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今年の暑い夏も過ぎ、リハビリ開始から半年が経過していました。体力的には、基礎体力が養われてきました。仕事の感覚はなかなか戻らないものです。今日は自分でも信じられない大失敗を書きたいと思います。 9月の上旬のある日のこと。 その日は、取引先に価格アップのお願いの書類を用意する仕事が指示されました。といっても、文面は社長が既に作成済みでした。あとは、取引先個別の該当する項目を抜き出し、プリントアウトすればいいのです。 私は仕事に取り掛かりましたが、まず誤算が出ました。それは、個別の該当項目を表から抜き出すのに、ベースがエクセルではなく、ワードだったことでした。 リハビリの開始からしばらくは、エクセルの勉強をしていましたが、ワードはあまりできませんでした。従って、ワードの表の編集に手間取りました。なんでエクセルじゃないのか?・・・といってもどうしようもないのですが、ワードにてこずりました。 思うようにできず、イライラ・・・それでもなんとか編集できました。 そして第二の誤算。それは用紙の選択ミスでした。 実はこの仕事の一週間ほど前に、前からずっとA3のコピー用紙が使われないままでしたので、それならA4に切っちゃえば有効利用と思い、A4のサイズに切っていました。ただ、どうしても切り口が分かってしまうので、社内用に使用していました。 今回、値上げ交渉に関することですから、当然きれいなA4の用紙を使うところです。ですが、私は考えすぎるという反省から、注意が行き届きませんでした。なんと、A3からA4に切ったほうの用紙で全部プリントアウトしていたのです。 しかもこの時は、何の疑いもなく、、、信じられません。。。 さらにもう一つの誤算。それはプリンターが古いため、ちょくちょく字がかすれがちでしたので、よくヘッドクリーニングして使用していました。そのため、本来なら最初にプリントアウトしたものをかすれがないか?を確認すべきところで、見落としてしまいました。 本来なら、気をつけて取り組むべき内容です。これなら考えすぎる私にうってつけ(?)の仕事です。ですが、見事に注意力散漫、見落として仕事を完了していました。ワードにてこずってイライラもありましたが、それでも注意して慎重に確認する内容の仕事です。 社長が戻ってきて、確認しました。そして私に「これは大きな問題があるから作り直し。」と言いました。当然の事です。ですが、私はまだ事の重大性に気付いていませんでした。 私はワードにてこずっていたこともあり、「え!」と思わず聞き返しました。 社長は用紙を渡し、「どこが問題だと思う?」と私に聞きました。 しばらく見てみましたが、問題が分かりません。 すると社長は、「文字のかすれがある。それにこの用紙は端がきたない。」と。 「あー!!!」私は自分のミスに気付きました。信じられません。こんなミスをすることが恥じだと思いました。 「すぐ、やり直します。」用紙をきれいな方を用意し、プリンターをヘッドクリーニングして、急いで全部やり直しました。 社長は「これは値上げのお願いというデリケートな問題だから、こういう細かいところを注意してやってもらわないと。」と呆れ顔です。 私は自分の注意不足に恥じました。考えすぎないようにシンプルにと心掛けていたのですが、こういうところをいい加減にしてはいけません。 今回は社長が最終チェックをしたので、事なきを得ましたが、一歩間違えると大変な問題です。 今回ばかりは自分が全部悪いです。自己嫌悪でした。心の動揺は計り知れませんでした。こんなことでどうする? 正直ダメージが大きく、引きずりました。翌日も尾を引いていて、気分がバラバラで会社に来ただけで仕事はうわの空でした。ようやく感覚が戻ってきたかと思っていただけに、ショックは大きかったです。 このように、時に大きな信じられないミスを起こします。注意するところと、さっさとスピードを要求されるところの違いを認識しないといけませんね。 こうやって、失敗しながらですが、なんとかリハビリは続いています。・・・次回に続く・・・
2005年10月31日
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これまで友人の会社でのリハビリで、なかなか思うようにいかない自分に焦りを感じて、それが悪循環になりかけたりしましたが、だんだんまた動けるようになりました。 7月中旬から8月の初旬にかけて、他のフロアーで忙しいということで、私が手伝いとなりました。それは、肉体労働でした。 2月下旬からこれまでで、少しずつ体力は戻りつつあり、体重もいい意味で7月段階で5~7kg程減量していましたが、この機会に更に落とせるか?・・・そんな期待もありました。 早速別のフロアで肉体労働を始めました。中と外を行ったり来たり、この頃は夏なので当然暑いです。私はもともと大変な汗っかきですが、やはり大量の汗をどんどんかきます。 最初はやはり運動不足は否めず、グロッキー気味でしたが、気分が落ち込むことはなく、なんとなく体を動かす充実感の方が強かったです。 何日か経過すると体もだんだん動くようになってきました。水分の補給はどんどんします。薬の副作用で口の渇きがあるので、益々水分補給が欠かせません。 甘いジュースなどは摂らず、もっぱら水です。水を飲む度に体の細胞が入れ替わっていくようで、なんか嬉しい。心なしか体のキレが戻ってきているように思いました。 ここでは、昼とおやつ時に休憩が入ります。終わりも忙しいという割には、遅くても18時には終了です。私は不思議な気分でした。 もともと働いていた私の仕事では、時間で区切るというよりも、内容の完了具合でしたし、時間も気にせずに働いていました。ですから最初は違和感もありました。 例えばお昼になると、12時ジャストで一旦作業は止まります。私はあと少しでキリがいいのでそこまでやってしまえばいいように思えるのですが。 おやつ時も終了も、内容の区切りではなく、時間で区切っているのです。戸惑いもありました。 なんか自分の気分の中で落ち着かないのです。そこで、聞いてみました。 「あと少しでキリがいいから、そこまでやってからでもいいのでは?」 素朴にそう思ったのです。すると、「単純作業でもあるから、キリがいいところといっても、たくさんあることには変わりないよ。それよりも、事故防止も考慮に入れると、時間で区切った方が皆がわかりやすいんだよ。」という答えが返ってきました。 私はなるほど、そういう考え方も確かにあるなあ。自分はこれまで営業職だったこともあり、時間で区切るというよりも、お客の都合とか内容が一段落したところで区切っていたからです。 そして段々区切りがつかなくなり、いつまでも続きがあって踏ん切りをつけることがなかなかできませんでした。そうしてうつになってしまいました。 時間で区切るというのは、結構当たり前ですね。でも、その感覚が自分にはなかったのです。 確かにリハビリですので、時間で区切った生活ではあります。でも、それはリハビリだからという特殊要因だからという感覚でした。 でも、区切りがつかないことはたくさんあるわけで、どこかで区切らなければなりません。区切りを付けやすいのは時間ですね。 勿論、時間だけで区切れないことももちろんあります。ですが、時間で区切るという感覚はとても必要だなと思いました。 うつからリハビリし、社会復帰した後も再発しないように気をつけていかなければいけません。そのためには、これまでの自分を棚卸ししてマイナーチェンジしていくことで対応することになります。 そのためには、自分の引き出しを増やしたり、考え方を少し変えたり、修正する必要があります。 今回、手伝いでの肉体労働を通じて、自分が見落としていた時間で区切る、ということが認識できたことは大きな発見でした。大したことではないのですが、私にとっては大袈裟ですが、カルチャーショックでした。 今後の私の考え方の中で、時間の区切りというのはとても必要なことだと思いました。 その他もう一つ収穫が。。。それは・・・ 体を動かしていたことで、体重が更に3kgほど減量できました。これで2月のリハビリ開始から8~10kgの減量です。それに腕に少しずつ筋肉が・・・。素晴らしい。。。 そんなこんなで夏の暑い中での私の収穫でした。・・・次回に続く・・・
2005年10月30日
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前回の日記で考えすぎて何が重要か?について判断ミスをしたことを書きました。その続きです。 翌日、社長と昨日の件で話しました。社長はあの後、パソコンの設定を直し、問題は解決していました。そして・・・昨日の事をもう一度振り返ってみました。 まず、昨日の指示に対して、どうして手書きで記入して出荷の選択肢がとれなかったのか? これについては、その時私がシステムに影響すると考えてしまったことを話しました。 社長は「大事なことは荷物の出荷であって、システムのことは後で問題があれば修正すればいい。」とのこと。 もっともです。私は冷静さを失っていたために、一つの考えに固執してしまいました。反省点です。そこは素直に謝罪しました。 パソコンの設定については、私がタッチしていなかったので、できなかったことは何も悪くない。問題はその後の対処ということでした。 ここまでは、社長がおっしゃるとおりでしたし、私も冷静になって今後の反省点として自覚していました。ところがこの後でした。 社長は「こういうこと一つとっても、まだまだ病気の影響が残っていると分かっただろ。」と言い出しました。 私はその言葉に、社長の発言の真意が分かりませんでした。ただその時は、侮辱された、病気に対してそんな偏見をもっていたのか?と感じ、非常に怒りがこみあげてまいりました。 本当でしたら、椅子を蹴っ飛ばして帰りたいところでしたが、一旦落ち着こうと外に出ました。とにかく冷静にならなければ・・・と。 そして、もう一度考えてみました。今回の私の判断ミスは素直に反省しています。ですが、いくら考えても社長のその後の発言には納得できません。怒りは収まりません。何度も抑えようとしますが、駄目です。 15分ほど葛藤して、取り敢えず仕事は粛々とこなそう。でも、社長とはその他の話しは一切拒否しようと。そうすればひとまず仕事には差し障りありません。 席に戻り、仕事再開。社長から仕事の支持については、ちゃんとやりましたが、その他の雑談などには一切乗らず、完全無視としました。 こうすることで少しでも怒りを抑えようと努力しました。 夕方、社長から別室に呼ばれ、朝のことから私の様子について、聞いてきました。 私は、「自分の判断ミスについては、素直に反省しています。ですが、病気の影響が残っていることが分かっただろ、発言は、私だけでなく、うつから社会復帰しようとしている人に対する侮辱であり、その発言は到底納得できない。このままであれば、もう私を使わないで欲しい。」と一気にまくし立ててしまいました。・・・これも私の良くないところです。もう少し大人にならなければ・・・ 社長は私の発言に対して、「その発言は大変申し訳なかった。最近お前が少し焦っているように感じたので、慌てないように、というつもりの発言だったが、言い方は間違っていた。配慮に欠けていた。」と言いました。 そこで私も引いておけばいいのですが、怒りにまかせて、更に「そういう偏見をもたれること自体、遺憾です。」と言ってしまいました。これで決定的にこれまでの状況が一変するな、と覚悟しました。後は喧嘩でもなんでも買ってやろうと。。。 社長は「本当に申し訳なかった。お前の言うことは正しい。俺が間違っていた。」と言ってくれました。 その時、私は我に帰り、きつい言い方をしてしまったことを謝罪しました。せっかく好意でチャンスを頂いたのに、いくら納得いかないからと言っても全部言う必要はありません。 社長と私は、それぞれの立場はありますが、今回の件についてはお互いに間違っている点がありました。そして、今後もこういう事態は起こりうるが、間違いはお互いに正そう、という結論になりました。 私はもう一度、立場をわきまえない発言を謝罪しました。その場は何とかうまく収まりました。 私は正直、自己嫌悪です。すぐ熱くなってしまう悪いクセを治さないと、という気持ちと、社長の好意に応えられない自分に対する憤りが混じって、気分は最悪でした。 帰りも反省です。どうしたら治せるか? 翌日も朝は気分がよくありませんでした。よっぽど休もうかとも考えましたが、そんなことでは、何もいい解決にはならないと思い、行くだけ行って、駄目なら帰ろう、といういつもの気持ちで家をでました。 会社に着いて、仕事を始めるうちに、嫌なことが緩和されます。来てよかった、あきらめるのは簡単だけど、継続していかないとリハビリにならない。改めてそう思いました。・・・次回に続く・・・PS.昨日は数人の友人とドイツ料理の店に行き、私もドイツビールとソーセージを堪能しました。一時期は完全にアルコールを控えていましたが、最近は楽しい食事のときは、少し自分に甘くして飲むようになりました。勿論、適度を旨とし、しかも楽しい時限定にしていますので、毎日ではありません。 そんなわけで、昨日は日記の書き込みができませんでした。調子が悪かったわけではありません。
2005年10月29日
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調子を崩しながらも立て直し、リハビリを始めてから4ヶ月半が経過しました。(7月の中頃の段階) だんだん自分の調子を見ながら、悪化のサインが出始めると早めの対処を心がけてきました。 でも、どうしても視野が狭まりがちでした。これはうつによるものなのか、それとも自分の欠点なのか、なんとも言えませんが、こんな事がありました。 ある日、社長からある荷物を宅急便で送っておくように指示され、社長はそのまま外出しました。 会社でいつも利用している、ある宅配会社の送り状を作成し、手配しようと思いました。会社のパソコンに送り状の作成をすると、シールがプリントアウトされます。それを荷物に貼って決まった場所に置けば完了です。パソコンに入力することで、宅配会社にも伝わる仕組みです。 私はいつものように入力しました。・・・ところが・・・ どうしたことでしょう。プリントされたシールが出てきません。おかしいな?もう一度入力したものを呼び出し、再度実行しましたが、やはり出てきません。 そこで、宅配会社の相談センターに連絡して、どうすればいいか聞こうとしました。すると、詳しく対応できる人間がふさがっているということで、折り返し連絡をもらうこととなりました。 私はその間他の仕事をしましたが、1時間経っても連絡がきません。そこでもう一度連絡をしたところ、同じ理由でもう一度待つこととなりました。 さらに1時間半経過しました。会社からの最終出荷時間が近づいています。さてそういう場合どう対処しますか? 普通ならば、パソコンの状態が悪いのだから、手書きで送り状を作成し、荷物に貼り付け、所定の場所に置いてから宅配会社に荷物の引取りを依頼すれば完了です。 ですが・・・そのときの私は、全く考えられない行動をとってしまいました。 私の頭の思考回路はこうでした。 パソコンに入力することで、データが送信される。その集計で毎月一括で請求される。だから、手書きの送り状だとその流れに支障をきたす。だから、今出ている問題が解決されないと動きようがない。もし、できなくても、送り先は電車で40~50分ほどだから、いざというときは自分で届ければいい、と。 普通ならシンプルに考え、一番大事なのは荷物を送るということです。それなのに私はこの時、会社と宅配会社のシステムに不具合が出たので、それを復旧させることが一番、と考えてしまっていました。 信じられませんよね?でも、なぜかこう考えてしまったのです。 そして合計2時間半も待ちぼうけを受けたことで、私のいらいらは頂点に達し、3度目の電話を入れました。そして、電話に出た人にこれまでの経緯を話し、5分以内に対応できないなら、宅配会社の本社にこの件で苦情を入れると言って電話を切りました。 いらいらと怒りのコントロールができていません。 5分後折り返し連絡がありました。そして一つ一つ確認したところ、パソコンを変えたばかりでしたので、どうやら設定がうまくできていないのが原因のようです。本来はこちらのミスです。 ですが、私は感情が高ぶっているので、逆に「もっと早く対応してくれていれば、こんな苦情にはならなかったんだ!」と言って、電話を切りました。・・・最低ですね・・・ そんなこんなしているときに、社長が戻ってきました。一通りの経過報告をしたところ、「こちらの設定ミスだから仕方がない。」とあっさり。 私が逆上していることが分かっているようで、私はちょうど終業時刻でしたので、帰りました。 しかし、次の日、この件で社長とまたも言い合いになるのでした。・・・次回に続く・・・
2005年10月27日
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負荷が掛かりすぎ、私の中ではもう駄目だと思っていましたが、取り敢えず翌日も会社に行きました。 行って駄目なら帰ってこよう、この気持ちで行きましたが、私の症状悪化のサインである、背中から腰にかけて相当のハリが出ていました。本来なら休むところでしたが、前日が前日でしたので辛かったですが行きました。 その日は、いつ帰ってもよい、仕事も外に出たりせず、会社の中で電話番だけできたらして欲しい、ということで、1日会社の中にいました。体のハリはかなりありましたが、何とか1日をやり過ごし、家に帰ることができました。 その日は金曜日だったので、土日の2日間でどこまでリカバリーができ、調子がどこまで持ち直せるのか?体のサインをストレッチで軽減できるのか?ここがポイントでした。 土曜日。この日は体のサインがより強く出ました。起き上がれません。昼ごろようやく起きられましたが、非常に辛い状態でした。気分も非常に沈んでいました。 さて今後どうしようか?・・・でもその時はマイナスの考えしか浮かびません。取り敢えずは体のハリを和らげようとストレッチを入念に、じっくりと行いました。やはり相当疲れが溜まっていることが自覚できました。 こんなに疲れが溜まったのは、リハビリを始めて以来初めてでした。 結局土曜日はどこにも出掛けずゆっくり休みました。 そして日曜日。体はだんだん疲れがとれてきました。気分の調子は良くはありませんでしたが、少しずつ取り戻しつつあります。何とかなるかな? 日曜日の夕方には心身共疲れが大分とれてきました。思ったよりもリカバリーできているのかな、明日は会社に行けそうかな?そんな状態でした。 そして月曜日。朝起きてまず体のサインはなくなっていました。とりあえず行こう、駄目なら帰ってこよう。こうして出社しました。 会社に着いて、比較的落ち着いた気持ちでした。・・・ところが・・・ 着いて早々、ある社内の営業の人とちょっとしたことで言い合いになりそうになりました。 私の立場上ここは我慢です。我慢、我慢。なんとか大事に至りませんでしたが、私の心の中はまた最悪の状態になってきました。たまたま社長は席を外していましたが、最後の方でちょうど戻ってきました。 社長は「何があったんだ?」と。 私は答えることができず、席を外し、外の空気にあたりに行きました。 私の中では「どうしてこうなるのか?自分が何をしたというのか?」 折角二日かけて調子を戻せたのに、なんでこうついてないんだ、という情けない気持ちで一杯でした。 社長はその営業の人から話を聞いたのでしょう。しばらくして私のところに来て、「よくこらえてくれた。ありがとう。調子はどうだ?」と言いました。 私は、「ちょっと今は話せません。しばらく一人にしてもらえませんか?我慢はしましたが、到底納得はできません。」と答えました。 社長は「分かった。後でもう一度話そう。」と言って自分の仕事に戻りました。 私は悔しさで一杯でしたが、リハビリをさせてもらっている身です。2時間くらい自問自答しました。 ここまで我慢することか?もっとやりあっても良かったのではないか?と最初は納得がいかない気持ちが強く、怒りの気持ちが支配していました。 次に、自分は、つきがない、と自分の運のなさを嘆きました。 もう帰ろうか?駄目なら帰ろうと思ってたし・・・。 しかし、このまま帰れば負け犬だ。こんなレッテルをはられてたまるか、という気持ちになってきました。 そして、ここまでやってこられたのだし、土日の二日間で調子をリカバーできたことを無にしたくないという思いが出てきました。たかがこのくらいのことで尻尾をみせて帰るのは俺のプライドが許さない。 さすがに二時間もすれば、落ち着いてきます。社内に戻り、改めて社長と話し、取り敢えず今日はこのまま最後までいるという旨を話しました。社長からも、無理しないで欲しいことと、営業の人との件はお前の方が正しい、という言葉をもらい、なんとかその日も最後までやり過ごすことができました。 そしてここ数日間はいろいろと試練があったけど、思いのほか回復までの時間は短くなってきていることを自覚し、なんだかんだあっても、回復に向かっていることが気付けたので、充分な成果だ、と考え直し、この後もリハビリを続けることとなりました。・・・次回に続く・・・
2005年10月26日
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私の中では全てが水泡と帰したという無念さで一杯でした。もう全てが限界でした。 友人である社長は、私を別室に呼び、話しを始めました。 社長「どうしたんだ?」 私「もう、何を聞いても理解不能で、かつて倒れる直前の頃の事がフラッシュバックしてきて、もはや何もできない。」 社長「何がわからなくなったの?」 私「社長が次々とこちらが分からない指示をだし、動いても問題ばかり。自分が何をやっているのか分からないまま、振り回されてまた次々と分からない指示で、こちらはもうそのことについていけないんです。」 社長「俺の指示が分からないのなら、何で聞かない?」 私「内容が分からず聞いても、声を荒げるだけでこちらの話しを聞かないから、こちらはどうしようもないです。それにこれまでも指示通りに動いて無事に済んだことがありません。どうしてこう問題ばかり起きるのか?私には理解できません。」 社長「そんなに俺の言うことって分かりにくいか?」 私「分かりません。それに申し訳無いですが、振り回されてばかりで、自分が役に立っているようには思えず、自分の存在意義がないように思います。」 社長「どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ?」 私「これまで何度も言いました。でも、私は全く相手にされていないように、何も改善されていないじゃないですか。こういう経験は、倒れる直前に上の人とかみ合わなかったことと同じで、フラッシュバックしてきました。」 社長「そんなに悩んでいたのか?」 私「これまでは、私に問題があるのかと思っていたので、耐えることがリハビリの一つと思っていました。ですが、良くなるどころか、どんどん自分が追い込まれていって、もはや自分には物事に対処する能力が決定的にかけているのでは?と思っています。」 社長「そんなつもりはなかったのだが・・・」 私「私は、もはや全てに自信がなくなりました。いろいろとお世話になり、本当に感謝しています。こんな自分に機会を頂けたことは千載一遇のチャンスでした。私自身、これがラストチャンスと考え、できる限りのことはしたつもりです。ですが、自分の限界です。」 社長「いや、こちらはお前がいてくれたお陰で、前向きな仕事に集中でき、お前の調子が格段に良くなっていたから、さらに次の段階と思っていたんだが・・・そこまで悩んでいたのか・・・」 私「社長には感謝しています。むしろそれに応えられなかった自分がつくづく嫌になっています。」 社長「いや、こちらはできない前提から考えていたのだけれど、これまで思いのほかできたんで、つい負荷をかけてしまったんだ。お互いどこまで大丈夫なのかが分からなかったのであって、今回は限界を超えてしまっただけだ。」 私「気付かなかった自分が悪いわけであって、社長が悪いわけではありません。」 社長「それは違う。こちらは責任をもってお前が良くなるように配慮しなければいけないのに、それができなかったんだ。」 私「・・・・・・」 社長「今回はここまでで限界を越えてしまっただけで、1ヶ月前ならもっと前の段階で駄目だったと思う。逆に今回は限界でも、数ヶ月先にはもっと先の段階でも大丈夫だと思う。今回はお互いにいい勉強になったじゃないか。」 私「その言葉だけでもう充分です。」私は完全に意欲が喪失していました。 社長「この後の予定は一緒に動こう。とりあえず、今日の予定を最後までやり遂げよう。その後もう一度考えよう。」 こうしてその後の予定は二人で動きました。動いているうちに段々私も冷静さを取り戻してきました。そして、その日は無事に最後まで予定をこなしました。 そして、もう一度社長と話し、今日は疲れが相当溜まっただろうから、明日以降は調子が戻るまで休んでいいということになりました。 私は家に帰り、一日のことを考えました。もう駄目だと思っていましたが、取り敢えず明日ちゃんと出社しよう、行くだけ行って、駄目なら帰ってこよう。こう結論付け、次の日、取り敢えず出社したのでした。・・・次回に続く・・・
2005年10月25日
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5月の中頃から週4日フルタイム勤務、1日を半日だけの予備日という形で、主治医と話し、社長にも報告しました。社長も段々良くなっていく私を見ていてホッとしていたようです。なにしろ、最初は1週間もたないのでは?と思っていたそうなので。 仕事内容については昨日の内容で、さらに増えることはなかったので、時間的には余裕がありました。 そこで社長と同行で営業に行ったり、打ち合わせに行ったりと、移動で体を使うようにして体力の増進も兼ねてみようということで、いろいろと動いていました。 うつの頃に結構太ってしまい、体が動かなかったのですが、リハビリで少しずつ体も動くようになり、体重も少しずつ減りつつありました。 しかし、毎日あちこちと動いていると疲れが出てきます。外はだんだん暑くなる季節で、私は暑がりということもあり、汗がどんどんでてしまいます。 汗をかくというのは、スポーツなどのときはとてもいいのですが、街を移動してというのは、ますます疲れが出てくるように思えます。それに社長はせっかちなので歩くのが早いので、ますます汗が出てしまいます。 何度も社長に「まだ体力がついていかないので、もう少しゆっくり歩いて欲しい。」という旨を話し、社長は「悪い悪い。」と言うものの、その後決まって「俺はいつもサイクリングで鍛えているからな。お前は運動不足なんだよ。」と余計なことまで言います。 当たり前だろ!こっちはうつで動けなかった時期が長いんだから。そう簡単に体力が戻るはずないだろ!と、心の中に秘めるのですが、そう言われると意地でも付いていってやる!という負けん気(?)が出てしまい、結果オーバーペースの動きが続いていきました。 疲れは溜まっていきますが、つい見返してやろう、という気持ちから無理を重ねていきました。 そして、6月上旬のある日・・・・・・ その日も社長と一緒に動いていたのですが、いろいろとやることが重なり、社長の代わりに動くことも指示され、手分けして動いていました。 しかし前にも書きましたが、社長の指示は分かりにくい上に、必ず問題が潜んでいます。その日も動くのはいいけど、やはり問題が発生し、二度手間三度手間の動きが出てきたため、どんどん次の動きの時間が押していきました。 私の心の中では、ちゃんと計画や予測を立てていないから、結果的に全て問題がでてしまう。その度に社長に連絡して指示を仰ぐから、あたふたしてしまう。 そんな状態で訳も分からず動くことになるので、私の頭の中はだんだん疲労で真っ白になってきて、暑さの中、あちこち振り回されることで体力も消耗していました。 ヘロヘロになりながら戻ると、また次の指示がいくつも同時に、しかも早口で分かりづらく出されてきます。もはや私の頭の中はシャットダウン。気力ももはや無し。 それでも社長は構わず分かりづらい指示を出します。こちらのことはお構い無しです。私はかつて倒れる直前の頃の事が頭の中をフラッシュバックしていました。調子が完全に崩れてしまいました。 私は、、、「もうこんな訳の分からない指示はうんざりだ。もう何もできないから、帰ってまたうつの辛い日々に戻るよ。そして医者に行って駄目でしたと報告するわ。」 もう私にはリハビリどころではありません。かつてのうつで倒れた頃のこと、最悪期に布団が出られなかったこと、その後の紆余曲折、全てマイナスのイメージが頭を支配し、「もはやこれまで。もう立ち直れないな。」と漠然と感じていました。 その様子を見た社長は・・・。長くなりましたのでまた後日。・・・次回に続く・・・
2005年10月24日
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週3回をフルタイム勤務にしたところ、疲れの感じ方がきつくなってきました。3時間から5時間勤務に延ばした時は、そんなに疲れ具合の違いを感じなかったのですが、やはりフルタイムには、基礎体力が必要なのですね。 そうは言っても、週3回ですから、残りの2日で調整をはかることにしていたので、少しずつ体力も養われていきました。 この頃、アルバイトの女性が入ってきたので、仕事が少しずつ変っていきました。 当初の仕事だった、仕入と売上の入力はその女性の仕事となりました。請求と買掛のチェックはそのままです。 新たな仕事として、売上をまとめて請求をたてる作業、銀行に行って入出金の作業、というようにお金に関する内容が出てきました。 かつて営業の時は、売上と回収はもちろんでしたが、やはり売上をあげることが一番で、回収はあまり重く考えていませんでした。しかし、会社というのは売上だけではなく、回収して初めて会社の利益が生まれるのです。 かつては仕事が忙しくて回収が遅れることもありました。でも、大きな事とは考えていませんでした。でも、会社の中から見ると、回収の重大性に今更ながら気付きました。かつての自分は猛反省ですね。 また、この頃から社長と一緒に外に出る機会も出てきました。営業活動の同行です。私が営業するのではありませんが、やはり他の人の営業スタイルは気になります。業界は違うのですが、それはそれでリハビリになるかな? 仕事の方は時間と活動量が増えてきました。睡眠は相変わらず入眠に問題ありですが、疲労感も少なくなってきました。 そんなある週、系列の会社で検品と袋詰めの仕事がヤマをむかえるので、手助けが欲しいとのことで、私がその手伝いに行くことになりました。 袋詰めだからそんなに問題ないかな?・・・と思ったらこれが大変でした。 単純作業というのは簡単そうですが、結構根気がいる仕事なんですね。うつになっていなければ感じなかったのでしょうが、その頃はまだそこまで状態は回復していなかったのです。 他の方々は手馴れた手つきでどんどん仕事を進めていきます。私は慣れない手つきで悪戦苦闘です。流れ作業なのでどんどん検品された品物が私のところに溜まっていきます。 これによって、プレッシャーを感じ、焦りながらの作業となりました。そうすると自分の余裕がなくなり、完全にペースが乱れてしまいました。おまけに、単純作業ですから同じ事をひたすらやっています。 無意識のうちに呼吸量があさくなったようで、だんだん気分が悪くなっていきました。でも、全体の作業は当たり前のように続いています。 午前の2時間が経過し、ようやく昼休みとなりました。私は心身ともに疲れ果ててしまいました。こういう単純作業も一種の作業療法みたいなものという話しを聞いたことがありますが、こんなにきついものとは思いもよりませんでした。 昼の食欲もありません。具合が悪かったです。このままでは完全に調子を崩してしまう。帰って休んだ方がいいか? でも、途中で投げ出したくはありません。昼の1時間でどこまで回復するか?おにぎりを1個食べて、あとは椅子に座り込んでいました。途方に暮れていたというのが本音です。 ですが、だんだん落ち着いてきました。さて午後はどう対処しようか?社長も私の顔色が悪くなっているのを確認しました。そこで社長と相談しました。 その作業の午後の手伝いを30分ずらして入ろう。そうすれば3時の休憩まで1時間半で済みます。そして私の担当の作業にもう一人追加してもらいました。 あとは、自分のペースを乱さないようにするにはどうするか? 一心不乱に作業をするのではまた同じことになる。よっていくつか作業をしたら、一度体を反らして深呼吸しよう、こういう対処法で取り組んでみることにしました。 他の仕事をしたことにして、30分遅く作業に再び入りました。作業をして、体を反らし深呼吸、また作業をして、体を反らし深呼吸を繰り返し、3時の休憩に入りました。 今度は大丈夫です。疲れも少なく、調子も問題ありません。作戦は成功です。一度戻り、社長に報告。次は作業が始まり1時間半後に社長から連絡してもらい、仕事が出たので私を戻すようにするという作戦にしました。 こうして午後はなんとか乗り切りました。やはり慣れてきたこともあるのでしょうが、1日ひたすら作業というのは思いのほか気力・体力を使うものですね。改めて感じました。 最初はどうなるかと思いましたが、対処法を考えていければ、なんとかなることが分かったのは、大きな収穫でした。もし、こういう作業をするときはペース配分を考え、自分に無理のないようにするために、どうするか考える。 この作業を通じて感じた教訓です。 そうして5月の中旬を迎えることとなりました。・・・次回に続く・・・
2005年10月23日
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リハビリ出勤を始めてほぼ1ヶ月が経つ頃、主治医とも相談の上で1回3時間から5時間に増やしてもいいのでは、ということで、社長にも報告し、増やすことになりました。 この頃は週3回は友人の会社で、あとの2回はとあるところでパソコンの練習にあてました。実を言うと、これまではパソコンに触れる機会が限られていたので、これを機にExcelの基礎を勉強しておこうと思いました。それも家ではなく外でやることで、一週間の生活のリズムをつかんでいこうといのが狙いです。 こうして平日は外に出て行き、土日は疲れをとるために完全休養日にあてました。 この1ヶ月は特に問題はなく、調子の波も比較的少なかったです。 ところが、1ヶ月経過し、勤務時間も延ばし始めたところ、睡眠に影響が出てきました。これは、リハビリ出勤を始めてから自分の生活リズムを表にしていたので分かってきたことです。(詳細は10/10の日記に書いてありますので、よろしかったら見てください。) 夜11時頃には布団に入るのですが、寝付けません。結局1~2時頃に寝付けるという状態でした。平日の活動は午後からなので、朝はまだ早く起きる必要はないので、9時頃に起きていました。そのため、睡眠時間は7~8時間とれましたが、あまりいいとは言えません。 主治医と相談し、寝付けるようにとマイスリーの5mgを処方されました。最大2錠服用可ということで、これは私が別の睡眠薬で効き過ぎたことからの判断でした。 でも、なるべく服用しないようにしようとするのですが、やはり寝付けず結局服用となりました。ただし、寝付けない時だけにして、なるべく服用しないというスタンスはそのままです。 入眠の問題はありましたが、それ以外には大きな問題はありませんでした。ただ、入眠が良くないので、起床時間がその分ズレています。 仕事の方は、相変わらず社長の指示が分かりにくかったり、指示通りに動いても何らかの問題が発生することが多く、これはもはや私が悪いわけではありません。従って、指示通り動いて何か問題が起きれば、社長に連絡を取って次の指示をあおぐことで対処していきました。 でも、あまりにも問題ばかり発生するので、一度だけ社長に「もっとちゃんと指示をしていただかないと、二度手間、三度手間になり、効率が悪いのでは?」と聞きました。社長も自覚しているのですが、うまくできないようです。これは仕方がありませんね。 この頃から仕事は売上伝票の作成と送り状の作成(ある宅配会社で出荷依頼のときにパソコンで入力して荷物に貼るシールが出てきます。)が増え、後は電話番などの雑用が主でした。 正直、時間が余ります。かつて営業職でしたから、外に出て行くことが多かったため、机にずっと座っているのは苦痛でした。 その反面、いままで事務職を経験したことがなかったので、会社は営業だけでまわるのではなく、事務もあって初めてうまく機能することが分かりました。そういう意味でも今回の経験は、自分の視野が広がっていると思います。 こうしてさらに1ヶ月リハビリをしていて、自分の欠点も自覚してきました。 それは、正面からとらえすぎて融通がきかないことでした。 昔から学校の先生にも言われ、会社に入っても上司から言われていたことですが、改めて実感しました。社長はまだリハビリ中だから仕方がないこと、と見てくれていますが、自分では、これはうつの影響というよりも、自分の欠点ではないかと思っています。(実際この後も随所に出てくるとおもいます。) 入眠の乱れも解消できず、という状態でしたが、それでも5時間勤務のも慣れていきました。もう一つ変ってきたことがあります。それはズボンのベルトの位置が一つつめることができたことです。 うつで倒れてから食欲が落ちずに太る一方でしたが、やはり平日たとえ半日とはいえ通勤もしていますから、基礎代謝が少しずつ上がってきたのでしょう。嬉しい傾向です。この段階で2~3kg減っていました。 そして、主治医と相談して週3日はフルタイムで勤務し、あとの2日は引き続きExcelの勉強を半日にあてるという予定にすることとして、社長にも報告しました。 社長も喜んでくれたのですが、時々社長からみると調子が悪そうに見えることがあるとのこと。自分では特にそういうことはなかったのですが、もしかしたら、自分で調子の波を見落としているのかもしれません。 そこで、社長から見て私が調子が悪そうに見えたら教えて欲しい旨を話し、周りから見える自分とのギャップにも気をつけていくことにしました。 このとき、4月の半ば頃です。ここまでは比較的順調。入眠だけ課題でしたが、週3日のフルタイム勤務にしてからちょっとずつ問題がでてきました。それはまた次回に・・・
2005年10月22日
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友人の会社でリハビリを始めてから3週間程経過しました。 その間週3回、1回3時間の勤務を続け、当初の課題のうち、電話の応対については大分慣れてきました。お客の話すクセなどもほぼつかめてきました。 もう一つの課題である社長の指示に対する対応は、なかなかうまくいきません。一度に二つ三つ同時に別の指示がでると、頭の中が混乱します。おまけに早口なうえにすぐ声を荒げるので、自分の頭の中はすぐにシャットダウンしてしまいます。 これについては、何度も社長と話すのですが、社長のテンポでもあるので、すぐになんとかなるわけでもありません。そこで、私はメモを取るようにして、言ったことを整理すると同時に、社長の指示のテンポを少し遅らせようと努力しました。ですが、社長は「メモなんか取るほどのことではない。」と、完全に社長のペースです。 さて、こういう場合どうしたものか?何度もこちらは指示の理解ができないからゆっくり話して欲しいことをお願いするのですが、、、 このままでは、自分に余計なストレスがかかります。そこで苦肉の策として、 いくつか同時に指示が出て、「メモを取るほどでない。」と言われたら、一つを実行し、それが完了したらもう一度他の指示を仰ぐ、ことにしました。 これを繰り返すと、社長もこちらがメモを取れるようにゆっくり指示を出してきました。何度も時間を置いて同じ指示を出すよりも、こちらにメモを取らせて疑問点をはっきりさせた方が結局早い、と感じたのでしょう。こちらは、それが狙いでした。 今でも早口で言っている意味が分からないときがありますが、社長も自覚しているようです。 本来ならこういうことは社長に対してできないのでしょうが、自分にとっては、リハビリしていく上で今後もこういったケースが出てくるでしょうから、自分が再発しないように自分なりの手を打つことを第一に考えました。 以前でしたらここで我慢して相手に合わせてストレスを感じていたので、正面からぶつかるよりも、うまくこちらのテンポに持ち込んだ方がいいのではないかと思いました。 さて、新たに私がやる仕事の指示が出ました。会社の〆日以降、仕入先からきた請求書をまとめ、こちらの買掛と合っているかを確認する作業です。分からない部分を確認しながらこなしていきます。支払日までは余裕があるということなので慌てる必要はありません。 そして出来上がったのですが、いくつかの仕入先について、パソコンに入っている買掛で不明点が出てきました。社長に相談すると、「会計士が近々来るからその件を打ち合わせしておいて。」とのことです。 私に何ができるのでしょう?社長に聞いても、「いつもそうしている。」との返事。 まあ、会計士といっても、社長の古くからの親友で、私も何度か一緒に飲んだことがあるので、単純にそうなのかと思うだけでした。 そして、会計士が来ました。社長は外に出ており私が対応です。(といっても友人なのでそんなにプレッシャーはありませんでしたが・・・。) 打ち合わせを始めていきました。今回の請求と買掛は問題なかったのですが、それより以前の買掛についての不明点に差し掛かりました。私は単純に会計士に任せればいいと思っていたら・・・ 一つ一つを一緒に潰していく作業に入りました。でも、以前の件は私がリハビリ出勤する前の話しです。私はもちろん分かりませんが、一緒に前の資料をひっくり返していくことになりました。 おいおい、聞いてないよ~。そんなこと自分に聞いたって分かるわけないじゃん。 でも、会計士がやっているので付き合わざるをえません。そうこうする内に、私の勤務時間3時間が経過しました。終わる気配がありません。社長は帰ってきません。 心の中では、社長め~、指示が違うじゃねーかー! こうなれば意地です。過去のこと全部はっきりさせて、疑問点を全部潰してやる! 結局、1時間オーバーとなりました。ほぼ全て解決されました。そのころ社長が帰ってきました。一通り報告し、会計士は一部の宿題をもって帰っていきました。 私は意地になっていたので、終わると疲れがドッと出てすぐには動けませんでした。社長は「なんで途中で終わりにしなかったの?」と涼しい顔です。 カチ~~~ン!!!!!! ちょうど他の社員の方々がいなかったので、「指示と全然違うじゃないか!ババ仕事押し付けやがって!こっちの状態はまだまだそこまで回復していないんだぞ!」 大人げないことは分かっていましたが、そのときは怒りで興奮状態でした。(これは今後大いに反省点でした。) 社長も私の剣幕と状態の悪化を感じてか、「申し訳ない。こうなるとは思わなかった。」と謝罪してくれましたが、私はそのときは収まりがつかず、「いままでの問題の先送りをちゃんと白黒つけといたから、今後は何の問題もないからな。」と。(いや~今まで仕事に関してこんなに激高したことはありません。やはり、うつの症状であるイライラや怒りが出てしまったのでしょう。ここも大反省です。) ちなみに問題というのは、コンピューターの入力ミスとか、買掛を二重に入力したりというもので、金銭そのものに問題があったわけではありません。 社長もこちらの激高ぶりに、大変反省してくれたそうです。(後日談。私もお詫びしました。) この当時は意地になってしまいましたが、そこからの教訓として、自分で抱えずに人に任せる、ということでしょうか。 やはり、自分が全く知らないことは自分で解決はできません。得意な人に任せるのが仕事ではないか、とも思うのですが、違いますかねえ? そんなわけで、続きはまた次回・・・
2005年10月21日
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2月下旬から、友人の会社でリハビリ出勤を始めました。最初は週3回1日3時間からです。 初日、緊張しながら出勤。会社にいる方々に挨拶をすませ、席に座りました。最初の仕事はパソコンで、買掛の入力から。 社長である友人(今後は社長に統一します)から、買掛の入力処理から教わりました。社長は話すのが早いこともあるのでしょうが、言っていることが理解できません。もちろん耳はちゃんと聞こえています。ですが、そこから理解がうまくできません。 正直かなりショックでした。こんなにまで衰えているものなのか?それともまだまだリハビリ出勤ができる状態ではないのか? 社長にゆっくりと話してもらうようにお願いし、ひとつひとつ確認しながら、ようやく指示が分かってきました。 とりあえず、買掛の入力作業をゆっくりと確認しながら、ひとつひとつ入力していきました。 次にショックだったのは、電話での応対でした。何度も聞き直し、それでも分かりません。 イヤー、参ったなあ。これではとても勤まらないかなあ。 自分としては体力面はともかく、頭の方はリハビリしてきたつもりです。でも、全く通用しません。心の中は動揺してます。 いったん落ち着こう。雰囲気に飲まれてしまっている。 外階段の踊り場で煙草を吸い、もう一度考えてみました。 まず、言っていることが理解できないのは、社長が早口な上に意味がわかりづらいから、この辺はもう一度話し合おう。(勝手に人のせいにしてみました)後は、しばらく遠ざかっていたから慣れてくれば大丈夫と言い聞かせました。 もう一つ、電話の応対については、かつて入社した新人の頃、最初はお客の名前が聞き取れなかったけど、だんだん電話の応対ができるようになったことを思い出しました。 そうだ、これはお客の名前に目を通しておいて、あとはお客のクセに慣れていけば大丈夫だろう。 なんとか考え方を変えてみて、そしてお客の名前のリストを探し出して名前に目を通していきました。当然知らない名前ばかりです。でも、目を通しておけば少しずつ応対に余裕が出てくるだろう、そう考えてみました。 そうこうするうちにあっという間に3時間が経ちました。帰りの電車の中で、疲れはドッと出てきました。その日は緊張しました。やはり久しぶりに社会に戻ったというのが嬉しい半面、思いのほか仕事の感覚が鈍っているという不安が入り混じっていました。 次回、大丈夫かなあ?感覚は取り戻せるのかなあ?どうなるんだろう? 私がそう思っている頃、社長は社長で私の状態が思ったよりも悪かったことにショックだったようです。そしてそのときは、内心私が1週間もたないのではないか?とかんじていたようでした。 そんな2月の寒い日が終わろうとしていました。 ・・・次回に続く・・・
2005年10月20日
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どうやってリハビリをするか?次の手を考えているときでした。 学生時代からの付き合いで、私がうつで動けないときもリアルタイムに状況を知っている友人から電話がありました。この友人は小さいながらも会社の社長をやっています。 友人「最近の調子はどう?」 私は、会社にリハビリできないかを相談したが、うまくいかなかったことを話し、これからどうリハビリをしたものかをとある公的機関の方と相談中という話しをしました。すると・・・ 友人「もしよかったら、雑用でもやってみないか?」 私「・・・???」 友人「実は事務をやってくれていた人が体調不良で入院し、急遽辞めてしまったので、もしよかったらどうかと思って電話したんだよ。」と。 私はちょうど手詰まりだったので、正直実にありがたい話しです。ただ、どこまでできるかは全くわかりません。その旨を話したところ、 友人「いや、できる範囲で構わないし、極端な話し、電話番だけでもいいんだよ。」と。 私にとっては、願ってもいない話でした。ですが、果たして大丈夫かどうかが全く自信ありません。ですが、折角の話です。これも幸運なことですから、やれるだけやってみて、ダメならそのとき考えよう、と思い、細かい点を打ち合わせしました。 内容として、1.うつで動けなかった時期が長かったので、体力面で自信がない。2.気分の面でも調子の波があるので、どこまでできるか分からない。3.従って、まずは週3回で1回3時間からスタートさせ、様子を見ながら時間などの延長を検討してもらっていいか、という確認。4.報酬については、自分の会社の服務規程にかかわるので、無報酬とすること。5.仕事内容や仕事量は、相談しながら進めること。 といったところで、友人に機会を与えてくれたことにお礼を言いました。友人も私の状態を心配してくれ、「無理せず辛かったら言ってくれ。」とのことでした。そして2月下旬から、友人の会社でリハビリ出勤の開始となりました。 公的機関の方にもその話しをして、了承していただきましたので、いよいよ社会復帰に向けてリハビリのスタートを切ることとなりました。 友人の会社でのリハビリ中に直面した問題点などについては、次回以降順次お話していきたいと思います。
2005年10月19日
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そろそろ社会復帰に向けてどうしようか?ということを、一度会社に行ってリハビリ出勤制度の有無や、ある公的機関でうつから復職までのリハビリをサポートしてくれる制度があり、そのためには会社の同意が必要とのことでしたので、同意をもらえないか、という相談をしようと思いました。 会社の人事部に連絡し、日時(昨年の冬の頃です)を決定し、サポート制度のパンフレットを前もって郵送しました。 久しぶりにスーツを着ましたが、ズボンのサイズが・・・フォックが閉められません。仕方がないので、ベルトでごまかし、チャックは常に開いていないかを常に注意しながら動かなければなりません。(いやー、太ってしまったなあ) しかも、久しぶりに朝のラッシュです。当然電車は混んでいましたが、なにしろ久しぶりなので、なんか嬉しくなりました。かつては通勤電車は苦痛でしたが、うつでしばらく動けない時期やリハビリの初期の時期を経て、なんとかここまで回復してきたんだなあ、と感慨深いものがありました。といってもまだまだですが・・・。 時間より早く会社に着き、人事部に行きました。実は人事部に行くのは初めてでした。というのも、私の勤める会社は合併をしたりしたためです。 担当の方も初めてお会いします。同じ会社ですが、はじめましての挨拶からです。多少は緊張しました。そういうこともあり、最初は私が会社に入ってからの変遷から話し始めました。 そして、いよいよまずはリハビリ出勤制度があるかどうかを確認しました。予想通り制度はありません。(リハビリ出勤制度がないことは法律違反ではありません。あくまでも任意です。) 私の病気の場合、理想はリハビリ出勤から始めて体力と仕事の感覚を取り戻しながらですが、残念ながら会社としては制度がなく、特例とした場合に問題なのは事故などがあった場合とのことでした。 事故があった場合の問題というのは、休職中である場合、会社に来ていると傷病手当金が出ることに問題が生じ、逆に復職と扱うと、傷病手当金はもちろんでませんが、会社に行けない分は欠勤扱いとなってしまうということです。 まあいずれにせよ、制度がなく、新たに作る予定もないのでこの交渉は成立しませんでした。 次に、ある公的機関の復職支援制度の件を話しました。この制度が使えると、休職中の扱いで傷病手当金はちゃんとでる上に、制度利用中に事故などがあった場合は別の保険で対応できるということです。さらに、会社側に経済的コストの負担がないことも説得できるチャンスです。 問題はその制度では、会社は何か仕事を与えることが必要なため、その点がどうなるかです。 案の定、そこがネックでした。会社側の言い分を聞きました。(内容については公表できませんが) 結局、二つの提案はどちらも残念ながら通りませんでした。今までですとショックで調子を崩しかねない状況ですが、不思議と割り切りができていました。 後は、休職ができる期間と傷病手当金が支給される期間を確認しました。ここでは当初考えていた期間より長く利用できることが分かりました。これはこれで一つプラス材料です。 そんなわけで、一通り交渉と懸念事項の確認ができました。残念ながら思うような成果は挙げられませんでしたが、特に落ち込みはありませんでした。ただ、会社にはちゃんと治った段階でないと戻れませんので、そこをそうするか?という問題が出ました。 今までなら、思うようにいかない場合、イライラ感がでたり、怒りの気持ちがでましたが、今回はその感情よりも、今後どういう形で取り組むかという課題にどうアプローチしようかという前向きな気持ちの方が大きかったです。 そして、公的機関の担当の方に結果報告をし、その担当の方から会社にもう一度交渉をしていただきましたが、結果は変りませんでした。 さて、どうしようか? まずは参加資格が満たせないのですが、それでも何か他に方法はないかどうかを、その担当の方にも検討してもらおうと思い、相談し、考えてもらうこととなりました。 しかし、人間変れば変わるもので、かつてなら絶望感でしたが、そのときは、何か考えてもらおうと人に頼ってみたのですから不思議なものです。少しは図々しくなったのでしょうか。 そしてその後、違う展開が待っていました。その展開とは? それはまた次の機会で。・・・続く・・・
2005年10月18日
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頭のリハビリとして、一つの区切りがつきました。でも、人間は欲が出てきます。 そこで、今度は2級を受けてみよう、次の目標にしよう、ということで新たな目標設定となり、テキストを買いに行きました。そして、勉強を始めてみると・・・。 全然難易度が違います。俄然難しい。・・・? 一旦保留っ・・・ ということで、次の試験まで4ヶ月弱でしたが、勉強は保留としました。さすがに頭はまだそこまで戻っていない・・・と勝手に言い訳して、別のことをやってみよう。 次に、親がネットで株取引を始めていましたので、何気なく見ていました。今まで株に興味をもったことはなく、新聞でも個別銘柄をみることはありませんでした。 しかし、一日の取引で銘柄ごとに上げ下げで刻々と変化しているのですね。当たり前なんでしょうが、そんなことは意識したことがなく、そのような動きを知ることがありませんでした。 株のネット取引が普及したことで、パソコンの画面で一日の動きが刻々と変化していきます。ふ~む。 見ていて面白いな?・・・と思うと見ているだけでは物足りなくなります。どういう銘柄を選ぶのか?試しにある本を買って、自分なりにいくつか候補を選んでみました。・・・といっても当然お金がなければ買えません。 そこで・・・しばらく使わない予定の分を下ろし、そちらの方に投資してみました。最初は買ったら下がりました。う~ん・・・。どうしよう。 しばらくして、上がりましたので売り、利益確定しました。こんなものがあるのかあ。現在でも続けています。ですが、若干損失ですが・・・。 こうなると、いろんな銘柄などを調べるようになります。そして恥かしながら、会社四季報の読み方が全く知らなかったので、そういう本を買って、どこにどんな情報が出ていて、どんなことに注目するのかについて勉強してみました。 こんな感じで、だんだん休職中に興味を持ち、勉強するようになりました。ちなみに学生時代は大嫌いでしたが、不思議なものです。 さて、保留していた方の勉強はどうしたかというと、試験まで2ヶ月となりました。ようやくもう一度テキストを開き、悪戦苦闘し始めました。問題を解くと、引っ掛け問題にことごとく撃沈。やっぱり自分には難しいか? でも、勉強しなければどうにもなりません。テキストをいくら読んでも理解できないところがあります。問題を解いてもどうして間違えたか分かりません。いや~、キツイナ。 幸い調子の波がそこまで悪くありませんでしたので、辛いですが続けました。これもリハビリと思って。もちろん、集中力がないときはサッと別のことをしましたが、その頃には他にプレッシャーになるようなことがありませんでしたので、まあなんとか努力できました。 試験も無事に受験できました。今回は2時間まるまる使いました。5分前に試験官が時間を間違って「解答止め!」と言ってビックリ。時間はまだあるよなあ、あと一問の解答に迷っていたので、あわてて適当にマークしようと思ったら、別の試験官が「あと5分あります。」と。やっぱり。 無事解答を提出し、集中力も切れずにできたのは良かったです。これも大きな収穫でした。 こうやって、うつの最悪期から脱して少しずつ意欲が出てきます。できることから無理せずにやっていけば、リハビリになります。失っていた自信も少しずつ取り戻していけます。一歩一歩前進です。もちろん調子には波がありますので、時には後退もありますが、よほど無理をしなければだんだん波の落ち方が少なくなります。 試験結果は、なんと合格でした。これは大きな自信。休職して時間があったから勉強時間は確保しやすい状況でしたが、調子の波はどうしようもないと思っていましたが、なんとか目標を達成しました。 でも、挫折したものもあります。体力のリハビリにと思って始めていたスポーツジム通いの件は、スタートから4ヶ月で行かなくなってしまいました。・・・残念。・・・全てはうまくいきませんね。 こうして、体力の衰えは解消できませんでしたが、まあ、それなりに良しとしましょう。 そろそろ・・・この続きはまた今度。
2005年10月17日
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実家に戻ってきて、1週間はほとんど睡眠が取れませんでした。1日1~2時間しか眠れません。これまで睡眠障害はありましたが、ここまでではありませんでした。日中はちょくちょく眩暈がありました。これも今までにはありませんでした。 そんな状態でしたが、少しずつ戻ってきました。計算ドリル(10/12日記にて紹介)を再開しました。調子はむしろ良いくらいでしたので、散歩に出てみました。しばらく体を動かしていなかったことが原因でしょうが、非常に体が重くなっています。坂を昇るだけで息が切れます。ショック! これは大変なことになっている。このままではやばい。そう思い、近所のスポーツジムに入会し、体を動かすことにしました。体脂肪計で測ると、体重も体脂肪率もとんでもないことになっています。 こうして、少しでも体を動かし、体力を養成しなければなりません。でも、いくら汗をかいても体重は減りません。(結局4ヶ月で挫折しました) 次に、何かやりたいなあ、と漠然と考えるようになりました。そういう気力が出てきたことは、少しずつ意欲が出てきたかなあと嬉しいと同時に、また気力がなくなったらどうしよう、という思いもありました。 そんなとき、ある人から「頭のリハビリに資格かなにかを勉強してみたら?」と言われました。私は少し考えてから、「かつて営業職だったのですが、その時にトラブルの発生の経緯や対応に疑問をもつことがあり、その辺を勉強してみたいですね。」と答えました。でも、司法試験などはとても無理です。かえって調子を崩す可能性もあります。もっと気軽にできるものは・・・ 結局、ビジネス実務法務検定試験3級にチャレンジしてみようとなりました。一応大学は法学部卒業です。(学生時代は真剣に勉強してませんでしたが・・・) あくまでも頭のリハビリのきっかけとして選びました。 無理しない範囲で勉強を始めますと、学生時代にやっていたことを思い出してきました。これは勉強できるかも、と思い、最初に実施される試験まで2ヶ月弱でしたが、受験料を払って申し込んでみました。無謀かな? 受験できるかどうかは、うつの調子次第ですし、勉強できるかどうかもやはり調子次第です。でも、一つの目標としてやってみよう、駄目でもいいから何か目標をもたないと、何もできず中途半端になってしまいます。 相談に乗っていただいた方に報告すると、ちょっとびっくり!調子を崩すのではないかと心配してました。ですので、あくまでも一つの目標であって、調子が悪ければ受験にこだわらないことを確認し、勉強を続けました。 内容的に大学時代に苦労して単位を取ったおかげで、頭に入ってきます。さらに、営業で実際にあったトラブルが頭に浮かび、その時の自分の対応や上司の方針を思い出しながらでしたので、実際のケースを浮かべながらでしたから幅が出てきました。こんな前向きな気持ちになったのは、いつ以来だろう? 調子も大きく崩さず、勉強も比較的スムーズに進みました。調子を気にしながら、自分と向き合いながら一つのことに取り組む。何ヶ月か前には考えられないことでした。 あっという間に試験日。朝もちゃんと起き、冷静な気持ちで試験会場に着きました。あとは、試験時間2時間集中できるかです。受験も久しぶりです。社会人になってからは、いくつかの資格(といっても国家資格ではありません)は、会社で取りましたが、何年も前です。 試験が始まり、落ち着いて一つ一つ問題を解いていきます。1時間半程で全部解き終わり、見直しも終わりました。さあ、どうしよう。解答用紙を提出して帰ろうか?それともリハビリとして最後までいようか? 結局は、提出して帰りました。余計な考えで解答を変えるとたいてい間違ってます。それに、一つのことができたので、もう充分と思い、出てきました。 そして結果です。無事合格しました。といっても、6~7割が合格するそうなので大したことではありませんが、それでも一つのことができたことがとても嬉しかったです。少しずつ良くなっているかな、と。 そうなると欲が出てきます。・・・続きはまた今度。・・・
2005年10月16日
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・・・1からの続きです。 妻はすぐに救急車を呼んだようです。私は総合病院へ運ばれ、胃洗浄を受けたようです。(記憶にありません)そして一通り検査を受け、異常なしとのことで、一日だけ入院となりました。 その間、妻は自分の両親には連絡を入れたようですが、私の両親には連絡はなく、義理の両親が病院へ着いて、私に確認してから連絡をしたそうです。(もちろん私は記憶がありません)なんか違和感を感じるのは私だけでしょうか? 翌日退院し、私と妻、それから両方の両親とともに、いつも行ってるメンタルクリニックに行きました。私の先生はその日診察日ではないので、もちろんいません。別の先生と話したようです。妻は私を入院させたがっていたようです。でも、私の両親がそれを良しとせず、全責任を負うことを条件に私を引き取ることとなりました。 私は2~3日間は記憶がほとんどなく、ところところしか覚えていません。そして、そこから一週間は全く眠れませんでした。正確には1~2時間くらい浅い眠りはありましたが・・・ そしてそれからしばらくは、別居状態が続きました。 その後、話し合おうという努力をしようと思い、生活していたマンションに行きました。妻は一人で生活していました。 ところが、また大喧嘩になり、私はカッとなり、思わず手を出してしまいました。最低です。まさかそんなことをするなんて・・・。呆然としていました。謝りました。でも、妻は「警察を呼ぶ」とか、「私が頼んだわけでもないのに勝手に来た」とわめいていました。 私は妻が話しをしたいとのことで、それに応じたつもりでしたが、勘違いだったようです。私が勝手にそうしたというのが、向こうの主張でした。 私は自分の気持ちを抑えようと努力しましたが、駄目でした。とても無念でした。涙が止まりませんでした。 それから妻とは会っていません。必要な用事だけはメールで連絡し、それ以外は私からは一切連絡しません。たまに妻からメールがあります。でも、また勘違いはしたくありません。ですから返信は最小限です。電話が掛かってきても取りません。かかってくるのはきまって夜中です。だから出ません。 こんな状態で今に至っております。妻は相変わらず一人で住んでいるようです。働いてもいないようです。家賃は私の口座から引き落としです。でも、今は動けません。私が治ってから話しを再開すべしという意見が多いからです。 そんなわけで、これまでうつになってから一番辛いことでした。今は社会復帰できるようリハビリ中です。そうしないと全ての事が先に進みません。なんでこうなるの?という気持ちはありますが、今は決断ではなく、保留せざるをえません。 いまの状態はちゅうぶらりんで、決していい状態ではありません。でも、リハビリし、社会復帰できるよう努力することが一番重要項目なので、その他は保留です。 こういう保留というのは、気持ちの中でひっかかりがありますが、仕方がありません。 皆さんも何か気持ちにひっかかりがあったり、決断しようとしていることがあるかもしれません。そのことで悩んでいる人もいるでしょう。ですが、答えを先延ばしにすることは、うつが寛解するまでどうしても必要なこともあるんです。 どうか、結論がでないことを焦らないで。今はそれよりもすることがあります。うつの状態を少しずつ良くしていき、寛解させていくことが寛容です。 焦らない。私もいつも口にして自重しています。
2005年10月15日
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今日は私がうつになってから、一番辛かったことを書きたいと思います。もし、感情移入してしまいそうでしたら、今日の日記を読むのを飛ばしてください。それでは。 私がうつと診断され、それでも会社に行きながら治そうと試みましたが、結局はダウン、そのまま休職となりました。 そして、全く動けず布団をかぶっていた段階から、少しずつうつのことを勉強し始めました。ですが、その頃から私の症状で顕著に表れてきたのは、「いらいら・怒り」の感情のコントロールができないことでした。 それは日常生活でも結構出てきました。車の運転で前の車が下手くそだったり、逆に後ろからあおられたりすると、プッツン。。。とてもここでは書けない言葉です。 日常生活でもいらいらが続き、妻と些細なことで大喧嘩となることもしょっちゅうでした。医者に行き、その症状を話して薬を追加(バレリン)しましたが、なかなか効果がでませんでした。 会社は休職しているため、さらに携帯電話の電源は切りっぱなしで、外部との接触を避けていましたが、その分家の中でいらいらしていますから、一緒にいる妻はたまったものではありません。 妻が勤めていればまだ避けられましたが、辞めていて、その後私がうつで倒れていたので、働ける状態ではなかったのですが、私が家に引きこもっていらいらしていては、すぐに大喧嘩になるのは目に見えています。 そこで妻に、経済的な面も含めて、アルバイトでもして外に出る用事を作ってもらおうと提案しましたが、私のことが心配だといいます。私は逆にそれぞれの時間があるほうがいいのでは?と提案しましたが、心配の一点張りでした。 それでは、友人と会ったりして妻は妻の自分の時間をもってもらおうと思い、遊びに出て構わないと伝え、最初はそうしていました。 ところが、それでも大喧嘩が絶えません。私は思うようにいかないことと、妻はうつについて勉強しているのだから少しは対処方がわかっているのでは?という疑問から、いらいらがさらに増えていきました。 そうして、我々夫婦間の会話がいつしか大喧嘩が当たり前になってきました。どちらかが実家に帰り、冷静になった方がいいのでは?と提案しても、妻は聞く耳をもちません。理由は私の両親は世間体ばかり気にして、病気と向き合わないことと、私が実家に寄って帰ってくると顔色が悪くなり、調子を落とすということでした。 しかし、喧嘩はどんどんエスカレートしていきます。妻からは「もうこんな生活はいや!」と喧嘩の度に言われるようになりました。私は別々になったほうがお互いのためでは?と提案しますが、病人だから冷静さが無いということで、聞き入れてもらえません。 ですが、お互い言葉の暴力の応酬となっていました。私のうつはこれでは良くなるどころではありません。そこである時、妻が出掛けているうちに実家に戻りました。置手紙でその旨書いておきました。 私としてはこのままでは共倒れになると、調子が悪い中で考えた末でしたが、妻は「いないうちに出て行くのは卑怯た!」の一点張りです。 2週間程して、私は実家から帰りました。そして、なるべく事を大きくせず、何かあったら多分自分が悪いのだろうから、そのときは早く謝ろうと心掛けました。 その後妻の実家に行って、今回の件を謝りました。なんで病気の私が一方的に誤らなければならないのか?・・・こんな疑問もありましたが、病気ゆえ私の考えが間違っているのかと思い直し、とにかく大事に至らないようにしよう、そのためには自分を抑えなければ、全て病気が災いのもとなのだ、と思うようにしました。 その後も大喧嘩は続きます。妻からは相変わらず「もうこんな生活はいや!」と言われます。私の本心は、ならば別居した方がいいのに、と思いますが、こらえて、謝ります。 そんなことが続いて、私はどんどん追い詰められていきました。もう自分が病気でいることで迷惑がかかるのだから、終わりにすれば皆この苦しみから解放されるから、人助けだな、と訳が分からない論理が私の頭の中で出来上がっていました。 そして、ある時また夫婦で大喧嘩をしました。私はもはや我慢できなくなり、「それなら俺は死ぬから、生命保険が慰謝料代わりだ!」と言いました。すると妻は、「受取人が私になっていないから、その旨残しといて!」とのこと。私は「わかった。じゃあそうするから俺の部屋に入ってくるな!」といって、こもりました。 私はもうどうしようもない自分が嫌になりました。そして、抗うつ剤をはじめ、睡眠薬も全部飲みました。たまたま置いてあった市販の風邪薬も飲んでしまいました。妻が部屋を開けようとします。鍵が付いていないので、開かないよう自分の左手でドアを押さえ、右手では生命保険の受け取りについて、遺書みたいなものを書きました。涙はあふれてきます。 一通り終わったところで私の記憶はなくなります。・・・続く・・・
2005年10月15日
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今回はうつが最も辛く、苦しいときについて書いてみたいと思います。なかなかうつ最悪期のことを書くのは難しく、私も辛い思い出がよみがえってきますが、それでもあえて書いていきたいと思います。うまく書けるか自信はありませんが・・・。 うつになってしまい、最も辛いのは、自分が自分でなくなることです。これまでは自分を抑えることができましたし、逆にやりたいこともできました。それが何もできなくなるのですから、この辛さは例えようがありません。 最悪期もいくつか段階があり、人によってそのうちいくつ該当するかは違いますが、大まかには次のような段階だと思います。1.思考力がゼロに近く、考えがまとまらない。色々頭をよぎるが何もできないため、涙が止まらず、自分が情けなくてどうしようもない。そして、行動も止まり、布団から出られないという状態。2.前の段階から、自分がどうなってしまうのか?生きている意味があるのか?など悲観的な考えばかりが頭の中をグルグルまわっている状態。3.どうして自分がこんな目に遭わなければいけないのか?こんな自分に誰がしたのか?という被害者意識や怒りの気持ちが大きくなる状態。4.2と3が混合とした不安定な状態。5.生きていてもいい事がない、自分が存在する意味がないという絶望感や、未来に対していい事がないという虚無感を持った状態。6.もはや今の自分を認めるしかないかという観念した状態。7.自分の辛さ、苦しさを誰もわかってくれない、という周りの状況について不満を持つ状態。8.いつになったらこのような状態から浮上できるのかという未来への明るい材料が見えない状態。 といったところでしょうか。もちろんこのほかにもいろんな状態があるとは思いますが、大まかでとらえてみました。 さて、最悪期にはとにかく休息が必要といいますが、なかなか気が休まらないというのが当事者の本音だと思います。どうして気が休まらないのでしょうか? それは、いきなり休めと言われても、これまで頭を散々高速回転してきたのですから、考えるなと言っても、考えてしまいます。それでも休養と言われても・・・ いきなり全てを休むことはできません。ですが、時間の経過とともに少しずつクールダウンしていき、それから一度エンジンを止めるように頭の中を空っぽにしましょうと考えてみてはいかがでしょうか?そこまでになるのには人それぞれです。早い遅いはありますが、頭の中が空っぽにすることはできます。不思議なもので、1ヶ月くらいすると、頭の中がクールダウンしてきます。 それから、休養には服薬も大切です。前にも言いましたが、薬は副作用から先にきますので辛いですが、1ヶ月くらいすると効果も出てきます。風邪薬と違って効果は本当に少しずつです。自覚できないのも仕方がありません。 調子が悪くて何もできないのは、心身が限界であるために自動的にストップがかかるのです。もし、このストップがなかったら・・・。突然死の危険性が高まります。心身がストップするのは、命を救うためにはたらくと考えてみませんか。 何もできないのは、何かできては命にかかわるからと思えば、理由として充分納得がいきませんか?だから、心身が動かないのです。でも、この時期の後には必ず動けるようになります。必ず。ですから、一生続くとは思わないで下さい。 そして一番辛いのは希死念慮だと思います。これを防ぐには・・・。 私も一度未遂しました。うつの薬や睡眠薬を全部飲みました。でも、救急車で運ばれ胃洗浄。(これって本当にきついそうですが、私は意識が混濁していて分かりませんでした。)そんなわけで今は元気です。 希死念慮は、自覚しているときと、突発的で自覚していないときとあります。私は突発的でした。そこで一言、自殺は簡単に成功するものではありません。失敗すればもっともっと苦しい後遺症が一生続く可能性があります。 もしそうなったらどうします?それこそ言葉は悪いですが、生き恥です。一生治りません。それに比べたらうつの苦しみは、はるかに良くなる可能性が高いです。だから辛くても死を選択しないで下さい。 私はうつの薬から睡眠薬から全部飲みました。発見が早く救急車で迅速に対応されたので後遺症は全くありません。そのときに言われたのは、「薬では死ねません。それどころか、もっと薬が吸収されていれば肝臓と腎臓の機能に支障をきたし、一生透析が必要だったかもしれませんよ。」ということです。 うつで思い通りにいかない苦しさは確かに例えられません。でも、一生は続きません。ですが、後遺症はもっと苦しいうえに、一生かもしれません。 もし、今、死を考えている人がいましたら、失敗したときの後遺症のことを考えてください。誰の迷惑もかけないというわけにはいきません。でも、生きていれば必ずうつは寛解に向かいます。だから早まらないで下さい。 それからもうひとつ。 最悪期は気力がなかなか充実してきません。でも、焦らないで。それは例えて言うなら、お風呂場の湯船に水を貯めるのに、水の勢いがチョロチョロしか出てきていないからです。水の勢いを良くするには薬の効果です。そして、気力を使うを例えると底の栓が大きくなっている状態です。底の栓が大きいために気力を使うとすぐに水がなくなるように気力がなくなります。 どうですか?分かりますか?だから気力不足になるのは当たり前です。それを防ぐには、栓を細くし、水の勢いが良くなるように調整しなければなりません。その調整が時間がかかるのです。 うつの苦しさ、辛さは一人だけではなく、今社会復帰している人でも経験しています。でも、社会復帰できているということは、寛解しているという証拠です。どうか悲観されず、休息第一にすればその先は明るいものが必ず見えるようになります。それまであと少しの辛抱ですよ。 長くなってしまいましたが、今回は敢えて最悪期について書いてみました。賛否はあるかとは思いますが、必ず最悪期からは脱出できることを言いたかったのです。うまく伝わっていないかもしれませんが、一人でも多くの方が最悪期をうまく乗り切って欲しいと思っております。 それではまた。
2005年10月14日
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私がうつと診断されてから2年以上になります。会社も休職中です。今はリハビリとして友人の会社でボランティア出勤です。(報酬をもらうと服務規程違反になりますので)うつになってからこれまでいろいろなことがありましたが、多くの方々に助けていただきながら現在に至っております。 もちろん、まだまだリハビリ中の身ですから、私自身も調子を崩すこともあります。ですから、辛い、苦しいという経験はこれまでもありましたし、これからもあると思っています。 現在うつの最悪期の方、一進一退の方、少しずつ持ち直しつつある方、復職や普通の日常生活に復帰を目指している方、社会復帰をされた方といらっしゃると思います。 そんななか、偶然私のサイトを見て、少しでも力になれたら、一緒に寛解を目指せたら、或いは力を貸そうという方が一人でも多くいらっしゃったらこれに勝る喜びはありません。 私がここまできたのは、多くの方の助けがあったからこそですが、今度は私が感じたことを何かで実現したいと思いました。それがブログです。 うつで苦しいことはたくさんあります。自信喪失、悶え、怒りや憤り、自分が悪いという自責の念、調子がよくなったかと思うとまた落ちてしまう絶望、家族などに理解されない孤独感、などなど。 そういったことそのものをなくせればいいのですが、残念ながらそれはできません。でも、少なくとも独りで苦しむより、多くの人で共有した方が精神的にいいだけではなく、解決策やヒントを見つけることはできます。 うつで苦しい思いをする原因の一つは、情報の共有や情報の入手だと思います。本を読んでも、うつの原因、症状、そして休養が必要なこと、などはたくさんありますが、今まさにどうすればいいのか?どんなことができるのか?を明確に具体的に書いている本となるとなかなかないのではと思います。 つまり、同じうつで苦しんでいる方と一緒に悩み、勉強してきたことで役に立ちそうな情報などを共有できればいいのではないか、と思っています。 そして、私がブログを始めたのは、私のこれまでの学んできたことや同じ病気の仲間との交流などを通して感じた情報の交換ができればお互い前向きになれるということを、この場でできればという思いからでした。 うつで家に閉じこもっていると、独り孤独という感じになります。でも、うつは独りで闘う病気ではありません。 独りだとどうしても考え方が狭くなりがちです。マイナスの考えがどんどん出てしまいます。それを防ぎ、プラスの考えに変えられたらどんなにいいでしょう。 私のサイトを通して、いろいろな意見が出たり、こんな対処法があるよという話ができれば、前向きになれるのではないかなあ、と思います。そして一人一人が自分なりの対処法を見つけられるといいなあ、とも思います。 いつも私のブログにコメントを下さっている方には、本当に感謝しております。私一人ではできることはわずかです。でも、ご意見や経験談を頂けることで、たまたま見にきた方々にも何か症状に対処するヒントになればいいのでは、と考えております。 そんなわけで、これからも皆さんと一緒にうつの対処法を考えていければと思っております。 今日はいつもとちょっと違う話しでしたが、最近少しずつ私がやりたかったことができ始めているかなあという気持ちと、もっと皆で考えていきたいという思いからでした。次はまた戻します。
2005年10月13日
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調子が本当に悪いときは、ただ寝るしかありませんが、そこから少し良くなったけど、何かしたい気がするけど、したいことは・・・思い浮かばない。 そんな時にお勧めしたいのが、脳を鍛える大人の計算ドリルと音読ドリルです。(上に出してみました) うつで寝込んでいるときは、ひたすら休養することが大切ですが、そこから少しずつ良くなると何かしようかなと思うものです。でも、特に何かするまでは思い浮かばないことも多いかと思います。 私もそうでした。今までは仕事ばかりの毎日でした。うつで倒れてからは医者以外ではどこにも出たくなくて寝込むばかりでした。そこからわずかばかりの意欲が出てきましたが、動くとすぐに気力がガス欠になるのでさてどうしよう?そんなときでした。 うつになるといろいろな症状がでます。その中で集中力の欠如も顕著にでます。そして、リハビリの初めの段階で取り組んだほうがいいと言われているのが集中力を少しずつ取り戻すことであり、かつ少しずつ取り組める内容として、上記脳を鍛える大人の計算ドリル、音読ドリルがお勧めです。前にベストセラーになっていましたのでご存知の方もいらっしゃるでしょう。 私はそのなかで計算ドリルに取り組みました。(もちろん好みで音読ドリルに取り組んでもいいのですよ。私は計算の方が取り組みやすかったので)このドリルは2ページで1日分、それが60日分あります。途中で何度もその他のトレーニングもあります。 このドリルは、1日あたり2~3分だけ集中して取り組みます。内容は一桁数字の足し算・引き算(たしかパート2は掛け算もあったと思います)を解きます。内容は小学1~2年生レベルですので誰でも取り組めます。 この2~3分を集中して取り組むことが大切だそうです。人間の脳は使わないと衰えていきます。そして使えば使うほど冴えてくるそうですが、その中でも簡単な計算を早く解くことと音読が一番脳のなかの使う部分が多いそうです。 うつでダウンしているときには脳を使おうという気もなくなりますが、少し良くなると何かしよう(しなければ)と思うので、その第一歩としてとてもいい教材です。・・・誰ですか?そんな簡単なことなんてやってもしょうがないという人は?・・・実は私もそう思っていました。 ところが、第1日目を解いてみると・・・3分以上かかりました。正直がっかりでした。このドリルの当面の目標は2分だそうです。私は計算は得意な方だったので、この結果はショックでした。 でも、ここでまた寝込んでは意味がありません。そのためにお勧めしたのではありません。気を取り直して次の日にやると2分をわずかに切ることができました。ホッ。 つまり、集中力が相当鈍っていたのです。そのため、最初はとても時間がかかったのだと勝手に言い訳?しますが、1日に2~3分だけ集中することがリハビリにとても大切な要素だそうです。 それならなんとかできそうではありませんか? うつの最悪期から少し脱したかなという段階から始められます。1日にわずか数分です。もちろん調子が最悪なら無理してやることもありません。これをやることで計算の時間が短縮し、集中力を養うリハビリになるならいいと思いませんか? あくまでも私個人の考えですからこの教材でなければいけないわけではありません。リハビリの取っ掛かりとして効果があるといわれていますので、一つの方法としてご参考になれば幸いです。 もし、リハビリをどうしようかと考えていらっしゃいましたら、よろしかったら試してみてください。 最後に、以前お勧めしました本を、私のサイトを通じてどなたか分かりませんがお買い上げいただいたようです。ありがとうございました。 というわけでまた。
2005年10月12日
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前回まで自分の調子を記録しましょうという話をさせていただきましたが、折角なので私の最近の調子を書きたいと思います。 先週から天気が悪かったので、調子はいまひとつでしたが、先週はそれでもまあまあでした。ただ、昼間に眠気が襲ってきました。これが辛かったです。 そして、三連休ですが、9日10日と完全休養日にあてました。身体は充分休めたと思っていましたが、9日の夜は全く眠れず、マイスリーを服用、それでも駄目で、結局明け方に眠るという状況でした。 10日の朝からは、私が調子を崩す前兆として身体に表れる、背中のハリが出てきました。 その場合、私はゆっくりとストレッチを何度もおこない、ハリをやわらげると同時に、深呼吸をします。そうしてリラックスを心がけます。さあ、どこまで効果があるか・・・ 10日の夜も寝つきが悪く、AM2時頃入眠、11日の朝は、8時まで起きられませんでした。起きても身体が重く、調子はあまりよくありません。休もうか?・・・とも思いましたが、行くだけ行って駄目なら早退しようと思い直し、友人の会社へ。 着いたのはいいのですが、眠気が・・・。何かしていないと駄目だ。午前中は友人(社長)と一緒に車で外出。荷物運びをやることでやり過ごす。 午後はどうしよう。眠気は続いています。そこでまた社長と外出、今度は電車で動く。荷物も持っているため体力的に少しへばる。 まあ、なんとか一日を乗り切りましたが、疲労度は60くらい。普段週の初めは疲労度35~40くらいなので、ちょっと無理したか。 明日以降正直不安な面もあります。ですが、あまり考えても仕方がないので、自分の体調と相談しながら乗り切っていきたいと考えています。 入眠の件も、日中身体を動かしていると自然になんとかなるかなあ、とあまり神経質にならないように心がけています。 気分指数は50。これは私の場合は普通の状態。数字が低いとうつ、高いとテンションが高ぶる、という基準です。 どうですか?実は私もこのように調子の良し悪しは日々あるのです。安定しないこともありますし、いらいらも出ます。でも、自分なりに記録を付け続けていると、なんとなく前にも似たような状況があったりします。そんなときは、前と較べて今の自分がどのくらい対処できるようになっているかを見ようとします。・・・でも、自分ではなかなか分からないですけど・・・ そんなわけで、今の状態は決してよくありませんが、どうやり過ごすかが今週の私の課題です。 今日は疲れたのでもう寝ることとします。おやすみなさい。
2005年10月11日
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今回は調子が少しずつ良くなり、生活リズムを整えようとか、社会復帰にむけてリハビリを始めようという段階になってからの記録を付けることについてです。ですから、まだ睡眠がぜんぜんうまくいっていないとか、気分がまだまだ落ち込んでいる場合は、前回(10/9)の日記の方を参考にしてください。 前回と今回の違いは一日の時間軸を入れるかどうかです。前回は時間よりも自分の状態をモニタリングすることに重点をおき、その中から良くなっていくことに気付くということが一番の目標でした。今回は時間軸を考慮することにより、生活リズムを意識していくことに重点をおきます。 今回は一ヶ月単位で、一日24時間の表を作ります。イメージとしては、ビジネス手帳などで一日の予定を時間軸で入れられるタイプのものを思い浮かべると分かりやすいと思います。私はエクセルで作ってみました。 そして、一日の中で何時から何時まで睡眠時間に当てられたか、外出(散歩や買い物、リハビリ出勤など)時間は何時から何時までか、を棒グラフにしてみます。そうすることで一日の生活リズムを意識していきます。 それから、睡眠時間数を記入します。外出時間の棒グラフには用件を書き、その前と後で疲労度を数値化して入れます。 例えば私の場合は、ある日夜11時に寝始め次の日の朝7時に起きた日は睡眠時間は8時間です。よって睡眠時間数は8です。 友人の会社でリハビリしているので、外出は朝8時で帰宅は夜7時半ですので、外出時間の棒グラフを朝8時から夜7時半まで引っ張ります。そのうち勤務時間朝9時から夜6時半とすると、朝9時に線を引き、夜6時半にも線を引き、その間の時間に仕事と書きます。その線に疲労度を数値化します。例えば0~100で朝9時のスタート段階で10くらいの疲労なら10と入れます。同じように夜6時半の仕事終了段階で疲労度を60くらいなら60と入れます。 後は気分指数を数値化して記入(例えば朝50、昼35、夜45、100点満点)し、後は備考欄を設けて何か出来事があれば記入します。 文章にすると難しそうですが、表にする場合、例えば横軸に日にちをいれて縦軸の半分で24時間に区切り、睡眠と外出時間を蛍光ペンで棒グラフに塗って、外出時間の始めと終わりに疲労度をいれる。残りの半分のスペースに睡眠時間数と気分指数を数字で入れ、備考欄を設けて出来事なり変化があれば記入する。 イメージわきましたでしょうか? この表を作ることで、睡眠のバラツキを確認し、外出によって疲れ具合を確認する。気分はどうか、何か嫌なことがあって調子を崩しかけたか、といったことが一目で分かるようにしました。 こうすると、自分の疲れ具合と睡眠時間の関係や入眠の乱れの状況がすぐに分かります。そこから、負荷をどのくらいかけてみるかとか、逆に調子を整えるために休養を早めにとろうとかの分析ができ、その蓄積で自分がどのくらいまで日常生活が普通にできるようになっているかを確認できます。 例えば私の場合 友人の会社でリハビリを最初は週3回で一回3時間から始め、それを5時間に延ばしていったときに、スタートから1ヵ月後くらいから入眠がうまくいかなくなりました。対応策を考えてもなかなかうまくいきません。でも、疲労度はだんだん慣れてきたのか数値が下がる(疲労度が少ない)し、気分指数も問題ないから次のステップに進めようと決断し、平日5時間勤務にしましたが、入眠リズムはうまくいかないものの、他には影響しませんでした。 次に問題になったのは、週3日をフルタイムにして残り2日は半日にしたときでした。このときに問題になったのは、疲労度の数値の増加でした。やはり、体力が少しずつ戻っていると思ってもまだフルタイムまでだと疲れるな。 そのため、しばらくはそのまま続け、少しずつ疲労が少なくなりました。そうして、様子を見たり主治医と表を見ながら話すことで、調子を把握しながら負荷をかけていくことに役立ちました。 そうして最近週5日のフルタイム勤務でリハビリ中です。 このようなかたちで私は利用しています。もちろん、やり方は人それぞれですので、やりやすい方法で全く問題ないと思います。前回につきましてももっとシンプルでやりやすい方法や、自分が注意していることに重点をおいて記録するとかの方法を教えていただきました。どの方法も参考になりますので、興味がありましたら昨日の日記のコメント欄をご覧ください。 もし、こういう方法があるのかと思いましたら、お試し下さい。 というわけでまた。 ・・・次回に続く・・・
2005年10月10日
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調子が悪い時って「いつまで続くの?」「このまま良くならないのか?」って思いますよね。でも、自分の調子を客観的にみることができるようになれれば・・・ずいぶん気持ちが楽になると思いませんか?今回はその点について書きたいと思います。 調子が悪くなると、マイナスの考えばかりがどんどん膨らみ、とても客観的にみることはできない、、、と思います。私もそうでした。でも、調子が悪くなる前兆となる出来事や気持ちのブレというものは、その人なりのパターンというものがあります。 調子の悪化のパターンをつかめるようになれば、おのずと対処しようという考えが出てきます。そのためには、自分の感覚以外にもう一つ客観的なデータがあればいいわけです。 それではそのデータとは? それは自分の生活やうつの症状を記録することです。 私の場合、うつ状態の段階によって、2パターンの記録を作りました。そのうちの1つは、社会復帰へのリハビリ段階から現在もつけています。 もちろん、どういうやり方がいいかは、人それぞれです。表を作って記入やマークをする方法もありますし、ノートや手帳に書き込む方法もあります。まさにブログを利用するという手もあります。ですので、自分がやりやすい方法でいいのです。 では、どんなことを記録するのか? 今日は調子が悪いときが多かった頃につけていた記録について書きたいと思います。 まず、1ヶ月単位で一日ずつ日付を入れ、睡眠時間、食事の回数をまず記入します。そして気分の良し悪しを例えば100点満点での数字でもいいですし、5段階評価でもいいですから自分が決めた数字を記入します。 そして、どういった症状があったか。例えば抑うつ、意欲低下、いらいら、疲労感、頭痛・腰痛などの痛み、眩暈や立ちくらみ、便秘や下痢、などの自分の調子が悪い症状としてどういったものがあるかを記入やチェックを入れます。 備考欄などを設け、何か悪くなるきっかけがあれば記入するなど何か思うことを記入します。 これをすることで、調子が悪くなったときにどんな症状が出るのか、或いはいくつかの組み合わせで出てくるのか、ということを後で確認できるようにしておきます。睡眠時間は何時間寝られているのかを、食事は何回摂れたかを後で確認できるようにするためです。 こういった記録をとり、後で内容を確認できるようにしておくことで、自分がどういう症状が出やすいのか、睡眠時間がどのくらいで、食欲はどうかとチェックしていき、それらを何ヶ月か続けていくことで、自分の調子が悪くなる傾向が分かってくるようになります。 例えば私の場合、睡眠時間が多かったり少なかったりする割合が2~3日ずつ交互にやってきたり、いらいらが強く集中力の欠如が多く、下痢が一週間のうち4~5日ありました。それから時々物忘れもありました。逆に食事量は増え体重の増加がありました。 つまり、自分の傾向を何ヶ月かかけて大まかにつかんでいくことが大切だと思います。短期間では分かりませんが期間が経つうちにだんだん分かるようになります。ですので、焦っても意味がありません。 もちろん、調子がどうしようもなく悪いときは記入すらできません。それなら後で埋めてもいいですし、空欄のままでもいいと思います。空欄だと相当悪かったという目安にもなりますのでそれはそれでいいと思います。ですからちゃんと付けなければとプレッシャーをかけなくていいのです。 調子が悪いときはとても辛いです。でもその辛い時はどういうときなのかを知ることで、少しずつじぶんのうつの症状を知り、対処する方法を探すチャンスでもあります。 もし、調子が悪くて不安感や絶望感が浮かんでいましたら、試しにどんな症状や思いかを記録できたらしてみてください。後で必ず役に立ちます。 今回の場合は、まだ調子が一定せず、波が大きいときにつけてみると良いかと思います。その頃は一日の生活のリズムも乱れがちかとは思いますが、まだ休養が一番必要なときなので、無理に生活リズムを直そうせず、とにかく休むことを第一とし、記録が付けられそうなら付けてみるという程度で充分です。 次回は、調子が戻ってきてから社会復帰に向けてリハビリを始める段階からの記録について書きたいと思います。 それから、前回の書き込みの後、たくさんのメッセージを頂きありがとうございました。皆さんの経験談や対処法についてもとても勉強になりました。いろいろな方のご意見などを伺うことで、今悩んでおられる方に少しでもなにか参考になっていただけたら幸いです。メッセージをくださった皆様には本当に貴重なご意見を頂き、ありがとうございました。 また、辛い、苦しいという気持ちのときは孤独感でいっぱいです。しかし、その思いは独りではありません。うつを経験している人は皆同じように辛く、苦しい時を過ごしています。独りきりと思わないで下さい。 それではまた。 ・・・次回に続く・・・
2005年10月09日
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うつの苦しさを分かってもらえない、理解を示してもらえない、という思いは、私達うつになっている者として思うことってありませんか? 今回はどちらかというとうつ当事者の周りにいるご家族に向けたメッセージを発してみたいと思います。もし、自分でうまく言えない、言っても理解してもらえない、とお感じになられ、今回のメッセージに共感していただけたら、ご家族にも読んでもらえればと思います。 「うつ」という病気は6~7人に1人が一生の内で一回はかかるといわれております。ですから、珍しいことではありません。 うつは、本人が頑張って頑張って頑張って・・・さらに頑張りすぎたり、高いストレスの期間が長くなっていくことで発病します。真面目で気遣いができ、自分に厳しくという方に多いといわれています。 また、転勤、引越、栄転、結婚、出産、離婚などのライフイベントがあると、うつの可能性が高くなるとも言われています。 ですから、「うつ」というのは、怠け病でもなければ気が弱いでもなく、頑張りすぎたからなってしまうのです。 体の病気と違い、見た目には大きな変化に気付きにくく、本人の苦しさ、辛さが分かりません。だから、寝込んでいると怠けているとか気合が足りないと映るのでしょうが、そうではなく、起き上がれないのです。 うつになると、睡眠障害、食欲不振、眩暈などの症状だけでなく、無気力、無表情、無感情になります。頭の中では、これから自分がどうなってしまうのか?このままでは生きていても意味がないんじゃないか?といったマイナス思考がどんどん膨れ上がってしまいます。本人にとってはこのうえなく辛いのです。苦しいのです。どうにもならないのです。 本人にとってさらに辛いのは、この辛い時に家族などに頼りたいのに、家族に理解されず、怠け者のレッテルを貼られてしまうことです。 本人は好きで寝込んでいるのではありません。好きで無気力になっているのではありません。本人が一番思うようにならないことに苛立ちをおぼえているのです。 ですから、以下のような言葉は言わないで下さい。 頑張れ! これは本人からするとこれ以上何を頑張れというのかという絶望的な気持ちになります。 気を強く持て! 病は気からと言うだろ! うつは気力が空っぽの状態です。こんな精神論は何の役にも立たず、追い詰めるだけです。 これからどうするんだ! それが分かれば苦労しません。本人が一番悩んでいるのです。 お前だけが苦しいんじゃない! 本人は絶望のどん底です。言われると更に絶望で苦しみます。 いつまで寝てんだ!だらしない! これは堕落して起きないのではなく、病気で起きられないのです。うつは朝に弱いのです。それに、睡眠薬や抗うつ剤の影響が出ている場合もあります。本人も起きようと努力していますが、意識が朦朧としているため、起きられないのです。 みっともなくて恥ずかしい! 家族が大事なのですか?それとも世間体の方が大事なのですか? その他にもたくさんの言葉がありますが、こういう激励?みたいな言葉は本人を更に追い詰めます。最悪の場合、自殺もありうるのです。本人を死に追いやっていいのですか? これらの精神論に近い言葉は、例えると、糖尿病患者にどんどん好きなものを食べろとか、肺がん患者にタバコ吸いなよと言っているようなものです。 うつの症状の中で一番怖いのは希死念慮というものです。なんとなくそういう気持ちになることもありますが、発作的に実行してしまうこともあるのです。 私も一度だけ自殺未遂をしました。家族との喧嘩が絶えず、もうどうにもならない、自分が生きていることは他人に迷惑をかけているのだいう気持ちから、発作的に実行してしまいました。運よく命ばかりでなく、後遺症もありませんでしたが、一つ間違えれば大変なことになっていたと感じております。 自分の家族は大丈夫だと思っていませんか?私も自分が実行するとは夢にも思いませんでした。絶対ないとは言えません。ですから、精神論的な言葉を本人にかけないで下さい。 では、どうすればいいのか? 「あたたかな無関心」 これは、本人を決して追い込まないことから始まります。何度も申し上げますが、本人は好んでうつになったのではありません。人一倍頑張りすぎたために気力が欠乏してしまったのです。言いたいことはあるでしょうが、今は我慢してあげてください。 そして、本人がどうしようもなくなって話しかけてきたら、じっくり聞いてあげて下さい。決断に関することは先延ばしにするように言ってあげてください。話を聞いてくれるだけで、本人は救われるのです。 かといって、過保護にする必要はありませんし、生活を変える必要もありません。生活はそのままです。でないと、本人だけでなく、ご家族まで倒れてしまいます。 精神論や激励はタブーです。 難しいことをする必要はありません。本人の味方になってあげてください。「うつ」は休養と薬の服用で少しずつ気力が回復していきます。でも、一度気力を使うとあっという間にまた空っぽになってしまいます。どうか本人に対してあたたかな無関心で接してあげてください。 いろいろと生意気なことを書いてきましたが、本人にとって周りが理解してくれているかどうかは大きな違いなのです。寛解までの時間にも影響します。少しでも早く寛解していきたいと思うからこその発言です。非礼な点がありましたら、この場でお詫び申し上げます。 その他、これでは足りない。これも言って欲しいことがありましたら、メッセージを頂ければと思います。・・・次回に続く・・・
2005年10月07日
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お医者さんに行って薬を飲んでいるのに、なんか効いていないような・・・、自分の担当の医者は大丈夫なのかな?なんて思ったことありませんか?今日はこの辺について書いてみたいと思います。 お医者さんに疑問を持つことって、結構多いのではないでしょうか?では、どんな疑問が出てくるのか?どう対応しようか?ということをケース別に考えてみたいと思います。1.なんか自分とお医者さんとの間に合わないものを感じた場合 これは一般の場合もある話ですね。なんか合わないと。この場合は、人間関係で合わない人っていますよね。それと同じだと思います。私も営業職でしたが、合わない人って必ずいますし、その場合は相手も同じように感じるようです。それなら、お互いにとってプラスなのは、会わないこと。つまり、お医者さんを代えるのが一番でしょう。これは悪いことでもありませんし、お医者さんを否定するのでもありません。単に肌が合わないだけですから、自分に納得できるように動くのが当然です。2.お医者さんとの面談時間が短いけど大丈夫かな?という場合 この場合はお医者さんの都合もあるのは事実です。たくさんの人を診察しなければいけない、という事情もあります。そのため、自分がどのような状況だったかを報告するわけですが、特に大きな変動がなければ必然的に時間も短く済んでしまいます。ですから必ずしも悪いわけではありません。 もし大きな変化がありにも関わらず、話を聞いてくれないのなら、お医者さんを代えるのも仕方がないでしょう。 ただし、その場合一つだけ我々側のエゴでないかを検討しましょう。 それは、私たちが医者に診察に行くのであって、カウンセリングを受けに行くのではないということです。 医者に行くのは、自分の症状の変化を話し、そこから薬を処方されて服用し、また次の機会に自分の症状を話して確認することの連続です。 それに対して、カウンセリングを受けるというのは、自分に大きな問題を抱え、どうすればいいか分からないといった時にカウンセラーの方と問題の見方や考え方をアドバイスを受けながら探していくのです。 医者の仕事とカウンセラーの仕事は違います。私たちは医者にカウンセラーの仕事を求めてしまいがちではないでしょうか?それを理由に医者を代えるのは良くないと思います。ここだけは誤解なくしたいものです。3.お医者さんが「うつ」のことちゃんと分かっているか?という場合 これは、精神科や心療内科の先生が皆「うつ」について詳しいとは限りません。先生によって「うつ」に詳しい方もいれば、統合失調症に詳しい方もいます。性同一性障害が詳しかったり、その他たくさんありますので、先生によっては「うつ」に精通していないこともありえます。ですので、その場合は代えるのがいいでしょう。4.お医者さんから一方的な事を言われる、又は遠慮がちで頼りないという場合 こういうことも結構あると思います。これは、医者と患者の年齢差によることも一因ではないでしょうか?医者の方が年齢が上の場合はこれまでの経験で判断されてしまい、年齢が下の患者は納得しないが、仕方なく従うということでしょう。 反対に医者の年齢が下で、患者の年齢が上の場合は患者側からすると「お前に何が分かる」という考えになりがちです。また、医者も経験がまだそこまででないため遠慮することもあるでしょう。 医者と患者の年齢差はプラスマイナス10才までが双方にとって一番良いとされています。ですからもし、こういうケースで代えるなら、年齢差も考えてみてください。5.このお医者さんの診察や薬の処方が正しいのだろうか?という場合 こういう疑問はおそらく皆さん一度は思ったのではありませんか?実は私も思ったことがあります。 この場合はセカンドオピニオンです。つまり、別のお医者さんにも診察を受けてみてどうするかを考えます。 これはお医者さんからすると嫌がりますが、私達が疑問に思えばそれを確かめて疑問を解決しておいたほうが後々良い結果に結びつくのではないでしょうか? 私の場合、初診から3ヶ月程経った頃、なかなか効かないように思えて、ある大きな専門病院を探して診察を受けに行きました。その時に専門病院の先生に、はっきりと今受けている治療が理にかなっているかを質問しました。そうしてこれまでの経緯から処方されている薬の種類、診察の時間や内容を細かく質問されました。その結果・・・ 専門病院の先生は、一から細かく説明をしていただき、診察の内容から薬の処方まで説明され、結果として非常に理にかなっていると確認できました。その先生が診察した場合、同じ方針を採るとのことでした。 このようにしっかり説明を受けると安心します。以後私は一筋で元のメンタルクリニックに通っています。 疑問は解決したほうが納得します。よく、医者は上、患者は下と考えがちですが、遠慮することはないと思います。私たちに大切なのは、ちゃんと診察してもらい、薬を処方してもらい、それを守って寛解に向かうことです。 お医者さんに遠慮することはありません。ただし、お門違いの要求はいけません。お医者さんとの信頼関係が築ければ私達にとっても大きなプラスです。 ちなみに、お医者さんを否定したわけでもありませんし、礼賛したわけでもありません。ただただ、寛解に向かうのに最も重要なことと思えばこその発言ですので、ご了承下さい。 今日は長くなってしまいました。あまり長くならないよう心掛けてきましたが、今日はお許し下さい。少しでもお役に立てれば幸いです。 それではまた。・・・次回に続く・・・
2005年10月06日
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薬を飲むのは嫌だ、薬に頼りたくない、いつ減らせるか、止められるか。こんな悩みは皆さん一度は考えたことがあると思います。 今日は薬の服用について私なりの意見にお付き合い下さい。 「うつ」で薬の服用をしていてまず辛いのは、副作用だと思います。眩暈、立ちくらみ、眠気、便秘、口の渇き、などなど副作用はたくさんあり、いくつもの症状が出てしまいます。 「うつ」で服用する薬は、まず副作用から出ておおむね2週間が辛い時です。効果が出てくるのは1ヶ月過ぎたあたりから徐々に出てきますが、少しずつなので分かりにくいですね。 「うつ」で服用する薬は風邪薬とは全く違います。効果がすぐに出てきません。そのくせ副作用はすぐに出てくる。ちょっと納得できません。 副作用が耐えられないほどなら、お医者さんと相談して別の薬をお願いしましょう。薬は一種類だけでありません。私もある薬が全く合わず、便秘がひどかったので、すぐ別の薬に代えてもらいました。 薬の効果は、なかなか実感できませんが長い目でみるとやはり効果を実感します。 よく、ある人が「うつ」で薬を飲んでいたけど全く効かない。そこで薬の服用を止めたら治った、という話を聞いたことありませんか? これって結構聞く話です。ではこの対処は正しいでしょうか? こういうケースで治るというのは、医者が診断ミスをしていて、そもそもうつではなかったと考えるのが自然だと思います。または処方された薬と相性が悪かったか。 薬の服用を自分で止めるというのは、避けたいものです。なぜなら、薬の服用を止めて最初は調子がいいことが多いでしょう。でも、それは副作用がなくなっただけです。 「うつ」の薬は、服用を止めてもすぐに調子に影響はしません。それは、服用を止めても体内にまだ残っているためです。体内からなくなるのは約8週間といわれています。したがって、薬の服用を止めて2ヵ月後くらいに「うつ」がぶり返す可能性が一気に高まります。 薬を止め、ぶり返し、あわててまた飲み始める。でも、効果が出てくるのは1ヵ月後です。それまでの間、「うつ」のぶり返しと副作用に悩まされることとなります。 「うつ」に理解のない人程、「薬なんて止めちゃいなよ。」なんてことを当事者に平気で言うものです。でもぶり返しても責任は取ってくれません。 薬の服用を迷われたら、お医者さんと相談しながら減らす方向で考えましょう。決して独断や周りの意見で勝手に服用を止めませんように。 薬を早く減らしたい、止めたいというのは皆思います。でも、状態は常に一進一退です。ちょっと良くなったからといってすぐに減らすのは気をつけたほうが良いと思います。 私はここしばらく、比較的安定し、調子を崩しても早く立ち直ることができていると思っていますが、減薬はしていません。それは、現在リハビリで負荷を少しずつかけており、調子を崩すリスクがあるからです。普通に負荷をかけても大丈夫な状態になってから減薬をしようとお医者さんと話しています。その方がリスクが少ないと思うからです。 薬を服用していると、どうしても飲まなくて良い状態にしたいのは誰でも同じ。でも、あわてて失敗しては元も子もありません。 私は「うつ」になってからこれまでの中で「急がばまわれ」ということに気を付けています。それは、一直線に良くなると何度も挑戦し、全てうまくいかなかったからです。そうすると、またスタートラインに立つまで時間がさらに必要となります。結果的に時間が掛かってしまいます。 「うつ」というのは、私の場合焦りとの闘いです。そして焦りが強いと反動で調子を崩します。ですから、「急がばまわれ」と言い聞かせています。・・・でも、それでも焦ってしまいますが・・・(笑) それでも、薬を飲んでいる姿を人に見せたくない、眠気で昼間辛い、という気持ちの人も多いですよね。 それなら、お医者さんと服用する時間帯について相談しませんか。 私も朝服用すると昼過ぎにものすごい眠気に襲われていました。そこでお医者さんに相談したら、「朝の分を昼に飲んでもいいですよ。」とのお答えを頂き、昼に変えてみたら・・・眠気が夜にズレていきました。 抗うつ薬の場合は、一日で飲める量があり、時間はそこまでシビアに考えなくても良い場合もあるようです。 抗不安薬の場合は、不安になりかけたときでも良いということもあるそうです。(私はいつもちゃんと飲んでいますが) つまり、症状や副作用によっては、薬を代えるだけでなく、服用する時間をずらしてみることで、生活のリズムが作れる場合があるので、もし、お医者さんの了解をもらえれば、試してみてはいかがでしょうか? 薬をいつまでも飲んでいたくないという気持ちは私も同じです。でも、しっかりと寛解していきたいので、薬はお医者さんからもう大丈夫と言われるまでは、ちゃんと飲み続けるつもりです。 皆様もあわてずにゆっくりと「うつ」と向き合い、寛解を目指しましょう。 そんなわけでまた後日。・・・次回に続く・・・
2005年10月05日
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今回は、「うつ」の状態がどうして悪くなるのかについてと悪くなった時どう考えてみるかについて考えてみたいと思います。 まずは、「うつ」の状態がどうして悪くなるのかについて。 「うつ」の状態は一進一退、少し良くなったかなあと思うと、調子が悪くなる。ああ、また調子が悪くなったと自分がいやになってしまう。悪い状態を経験し、その苦しさを経験しているからこそ悪い自分に絶望する。 こんな思いをするのは自分だけではありません。うつになった人は皆こういう思いを経験しています。もし、今あなたがこの思いをしているなら、、、ちょっと別の見方を一緒に考えてみませんか? うつの状態が悪くなるのはどういう時でしょうか? 理由がわかっていれば特に問題はありません。その理由を取り除くか、保留するか、いくつか選択肢は出てきます。 理由が分からない場合、不安が大きくなるでしょう。そういう場合はこう考えてみてはどうでしょうか? 調子が悪くなるのは気分的な理由とは限りません。 まず、天気の影響があります。天気が変るとき、特に曇りや雨になる前に気圧が大きく変ります。この気圧の変化が実は「うつ」の状態が悪くなるとも言われています。 これは健康な人でも体調を崩す原因でもあるのですから、「うつ」の状態が悪くなるのは、ある意味当たり前といえるのではないでしょうか? これに近いですが、季節の変動、日照時間が短くなるのも、「うつ」の状態に影響があるとも言われています。ですから、これから冬にかけては「うつ」の状態が悪くなる要素が揃ってしまうとも考えられませんか? また、時期というのもあります。「うつ」になった時期の頃に毎年調子が悪くなる、「うつ」の原因になった出来事の頃に毎年調子が悪くなる、こういうことを「うつ」の記念日とも言われています。 どうですか?「うつ」って実はその人自身に関係するだけでなく、時期や季節、記念日に関係して調子を崩すこともあるのです、というよりこういう理由のほうが多いかもしれません。 今、調子が悪く、理由がわからないとお嘆きならば、こう考えてはどうでしょう。自分に問題があるわけではないのですよ。 次に、調子が悪くなったときにどう考えるかについてです。 調子が悪くなると「またあの苦しい時期を過ごさなければならないのか?」とか「もうこんな思いはいやだ。」と思いますよね。 それならこう考えてみませんか? 確かに「うつ」の状態は良いとき悪いときがあります。というより、それが当たり前なのです。でも、前回より今回の方が悪い状態の時間は少しずつですが短くなっています。試しにかつて最も調子が悪くなったときと、最近調子が悪かったときと較べてみてください。時間も内容も少しずつよくなっているはずです。 もちろん、さらに悪いときもあります。ですが、ずっと悪いときが続くわけではありません。振り返ると、全体的に少しずつ調子は戻りつつあるのですから。 私自身もかつて調子が悪くなると、絶望感を強く感じていました。でも、一生続くのではありません。また、「うつ」は調子の波が必ずあるということを知ると、調子が悪いときの時間がどれくらいかについて検証しました。 なるほど、調子が前回よりももっと悪いときもありましたし、戻すのにかかる時間が長い場合もありました。しかし、長い目でみると、確実に改善しています。 悪い状態というのは無限に続くことはありません。必ず良くなる状態に戻ります。ですから、調子が悪いといって悲観しないで下さい。絶対に良い状態に戻ります。必ずです。 「うつ」の状態が悪いときの苦しさは、経験したものでないと分からないと思います。 と同時に、少しずつ良くなるという実感も必ずどこかで経験します。ですから、もし、自分の「うつ」の状態が良くならないと思いましたら、上記のように自分の状態を較べてみると、実は自分で気付かないだけで前よりよくなっていることは多いのです。是非実感してみてください。 というわけで、続きはまた今度。・・・次回に続く・・・
2005年10月04日
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10/1の日記で、社長(友人)と言い合いになる話をしましたが、黒ヒョウさんやMasa-Pさんからのアドバイスを頂き、自分の見落としに気付きましたので、今日は割り切っていこうと考えました。 会社に着くと、社長は席をはずしていたので、こちらは仕事に取り掛かりました。そして、社長が戻ってきて挨拶を交わしましたが、ちょっと違和感。といっても私だけでしょうが・・・。 なかなかうまく会話になりません。明らかに私が意識してしまっていることが分かっているのですが・・・。 昼、社長より昼御飯の誘いがあり、一緒に食べに行く。そのとき社長から、「調子があまり良くなさそうだな。」と。 私は「別に悪くありません。金曜からちゃんと安定しています。」と答える。ここでさらに言われたら、また言い合いになるか? しかし、社長は「それならいいや。」と。 ・・・お互いそれ以上は触れない。 そして、思わぬ言葉が。「君の奥さんから電話があったよ。」 「・・・???」私は全く予測していない言葉にびっくり!(現在別居中でありますが、かつて妻と知り合うきっかけはこの社長(友人)でした。) その後は社長が一方的に話し、私は時折自分の意見を言ったりとすっかりこの社長のペースで展開していき、昼から戻る頃にはすでに金曜のことは、お互いに触れず、私もまあいいやという気持ちでした。 なんか、うまくいったのかどうかがよく分かりませんが、いずれにせよ、事態は無事収拾しましたので、まあ割り切れたかな?と。 気持ちを割り切るというのは、自分にとっても最終的にはプラスなのかな?と、頭では分かっていても気持ちは難しい。(特にうつになってからは、この気持ちの揺れがぶれることもよくありました。)少しずつ気持ちの面で割り切ることができれば、今後余計なストレスを抱えなくてすむのは間違いないのですが・・・。 これもリハビリの一つですね。妙に納得してしまう今日一日でした。 ここでアドバイスをもらったりできたことも、大きかったとおもいます。本当にありがとうございました。 今日はちょっと疲れが出ているので、簡単ですがまた明日。
2005年10月03日
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私が休職し、動けない日々については9/27の日記で記しましたが、今回からは私が「うつ」について勉強して得てきた知識について書き込んでいきたいと思います。 私は休職によってこれまでやってきた仕事についてのプライドが崩れたとき、直属の上司Aさんから妻を通してある一冊の本を紹介されました。 「デキるヤツほどウツになる」という本でした。 当時私は新聞を読むことができず、読もうとしても開くこともできない状態でした。そんな状態ではありましたが、この本は字が細かくなく、行間も適度な間隔でしたので、当時の私でも読み始めることが出来ました。 この本の「はじめに」で横浜労災病院の江花先生が2ページ半で書かれているところから、私は吸い込まれていきました。なお、後日ある所で江花先生の講演会に参加するチャンスがありまして拝聴しましたが、とても分かりやすく、そのときの話題はうつの本人と周りの家族の対応についてでしたが、うつ当事者としてもまさに家族に自分の思いを代弁していただいたようで、とても感銘を受けました。 なお、この本の作者の方もうつの治療中とのことでしたので、当時どうしたらいいか分からなかった私にとって、「うつ」という自分の病気がどういうものなのか?どう対処したらいいのか?が全く情報がなかった(というより情報収集する気力もなかったというのが正解ですが・・・)ため、私にとって「うつ」に対する知識の第一歩となりました。 もし、「うつ」と診断されて、どうすればいいか途方に暮れている方がいらっしゃいましたら、私個人の意見ですがお勧めです。 その理由は、「うつ」当事者、家族、職場の上司・同僚といったそれぞれの立場の人が共通して抱える内容の最も初歩的なことから書かれているからです。 「うつ」当事者(私など)にとっては、病気になった自分が決して悪いわけではないということ、そして、今後この病気にどう取り組み、どのようなことに注意が必要かが読んでいくうちに少しずつ見えてきます。 家族にとっては、本人の怠け病では決してないこと、誰でもなりうること、そして本人にどう接していくのが良く、逆にどのようなことに気をつけなければならないかが書かれています。 職場の上司や同僚の方にとっては、本人がどれだけくるしんでいるのか、職場ではどう対応するのが良いのかが書かれており、職場内でさらに犠牲者を出さないようにするための予防策としても役に立ちます。 私はこの本に吸い込まれていき、私がなった「うつ」というのが決して特別な病気ではないこと、誰でもなりうること、なったからといって悲観的にならなくて良いこと等から、これまでの自分を少し肯定できるようになり、病気と向き合う方法を教えていただけたようでした。 一回では理解しきれないので、私は三回ほど読みました。 また、私の実の両親にも後日読んでもらうことで、少しずつ私への対応も変っていきました。 もし、「うつ」当事者の方で今後どうすればいいのかが分からない方や、家族にわかってもらえないという方がいらっしゃいましたら、一読をお勧めします。また、その他にもたくさんの本があるかとは思います。ですので、他の本でも構いませんので。 逆に、他にお勧めの本がありましたら、教えてください。情報交換することでさらに理解を深めていくことができたらと思います。 今日は本の紹介になってしまいましたが、私にとって「うつ」に対する知識の第一歩になりましたので、ご了承ください。これからも少しでも役に立つ内容を書き込めるよう努力します。・・・次回に続く・・・ それから、BLACK.PANTHERさんとMasa-Pさん、前回(10/1)の日記でアドバイスを頂き本当にありがとうございました。自分が見落としていたことを気付かせていただき本当に感謝です。これからも皆さんから助けをいただきながら、日記を書き込んでいきたいと思います。
2005年10月02日
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木曜に完全休養日にあてたおかげで、昨日の金曜は問題なく友人の会社へ行き、気分的にも問題なかったのですが・・・・・・ 会社に行きいつものように働き始めると、仕事とは直接関係がないのですが、ある事で社長である友人と言い合いになってしまいました。 内容的にはかつて私が本職でやっていたことで、ちょっと問題点があると思い、よかれと思ってメモで社長に残していたのですが、そのことで・・・ 社長「このことの意味が分からない。」 私「先日社長がおっしゃっていたことで、気になったことがあったので、メモに残したのですが・・・。」 社長「それなら、こうすれば問題ないんだろう?」 私「そうすれば問題ありません。」 ここまでは特になんてことはなく、私もまあ良かったなと思っていたのですが・・・。 社長「解決策が出れば良いのであって、君は難しく考えている。もっとシンプルに考えればいい。」 私「・・・?」 社長「大切なのは問題解決ができることであり、問題定義することではない。」 私「私はメモでは確かに問題を述べただけですが、もともとやっていた仕事ですから、当然対応策はいくつもあり、その件を話す前に社長が一つの解決策をおっしゃったので、私も問題ないと思っていただけですが・・・。」 社長「なら、それでいいだろう。」 私「別に悪いとは一言も言っていません。」 社長「だからそれでいいだろう。俺は君が難しく考えるからシンプルに考えろと言っているだけだ。」 私「いつもはそうですが、今回は何も難しく考えていません。」 社長「まだ、リハビリ中だから本調子じゃないのは仕方ないが。」 私「今回の件でなんでそんなことを言われなければならないんですか。今回は私の本職に関係したことだったので意見しただけで、なに一つ難しく考えていません。」 社長「だからもう済んだことだろう。」 私はなぜそんなことを言われなければいけないのか?そこまで言われることなのか? よくわかりません。私の何がいけなかったのでしょうか?これまで確かに難しく考えるという自分の悪いクセを直そうとしてきていますが、今回は別に問題はないと思うんだけど・・・ いったん外に出てタバコを吸い、気持ちを落ち着かせました。冷静さを戻してもう一度考えてみよう。その後社長は出掛け、私は他の仕事をしながらまずは冷静さを取り戻しました。でも・・・ 今回、自分は間違っていない。難しく考えていない。それどころか、ああ言われることはおかしい。そう思いましたが、そこで自分の調子を崩すのは本末転倒です。でも納得はできないので、仕事以外については社長とは話さない。そうバランスをとろう。 ということで、社長からの仕事の指示にはもちろん従いましたが、それ以外で話しかけてきたことには、最小限の生返事だけでそこから話を進めないと決め、仕事以外のことは全て適当に答えて会話を拒否しました。大人気ないかとは思いますが、あそこまで言われたことについての抗議も込めてその日はこちらからは一切会話しないことを通しました。 夜は、とある仲間たちと会う予定になっていました。アルコールをどうしようか?本来は控えるべきかな?社長との件を引きずっていれば避けるのが大正解。でも、特に引きずっているわけではありません。(でも、納得はしていないので、来週も仕事以外の会話はしません。抗議も込めて。) 今日はそれよりも仲間たちとの楽しく盛り上がろう。だから今日はもちろん無理しない範囲で飲もう。(自分の中で飲む口実?) なにしろこの仲間は皆いい意味で個性的でとても楽しいのです。今日は(も?)楽しく過ごせればいいや、・・・ということで飲んでしまいました。やはり楽しかった。楽しいお酒だから自分のなかではOK。 飲んだ場所は新宿でした。私は学生時代から新宿で飲んだら夜の散歩と称して歩いて帰るクセがありました。今回も歩いて帰ろう。・・・というわけで、のんびりと歩いて帰りました。1時間ちょっとで帰れるからですけどね。 金曜日はこのように楽しかったことと納得できなかったことがありましたが、気分的には大丈夫・・・と思うんですけどね。 今日は一日ゆっくり。そういえば、木曜に阪神優勝。私が生まれて3回目の優勝です。それも飲む理由でしたけどね。。。 そんな昨日今日でした。最近この日記を始めるときに考えていた予定とは違っていますが、それはそれ。予定通りにはいかないもの。でも、ちゃんとやりますので。
2005年10月01日
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