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半年くらい前の話ですが、婚約者がスキルス胃癌で手術不可と診断されました、どうしたら良いでしょうか?と言う内容のメールが若い女性から届きました。彼氏が吐血で緊急入院し、スキルス胃癌発覚、手術不可との診断で、強く退院を希望していると言います。医師からは、このまま退院すれば命の保証は出来ないとまで言われたのに・・と。詳細がわからず、一つ一つ、質問を重ねてみると・・・手術不可の原因は、胃からの出血が止まらないからで、退院を熱望しているのは経済的な事情からのようでした。応急処置として、胃の出血を止めるためにクリップを使用しているとのこと。スキルス胃癌とハッキリ診断されたこと。あれほど止められたと言うのに、本人は強制退院してしまった事も、数日後にわかりました。そういう状態であれば、動き回る事自体が出血を促す可能性があるので、実に危険である事や、経済的な問題は、一時的であれ、彼氏のご実家を頼って相談してみてはどうかと提案しました。命がかかっていますからね。抗癌剤治療は何かと高額です、若い二人にそんな余裕があるとは思えません。そしたら、家庭の事情から、とても実家は頼れないとのこと。また、彼氏からは「開放して欲しい、別れて欲しい」と言われた事、この数日連絡が取れなくなってしまったとの返事が。若い彼女自身が、どうやらパニっくっている様子で、何を信じたら良いのかわからないと訴えていましたね。癌治療は健康保険が適用されても、高額です。高額医療還付で大部分が返ってはきますが、支払わねばならない金額はバカになりません。ですので、事前に申請すれば高額医療還付分を差し引いた金額の請求という事もできるので、病院の事務の方に相談してみるように再度、提案しました。また、癌告知を受けたばかりの彼氏の精神状態は、普通ではない筈だから、彼氏の言葉をそのまま鵜呑みにせず、今すぐに別れると決断をせずに、時間をおいてみてはどうでしょうか?とも。それから数日後、連絡が取れなくなった彼氏は、再度貧血で倒れ入院していたとのこと。彼氏が別れて欲しいと言ってきかないこと。彼女自身も疲れてしまっていて、彼氏を支える自信がないので、別れることにしたこと。こんなつもりで相談させて頂いた訳じゃなかったのに、ごめんなさいと・・・・と書いたメールが届きました。よほど、このメールにも返事をしようかと思いましたが、止めました。彼女には「別れる」という選択肢も存在するのだから。結婚前の若い彼女には将来があります。何が幸せかを決めるのは、本人ですが、彼女にも幸せになる権利があります。彼女のご両親の思いもあるでしょう・・・別れを決意するには、単に病気が原因ばかりでもないでしょうし・・・何より、癌患者さんを支える家族の精神的、経済的苦労を負う義務は彼女にはありません。また、その権利も・・・・この彼氏の真意はわかりません。ですが癌告知を受け、結婚を考えていた人との別れを決意したのであれば、この彼氏の意志だって尊重せねばなりません。癌治療は、患者さんご本人の意志を最大限に取り入れ、尚且つ精神的、経済的に責任を負える人が最終判断をすべきだと思っております。これ以上、返事を返しても辛くさせるだけ・・・・だから、彼女には返事をしませんでした。
2008年03月29日
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もうお気付きと思いますが、トップページに「ひろりんからのお知らせ」欄を設けました。ブログの私書箱に頂くメールに、アドレスのご記入が無い方や、送信しても戻ってきてしまう場合が時折あります。私からの返事が5日以上経っても届かない場合は、お手数ですが再度、メールを下さいませ。今日はちょっと毛色の変わった話を。この間、入院中の友人のお見舞いに行って聞いた話です。この病院、新しいんです。前にもちょっと書きましたが、食事のリクエストが出来るんです。で、この友人、主治医が回診に来た際に、朝食はご飯じゃなくてパンにして欲しいと頼んだそうな。主治医は、「わかりました、ではそう頼んでおきましょう」と快諾してくれたそうです。で、肝心の翌日の朝食なんですが・・・・アジの開きに、味噌汁、お漬物・・・に、パン!!ん~・・この組み合わせって・・・まぁ、本人の希望は叶ったのでした。
2008年03月27日
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なかなかタイムリーに書けないので、私の場合は「日記」とは言えないんですけども今月に入ってからも「無事に手術が終わりました!!」という報告が届いています50代女性の胃癌患者さんです。2年前にステージ3bで胃を全摘していますが、1年後に卵巣に転移という形で再発。女性の場合、卵巣や子宮というのは転移しやすい個所と考えられています。ですので、女性のスキルス胃癌患者さんの場合は、最初から卵巣や子宮をも切除する場合があります。女性にとっては抵抗がある切除内容となりますが、あまりにも再発率が高いゆえに、辛い選択を迫られる事になってしまいます。この患者さんの場合、スキルスとは伺っていないのですが、当初がステージ3bですから進行していた状態と言えるでしょう。スキルス同様に、転移しやすい個所に転移してしまった・・・という事なのだと思います。癌性腹膜炎を起こした事もあり、再発でもあり、もう延命しかないと言われた患者さんです。この患者さんの、お若い娘さんから良くケータイメールが届きました彼女のメールって、面白いんです時折、お母様が言われる言葉や、彼女自身の言葉がそのまま「お国言葉」で書いてあるんです^^なんだか、ほんわかしますねぇ入院中の話も色々と書かれてました。入院していても、なかなか米村先生にはお会い出来ないのだそうで・・・・これは静岡の病院時代も、患者さんから何度と無くお聞きしましたケド。米村先生に聞きたい事を聞く為のコツは、他の患者さんの所へ来ていても、それをチャンスとばかりに「捕まえる!!」だそうです先生となかなか会えないと苦労されている方々、お試しあれ!!ってところでしょうか^^話が反れましたがこの患者さん、途方にくれて来られたのですが、再手術に向けての治療が開始されました。そして数ヶ月後、手術となりました。この間、どなたも同じですが、楽な道のりではありません。どうしても、食事が上手い具合に摂れませんし、当然、痩せてしまいますし、抗癌剤治療には辛い副作用も付き物ですし、頑張って、無理して、また頑張ってを何度も繰り返して、ようやく掴む手術です。落ち込む事も多々あるでしょう。それでも、何とかこの患者さんも手術へ持ち込めました。目に見える癌は綺麗に切除出来たと、手術結果を聞いた時は娘さんは大泣きだったみたいです術後の回復には、それなりに時間は必要ですし、患者さんご本人は、記憶している自分の体力と、現実のギャップに落ち込む時期が、避けては通れません。それでも、数ヶ月を経てようやく新しいご自分の体調と体力が頭でも理解出来るようになるものです。患者さんによって、この時間は大差ありますけども。延命しかないと言われた時の事を思えば、見えてくる光もあるでしょう。時間をかけて、ゆっくり焦らず、心身共に回復していってください。また報告くださいね、ほんわかの「お国言葉」で
2008年03月26日
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もう、1ヶ月以上も前の話ですけども・・・・友人が入院したので、翌日にお見舞いに行った日の夜のことです。病院まで車で2時間くらいかかるのと、おしゃべりに花が咲いたのもあって、帰宅したのが夜10時をゆうに回っていました。このブログの私書箱に、この数日前に届いていたメールがずっと気になってはいたのですが、お待たせしているメールが他にも幾つもあり、お返事できずにいました。切羽詰っている様子が伝わってくるメールだったんですよ。本名と電話番号まで書かれていました。内容は60代の父親が、腹膜播種の疑いだと言われたとのこと。腹膜播種であれば、余命3ヶ月とまで言われたと。・・・って、これって言わば「お決まり」の文句なんですけどね。何度も書きますけども、本当に腹膜播種で3ヶ月で亡くなる方の方がよっぽど稀ですわ。とにかく、早々にシビアな余命宣告まで受けてしまって、頭が真っ白。慌てて「腹膜播種」を調べていたら米村先生のお名前が出てきたそうな。それで、これから予定されている検査の為の開腹手術後に、生検の結果が出るであろう約20日後に、米村先生のセカンドオピニオンの予約を入れているとの事・・・まぁ、メールの内容はこんな感じでした。焦っておられる様子なので、夜遅くになりましたがメールのお返事を簡単に書いて、私のケータイも書いて送りました。この日は、病院で半日過ごしたせいか疲れていましてね~この方への1通を書いただけで、お風呂へお風呂から出たら、うちの博士が電話がかかてきたぞぉ多分、待っているだろうから、かけてあげれば?私のケータイって、私が出られない時には博士に出ておいてと言ってあるんです。へっ?こんな時間に?誰だろうかと思ったけれど、かけ直してみることに。時計を見ると深夜12時を過ぎています、いいのかしら?こんな時間に電話をかけちゃって??つい先ほど、メールの返事を書いたばかりの、腹膜播種の疑いをかけられた方の息子さんでした。かけ直します、と何度も言われましたが(面倒だし^^;)良いですこのままでって言って、話を伺いました。「夜分遅くにすみません」と何度も言われましたけど、まぁ特別ですわ(何が特別なのか、よくわからないけど)お父様が、今回のことで随分と医師に不信感を抱いている事、病院を怖がっている事等など・・・色々と伺いました。もし腹膜播種であれば、息子さんは米村先生に診て貰いたいと思っている事がわかりました。これから検査の為に15cmも開腹手術を控えていると言います。これだけ開腹すれば、当のお父様はしばらくは動けないでしょう。今後、治療をお願いするかも?の米村医師とまずはご本人にも会って貰ってはどうか?と提案しました。予約は20日も先だと言われましたが、んなもん何とかなりますよそれで急遽、セカンドオピニオンの日程が早まりましてね~データを持参して行かれましたが、当の米村先生はデータとにらめっこして、何故これで腹膜播種と言われたんだろうねぇ・・・と首を傾げたとか。とにかく生検の結果が出たらまた来ることになり、セカンドオピニオンは終了~となりました。こんなセカンドオピニオンになりましたが、ご家族でのプチ旅行・・こんな事でも無ければ、きっと出来なかったであろうブチ旅行を、喜んでおられました。もし腹膜播種という結果が出ても、希望を持って治療が受けられそうですと、この日の報告が届きました。その生検の結果がようやくでましてね。腹膜播種じゃなかったんですよ、命の危険はないものの珍しい病気でした。癌じゃなかったと、先日連絡が届きました。余命3ヶ月と言われ、もう2ヶ月が過ぎてしまった事をとても気にされていましたからね。嬉し泣きしたらしいですよ^^とにかく良かった、良かったあの夜の電話は眠かったけど
2008年03月24日
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更新が無いと心配です、きっと皆さんも同様だと思います、せめて元気マークだけでも載せてください!!なんて、メールを頂きまして・・・ご心配、ありがとうございます。更新をサボっている日は、大抵はメールの返事に没頭しているか、外出しているか・・・のいずれかですわ。今もお待たせメールが何通もあるのです・・ホント、すみませんですm(_ _)m2月26日の日記に書きました、「無事に手術終了しました」の患者さんの、その後の報告が入りました。もともと、スキルス胃癌・腹膜播種(ステージ4)だから手術不可、延命のための抗癌剤治療を薦められていた患者さんです。この患者さんが、米村先生のもとで術前化学療法を受け、無事に手術となった訳です。この間のご本人の頑張りは、相当なものでしたよ。決して楽をして掴んだ幸運ではありません。当然、ご家族の心身共の負担も同様で、ご家族だって頑張りました。手術後の生検の結果・・・ナント!!ステージ4だったはずなのに、ステージ2の状態まで戻っていたのです!!よくよく状態を聞いてみますと・・・スキルス胃癌が抗癌剤治療の奏効により、変異していたとか。4型の胃癌だったのに、5型に変わったらしいのです。そんな事って????マジ???単純明快に説明しますと、癌細胞を穴の無いバームクーヘンに例えます。癌細胞の核が中心にあり、それが少しずつ大きくなっていくわけですが・・この患者さんの場合、外側の大きな部分が無くなっていてLサイズのバームクーヘンがMもしくはSサイズのバームクーヘンに変化していた・・・・という事みたい。3年くらい前の癌の初期に逆戻り~していたらしいんですよ。米村先生ご自身が、不思議な患者さんやね~と呟いたとか^^;切除したリンパにも、癌が見当らず・・・これは本来あったのか、それとも消えたのかはわかりませんけども。とにもかくにも、良好の結果が出ました。術後3週間経ち、ご家族の目から見ると回復ぶりがイマイチのようですが、そりゃ仕方ないっす。本来あった臓器を幾つも切除したのですから。それなのに3週間でピンピンしていたら、そりゃありえね~って感じです。回復にはどうしても、時間がかかります。ご本人にしかわからない痛みや、苦労はあります。それでも、延命じゃなくて完治を目指せるようになったんですから。これは、何にも変えられない希望というものではないでしょうかね~影ながら・・・って言うか、堂々とこれからも応援させて頂きますです!!
2008年03月21日
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スキルス胃癌で手術不可、余命3ヶ月と言われてから2年を迎えた患者さんの娘さんからメールが届きました最初にメールを頂いたのは、昨年の11月。60代後半のお父様が、スキルス胃癌で開腹したものの手術不可と診断を受け、それからずっと抗癌剤治療をしています・・という内容でした。TS-1単剤の治療から始まり、TS-1+シスプラチン、TS-1+タキソールと薬剤変更・・・とTS-1をベースにした治療を続けてこられましたが、病気判明後2年半を過ぎた頃から骨転移が判明したのです。この時点で相談メールが届いた・・・という訳です。骨に転移があると、どうにも手術不可なんです・・・治療と同時に疼痛緩和も考えた治療をせねばならなくなります。さすがに難しいと言わざるを得ない状況となりましたが、それから4ヶ月経ちました。今月はお父様の誕生日があったそうで、ご家族揃って誕生日祝いが出来たとか余命3ヶ月と言われてから、丸2年だそうです。この間の抗癌剤治療は、ご本人にとっては必ずしも楽とは言えなかったと思いますが、この患者さんにとっては、とてつもなく貴重な時間となったはずです。検査結果は、悪くなったり横ばいだったり・・・低空飛行を続けていますが、入院もせずに誕生日を目標に頑張ってこられました。次の目標は、満開の桜を見る事でしょうか。そして、その次は・・・ちょっと目先に目標を立て、一つずつ、クリアしていって欲しいと思います。
2008年03月20日
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元気な患者さんも沢山いるけれど、そうでは無い患者さんも同時にいるのが現実な訳で・・・余命数ヶ月と宣告されながらも、1年、2年と生きる方もいれば、そのまま「余命数ヶ月」で亡くなる方もいる不条理を、この何年か見てきました。つい先日も訃報が・・・・患者さんは20代後半のスキルス胃癌の男性患者さんです。20代で癌になる事など考える人はまずいません。ましてや、ある日突然に末期癌・余命3ヶ月を宣告されるなんて、思いもしません。この若い男性患者さんにそんな突然の宣告がされたのは、それまでの夢だった「蕎麦屋さん」開店の為の契約の日でした。若いご夫婦の夢が形になり始めた日でもあります。それなのにいきなり、スキルス胃癌の末期で余命3ヶ月宣告。何が何だかわけわからない、どうにも信じ難い現実を突きつけられて、慌てて幾つもの病院を回ったと言います。ですが、どこもかしこも言う事は同じ。中には、うちではとても治療は無理だと言う病院さえあったそうです。ようやく、とんでもない事になったと実感せざるを得なくなった時に、月に150万円くらいかかるけれど、治療をしてくれるクリニックを紹介され、そこへ飛びこんで行ったそうです。奥様が言われるには、保険適用である治療と併用して受けたかったようですが、現在ではこれは難しいのです。混合診療は認められていないので、自由診療と、保険適用の治療は同時には受けられませんから。遠方での治療となり、マンスリーマンションを借り、小さなお子さんと3人でこじんまりした生活が始まりました。お金はかかったけれど、この時の生活自体は今思えば、家族3人でじっくり過ごせた幸せな時間だったと言われます。ですが、状態は悪化・・・・地元へ帰る事となりました。こういった状態になると、現実問題として、治療を請け負ってくれる病院はそれこそ皆無と言えます。治療よりも、緩和ケアを薦められる事が一般的です。ですが、ホスピスを探そうにも大抵は満床。評判が良い所では2~3ヶ月待ちは普通です。治療どころか、受け入れてくれる病院自体が無くなってしまいます。ですがこの方の場合は、何とかご本人やご家族の希望である治療を請け負ってくれる医師と巡り合えました。残念ながら1クールの治療後に旅立つ結果となってしまいましたが・・・・余命宣告されてから、3ヶ月半・・・くしくも、夢だった蕎麦屋さん開店の予定日が、この患者さんの通夜となりました。残されたご家族は、自分達の選択が正しかったのか、自問自答の日々となります。これまで多くの患者さんと出会い、実際、病気が判明して余命数ヶ月と言われて、本当に数ヶ月~半年で旅立ってしまった患者さんは何人もいました。こういった、言わば劇症とも言えるスキルス胃癌の患者さんは、残念ながら、どの治療を選んでいたとしても、効果は期待出来なかったと言えると思います。患者さんご本人が強く望んだのであれば、選択に間違いはなかったと思いますと伝えました。高額な治療を受けた時の、3人で過ごした密の時間。最後の最後に希望をくれて、受け入れてくれた医師への感謝の気持ちが書かれていました。もし、今後身内に胃癌患者が出る事があれば、この最後に面倒をみてくれた医師の治療を薦めますとも、書かれていました。ご主人が旅立って数ヶ月が過ぎ、小さなお子さんを抱えながらも、奥様は新たな夢を見つけたようです。ご主人と始めるハズだった「蕎麦屋さん」は無理だけど、別の形でご主人との夢を叶えたいと。「この夢が成功したら、ひろりんさんをご招待します!!」って^^
2008年03月18日
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2~3週間くらい前の話ですが、患者さんのお見舞いに行って来ました。腹膜偽粘液腫の50代・女性患者さんです。手術室へ入ったという時点で、娘さんから今にも泣きそうな声で電話を頂きまして・・・手術に当り「お約束」とも言える、注意事項を聞かされたようなのですが、それが随分と衝撃となったようです。思いもしなかった言葉に、もう、パニックになってしまったようで・・・抗癌剤治療も手術も、癌治療にはリスクが付き物。死亡例がゼロの治療法なんて存在しないのではないか?と思うほど、実に危険なもの。そんな内容を端的にきかされてしまったので、このまま、生きて会えないのではないか?・・そう、思い込んでしまった様子で、たまらなくなって電話をかけてきた様子でした。手術室へ見送るという行為自体が、感情をおかしくさせるものです。永遠の別れのような、錯覚をつい起こしてしまうもの。おまけに、手術が終わるのを待つ時間というのは、とてつもなく長く感じるもの。お約束事項を単に事務的に説明したに過ぎず、絶対という事は存在しないけれど、まず大丈夫、心配要らないですから・・・と話しました。少しは落ち着いた様子で、電話が切れました。術中も何度かケータイにメールが入り、予想外に出血が多かった様子でした。そして再度、泣きそうな声で電話が・・・大丈夫!!と繰り返し言うと、安心したようでしたね。その数時間後、無事に手術が終了したとメールが届きました。こんな経緯があった患者さんでしたので、数日後に患者さんに会いに行きました。予想外にお元気でしたよ!!未だ、起き上がれる状態では無かったので、天井と私の顔を交互に見ながらの会話でしたけども。6年も前から、この病気に苦しんできたこと。珍しい病気ゆえに、治療を請け負ってくれる病院や医師が極端に少ないこと。癌の一種だから唯一の希望だと信じて、遠路はるばる行った癌専門病院で「ここでは治療は出来ません。もう来ないでくれ」と言われたこと。そんな切ない思いをご本人が話してくれました。治療をしてくれることが、どれほどありがたいことかと・・・・今後の前向きな思いも話してくれました。これまで、患者さんはスキルス胃癌の患者さん一辺倒でお付き合いしてきた私にとって、長く苦しむ病気の患者さんの思いは初めて聞くものでした。スキルス胃癌の患者さんは、5年生存がとても難しい病気。この患者さんのように、6年も苦しむようなことはまずありません。長く苦しむ病気の切なさ・・・短期決戦とも言える病気の切なさ・・・切なさに違いはありませんね。この後、この患者さんは傷口の回復が遅れてはいますが、心配いらない様子です。
2008年03月15日
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このところ、ブログでもご紹介したような良いご報告も結構届いていますが、残念な事に訃報も届いております。今年に入ってから、スキルス胃癌が判明したばかりの50代女性患者さんの娘さんからメールが届きました。毎年、健康診断を受けていたそうで、常に特に問題ナシと言われていたそうです。それが、昨年の後半当りから明らかな不調が現われ、自宅近くの総合病院で診て貰ったところ、胃薬を出されて帰されたとか。処方された胃薬をしばらく飲んだのですが、一向に改善せず・・・もう少し足を伸ばして、大学病院を受診したところ、スキルス胃癌・肺転移で手術不可との診断。余命まで告げられる急展開に、慌ててネット検索をして私のところに辿り付いたとの事でした。実を言うとこの患者さん、以前少し書きましたけど同じ市内に住んでいる方なんです。驚きましたねぇ・・・北は北海道、南は九州・沖縄、果ては海外在住の日本人からもメールが届く中、市内の方からなんて!!ですから、この患者さんが行ったと言う、この二つの病院は何度も足を運んでいますし、良く知っているんです。まるで、道端で世間話をしているような感覚です。近所の評判も耳に入りますからね。肺転移の状態で、この病気が判明する方は私が知る限りでは、あまり多くありません。腹膜に転移があっても、肺や肝臓には転移なしという方の方が多いです。この方の場合、胸水が溜まらないうちに、病気の進行を抑えねばならないだろうと思いました。肺転移といってもパターンがあり、上手くすればトモテラピー(放射線治療)で何とかならないだろうか・・・?と思いましたので、米村先生にまず電話で見解を求めたところ、やはり肺転移の状態・・・先生は肺転移の形によるとおっしゃいましたが、それにより大きく違うとのこと。この当りの事は、実際に診て頂かないとわかりませんので、まずは先生のセカンドオピニオンを薦めてみました。娘さんから、米村先生にしては珍しく厳しい見解を出されたとの報告が届き、その後の経過を心配していました。主治医からは、抗癌剤治療をするかしないかの選択から求められたようです。抗癌剤治療というのは、言わば「博打」です。必ずしも吉と出てはくれません。一気に悪化してしまう事も懸念される治療なのです。ですが、余命宣告を受けた患者さんご家族にすれば、博打に賭けたいと思うのは当然です。私自身も、一度は試してみるべきだとも思いました。ところが・・・懸念していたように、胸水が一気に溜まり、この博打を打つ間もなく、セカンドオピニオンを受けてから1週間後に突如、旅立たれてしまいました。病気が判明して1ヶ月ちょっとの事です。何故、病気がここまで進行するまでわからなかったのか・・・もっと、早くに抗癌剤治療を始めていたら、何とかなったのではないか・・・そんな、自責の念とも思えるメールが娘さんからは届きましたね。確かにいくら進行が早いスキルス胃癌とは言え、稀に見る進行の早さと言えます。沢山の患者さんを知っていますが、本当に珍しいとも思います。あまりの速さに、何の手助けも出来ず力にもなれず・・・短いお付き合いとなってしまいました。「貴女に出会えて良かった」・・・この一言に救われる思いです。お母様のご冥福を心からお祈り致します。
2008年03月13日
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今月に入って、スキルス胃癌・術後3年経過の報告メールが届きました患者さんは40代・女性。無事に元気に、職場復帰もされて、おまけに太り始めて!の術後3年です。私にメールが届いたのは、3年前でご主人から。スキルス胃癌で手術したばかりの頃でした。癌が判明した時は、とにかく早く切らなければ!と焦ってしまって手術を急いだのは良いけれど・・時間が経つにつれ、再発率がとても高い病気であるという事実に恐れおののき・・ってコレ、ご本人ではなく、ご主人が!!ですよ。で、不安にかられたご主人からメールが届いた・・という次第ですわ。この患者さんの場合は、ステージ3。とは言え、この病気はどのステージから始まっても、再発率はさほど変わりはありません。ステージ2であっても、4であっても。それで、術後3ヶ月でセカンドオピニオンを受けてみました。再発予防のTS-1は、始まっていましたね。この患者さんの場合、腫瘍マーカーに出ないタイプなんですよ。だから、どうやって再発の兆しを見るのか、ご主人は不安でたまらないんですね。まだ術後3ヶ月だし、腫瘍マーカーにも出ないし、洗浄細胞診は癒着で不可だし・・・じゃ、ペットCTでも撮ってみますか~ってな、軽いノリでペットCTを受ける事になりました。当然、何も出る訳ないんですけども・・・・って思っていたら、出てしまいまして大腸にハッキリと三角点となって、光るものが!!えっ~!!大腸に再発か?それにしては早すぎる、もしかして、大腸原発の癌か!!!???と、この時は大騒ぎです。検査上では光ったものの、癌と断定できず・・・再度、3ヶ月後にペットCTを撮ってみましょう・・・と言う事になりました。この3ヶ月は、ご本人はさほどでも無かったようですが、ご主人の方は生きた心地がしなかったようです。そりゃそうですよね、安心の為に受けたペットCTが、恐ろしく心配の種に化けてしまったのですから。3ヶ月後のペットCTの結果は、完全にシロと出ました。光っていた大腸の当りも、何ともありません。もちろん、TS-1の副作用以外に体調にも問題なし。一体、何だったんでしょう、あの光は術後2年間、TS-1を服用して化学療法は終了。抗癌剤を止めて丸1年が無事に経過して、術後3年の報告が届いたという訳ですこのご主人、「心配症」という不治の病を抱えていまして^^;、まだまだ、安心は出来ません気を引き締めて参りますという決意表明とですね、今後もご支援のほどを宜しくお願いしますなんて、頂いたメールに書かれていましたけども、何だか選挙にでも出るみたいな文章だなぁ~なんて、思ったりしてこちらこそ、宜しくです!!
2008年03月10日
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スキルス胃癌で術後、再発もせずにお元気に、言い方を変えればフツーに5年を迎える患者さんの話を、先日書きました。正直に言いますと、術後4年を越えたあたりから「あの人は、本当にスキルス胃癌だったのだろうか・・・?」なんて、ちょっと疑い始めたりしてだってこの数年、私の元には欠かさず毎月訃報が届いているんですよ。もしくは、再発の連絡が・・・それなのに、それなのに、ホントに元気にフツーに時間が経過している。ん~???単なる胃癌じゃなかったのかしら??胃を全摘しているから初期では無いにしても、スキルス胃癌じゃなかったのでは??なんて、時間が経過するにつれ思ったりしましてねぇ・・・でも、この患者さんの現在の外科の主治医は知っています。実にデータをきちんと頭に納めている人で、がん専門病院の医師でもあります。おまけに、もともと米村先生の患者さんですから、スキルス胃癌である事は明白なんです。腹膜転移の可能性だって、現われたというのに・・・米村先生と一緒に「不思議な患者さんやねぇ」と頭を傾げたりして^^;先生のご自慢の患者さんの一人である事は、確かですわ。他にも、米村先生ご自慢の患者さんはいます。この患者さんは、スキルス胃癌で腹膜転移していて腹膜切除を受けた患者さんです。これまた、3年経っても4年経っても、再発せずにお元気だそうで・・・・本当にお元気で、これまたフツーなんで、5年が見え始めた頃、米村先生も私同様に「本当に腹膜播種だったんだろうか・・?」と思い始めたそうな^^;やっぱ、そう思いましたか?私と同じだ。それで、先生ご自身が過去のデータを改めて調べたところ、間違いなく腹膜播種で標本も残っていたとか。あの人、本当に腹膜播種だったんですわ・・・って、先生が言うと何か笑えるんですけども私ですら、毎月訃報が届き再発の連絡も届くのですから、米村先生は私などの比では無いでしょう。こんな、実に厳しくシビアな現実の中にいて、よくもまぁ諦めずに取り組んでおられると思います。殆どの医師が諦めてしまうと言うのにね。
2008年03月08日
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今日は久しぶりに友達とランチして、その後もまぁ、呆れるほどの長話をして来ました本当に楽しい一時でした~彼女とのお付き合いは、ご主人(40代)のスキルス胃癌発覚当初からだから、5年になります。腫瘍マーカーの数値から、腹膜転移の可能性が濃厚で即手術。目に見える腹膜転移は無かったものの、その後の洗浄細胞診では陽性反応が・・・この洗浄診の陽性がなければ、ステージ2だったのですが、陽性反応が出たのでステージはいきなり4に疑陽性もありますが、限りなくクロの状態です。術後はTS-1単剤での化学療法が始まりました。腫瘍マーカーも昇ったり、下がったりのジェットコースター状態が続き・・・その後の洗浄細胞診では陰性になったものの、抗癌剤が効いたのか、はたまた疑陽性だったのか・・判別がつかないまま、TS-1の服用を続行。腫瘍マーカーも、いつしか正常値に安定。TS-1は3年服用を続け、抗癌剤治療は終了となりました。この服用期間も2年経過後に、内科医と外科医と意見が分かれましたけども、米村先生の一言で3年間に決定。それから、現在で2年が経過。いよいよ節目の5年が近づくにつれ、主治医からは「貴方は5年生存率0%の患者だった」のだと言われたそうな。大変失礼な表現で、大変恐縮なのですが、大変珍しい「症例」でもあるので、色々とお話を伺って参りました。これだけ沢山の「大変」を付けなければ、言い表せない程の患者さんなんですよ。TS-1を止めて2年が経過しているのですが、TS-1の副作用としてこの患者さんに出ていた症状が、今も尚続いているそうです。一つは「目やに」粘っこい涙が季節関係なく、今も時折出るそうです。もう一つは「指のパサつき」ご本人が言うには「指紋がない!」とか。指先がパリパリになる方は沢山いて、その状態が今も続いているようです。あとは、色素沈着の若干の名残。それと、服用当時は髪が細くなって、薄くなった頭が、太い髪の毛にすっかり変わったそうです頭の印象って、見た目年齢に大きく影響を与えますが、彼女のご主人は若返りました。術後の入院中や、術後1年、3年と、何度かご本人とお会いしていますが、一気に加齢が進んだように見えたのに、いつしか若返ってます。メタボにはならないけれど、太り始めたそう。胃を全摘していますが、今は何でも普通に食べています。パンでも麺類でも、油物でも・・・そうそう、ビールだってQOLも全く低下していません。パリパリの現役サラリーマンです。この5年、彼女とは時折会って、その都度じっくり話を聞きました。彼女もご主人も、健康食品にも、民間療法にも、宗教にも全く興味を示さない、珍しい癌患者さんご家族でしたねぇ。腫瘍マーカーが上がった事もあったし、ステージ4と言われながら、これほど他の何かにすがろうとしない患者家族も、本当に珍しいです。こんな「気にしない」が、一番の治療薬だったんじゃないか?って、マジにそう思います。
2008年03月06日
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告知のお話を、もう少し。沢山の患者さんやご家族と接して参りましたが、患者さんて、実に冷静で大人だと感じます。「そんな事ありません!冷静でもないし、大人なんかじゃないです!!」と、反論される患者さんもおられると思いますが、ご家族の方はですね、その比じゃないですよ、ホントの話。時間の使い方と、自分がいなくなった後の事を、頭のどこかで考えています。本当はんな事は考えたくなんか無いんですが、考えなきゃいけなくて、仕方なく嫌々でも考えています。考える事に疲れると、ボーッとしたくなるようで、何も考えなくて良いような事を始めたり。男性の場合だと、パチンコが一番多いかな。女性の場合は、何だろう・・・友達と遊びに行くとか、カラオケとか?かなぁ・・・考えるって、疲れますものね。私はねぇ・・・父には言えませんでした。手術できずに化学療法を受けていた父は、薬で治るって思っていたのかなぁ?10年は生きられないけど、5~6年は生きられると思っていたフシがあります。家族としても、元気にフツーに生活している父を見ていると、ずっとこのままいけるんじゃないか?って思いたくなってしまうんですねぇ、つい。私の中では2年生きる事を目標としていたんですが、それは言えず・・・元気な時に、もっとあっちこっち連れて行けば良かったと、今も思います。本人も行きたいって言う場所や、食べたいって言う物もあったんですから。 じゃぁ、行こうよと言う私に来年なと答えた父。来年が無いかも?なんて、本人が少しでも自覚していたら、腰を上げていたかもしれません。それとも、自分には来年もあると言い聞かせていたのか・・・本当のところはわからないけれど、行きたいと言った場所には行けなかった事、食べたいって言った物が食べられなかった事だけは事実。行ける体力も、食べられる元気もちゃんとあったのに・・・・父がいなくなって今年で6年目だけれど、今も尚、この病気に関わっているのは、米村先生に対するご恩返しだけではく、父に対する罪滅ぼしかもしれません。
2008年03月05日
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これまでも、多くの方から「告知」に関する悩みのメールが届きました。現在も、何人もの方から同様のメールが届いておりまして、「私のこと?」と思い当たるフシがある方がいるかも?ですが、どなたかを想定して書いている訳ではありませんので、あしからずです。実際、癌治療って患者さん側に選択肢がある治療です。薬剤にしても、ガイドラインが設けられているとは言え、選択する事はできます。また、「治療をする」「治療はしない」という時点から選択肢は始まっています。ですが、大抵の方が「癌初心者」な訳で、どうすれば良いのか???という状態。迷っても悩んでもわからないので結局、「主治医にお任せします」って事になります。ですが、医師から厳しい現状を告げられている場合、その医師の結論が本当にベストなのかどうか迷いが生じます。厳しい現状は、患者さんご本人にはフィルターをかけて話す事が多いです。ですから、特に本人は主治医任せで何ら異論なし。ですが、「治る」とは、なかなか言われない病気・・・・愛する家族ゆえに、治療法を探り、それぞれがベストを見つけようとします。ですが、どれがベストという正解がありません。だから、ご家族の中でも意見が分かれ、時に無用な言い争いになってしまう・・・家族という間柄ゆえに、遠慮のない言葉で傷つけ会ってしまう事もしばしばです。何故、家族の中で傷つけ合ってしまうのか?それは、そこに患者さん本人の意志が存在しないからです。何故、患者さんの意志が存在しないのかと言えば、真実を伝えられないから。じゃぁ何故、真実を伝えないのかと言うと、可哀想だから。落ち込ませてしまう、絶望させてしまう・・だから、可哀想だと皆さん言います。だから、本人の意志は考えずに、ベストを探そうとする・・・だから、意見が分かれてしまう。ご家族にとって、理解出来ない選択肢であっても、本人が望むのであれば・・・と、納得できるのに、それが出来ない。体は嘘をついてくれません。いつか、必ず疑心暗鬼に陥る時がきてしまう。何故、疑心暗鬼に陥るのかと言えば、体が感じてしまうからです・・・真実を。その時、患者さんが持っているは自由は多くはありません。そうなってから、多くのご家族が「告知すれば良かった、可哀想な事をした」と後悔しています。真実を告げることが「可哀想」だったのに、時間が経つと、告げなかった事が「可哀想」に変わっていく・・・本当の「可哀想」は何なのでしょう。告知を悩む時、じっくり考えてみてください。嘘を付くのであれば、最後の最後まで、とことん。真実を告げるのであれば、小出しにせず、一気に!これが良いのではないか?と感じます。
2008年03月03日
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先日の友人の手術日での、感傷的バージョンとは違う角度で当日のお話を。朝8時前に病院着。本人、手術着に着替えてましたね~あれ?って思ったのが、つま先は出ているけれど、ひざの所まである白いサポーターを両足に履いていました。リンパ浮腫の方が履く、ストッキングだと思われます。これまで、何人も手術前の患者さんにお会いしていますけども、こんなサポーターを履いていた患者さんを見たのは、実は初めてだったので不思議に感じましたね~医療関係者の方からみたら、「普通よ~」って思われるかも?ですけども。術後に部屋に戻って来た時は、両足(ひざから下)にポンプ付きの・・・何て言うんでしょうか・・・ほら、血圧を測る時に巻くヤツありますよね?ぐっ~っと、圧力がかかるヤツ。あれを両足に巻いていまして、常に両足をマッサージしている状態になってました。恐らく、血栓が出来るのを防ぐ目的での処置だと思われます。血栓が出来て頭に行ってしまったら、脳梗塞になってしまいますからね~体は助かっても脳が死んでしまう!!って事になりかねないから・・その予防の為じゃないかと。血栓が出来易い体質なのかしらん。この点わかりませんけども、こういう処置もあるのね~と。それと、この病院、大きくて名前は有名な病院です。新館って事もあって、造りもゆったり。点滴を押して歩いている方を何人も見ました。つい、観察しちゃうんですが、直滴で落としている患者さんもいれば、ポンプを付けて落としている患者さんもいる・・シリンジタイプのポンプ付きの患者さんもいる・・・この点滴に使用するポンプって、意外にお高いんです。シリンジタイプ(大きな注射器みたいな容器に薬剤を入れる)なんて、200万くらいするんですよ~癌患者さんの場合、塩モヒに使用する事が多いですね。普通のポンプだって100万くらいはする。ですから、この病院は財政的には一杯、一杯なのかなぁ~なんて思ったりして^^;がん専門病院なら、幾つも行った事ありますが、まぁ、リッチですねぇ~どのがん専門病院も、全ての患者さんが、幾つものポンプを使ってましたね~全部足し算したら、幾らになりまんねん!!まぁ、大量に買えば当然、割安にはなるでしょうけれど・・・がん専門病院は殆どが公立ですから、だから出来る贅沢かも?ですが。病院で長い1日を過ごしていると、色々と好奇心をもって見てしまった訳です。ちょっと、笑ってしまったんですが・・・・俯きながら待合室で待っている、かなりご高齢のおばあちゃんが隣に座っていたんですよ。年配の女性に付き添われて。杖を握って、小さく丸くちょこんという感じで、座っておられました。言葉は悪いですけども、よぼよぼ・・って風。どなたか、ご家族が入院中なのか手術中なのか・・でじっと待っている・・・って感じ。そこへ、この方を呼ぶ看護師さんが。そしたら、この小さなおばあちゃん、サクッと勢いよく立ち上がり、杖を脇に抱えてスタスタと歩いて行かれました~あの杖って一体、何のため・・・???!!!めーいっぱい元気やん!!
2008年03月02日
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