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沢山の励ましのコメント、それとメールも頂き、なんと言葉に現せば良いのか・・・多分、私は感動しているのだと思います。辛く悲しい涙を流す事も少なくありませんが、これほど人の暖かさに涙できる自分は、幸せ者だと思いました。嬉しくても涙って出るんですねぇ・・・何だか、胸の奥からジワジワってこみ上げてくるものがあります本当に、ありがとうございます、上手く言葉にできませんけども。。。昨夜、久しぶりにスキルス胃癌(50代・男性)の患者さんの奥さんから電話を頂きました。随分とメールも電話もご無沙汰で、何かあったのではと、心配しましたが・・・ご主人は、お元気で家で普通に生活出来ていると、先ずは聞きまして安心しました。話の中で毎日、ブログは見ているんです主人も怒ってました(えっ???私、何かマズイ事を書いてしまっただろうか???焦っ)いつの日記ですかね?ほら、一昨日だったかな、コメントがあったでしょう(おぉ~~、あの件かぁ←既に頭からぶっとんでました^^;)←こーゆーヤツですから、私は。私の代わりに怒ってくれる方が沢山いて、私的には乗り遅れた気分でして・・・乗り遅れていたんですが、頂いた応援メールの中に「あれは、肝臓癌患者じゃなくて、がんかんじゃ→かんかんじゃ→肝癌患者の変換間違いでは?」と説明して下さった方がいまして。そうかぁ・・ん??ってことは、特に悲惨な癌・・・ってスキルス胃癌の事???と、思い当ったら腹立ちました私は別に死神でも良いけれど、この形容詞は我慢できん!!みたいな、怒りがフツフツと・・・これは訂正して貰いたいですわ!!話が横道に反れました。久しぶりに電話をくれた患者さんの経過ですが・・・病気が判明したのは、昨年の夏です。判明と同時に両方の尿管狭窄も判明して、ステント挿入となり、抗癌剤治療を受けていた患者さんです。米村先生の元へ来たのは、昨年の初冬でした。それから、腹腔内化学療法を行い手術を目指しました。過去にも一度、この患者さんのことは書いています。実際にお会いしたこともあります。50代男性だと言うのに、髪が有り余るほどフサフサでした。さすがに、抗癌剤の副作用で髪は抜けてしまいましたけども、その経過も、そりゃ歳相当量の髪・・から始まったものです^^治療は順調に進み、今年の春には手術日程まで決まったんです。ところが、直前に腎機能に問題が出て延期となり・・・今に至っています。尿管狭窄というのは、文字通り尿管が狭窄してしまう症状です。便なら何日出てこなくても、さして問題もありませんが、尿に関しては1日だって出ないと大問題になってしまいます。ですので、何としても尿の道は確保せねばなりません。尿管の確保が難しい場合は、「腎ろう」と言って、腎臓から直接、体外に尿を出す処置がなされます。この患者さんの場合、これまで何度もステント交換をしながら、1年半近くが経とうとしています。この患者さんの不思議な事は・・・ひどい貧血が何度かありながらも、輸血すれば回復!腎機能が低下しても、いつしか腎機能も回復!下腹部が明らかに硬くなってしまった・・と触診でわかっても、いつしか、この硬いものが軟らかくなる!実に山と谷を繰り返しながらも、今も普通の生活が送れています。手術が延期になってから、焦りは不安に変わっていき・・・奥さんとは、何度も長電話をしましたねぇ。どうする事も出来ない不安が、抱えきれなくなると電話・・・そんな事が何回あったかな。それなのに、ここしばらく音沙汰なしで・・・ようやく、普通に家で生活出来ている今は幸せなんだって、思えるようになりましたそんな風に言われましたね。不安で、時に怖くて、たまらなくて、焦ってばかりいましたけど、今だって充分幸せだって思えるようになったと言います。遅いですけども・・・なんて、笑って言ってましたけど、全然遅くなんてないです。今の幸せに気付けたんですから。ご主人の仕事に差し障りが出たり、その分、奥さんが仕事を増やしたり、現実は大変な事が色々出てきます。それでも、娘さん達が協力してくれて、助けてくれて、そして家族揃って家で過ごせる。だから、今は幸せなんだって言ってましたこんな気持を伝えたかったのと、それと私に直接応援が言いたくて電話したそうです。更新していないと、風邪でもひいたんじゃないか?って心配になるんですって・・・すみません、ご心配かけてしまって、メールの返事が忙しいだけなんですけども。。。何だか、幸せのお裾分けを貰った気分でした。
2008年11月28日
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私をご心配頂いている方もいるかと思いますので、ちょっとコメントを。ご批判のコメントは、正直申せば、胸に銃弾を撃たれたような思いは致しますが、それでも多くの方々から支援頂いており、また、声援も頂き、私の事なのにまるでご自身の事のように怒ってくれる方がいらしてくれるというのは、何ともありがたい思いです。また先日、虫垂癌(40代・男性)患者さんの訃報が届きましたが、患者さんのお姉さまからは、「これまで旅立った患者さんの分まで生きて、これからも、多くの方々を支えて下さい」という、胸に染み入るお言葉を頂戴致しました。涙出ました・・・こんな沢山の支えがありますから、私は大丈夫ですあるスキルス胃癌患者さん(20代後半・男性)のお姉さんから、相談メールが届きました。腹水が多量に溜まっている状態で、スキルス胃癌が判明したとの事でした。あまりにも多量なので、抜いてみたけれど、すぐに又溜まってしまうという状態です。腹水があると手術は出来ませんので、抗癌剤治療が始まりました。TS-1+シスプラチンの治療を行ったものの、1クールが終了しても効果が現れず・・・とにかく、2クール目に入った頃にメールが届いたんです。ご家族が米村先生のセカンドオピニオンを受け、腹腔内化学療法という治療法がある事を知り、是非、受けたいと熱望されました。ガイドラインには無い治療法であり、どこでも受けられる治療法ではありません。地元病院の医師にも相談しましたが、そこでは難しいとの返事。何せ、奏効率70%とも言える、TS-1+シスプラチンの治療が効かないとなると、次の手はもっと奏効率が落ちる訳で・・・とにかく、焦っておられました。患者さんはまだ、20代後半でお若いです。患者さんのお父様は、何としても助けたいという思いから、幾ら費用がかかろうとも構わない、腹腔内化学療法を受けさせて欲しいと、未だ建ててさほど経ってもいない家を売ろうとまで考えました。こういった状況を米村先生にお話しすると・・・そんなに金はかからん家は売らんで良いからと、ちょっと笑いながらおっしゃっていました。お気持だけは、充分に伝わったと思いますところが、不思議な事に地元病院で2クール目の治療が始まってしばらくすると、抜いてもすぐに溜まっていたハズの腹水が溜まらなくなりました。見た目では、お腹は正にペッタンコ・・・まるで腹水が綺麗に消えたかのようです。2クール目にして、ここまで劇的に効果が現れるのは、本当に珍しいと思います。医師によっては、1クールで効果なしと判断して、次の治療に切り替えるかもしれない状態でしたからねぇ・・・いやいや、未だ油断はならない。1回の投与での変化じゃわからない・・・とにかく、次の投与の様子を見ようとなりました。やはり、腹水溜まらず、お腹はペッタンコです。動くなら今しかない!!と、患者さんご本人が今度は焦り始めました。抜いては直ぐに腹水が溜まる・・を経験しているだけに、又、いつお腹が膨れてしまうのか、不安と恐怖だったのでしょう。米村先生の元で、腹腔内化学療法を受けたいのだと、強い思いがありましてね。それで、この治療法が効いている間に転院となりました。こんな経緯がありまして、先日、ポートの埋め込みをしたばかりです。ポートを埋め込んだ際にわかった事ですが、綺麗に消えたかのように見えた腹水が、実は未だ残っていたようです。兎に角、治療を行って完全に消えてくれるのを待ち、手術をしよう!!という流れになりました。効いてくれると良いなぁ・・・
2008年11月26日
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ここでは、差し障りが無い程度に、患者さんとの交流を書かせて頂いております。ですけども、ちょいとばかり差し障りが出るかも?いけませんので、今回は、随分とボカして書きます。と、言いますのも・・・ここでは、スキルス胃癌や、大腸癌からの腹膜播種の患者さんの事を書いていますが、たまにイレギュラーとも言える病名の方が飛び込んできます。私的には「初耳」という病名の患者さんも、たまにいるのです。その病名の種類たるや・・もう何種類もですわ。「腹膜絡み」だけが共通項なんですが、いやぁ~色々な病気があるんですよ。「稀な病気」って幾つもあるんですねぇ・・・稀な病気故に、治療法も確立されていませんし、治療を請け負ってくれる病院や医師が少ない。ですので、ほんの僅かのキーワードを頼りに、私の元へ辿り付いた・・という方が何人もいます。そうは言ってもですよ、「初耳」って病名が少なからずありまして、相談されてもなぁ~と内心思ったりしちゃいます。全く場違いな病気ならば、即、ごめんなさいをするのですが、腹膜となると一応、米村先生にお伺いを立ててみっか・・・って事にしております。私じゃ、サッパリ??なんですもの。中には、どうしても米村先生に診て頂きたいと強く希望される方もいますからね。そういう方に関しては、それこそ完全に場違いな病気でさえなければ、「門前払いはしない、せめて話くらいは聞いてやらんとね」が米村先生のモットーでもありますから。そんな患者さん(女性)ご本人から、相談メールが届きました。既に一度手術を受けたものの、再発してしまったとの事。もう、再手術は不可と言われたと言います。聞く限り、「こりゃ若干ながら、専門外じゃなかろか?」と思いましたけども、話だけでも先生に聞いて貰うかな・・と勝手に判断して、先生への橋渡しをしました。その前に、一度お電話も頂きました。あくまでも、先生のご専門かどうかわからない事と、手術や治療を請け負えるかどうかわからない事等・・・お話ししました。そして、セカンドオピニオンとなり、あっさり「手術可」との判断が出ました。病状から、決して楽観は出来ず、手術にしても緊急を要する部類でもあり、また、術後のQOLの低下の程も予測がつきません。リスクありの状態です。この患者さん、QOLの低下の程を考えて一度は手術を止めようかと、思いましたけど、やはり、生きたいと強く願うようになりました。人口肛門が避けられないであろう事や、術後、身辺の看病に家族を巻き込む事の心苦しさ・・・そんな事を考えたら、手術して欲しくて欲しくてたまらなかったけれど、両手を上げて喜んで良いのかどうか・・・迷ってしまったんです。それでも、生きたいと強く願う気持が、どんどん大きくなり手術を受ける決心を固めたのです。ここまでに至るまで、ちょくちょく電話がかかってきましたね。ほんのちょっとの体調変化で、もう、手術出来ない体なんじゃないか?って不安になったり、病院との連携が上手く取れないと心配になったり・・・その都度、電話がきますけど、話している間に落ち着いてしまうみたいです^^まっ、皆さんそんなもんですわ。私にとっては、そんなこんなのお付き合いをしている、何とも可愛らしい患者さんです。ただ・・ちょっとばかりオーバーな人なんですよねぇ・・・^^;「ひろりんさんとの出会いが私を変えました見ず知らずの私に親切にして頂いて、人間不信に陥っていた私を変えたんですまだ、手術はこれからだし、術後のQOLの低下もわからない自分は世界一の不幸者だと思っていたけれど、今、私は世界一幸せ者です先はどうなるかなんて、わからないけれど、一番の恩人はひろりんさんです」とか言うんですよねぇ・・・ね?オーバーな人でしょうあたしゃ、何もしてませんがな道を歩いていたら、時間を聞かれたから答えただけ・・というか、道を聞かれたから答えただけ・・・みたいなもんです。私にすれば、毎日コーヒーを飲むようなものでして・・別に何も恩に感じる事なんてありゃしませんです。まぁ、それでも私と出会えて良かったと思ってくれるのであれば、私は素直に嬉しいです手術が上手くいって、元気になりますように。。。
2008年11月25日
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更新をサボりがちになっております~書きたい内容は溢れかえっておりますが、どうにも時間が取れず・・・PCやケータイへのメールは毎日届いております、ちゃんと拝見しております。メールのお返事は、5~7日お待ち頂いている状況です精一杯の対応をさせて頂いておりますが、どうしても、お待ち頂く時間が増えております、すみませんm(_ _)mお急ぎの方は、電話しちゃって下さいませ。久ぶりに「そりゃないよ」シリーズをば!(これまでの経緯は、過去の日記の「そりゃないよ」をご覧下さいませ)この患者さんの経過は、ちょくちょく届いております。困った事に、ちょいと目を離すと?「落ち込みモード」、「ネガティブモード」に入ってしまうようで、ここで一発気合を入れておきませんとね術後、ボチボチ4ヶ月経ちます。術後はですねぇ・・バリバリ元気~になるのは、やはり難しいです。若いからと言って、早々に開腹するってものではありませんからね。スキルス胃癌の場合、術後もしばらくは抗癌剤治療が続きます。腹膜播種でなくても、スキルス胃癌の患者さんの場合は、再発予防を目的として1年以上は行うのが通例です。腹膜播種での手術となると、これはどうしても避けられない治療でもあります。抗癌剤治療はそりゃ辛いです・・・術後の回復と、抗癌剤治療と同時に行わねばならないので、時にド~ンと無気力になる事も・・・そんな時には、愚痴めいたメールが届きます。つい先日「ありゃりゃ・・・こりゃ、相当きちゃってるなぁ」というメールが届きましてね。あのねですね、こういう時はですね、ちょっと時間をおくにかぎります。言いたい事、思っている事、思いきり吐き出して貰ってですね、す~っとして貰います。本人もですね、わかっているんですよね。私に届くメールは、長文メールがとても多いですが、書きながらっていうか打ちながら、皆さん気持が安定してくるようです。ダーーーーーッと打ちまくって、最後に「メールをずっと打っていたら、何だか落ち着きました」って、ちゃんとご自分でオチを入れているメールって多いんですよで、ですね・・・この「そりゃないよ」の患者さんも、あんなにネガティブモードだったのに、次に届いたメールは、「紅葉を見に、ドライブして来ました!!」でした^^;患者さんの運転でね。術後・・といっても、この患者さんは再手術でしたけど、この再手術の後、ゆっくりですが職場復帰もされました。「再手術」ってですね、スキルス胃癌で「再手術」なんて、普通はありえない事なんです。そのありえない、ある意味「偉業」を経験された患者さんですからね、普通の頑張りだけじゃ、ちょっと乗り越えられないです。だから、どうしてもご家族の助けと理解が必要です。そうそう、仕事ですがフルタイムではなく、半日の出勤ですけどね。それでも、何とか休まず1週間行って来たそうですちょっとした体調変化で気持は大きく揺れてしまうようですが、そりゃ当たり前ですから。これからも、時に大きく、常に小さくは揺れ動くでしょうけれど、暖かなご家族と、力強い応援団長のマイちゃん(保育園に通ってます)がいるから、乗り越えてくれるでしょう!!ちゃんと私も目を離さず、見守りますんで、今日はここから気合送りますです
2008年11月22日
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私は相当鈍いヤツのようで、今頃になって、やたらと涙が溢れて困る時が出てきちゃいました。本当にヒゲさんは死んじゃったのかな・・・私の中では、絶対にありえない事なんだけど。。。だって、ありえないっしょ・・あの人が。病気発覚から、手術、治療、思い出作り、告別式での見送りまで、ぜ~んぶ付き合ったけど、それでも、あれは嫌な嫌な「夢」だと、どっかで思ってる自分がいるし・・・なんでかな。そんなこんなを思っていたら、昨日はkazeさんの命日だったと思い出したり、今月はmidoriさんやカズオさんも旅立った月だったとか・・ついこの間、リエさんも逝ってしまって・・・一体、誰を思って泣いているのか、自分でもわからなくなったり・・・ぼちぼち私も限界かしら・・なんて思ってしまったり。そう思いながら、毎日届くメールの返事を書いているうちに「日常」に戻っていくんだよなぁ~そうやってもう、3年以上経ってますわ^^;そんな事を考えていたら、昨年の今頃に旅立った30代の男性患者さんの事も思い出しました。この患者さんの事は、過去にも書いたかもしれませんが、多分、相当ぼかして書いたと思います。入院中に米村先生がご出演されたテレビ番組を見て、自分もこの病気じゃないか?この先生なら手術してくれるんじゃないか?と思った患者さんです。病名もわからず原発不明の癌で、治療らしき治療も殆ど受けていない状態でした。病院でも病名がわからない、原発もわからないという状況では手の打ちようが無いという風で。ですが、明らかに末期の末期の症状だけは出ていました。「偽粘液腫じゃないか?」と、ご自分の病気を考えたこの患者さんは、奥さんにデータを持参させて米村先生の元にセカンドオピニンに行かせました。データだけでは何とも判断がつかず、本人を検査してみるしかないという事になり、本人を連れて来れるなら検査しましょうと話が進みました。ようは腹水を抜いて検査すれば判明するだろう・・という段階です。患者さんは入院中との事でしたが、ご家族の話では元気だと言われました。ところが、検査の日に突然民間の救急車がやってきて、そこから患者さんが搬送されてきたのです。病院は大慌て・・・患者さんは、かなり末期の症状が出ていて、これまで聞いてきた話やデータと本人の状態が違いすぎて、病院はてんやわんやとなりました。ご家族がいう「元気」と、病院関係者がみる「元気」は大幅に違いがあります。以前、テルちゃんにヒゲさんの状態報告をお願いしたのも、家族から見た状態報告は、ある程度差し引きして読まねばならないからでした。これは誰しも同じです。私の父の時も、ヒゲさんの奥さんの時も、家族の言う「元気」は違うものなんです。検査はしましたが、やはり病名は特定出来ずでした。そもそも、治療や手術という段階は遥かに過ぎている事だけは確かで、病名が何であろうと、どうする事も出来ない状態でした。言わば、この患者さんは病名も特定できず、治療もままならずの状態が突然きてしまったのです。何とか手術できないかと、先生も真剣に思案しておられましたが、状態が悪すぎていました。動けるうちに自宅に返す方が良いだろうという事になり、10日くらい入院していたでしょうか・・帰る事となりました。ここまでに至るまで、奥さんからは何度も何度もメールが届きました。ご主人は、死んでも良いから手術してくれと、それこそ何回も言ったといいます。治療もせず、手術もせず、何の手も施されないまま死ぬくらいなら、治療中に死んだ方がマシだと。ダメでも良いから何か治療をしてくれと・・・それで死ぬなら諦めがつくと・・・結局、数日を自宅で過ごし、この後僅かで旅立っていきました。実に無念であっただろうと、思います。人にはやりたい事や、行きたい所、見たい子供の成長とか、「欲」は沢山あるけれど、その「欲」が叶わない辛さと、何の手も施されずに逝かねばならない辛さと、どっちが辛いのでしょうね。この答えは出てこないけど、どちらも辛いならせめて治療を・・・これが米村先生のポリシーみたいです。だから、手術不可と診断された患者さんでも、何とか手術に持ち込もうとしてます。「皆、治療を受けたいんよね」って、言ってましたわ。治療や手術を例え、自分から拒否しても、結局、最後の最後に望むのが「治療」や「手術」だと、多くの患者さんが私に言い残しています。手術して、命は何とか繋いでも、完全には元の体に戻れないという事がわかって、それでも元気になりたくて、もがいている患者さんは沢山います。治療や手術を受けたからこそ、出来る「もがき」でもあります。それすら叶わず、散っていった命を知っているから、やっぱり、そんな「もがき」でも出来る方が良いんじゃないか・・・って思ってしまうのは、傲慢かもしませんけども。
2008年11月18日
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ヒゲさんが夢に出てきました・・・すんごいヘンテコな夢なんです。どこかの道端に立っていると、側に黒い車が停まって、その後部座席からヒゲさんが降りて来ました・・・裸足で。何故か、手術の日に着ていた院内の検査着を着ています。私の側に来て無表情に「俺、FOLFOXやることにしたから」って、言うんです。大腸癌で認可が降りている抗癌剤ですから、当然、ヒゲさんの膵臓癌には使えるハズはなく。。。(完全自由診療なら可だろうけど)この後、場面がいきなり変わりヒゲさんの姿は消えていて「今からそんな手を使ってしまったら、後は一体何が残っているというの!!あと、どれくらい生きられるって言うのよ~!!」と、うちの博士の胸を両手でどんどん叩いて、泣き叫んでいる私がいました。実に意味不明な夢でしたけど、ヒゲさん、もっと色々ダメもとでも治療を試してみたかったのかなぁ?なんて思ってしまいました。まだ、治療に未練があったって事かなぁ・・・このところ、辛い内容が続いていますが、嬉しい報告もちゃん届いています。過去に何度か書いていますが、今日は、「癌が消えた」シリーズの続編といきましょうこの患者さん、名を「やんちゃさん」と言います。40代男性のスキルス胃癌患者さんです。腹膜播種で手術不可と診断を受けた患者さんの一人です。こういうパターンの患者さんは、実に多くてですね、私の元にはそれこそ、ぎょーさんメールが届きます。これまでの経過は、お手数ですが過去の日記「癌が消えたシリーズ」を探してご覧下さい。私だって、過去の日記を遡って探しだしたんですから・・・大変だった・・何、威張っとんねんって^^;多分、今回で4回目で合っていると思うんですけども。(実にいい加減なヤツだという事は、既にバレているので、隠す事ないですね今年の春に手術となりまして、この時、癌細胞が出て来なかったという、稀な患者さんです。術前に、TS-1服用と腹腔内化学療法をしました。それが、まぁ実に良く効いてくれたようでして・・・本当に腹膜播種だったのか??と、米村先生ご自身が頭を傾げたくらいでした。でも、ちゃんとって言う表現もナンですが、間違いなく、腹膜播種だったんですよ。その後の経過ですが、術後半年が経過して、随分と食事が楽になってきたようです。お仕事なんて、早々に復帰していましてね。仕事上のお付き合い(口実かどうかは、そりゃ知りません)で、お酒の席にも仕事だから仕方なくなのか、率先してなのか、これまた事実は知りませんけども、よく行かれるようです。そこで、お寿司をつまみ、帰りにお決まりのラーメンで仕上げて帰ってきたとか。ちゃんと一人前食べて、ナンとも無かったと。まぁ、このやんちゃさんには、これまでも散々驚かされて来ましたけども、まだまだ、驚かせてくれそうな勢いできてますわさすがに体重が増えるまではいかないようで(当りまえ)、服を全て買い換えねばならないと、奥さんはこぼしていましたが、これは、楽しい愚痴ですわ患者さん本人は、年内に船舶免許取得をすると意気込んでいると言います。奥さんが言うには、船を買う余裕なんて無いしなんで??と聞いてみたら、「老後の楽しみのため」と答えたそうな。そんな「夢」を持ってくれているのが、嬉しいと・・・奥さんが言うてました。本来、余命半年と言われた患者さんです。これは、ご本人は後から知らされましたが、その余命半年という時間が、言われた日からもう過ぎました。今は、余命より1ヶ月長生きしています。まだまだ、どんどん延びますよ~
2008年11月16日
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訃報が届きました。。。今年の5月17日に書いた、スキルス胃癌(40代・女性)の患者さんです。この患者さんの経緯は、昨年の秋にスキルス胃癌が判明したのですが、大動脈近くのリンパ転移も同時に判明しました。ですので手術不可という状況です。TS-1+シスプラチンの治療で、進行を抑えている状態でした。メールを頂いたのは、ご主人からで今年の春だったと思います。メールを頂く前に、やはり大動脈近くのリンパに転移があるスキルス胃癌(70代・女性)患者さんの話を書いた事があり、その日記をご覧になってか否かはわかりませんが、相談メールが届いたという訳です。(70代女性患者さんのは、3月に手術となり、現在もお元気に治療中です)相談メールを頂いてから、米村先生のセカンドオピニオンとなりましたが、この時点で少量の腹水が認められました。これだけでは「進行」と言えるかどうかは、難しいところですが、可能性は否定出来ない状態です。治療を切り替えるタイミングであったのではないか?と思います。それから、腹腔内化学療法に切り替え、治療が始まりました。治療が奏効をみせ、手術日程が決まった頃、この患者さん・・・リエさんからお電話を頂きました。「ようやく手術になりました主人はとっても喜んでいるんですけど、私はもうドキドキで・・・」いつも私のブログをご主人と楽しみながら見ているのだとか、ご自分はメールが苦手で、上手く打てないんですけど、ひろりんさんはお上手ですね~なんて、誉めて頂いたりしましてね。今までメールばかりで、お話しする機会もないまま来てしまったけど、直接お礼が言いたくて・・・と言われました。9月に行われた手術は上手くいきました。癌を全て切除するために、拡大手術となりましたが、憎っくき!!癌は全て追い出せたのです。術後の回復にも問題はなく、2週間で退院。今まであった胃がなくなったのですから、食事の苦労は始まりましたけど、これはどの胃癌患者さんでも同じ。食事がままならず、栄養の点滴で補う・・・これは、殆どの患者さんが経験します。時間の経過と共に、食事にも慣れ、代替胃も出来上がっていきますが、そりゃ直ぐって訳にはいきまません。どなたも、そう、ヒゲさんも言っていましたが、想像以上に体力も落ちます。体力の回復は、栄養状態に比例するので、双方のダメージからのスタートとなってしまいます。そんな中で、落ち込む事もあったようですが、前向きにもなれて、再発予防の為にTS-1単剤での治療が始まりました。全てにおいて、順調と言えました。ところが術後2ヶ月が経過して・・・ご主人から「どうも、栄養状態が良くないようなんです。地元のクリニックで点滴を受けてますが、高カロリー点滴に切り替えても良いものですかね?」こんな電話がありました。休薬期間だと言うのに、体力も食欲も回復しないと言われます。実は・・・と前置きがあって、「ヒゲさんの闘病記、拝見しました。妻の姉がやはり膵臓癌でつい先日亡くなりまして・・・本人、ショックを受けていまして、精神的に相当ダメージを受けているんです。これもあって、食欲が無いんじゃないかと思うんです。」リエさんのスキルス胃癌が判明して少しして、お姉さんの膵臓癌が判明したのだとか。そのお姉さんが亡くなって、かなり参ってしまったようでした。痛みや浮腫みといった、ハッキリ感じる異変や、体調変化は全く無いようでした。ただ、体力が著しく低下している、お姉さんの訃報もあって精神的に相当落ち込んでいる・・・そういった風でした。休薬期間でもあるので、これを機に体力を回復させるのが優先となり、本格的に体力回復を目的とする入院となりました。地元病院と上手く連携が取れ、早々の入院が可能になったのですが・・・リエさんが旅立ったと、昨夜連絡が届きました。血液検査から、全ての数値が減少していたようです。考えられるのは、骨髄への転移。。。あまりにも想定外の状態でした。とても厳しいと思われる状態だと、医師から説明を受けましたと、ご主人から電話を頂いた時は、まさか??の思いの方が大きく、必ず、回復してくれると信じていました。「ようやく、落ち着きました」・・・そんな連絡をずっと、ずっと待っていたんです。それが、訃報と変わってしまい、今も尚、信じられない思いです。リエさんの、明るい声が耳の奥にずっと残っていて、また、きっとあの声が聞けるって思っていたのに・・・残念で残念でなりません。。。
2008年11月13日
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このところ、辛い話題が相次いでしまったので、今日はちょっと一息いれますね。たまには、笑える話題が良いですよね。笑える話題・・・って言うと、すぐに頭に浮かぶのは「米村先生」ですわもう、あのお人は笑いのネタの宝庫ですから。米村先生との会話は、私からの連絡事項3~4割、先生からの話2割、のこり4~5割はあっちこっちに話が飛びまくりです^^;話の途中で、米村先生がよく言うのは今ね、○○先生と一緒におるんですわああ、そうなんですか・・・って、どなたです?その方?ほら、××病院の(・・・ったく、アタシャ厚労省のデータベースじゃないんだから、医師の名前言われたって、わからんがな最近は、随分と覚えましたけども)こんな会話をうちの博士に言ったらば、一般の人が検索できる厚労省のデータベースがあるぞと言う。。。それが、これですhttp://licenseif.mhlw.go.jp/search/top.jsp厚労省が出している、「医師等資格確認検索」ってやつです。医師および、歯科医師の名前を入れると、何年に医師資格を取得したのか出てきます。病院名等は出てきませんし、ありふれたお名前の医師だと、何人も出てきちゃいますけどね。んで、うちの博士が「米村先生は偽医者じゃなかったぞ」と言うとりましたわなので、米村先生に直接言うてみました。うちの博士が、先生は偽医者じゃなかったと言うとりましたあっははは・・・僕は偽医者じゃなかったですかぁそりゃ良かったあっははは・・・と、やけにウケとりましたがな
2008年11月10日
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今日は、9月22日に膵臓癌で他界したヒゲさんの七七日法要と納骨、そして、6年前にスキルス胃癌で他界した奥さんの七回忌法要に行って参りました。ヒゲさんの法要は一般的に言う、四十九日法要です。夫婦仲良く一緒の法要となりました。。。ご住職が言ってました・・・「故人からは11月30日に、奥さんの七回忌法要のお約束を頂いておりました。こういう事情で、今日は一緒の法要と致します。」ヒゲさん、存命中に奥さんの法要の予定をちゃんと立てていたようです。こういう約束って、ちゃんと本人が守らないとダメですよねぇ・・・癌患者さんとのお付き合いが多く、私の場合、患者さんが医師に話す内容を核として、その周りの大きくアバウトな内容まで話される方がとても多いです。病気とは本来何ら関係が無いような話まで、本当にエトセトラ・・・です。その中で良く耳にするのが、癌が判明する前の腰や背中、肩の痛みです。私の父も腰が痛いとよう言うとりました。庭の草取りの時期に言うことが多かったので、そんな体制で草取りなんかしていたら、そりゃ腰だって痛くなる・・と思ってました。痛みが治まれば、気にもかけませんしね。ヒゲさんの場合は、6年前に背中全体がピリピリ痛む事があったと言ってました。丁度、奥さんが静岡の病院に入院していた頃です。「今思えば、あの時に癌を作ったんだなぁ・・・」って、言ってました。でも、背中の痛みで「癌かも?」とは普通は思わないし、「癌かも?」って思ったとしても、何の癌かわからないから、何の検査を受けて良いのやら???です。ペットCTも、早期癌の判明には疑問符が付いています。実際に早期癌の発見に繋がった症例って、実は少ないようです。「少なくても、もしかしたら見つかるかも?」って可能性はありますが、その為に10万円前後のお金を出す人って???結局・・・ヒゲさんの癌が6年前に出来たものだとしても、当時、発見する事なんて出来なかった訳です。ヒゲさんが他界してから、怒涛のごとく時間が流れ・・・今日の法要となりました。私自身もただ悲しんでいる・・・という間もなく今日という時間となっています。とにかく忙しく、落ち込んでいる間もなく、毎日追われて過ぎていきます。過去を思い出すという行為は、私の中では封印されてしまっています。それが、今を生きる為の術なのかもしれませんが・・・二人の娘はどうしてるかって?ご住職からは、自分が住職になってからこんな若い喪主さんは初めてだと言われ、自分が二十歳の頃を思うと、こんなに立派に喪主なんて務められなかったでしょうと、誉められていました。(そりゃそうでしょう、自慢の娘達ですから!!エッヘン!!)すぐに一杯一杯になっちゃって、キャパ越えちゃうと涙こぼしたりするけど、何事にも懸命に頑張ってますよ。今日もちゃんと勤め上げました!!凄いでしょう?しばらく、メールも寄越さなかったけれど、昨晩遅くには「法事、お世話になります、宜しくお願いします。」と、ちゃんとメール寄越しました。法事前日で、遺骨やら位牌やら、準備に追われていた様子も書かれていました。こういう点、絶対配慮を欠かさない娘なんです。納骨は、先に他界した奥さんの隣に並べて納められました。
2008年11月09日
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ここでは、過去にご紹介してきた患者さんの経過を、出来るだけ多く、また正直に書いていく!をモットーにしております。同じ人が二人といないように、全く同じ経過を辿る患者さんはいませんが、多くの癌患者さんの生き方や、選択肢や、思いや・・・そんなものを伝えていく事で、自らを見つめる材料して頂ければと思っております。2007年11月15日の日記に書いた、スキルス胃癌の患者さんが先日旅立ちました。この日に一緒に書いた、大腸癌の患者さんの経過は過去に書きましたが、残念ながら既に旅立っています。この50代のスキルスの患者さんの経過ですが・・・昨年の夏にスキルス胃癌が、腹水が少量認められる状態で判明しました。当時、奥様から突然届いたメールは「助けて下さい!!」でした。余命数ヶ月と言われたようで、かなりパニック状態と見受けました。腹水が少量とは言え、認められた時点で腹膜播種、癌性腹膜炎が疑われます。というか、そのもの・・・と言っても過言ではないかもしれません。ただ、腹水というのは何も癌じゃなくても出るもので、絶対じゃないですけどね。癌じゃないけど便秘をしているアナタ!!腹水がちょっとばかり出てますよ~たぶん^^;米村先生の元で治療を受けたいとのご希望で、米村先生の元で治療が始まりました。病気が判明したばかりで、まだ、何の治療も受けてはいませんでした。こういう患者さんが、米村先生のもとへ来ることは非情に稀です。殆どの患者さんが、他の病院で治療やら、手術やらを一通り受けてから来られますから。ですので私にとっても、すごく記憶に残る患者さんです。早々に、TS-1服用と腹腔内化学療法(タキソテール+シスプラチン)が始まりました。腹腔内化学療法を行うには、お腹にポートを受け込む簡単な手術が必要です。ほんの数cmの傷で済みますし、手術という程のものでも無いのですけどね。ですが、この患者さんの場合、どうもこの傷口がいつまでも治らない???なんで???夜遅くに、「傷口がこんな風になっているんですけどぉ、大丈夫でしょうか?」なんて、写メが送られてきた事もありました。こんなに傷口が治らない患者さんて、あんまりいないんだけど・・・おかしいなぁ・・・と思っていたら、癌治療を受けるようになってから、定期的に血液検査を受けるようになり、そこでこの患者さんは、糖尿病予備軍である事がわかりました。糖尿病の予備軍である事から、傷口の治りが悪いのだという事がわかったのです。時間はかかりましたけど、傷口はちゃんと治り、治療には差し支えなく・・・秋には手術となりました。癌は取り切れ、腹膜にあったハズの癌も消えていて、腹腔内化学療法の効果は明らかに出ていました。幸か不幸か、胃癌手術を受けてからは、当然のことながら糖尿病になれる程食事は摂れず・・・予備軍からも外れました。術後の回復も順調で、術後2週間ちょっとで退院となりました。ですが術後、米村先生にしては珍しく厳しい話を奥様にはされたようです。必ず、再発します・・・と。リンパ転移があった事から、この可能性がかなり高く、再発の覚悟はしておいて欲しいという事だったようです。いつもは、こんな風に言ったりしない人なんですけどね。その可能性を低くする為、また、出来るだけ先延ばしに出来るようにする為、術後も腹腔内化学療法を続けました。癌判明後には、そりゃ頻繁に届いたメールや時に電話でしたが、術後の生活が「日常」に変わると、パッタリ連絡がこなくなりました。殆どの方がこんな風でして・・・私を気遣って、遠慮されちゃうようでして・・便りが無いのは、無事な証拠だと思っておりますです。そんな奥様から、今年の夏だったと思いますが、久しぶりにメールが届きました。何かあったのかしら??と、ドキッとしましたけど術後すぐは、再発の心配ばかりしていましたけど、とっても穏やかな時間がずっと流れています再発のことなんて、いつしか頭から消えかかっていますでも、それじゃいけないんですよね現実をちゃんと、どこかで受け止めておかないと今の穏やかな時間が、少しでも長く続いてくれると良いなこんな内容でした。何だか新たな決意表明みたいで、どうして急に?と違和感はありましたが、特に問題もなく、ご主人はお元気そうで安心していました。今思えば、虫の知らせのような・・・それが、9月の半ばになって、腹水を伴なう急な腹痛・・・この時は、抗癌剤の副作用かもしれない、治療を続けてしばらく様子をみていく事になりました。両足の浮腫みが酷いのと、何故か、やたらと転ぶんですこの間なんて、転んで顔を縫うハメに・・・何て言ったらいいのか、足元がおぼつかないというか、フラフラしているというか・・・体がすごくだるいって言うし、食事が全然摂れないしこんな電話がかかってきました。そしてこの間、亡くなったとの知らせが。。。あまりの事に驚きました。「この1年、沢山の勇気と希望の言葉、嬉しかったですありがとうございます」こんな言葉が添えられていましたが、実は私の気持が付いていけません。術後1年が、あと何日かで経とうとしていました。私自身、すごく期待していた患者さんでもありました。この術後1年というのは、腹膜播種の患者さんにとって、大きな大きな山です。この大きな山を越えれば、また、新しい光が見えてくる・・・そんな目標の山でもあります。絶対に超えて欲しかった山でした。
2008年11月06日
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母が、先月末に旅立ちましたこんなメールが届きました。患者さんは、50代の女性で、腹膜偽粘液腫の患者さんです。2001年に卵巣癌の手術を受けています。術後に抗癌剤治療も受けていました。それが昨年の夏に、腹膜偽粘液腫と診断され、その後治療してくれる病院を彷徨った患者さんです。この患者さんの事は、過去の日記にも書きました。病院を彷徨っている間には、辛い思いを随分とされたようでした。中には、「もう来ないで下さい」とハッキリ言われた事も・・・・今年に入って早々に、米村先生の元へ来られましたが、腹水を抜いてもじきに溜まる・・・の状態でした。抗癌剤もあまり効かないタイプのようで、手術が急がれました。2月下旬に手術・・となりましたが、この手術では出血量が多く、心配で仕方ない娘さんからは、手術中に何度も、震える声で私に電話がかかってきました。少しばかり気持を落ち着かせる事しかできず・・・でしたが。そんな手術が無事に終了しましたが、予想以上に癌が進行していて、大腸全摘、小腸も2M残すだけ、人工肛門も余儀なくされました。全ての癌が切除出来ず、回復を待って、再手術となりました。回復には時間がかかりましてね、入院期間は3ヶ月を経過・・・車椅子で散歩はしてましたけどね。食事は摂れたり、摂れなかったり・・・この時に、1度、お見舞いに行っています。今年の春でした。思っていたより顔色も良く、痩せている感もあまりせず・・・でしたよ。患者さん本人は、「治療して頂けるだけで、どれだけありがたいか・・・」と、しみじみ言ってました。辛い状態で、尚且つ、入院期間が延びていて、イライラする事もあったハズ・・・それでも、病院に門前払いをされた経験があるので、治療して貰える場を確保出来た事に、感謝しなければ・・・という感じでした。回復が遅れ、地元病院への転院となり、そこでも3ヶ月の時間が経過しました。こちらでも、車椅子での散歩は楽しんでいましたよ。食事もちゃんと摂れる時も出てきたのです。外泊や、外出という形で病院を出る事もしばしばでした。先月に入って、ようやく退院となりましたが、まだ介護が必要の状態。ご家族は、睡眠不足も何のその・・・一丸となって患者さんの介護に当りました。そんな中の急変。旅立ってしまいまいました。これまでの間、何度も娘さんからは私へメールが届き、また米村先生の指示も仰ぎ・・・そんな時間が過ぎていました。そして、届いたのは旅立ちの知らせ。ここまで、家族一丸となって母の看護に当れたのは、米村先生と(恐縮至極ですが)ひろりんさんのお陰です・・・そんな言葉が書かれていました。結果は出せませんでしたが、どこの病院でも見放されてしまい、唯一の救いの場であったようです。「一度でも手術を受けられただけでも、良いか・・って思ってます」そんな風に言っていた事もありました。その裏には、何もしないまま逝かれてしまったら、もっと辛い・・そんな思いも感じらます。患者さんにとっても、ご家族にとっても、楽では無い半年だったと思います。決して、寝たきりという訳ではありませんでしたが、自由を謳歌出来たとは言えません。それでも、「救い」や「希望」がどこかにあったという事ではないでしょうか。それは、単に治療の場を得た事だけではないはずです。ご家族の思いが支えた半年であったと思います。そして、ご家族の愛情が延ばした「命」だとも思います。ご冥福をお祈り致します、お疲れ様でした。
2008年11月02日
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