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金縛りにあいかけた。気づいた時には身体が強張り始めている。目は開いていないはずだが、視界の隅で何かが像を結ぼうとしている。見てはいけない。咄嗟に判断し緊迫した雰囲気を逸らすために、ペットの名前を呼ぼうとするがあと一息のところで言葉にならない。しばらく慎重に気持ちを整えてどうにかやり過ごして目を開けると午前3時。まだ闇は濃い。きっと彼女だ。身じろぎもできず考える。日中、近所の郵便局へ行き、用事を済ませて表に出るといつになくキャッシュコーナーに行列ができている。歩きながら何の気なしに顔を上げると最後尾の人と目が合う。瞬間、「憑かれる」と感じる。見開いた大きな目には血管が走っている長い黒髪、薄汚れた白い服、赤い口元が微かに笑いの形に変わろうとするあれは異界のものだ。平静を装い、近くの雑貨店に入る。悪いけどここで落としていこう。しばらく店内を歩き回ったあとその先の洋服屋に向かう。郵便局の方を振り返るが、ちょうど死角になっておりよく見えない。私が余程険しい顔をしていたのか、洋服屋の店員はあれこれと親切に話し掛けてくれる。しかし動転していてうまく答えられない。間が悪い。外を気にする私の目線を追ってか、彼も外を見る。そのうち女性の店員に交替して、いつの間にか彼はいなくなった。もしかして彼女は店の外で私をそっと待っていたのかもしれない暗闇の中でそう考えた。(based on an eerie experience that happened to me yesterday)
2005.11.29
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リンク友のゆりぞおさんの日記にもあったけれどもきのうテレビで全国一斉IQテストなるものをやっており面白そうだったので私も2時間半つぶしてやってみました。右脳型、左脳型とはよく言われるけどこのテストは、インプット(理解)とアウトプット(表現)の傾向として右脳型=感覚寄り左脳型=論理寄りこのどちらなのかを明らかに(?)しようとするものだった。私の場合はとりあえずインプットアウトプットともに「右脳型」で感覚寄り。またはインプットは左脳で論理、アウトプットは右脳で感覚。という結果だった。(インプットのテストが右脳左脳とも同得点だった)ちなみに作家とか、文章を道具に使おうという職業に適性があるのはインプット=右、アウトプット=左なんだそうだ。アウトプット=左、というのが今回のテスト結果を見る限り私にない適性だ。それはつまり「論理力」と名付けられた分野である。、、、確かに苦手だから何も言えない。その論理力にもまして弱かったのが「記憶力」の分野だ。他のところはわりと高得点だったのにここだけはがたがた。これが大いに他の足を引っぱっている。思い当たる節、無きにしにもあらず。将来ボケるかも知れん、とひやっとする。いや、瞬間瞬間を生きているんだ、と私の嫌いなポジティブシンキングにあえて持っていってみたり。。。IQの値は満足な結果。もしかして天才?ただし記憶力さえあれば、、、?と思ってみるう~ん、つまり要するに結局なんだかバカっぽい。
2005.11.28
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中国を旅すると、まちなかの人の傍らにお茶があるのをよく目にする。タクシーの運転手さんも、布地屋のおじいさんもみんなお茶を横に置いて働いていた。日本でお茶を持ち歩くといえば今では市販のペットボトルが主流だけどあちらはかなり違う。インスタントコーヒーなどが入ってた?と思しき広口のガラス瓶に思い思いの茶葉を入れお湯を注いで持ち歩いている。以前、上海から2時間ほど鉄道に乗って杭州へ行ったとき、車内でお湯のサービスがあった。みんな当然のようにマイ広口瓶を差し出してサービスを受けていた。それがとてもうらやましくて、持っていなかったのが悔やまれた。日本に帰ったらコーヒーの空き瓶に茶葉を入れて職場に持っていこう!と思ったが大きな空き瓶ができるほどにコーヒーを飲まない。また、周囲に引かれることが予想されるため残念ながらいまだ実現していない。「思い思いの茶葉」と書いたけどあちらではスーパーマーケットなどの一角で日本で一般的な中国茶の茶葉はもちろんのことラベンダーやレモングラス、ローズマリーといったハーブも量り売りされている。みんないろんなアレンジを楽しんでるんだろうなあとそんなコーナーでしつこいくらいにながめ回しながら思う。中国茶を、手の込んだ茶器で手間をかけて淹れるのもいいけど日常の中で、ぞんざいなくらいに当たり前に扱う、それもまちがいなくお茶の文化だ。私の今のお気に入りは菊花だ。ほんのり甘くておいしい。目が弱いのだけど目にもいいそうだ。同じく目によいといわれるクコの実を合わせて烏龍茶とブレンドして飲もうかなあなんて思っている。広口瓶で、というわけにはちょっといかないけど、、、。
2005.11.25
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上海にて、大通りの横断は「気」と「間合い」で行う。上海の街中は車やバスがあふれ自転車やスクーターがその脇を走る。道路は車、特にバス優先だ。大きな通りなら、横断歩道もあるにはあるが少ない(ような気がする)。あったとしても信号機がなかったりする。しかしけっこうみんな何もないところを堂々と横断している。片側5車線くらいあっても!中国では車は右側通行。そして右折車は信号が赤でも通行することができる。それが余計、車の流れを読みにくくしている。車が途切れそうなところでそろそろと渡り始める。日本とは逆で、まず左を見て右側通行の車が来ないか確認。道路のまん中あたりで右を見て車が来ないか確認。何にもまして優先的に走るバスには特に注意(何しろ人がいても止まらないらしい)。近くに曲がり角がある場合は、信号の有無に関わらず右折してくる車にも注意。とにかく慣れないので四方八方に気を遣う。しかしここで万一にも速度を早めて走ったりしてはいけない。車は横断者のスピードが変わらないと仮定して横断者の前を行こうか後ろを行こうか決めているそうだ。ま、たいていの場合、前を猛スピードで抜き去って行かれるのだけど。。。なので、そこで下手に気づかって小走りになったりすると轢かれる確率が上がる。というわけで、気づかいつつも堂々風に渡る。怖いのは怖いので、目で相手を制しつつ、相手の気を読みつつ、である。そこに独特の緊張感と間合いが生まれる…うーん東洋的(?)。ああようやく渡り終えた、と思う頃何故かもれなく「ピッ」と鳴らされる。目を合わせているのに…。走ったら轢かれるし…。くー、である。
2005.11.23
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上海でスーパーマーケットに行く。あらかじめ行きたいところを尋ねてくれた上海在住の姉に「スーパーマーケットに行きたい」と言うとそんなところでいいのか?と言われたけど海外でスーパーマーケットや市場に行くのが大好きだ。できることなら棚をひとつひとつ詳細に見て回って一体何がどんな風に売られていてどんな感じでみんなが買っていくのかつぶさに観察したい。中国のスーパーマーケットに行って驚いたのはカニやカメや魚が水槽に入って売られているのをビニール袋に入れてもらって買うことと(ほとんど飼いそうだ)頭とかついた形のままの鳥が羽をむしられた状態で大量に積まれていることだ(う~んお見事)。広い店内でとりわけ好きなのはシャンプー、リンスなど日用雑貨のコーナーとお茶のコーナーだ。そこで見慣れないものを買うのが楽しみなのだけど、今回は「中草葯牙膏」なる歯磨きを買った。要するに日本でいう“ハーブエキス配合歯磨き”ということなんだろうけど中国の薬草というだけで別の風情が出てくる。開けるとなぜかほのかにサロンパスの匂い。いやあ~あしたっから使おうかなあ。お茶のコーナーには、中国緑茶やジャスミン茶などのイメージ通りの中国茶に混じって日本でも目にする“リプトン”の中国風ハーブティーが何種類か並んでいる。菊花や金木犀、クコの実などのアジア風ハーブがブレンドされていて漢方的に身体によさそうなのがいかにも中華な感じで魅力だ。これまで飲んだことのないものを迷わず購入する。生鮮食品のうち値札のついていないものは量り売りだ。ビニール袋に欲しいだけ入れて売り場の係の人に量ってもらう。私と母と、なれない二人で買い物に行った時にドラゴンフルーツを3つ、量ってもらわずにレジに持っていってしまいレジのお姉さんになにやら詰問される。 ここで「詰問される」というのは多分こちらの思い込みで お姉さんはもしかしたら親切に何かを尋ねているだけかもしれないけど なにせ中国語の勢いだ。圧倒されて腰が引けるのは前回の日記にも書いた通り。まあとにかくよくわからないがしきりと「3個、3個」と言っているので「そう3個」とカタコトの中国語で答えるがお姉さんは「こらあかんわ」という顔をしてドラゴンフルーツを取り上げてしまった。そこでようやく、量ってもらわないといけないんだ!と気づいたがそれやっぱり買います、と言うほどの語学力はあるはずもないのでもう一回売り場に入り直してチャレンジする。しかし今度は袋に入れることを忘れたまま堂々と量ってもらおうとして売り場の人に弾劾される(注:イメージ)。「はじめてのおつかい」みたい。
2005.11.21
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実は中国に行くのは3回目上海に行くのは2回目である。上海旅行の話として、こんなことから書くのはどうかとも思うけど中国といえば「トイレおばさんの恐怖」である。中国のトイレ事情が日本人好みでないことは割と有名な話である。トイレにドアがない。あっても鍵がかからない。っていうかトイレ自体がない?(穴しかない)等々。最後のは、かなりワイルドな旅をしない限りたぶん体験することはないだろうし年々事情は変わってきてると思うけど「トイレおばさん」は、いる。今回は「トイレおじさん」もいた。とくに街中の公衆っぽいトイレに多い。何をする人かというとトイレの入り口でお金を受け取る人である。お金を払うかわりに紙をもらう。「いえ、紙持ってるし(日本語)」と言っても渡される。←通じてないから当たり前。いらんいらんと身振り手振りで拒否して無理矢理押し入ろうとすると大きな声で呼び止められ、結局紙を受け取ることになる。なんといってもトイレだし、そんな身体的状況でもめたくはないので反抗する気力もなし。あちらの人はみんな声が大きくて中国語も言葉として勢いがあるので「トイレおばさん」に呼び止められるとびくっとする。小銭を要求されると慣れない通貨であるためにもたつく。そんなことを繰り返すうち中国でトイレ=トイレおばさん=ちょっと苦手という図式ができあがった。飛行機が空港に降り立とうとした瞬間そんなことを(よりにもよってそんなことを)思い出した。すみません。次はもうちょっと別の話を。
2005.11.17
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あしたから上海へ。 直前になって初めて具体的な時間を想定してみたところ、 飛行機の時間が早いためにオソロシイほどの早朝に家を出なくてはならないことに気付き、 昼休みに空港のホテルに電話し、急遽泊まることにする。 空港までもかなりの道のり。 仕事が終わるやいなや職場を飛び出し 準備もしてなかったのでばたばたと準備し 雨の中、荷物を引きずりつつダッシュして電車に飛び乗る。 分刻みのスケジュールとの闘い。 新大阪から「はるか」に乗り換えようやく一息。 いつもはここまでではないが だいたい前もって準備万全にしないタイプだ。 あらかじめあれこれ計画して整えていくと 旅を楽しむ時間が長いと思われるので それが自然にできる人がうらやましい。 でも逆にこんな風な突然旅モードは 日常と旅の境目が際立つから それが快感でもある。 何はともあれあしたは異国。 ホテルのお風呂で メールで日記更新中。
2005.11.11
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夕食に鮭のムニエルを作る。たっぷりと脂の乗った鮭を厚めの切り身にし、岩塩とホワイト・ペッパーを軽くかける。ごく薄く薄力粉をまぶし、そしてもちろん余分な粉ははらっておく。フライパンにヴァージン・オリーヴ・オイルをたらし、十分にあたためる(バターの風味を好む人もいるけれど、僕はオリーヴ・オイルを使うことにしている)。準備の整った鮭をフライパンに入れ、両面をこんがりと焼き上げる。キヌサヤとポテトを塩茹でにし、焼き上がった鮭とともに盛り付ける。バケットにミネラル・ウォーターを吹きかけ、トースターであたため、成城石井で購入した宮城県産のバターを添える。冷蔵庫から冷やしておいた日本酒を取り出し、同じように冷やしておいたデキャンタに注ぐ。ワイングラスとともにダイニング・テーブルにセットする。「飲み物だけ日本なのね」と彼女が言う「いつもはワインなのに」。「北海道の鮭なんだ。フランスやイタリアのワインじゃ失礼だろう」「そんなものかしら」「そんなものさ」と僕は言う。(Inspired by Mr.H.MurakamiI'm now reading his work, "Kafuka on the Shore")
2005.11.07
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職場の友人こたぬきさんの所属している劇団のミュージカル公演を観に行った。こたぬきさんが2週間あまり前に「まだ歌が覚えられない」とか「全体像がどうなってるのか全然わからない」とか言ってた上に今日劇場でもらった案内パンフレットに同劇団のリーダーの方(私の在学してる大学の卒業生らしい!)のコメントとして(歌とダンスに取り組むあまり)「テーマなんかどうでもよくなっています」とあったために常日ごろからとらえにくい作品を発表している劇団だと聞いてはいたけどかなりリラックスして臨んだ。たぶんねらいのうちだと思うけどあくまでも玄人っぽくない歌いっぷりと微妙に居心地のよくない踊りにこちらこそテーマなんてそっちのけでくぎづけになってしまい最後の最後にこたぬきさんが朗々とソロで歌い上げた曲を聞いて初めてあ、すごくよかったのかも、と思った。ので、帰ってじっくり歌詞を読んだ。「あなたはあなた自身が健康であるために 秩序正しく狂ってしまってください」などなどどれもこれもなんだかいい歌だ。リーダーの感性にしばし共感したり(しなかったり)する。しかし、舞台の上では他のところに気が散って、、、それはそれで楽しかったけどやられた~!!そしてどうでもよいことだけどこたぬきさんにお花をと思って探したけど見つけられなかった花屋がホール玄関の真正面にあった、ということに帰りに気づいた。(行きしは後ろを振り返らなかったので気づかなかったんですねえ~)うっかりもので申しわけない。こたぬきさんはあしたの最終日も無事におつとめ終えられますように!
2005.11.05
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わたしを束ねないで あらせいとうの花のように 白い葱のように 束ねないでください わたしは稲穂 秋 大地が胸を焦がす 見渡すかぎりの金色の稲穂 … (「わたしを束ねないで」新川和江 より)確か小学生の時に教科書にこの詩が載っていて当時も好きだったけど大人になってから突然思い出してそれ以来ずっとお気に入りだ。詩はこのあと、わたしを止めないで(標本箱の昆虫のように)注がないで(牛乳や酒のように)名付けないで(「娘」「妻」「母」という名に)区切らないで(手紙のように)と続き、…わたしは終りのない文章川と同じに果てしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩と結ばれる。自由と束縛も、規定も強制も知らなかったころに何でこれが好きだったのか稲穂のイメージが鮮烈だったこととこういうふうにもこういうふうにもこういうふうにも嫌なんですってきちんきちんと、でもあふれ出るようにたたみかけてくる言葉の感じが心地よかったように思う。元気のいい時に読めば稲穂や川といったとらわれていないものもののイメージを快く受け取ることができる。でも落ちている時、ひとつのところに住み続けているというだけでその場所から出て行きたくなるよく顔を合わせるというだけでその人のことが嫌いになる強制はされないけどそのくせどこかでこっそりと‘枠’にはめようとされているそんな時はふっとこの詩を思い出す。もしかしてこの詩、私が書いたんじゃないかと思うくらい。。。
2005.11.04
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秋だ!ということで(?)道後温泉に行った。今回の一番のお楽しみ、「坊ちゃん」にも出てくる道後温泉本館に行く。入浴のみ、または入浴&休憩(大部屋または個室)を選べるのだけど入浴&大部屋にする。まず大部屋に入り荷物を置いてバリアフリーとは程遠い急傾斜のぎしぎしときしむ木の階段を下りて石のお風呂に入る。深い。正座してもおぼれそう。たぷたぷのお湯にうれしくなって浴槽ではねる。館内の見学もさせてもらう。漱石お気に入りの和室とか50年あまり使われていないけど、皇族専用のお風呂(!)とか。木と畳、開け放した窓(冷暖房はない)にかけた簾、窓の外に揺らぐ柳、、、ちょっと昔の日本の建築にまたうれしくなる。とりわけ好きなのは木枠にねじ込む窓の鍵だ。子どものころに住んでいた古い家にもあった。ほかにも擦り硝子と水回りのタイル等々。毎日でも通いたい!地元のおばあちゃんは2日に1回ここのお風呂に入るそうだ。道後のお湯はお肌つるつるになる。松山に住みたくなった。
2005.11.01
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