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<東日本大震災から82日目>はるかへとうちゃんよりこないだから万歩計で一日の歩数を数えている。「万歩計はそれを持つことで沢山歩く動機にするのではなくて普段の生活でどれだけ歩いていないかが見るようにするために買ったと昨日書いた。」と以前書いた。ところがねえ、最近こんな気分になる。会社のあるビル。エレベーターがある。とうちゃんの事務所は4階にある。普通なら歩いて登ろうなんてあまり思わない。でも、万歩計を使うようになってから、1階で待っていてくれない時は歩くようになった。万歩計の数字が増えるのがちょっと楽しみだから。人間ってのは数字に弱い生き物やなあ。
2011年05月31日
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<東日本大震災から81日目>はるかへとうちゃんより「カイゼン」っていう単語をしってる?トヨタが始めたもので、日本のいろんな企業に広まって、さらには世界のいろんな企業に広まって、tsunamiと同様にkaizenとして英語にもなっている。これだけで何冊もの本が出てるくらいのものだけどすごくおおざっぱに言うと、日々仕事のやり方を見直して少しでもよくしていこうというもの。上の人から言われるのじゃなくて、現場の一人一人の人が「少しでもよくしていこう」という目で見てやるもの。こんな些細なこと、と思えるようなことでも積み重なると大きなものになるから。こないだ「教えない教え」という本にあった積極的にやったことが失敗してもかまわない。という話をした。ブラバンについてはとうちゃんはまったくわからないのでとうちゃんにもわかるテストの例で話すと、以前何度か書いたことのある、中学の定期テストについての話を重なる部分があると思う。 点数が悪くてもかまわない。 今は、(テスト)勉強の仕方を学ぶ段階だから。もう高1なんだからそういう段階は過ぎてるはずだよなあ、とあの本を読んだときには思った。でも、それは違うな、と気がついた。毎回やり方を見直して少しずつやり方は改善できるはずなんやよね。「カンペキ」なんてないんやから。
2011年05月30日
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<東日本大震災から80日目>はるかへとうちゃんより8月の東京都の大会のメンバーから漏れた高2の先輩はどうしてはるんかなあ?ちゃんと練習に来てはる?その後の態度がかっこええなあと思ったら、そのことをノートに書いておいたらいい。その後の態度がかっこ悪くて、自分はこんな風にはなりたくないと思ったら、そのことをノートに書いておいたらいい。そして、その先輩の態度がどちらであったとしても、一生懸命練習していたけれど漏れたその先輩や同級生の人のことを思えば「あともうちょっと頑張ろう」と思うこともできるはず。
2011年05月29日
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<東日本大震災から79日目>はるかへとうちゃんよりさて、この連載(?)も今日でおしまい。明日からまた別のネタを探さないと。文中に会社のwebのURLを書いた方がいいのでは?と言うたら、「署名欄に書いてあるので」という反応をした従業員がいたという話。とうちゃんの指摘を受けた人は、自分がmailを書いているときに「ここにURLを書いた方がいいだろうか? いや、最後に書いてあるから必要ないや。」という検討と判断をしたか?とうちゃんはしていないと思う。もし、そういう風な手順を踏んでいたのならまだいい。踏んだ手順は正しかったんだけど、考え方が間違っていただけなので、次回から修正しよう、ということになる。そうじゃなくて、検討もしなかったのに、指摘されたときにとっさに、「署名欄にあるから」って答えた場合。これはよくない。こういう態度だと今後いろんな場面でいろんな人から助言を受けたときに、その場しのぎをしてしまいそうだから。人から指摘されたら、いったんは素直に受け入れて、その指摘がもっともなことかどうかを考えてみないとなあ。
2011年05月28日
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<東日本大震災から78日目>はるかへとうちゃんより昨日の続き。「0.01%でも0.001%でもそうすることで確率がアップするならそうするべきなんやよね。」と書いた。0.01%って1万回に1回やんって思うかもしれない。確かにそう。確率としては0.001%かもしれない。でも、一回一回の事象について言えば、ゼロか1。読んでくれはるか、読んでくれはれへんか。そのどちらか。会社のwebのURLを文中に入れるという手間をかけることで生じる差は大きくはないかもしれない。でも、その手間を惜しむことである場合は死ぬことがあるかもしれないし、ある場合はテストで不合格になるかもしれない。
2011年05月27日
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<東日本大震災から77日目>はるかへとうちゃんより「その人は、自分がそんなmailを送られたことがないか想像力が不足しているか、その両方かのいずれかなんだろう。」と昨日の最後に書いた。mailの最後(署名欄)に書いてあるからOK。って言うのは自分の立場での考え方。疑問を持ったときに、すぐ近くに答えがあるのと何行も下(mailの一番下)に答えがあるのとではどちらがうれしいか。別に会社のwebのURLは疑問への回答じゃないけれど、会社の説明の文章のすぐ下にURLがある場合と、会社の説明の文章の後に別の話題が続いた後にURLがある場合とでは、どちらがよりクリックしてもらえると思う?私はどっちでも同じ。そういう人がいるかもしれない。でも、10人、100人、1000人で調べて見たら、すぐ下にある場合の方が必ずクリックする率は高い自信がとうちゃんにはあるで。人間ってそんなに長い間興味を持ち続けられない。しかも、会社の紹介をmailでしてるってことは初対面。相手の人はとうちゃんの会社に何の興味もないはず。そういう人に見ていただかないといけない。0.01%でも0.001%でもそうすることで確率がアップするならそうするべきなんやよね。mailに書いてあるという事実(極言すればアリバイ)が重要なのではなくて、行動してもらうことが重要なんやよねえ。会社の説明部分のすぐ下にURLを入れることはそんなに大変なことやろうか?ちょっとした手間を惜しんじゃいけないよねえ。(さらに、明日に続く)
2011年05月26日
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<東日本大震災から76日目>はるかへとうちゃんよりmailの署名欄ってわかる?mailの最後の部分に自分の名前やアドレスなんかが書いてある部分。書かなくてもいいけど、仕事のmailにはたいていの場合会社名、氏名、mailアドレス、電話番号などを書いてある。mailをもらった人がそれを送った人の連絡先がわかるように。まだ会ったことも話したこともない人に会社の紹介をしているmailがあった。うちの会社はこうこうで。。。って書いてあったので、会社のwebのURLをそのすぐ下に書いた方がよかったんじゃない?と言ったら、最後の署名欄にそれは書いてあるからmailの途中に書く必要ないと思うという反応だった。遥はどう思う?最後に書いてあっても、説明のすぐ下にも書いてあった方がわかりやすくない?とその人に聞いても今ひとつ納得ができないようだったのでそれ以上説明するのはやめた。そのうち気づいてくれるのを期待して。その人は、自分がそんなmailを送られたことがないか想像力が不足しているか、その両方かのいずれかなんだろう。(明日に続く)
2011年05月25日
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<東日本大震災から75日目>はるかへとうちゃんより「放任」と「奔放」の違いって知ってる?権藤さんが書いた「教えない教え」の中の記述によると放任は「成り行きにまかせてほうっておくこと」で奔放は「伝統や慣習にとらわれず、思うままにふるまうこと」となっている。(これは「広辞苑」にある説明である、と。)そして、監督になったとき権藤さんが思ったのは選手には奔放にやって欲しいということ。選手一人一人は「プロ」である。そう認めている以上、子どものように管理するのはおかしいだろう。と考えていた。別の箇所ではこんなことも書いてはる。プロ野球選手もサラリーマンも給料をもらって働いているという点では同じ。 「プロ」である。プロとして成長するには”やらされている”という感覚でいてはダメ。「やらされていることは身につかない」から。プロ野球選手の練習でも会社員の仕事でも「命じられてやっていること」もあるに違いない。でも、その中にも「自分なりの意義」を見いだして「よりうまく、より上達するにはどうしたらいいのか?」を常に考えながらやっている人は成長していく。ええこと言いはるねえ。(上に書いたのは、本からのそのままの引用じゃなくて趣旨を変えない範囲で抜粋&文章の変更をしてある。)”「自分なりの意義」を見いだしてーーー” で2011年4月28日(木)に書いた「創造的な仕事? いやいや仕事を創造的に:遥へ(2362)」を思い出した。「プロ」の話からは、04年9月7日に書いたこんな話を思い出した。「プロになろう:遥へ(86)」7年も前(小学校4年?)にこんなことを言うてたんやなあ。「プロになろう」ってのをいつ書いたかなあと思って検索してたらこんなのも見つけた。2010年10月30日(土)「1/10000:遥へ(2277)」 一つのデザインを作るのにそれくらい(1万)の数のデザイン画を描く2009年3月8日(日)「王さんの言葉:遥へ(1425)」 「1000回やって1000回成功することを目指すのがプロ」だらけてる自分がハッパをかけられた。
2011年05月24日
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<東日本大震災から74日目>はるかへとうちゃんより「教えない教え」という本に書いてあったことをこないだ一つ紹介した。「Don't over teach:遥へ(2371)」どんなことやったか覚えてる?教えられて覚えた技術はすぐに忘れてしまうけれど、自分で掴んだコツというのは忘れない、という話。「日本で読んだ指導者向けの本とツイッター関連の本:遥へ(2369)」では、一見対象じゃないようなものについても役に立つんやでということも書いた。「教えない教え」にこんなことも書いてある。結果だけを見て物を言うのには大反対だ。そのプロセスに積極性があったかどうかが大事。積極的にやった結果としての失敗には目をつぶる。これは野球についての話なので「積極的」ということが遥の生活(ブラバンや勉強)にとってはどういうことに当たるのかを考えんとあかんね。でないと、自分とは関係のない世界の出来事になってしまう。何に当たると思う?ちょっと考えてみ。考えた?こう考えることができると思う。ブラバンや勉強での「積極的」なプレーというのは、「自分で考えて、工夫したやり方をやったとき」。いつもはこうやってるけど、もっとよくなるためにこうした方がいいんじゃないだろうか?と自分で考え、工夫してやったけど、結果は思ったようにはならなかったとき。積極的なプレーやってる?
2011年05月23日
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<東日本大震災から73日目>はるかへとうちゃんより昨日の続き。他の人があまり知らないこといくつか知っていたり、他の人があまりやらないことを何度かやっていると、そういうイメージを持たれやすいと昨日書いた。逆に考えると、人があまり知らないことをいくつか仕入れて喧伝することでイメージを作れるんとちゃうかということにもなる。でも、そういうことを意図的にやるってのはちょっと嫌だなあ。仕事上でそうしないといけない場面もあるとは思うけどすくなくともプライベートではそういうことはやりたくないなあ。
2011年05月22日
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<東日本大震災から72日目>はるかへとうちゃんより昨年旅行者の人をうちに泊めたことが何度かある。たしか、合計で4人だったと思う。ちょっと長くいた人もいるので1週間やそこらじゃないけれど、4人合計で1.5カ月くらいじゃないかと思う。でも、なぜかとうちゃんはしょっちゅう旅行者をうちに泊めているようなイメージを持たれているらしい。イメージっちゅうのはこわいねえ。1年間でたかだか4人を1.5か月くらい泊めただけなのにとうちゃんには旅行者をよく泊める人、というレッテルがついている。なんでやろ?と考えてみた。きっとあまりみんながやらないことだから。自分(とうちゃんはよく泊める人だというイメージを持っている人)はやらないので、その分すごく強く印象に残る。それが一回でなく複数回だと、そのイメージが定着してしまう。こんなところじゃないだろうか。そういえば、とうちゃんはそんなにおいしくて感じのいいレストランをたくさん知っているわけじゃないのに、とうちゃんは「レストランに詳しいからねえ」と言われたこともあった。多分これも同じ理由じゃないかと思う。・人は数少ない例でもイメージをもってしまうっていうこと。 上の例は悪いイメージじゃないと思うけど、当然ながら イメージ(レッテル)には悪いものもある。 持つ人を責めるのではなくて、人間ってのはそういうもんだと 思った方がいい。・そういうものだから、変に悪いイメージをもたれないように しないとなあ。・そういうものだから、自分は数少ない例だけでイメージを 持たないようにしないとなあ。
2011年05月21日
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<東日本大震災から71日目>はるかへとうちゃんより「ちはやふる」 読んでみた?私は古文が嫌いだから、とか百人一首なんて興味ないし、なんて思って読まなかったら損するで。たまたま舞台、題材がかるた、かるた部になっているだけ。「青空エール」と通じるところがあるし、とうちゃんが子どもの頃によく読んでいたスポーツマンガとも通じるところがある。ドラマの「救命病棟24時」が病院を舞台にしているけれど病院の中でのみ起こることについて描いているのではないのと同じ。まだ読んでなかったら中間テストが終わったらちょっと手に取ってみてちょうだい。「宇宙兄弟」並に一気に読めると思おうで。そういえば、こんな台詞もあったなあ。 やりたいことを思いっきりやるためには やりたくないことも思いっきりやんなきゃ いけないんだ。(7巻) ものすごく速く取れる札があっても 残り全部取られたらかるたは負ける。(6巻)
2011年05月20日
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<東日本大震災から70日目>はるかへとうちゃんよりブラバンで選ばれなかった人のことを考えてたら「間違いノート」を思い出した。小学生の時に塾に通い始めてしばらくした頃に間違ったところだけを書くノートを作ろうということを書いた。この方法は勉強だけでなくブラバンにも役立つはず。ブラバンだけじゃなくてどんなことにも役立つはず。まあ、昔書いたのをもう一回読んどいてちょうだい。まちがいKOノートを作ろう:遥へ(93)間違いノート:遥へ(372)間違いノート(その2):遥へ(379)いつもエッセンスを考えよう:遥へ(553)一流選手はノートをつけている:遥へ(656)そういえば、そろそろ中間テスト?間違いノートを駆使して、準備は万端?苦手だからやらない、嫌いだからやらない、じゃあ本能だけで生きている動物と変わらへんで。
2011年05月19日
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<東日本大震災から69日目>はるかへとうちゃんよりブラバンの都の大会のメンバーに高1と高2の中からトランペットでは二人だけ落ちたらしいねえ。人間、困難にぶち当たった時や辛いときにその人のほんとうが現れてくる。着飾る余裕がなくなるから。失敗や挫折した時、その後の態度でその人の真価が問われるっていうもの。高1でだめだった人は、きっと「来年こそは」って思ってこれから頑張るんだろう。高2でだめだった人は。。。 つらいねえ。 でも、そこで腐ってしまうのかどうか。こう考えることもできるんとちゃうかなあ。・高校の都大会に出るためだけにブラバンをやってきたのか? ブラバンは大学でもできれば、大学を卒業してからもできる。・出られる人数に制限があるんだから誰かは落とされる。 そうしたことはブラバンに限らず、大学入試もそうだし、 その他のたいていのことで同じ。 人数制限のないものなんて そうそうない。 それに漏れたときの予行演習。 そんなことで腐ってしまう姿を後輩に見せるなんてことは かっこ悪すぎてできない。 その姿を見たら同じ学年の人はもちろん、後輩はもっと 自分たちは練習しようと思うに違いない。 そういうものが積み重なって部全体が強くなる。最後の大会で今年こそと思って頑張ってきたけれど選ばれなかった高2の先輩の姿をよく見ておこう。かっこええなあと思ったらまねればいいし、かっこわるいなあと思ったら、自分がもし同じ立場になってもこんな風にはならないぞと思っておけばいい。
2011年05月18日
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<東日本大震災から68日目>はるかへとうちゃんより「ゼロとイチはえらいちがい:遥へ(610)」昔こんなことを書いたの、覚えてる? (06年3月7日のこと。)実は、1と2も大きく違う。0と1とが違うこととは全く別の観点だけど。たとえば、Aという国だけしか行ったことがない人は、日本と比べてすごく不便だと思って「Aはすごく不便だ」と考えるだろう。でも、AとBという国で同じような経験をした人は「AもBも日本よりずっと不便やったわ。実は世界の沢山の国がAやBみたいなのかもしれない。」と考えるんじゃないかと思う。 単に「AとBはすごく不便だ」と考えるのじゃなくて。2個あるということは、3も4もあるんじゃないかという可能性を暗示する。と考えていたら、以前似たようなことを書いたことがあることに気がついた。これだ。2008年4月2日(水)「マックの効用:遥へ(1361)」この時は、この例も0と1の差として考えていたんやなあ。
2011年05月17日
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<東日本大震災から67日目>はるかへとうちゃんよりこないだのBBQに来てた廻田さんって覚えてる?行きの電車で神野さんの横に座ってはった女の人。新入社員さんなのでいろいろ勉強・経験中。廻田さんが、こんなことをツイッターで書いていた。 ”英語がもっと早く読めてもっともっと知識が増えたらどんくらい 時間短縮できるだろう。焦っちゃだめね。でも私はみんなの3倍 努力すればひとまず追いつけるってわかってる(信じてるw)ので、 3倍分の努力は続けるのだ。”遥もこれからますますブラバンと勉強で大変になるねえ。一日は24時間。その二つのための時間を確保するために何を減らそう?お風呂を1週間に1回にする?トイレの回数を減らす?
2011年05月16日
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<東日本大震災から66日目>はるかへとうちゃんより練習通りの実力を発揮できなかった。ってよく言うよね。なんぼ練習でうまくできていても本番であかんかったらだめなんだから、考え方をこう変えた方がええと思えへん?練習通りの実力が発揮できなかったんじゃなくて本番で発揮できる力こそが実力。そのレベルが高くなるように練習する。
2011年05月15日
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<東日本大震災から65日目>はるかへとうちゃんより本番って緊張するよねえ。練習の時の何割減かでしか実力を発揮できない人も沢山いる。練習だと100できるのに本番だと80になってしまう。なら、逆に考えて、本番では100にしないといけないんだから練習では130できるようにしておこう、と目標を設定するのがきっと正しいやり方なんやよね。もしくは、練習の100が本番で80になる、その減少率を下げる。練習の時から本番と同じ気持ち、自分が舞台に立っていて演奏を聴きに来ている人たちの顔まで見えるくらいに想像して練習するということもできるだろう。演奏でも楽にできるところといつもうまくいかないところがあって、そのあたりに来ると緊張してしまって、さらに悪い結果になったりもするんやろうね。とうちゃんはトランペットの経験はないけど、テストではこんな経験がある。 世界史なんかで明らかに準備不足で試験範囲の中でここは覚えてないので出て欲しくないなあと思っていた。まさにそこが出てしまって、焦っているうちに覚えていたところまで記憶が飛んでしまってさんざんな結果に。本番で実力が発揮できないのは多分ほとんどの人が同じ。それを見越した上で、どういう練習をして、どういう心構えでいるか。それが大切なんやろうね。
2011年05月14日
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<東日本大震災から64日目>はるかへとうちゃんよりトランペットで高音がうまくでなかったり、音が取りにくかったりすると時間をかけて家で練習したり、やり方を工夫しているんだとおもう。すごいことだ。こないだ「引退後のスポーツ選手の分かれ道:遥へ(2374)」ということを書いたけど、遥も同じ。記憶が苦手やと遥はよく言っているけれど、それを克服するためにいろいろ工夫してる?それとももしかして、苦手だからしかたがないやって思ってる?もし後者なら、それは自分が嫌いでやりたくないことについて自分に対して言い訳してるだけになれへん?だって、好きなブラバンだったらいろいろ工夫して努力してるんやから。好き・嫌い とやる・やらないは一致しないこともある。一致させちゃいけないこともある。好きなことばかりやってられない。もちろん、好きな方が人間やる気が出るし脳も働きやすいという研究成果もあるので好きになるにこしたことはない。とうちゃんも暗記が苦手だったので中高生の頃になんたら記憶術とか暗記法というタイトルの本を読んで他の人がどんな風に暗記しているのか。自分に合うやり方がないか。合う合わないはあるけどその中から自分なりのやり方を見つけたり、自分がやっていることが理にかなったやりかただったんだと安心したり。
2011年05月13日
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<東日本大震災から63日目>はるかへとうちゃんよりラジオ体操って体をひねったり、ぐるぐる回したり、普段の生活ではあまりしない動きをするよねえ。この、普段やらない動きをするってのがええらしいで。「あまりやらない動きを訓練としてやっておくことはいいことだ」こんな風に考えると、中学校や高校でいろんな科目を勉強するのは、学んだことそれ自体がすぐに役立つということではなくて、「いろんな考え方を学ぶこと」が大切なんだ、と考えることもできる。
2011年05月12日
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<東日本大震災から62日目>はるかへとうちゃんより生物で細胞分裂とか発生って習った?今だとES細胞についても少しは話があるんかなあ。一つのことをやり始めたら途中で投げ出さずに続けることが大事なこと。でも、こうと決めたら他のことには見向きもしないっていうのはもったいない気もする。特に中高生の頃はまだまだいろんな可能性がある。何にでもなれる未分化の段階の細胞みたいなもんやね。なのに、「これをやるんだ」「こういう職業に就くんだ」と決めつけてそれだけに絞るのはもったいない。しかも、「これ」に必要な物、必要でない物という判断は経験の少ない中高生だと間違うことも多い。なぜなら、経験が少ないために見える世界が狭いから。ということでどんどんいろんなことに首を突っ込み、いろんな科目も勉強し、いろいろな経験をしていこうってこっちゃね。
2011年05月11日
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<東日本大震災から61日目>こないだ遥が買ったブラバン関連の本に書いてあることはブラバン以外にも通じることやでって数日前に書いた。プロ野球とかJリーグとかオリンピック選手とかスポーツの一流選手で、引退後別の世界でうまくやっていける人とそうでない人がいる。(別にこれはスポーツに限らないけど)その分かれ目の一つは、スポーツの世界でやっていたことをその世界でしか使えないか、それとも、新しい世界でも使えるかの差じゃないかと思う。何も考えずに、また、厳しい練習もせずにトップレベルになれるわけがない。計画を立てる。相手のことを研究する。先のことを予想しそれに対して対策を立てる。一度や二度の失敗や負けにもへこたれない。オンとオフをうまく使い分ける。 などなど。どんなことをやるにもすごく大切なことをやっているはず。あのブラバンの本にもそんなことが書いてあったと思う。そう、ブラバンを一生懸命やっていると遥もいろんなことを学べる。そしてそれは高校生という今の遥にとっての「仕事」の中心に来るべき勉強にも大いに役立つはずなんやよなあ。
2011年05月10日
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<東日本大震災から60日目>はるかへとうちゃんより万歩計はそれを持つことで沢山歩く動機にするのではなくて普段の生活でどれだけ歩いていないかが見るようにするために買ったと昨日書いた。ほとんど歩いていないことなんて万歩計を買わなくてもわかってるんだから買わなきゃよかったじゃん、なんて思ったらあかんで。なんとなくそう思っているのと、数字ではっきりと見えるようになるのとでは受け取り方が違ってくる。「なんとなく」からは次の対策をなかなか取れないけど、「はっきりと」見えると、対策を勧化安くなる。旅行の荷物を詰める時に、まず詰めないとあかん物を全部並べて全体が見えるようにしてからつめはじめるようなもの。
2011年05月09日
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<東日本大震災から59日目>はるかへとうちゃんよりBBQから1週間。つい昨日のようでもあり、一ヶ月くらい前の話のようでもあるなあ。あっという間に時は過ぎてしまう。まずい!減量できないままにあっという間に夏になってしまうかもしれない。万歩計と体重計を買った。別にこれがあれば体重が減るわけではないけれど、まずは、普段の生活がどんなに運動していないのかが見えるようにし、日々の体重の変化が見えるようにすることが目的。そして、縄跳びもやってジョギングもやって少しは脂肪が燃えるようにしよう。でも、なんと言っても体に入るのを減らさないとねえ。学生のころじゃないんだから、運動で体重を減らそうと思っても減るわけがない。ということで、とりあえず夏までは外食時にデザートを食べないことにした。健康のために減量するので、急激に無理な減量をするつもりはない。地道に少しずつ。ブラバンの基礎練習や英語なんかといっしょ。なかなか効果は目に見えてこないけれど、続けていればそのうちある日急に効果が出てくると信じてやってやろうじゃないか。
2011年05月08日
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<東日本大震災から58日目>はるかへとうちゃんより「教えない教え」という本をこないだ紹介した。これは本来は指導者や上司を読者として想定しているものだけど、教えられる立場の人が読んでも学ぶ点があると書いた。たとえば、アメリカに野球のコーチの仕方を学びに行った時にDon't over teach.と教えられたと言うことを書いていた部分。「教えすぎはいけない」のはなぜか、という説明で、こんなことが書いてある。「教えられて覚えた技術はすぐに忘れてしまうものなんだ。それとは逆に自分で掴んだコツというのは忘れない。 だから私たちコーチは、選手がそのコツを掴むまでじっと見守っていてやらなければいけないんだ」・教えられるのではなく、自分でコツを掴むことが大切だとわかる。・先生や親、コーチがすぐに答えを教えてくれない時は、生徒自身が 自ら試行錯誤してコツを掴むことを待っているんだ、と理解できる。
2011年05月07日
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<東日本大震災から57日目>はるかへとうちゃんより「めざせ吹奏楽コンクール 脱・銅賞バンド大作戦!~今日からできる54の方法~ 」っていう本を昨日買ったよねえ。ちらっと読んだ。あれはいい本だ。いつも言っているように、一つの分野に通用することは他の分野にも通用する。あの本に書いてあることをブラバンの活動だけに当てはまることだなんて思ったらもったいないで。嵐の本でも探しているのかなあと思ったら、どうやったらすこしでもブラバンのレベルがアップするかについての本を探していたと言うこともとうちゃんはちょっとうれしかった。
2011年05月06日
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<東日本大震災から56日目>はるかへとうちゃんより日本に来てからマンガ以外で読んだ本は今のところ2冊。プロ野球の元監督の権藤さんが書いた「教えない教え」と渡辺由佳里さんが書いた「ゆるく、自由に、そして有意義に──ストレスフリー?ツイッター術」。前者は、指導者向けの本。後者はツイッターユーザー向けの本。でも、共通点がある。それは、一見対象じゃないようなものについても役に立つと言うこと。「教えない教え」は指導者向けなので、指導される立場の人にとっては無関係のように思えるかもしれないけれど、指導される立場の人が読んでもその人の意識によってはたくさん得ることがある。 こういうときに人は伸びるんだから指導者はこういう風に接した方がいい、とかこういう風に接しない方がいいというようなことが書いてるんだから、逆の立場から読めば、自分が伸びるためには自分でこうした方がいいんだ、ということが書いてることになる。「ゆるく、自由に、そして有意義に」にはツイッターとの接し方、ツイッターで人と関わる際の注意点などが書いてある。以前から何度も言っている、ネットもリアルも根本的なところは変わらない、ということから考えると、「ツイッターとの接し方、ツイッターでの人と関わる際の注意点」はリアルでの人との接し方を書いてる、と考えることもできる。物語(小説、神話などなど)はいくつかのパターンに分類できるとよく言われる。人間のやることなんて基本的にはそんなに沢山の種類は無いもんだと思えば、表面上は自分とは関係ないように見えても、自分に理解する力があればいくらでも学べる点はあるというこっちゃね。
2011年05月05日
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<東日本大震災から55日目>はるかへとうちゃんより「あの人は才能があるけど私にはないから(仕方がない)」なんて言ったり、思ったりすることない?それって、二重に失礼やと思う。「あの人」に対して、 そして、「自分」に対して。「あの人」は努力をしていないとでも言うのだろうか?「自分」は努力しても無理だと言うんだろうか?なんてことを昨日表参道を歩いていてふと思った。
2011年05月04日
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<東日本大震災から54日目>はるかへとうちゃんよりBBQに遅れてきた人。もちろん、最初から来てくれはる人もうれしいけど、遅れて来る人もうれしいよねえ。5分、10分の遅刻で来る人というのは不注意かもしれない。でも、1時間、2時間遅れても来てくれはる人っていうのは、「2時間遅れてしまうから、もう今日はキャンセルしようか」と考えることもできたのに、わざわざ来てくれはった人。ドタキャンOKって最初から言うてるんだから、適当に理由をつけてキャンセルすることは可能なのに。今回もお昼を過ぎてから来た人や、もう終わった頃にあと20分くらいで着きますって電話してきてくれはった人もいる。(その人は前の日か、その日まで仙台に行ってはって、わざわざ来てくれはった。)ありがたい話だ。
2011年05月03日
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<東日本大震災から53日目>はるかへとうちゃんより昨日のBBQ、楽しかった?まずは雨を降らせなかったおてんとうさんに感謝やね。そして、場所取りや買い物、いろんな準備をしてくれはった人たちに感謝。さらには、盛り上げてくれはった参加者のみなさんに感謝。遥も知ってるように、とうちゃんは声をかけて時間と場所を決めてるだけで当日なんにもしてないからねえ。で、今日のとうちゃんの最大のミス。それは、デジカメにSDカードを入れずに行ってしまったこと。しかも、帰宅してからwebにアップしようとしてカードを取り出そうとするまで気づかなかった。 数日前にPCに写真を取り込む必要があってカードをPCに入れてそのままになっていた。写真を撮ることが目的じゃないけれど、写真は記憶のフックになりうる。 あ、あの時こんなだったと思い出すきっかけになりうる。それができなかった。大失敗。「しょせん遊びなんだからいいじゃん」っていうことやないで。やる、となった以上は仕事も学校行事も遊びも関係あれへん。みんな同列。50人の人が1日つぶして来てくれてはるんやからね。一つの作業が終わったら、すぐに片付けていたらこんなことにならなかった。
2011年05月02日
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<東日本大震災から52日目>はるかへとうちゃんより日本のマスコミはなってない。CNNやBBCのような欧米のマスコミはきちんと取材して真実を伝える。そんなニュアンスのコメントを聞いたことはない?もしくは、そんな風に思っていなかった?(CNNもBBCもよく知らないから、なんとも思ってなかった、というのはそれはそれでちょっと寂しい。)これまでCNNやBBCの報道で目にし、耳にしてきたものは日本人のほとんどが直接には知らない国の出来事だった。でも、今回は違った。日本人が日本で被害にあった大震災についての報道。日本人と日本が報道対象。海外のマスコミの記者がどこまで足を踏み入れて取材しているかもよくわかる。花粉症で沢山の人がマスクをしているのを放射線を防ぐためだと報道したとこともあるらしい。今回の件でわかったことは、ちょっと引いて考えてみたら当然のこと。常に欧米のマスコミの方が日本のマスコミよりも正しい情報を多く持ち、正しい判断をすることができる、なんてことはないだろうということ。日本だから、とか欧米だから、という見方をするのじゃなくてそれぞれの案件ごとで判断するようにしないといけないなあという話。一般化してきたら、ちょっと疑ってみるのがええね。
2011年05月01日
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