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原題はラ・グランデ・ベラッツァ。大いなる美、偉大な美とでも訳すのだろうか。英語に置き換えただけの日本語タイトルは誤解を招く。アメリカ映画かと錯覚して副題がなければ見のがすところだった。2013年のイタリア・フランス合作で、たくさんの映画賞を受賞している。初老の作家(ジャーナリスト?)が初恋の女性の訃報に接し、ローマの街をさまよい歩きながら自分の生の意味をさぐる。そう要約できるかもしれないが、こうした要約にはまったく意味がない。映画には、配給される食餌のように黙って見ていればいいものと、自分から意味を読み取りにいかなくてはならないものがある。この映画は後者。冒頭にちょっとした事件が起き、ふつうの映画のように見てしまうせいでしばらくはやや冗長に感じたものの、30分を過ぎたころから映像に酔い、意味の含有率の高いイタリア語の会話や発語に魅せられる。描かれるのは主人公の作家の日常。ただそれも場所と時間の脈絡がないので、場面が変わるたびに思考が断絶される。ローマの名所旧跡を舞台にしているらしいこと、過去の映画に似ているシーンがあるように感じ始めたころ、この映画のテーマは無常かもしれないと思ったが、そうした物語があるわけでもない。華やかな女性遍歴を持ち、知人・友人に恵まれた作家は、初恋の女性がなぜ自分から去ったのか、なぜキスを避けたのか、それをさぐることで自分の人生に意味をもう一度見いだそうとするが、それもかなわない。最後のシーンは若いころ、初恋の女性とキスをしそこねた海岸。初老の男が紺碧の海と空を背景ににこやかにたたずむこのシーンは意味もなく感動的だ。あえて無常と書いたが、この孤独な老人は寂寥感に負けてはいない。美食も上質なファッションも有名人のパーティも、むなしいが無意味ではない。人生の楽しみすべてを味わい尽くしても、それでも生の本質は死へ向かうプロセスでしかない。なぜ初恋の女性がキスを避けたのか、そのことの意味の方が重いのだ。 映画を見て、勘違いかもしれない深読みをする楽しみ。ちょっとした会話や発語に隠されている深い意味や教訓やユーモアに、作品の文脈とは無関係なところで納得したり共感したりしてしまう楽しみ。そんな楽しみ方のできない人には無縁だが、できる人には無尽蔵のインスピレーションを与えてくれるような映画だった。イタリアといえばグルメ紀行が定番だが、そうした観点からは「反観光」映画といえる。名所らしき場所や建築物なども、そうでない場所と同じように扱われ、ローマにとっての「たかが日常」でしかないといったふうに描かれる。ローマを10回訪れても見ることのできないそうした場所の「表情」をこの映画ではたっぷり見ることができる。この映画はシアターキノの日曜夜の割引で見た。もし蠍座でかかるようなら、あと2回は見たいところだ。
September 28, 2014
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原題はParked。あたりまえだがParkの過去形。訳せないタイトルだが、海辺の駐車場に停めたクルマの中で生活するハメになった中年男のお話。日本語タイトルはこの中年男がダブリンの時計職人だったことからつけられている。失業したものの住む家がないために雇用保険をもらう資格がない主人公はやむなく車中生活を始める。同じ駐車場にやはり車中生活の若者がいて、親しくなり奇妙な友情が生まれていく。新宿中央公園のダンボールハウスに住んでいる人たちを観察したことがあるが、ふつうの人たちよりよほど整理整頓のゆきとどいた、そしてムダな持ち物のない生活をしている。この主人公も、ヨーロッパの男ならさもありなんという感じで、身なりはきちんとして清潔さを保ち、詩を作ったり教会に行ったりする。若者に誘われてスポーツクラブに行くようになり、そこで元音楽家の未亡人と知り合う。知り合うだけで恋愛に発展したりはしないが、格差社会のどん底に落ちても卑しくならないし品格を失うこともない。自暴自棄になったりせず、駐車場あての郵便物が届くから家があるのと同じと理性的に行政とかけあっていく。若者はアグレッシブでいろいろな才能はあるがジャンキーで、そのために命を失う。北ヨーロッパの閉塞感がなんとなく感じられ、かえって彼の憎めないキャラクターが妙に心に残る。登場人物は少ないし、強い問題意識の提出もないが、ひとりひとりにリアルな存在感がある。ささやかな日常と折り合いをつけることの尊さも印象づけられる。止まっていた未亡人の時計を彼が修理すると動き出す。止まった時計が動き出すというイメージは美しい。人生には、確かに歯車が狂って時計が止まってしまったように感じられる瞬間があり、止まっていた時計が動き出すような瞬間もある。自分の中の止まっている時計の存在、そしてそれを再び動かすことを静かに教えてくれる、小国アイルランドから来た宝石のような映画だった。
September 10, 2014
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ラストがけっこう痛快なアメリカ製サスペンス映画。賛否はわかれるだろうが、犯人がただ捕まるのではなく被害者にある意味では最も残酷な方法で復讐される。妻を殺された男が加害者を車ごと落とし穴に落としてその上から整地してしまう映画もあったが、もしカップルで見にいくなら、こうした知的で陽気な復讐に共感できない相手とは別れた方がいい、というかそういうリトマス試験紙に使える映画だ。アメリカの110番、119番にあたる緊急用電話911番の女性オペレーター、ハリー・ベリーが主人公。シスターコンプレックスの偏執狂殺人鬼に誘拐された女子高生に電話で指示を重ねていく。このやりとりが迫真。ある程度のマニュアルはあるのだろうが、とっさの判断がときに生死を分ける。クルマのトランクに閉じ込められた女子高生にライトを壊し、他のクルマに存在と異変を知らせるようアドバイスしていく。実際のオペレーターの仕事の一端をかいま見ることができ興味深い。このところ思うのは、映画全体の進歩だ。ひと昔前なら、こうした誘拐犯を切った張ったの捕物のあげく危機一髪で射殺もしくは逮捕で終わったところだ。しかし、そうしたステレオタイプに陥った映画にはこのところ全くと言っていいほど出会っていない。ほとんど例外なく並の映画で終わらせない細工というか工夫が施されている。携帯電話の電源が切れて、ベリーは自ら少女の救出に赴く。それまでの警察が犯人を追うサスペンスから異形ノワールふうになっていく。そうしてやってくる唐突なラスト。泣いていたばかりだった被害者少女はたくましく成長し立場逆転となる。この殺人鬼の最期を想像するほど楽しいことはそうない。
September 9, 2014
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原題はスタンド・アップ・ガイズ。立ち上がった男たち、とでも訳すのだろうか。70代の名優3人の競演が印象深く、結末はわからなというのに妙なカタルシスのある良作だった。28年の刑期を終えて出所した73歳のアル・パチーノは、昔の仲間で親友のクリストファー・ウォーケン(70歳)の出迎えを受ける。しかしウォーケンはマフィアのボスからパチーノを殺すように命じられていて、そのつもりで出迎え、タイムリミットとされる時間までの時を過ごす。ウォーケンには孫娘がいるが、孫娘はウォーケンが祖父だということを知らない。だがそれを知るマフィアのボスは、それをタネにウォーケンをゆすり、そこから話が思いがけない方向へと展開していく。もうひとりの仲間だった79歳のアラン・アーキンを老人病院から「救出」し、遊び歩く。このシーンなどは不道徳ながら奇妙なセンチメンタリズムを感じる。それは、パチーノとアーキンの人生の残り少なさを逆に強く感じさせるからだ。のこされた短い時間を少しでも悔いなく生きようとする老ギャング3人の、ベタベタしない友情がすばらしい。登場する女性陣も、この老人名優たちに位負けしない魅力的な美人ぞろい。3人がそれぞれに際立って個性的なところに、アメリカ映画の長所を感じる。どんな局面でもギブアップしないタフさも痛快。ギャング出身ではなくても、こんな老人になるのが理想的だと思う人は少なくないだろう。
September 1, 2014
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