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火星人は以前にもよく書いているようにパチンコ好き。仕事帰りに遅いときはほとんどパチンコ。お金がなくなると職場の近くの将棋がただで出来るところによって遊んでくる。この二つのパターンだけかと思っていたらもうひとつ別のお楽しみがあったらしい。最初にそれに気が付いたのは次女だった。夫がゴミ箱に捨てたレシートを何気なく見た次女が言った。「お父さん、一人で○木屋に行ったんや」○木屋はテレビでもよく宣伝している居酒屋のチェーン。うちの近くでは隣の駅の駅前にある。私は半信半疑だった。夫は家ではビールやお酒を飲むが普段職場の人と仕事帰りに飲みに行くというのはほとんどない。皆が参加するような忘年会や送別会には参加はするが個人的な飲み会には参加しない。むしろ「酔っ払いは嫌いや」というほどで他人と飲むのは嫌いなタイプ。また○木屋も居酒屋だし、一人で飲みに行くような店ではなく大勢でワイワイ言いながら飲む店だ。こんな店に夫が一人で?しかもレシートから頼んだものまで分かってしまう。「枝豆、冷奴、ビール一本」みたいな感じだった。枝豆なんていつもうちの冷凍庫に入っている。何でそんな居酒屋の高い枝豆を食べるかな?一人で飲んでも楽しくないだろうに。夫に確認するとやっぱり時々は行っているらしい。次女はコレを夫の「一人○木屋」と名づけた。時々夫に「まだ一人○木屋行くことがあるの?」と聞く。しかし一人○木屋は迷惑だ。外で飲んでくると家で食もうご飯を食べられない。せっかく作ったおかずが無駄になる。冷蔵庫に残り物がたまってくる。夫に文句を言うと次の日に食べるという。そして一日遅れで私たちが食べている夕食のおかずと違う昨日のおかずで晩御飯を食べる羽目になる。○木屋にいったときだけでなくパチンコに行った時もご飯が遅くなってもういいと食べないことも多いから一日遅れのことは多い。それを次女は「ミスター遅れ」という。関西の人は知っているかと思うが売れないお笑い芸人で「ミスター遅れ」という人がいる。もういい年なのだがあんまり売れていなくて芸人仲間の友情で色々な番組にたまにでているがそれも年に数回だという極貧タレントだ。今日火星人夫はアフターファイブにどこにいくつもりだろうか?冷蔵庫には夫が食べなかった鮭の焼いたのが残っている。また今日もミスター遅れだな。
2005.03.31
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昨日の話に続けてお見合いの話。数々のお見合いの仲でもIさんとKさんは夫とも不思議な因縁があった。まずIさんマラソンが趣味と言うおとなしい人だった。交際が3ヶ月になり、仲人の人はぼちぼち具体的に話を進めようと言ってきた。先方の家にも遊びに行かせてもらいちょっとおとなしいのが物足りない人だったがまじめな人なのでまあいいかなとも思っていた。ところが突然理由もいわず先方から断りの返事が来た。実家の父はIさんの態度に激怒して言った。「一生一人で走っとったらええんや!」しかしダメなものは仕方がない。そして仲人のO夫人、フリーページを読んだ方はお分かりと思うがIさんのお見合いも夫とのお見合いもO夫人が仲人だった。顔を潰された形のO夫人は私に「他の人を紹介するから」と言って次に持ってきた話が夫との話。夫とO夫妻は家も近く姑とO夫人は知り合いだったので、姑も息子のことをそれとなく頼んでいたらしい。しかも結婚後分かったのだが夫は以前Iさんと同じ会社に勤めており良く知っていた仲だという。そしてKさんの話。Kさんは今も夫の実家の近くに住んでいる。男3人兄弟の長男で偶然にも次男と夫は遊び友達。就職試験を一緒に受けに行った事もあるくらい弟とは仲が良かったらしい。仲人は先に出てきたO夫人でなく全然別のルートからの話だったが。Kさんは仲人さんや親と一緒に紹介されたときほとんど下を向いて話をしない。おとなしいつまらない人だなと第一印象を持った。ところが二人きりになると喋る喋る、マシンガントーク。私の口を挟む隙がないくらい。何度かデートをした。車で万博公園にドライブした時。車を駐車場に止めて見学した後、駐車場に戻った。「あ、僕の車がない!」Kさんは真っ青な顔で必死で自分の車を探す。2~30分も探し回っただろうか。Kさんが言う。「この駐車場じゃなかった」そう、駐車場は第一と第二の二箇所あったのだ。全くお騒がせな人だった。Kさんはおしゃべりだったがそれまでお見合いをした人とは違って人の気持ちも良く分かり楽しい人だった。結局ご縁がなくて先方から断られてしまった。ところが今舅が借りている畑の隣を借りているのがKさんのお父さん、Kさんのお父さんが作った野菜を頂いたり、釣って来た魚を頂いたりする仲。夫の実家へ行くとKさんの家の話題が時々出て不思議な感じがする。Kさんは近所で美人と評判の奥さんを貰い、子供もできて親の家に同居している。その家の前を通るともしかしたら私はここの家の奥さんになっていたかもしれないなあとしみじみ思ったりする。夫があんな美人を貰ってうらやましいという奥さんの顔はまだ拝見したことがない。人と人の縁て本当に不思議なもんだとつくづく思う。Iさんとのお見合いが成立していたら夫に会うこともなかったわけだし。Kさんと結婚していたら夫とはご近所さんになっていたわけだし。出会いって不思議でしょう?
2005.03.30
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私は夫とはお見合い結婚だった。夫と出会う前にも沢山のお見合いを経験した。お見合いを知らない若い人もいるだろうからシステムを簡単に説明しておこう。世話好きで人脈の多い中年のおばさんが仲人(二人を引き合わせる役回り)になることが多い。写真と家族のことをや自己PRの書類を書いておばさんに渡し男性側と交換をする。相手の写真や家族構成、仕事などの条件を見て双方が会ってみたいと思ったらおばさんに連絡して会う機会を持つ。仲人の立会いで食事やお茶を共にして相手の人と出会う。その後双方が気に入ったら交際に入る。2~3回デート後交際を継続するかどうかの返事をして双方一致したら結納、結婚へ具体的に話を進める。大体こんな風な流れで行われる。早い人は交際一ヶ月で式を挙げる人もいるが大体お見合いから3ヶ月~半年くらいで結婚する場合が多いと思う。色々なちょっと?な男性とも色々であった。恋愛と違ってお見合いは相手の条件とか経済状況を冷静に見るからあんまり相手に自分勝手な条件を押し付けるとなかなかまとまらない。寝たきりの母親の世話をしてくれるのが結婚の条件だとか、一生仕事を続けて自分と家のローンを支払ってくれる人を希望するとか言う男性もいたが、女性を労働力とかお金を稼ぐ存在と思っているような人はなかなかまとまりにくいだろう。私が出会った人たち例えば・・・薬局を経営していると言う男性。会った時、「僕の職業をどういう風に聞いていますか?」と聞かれた。「薬局を経営されているんでしょう?」と聞くと「店を持たずにお得意さんの家を回っていわゆる置き薬をしています」と言う返事。会社の営業マンというのではなく個人の自営業だと言う。こういうのは経済的にどうなんだろうとちょっと引いた。彼は一方的に話を続ける。「結婚したら・・・」(何か話が一気に飛んでしまった感じ)「自転車をもう一台(彼は自転車で得意先を回っているらしい)買いましょう。それであなたも一緒に得意先回りをしてください」一気に私の気持ちは引いた。彼は奥さんが欲しいのか?従業員が欲しいのか?結婚したらその両方を手に入れてしかも給料が要らないとでも考えたのか?もちろんお断りの返事をした。こんな男性もいた。腕のいい大工さんで母親と二人暮らし。収入が良くてまじめな人らしく家を二軒持っているという。一軒に住んで一軒を貸家にしているらしい。夏の暑い日に会った。「少し歩きましょう」暑い中2~30分も色々話ながら歩き回る。暑さでふらふらになったが普段屋外で仕事をしている彼は全然平気。少しは気を使えよっと心の中で思う。「少し休みましょう」やっとクーラーの効いた喫茶店にでも入るのか?と思ったら何故か神社に入っていく。神社の石段に座って話を続ける。自動販売機で冷たい飲み物を買ってくる気もないらしい。結局飲まず食わずで夕方になり帰る事になる。一応駅まで送ってくれて駅の売店で彼はお饅頭を一箱買って私に両親へのお土産だと言いながら押し付ける。そして電車が来る前に家に電話したらと言って10円玉を渡す。それくらい私は持っているし小学生ではない。またそんな風に何から何まで指示されたくはない。この人が女性に対してどう思っているのかがかいま見えた感じがした。それに男性は釣った魚にえさはやらないと言うが今から交際のための飲み食いのお金を惜しむような人とは人生を楽しめないだろう。借金で妻を苦しめることは無いにしてもあんまりにお金に細かい人はちょっと引いてしまうそして「電車で叫ぶ男」仲人が席をはずして二人きりになると「僕の家を見に行きましょう」男性は三男坊で親の援助なしに自分の力で家を持ったという。でも突然そんな風に言われてちょっとビックリ。強引に切符を二枚買って私に一枚渡す。二人で電車に乗って海の見える側のドアに立つ。休日のお昼間だがお客さんもそこそこ乗っている。男性の家は電車の沿線にあるらしい。突然大声で男性が叫んだ。「ここです。あれが僕の家です」他のお客がビックリしていっせいにこっちを見る。男性は平気な顔をしていたが私は顔から火が出た。電車のスピードが速くて家が見えたのはホンの一瞬。家の前に母親らしい女性がほうきで掃いているのが見えた。自分や自分の家を知ってもらいたいと言う気持ちは分からないでもないが電車で大声を出して恥ずかしくないのか?なんだかこの人と結婚したらこの先ずっと恥ずかしい思いをするのではないかという気持ちになった。日記を見ている皆さん、あなたはお見合い経験ありますか? どんな人とお見合いしましたか?またどんな人と出会いたいですか?お見合いにしても恋愛にしてもいい出会いでいい結婚をするのって結構難しいものですね。
2005.03.29
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昨日舅の米寿のお祝い昼食会行ってきました。ちょっと値段が高い目の和食の店で座敷を借りて会席料理を頂いた。店の雰囲気も料理の方もよかった。参加者は舅姑、仕切りやくの義姉、私たち夫婦、うちの下の子、もう一人の義姉夫婦、そこのうちのメイ、メイの子、そしてもう一人のメイの子供3人居るうちの一人のみ参加。まず人数の多さにびっくり。だって先日義姉は電話で私たち二人で来て欲しいと言っていたのにあちらの義姉のところのメイやメイの子たちまで来ているんだもの。まあひ孫も来ていて主役の舅が喜んでいたのでちょっと納得は出来ないもののまあ良しとしましょう。私は義姉の仕切りでおかしいと思うのはお金の話。以前金婚式の時も「会費をいくらいくら持ってきてね」という割にはそれで足りたのか足らなかったのか残りはどうなったのか一切の会計報告はなかった。正式に紙に書いて会計報告をとまでは言わないけどみんなのお金を預かっている割に後始末はルーズな気がする。今回の会計はどうなったのだろうか?お金に関することはこっちからは聞きにくいから向こうが何も言ってこないときっとそのままになるだろうな。そしてそもそもこの昼食会は舅に買ってあげるはずだったカラオケセットの代わりの昼食会なのだが、終わって帰りがけに舅が「この後カラオケに行かないのか?」と言っているのを義姉は聞こえないふり。私はたまにだから舅に付き合ってあげてもいいかなと思っていたのに舅が無視されているのを見てちょっと可哀想になった。おめでたい席でつまらないことを言い出すのもなんだから義姉のしきりに任せて何も口出しはしなかったけど。主役の舅はすっかりご機嫌で「百まで生きるぞ!」と大ハシャギしていたからまあ今回はいいとしましょう。今日の日記に期待?していた人はちょっとがっかりしたかも?ということでちょっとおまけの話を追加します。お正月の恒例の実家での宴会に毎回出席している姑の姉、夫のおばに当たる人。子供が居なくてご主人にも先立たれて一人暮らし。年末に毎年義兄かうちの夫が車で送迎して連れてくるのが習慣になっている。うちの子供たちはこのおばが大嫌い。わけは子供たちを見て「太い、太い」と大声で言うから。そういうご自分も決してナイスバディではなくかなりの貫禄のある体型。姪たちにも帽子がおかしいとか化粧がどうとか言いたい放題。私も例外でなく座っていたおばにいきなり立っている足首をつかまれて「ふっとい足!」といわれたこともある。こんな風に口の悪いおばなのでいくらお年玉を貰っても子供たちも好きにはなれない。しかしこうしてみると火星人の一家は癖のある人がそろっているなあ。
2005.03.28
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夫と結婚当初から義姉は何かと仕切りたがった。まず最初は新婚旅行から帰った直後。二人で夫の実家に挨拶に行った時のこと。義姉に結婚祝いのお返しの話を持ち出される。新婚旅行でお金を使いすぎたわたしたちはお金がなかったのも合ってわたしのボーナスが一ヵ月後に出るのでそれでお返しをするつもりだった。義姉はそんなに遅くなったらダメだと言う。姑が足りないお金を貸してくれることになった。新婚生活の最初から姑に借金をするのがいやだったわたしは当たり障りのない言葉を選んで色々と反論を試みた。しかしわたしの意見など聞き入れられなかった。頼みの夫も姑や義姉の言いなり。そして義姉は某有名デパートの外商部に知人が居るからわたしの口利きで安くなるからとお返しを買う店まで指定。挙句に買いに行くのに舅、姑、義姉が同行すると言う。何処の世界にそんなにぞろぞろと揃ってお返しを見に行く家族があるだろう。だがお返しを実際に5人揃って見に行った。義姉は自分の知人からも結婚のお祝いを貰っているからわたしたちがおかしなものをお返しに買うと自分が笑われるといって聞かない。もちろんその知人へのお返しだけでなくすべてのお返しの品は義姉の思い通りに決められた。わたしは家に帰って何も言い返せなかった夫と口論になった。夫はそれまで何でも姑や義姉に色々なことを相談して居たのでこんな状態でもなんとも思っていない。それがわたしには不思議だった。未成年の夫婦でもないのに何でこんなに一から十まで仕切られて自分たちの意見が通らないのだ。そしてその次は長女出産の時。入院中の私に代わって夫は市内の神社に命名の相談に出向いた。わたしと相談の上名前を決定し、出生届に書いた。夫は一応実家によって舅姑に見せてから出生届を出してくると言う。その日のうちに出生届を出した。夜になって外出中だった義姉が帰宅して激怒したという。自分に相談もなく長女の命名をして出生届を出したからだと言う。普通義姉にまで相談しないだろう。姪の名前がどう決まろうとそんな事で怒るのはおかしい気がした。私も弟がいるが弟のところにおいが生まれた時別に命名の相談になんて預かっていない。だからと言って腹を立てる気持ちはまったくないし、義姉の気持ちは理解できなかった。さらに月日がたって長女が入学する時。舅姑がお祝いに机を買ってくれるといいお金をくれた。わたしたち夫婦は長女を連れて近所の家具店に机を見に行って購入する机を決定、夫の実家へ報告した。後日姑はどんな机を買ったのか見に来たいといい我が家に見に来た。だがまたしても義姉はわたしたちが机を買ったことを激怒。自分に相談せずに勝手に買ったという。何でも義姉は自分の勤める会社に出入りしている文房具の業者に「姪の机をお宅で買うから」と勝手な約束をしていたという。だからわたしたちが勝手なことをして自分の立場がなくなった、顔が潰れたと大騒ぎをする。そもそも自分がお金を出すわけではないのに何でそこまで首を突っ込みたがるのか理解に苦しむ。相談しなかった私たちが非常識だとはとても思えない。そして義姉はその約束をした業者さんに悪いからと言って文房具券なるものを購入、長女の入学祝としてわたしたちにくれた。その文具券は加盟していない店では使えない券で市内でも使える店はほとんどない。腹いせのようにそんな使えない文具券をくれる義姉にあきれ果てた。せめて図書券ならまだほとんどの書店で使えたのに。その後も舅姑の金婚式の席ももちろん義姉が仕切った。そのころ娘たちは小学校の高学年だったが料理を予約する際、二人で大人一人分で十分と言う。私は普段もう二人とも大人並に食べているからそれでは足りない、一人前づつ頼んでくれるように義姉に頼んだが聞く耳を持たない。私と夫は途中料理のことで娘たちが喧嘩にならないように自分たちの料理を分けた。毎年の正月の夫の自宅での宴会も義姉の仕切り。恒例のカニすきも鍋奉行の義姉の指示で進行する。最後のしめの雑炊も作るかどうかは義姉がお腹いっぱいかどうかにかかっている。たとえ食べたいと言う人がいても義姉が「もうお腹がいっぱいになった」と言えば無視される。誰も義姉には意見を言わない。お客さんが持ってきた手土産も義姉に仕切られて義姉が食べたいと言わなければ食卓に出てこない。いつでも何処でも仕切りがたる女・・・・それが義姉なのだ。今日も義姉の仕切りで舅の米寿を祝う昼食会。きっと何かが起こりそうな予感。結果は明日の日記で・・・・・お楽しみに
2005.03.27
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火星人は何を買うにも値段にこだわる。安くないと買わない。自分が安いと納得できるまで買わない。納得できないとお店を何軒でも回る。先日も車のバッテリーを買うのに「高い!」とホームセンターや車用品の店を何件も回った。そういうことには労力を惜しまない。以前スーツを買いに行ったときの事。チラシの安いスーツが売れてなかったらしい。帰ろうとしたらおばさんの店員さんがこっちのスーツをいくらいくらにすると持ちかけてきた。夫は値引き交渉を始めた。おばさんは値引きする権限がないのか迷ってわたしたちを待たせて店長に聞きに行った。店長のOKが出たらしい。また違う値段を言い出した。それでも夫は納得しない。おばさんは店長と夫の間をなん往復もした。最後におばさんはあきれたように「ご主人の粘り勝ちですわ。もうご主人の言う値段でいいですわ」と言う。感じが悪かった。私はそんな事を言われてまで買うのかとちょっと思った。夫は結局スーツを購入、店を出るという。「この柄はあんまり気に入らんかった」それなら何で買うの?気に入らないなら気に入らないといったらいいのに。おばさんが向きになって値段を下げてくるので断りにくくなったらしい。たとえいくらに下がっても気に入らないものを買うなんてこの勝負、夫の負けだ。先日は安いと評判の店にコーヒーのミルクと砂糖を買いに行った。確かに業務用の商品を扱っている店なので何を買っても安いが量が多い。砂糖はうちでは夫は3グラムと決めているが3グラムのちょうどいい量のがなかった。長い間商品を散々見比べて結局6グラムの砂糖を買ってコーヒーの時わたしと砂糖は半分にするという。お酒やビールも安いと聞けば車を飛ばして遠くの店に買いに行く。ガソリンも去年からセルフの店に切り替えた。安いものを買うのは火星人の生きがいのようである。外食も当然安い店にしか行かない。わたしは値段だけでなく店の雰囲気やボリュームも大事だと思うが夫が店を選ぶポイントは値段だけのようだ。しかしこんなに細かく一円単位に敏感に買い物をしている夫だが、結局遠くの店に買い物に行くのにガソリン代を考えたら本当は得をしているのかどうか疑問だ。でも夫の頭にはガソリン代は入っていないらしい。さらに言えば買い物にこだわって少しは安く買えたとしても一方でパチンコで万単位で使っていたら結局は得はしていないのではとわたしは思う。まずそっちを倹約した方が早いのではと思うが自分のパチンコは必要経費と言って譲らない。ちょっとピンボケな夫の節約術だ
2005.03.26
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火星人は帰宅すると自分で鍵を開けて入る。その際玄関の電気がついているともったいないと怒る。それで娘たちが帰ると電気は消して置く。真っ暗な玄関で鍵をガチャガチャしていたらそれは多分火星人の帰宅。ドアを開けて入ってくると靴を脱いで上がったところで服を脱ぐ。今のシーズンならコート、スーツの上着、ズボン、ワイシャツを脱いで下着のシャツパッチ姿になり通勤用のカバンからお弁当を出す。玄関から少し廊下をまっすぐに行くとリビングのドアがある。ドアを開けて入ってくる姿はシャツ、、パッチ。慣れてはいても思わず笑える。まるでその姿で通勤していたような気がして。その姿で「ただいま!」やっぱり変?脱いだものは玄関の古新聞を入れてある段ポールにかけてある。暗いところで脱いでいるところをみるとコレはコレでおかしな習慣だ。以前は廊下に面した客間に夫の服をかけていた。帰ってくると自分で客間に入って服かけにかけていた。それがその客間を長女にのっとられた。お父さんの服は撤去して欲しいといわれた。それで夫の服は二階へ移動した。だから本当は帰ったら二階へ着替えに上がるといいのだが、玄関で脱ぐようになってしまった。もちろんそこで着替えろなんて私いってませんよ。それで寝るとき気が向いたらその服を持って上がる。気が向かないと・・・・・朝までそのまま・・・・だったりする。私は自分の事は自分でやって欲しいのであえて手はださない。きっとまめできちんとした奥さんならそんな習慣にならなかっただろう。悪妻の証明?かもしれない。時にはリビングに来る前にその真っ暗な玄関で金魚にえさをやっていることもある。玄関の下駄箱の上に夫の飼っている金魚の水槽がある。えさをやりながら金魚に何か話しかけていることもある。なんだか暗いぞ火星人!それから挙動不審なのはトイレ。夜トイレに入るとき何故か電気をつけない。私が入ろうとしてドアを開けると真っ暗な中でトイレに座っている夫を見つけてビックリすることがある。心臓に悪いから電気はつけてよね用を足すだけでなくて一人考え事をする部屋?として使っているのかもしれない。暗い中考える人のポーズをしているのはちょっと不気味もしかしたらトイレから火星と交信?1度交信の現場を押さえてみたい私です。
2005.03.25
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以前にも日記に書いたが私の実家の父は数々の事故にあっても不死身かと思うほど何度も無事生還を遂げている。それ以外にもスーパーマンぶりのエピソードはたくさんある。例えば歯医者での話。そのころまだ現役で働いていた父は仕事が忙しくてなかなかは医者にいけなかった。やっと暇を見つけて歯医者へ行くと父はドクターに言った。「わしは忙しいから何ヶ月も歯医者に通われへん。なるべく短い期間で治療をしたい、いっぺんに何本も平行して治療してくれ」それで先生はその日父の歯を6~7本まとめて抜いた。父の歯を総入れ歯にするためにさすがのスーパーおじいちゃんもその夜発熱したという。ドクターも「そんな事を言ってきた患者はアンタが初めてや」とびっくりしたという。父のスーパーマン振りを物語る話はまだまだある。大工仕事、電気工事、水道工事、大抵のことは自分で出来る。我が家の家電もすべて父に修理してもらっている。屋根の上に上がってソーラーの修理もやってのけた。それでもまだそれくらいできる人は大勢いると思う。父は自分の入れ歯の調整から仏壇の修理までやってのける。入れ歯が合わないと普通の人は歯科医をおとづれるだろう。しかし「ここがこうで」説明してもなかなか分かってもらえず父は歯がいい思いをしていたらしい。ある日ひらめいた。自分の入れ歯の何処がどう具合が悪いのか一番分かっている自分が治せばいいんや!父はホームセンターでグラインダー(固いものを削る道具らしい)を買ってきて入れ歯を削ったりはめたりしてついに自分で直してしまった。「歯医者よりわしの腕のほうが上や」と父は得意顔。そして仏壇修理の話。仏壇はさすがに普通の人は専門家に修理させるだろう。専門的な技術もいるだろう。父はそれを意図も簡単にやってのけた。修理に使ったのはなんと家にあったレースのカーテンと金色の色紙。レースのカーテンを扉のところに使っている薄い布の代わりに使い扉を修理。奥の金箔のはげているところは金色の色紙で代用。仏壇やサンに修理を依頼したら高額の修理代を請求されていただろう。出来上がってみるとレースや折り紙で修理したとは思えないできばえ。これも父は法事にやってきた親戚の人にもおおいばりで自慢していた。うちが粗大ごみに出そうとしていた子供の二段ベッドも持って帰って活用している。散歩の時粗大ごみの出ているところでまだ使えそうなものを拾ってきて修理するのもお手の物だ。粗大ごみ置き場で拾われてきて修理されたアイボ君(犬型のロボット)も父の家のリビングに飾られている。父は無事生還した話ばかりでなく日常生活でも数々のスーパーマン振りを発揮している。運命の神も父の味方をしているような気がする。長生きをしてね、おじいちゃん
2005.03.24
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この日記にも度々登場している義姉のことを今日は書こうと思う。独身で夫の実家に同居している義姉一号のことだ。まずはこの話。まだ子供たちが幼稚園だったころのこと。子供たちが私に髪を長くしていて欲しいというので私は髪を長くしていた。これが義姉は気に入らず顔を合わせるたびに髪を短くしろと何度も言う。私はそんな事まで指示されるのはかなわないと正直思っていた。言われる度顔は笑いながら言った。「子供たちが長くしておいてと言いますから」それでも何度も繰り返す。あるとき実家へ行くと今度はこういう。「あんた、まさかGパンで幼稚園の送迎なんていってないやろな?」はあ、幼稚園の送迎はほとんどGパンで行っているけどそれが何か?そんな言い方をされるほどGパンは非常識な格好だろうか?子供と一緒に遊んだり、動くのに軽快なGパンは逆に幼稚園ママにとって普通の格好だと思うけど。義姉のいうには幼稚園に行く時の格好は「髪は短くまとめてカチューシャを付け、花柄のスカートをはいて行くように」との事。はあ、私二人の子供たちの送迎で4年間幼稚園に通ったけどそんな人みたことないですけど。それはあなたの勝手な思い込みでしょう。なおも義姉の妙な説教は続く。「年を取ったら髪は短くせなあかん。長い髪は若い子だけのもんや。私も似あわへんからほんまはイヤやけど短くしとる。アンタも短くしい」年を取ったらというけど当時私は30代半ば。それでも義姉からみたら年取ってる部類に入るのか?義姉は当時40代後半。あなたが妙な思い込みで自分の髪を短くするのは勝手です。それを私にも強要しないでください。それに私もしているからあんたもといわれても意味がわかりません。もちろんそう面と向かってはいえなかったが、頑として髪は切らなかった。弟嫁の髪型や切るものまで思いどうりにしようとするなんてあなたちょっと変ですよ。皆さん義姉のこの言い分理解できますか?私は15年たった今でも理解できません。また別の話。ある日義姉が友達と一緒の時ばったり出会った。友達は太目の私を見て「お嫁さん妊娠しとるん?」と義姉に聞いたそう。それで義姉は「恥ずかしかった」とぶつぶつ言って怒る。私が太っているのが恥ずかしいとは。大きなお世話というもの。そんな風にずけずけ言う友達と言う人も私はあんまり好きではない。どっちにしてもあなたには関係ないでしょう。さらにある日姑と義姉が親戚の法事に出かけたときのこと。その席でそこのお嫁さんがすばらしくよく気が付いてよく働いていたと帰ってからほめる。そしてもしそこに私がいてもそんな風にはとても動けないだろうという。もっと気が付いて人からほめられるようになって欲しいと説教が始まる。私はそこにいなかったのに想像してまで説教ですか?実際に私がそこにいて何かあなたを恥ずかしくさせるようなことを言ったりしたりしたならわかるが、これも理解不能です。そして姪の結婚式の時のこと。未婚の姉は何故か黒留袖を着用して出席。親族紹介の後結婚しているのに(黒留袖で結婚していると思われた)なぜ苗字が変わっていないのか聞かれて困っている。未婚なら色留袖を着ていれば妙な詮索は受けないで済んだものをなまじ見栄を張って黒留袖を着たりするからかえって恥ずかしい思いをする。義姉は小さい声で「お嫁の貰い手がいなかったもんですから」などと答えていた。私はその質問をした男性に心の中で拍手喝采をした。良くぞ聞いてくれた。そう感じる私は意地悪な女だろうか?いつもわけの分からない説教をしている義姉が逆に人にやり込められているのがちょっと面白く感じたのだ。さすがに火星人の姉だけ合ってエピソードには事欠かない人だ。
2005.03.23
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最近カタカナ語にめっきり弱くなった私。以前は心臓につけるペースメーカーのことを「ヘルスメーター」と言い間違える人がいると聞いて「そんなもん心臓に入れたら大変やん」と突っ込みを入れていたのに。薬の名前もなかなか覚えられないし聞かれても中々でてこない。先日も次女と夕食のおかずをハンバーグにしようかと話していたとき。「ソースはやっぱりドミグラスソースだよね?」と私が言うと「お母さんそれはデミグラスソースだよ」と次女が訂正。あ。そっか。またケーキ作りが趣味の次女。ケーキを焼いているので「今日はバウンドケーキ?」と聞くと「違う、パウンドケーキや」「バウンドしてどうするねん?」と鋭い突っ込み。「バウンドしているのはお母さんのお腹と違う?」確かにお正月もとっくに過ぎたのに3段鏡餅飾ってますけど。「そのうち東京デズニーランドとか言うのと違う?」「そりゃないわ」とは言うものの将来は言っているかもしれない。コレでも昔は英語は得意科目だったのに。って関係ないか?カタカナに弱い=英語に弱いか?そのうちおかしないい間違いをして済ましている年寄りになるのだろうかああ、いやだいやだ。皆さんはカタカナ語のいい間違い、勘違いないですか?
2005.03.22
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昨日になって火星人はようやく一昨日の件を謝ってきた。しかしきっと私が何で怒ったか分かっていない様子。なんだか怒っているみたいだからとりあえず謝っておこうみたいな態度はむかつく。いつも火星人はそう。何処まで真剣に反省しているのか、また同じようなことを繰り返す。真剣に私の気持ちを理解しようとするなら私がどんなことで怒るか少しは学習するはず。私が何で怒ったか説明するのもむなしくなってしまう。一人で怒り続けるのも疲れるだけだし。今日も火星人は休みなので私の病院の送迎をするつもりみたいだし、とりあえず今回はこれくらいにしておいてやるかさて長年の研究の結果私は火星人はマザコンだと言う結論に達した。恐らく日記を見てくださっている皆様もそう思われるだろう。結婚後初めてそれに気が付いたのは保険の問題が起こったときだ。5月に結婚した私たちは結婚直後、姑の知人から保険契約を勧められた。10年満期で貯蓄タイプ、掛け捨てでないので貯金の変わりに入って置いたらいいと言う姑の薦めもあった。入っても良かったが結婚直後でまだまだ揃っていないものも多くお金がなかった。もうすぐ夏のボーナスが出るのでそれからならいいと私は夫に答えた。それなのに夫は一人で実家に行った時に私が言ったにもかかわらず勝手に契約をしてきた。私の意見は無視されていた。そしてその保険屋のおばさんは年に二回の集金をうちには来ないで姑に立て替えてもらいに来る。姑は立て替えてはくれるが私は姑に借金のある状態がいやだった。何とか工面して渡すもののボーナス前になる度にその保険に入った経過を思い出して腹が立った。10年たって満期になり姑はまた入ったらいいと言ったが私は断った。もうこんな思いをするのは沢山だ。夫はもうこの事件はすっかり忘れているだろう。そして新婚生活が始まっても何かにつけて姑に聞き姑の流儀に合わせようとするから私はいらだった。冠婚葬祭や日常生活のこまごましたことまで常に姑の意見を求める。私がこうだと言っても信用できないのかすぐに電話をかける。1度私の作るほうれん草の胡麻和えに砂が混じっていた時、どうしたら砂が入らないのか姑に聞いたりしている。そんな事を聞いたら私の顔は丸潰れじゃないの?朝ご飯を炊く実家の習慣も同じようにしたがり、新聞も同じのを取ろうという。ご飯なんている時に炊けばいいし、新聞を実家が同じのを取っているからと言って同じにするのは抵抗がある。私は意地でも新聞を変えなかった。その新聞は私の実家の新聞とも同じで地元では読みやすいと言う評判だったが姑と同じと言うだけで私はいやだった。そしてコレだけ色々な事実があっても本人はマザコンを認めない。人事だと思っているからテレビなどでマザコンの話題だと「マザコンって気持ち悪いなあ」などと言っている。自覚症状なしの重症だと私は見ている。そんな新婚生活のスタートだった。しかし結婚を機に別居して20年たった。徐々にマザコンは良くなっているのか?最初のころお小遣いを使い果たすと良く姑に小遣いを借りに行っていた。私はそれがいやで姑にも本人のためにならないから貸さないように言った。それでも姑は夫に甘く二つ返事で貸していた。まるで私がお小遣いをろくに上げていないかのように思われるだろうし私の立場もない。それに何よりそんな習慣をつけると言うのがいやだった。いい年をした息子がお小遣いを親に上げるどころか貰いに来ることを姑はどう考えているのだろうか?情けないとか思わないのだろうか?確かに利息が付くようなところでは借りたことはない。だからと言ってコレで良い訳はなかった。私は夫にはこのことは何度も言った。最近はようやく本人曰く借りて居ないと言っているが本当のところはどうだかわからない。姑も一緒になって息子をかばうから姑の言うのもあてにはならない。生活費が足りないならともかくお小遣いパチンコ代なのだ。使ってしまったなら次のお小遣い日まで我慢するべきだ。子供でもそういう時追加などとはいってこない。子供以下。最近には子供にも「あれは立派なマザコン」と言われている。徐々にでもこういう形は改めていきたいと私は思っているが肝心の本人にマザコンを卒業する意思はあるのか?今後の私の重大なテーマだ。火星人の地球人化は難しいのだ
2005.03.21
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昨日の日記を読み返すと自己嫌悪。確かに夫の態度は許せなかったが、そんな夫を選んで20年連れ添っている私。夫の事を悪く言うと天に向かってつばを吐いているような不快感がある。今朝起きてネットをしていると電話が鳴る。今日は墓参りなので姑が早く行こうと電話をしてきたのだろう。私は電話には出なかった。昨日の今日、あの暴言を吐く夫を育てた姑と何事もなかったように話せるほど私は人間が出来ていない。いつもは電話には出ない夫が出たようだ。墓参りの催促だったと夫が呼びに来たが私は行かないと答えた。夫はそうかと言って1人で出かけた。昨日のことが原因で私が行かないといっているとは思っていないらしい。昨日のうちに謝っておけばもしかしたら私も行ったかもしれないのに夫は昨日のことをたいしたことだとは思っていないようだ。こういうとき気の利く夫なら帰りに妻の好物を買って帰ってご機嫌を取るとかするのだろうが夫はそういうことは出来ない。仕事帰りに1人でスーパーに寄っても自分の酒と肴を買うのみで私に「たまには私の好きなものも買ってきてよ」と言われても買ってきたこともない。子供たちにも「お母さんスイートテンダイアモンドもらってへんのと違う?」と言われる。そんな事は期待できない夫だった。実家の墓参りをパスしたがこの行事は日記にかけるほど結構面白いかもしれない。墓参りはお彼岸、お盆そして年末にも行う。そして終わった後は夫の実家のそばの店でテイクアウトのお寿司を買って夫の実家で頂くのが恒例。そのとき買い物をするのは姑なのだが、大人が4人(舅、姑、私たち夫婦)時には義姉、うちの子供たちも行く時があるが人数にかかわらず姑はいくらなんでもコレだけでは足りないだろうと思う分量しか買ってこない。そして「足らん買ったら家にあるもん食べたらええ」と言いながらお茶しか出さない。子供たちが一緒の時、お寿司を3つも食べたらそこで義姉がいやみを言う。「それ以上食べたらお母さんみたいに(私の事)豚になるで」いくら小さい子でもお寿司3個と言うことはないだろう。小学校の高学年ともなれば大人並に食べる。一緒に住んでいないから子供がどんなに食べるのか分からないからにしても毎度毎度そんな事を言われたら子供たちは嫌がる。以前義両親の金婚式のお祝いをお店を予約してやったことがある。その会を仕切った義姉はうちの子供たちが小学校高学年で結構食べると言ったにもかかわらず、二人で大人1人分しか注文してくれなかった。「残したらもったいないから」と言って。もちろんそんなモンで足らず私たちはエビフライとか子供の好きそうなものを食べずに子供にこっそりやった。義姉も姑に似て食べ物に関して倹約?家のよう。姑も義姉も子供たちにお腹いっぱい食べなさいということはまったくない。そして子供たちは墓参りには行かなくなった。お正月でもちょっと食べるとそんないやみを言うから子供たちはお年玉がもらえなくなったら行くのを止めようと言っている。夫や舅はお構いなしに自分の好きなだけ食べるが私が食べ過ぎると姑の分がなくなるような具合なのであんまり食べられない。お正月でも墓参りでも私は夫の実家ではお腹いっぱいに食べられないので出かける前に食べてから行くのが習慣になった。そんな私を見て夫は「向こうでご馳走が食べられるのに何で今頃そんなん食べてるんや?」と不思議そうに言うが・・・・理由を話しても夫は理解不能、「そんなん気にせんと食べたらエエのに」自分の実家で嫁がそんなに気を使うのが不可解らしい。きっと同居したら私はがりがりに痩せる?たとえ痩せてナイスプロポーションになれるとしても同居は絶対に無理だ。痩せる前にきっと胃に穴が開くに違いない。またそんな事も理解してもらえない夫に私をかばうことは期待できそうもない。お墓参りの話に戻る。夫は私は婚家のお墓に私は入れないと言う。結婚しても妻はお墓は実家の墓に入るんじゃないかと本気で思っていたらしい。別にそれでもいいけどね。姑や義姉と死んでまで同じお墓に入りたくはないけどねお墓のなかでまで気を使って窮屈な思いをするのはごめんだしねじゃあ別のお墓買ってよ~
2005.03.20
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あんまり腹が立ったので本日二つ目の日記を書くことにした。午前中買い物でコタツ布団の大安売りがあったので上下を2000円で買ってきた。お昼を食べて模様替えの作業開始!と思ったら火星人はさっさと脱走。いつものパチンコに出かけた模様。仕方ないので長女と次女に手伝わせてリビングの大掃除。3時間くらいかかったかな。本棚も埃を払ってちょっとした大掃除。コタツ布団を入れ替えて古いほうは階段の下まで持っていった。ごみも集めて玄関へ持っていった。何にもしない火星人、帰ってきたらごみの始末と布団を二階に持って上がるくらいはしてもらわないと。終わった後火星人帰宅。どうやら成績は思わしくなかった模様。玄関に色々なものを置いてあるのでキレテいる。「何であんなところに置いてあるんや?」というから「二階に持っていってもらおうと思って」というと・・・「ボクはせえへん、子供にさせろ!」私も売り言葉に買い言葉。「なんにもせんと逃げたくせに、それくらいもせえへんの?」「どこや!どこへもっていったらええんや!」と怒鳴るから「そんな言い方するんならもうええ!」とこっちも怒りモード全開。それから火星人は大暴れ。ペットボトルは投げるわ、ゴミ箱はけとばすわ、部屋干ししていた洗濯物も投げられる。せっかく片付けたのにリビングが散らかる。大荒れついでに長女を捕まえて就職が決まらないことを説教。私は長女に「今おかしいからほっといたらええから」というと怒りの矛先はまた私へ「おまえ、そんなこと言うてええんか?普段散々オレに世話になっとるのに」そこまでいうか!確かによその嫁みたいに元気じゃないし、入院も良くしている。世話になっとるとか言われたら確かにそうだけどそれを言われると私も黙っていられない。「そういうこと言うなら明日はつきあってやれへんから!」そう、明日は舅姑と実家の墓参り。どうぞ血のつながった皆さんで行ってください。ここまで言われたらとうてい行く気にはなれない。そうでなくても行きたくはない。夫はまだまだ言う。暴れながら、「春の嵐や、いや今朝飲んだ風邪薬の性でイライラしとるんや」そんな副作用はきっとない。クスリの性にするな。どうせパチンコで負けたんだろう。そういうと「負けてないわ!」わあわあ言うからテレビも聞こえない。「暑い!」とストーブもコタツも消された。テレビも見られないし、私は寒いのに暖房も消されたので黙って夕ご飯を食べて即効二階へ避難。どうにも気が治まらないので今日の仔細をぶちまけている。どっちにしても明日の日記には書くつもりだったが、余りの怒りに明日まで待ちきれないので今日書くことにした。バカヤロ~
2005.03.19
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火星人夫は「ごくせん」にはまっている。「ごくせん」を知らない方に簡単に説明すると仲間由紀恵扮する女教師が奮闘する学園物のドラマだ。どうしてごくせんかというと仲間由紀恵の実家が極道ということになっているから極道の先生ということでごくせん。ドラマの最後はいつも仲間由紀恵が啖呵を切って喧嘩になる。喧嘩は女性一人で男性を何人もやっつける。ちょっとありえないほど強い。土曜日の9時になると子供たちに「お父さん、ごくせん始まるで」といわれてテレビの前で始まるのを待っているくらいはまっている。おかしい。夫は普通ドラマは見ない。一回限りのスペシャルドラマでも連続ドラマでも。夫が好んでみているのは相撲やスポーツ、日曜日の将棋、クイズ番組、ニュース、それからスペシャル番組の交通違反や事件での実際の警察官の活躍を描いたドキュメンタリーなど。どうしてごくせんなのか?私は考えてみた。ドラマの人間関係や筋書きを追うのはめんどくさいらしく普段は見ないし、私が見ていると「こんなん、何処が面白いん?」というくらい。機嫌が悪いと私が見ているドラマを消されてしまうこともある。そういう夫がごくせんにはまっているわけは・・・・・。ストーリーが単純だから?ワンパターンだが最後の仲間の啖呵がストレス発散するのか?もちろん主役の仲間由紀恵も気に入っているらしい。夫はテレビで好みの女の子を見つけると大はしゃぎ。「僕のタイプや、僕の奥さんにしてやってもいい」奥さん、何人持つつもりですか?朝のテレビのお天気お姉さんも好みの女の子の1人だ。うっとりとテレビを見ていて肝心の天気予報の方はまったくと言ってほど見ていない。朝出勤するまでに彼女が登場しないと残念そうに出かける。私は「お父さんのことが嫌いやからお父さんが出勤した後ででてくるつもりやで」とからかう。すると「そうやろか?」と少ししょぼんとする。今日はごくせんの最終回なのでまた大騒ぎしてみているだろう。多分仲間由紀恵の最後の啖呵と喧嘩のシーンしか見ていないから一緒に出ている男子高校生たちのことは全く印象に残っていないに違いない。私と娘たちはどの男の子がいいねといいながら見ている。私は正直ドラマとしては「金パチ先生」の方が好きだ。内容が深い気がする。不器用な熱血先生金パチ先生の奮闘するシリーズは昔から見ている。前のシリーズでヒットした送る言葉も好きな曲のひとつだ。今回、覚せい剤に手を染めた教え子を救おうと金パチ先生が奮闘している。前々回だったか、奮闘の甲斐なく警察の知るところとなり学校に警官が生徒を逮捕しようとやってくる。教室で逮捕しようとする刑事、止める金パチ先生、留守電を聞いて駆けつけた母親が廊下で叫ぶ。仲間の生徒たちの泣き叫ぶ中、手錠をかけられた生徒が連れて行かれる。ラストシーンはスローモーションでかかっている音楽もすごくいい。思わずドラマなのにもらい泣きしてしまった。ごくせんでは私は泣けない。でも一応今夜は見るけどね。
2005.03.19
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先日の日記に姑のことを書いた。息子可愛さに色々言ってくる典型的な地球の母親だ。舅はちょっと偏屈でまた別の意味で気難しい人だ。仕事をリタイヤした後趣味の畑仕事を楽しんでいる。私が大根の葉が嫌いだといったら説教される。「葉っぱだけでも欲しい欲しいという人もいるのに」そういわれても欲しい人がいるならその人に上げたらいいのに何故か説教しながらこっちにくれる。好きだという人に食べてもらう方が葉っぱも幸せだろうに。夫の実家へ行って舅が客間で寝ていることがある。そのとき挨拶をしないと「挨拶もろくにしない」とぶつぶつ言われる。だって寝ているんだから起こしてまであいさつできないでしょ?わざわざ挨拶のために起こす?っていうかもしかしたら起きているのに挨拶に来るかどうか試している?よく分かりません。二股の立派な大根が取れたら「お前の足みたいな大根がとれたぞ」失礼な。聞こえない振りをしたら聞いていないと思ったのかもう一度繰り返す。悪かったね、大根みたいな太い足で。その何にも考えないで言葉が出てくるところが息子にそっくりだ。以前舅姑と私たち夫婦で親戚の法事に出かけたことがあった。主人の運転で親戚に向かう。車には5人乗れるので舅は勝手に別の親戚を同乗させる約束をする。えっと思ったけど後ろに3人乗って狭い思いをするのは舅だからまあいいと私は思っていた。すると舅は済まして私に言う。「お前、後ろに乗れ、わしは狭いのはイヤやから前に乗る」なんというわがまま、あなたが勝手に乗せる約束をしたから後部座席がきつきつになったんでしょう?自分だけゆったりと助手席に乗るんですか?私はあきれたがしぶしぶ後ろに行った。乗ってきた親戚の男性は体の大きな人、私は真ん中に座った。反対側は姑、二人の間で小さくなって乗ったので肩がこって大変だった。舅はこういう人だ。それから嫁として私は全然不満足らしい。「あんなんしかおらへんかったんか?」などと言っていたらしい。夫の実家にあるアルバムには舅と若い女性の写った写真がある。夫に聞くとそれは舅が気に入っていて息子の嫁に欲しかった女性の写真だという。そうだとしてもそんな写真をいつまでも取って置く気が知れない。姑のようにお腹で思っていることと口に出していることが違うような陰険さはないがやっぱり言いたい放題に言うのは同じ、コレは家風なのか?ちなみに舅と姑は戦前には珍しく恋愛結婚だ。体が小さくて徴兵検査に不合格だった舅は軍需工場へ働きに行っていた。姑も同じ工場で勤めていた。ある日舅は姑を見初めて自宅まで後を付けていった。そして兄を連れて姑の実家に結婚を申し込みに行った。娘たちはこの話をすると「おじいちゃんってストーカーやったんや」と笑うがこういう出会いも昔はよくあったのかもしれない。舅は88歳になる。畑仕事をしているくらい年の割には元気な方だろう。去年の夏、義姉1号(実家在住未婚の方)が米寿のお祝いにカラオケセットを買ってあげようと言い出した。下の義姉2号も賛成し各自2万円づつ購入資金として一号に渡した。「敬老の日までには買ってあげるつもり」と一号は言った。ところが待てど暮らせど「買ったよ」という話はない。どうなっているのかと思っていたらどんなのを買うのか、とかいまさらながら近所も近いのにカラオケでガンガンボリュームを上げたら近所迷惑になるからとか舅姑義姉の3人の意見が一致しなくて買えなかったらしい。結局カラオケセットの購入は見送ることになったらしい。一号が代わりに皆で集まって食事会をしようということになった。先日実家に行ったら舅はまだカラオケセットに未練がありそうな口ぶりだったが姑義姉連合に押し切られてしまったらしい。食事会は27日になった。きっと面白い日記ネタになりそうな事件があるような気がする。というわけで夫の実家の住人、舅姑義姉一号の紹介はこんなとこです。さすが火星人夫の身内だけ合って個性的です。
2005.03.18
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今日は普段の何気ない会話がおかしさをかもし出す火星人の日常会話を楽しんでいただこう。私は次女を出産後体重が急増して今より10キロは多かったころのこと。ある日私はテレビで淡路島の断食道場のニュースを見た。10日間の合宿で10キロ体重を落とせるという。夜、仕事から帰った夫に何気なく昼間見たテレビの話をした。夫は黙って聞いていたが聞き終わって言う。「それでいつからいくんや?」はあ?小さい子を二人も抱えた私が十日も家を空ける?ダイエットのために?その間誰が子供たちの面倒を見てくれるの?私は夫に言った。「アンタが仕事を休んで10日間子供を見てくれるとでも言うノン?」夫は「・・・・・・・」少しは考えて物を言ってほしいよ。そして次の話。子供が小学校のころの話夏休み前に私は子供たちを何処へ連れて行こうか考えていた。予算があんまり無いのでなるべく安くて子供たちが喜びそうなところが無いか?そして田舎のログハウスに泊まって綺麗な星空を見るというプランを立てた。夫に相談すると一言で「そんなとこいきとうない」と却下。なんだ人がせっかく考えたプランを・・・と思ったが運転手役の夫が行きたがらないのではこのプランは諦めるしかない。そう思っていると2~3日たって夫が再び言う。「この間いうとったん、いつから行くことにしたんや?」はあ?あんた行きたくないっていうたやん?それを私が勝手に予約して話を進めるわけないやろ?少しは自分が言ったことに責任を持ってよ。3つ目の話。コレは最近の話。夫が先日傷テープを探していた。いつも入れている引き出しを指差してここにあるからと言ったが夫が探しても無かった。「無かったらもうないんやろう。またこうとくわ」と私が言うと夫は「なんでないんや?ボクの分があるはずやろ?何で置いてないんや?」と妙にこだわる。はあ?おやつでもあるまいし傷テープを夫の分を置いておく?そんなわけないでしょ。使いたい人が使ってなくなったらおしまい。家族の頭数で分けておいて置くなんて話聞いたことが無いよ。そして最後の話火星人はドライブ好き。近場であちこち行きたがる。昨日も近所の少し大きな公園に梅を見に行った。私には今年三度目の梅見物。それでも夫がせっかく連れて行ってくれるというから逆らわずにお供した。私は透析があった日なので少し疲れ気味。いつもなら梅を見ながら散歩コースを一周するのだがそんな元気は無く座って三分咲きの梅を見ただけだった。さあ帰ろうというとき夫が今度は「海を見に行きたい」という。私は疲れていたので「海はまだ寒いのと違う?」とさりげなく止める方向に持って行こうとした。夫は一旦言い出すとなかなか頑固。「いや、もうそんなに寒いことはないやろう」そして私がうんと言うまで抵抗する。「♪さ~どうする。どうする」でた~どうする音頭。作詞作曲はもちろん夫。そして自分の思い通りになるまで歌う。コレが出ると私はお手上げ、もう勝てない。いつもならコレに負けて海で散歩に付き合うことになる。ところが夫は運転しながら私の顔色をちょっとみて「今日しんどそうやからやめとこ」というではないか?ちょっとは空気を読めるようになったのか?進歩だね。火星人少しはおとなになったかも?(50代は十分おとなだよ)
2005.03.17
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公立の入試や発表のニュースが新聞やテレビで報じられるようになってきた。子供さんの入試にやきもきしておられるご両親もおられるだろう。ん十年前の私の高校入試のときの話を書こうと思う。私の志望した高校はその年に新設された高校だった。何故かこの年はその新設校に受験生が偏って飛びぬけて倍率が高くなってしまった。私の出身中学からも大勢受験したが多くの同級生が涙を飲んだ。私の仲の良かった友達も一緒に受験したものの落ちてしまった。その中の小学校から一緒だったA君。彼も受験に失敗した一人だった。かわいそうな彼は発表風景を撮影に来た高校専属のカメラマンに写真を取られた。後日卒業アルバムに載った発表風景の写真のど真ん中に受験番号が見つからずに呆然しているA君親子が載っていた。一方私は当日母とともに入試の発表を見に行っていた。私の番号が見つかったので母はとても喜んで泣いていた。母の結婚生活は苦しいことが多かったが「嬉しい時にも涙がでるんや」といまだにそのときの喜びを語る。そして私の高校生活はスタートした。当時まだ校舎も出来ていない。もちろん入学式もよその学校の講堂を借りてやった。市内の中学校の壊す予定の古い木造校舎を間借りして高校生活がスタートした。体育の時間にまずグランド整備をしなくてはならないくらい環境は劣悪だった。けれども先輩の居ない一期生ということで皆のびのびしていた。新しい校舎はため池を埋め立てて建設する予定だった。池の水をくみ上げて底の泥を薬品で固めてコンクリートの校舎を建てる。話を聞いても私たちは信じられなかった。工事の様子を見に行った校長先生は泥に足を取られて抜けなくなったという。本当にそんなところにコンクリートの校舎が建つのか?しかし一年後古い木造の仮校舎に別れを告げて新校舎へ引っ越すことになった。一部の校舎はまだ建設中で体育館や食堂は私たちの卒業後にやっと完成した。新しい校舎は私の家から近く、それまでの電車通学から自転車通学に変わった。このころ通学途中で私は田んぼに落っこちた。舗装していない路肩の土が崩れて自転車ごと一メートルくらい下の田んぼに落ちたのだ。幸い怪我は無かったもののちょうど田植えのシーズンで植えたばかりの苗を沢山なぎ倒してしまった。家に帰ってその話をすると母に笑われた。母は高校のとき自転車で川に落ちたという。このドン臭さは母のDNAだったのか?二年生になって私はアルバイトを始めた。夕方のアルバイトだったので家に帰ると眠くなってほとんど家での勉強は出来なかった。毎回小テストのある英語と数学だけを少し勉強して後の教科書は学校に置いている。それでも得意な国語や社会は何とかなった。数学や理科系の科目は苦手だった。私は社会で100点を取りながら一方で数学では0点を取るような生徒だった。母は「0点と100点を取る生徒なんてあんたくらいのもんやろな。先生もきっと印象にのこっとるやろうな」という。しかも数学の0点は何も書かない0点ではなく一応答えを全部埋めて回答を書いたのに点が取れなかったのである。それは多分中でも苦手な図形のテストだったと思う。自慢じゃないが社会や現国の時間などはよく一番前で寝ていたり、古文の時間は一応黒板は写すもののノートにではなく教科書に書き込んでいた。高校は普通科の進学校で就職組はほとんどいない。私も最初は進学希望だったが、高校の学費にも事欠く家庭の状況なのでアルバイトに追われ今の学費を出すのが精一杯、進学の分の学費をためるのは容易なことではなかった。アルバイトのお給料は高校の学費と若干のお小遣いをのぞいて全部母に渡した。それらは生活費に消えた。家に借金取りが押しかけてくるような環境では進学はとても望めなった。父はギャンブル好きで家にお給料を入れるのは年に数えるほどという状態。学校は友達も大勢いて楽しかったが、このころの家の状態は最悪、我ながらよくグレ無かったと自分で自分をほめてやりたいくらいだ。二つ違いの弟は友達から安く分けてもらった中古のバイクで夜中走り回り少しぐれかけた。事故や暴走族に入るまでにはいたらなかったが弟も良くグレずにまともに育ったもんだ。弟の家での喫煙を母はあろうことか学校の先生に相談しに行った。普通なら何か処分があるところだろうが先生は「あんまりお母さんに心配をかけるな」と一言言ったのみ。弟は「普通の親は家で吸う取ったら隠してくれるやろ。先生に相談しに行く親なんておらへんで」と言っていたが。私も弟もこれ以上母を心配させまいとして一応成績だけは中位をキープしていた。私は高校卒業後進学せずに就職。弟は学費の安い福祉系の大学に進学。入学金と授業料は母が工面してくれて後は自分のアルバイトで生活と学費を稼いだ。世間並みの仕送りなどというのは我が家では期待する方が無理だった。でも試験勉強と称して友達の家に泊り込んだり、たまには当時禁止されていた喫茶店でお茶をしたり楽しかったこともいろいろある。特にアルバイト先の大学生の人たちとお茶をするときちょっぴり自分がおとなになった気がしたものだった。ある日友達とお茶をしているとき先生方が入ってきたのでテーブルに代金を置いてあわてて裏口から逃げ出したこともある。でもあのころの先生方は生徒を信頼してかあんまりうるさいことは言わなかった。アルバイト先に様子を見にきたりすることもあった。やんちゃな男子生徒はタバコを吸ったりバイクに無免許で乗ったりする子もいたが、正式な処分でなく「丸坊主でまけといたる」という先生もいた。今思い返しても楽しかった高校時代。帰れるものならあの日に帰りたい。皆さんの高校時代はどんなでしたか?忘れられない思い出はありますか?
2005.03.16
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私のOL時代の最大の失敗の話。ある日仕事で使うはんこの注文を頼まれた。サイズとはんこに彫る文字を記入した伝票に上司のはんこを貰い担当部署を通じてはんこやサンに注文する。後日はんこやサンから納品されると引き取りに行く。引き取りに行ってびっくりした。30センチ四方もあるかと思う大きなはんこ。見たこともない大きさ。何故こんなものが?伝票を確認して納得、私はサイズのセンチとミリを間違えて記入していた。普通の手の中サイズのはんこを作るはずがこんな巨大なはんこを作ってしまった。しかもこのはんこは当時の値段で3万円もした。コレはうちの係りの一年間の消耗品予算に匹敵する。コレがばれたら始末書モンだろう。大目玉だけではすまないかもしれない。のん気者の私もさすがに青くなった。ひたすら担当者のおっちゃんを拝み倒してこの件は誰にも内緒にしてと頼み込んだ。おっちゃんはそれを倉庫の隅に上手く隠してくれてその後大掃除のどさくさにまぎれて処分したらしい。ところが私はこの件でそのおっちゃんにしばらく脅された。別に金品を脅し取られたわけでなく、時々仕事中に呼び出されておっちゃんの倉庫整理を手伝わされた。「何で関係の無いとこの手伝いにいくんや?」と向かいの席に座っているおっちゃんには首を傾げられたが理由は誰にも言うわけにはいかない。倉庫のおっちゃんと私との秘密。しばらくして証拠品は処分され私もホット胸をなでおろした。もうひとつは私と会社で噂になっていた40代バツ一独身男性の話。仮にAさんとしておこう。Aさんは背が低くてメガネをかけていてお腹も大分でている中年男性。同じ部署ではなく仕事上はあんまり関連の無い部署。同期の友達がいて一緒に飲みに行ったりハイキングに行ったりしているうちに知り合った。私は歳も離れているしAさんの自分の自慢話ばかりする点が鼻についてどちらかといえば嫌なタイプだった。だけど露骨に嫌な顔も出来なくていわゆる普通のグループ交際の中の1人といったところ。ところがこのAさん、私のいないところで私の事を「もぐチャン、好きや。気にいっとるんや」などと言いふらしていたらしい。「Aさん、もぐちゃんのこと好きなんやて」とおせっかいにも言いに来る人もいる。「相手が居ないんなら真剣に考えてみたら、いい人やで」などと言われても肝心の本人は直接は何も言ってこず対応に困る。シャイなのか、からかわれているのかそして周りにはあれこれ言われて。きっともっと若くてかっこいい人だったら意識して恋の始まりとなっただろうが結局私たちの間には何もめばえなかった。私は結婚が決まりその噂は自然消滅。そういえばそのころ私が好きになる人とはうわさにもならず進展も無くえ~っと思うような人とばかり噂が立っていたなあ。もう1人噂になったのは30代の独身男性Bさん。何か話をしてもいつもボーっとした感じで噂ではリストラ予備軍、新しく出来た工場へ転勤(左遷?)話も出ていた。ある日そのBさんが私に話しかけてきた。私に若い女性社員との仲を取り持ってほしいという。その人は可愛くてBさんより一回りも歳が下。「紹介くらいならできるけど多分歳が違いすぎるから無理やで」と言ったが本人は紹介さえしてくれたら後は自分が何とかするからと妙に自信たっぷり。会社近くの喫茶店に呼び出して紹介。結局Bさんの恋は実らず、逆に私とBさんの噂が立つ。なんで~?引き合わせるために職場でよく話すようになったり、そのとき二人きりではなかったのに歩いているところを誰かに見られたことが噂の元らしい。どうせなら皆がうらやましがるような素敵な男性と噂になりたいもの。もぐちゃん恋に不器用だったOL時代でした
2005.03.15
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去年の秋ごろからだろうか。次女宛に自動車学校の入学案内が度々届くようになった。初めは興味が無かった次女も働き出したら免許を取りたいというようになってきた。心配性の夫はそれを聞いて早くも事故の心配。まだ取ってないってば、免許。毎日のように心配や心配やと騒いでいた。私は就職のためにも免許があったほうが有利だろうし、本人が取りたいというなら取らせてやろうと言った。考えの古い実家の父なんかは「女に免許はイラン!」などと言っているが今はそんな時代じゃない。私も若い頃に取っていたらよかったと後悔しているくらいだ。私たちの年代は持っていない友達も少しはいるが私たちより若い30代以下の人たちは男女を問わずほとんど持っているに違いない。取ったら取ったで事故も心配だがだからと言って取るなともいえない。パンフレットを見比べて家から電車で二駅のところにある自動車学校に行くことに決めたという。送迎バスもすぐ近くから出ている。問題はお金。次女は大学進学をしなかったので学費に当てる予定だった学資保険があった。一月の次女の誕生日の一ヵ月後に満期となり、その金額を普通預金に入れた次女名義の通帳を作って彼女に渡した。それで免許を取り、初心者用の安い中古の車なら何とか買える金額だった。火星人夫は今度は自動車学校が何処にあるのか、気になりだした。「今度休みに一緒に見に行こう」次女は夫と一緒の下見を拒否。「インターネットで調べるから行かんでもいい」「車で連れていったるから」「別にええ」火星人完敗。インターネットで場所を確認する次女。一応地図は見せてもらったらしい。道路地図で確認しようとするが載っていない。どうしても行きたい火星人は次女を誘うのを諦めて私を誘う。日曜の昨日の午後二人で出かけた。もう三月だと言うのに雪が降ってきた。しかもこの辺では珍しく視界も悪くなるような吹雪。吹雪の中火星人夫婦はいざ自動車学校へ。地図でみるとボーリング場の近くらしい。ボーリング場は看板代わりに大きいピンが立っていてすぐに分かったがその周りを見ても自動車学校が見当たらない。近くの幹線道路を行ったりきたり。元の場所へ戻ってしまった。どうしても場所が分からない。ふと見ると目の前の車はその自動車学校の仮免実習車。「いっそあれを付けていこうか?」と夫が言う。「いつ学校へ帰るかわからへんよ。まあそのうちには帰るやろけど」と私。自動車学校の車を尾行する夫。アンタはストーカーか?しかし視界は悪くこっちが信号待ちで引っかかっている間に差を空けられ何処へ行ったか分からなくなった。「残念!」夫は妙にテンションが高い。Uターンして再度ボーリング場の前へ。どこかに表示があるはず。よくみるとボーリング場と自動車学校の入り口がおんなじでボーリング場の入り口に「○×自動車学院」と地味に書いてある。夫は「こんな表示はあかん。分かりにくいわ」はいっていくとボーリング場は突き当たりにあり手前に自動車学校の専用入り口がある。「関係者以外立ち入り禁止」と書いてあるのに夫は無視して侵入。通学バスの横に駐車して奥の建物を目指す。はいったところはロビーでカウンターには事務の人の姿もある。日曜なのに生徒の姿は少ない。ロビーに学生風の若い男女が数人居るだけ。私はロビーの展示物を見ている。教官の写真入の名札が並んでいる。ふーんおっさんばっかり、イケメンはいない。夫はカウンターに近寄り事務の人と話している。ちゃっかりパンフレットを貰っている。一旦外に出て今度は並んでいる教習車を見る。「三菱の車が多いなあ」と夫。外は教習のコースだが外にも生徒はいない。コースもチラッと見てようやく納得が言ったらしく帰る気になったようだ。次女がどんな学校に通うのか心配でたまらなかったらしい。次女は「そんな過保護はいらん」と言っているのに無理やりに見にきた。家に帰ると車のチラシの検討。「こんな車がええんと違うか?」と次女に話しかけて無視されている。おいおい、まだ入学も申し込んでないのにもう車の話しかい?早すぎだよ。今からこんなに心配していたら実際に免許を取ったら心配の余り次女を自宅に監禁しかねない。そのくせ路上まで言ったら助手席について練習に付き合ってあげればというと「そんな怖いことできるかい」という。運転の経験者が教えてやら無くて誰が教えてやるんだよ。しかし運転はやっぱり経験して体でおぼえるもんだろう。免許を取ってから1度も事故や車をぶつけたりこすったりのない人はいないに違いない。子供って大きくなったら大きくなったでまた別の心配がでてくるもんだね。無事免許を取ったら次女を連れてお払いにでも行こう。火星人の気が少しでもすむように。神様、仏様、ご先祖様、事故の無いようによろしくお願いします。
2005.03.14
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わたしのとってホワイトデーは世間一般の意味と少し違っている。3年前の12日の夜私は珍しく発熱をした。私は子供のころからあんまり熱を出したことが無かった。夜微熱程度の熱がたまに出ても一晩ぐっすり寝たらすぐに下がり、高熱が何日も続いたようなことはなかった。多分インフルエンザにも生まれてこの方かかった記憶が無い。そんな私だったから早めに寝てよく休んだら翌朝には元気になると思っていた。翌日は次女の中学の卒業式。 朝今までに感じたことの無い激しい頭痛と体が非常に熱くなって目が覚めた。熱を測ると40度を軽く越えた。何をする元気も起こらない。夫はいつものように「はよ弁当入れて」とぐずぐずしている私に言ったが私は口を聞く元気も無い。ようやく夫を送り出して子供たちを起こした。次女の卒業式にはどうしても行きたかった。式は10時からだった。中学校は歩いて5分くらいだったのでぎりぎりまで家で寝て少しでも熱が下がったら行こうと思っていた。次女は余りの高熱に「別にこれんかったらこんでもエエから」といいながら登校。結局私は行く気持ちはあったもののどうしても体が動かず卒業式を欠席する羽目になった。昼になっても夜になっても熱は下がる気配が無い。病院にいく元気もなくお昼も晩御飯も長女が作ってくれて少しだけ食べた。私は当時まだ透析はしておらず慢性腎不全ということで月に一度市外のT病院に通院していた。持病のある私は近くの何処の病院にでも行くわけにはいかなかったし、明日が通院の予約日だったので明日見てもらえばいいという考えがあった。いつもT病院への通院には実家の父か夫が有給を取って付き添ってくれていたが、その3月14日の通院日は父の通院と重なっていて電車で行くように言われていた。しかし40度の熱がある私が電車に乗って病院へ行けるのか、タクシーを呼ぶと市外なので凄い金額私はどうしたものか考えながら前日眠りに付いた。朝起きても熱も体調も相変わらずだった。布団でぐずぐずしていると枕元に夫が立った。「今日は休んで病院へ一緒に行こう」夫は今回は休む予定にはしていなかったがあんまり私の熱が高くて下がる気配が無いので休んでくれることになった。いつもの何倍もの時間をかけてのろのろと私は出かけるしたくをした。熱のために頭もぼんやりとしてさっさと行動することができない。ようやく車に乗り込んで病院へ向かった。病院へ付いても予約時間にならないと見てもらえない。夫は受付の人に事情を話して待合室でなく処置室で横になって待たせてもらう。立って居ることはもちろん座っているのさえ苦痛だった。看護婦さんの話を聞いて外来診察をしていた主治医の先生が様子を見に来てくれた。私の状態を一目見た主治医は入院を決定した。血液検査の結果炎症反応が二桁台の数値で致命的な数値であることが分かる。主治医の先生は何故炎症反応が上がっているのか分からないという。髄膜炎の検査も行われた。髄膜炎の可能性はなかった。このまま熱の原因が分からず熱も下がらなければ命にかかわると夫には告げられた。以前の日記にも書いていたが「後三日持たないかもしれない」といわれたのはこのときのことだ幸いステロイドの点滴で熱は下がり始め熱の原因も膠原病が原因と判明した。後日担当看護婦さんが「とんだホワイトデーだったね」といわれてこの入院騒動の日がホワイトデーだったことに気が付いた。以来ホワイトデーの度に私の命の記念日のような気がしている。主治医には「なぜ熱が出てのにすぐ来なかった」と後で怒られた。退院後も「また熱が出たら予約の日じゃなくても必ずすぐに来るように」と何度も言われた。私の膠原病は非常に珍しいタイプで成人型スティール病というものだった。ステロイドの錠剤を飲み続けている限り高熱とかの激しい症状は抑えられる。普段はあんまり意識するような症状は無い。ただステロイドを減らそうとすると発疹とかの症状が現れてくるからなかなか減らせない。ステロイドは多くの副作用のある怖い薬だ。私は今の病院の主治医にもいずれステロイドを止めたいという希望をしているがなかなかむずかしいらしい。ステロイドは量を減らす時が難しいクスリらしい。しかしこれ以上胃潰瘍や糖尿病といった副作用が起こるのは困るので徐々にでも減らしていけたらと思っているが。3年前のホワイトデーのことは私は今後も忘れられないだろう。ちなみに私は世間の言うホワイトデーのようにバレンタインデーのお返しを貰ったことがない。皆さんのホワイトデーはどんな思い出がありますか?楽しい思い出、面白い思い出があればまたカキコをお願いします。
2005.03.13
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私たちはやっとの事でマイホームの購入を舅姑から許された。それでも姑の嫌がらせは止まらない。私たちは最初中古物件の購入を考えていた。マンションでもいいと考えていたが舅がマンションなんてと大反対だったし、結局二人が気に入った一戸建ての新築の今の家を購入することになった。しかしあらかじめ考えていたより予算が高い目で私たちには予算的に一杯一杯だった。夫は独身時代給料を姑に管理してもらっていて通帳も姑が管理している。夫はその通帳から家の購入資金を下ろしてくれと姑に頼んだ。姑はそこから百万出してあげると約束した。しかし一方的に50万にされた。理由は定期預金を解約するのがもったいないからというわけの分からない理由によるものだった。しかも頭金を払い込んだ後になってそういうことを言い出す。残りのお金で登記(一戸建てだと百万くらいいる)引越し費用、当座の預金も残しておかないと全部はたくわけにはいかない。50万も予算を狂わされてはこっちは困る。しかし夫は姑を責めずに「わかった、こっちで何とかする」と答えた。夫が何も言わないのに私が文句を言うわけには行かない。そしてローンの保証人を頼もうとしたがコレも断られた。ちょうどもう1人の結婚している義姉が家を新築中でそちらの保証人になるから二つの保証人にはなれないという。しかし保証人を立てられないと保障協会というところに保障を頼まなくてはならない。保障する金額にもよるがその額は数十万になる。保証人といっても書類上だけのことで万一ローンが払えなければ家を売るから絶対に迷惑はかけないと私たちは再度頼んだが断られた。義兄のローンの保障人はしても私たちの保証人は出来ないというのは私たちがローンも払えないだろうと思われているようで嫌な感じだった。そして後日先の日記に出てきた不動産会社の営業課長から聞かされたのは舅姑が義姉の家に300万出したという話だった。私たちに出してくれるといった100万が50万になったのはコレが関係しているのかもしれない。もしかしたら夫の預金はこっちへ流用されたのかもしれない。姑は管理している夫の通帳を渡してくれないばかりか見せることさえも拒否する。親がちゃんと管理しているのを信用できないのかと怒る。ちゃんと管理しているなら見せるくらいは見せられるはずだ。夫は300万の話を聞いても将来遺産相続の時義姉は相続放棄をしてくれるだろうからそのために出したんだろうという。私はやっぱり姑の行為は嫌がらせにしか見えない。しかし夫には私の考えはいえなかった。夫は姑を神様のような人といった。しかし私にはそうはとても思えない。夫もこれらの一連の姑の行為を見てさすがにその後は神様説を唱えるのを止めた。夫も内心は姑の行為にがっかりしているのではないかと私は思った。そしてお金でいろいろ合った末やっと引越しの日を迎えた。私は妊娠中だったので姑は口では流産するとか言って心配するそぶりを見せた。引越しには手伝いに行くといってくれたので引越しの日も伝えた。にもかかわらず姑はその日に旅行の予定を入れた。ついうっかりしてと言い訳するが私にはそれは嘘っぽく聞こえた。どうしても引越しに来てくれるつもりなら私たちに引越しの日を確認してから旅行の予定を入れるだろう。もう姑はあてにはすまいと私は思った。引越しもその後のローンの支払いも決して姑を頼らずにやってみせる。そうすることが私の意地でもある。そして姑の抵抗もむなしく引越しの日を迎えた。私は長女を私の実家に預けて無事引越しを終えた。今度の家は私の実家にも近い。きっとそれも気に入らない原因のひとつだろう。引っ越した後夫の実家へ行ってもこの戦争の後遺症というか私たちを迎える雰囲気ががらりと変わった気がした。夫が将棋をしていて夕食時になったら姑はさっさと夕食を用意して食べ始める。私たちに一緒にと声をかけることも無ければ子供たちがおなかがすいて姑たちの食べるのをじっと見ていてもお構いなしだった。ローンのある生活は予想したよりずっと厳しかった。あるときお給料前に親戚が亡くなってお香典を出す際に、お給料を貰うまで一時立替をお願いしたら、「アンタのとこはそんな余裕もないんか!」といわれた。以後夫が軽い気持ちで「借りとけば?」といっても私は絶対に借りなかった。そんな事をするとそれみたことか、家なんて買うからそんなことになるんやといわれるだろう。そんな事を言われるくらいなら一銭でも借りたくは無い。また夫の実家へ行くと「手みやげもないのか」などといやみを言われた。私は夫の実家に足を向ける回数が減った。すると義姉は「あんたらがめったに来ないから子供らがおばあちゃんになつかない。おばあちゃんがかわいそうや」しかし私は足が向かないようにしているのはそっちではないかと無視することにした。しかしマイホームの件では私も反省するところもある。若くてまだ人の気持ちもよく理解できなかった私は事を急ぎすぎた。もっと時間をかけて姑を説得するとかもっとやりかたがあったのではないか?実家との関係がこじれてしまったのは私にも責任があると思う。姑もわるいところばかりではない。次女を出産した時は長女を預かってもらった。もともと血がつながっていない嫁姑の仲はボタンをひとつ掛け間違うとどんどん悪い方に行ってしまう。我が家の出来事はそのいい証拠である。今姑はすっかり歳をとって当時のような勢いはまったくといっていいほど無い。義姉は相変わらず口は達者だが私のほうも距離を置いて付き合うようにしている。当時ほど嫌だ嫌だという意識は無い。この話を読んで「渡る世間」みたいだとコメントしてきた人もいたがコレくらいのことは何処の家庭にもあるにちがいない。以上が我が家最大の嫁姑戦争の話です。
2005.03.12
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夫結婚する前夫は姑のことを「神様のような人」と言っていた。私はそのとき姑に対してそんなに悪い印象は無かったが夫の言うのを鵜呑みにはしていなかった。子供の頃同居していた祖母と母の間に漂う微妙な空気に感づいていた。私には優しい祖母が母と喋るときにはとげとげしていることもあった。だからそうは言っても世間一般には嫁に対して神様のような姑なんて居ないとは思っていた。結婚後二人で実家に行くと笑顔で迎えてくれた。実家では夫は私をほったらかしにして将棋に夢中になっていた。姑は「晩御飯を食べて行き」といってくれたり、待ちくたびれて私が居眠りをしていたらそっと毛布をかけてくれるようなこともあった。だがそれは表面上だけのことだとすぐに気づいた。ある日実家から帰ってくると夫は「お前向こうで何にも手伝わへんのやて?」と言う。姑が夫にこぼしたらしい。私は耳を疑った。私は向こうで姑がご飯のしたくとかをし始めると「何か手伝うことはありませんか」と聞く。すると姑は「エエから座っとき」という。お正月なども準備は大変だけど義姉たちがふたりもいるし、姑のお気に入りのいとこ(女性)が台所に立ち私が手を出す隙が無い。それなのに陰に回って夫にそういうことを言っているとは。姑は気に入らないことがあると直接は言わずいつも夫や義姉を通じて私に伝える。夫とはそのたびに喧嘩になった。夫は私の言い分を聞くより姑の方を弁護するばかりだった。それでも私と姑が大きな喧嘩になることは無かった。昨日の話の続きに戻ろう。マイホームの契約の朝になって契約をドタキャンされた私はもちろんショックだったがそのほかにもショックを受けた人がいた。夫ではない。不動産会社の営業担当者の人だ。女性ながら不動産営業のベテランで課長をしている人だった。彼女も契約の日の朝になってのドタキャンにビックリして理由を聞いてきた。姑の反対を告げると彼女は姑の説得を買って出た。彼女は夫の実家へ説得に向かった。しかし姑は首を縦に振らない。聞く耳も持たない。ベテラン営業ウーマンのいかなる説得にも応じない。彼女はがっかりとして説得が不調に終わったことを報告に来た。一方夫は大して落胆していなかった。早朝からの電話もピタっととまったからむしろほっとしていたようだ。「また、そのうちにええ物件もあるやろ。急がんでもまたチャンスがあるから」「またっていつよ、今決断でけへん者が何年たっても絶対にでけへんわ」毎日のように私たちは言い合っていた。偶然目をつけていた家の近くを通りかかると契約予定日から1ヶ月もたっていたのにまだ売り家の看板が上がっていた。「まだ売れてないんや」夫の心が少し購入へ傾いたようだった。私は「何年待ってもきっとお義母さんは賛成してくれへんわ。大体一生借家におったらええねんていうとったくらいやから」「そんなこと言われててあんたは悔しくないん?」思わず私は夫をあおるようなことを言ってしまった。それは確かに姑が言ったことだった。そのとき夫も居たがその言葉は聞いては居なかったみたいだ。それを改めて私の口から聞いて夫は「よし、あの家を買おう」と決心した。皮肉にも姑の口から出た言葉が夫に購入を決意させる結果となった。このことは姑は今も知らないだろう。「どうしてもあの家を買いたい」私たちは夫の実家へ行って再びマイホーム購入の話を切り出した。意外にも今度は義姉が口ぞえをした。「家を買うのを許したろう」でもそれは優しさから来ている言葉ではなかった。義姉は続けていった。「このままずっと反対して家を買われへんかったらこの子らは私らが反対したからか買われへんかったとずっと思うやろう。家を買ってローンに苦しんでやっぱり私らの言うとおりにしとった方がよかったと後悔させてやりたい」また「家を買ったからというも付き合いはちゃんとしてもらうで」と妙な釘をさされもした。しぶしぶながら舅姑もやっと納得してもらえた。しかしこの後姑の嫌がらせはまだまだ続いた。早朝の電話こそなくなったが形を変えての第3ラウンドが始まった。
2005.03.11
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私たち夫婦は今は一戸建てのマイホームに住んでいるが新婚当時は以前の日記にも書いた2DKのアパートに住んでいた。結婚した翌年長女が生まれ、続いて次女を妊娠中私はマイホームの購入を決意した。夫の独身時代からの財形貯蓄が頭金に出来るほど貯まったこと、子供たち自分たちの部屋を用意してやりたいと思ったこと、そしてそのためには夫の年齢を考えて一年でも早くローンを組まないと定年にかかってしまうこと、そして何よりずっと借家暮らしだった私が自分の家を持つのが夢だったことなどが理由だったと思う。夫は長男で2~3年したら実家に帰るつもりだったから家を購入するつもりはなかった。夫は財形貯蓄は老後のための蓄えといい家は必要ないと言い切った。老後?私はびっくりした。今から子供が大きくなると普通の人は住宅の問題や教育費の問題を考えるだろう。どうして新婚の私たちがそういうのを飛び越えて一足飛びに老後の計画なんだ。何度も夫と話し合い、喧嘩もし、夫もようやくマイホーム購入に傾いてきた。当時給料は今より安かったが数年したら私も働くつもりだったのでしばらくは苦しい生活が予想されたが私は何とかやりくりするつもりだった。夫と何件も家を見に行って今の家を気に入ったので夫の実家に話しに行った。しかしここからはそうすんなりとことは運ばなかった。長男が家を継がないで別に家を購入するというのは彼らにとって晴天の霹靂だったようだ。舅は今は家を改築して同居するつもりはないという。自分の目の黒いうちは家を触るつもりはないから自分が死んだ跡長男である夫に家をやるつもりのようだ。しかし当時も今も実家には独身の義姉がいてそんなにすんなりと家が夫のものになるとは思われない。どうしても家を買うというなら先にお金を貯めてからにせよなどという。当時家はどんどん値上がりをしていてお金を貯めてローンなしでなどといっていると何年かかるか分からない。定年近くになって子供たちも独立して出て行くようになってからようやく家を買えたとしてもそれでは子供たちにはずっと狭い借家暮らしをさせることになる。そして義姉は世間体だけを考えていて人に聞かれたとき恥ずかしくないような市内でも高級住宅地に買うならいいという。私たちの力ではそんな高級な住宅購入はととてもむりだった。そして最大の難関は姑だった。姑は住宅の購入そのものに反対だった。私が共働きで働くならともかく夫一人の働きでローンを払うのは息子だけが苦労するというのだった。夫にも「アンタだけが苦労するんやで!」などといったりした。実際のやりくりは私がするにもかかわらず働いて協力していない私が何もせず夫にだけ働かせて家を買おうというのが許せないようだった。また結婚まで夫はお給料を貰ったら全部姑に預けて居るほど何もかも姑を任せて信頼していたのに結婚したとたん嫁の肩を持って家の購入を言い出したことも許せなかったようだ。姑は何が何でもマイホーム購入を阻止しようと決心した。その日からさまざまな形で嫌がらせが始まった。まず電話攻勢。電話がかかるのは早朝、4時とか5時。多分夫の出勤の邪魔になってはいけないという配慮から出勤前を避けたのだろうと思うが電話をかけるにはちょっと非常識な時間帯だ。「やっぱり反対や」と同じことを何度もくどくど繰り返す。電話を受ける夫は「こんな時間にかけてくるということはお袋は家のことで夜も寝られへんくらい考えとるんやな。ボクは親不孝やろうか」と悩みだす。実家への呼び出しもあって舅から資金の計画を聞かれたりする。毎月の給料やボーナスの額も教えろと迫られた。そんな事まで言うのかとあんまりいい気はしない。私たちはそんな中購入の話を進めてついに契約の日を迎えた。しかしその朝になっても姑の電話がかかり、夫はついに購入を断念すると言い出した。マイホーム購入をめぐる嫁姑戦争、1ラウンドは姑に軍配があがったようだった。私は悔しい思いでいっぱいだった。(明日の日記につづく。)
2005.03.10
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火星人は19××年1月9日産声を上げた。姉2人続いてやっと待望の男の子が生まれて舅は飛び上がらんばかりに大喜びしたという。「今度はちゃんとぶら下げてきましたで」と産婆さんに言われてうれしかったという話はお正月の度に上機嫌の舅から聞かされた。結構ゴンタな(やんちゃなという意味)子供だったらしい。保育園時代・・・気に入らないことがあると保育園を飛び出して家に帰っていた。小学校時代・・・ガキ大将というほどでないがよくけんかをしていたらしい。夫のおでこには石をぶつけられた跡があり、自分が石をぶつけてそこの親に文句を言われたこともあるらしい。ある日、一人で海に行って岩場で滑って怪我をした。手首からヒジの内側に向かって20センチもある傷が今も残っている。ところが夫はこの怪我のことを姑にも言わず病院にもいかずに治した。もし病院にいったら数十針縫っているような大きい傷だ。それを縫わず、消毒もせずによく大事にならなかったものだ。夫は初対面の人にシャツをめくって「ボクの生命線はこんなに長いねん」と(笑)を取るネタにしているがひとつ間違えば大事になっていたと思う。その頃姑は働いていたらしいが姉たちと夫のために毎日30円のお小遣いを置いて出かけていた。学校から一番先に帰る夫がそれを全部持って駄菓子やにいって使ってしまい、夜に姑から怒られることもよくあったらしい。中学時代・・・ほとんど勉強はしなかったが家にお金がなかったらしく牛乳配達のアルバイトをしていたらしい。牛乳配達が終わると残った牛乳を勝手に飲んでいたらしい。いつも牛乳が残らないから牛乳店のおばさんが不思議がっていたそうだ。それからコレはもう時効だが近所の畑からスイカを失敬したこともあるらしい。畑の持ち主に見つかってスイカを持ったまま全速力で逃げ切り家に帰った。「それどうしたんや?」と舅に聞かれた夫は「買ってきた」とごまかした。そしてそのスイカをおいしい、おいしいと家族で食べたらしい。昔のこととはいえコレは立派な犯罪だあ。夫は「昔はみんなそんなんやった」と平気な顔。そんな事大きな声では言えないよ。昔といってもひとつ間違ったら警察に突き出されても文句は言えない。それからはバイクの免許を取ったり、車の教習所に通ったりして姑をひやひやさせていたらしい。仕事中大きな鉄の製品が倒れてきて頭を直撃して救急車で運ばれたことも。それから20代になって数多くの?失恋の後私とであったわけだ。皆さんの子供時代はどうでしたか?まさかスイカ泥棒はしてないでしょうが、喧嘩や色々な思い出があることでしょうね。子供時代の面白い話がありましたらカキコお願いしますね
2005.03.09
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さっき郵便やサンが小包を持ってきた。長女がネットオークションで落札したのがきたのかと思って引き取りに行くと違ったらしい。中国からの小包。なんだか国際的だな。長女はまだ部屋で寝ている。「郵便が来たよ」と布団の上に置く。リビングに戻ると長女の部屋から大きな歓声があがった。「やった!届いた!」何事かと思うと長女が小包を持ってリビングにやってきた。「何が届いたの?」と聞くと「コス衣装」という。中国製、15000円ナリ。うれしそうに箱を空ける長女。コスプレの衣装だ。長女はオタクにはまっている。長女のHPをみれば同じ趣味の友達のカキコがいっぱいだ。漫画の主人公そっくりの衣装で集会をするのが彼らの活動。イベントと呼ばれるそんな会がちょくちょく開かれる。学生の長女はせいぜい大阪くらいまでしか行かないが東京やその他遠く離れたところでもイベントはあるようで好きな人は仕事を休んだり飛行機に乗ったりして駆けつけるらしい。もちろんそんな格好で表は歩けないからボストンバックに着替えの衣装やかつらを入れて大荷物で出かける。お年玉も成人式のお祝いもすべてそのコス衣装にいれあげている。先日も白いブーツが欲しいと探し回っていた。何でも彼女はこういうことに命を懸けているとまで言う。親としては他に命をかけるものはなかったのかと情けなく思う。けれど私は自分の子供といえども価値観や人生観は違うし親の考えを押し付けてはいけないと思う。法律に違反するような悪いことをしているならともかくコレが私の趣味だといわれれば理解しようと努力はしている。それに親に理解しようとする姿勢がなければきっと彼女は何も話してくれなくなるだろうからコミニケーションが取れなくなる。しかし正直戸惑いは大きい。両方のおじいちゃんおばあちゃんにはこのことは言っていない。私でさえ戸惑っているんだからもっと上の世代の彼らにはもっと理解できないに違いない。おかしな衣装で喜んでいる長女を見たらショック倒れてしまうかもしれないねとさっきも二人で話した。確かに好きなことをしている彼女は生き生きしている。のんきものの夫はようやく最近になって長女がオタクなのに気が付いた。おろおろして私に聞く。「なんであんなんがええんかわからん。お前しっとったんか?」「あんな衣装を持って何処へいくんや?、何をしにいくんや?」夫はそれでなくても自分に理解できないものや自分の常識に外れていると思うものに理解がない。自分のおかしいと思うものは認めない。だから長女の趣味は夫の理解を超えている。「頭おかしいのと違うか?」とまで言う。長女の友達は言ったそうだ。「お父さんに理解してもらうのは無理でしょう。諦めてもらうよう努力しましょう」世代や環境により価値観も人生観も違うのは仕方がないことだと思うが、就職や他のもっと大事なことを忘れては居ませんか?趣味とは言いながらどっぷりつかりすぎ。戸惑いながら見守っている私です。うちもそうだよという方(居ないかも?)とか皆様のご意見が聞きたくて京の日記に書きました。
2005.03.08
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ここ数年私と夫は播州綾部山梅林に行くのが恒例だった。昨日朝起きるなり夫が「今日梅林に行こう!」「えっ」私は耳を疑った。だって昨日の夜、「お前木曜日に友達と梅林へ行ったから綾部山はもうええやろ?」といっていたのに。夫はいつも突然予定を変える。男心と春の空?ちょっと違うけどまあいいか。子供たちにも声をかける。次女は二つ返事で「行くk、行く」長女は布団の中から「パス、パス」と声だけする。結局夫と次女と3人で行くことになる。次女はカメラが趣味なので夫に貰った古いカメラを持っていく。途中フィルムを買って出発進行。高速に乗って西へ。我が家から車で2時間くらいかかるだろうか。毎年のように行っているのに途中高速を降りるところを間違ったり、道が行き止まりだったりしてなかなかつけない。途中道にオレンジのゴム手袋が落ちているのを見て次女と「カニ、カニが落ちとる」と盛り上がる。ドライブが長くても道に迷っても私たち家族はそんなつまらないことで退屈を紛らわす技?を持っている。時間はたっぷりあるしイライラしても仕方がない。途中セルフサービスのうどん屋さんに寄って腹ごしらえ。私と次女はうどんにしたのに夫はなぜかカツどんを頼んだのでカウンターの前に座って呼ぶまで待ってと店員さんに言われる。居残りといわれた小学生みたいにただひたすら待っている姿は笑える。やっと注文した品が揃って昼食になる。綾部山に近づいてくると近くの畑に一面の菜の花畑。肝心の梅林は少し早いみたいだったが日曜日だったので凄い人出。先日の庭に植えられた梅と違ってここの梅林は山の中に植えられている。毎年来ているがやはり私は人並みの体力がないのか坂道を歩き出すとすぐに胸が苦しくなる。2~3才の子でも歩けるくらいのなだらかな坂道なのだが。休み休み、苦しくなると夫に引っ張ってもらいながら、次女に背中を押してもらいながら、長い時間をかけて上っていく。次女は時々カメラで梅を撮る。次女の目的は梅なのに夫は自分を取って欲しくて次女に頼む。次女は「しょうがないなあ、お父さんなんて撮りたくないんだけど」といいながらしぶしぶ夫を撮る。次女は「ええ写真取れたで。葬式用の写真はコレで決まり。安心して」と笑わせる。本当に葬式写真が居るようになったら大変だけどね。カップル、子供連れ、犬を連れた人もいる。中には車椅子のおばあさんを押して坂道を上がっていくおじいさんの姿も。私は透析室でよく車椅子に乗っている透析者を見るのでそのうちに自分も車椅子を使うようになるかもしれないと良く思う。私は夫に言った。「もし歩くのが大変になったら車椅子で連れてきてな」夫は「え~今でも連れてくるの重たいから大変なんや。来年からやめよかな?」などという。その答えを聞いて私はちょっとさびしかったが、また来年になったら頼んで連れてきてもらおう。いくらか坂道を上がったところに茶店があってあったかい甘酒を夫といただく。次女は梅ジュースを飲む。まだまだ山の上まで梅は続いているが私はもう限界だったのでそこまで行くのを諦めた。行きとちがうくだり道を見つけてそっちから降りていく。くだりなので少し私は元気になる。「くだりやとえらい早いやないか?」夫がからかう。「転がったらもっとはやいやろなあ」と私がいう。たいした距離ではなかったがなれない山道に早くも私の膝はがくがく。日ごろ鍛えているのか夫と次女は全然平気。体力の差は歴然、ちょっと悔しいが仕方がない。今年も恒例の梅林見物は無事終わることが出来た。次はサクラだね。私はお花見大好き。また行こうね
2005.03.07
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新婚当時私たちは木造賃貸アパートに住んでいた。二階立てのアパートが二棟向かい合って建っていた。同じ所有者の持つアパートだった。私たちは一号棟の一階の端の部屋に住んでいた。多分一番日当たりのいい部屋だったのではないかと思う間取りは玄関を入ると6畳二間と6畳の台所が並んでいる。台所のそばにバストイレ付きだった。他の部屋も同じ間取り。3軒づつ並んでいるので真ん中の部屋には壁に窓がなくドア側にある窓と台所側にある窓のみ。3つ目の部屋は私たちとは反対の間取りになっている。まず私の部屋の隣の住人、奥さんの方が年上の夫婦二人暮らし。私たちが引っ越す前に私たちの住んでいた部屋に引っ越そうともくろんでいたけど意思表示が間に合わず私たちが一足速く契約して引っ越してきたのを根に持って色々と嫌がらせをされる。ほとんど付き合いはなかった。3つ目の部屋に住んでいたMさん。年下のだんなさんと子供二人。上の子は前のだんなさんとの子供、下の子は今の旦那さんの子供とちょっと複雑。気のいい奥さんだったが、よくお金を借りに来るので困っていた。二度目からは心を鬼にして断っていた。それでも下の子が使っていたベビーバスをくれた。ある日玄関のピンポンがなるので出てみるとドアの前にはべビーバスがぽつんと置いてあった。一体誰が?と思っているとバスのかげからえへへと笑ってMさんちの上の子が姿を現した。けれどもその子の身長ではピンポンには背が届かない。Mさんが以前に約束したのを覚えていてもって来てくれたらしい。早速お礼を言いに言ったがそれがMさんに会った最後になった。長女出産後私が実家に帰っている間に夜逃げしていなくなった。その後の部屋はまるで泥棒が入った後のように箪笥が開けっ放しで衣類がたれさがり慌しく出て行ったのが良く分かるような有様だった。そして一号棟の二階へうつる。Mさんちの二階は会社員のSさん夫婦と女の子が住んでいた。Mさんとはお互い同じとしに女の子が生まれたこともあって仲良くさせていただいた。毎日の買い物、美容院、そして夫たちも巻き込んで子連れ一泊旅行にもごいっしょした。ここのアパートはおかしな人たちが多かったが私たちだけはまともだねとよく話した。そしてSさんの隣に住むのは独身男性。一号棟二階の真ん中の部屋の住人。ある日突然亡くなって警察が来る。留守がちな人で私たちもほとんど話したことが無いが警察の調べによると覚せい剤を打っていての事故で亡くなったらしい。このことは新聞にも出ていて驚いた。そして私たちの住む部屋の二階の住人。女性二人で住んでいた。この人たちも引越しの挨拶に行ってもいつも留守勝ちでついに会うことはなかった。ご近所の噂ではレスビアンといわれていたが、詳細は不明。そして二号棟にうつる。一階の端、私たちの部屋のお向かいにある部屋のYさん。中年のご夫婦と中学生のお子さんがふたり。ここのアパートのリーダー的な存在、月に一度の一斉大掃除の時はおお張り切り。草を抜いたり、どぶをさらえたりするのだが来ない人はYさんが一軒一軒ノックして起こして歩く。Yさんの隣の今はもう名前も忘れたが看護婦さんの一人暮らし。一斉大掃除は一度も出てきたことが無い。不規則勤務のため顔もろくに見たことが無い。そして反対の端の部屋の人は記憶がない。そして二階へ移る。Yさんの上の部屋に住んでいた人たち。夫婦と子供二人。ヤンキー風のちょっと怖い感じの奥さんと尻に引かれている感じの気の弱そうなだんなさん。そのだんなさんが半年ほど姿が見えなかった。単身赴任でもしているのかと思っていたらなんと刑務所に入っていた。喧嘩の末に人をけがさせて何ヶ月か入っていたという。聞いたときは腰の低い子煩悩なあのご主人がとびっくりした。その隣の真ん中の部屋にも同じような年頃の夫婦と子供が二人。親の反対を押し切って駆け落ちで結婚したと話していた。仲はよかったが後日離婚した。そしてその隣の部屋の住人。引っ越してきてもなぜか挨拶にも来ないで部屋にこもりきり。誰も会った人がいない。人がいる気配だけはしている。夜中になると借金取りらしい人が来てドアをどんどん叩いて怒鳴る。またおかしな人が引っ越してきたなと思っていると一週間くらいたって夜逃げをしていた。ご近所には夫婦喧嘩の末「夫に殺される」と110番した人とかも住んでいて話題にはことかかない。こんな色々なひとが集まったアパートは皆さん聞いたことがありますか?当時私はいつか本にかけるくらいのねたがあるアパートだなとひそかに思っていました。皆さんのご近所にはどんなおかしな人、困った人が住んでいますか?また良かったらカキコしてください
2005.03.06
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私は子供の頃から歯が余りよくなくてよく歯科にかかっていた。その中でずいぶんおかしな医師たちにであったので今日はそのことを書こうとおもう。まず歯型を取れない先生の話。ある日奥歯の上の歯をつめものをすることになり歯型を取った。その歯型が出来上がりいよいよ歯にかぶせる日のこと。先生が私の口に手を入れて歯にかぶせて手を離したとたんカブセがボトン。口の中に落ちた。型取りが上手くなかったのでサイズが歯に合わずガバガバだったらしい。全然装着できず。「おかしいなあ?」先生はつぶやいていたが、先生の技術が未熟なことは素人の私にも分かった。そして麻酔の使い方が変な先生の話。普通抜歯の時には麻酔をかける。そして数分たって麻酔が効いてきたところで治療が始まるのが普通だろう。ところがこの先生麻酔が終わるや否や治療にかかる。え~ちょっと早いんじゃない?ほとんど麻酔が効いていないんでイタイイタイ。思わず顔をゆがめると先生が不思議そうな顔で覗き込む。「痛いですかあ?」痛くないわけないじゃない?ところが先生かまわず治療を続ける。治療が終わる頃ようやく麻酔が効き始める。先生いわく「終わってからが痛いので終わってから効く様に麻酔をかけています」そんな歯医者さんに出会ったことは無いよ。どう考えても先生の言い訳にしか聞こえないんだけど。そしてこんな先生はどう思いますか?歯につめるセメントをパレットみたいな薄い板の上で混ぜるんだけどその作業を私の胸の上でする。私は助手の人に付けられたエプロンをつけて診察台に横になっている。作業台は少し離れているから私の胸の上でセメントを溶いたほうが歯に近くて作業がしやすいのかもしれないのだろうけど私の胸は作業台じゃない。感じわるいですけど。私はちょっとびっくりして先生の方をちらりとみた。いつもそうやって居るのか先生は全然私を気にする様子もなく治療を進める。冷静。患者から苦情を言われたことはないのだろうか?そして私でなく母が出会った先生。今は歯科はほとんどが予約制になっているがずっと昔の予約制になっていない頃の話。予約制で無いから待合室で長時間待つのを覚悟で行かなければならない。診察カードを出してあんまり待っているから買い物とか他の用事を済ませようと待合室から出て行こうとすると・・・・診察中の先生が声をかける。「そこの人!今帰ると順番が一番最後になりますがそれでもいいんですか?」待合室に響くような大声で先生から声を掛けられる。仕方なく外出を諦めてまた待合室に座りなおす。しかしそんな事をいちいち気にしていて治療に集中できるのだろうか。先生には先生なりのポリシーがあるようだが。皆さんはどんな先生に出会いましたか?またおかしな先生をご存知ならカキコしてくださいね
2005.03.05
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先日20年ぶりの洗濯干しでちょっと株を上げた火星人だが、せっかくの株価上昇もつかの間。昨日は早速火星人株大暴落。綺麗な梅林を見てきて気分爽快で帰ってきた私。一方仕事が終わって仕事仲間と出かけるところがあり気を使って疲れたのか火星人帰るなりいきなり八つ当たり。「台所えらいちらかっとるやないか。今すぐ片付けろ。どうせ一日あそんどった癖に」いきなり臨戦モード。「私もさっき帰ってきたところや。梅見に行くっていうっとったやろ」梅林&ランチの話はちゃんと前もってしてある。せっかく綺麗な梅を見て滝を見て癒されてきたのに帰る早々いきなりそれかい?「うるさい。僕がかたづけろといったらはいと言ってかたづけたらいいんや」「え、今から。やっとテレビの前に座ったのに。」確かに最近台所は散らかっている。それは認める。どうして今すぐなんだ。明日でも別にいいじゃない。ボクが行ったら今すぐに片付けろなんてちょっと威張りすぎ。それに木曜9時は私の好きな「渡る世間は鬼ばかり」がある。そしてお説教モードから今度はいつもの愚痴モード。せっかくのテレビが全然聞こえない。私は黙ったままテレビのボリュームを上げる。これ以上うるさかったら二階へ避難して二階のテレビをみるしかない。黙ったまま夫の話を無視してテレビを見る。テレビが終わるとさっさとお風呂に入る。お風呂から上がると火星人は自分の食べるラーメンを作っている。私はまたかちーんとスイッチが入る。今日の夕食はホワイトシチュー。夫が嫌いなおかずだ。ラーメンを作っている横にシチューの鍋がある。それを無視してラーメンかあ。「またそんなん食べとる。それでまたシチュー食べへんつもりやろ?」「食べるがな、食べたらええんやろ?」というが夫はお酒を飲んだ後あんまり食べない。その人がラーメンを食べたらシチューは絶対に食べない。好きなおかずの時だけ食べて嫌いな時は食べない、そんな子供みたいなことが通ると思ってるの?いいご身分だね。私もちょっといやみなことを並べた。「じゃあ食べるから暖めて」「絶対食べへんにきまっとる。ガス代が無駄や」「ほんならええわ!」そして私は二階へ。腹が立って寝られない。やっと寝付いたところに夫が「さっきはごめん」と謝りに来た。そんなの明日でいいやん。せっかく寝付いたのに起こされてしまったやん。ちなみに最近の勝敗はほとんど私の勝ち。私は言いたい事だけ行って後はだんまり、自分から謝らない。結構頑固なのかもしれない。夫は冷静になると少しは反省して謝る。病人相手に本気にけんかしてもしょうがないと思うのかもしれない。それに喧嘩すると夫は次女に叱られている。「お母さんの血圧が上がったらどうするん?怒られるようなことしたり言うたらあかんで」そして夫は長女に話を聞いてもらいに行く。長女は冷静に夫を批判する。ふんふんと聞く夫。子供も私に味方するんじゃ夫の立場は無い。私に謝りに来て事態を収めるしかない。そりゃ子供たちを育てたのは私だから私の味方するよね。どうせなら寝たのを起こさずに翌日謝ってほしかったねこんな具合で夫はせっかく上げた火星人株を自らの手で大暴落させたのだった。
2005.03.04
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今日は友達と梅林&ランチ。友達が家の近くまで車で迎えに来てくれていざ出発。ところが途中の信号待ちで後ろのトラックが友達の車にゴツン。幸いスピードが出ていなくてけが人も無く、車も異常が無かった。しかし運転席から降りて友達が後ろの運転手に「当たった!」と話しても運転手はニヤニヤするばかりで降りても来ない。もちろん謝罪もしない。どういうことだ?こういうとき一言謝るのがおとなの礼儀だろう。すぐに前の車が動き出したし友達もそれ以上は何もいえなかったが少しは文句を言ってやればよかった。せっかくの楽しい会が台無しになるところだった。気を取り直してランチバイキング。姫路駅の近くのあるホテルの中の店のランチバイキング。1000円でコーヒーデザートまで時間制限なしの食べ放題。私は水分や食べる量を制限されているのにバイキングだとついつい食べ過ぎる。どんどん食べる友達を尻目に私は食べる量を自分でセーブしながら食べる。ウエイトレスさんが水をお代わりしてくれるのもどれくらい飲んだか分からなくなるからちょっと嫌だなと思うがしかたない。デザートまでお腹いっぱい食べた後は梅園散策。姫路のお城近くの好古園というところ。姫路城西屋敷跡庭園好古園は池や滝を配した日本庭園に梅や松、色々な樹木を植えた和風の庭園。緑の多い公園に休むところもいっぱいあって野鳥も来る都会のオアシス。池には大きな鯉が泳ぎ、滝の音に癒される気がする。駅からも近い。私は障害者手帳を使って入場料はただだったが、オトナハ00円で入場できる。庭も梅も見事で見ごたえがあった。希望すれば茶室で抹茶を立ててもらって飲むこともできる(一人500円)お茶室が英語でティーハウスとなっていて友達と大笑い。何でも英訳したらいいって言うもんじゃないよね。お茶室はやっぱりOTYASITU以外には訳せない。外人さんも来るところなんだからティーハウスはおかしいよね。夕方まで梅を堪能して家路についた。梅林は毎年夫と綾部山という名所の梅を見に行くが今年は夫が仕事が忙しかったりしてなかなかいけない。これも近いうちに行く予定。梅に始まってサクラ、つつじ、バラ、菖蒲と季節が変わっても花を追いかけて次々とお花見は楽しいな
2005.03.03
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昨日も火星人はパチンコで深夜帰宅。帰宅後ぽつりと言った。「当分パチンコはせえへん」日本語は正確に言わなくちゃ。「せえへん」じゃなくて「でけへん」でしょ?ついに軍資金が底をついたらしい。そして「明日は有給を取ってきた」と言う。まあ先週の土曜日も出勤だったしこのごろ疲れているみたいだから休むのも気分転換になっていいかも。しかし水曜日は私は透析だからどこかへ行きたいといっても付き合えない。家で寝てると言うならそれもいいだろう。朝病院へ行くのだけは送ってくれると言うからありがたく送ってもらった。帰りはタクシーで帰るから迎えはいいからと言ったら本当に迎えに来ていなかった。まあ、たまにはいいかと電話はせずにタクシーで帰ってきた。朝私が干していなかった洗濯物が干してある。出掛けに長女を起こして頼んでおいたから長女が干してくれたのか?しかしなんだか干し方がへん。洗濯物の干し方にも個性がある。私が干すのと長女、次女と干す人によって少しづつ干し方が違う。誰の干し方にも似ていない。リビングにいた長女、次女に聞く。どちらも干していないと言う。え~ま、まさか~火星人が・・・・?火星人はよほど疲れているのか私を送って行った後爆睡していてこの場にはいない。火星人がもし洗濯物を干してくれていたらこれはまさに20年ぶりのこと。長女がお腹にいるとき私が切迫流産の恐れで絶対安静を言い渡されたことがある。その時一~二度干してくれたことがあるがそれ以来だ。ほんまかいな?私は半信半疑だ。私が入院している時でさえ洗濯なんてしたことがない。先日は私が出産直後に里帰りしている時に洗濯物を一ヶ月分貯めていたことを日記にも書いた。そんな火星人がたとえバケツに入れて干すばかりになっている洗濯物とはいえ誰にも言われないのに干しているなんて・・・・今日は空から何かへんなものが降ってくるぞ。晴天の霹靂とはこのことだ。コレを日記のねたにしない手は無い。奇しくも今日は多分30000ヒットを達成するであろうと思われる日。その記念すべき?日に有給までとって(偶然だけどね)貴重な話題を提供してくれるとは・・・・私は夫に感謝すべきなのだろうか?さて30000番のキリ番は誰が来てくれるのか私は楽しみにしている。30000番はbaromaroさんでした。ご報告します
2005.03.02
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火星人は日記にも書いたとおり本気でパチンコで勝って自転車を買うつもりらしい。連日遅くまでパチンコに励む。その熱意と努力を他に生かせないかと思うくらいだ。たとえ手持ちが500円1000円でも諦めないところはまさに執念だ。昨日も遅くまで帰らない。一方私は透析から帰ると次女がコタツでぐったりしているのを発見。熱を測ると38度8分もある。顔も赤くてしんどそう。ヤバイ、コレはインフルエンザかもしれない。うちにもついに来たのか?あわてて近くの内科医院に連れて行く。ここは自宅から100メートルくらいのところだがあんまりはやっていない。しかし長時間待合室で待つのがしんどいときとかには利用する。待合室で待っていて他の病気が移る心配とかも少ないし。流行っていない割りに女性スタッフは4人も居る。しかし見ていると妙にそのスタッフに先生が気を使っている。先生は一人で診察して(ついている看護師さんがいない)カルテを自ら受付へ持っていく。暇な時は受付女性がコンピューター入力しているのを後ろでたって見ている。そして患者を玄関からお見送り。そんな先生みたことない。あるとき女性スタッフが休憩中なのか先生独りしか居ない。診察後先生が受付に座って医療費の計算をしてくれる。途中で受付女性が裏口から帰ってきた。後ろから先生の計算を見ていて「あ~先生まちごうてる。字きたない~」などと大声で言う。患者の前でそんな事を大声で言っちゃ先生の立場が無いよ。今時の若い子はそんな事も考えないでものを言うから困ったもんだね。幸いインフルエンザの検査の結果は陰性。よかった、よかった。もしインフルエンザだったら木曜日のランチは中止になっちゃう。なんて親でしょう私こんな時こんなことを考えるなんて。次女を家に連れて帰り、買い物に行く。おでこにはって冷やす冷え○○、とか水分を取らないといけないから飲み物とかを買いに行った。今日も夫は遅い。普通の夫は例えば飲み会が続いたりして毎日帰りが遅いと嫁が怒っているからとか、子供が病気だったりすると自分から今日は早く帰らなくちゃと思うらしい。うちはそういう気遣いはまったくない。子供が病気だろうが私が入院していようがお構いなく本能のまま?お小遣いが続く限りパチンコをしないと帰ってこない。まだ子供が赤ちゃんで熱を出して育児に慣れない私がいくら早く帰って欲しいと頼んでも早く帰ることはめったになかった。子供が赤ちゃんだった時その時は夫は休日で自分の実家に実家の近所の友達を呼んで将棋をしていたことがあった。子供の熱が出てきたので実家に電話をして帰ってくれるように頼んだ。電話口で姑が「帰ってやりんか?」といっているのが聞こえた。「ええんや、小児科は近くにあるからそこへ連れて行ったらエエから」と言うのが聞こえて私は腹が立った。電話したけどすぐには帰ってこず帰った夫に文句を言うとこうだ。「ボクは医者や無いから帰ってもしょうがないやんか。」親なら子供の病気が心配ではないのか?幸いうちの子供たちは持病も無く入院したことも無い。風邪とかおたふくかぜとか普通のコもかかるような病気しかかからなかった。しかも夫は帰ってこないだけでなくこんなことも言う。「もしボクに子供の病気が移ったら仕事に行かれへん。実家に帰ろうか」風邪、おたふくかぜ、水疱瘡の時などにそんな事を言う。一緒に住んでいる家族がそんな病気なら移るならもう移っているかもしれない。そんな体で実家に行ったら高齢の両親に移すかもしれないと言う感覚は無いのか。もし両親に移して最悪の場合もしものことがあるかもしれないという発想名ないのか?移らないとしても自分だけ避難して一家の主としてそれで済むと思うのか?あきれた自分勝手な発想だ、いかにも火星人らしい。仕事サキの人間関係で人より余計な気を使う分、もっと家族に気を使えよ。今朝出勤する時私は夫にちょっとお仕置きをした。うつむいて靴を履いている夫の頭の上に拳骨を準備。夫が頭を上げると拳骨が自動的の頭をゴツン。ちなみに昨日もコレをやって見事に夫はひっかかった。学習能力の無い奴だなあ。二日続けて引っかかるなよ。「あいたあ」と言いながら夫はゴミ袋とともに出勤。今朝の火星人はこんな風でした
2005.03.01
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