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久しぶりにスナックなんぞという所へ、呑みに行きました~うちの博士も一緒でございます~私はワインと、焼酎と、コーヒーがあれば、取り合えず「幸せ~」を感じる事が出来る人なんですねぇ・・・ここに来るのは、何ヶ月ぶりかな~何度か来ている店なので、顔馴染みです。ここのママが病気だとかで、行く度に25歳のチエちゃんが、お店を切り盛りしてます。このチエちゃん、私にとってはスゴク可愛いんです。私の事を「お姉さん」って呼んでくれるトコが可愛いでしょ、それと「30代にしか見えない」って言ってくれるトコが可愛いでしょ~(店内、薄暗いから誤魔化しがききます)二人で久しぶり~って言って、まずはハグハグしましたわ。しばらくすると、ママ登場!初めてお会いしたけれど、綺麗な人。日本人ではないけれど、日本語がとてもお上手。初対面だと言うのに、このママ、私にご自分の病気の話をしてくれます。腎宇癌で入院していたのだと・・・もちろん、ママは「ひろりん」なんて存在は知りません。それどころか私が何をしているかなんて、これまた知るはずもなく・・・・日本に来て、仕事して日本語の勉強をして、がむしゃらに頑張ってきたのだと言います。頑張れたのは自分には故郷があるから、故郷を心の寄り所にしてきたからだと。それが、こんな病気になってしまって・・・・退院してから、一度故郷に帰ってみたら、もう自分の居場所は無くなっていたのだと呟いていました。抗癌剤治療もやったし、手術もして、幸い、もう一つの腎臓は健康だったから、塩分も水分も制限もなく食事が摂れるようです。病気が判明した時は、長いとは言えない余命宣告まで受けたけれど、復活しつつあります。スペアのある臓器の癌で良かったそんな風な表現をしていました。なるほどね~、そういう考え方もあるのね~腎臓は二つありますからね、予備は無くなってしまったけれど、一つ機能していれば日常生活に支障はありません。競馬の騎手の中には、馬に蹴られて腎臓を一つ失ったけれど、残り一つの腎臓でリーディングジョッキーになっている人が何人もいます。これからオリンピックを目指すのは、難しいだろうけれど(年齢から言ってもね・・ゴメン、ママ)、何ら問題の無い生活が送れるのだから、良し!!としなければね。入院中、泌尿器科だったものだから入院患者は男性ばかりで、こんな話が出来る人がいなかったと、何故かママには喜ばれましたわ^^;癌患者さんって、どちらかと言えば女性の方が肝が座ってます。生きる為なら、髪の毛や子宮、卵巣なんてくれてやる!!と、言い切る患者さんを何人も知っていますが、このママもそうでした。髪は抜けたけど、そんなものどうでも良い・・・って言ってましたもの。突然、余命宣告を受けて、逆に生きる事しか考えられなかったようです。入院中は4キロも体重が減ってしまったけれど、退院してからまた、4キロ増えたのが嬉しいって言ってましたね~スタイルなんてどうでも良くなった、太っていても健康が良いってね。一度、癌になると再発やら転移やら、不安がつきないでしょうし、また、完全に治っても新たな癌になる可能性もある訳だから、ここは一つ、大きく人生観を変える時ですよ!!と、言ってきました。どうしたら良いんでしょう?頑張り過ぎない事ですね~甘えさせてくれる人には、甘えるのも手です癌という病気になって、物事の価値観は大きく変わったでしょう?その新たな価値観を大切にすることですかね~などと、長々と話してきました。私のことなど、全く知らないママが何故、完全にしらふなのに(私は半分以上は酔ってたかな)私に打ち明け話をしてくれるのか、不思議なんですが・・・何かオーラでも出してますかねぇ・・・?私??スナックに呑みに行ってまで、私ったら何しているんだか・・・ねぇ?
2008年04月28日
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カレンダーを見て気付きましたが、いつの間にかブログを設立して2年が経過しておりました~根性無しの私が、よくもまぁ、続いているものだと感心します。設立当初からご覧頂いている方は、本当に希少だと思いますが、思えば2年前の今頃、何の気なしに立ち上げちゃいまして・・・ずっと以前に、米村先生から「患者さんとの交流を本にしませんか?」と言われた事が、頭の片隅にあったんでしょうねぇ・・・・折角、医者に出来ない事をしてくれているのだから・・・ってね。「本」なんて大それた事、とんでもないっす!と返事しましたけども。んじゃ、グログ形式でやってみようかしらん?なんて、1週間くらい誰からもメールが届かない時でもあって、ふっと始めちゃいました。やってみてわかった事は、有名人でも無い人間がブログなんぞ立ち上げても、誰も見てくれやしない・・・って事です。毎日15~30というアクセス数の日々でしたわ。そんな中で「1日200アクセス!!」という、私としては遠大とも思える目標を立てました。この目標は1年が経過する頃には達成しましたので、このままのペースが続いたら良いな・・って思っておりました。満足、満足です。それが、2年が経とうとしている現在は、毎日400~600超のアクセスを頂いています。世の中、マニアックな人が多いのかしら??とか思いつつ、励みにもしつつ、頑張っておりますです。できれば、この調子で3年目も迎えられたら良いなと思っておりますので、今後も宜しくお願い致します。前置きが長くなりました。題名の「2度目の癌」ですが、多くの方々とお付き合いをしている中で、2度目の癌ですという患者さんが案外おられます。これらの患者さん方は、前回の癌を克服し(術後5年が無事経過)、それから10年、20年~と経ってから、再度の癌が判明!!というパターンです。こういう場合、2度も癌になるとは思わないものなのか、あくまでも私が知る限りですが、かなり進行してから判明する方ばかりなんです。これだけの年月が経過していますから、再発ではなく新たな癌です。最近では、癌発見に役立つと言われる「ペットCT」の機械は、ちょっと大きな病院には大抵置いてあります。「癌の早期発見にはあまり意味が無かった」と発表した、有名な癌専門病院もありますから、必ずしも有効とは言えないかもしれませんけど、癌を経験した方は、ちょっとお高い検査ではありますが、5年とか10年に1度くらいは受けてみても良いのでは?ないでしょうかねぇ・・・・問題は、「問題なし」と言われてもそれは必ずしも「問題なし」じゃないって事なんですが・・・・・って、何かややこしい言い回しですけども。この検査機械自体が、メジャーになって未だ、数年。ペット自体は父が闘病中(2001年)には既にありましたが、国内でも数える程の数でした。それから少しして、ペットが、ペットCTに変わりましたから、ペットCTの歴史はすんごぉく浅いっす。癌経験者が、再発ではなく「新たな癌」発見に役立つかどうかなんて、全く、未知数です。また、癌経験者と健康な人間の「癌の早期発見の違い」・・・なんてデータもありませんしね。健康な人は、???の検査に何万円も出すのは惜しいと思うでしょうけれど、一度、癌というものを経験した方なら、この費用は高くないハズ。未知数ではありますが、やってみる価値はあるのではないでしょうかねぇ・・・・癌は育つまでに相当の時間がかかりますから、5年~10年に1度で充分だと思うんです。それなら、大した被爆量にもならないしね。
2008年04月25日
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4月11日の日記に「急展開」と題して書いた、患者さんの経過がその後も度々届いています。抗癌剤治療がいつまで出来るのか、不安ながらも元気を保っていた骨転移のスキルス胃癌の患者さんです。いつまで治療??が、ある日突然、ホスピスに入るか?在宅で看取るか?の選択を突きつけられ、ご家族はいきなりシビアな現実と直面してしまった、あの患者さんです。あれからすぐに「この数日の命」と言われ、ご家族はそれこそ「覚悟」をせざるを得ない状況にまで追い込まれましたが、不思議と持ち直しました。緊急で行なった、輸血が効を奏したようです。持ち直してみると、この春から新しく変わった主治医から、再度TS-1服用の提案がなされたようです。一旦覚悟を決めたご家族は、また辛い思いをさせるのは忍びないとも思われたようですが、患者さんご本人が「やる気」を起こしたので、本人の希望に沿う事にしました。私自身もそうでしたが、こういう状況下にいると、患者である父と、その妻である母、そして娘である私の思いには微妙にズレが生じました。母は、持ち直した父を手放しで喜び、地獄から生還したかのように受け止めましたが、私自身はそうではなく、治った訳でもなく、今後回復する見込みも薄いという現実から目を背ける訳にはいきませんでした。依然として、厳しい状況下にいる現実からは逃れる訳にはいかなかったのです。この骨転移の患者さんのご家族も同様のようでしたね・・・持ち直してTS-1を始めたものの、疼痛が増し鎮痛剤も増え、その辛さゆえに患者さんはご家族や看護師さんに酷く当ることもある様子です。これは、患者さんの本当の姿ではありません。辛さがさせてしまっているだけ・・・患者さんご本人は、体はもちろん心が痛いのです。受け止める方も、生身の人間ですからやはり辛いもの。これを愛情をもって受け止められるのは、ご家族しかいません。親子や夫婦という間柄では、遠慮もなく、深く傷つけてしまう場合も少なくありませんが、そんな時は相手の身になって、捉えてみて下さい。
2008年04月23日
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昨日の日記をアップした後、ある医療関係者に改めて聞いてみたところ・・・・・・って、言っておきますが、これは米村先生ではありませんですよ。あのお人は、こと「銭勘定」になると、本人は全く興味が無いものだから、ホント、無頓着。健康保険制度がどうの、医療器具が幾らするの、何のかんの・・こーいった事に関しては、正直アテになりませんわその昔も先生の病院って、高い注射針を使ってますね~と、うちの博士が言ったところへっ?そうなんですか?そこでちょいと説明が入りました。注射針1本でも、値段はピンからキリで、どの値段の針を使用しても健康保険の点数は同じであるから、当然、入ってくるお金は同じ。当然、安い針を使用すれば利益が増える・・みたいな、ちょっとセコイ話なんですけども。確かに高い針は切れ味が良く、痛みが少ないようで、値段と質は比例するようです。患者さんの利益を考えれば、当然、高級針です。ですが「経営」なんてものを考えると、やはり大量に仕入れるだけに高級針でもお安くしてくれるでしょうけれど、安い針でもそれは同じな訳で・・・そんな話をした後、ほんの少しばかり「経費」というものに目覚めたようで^^;実際に、値段を調べたそうな・・・ホントに高い針でした~等と、言うとりました。おいおい・・・・話がずれました・・・腹腔内化学療法ですが、一応、健康保険で認められている風です。聞いてみた、医療関係者によれば、癌の種類によっては微妙なようで・・・自治体にもよりますが、実際に行なっている病院が少ない事から、レセプトで認めているらしいです。変な話ですが、逆に市民権を得てしまうと、数が増え認めて貰えなくなる可能性も秘めているとか・・・このレセプト、使用する病院の規模や、医師の知名度とも関わりがあるそうな・・・このあたり、よくわかりません。変な事をかくと、逆効果になりかねないので、突っ込みは勘弁してくださいね。ただ、ガイドラインには無い治療である事は確かです。それゆえに、行なっている病院が少ない。また、ガイドラインに無い治療法を行なう場合、医師の独断ではできなくて、病院内の倫理委員会の了承が必要です。この倫理委員会に通った治療でなければ、行なえないのが病院というところ。ですので、現在、お世話になっている病院では行なっていないのであれば、医師に「やって下さい」と言っても、まず無理なんです。
2008年04月22日
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私をご心配して下さっている方々、ご心配をおかけして申し訳ありませんです。「ブログ、止めないで下さいね」と直訴?も届いておりまして、誰も「止める」なんて言うてまへんがなご心配なく、大丈夫ですからね今日はちょっと医療事情について、書いておこうかと思います。これまで、沢山の方々から「癌治療」についてご質問を頂いて参りました。また、現在も多く頂く質問でもあります。ネットで調べるうちに、どうも治療方法が自分と違うと思う方もおられるようで・・・例えば、「腹腔内化学療法」。こんな治療法の提案は主治医からはありません・・・・そう思われた方もいる様子です。そりゃそうです、この治療法はガイドラインには無い治療法ですから。行なっている病院も数少ないです。何故、数が少ないのか?それは、健康保険適用ではないからです。健康保険適用外の治療は、自由診療扱いになります。混合診療は認められていませんから、健康保険適用の治療と併用する事は基本的には出来ないのです。じゃ、基本的じゃない場合って何?って事になるのですが、これは病院があくまでも「研究」を目的として行なう場合です。ですから、病院が赤字を出して行なう訳で、言わば、健康保険に迷惑をかけないのであれば、OKという事ですね。当然、病院の赤字は累積されますから、どこまで病院が耐え得るかはわかりません。この「研究」にもお金がかかる訳で、数万から十万程度の金額の寄付に申し込んだり、結構、医療従事者も苦労しています。新薬に関しては、製薬会社が負担する形で治験が行なわれたりしますね。保険適用外の治療で有名な、陽子線治療や重粒子線治療。大きな公立病院で、行なっている事は有名ですね。高額の治療費を払っているじゃないか?と思われるでしょうけれど、この機会の設置自体にかかる費用は100億。月の電気代は1000万とか言われてます。患者さんの負担額は高額ではあるけれど、とっても、元も取れないし儲けなんて出るとは思えない・・・・じゃないでしょうかねぇ。まぁ、陽子線治療も重粒子線治療も、腹膜播腫には関係ない治療法ですけども。話を戻しまして、じゃ、命がかかっているのだから保険適用外でも良い!!と思われるのが人情です。全額負担します、高額医療還付も諦めますから、治療して下さい!!と患者さん側が思っても、少なくても公立病院では出来ないのが現状です。公立病院では自由診療の看板を出せませんから。ここで、持続して沢山の患者さんの治療を行なう為には、結果的にはバンバン赤字が出る訳で、その分は税金投入して・・・しか手がありません。独立行政法人化される病院が多い中、これは実に難しい・・・保険適用外の治療を持続させる為には、現実問題として、私立の病院に何らかの部門で大儲けして貰い、そのあがりで行なう、もしくは、個人で完全自由診療の病院を設立して行なうしか、今のところは手がないのではないでしょうか?開業するには莫大な資金が必要で、これまたスポンサーが必要ですなぁ・・・・あとは、保険適用として認めて貰うか・・・・癌治療は何かと5年生存率で現される病気です、結果を出せるのは随分と先・・・削減内容がやたらと増える、今の健康保険で認めて貰うのは至難の技と言えるでしょう。
2008年04月21日
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ご心配をおかけしてしまっているようで、誠に申し訳ないです。昨日の早朝、ジュンコさんのご主人から、その後の報告を頂きました。慌しく葬儀を終えたことや、何から手を付けて良いかわからないことや、強く生きていかねばならないのに今は自信がもてないこと、それに対して申し訳ない思いをしていること・・・色々と書かれていました。本当に彼女は尊敬出来る人でした・・・でしたって、過去形で書くのは今も抵抗があるのですが。あんな人が、それこそ「ひろりん」なら、どれほど多くの患者さんの心が救われるだろうかと、本気で思います。米村先生には、ジュンコさんの訃報は私が伝えました。えっ~!!この間、あんなに元気だったのに!?・・・って、コレって医者の反応じゃないですよねぇ。そして、明らかに声のトーンが下がったのがわかりました。ああみえて、患者さんが亡くなれば落ち込まれますからねぇ・・・それから、ご主人からの言葉とジュンコさんの思いを伝えました。その後、4~5人の患者さんの話を伝え、私からの話は終了となった後、先生の方から再度、ジュンコさんの話となりました。確か、僕の所に来たのは・・・・そう言いながら、紙をパラパラとめくる音が聞こえ、ジュンコさんの経過を確認している様子でした。そして、軽い溜息をつかれましたね。強がってみせねばならないお立場ですけども、やはり落ち込むんですよね。こんなことの繰り返しです。まっ先生の場合、立ち直りは早いですけどね、そうじゃないとね、患者さんは沢山いますから。もう結構前の話ですけども、いつだったかなぁ・・・・私が、かなり落ちこんでさすがに、しらふじゃ眠れない日が続きましたぁ~・・・と、米村先生に言ったらそんなの、僕なんてしょっちゅうですよと、愚痴を愚痴で返されましたわ^^;こーゆー時って、普通、少しばかりでも励ますもんじゃなかろか??とか、思ったりして。まぁ、先生にはそんな事、期待しちゃいませんけども。こんな会話を聞いている、うちの博士は気が利かなくて黙ってるし・・・・「二人で愚痴ってどうすんねん!!」くらいの、突っ込みいれろよ!!ね~?全く、理系人間は気が効かなくて困ります。そんなこんなの繰り返しで、今日に至っております。そうそう昨夜、寝床に入った深夜に私を心配して下さった方がいて、とにかく応援メールをせねば!!と思ったそうで・・・・つい、笑ってしまう明るいケータイメールを頂きました患者さんの娘さんなんですが、私は米村先生と同じくらい大切な存在なのだそうです。ありがとう
2008年04月19日
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先日の訃報を書く前は、ちょっとばかり現在の私の事情などを書こうかと思っておりました。私がお付き合いしている方々は、本当に沢山になりまして・・・頭の中のメモリーをはみ出した、昨年の12月あたりから、どなたからメールが届いてもすぐに、どんな状態の患者さんであるか、わかるようにメモした物をPCの側に置くようになりました。病気の種類も増えたましたからね。その数・・ざっと100人ちょっとになりました。それより以前からのお付き合いのある方も、結構いますから、実際、私は何人の方々とお付き合いしているのか、自分でも把握できていません。また、残念ながら亡くなった方も少なくなく、この人数そのままの数字ではありませんが、逆に、ご遺族となった方から、知人が癌になったので、又、相談させて下さいという、リピーター?と言ったら不謹慎かもしれませんが、そういった方もいますので、本当のところの人数は全くわかりません。一度、ケータイにメールなり電話なりを頂いた方は、登録するようにはしていますが、PCメールで電話番号やケータイアドを頂いている時点では、登録もしておりませんので、??の番号や??のアドレスから電話やメールを頂く事が多くなりました。ケータイ登録も100人を越えています。その中で、米村先生の患者さんは4割程度に過ぎません。6割強は、全く米村先生とは関係のない患者さんです。そういった事から、色んな病院の噂も耳にする事が多いですね。そんな状況の中で、常にメールのお返事が滞るようになり、少しばかり忙し過ぎだなぁ私・・・と、ほんのちょっと、ほんのちょっと思ってしまった矢先の訃報。。。。バチが当った・・・・と思ってしまいましたね。「非論理的」「非科学的」って事はわかってますが、言い換えれば、「ありえない」なんですけども、弱音を吐きたくても、逃げ出したくても、ご自分の運命を受け入れるしかない患者さんを沢山知っているのに、こんな事を思ったばかりにバチが当ったと・・・・つい、うじうじと思うこの数日です。らしくない・・かな。
2008年04月18日
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つい涙ぐんでしまうので、常に気合を入れて時間を過ごしています。でも、お風呂の中や、布団に入って寝付くまでの時間に「気合」を入れるって難しいもんですねぇ・・・と、言いましても更新サポりましても、ちゃんとPCへのメール返信、ケータイへのメールの返信、お電話での対応・・ちゃんと私の「日常」はやっておりますから、ご心配なく。先日、旅立ってしまったジュンコさんの話を。ジュンコさんと知り合ったのは、昨年の初秋だったと思います。ご主人から、「米村先生の患者です」とメールが届きました。今では、珍しくないパターンですけども、こんな風なメールが届いたのは初めてでした。30代の奥様が再発のスキルス胃癌で、もうじき手術を予定しているとのことでした。術後、約1年で再発が見つかってから、たまたま本屋で手にとった「胃ガンのすべてがわかる本」を購入して、米村先生の事を知ったのだそうです。その本を頼りに、米村先生の元へ来たとか。米村先生と出会い、再手術を目指す治療を選択したそうです。地元のこれまでお世話になっていた、大学病院がとても協力的で、この大学病院の好意もあり治療を受けていました。私へメールが届いたのは、ようやく手術日程のメドが立ち始めた頃でした。この頃、じつのところ、治療が奏効しているからこそ、何とか生存している程の進行状態だったのです。手術日程がこれ以上遅れるようであれば、もう希望は掴めないだろう、とにかく待てない・・そんな感じでした。ところが、この頃になって腹水が溜まり始めました。妊婦のようなお腹にまでなってしまい、手術どころではなくなってしまったのです。ただ、不思議な事にこの腹水、陽性だったのが、腹腔内化学療法で陰性に変わり始めました。何度検査しても、陰性になる・・・・副作用による腹水なのかも???それなら、手術出来る!!と予定通り、手術となりました。この手術自体は、上手くいきました。これ以降、腹水も全く溜まらなくなりました。ストマを余儀なくされたのは、ご本人にとっては辛い事だったと思いますが、そんな運命もジュンコさんは、真摯に受け止めていました。ジュンコさんには3歳の娘がいますが、この娘のMちゃんにはお母さんのお尻はね、後ろじゃなくて前になったのよこんな風に説明したそうです。このMちゃん、すんごく可愛いんです。とっても3歳には見えない、大柄のお子さんで、見た目が5歳くらいに見えてしまうので、随分と損をしてしまうようです。いくら大きくても、3歳は3歳ですからね、甘えたい盛りです。重くてもだっこしてあげなきゃいけませんし、これが、術後のジュンコさんには無理な話で・・・娘に対して、申し訳ないのだと言っていました。せっかく、米村先生から頂いたチャンスだから、私も頑張らないと先生にはこれからも頑張って頂かなきゃいけないから、患者である私に出来ること・・・それは再発せずに元気でいることだと思うんですだから、早く回復して元気になって、そしたら、ひろりんさんを手伝わせて下さいね元気な患者代表になれるくらい、元気になりますからそう、私と約束しました。そんなジュンコさんにとって、米村先生は神様みたいな存在だそうです。ある時、米村先生が神様か・・ん?じゃと思いついた事がありまして・・・ケータイをカメラモードに切り替え、側にいた米村先生に先生~と声をかけん~?(おもむろに振り向く先生)笑ってくださ~いにこっ←条件反射でつい笑ってしまう先生そこをカシャッとシャッターを押す私。これをメールに添付して、ジュンコさんに送信!!はい完了~先生には何も言わずに、勝手に送ってしまった^^;送信中に何しているんです?と、先生に聞かれましたので、メール送っているんですよとは、説明しましたけどね。ふ~んと、多分、先生は何もわかっていなかたっと思いますが・・・・だって、面倒だったから全然説明してない。(←私って、こーゆーヤツ)そしたら、即、ジュンコさんから返事が届きました。きゃぁ~嬉しい~!!大事に保存して、私のお守りにします!!ありがとうございますそう、書かれていました。私にすれば、「お守り」にでも「魔よけ」にでも、何でもして下さいませ~!!って感じです。こんなやり取りが行なわれていた事は、米村先生は何もご存知ないです。あと、娘と一緒に折り紙で折った作品です・・なんていう写メが届くこともありました。私の和みになってくれれば・・・と思ったそうです。そんな和やかな時間が、経過して・・・・そして、年が明けて2008年になると、腫瘍マーカーが急上昇しました。桁が違うだろう~と思うほどの、数値でした。肛門付近に触れる程の癌が見つかりました。あるのは、ここだけ。ならば、又、ここを切除しましょう、その前に薬剤を変更して抗癌剤治療をしましょうと、路線変更となりました。他には無いのだから、ここさえ切除してしまえば・・・そう、誰もが思ったのです。2度目の再発を告げられた日のジュンコさんは、いつものジュンコさんでした。再発してしまった自分を責めているようでもありました。それでも、まだ頑張れると言っていましたね。薬剤を変更しても、耐性が出来てしまったのか、効いてはくれず・・・ここまで、本当に良く抗癌剤が効いてくれていたのが、ここにきて、抗癌剤に急にソッポを向かれる形となりました。便が出なくなり、急遽入院したのが3月上旬。地元の大学病院の好意で、応急処置的な2つ目のストマを造設。このストマの手術時に、10月の手術の時には無かった腹膜に癌が、目視出来る程の大きさでポツポツと確認されたそうです。ここにきて、恐ろしいスピードで進行してしまったことになります。癌はそれなりの大きさに成長するまでに、相当時間がかかります、それなのに・・・・この入院を聞いて、お見舞いを打診しましたがとてもお会いしたいのですが、どうにも眠気に勝てずに、1日の大半を寝て過ごしてしまいますそんな返事が返って来ました。遠路である事も、気を遣ったのだと思います、ジュンコさんはいつも自分より相手を気遣う人ですから。そして、4月に入るとご主人には短い余命の宣告がされました。ジュンコさんには、どうしても言えなかったと言います。ジュンコさん自身は、もう一度、治療を再開して再度手術を受けたいと熱望していました。それが叶わなかった事が、ジュンコさんにとって後悔であり、悔しい思いのようでした。そして、こんな体になってしまったけれど、米村先生にはとても感謝していますと、そんな言葉を残して、13日に旅立ってしまいました。気丈で、何事にも真摯に立ち向かい、そして、常に優しさと思いやりを備えていた女性でした。ご主人が、自分の妻ながら尊敬に値する人物だと、言う意味が良くわかります。そんな人が何故、逝ってしまったのか・・・どうにもやりきれない思いです。
2008年04月15日
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連日、辛い内容で恐縮なのですが・・・今日も訃報が届きました。癌治療はイケイケだけでは続けられません、治療を受けながら、希望を探しながら、そして同時にご自分の生き方をも考えながら、人生も楽しみながら、時間の使い方も考えながら・・・とにかく、色んな事を同時進行せねばならないのが、癌治療だと思っています。スキルス胃癌患者さんであっても、術後再発もせずに何年もお元気な患者さんもいれば、再発しても尚、何年もお元気な患者さんもいます。そんな元気な患者さんのことばかりを、書ければ良いのですが現実はそうではありません。昨年の10月9日の日記に書いた患者さんが、今日、旅立ってしまいました・・・・厳密に書くと、スキルス胃癌患者さんではなく、スキルス胃癌に限りなく近いボールマン5型の胃癌患者さんです。術後約1年で、残念ながら再発・・・・この病気は、再発してしまうと延命治療しかないと、一般的には言われています。ですが、抗癌剤治療による延命には、どうしても限界がある・・・これも現実です。ですから、癌は切除がベスト・・・そう思っています。出来る事ならば、切除する!!それでも、再発してしまう事は多々あるけれど、必ずしもじゃなくて、現に再発せずに元気にしている患者さんがいます。そんな患者さんは、ごくごく僅かかもしれないけれど、その僅かに入らないという保証もなくて、じゃ、トライしてみる価値は充分にあるのでは?と、実際に元気でいる患者さんを知っている私は思うのです。この患者さん・・・ジュンコさんも、その希望にかけた患者さんの一人でした。再発してしまい、延命の為の治療しかないと言われた時点で、希望を探し、再手術の道を選択しました。ですが再度、再発してしまったのです。ジュンコさんはとても優しくて、気配りの患者さんでした。初めて会う私にこんな事を聞いて失礼かもしれませんけど、ご住所をお聞きして良いですか?うちの主人、転勤族なんです日本全国を定期的に移動するんですこれから、どこに転勤しても頑張って主人に付いていかないと転勤したら、先々の名物を送らせて下さい、それが私の励みになりますからそんな風に言っていました。それから、しばらく経ってお会いした日・・・それは、今年に入ってからでしたけれど、再発を告げられた日でもあったのです。再発を告げられ、病室でお一人で点滴を受けていた時にゆっくりお話ししました。ただ、点滴を黙って見つめていた時のお顔をよく覚えています。再発って言われて、主人の方が参ってしまったようで・・・私なら、平気なのに・・・・これから、子供の準備も考えてあげないとどうして、再発してしまったのだろう?せっかく、先生が頑張って手術してくれたというのに、私の頑張り方が足りなかったのかなそんな事も呟いていました。私と一緒に病室に入ったスキルス胃癌患者さんのミユキさんに対して、励ます言葉も笑顔で言っていましたね・・・ご自身が再発を告げられた日だと言うのに、他の患者さんを励ますジュンコさんの心根に驚きました。それから他愛のない話で盛り上がり、3人で声を出して笑い合ったのが、数ヶ月前です。ジュンコさんがあまりにも笑うので、病室に戻って来たご主人が驚いた顔をしていましたっけ・・・昨年秋の、再手術の際には、ストマを余儀なくされましたが、そんな運命もまっすぐに受け止めていました。その後、腸閉塞を起こし、2つ目のストマを造設したのが先月です。腸は長いので、腸閉塞を起こしてストマを造設しても、また、近い将来別の個所で閉塞を起こす事が予測されるため、1つは造設しても2つ目を造設する事は滅多にありません。これは、病院や医師の好意であると思います。良心的な病院に恵まれたと言えます。ジュンコさんは再発してからの手術を目指す治療も、再度の手術も、そして再度再発してしまってからの治療も、全て後悔はしていませんでした。それどころか、もう1度頑張って手術を受ける、先生がもう一度手術して下さると言うのなら、その為の治療は頑張って受けたいと強い思いを持っていました。そんな強い思いの中で逝ってしまったのです。また、あの笑顔が見れると信じていました。最後にお会いした時のひろりんさんのブログ読んでます、ひろりんさんも辛い思いを沢山されてきたんですね・・・大変な事をされているんですねと私をねぎらう言葉が、ジュンコさんの声と共にずっと私の中に残っています。しばらくは思い出す度に辛い思いをすると思いますが、きっと彼女の事だから、この言葉が何時の日かきっと私を支えてくれると思います・・・
2008年04月13日
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先日、骨に転移がありながらも、お元気に旅行を楽しまれたスキルス胃癌患者さん(60代・男性)の話を書きました。何とか手術出来ないものかと、ご相談を受けましたが骨に転移がある場合、これは難しいと言わざるを得ない・・・というか、無理なんです。そんな患者さんではありましたが、抗癌剤が効いてくれて「元気」を保ち、この春には桜を堪能する旅行をご自身の運転で楽しまれました。娘さんからは、よくケータイにメールを頂きましたが、食事の苦労もさほどない様子でした。本当に末期??と思うほど、とにかくお元気で、食事も摂れ、ビールさえ飲むほどの状態。ところが・・・・それから、半月経つか経たないかの、ある日突然に貧血で倒れ、救急車で病院に運ばれることに!!慌てて、不安になった娘さんからメールが入りました。貧血で倒れたという事と、救急車で運ばれた事しかわからない内容で、気が動転している様がわかりました。私の父も、定期検査で問題無しと言われた3日後に貧血で倒れ、救急車のお世話になりましたから、気持ちは良くわかります。この時点で考えられる事は、体内のどこか特定できない複数個所で、ジワジワと出血をしていたのではないか?という事でした。であれば、これと言った治療もありません。夕方になり、詳細のメールが届きました。胃で大量出血をしていたそうで、血液が大きな塊となって吐き出されたそうです。緊急に輸血となり、何とか持ち越しました。患者さんご本人の意識はハッキリしているそうで、ここは私の父とは違うところです。そして、ここにきて辛い選択を迫られる事となりました。ホスピスに入るか、自宅で看取るか・・・・これまで、いつまで治療を続ける事ができるのだろうか・・・そんな心配ばかりしていた彼女にとっては、想定外の急展開となってしまった訳です。出血すれば血液が足らなくなり、輸血で補い何とか小康状態を保つことが期待できますが、末期と呼ばれる癌患者さんに対して、そうそう輸血は認めてはくれません。今回のように、倒れて救急車で運ばれるという緊急事態であれば、「緊急回避」という事で輸血もしてくれますが、何度もという訳にはいかないようです。健康保険でどこまで認めてくれるか・・・自治体によっても違うようですが、場合によっては病院が赤字を抱え込むことにもなりかねません。病院という場所は、回復が見込める患者さんの治療をする場所であって、回復が見込めない患者さんは病院にとってはもう患者さんではなくなる・・・これは父の時に経験したことでもありますが、これは、頭ではわかってはいても感情がついてはいきません。ベッドの空きを待っている、回復が見込める患者さんがいる事は事実でもありますが・・・元気である事、癌患者さんじゃなくても、これは誰にとっても何時の日か当たり前ではなくなる。ちゃんと頭の中に入れておかねばならない事でもあると、つくづく思います。
2008年04月11日
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久しぶりに米村先生のお話をこちらも、タイムリーに書くと色々と不都合が出るといけないので、かなり時差しての内容になりますが・・・・「米村先生の話」って、先生の患者さんにウケるんですよねぇ米村先生って、本当に移動が多いお方です。何が入っているのやら、重そうなカパンを常に持ち歩いてます。ある時、先生、随分と重そうなカバンですねぇ・・・重いですよ、持ってみますか?そう言われるのでそれじゃちょっと、とカバンを持たせて貰った事があります。腰にきますよ~と言いながら、肩にかけて頂きましたが・・・重っ!!!マジに重かった何キロくらいあるんですか?これ?8キロくらいですそれじゃ、スーパーで売っているお米を持ち歩いているようなものじゃないですかははは、お米かぁ・・・そうですねぇまぁ、実際先生が背負っているモノは、もっと遥かに重いんでしょうけども。ノートPCやら、何やらかんやら、たくさん詰め込んでおられますわ。で、その次にお会いした時は、カバンが変わっていまして・・キャスター付きになってました。やっぱり、先生にも重いのね。
2008年04月09日
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3月に手術を受けた患者さん(二人)のご家族から、それぞれ、元気に退院しました~との、報告を頂きました。お二人共、スキルス胃癌の患者さんです。お一人は70代女性患者さん。順調に回復され、術後約2週間での退院。実に、ギリギリラインでの手術だと言われた患者さんです。この患者さんの息子さんから、よくメールを頂きましたが手術に到るまで、そりゃあちこちツテやらコネやらで、医師と名の付く人に意見を求め回ったそうです。私のブログを見つけるのに、時間はかからなかったそうですが、んな奇特な人がいるわけない!!ネットの中の世界でもあるし、私の事を怪しい~と思われていたそうなははは・・・無理ないですね~で、メールで相談するにも、書いたは良いけれど送信するまで1時間くらい躊躇したそうですわ。私って、怪しいのか???多分、今は私を保証してくれる人は40~50人はいてくれると思いますけども・・・多分、というか、私の希望的観測だったりして^^;とにかく、退院おめでとうございま~すもう一人は50代女性患者さん。こちらは、手術時の出血量が多かったこともあり、術後約1ヶ月での退院となりました。手術前には抗癌剤の副作用もあって、食欲不振に陥り、栄養不良の状態でもありました。ご自宅近くの病院で栄養点滴を受けて、補っていましたね。この栄養点滴ですが、静脈から入れられるカロリーって、実に大したことないんです。数値的には500カロリーですが、実質栄養になるのは、もっと少なくなります。ホント、気持ち程度なんですねぇ・・・・クッキー2~3枚分ってところかなぁ~んじゃ、離乳食時期の赤ちゃんよろしく、クッキーを時間かけて舐めていても同じ?かも??そりゃ、返って難しいか^^;ですから、医師は「頑張って食べて!」と言うんですねぇ・・・やはり、術前の栄養状態が、術後の回復時期と大きく関わるような気がします。少し時間はかかりましたけれど、こちらの患者さんも元気に退院されました。再発率の高い病気ですし、術後にも抗癌剤治療は1~3年は続くわけですし、楽な道のりじゃないですけども、大きな大きな第一歩を踏み出してくれたものと、信じております。先のことは誰にもわかりませんが、再発せずにこのままお元気でいてくれる事を願っています!!これからも宜しくで~す!!
2008年04月08日
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今朝の突然の電話・・・それは訃報でした。患者さんは40代女性で、卵巣癌・子宮癌からの腹膜播種・・・・最初にメールを頂いたのは、昨年の12月です。卵巣癌と子宮癌になりましたと、書かれていました。卵巣癌からの子宮転移なのか、子宮癌からの卵巣転移なのか、それとも双方原発なのか・・・それは、わかりません。卵巣は摘出できたものの子宮は無理だったようです。メールを頂いた時には、腹水がひどくて、週に1度の割合で抜いているような状況のようでした。主治医からの説明の中に「播種」という言葉がでて、これは腹膜播種なのだと、ご本人はこの時認識されたようです。腹膜播種ならば、米村先生の治療を受けたいと切に希望していましたが、お母様が要介護状態でもあり、母親の面倒を見なければならない、治療のための通院にしても距離的にギリギリ・・・治療に通うにしても、入院にしても、母親を預かってくれる場所を確保せねばならないのだと、言っていましたね・・・ご自分の体ばかりを心配していられない状況下にいる患者さんでした。状態は芳しくなく、手術を目指す治療にしても難しいと言わざるを得ない状態。どうしたら良いものかと、悩み、迷い、何度か米村先生のもとへ相談には行かれたようです。腹水があると、手術は出来ません。治療が奏効し、せめて腹水が消えてくれれば・・・そう、思いました。治療を地元の病院で受けながらも、気持ちは「手術」に常に飛んでいたようです。何故、もっと早くに「腹膜播種」だと言ってくれなかったのか・・・・と、ご本人は言ってました。何度かメールのやりとりをしましたが、その文面にはいつも焦りを感じました。そして、ついに体が動かなくなってしまったとメールが届いたのが、1ヶ月前。入院を余儀なくされて、自分ではどうする事も出来ないのだと、書かれていました。そんなどうにも自由を奪われた状態の中で、どうしても、手術を受けたいのです!!米村先生への橋渡しをお願いしますこう、書かれていました。まずは、現状からの回復が最優先だということ。抗癌剤治療は、出来ない状態でもすぐに悪化するものでも無いこと。長い休薬期間だと思えば、回復も可能なこと。退院出来るようになったら、また、すぐに連絡を下さい、出来るだけ力になりますから。そんな内容のメールを返信しました。それから1ヶ月が過ぎ・・・・今朝、ご主人からの電話となったのです。残っていたメールのやり取りから、私へ電話をしたとのことでした。私からのメールを保存していたようです。旅立った事の報告と、お礼と・・・切ない電話となりました。
2008年04月05日
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術後の回復期間について、ちょっと。スキルス胃癌患者さんの場合、術後、大抵は2週間程度での退院となっています。ですが、これはあくまでも一般的な話。患者さんによっては、回復に時間を要し、入院期間が延びる方もいます。現在もですね、術後1ヶ月以上経つものの、退院予定が立たずにいる患者さんもいます。また、2ヶ月かかってしまったけど、元気に退院しました!!という方もいます。もう何年も前の話ですが・・・スキルス胃癌患者さんで、縫合不全を起こした方がおりました。術後、5日くらい経ってから「漏れている」事が判明したのです。40度を越えるような発熱が、何日も続き、毎日2回も3回もパジャマを取り替えねばならない程、ぐっしょりと汗をかき・・・・術前に受けた説明では、その病院での縫合不全率は2%程度。その2%に入ってしまった!!という訳です。この話を聞いた時、癌細胞って熱に弱いから、残った癌に大パンチを与えたかも!!と、何故か私はポジティブシンキングでした。ご本人は相当、辛かったはずで申し訳ないんですけども。この患者さんは、1ヶ月以上前から食事がままならず・・・IVHでのみ、しのぐという状態でした。単に栄養という点だけからみると、IVHで充分ですが、人の体というのはサプリメントで摂取するよりは、やはり食事から摂る栄養の方が勝っているもので、この患者さんの場合、栄養不良は否めなかったと思われます。そんな状況下での中、ゆっくり待っていられる状態でもなく、手術が行われました。癌は「取ってナンボ」の病気。放っておいて良い訳はなく、取れるものなら取るのが基本であると思っています。膵臓との癒着がひどく、大腸にも転移が見られ、腹膜にも・・・このままでは、本当に余命数ヶ月となりかねません。とにかく、取れるだけ取って欲しいと頼み、手術となりました。腹膜の癌は残したものの、何とか、原発巣である胃を膵臓から剥がし取り、大腸の癌は切除しました。頑張って手術したものの、縫合不全となってしまったのです。再度、開いて縫い直すか、このまま自然に着いてくれるのを待つか・・・様子をみる事となりました。やせ細った体に、この発熱、痛み・・・ご家族は、そりゃ生きた心地がしなかったようです。こんな状態ではありましたが、患者さんは自然に回復してくれました。術後2週間の入院予定が、術後1ヶ月にこそ延びてしまいましたが、回復の兆しが見えてからはドレーンも抜け、鎮痛剤のお世話になることもなくなりました。一旦、回復しはじめたら、案外速いもんだなぁ・・と、当時思ったものです。執刀医は、それこそ休みを完全に返上して、病院に来ていたそうです。いつ病院に行っても主治医がいると、ご家族が言っていました。学会もサボったそうです。患者さんは、そりゃしんどい思いをしてしまいましたが、主治医だって相当参っていた様子。今度は、ご家族の方が「お医者さんって、本当に大変な仕事ね」と、案ずるほど。あんなこんなの入院でしたけど、笑顔で退院されました。
2008年04月03日
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患者さんや患者さんのご家族から、お写真を送って頂く事が増えてきました先日も、ご家族揃ってのお写真が添付されてメールが届きましたよ~患者さんは70代・女性、スキルス胃癌の患者さんです。私とお付き合いがあるのは、息子さん。患者さんであるお母様と、ご自分と奥様と娘さんと、仲睦まじいお写真を送って頂きました~患者さんは昨年の秋に、開腹したものの、大動脈近くのリンパ節に転移があるから切除不能と診断された。他臓器転移なし、腹膜にも転移なし・・切除出来ないというのは、実に勿体無い状態です。その後、抗癌剤治療を受けておられました。そんな中で、メールのやりとりが始まりました。しばらくは抗癌剤治療で様子をみて、その経過によってはセカンドオピニオンを受けてみてはどうでしょうか?と提案しましたです。患者さん本人には伏せている内容もあるからと、躊躇されましたけども、それならご家族が代理受診すれば良いのですからとプッシュしまして・・・・まずは、ご家族での代理受診から始まりました。そこでは「このまま手術できますよ」と言われたようで、息子さんはご本人に、真実の告知を決意。ちょいとは濁したでしょうけれどもね。それで、患者さん本人も「話を聞くくらいなら・・・」と重い腰をあげて、セカンドオピニオンを受診。そこで、手術を決意したようです。と、言いましても本人は「ホントに手術せないかんの?このままじゃいかんの?」と若干はぐずったようですけどもそりゃそうでしょう・・・単に開腹しただけとは言え、痛い思いを1度はしていますからねぇ・・・また、あんな痛い思いをするのかと思えば、ユーツになりますわなぁ・・・出来れば避けたい・・・これ、当然の思いですわ。それでも、ご家族の薦めもあって、観念したようです。そして、手術となりました。執刀医からは、「ギリギリのタイミングだった」と言われたそうな。このギリギリとは、手術出来るタイミングとも、腹膜に転移してしまう手前だったとも思われます。そして「癌は取れましたよ~」とも言われたようです・・って、誰が言ったんだかバレバレ??術後は順調に回復し、院内散歩を楽しまれている様子です。リハビリの医師が格好良いのだと、この70代の患者さんが言っているそうです
2008年04月02日
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ここ、神奈川でも桜が満開となりました">">">ここ最近は、満開の桜を見に旅行に行って来ましたというメールが何通か届いています。この桜が最後かもしれない・・・との思いが、ご家族にも患者さんご本人にもあるようで、このご旅行は感慨深いものになったようです。・・でも、来年も楽しめるかも??ですし、来年も桜を堪能できれば「儲け~」ってなもんですからね。尿管狭窄で再発が判明した、スキルス胃癌の患者さん(50代男性)がいまして・・・初めてお会いしたのは2005年の秋だったから、2年半くらいのお付き合いになりましょうか。術後2年くらいで、腹膜播種で再発。尿管狭窄を伴ない、ピンチ!!の時期が、2006年の暮れだったと記憶しています。ステントを挿入し、ピンチを脱出。このまま、死んでしまうのではないか・・・と、ご家族はそれは心配されました。その後、落ち着いてから、遠路はるばる何度か米村先生の元へ何度かご相談に来られました。この際に、手術の選択肢も出たのですが、ご本人は相当悩まれまして・・・悩んで、迷って、躊躇して・・・判断がつかないまま時が流れました。この間、タキソールを続けながら、沢山ご旅行を楽しまれました。ステント交換の時期になると、今度はステントが入らず、腎臓を一つ諦める事となりました。腎臓はもともと二つありますから、一つが機能していれば、普通に生活は送れますからね。尿管狭窄を起こしながらも、実にお元気に精力的にこの1年を過ごされました。ですが、今度は腸閉塞の症状が・・・それでも、入退院をちょびちょび繰り返しながらも、55歳のお誕生日を迎えました~。これまで休職でお茶を濁して来られたようですが、退職を決意されたそうです。現在は流動食ながらも、食事が摂れ、タキソール14クール目に入ったと、連絡がありました。今度は桜を堪能するのだと、人生を楽しむ事に精力的ですよ。何としても手術をして欲しいと切望する患者さんがいて、また、再手術となると、リスク等を考えて迷う患者さんもいて・・・手術をせずに、抗癌剤に頼りつつ時間を楽しむという選択肢もアリだと思っています。自分に与えられた希望を探し出し、幾つもの天秤にかけ、そしてじっくり考えて出した結論であれば、それが何よりですから。まず希望を探し出さねば、話は始まりませんけどね、後悔ばかりが残ってしまうから。この患者さんの奥様は、ご主人である患者さんご本人の意志に従うまで・・・と思っておられたようですから。まだまだ、時間はあります。ご夫婦で桜を沢山、楽しんでください!!
2008年04月01日
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