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曲について。メーンは生誕100年記念の札幌ゆかりの作曲家、早坂文雄の交響組曲「ユーカラ」。全曲演奏は札響はもちろん、北海道でも初めてではないだろうか。没後50年(2005年)には演奏されなかったから、次に演奏されるのは没後100年(2055年)だろうか。それまで生きている自信がなかったので聴いておくことにした。この曲はしばらくの間、アマチュアオーケストラの録音しかなかった。プロ・オーケストラの録音が現れたのはバブルの頃だったように記憶している。武満徹が初演を聴いて「早坂さんの遺書のようだ」と泣いたというエピソードからうかがえるこの曲の真価を、それらの録音からは聴き取ることができなかった。予習はした。山田一雄指揮日本フィルによる録音を5回きいた。しかし、この曲のすごさは実演できくまで全くといっていいほどわからなかった。この音楽には甘い音符、不必要な音が一つもない。聞き手に媚びた音、迎合した音符もない。これはすごいことで、ベートーヴェンやモーツァルトでさえ、そうした音は探せばいくらでもある。作曲者の死の年の作曲、そして初演が、武満徹を初めとする日本の当時の前衛作曲家に与えた衝撃と影響は今からは想像もできないほど大きかったにちがいない。芸術とは何か、どうあるべきかを、この6曲からなる壮絶かつ独創的な、孤高のうつくしさに満ちた音楽から教えられた気がする。オーケストラの全奏の部分がほとんどない、楽器やパートの独立した使い方がユニークだ。音楽とそれにふさわしい楽器構成が選び抜かれている。とはいえ、楽器フェチズムにも陥っていない。日本の作曲家はフルートやピッコロを尺八や祭囃子の笛の代用のように扱うことが多いが、むしろそれとは反対の、民俗性をできるだけ打ち消すような使い方が興味深い。何しろ、やや調性を感じさせる無調の音楽なのだが、類似の音楽が全くないほど独創的なのだ。ストラヴィンスキーが「春の祭典」で拓いた世界がいちばん近いが、あれは無調を装った調性音楽に過ぎない。早坂文雄は、この曲において「春の祭典」をはるかに超える音楽に到達している。41歳の死は早すぎた。あと何年か生きたなら、ショスタコーヴィチやバルトークと並び称される存在になっていたにちがいない。前半のジョン・ウィリアムズ「スター・ウォーズ組曲」は、これに比べると冗談のようなものにすぎない。早坂作品とは全てが真逆で、聞き手に媚びた音、迎合したフレーズのオンパレード。不必要なほど音が多く、うるさい。これはあくまで映像がなくては価値を保てないよくある映画音楽の中の最上のものにすぎない。こんな音楽を定期演奏会(ブラスバンドの小児向け野外演奏会ではなく)で指揮する指揮者など、軽蔑の対象でしかない。演奏について。札響の、特にバイオリンセクションのサウンドの硬さ、響きの乏しさは日本のオーケストラの短所の典型だ。かつての札響はこうではなかったが、尾高音楽監督の時代にすっかりそれが定着してしまった。このセクションは女性がほとんどだが、それがこうしたサウンドの原因の一つ。なぜなら、ビオラ以下の男性が多いセクションは音量が大きくなっても硬い響きにはならないからだ。下野竜也の指揮は明快かつ率直で、オーケストラは演奏しやすいのではと思う。エキセントリックなところも皆無で、世界的に見ても優秀な指揮者のひとりに数えられるだろう。しかし、1969年生まれの彼ももう40代なかば。小澤征爾はその年齢ですでに世界的なポジションを獲得していた。下野竜也は、指揮技法的、そして音楽的に小澤征爾とそれほど遜色のない才能を感じる。それではなぜ、小澤のようなポジションを得られないのか。「スター・ウォーズ組曲」を早坂文雄作品と並べて演奏するような音楽的見識のなさ、あるいは野心のなさのためではないか。「日米映画作曲家の対決」というチラシのキャッチには呆れたが、それならジョン・ウィリアムズの純オーケストラ音楽を対置すべきだったし、「映画音楽も作曲しその音楽に由来する名曲をのこした作曲家」は、ショスタコーヴィチからオネゲル、武満徹まで枚挙にいとまがない。下野竜也のプログラミングには瞠目させられることが多い。しかし、そろそろ世界ナンバーワンの曲でブレイクしないと音楽業界の使い捨て部品で終わる。
August 30, 2014
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札幌出身で東京在住のピアニストの、札幌では6回目というリサイタル。近くの音楽資料室がCDの貸し出しを始めたのをきっかけに、自分の音楽的教養の「空白」をチェックしてみようという気になった。そこで気がついたのはピアノ音楽に関する無知だった。ピアノやオルガンは12平均率の汚い響きがイヤで避けてきた。それでも、近代フランスやスペイン、現代のピアノ曲には関心を持ってきた。しかし、ピアノ音楽の新旧の聖書にたとえられるバッハの平均率ピアノ曲集とベートーヴェンのピアノソナタ全32曲は、実演ではほとんど聴いたことがない。ベートーヴェンのピアノソナタと弦楽四重奏曲を実演で聴いたことがない、というのは文学でいえばトルストイの「戦争と平和」やドストエフスキーの「罪と罰」、映画でいえば「尼僧物語」や「市民ケーン」を経験していないというのと同じくらい人間として恥ずかしいことではないか。そんなふうに考えていたところに出会ったコンサート。前半はベートーヴェンのピアノソナタ第15番「田園」と17番「テンペスト」。どちらも中期の作品だが、聴きながら思ったのは、現代のピアノ作品で、これらの作品より実験的・革新的精神のある作品があるだろうか、ということ。「田園」の出だしのテーマにせよ、「テンペスト」の冒頭楽章の分散和音にせよ、冒険的ともいえる新鮮な精神を感じる。これまでそういう印象を持ったことがなかったのは、まるでショパンを演奏するみたいな情緒過多、表情過多の演奏にばかり出会ってきたためだろうと思う。その点、このピアニストの演奏は、華美に走ることがなく、ミスタッチが気にならないしっかりした造型が感じられる。歌心にも不足がなく、その点では「田園」が最もキャラクターに合っていた。ソリスティックというよりはひとり室内楽のような演奏。こうした演奏で全32曲を聴けたら、たくさんの発見がありそうだ。後半はシューベルトのソナタ第17番。長大な曲が気負いなく演奏されていたが、シューベルトの音楽、特にピアノ曲は、ミニマル・ミュージックを演奏するような態度でのぞむといいと思う。その点では、全体に音量を控えて、メロディラインも強調せず、淡色な演奏にした方が格段と気品が上がるのではないだろうかと思いながら聴いた。そういう演奏の方が、シューベルトの音楽の東欧的な要素が際立つと思うからだ。このピアニストのキャラクターにはヤナーチェクが合いそうだ、と思っていたら、有名な「楽興の時」に続くアンコールに「草陰の小径から」の1曲(キタラ小ホール)。10月3日に杉並公会堂で同内容の東京公演がある。。
August 27, 2014
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ドキュメンタリー映画は、その対象となる興味深い人物を見つけることさえできれば、ほぼ成功だ。その点でこの人物=ホームレス理事長を見つけた時点であらかじめ成功を約束されたといえる。愛知県に「高校を中退した元球児たちに野球と教育の場を与え、人生の再チャレンジを支援する」ことを目的としたNPOがある。そのNPOの理事長と生徒や教師たちを追いかけた作品。東海テレビが制作したが、あまりの内容に(ビンタ、闇金融からカネを借りるシーンなどが問題になったのだろう)フジテレビが放送を拒否したという。こんな人がいた、という驚きには「立候補」「田中さんはラジオ体操をしない」「私を生きる」「世界一売れないミュージシャン」「ニッポンの嘘」などのドキュメンタリーを観てかなり免疫ができたつもりでいた。しかし、この理事長の「自分の夢を信じそれに賭ける」信念の強さというかアホさは驚きを通り越して痛快だった。この世の中に、こんなふうに地べたを這い回って理想をおいかけている人がまだいるのだというと思うと、まんざら捨てたものではないと思えてくる。この映画ではじめて知ったのは6万人の高校球児のうち9千人が毎年中途退部し退学する者も多いという現実。挫折し自分の人生と折り合いのつけられない元球児たちを「指導」するのは、やはりいろいろな理由で「挫折」した元教師たち。野球指導その他はなかなかいいが、やはり挫折しただけあって野球の方はさっぱりダメな元球児たちの「ルーキーズ」は惨敗続き。スポ根要素がゼロではないが、勝つためではなく好きだから野球をやる、という潔さがすがすがしい。映画の撮り始めのころと最後の方では、性格が明るく前向きになった「再生」した「元問題児」を見ることができる。引きこもりや犯罪に走る子どもを持つ親は必見の映画。その点ではこのNPOは問題があっても設立の目的を果たしているといえる。ところが、この理事長は運営力に欠け、金策に歩くばかり。アパートを引き払い、クルマやネットカフェで生活し、果ては映画の撮影班にカネの無心までする。この、理事長が男泣きに泣き、土下座して資金の融通を頼むシーンは迫真。この理事長の純情さに打たれない人はいないだろう。ここまで無私の心で生きている人がいるというのは救いであり、他の理事や親たちから信頼される理由だと思う。ただ、闇金からカネを借りるシーンなどはネタといえるかもしれない。そんなにカネに困っているならタバコや買い食いをやめろとか、高級車をやめてワンボックスカーにしろとか、つっこみどころも多いのはご愛敬。社会運動の経験のある人は、この理事長と同じような、体よく追い払われたり、冷たくシャットアウトされたりといった経験をしたことがあるはずだ。世の中のほとんどの人は、大災害や戦争でも起こらない限り、自分とその周辺30メートルの世界にしか関心がない。そういった世間に負けて多くの人が社会運動から去っていく。しかし、学ぶべきはこの理事長のような徹底性だ。虚仮の一念が岩をも動かすのだ。計算高い人間、アタマのいい人間にはこのことがわからない。そうして社会に負け、自分に負ける。その行きつく先は自分と国家との同一化である。山田豪というこの理事長の名は強烈に焼き付けられた。
August 22, 2014
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原題はOh Boy。2012年のドイツ映画。日本語タイトルは珍しく秀逸だ。90分にも満たない短めの作品。しかし「ドイツ映画界に救世主があらわれた」と若い監督は絶賛されたらしい。大学を中退してブラブラしている若者ニコの24時間を描いている。コーヒーを飲みそこねたのがケチのつき始めで、ATMにカードが飲み込まれ、運転免許の更新は拒否され、偶然再会したクラスメートの女の理不尽なヒステリーに翻弄される。地下鉄では無賃乗車の疑いをかけられ、父親には大学中退がバレて援助を打ち切られる。彼と関わるのも、かろうじて社会にとどまっているといった感じの個性的すぎる人々。最後のシーンもコーヒー。マシンは故障してとうとうニコはコーヒーを飲むことができずに終わる。このあたりでは、「コーヒー」をしかけに使った監督の意図が読めるので、笑う余裕も出てくる。たったこれだけの、しかもモノクロの映画なのに、ドイツで絶賛されたのはよくわかる。登場人物すべてに強い存在感があるし、構成も巧みでムダがない。たしかにニコの24時間を描いた映画だが、人の人生をある局面で切り取ればこういうことはよくある。若者特有の優柔不断がそれに拍車をかけることを体験的に知っていれば、二重に身にしみる。ベルリンには数日しか滞在したことがないが、観光名所がまったく出てこないのもいい。住宅街や路地裏のバー、アングラ劇場、さえないゴルフ場といった、これこそがベルリンらしいベルリンといった情景に触れられる。ドイツ一の、殺伐とした大都市にもかかわらずゆったりした時間の流れには無国籍的な安らぎを感じる。ふと立ち寄ったバーで、子どものころにユダヤ人街の襲撃に加わった老人からその話を問わず語りに聞くシーンがあるが、現在のベルリンが横に広がる地理的空間だけでなく、時間の縦軸の一地点として存在していることを鮮烈に、しかもさりげなくつきだす手腕はあざやかだ。欠点を言えば、ニコの親友とその友だち、父親、バーの老人役の俳優の演技が上手すぎる点だろうか。そういう人たちの演技に接するたび、「これは映画なのだ」という現実に引き戻されてしまう。この映画の価値のわからない人は、そもそも映画とか芸術には無縁なので、人物査定につかえる。次作もそういう作品になるだろう。ヤン・オーレ・ゲルスターという若手監督の名は記憶する価値がある。
August 19, 2014
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アメリカで黒人暴動が多発している。あたりまえだ。アメリカ経済にひところの勢いはない。当然、弱者にしわよせがいく。短期間でもアメリカに滞在したことがある人間は、よほど鈍感でない限り、アメリカが強烈な人種差別国家であることを知っているだろう、というよりアメリカ白人のほとんどが人種差別主義者なのを肌身で感じたことがあるはずだ。一方、アメリカの警官はフランスの警官より銃使用に慎重だったが、ここへ来て大きく変わってきているようだ。イラク戦争後に使われなくなった武器や装備が軍隊から警察に払い下げられて武装も高度化している。武装が高度化すれば、国家の暴力装置たる警察は国民に対して居丈高になる。この映画は、サンフランシスコ近郊の地下鉄駅で起きた白人警官による黒人男性の射殺事件(2009年)を、事実にほぼ忠実に再現したもの。実際の現場を乗客が撮影した動画が冒頭その他で流される。2008年の大みそか。つましく暮らす黒人青年オスカー・グラントは、母の誕生日を祝ったあと仲間と年越しの花火大会に行く。地下鉄車内での乱闘騒ぎに巻き込まれた彼らはフルートベール駅で警察官に取り押さえられる。無抵抗で丸腰の彼を警官は射殺。電気銃と間違ったということで警官は無罪放免になる。この青年の「一日」を描いたのがこの映画で、ラストには実際の抗議行動の映像も流される。彼の恋人や娘、母親や友人たちを見ることができる。こうした「事件」をただ文字で読むのとは段違いのリアリティを感じるのが映画であり映像だが、抑制された表現で感傷に走らないのがかえって印象を強める。射殺された黒人青年のマイナス部分もきちんと描く一方で失業など社会の構造的要因に気づかせるように作られている。プロパガンダやセンセーショナリズムとは一線を画している点が優れている。こうした事件が頻発しているのがアメリカであり、差別と暴力的抑圧は非白人のすべての人種に及んでいる。大事なのは、警察から武器を奪い、暴動を全土化し警察の力の及ばない解放区を作り出すことだ。その場合、「イスラム国(IS)」の戦略と戦術はきわめて参考になる。また労働組合のストライキなどと結合することも重要だ。組合員32000人のロサンゼルス統一教職員組合は、日本などとは逆に戦闘的・革命的組合員が執行部を独占するに至っている。世界帝国には内外で凋落と社会分化の兆候が見られる。
August 4, 2014
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ガラコンサートを批評するのはヤボだが、そのヤボをあえてしよう。メーンは17時からの佐渡裕指揮PMFオーケストラ。バーンスタイン「キャンディード」序曲、チャイコフスキー「ロココの主題による変奏曲」、ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」。最も秀逸だったのは「ロココ~」のソリスト、チェロのセルゲイ・アントノフ。長いフレーズも短いアクセントも、決して固くならない柔らかい美音がすばらしい。自己顕示やケレンの皆無な自然な演奏には、時間が止まってほしいとさえ思った。1983年生まれとのことだからもう30代だが、こんな逸材をいままで知らなかったのは不覚。2007年のチャイコフスキー・コンクール優勝者とのことだが、コンクール出身のソリストにありがちな技巧の一人歩きがまったくない。こういう演奏家は熟成した音楽をやるようになるものなので目を離してはならないし、今回も大曲をきいてみたかった。ミュンヘン教授陣以外では、何と言ってもナカリャコフとこのアントノフ、そしてアブドゥライモフの3人が今年のPMFの精華だったと思う。次によかったのは「キャンディード」。この曲に関しては佐渡は第一人者というか世界ナンバーワンと思える。曲想の切り替えなど的確で堂に入ったものだ。しかし、ベルリン・フィル定期で指揮して話題になったショスタコーヴィチはいただけなかった。基本的にはベルリン・フィルとの演奏と同じ傾向で、中間2楽章が遅く、フィナーレはやや速め。しかし冒頭楽章を含めて表現が念入りにすぎて重苦しい。特に疑問だったのは第2楽章で、弦や管のソロに不自然なリタルダンドが多すぎて音楽から品格が失われてしまっている。あの感動的なピークのある第3楽章も、その高揚がどこか作り物めいて力みに感じた。編成が大きい、というか大きすぎるのは音楽が重くなった一因ではある。公開リハーサルのときに合わなかった部分はアンサンブルが破たんしていたが、本番では自然に合うとでもオーケストラの力を過信したのだろうか。このクラスの名曲になると、凡演でも大きな示唆や感動、時には啓示すら受けるものだ。しかし佐渡の演奏からは、赤軍の友人をスターリンに粛清された作曲家の怒りも悲しみも、独裁者やその追従者に対する鋭い諧謔やあてこすりも、何も聞こえてこなかった。たとえばフィナーレ。最後の部分でショスタコーヴィチはティンパニに大太鼓を重ねている。この部分のリタルダンドは、指揮者や演奏者に緊張を強いるだろうし、音響としても激しい。ハッピーエンドではなく、この音楽で表された悲喜劇はよりおそろしいかたちで繰り返されると、作曲者が警告しているようにきこえることがある。思い出すのは、歴史は繰り返される、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として、というマルクスの言葉だ。喜劇として繰り返される悲劇は一度目より悲惨だと言っているようにきこえることがあるが、この日の演奏は名曲がただの大音量で終結したという印象しか残らなかった。ベルリン・フィルとの録音をきいたとき、ベルリン・フィルが佐渡を招聘することは二度とないと思ったが、その印象はさらに強まったし、シリアスなプログラムで今後彼を聞こうとは思わない演奏だった。さて、15時からは金管アンサンブルで「リトル・ロシアン・サーカス」、天羽明恵のソプラノでラフマニノフ「ヴォカリーズ」、小山実稚恵のピアノでリスト「愛の夢第3番」、チェロのアントノフと小山の小品の演奏をはさみながら、名取裕子による「セロ弾きのゴーシュ」(宮沢賢治)朗読といった趣向の変わったプログラムと、東儀秀樹、セルゲイ・ナカリャコフとPMFオーケストラの共演が続いた。こうしたプログラムを漫然ときくのは退屈しそうだったので、目的を変えた。つまり、キタラ・ホールの音響確認のためと割り切って、プログラムが変わるたびに異なる席で聞くことにした。驚いたのは、サントリーホールはおろか、ウィーンのムジークフェラインなどと比べても遜色がないどころか、もしかしたら優れているのではと思わせる音響のよさだった。それらのホールより優れているのではと思われる点は、席による音響の変化がきわめて少ないこと。どの席でもそれなりにいい音がする。サントリーホールやムジークフェラインは1階席はあまりよくないが、キタラホールは端でさえもそれほど悪くない。音色も、特に邦楽器の繊細な弱音が遠くまで届くのに驚いた。一度、ムジークフェラインで「ノヴェンバー・ステップス」など聞いて比べてみたいくらいだ。演奏では小山の風格が際立っている。この人は、20年以上前、札響定期でコンチェルトをきいたときに大成する豊かな音楽性を感じたが、彼女の身体から伝播した音楽がピアノから立ちあられてくる、といった印象を与える現存するほとんど唯一のピアニストではないかとさえ思う。過去の巨匠の数十人の数百枚の録音が束になってかかっても、彼女のひく小品の数分の風格に及ばないという気がする。謙虚な人柄も演奏からうかがえるが、「大ピアニスト」と呼んでいい数少ないひとりなのはまちがいない。彼女のような演奏スタイルなら、キタラ大ホールのようなホールの後ろの方の席でもソロをきいてみたいと思う。
August 2, 2014
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出身高の養護教諭だったキクエ先生に会ってきた。40年ぶり。長年の懸案だったことができ、肩の荷をひとつ下ろすことができた。同窓会の掲示板に書き込んだところ、消息を知る人からの連絡が来た。昨年秋のこと。しかしそのときのメモを紛失してしまい、どうしたものかと思っていたが、古い電話帳があるのを思い出した。先生が学校のそばに住んでいることだけはわかっている。そこで探すと、それらしき番号がのっていて見つけることができた。先生に会うのがなぜ懸案だったかというと、どうしても直接にお礼を言っておきたかったからだ。高校3年の1学期の最終日、あすから夏休みというその日にケガをした。ソフトボール中、フライを取りにバックしたところライトの男が突進してきて後ろから激突、というのはあとから目撃者にきいた話で、記憶は青空にうかぶ白球で終わっている。次に気がついたときは脳外科病院のベッド上。医者が親に最悪のばあい助からず、助かっても植物人間になる可能性が高い、などと話している。植物人間になるはずが2週間で退院でき、始業式の日に報告に行った。しかしである。ここが先生のユニークなところであり、どうしてもお礼を言っておきたかった理由でもあるのだが、開口一番、怒ったのだ。ポカンとしてしまった。なぜならケガの原因を作ったのはライトの男であり、交通事故でいうなら100ゼロでこちらが正当だからだ。先生はそうした説明をきく耳を持っていなかった。要するに、理由はどうあれ、親に心配をかけたのだからおまえが悪いと、烈火のごとくとは言わないまでも、感情もあらわに本気で怒ったのである。コペルニクス的転回というのだろうか、物事の軽重や善悪を常識で判断してはいけないのだということを、このとき学んだ。先生は正しい。その通りだ。わたしにケガの責任はない。だからわたしは悪くない。しかし、ケガをして親を心配させたのだから、すべての事情と判断を超越して、絶対的にわたしが悪い。誰がケガをさせたかどうかよりも、わたしがケガをした、そのことが何よりも重要で、その事実の前には責任論などは無意味なのだ。知性というか、思考ということを学んだのはこのときだ。言いかえれば、普遍的な善とはなにかを考えるのが思考であり、常識によりかかって善悪を判断するのは思考とは何の関係もないということを学んだ。さらに言いかえれば、普遍的な善について考えるのが思考だとすれば、それは哲学することそのものだ。つまりわたしは、キクエ先生から「哲学すること」を学んだことになる。大学の教養科目で「哲学」を選択したことがあるが、それは「哲学史」を学ぶもので、「哲学すること」はまったく学ばなかった。玄関に現れたキクエ先生は、小柄でやせた温厚な80歳という感じで、道ですれちがっても気がつかなかっただろう。しかし小一時間もいろいろと話すうちに、しゃきっと厳しい顔になり口調まで現役時代に戻ってきたのに驚いた。まさに40年前のあの日の、親しみやすいがはっきりとした口調、女性には珍しい頭ごなしに怒りをたたきつけるような口調を思い出した。40年以上の教師生活で、二つ、忘れられない事件があるという。二つとも、生徒の死であり、ひとつはわたしのひとつ上の学年の人だったので記憶があった。生まれつき心臓に欠陥があり、高校まで生きられないだろうというのが医者の見立てで、スポーツは禁じられていた。しかし、その禁をおかして学校でサッカーをやり急死したのだった。こうした細部の記憶は合っている。ただひとつちがうのは、季節のことだ。先生の記憶では、それは冬で、スキー学習のあった日だったという。体育や養護の教諭は全員不在で、本来なら運動を止めるべき人間が誰もいなかった、誰かいれば止められた。なぜなら、いつも運動の許可をもらうために自分のところに来ていたからだ、という。わたしの記憶では、それはよく晴れた初夏のことだった。親がかけつけ、生徒はみな校門の外に出て遺体を運ぶクルマを見送った。人が死んだというのに、にやにや笑っている男がいた。女子の多くはショックで泣いていた。親は覚悟していたというが、一瞬見た両親の憔悴しきった顔は42年たったいまも忘れられない。両親の服装は軽装ではなかったので、先生の記憶の方が正しく、あれは冬だったのかもしれない。同窓会や同期会などでこのときの話をしても、おぼえている人はほとんどいない。わたしにとっては、高校に入ってすぐ、死とはこんなにも身近なものなのかということを知って大きなショックを受けた事件だったが、人によって物事の軽重や価値観はまったく異なるし、感受性にも驚くほどのちがいがあることを知った。40年前、キクエ先生はちょうど40歳だった。人相の悪い50歳の綾戸智恵、といえば当たらずとも遠からずといった容姿容貌だったように記憶していたが、わたしの知る80歳前後の女性とは、人間の出来がまったくちがうのがわかった。記憶の質がちがうというか、事実を記憶するだけでなく、そうした事実に対して自分がその時々に行ってきた判断と一緒に記憶しているのだ。だから記憶に奥行きがあり、話題が中心を見失うことなく広がっていく。急死した生徒の話で興味深かったのは、運動の許可をもらいに来たとき、ただダメだと言うのではなく、必ず全身が映る鏡の前に立たせて、自分の姿を見せたという。そして、いま君が見ているその人間が、この世からいなくなる、それでいいのか、親はどれだけ悲しむかわかるか、と「指導」したらしい。そのときの口調は、わたしを怒ったときと同じだったにちがいない。怒ったあと、悲しむような表情したにちがいないのだ。話しているうちに、「老婆」が消え、「元教師」の豊かな表情が現れてきた。あのときケガをせず、キクエ先生に怒られなかったらと思うとぞっとする。これほどの幸運を他に想像するのはちょっと難しい。
August 1, 2014
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