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先日このブログでアレクサンドル・タローによるスカルラッティのソナタ演奏についてご紹介しましたが、その後亭主は早速件のCDを手配するとともに、ついでに彼のピアノ演奏によるラモーのCD「新クラヴサン曲集」も入手しました。ラモーのクラヴサン曲集は、18世紀ハープシコード音楽のレパートリーの中でもスカルラッティのソナタと同じく際立って個性的でモダンな響きを持っていると感じられます。スキップ・センペによれば、ラモーの音楽は「よりオペラ的」であると語っていますが、ある種表現主義的・演劇的な音楽ということでしょうか。ほぼ同時代のフランソワ・クープランの音楽の大部分が宮廷人好みの感傷的・微温的な音楽(というとやや冷酷に過ぎるかもしれませんが)で占められているのに比べると、特に標題を持つ(舞曲でない)作品はどれも印象的で、例えば有名なLa Poule(めんどり)は、ラヴェルの歌曲集「博物誌」の先駆けのようにも見えます。このような音楽の性格を考えると、現代ピアノでこれらの作品を料理するとどうなるかは大いに興味が持たれるところ。また、タローがどのような意図を持ってラモーを採り上げたかも知りたくなります。というわけでライナーノートをめくってみると、「ピアノによるラモー・演奏家とのインタヴュー」という標題の下、センペのCDに付いているものとそっくりのものが出てきました。折角ですので以下にそのさわりを少々。最初にラモーの組曲をピアノで録音しようと思い立ったのはいつ頃ですか?・約10年前だ。組曲の楽譜は常に僕のピアノとともにあった。僕はそれらと一緒に暮らしてたんだ。僕の普段のレパートリーがシャブリエ、ドビュッシー、ラヴェル、あるいはプーランクといった作曲家の作品だということを考えると、僕にとってはそうやって基本に帰ることが必要だった。リサイタルでしばしばラモーを弾いているうちに、これらを録音することは僕のコンサートの仕事の自然なフォローアップだと思った。このCDのために僕は最後の2つ、イ調とト調の組曲を選んだが、それらの書法はフォルテピアノに最も近い。あなたはそれらを最近のスタインウェイ・ピアノで録音しましたが、それは何故ですか?・僕はいくつかの時代のピアノを弾く機会があった。その選択は難しいものだったけれども、僕は依然として現代の楽器に深い愛着を覚える:僕が録音のために選んだスタインウェイは、逆説的なことにそのタッチ、響き、そしてデュナミークにおいて、実にバロック音楽に適している。あなたの解釈を聴いた誰もが最初に驚かされることは、それがオリジナル・スコアに忠実であることです -- 特に装飾音についてですが。・僕はベーレンライターとル・ピュピトゥルの版から始めて、出来るだけバロックのスタイルに近づこうとした。それから、僕は自分自身の楽器に戻るためにそういった研究を自分のシステムから取り去った。ラモーをハープシコードで弾くのと同じようにピアノで弾くことなんて出来ない。僕の解釈上の決断は自然なもので、演奏上の自由に導かれたものだけれど、これはラモーの演奏では絶対不可欠なことだよ。(以下略)タローはインタヴューの最後で、ラモーの録音という体験が彼に不可逆的な変化をもたらしたと語り、もう以前と同じようにバッハやスカルラッティを弾くことはない、と断言します。さらに、現代のピアニストはすべからくバロック音楽に浸ることがessentialだ、とも付言しており、このCDへの思い入れの深さを想像させます。さて、肝心の演奏ですが、やはり伝統的な作りの「舞曲」については、ピアノで弾くとハープシコードより地味な響きという印象を拭えませんが、タローの音作りはそれなりに成功しているように思われます。また、キャラクター・ピースについてはピアノ独自の響きがとても面白い、と言えるのではないでしょうか。亭主おススメの1枚です。
2014.03.30
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忙中閑あり。たまたま何も予定がなかった春分の日の休日を利用して、東京は六本木で開催中の表記展覧会に出かけました。会場は「六本木ヒルズ」の中心施設であるオフィスビル「森タワー」の最上階近くにある「森アーツセンターギャラリー」。とはいっても、普段六本木などに縁のない我々にとっては初めて訪ねる場所です。完全にお上りさん状態で、地下鉄六本木駅を降りてから会場にたどり着くまで右往左往の連続でした。(調べてみると、17年の歳月をかけた都市再開発プロジェクトである「六本木ヒルズ」が完成したのが2003年10月ということですから、既に開業以来10年も経つのですねぇ…)もう一つ混乱を招く要因が「森美術館」で、「森アーツセンターギャラリー」と併設されている施設らしく、「美術館」の方はどうやら自身のコレクション(主に現代アート)を持っているようですが、こちらでもアンディ・ウォーホルの展覧会をやっていて、入場チケットを買うところからマゴマゴしてしまいます。さて、肝心のラファエル前派展ですが、なかなか興味深い展覧会でした。というのも、亭主にとって「ラファエル前派」といえばこれまでロセッティ、バーン・ジョーンズによる世紀末象徴主義、あるいはウィリアム・モリスによるアール・ヌーヴォーといった文脈でしか馴染みがありませんでしたが、この展覧会を眺めていると、これらはいわゆる「後期」ラファエル前派についてのみ当てはまるもので、ラファエル前派全体はもっと幅広いスペクトルを持つ運動だったことを思い知ることになります。展覧会では70点余りの作品を「歴史」、「宗教」、「風景」、「近代生活」、「詩的な絵画」、「美」、「象徴主義」の7つのお題の下に分類し、ラファエル前派運動に参加した画家達がものした作品を提示していますが、そこで見られる題材や表現は実に多様で、どのような観点にせよ運動全体に共通する何かを見出すことはほぼ不可能という印象を受けます。それもそのはず、ラファエル前派とは「ラファエル風のアカデミー絵画を打破する」ことをマニフェストとしており、要するに当時の講壇主流派に対するアンチテーゼとして出発したことから、ある種アンチであれば何でもあり、というわけです。マニフェストには一応その芸術の規範として「ラファエル以前の絵画表現」(=芸術運動の名前の由来)が掲げられていますが、ラファエル以前といっても時代によって表現様式はいろいろ、題材も(宗教画が中心とはいえ)聖書物語や黄金伝説にかこつけて様々な主題が扱われていたという意味では何でもありです。さらに、運動の精神的な支柱であったジョン・ラスキンは「自然に返れ」が信条で、むしろ自然主義的な表現を賞揚した、というわけで、今回の展覧会に採り上げられた作品も実に多種多様で、7つに「分類」しなければ展覧会としてのメッセージを来場者に伝えることも容易でない、という主催者側の苦労も想像出来るというもの。とはいえ、今回の展示を眺めながら感じた共通点として、特に後期の作品群に漂う「黄昏時の空気」感があります。日没直後の残光(時に上り始めた満月も伴う)の下に広がる視界、部屋の内外を問わず薄闇の中で外界と内面世界がないまぜになった風景や人物のイメージを眺めていると、陳腐とは分かっていてもどうしても「世紀末」という言葉が思い浮かんでしまいます。なんとなくモヤモヤしたものを引きずりながら展覧会から帰った後、大昔に読んだ海野弘氏の「アール・ヌーボーの世界」をパラパラめくっていると、ラファエル前派について的確かつ簡潔にまとめた記事があり、今更ながら膝を打つことしばしばでした。ものはついで、以下にその一部を引用しておきましょう。ラファエル前派(プレラファエリズム)は1848年、ジョン・イヴェレト・ミレー(1829-96)とホルマン・ハント(1827-1910)、ダンテ・ガブリエル・ロゼッティ(1828-82)によって結成された。当時のアカデミズムはラファエルを偶像視し、「崇高なる芸術」という観念がヴィクトリア朝をとらえていた。ラファエル前派はこれに反対して、ラファエル前の、初期ルネッサンスのジオットやオルカーニャなどの素朴で力強い描写にもどることを主張した。「ラファエル前派には一つの理想はない。自然の中に見たものを画布に再現することである。」(イヴェレット・ミレー)コンベンショナル(慣習的)な技法でなく、自然そのものから出発することをまず目標としてかかげた。プリミティヴなもの、日常的なものにおける美の発見が求められた。 ラファエル前派を考える時に現代がとまどうのは、その自然主義についてである。果たしてここにジオットやフラ・アンジェリコを見つけることができるか疑問であるし、「自然から」の写実を主張したものにもかかわらず、その主題は歴史的、神話的、文学的なものが多い。このことはラファエル前派を擁護したラスキンも認めていて、風景画はラファエル前派に欠けていることを指摘している。ラファエル前派の写実は細部における写実であり、至近距離における細密描写であり、触覚的描写なのである。歴史、神話的主題によるものも、人間の顔は現代のモデルによっている。さらにその衣装、アクセサリーの細密描写、この近距離的な、室内的な、すべての部分を同じに表現するやり方が、空気遠近法を否定し、タピスリ的な工芸性を帯びさせる。…ラファエル前派は目で見、触って確かめられるものしか描写しない。しかもこの自然の表面のみによって、象徴としての幻影を主題としていたのである。…ミレーの「オフィーリア」、ハントの「世界の光」などは、中世のミニアチュールやフランドル派の細密描写をおもわせ、象徴的神話的雰囲気をつくり出している。...(以下略。「アール・ヌーボーの世界」、pp.64-65、海野弘、中公文庫、1987年)
2014.03.23
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フローベルガーの音楽についてもっと知りたいと思い、マンフレッド・ブコフツァーの「バロック期の音楽」(W.W. Norton, New York, 1947)をめくっていると、「北方諸国における初期・中期バロック」と題された第3章において、「17世紀のドイツとオーストリア」という項目中で4ページにわたって取り上げられているのを目にしました。面白いことに、その中で以前このブログで採り上げた「マイエリン」組曲(第6番)が詳しい分析の対象になっていましたので、その中身を抜粋して(譜例付きで)ご紹介しましょう。ブコフツァーは、フローベルガーのハープシコード組曲で、冒頭に置かれるアルマンド・スタイルのラメント(例として皇帝フェルディナンドIV世の崩御に際してのそれが挙げられています)が標題音楽的であるのみならず、フランスのクラヴサン・リュート音楽におけるトンボー、さらにはフリープレリュードに対応するものであると指摘した後、「有名なマイエリンの変奏組曲は、フローベルガーが見事に成し遂げたスタイルの融合というものの見本である」と語り、以下のように書き綴っています。…マイエリン組曲を諸国の影響という観点から分析してみるならば、その結果は驚くべきものである:舞曲楽章の順番はフランス風であり、変奏曲組曲というアイデアはドイツ風、変奏曲の技術的パターンはイギリス風、変奏曲中に舞曲を取り入れたところはイタリア風、というわけである。このように、マイエリン組曲は諸国の影響についての紛れもない目録なのだ。マイエリン組曲のクーラントに伴うドゥーブルは、リュート・スタイルを鍵盤という媒体に移し替えることにおいて、フローベルガーがドイツの他の同時代人の誰よりも洗練されていたことを示している(譜例27)。彼は、音符が連続的な4拍子の複合的なリズムを刻むようにそれらを分布させることで、リュートの技術的制限をむしろ美点と見なしている。和音は重要な拍のところでのみ現れるので、それによってたとえリュート流に撥音であるいはスタッカートで弾かれても曲の構造が明快に保たれるのである。 フローベルガーのマイエリン変奏曲を同じ主題によるジャン・ラインケンの変奏曲と比べてみるならば、それによって北ドイツ楽派と南ドイツのそれの違いが明らかになるだろう:フローベルガーの多彩な優美さは、ラインケンの様式的厳格にもかかわらず大変想像的なスタイルとは対極にある…ブコフツァーは引き続いてよりマイナーなオーストリア楽派の音楽家としてヴォルフガンク・エプナー(Wolfgang Ebner)やヨハン・カスパール・ケルルを手短に採り上げていますがここでは割愛します。上記の譜例に出てくる部分、このところしょっちゅう弾いていたのですが、なるほど言われてみると音の続き具合がリュートで弾いた曲のような響きになっていて、目からうろこでした。ちなみに、初めの方で触れた「フローベルガーのラメントがフランスにおけるフリープレリュードに対応している」という指摘にも、今更ながらなるほどと思いました。何しろあのルイ・クープランが「フローベルガー氏に倣って」作曲したのも他ならぬ小節線無しのプレリュードですからネ。(皇帝フェルディナンドIV世のラメントは組曲XII番の冒頭に置かれています。)
2014.03.16
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先週火曜日の朝、いつものようにFMラジオをかけっぱなしにしていたところ、モダン・ピアノによるスカルラッティのソナタが流れてきました。(NHK-FMの朝の番組、「クラッシック・カフェ」です。)演奏していたのはアレクサンドル・タロー(Alexandre Tharaud)、フランスの中堅ピアニストです。大分以前に、やはりラジオでクープランやラモーといったクラヴサンのレパートリーをピアノで弾いた演奏会の録音が流れているのを耳にし、これには「全然イマイチ」という印象しか持たなかった覚えがありますが、このスカルラッティはなかなかの名演です。ネットで番組表を調べてみると、昨年ヴァージン・レーベルからリリースされたスカルラッティ・ソナタ集のCDからの抜粋でした。ちなみに、FMで流れたのは順にK. 431、K. 380、K. 8、K. 132、K. 430の5曲。この中でも面白いのがK. 431で、このソナタが演奏会やいわゆる全集もの以外のCD録音で取り上げられることはまずなく、ましてやピアノで弾いた例は聞いたことがありません。この全体わずか16小節、1ページの作品、スカルラッティのソナタの中で恐らく最小の規模ですが、彼のソナタのエッセンスが凝縮された作品です。複縦線で前後8小節ずつに分かれた二部形式の第一部は、主調であるト長調で4小節進んだところでニ長調へ転調し、後半第二部はト長調に戻って前半の変奏のような4小節の後、4小節の終止形というパターン。あまりに整った形をしているので、スカルラッティが何らかの「教育的」な目的で作ったのではと想像させる作品です。(例えば亭主が想像するに、あるとき同僚の歌手ファリネッリからあれほど数多くのソナタをどうやって作曲しているのかを尋ねられ、それが持つシンプルな構成原理を解説する目的で作られた、というのはどうでしょう?)ところでこのソナタ、あのカークパトリックも一つの典型として著作の中で取り上げています。彼の解説では第一部は「主調→属調」、第二部は「属調→主調」となっていて、第二部前半は属調(ニ長調)のままであるかのうように読めますが、このブログを書くにあたってしげしげと譜面を眺めてみると、分散和音に現れるハ音にシャープはなく、上記のように主調であるト長調に戻っています。(はて、カークパトリック先生にも思い込みがあったのでしょうか?)それからもう一点、このソナタ、演奏するのは見かけほど易しくありません。わずか16小節、ト長調ということでナメてかかるのですが、右手の分散和音がかなり広がっていてあちこち遠い音まで飛ぶ(スカルラッティらしいところです)ので、練習なしで間違えずに弾くのは難しく、亭主は未だ間違えてばかりです。いずれにしても、全部で18曲という限られたトラック数のCDであえてこの超マイナーなソナタを取り上げたタロー、何だか気になる存在になってきました。
2014.03.09
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1月半ばに注文したベーレンライター社の新版フローベルガー全集第VI.1巻が先週ようやくsheetmusicplus.comから届きました。現物のページを繰ってみると、亭主がネットで得ていた情報を何ともいい加減に理解していたことがよく分かります。まず、この巻および対になった第VI.2巻は、2001年にキエフから戻ってきたベルリン・ジンクアカデミー(Sing-Akademie、SA)手稿の内容を世に出すための追加的な巻で、亭主が探していた標題のトンボーもたまたまそれに含まれていた、というわけです(ネット上に目次が詳しく出ていたので目についた、というだけのものでした)。それではSA手稿以前の版はどこにあるのだろう、ともう一度ベーレンライター社のカタログを調べたところ、実は第IV.1巻の目次にTombeau, in c, FbWV632とあるのがどうもそれらしいことが判明。ちなみに、亭主がゲットしたSA手稿版の作品番号はFbWV632aとなっており、小文字のa(alternativeの略?)が異本であることを示しています。ところで「異本」というと何だか後世の改作や写し間違いのように響きますが、原資料についての冒頭の解説記事を読んでいると、どうやらフローベルガー自身が作品を周辺の人々に書き与える度にそれぞれ異なるバージョンを作っていたフシがあるようで、どれもその時々の作曲家の意図を表している、と言う意味では「真作」というわけです。そういえば、最近どこかで聞いた似たような話として、リストの有名な「ラ・カンパネラ」も作曲家自身が何度か書き直しており、いくつか異なるバージョンが存在するとか。ところで、件の「ブランクロシュ氏のトンボー」がSA手稿でどうなっているかというと、音や拍、タイの結び方などの細かい相違に加え、後半最後のところに両手で弾く長調の長いトリルが挿入されています。(校訂者は後半の反復演奏の二回目にこれを弾き、初回は従来の版のように弾くこと可能性を欄外に示しています。)ちなみに、ボブ・アスペレンのCDフローベルガー・エディション第4巻ではこのSA手稿に基づくトンボーの演奏を聴くことが出来ます。(最初にこれを聴いた時は、アスペレンがアドリブで適当に挿入したものだとばかり思っていましたが、とんだ勘違いでした。)なお、解説記事で面白かったのが2006年にササビーズのオークションに現れた手稿にまつわる話で、これはフローベルガー自身の手になる「第4の手稿」(259ページもある)として大変貴重な資料らしく、ベーレンライター社が新版を用意するために2006年、2010年と2度もササビーズ社に問い合わせたにもかかわらず、出品者や落札者の情報を一切明かしてもらえなかったとのことで、現在もその詳細が不明とのこと。恐らく今の持ち主に堅く口止めされているのでしょう。ベーレンライター側は余程悔しい思いをしたと見えて、ササビーズ社がオークション用に用意したらしい手稿の一部分を撮影した写真(組曲20番やフェルナンドIII世のトンボーなどが映っている)を巻頭に掲載しています。それにしても、それほど貴重な資料を独り占めにしている意地悪なヤツは一体何者なんだろう、と亭主も義憤を感じることしばしです。
2014.03.02
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