーランドでの経験から。4百枚近い写真の中で面白いものを紹介したい。ツアーバスから見た面白い光景。それは見ての通り、家が運ばれて行く光景だ。家を積んだ車が反対車線を塞いで、堂々と通行している。後続の車に対しては、「HOUSE AHEAD」の看板を載せた車が追随して注意を促している。ご丁寧に右に左に蛇行運転をしながらだ。当然のことながら、対向車は路肩に避けるしかない。次々に道路の舗装部分から外れて行く。うまい具合にガードレールが所々途切れているのだ。対向車を路肩に退けながら、家を運ぶ車はそこそこのスピードで走り続けた。市街地に入り、広い空き地で後続の車をやり過ごすまで数十分。とにかく何事もないように走り続けるその車にニュージーランドの広さを思った。
2015/05/06
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休みが続くと流石にその日中に処理しなければならないことが少なくなる。春の庭仕事も一段落し、週1ブログも投稿回数が増えることになる。ということで、今日はまた我が家のポポーの話題。実生から8年目、とうとう結実を見た。一つひとつは1cmにも満たないが、確かに雌しべのあった所に3つの実ができている。不思議なことに、実の着いた花の茎は確実にその太さを増している。この先落果せずにどこまで成長するか。秋までの庭の楽しみが一つできた。
2015/05/05
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最近アクセス数が増えている。週1投稿にしてからしばらく2桁/日のアクセス数が続いていたが、最近は3桁の日が多い。少しは気にしている人が増えているということなのだろう。ありがたいことだ。4月から5月にかけては、社会も自然も変化が大きく話題がたくさんある。週1ブログではその殆どが書けないが、その分印象の深い話題を選ぶことになる。ということで、歴史的遺産の話題。それは、「旧煉瓦製造施設」。国の重要文化財だ。ウィキペディアによると『明治政府は臨時建築局を設置し、ドイツ人建築家のヴィルヘルム・ベックマンとヘルマン・エンデをお雇い外国人として日本に招いた。彼らは都市整備のために良質な煉瓦、ならびにそれを製造する工場が必要であることを明治政府に進言した。これにより渋沢栄一らによって日本煉瓦製造が設立され同工場が埼玉県榛沢郡上敷免村(現在の深谷市上敷免)に建設された。』日本煉瓦製造で焼かれたレンガは、東京駅、日本銀行旧館、赤坂離宮、東京大学など、明治時代の重要な建築物に使われた。深谷市に残る広大な敷地には、重要文化財に指定された旧事務所(現在は日本煉瓦史料館として使われている)、旧変電室、ホフマン輪窯6号窯、備前渠鉄橋が点在している。その中で、ホフマン輪窯6号窯が圧巻だ。通常は10名以上の団体でないと見学できないのだが、黄金週間は個人で行っても見学できた。しかも市役所の担当者が丁寧に解説してくれた。写真はその際の窯の内部の様子。溶鉱炉と同じで、一度火をつけると止めることはない。1年365日3交替でレンガを焼く様を想像し、初期の日本の近代化の雰囲気を思った。
2015/05/03
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