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竹橋の国立近代美術館で開かれている表記展覧会に足を運びました。会期末が近づいていることに加え、最近某テレビ番組で紹介されたこともあり、日本画の展覧会とは思えないほどの大入りです。菱田春草といえば、岡倉天心門下の横山大観とともに、今日では明治期の日本画を代表する画家とみなされています。長命で生前に高く評価されるようになった大観に比べ、わずか37年弱の短い生涯だった春草ですが、その20年に満たない活動期間に数多くの名作・佳作を残し、日本画に新風を吹き込んだ夭折の天才として亭主にとっても若い頃からのアイドルの一人です。亭主の書棚には、1987年の初頭に新宿・小田急百貨店で開催された春草展のカタログが、今は絶版の画集(中央公論社、1979年)とともに並んでいます。このときの展覧会は、特に春草の若い頃の未公開(当時)作品25点を含む90点余りを展示した大回顧展で、六曲一双の屏風「落葉」(福井県立美術館蔵の方)などに見入ったことをおぼろげながら思い起こすことができます。今回の回顧展は、30有余年前のそれに比べて代表作と呼ばれる作品を網羅したものになっているのが特徴で、「王昭君」、「賢首菩薩」、「落葉」、「黒き猫」の重文4点をはじめ、画集を飾るような著名な作品がずらりと並んでいます。(ただし、10月13日を境に作品の入れ替えが行われており、永青文庫所蔵の「落葉」は残念ながら拝めませんでした。)亭主は久しぶりに春草の軸を眺めながら、ターナー等の水彩画を思い起こしていました。輪郭線を排し、色と色の境目で形を表す表現法は当時「朦朧体」と皮肉られたようですが、これは水彩画の技法としてはごく標準的なもののひとつです。画題も花鳥風月的なものが多く、まさに水彩画のそれと大きく重なっているように見えます。最近の研究の成果として、春草が西洋絵の具を使っていたことや、色彩論に基づく補色の関係を意図的に用いていたらしいことも展示の解説で強調されていましたが、亭主は「当時の日本画ではそれほど顔料の種類が限られていたのか?」と逆に疑問を感じてしまいました。後期の展示では、「落葉」に代わって「黒き猫」が展示されていました。今回の展示では猫を描いた作品が数多く展示されていましたが、亭主から見てもこの黒猫さんがもっともチャーミングで、当時大変好評を博したという挿話にも頷けます。1987年の展覧会のカタログでは、春草の長男、菱田春夫氏が「父の思い出」という一文を寄せており、その中でこの「黒き猫」の製作に関わる逸話が書かれているのでここで引用しておきます。…この黒猫のときも特別の写生はしませんでしたが、近所の焼きいも屋に大きな黒猫がいたのを借りて来て、じっと見入っておりました。借りて来ても借りて来ても、逃げて行かれるのには弱りましたが、借りに行く役はいつも私でした。春夫氏は当時8歳。翌年に他界した父の記憶はそれほど残っていないとのことですが、その頃移り住んだ代々木はまだ人家もまばらでいたるところに雑木林やすすきの原があったこと、明治神宮近くの御領地までよく散歩しながらこれらの風景を眺めているうちに例の「落葉」といった作品の着想を得たのだろうといったことが綴られています。
2014.10.26
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このところグッドールの音楽史を読んでいて「我が意を得たり」と膝を打つことが多いのですが、特に映画音楽を扱ったところが面白かったので、ここで少しご紹介しましょう。時は「大衆の時代 I(The Popular Age I)1918-1945年」。ヨーロッパが2度目の大戦を経験する間の話です。この時代、ストラビンスキーのみならず、ドビュッシー(「遊戯」)、ラヴェル(「ダフニスとクロエ」、「ボレロ」)、あるいはコープランド(「アパラチアの春」)といった面々の作品を考えただけでも、バレエ音楽がクラッシック音楽に果たした役割の大きさは計り知れないものがありますが、それと双璧をなすのが映画音楽だそうです。(pp.291-292, 以下亭主訳による)プロコフエフと同郷ロシアの映画監督セルゲイ・エイゼンシュタインの画期的な協力による1938年の映画「アレクサンダー・ネフスキー」以降、大規模なオーケストラ音楽が映画をより興奮させ、より恐ろしく、あるいはより感情的なものにするための強力な道具になるであろうことは明らかであった。今日ではクラッシックのコンサートホールにまず足を運ばないような数百万の人びとが、映画音楽のシンフォニックな響きに興奮するわけだが、それらはしばしばクラッシック・オーケストラ音楽の様式と技巧に全面的に依拠したものである。もし誰かが21世紀にクラッシック音楽は死んだ、と語るなら、それは単に当人が映画を見ない、ということに過ぎない。 ヨーロッパの作曲家達がナチズムから逃れていった1930年代、彼らは映画で生計を立てることを望んで最終的にハリウッドに落ち着くことが多かったが、そのような機会は自身が移民、あるいは移民の子供である映画監督、制作者、台本作家といった人たちが喜んで提供するものでもあった。エリック・コルンゴルドをはじめ何人かは熟練と真剣さを持ってこのように新しい、また大衆的な役割に熱狂的に飛び込み、映画音楽の活動領域や潜在力を広げていった。… しかしながら本当のところ、1940年代から1990年代にかけての映画音楽作家は、コンサートホールのそれとは異なるタイプに属する傾向を示した。映画に目を向けるクラッシック作曲家はまれで、多くはそれに対して単に金銭目当てのものとして疑いの目を向け、あるいは見下した態度を取った。過去半世紀の間に書かれた最高の純粋交響楽的な音楽が映画のためであったことを考えれば、このような批判は今から見るといかにも浅薄である。… グッドールはここでヒッチコックの「めまい」や「サイコ」に付けられたバーナード・ハーマンの音楽から始まって、ミクローシュ・ローザ(「白い恐怖」)、エンニオ・モリコーネ(「ミッション」)、ジョン・バリー(「ゴールドフィンガー」)、モーリス・ジャール(「アラビアのロレンス」)、ディミトリ・ティオムキン(「真昼の決闘」)、ダニー・エルフマン(「バットマン」)、ジェリー・ゴールドスミス(「チャイナタウン」)、トーマス・ニューマン(「アメリカン・ビューティー」)、ダリオ・マリアネッリ(「つぐない」)、そしてジョン・ウィリアムス(「シンドラーのリスト」)といった作曲家達(括弧内は彼らが音楽を付けた映画の邦題)を枚挙して、これがいわば氷山の一角に過ぎないことを強調するとともに、これら映画のムードやテーマをたちどころに思い起こされる音楽が過去半世紀の文化的共有財産であると言える一方、第2次大戦後の文化活動でこのように明言できるものが他にいくつあるだろうか、と疑義を呈しています。 思い起こせば、日本のクラッシック音楽界でも、武満徹や伊福部昭といったまともな音楽家は映画音楽をナメたりはしなかったようですから、映画音楽に対するスタンスは音楽家を見分けるひとつの物差しになるのかも知れません。 グッドールも皮肉を込めて語っていますが、それを理解するために博士号を必要とするような少数の専門家のための「現代」音楽、「聴衆を考えるような音楽は不真面目だ」と明言するような音楽家による創作活動が、単なる自己満足ではないかという批判にどこまで耐えられるものか、ひとごととはいえ同情を禁じ得ないところです。 これを書きながら、亭主は久しぶりにCD棚の片隅に眠っていたコープランドの交響曲第3番(第4楽章に有名な「市民のためのファンファーレ」が織り込まれている)を取り出し、バーンスタイン指揮、ニューヨークフィルによる素晴らしい名演奏に耳を傾けながら、「クラッシック音楽」は一体どこへ向かっているのだろう、と小さな感慨に耽っていました。
2014.10.19
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一昨日手書きで起こしたマラン・マレの表記作品のセンペ編曲によるハープシコード独奏曲を、昨日の休みを利用してMusicScoreというフリーの楽譜ソフトでデジタルデータに落し込んでみました。 このソフト、Pro版もあるようですがフリー版でも結構使えます。(亭主が使ったのはMac用のバージョン1.3。全く初めての体験でしたが、30分ぐらいつかうと大体のことはできるようになりました。) 以下は参考画像ですが、解像度のよいものを未音亭ホームページ、cover story「スキップ・センペ」のページの末尾にアップしましたので、ご興味のある方はそちらをご参照下さい。
2014.10.14
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ルイ・クープランのハープシコード作品では、プレリュード、アルマンド、クーラント、サラバンド等、舞曲のジャンル毎にまとめられた「楽曲帳」から適当なものを選び、「my組曲」を作って演奏するという楽しみがあります。 とはいえ、しばらく前にスキップ・センペの構成・演奏によるルイ・クープランの「組曲」を気に入った亭主は、そこで取り上げられている舞曲すべてを自分で弾いて楽しめる状態にするべく譜面集めを行い、ほぼ全曲を手に入れたのですが、唯一アクセス不能だったのがマラン・マレのヴィオール曲集からの一曲、プレリュードLe Soligniです。 調べてみると、これはマレのヴィオール曲集第5巻の冒頭に収まっているものですが、そもそもこの曲はヴィオールと通奏低音のための作品なので、たぶんセンペ自らがハープシコード独奏用にアレンジしたものでしょう。いずれにせよ、ネットで探した限りでは校訂出版譜としては流通していない(IMSLPにも見当たらない)ので、Fuzeau社から出ているファクシミリ版をゲット。 楽譜は当然のことながらヴィオールパートと通奏低音の2冊に分かれており、これの両方を譜面台に置いて弾くのはどう見ても無理そうです。しかも、上声部旋律を担うヴィオールの譜面は例によってハ音記号で書かれているので、ト音記号しか受け付けない亭主にはとてもそのままでは弾ける代物ではありません。 というわけで、納戸にしまい込んであった五線譜を引っ張り出し、ファクシミリ版から写譜をすることに。(五線譜に音符を書くなどというのはン十年ぶりです。)曲自体は全体で二十数小節と短く、ヴィオールパートを(ト音記号の)譜面として書き写すところまでは難なく終了。 とはいえ、問題は通奏低音のパートです。亭主も「数字付きバス」がどういうものかは頭では理解しているつもりでしたが、実際に譜面上にあるものを和音に展開するなどというのはもちろん生まれてこの方やったことがありません。 そこで、橋本英二先生の「バロックから初期古典派までの音楽の奏法」を引っ張り出し、その解説を参考にしながら適当に和音にしてみるのですが、どうもセンペが弾いているものと違って聞こえます。(センペは装飾音のみならず、独自にいろいろと音を足して弾くので益々こんがらがります。) 仕方がないので、最後の手段とばかり、iPodを片手にハープシコードの前に坐り、イヤホンから流れるセンペの演奏を耳で追いながらキーを押して音を探るという原始的な方法で音符に落すことを試みました。とはいえ、同時にいくつも鳴る音を聞き分けることはそう簡単ではなく、しばしば立ち往生です。 それでもiPodの演奏を途中で何度も止めて繰り返し聴きながら悪戦苦闘すること数時間、まあなんとかそれらしく音になる譜面(バージョン1)をでっち上げました。明日はセンペ様の演奏を聴きながら、もう少しそれらしく響くように譜面をブラッシュアップです。
2014.10.12
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亭主は今週初めから仕事でバンクーバーに滞在中。成田からの機中、座席前のスクリーンで航路のモニターを眺めていると、離陸後しばらくは何だか不自然に東南東へと飛行し、それからくるりと向きを変えてバンクーバーへの大圏航路を取っていました。どうやら偏西風に乗ってくる御嶽山の噴煙を避ける措置のようです。さて、このところ移動の車中や機上での楽しみは、H. GoodallのThe Story of Musicを読みふけることです。往路の機上では第6章「The Age of Rebellion(反逆の時代),1890-1918」に入りました。登場するのはサンサーンス、フランクといったフランスの作曲家達から始まって、ドイツのマーラー、リヒャルト・シュトラウス、そしてシェーンベルク一派と来ますが、グッドールに言われるまでもなく、この時代はやはりロシアの作曲家の存在感が際立っています。これは日本における西洋音楽受容にも現れているようで、例えば亭主の中学・高校時代には、学校の音楽の時間に西洋音楽鑑賞の教材としてベートーベンの田園交響曲と並んでムソルグスキーの「禿げ山の一夜」が教科書に取り上げられていました。また中学時代には、亭主がピアノを習っていることを知った同級生の一人が、独学のピアノでひたすらその曲だけを練習したという「展覧会の絵」を聞かせてくれました。亭主から見ると、彼の指使いや手の動きは明らかに自己流のぎこちないものでしたが、とにかく無手勝流の彼にそれほどまでに強烈な練習の動機を与えたムソルグスキーの音楽のインパクトの凄さを示すエピソードとして今でも鮮明に思い出します。ちなみに、ストラビンスキーの「春の祭典」は例によってこの時代の特筆されるべきイベントとして紹介されていますが、初演時の騒動についてはどうやらそれが音楽というよりはディアギレフの超斬新なバレエに対する賛否両論から巻き起こったもののように書かれているのが印象に残りました。ところで、大衆が演奏会でこのような最先端の同時代音楽に耳を傾ける、という芸術音楽の受容スタイル(当時は他に選択肢がなかった?)が変化し、昔の音楽が「クラッシック(古典)」として繰り返し演奏されるようになる原因もこのころにビルトインされます。これは言うまでもなく蓄音機の発明を指しますが、グッドール先生によると、蓄音機の最初の発明者は米国のエジソン(1877年)ではなく、フランス人のスコット・デ・マルタンビユScott de Martinvilleという人だそうです。彼が1857年に考案したフォノトグラフPhonautographという装置は、音声を針の振動に変換し、すすを塗った紙の円筒に記録するものでした(昔の地震計のようなもの)。もちろんエジソンのそれと違い、当時は記録した波形を音に再生する手段がないという致命的な欠陥を抱えていましたが、最近(2008年)になって、彼の装置とともにフランスアカデミーに保存されていた録音記録(1860年4月9日の日付)がデジタルスキャンにかけられ、「人類最古の録音」として見事に再生されたとのこと。この有名なフランス民謡「月の光に(Au clair de la lune)」を歌った10秒ほどの録音、今ではネット上でもYouTubeなどで聞くことができます。(たとえばこちら。ちょっと分かりにくいですが、エジソンの「メリーさんの羊」のような歌詞の読み上げではなく、ドドドレミーレー、ドミレレドーというメロディーがほのかに聞こえます…)
2014.10.05
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