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<東日本大震災から203日目>はるかへとうちゃんよりさて昨日の続き。ツイッターで送信者に無断でDMを公表した人の話。ポイントは二つあって、最初の点はきっと遥もとうちゃんと同じ考えだと思う。つまり、DMをそれを送ってきた人に事前に了承をもらわずに公表するのは人としてしちゃいけないことだって事。二番目の点は、どうかなあ。 同じ意見やろうか。BさんがAさんに対して「無断で公表して気分を害してたなら謝ります」っていうツイートを書いた点。それで、もしAさんが「いいですよ、気にしてませんから。」って言うたら「いいじゃん。 勝手に公表されてしまったけど本人であるAさんが気にしてませんよって言ってるんだから。」 と考えるかどうか。それは違う。そもそも「気分を害していたら」謝る、そうじゃなかったら謝らない、というものではなく、まず「ごめんなさい」と謝るべきもの。それに対してAさんがBさんに「いいですよ、別に。」ということはあるかもしれない。「気分を害してたなら謝ります」っていうのはどういう意味か?それは、「私は少しも悪いことをしているとは思わない。でも、周りがうるさいのであなたが気分を害したというのなら謝ってやってもいい。」こういうことを意味している。 とうちゃんだったら、「こいつ、喧嘩売ってのか?」と思ってしまう。たまたまAさんは気にしていないかもしれない。でも、それは「たまたま」そうだったという結果論であって、そのことには何の意味もない。
2011年09月30日
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<東日本大震災から202日目>はるかへとうちゃんよりあの地震から200日を超えてしまったねえ。さて、今日はツイッターで見かけた話。遥もツイッターをやってるようなのでDMって知ってるよねえ。AさんがDMをBさんに送った。そしたら、BさんはAさんに無断で”AさんがDMで「ーーーー」と言ってきた” っていうようなツイートを書いた。送ってきたAさんに無断で公表するのはよくないだろうと言う人がいた。どうしてだめなの? というBさん。そして、しばらくして、BさんはAさんに対して「無断で公表して気分を害してたなら謝ります」っていうツイートを書いた。さて、このケース、遥はどう思う?ということで、一つのことで2日分書けることとなった。ラッキーだ!
2011年09月29日
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<東日本大震災から201日目>はるかへとうちゃんより昨日書いたことの関連で、まさかとは思うけど、一応念のために書いてこうと思う。(ネタ不足、ということもあるけど。)「どうせ、とうちゃんやママは遥の将来について責任を取れないんだから放っておいてよ!!」なんて思ったり、言ったりするならそれは大きな間違いやで。間違いというか、まあ、言うてもええけど、その場合は、次のことを覚悟して言うことやね。・それを言われた人、および、周囲で聞いていた人からは金輪際一切アドバイス、 サポートをもらえないであろうこと。・今後は、教えてとか助けてなんて自分から一切言わないこと。・そして、遥のことを思ってアドバイスやサポートをしてくれた人を悲しませること。きちんと聞いた上で自分で考えて判断するのと、はなっから聞く気がないのは全く別の話。
2011年09月28日
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<東日本大震災から200日め>はるかへとうちゃんより無責任で突き放したような話だけど、まじめな話。遥が将来どういう大学に入り、どういうところに就職するのか。また、その先どういう人生を送るのか。そうしたことに親は責任を取れない。また、親に責任を取ってよ、というのなら、その子どももおかしい。親や周りの人は子どもに対してアドバイスはできる。自分の生活、行動を見せることもできる。でも、決めるのは自分。やるのもやらないのも自分。自分しか責任は取れない。逆に、他人に責任を取ってもらえる(=他人が決める)人生なんてこんなにおもろない人生もない。よい社会、環境、国を作ること、よくしていくこと。そしてそれを次の世代に伝えていくこと。こうしたことは大人の責任。それと今日話したこととは別の話。
2011年09月27日
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<東日本大震災から199日目>はるかへとうちゃんより隊員(青年海外協力隊員)さんととうちゃんのような企業からの駐在員とは見えるものが違うというようなことを昨日書いた。それ以外にも、こういうこともある。その国、地域に長い間住んでいる方がよくわかると言う気がするし、だいたいにおいて正しい。でも、長期間いる間に、その場所の「常識」に慣れてしまって逆に見えなくなっている部分・気づかなくなっている部分もある。こういうこともしっかりと理解して、頭の片隅に常においておいた方がええで。自分が見ていることは物事の一部にすぎないのじゃないかという不安。慣れているが為に見落としている面があるのじゃないかという不安。この二つの不安はいくら持っていても持ち過ぎじゃない。
2011年09月26日
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<東日本大震災から198日目>はるかへとうちゃんよりエチオピアやガーナについてのツイートがあるとそれが見知らぬ人のツイートであってもちょこちょこ反応してしまう。そうだそうだ! っていう時と、 そんなこともないのでは? という時。どちらかというと後者の時の方が多い。見知らぬ人のツイートに反応しなくてもええやんかって思うかもしれない。確かにそうだとも思う。でもねえ、こういう風にとうちゃんは思う。いろんな情報がこれまでにも入ってきているし、今も入ってきている国。日本人も向こうの国の人も行き来する人の数が多い国。そういう国の場合は放っておいてもその情報は修正されるだろう。でも、エチオピアやガーナのように、人の往来が少ない国だと、そこを旅行や仕事で訪問したことがある人にとっては、自分の体験がその国のすべての印象となってしまいがち。それだけじゃなくて、情報が少ないので、そのツイートを見た他の日本人にとっても、それが「すべて」になってしまう可能性が高い。以前にも書いたことがあるけれど、短期間の滞在でその国のいろんな面を体験でき理解できるわけがない。 短期間じゃなくて数年間いたとしても仕事で来てビジネスマンや役所の人たちとばかり会っているとうちゃんと青年海外協力隊員としてやってきてもっと地域に密着した生活をしている人たちとは体験すること、見えるものも違ってきて当然。どちらかが本当のガーナで、どちらかが違うということではなくて、どちらも本当のガーナ。 どちらもガーナの一部分だけ。明らかに誤解してツイートしているという場合もある。そういう場合はそのツイートを否定して修正しようと思うけれど、そうじゃない場合は、そのツイートを否定する気持ちは全くない。 そういう体験をした人は実際にいたんだろうから。でも、その人はそういう体験をしたかもしれないけれど、そうじゃない体験もありますよということは伝えておきたい。悪いイメージも、買いかぶって褒めすぎたイメージも、どちらも「それだけがすべて」という感じでどんどん拡散していくのは日本にとってもガーナにとっても不幸だと思う。そして、ネットでは一旦コメントがなされると、消えることはないのだから、やっぱり「そうじゃない場合もありますよ」ということも残しておいた方がいいんだろうなあと思う。
2011年09月25日
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<東日本大震災から197日目>はるかへとうちゃんよりブラバンの練習はどんな感じ?こないだ文化祭が終わったので次は来年の演奏会に向けての練習中?遥たちのメインイベントは夏の都の大会(大会っていうんだっけ?)?とうちゃんはよく知らないので、そういう仮定で話をしよう。メインイベントが来年の夏の大会だとすると、次の演奏会に向けての練習とはいえ、日々頭の中にあるべきなのはこういう練習で、こういう心構えで、来年の夏の大会に勝てるのかということやよね。こんなやり方をしていて、こんな気持ちで練習に臨んでいて、来年は今年よりもいい演奏ができるんやろうか? 来年はいい成績を残せるんやろうか? そういう問いを自分や仲間が持ちながらやってるかどうか。もっと言えば、次の演奏会の曲目も夏の大会でいい演奏をするための準備という位置づけで選曲されるべきなんやよねえ。ブラバンのことはようわからんけど、たとえば今のブラバンは高音がイマイチというのなら次の演奏会で演奏する曲はその部分を練習しないとできないような曲にすべきなんやよねえ、そういう風に考えているのかどうか。今の実力をきちんと把握して、目標とするところに届くには何が足りないのかを見定めて、その差を埋めるにはいつまでに何をどういう風にしていくのかを考えて、それを実行していく。おお、すべてに当てはまる事じゃないか。
2011年09月24日
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<東日本大震災から196日目>はるかへとうちゃんよりあの時○○さんにあんな事をされてからあの子は人が変わってしまったようになった。ドラマでこんなセリフをちょこちょこ聞くねえ。犯罪を犯した人を取り上げるワイドショーでもちょこちょこ聞くことがある。確かにそういうことはあるだろう。でもなあって思うこともあるねん。・元々はそうじゃなかった。・「○○さん」が原因でそうなった。っていうことやよね。なんかあほらしい気がするねんなあ。自分が損してるだけ。今は「○○さん」がいないんだから元に戻せるんじゃないか?元に戻そうとする努力をしてもいいんじゃないか?そんな気もするねんな。今の自分を他人のせいにばかりしても自分にとって何の利益にもならないからねえ。
2011年09月23日
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<東日本大震災から195日目>はるかへとうちゃんよりドラマの「バーテンダー」で帰って行くお客さん見送るシーンがあった。お客さんが見えなくなるまで深々とお辞儀して見送ってはる。いつそのお辞儀をやめるのか。そのシーンを観ていて思ったのは、それはきっと、自分がそろそろ姿勢を戻そうと思ってからあと3秒くらいお辞儀を続けるってのがええんやろうなあってこと。ここでやめようか、と思ってからもうちょっと続ける。これが大きな差を生むんやと思うで。いろんな場面で。
2011年09月22日
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<東日本大震災から194日目>はるかへとうちゃんより昨日の答え1)チーム編成は日本選手を主力にすべき2)ニュージーランド戦にはベストで臨むべき。「ベスト」とは何か?それは、編成してしまったチームの中でということになるだろう。つまり、自分の考え(日本選手中心にすべき)とは違うチーム編成になっているがなってしまったものはもう変えられない。その中でベストで臨むべきだった。だから、とうちゃんはAさんの言っていることはおかしくはないと思う。 (ただ、Aさんの主張の1と2についてとうちゃんが賛成かどうかは別の話。 1と2が両立するかどうかを話しただけ。)そんなことより、今日は夕方からトンガ戦。NZ戦にベストメンバーを組まなかったのは残りの2戦に勝つために主力を温存したため。このW杯で日本は2勝を目標にしていた。フランスとNZに負けているので、今日のトンガと来週のカナダには絶対に勝たないといけない。さて、明日の試合の結果で、こういう話があちこちでなされるに違いない。「NZ戦をベストメンバーで戦わなかったから勝てた」「NZ戦をベストメンバーで戦わなかったにもかかわらず負けた」どっちも結果論。結果論で話をするのは好きじゃない。目的達成のために、どういう決断が正しかったのか。注目すべきはそちらであって、結果からごちゃごちゃ言うことが重要なのではないと思うから。W杯に対する日本ラグビーフットボール協会の方針はW杯前から当然ながら明確になっていたはず。監督の決定がその方針に沿ったものであったなら協会は監督の決定については擁護すべき。そして、方針に沿った決定だったけれど、目標通りの結果がでなかった場合には、その結果に対して協会は方針の用語とは別に善し悪しを評価をすべきなんだろう。
2011年09月21日
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<東日本大震災から193日目>はるかへとうちゃんよりラグビーのW杯が開催中。日本は30人の代表選手のうち外国出身者(帰化した人と外国籍のままの人)が10人くらいいる。さて、こんな話がある。遥はどう思う?新聞などのコメントを出しているAさんが「日本代表なのに外国出身の選手が多すぎる。」と言っていた・W杯の第二戦、日本は優勝候補のニュージーランドとの試合。日本代表の監督は、最初の試合から選手をがらっと入れ替えて日本人だけのチーム編成とした。(正直、ベストの編成じゃない。)するとAさんは今度は「ニュージーランドに失礼だ。ベストのチーム(つまり外国出身者を沢山出すチーム編成)で臨むべきだ。」とコメントしていた。それを読んだ読者が「Aさんはおかしい。 外国出身者が多すぎると言ったと思ったら、外国出身者抜きのチームにしたら今度はニュージーランドに失礼だと言っている。」とツイートしていた。Aさんのそれぞれのコメントが正しいかどうか。賛成するかどうかはちょっと横に置いておこう。遥への質問は、読者の人のツイートが正しいかどうか。とうちゃんは、この人のツイートはちょっとずれていると思う。さて、続きは明日だ。
2011年09月20日
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<東日本大震災から192日目>はるかへとうちゃんより遥が録画してくれていた「バーテンダー」を土曜日から見始めた。3月18日の回をさっき見た。その前は3月4日やった。そう。11日は地震で放送がなかったんやね。18日の回では、途中でドラマの映像部分が少し小さくなって、被害状況とか列車の運行状況とか東北の天気とかの情報が画面に表示されていた。NHKのwebによると16日現在で亡くなった人が15790人。行方不明の人がまだ4056人もいてはる。決して「15790」っていうかたまりじゃないんやよなあ。っていうことを改めて思い出した。そうそう。忘れてた。「世界を変える、日本の若い力~アフリカ・ガーナで輝く~」と言う番組が今日19日のお昼の12時からテレビ東京である。ガーナで頑張っている青年海外協力隊員の人4人にスポットを当てた番組。生では見られないだろうから、録画で観てみて頂戴。
2011年09月19日
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<東日本大震災から191日目>はるかへとうちゃんより例えば、クラブの先輩。例えば、学校の先生。人から何かをやられて自分が嫌だなあと思ったことについては自分が「先輩」になったり「先生」になった時に、2通りの反応がある。・自分がやられて嫌だったので、そういうことは自分は絶対にしないようにしよう。・やっと自分がそういうことを出来る立場になったので、今度は自分がやってやろう。もちろん、前者であるべきで、後者になるなんてこんなに恥ずかしいことはない。自分がやられて嬉しかったこと、楽しかったこと、ためになったこと。こうしたことは後輩や他の人にもしてあげるべき。でも、自分がやられて嫌だったことを、「自分がされた」「自分がやらされた」というだけの理由で他の人にもやるのは、私は大馬鹿者ですと言っているようなもの。そやけどねえ、人間はやられたようにやってしまいがちやねん。だから、自分でよほど意識的に「自分がされて嫌だったので人にはしないでおこう」と思っていないと気がついたら人にやっていた、ってなことになりかねない。そのためにも、自分がやられて嫌だったことはノートに書いて置いた方がいい。以前紹介した「教えない教え」という本で、著者の権藤さんは自分が選手やコーチの時に自分が言われて嫌だったこと、されて嫌だったことを逐一ノートにつけていたというようなことを書いてはった。こんな事を思ったのは、遥への叱り方がとうちゃんがおじいちゃんに叱られた時と似ているなあと思う時があるから。子どもを虐待している親はその親自身が虐待されていた人が多いということを聞いたことがある。どちらも、そのようにしか叱られたことがないので他に叱り方がわからないからじゃないかという気がするねんなあ。自分が嫌なことをされたら腹が立つかもしれない。でも、「よっしゃ、これでまた一つノートに書くネタが増えた。 自分が一つ人間としてよくなれる。」と思えば、 「ありがとう!」って考えられるで。そら、瞬間的には腹が立つかもしれない。でも、その0.5秒後くらいでもええから、「よっしゃ。もうけもん。」って思えるようになったら、腹が立つのも少しは収まるってもんだ。アホに腹を立てても、自分が損するだけで何もいいことはない。権藤さんの「教えない教え」に関連して書いていたのを参考までに。2011年5月5日(木)「日本で読んだ指導者向けの本とツイッター関連の本:遥へ(2369)」2011年5月7日(土)「Don't over teach:遥へ(2371)」2011年5月23日(月)「積極性があったかどうかが大切:遥へ(2387)」2011年5月24日(火)「「放任」か「奔放」か:遥へ(2388)」
2011年09月18日
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<東日本大震災から190日目>はるかへとうちゃんより文法を覚えるのが苦手なので何となくの感じで解いたと言うようなことを昨日書いた。でも、一度も文法を覚えずにやったわけじゃない。ある時期は文法の問題集をすごくやった。でも、それを1から10まで全部覚えようという気持ちにはなれなかったんやなあ。日本語を書く時にいちいち文法なんて気にしてなくてもちゃんと文章をかけるんだし、人と英語で話す時にいちいち文法のことを考えながら話すことなんてできないしねえ。(いや、やっぱり覚えるのが苦手だったからそういう口実を見つけてきたんやろうなあ。)でも、大きくなってから外国語として英語を勉強しようという時にはやっぱりルールを覚えることが近道でもあるんやよねえ。日本語に触れているのと同じくらいの時間と頻度と密度で英語に接していないんだから、意識的にルールを覚えるしかないよね。そして、それを通り越して無意識にそれを利用できるようになる。それから、また意識的にルールに戻って自分が無意識でやっていることが正しいかどうかを意識的に見直してみる。そういう繰り返しが大切なんやろうなあ。
2011年09月17日
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<東日本大震災から189日目>はるかへとうちゃんより英単語の意味を覚えるには辞書に書いてあるいろんな訳語を覚えるよりはその単語のコアになる部分を理解して感じることが近道やでっいうような事を昨日書いた。じゃあ、そのコアにどうやって気づくのか。辞書に書いてある訳語、文例を読んでそこに共通する部分を自分で考える、自分なりに見つけるという地道なやり方しかないんやろうね。 (そういうことを書いてくれている辞書や本があるといいけど。。。 最近本屋さんに行っていないので今の様子をとうちゃんは知らない。)Aという単語の訳(意味)として1,ーー、2.ーーー3.ーーーと大きく分類して書いてあることもあるけど、実は1と2と3に共通しているコアの部分があったりもする。 それを日本語に訳する時に3通りに分類した方がわかりやすいと辞書を作った人が考えただけだから。「なんでこんな風に分類してるんやろ? 要はこういう感じの意味やろ」と辞書を見ながら思ったこともある。で、自分で理解したコアを使って次からその単語を目にしたらその文章、その単語が使われている場面にふさわしい日本語を選ぶ。とは言っても、そのコアの部分だけじゃあやっぱりうまい日本語がうかばないことも多くて、それを見つけるために辞書をなんども読むことになる。(ま、これはとうちゃんが覚えるのが苦手だったのと日本語の語彙力がなかっただけかもしれない。)日本語を自分がどうやって身につけてきたのかということを考えてみたり、言葉ってきっと話し言葉の方が書き言葉よりも先に出来たに違いないと考えてみたり、文法っていうのは実際に使われている言葉を観察して見つけたルールだよなあなんて考えてみたりしていると、英語の勉強の仕方とか英語との付き合い方も自分なりにわかってくると思うで。人が声に出して言う時に言いやすいように、それを人が聞いてきちんと理解しやすいようにそんな風になっているはずやろう。 話し言葉の方が先にできたんだから。なんて勝手に信じ込んでたからねえ、とうちゃんは。 日本語でも、「うまく説明できないけど、なんかこの文章はおかしい」って感じるやん。その「何となく感じる」っていうのが大事なんやと文法を覚えるのが苦手なとうちゃんは自分を納得させていた。
2011年09月16日
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<東日本大震災から188日目>はるかへとうちゃんより何においてもエッセンス、コアをつかむことが大切だということは遥が小学生の頃から何度も書いてきた。英語や古文の単語も同じ。英和辞典や古語辞典を読むと一つの単語にいろんな訳が書いてある。そんなん全部覚えてられへん。(そんな必要もないし、それを覚えたところで、すべての場合にそれで対処できるかというとそうでもない。)コアになる意味や感覚を理解できると、あとはそのコアからの類推と前後の文脈からの類推でたいていの場合はだいたいの意味がわかってくる。日本語でも「悲しい」ことを表現するのにいろんな表現の仕方があるよね。Aと言う単語が「とても悲しい」ことを表す時に使う、と言うことであればその場面場面でいろんな訳もできるはず。
2011年09月15日
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<東日本大震災から187日目>はるかへとうちゃんよりユナイテッドアローズというお店は知ってる?その会社についての新聞記事をこないだ読んだ。成田、羽田、関西の3つの空港にも店を出しているんだけど、そこでは毎日2回模様替えをするらしい。マネキンに着せる服を変えたり、陳列を変えたり。何でやと思う?それは、時間によってお客さんの層が違うから。ビジネスマンの多い時間帯とレジャーに行くようなお客さんが多い時間帯があるからやって。理由を聞けば当たり前のように思うけど、そういう努力をしてないお店も多いんやろうねえ。 というか、そういうことに気がついてないお店も多いんやろうねえ。 残念ながらガーナじゃあ皆無にちがいない。
2011年09月14日
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<東日本大震災から186日目>昨日の続きで回数稼ぎ。前後の文脈をちゃんとみないと(ちゃんと伝えないと)いけないんだけど、難しいのは・全文を伝えることは紙面の都合、時間の都合でできないこと。 新聞や雑誌の記事においてだけじゃなく、とうちゃんや 遥が誰かと話していて何かを伝えようとする時も同じ。・まだ短いインタビューなら全文書ける時もあるかもしれない。 でも、数年にわたっての行動が背景にある場合はさらに難しい。瞬間瞬間だけを見ていても正しい判断も正しい解釈もできない。ということで、世界史、しっかり勉強しよう。
2011年09月13日
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<東日本大震災から185日目>はるかへとうちゃんより「死の町」っていう言葉がここ数日ですごく有名になったねえ。大臣が辞任までしてしまった。それについては、いろんな意見やコメントがあるし言っている人がいるけれど、ちょっとそれは横に置いておこう。とりあえず、いろんな場面で使えること・注意した方がいいことを今回の話から一つ。遥はこの話題を聞いてどう思った?「福島県について”死の町”と言うなんてひどい人だ」って思った?もしそうだとしたら、とうちゃんはこう質問しよう。どういう文脈で話をしたのか知ってる? 確かめようとしてみた?9月9日の朝日新聞のネット版の記事に「鉢呂経産相発言の詳細」というものがある。その一部分を転載する。 残念ながら、周辺町村の市街地は、人っ子ひとりいない、まさに死のまちと いう形だった。私からももちろんだが、野田首相から、「福島の再生なくして、 日本の元気な再生はない」と。これを第一の柱に、野田内閣としてやっていく ということを、至るところでお話をした。朝日新聞のこの記事を読んで、「やっぱり、ひどいコメントだ」と思うか、「そうでもないな」と思うか。 そういう行動とただマスコミが一部分だけ取り上げた「死の町」という言葉だけを聞いて、「ひどいコメントだ」と思うこととは、たとえ結果が同じだとしても全く異なる。(数学の問題で考え方が違うのに、偶然答えがあってしまうようなもの。)・故意に一部分だけ取り上げて騒ぎ立てるのはとんでもない奴。・意図なしに一部分だけ取り上げて騒ぎ立てるのはとんま。気をつけないとねえ。<自分がする場合> ・自分が一部分だけ取り上げて判断していないか。<自分がされる場合> ・自分の発言や行動は他人から一部分だけ取り上げられて広められてしまう 可能性もあるということ。
2011年09月12日
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<東日本大震災から184日目>はるかへとうちゃんより世の中に自分だけが他の全員と違う考えってことはどう考えてもないよねえ。それが間違った考えだったとしても。インターネットができて、いろんな人が好き勝手に書いていることも簡単に検索できるようになった。その結果、おかしな考え方だったとしても同じ考え方、似たような考え方をしている人を見つけることも簡単になった。だから、自分と同じ意見の人がいるということで自分が正しいなんて安心しちゃいけないし、他の人が「自分と同じ考えの人がこんなにいる」と言っても、それだけではその人が言っていることが正しいことの照明には直接にはならないということには気をつけておいた方がええで。
2011年09月11日
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<東日本大震災から183日目>はるかへとうちゃんよりメンデルの法則って中学で習ったっけ?とうちゃんの頃は習った気がする。しかも、遺伝って大学受験で必ずといっていいほど出てたんやよねえ。(とうちゃんの頃は文系でも国立大学を受ける時には今のセンター試験にあたるもので理科を二科目受験しないといけなかった。とうちゃんは化学と生物を選択してた。)生物という科目での遺伝はよく勉強したけど、人間様にとっては遺伝なんてくそくらえ!くらいに思ってる。あれも遺伝、これも遺伝なんて思っていたらどこに自分がいるのか?っていうことになると思うから。 (同じようなことを以前書いた気がする。)そして、これももう何階も書いているけれど、とうちゃんは自分が大好きだ。その自分がないというのはとても嫌なことだ。遺伝的要素も多少はあるかもしれない。でも、そっから何とかするのが人間であって、努力であって、気持ちであって、感情やろう。そう思う。 そこに、とうちゃんがいる。まあ、本気でそう言っているのじゃないとは思うけど、「遺伝だから」という言葉を遥の口から聞くことがある。だいたいそれは、マイナスのことをいう時に使ってるよね。遺伝、なら、「ママ(とうちゃん)はこれができるんだから遺伝で遥もできるはず」「ママ(とうちゃん)はこんなにいいところがあるんだから遺伝で遥もそういうところがあるはず」とどうして考えないんだろう?「遥のこういういいところはママ(とうちゃん)の遺伝のおかげだ、ありがとう」という話もあっていいはずやよねえ。
2011年09月10日
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<東日本大震災から182日目>はるかへとうちゃんより高校生は1日で急変するらしい。高校野球やサッカーなどの大会を見ているとよく聞く言葉。一戦一戦うまくなるということもよく聞く。もちろん、それまで地道に練習してきたことが花開くんだろうけど、ちょっとしたことがきっかけとなってグンと成長するんやね。あと、そのきっかけに気づけるかどうか、が鍵なんやろうな。普段からうまくなりたいと思っていないと、悩んでいないと同じものを見たり聞いたりしてても気づかないんだろうねえ。
2011年09月09日
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<東日本大震災から181日目>はるかへとうちゃんより「ハガネの女」の一回目。居酒屋でおじさん(実は新しい校長さん)がこんなことを言うてたの覚えてる? 諦めるのは簡単だけどさ、ホントにどうにもなんないの? やるべきこと全部やったの? 出来ないって言った時点で仕事を放棄したことになるんだよ。 絶望なんて言葉、プロなら軽々しく使って欲しくない。とうちゃんが自分の胸に手を当ててみると。。。思い当たることがありすぎたのですぐに手を胸から離してしまった。
2011年09月08日
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<東日本大震災から180日目>はるかへとうちゃんよりトランペットでもそうやけど、、何かを学んでいく時・習得して行く時、こんな風になれへん?・最初は難しくて ・あるところを越えると、面白くなってきて、・さらに進むと、次にまた難しいと感じてくるまた勉強の話になって申し訳ないんだけど、いくつかの科目では遥はこの最初の部分を越えられてないんとちゃうかなあ。それはどうやって越えるのか?ある程度集中してそれに取り組むしかないよねえ。楽して成果が得られるなんて事はない。「10分で○○」とか「中学3年分のーーーを1週間で」とか言うタイトルの本がよくあるけど、ぜったい無理やから。そういえば、遥は中学受験をしてるし、塾にも行ってたんだからそういう経験があるんと違う?ある時、ふとわかるようになったこと。ある時、ふと前が明るくなってきたこと。そういう経験は、他の事にも活かせるし、この先大学生、社会人になった時にも活かすことができる。やることは違っても「何かを学ぶ」ということでは同じだから。学校で学ぶ意義の一つはこういうところにもある。
2011年09月07日
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<東日本大震災から179日目>はるかへとうちゃんより日曜日、日経読んでみた?今日も日経の記事の話。日経朝刊のスポーツ欄に「駆ける魂」という連載記事がある。いろんな種目のある選手に焦点を当てた記事。(上中下と同じ選手で3回連載。)7月27日のものは鹿島アントラーズの小笠原選手の下(上中下の「下」)の記事だった。サッカーの醍醐味は何か?と言う記者の質問に対して、「勝利であり、優勝です。それは何ものにも代えられない」と小笠原選手は答える。これは割とある答えじゃないかと思う。でも、そこからが、とうちゃんにはない考え方だった。「負けて得るものもあるでしょうが、それは本人のためにしかならない。 でも、優勝するとみんなが報われる。 ユニホームを洗ってくれるスタッフも、ご飯をつくってくれるおばさんも、親もサポーターもハッピーになる。勝って得るものはみんなのためになる」また一つ考え方・ものの見方の幅がちょっと広くなった。
2011年09月06日
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<東日本大震災から178日目>はるかへとうちゃんより淡水魚って、海水では生きていかれへんよねえ。でも、世界中にいてる。なんでやろ?って思ったことある?とうちゃんはなかった。でも、言われてみれば確かに不思議やよねえ。淡水魚が世界中にいるのはこれまで謎やったんやって。それぞれまったく違う淡水魚が分布してるならまだしもコイやナマズの仲間(これが淡水魚の2/3を占める)が世界中にいるのはなんでや?って。7月24日付けの日経朝刊で見つけた記事でそんなことが書いてあった。日経の記事はみつからなかったので別の記事を紹介しとこう。答えは、一つの大陸しか地球上になかった時に祖先が出てきたから。DNAを分析し、化石などのデータもいっしょに総合的に分析していったらパンゲアと名付けられている大陸一つしかなかった頃に淡水にも適応するようになった海水魚が祖先だということになったらしい。 日本の研究者さんたちの功績。パンゲアが分裂し始めた2億5千年ー2億年前あたりにこの魚は4種類に分かれた。 それが今のコイ、ナマズ、ピラニア、デンキウナギの祖先となる。ちょうど大陸分裂の時期だったので、今もどの大陸にもその子孫がいる。どうやったら、どう考えるとそのようにたどっていけるのかはとうちゃんにはまったくわからないんだけど、なんかワクワクせえへん?そのうち、どうやってたどっていくのかをわかりやすく教えてくれる人を探し当てようっと。
2011年09月05日
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<東日本大震災から177日目>はるかへとうちゃんより新聞読んでる?「サッカー人として」という日経のスポーツ欄にあるコラムがある。三浦知良さんが書いている。7月15日のコラムは「技術と経験で戦う40代」というタイトル。伊達公子さんの話も書いてあったそのコラムの最後の方で見かけたのがこの言葉。 (三浦知良さんは44歳で今も現役。)「6歳の頃から練習し続けているわけですから」その前の文章から書くと、 最近よく年上の人から言われるのは「その年でそんなに動けるなんて、 40歳の頃の私とは全然違うね」。 そりゃ違いますよ、僕は6歳の頃から練習し続けているわけですから。日経はあまり読んでないだろうけど、コラムはいいことがよく書いてあるよ。日経は夕刊と週末の文化欄、それからスポーツ欄のコラムだけを読むだけでも十分価値がある。あ、今日は日曜日じゃないか。とりあえず昨日(土曜日)の夕刊と今日の文化欄(真ん中あたりにある)をちらちらっと眺めてみよう。まずは全部の記事の見出しを読むだけでもええので「眺める」。
2011年09月04日
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<東日本大震災から176日目>はるかへとうちゃんより勉強は、自分の世界を広げるためにするのだ。「ハガネの女」でなぜ勉強するのか?という生徒の問いに対しての先生の答えがこれやったねえ。ええこと言うねえ。
2011年09月03日
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<東日本大震災から175日目>はるかへとうちゃんよりドラマのドラゴン桜の中で、2年目の生徒を集めるための学校合同説明会みたいな場でクラブだったかバンドだったかばかりやっている生徒を捕まえてそれだけ一つのことに集中できるなら東大に行ける、というようなことを言うてたの覚えてる。東大かどうかは別にして、その集中力を勉強に活かせばぐっと成績が上がることは間違いないととうちゃんも思う。でも、「活かせば」っていうのがミソなんやなあ。プロ野球やサッカーの選手。ものすごい努力をしてる(してきた)はずだし、集中力だって並外れたものがあるはず。先を読む力だって高度な力があるはず。でもねえ、現役を引退した後他の職業で成功する人ってあまり聞かない。 それは、きっとそういう経験や力を他の場所で活かせないからなんやろうなあ。自分が好きなことには集中力や先を読む力を発揮できるしつらい努力もするんだけど、そうじゃない分野だとそれができないんじゃないだろうか。 潜在能力あるんだけど気持ちの問題で苦手な分野についてはそれを発揮しようとしないということじゃないかなあ。ブラバンに熱中できるだけの集中力や工夫する気持ち・能力があれば受験勉強に専念する時になったらググッと成績も上がる潜在能力はある。でも、それまでに勉強の仕方を勉強してなかったりすると、さあ今日から切り替えてブラバン以外のことに集中しよう!って思ってもそうそう簡単にはいかないかもしれない。クラブも一生懸命やっていたのに高校3年生になってクラブをやめたら急に成績が上がったっていう人たちはこの切り替えを決意を持ってやった人であると同時にそれまでの間も地道に努力して勉強の仕方の勉強もしてきはった人なんやろうなあ。
2011年09月02日
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<東日本大震災から174日目>はるかへとうちゃんより「すいません」って言われたら負け。「あれどうなってるの?」って言われたら負け。とおんなじことで、宿題はちゃんとやってる?テストは大丈夫?こんなに遅くまで起きていて明日の朝ちゃんと起きられるの?なーんて言われたら負けなんやよなあ。「信頼してくれない。」 ?信頼してもらえるように努力してるんやろうか?信頼してもらえるような実績を残してるんやろうか?って話やね。
2011年09月01日
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