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coming soon
October 30, 2014
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もちろんドキュメンタリーではないが、劇映画というとちょっとちがう気がする。傑作とは思わないが、他に類例のない作品であり、こんな世界もありうるのか、と驚かされた一本。話は単純。事故でクルマから放り出された幼女を老人が拾って育てる。幼女は成長し高校生に。都会から来た男が住みつき農業を始めるが、うまくいかない。タイトルと冒頭のシーンから、現代人の農村回帰を描いた映画かと思ったが、そうではない。近所の老婆が作る人形が人間のように動いたりとファンタジーの様相を呈するかと思えば、高校を出て都会に就職した彼女の同棲生活が描かれたりする。3時間近い作品だが、監督の意図を読み取ろうとするうちに退屈せずに時間がすぎてゆく。ラストは、この物語の舞台である祖谷を空撮した映像で終わるが、人間の営みがこの狭い小さな土地の中での一瞬のことにすぎないことを悟らせてくれる。この映像があったから、この映画は心に残る作品になった。自分が生活し、あれこれ動きまわっているところも、空撮してみたらほんとうに狭い世界のことなのだろう。つまり人間は虫のように生きている。大事なのはときどき鳥瞰してみることだ。
October 27, 2014
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coming soon
October 22, 2014
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COMING SOON
October 21, 2014
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フランスのオーケストラよりフランス風の音がする、といわれるモントリオール交響楽団。聞くのは22年ぶり2度目。ケント・ナガノで聞くのは初めて。たしかにティモシー・ハッチンスのフルートをはじめ管楽器セクション特に木管は線の細い繊細な響きがフランス風。金管も柔らかく明るい音色で決して割れるほど強奏したりしない。しかし弦楽セクションはさほどでもない。パリ管弦楽団などに比べると地味で暗めの音がする。クリーブランド管弦楽団のようなヨーロッパ・トーン。12型(たぶん)で演奏されたラヴェルの組曲「クープランの墓」は、全奏でも濁らずニュアンス豊かな、ディナミークの万華鏡のような変化に富んだ上品さが、たしかにフランスのオーケストラを凌駕する見事さ。これほどクールで高揚しない「ボレロ」、打楽器の存在感のない演奏をきくのははじめてだ。前半は最前列できいたが、小太鼓の音はかすかにしかきこえず、そのせいかアンサンブルも不安定。ただ、ケント・ナガノの、あくまでバランスの整った自然な音楽作りを志向する美学というか音楽性はよくわかった。ムソルグスキー(ラヴェル編曲)の「展覧会の絵」は、だからまるで編曲作品ではなくラヴェルの作品であるかのように響く。しかフランスのオーケストラのような原色の色彩感はないので、ちょっと派手目の水彩画のような印象。ドラマや激情を排した演奏は、ここまで徹底すると、立派だがかなり好悪が分かれるのではないだろうか。流麗すぎてひっかかるものがない。「美学」以上のもの、つまり哲学がきこえてこない。まるで当初からのプログラムのように演奏されたアンコールの「ラ・ヴァルス」は、精密さにおいては「クープラン~」を上回る。大編成のオーケストラがこれほど小さい音で精妙な響きをたてるのは驚きではあり、ケント・ナガノとこのオーケストラの蜜月を証明する端的な例。しかしこも曲に秘められた狂気や倒錯のようなものはまったくききとれない。この曲は、この曲をバーンスタインから学んだという高関健が指揮する札幌交響楽団の演奏できいたことがあるが、その凝縮と解放が交錯する圧倒的な名演に比べると、食べるとすぐ口の中で溶けてしまう砂糖菓子のようで物足りなかった、というより白々しさばかりが残った。日本民謡のフランスふうな編曲に続いてのアンコール、ビゼーの「ファランドール」も、テンポこそ最後ではたたみかけるように加速したものの、シンバルなど聞こえるかどうかというほどの小ささ。ケント・ナガノの自然で上品な音楽性は称賛に値するし、淡白な東洋的感性も好ましい。しかし、音楽との一体感や共生感をこの日のプログラムからは感じることはなかった。音楽、特にライブ・コンサートはそれが命だと思うので、ケント・ナガノは原則、これからは録音で聞くだけにする。ホールの規模はやや異なるが、福岡や西宮のホールの音がまだ耳に残っていた。結局、いちばん印象に残ったのは札幌コンサートホール(通称キタラ)の音のよさである。フィラデルフィアやボストン、ローマやミラノのオーケストラをこのホールできけるような日は、いつか来るだろうか?
October 18, 2014
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このコンサートは早々に売り切れてしまった。15日の「ポッペーアの戴冠」東京公演もいい席はなくなってしまっていた。そこで福岡や西宮まで行く羽目になったのだが、運良くキャンセル切符を手に入れることができた。結論から言うと、「ポッペア〜」の西宮公演にも増してすばらしいコンサートだった。これ以上のコンサートにこの先出会うことができるかどうか、コンサートが終わったとき、絶望的な気分にさえなった。「ポッペーア〜」の2回の公演ではクラウディオ・カヴィーナの知性に感服させられたが、このコンサートはまた次元がちがう。一夜のコンサートとして完成しているのだ。まずプログラミングがすごい。コンサートはたいてい前半にシリアスな、後半にエンタテイメント的要素の強い作品を持ってくるか、前半はスープにサラダ、後半にメーンという構成になることがほとんどだ。しかしそれらは「大衆を愚弄した」というか聴衆の知性を侮ったプログラミングだということが、こうしたコンサートに来るとわかる。モンテヴェルディの作品を中心に、バロックの作曲家の作品を、歌手の休憩を考えて器楽曲と交互に並べる。前半と後半はほぼ同じ長さで、シンメトリカル、というより料理でいうと一の皿と二の皿を堪能した気がしてくる構成。変化に富んでいるだけでなく、構成それ自体が芸術的。 したがって、アンコール二曲を含めてコンサートが終了したときに感じたのは、何かとてつもなく高尚かつ高潔な精神に触れた、というような印象。もちろん主役のマメリはじめラ・ヴェネクシアーナのすべてのメンバーは非の打ちどころのないすばらしさだったが、多くの聴衆にとってそれほど慣れ親しんだジャンル・曲目ではないプログラムとその構成でこうした印象と感動を準備できるカヴィーナの音楽的知性と教養には感嘆するほかない。それは編曲にも現れている。マメリが登場する曲ではリュートやハープ、チェンバロといった撥弦楽器が中心。3曲目のモンテヴェルディ「ああ、私は倒れてしまう」はCDにもなっているJAZZ風アレンジ版を使う。盛り上がる曲では擦弦楽器も使い、トゥッティのフォルティシモにも負けないマメリの豊かな声量と表現力を印象づける。すべてが考え抜かれていながら、そうした思考の痕跡をまったく感じさせない自然さには溜息をつくしかない。曲目を列挙すると前半はモンテヴェルディの「わが愛するベルメンス川から」、マリーニ「パッサカリオ」、モンテヴェルディ「ああ、私は倒れてしまう」「愛の神よ、どうすればいいのか」、サンチェス「他の男が暴君のように」、モンテヴェルディ「マドリガーレ集第7巻」よりシンフォニア、同「なんて心地よいのだろう」の9曲。後半はモンテヴェルディ「マドリガーレ集第4巻」よりシンフォニア、メールラ「子守歌によせた宗教的なカンツォネッタ」、モンテヴェルディ「つれない娘たちのバッロ」、「アリアンナの嘆き」、「ポッペアの戴冠」よりシンフォニア、カヴァッリ「情熱を燃やし、嘆き、涙して」、モンテヴェルディ「ウリッセの帰還」よりシンフォニア、「マドリガーレ集第8巻」よりニンフの嘆き。アンコールはパーセルの歌劇「ダイドーとエネアス」よりダイドーの嘆き、ヘンデルの「私を泣かせてください」。音楽的内容から表現が遊離することのないマメリの歌唱はやはり現代のマリア・カラスと呼ぶにふさわしい。アンコールのヘンデルの後半、激情的な部分でその圧倒的な名人芸を見せつける華麗な装飾音形を披露したが、そうした部分でさえ、ソリスティックな印象をまったく感じさせないのがすごい。このコンサートはNHKが収録し12月17日にオンエアするという。コンサート全体を放映するならともかく、編集してしまうとこのコンサートのすごさはまったく伝わらないだろう。たぶん、そんなものばかり見、聴かされているのがわれわれの日常なのだ。調べてみるとヴェネクシアーナは同じ内容でロシア・ツァーを行うらしい。音楽を愛好する人の多いロシアでは、グールドがそうだったように圧倒的な評価と爆発的人気を得るだろう。ロベルタ・マメリとラ・ヴェネクシアーナが手の届かない存在になってしまわないかどうかだけが気がかりだ。銀座三越に隣接する王子ホールには初めて行ったが、音響はまずまずといったところ。白寿ホールとは雲泥の差。
October 16, 2014
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福岡から西宮への移動は夜行バスにした。昔、福岡から名古屋まで夜行バスで行ったことがあった。近い分楽勝かと思ったが、地獄の8時間。台風の勢力圏にある早朝の神戸に放り出された時はコンサートなんてとんでもない、100%爆睡するにちがいないと絶望的な気分だった。しかしそれは杞憂に終わった。ほとんど完璧に思えた前日の福岡公演が、実は細部に瑕疵と弛緩のあるものであったことを痛感させられる緻密な演奏に睡魔のつけいる隙はなかった。夜公演の翌日の昼公演だから演奏者たちにとっても決して楽なスケジュールではなかったはずだが、そういう事情を全く感じさせない。歌手はステージ前面、指揮者と器楽アンサンブルはその後ろという配置は前日と同じ。歌手に指揮者が合わせるというが、指揮者からは歌手が見えない。たぶん歌手の歌い出しの呼吸を器楽奏者が見て合わせ、それに指揮者が追随していく、というやり方なのだろう。いずれにしてもすべての演奏者が自分のパートだけでなく、作品全体を細部まで熟知していないとできない芸当だ。この公演に足を運ぶかどうかはかなり躊躇したが、兵庫県立芸術文化センターのホールに一度行ってみたいという好奇心に負けてよかった。二度目ともなると、カヴィーナは和声にせよ装飾音にせよかなり独自の解釈を加えているのがわかる。そしてそれはモンテヴェルディの音楽の現代化でも大衆化でもなく、作曲者自身が蘇って現代のわれわれの感覚にフィットするように改訂したかのようだ。演奏とは再創造にほかならないが、そんなあたりまえのことを思い出させてくれた稀有な体験。こうした体験は過去にグレン・グールドのバッハ、高橋悠治のジェフスキー、バーンスタインのマーラー、小澤征爾のベルリオーズくらいしか思い当たらない。1日おいた15日の東京公演が気になるが、この日以上の上演はありえないだろうし、この日の印象を汚したくない、という気がしたので帰ることにした。
October 13, 2014
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オペラの歴史上、最初期の作曲家であるモンテヴェルディの現存する3つのオペラは、いつか観たいと思っていた。しかし、クラウディオ・カヴィーナ率いるラ・ヴェネクシアーナの公演でなければ、わざわざ福岡まで来たりはしなかっただろう。あるいは、ロベルタ・マメリが出演するのでなければ。この四半世紀ほど、最も生き生きとした音楽を生み出しているのはいわゆる古楽の世界であり、オリジナル楽器の演奏家たちである。依頼されればバロックから現代まで何でもこなす。これがスター音楽家の日常であり、商業主義の論理に縛られている。もちろんその中からも創造性のある音楽が生まれないわけではないが、ルーティンワークでなければ表面だけ整える短時間のリハーサルで安全運転に終始するケースがほとんどだ。しかし、カザルスがバッハの無伴奏チェロ組曲、マリア・カラスとシチリアーノがベル・カント・オペラを復興したように、オリジナル楽器の演奏家たちはバロック時代の素晴らしい音楽を復興しようとしている。それは近代以前のヨーロッパを再発見しようという文明論的な試みでもある。大ホールにはなじまないジャンルなのでなかなか一般化しないし、わたしもステージから10メートル以上離れた席で聞こうとは思わないが、自発的で創意あふれる演奏に期待を裏切られることはほとんどない。この公演でも、通奏低音と指揮を担当するカヴィーナは、指揮者に歌手が合わせるのではなく、歌手に指揮者(と楽器奏者)が合わせるという、非常にリスキーな手法をとった。そのことで歌手に大きな自由が生まれ、テキストが主体であるこうしたオペラの本質をより鋭く突き出したものになっていた。YOUTUBEにラ・ヴェネクシアーナによる終曲「プルティミーロ」がアップされている。この演奏には刮目させられた。ひとつは歌手の自由さ、もう一つは通奏低音に不協和音が入っていることで、他の演奏とは画然とちがう。一流が集まると自然とこうなるのかと思っていたが、そうではない。前者は演奏を指揮者の独裁から解放する試みによるのであり、後者はモンテヴェルディの音楽に対する深い探求による。どちらもカヴィーナを媒介としなくて生まれなかっただろう。ヨーロッパ音楽界の底力を感じるのはこういう時であり、百人の天才が束になってかかっても敵わないだろう。YOUTUBEのはマメリがネローネを演じていたが、今回はポッペーア。昨年の今ごろ、マメリがスザンナ役の「フィガロの結婚」を見たが、マメリは決してひとりだけ図抜けた存在ではなかった。男声との共演の場面が多いし、本質はブッファである作品の性格にもよるのだろう。しかし、カヴィーナが選りすぐったであろう今回の歌手陣の中にあっても、マメリは図抜けていた。他の歌手たちにまったく不満はなく、むしろ感嘆する人がほとんどなのに、マメリが歌い始めると全く異なる次元の世界が生まれる。どこが違うのか。ディナミークの幅が広い。マリア・カラスを思わせる高音域での弱い音からさらに弱くなっていくディミニエンドの美しさは鳥肌が立つほどだ。強烈なアクセントも決して乱暴にならず、フォルテが常に音楽の要求するものとして発せられている。アジリタの見事さ、音程の正確さは神技の域。比すべき歌手はマリア・カラスしかいない。名歌手の域を超え、大歌手の域に入りつつあると思う。ロベルタ・マメリを聞くのは、今しかない。このオペラの冒頭では幸運の神と美徳の神、愛の神が争い、愛の神が勝つ。17世紀に書かれたとは思えない巧みな台本で、序曲のないオペラの序曲のような役割を果たす。台本作者とモンテヴェルディの真意はここにあるのではないだろうか。つまり、愛こそが神の中の神、あらゆる道徳律を超越した最高神であり最高規範だということだ。唐突だが韓国映画「マザー」を思い出した。知恵遅れの息子が殺人犯であることを知る唯一の人物を「母」は殺す。その行為には善悪を超えた力と輝きがあった。このオペラは史実に基づく。大河ドラマのローマ帝国版と思えばよい。総督オットーネの妻ポッペーアは皇帝ネローネと中。ネローネの妻オッターヴィアはオットーネにポッペーア殺しを命ずるが寸前で露見し、実行役の小間使いと共にローマから海へと追放される。こうして障害がなくなりポッペーアは皇后となる。「プルティミーロ」はネローネとポッペーアが永遠の愛を誓う二重唱であり、17世紀に作られた最も甘美な音楽の一つ。残念だったのはこの「プルティミーロ」がややあっさりしていたこと。コンサート形式で視覚的な要素がなかったのでそう感じたのかもしれないが、ネローネ役のマルゲリータ・ロトンディ(メゾソプラノ)の声がやや若かったせいもあるかもしれない。オットーヴィアのセニア・マイヤー(メゾソプラノ)は初期スペイン音楽やラテン・アメリカ音楽のスペシャリストとしても知られる人で、ファドの歌い手でもあるらしい。その彼女の「さらばローマよ」は見事ではあったが、マメリの実演や録音を知る身としては分が悪い。これもコンサート形式の上演でなければ感じなかったであろう不満。そのほかでは哲学者セネカ役のサルヴォ・ヴィターレ(バス)が出色だった。アクロス福岡シンフォニーホールは8割の入り。前列二列目、通路をはさんだ席に妙に石けんの匂いの強いオタク風の男がいて閉口したが、この男はいつも通路側に席をとり周囲の席も買い占めるらしい。その男の近くを通る時あまりに大げさに体をよけるので気がついたが、強迫神経症にまちがいないだろう。40年以上のコンサート通いではじめて遭遇したが、この男に限らず、ユーモラスな部分でも笑う人がひとりもいない観客は不気味だった。福岡は音楽的には不毛の土地なのだろうか。明日の兵庫芸術文化センターでの公演が、観客を含めてどう異なるかは楽しみだ。
October 12, 2014
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中米を旅している時、南北アメリカ大陸を1年半かけて旅している若者と出会ったことがある。彼の旅はもう終盤に入っていた。国境で国際バスに置いてけぼりを食ったおかげで親しくなり、コスタリカからホンジュラスまで同行したのだが、彼の旅は印象的だった。何せじっとしていることがない。長期間の旅なのに、一都市にゆっくりすることがない。一時間もいれば長い方で、名所も数分、場合によっては数十秒見るだけで次を目指していく。そうでもしないと見切れない、と彼は言うのだ。我々がホテルにチェックインして休んでいる一時間ほどの間にも、来る途中で見かけた湖まで戻り、すぐ帰ってきたので驚いた。旅にもいろいろなスタイルがあるが、旅の基本はこうあるべきだろう。よし明日は早起きしてつまみ食いの旅をしよう。そう思って寝たのに寝坊してしまい、あわてて身支度をしてバスターミナルに着いた時は9時を過ぎていた。予定では佐世保と平戸を経て海沿いに西から博多に入るつもりだった。だが2時間のロスがこの計画を不可能にした。バスターミナルの人の話では平戸から松浦へ向かうバス路線は本数が少ない上に時間がかかるという。市内を見ていない熊本へ戻るか、本数の多い佐世保に行くか迷ったが、佐世保行きのバスがすぐ出発するというので乗ることにした。佐世保といえば米海軍の基地があり、横浜と同じジャズの街といった知識しかない。予備知識のないところに行く方がおもしろいだろう。幸い、パスがあるのであまり歩かなくて済む。それにしても路線バスを乗りこなすのはむつかしい。自分が住んでいるところでさえむつかしいのだから、知らない土地ではなおさらだ。ただ、目的地まで行くバスは見つけられなくても帰りは何とかなるものだし、1キロ先の目的地まで500メートルだけバスに乗る、といった使い方はできる。そういった時でも、Googleマップその他のマップ機能は便利この上ない。長崎の坂歩きで、登山のときにしか使わない筋肉を酷使して筋肉痛だったので、パスは役に立った。佐世保も長崎や神戸と同じで街のすぐそばまで山があり、細長い平地に街が作られている。都市の規模もずっと小さいし、全体を把握しやすい。そこで、繁華街のいちばん奥までバスで行き、港と港近くのバスターミナルまで歩いて戻ることにした。昼食を入れて都合4時間の滞在。来て知ったのだが中心部から25分くらいのところにパールシーという島巡りができ水族館などのあるリゾートがあり、ちょうどバスが通りがかったので行ってみることにした。子どものころから地図を見るのが好きだった。地図を読みなれると、だいたいの地形を想像できるようになるものだが、日本の中で最も想像できなかったのが長崎の西海国立公園の島々だった。こんな遠いところにいつか行ける日が来るのだろうか。そんな気持ちでこのあたりの地図を眺めていた日々を思い出す。その空想の風景は、実際に来て見るよりはるかに美しかった。ちょうど未知の音楽をタイトルと解説だけで想像していたのと同じだ。パラグライダーで空撮した映像をフェリーターミナルで流していたが、それを見ると秘境感はもはやない。人間が利用できるところは利用し尽くされている気がする。だから行かないで、空想の美しい多島海のままにとどめておいた方がいいにちがいない。ただ、小さな島に囲まれた海の静かなたたずまいというのは独特で、その一端はこのパールシーリゾートからも味わえる。こういうところならカヌーやカヤックも楽しめそうだが、それらを楽しむためにわざわざ来るには遠すぎる。台風が近づいているのだろう。雲が厚みを増し、時々風が吹くようになった。最終のクルーズ船に乗れないこともなかったがやめておいた。
October 11, 2014
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断酒30日目の乾杯はよくわからない炭酸の乳酸菌飲料だった。断酒しているのには3つ理由がある。たまたま「健診BOOK」というiPadアプリを見つけた。手元にある限りのデータを入力した結果わかったのは、肝臓や中性脂肪の値が確実に悪化しているということと、にもかかわらず肝臓の病気を示すデータは皆無なことだった。血圧や食後血糖値も正常範囲とはいえこの15年間に少しずつ上昇している。日常的な飲酒がこれらの原因であるということが、健診BOOKで表にしてみると一目瞭然なのだ。一ヶ月断酒するとγ-GTPが劇的に改善するというのでやってみる。これが第一。もうひとつは、BMI25から20.5まで減った体重を19まで減らすのに断酒が決定的なことような気がすること。減量に成功したとはいえ、20歳の体重よりまだ12%多い。そこまでいかなくても、せめて10%は体重を減らしたい。理想をいえば、体重云々よりも体脂肪を5キロ減らして筋肉量を3キロ増やしたい。そのために断酒が有効ではないかと考えた。みっつめの理由は、時間のムダのような気がしてきたこと。少しでも酒が入ると読書など知的な作業ができない。よくNHKのテレビの語学講座を見るが、酔って見た時とそうでない時では次の日の記憶の残り方も段違いだ。昨夜は皆既月食がはっきり見えるほどの快晴だったが、きょうも長崎は晴れ。暑くなりそうだったので朝のうちに浦上天主堂と平和公園(と爆心地)に行き、いちばん気温の上がる時間帯は原爆資料館の見学にあて、夕方少し前にグラバー園やオランダ坂、日が暮れたら出島ワーフを見物する大まかな予定を立てた。おおむね予定通りに行動できたが、原爆資料館では予想外に時間をとってしまった。平和公園にも原爆資料館にも、様々な国からの旅行者がひっきりなしに訪れる。修学旅行生はもちろんだが中国人観光客も多い。感じることは人それぞれだろう。広島の原爆記念館に行った友人はアメリカ人を毛唐と呼び毛嫌いするようになった。展示を見て、なぜ長崎に原爆が投下されたのかがわかった気がした。第一目標は小倉の工場群だったが、小倉の人たちは焼夷弾などで視界をなくした。そのため第二目標だった長崎に投下した。ではなぜ長崎だったのか。それは、当時の地図を見るとわかる。三菱の軍事工場の破壊。それが米軍の獲得目標だったのだろう。長崎の人々、その中には強制連行で強制労働させられていた朝鮮人や捕虜として収容されていた連合国側の人間もいたが、対三菱の軍事行動に巻き込まれたのだ。原爆投下が必要ないのに投下したのは、ウラン型とプルトニウム型の二つのタイプの原爆を試すのが目的だったとアメリカの非人道性を批判する動きがあるが、こうした見方に矮小化してしまうと物事の本質を見失う危険がある。ここの展示は1929年、大恐慌を起点としている。歴史は、どこを、何を起点とするかで善悪が入れ替わる。日本の真珠湾攻撃を起点とするなら原爆投下を正当化する根拠を与えてしまう。その点から言って、大恐慌を起点としているのはきわめて適切だ。20人の被爆者へのインタビューが見られるようになっている。これは貴重で、衝撃とともに深く記憶に残る話がいくつもあった。全部見たいと思ったが、あれこれの展示よりも被爆者自身が語る言葉、突きつける事実の重さに言葉もない。さまざまなことを思い出す。高校の国語教師は初恋の女性を原爆でなくしている。影形もなく消えてしまったそうだ。その話を聞いたクラスメートの女子はほとんどが泣いていたが、その15人のうち反基地・反核運動に参加したのはたったひとりだった。女の涙を信用しなくなったのはそれからだ。そのひとりとは最近のパレスチナ連帯集会で再会した。原爆投下を静かに、「殺される側」から描いた黒木和雄監督の映画もあった。高校時代、バートランド・ラッセルに傾倒して本を読み漁ったことも思い出した。彼が始めた反核運動は今も受け継がれ、全世界に広がっている。長崎の主な名所は港や駅を中心とすると南北の2カ所に集中している。北側にあるのが原爆資料館などで、南側にあるのがグラバー園や大浦天主堂、オランダ坂。労働運動で勇名を馳せた長崎造船所にも行ってみたかったがもはやコネクションもない。しかたがないのでこれらの観光名所を歩いてみることにした。グラバー園は、行ってみてわかったが明治村のようなところだった。ただ、山の上にあり港と長崎全体を見ることができる。グラバー園を歩くには一時間ほどかかるので、観覧時間が6時までの大浦天主堂を見物し、ライトアップされ夜景も見ることのできる夕方から夜の時間帯に訪れるのがベストだろう。この日は夕陽もきれいで、三浦環像の前で流れるマリア・カラスの「ある晴れた朝に」を聞きながらこうした風景の中にたたずむのは得難い時間だった。グラバー園で思ったのは、長崎は日本で最も異国情緒のある街ではないかということ。今まで行ったことのある街ではマレーシアのペナンに似ている。神社とキリスト教会と日本寺が至近距離で共存しているし、居住者か旅行人かを問わず、外国人の比率が高い。民族も雑多だ。
October 10, 2014
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まだ暗い4時半に起きバスターミナルに向かう。長崎行きは予約が必要。始発の時間が先で予約不要な熊本行きに乗ることにした。5時34分発のバスが熊本に着いたのは7時40分。着いてからどこへ行くかバスの中で考えるつもりだったが、寝てしまったので白紙のまま着いてしまった。選択肢は3つあるように思えた。阿蘇山を往復したあと高速バスで長崎へ。市内見物をして熊本港からフェリーにのり島原から長崎へ。天草を往復して高速バスで長崎へ。結果として3番目と2番目のミックスになった。どうせ阿蘇山へ行くなら登りたいし、黒川や湯布院に足を伸ばしたい。それならレンタカーの旅でなくては不可能だ。それにまだ夏のような気温で歩くには暑すぎる。気温が下がらないと景色も霞んでしまう。市内観光はやはり陽射しが強いので避けたい。そこで天草行きのバスに乗り、時間が許すぎりぎりのところまで行って戻って来ることにした。熊本から2時間半の本渡バスターミナルまで冷房の効いたバスにゆられながら行きは右手、帰りは左手に有明海と雲仙普賢岳を見ながら島から島へ橋で渡る独特の風景を堪能してきた。天草からの帰り、ふとフェリーの時間に間に合うような気がした。Googleマップでバスの位置を確認すると定時に熊本駅に着けそうだった。熊本駅着13時57分、熊本港行きバスは14時1分。必死で乗り場まで走り、ぎりぎり間に合った。このバスに間に合い14時50分発のフェリーに乗ると、島原港16時発の長崎行きの最終バスに間に合うことだけは事前に調べておいた。このフェリーに乗り海から雲仙普賢岳を眺めたいと思っていたので、乗れたのはラッキーだった。フェリーはわずか30分で島原に着く。バスの乗客は数名だったのにフェリーの乗客は多い。ほとんどの人がクルマを使ったグループ旅行のようだ。肝腎の普賢岳は、船先がじゃまでよく見えない。到着5分前になってようやく見える程度。海から普賢岳を見るなら島原発に乗り後部デッキから遠ざかる山を眺めるのがベスト。そういうことは来てみないとわからないものだ。頂上付近から噴煙が出ているが、穏やかでこれがあの大噴火を起こした山とはとても思えない。島原発のバスは長崎空港行きなので、諫早で乗り換えるつもりだった。しかし諫早で渋滞に巻き込まれて遅れた。接続バスは待っていたようだったが、もしも置いていかれると困る。大した距離でもないしそのまま長崎空港まで行き、そこから長崎行きに乗ることにした。渋滞以外は接続がうまくいき、長崎駅発19時30分の送迎バスに間に合い、稲佐山の中腹にあるホテルに20時にチェックインできた。WIFIの電波は通じないのが難点。いちおう温泉で、露天風呂から長崎の夜景を見下ろすことができる。この宿を選んだのは、じゃらんのクーポンとポイントを同時に使える宿がほかになかったからだが、(なんちゃって温泉とはいえ)温泉があることも、夜景の見られる露天風呂やレストランがあることも知らなかったので非常に得した気分。この日はくんちの最終日で、まもなく国体も開かれるので繁華街はごった返していた。だからカオサン宿を含めてこんな山の中腹のホテルしか空きがなかったのだろう。中米で国から国へと長時間のバスの旅をやったことはあるが、きょうの移動はその時よりも長時間だった。早朝から夜までほとんどバスとフェリーの中で過ごし、昼食もバスの中。計算してみると12000円分。乗り放題パスの8000円の元を一日でとったことになる。実はきょうが断酒一ヶ月目。旅も二日目になると勘が戻ってきて緊張も和らいだ。温泉のあと何で乾杯するか、決意と根性が試されることになりそうだ。
October 9, 2014
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ラ・ヴェネクシアーナによるモンテヴェルディのオペラ「ポッペアの戴冠」を体験するために福岡に来ている。上演は12日だが、3連休とあって空席がなく公演の5日前に来る羽目になった。九州ではまだ長崎県に足を踏み入れたことがないので、ついでに長崎を歩くことにした。去年の水俣行きでこりたのでレンタカーは使わず、公共交通機関で移動することにした。在来線と路線バスで車寅次郎のような気分を味わいたかったがもはやそういう旅は不可能のようだ。3日間、北部九州のバスやフェリーが乗り放題というパスを見つけて手に入れた。そのパスの存在を知るまではおとなしく長崎だけにするつもりだったが、乗り放題となると欲が出る。秋の旅行シーズンとあって宿探しには苦労した。極端に言えばカプセルホテルと高級宿しか空室がない。この時期札幌ではもう暖房が必要だが、九州では冷房が必要だ。日が暮れると涼しいとはいえ歩くと汗をかくくらいの気温。それなのに、たまに真冬の北海道のような服装の人がいる。札幌でもびっくりするくらい厚着の人を見かけたが、いつから日本人はこんなに寒がりになったのか。こういう人たちは、暖衣飽食のあとに何がやってくるかを示唆している。世界で最も危険な原発のひとつは九州にある。川内原発は再稼働の可能性が高い。ここで事故が起きれば九州や四国は壊滅する。人間が足を踏み入れられなくなる前に訪れておくべき場所の筆頭がこのあたりだろう。長崎に2泊して戻ってくる、という予定しか決めていない。熊本経由でフェリーで島原に渡るか、長崎に直行するか、7時間後のバスに乗るというのに決められない。宿からバスターミナルまで15分ほど歩くが、その間に決められなければ来たバスに乗るまでだ。
October 8, 2014
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