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4月25日の夕べ、東京オペラシティ・コンサートホールで開催された表記演奏会に出かけました。といっても来日公演があることを知ったのは3月になってからで、舞台に近い席のチケットはとうに売れてしまったあと。しかも、カレンダーを眺めると演奏会当日はウィークデーの夕方です。19:00開演とはいえ亭主の居場所から新宿に向かうとなると仕事を早じまいして出かけなければ間に合わないタイミング。普通であれば躊躇なく諦めるところですが、前回の来日(このブログでもご紹介)以来既に3年が経ち、「生ジャルスキー様を拝められる機会もあと何回あるか分からない」と、迷った挙げ句一大決心。このコンサートのために万障繰り合わせることにし、(やや遅きに失したものの)何とかほどほどの席をゲットしました。というわけで、当日午後は年休を取り、東京で私用を済ませた後でオペラシティのホールで連れ合いと待ち合わせることに。ただし、このホールに出かけるのは初めてで、例によってお上りさんよろしく初台の駅を降りてからもキョロキョロしっぱなしです。到着後開演までに少し間があったので、初来場のコンサートホールをしげしげと観察してみると、一階席は緩やかな傾斜がついた縦長の空間に千席ほどの座席が配され、それを二層のバルコニー席がぐるりと囲む形で、座席総数は千六百ほどとか。亭主の席は一階の舞台から奥行き全体の三分の二位まで下がった位置でした。面白いのはホール天井で、ピラミッド型の最上部がガラス窓の明かり取りになっています。さて、今回の公演のお題は「ファリネッリ&ポルポラ vs カレスティーニ&ヘンデル」。プログラムの構成も凝っていて、ヘンデルが活躍していた英国での「国王派オペラと貴族オペラの対決」という18世紀音楽史上有名な「事件」を題材に、当時競い合った最高のカストラート、ファリネッリとカレスティーニがその美声を震わせたであろうアリアを前半と後半にそれぞれ2曲ずつ配し、聴衆は往時を偲びながらジャルスキーの声に浸る、という作りです。ジャルスキーのファンであればご存知のように、最近彼は同じヴェニス・バロック・オーケストラと組んでのアルバム「ポルポラによるファルネッリのためのアリア集」をリリースしており、このプログラム中でもその中から4曲が採り上げられています。チラシの図柄もライナーノートに収まったプロモーションピクチャから取られていて、ファンには既におなじみのもの。一方、相方のヘンデルのアリアについてはまだまとまった録音はなく、亭主にとってはこちらの方がむしろ新鮮です。と、ここまでジャルスキーのことばかり書きましたが、コンサートの冒頭、ヴェニス・バロック・オーケストラによるポルポラのオペラ「ジェルマーニコ」の序曲が始まるや否や、その目の覚めるような響きに今夜の主役がジャルスキーだけではないことを亭主は120%理解しました。マルコン&ヴェニス・バロック・オーケストラといえば、カルミニョーラとともにヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲を引っさげて登場し、その斬新で素晴らしい演奏が世界中に旋風を巻き起こしたことは記憶に鮮やかです。今回の来日ではマルコムは同行していないとのことでしたが、いずれにしても何というゴージャスな組み合わせなのだろう、と今頃になって感慨に耽ることしばし。というわけで、当日の演奏がどうであったかなど、ここで書くのもムダというものでしょう。ポルポラのアリアから入ったジャルスキー、前半は(特にフォルテの速いパッセージで)やや無理をしている風があったものの、曲が進むにつれて調子を上げ、後半ではその美声が全開です。『ポルフェーモ』の「Alto Giove(いと高きジョーヴェさま)」に至っては亭主も悶絶。(あとで自宅に帰ってCDを聞き直しましたが、当日の出来には及ばない感じでした。)この曲、実は3年前の来日公演でアンコールとして歌ったもので、今や彼のおハコと想像出来ます。一方、ヘンデルについても、前半を締め括った有名な『アルチーナ』からのアリア「Sta nell’Ircana(いるのはヒルカニアの)」をはじめ、どれもこれも秀逸で、もっと聴きたい!と思わせるもの。この思いを知ってか知らずか、ジャルスキー様はアンコールを2曲ともヘンデルの有名なアリアで締めてくれました。というわけで、何とも夢のような時間はあっという間に過ぎて行きました。 * * *ところで、日曜チェンバリストとして気がついたことを一点補足です。今回ヴェニス・バロック・オーケストラが用いていたハープシコード、音を聴いているとそのwirelyな感じがイタリアンなのですが、バルコニーからケースの形状を眺めてみると、高音部でイタリアンに特有なあの急峻なカーブがなく、どうやらフレミッシュ・タイプのようです。しかも、奥行きが異様に長く、通常よりもかなり長く太い弦が張られていることが想像出来ます。恐らく弦楽器アンサンブルの音響に負けないように、特注で製造された楽器なのかも、と勝手に想像していました。
2014.04.27
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今年はカール・フィリップ・エマニュエル・バッハ(1714-1788)の生誕三百年、ということで、クラッシック音楽界、特に彼と縁のあったヨーロッパの諸都市ではこれを記念したイベントがいろいろと計画されているようです。言わずと知れたJ.S.バッハの次男、「ベルリンのバッハ」、あるいは音楽理論書(教則本)「正しいクラヴィーア奏法への試論」の著者として、C.P.E.バッハの名前だけは亭主もよく知っていますが、彼の音楽作品についてはあまり馴染みがない、というのが正直なところ。J.S.バッハの陰に隠れて(特に日本では)目立たないとはいえ、亭主にとってエマニュエル・バッハはバロックからロココへの過渡期に活躍したスターとしてずっと気になる存在だったことも確かです。それが証拠に、亭主は十年ほどまえに鶴田美奈子さんのピアノ演奏による作品集2巻を購入。ただし、その当時は「あまりパッとしない音楽だなぁ」という印象しか持てず、そのままお蔵入りになっていました。そうこうしている折、このところご執心のフローベルガーのCDを探そうとオンラインショップで「アスペレン」で検索をかけたところ引っかかったのが標題にあるCDでした。このソナタ集では、いずれも6曲一組からなるプルシアン・ソナタ集(Wq.48)、およびビュルテンブルク・ソナタ集(Wq.49)が全曲収まっており、最後にオマケ(?)として「ハープシコード独奏のためのコンチェルト」(Wq.112)が入っています。(ちなみに収められた録音の日付を見ると1977-1979年とあり、Das Alte Werkシリーズ五十周年記念として2008年に再プレスされたもの。アスペレンがまだ三十歳代の若かりし頃の演奏を聴ける、という別の楽しみもあります。)18世紀の音楽家の例に漏れず、C.P.Eバッハは膨大な作品を残しており、鍵盤楽器の作品だけでも数百にのぼる(エルム番号で1-402番まで)と、CDを数枚聴いたぐらいでその音楽を語るのは大いに憚られる感じですが、アスペレンのハープシコードによる演奏は実に溌剌としており、楽器(Dulken-1745年モデルの複製)の音も明るく申し分ありません。これを聴くと以前ピアノによる演奏がイマイチと感じられたわけが直ちに了解されます。というのも、エマニュエル・バッハの書法はちょうどスカルラッティとハイドンの中間に位置するような感じで、(少なくとも亭主が耳にした作品から判断する限り)現代ピアノで弾くとどうしても地味に感じられてしまいます。その点、アスペレンはデュルケンのレジスターを駆使して多彩な響きを出しており、飽きることがありません。アスペレンは、プルシアン・ソナタ集を紹介するライナーノートの冒頭で、彼がハイドンやモーツァルト、さらにはベートーベンすらも師と仰いだ大音楽家であるにもかかわらず、一方で「あらゆる様式の達人」(C.バーニー)というその(俗にいう)器用さゆえにどのようなレッテルにもなじまず、後の世代が彼を正しく評価出来なかったと指摘しています。父バッハも同時代のあらゆる様式の熱心な勉強家であった点はよく似ています(やはり血は争えないようで…)が、エマニュエル・バッハについてはC.バーニーも「その音楽が同時代人の耳を遥かに追い越してしまった」と評しています。亭主はアスペレンの演奏を聴きながら、多分エマニュエル・バッハの先進性はその作品をハープシコードで再現することでより明確に見えてくるのではないか、などと妄想しはじめました。 * * *[sheetmusicplusで品切れだったベーレンライター版のフローベルガー全集III.2巻、大阪のササヤ書店で注文したところ、あっという間に入手出来ました(Kuroneko at nightで到着)。昨今の円安もあってか、お値段もこちらで購入する方が(消費税を考えても)安価です。]
2014.04.20
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ベーレンライター版のフローベルガー作品全集I〜IV巻をsheetmusicplusに頼んでいたところ、ひと月余り経ってようやく届きました。ただし、同梱されていた発送リストをよく眺めてみると、III.2巻は欠品になっています。この巻に収まっているのはPartita FbWV615から625aまで、つまりアドラー番号で組曲第XV番〜第XXV番(とその異本)に対応する作品で、亭主が好きな第XX番の組曲(冒頭にあの「Mement mori Froberger--将来の自らの死について瞑想」という標題を持つアルマンドが置かれた作品)も含まれていて、今回手に入らなかったのは残念ですがまあ仕方ありません。ところでこのところ亭主は組曲第XII番にハマっていて、今週末もこればかり弾いていました。この作品も冒頭に「ローマ皇帝フェルディナンド4世の悲しき死に捧げる哀歌」(Lamento sopra la dolorosa perdita della Real Maestà di Ferdinando IV Rè de Romani)という標題のアルマンド風舞曲を持ち、二三回聴くと耳から離れなくなる感じです。この作品、フローベルガーの自筆譜として残されているLibro Quatroに収められている6つの組曲(Partita)の最後の作品にあたり、ベーレンライター版では第II巻に収録されています。この譜面をアドラーの校訂譜と比べてみると、小節線の数が半分になっていて、どうやら二分音符を1拍と数えているようで、これは他の作品でも共通する違いになっています。もうひとつ、アドラーと違うのはラメントに引き続く舞曲の順番で、アドラー版ではクーラント、サラバンド、ジーグという順になっているのに対し、ベーレンライター版のそれはジーグ、クーラント、サラバンドとなっています。ランペが恣意的に順番を変えたということでなければ、これがフローベルガーの意図した順番、ということになります。ちなみに、これに気付いてアスペレンの演奏を入れたCDの曲リストを眺めると、この作品も含めvol.1 “Le Passage du Rhin”に収まった他の組曲(XXVII番、XIII番、XXIX番、XIV番、XXX番、XX番)のすべてについて、舞曲の順番はアルマンドの次にジーグ、そしてクーラント、サラバンドとなっています。肝心のIII.2巻がないので今は確かめられませんが、アスペレンが舞曲の順番についてオリジナルな意図を反映した演奏をしているとすると、フローベルガーはどうやら当時フランスで確立していたらしい順番とは異なる舞曲の並べ方を常用していた、ということが想像されます。それにしても、このところずっと「フローベルガーの森」をさまよい、彼の作品を聴いたり弾いたりしているうちに、亭主も完全にその音響世界に洗脳されてしまった感じです。組曲第XII番は冒頭のラメントだけでなく、引き続くジーグ、クーラント、サラバンドもすばらしく「フローベルガー風」で、この順番も含め実に完成された美しさがあります。センペが言うところの「巨大な共鳴楽器」としてのハープシコードを「響かせる」ということにおいて、フローベルガーの作品はルイ・クープランのそれと双璧をなす偉大なレパートリーだと感じる今日この頃です。
2014.04.13
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ボブ・ファン・アスペレンの演奏によるCD「フローベルガー・エディション」(AEOLUS)は全7巻からなるようで、そのうち前半の第1〜4巻は「組曲」と称されるものをハープシコードで演奏したものが、一方後半の第5〜7巻はファンタジア、カンツォーナ、トッカータ、リチェルカーレ、カプリッチョといった単楽章の作品群をオルガンで演奏したものが収録されています。 前半の組曲を一通り堪能ところで、今度は後半もと思い立ってCDを手配しようとしましたが、HMVでは第7巻しか扱っていない様子で、とりあえずこの一巻をゲットして聴き始めました。 第7巻のタイトルは「カプリッチョ」。そういえば先日ラジオでカプリッチョというお題の由来を解説していましたが、もともとはイタリア語で動物のヤギを意味するCapraから来ているようで、ヤギが飛び跳ねる様子(英語でもcaper=飛び跳ねるの意)から「気まぐれな」という形容詞が生まれ、音楽ジャンルのお題として即興性に主眼を置いた曲、となったようです。 というわけで、カプリッチョというと亭主も含めて現代人は何だかジャズのソロセッションのような音楽をイメージしてしまいますが、フローベルガーのそれを一言で形容すれば「フーガ変奏曲」。最初に単旋律でフーガの主題が提示され、対位法的な展開が一通り済んだところで、長い持続音を合図にテンポや拍子をガラリと変えた次のフーガへと移って行きます。このような変奏がいくつか繋がって最後に終止形のパッセージで終わる、というのが定型のようです。 アスペレンの演奏は、緩急のメリハリがある上に、オルガンの数あるストップを駆使して楽器の持つ多彩な響きを効果的に使っています。オルガンの音も実に素晴らしく、ライナーノートを調べてみると、ブレーメンの北西、オランダとの国境に近い小都ノルデンの聖ルドゲリ教会にあるアルプ・シュニットガー製の大オルガンを使用してのものとあります。シュニットガーは伝説的な北ドイツのオルガン製作者で、このオルガン(1686/87-1691/92)は彼の作品としては2番目に大きい楽器。1981-1985年にかけてあのユルゲン・アーレント(亭主のご近所さんである「バッハの森」にあるオルガンの製作者)が大規模な修復を施し、46あるストップ数のうち壊れていた25のそれを復活させたとか。久しぶりにオルガンの音で耳の保養をさせてもらいました。 ところで、最近になってようやくフローベルガー作品番号(FbWV)の意味とそれ以前の番号制の対応が分かったのでメモっておきます。詳しくは以下のサイトをご覧下さい。http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_compositions_by_Johann_Jakob_Frobergerこのサイトの記事からわかるように、ベーレンライター版の校訂者であるジークバート・ランペは、新たにFbWV番号を導入する際にグイド・アドラーが彼の校訂譜に付けた番号2桁はそのまま保持し、作品の種類を表す番号を100の桁に割り振ることで「拡張性」を持たせた番号システムを作りました。具体的にはトッカータ:100番台ファンタジア:200番台カンツォーナ:300番台リチェルカーレ:400番台カプリッチョ:500番台組曲およびその楽章:600番台となっています。これだと「空き番号」が沢山あるので、後に「新発見」の作品が出てきても容易に対応出来るというわけです。 アスペレンのフローベルガー・エディションCDでは、基本的にアドラーによる作品番号が録音トラックのタイトルとして使われており、古いアドラーの楽譜(IMSLPにて入手可)を眺めている分には困らないのですが、ベーレンライター版を参照しようとした途端、どの曲がどの楽譜に対応しているのかをデコードする必要があります。とはいえ上記の対応関係は実に単純で、例えばカプリッチョIII番は500の下二桁をアドラーの番号=03(なぜかいつもローマ数字なのでアラビア数字に直さなければなりませんが)にしてFbWV503の譜面を探せばよい、ということになります。 ちなみに、ベーレンライター版は自筆譜>筆写譜>その他の資料、という優先順に巻号を並べて出版しており、第I巻はLibro Second (1649)、第II巻はLibro Quatro (1656)とLibro di capricci e ricercate (ca. 1658、以上が自筆譜)、第III巻以降は様々な手稿譜、さらには同時代の印刷譜から異本も含めて作品を収録しています。 また、謎だったベーレンライター版の目次にある「Partita」とは、何のことはない「組曲」に(ほぼ)対応したものであることも上記の対応表から直ちに了解されます。第I巻Libro Secondの最後にはPartitaとしてFbWV601-606が収録されていますが、これはアドラー版の組曲第I番-第VI番に対応しており、最後の第VI番が「マイエリン組曲」となっています。また、同じ第I巻にはトッカータ(100番台)、ファンタジア(200番台)、カンツォン(300番台)が6曲ずつ収まっています。つまり、FbWV番号の大小は時代順でもないし、ベーレンライター版の巻号の順でもない、というわけです。(亭主も音楽趣味を長年やっていますが、こういう作品番号体系は初めて見ました。(*o*)
2014.04.06
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