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先日のプチ家出の後で火星人は自発的に夕食後の洗物をやってくれた。コレは我が家では一年に1度あるかないかの珍しいことだ。そして洗い終わった後爆弾発言。「毎日洗物するからお駄賃くれへん?」洗物は最近まで次女の担当だった。一日200円でお給料日に精算していた。次女が風邪でダウンしたり、アルバイトに行くようになって洗物の仕事はまた私になっていた。「本気なん?」私はビックリして夫に聞いた。「何でお金がいるの?」と聞くと「ビール代にする」我が家ではお酒ビールは夫のお小遣いで買ってもらっている。だから夫はお小遣いが入ってすぐに缶ビール一ケースを買っておく。ところが今月はビールを買わないうちに全部使い果たしてしまった。 早い月は三日でお小遣いを使い果たす。もちろん使い道はパチンコ。冷蔵庫を見るともうビールはおしまいだった。せめて帰ってからのビールのお楽しみは確保したいらしい。それでそういうことを考え付いたらしい。次女は一日200円だったが自分は300円欲しいと言う。300円で缶ビール一ケース買うには半月くらいかかるだろう。もちろんこんなことを言い出したのは初めてだ。以前お金が原因でなくて「僕が今日から洗物をする!」と宣言したこともあったが三日坊主に終わった。帰りが遅かったり疲れたりすると逆切れして自分が言い出したのにもかかわらず「なんでそんなんせなあかんねん。お前がやったらええねん」となる。そのときは僕がするから洗い桶を買ってくれと言った。私は洗い桶は使わなかった。流しが狭くなって使いにくいのがイヤだったから。どうせ三日坊主だから値段は安くても洗い桶なんて買いたくはなかったがあんまり言うので買った。やはり予想どうり三日坊主に終わった。今回は何日持つだろう。一週間も続けばいいほうだろう。一週間手伝ってくれたらその気持ちに免じてビール一箱買ってやろうかと心積もりをしているが。もしかしたら火星人は私が食器洗い機を欲しがっているのを知っているのでそれを阻止するための洗物作戦かもしれない。火星人は食器洗い機はぜいたく品で不要だと常々言っている。そして自分の実家にない電気製品を買うことにも抵抗があるらしい。自分が欲しかったビデオは例外的にさっさと買ったくせに。ニュージーランドのだんなさんたちは食後の皿洗いは夫の仕事と決まっているそうだ。ニュージーランドハズバンドと言う言葉もあるそうだ。日本の亭主関白が理想の火星人は食器洗いを習慣にするのは無理かと思うが・・・・。果たして何日持つのか冷やかし半分で私は見ている
2005.05.31
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近所のスーパーでパートをしたことがある。まだ私が30代のころのことだ。夫の実家の反対を押し切って家を買った私たち。姑は早く私が仕事をして協力しろとよく言っていた。ところが子供たちを保育園に預けて働くとなると二人分の保育料が高いのでパートのお給料がほとんどなくなってしまう。それで内職などをして子供たちの成長を待っていたが下の子が幼稚園の時に午前中2時間のパートに出ることになった。ここのスーパーは二時間,三時間、長くても5時間くらいのパートの仕事があった。それでここの仕事は近所の若いお母さんたちに人気があった。二時間のパートは開店前の商品陳列と掃除が主な仕事だった。時給もよくてパートにはそのころ珍しく有給休暇もあった。土日の出勤もあったがその代わり幼稚園とか小学校の行事のある平日に休みが取りやすい。お盆やお正月もお店の休みがなくて交代で出勤しお正月には特別手当がついた。下の子が小学校に上がると3時間のパートに変えてもらった。3時間のパートは肉、魚、野菜のうちのその日指定されたひとつの職場で商品の値付けとかパック作業が主な仕事だった。月に一度の清掃日には早出をして駐車場や近くの道路のごみを拾った。そして同じく月に1度棚卸しが合って夜お客さんの少ない時間に一、二時間の作業があった。もちろんその分のお給料もきちんと支払われる。そしてパートの職場には珍しくパートにも研修があった。三日くらいだったと思うが本社へ出張のカタチで研修を受けることが義務づけられていた。店長の指示で入社後研修の日程がシフトに組まれて次々と研修を受ける。研修の内容は食品衛生についてや接客指導なんかの内容、大声で挨拶の練習とかが合った。それから社長の講義、そして研修の後のレポート提出も義務付けられていた。最もここでの厳しい食品管理、衛生の話とは裏腹に現場では相当いい加減なことをやっていたのでそのギャップにビックリしたが。当時は肉や魚の賞味期限のシールはパックのやりかえやシールの張替えが日常的に行われていた。ここで一消費者として賞味期限がいい加減で信用できないことを学んだ。そしてあくまでパックした日付であって鮮度を約束するものではない。入荷後冷蔵庫に何日も寝ていることがあるからだ。魚も肉もさばかれてパックされた日から賞味期限が始まる形。そのころはチラシの出た日は安い商品を目当てにお客が殺到して行列が出来るほど混んだ日も多かった。お客が多いとお店からパート一人ひとりに大入り袋が出た。大き目の祝儀袋のような袋に入ってその日出勤していたすべてのパートに後日配られる。嬉しい臨時収入といいたいところだが中身を見ると大笑い。百円玉一個だけしか入っていないのだ。大入りでなくて小入りじゃないか。でもお客が大入りした寸志と言う意味なのだろう。家にもって帰ると子供たちが取り合って喧嘩になる。二つになるまで私が預かっておいて渡した。また売り出しの日に商品の数を数えて値下げの帳簿処理をする。売出しが終わるとまた商品の数を数えて値上げをする。売り出し以外の都合による値下げの時も同様の処理をする。職場のコンピュータを使って価格の訂正を行う。するとレジですぐに値段訂正になるのだ。担当の売り場があって商品の発注を任されているパートさんもいた。売れ残りがあると売り上げ目標に響くから責任は重大だった。後は事務の仕事とレジ係の仕事。お惣菜担当のパートさんたち。この二つは当然ながら専門のパートさんが担当していた。入社試験の結果を基に人選されて未経験でも研修を受けて養成される。社員の人は店長、副店長くらいのものでほとんどがパートさんだった。午前中のパートさんが最も多く、午後だけのパートさんもいた。夜は幹部社員と学生アルバイトのシフト。当時にしてはこのスーパーは11時ごろまで開店していて地域では結構重宝していた。このお店は事情があって私が辞めた後ほどなく閉店になった。チェーン店が沢山合って今でもドライブで遠出をするとよく支店を見つけることがある。3年ほど勤めたが結構面白い業界だった。ここを含めて私は6つの業界のパートを経験した。また順に業界話編を書こうと思う。皆さんはどんな業界のパートを経験しましたか?またコメントをお寄せください。
2005.05.30
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本日は三つ目の日記です。朝から娘二人がお出かけして天気もいいので火星人をどこかへ行こうと誘ったものの動かず。行く気もないくせに口だけで「何処へいきたいんや?言うてみいや?」と言うので腹が立つ。何処へ行く気もない証拠にお昼になってもステテコ姿でウロウロしている。そして挙句に今日はもう出かけるのは遅いから行かないと宣言。腹が立ったのでプチ家出を敢行。駅向こうの温泉施設に一人で出かける。こんな時運転免許があれば一人でドライブでも出かけることが出来るのだが悲しいかな免許を持たない私。自転車でヘイコラこいで行くしかない。ちょっと料金は高めだが日曜日だと言うのにあんまりこんでなくてのんびり出来た。お風呂から上がって複数の友達にメールを送るが皆忙しそう。もし暇のある友達がいたらお茶でも付き合ってもらおうと思ったがその企みは失敗。服でも見ようとお店をぶらぶらする。今日の収穫は千円のパジャマ、700円の夏物Tシャツご購入。夫がビックリするような高級なものを買ってやろうかと思ったが後で自分の首を絞める結果になるので断念。3時間足らずのプチ家出終了。火星人が心配するくらい長時間家出してやろうかと思ったけど体力不足で疲れたので帰ることにした。さっき家に帰ってきたら火星人はいまだステテコでウロウロ。顔を見たらまたむかつく。まっすぐ二階に上がってクーラーをつけてお昼ね。さっき起きてきたところ。晩御飯までこの部屋で篭城しようと思う。皆さんの夫婦喧嘩の話とかプチ家出、本格的な家出話ありましたらよろしくお願いします皆様にお知らせ近々キリ番50000人を達成すると思います。今週中かと思いますが、私も気をつけていますが夜中だったら申し訳ありませんが自己申告してくださると助かります。よろしくお願いしますね
2005.05.29
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昔々(昔話みたいな書き出しだな)私がOLだったころの話。お酒が好きで好きで毎日のように飲んでいるAさんと言う人がいた。一年365のうち360日はのんでいるような人だった。会社の机の下に一升瓶を隠していて終業時間の終わりのベルがなると数秒後に間もう飲んでいるほど。それから居酒屋へ出かける。一人でも数人でも飲む。忘年会シーズンは毎週末忘年会。自分の係や課の忘年会だけでなく現場でも何処でも声がかかれば飛んでいく。また盛り上げるのが上手い人なのであちこちの現場からお声がかかる。11月、12月の週末はほとんど埋め尽くされているような人。健康診断の季節になるとAさんも皆と同じように検診を受けに行く。その際お酒は好きですかとか先生に聞かれる。立派な?アルコール性肝炎の患者なので毎日どれくらい飲んでいるかと毎回聞かれる。その際いつも飲んでいる量を大目に言う。何でかご本人に聞いてみたことがある。少なく言うと「それくらいだったらいっそ止めたら?」と言われるのでわざと多い目に申告すると言う。多い目に申告するとドクターは「それだけ毎日飲んでいるなら完全に止めてしまうのは無理ですね?」というからだそうだ。そして「止めるのは無理でも多少量は減らしましょうね」と毎度同じ様なことを言われる。するとご本人は意気揚々と帰ってきて「ドクターのお墨付きがでた。今日も飲むぞ~」という事になるわけだ。そしてどうしてもお酒を止められないならコレを飲んでおきなさいとお薬を渡される。Aさんは大のクスリ嫌い。クスリは飲まれないまま机の中にいつまでもある。ある日、Bさんがやってきて話す。Bさんも職場の検診でアルコール肝炎だと言われたらしい。別の病院で診てもらうよういわれたがこの人は大の病院嫌い。Aさんに愚痴を聞いてもらう。病院も検査もイヤだという。Aさんいわく「そんなら病院へはいかんでもええやん。ここにワシの薬があるからこれもっていき。コレのんどったら今以上には悪くならへんから」Aさんは机の中の薬を渡す。おいおい、それはAさんの症状に合わせて処方されたもの。飲まないのもよくないし、勝手に人に飲ませるのもよくないだろう?だがAさんは全く気にしない。「大丈夫や、同じ酒飲みやから多分クスリも同じや」と医者も真っ青な大胆発言。そして元々医者は嫌いのBさんその後は薬がなくなるとAさんのところへもらいに行く。Aさんの薬がなくなると「よっしゃ、ワシが代わりにもらってきたろう。それにしてもAさんの主治医はいい加減。クスリを飲まずに人にあげてお酒もちっとも節制していないAさんにちっとも気がつかない。それどころか検査の成績を見て「お薬が効いてきて少しよくなっている」とか言うらしい。かなりの大藪医者か?所詮企業の診療所に雇われている医師の見立てはこんなもんか?まさに節穴。そして医者嫌いだからと言って素人のただの酒飲みのAさんの言葉を鵜呑みにしてクスリだけを飲んでいるBさん。あんたもちょっとおかしかないか?自分の体のことだろう?そんな人任せでいいのか?相談するならドクターにしたほうがいいのでは?もし手遅れになっても何処にも文句はいえないよ。この迷コンビ、皆さんはどう思いますか?
2005.05.29
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火星人はふだんよく私と娘たちが話をしているところへ知ったかぶりで乱入してトンチンカンナ会話を繰り広げる。娘たちは携帯やパソコンをよく使うので漢字があんまり書けない。よく字を聞かれる。私が「それは何編にこう書いて」とか言いながらメモに書いたりしていると「お父さんが教えたろう」と割って入っておかしなことを言う。この間も次女が「縁がある」の「縁」を聞いてきたら夫が答えたのは「緑」。「それは緑やろ?」と私が言うと自信たっぷりに「縁」と「緑」は一緒の漢字だといい加減な説明をする。しばらく押し問答。何度も書いてみてようやく自分の間違いに気づく。今の若い子達は携帯やPCをよく使うせいか漢字を知らないし書く習慣も以前より少なくなった気がする。携帯もPCも使えないのに火星人は若いこと同じくらい漢字を忘れているのはどうしてだ?「小学校からやり直せば?」次女に冷たく言われてショボン、撃沈。またこんな話もある。パソコン音痴で触れないのに私と長女の会話に乱入、言い出したのがマッキントッシュ、チョコレート説。はあ、何処からそんな知識を引っ張り出してきたんだ。私は「チョコと違うよ、パソコンの種類やで」と優しく教えた。ところが「たしかにチョコの名前にあったはずだ」と言い張る。コレをごらんの皆様でもしマッキントッシュと言うチョコを知っている、若しくは食べたことがある、売っているのを見かけたことがあるという方はご一報ください。多分ないと思われるが・・・・・PCに詳しいJUNさん、どうでしょうか?しかしお芋をつぶしたやつといわなかっただけまだましか?栗きんとんの親戚とか?コレを見たJUNさんは笑い転げているのでは?火星人よ、勘違いするのもいいが、間違いを指摘されたら素直に認めて学習しろよ!知らないのは恥でなくてそれをきっかけに覚えたらいいだけなんだから。知ったかぶりをするのはよそうよ。余計恥ずかしくなるだけだよ。そして昨日のこと。ネットをしている私のところへやってきて将棋ゲームをやらせろという。しぶしぶパソコンを変わる。嬉しそうな顔で一局を始める。久しぶりの将棋ゲーム、ふだんPCを使わない夫はマウスの使い方に慣れない。そしてマウスの使い方に戸惑っているうちに思ってもみないところに駒を動かしてしまって大騒ぎ。「あ、違う、ここへうちたかったんと違う、待った、待ったや。待ったはどうしたらええんや、」とパニックになってパソコンに叫ぶ。その姿は初めてパソコンに触ったチンパンジーのようだ。まだ画面を「ウッキー」といいながら叩かないだけマシかも。そんな言葉で動くタイプのPCじゃありませんから!この調子ではPCを壊しかねないのでかけつけてレスキューしてあげた。私は久しぶりに涙が出るほど笑った。日常生活もこんな調子、すこぶるマイペースな火星人の勘違い色々実況中継は火星人妻でした。
2005.05.29
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私はよく寝るのが特技だと以前の日記に書いた。寝ているとき時々荒唐無稽な夢を見る。夕べの夢もそんな夢だったのでさっそく日記のねたにする。以前我が家ではハムスターをペットで飼っていた。そのときは多くても一時に2~3匹だったが夢の中ではペットショップ並みにかごを並べて飼っていた。数十ひき飼っているようだった。そこへ子供の友達のTちゃんが遊びに来た。Tちゃんは近所の友達で幼稚園や小学校のころよくうちの子たちとよく遊んでいて家にも遊びに来たことも度々会った。最近は成人式も終わってすっかりいい娘さんになっている。中学からお受験して学校が変わったので最近はほとんど付き合いがない。そのTちゃんは夢の中では小学校の低学年くらいの大きさだった。そして家に来たTちゃんが物も言わず突然何を思ったかそのハムスターを次々とかごから出していく。私たちは悲鳴を上げて「止めて!何をするの!」と止めたが聞く耳なし。そこへ次女が帰宅、ハムスターを飼っていたときの管理責任者は次女だったので次女に「何とかして」と頼んだ。すると次女が顔色を変えて走り回りハムスターをかごに戻していく。ドタバタの末ハムスターを戻すと今度はTちゃんが大声で泣き出した。昔からTちゃんは思い通りにならないことがあると大泣きしていたのを思い出した。Tちゃん親子と一緒に行った東京ディズニーランドでもレストランで大泣きしたのを思い出す。子供たちはディズニーランドの思い出といえばTちゃんの大泣きと言うくらい印象的だったらしい。とまあこういう風な夢の話でしたとさ。でもハムスターが家の中を集団で駆け回っているのは凄い迫力でした。夢であって欲しい。現実に起こると怖いよ~
2005.05.28
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少し前の話。うちの実家の父は現役時代は前の日記にも書いたとおり何度も仕事中に死んでいても不思議はないような経験をしてきた。今は定年になって年金をもらって悠々自適。その父の楽しみは朝晩の散歩、ウオークマンを聞きながら家の近所を歩く。あるとき散歩しているとちょうど小学生の下校時間に当たってしまった。雨上がりで手にかさを持った低学年の男子児童が3人ふざけながら父に近づいてくる。その中の一人が父の聞いているウオークマンのイヤホンをかさで引っ掛けてどこかへぶっ飛ばしてしまった。父は激怒してその子供たちを怒鳴りつけた。一瞬なんで怒られたのかわからずビックリした子供たちは蜘蛛の子を散らすようにあたふたと逃げていった。そして翌日。昨日のことを思い出して腹が立ちどうにも納まらない父は小学校に苦情の電話をかけた。昨日の話をしたところ午後になって先生に連れられた昨日の児童たちが謝りに家にやってきた。謝っているのを怒るわけにも行かないので一応謝罪を受けた。先生の話によると今朝子供たちが昨日の下校時に知らないおじさんに怒鳴られた話をした。先生は最近はおかしな人が多いから注意するようにと言って朝礼の時に皆に話したという。そこへ父から電話が入って怒鳴られたわけが分かって変質者の疑惑は晴れたらしい。しかし子供たちは謝ったものの今ひとつ自分たちがやったことはよく分かっていない様子だったらしい。母は「知らなおじさんに怒鳴られてこわかったんやろな」と笑う。父はちょっとこわもての顔つきなので繁華街でちょっと怖いお兄さんとかにぶつかってもこっち顔を見たら逃げていくという。父はもし電話していなかったら怪しいおじさん出没で警察から調べに来たかもしれないという。怒鳴ったのは悪かったが変質者扱いされてはたまらない。知らない子供に話しかけるのも気を使う時代になったなあ。
2005.05.27
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私のOL時代の仕事の失敗や出会ったおかしな人たちの話は以前にも書いた。仕事の話は大体書きつくしたかと思うので今度はプライベート編を書こうと思う。OL時代私は平凡ながら仕事が終わるとお料理やお茶を習いに通う平凡なOLだった。この話はまた次の機会にするとして今日はクラブの話。会社で私はフリーテニスと言うスポーツのクラブに所属していた。フリーテニスと言うのは卓球とテニスの中間のようなスポーツ。ラケットは卓球のラケットとよく似ていてボールは直径5センチくらいのソフトな軟球。ネットを張って屋内でも屋外でも出来る。コートの広さは卓球よりは大きくてテニスほど場所をとらない。昼休みも練習、毎週金曜日は練習日でその後は決まってみんなでのみに行くという生活だった。私は割合と遅くに入部したので練習はしてもあんまり強くはならない。大会と言うともっぱら応援の方で連れて行ってもらっても活躍の場はなかった。そんなある日部長に「モグちゃん、全国大会に出てみないか?」と言われた。普通のスポーツなら全国大会に出ると言うのは相当なレベルでなくてはならず誰でも出ることは出来ない。このスポーツはまだ競技人口が少なかったためか参加料さえ払えば誰でも全国大会に出場することが出来た。そして私は全国大会に出ることになった。大会の日、私の対戦相手は小学生だった。低学年の子で小柄な私よりまだ一回り小さかった。それを見た仲間たちは「コレなら勝てるンちゃう?」と言いながら他の選手の応援に行ってしまった。私は全力を尽くしてその子と戦ったがコレが意外と強かった。あっという間に3セットを取られてストレート負け。まだ試合が続いていると思って応援に来た仲間たちに「え、小学生に負けたの?」といわれた。私はその後すぐに結婚してクラブを辞めたのでコレが最初で最後の試合、一生もすることなく選手生活が終わってしまった。ちなみにこのときの優勝は50代のおばちゃんコンビ。このコンビはテクニックはあんまりなかったがとにかく粘る、粘って粘って相手が打っても打っても打ち返してくる。テクニックより粘りの優勝と言う感じだった。今となってはいい思い出だ。クラブを辞めるとき皆で寄せ書きを書いてくれた。その中の一人は「フリーテニスの女王」と書いてくれたが一勝もしない女王だった。夫はそれを見て「女王やったん?」と聞いたがとてもとても恥ずかしいくらい弱かった。全国大会へ出場したと言うのもあんまり大きな声では言えないかもしれない。そんなに強かったのかと誤解を受けるからだ。クラブの中に好きな先輩もいたが結局恋は実ることなくほろ苦い私の青春物語は幕を閉じた。
2005.05.26
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今日は透析室のスタッフの人たちのことを書こうと思う。前にも書いたと思うが透析は一旦始めると移植をしない限りずっと続けなくてはいけない。そんな患者たちにとって病院選びは大変な作業だ。もちろん技術や透析専門の先生がいることも重要な要素だがその病院のスタッフの言動でその病院の雰囲気が左右される。技術がいくら高くても事務的にぱっぱと針だけ刺してハイ終わりではたまらない。週に3回も行くからには人間的なふれあいもないとやっていけない。以前に通っていた病院は大きい病院なので朝来て挨拶をしても返すスタッフはほとんどおらず余計な話をする暇もないくらいバタバタとでていってしまう。やはり大きい病院でふれあいを期待するのは無理なのか。逆に忙しさのためかとげとげしている人もいてつまらないことで怒られたりする。その点小さい病院、透析室は温かみがある。その次に行った透析専門の病院もスタッフが4人くらいしかおらずこじんまりしていて忙しく通路を行き来していても絶えず全員に目を配る配慮があった。1度停電してどうしようと思っていると婦長さんが「大丈夫よ、心配しなくてもすぐ戻るから」と大声で言って回って安心させてくれたりもした。その後事情でまた病院を代わり今は総合病院の中の透析室だ。朝外来が始まる前に透析室に入る。その際出会う守衛さん、掃除のおばさん、医療スタッフの方すべて明るい声で挨拶をしてくれる。当たり前のことかもしれないが実に気持ちがいい。そして透析室に入る。患者の中には気難しい小うるさい人もいる。透析している人は皆同じなのに自分だけが辛いとでも思っているのか大声で文句を言う人がいる。「いたい、しんどい、座ってもええ?」と5分おきにスタッフに訴えるおばあさん。透析は原則としてベッドに寝たまま行う。動いたり座ったりすると針が抜けて大出血になったり、血圧が変動して大事になったりする。そのことをスタッフの人たちはなだめたりすかしたりして説得する。以前の大病院ではいくら言っても動く人はベルトでベットに固定されていた。ここではそんな事はない。スタッフはいすを持ってきてその人の隣に座り話し相手になったり優しく諭す。何度でも同じことを繰り返し言う。私ならとっくに切れているだろうなといつも思う。この間から一人のおじいさんが透析に来ている。この人も相当なわがまま者だ。大声で話すのですべて他の患者に聞こえているのにお構いなし。普通は透析は腕からするがこの人は事情で足からしている。私も足からしたことがあるがこれは確かに辛い。透析を手からしていると足は少しは動かせる。何度も途中に足を伸ばしたり立ててみたりして動かすことが出来る。ところが足からの透析だと足は透析している間中動かせない。足はシャントがないので普通動脈からの穿刺になるので動かすのは厳禁。それが辛いのは分かるが勝手に何度も足を曲げてしまって何度も何度も注意を受けている。言われてもなかなか納得せず足も戻さない。その上看護師さんには「うるさい!」などと悪態をつく。あれほど言われても切れない看護師さんは本当にえらい。それでも優しく諭す姿はまさに白衣の天使そのものだ。コレは男性スタッフも同じ。しばらく大声が響いていたがようやく静かになる。さすがに4時間の透析の間大声でわめく体力はないと見えて力尽きて寝てしまったらしい。コレを週3回繰り返す。私にはとてもこの仕事は勤まらない。いや看護士免許を持っていても患者に寄り添う心がなければとても勤まらない。彼らの心の中にあるのは快適な透析をしてあげたいというプロ意識のみ。それは技術的な問題だけでなく心の問題にもつながっている。こういうスタッフのおかげで透析が苦痛でなく逆にスタッフに会える楽しみにさえなっている。いいスタッフとの出会いは病状の安定につながりいい状態をキープするのに大いに貢献している。
2005.05.26
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今日も昨日の続きを書こうと思う。不動産屋さんで働いていたある日、一人の男性が店にやってきた。宅建免許を持っていていつも不在がちな上司がたまたま事務所にいたときで彼が事務所に入ってきたのをみて驚いた。「○○さんやない?どうしたの?」男性は上司の知り合いだった。男性は口ごもりながら話す。「実は離婚することになって僕が住む部屋を探してるねん」上司はさらに驚いていった。「なんでまた、浮気でもしたん?」だがその問いかけには男性はあいまいに笑って答えない。「それで家族に家を渡して僕が出て行くことになったンや。はやく引越しセンと女房が母子手当てとかの手続きがでけへんと言うから・・・・・」そばで話を聞いているとその今妻子と住んでいる家を紹介したのも上司だったらしい。結婚の時と離婚の時二度もひとりの人生にかかわるなんてなんと言う偶然だろる。上司も感慨深げだった。男性は自営業をしていた。紹介予定のアパートの家主さんは男性に収入の証明を求めた。自営業と言ってもどれくらいの収入があるのか、家賃をきちんと払っていくことが出来るのか不安に思ったらしかった。男性はその場で元妻に聞いてみるという。一緒にいたとき経理の一切は元妻がやっていたので男性は自分の年収も知らないという。男性は元妻に電話をかけた。どんな理由から離婚になったのか分からないが普通に和やかに話している。「僕の年収やけどどれくらいやった?」「一億?」一億もあるのかと聞いていた私は内心ビックリ。しかし自営業で人もつかっていたとしたらそれくらいは当然かもしれない。そして1DKの部屋を男性は契約することになった。当分は一人で仕事を終えて帰って来る時誰も待っていない部屋を開けて明かりをつけるのは辛いことだろう。離婚の理由は分からないからもしかしたら男性の自業自得なのかも分からないがちょっと男性の立場に同情してみたりする私。そしてまた別の話。今度のお客は60歳くらいの女性。娘と孫の為に部屋を借りたいという。娘さんは高校を中退して周囲の反対を押し切って好きな人の下へ嫁いだ。可愛い子供も生まれたが相手の男性一家との同居が上手く行かず離婚することになった。家に帰ってきたものの子供を抱えて高校中退では思うような仕事もない。そして他の兄弟たちは皆大学を出ていてきちんとしごとについているのでその娘さんを馬鹿にするような言動をするという。母親はその娘さんが不憫でならない。部屋を別に借りてやって今から手に職をつけるように専門学校へでもやってやるつもりだという。周りの家族はそこまでする必要はないというらしいが母親は娘に金銭的にも精神的にも援助を惜しまないらしかった。女性はぐちのような話を誰に言うわけにも行かずつい部屋を借りに来た不動産屋さんで話をしてしまったようだ。私は小さなアパートでの慎ましやかな親子の暮らしを想像してみた。顔も知らないこの親子の幸せを祈らずにはいられなかった。
2005.05.25
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仲良くしていただいているある方の日記のパクリみたいなタイトルになってしまったがお許し願いたい。病気になる前私が不動産やの事務のパートに行って居た時の話。事務の仕事と言ってもパートは私一人で書類作成だけでなく電話番から雑用、経理のお手伝い、言われればなんでもやっていた。不動産屋には店頭に扱っている物件の掲示をしているところが多いがそんな物件の間取り図をPCで作成したりもしていた。そして店頭に掲示している物件をみに来る人が居ると中に招き入れて希望の物件や連絡先を聞いておくのも仕事のひとつだった。私は宅建免許がないので詳しい説明とか案内は出来なかった。担当者はほとんど外出していることが多いので私が聞いておいた連絡先に後で連絡して後日案内する。そんなある日仕事をしている私は店頭の物件を見ている女性に気がついた。30歳くらいの主婦らしい女性。「どんな物件をお探しですか?」といいながら事務所に案内した。愛想のいい女性はにこやかに笑いながら話した。「旦那の実家に姑と一緒に同居しているんだけどそろそろ別居したいなと思って」そういって女性は希望の物件について話し出した。女性はだんなさんとの間に4人の子供さんがいる。新しい家に住むのは夫婦と子供4人、広めの物件が居る。当然のことながら広い物件は高い。分譲ではなく賃貸を希望している。賃貸には一軒家とマンションアパートの集合住宅がある。女性が帰ってから上司に報告。上司は物件を見ながら考え込んだ。一軒家は広いが家賃が高くなってしまう、子沢山なのは家主さんが貸すのを嫌がるケースが多いという。家が汚れたり傷んだりするからである。マンション・アパートは賃貸物件のファミリー向けの物件は2DK3DKくらいの広さの物件が多い。4人の子供さんがいれば少し手狭になる。賃貸マンションの4DK以上の物件は珍しい。分譲マンションを持っている人が転勤とかですむことができなくなった分譲貸しと言う物件が比較的広いのだが物件数が少ない。何度か電話でやり取りしたり、ファックスで自宅にこちらの提示する物件の間取り図などを送ったりしてようやくそれでは見に行こうかと言う話になる。今度はご主人の休みの日に一緒に来る。子供さんたちも一緒でにぎやかだった。ご主人は優しく子煩悩な感じで下の子を抱っこしている。だが物件選びにはあまり乗り気でないのがよく分かる。奥さんが別居の話をどうもちかけたのかは分からないがご主人は自分の実家でもありいい物件がなければ今すぐに別居する気はなさそう。しばらく旦那さんのお休みの度に上司の案内で何度も物件めぐりをする。初めその気なさげに見えたご主人もだんだん物件を見ているうちにその気になってきたようだった。もしかしたら別居をめぐって母親と修羅場とかがあって同居に嫌気がさしたのかもしれないなどと想像する。奥さんは旦那さんのいないところでも私たち他人に同居の具体的な愚痴は決して言わないでいつもニコニコしている。でもそのニコニコの裏にいろいろ合ったから別居になったことは推察できる。そうしてようやくお気に入りの物件が見つかると契約、鍵渡しになりお引越しとなる。結局初めに聞いていた家賃の予算よりずいぶん高めのところに決定した。上司は家賃が払っていけるのかどうか危ぶんでいた。私はきっと彼女は何とかするに違いないと思った。その高い家賃と引き換えに彼女は別居の自由を得たのだから。経済的には今より苦しくなっても精神的にはずいぶんと楽になるとの思いから別居に踏み切ったのだろう。そう簡単に別居を諦めて実家に戻らないし、戻れない強い気持ちででてくるのだろう。生活が大変なら、奥さんが内職をするとかパートに出るとか何としてでも家族水入らずの生活を守ろうとするだろう。それほど彼女にとって同居とは大変だったのだろう。同じ女同士、嫁と言う同じ立場の人間の私にはよく分かる気がした。結婚や離婚、人は人生の節目節目に住まいを替える。その節目の時に立ち会うのが不動産やなので色々な人間模様を垣間見ることが出来る。このシリーズはまた書きたいと思います。
2005.05.24
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私の特技はいつでも何処でも眠れることだ。車の中、電車の中、講演会や入卒業式の席、横にならなくても座っただけでも眠れる。座ると5分もたたない内に舟をこぎ始めしかも熟睡できる。長女の短大入学式の時も最初の学長のお話が始まるや否や居眠りが始まった。隣に居た夫が見ているといびきまでかいて寝ていたという事だ。私が目覚めたのは最後に司会の人が「コレで第○回入学式を終わります」と言って一瞬周りがざわつきだした時。つまり式のほとんど寝ていたことになる。あまりに熟睡するのでいつも目が覚めると一瞬自分が何処にいるのか分からないことすらある。眠れない眠れないとお悩みの方が大勢居るというのに睡眠薬も使わずこんなに眠れるのは申し訳ないくらいだ。よく枕が変わると眠れないという人が居るがそれも私には関係ない。夫には私はさっきまで喋っていたのが静かになったなと思うとと寝ているといわれている。これはやはり普通の人より体力がないのを補おうとする体の防衛本能ではないかと思う。買い物や何かで外へ出かけて今日は普段よりよく動いたなと思うときは家に帰りリビングに横になると同時にいびきをかいている。昼寝でも夜でもほとんど熟睡。病院へ入院しても眠れないで睡眠薬をもらっている人が多い中、私はすやすやと寝ていて夜勤の看護師さんにこんな人は珍しいといわれたりした。何をどうしても眠れないのは年に数日、一年365日のうちの360日くらいはよく眠れる。そんな私がどうしても眠れない時はどうするのかというと・・・・。そんなときは今日たまたま眠れなくても明日はよく眠れるからまあいいやと諦める。それだけのことだ。二日も続けて眠れないという事は私にはない。たとえ心配事が合ったとしてもいつまでもくよくよしないのが私のモットーだ。今までの一番の心配事は父が心筋梗塞で倒れた時。そのときでもあんなに今までいろんなピンチを潜り抜けて命の危険のある事故の時も生還できた運の強い父がそう簡単に死ぬわけがないと自分に言い聞かせると寝ることができた。これも一種の特技だといったら言い過ぎだろうか?皆さんの睡眠に関するコメントをお待ちしています。
2005.05.23
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ずっとずっと昔まだ私が赤ちゃんだった頃のこと。両親は当時小さな借家に住んでいた。祖父母と父の妹のおばたちとともに。庶民の家には当時お風呂がなかったという。両親も銭湯を利用していた。赤ちゃんだった私を抱いて銭湯に行く。女湯で服を脱がせて男湯で待っている父に男湯と女湯の連絡口から渡されたらしい。お風呂にはいって洗った後はまた父から女湯の母へ渡される。母が一人で来た時には子連れの女客の世話をするお手伝いの女性が銭湯にいたらしい。その人のお手伝いで母は赤ん坊だった私をお風呂に入れていたようだ。デパートなどの女性用トイレにあるようなベビーベッドが女湯にはいくつもあったらしい。コレは両親に聞いた話だ。当時の庶民は皆こんな風だったらしい。もちろん私には記憶がないが。そしてそんな生活は弟が生まれるまで続いた。弟が生まれて少し大きくなると生まれた家を引っ越すことになった。今度は私たち家族4人だけの家になった。ここでもやはりお風呂がなかった。しばらくは近所の銭湯に通っていたと思う。そして私が小学校の低学年の頃だったと思うが、父が独力でお風呂場を新築することになった。父は大工ではなかったが祖父は亡くなる前大工をしていたという事で父も見よう見真似で少しは大工仕事が出来た。新築と言っても小屋のようなものを台所のつづきに建て増ししたもの。それでも南北に小窓があり父が買ってきた木の浴槽に手作りの木の洗い場がついていた。台所からお風呂へ続く板の間も父の手作り。お風呂は台所からホースで水を入れていたと思う。水道工事はできなかったらしい。今のように水をひねって熱いお湯をうめるなんてことはできなかった。いつもバケツに水を入れて置いておき熱くなるとそれを入れた。排水は何とか出来たように覚えている。電気は引かずに入浴時は台所の電気をつけた。そして台所とお風呂の境目にはガラス戸もなく丸見えになっていた。冬は寒かったのではないだろうか?木の洗い場はいつも濡れていて日が当たらずすっきりと乾かないのでよく腐ってある日ズボッと足がはまってしまうこともあって結構危険だったのは覚えている。お風呂を沸かすのは最初新聞紙などの紙を入れて次に木や石炭を入れた。煙突が屋根に伸びていた。その頃のお風呂といえば何処の家もそういう感じ。それでもお風呂のない家もまだ結構あった時代だった。銭湯もまだ立派にあった。当時お風呂の煙突は二、三日雨が降り続くと湿ってしまってお風呂をたくことができなかった。そういう時は銭湯へ行く。それから別居していた祖母が一緒に住むようになった。自宅のお風呂にはいれないとき祖母と一緒に銭湯に行った記憶がある。祖母と一緒でなければ父と行った父と弟と男湯に入るのは私はイヤだった思い出がある。母と行った思い出はあんまりない。きっとは母は銭湯代を浮かせるために自分は行かないことが多かったのではないだろうか。この家には中学を卒業するまで住んでいた。そして二度目の引越し、ようやくお風呂の着いた家に引越しした。母は長年のお風呂をたく仕事から解放された。ガスでパンとすぐに着火して後は何もしなくてもオフロが沸く生活になった。母は今度のお風呂は楽やと目を細めた。色々辛い事情のあった引越しだったが唯一それが明るい思い出だった。そしてその家では近くに銭湯もなくその後は銭湯に行った思い出はない。2年近く前に自宅のお風呂の湯沸かし器の故障の為に久しぶりに娘たちを連れて銭湯に行った事がある。細い路地の奥に昔ながらの銭湯があった。今時のスーパー銭湯とは違い小さくて古かった。娘たちにはすべてが目新しい感じ、レトロな昭和の香りのする銭湯。だんだん銭湯の数は減っているという。何だか寂しい話だ。
2005.05.22
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土曜日の恒例の買い物から帰ると銀行からお手紙が来ていた。うちから100メートルくらいのところにある某銀行の支店が閉鎖されて伝wやで二駅向こうの駅前の支店に統合されるというお知らせだった。何という事だろう。うちから一番近い銀行で雨の日や体調の悪い日に銀行を利用するのに便利だったのに。利息もほとんど付かない普通預金の預金者に交通費を支払って二駅向こうまでいけってか?利用者の便を考えてせめてキャシュ機くらいは置いておいてはくれないのか?銀行も厳しい時代になったのは分かる。利用している別の銀行の支店も閉鎖になって久しい。銀行の通帳が一杯になったのを新しくしてもらうために駅向こうのスーパーの中のコーナーに行ったら住宅ローンとかの相談コーナーだった。ちょっとえらそうなs男性の中年の銀行員が二人も居て通帳の作り方を「どうだったっけ?」と相談しながら長い時間待たせてやっと作成してくれた。不便この上ない。次に行ったら機械だけになっていてもうここも使えない。コレで駅前の銀行を利用するかコープまで足を伸ばすかしないといけない。しかも預け入れは両方とも出来ないので夫の休みの時に市外の支店まで連れて行ってもらわないといけなくなる。住宅ローンを抱えているので月に一回の預け入れは欠かせないというのに利用者の便利はどこかへ忘れられている。こういっちゃなんだけどうちに住宅ローンを貸して儲けているのにこの傲慢な態度はなんだといいたくなる。ちょっとでも預け入れが遅れてローンが落ちないと閉店後でも電話がかかってくるくせに、ちょっと勝手じゃないか?皆さんこの話をどう思いますか?私の言うのはおかしいでしょうか?今日はコレを怒っています。
2005.05.21
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先日と同じく私がOLをしていた頃のこと。宴会になると裸踊りをする男性がいた。自分のオリジナルのテーマ曲まであって曲に合わせて歌いながら、一枚ずつ脱いでいく。最後には白のブリーフ一枚になる。この男性は女性の居る宴会では必ずこの芸を披露する。男性ばかりの宴会では脱がないそうでこれも一種のセクハラだろう。家では婿養子とかで脱ぐことでストレス発散をしていたのかもしれない。今夜は宴会と言う日は朝からおお張り切り。ズボンの下にいつものパッチでなくて男性用パンテイストッキングをはいてきて夜を楽しみにしている様子。ちなみにこの男性がパンテイストキング姿になったらまるでかえるのようだと皆言っていた。自分のやっていることが恥ずかしいことだという事は夢にも思っていないらしかった。1度写真を取って家族に送ってやろうかと思うくらいだった。もちろん女性陣にはひんしゅく物。そんなある日の慰安旅行の席のこと。いつものように宴もたけなわの頃いつものように男性のストリッップショーが始まった。今日は大勢の仲居さんも居るのでいっそう張り切っている。とうとういつものようにブリーフまで脱ぐとショーをはじめてみた仲居さんたちは大興奮。一人の仲居さんがお盆を持ってきてブリーフを取ってコレで隠して踊ればいいとあおった。他の男性たちも口笛を吹いたり声を掛けたりして盛り上げていく。おいおい、ほんとうにそこまでやるのか?女性陣もいるというのに。どうしようと思ったそのとき、女性陣の一番年長の先輩が「さあ、外に出るよ」と私たちに声を掛けた。私も先輩方に遅れないように退席。今思えば度々のストリップショーに先輩たちは内心怒っていて抗議の退席だったようだった。いよいよと言うところで女性陣が退席したので場がしらけてショーが盛り上がらなかっただろう。行動で示さないと男性たちには分からないのだから仕方がない。私たちはロビーの売店でおみやげ物を見て時間を潰した。しばらくすると幹事が私たちを探しに来た。もうショーは終わったから帰って来ていいという。先輩たちが「帰りましょう」と言うので一緒に席に戻って宴はお開きとなった。それで終わりではなかった。女性たちが部屋に引き上げると男性たちが三々五々グループになって女性の部屋で飲みなおしたいとやってくる。部屋の冷蔵庫からビールを出して接待。二次会なら自分たちの部屋でやってくれと思いながらも先輩たちに気兼ねでさすがにそれは言えない、中にはテレビのエッチな映像を一緒に見ようという人まで居る。女性と一緒にみようなんて悪趣味だ。「モグちゃんは未成年だから見たらいかん」といわれたので隣の部屋に行っていた。ふすま越しにテレビから声だけは聞こえてきたが。そうして慰安旅行の夜は更けて行った。慰安旅行と言うのは大体何処もこんなもんなのだろうか。女性の参加しない慰安旅行でコンパニオンを呼んで騒いだという課もあった。参加しない女性に後日積み立てていた旅行代を返還する際、「コンパニオンなんて呼ぶから返還する分が少なくなった」と女性に抗議されていた。本当に男性ってしょうがないですね
2005.05.21
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保険やサンで面接を受けたことがある。保険やサンになりたかったわけではない。まだ透析を受けていなくて体のほうもそんなに悪くなくて仕事を探していた頃のことだ。ある日友達から電話がかかってきた。「今日あいとる?」「あいとるで」友達は仕事をしていたがその日は休みだった。「私とつきおうてくれへん?」聞くと今日は知り合いの保険のおばさんに頼まれて保険会社の面接を受ける野田が私についていって欲しいという。付いていくといってもただの付き添いでなくその友達と一緒に面接を受けて欲しいというものだった。彼女ももちろん今の仕事を辞めて保険やサンになる気は全くなくあくまでおばさんへの義理で行くのだという。だから普通の面接と違って履歴書なんかは持っていかない。お茶を飲みに行くつもりで気楽に来て欲しいといわれたという。半信半疑だったが友達が一緒だというので車で迎えに来た友達と一緒に保険会社の営業所に出かけた。営業所では友達の知り合いと言う保険屋のおばさんが応対してくれた。保険やサンと言うとスーツにハイヒールをバシと着こなしたいかにもできる女みたいな人を想像していたが普通の人のよさそうなおばさんだったのでちょっと驚く。おばさんの案内で一人づつ支店長さんと話すことになる。支店長は世間話が上手い、上手い話に乗せられてつい自分の出身高校のこととか今までの職歴なんかを話していた。保険業界の話なんかをさらりとやって「あなたもやってみませんか?」と誘われた。私は保険やサンには向いていないと思う。親戚や知人に契約を頼まないと契約がとれないような私みたいな人は保険やサンになるべきでないと私は思っている。営業職の経験もない。夫は保険やサンの仕事をすることには反対するのは目に見えている。そういう風なことをこちらから話したように思う。支店長氏はそんなにひつこくなく私がそういう事を言うとあっさりと諦めてくれた。この業界は新しい人を募集してはその周辺の人に契約させるというやり方をよくするというのを聞いたことがある。私がもし保険やサンになったら周りの人から取ってくる契約が欲しくて面接をいいだしたのだろうか?友達も同じように面接。無事断って応接室から出てきた。何気なく事務所を見るとかなり広いスペースに机や事務機器が並んでいるが人は皆で払っているのかそんなにはいない。壁際を見ると売り上げを競うためか社員の一人ひとりの売り上げを棒グラフにしたものが張ってある。その中で一人ダントツの人が居て大体の人は壁の上で棒が踊っているのにそのかなり広い事務所の天井の真ん中辺りまで棒が伸びている。私はおばさんにグラフの事を聞いた。「そう、あの人は凄いのよ。この営業所のナンバーワンなんやから」おばさんはそういった。「私は売り上げがあんまりぱっとセンから後ろから数えた方が早いくらいなんよ。支店長に売り上げが出来ないなら知り合いを面接につれてこいといわれたから頼んだのよ。迷惑を掛けてごめんね。」そして交通費くらいのものはくれたと思う。おばさんは支店の下の玄関まで見送ってくれた。実際に保険やサンにはならなかったがなかなか面白い経験をさせてもらったかもしれない。私には天井までグラフが伸びるような営業はとてもできそうにない。そしてそれなりの営業成績ができないと容赦なく退社を迫られる世界なんだろう。保険業界を垣間見た一日だった。
2005.05.20
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私はあんまりくじ運とか何かに当選とか言う運はあんまりよくはない。当たった!と感激するようなことはあんまりない。その私が額面5万円相当の旅行券を当てたことがある。コレはそのときの話。阪神大震災の年の秋からパートで働いていた会社でのことだ。この会社には4年ほど勤めていた。この会社は毎年7月にホテルの一室を借り切って社員とパート向けのイベントを行っていた。二つの工場の合同開催だから結構大人数になる。バイキングの夕食と歌謡ショーと福引大会。歌謡ショーは物まね専門の歌手を呼んで結構楽しい。福引大会は結構景品も多くてこれも楽しい。あらかじめ参加者一人ひとりに抽選番号のかかれた福引券が渡されている。イベントの最後に番号をその場で抽選して下の賞から次々に発表していく。この中で5万円の旅行券は特賞で一人にしか当たらない。一番最後に発表されたのが自分の持っていた番号だったわけだ。その場には200人以上はいたと思う。その中で一人にしか当たらない旅行券が当たるなんてなんと言うラッキーなことだろう。賞は一人一人所長から手渡される。このとき所長がちょっとおふざけ。手渡す時に自分にチューしろと言う。酔った上とはいえ一種のセクハラ。いくらなんでも大衆の面前でそれはないだろう。ちょっと不愉快だったが笑って下を向いてごまかした。二。三回押し問答みたいになってようやく景品をゲット。しばらくは会社内で○○サンに旅行券が当たったと会う人ごとに言われた。それまでうちの係りで当たった人は居なかったらしい。貰ったのは旅行券の目録。家に帰って開けてみても中身はない。会社で庶務をやっている女性に見せてコレが当たったけどどうしたらいいのかと聞いた。女性はあちこちに問い合わせてくれて会社の関係している旅行社がこの件を担当していることを調べてくれた。旅行社が5つくらいの温泉地を提案してくれてその中から選べという。家で相談。私は子供たちは中学生くらいだったので一晩くらいなら留守番は出来るだろうと夫と行くつもりだった。ところが夫は子供たちに留守番は無理なので自分が残るという。実家の母親と行ってきたらいいと提案した。私はそういう親孝行みたいなこともたまにはいいカナと思って実家の母と行くことにした。5つの温泉地を何処にするか母と相談する。旅行券は宿泊券に当てられて交通費は自前。二人で5万円ならちょっといい旅館に泊まれる。結局母の希望で城之崎温泉に行くことに決定。日にちも自分たちで決められる。夏に当てた旅行券でその年の秋に母と二人旅が実現した。母は「アンタと旅行にいけるなんて」と大喜び。最寄り駅からの電車の切符の手配もすべて知り合いの庶務の女性がやってくれた。一泊だが城之崎温泉を楽しみ、周辺のロープウエイに乗ったり、文芸館に立ち寄ったりした。家族旅行で行った事はあったがそのときには文芸館には寄らなかった。ちなみに母との旅行はこのとき2回目。一度目は呉服屋さんの招待旅行で団体旅行。小豆島へ一泊の旅だった。白孔雀園と言うのがあって白い孔雀が次々と飛んでくるのは圧巻ですばらしかった・・・のだが裏話がある。従業員の人があらかじめ捕まえてい孔雀を山の上から放していたというお粗末。やらせと言うやつだ。がっかりしたのを覚えている。母との二回の旅行は二回とも招待と言うか自腹を出していない旅行だったわけだ。しかし城之崎旅行の後さっぱり何も当たらなくなった。コレで運を使い果たした?それならちょっとつらいかも?
2005.05.19
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私がOLをやっていた頃は男性も女性もセクハラの意識がなくて今なら考えられないようなことが普通にまかり通っていた。例えばこんな話、私は自分の係じゃない普段別の係りで仕事をしている人たちの宴会に便乗して出かけたことが合った。私の係りは40代50代の男性ばかりだったので若い人の居る係りの宴会には声がかかると積極的に出かけていた。少しは出会いがあるかも見たいな下心?があったから。宴会の後カラオケに行くことになった。大人数なのでちょっと大きな部屋に通された。歌を歌うところは一段高くなっていてそこだけスポットライトが当たるようなしかけになっている。そこで歌うと歌手になったようなな気分になれそうだった。そこの係りのAさん、当時30代既婚男性。当時刑事役で人気のあった誠誠也と言う俳優に似ていて誠実そうな感じの人だった。「モグちゃん一緒にデュエットで歌おか?」私はあんまり上手ではなかったが一緒に歌うことに。スポットライトの当たる舞台風のところに立って歌い始めた。ところがスポットライトの下の暗いところでカレは突然私のお尻を触ってきた。キャ、私は驚いて音程はめちゃめちゃ歌どころではなくなった。彼の手を払いのけるのに夢中になっているうちに歌は終わってしまった。せっかく楽しく歌いたかったのに男性と言うのはどうしてこういう悪ふざけをするのだろうか?歌い終わって猛抗議する私にカレは反省するそぶりもなく平然と言う。「モグちゃん、歌、下手やなあ」下手も何もそんな状態で平気で歌えるほどの度胸はありません。私は誠実そうに見えても男性とはこういうものかと思ってがっかりしたのだ。まだこのときは飲んでいたから羽目をはずしたという事で理解するにしても仕事中にも?な出来事はあった。例えば書庫で書類整理をしていたとき。一緒に整理していた40代ばつ一独身男性。何を思ったのか突然私の手をムギュ。「モグちゃんの手ぽちゃぽちゃして気持ちええなあ」すかさず私はあいている手で相手の手の甲をピシャッ叩いた。「仕事中に何するン?」そして私は冗談で「私の手、ただで触られんへんよ」と言ってやった。すると向こうも負けていない、「いくらはろうたらええんや?僕払うわ」こりゃダメだ、冗談も通じない、私はキッパリといった。「おかねもろてもあかん、お気軽に触らんといて」男性はちょっと寂しそうな顔をしたがこういう事はきっちり言っておかないと繰り返されるかもしれない。そのほかにも向かい合って仕事の話をするのに何故かスカートの私の膝と膝の間に自分の足を入れてくる50代男性。不愉快で仕事の話が上の空になる。ちなみにこの男性は他の女性と話すときもこういう態度。しかもコレで職場のリーダー。今では抗議するまでもなく職場でこんな態度を取る人はいないだろう。女性の意識も男性の意識も昔とは格段に替わっているだろうから。あの頃にはあくまで噂だったが社内のエレベーターにさえ痴漢が出たのだ。二人きりになったらいきなり胸を触ってきた男性が居たという。もちろんその男性の名前も係りも分かっている。それでも処分されることはなかった。女性には屈辱的な時代だった。いまもし職場でそんなことをしようものなら・・・・・男性の皆さん身の破滅ですよ、お気をつけて。
2005.05.18
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もったいない、もったいないが口癖の火星人。もったいないと思うことは悪いことではないが火星人の場合ちょっと違う気がする。結婚した時知人からお祝いにペアの毛布を頂いた。当然、新居にそれを持ってきた。だんだん寒くなって私は当然それを遣うものだとばかり思っていた。箱を開けてみると暖かそうな高級そうな毛布が色違いで2枚入っていた。ところが「コレを使うのはもったいないからおろさない」という。そして実家へ行って自分が去年の冬まで使っていた古い毛布を貰ってきてそれを使うと宣言。私も自分の実家へ行って使わないのを貰ってこいという。それってへんじゃない?せっかく使ってとお祝いに貰っているのに?いくら言っても聞く耳なし。仕方ないので私は安い毛布を買ってそれを自分用にした。いつ新しい毛布を下ろすのかと思っていると結婚21年たっても下ろす気なし。こうなるとただの変人?先日その箱を開けてみるとすでに毛布は虫食いの穴だらけ。し~らないっとまたふたをしてしまった。せっかくくれた方の好意が台無し、夫にもしこのことを言ったら私が悪いという事にされてしまうのは明白。このことは当分の間秘密にしておこう。そしてまた別の話。職場の方にお土産か何かで奥さんにと財布を頂いた。これも一旦開けてみた後「お前にはもったいない」と使用許可が出ない。って言うか私に頂いたものを何でアンタが使わせないのか意味が分からないんだけど?という事でこれもお蔵入り。財布はアナがあくことはないけど日の目を見るのはいつの日か・・・・・頂物のことばかりではない。例えば夫に新しい下着を買ってくる。なかなか新しいのを下ろさない。仕事に行って着替える時あんまりくたびれた下着だと同僚の手前恥ずかしいと言う事がないのだろうか?ちなみに上に着るものにはこだわりがあり古いものはあんまり着たがらないのに下着には無頓着。職場から旅行に行く時いくらなんでも古いのだと恥ずかしいと思い、新しい下着を買ってもたせた。そして前日オフロのときに新しいのを着ていくように言った。ところがお風呂上りに着ているのは普段のくたびれた下着。「何でそんなんきてるん?私が恥かくやろ?」と言うと古い下着の方が適当に伸びていて落ち着くというおかしな返事。新しいのはゴムがきつく感じるというのもあるらしいがそんな事を言っているといつまでも新しいのを下ろすチャンスがない。しかしこれでは夫の同僚は私の事を気の聞かない奥さんだと思っているだろう。私の立場はどうなる?夫のもったいないが国連で提唱しているのとはちょっと違うのがお分かりいただけたと思う。ちなみにこの考え方は夫の実家も同じようだ。以前父の日、母の日に送った衣類を使っているところをみたことがない。そして実家の押入れには頂き物がどっさりしまわれたままになっている。たまに整理をした姑からおすそ分けを頂くことがあるがすでに虫の沸いたそうめんやカビの生えたもちを貰っても嬉しくないですから。くれるなら新しい綺麗なうちに頂きたいです。お礼を言ってもらってきてからこっそり捨てていることは姑には内緒だ。姑はかびも包丁で削ったら食べられるというから自分は食べているのかもしれない。虫の沸いたものも外でよく干して食べたら大丈夫とか?物なかった時代を知っている世代なので食べ物を捨てるなどと言うのは論外なのだろう。捨てていることがばれたら私もきっと叱られるだろう。でも食べ物は頂いた方、作った方の気持ちを無駄にしないように美味しいうちに頂きたい。食べられないものでもせっかく頂いたり買ったりしたものを飾っておいても仕方がない、使ってこそその品物も喜ぶというものだ。皆さんはどう思いますか?またご意見をお待ちしています。
2005.05.17
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まだ私が独身でOLをしていた頃のことだある日仕事をしていると同期のA子から社内電話がかかった。「今日なんか予定がある?」「別にないけど」「終わったらちょっと話があるから会えへん?」みたいな内容。「ええよ」と返事した。同期とはいえ個人的にはそんなに親しくはない。会社のクラブ活動が同じなので皆と一緒の飲み会なんかではよく一緒にはなるが個人的な話しはあんまりする仲ではない。会社が終わった後A子と落ち合う。A子は「紹介したい人がおるねん」私にお見合いの話があるという。だがA子も独身。「なんで?あんたがしたらええんちゃうん?」「私は結婚せえへん主義やからええねん」そこへ中年の男性が現れた。40代後半か50代くらいのスーツの男性。自己紹介をすると私の会社と取引のある会社の課長さん。そして彼女の親戚に当たるという。お見合い相手はその人ではなくてその人の部下。親戚の彼女に誰かいい人がいないか相談したら私を推薦されたという。ここまでは納得が出来る話。そしてカレは手帳を取り出して「あなたのことを調べました。この一週間会社帰りに何処へ行って何をしていたか」「何曜日にはどこ何処へ行っていましたね?」見たいな感じで手帳を見ながら話す。おいおい、あなたはストーカー?本人曰く「私の大事な部下の結婚相手として紹介するには無責任なことは出来ないので色々と調べさせてもらいました。あなたは合格です」合格って何様じゃあ?と思ったが初対面の相手に言えるわけもない。そこへ部下のHさんが登場。コレが本日の私のお見合い相手らしい。色々?なこともあるケド一応同期の彼女の顔も立てて一応お見合いだけはすることにする。最近相次いで私の友達二人が結婚した。偶然にも二人の結婚相手の姓は同じ。そして3人で私の相手も同じ姓になったりしてねと冗談を言い合っていた。偶然にもその姓がHさん、今日の相手と同じ。まあこんな出会いもありかなと思ったりする。20代で仕事も出来ると課長の推薦もあったがちょっとはげかかったおとなしい感じの男性だった。課長は「後は二人で、お前も頭の毛があるうちでないと嫁の来てはないから真剣に考えろよ」みたいなはっぱをかけられてA子と課長が消えた。二人で食事に行った後軽くのみに行った。初対面でシャイなのかおとなしめのHさんとはそんなに会話も弾まなかった。駅まで送ってもらって分かれた。家に帰ると無断で遅く帰ったので母に怒られた。母に事情を話した。紹介してくれる人が合ったからお見合いをしていたことを。そしてその後の連絡を待った。交際を進めるにしても印象が悪くて断るにしても先方から何か言ってくるだろうと思った。しかし待てど暮らせど何の連絡もない。一週間もストーカーみたいに私の後を調べていた課長ももちろんご本人からも。A子のところにも何にも言ってこない。そしてそのまま尻すぼみで終わった。あの時課長が「コレは正式なお見合いと思ってもらっていい」と何度も力説していたのはなんだったのか?課長といい、本人といい礼儀を知らないいい加減なやつらだ。私はこちらから連絡してみようかというA子を制した。もういいやと思ったから。そこまでしてもらわなくても連絡がないという事は今後のお付き合いは遠慮したいという意思表示だろう。こんなことは慣れている。お見合いの後映画を見に行って一人勝手に帰ってしまってその後なしのつぶてだった人も居たしね。その人はお見合いの返事もしないでほっておいたらしい。こっちはどうなったから仲人のおばさんから問い合わせがあったので本当のことを正直に話した。おばさんはあきれていたっけ。こういうのを間に立った人の顔を潰すというんだよね。お見合いは色々なルールにのっとってやらないと人間関係が悪くなってしまう。付き合うにしても断るにしても誠意をもってやるのが常識だろう。ほったらかしにしたり、あるいは結婚するかどうかも意思表示せずにだらだら付き合うのもタブーだ。最近は若い人はほとんどお見合い結婚はないらしいけど。私もお見合いは数多くやったけどストーカー的上司のくっついてくるお見合いはコレが最初で最後だった。ちょっと珍しい話でしょ?
2005.05.16
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我が家は何度も書いているように娘二人が居る。昨夜もオフロに入っていた次女がぶつぶつ言いながら着替え一式を抱えてリビングへやってきた。まだ着替えが終わっていないのに火星人が次にお風呂に入ろうとやってきたからだった。我が家は台所から洗面所お風呂へいける間取りになっている。洗面所は更衣室を兼用になっている。台所と洗面所は引き戸で区切られているが入居した時から何故かこの引き戸が重くて開け閉めに支障があるのでいつも開けっ放しにしている。娘たちが年頃になるに連れてこれではと言うので引き戸のところに暖簾やカーテンをつけていた。ところが火星人は暖簾やカーテンをつけてもつけてもすぐに取ってしまう。顔に当たるのがイやならしく自分は男なのでそんなのがなくても平気だからだ。そして夕べのような事件が再三起こる。台所へ行くと洗面所で着替えしている様子が丸見え。娘たちが怒るのも無理はない、着替えが終わったのを見計らっていけばいいのにいくら言ってもすぐに行ってしまう。これから夏になると早くリビングの扇風機に当たろうとハダカでウロウロする火星人が出没する。当然娘たちはコレを嫌がる。着替えの下着は洗面所に置いてあるのでせめてパンツくらいははいてからリビングに来て欲しい。いくら家族で遠慮がないといっても年頃の娘たちに少しは気を使え。いくつになっても娘心が分からない火星人だ。皆さんの家庭ではこういう事はありませんか?またカキコをお待ちしています
2005.05.16
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人から自分がどう見えるかをものすごく火星人は気にする。今の家を買うとき会社の住宅融資を受けることになり社内でそういう手続きを仕事にしている人に色々お世話になった。火星人は「こんなにお世話になったから御礼をするべきや。もしせえへんかったら何と思われるかわからへん」と言い出した。私は世話になったといってもそれはその人の仕事だから気にすることはない、御礼なんてするのはかえって気を使わせると反対した。お礼をケチったのではなくて自分が納得できない支出はしたくないのが私流だったから。火星人は私の言い分に納得せず実家に電話をかけた。ちょうど電話に出た義父に意見を聞いてみた。「お礼に酒を送ろうとおもうんやけど・・・」義父はしばらく考えて言った。「それは・・・」私は義父がそんな必要はないというのではないかと期待していた。ところが義父が言ったのは「酒、一本はあかんぞ。二本にしなさい」はあ、やっぱりあなたもお礼するべきと言う意見ですか?私はため息をつきながら火星人に従って酒を送ることになった。そして火星人は不動産屋さんの営業マン(と言っても女性)にもお世話になったからお礼をと言う始末。それでなくても家の貯金をはたいて家を買い家計はカツカツだというのに何処までええかっこしたら気が済むの?不動産屋さんの営業さんは私たちに家を売ってそれなりの歩合をちゃんと貰っている。どうしてその上に個人的なお礼までする必要があるの?この件に関しては私の記憶がちょっと曖昧でこういういい争いをした記憶はしっかりあるが実際に御礼をしたかどうかははっきりとした記憶がない。そして同じ職場のYさん。同僚で世話になるといってもお互いさまなのに夏、冬に必ずお中元お歳暮を贈ってくださる。最初のころお返しをしていた。するとお返しにお返しが帰ってくる。そして夫は貰いっぱなしはよくないからまたお返しをしようという。私はキリがないからもうやめようといった。何処までつづくんや?向こうは意地になっているのか?よう分からんわそれでお返しをやめてみた。ところがまた贈り物が届いた。おかしいと思ったらどうしても気になると火星人が勝手にお返しを送っていた。コレはそのお返しと言うわけだった。私は火星人にお返しを送らないように話をした。何度かお返しをしたくなるのを我慢してようやくお歳暮お中元攻撃?が止まった。貰った方がかえって気を使うので私は本当は止めて欲しかった。ちなみにYさんは人に物をあげるのが好きな性格らしい。お中元お歳暮はなくなったが何かにつけて色々なものをくれる。一緒にのみに行ったら火星人の隙を見て家にもって買えるお寿司の折り詰めを頼んで無理やり持って帰らされたり、子供たちにとお土産をくれたり。悪気はないのは分かっているがYさん、火星人がお返しが気になるので止めてもらいたいんですが・・・・。ってこんな風にHP上でイニシャルでお願いしても無理なのは分かっているけど・・・・。
2005.05.15
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昨日のPTA話の続き。中学校で私は上の子の役員に立候補した。そして役決めの会に召集された。クラスから選ばれた数人の中から学年代表と副代表を選出する。私はクラスから選ばれた中に上の子供さんで会長をされたAさんがいるのに気が付いた。そして学年代表はきっとAさんが選ばれるだろうと楽観的に会に臨んだ。先ず会では選出方法を決める。一般的にはくじか選挙かということになる。くじだと当たる率が公平になるので自分が選ばれそうだと思う人がくじを支持することが多い。選挙だとその場に選ばれそうな人がいるとその人に票が集まるので自分は選ばれないだろうと思う人は選挙を支持することが多い。司会者が挙手で決をとると選挙派が多かった。私はこのときAさんが選挙の方に挙手しているのに気づいてを意外な気持ちになった。自分に票が集まる可能性が高いのに彼女は何故選挙を望んだのか?そして選挙になった。以外にも票が入ったのは私とBさんの二人だけ。票は同数。それを見て私はありえない結果と思った。会長経験者のAさんに一票も入らないで幼稚園や小学校でほとんど目立って活動していない私に票が集まるなんて信じられなかった。コレが噂に聞く選挙前の運動の結果だろうと思った。しかし証拠もないのでこの場では何も言うわけにはいかなかった。Bさんもこういう結果に驚いていた。コレで私とBさんが代表と副代表を務めることが決まってしまった。Aさんを初め他の関係ない人たちは一様にほっとした表情。Bさんは錯乱して「こんな結果は認められない、やっぱりくじでもう一度選出しなおして欲しい」と言い出した。だがそんな事をその場の人々が認めるわけがなかった。自分に票が入ったから認められないなんていう言い分は通らなかった。代表になるのと副代表になるのとでは大違いだった。学年代表になると学年行事の企画実行の仕事だけではなくPTA執行部の一員という事になり月に一度の執行部会への出席を初め仕事の量が全くちがう。副代表は学年行事の企画実行の仕事の補佐のみ。仕事を持っているBさんはその次には「私は副代表ならできる」と言い出した。それは私に代表をやれということだった。そんな・・・・私もそんな大役は出来ないしばらく混乱した頭の中で考えた。ここまで来たらどっちみち代表か副代表のいずれかを引き受けるのは仕方のないことだろう。ここで二人が争ってしこりが残ったら一年間一緒に活動するのが大変になってくる。Bさんは副代表ならやれると譲歩してきた。ここで私が代表を引き受けるのを渋って時間を食ったら皆にも迷惑がかかる。皆は私がなんと言うかと私の口元に視線が集まっているような気がした。私はそれこそ清水の舞台から飛び降りるつもりで学年代表の大役を引き受けると発言した。それで私の中学校PTA活動が始まった。普段の日は部の活動、部の会合は平日に行われることが多かった。準備のための書面作り、配布、会合、決まったことを書いた書類作り。副代表との色々な打ち合わせ。執行部会は月に一回だったが会長は会社勤めの男性サラリーマンだったので活動はほとんど土日が多くなる。夫が休みの土日によく出て行くようになった私に夫は不満たらたら。しかし引き受けた以上夫の機嫌など気にしていられない。夜は働いているほかの役員さんとの打ち合わせに電話をかけたりかかってきたリガ多くなる。体育祭や文化祭の学年行事の企画と準備が一番大変な仕事だった。参加者が少ないのであちこちに電話をかけて一般会員さんの参加をお願いする。電話代は普段の倍以上になって夫に怒られた。電話代の付けをPTAに回すわけにも行かない。すべてはボランテイア。やったことのある方は分かっていただけるに違いない。心身ともに負担が大きい。協力するといいながら足を引っ張るような行動をする人もいる。全体で決める時は何も言わないくせに後で個人的に電話をかけてきて反対意見を言う人もいる。反対ならその場で言ってほしい。それが常識と言うものだろう。一旦会合で決まったことを後で覆すことはできない。代表には公平さと公正さが求められる。色々と考えて眠れないこともある。そうしてようやく一年を終えた。私以外の執行部の方々は人間的に立派な方々ばかりで自分が場違いなような劣等感もあった。個人的な悩みを同じ執行部の方々にこぼして聞いてもらうことも再三だった。立派に自分の仕事もこなしながらこんなことを何年も続けてやっておられる方は本当にえらいと思う。私には一年が限度だった。私は一杯一杯だったのが皆さんに分かってのか二年目の声はかからなかった。いい経験にはなったと思うが女の多いPTAと言うのはやはり特殊な世界だった。色々な性格の人がいてビックリすることも多かった。皆さんはどんなPTAの思い出がありますか?また聞かせてください
2005.05.14
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私は古い人間だろうか?娘たちには高校のころから「就職したら家に食費を入れてもらう」と常々言ってきた。そして今、長女休職中、次女アルバイト中。次女いわく「就職じゃなくてアルバイトやから食費はええやん?」働き出したら家に食費を入れるのは私たちの時代には当然のことだった。もちろん食費を入れたとしてもそれは結婚とか何かの時に使うために貯金しておいてやるつもりだった。ところが最近の若い子はそんな気は毛頭ないらしい。話し合うにも話にならない。せめて食費以外の出費、シャンプーとかクリーニング代とか、生理ナプキンとかそういうこまごましたものを自分で買ってもらおうとしたがこれも抵抗する。次女は美容院代まで親に請求しようとしている。まだバイト代が入って居ないからコレが最後、次回からは自分で払うようにと言うと言い合いになってしまった。何処の世界に働いている娘の美容院代まで払う親がいる?食費を入れないなら自分の身の回りの雑費はすべて親に負担をかけないという気持ちがないのか?私が細かいとかケチだとまで言う。皆さんの家の働いている息子さん、娘さんはどうですか?皆さんの意見がお聞きしたくて本日二回目の日記にしました
2005.05.13
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新学期が始まって今年はPTA役員になったという人もたくさんいるのではないだろうか?私も二人の子供がいるのでPTA役員も経験してきた。その中でおかしなこともたくさん経験してきた。先ず幼稚園編PTAは幼稚園から始まる。幼稚園の入園申し込みをしたら入園までにPTAの役員決めのための会合の呼び出しがある。この辺りでは幼稚園の役員は地域から選ばれる。地域の子の人数によって役員を出す人数が決まっている。多い地域は役員の数も増える。少ない地域でも二人三人の地区でも一応一人出す。少ない地域はやや当たる確立が高くなって不利になる。2~3人子供がいてここらへんは2年保育が普通なので大抵一度は当たるくらいの確立になる。上の子が入園した時始めてその会合に呼び出された。地域の幼稚園に通う子と親たちの初顔合わせでもある。一年目は様子を見たいと思ったので立候補はしなかったが自ら立候補する人が合ってすんなりと決まった。二年目下の子がいたが下の子がいたほうが入園後の役員決めで大きい役が当たりにくいとアドバイスをくれる人がいて立候補をしてみた。この会の司会をしているのは今幼稚園で役員をしている人たち。立候補が多ければくじ引きとかの手段で候補者を絞る。ところが私が立候補したにもかかわらず司会の役員はこういった。「○○さん(わたしのこと)は下に子供さんもいるから下の子供さんでやってください。△△さん、一人っ子で今年一年で卒園だけどまだやられてないですね。やってくれませんか」はあ、立候補した私を無視して立候補して居ない人を指名する。司会ってそういう風に勝手に自分の思うほうに流れを作る役ではないはず。指名されたその人も立候補していないという事は何か事情があるかもしれない。それを聞きもせず立候補するように圧力をかけるのもおかしい。結局それに押されるようにその人が役員を引き受けるといわざるを得ない雰囲気となりその人が立候補と言う形になる。何かおかしいと思う私。そして二つ違いの下の子が続いて入園。私は昨年の事ですっかり役員の決め方に疑問を持っていた。立候補してまでやる意欲はなかった。今年の役員決めの会の司会はまた別の人で昨年の人とは違う。それでも何かもやもやしていた私は下のこのときは立候補をせず他の人が立候補して結局下の子でも役員はしなかった。役員をしない人は幼稚園ではめったにいない。地域で役員に選ばれると会長初め各部長を選ぶ会に出席する。このとき目立たないようにノーメイクで白の目立たないトレーナーを着ていくと大きい役に当たらないというおかしなジンクスがある。そしてここで目だって大きい役が当たってしまうと小学校でも中学校でも続いて大きい役が当たる確率が高くなってしまう。しっかりしているできる人と言う印象がみんなの頭に残ってしまうためだ。幼稚園では皆知らないもの同士のはずで役員選びは公平な条件のはずだが時々おかしなことが起こる。例えば転居してきて2~3ヶ月のほとんど顔も知られて居ないような人が会長に選出されたりする。こう言う事が起こると裏で色々と動いた人がいるらしいという噂が乱れ飛ぶ。選挙前夜に「あの人を入れて」などと言う電話を掛けまくる人がいるらしい。自分さえならなければいいという考えから人を陥れるようなことを平気で出来る人たちがいる。知らない人には友達を使ってかけさせたりするらしい。そしてそれは小学校でも中学校でも行われているらしい。実際に私のところにかかってきたことはないが選挙前後には色々な噂があってそれはたぶん本当のことと思われる。現に私も中学校の時に疑惑の選挙を経験し学年代表を引き受けざるを得なかった。話を戻そう。小学校はクラスに二人つの役員なので確立は低くなる。けれども5,6年生で役員に選ばれた人から会長や大きい役があたることが多いので高学年での役員は皆嫌がる。低学年で立候補しても済ませておこうと言う人が結構多く低学年は比較的すぐに決まることが多い。高学年はなかなか決まらず働いている母親も増えてくるため引き受け手は少ない。出席できない人は委任状を提出するのが決まりでもし出席できない時自分が選ばれても文句は言わないという誓約書まで提出する。それでも引き受けない人は絶対に引き受けない。選出の会の夜、出席していない人が決まったら役員から電話があるのだが電話に出たら引き受けないといけなくなるのでその夜は電話がどんなになっても絶対にでないという強気な人もいる。連絡が付かないと次点の人に電話せざるを得なくなるからだ。幼稚園の時に役員に決まったのにそれが嫌で自宅を引っ越した人、また役員を逃れるために学期の途中で保育園に無理やり替わった人もいる。喜んで役員を引き受ける人は少ないだろうがその地域に住んでいる以上人並みに役員はこなさないと人に色々言われて住みずらくなる。PTAのほかにも子ども会の役員や子供がサッカーやソフトボールをやっているとそのほうの役員もあり人によっては同時に役を引き受けて大忙しの人もいるさて中学校で私の経験もぜひ書きたいが長くなるのでまた明日続きを書くことにします。皆さんの住んでいる地域ではどんなPTAネタがありますか?また色々聞かせてくださいね
2005.05.13
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夕べ事件は起こった。夫が帰ってきて自分のご飯を用意してリビングのテレビの前で食べようと持ってきた。そこへ次女が台所からやってきて「お父さん私のご飯を持っていった」お父さんは「何言うとるんや、お父さんは自分で入れたんや。お前のは取ってない」次女は「お父さんヤバイよ、ぼけてきてる」「ぼけてない!」ちょっとした言い合いになった。次女は諦めて台所へ。改めて自分のご飯をよそう。見ると入れているお茶碗は同じもの。うちで誰が使ってもいいとしているものだった。次女は言う。「私炊飯器の前におったんや。お父さんがご飯を入れに来たらわかるはずやろ?」うちの台所では炊飯器は隅のほうにあり次女が炊飯器の前にいたら夫が炊飯器の前にいけるスペースがない。次女がちょっと横を向いてほかの事をしている間に次女が入れたご飯が消えた!次の瞬間に夫がそのお茶碗を持っていて好きなふりかけをふっていたという。いくら探しても次女が入れたというご飯は見つからない。どちらも自分が正しい、ぼけているのは相手だと言い張る。皆さんはコレを読んでどちらの言い分を信じますか?今朝になってもご飯論争は続いていてどちらも言い分は変わらない。ぼけてきたのは果たしてどっちなのでしょうか?今朝長女が出かけようとして自転車の鍵を家の鍵で開けようとして大笑い。次女がそれを見て「うちは危ない人ばかりや」とにやりと笑った。頼むよ、火星人どうかぼけないで!
2005.05.12
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私はHP常連の方はよく知っていると思うが妄想癖がある。色々と楽しい妄想というか空想というか色々考えるのが好きだ。大体夫が火星人と言うのも私の妄想から来ているわけだし・・・。そしてそれは実家の父の思い込みが強い性格から来ていることに気が付いた。以前日記に書いたが何度事故にあっても不死身の体を持つスーパーマンのようなあの父だ。例えば透析をする前に通院していた病院へ行った後よく行っていたラーメン屋さんでのこと。京風ラーメンという事だが飛びぬけて味がいいわけではない。父は妄想する。「ここのラーメンの味は素人っぽいなあ。多分元々は百姓やったんや。それが田んぼに店を建てて商売に手を出したんや。従業員は雇わずに家族でやっとるんや。ラーメン作っ取るのは親父と息子で洗い場はおばはん、運んどるのは娘や。家族で経営し取とるからこんな味でも儲けがあるンやろ」と言う具合。すべては父の妄想だ。また父がよく通っている病院でのこと。受付は制服の女性が数人いる。そこへスーツ姿の男性が新しく加わったらしい。女性達に色々と指示を出している。父いわく「あれは院長の息子や。医学部を何回も受けたけどとおらへんかったんや。そやから仕方なしに親父が事務局に採用したんや。見てみ、院長によう似とるやろ?」私はどう見ても院長先生とよく似ているとは思えない。父と話しているとどう考えても父の思い込みではと思う話が多い。しかし逆らうのも大人気ないのでそうかも知れへんねえと話をあわせておく。大体がそんな大した話ではないので分フンと聞いていても実害はないからだ。そして私も父譲りの妄想癖で今日も色々と妄想して楽しんでいる
2005.05.11
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朝回転寿司の話を日記に書いていたら久しぶりに食べたくなった。家にいた長女とお昼に行ってきた。母の日にちょっと口けんかになったのでちょうどいい仲直りになった。原因はいつまでもバイトを探さないでぶらぶらしていること。家でお手伝いをしてお小遣いを上げていたがあんまり欲しいものはないのでそれで十分と思って働く気がなかったらしい。お手伝いを断って自分で携帯代も何とかしろと厳しくいったらようやく活動を開始した。今階下で面接の為に髪を黒染めしている。バイトはオタクの専門の店しか行きたくないらしい。この際何処でもいいから仕事を決めてまともな生活をしようよ。毎日お昼ごろまで寝て起きたと思ったらゲームかネットの生活、たまに出かけるのはオタクのイベント本人は満足らしいがこんな生活をしてたら人間がだめになるよ。休みにネットやイベントならそれも趣味で何にも言わないよ。割り勘の予定が回転寿司をおごらされてしまったが本当に仕事を決めてくるならそれも安いもんだ。回転寿司の効果が出るかどうかは微妙だ。追加の話。次女が送ればせながら母の日の花束を持って帰宅。今花瓶に活けてきたところ。次女いわく「安くなっとったから」ちょっと照れくさそう。私が他の人のHPを見ていいなあと言っていたのを聞いていたらしい。「またHPに書くんやろ?」許可を貰ったのでご報告します。
2005.05.10
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火星人は魚、特に刺身や寿司が大好き。回転寿司行くと火星人は大興奮。次々と流れてくるネタを次々にゲット。まぐろ、いか、はまち、たい、そういうものが好きなネタ。一方私は生魚よりもサラダ系やエビフライなどの比較的寿司ネタらしくないようなものがすき。夫の食べ方は二つ乗っているネタの一つだけを食べては残りのひとつの乗った皿を私に「食べろ、食べろ」といいながらまわしてくる。私は自分の好きなねたを取るどころかそのまわされてきたネタを食べるのに忙しい。そして夫は食べるのが早いので私の周りにはひとつだけ残った皿がどんどんまわされてくる。まるで流れ作業。当然私は夫に言う。「自分で取るからまわさんといて」でもそんな事は耳に入っていない。何度言っても夫はその食べ方をやめない。やがて夫がおなかが一杯と箸を置いたとき私も自分の好きなネタを全然食べられないまま久しぶりの回転寿司が終了してしまう。迷惑な楽しみ方だ。もしかしたら自分が好きなネタをたくさん食べたいためにひとつしか食べないのか。そういえば最近は回転寿司行ってないなあ。ところで話は違うけど回らない高級なおすし屋での話し。うちの家族ではない知人の家族のことだ。当時1~2歳の子供をつれて食事に行った知人一家。カウンターの前の席に座った一家、慣れないおすし屋さんに興奮したのか子供がいきなりカウンターに駆け上がり、出来立てのお寿司を踏み散らかした。唖然とする寿司職人。しかしお客の子供なので叱るわけにもいかない。ここでみなさんならどうしますか?たとえ言っても分からない年頃だとしても当然親としては叱るべきだと私は思うのですが・・・・。こういう場所での礼儀は一朝一夕には身につかないと思う。お上品にとは言わないがせめて人を不快にさせない程度のマナーは必要だ。こういう事は繰り返し繰り返し教える必要があると思うから私ならお尻のひとつも叩いて叱ると思うけどこの両親はニコニコ笑ってみていたという。周りのお客さんに不快感を与え、職人さんにも失礼だろう。皆さんはどんな風にお寿司楽しんでいますか
2005.05.10
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火星人はいざという時パニックになるのかわけの分からない行動を取る習性がある。本にも書いているが以前私が救急車でT病院に緊急入院した時のこと。個室に入院した私は高熱でぐったりしていた。その私の耳元でささやく火星人。「この部屋の料金は一日○○円かかるんやて。お金ある?大丈夫?」大体こんな意味のことを言ったのだ。病人に話すことではない。入院費の心配など一番病人には聞かせてはいけないことだろう。病人が気にしていても「気にしないで療養に専念するように」というのが普通だろう。そしてまた別の入院の時。そのときの状態は非常に悪く原因不明の40度以上の高熱で主治医が夫を呼んでいった。「後三日くらいしか生きられないかもしれません」その時も主治医の話の後私のところへ直行。今聞いた話を熱でうなされる私に言う始末。これも普通は本人に言う話ではない。コレを聞いた私がもしもうだめだと思って弱気になっていたら今の私はなかったかもしれない。コレを聞いた私がそんなバカな死んでたまるかと思えたから何とか生還できたものの聞いたときは自分の耳を疑った。それだけ普段から私を頼り過ぎる結果、いざという時自分で考えて行動が出来ないのかもしれない。二回とも相談する相手が違うだろう。入院費の心配も病気の心配も本人に相談するな!そしてまた別の話。フリーページにも書いているが数年前のお正月に私の父が心筋梗塞で倒れた時のこと。手術室の前に集まった母、弟夫婦、私たち夫婦は父の手術が終わるのを待っていた。お昼になっても食欲もなくまたそんな事にも気が回らなかった。そのとき夫は子供のようにお昼を食べたい、お弁当を買いに行きたいと駄々っ子のように繰り返した。お弁当の心配などしている場合ではなく誰もが父の命の心配をしていたときにだ。皆あきれたような顔で夫を見ていたし私も家族の手前夫が情けなく思えた。いくら自分の血のつながった身内でないにしても大人なら言っていいことと悪いことの脇前があってもいいはず。俗にいざという時男性はオロオロするばかりで頼りない女性の方がでんとしているなどといわれるがそれにしてもうちは特別だ。私より8歳も年上なのだからそれだけ人生経験も豊富なはず。もう少し頼りになる行動でさすがといわれるようになってほしい。そういえば病院でだけでなく阪神大震災の時もパニックになって大声で騒ぐだけで家族の無事を確認するのも忘れていた。停電した真っ暗な中、大丈夫だからと家族に声をかけることも忘れていた。いざという時さすがという働きをするから日ごろたいしたこともしなくて威張っているだけでも立ててあげようという気になるもの。これからは(いざという時が早々あっても困るけど)パニックにならないでよろしく頼むよ。
2005.05.09
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最近のちょっと面白い話。ネットのプロバイダーを自分の会社に変えてくれという電話はちょくちょくかかってくる。何処が安いのかいいのか私にはよく分からないのでいつもこう答える。「子供に任せているので私はよく分からない」すると電話の相手は子供→息子と勝手に解釈して「息子さんは今居ますか?いつならいますか?」と聞いてくる。うちには息子は居ません。娘だけ、私の言っているのは長女のことなのだが相手は勝手に勘違い。相手が何度電話をかけてきても返事はいつも「居ません。いつ帰るか分かりません」答えながら笑いそうになる。私は別にウソはついていない。勝手な向こうの思い込み。こちらから訂正もしないけど。あなた、うちの息子には永遠に会えませんから。そうやって何度電話をかけても無駄ですから。それにしても相手が私をぼけかけたおばあさんと思い込んで話しているなと思ったときはちょっとむかつくこともあるが。「家族の人はいないですか?だんなさんか奥さんか?」と聞かれたとき私はどういう立場と思われているのかと思ったりして。ははん、私を留守番のばあさんと思っているのか?それじゃおばあさんのふりでおちょっくってやろうかな?話は変わるが知り合いのおばあさん自宅によくかかってくるちょっとHな電話にでた時、こういったそうだ。「アンタも可哀想やな。彼女もおらんのやろ。こんなおばあちゃんやけど暇だけはたっぷりあるからいくらでも話をきいたるで」それきり変態の電話はぷっつりとかかってこなくなったとかおばあさんは電話番に最適?なのかも。
2005.05.08
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淡路島松帆の郷、明石龍の湯、根ひめの湯、フラワーセンター、藤の花で有名な隣町の神社、ランチ一回、飲み会一回。コレが私が今年のゴールデンウイークに行ったところ。一日おきにいつものように透析に行きながらコレだけ遊んだわけだ。元気な人でもこんなに出歩かないかもしれない。私ってもしかしたら日本一元気な透析患者かも?ほとんど寝たきりの人や車椅子でヘルパーさんのお世話になって透析に通うのもやっとという人も居る中健康な人よりよく出かける私。よく遊び、よく透析するをモットーにしよう。まだ元気にパートに行っているころ我が家のゴールデンウイークといえば温泉旅行だった。私たち家族と実家の両親、私の弟一家。大人数で車を連ねて温泉旅行に出かけた。ホンの数年前まで。楽しかったな。今は両親も年取って体もあんまり調子がよくなくて日帰りの近場で誘ってもなかなかいけない。弟夫婦は離婚してしまい、弟は今何処に住んでいるかわからない。毎年母の日が近づくと花屋さんからカーネーションのお届け物が実家に届く。母はそれを見て今年も弟がどこかで元気にしていることを確認してほっとする。それを見ている私も切ない。たまに忘れたころ携帯から電話がかかるらしい。母は固定電話からではないので「ホームレスでも今日日は携帯を持っているかもしれん」と心配する。数年前までのあの幸せな温泉旅行は今はいい思い出になってしまった。皆さんのゴールデンウイークはどうでしたか?元気にあちこち遊びに行けていい思い出が出来たらいいですね明日は我が家のウイルス対策委員長の長女が一日お出かけするので日記の更新が出来ないかもしれないのでコレを明日の分という事にします。私は留守に勝手にパソコンをやっていてウイルスが来ると困るので明日はネットを休業しておとなしく家に居ることにします。
2005.05.07
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今日は私が若かりし頃ダンスパーティに行った時の話を書こうと思う。私が18か19くらいのころのこと。以前にも度々書いていたが高校を卒業してOLになったばかりのころだった。何千人もの従業員の居る巨大企業に入社した私は職場で若い男性との出会いを夢見ていた。しかし配属された職場はおっちゃんと女子社員の多い事務系の職場。若い男性は現場に多く現場と直接接触する仕事ではなかったので出会いどころか口を聞くチャンスすらなかった。ある日職場の先輩が言った。「独身寮のダンスパーテイの券があるけど行く?」会社の独身男子社員の住んでいる独身寮主催のダンスパーテイの券を入手することが出来た。もちろん二つ返事で「行きます。行きます」当日、同期の友達と一緒に待ち合わせをして独身寮に向かう。華麗なダンス衣装に身を包みといいたいところだが安月給の身。はっきりと覚えていないのだが多分一張羅のスーツを着ていったと思う。靴だけは普段の低い靴ではと少しヒールのある靴を新調したと思う。独身寮は住宅街の中にある目立たない建物。もちろん行くのは初めて。その辺りに行くのもはじめての私たちは道に迷いに迷って近所の人に何度も道を聞きながら時間もやや遅れてようやく寮に到着。私たちを迎えてくれたのはスーツ姿をバシっと決めたスマートなお兄様方。寮の普段は何に使っている部屋なのかわからなかったが広い部屋に通された。天井にはミラーボールがあったと思う。前夜私たちは「もし誰も踊ったり話かけたりしてくれなかったらどうしよう」と心配していた。券をくれた先輩に一番簡単なステップも教わってきた。準備万端で緊張している私たち。だが予想外のことに素敵な男性方が次々に私たちに声をかけて踊ってくださる。休むまもなく踊り続ける。女性の数より男性の数の方が圧倒的に多い。踊った後飲み物を持ってきてくれる男性も居る。やや薄暗い部屋の中で見ると皆素敵な男性ばかり。お姫様になったような錯覚に陥ってしまう。ダンスは初めてなので相手の男性の足を踏まないように気を使う。習ったステップを必死で踊る。耳元で男性がささやく。「次回ってみようか?」男性がつないでいた手を離して私を上手に回転させる。男性陣は皆ダンスが上手だった。夢のような楽しいひと時。確か数人の男性が最寄の駅までタクシーを呼んで送ってくれたと思う。残念ながらもう30年近くも前のことなのでどんな男性だったか顔も思い出せない。帰ってから券をくれた先輩に報告。私たちがダンスでもてた?のは実は先輩の根回し。先輩があらかじめ自分の後輩たちがダンスパーテイに行くからよろしくと頼んでいてくれたことが判明。自分たちの力でもてたのではなかったのでがっかりしたのを覚えている。その後チャンスがなくてダンスをする機会がなかったがお年寄りのご夫婦が仲良くやっているのを見ると少しうらやましく思ったりもする。姿勢がよくなるそうだし健康にもよさそう。火星人が上手にエスコートしてくれるならまたやってみたい気もする。皆さんはシャルウイダンスの思い出はありますか?ちなみに実家の父も若い頃ダンスホールに通いつめたことがあるとか。あらかじめ買っておいたチケットを一枚づつダンサーの女性に渡して踊ってもらうシステムだそうだ。当時父はその店のナンバーワンの女性に憧れてしょっちゅう行っていたらしい。その女性はダンスもうまく美人だったので順番待ちをしないと踊ってもらえなかった。しかもチケット3枚を要求してきたそうだ。そうするとチケットが早くなくなるのだがそれでもその女性と踊りたかったお客が列をなしていたという。スーパーマンのような不死身なエピソードの多い父の青春の一こまでした。
2005.05.07
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うちの夫が長男だという事、内心同居を望んでいることは前にも書いた。結婚当時からいつかは同居と言っていたし、家を買っても親に何か合ったら即売って実家に帰るといい続けていた。最近はあんまり口に出すことはなくなっていたが本心は今もそのままだと私は思っていた。ところが先日の日記にも書いたとおり温泉の話題で贅沢だと非難をされたために夫は口うるさい親兄弟にがっかりしたらしかった。そして昨日のこと。私と火星人は出かけるときちょっと実家による用があって寄ってみた。私は車の中で待っていたのだが相変わらず今から何処へ行くのと過干渉。うっかり行き先を言おうものならまた何か言われるとさすがの火星人も学習したので何にも言わずに車に帰ってきた。私は「また何処へ行くか聞かれたの?一緒に住んでいたら毎回聞かれて贅沢とか言われて大変だよね」夫はツイ本音?をポロリ。「たとえ一緒に住んでいてもとても一緒におられへんから別居になっとるやろな」今、なんと?同居は出来ないといわなかった?私は耳を疑った。私は私の口から同居は出来ないとは言った事はない。しかし遠まわしにもし同居していたらこうだろうというシュミレーションはそれとなく話題にしたことはある。これってソフトな洗脳かもしれない。そして今日ついに夫の口から同居は出来ないしありえないという言葉を引き出した。洗脳が成功したか?あんなに同居、同居と言っていた人がと思うと感無量?いつだったか、夫が一人で実家に行ったとき。私の話題になって姑が「とてもあんなんでは同居できない」といったらしい。どういう経緯でそうなったのかは定かではないがアンナンとはもちろん私のことである。こういうとき同居別居にかかわらず理想的なだんなさんならキット「あいつはそんなやつではない。」とか「あれでいいところもある」と嫁のフォローをするに違いない。ところが夫はそれらを黙って聞いてきた。そしてその言われた怒りを私にぶつけた。「一緒には住まれへんっていわれたんやぞ、どうするつもりや?」と帰宅後詰め寄られた。どうするつもりも何も私、あなたと違って元々同居を望んでいませんから。そういわれたから真っ青になってどうしたらいい嫁と認められて同居が出来るかと考えるなんて気はありませんから。むしろ内心、今までの経過からとても一緒に住めへんと思っているのはこっちですから。夫は私も同居を望んでいると勘違いしているのか?もし同居できないとしてもその責任が一方的に私にあるという言い分は納得できないし。そして昨日夫の今の本音を聞けて一安心。もちろん同居しなくても兄弟で親を見ていこうという気持ちはありますよ。価値観も人生観も違うのに無理に同居して不要なトラブルを招くより別居して時々あっているほうがどれだけいいか。きっとお互いのためにもそのほうが良いに違いない。世の中の長男病のだんなさんたち、同居で本当に皆が幸せになれるかもう1度よく考えてみてください。
2005.05.05
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先日偶然私のHPをのぞきに来たMITHU7さんが新しくご自分のHPを作成されましたので皆さんよかったら見に行ってできればコメントもお願いします。25歳の透析患者さんです。ちょっとはずかしがり屋さんらしいけどどんどん友達の輪を広げようと張り切っているようです。野球はロッテファンらしいです。野球好きの方、また透析患者さん、またそうでなくても興味のある方よろしくお願いしますね
2005.05.05
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私は多分ほとんどの人が名前を知っていると思われる某有名電機メーカーでOLをしていた。私の入社した昭和50年当時、この戦前から続く会社で戦中戦後から働き続けていたお局の方々が各職場で頑張っておられた。大体年代は50前後から当時女性の定年だった56まで位の方が多かった。私たちの部の大先輩、Aさん。きりりとお誂えのスーツに身を包み颯爽と出勤してくる。夏冬のボーナスが支給されると私たち部の若い事務の女の子を引き連れて食事に連れて行ってくれた。それも神戸で有名なイセエビフルコースのお店。私たちはいつもそれを楽しみにしていた。Aさん、あの折はごちそうさまでした。続いて部が違うが私を可愛がってくれたBさん。Aさんより少し若くて当時40代。とてもお酒が強くてよく飲みにつれて行ってくれた。伊丹の工場から転勤でこられたBさんはこちらの工場で社内コンピューターを扱うことになり当時部は違うが同じような仕事をしていた私が使い方を教えた。それでお世話になっているからと度々スナックへご招待してもらった。明るくてとても元気の良い方で、行きつけのスナックでは男性並にボトルをキープしていた。同じく当時40代Cさん。私の部署からコンピュータ入力する書類を持っていくのだがその入力を統括する部署におられた色白で小柄な美人。性格はちょっと気難しく他の先輩が急ぎの仕事を頼みに行くと「ちょっと無理だわね」などといわれてしまう。あるとき私が急ぎの仕事と頂き物のお饅頭を一緒にもって行ってお願いしたら驚くほどあっさりと「いいわよ。急ぎでやってあげる」といわれた。以来なぜかCさんのお気に入りとなり私が頼むとどんなに無茶な難しい仕事もやってもらえるといわれるようになった。ある日先輩から聞いたところによるとCさんは昔は私の職場におられたらしい。当時の課長と不倫の噂が立ってCさんが今の部署に配置換えになった。するとその課長が上司に申し出た。「Cさんの部署に配置換えをして欲しい」そして課長は平社員に格下げされて念願のCさんの部署へ。そしてあこがれの?Cさんのお隣の席で一緒に仕事が出来ることになった。Cさんの隣の席でいつもニコニコ笑ながら仕事をしていた元課長のDさんはすっかり人の良いおじいさんに見えてとてもそんなロマンスが合ったようには見えない。続いて隣の課の50代お局Eさん。ある日生理休暇を提出するとそばに居た若手社員が小声で「まだ生理なんてあるんか?もうあがったんとちがうのか?」と失礼なセクハラ発言。するとそれを聞いたEさんがその社員を無言でにらみつけた。その現場を偶然通りかかってみた私はびっくりした。Eさんは仕事一途であんまり笑わずいつも能面のような顔をしている。そのEさんがにらむと凄い迫力だった。私とあんまり口を聞くことはなかったがある日声をかけられた。Eさんは趣味が日本舞踊だったがその発表会があるから見に来ないかと券をいただいた。日本舞踊なんて見たこともない私は興味津々。楽屋見舞いのお菓子と花束を持参して見に行った。あの能面のような無表情なEさんがどんな顔をして踊るのかにも興味があった。始まる前楽屋へお邪魔してお菓子と花束を渡した。お菓子はお礼を言って受け取った彼女は「花束は私が踊った後に舞台で渡して欲しい」といわれた。へえまるで歌手みたいだと思った。やがてEさんの出番。踊りは素人の私には上手下手は分からないが袴をつけた男舞というのだそうだ。きりりとしたEさんによく似合っていた。踊り終わって舞台の下で花束を渡そうとしてビックリ。スポットライトに照らされた中に数人が花束を持って駆け寄っていたのだがその人たちを良く見ると皆会社で知っている方々ばかり。皆Eさんに頼まれて花束を持って駆けつけたらしい。日頃のEさんとは違う得意そうなちょっと恥ずかしそうな顔が忘れられない。の皆さん仕事の上ではとても厳しくて間違いがあると叱られたこともあるが皆プライベートは優しくよくしていただいた。巷で言う後輩いびりというのはほとんどなかった。かえって年齢の近い先輩の方がうるさかったし、そういう人たちからかばってもらったりもした。皆さんの職場にはどんな名物お局さまがおられますか?案外その素顔は可愛かったりするかもしれませんよ
2005.05.05
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昨夜は半年振りのミニクラス会だった。以前の日記にも書いたが昨年8月私は高校卒業後初めてクラス会に出席した。そこで久しぶりに会った男性2人と女性は私を含めて3人でまた会おうという事になった。9月・12月に会って大盛り上がり。そして昨日で3度目。前回のときの日記でも説明したが初めてという人もいるかと思うのでもう一度説明すると・・・。男性A君カウンセラーをしている。既婚者男性B君未婚。女性3人は全員既婚者。カウンセラーのA君は話題が豊富で女性陣のだんなさんの話に心理学的立場から意見を言ってくれる。また最近多くなったといわれるうつ病の知識も豊富。もちろん固い話ばかりではなく大笑する話も盛りだくさん。B君は未婚なので主に恋愛問題や女性心理をA君や女性陣に色々聞いてくる。前回B君の失恋話で「デートの時に半ズボンをはいて言った」というので女性陣はそれはよくないとアドバイス?いやおせっかいか?そして二日後にデートの予定が入っているとB君がツイ口を滑らせる。そしておせっかいアドバイザー(頼まれたわけでもないのにね)4人はデートの時の話題から服装まで色々意見を言う。やはり初デートはネクタイに上着が要るのではと4人からアドバイス。堅苦しいのが嫌いなB君は一人で応戦。恋愛論、人生観、それから夫婦の問題、話題は尽きない。皆それぞれ性別も立場も違う5人だが、だからこそ5人5様の考え方があって面白い。挙句にこっそりデートのお店に行って彼女を見てみようなどという話まで飛び出す。みんなの水割りを作りながらB君はニコニコと笑いながらまた、時には大真面目に熱く語る。もしかしたら5人の中でB君が一番気持ちがピュアなのかもしれない。外見や服装でなく自分の中身を見て好きだといってくれる人がいいという。若いときの結婚なら何も考えずに結婚に突っ走ることも出来るが、中年になってからの結婚は男性も女性も色々考えてなかなか足が前に出ない。お互いのそれまでの人生を引き受ける覚悟もいるだろう。女性の友達の一人がポツリという。「一人の寂しさ、二人のわずらわしさ」という言葉があるそうだ。一人で居る寂しさ、二人になった時のわずらわしさが結婚のメリット、デメリットだろう。一人で居る寂しさが耐えられないならわずらわしさを我慢してでも人は結婚するだろう。逆に二人でいるのはわずらわしいと思うなら一人でいる寂しさに耐えてでも人は独身を貫くだろう。結婚が幸せをもたらすのかどうかは人生の最後に棺おけに入るまで分からない。
2005.05.04
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今朝の日記にも書いたとおり今日は結婚記念日。朝起きてやけに張り切っている火星人、「温泉でも行こうか?」今日は高校時代の友達と飲み会の予定。謹んでお断りする。朝のうちにと午前中に買い物に行く。夫は天ぷらが大好き、あの魚のすり身の上げた天ぷらの売り場で立ち止まる。「これおいしそうやな、こうて」見ると何枚かセットになってはいるが500円近くもする。「高いやん」即却下しようとすると夫は珍しく抗戦。「ええやん、結婚記念日やし、お前は飲みに行って楽しんでくるんやし」おっと、そうきましたか?仕方がないのでお買い上げ。今日の夕食は焼肉にすることになっている。結婚記念日のお祝い、私はいないけど娘達と楽しく盛り上がってください。美味しいと評判のスーパーのテナントの肉店の前では焼肉用の肉を求める人がたくさんいてごった返している。夫と長女は離れたところで待機、私が買いに行くのだがなかなか順番が回ってこない。余談だが、ここの店の店員さんはアルバイトなのか全員、ごくせんにでてくるようなイケメンが揃っている。ようやく私の前にいた人の注文が終わって私の番になる。お肉を買うだけで疲れ果てる。そして帰ろうとすると夫がトイレという。分かれた場所で待っているが一向に帰ってこない。夫は携帯を持っていないのでこういう時不便。あらかじめ決めてある何かの時の集合場所も見てみるがいない。いつも使っているエレベーターの前でようやく火星人捕獲。私たちを探している間に千円の時計を衝動買いしている。恐るべし火星人。少しパチンコで買って懐が暖かな火星人にランチをご馳走になる。お昼時でお店は満員、ここも行列が出来ている。セルフサービスで自分の好きなおかずを取ってご飯とお味噌汁をつけて自分の好きな定食が作れるお店だ。夫は煮魚、長女はから揚げ、私はしょうが焼きをメインに豆腐や一品料理をつけて食べる。私は最後に残ったレタス一枚をもてあまして火星人が横を向いている間に火星人のさらにほうりこんだ。どうするか見ていると火星人、何事もなかったかのようにレタスを食べだした。さすが21年のキャリア、ツーといえばカー見事な名コンビぶりに長女が笑う。買い物にも連れて行ってもらい、ランチもご馳走してもらいよかったといえばよかったけど、どうしてその後パチンコへ行く?新婚旅行でもパチンコに行った火星人だから、結婚記念日にパチンコへ行くことなんて全然平気みたいだ。結婚記念日に飲み会の予定を入れる私も私だけどね。では今日はお言葉に甘えて楽しんできます。
2005.05.03
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今日はな、なんと結婚記念日だ。満21年かあ。しかし義両親の60年、実家の両親の50年に比べればまだまだヒヨっこだ。結婚した最初のころは火星人の取り扱い方法が分からなくてけんかばかりしていた。例えば一緒に車に乗って出かける。道を間違えたとか持っていくつもりだった何かを忘れたとか言うアクシデントがあったとする。夫はこういうとき間違えたり忘れたのは私のせいにして怒り出す。結婚して日も浅いころだとそれをまともに受けて私も負けずに言い返す。「何でもかんでもひとのせいにせんといて!」ってな具合で時には私が怒って車から降りて一人で帰ってくるような大喧嘩もあった。言い合いになると向こうも意地になって言い返すし謝ったりしない。それがいつのころからか私はけんかにならない言い方がだんだん分かってきた。例えば道を間違えたとしたら「あれ~ここさっきもとおらへんかった?」「そうや」と言ってどっちが悪いかという話になるから喧嘩になるんだ。そのとき私は「アハハ、狸に化かされとるんとちがう?」と笑にすると夫もにやりと笑ってそこから喧嘩に発展することはない。誰のせいでもなく狸のせいにしてしまうと喧嘩にはならない。あるいは時には「はいはい、私が悪うございました」と下手に出ることもある。もちろんそういうときばかりではない。ここぞという時は私もいう事をきちんと言う。大抵一度では聞いていないから腹が立つこともある。しかし人の話しを聞いていない夫の欠点も使いようがある。夫は何でも自分の実家に話してしまうので私は二人の間の話題も話されるとまずいことは話さない。で、後日なんで黙っていたといわれると、済まして「ちゃんと話したやん。また人の話を聞いてないからそんな事を言って」元々隠していたというと怒るけどちゃんと話したのに聞いていなかったんのなら自分のせいだと思って怒るに怒れない。最初の10年いや15年は喧嘩も多かった。地球の男性と違って火星人は取り扱いが超難しかったからね。夫はどう思っていたか知らないが私はいつも頭に離婚の文字があった。働いていたのも自活できる力をつけたかったから。子供が大きくなったら今に見ていろという感じだった。喧嘩になるとよく不動産屋さんの表に張ってあるアパートのチラシをチェックしたりしていた。それがまさかの私の入院騒ぎ、そして障害を持つ身となって人工透析を始めて2年余り。私が働いていたころはほとんど家事も育児も協力せず文句ばかり言っていた夫も私が入院したりすると変わらざるを得なくなった。一致団結して家庭の非常時を乗り切らざるを得なかった。動物がオスメス協力して子供を育てる生物学的本能みたいな感じ。あのまま私も元気で仕事を続けていたら今日の結婚記念日はお互い別々の場所で迎えていたかもしれない。病気がひとつの転機になったと思う。それにしても21年よく頑張ったな私。いや今結婚生活で耐えているのは夫の方かもしれない。私のほうが言いたい放題、やりたい放題かもしれない。これからも元気な悪妻を目指すのでこれからもよろしく。次は鬼嫁日記でもだそうかしら?
2005.05.03
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昨日は久しぶりに友だちと会って来た。ずいぶんご大層なタイトルを付けてみたが要するにそれぞれの愚痴を言い合って大盛り上がり。十一時に最寄の駅前で会う。電車からA子が降りてくるのが見えた。A子も楽しみでつい早く来すぎたようだ。晩御飯の用意までして出てくる張り切りよう。仕事を終えてくるB子を待ちながら第一回お茶会。A子は高校卒業後入社した会社に30年勤続のベテラン社員。結婚後も出産後もそして阪神大震災で交通網がズタズタになり電車も通っていなかった頃も苦労して仕事を続けてきた。いくら大企業で産休や有給がきちんと取れるとはいっても私たちの年代では仕事をずっと続けている友達は少ない。A子の主な不満はだんなさんのこと。まじめでおとなしいのはいいとしても長年共働きで頑張ってきたのに夫の協力は全くと言っていいほどなかったこと。A子の立場に同情はするもののうちも似たりよったり。わたしたちの年代には男が家事なんてできるか、ごみなんて出せるかというタイプのだんなさんは結構多い。その上ストレスとか更年期障害とかの体調不良、子育ての責任や苦労。一時過ぎに携帯で連絡を取りながらB子到着。B子はパートで長年働いてきた。B子は今の生活にあんまり大きな不満はないらしくニコニコして私たち二人の話を聞いてくれる。しかしもしかしたらいや多分3人の中ではB子が一番生活が大変かもしれない。B子のだんなさんは子供が幼稚園に行っているころに事故でなくなっている。以後女手ひとつで子供を大学にまで入れて頑張っている。それで居て愚痴や苦労話をあんまり言わないから本当にえらいと思う。B子が来たので遅めのランチタイムに突入。お好み焼きやに行くことになる。それから3人でマシンガントーク。ふと時計を見ると早5時過ぎ。お好み焼き一枚ずつ頼んで食べながら4時間近く喋っていたらしい。しかし3人とも比較的近くに住みながらなかなか会うことができない。名残惜しくて場所を変えて第二回目のお茶をすることにする。こんなにゆっくり二人に会うのは何年ぶりだろう。3人ともそれぞれの生活に追われなかなか会うことも出来ない。以前私の本にも書いていた後三日の命と宣告された入院の時、二人は遠く市外の病院まで駆けつけてくれた。偶然共通の友達に久しぶりに電話をしたところ、私の入院を聞いてきてくれた。とても嬉しくて勇気百倍だったのを思い出す。A子は幼稚園以来の幼馴染。B子とは中学以来の友達。話すネタはつきない。実家の家族や姉妹のことも良く知っている。まあ多少の不満はあってもたまに息抜きのこんな機会が持てるようになったことはいいことだろう。子育ても終盤戦になって子供に時間をとられることも少なくなってきた。次回を楽しみに名残を惜しみながら外が真っ暗になった8時にようやく散会となった。うちに帰ると火星人は朝と同じステテコ姿でワンカップを持ってウロウロしていた。「遅いから心配で見に行こうかと思ってたんや」一応口は心配そうなことをおっしゃっていますが、そんな赤い顔で車にも乗れないじゃないの?火星人はムキになっていう。「自転車でみにいくつもりやった。道で倒れていないか心配やった」本当かしら?まあ心配してくれたのは少しは本当だろう。携帯で自宅から何度も着信が会ったがでなかったから心配したのかもしれない。疲れはなかったが翌日は恐怖の月曜日。透析に行くのに恐怖の3.8キロ増。足がつったり血圧が下がったりしないで透析が順調に終わるかちょっと心配。では今日も元気に行ってきます!ご心配のコメントをたくさん頂きましたが無事に帰ってきました。ありがとうございました
2005.05.02
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長女が幼稚園のころの話。私たち家族と実家の両親、私の弟家族と一緒に潮干狩りに出かけたことがある。車を連ねて現地に着くと子供たちもおお張り切り。家族総出で潮干狩りが始まった。当時確か料金は大人子供にかかわらず一人九百円くらいだったのでビックリした覚えがある。カメラが趣味の父も張り切って孫たちを撮った。しかし貝はあんまりとれずこどもたちはすぐにあきた。最初にまだ小さかった次女が一番に飽きたので私は長女を両親に頼んで休憩所へ引き上げた。そして長女も飽きて両親と引き上げてきた。そしておいも弟夫婦も。最後まで潮干狩りを続けたのは夫ひとり。海と休憩所の間には料金所があっていったん休憩所に上がるとまた堀にいくことはできない。やがて海が満潮に変わってきて人々も少しづつ引き上げてくる。それでも火星人は帰ってこない。休憩所から見ているとついに火星人が最後の一人になってしまった。火星人を呼びに行くにはもう1度料金を払わなくてはならない。もったいないので皆でひたすら火星人を待つ。両親も弟夫婦も散々待たされてイライラしている。私は皆に申し訳ない気持ちで火星人が引き上げてくるのを待った。ようやく重そうなバケツを片手に火星人が引き上げてくる。顔は満面の笑み。思い切り貝をほって満足げ。「ほら、こんなにほれた。僕は元を取れた」と大喜び。そうじゃないだろう。この空気を読めないのか?火星人。まず皆を待たせたお詫びが先だろう。「掘っても掘ってもなかなか貝がとれないから僕はひとりでも頑張ってほらなあかんと思ったんや」火星人の話は貝掘りの自慢話ばかり。そんなことは誰も聞いてないよ。火星人の話に皆があきれているのが分からないのか?帰り道、車の中で説教をしたがまだ分からない様子。「僕は全然そんなん、気にしてない」そうじゃなくて少しは気にしろよ。家族とはいえ少しは気を使えよ。大人なんだから。私はため息を付いた。私たちは潮干狩りだけでなくお花見や旅行にも度々出かけたがいつもいつも火星人はこんな調子なので私が間に立って気を使う。家族で海水浴に出かけた時も子供のことなどお構いなしに自分が楽しむ。夫は泳ぐというよりモリで魚を突くのに夢中。子供たちが疲れて浜に上がってきても自分ひとりが魚つき。そしてようやく帰ってくると待たせて悪いの一言もなくいかに自分が魚をつくのがうまいか、いかに自分が楽しかったかみたいな話ばかり。海に入ると火星人は子供に帰るみたいだ。火星の海でも思い出しているのか?ちょっとは地球の家族にも気を使えよ。火星人。
2005.05.01
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