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更新もしていないのに、多くのアクセスを頂いておりまして、誠に恐縮至極でございます。ようやく、鼻水が止まりましたが、どうにも咳がしくこくて参りますメールには毎日対応しておりますが、新規に頂く方には、当方のメルアドをお送りする意味を含めて1~2日のうちにはお返事しております。これまでお付き合いのある方々に対しましては、順次の対応をしておりますが、現在、5日前後はお待ち頂いている状況でございます。ホント、すみませんです・・・今日は、これまで時々書いております、「頑張れ若造!」シリーズの続編です。ご存知無い方の為に、簡単な経緯を書きますと・・・彼は20代の直腸癌・腹膜播種の患者さんです。昨年の秋に、突如、腸閉塞を起こし、直腸癌が判明しました。手術で開腹したものの、腹膜転移が確認されたので、ストマ造設のみで閉じることになりました。厳しい説明がなされ、絶望的になりながらも入院中の彼は、ケータイで「希望」を探し始めます。そのケータイで、私のブログがヒットしたという訳ですわ。開腹したばかりの入院中で動けません病院ですから、電話もままなりません母はメールが出来ません申し訳ないのですが、母に電話を頼みますので、お話を聞いて頂けないでしょうかそんな内容だったと記憶しています。少しして、お母様から取り乱したような雰囲気で電話がありましたね。すぐ、側にはお父様もいらしたようで、話している最中にご夫婦で揉めたりして・・^^;じゃぁ、お父さんが言って下さいよお前が話せこんな会話が聞こえてきました。もしも~し、まずは落ち着いて下さいな私の元には、余命数ヶ月と言われたという方から沢山連絡がきますけど、実際に余命数ヶ月で死んだ人なんて、まず、いませんから落ち着きましょう~こんな感じで、この若造君とのお付き合いが始まりました。米村先生のセカンドオピニオンを受け、手術を目指した治療を受ける事にしました。この若造君の場合は、FOLFILI です。辛い副作用に耐えながらも、頑張り、5月上旬に手術となりました。とにかく、本人は小腸に付けた人工肛門を取りたくて仕方ありません。ここにあると、急に内容物が溢れてしまう事もしばしばで、外出はおろか何も出来ない。自由が全くない生活だと、こぼしていましたからね。これさえ取れれば・・・・そんな強い思いがありました。手術自体は上手くいきましたが、人工肛門はこの時点では取れず、数ヶ月経ってから取りましょうとの事になりました。2ヶ月後に、取り外す手術が行われましたが、それから少しして腸に穴が空いてしまいまして・・・現在、この傷口が塞がるのを待っているところです。退院して、自宅で過ごしてますけどね。術後の治療も、いつまでも待ってはいられないので、TS-1服用も始まりました。抗癌剤治療をしていると、傷の治りが遅くなるので、この腸の傷が塞がるのは、もうしばらくかかってしまうかもしれませんが、明らかに傷口は小さくなってきています。何より、本人はとってもとっても前向きです。簡単な病気じゃないから、まだ、大変な時期は続きますけども、本人は「負けません!!」と頑張ってますよ~そうそう、この若造君から、最近届いたメールに手術当日の事が書かれていました。手術の日は、これで自分の運命が決まると、緊張しまくりだったようで・・・その様子に気付いた米村先生が、軽く足を叩いて心配いらんと一言、言うたそうな・・・鳥肌が立ったと言ってました。先生、格好良すぎです・・・ってね。この一言で、頑張れたみたいです、そして今もね。
2008年08月29日
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最近は更新もサボり気味で申し訳ありません。いつものごとくいい訳っちゃいますけども、毎日、メールの対応だけはしておりますんで~咳が止まらず、鼻水対策の保湿ティッシュも2箱目に突入~おまけに、土曜の晩は胃痙攣を起こしたようで、4時間ほど唸る始末・・・・雨の夜の、カーブだらけの運転で、無意識のうちに、神経遣いまくったらしい・・・うちの博士が呑んじゃったもんで、私が運転するハメに・・・先に呑んじゃえば良かったなぁ~何か私もメチャメチャですわ・・・昨年の夏からのお付き合いなのですが、あるスキルス胃癌(30代・男性)の患者さんのお話をちょっと。私にメールをくれたのは、この患者さんの婚約者(20代・女性)です。2年前の夏にスキルス胃癌の手術を受けています。それが、半年後に腹膜播種での再発となりました。抗癌剤治療を続けていて、その間にメールが届いたという訳です。スキルス胃癌の場合、術後半年~1年で再発という事は決して珍しくありません。米村先生のセカンドオピニオンを受け、その後、腹腔内化学療法を受けていました。実を言うと、セカンドオピニオン後からは連絡もなく、経過も知らなかったのですが、最近になってメールが頻繁に届くようになりました。治療が順調な時は、ご無沙汰する事が多いです。私を気遣って下さる方も多くて、いよいよ困った時、辛い時に改めてメールが届く・・・最近は皆さん、こんな風です。この患者さんの場合も同様で・・・セカンドオピニオンを受ける前、腹膜播種を宣言されてから治療は受けていたものの、一時は尿管狭窄をも起こしたようです。これが、嘘のように改善され、あとは腹膜の癌を叩けば先が見えるのではないか?と、腹腔内化学療法を受けていました。この治療により、細胞診は5→3に良化。再手術へ向けて、着々と治療の成果も上がってきました。ところが検査の結果、他にも転移が判明するにあたり、薬剤変更となりました。事実上、手術への道のりに赤信号が点ったことになります。幸い、薬剤を変更してから早々に、明らかな奏効がみられました。ですが、手術となるとまだ難しい状況・・・米村先生ですら、手をこまねく状態です。この現状がどうにも受け止められないのだと、彼女は言います。手術さえすれば治る・・・残念ながら、そんな容易い病気ではありません。だから、術後も抗癌剤治療は続きますし、腹膜の癌は小さいまま散らばるから、手術時には温熱療法で微細で見えない癌を熱で叩く・・・米村先生は、そんな手法も取り入れてもいます。それでも、再発率が恐ろしく高い・・・ですが、完治の第一歩は手術であると、私は信じています。何故なら、抗癌剤治療には必ず薬剤耐性が訪れます。健康保険が適用されている抗癌剤なんて、数える程しかありません。この数える程の薬剤の中で、どんなに奮闘しても限界が訪れる・・・おまけに、スキルス胃癌は普通の癌の6倍の早さで進行すると言われています。だから、第一歩である「手術」を目指して、皆さん、頑張って治療を受けています。ですが、この第一歩が踏み出せない患者さんも、実際はいます。踏み出そうとして、努力もしたのだけれど、なかなか手が届かない・・・そんな患者さんや、ご家族の思いも沢山聞いています。癌という病気と出会ってしまったら、何が一番必要かと問われたら、私は「開き直り」だと答えます。患者さんにも、ご家族にも必要な要素だと思うというか、感じます。諦めることと、現実を受け止めることは違います。ご家族が現実を受け止めなければ、患者さんに幸せな時間を作ってあげる事ができません。迷っている間に、嘆いている間に時間は過ぎていきます。この貴重な時間を、どう活かして使うか・・・それは、治療を受けながら、麻薬系の鎮痛剤を使いながらでも、何か出来るはず。。。もう~やけくそですぅそう言って、散財して家族との思い出を作った患者さんがいました。お子さんのために残しておきたいお金でもあるけれど、子供との楽しい時間を作るために散財してました。ご家族が受け入れきれなかった現実・・・もう時間がないという事を、本人は体で受け止めていました。だから、実行に移したのです。「手術」という希望が、延命の為の「抗癌剤治療」に切り替わっても、幸せがなくなる訳じゃないです。人は生まれた時から延命しているに過ぎないのだから。
2008年08月26日
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どうにも咳が止まりません・・・参ったなぁ~セカンドオピニオンを希望される方は、現在の医師や病院に不満や不信をもっている方が、非情に多いですねぇ・・・・本来、セカンドオピニオンとは現在受けている診断や、治療が妥当であるかの確認やら、他にも治療法はないものか、新たな治療法を探す目的だったりとか、改めて患者さんの状態を把握するためのものなんですけどねぇ・・・真の意味においてのセカンドオピニオンを受ける方って、実は少ないです。「もう治療法がないと言われたから」とか、「どうにも医師と相性が合わない」とか・・・こういう場合の方が多いですね。昨年の夏に、大腸癌の患者さん(40代・男性)の奥様から受けたご相談もそうでした。主治医とソリが合わない・・・という風でしてね。大腸癌・肝臓転移・腹膜播種だから、手術は不可、延命の為の抗癌剤治療しかないと言われた頃でした。一方的に手術不可と言われても、どうにかならないものなのか・・・まだ、未成年の子供がいますし、頑張って生きて貰わなくちゃ困ります、どうにか助かって貰わねば・・・・という強い思いが感じられました。この患者さんが、米村先生のセカンドオピニオンを受け手術という活路を見出しました。もともと、??と思っていた病院でしたから、渡りに船とばかりに転院。昨年の11月にブログでも書きましたが、開腹してみると腹膜播種はなく、肝臓転移のみでした。癌は全て切除し、術後の回復も問題なく元気に退院されました。早々に仕事にも復帰され、本当に普通の元気な時間がやってきました。ところが・・・術後半年が経過した頃に腫瘍マーカーが高くなり始め・・・直腸、肺、に再発が確認されました。それでも、再手術を目指していましたが・・・腸骨にも転移が判明するに至り・・・骨に転移がある患者さんは、米村先生でも手術できません。再手術は諦め、入院による延命治療に切り替えました。胆管狭窄もみられ、黄疸が進んでしまいましたが、疼痛緩和と共に少しずつではありますが、改善が見え始めました。改善が見え始めた頃合いを見計らって、一時退院となりました。この一時退院の際に、酷い痛みから救急で自宅近くの病院へ・・・・そこは、くしくも元の病院。おまけに、ソリの合わなかった医師が当直でもあり・・・何ともバツの悪い思いをされたようです。それでも、痛みだけは緩和して貰わねばなりません。お世話にならなくてはなりません。心身共にかなりの苦痛であっただろうと思います。治療を受けていた病院は、こうなると遠すぎて通えません。行きたいけど、もう無理。。。。。幸い、優しい看護師さん達とウマが合い、辛い中でも少しばかり居心地の良さを見つけられそうです。奥様からは、こんなメールが届きました。あの元気な半年間は、まさしく米村先生に頂いたものとっても感謝していますまた、病院に行くつもりでの退院で、ご挨拶も出来ずにきましたこの気持ちだけ、米村先生にお伝え願えないでしょうかここで、もう少し頑張ってみますだから、時々愚痴に付き合ってくださいねもちろんですともいつでも、メールでも電話でもして下さいませ。立場は違っても、同志ですからね
2008年08月22日
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先週末あたりから、37度代の熱と、ノドの痛み、咳、鼻水・・・の症状が出ております。。。これって、やっぱアレですかねぇ・・・・久しぶりに「やっちまったなぁ~」という、状態ですわ・・・この間、久しぶりにスキルス胃癌で術後3年半を迎えようとしている患者さん(40代・女性)のご主人から、こんなメールが届きました。術後の再発予防のTS-1服用期間で、ちょいとばかり夫婦喧嘩しちゃった患者さんです。TS-1を服用すると、倦怠感やら下痢という症状が出るので、当の患者さんは1年で止めたいのに、ご主人は再発率の高い病気だからと、2年は服用してくれと強く推し・・・喧嘩に発展しちゃったんですねぇ・・・結局、1年が過ぎる頃に米村先生の元へ相談に来られ、もう1年頑張れと背中を押され、渋々2年服用して、TS-1卒業となりました。服用を止めて、もう1年半くらい経ちます。このブログでも度々書いていますが、このご主人、何せ「心配症」という不治の病の持ち主で・・・僅かばかりの体調の変化でも「再発」と、ビビってしまいます。この患者さん、不正出血がこの何ヶ月か続いたそう・・・ご主人は、ついに子宮に再発か???とかなり心配したようです。患者さんは、最初は自分にいい訳して検査にも行かなかったようですが、さすがに続くので心配になり、婦人科を受診。結果・・・問題なし。この婦人科の検査というのが、女性でありながら無知なんですが・・・子宮頚癌検診を受けたら、今回レベル1だったとか。2年前に受けた時は3Bだったっていうんです。この検査もアテにして良いのやら、逆に不安になったそうな・・・とにかく、ここは無事にパスとなったようです。他にも、1日腹痛で不調だった日の事も書かれてましたわ。よく考えてみたら、どうにも、お腹が痛くて仕方ない日の前夜にレバ刺を2皿も食べたとか・・・これまた、よくよく考えてみたら、ご主人自身も同じものを食べて、翌日腹痛だったとか・・おいおい・・・一人でボケ突っ込みしてませんかぁ??とにもかくにも、お元気ですわこの患者さんには、3年前の春にちょっとしたエピソードがあります。術後、数ヶ月で一度、米村先生のセカンドオピニオンを受けています。TS-1服用期間の相談に来られた時は、2度目でした。最初のセカンドオピニオンで、米村先生は患者さんを元気付けるために貴女の場合、40~50%くらいはありますよと、おっしゃたんですねぇ・・これって、5年生存率の話です。スキルス胃癌の生存率なんて調べると、実際は目も当てられません。この患者さんの場合、癌が胃のショウ膜から顔を出していて、実に腹膜播種の可能性が濃厚だったんです。ですが、リンパには転移なし。このリンパ転移なしという点が、大きく評価?されてこんな数字をおっしゃったんですね。そもそも、米村先生の元に来られる患者さん方は、殆どが余命云々と厳しい話をされています。藁にもすがる思いで辿り着く患者さんが、とても多いのです。ですから、そんな患者さん方にとって、この数字は「希望」そのものに値するんですねぇ・・・ところがこの患者さん、そういったシビアな現実をご存知ないままに来院されたようで・・・診察室を出るや否や40~50%って生存率じゃないよね??違うよね??と、すがるような眼差しでご主人に問い掛けていました。ご主人もオロオロとしながら、違うよ、違う、絶対に違うと否定してましたねぇ・・・あれから、3年半経ちますねぇ・・・先生には、この様子を当時、お話しておきましたけども。そうかぁ、落ち込ませちゃったのかぁと、呟いておられましたわ。そういえば、つい最近ですけども、米村先生がこんなことを言ってました。この間の診察の時に、ある患者さんから、先生、たまに結構きつい事いうてはるよって、言われたんですわそうかぁ・・・って思ってねぇ・・・患者さんって、ほんのちょっとした事が気になるんやねぇ・・・難しいもんやねぇ・・・と、何気に反省モードに入っておられました。医者という商売も、何十年やっても難しいようです。特に、こういった病気は厳しい話も受け止めて貰わねば、治療が続きませんから、アメとムチが必需品なんですよね。その使い方を間違えると、大変な事になります。これがまた、とっても難しいんです。。。。
2008年08月20日
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父が他界して6年目ですが、今年のお盆もありがたい事に沢山のお客さんがありました。来客と来客の合間に、義理を欠けない数件のお宅にお邪魔してお線香をあげに行ったりと、今年のお盆は多忙でした~朝も昼も、気が付けば食事抜き!!だったことも^^;先日、偽粘液腫の患者さん(40代・男性)の弟さんから久しぶりに届いたメールは、緩和ケアに移ったという報告でした。この患者さんの事は良く覚えています。何故かと言えば、メールが届いたのが、昨年の大晦日だったから…昨年の秋に、米村先生がテレビ番組(たけしの本当は怖い家庭の医学)にご出演されてから、それまで以上にメールが届くようになり、多忙な数ヵ月を過ごしていた頃で…あのテレビ番組が放映された時は、うちの博士共々、当の米村先生と一緒にテレビを見てました。テレビの中のご自分のコメントに何、偉そうな事を言うとると、ご自分で突っ込みを入れておられましたわ。他にも先生の知人方も一緒に見てましたが、照れ隠しで何かとしゃべる先生は先生、ウルサイ、聞こえないと、叱られてました。えっ?それって、アンタが言ったんじゃないかって??さぁ~??記憶にございません・・・あれから一気に多忙になり、テレビの影響なんざ、じきに収まると思っていましたが、今もあんまり変わってません。先月もテレビにご出演やら、新聞にも取り上げられたようですが(地方版のようです)、私のところへの波はずっと変わらずです。そんな一気に多忙になった頃の大晦日のメール…今日くらい、休んでも良いですか…?正直に言うと、私の中の悪魔がムクムクってするのを抑えこみ、返事をした患者さんでした。年末に偽粘液腫と診断を受け、余命まで受けたと。稀な病気だから打つ手なしとも言われたようです。常に同様の患者さんばかりからメールが届きますが、たった一つしかない命ばかり・・・放ってはおけません。年明け早々に、米村先生を受診。治療が始まったようです。その後、春に届いたメールは手術が決まりましたという内容でした。偽粘液腫という病気の場合、一度で腫瘍が取りきれ無い場合もままあり、2~3回に分けて切除という事が珍しくありません。この患者さんの場合も、一度では済まなかったとは聞いていましたが、再手術待ちだとばかり思っていました。術後約2ヶ月で退院。まずは地元に帰って、再手術待ちのつもりだったようです。それが、腸閉塞を起こし、どうにも再手術が難しくなってしまったようで…先日、本当に久しぶりに届いたメールは、地元で緩和ケアに入る事になりましたというものでした…兄弟として、出来るだけの事をしていこうと思いますと、書かれていました。治療を何もしなくても、一時「危篤」扱いまでされた偽粘液腫の患者さんが、その「危篤」から数ヵ月経った今も、回復に向けて頑張っている人もいます。車椅子ながらも院内を散歩し、外泊で自宅に帰っています。自宅で過ごせるようになる事を目指して、ご家族が一丸となって取り組んでおられる患者さんもいますからね。患者さんの経過は人それぞれですけども・・・・患者さんが心身共に出来るだけ快適に時間を過ごす為には、どうしてもご家族の協力が必要です。今度は、患者さん以上にご家族が頑張る番かもしれません。
2008年08月17日
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このところ外出が多く、又、お盆前で準備(日頃のツケがまわり、掃除に大わらわ~)で、とにかく忙しく、更新もサボりがちですみませんm(__)mm(__)mこれでも、毎日メールの対応はしておりますので~(言い訳、言い訳、言い訳…)ひょっとして、ご心配をおかけしている方がいたら、ごめんなさいです。いつしか、シリーズ化している、「そりゃないよ」の30代のスキルス胃癌・男性患者さんの経過をば。先月下旬に手術を受け、その後は順調に回復3歳の娘のマイちゃんも時折、パパのお見舞いにやって来ます帰り際には、大好きなパパの側を離れようとせず、わんわん泣かれてしまいました…と、患者さん本人から、切ないような、娘自慢?(どっちやんねん)のようなメールが届きましたわ。他にも、お腹が空いて仕方無いとか、傷口が痒くて仕方無いとか(傷口って治りがけって痒い!)、そんな内容も折り込まれていました。腹膜播種だった事から術後2週間で、治療再開。ところがその後、何故か高熱…どうやら、腹膜炎と免疫力低下からカビが入り込んでしまったらしいです。ありゃりゃりゃ…ですが、この高熱はじきに治まりました。不思議なのが、時を同じくして、ご自宅で奥様まで高熱!!こちらもじきに治まりましたが、まさに一心同体??その後、手術で採取した細胞の病理検査の結果が出ました。見た目には綺麗に消えていた腹膜の癌ですが、残念な事に病理では癌が出てしまいました。ザラザラしていた筈の腹膜が、ツルツルにまで癌が退化した事は確認出来たようですが…今後は、化学療法で叩いて行く予定です。なんせ、患者さん本人がやる気満々。主治医以上かも?あの主治医以上って事は、かなりですよ^^;ここまでくれば、怖いものなしです家族の支えがあれば大丈夫そんな心強い言葉が聞けましたよ~。その「支え」の中には、米村先生の名前と、恥ずかしながら「ひろりん」の名前もありました。ガリガリだった入院前からは、8キロ以上体重も増え、今週末には退院も決まりました。あと僅かばかりの入院生活ですけど、目下の悩みは、自分の大部屋の病室に入ってきたばかりの、新しい患者さんとのコミュニケーションのようです。外国人なんですって
2008年08月13日
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どうにも心身多忙の日々とあいなり、ブログの更新もサボりがちで、誠にすみません。毎日、メールのお返事には対応してはおりますが、それでも「お待たせメール」が無くならない状況で、現在もお待ちの方々、本当にすみませんですm(_ _)m m(_ _)m先日、大腸癌からの腹膜播種の患者さん(70代・女性)の娘さんから、手術日程が決まりましたとの連絡がありました。この娘さんからメールが届いたのは、今年の春です。この患者さん、私がお付き合いしている中では、正直申し上げ「高齢」です。失礼な言い回しで、誠に恐縮ですm(_ _)mこの患者さん・・・ナント、25年前に末期の乳癌を経験しているんです。手術をして、術後の抗癌剤治療も受けましたが、副作用の辛さに割と早々にギブアップしてしまったそう・・・それからざっと25年経っているのですから、いくらスパンの長い乳癌とは言え、これは完治以外の何ものでもないでしょう。乳癌は完治したものの・・・大腸癌を患ってしまったようです。その大腸癌の再発が判明したのが、今年の2月。お腹の中には癌が沢山散らばっている・・・つまり腹膜播種だから、手術はもう無理。抗癌剤治療しか選択肢はありませんと、ずっと抗癌剤治療を受けていたようです。そんな中で、私にメールが届きました。丁度、後期高齢者医療が施行始めたばかりでもあり、一体、この患者さんの場合はどうなるのだろうか???と、私も全くわからない状況でした。何せ、私の元に届く患者さんは、皆さん「若い」!後期高齢者医療が話題になっても、いまひとつピンと来ないし、適用者とのお付き合いが殆ど無いものですから、知識も乏しいどころじゃなくゼロに等しく・・・そんな中でのお付き合いのスタートとなりました。セカンドオピニオンを受けた後も、現在の治療が効いているようだからと、エールを受けた形で治療が続きました。定期的に検査結果を見せに来院していました。ですが・・・この治療は、辛かった様子です。食欲不振から、落ち込むこともしばしばで、治療の頑張りにも影が見え隠れしていました。それでも、腫瘍マーカーが下がり始めたこともあり、頑張りにも見返りが出てきました。そんな頃、入院した時に知り合った大腸癌の患者さんが、度々電話をかけてくるようになったそうで・・・同じ治療を受けていたようですが、残念ながらこの患者さんには効いてくれなかった様子です。何度か抗癌剤を投与しましたが、癌が散らばっていくばかりで、効果なしと断定されて治療終了とまで言われてしまったとか・・・・同じ病気でも、同じ治療を受けても、効果は人それぞれです。全く同じ人間がいないのと同じで・・・それなのに、「自分は抗癌剤が全く効かなかった、だからアナタも治療を止めた方が良い」と、やたらと言うのだとか・・・効かずに治療終了されたのはお気の毒ではあるけれど、だからって何もこんな電話を、頑張って治療を受けている母に何度もかけてこなくても良いのに・・・・そのお陰で、母は精神的にかなりダメージを受けています。。。そんなメールが届きました。患者さん同志のお付き合いの難しいところなのでしょうか・・・・治療が上手くいっている患者さんに対して、妬みのような感情が出てきてしまうこともあるようです。これは患者家族も同様で、私自身も「妬む側」をちょっと経験したことがあります。そんなこんなの外野の影響もありましたが、今回、2度目のペット検査で驚く程に癌が消えている事が判明!!手術出来そうだな・・という事にあいなり、これから手術となりましたそうそう、問題の後期高齢者医療ですが、確認したところ何ら支障も出てこず、そのまんまでした。発令されるずっと以前からの患者さんだからかな?未だに、よ~わかってません^^;
2008年08月08日
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私のブログをずっと読んでいて下さっている方々、misaeさんという患者さんを覚えていますでしょうか?スキルス胃癌の30代の女性患者さんです。昨年、旅立った患者さんですが、このmisaeさんの弟さんから1年ぶりにメールが届きました。misaeさんのスキルス胃癌の経過はこうでした。スキルス胃癌と判明し、すぐさま手術となりましたが、いざ開腹してみると腹膜播種・・・・何も切除しないまま、閉じました。この時、家族に言われた余命は「1年」でした。本人には、余命を隠した事実が伝えられました。それから抗癌剤治療が始まり、misaeさん自身からメールが届くようになりました。この掲示板にも何度か投稿してくれましたが、同じ病気で闘っている仲間へのエールが多かったと記憶しています。抗癌剤治療の奏効は、いまひとつでした。治療を薦めていく中で、こんな治療法もあるよと米村先生の話もしましたが、ご本人が遠い病院での治療は気が進まないと言いましてね。とにかく、治療は自宅近くが良いのだとハッキリした意志をもっていました。治療を受けながら、misaeさんは何かを常に感じていたのだと思います。音楽CD製作を始めました。急いで何かを残さねば・・・そんな思いがあったはずです。この音楽CDは私にも送ってくれましたよ、長い長い手紙と一緒にね。その手紙の中には、揺れ動く気持ちが詰め込まれていました。愚痴あり、うっぷんあり、不安あり、希望あり・・・・全然まとまりのない文章で、書きながら泣いている姿が目に浮かぶような内容でもありました。そんなmisaeさんが、ある時、どうしても余命が知りたいのだと、強い意志が感じられるメールを送ってきました。私には、健在な両親がいます、夫がいます、幼い子供達がいます娘であり、妻であり、母親でもあります娘として、妻として、母親としてやらなければならない事がありますやっておきたい事もありますだから、どうしても残り時間を知りたいのです多くのスキルス胃癌の患者を知っているひろりんさん、教えてください私の余命は、あとどれくらいですか?実は、misaeさんからメールが届くようになる前に、たまたまの偶然ですが弟さんからもメールが届いていました。弟さんからのメールで、misaeさんの余命は知っていました。misaeさんの状態から、余命を予測するのは無理とは言いませんが、余命なんぞアテにならない事もよく知っています。まして、ご家族の意向で余命を伏せている事を知っている私が、言えるはずもありません。お茶を濁した返事しか出来ませんでした。その後、misaeさんがした事は・・・主治医に詰め寄ることでした。misaeさんが知りたかったのは、生きられる時間じゃありません「動ける時間」です。ついに、根負けした主治医は「3ヶ月」だと告げました。この時の様子もメールしてくれました。母親と大泣きしたこと、長くは無いと思ってはいたけれど、まさか3ヶ月とは・・・・思いっきり泣いて落ち込んだけれど、残り3ヶ月じゃ泣いているヒマはないから、家族旅行の計画を立てたことが書かれていました。自営業でしたが、思い切って休みにしたのだともね。そんなmisaeさんが旅立ってから、misaeさんが製作した音楽CDが地元の新聞や、FM放送で取り上げられるようになり、反響を呼んだそうです。イベントでプロの歌手が歌ってくれた様子が、これまた新聞に載りましたと、弟さんが知らせてくれました。良かったら、見て下さい。http://www.kobe-np.co.jp/news/tajima/0001289969.shtmlこのイベントで、misaeさんのお父さんがこの音楽CDを200円で販売し、売上は寄付したそうです。希望者には送りますと、弟さんからメールがありました。このCDのお陰で、姉はまだ生きていると感じられますとも書かれていました。私の車の中にもこのCDがあります。時折、ご遺族のとなった方からもメールを頂きますが、なんともほんわかした気持ちにさせてくれました。まだ、私を覚えていてくれていることにも、私自身が「支え」を感じます。
2008年08月05日
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6月に「腫瘍マーカーが正常値に・・・そして手術」と題して2回ほど書いた患者さんの経過を。(これまでの経過は、過去の日記を参照ください)何とか、手術へ持ち込んだスキルス胃癌患者さん(50代・男性)ですが・・・開腹してみると、予想以上に癌が浸潤していました。術後早々は、ご本人はとってもお元気でして・・・看護師さんが驚くほどの元気ぶりそれが傷口が化膿してしまい、結局退院まで1ヶ月を要しました。退院して地元に帰ってからは、とても協力的で尚且つ理解ある地元の病院で、手術時に人工肛門を造設したこともあってケアを受けていました。そこで、両方の腎臓の腫れが判明・・・・両方の尿管にステント処置を施しましたが、どうにも尿の出がよろしくなく・・・地元の医師から片方の腎機能を諦めて、もう片方に腎ろうを作るという提案がなされました。この時点で、娘さんは母親とかなりショックを受けたようです。腎機能が一つになってしまうと、もう抗癌剤治療は受けられなくなるのでは???と・・・どうにも不安に押しつぶされそうになったようで、電話がかかってきました。腎機能が一つになっても、抗癌剤治療を受けている患者さんはいること・・・一つでも腎機能が働いてくれれば、普通に生活は出来ること・・・そして、例え腎ろうになっても、尿の排出口を確保しないと、それこそ命の危険があること・・・腎ろうや、人工肛門になってしまう事で、患者さんご本人の精神的ダメージは計りしれないけれど、少なくても命を永らえるには必要な処置であること・・・そんな話をしました。話しているうちに、少しずつ落ち着きを取り戻した様子でしたね。お忙しい時に、急に電話をしてしまってすみませんひろりんさん、本当にお忙しいですよね?ひろりんさんこそ、倒れたりしないでくださいねひろりんさんに倒れられたら、私どうしたら良いのか・・・・・・って、おいおい、あたしゃピンピンしてまんがな何かようわからんけれど、私が元気じゃないと困る人が一人はいるらしい・・・私としましては、若い彼女がこんな状況下で私を心配してくれる暖かさに驚きました。私が彼女の年齢の時、こんな重大事に人のことなんて心配できただろうか・・・多分、出来てない。自分のことで精一杯で、相手のことなんざ知る由もない・・そーゆーヤツだったと思います。彼女の暖かさと、秘めた強さに逆に「しっかりしなきゃな。私も」と思わされました。この翌日、腎ろうにしたら大量の尿が出てきたそうで・・・内心、スゴク心配してました。これで尿が出てくれないと、腎機能自体が働いてないことになってしまうから。まずは、大きなピンチを脱出しました尿の出口を確保できたことで、体全体も回復傾向に向かってくれるのではないかと思っています。ちょっとばかりお休みしちゃったけど、また、新たなスタートに着けるんじゃないでしょうか。
2008年08月03日
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ついこの間のことですけども、1月下旬に手術を受けた偽粘液腫の患者さん(60代・女性)と電話でお話ししました。私にメールが届いたのが、昨年の秋だったと思います。当時、粘液による大きなお腹を抱えていて、お風呂場には手摺が付けられていたそうです。お風呂に入るのも一苦労で、難儀を強いられていたとか・・・それが、今年の1月に米村先生の手術を受け、半年が経過したことになります。半年経過して・・ですね、久しぶりに聞くご本人の声は、まぁ、元気、元気今、何にはまっているのかと言うと、野菜作りだそうな。駐車場1台分のスペースを壊して、畑を作り、本まで買い、勉強しながら楽しんでいるそうです。新しい人生を貰いましたと、おっしゃっていましたよ~米村先生にも伝えたところ・・・イッツ、ミラクル!!と笑っておられましたわ。それと、30代の偽粘液腫の女性患者さんからも、嬉しい報告が届いています。私にメールが届いたのは、これまた昨年の秋だったと思います。久しぶりに届いたメールは、オメデタでした現在、妊娠3ヶ月だそうですぅ私にメールが届いた頃は、今後の妊娠を悩んでおられました。病気を抱えながら、妊娠なんて望めるのだろうか・・?と。不妊治療を経て、妊娠にこぎつけました。病気じゃなくても、初めての妊娠・出産は不安なもの。それに加えての、大変な病気ですからね・・・不安も大きいようですけど、喜び一杯でしたよ~私としても、子供(えっ?もう孫じゃないか?って?シツレイな!!)が生まれてくるようで、嬉しいです。そー言えば、米村先生が言うてましたが・・7月31日付けの朝日新聞に米村先生が偽粘液腫で載っているそうな。うちは朝日新聞じゃないんで、まだ見ていないんですが。全国版ですか?と聞いたら、多分・・・というお返事。朝日新聞を取っている方、ちょっと見てみてくださいませ。それとぉ、京都新聞にも載りましたよ~先生、ここは神奈川県だっちゅーの売ってまへんがな京都新聞を取っている方、探してみて下さいませ。京都新聞ってねぇ、なかなか良い新聞なんですわ・・・だから、ここじゃ手に入りませんってば!!んもう~
2008年08月01日
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