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<東日本大震災から295日目>はるかへとうちゃんより今朝、ホテルを何時に出発するかを考えるために奈良から京都までの電車の時間を調べた。その時、これに乗ろうという電車を調べた後に、もしそれに乗り遅れたらっていう場合を調べたよね。多分みんな同じようなことをやってるとは思うけど、こういう備えは大切やで。もちろん、これに乗ろうと考えた電車に乗られるように努力するのは当然。でも、ダメな場合もある。その時に、どうなるのか?乗り遅れても次の電車でも大丈夫なのか、もし大丈夫じゃなければ「これで大丈夫だろう」というよりももう少し早くスタートしないといけないという対策を取ることができる。いつも最悪のケースを考えないとねえ。
2011年12月31日
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<東日本大震災から294日目>はるかへとうちゃんより昨日の晩ご飯をRAHOTSUで食べた後のこと、とうちゃんたちが見えなくなるまでRAHOTSUの山田さんはお辞儀してはったねえ。ママがすごいねえというニュアンスで言った時、とうちゃんは「当然のことだ」と言った。でも、それは当然だから大したことじゃない。ということではない。当然なんだけどその当然のことができてないということがどれほど多いことか。(お辞儀に限らず。)お客さんが見えなくなるまでお辞儀をしていても、そのことに気づいてくれるお客さんはものすごく少ないかもしれない。でも、気づきはったお客さんは「きちんとした人が働いている(きちんとした)お店だ」と思うに違いない。 それに、お客さんが気づきはらへんかったとしても、お店の周りの人、たまたま通りがかった人でその姿に気づく人もいるやろう。 そうした人も同じように感じるに違いない。もちろん、山田さんはそんなことを考えてやっているのじゃなくて自然にそうなっているんだと思う。遥はまだお客さんを迎えてお辞儀をして送り出すような立場にはないので知識としてしか蓄えられないだろうけど、それでもかまわない。最初はその知識が基になってお辞儀をしていてもそのうちに”習い性となる”で自然とできるようになってくるから。「お辞儀」で過去に書いたものを検索したら3つ出てきた。2011年9月22日(木)「さらに3秒:遥へ(2306)」2007年1月20日(土)「エチオピアのお客さんと駅伝:遥へ(929)」 昨日書いた「バトン」の話にもつながってた。2005年1月30日(日)「お客さんが見てないのにきちんとお辞儀するのはかっこええ:遥へ(228)」
2011年12月30日
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<東日本大震災から293日目>はるかへとうちゃんよりさっきやってた「秘密のケンミンSHOW」。大阪人はああだ、こうだっていろいろやってたねえ。大阪人が身近にいるのでああいう面もあるけれど、あれはすごく誇張しているということもわかったはず。テレビ番組としては大げさに言っておもしろおかしくする方が視聴者に喜んでもらえる。「ああいう面もあるけど」ってわかったのは、遥がそうじゃないことを知っているから。あの後のコーナーで東北についてやっていた。でも、とうちゃんも遥も東北についてはよく知らないから、「ああいう面もあるけど」と思わずに信じてしまいがち。気をつけないとねえ。でも、ちゃんと考える頭を持っていたら、自分が知っている分野で「ああいう面もあるけど」って思うんだから、自分が知らない分野でも同じような状態に違いないと考えるのが普通やよね。そういう風に考えられるかどうかってのが大きな差になるんだろうねえ。
2011年12月29日
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<東日本大震災から292日目>昨日(28日)は買い物や新幹線の移動やらでドタバタしていて28日中のアップに間に合わなかった。でも、ほんの少しなので28日分としておいて。さて、はるかへとうちゃんよりLilaclogさんという人のツイートでこういうのがあった。「新幹線の車掌さんや、飛行機のパイロットに女性がいるのを見るたびに、今の女の子達は将来は車掌さんとかパイロットになろうとか、昔より自然に思うんだろうな、とちょっと嬉しい。私が子供の頃は、別に女性でもなれるって、教えられない限り思わなかったもの。」昨日乗った新幹線でも女性の車掌さんがいてはったよね。こないだ紹介した日経の記事では運転士さんもいてはった。「なんで女性が?」とか「女性のくせに」って思われながら開拓者となってくれはった人たちがいるからこそ、今野状態があるんやよね。日本から大リーグに行く選手の先駆けとなった野茂選手のようなもの。以前書いたこともあるけど、とうちゃんたち外国で仕事をしている人たちについても同じで、これまでの人たちがきちんと仕事をしてくれはったおかげで我々日本人はすごく仕事がやりやすい。先輩方への感謝を忘れちゃいけないよねえ。それとともに、自分たちも次の人たちにバトンを渡す身としてよりよくバトンを渡していかないとなあとも思うよね。プレッシャーに感じたり肩肘をはる必要はないけど、こういうことは忘れちゃいけないことだと思う。
2011年12月28日
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<東日本大震災から291日目>はるかへとうちゃんより「眼を見なさい!」という本を読み始めた。アスペルガー症候群の人が書いた本。人と話をする時は相手の人の眼を見ようということはこれまでとうちゃんも何度も遥に言ってきたこと。この本の著者も子どもの頃に何度も言われた。「眼を見なさい!」って。でも、アスペルガー症候群の人はそれができないらしい。「アスペルガー症候群の僕たちは眼を見て話すのが、単に心地悪いのだ。相手の眼玉をじっと見ることがなぜ正常だと思われているのか、僕には全然理解できない。」この部分がネットかメルマガで紹介されていて、興味を持ってアマゾンからうちに送っておいた。まだ数ページしか読んでないんだけど、こんな部分があった。 (アスペルガー症候群とは直接関係ないけど。)「多くの人たちが同じことを言うので、僕は言われたことを信じるようになっていた。」そうやよねえ。たくさんの人が言うこと=正しいこと には直接的には結びつかない。だからといって、少数意見の方が正しいこと、というわけじゃないんだけど。
2011年12月27日
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<東日本大震災から290日目>はるかへとうちゃんより日本に帰ってきたらテーブルに置いてあった「青空エール」の8巻。遥はまだ読んでないんやったっけ?白翔高校の吹奏楽部にある旗に書いてある文字が「一心不乱」。全国大会で銀賞を取った時に後輩のために作ったもの。銀賞を取ってすごいっていうのじゃなくて、それまで10年間ずっと金賞を取ってきたのに銀賞になってしまった。「白翔は金賞とってあたりまえ」とまわりから言われ続けておごってなかったか。たゆまず努力をしたろうか。自分たちの心に油断はなかったか。後輩には自分たちは精いっぱいすべてをかけたとどんな結果に対しても言えるようにそういう気持ちで作って後輩に置いていった旗なんやって。クラブはあと1年ちょっと。高校はあと2年ちょっと。さあ、来週の初詣で遥はなにを神さんに誓う?*運動:○
2011年12月26日
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<東日本大震災から289日目>はるかへとうちゃんよりはるかが将来やりたい仕事に就くにはどのあたりの大学・学部に入っといた方がええのんかなあ。そこに入るには学校の中でだいたいどのあたりにいないといけないのかなあ。ここ数年の先輩の結果を見たらある程度の予想はつくよね。あと2年ある。ゴールとスタート(今の自分の位置を)確認して、どうやってたどり着くようにするのか。それをまず考えないことにはどうしようもないなあ。やみくもに進み始めても100キロの道を10日で行かなあかんと時に1日5キロ進むという計画を立てたらその時点で間に合わないことは明白。とりあえず1日5キロ進み始めるか。じゃなくて、10日で100キロ進まないといけない。 がわかってから、1日何キロか、ってのを考えることになる。地図なしには無理やでえ。模試の結果、偏差値の一つの使い方はそこにある。念のために言うとくと、ゴールと書いたけど、別に大学入試がすべてのゴールじゃないで。入試ということを考えた場合のゴールと言うだけの話。で、昨日は運動はしていない。(飛行機の中やったから。 ガーナから飛行機で2泊してきたからなあ。)
2011年12月25日
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<東日本大震災から288日目>はるかへとうちゃんより”わかっているのは、わかっていないということだけ”「旅する力」という沢木耕太郎さんの本で見つけた。沢木さんがバンコクで会ったどこかの駐在員の人が話した言葉。「ほんとうにわかっているのは、わからないということだけかもしれないな。(略) 中途半端に知っていると、それにとらわれてとんでもない結論を出してしまいかねないんだ。 どんなに長くその国にいても、自分にはよくわからないと思っている人の方が、結局は誤らない。」この本、アクラに来る前に友達から薦められた本。飛行機の中で読もうかと思って少し読みかけたらおもしろかったので空港に行くまでに読み終えてしまいそうだ。家においておくのでそのうち読んでみてちょうだい。*運動 ○
2011年12月24日
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<東日本大震災から287日目>はるかへとうちゃんより24時を回ってるんだけどネタがないので簡単な言葉でお茶を濁しておこう。(だいたいこちらの23時頃=日本の朝8時頃を目指してるんだけどねえ。)誤解されて好きになられるよりは正しく理解されて嫌われる方がいい。とうちゃんが以前から思っている事。そうそう。今日は運動したで。
2011年12月23日
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<東日本大震災から286日目>はるかへとうちゃんより「私も悪かったけど、あなたもこれこれが悪かったじゃない?」なんて言う人がちょこちょこいてるよねえ。たとえば、「私も不注意やったけど、知ってたんやったら教えてくれてもよかったやん」なんていう人、はい。この人は、いつまで経っても変わらず不注意のままです。なんでかわかる?「自分も不注意だった」ということで、なんとなく自分の非を認めたように見える。が、そうじゃないねんなあ。「教えてくれてもよかったやん」が主眼。というよりそれしか頭にない。矢印を自分に向けず相手に向けてるだけじゃあその人はいつまでたっても変わらない。
2011年12月22日
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<東日本大震災から285日目>はるかへとうちゃんより海外コーディネーター、ラジオジャーナリストをしているという人から突然mailがやってきた。昔エチオピアにいた時に作っていたHPを見てのmail。なにやら、制作にその人が関わっているラジオの番組に出演してもらえないかという話だった。もちろん、とうちゃんは今はエチオピアにいない。ということで、10年以上前にエチオピアを離れていること、現在エチオピアにいる日本人の知り合いもいないことを伝えた。とうちゃんは届いたその日に返事をしたんだけど、一週間以上経ってるんやけど何の反応もない。しばらく忘れてたけど、昨日思い出して、とうちゃんは「ラッキー」って思った。 ネタがいっこできたから。前にも書いたけど、とうちゃんは個人攻撃をする気はないので別にその人の名前を書く気はさらさらない。ただ一点。遥はこんなどあほうなことをやったらあかんでっていうだけの話。「これこれできますか?」「できません」これで会話は終わっているじゃないか、と思うかもしれない。もしそう思ったら、不合格やで。こんなmailを目の当たりにして、とうちゃんは昔のmailの例を思い出した。調べてみたら、季節はちょうど今頃だった。 奇遇やねえ。05年の12月20日の分。 小林麻美さんのmailの話。「すごいメール:遥へ(533-2)」がそれ。
2011年12月21日
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<東日本大震災から284日目>はるかへとうちゃんより日経は文化欄が面白いという話は何度か書いた気がする。日本経済新聞という名前で、就職前の大学生とか会社員は経済のニュースを知るために読む新聞という評判があるけれど、とうちゃんにとっては経済以外の部分の方が楽しい。で、その日経の夕刊に「シニア記者がつくる心のページ」というのがある。これもやっぱり土曜日。いつも5面あたりにあるので一度読んでみて。毎週3つ記事があって、一つは一人の人に焦点を当てた記事。そして、今は陸前高田市に焦点を当てた連載記事。もう一つは、エッセイのようなもの。どれも興味深い記事。今日は11月19日の「陶工60年の含蓄」と題された 14代沈 壽官さんへのインタビュー記事の中の一説の紹介。陶工に成り立ての頃のおとうさん(13代 沈 壽官さん)との会話。「俺は不器用や。そげな芸はでけん。 どうすれば上手になるだろうか」と聞きました。父は目をつむって「思い続けることじゃ。 思い続けて10年もたてばうまくなる」と言ってくれました。それからは美術館などで気に入った焼きものがあると自分ならどうつくるかを考えるようになりました。 不思議なもので考え続けるとつくりたいものが見えてくる。考えさせられるねえ。★あぶない、また忘れるとこやった。(実際には一回忘れてアップしてしもたんやけど。) 夜の運動、OK。
2011年12月20日
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<東日本大震災から283日目>はるかへとうちゃんより「続けられるような仕組みを作る:遥へ(2387)」ってこないだ書いた。でも、その後、運動やったで、なんて書いたのをここで見てないよねえ。うまくいくだろうと思った仕組みがやり始めてみたらあまりうまくいってないんやなあ。理由はいろいろある。それを解決できるようなやり方を考えて、仕組みを微調整しないとねえ。試行錯誤で微調整していくことが大切であって、一度やり始めたことがうまくいかなかったことで落ち込むことなんてない。 もっと言えば、そんなことで落ち込んでる暇なんてない。(まあ、とうちゃんの今回のことは大したことじゃないけど、多くのことについては「落ち込んでる暇なんてないで」ってことが当てはまる。)微調整しないといけないっていうことも、やり始めたからこそわかること。ああでもないこうでもないっていつまでも完璧なのを考えていても時間だけが過ぎてしまう。いい仕組みにするためには何回かの微調整が必要。そして、その仕組みに慣れて、いちいち意識的にやらなくてもできるようになるまでには時間も必要。てことで、仕組み作りのための行動は1日も早く着手した方がええってことやね。(ここで、予定作りや勉強の仕方のことを思い出してくれるとありがたいんやけどねえ。 遥が小学校の頃から言うてたからねえ。)そうそう。今日は夕方に少し運動をした。
2011年12月19日
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<東日本大震災から282日目>はるかへとうちゃんよりこないだ日経の土曜日の連載記事でニュースクールってのがあって毎週一つの職業が採り上がられているとmailした、読んでる?11月26日のは新幹線の運転士さんの記事だった。しかも女性。その記事の中で初めて知ったこと。すごいなあって思ったこと。新幹線の速度ってほとんどは運転士さんが運転中に暗算で速度を決めてるんやって。止まる駅での出発と到着の時間が決まっているっていうのは容易に想像がつくよね。それいがいにも、駅を通過する時刻も15秒単位で決まっている。Aという駅で通過する時刻が13時10分30秒となっていたら、その6分前に駅までの距離が24キロだったら時速240キロで走ってないと間に合わない。というようなことを瞬時に計算してスピードを上げ下げするらしい。年末に新幹線に乗る時にはこのことを思い出してみよう。いや、そんなことより、日経の土曜日の記事を毎週読もう。試しに、昨日の朝刊の真ん中あたりにあるこの連載記事を読んでみて。今週はどんな職業について書いてある?
2011年12月18日
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<東日本大震災から281日目>はるかへとうちゃんより熊坂さんって覚えてる?お好み焼きとたこ焼きの会でうちに来はったような気もする。ファイスブックについての本を書いたりして、最近はいろいろ雑誌やテレビに出たりもしてはる。シアトルにあるスターバックスの一号店に行きはったんやって。そこは、take away専門のちっちゃなお店。そして、注文する時に名前を伝える。すると、できあがったらその名前を呼んでくれはるんやって。京都にも同じようなシステムのところがあった。なかじま食堂っていう学生がおもに行っていたところ。別に本名である必要はないので、遥が「櫻井翔」って言って注文したら、できあがったら、「櫻井翔さん!」って呼んでもらえる。ネットで調べたらどうやらつぶれてしまっているようだけど。そんな話はともかく、とうちゃんがもった疑問、ふたつ。・一号店でやっていたことをどうして他のお店ではやってないんやろう?・なんで今も一号店では続けてるんやろう?ええやり方なら他でもやったらええやろうし、あかんねやったら、一号店でもやめたらええんちゃう?
2011年12月17日
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<東日本大震災から280日目>はるかへとうちゃんよりブラバンで朝練ってあるんやよねえ。高校野球なんかでもよく聞く。美容室でも朝練があるって知ってた?遥がいつも髪の毛を切ってもらっている美容室の人たちもツイッターをやってる。何人かの人はフォローしてて、その人たちのツイートで知った。(もうだいぶ前から知ってたんやけどね。)居残り練習があるのかどうかは知らないけど、朝練はあるし、お店が休みの日にも練習のためにお店に来たりしてはるらしい。お店の人同士で勉強会みたいなのもやってはるんやって。見えへんところで地道な努力をしてはるんやなあ。
2011年12月16日
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<東日本大震災から279日目>はるかへとうちゃんより遥は国語が苦手やったよねえ。今もかなあ。国語という科目が苦手なだけじゃなくて、きちんと筋道を立ててわかりやすく話す、説明するというのも得意ちゃうかったよねえ。日本語はきちんと話せる方がええで。なぜか?自分の思いをうまく伝えられないと、ほんまは自分が悪いのに、伝えられないというその事実に自分自身がもどかしくなって、ついカリカリとしてしまう。なんでこんな事を思ったか?それはとうちゃんがしょっちゅう経験してるから。場数と度胸だけで乗り切っているけど、とうちゃんは英語が苦手だ。で、あることを説明しようとしてもうまく説明ができない。自分が言いたいことの半分も言えないこともある。そうすると、気が短くなって英語が下手な自分が悪いだけなのになぜか相手に向かって怒ってしまっている。とんでもない話やよねえ。特に、相手に文句を言いたい時によく起こる。それでなくても向こうが悪くて腹が立っているのに、それをうまく説明できない。 もうむしゃくしゃむしゃくしゃ。でも、そのむしゃくしゃの原因は自分。日本語、英語。 どちらでも自分の言いたいことがきちんと伝えられるようになっておいた方がええで。おっと危ない、忘れるとこやった。アップの前にちょこっと運動したで。
2011年12月15日
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<東日本大震災から278日目>はるかへとうちゃんよりこないだ、これから朝の体操に加えて毎晩少し運動するって書いた。(あ、こないだってたった3日前やった。)ところがさっそく2日目にして挫折。晩ご飯食べて、ネットしてたら運動するのを忘れて寝てしまった。で、昨日の晩ジムで走っていて思いついた。できないなら、できるような・できやすくなるような「仕組み」を作ってしまえばええんやってこと。で、考えたのは、このブログを書く前には運動するということにすること。そして、やったかどうかをブログの最後に書くっていうこと。毎日このブログを書いてるんだから、忘れないし、毎日運動するようになるはずやよね。ということで、今日の運動は○や。
2011年12月14日
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<東日本大震災から277日目>はるかへとうちゃんよりこないだこんなことがあった。車で移動中の話。とうちゃんの車が走っている道の右側にある駐車場から車が出てこようとしていた。(ガーナでは車は右側通行なのでとうちゃんたちの走っている車線のすぐ横から出てこようとしていたということ。)とうちゃんたちの方が優先なのでその車は待っているのが普通なんだけど、見るからに出てくる気満々。とうちゃんの車が近づいたところで、案の定道に出てこようとした。とうちゃんの車のドライバーはクラクションを鳴らし、運転席で声を荒げて怒ってる。さて、ここで問題。運転手の行動は正しいのかどうか。向こうが悪いんだから運転手は正しい。と言えるかもしれない。が、とうちゃんは、この運転手はバカじゃないかと思った。マナー違反をする気が満々の車は事前に察知して、クラクションを鳴らして警告するか、本来は相手が道を譲るべきだけど自分がスピードを落として相手を先に行かせるか、このどちらかをすべきだろう。直前になって急ブレーキを踏んだり、出てきてからクラクションを鳴らすのは下手くそなやり方やと思うで。安全でスムーズは運転をするのが運転手の役目なんだから、この先どういうことが起こりそうかということを事前に察知して、早め早めにアクションをとっていく。これが求められることだろう。そして、察知せずに直進してしまったことや察知してても事前に何の行動も起こさなかったことを反省せずに相手をばかり責めていても自分の行動改善には結びつかない。ついこないだ書いた「言ったとおりにしてくれなかった人だけを責めても次につながらない:遥へ(2380)」っていうのと同じような話になってしもたなあ。
2011年12月13日
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<東日本大震災から276日目>はるかへとうちゃんより昨日朝5時前に起きて釣りに行ってきた。もちろんとうちゃんが旗を振ってみんなを誘ったわけじゃない。釣りの趣味はないからねえ。誘ってもらったので、海釣りというものを初体験。とうちゃんは釣り竿をもっていないので、釣り糸をそのまま手でもって船から垂らしてた。なかなか面白かった。4時間くらい海の上にいて、浜辺に戻ろうとしてボートが方向を変えた時に感じたことがある。それは、帰る先が見えているということがすごく安心感があるっていうこと。時間も短く感じる。海に出る時はなんにも目標がない。 どこを目指して、どこまでいくのかがさっぱりわからない。すごく大きな差。これが昨日とうちゃんが乗った船。
2011年12月12日
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<東日本大震災から275日目、 そして9ヶ月>はるかへとうちゃんよりとうちゃんが意地でこのブログを毎日書いてるのは知っての通り。大したことは書いてないけど、毎日書くとなるとけっこう大変で、ネタがなくて夜中の1時、2時まで起きてる時もある。(本や人の言葉の紹介だけというかなり手抜きの時もあるけど。)ブログは夜中まで起きてでも書く。そのくせ、減量については何かと理由をつけては運動をサボったり、甘い物を食べたりする。他の人でもちょこちょこいるよねえ。人の姿を見て「わたしもああなりたいなあ」なんて言うけれど、それに向けてはさほどの努力をしていない人。そんな人は結局は、そうなりたいという気がないだけの話やよね。もちろん、努力しても超えられない壁ってのもある。でも、とうちゃんの減量をはじめとして、ほんまに切実に思っているならもっと努力してるはずやろ、その程度しかしてないってのは、思いが足らんねんでということも多いよね。ってことで、今晩からちょっと家でも運動することにした。
2011年12月11日
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<東日本大震災から274日目>はるかへとうちゃんより昨日の朝、会社に行く前にネットをしていてツイッターでこんな書き込みを見かけた。(改行したのはとうちゃん) RT @kotaism: 『遺体』(新潮社)について大切なお知らせがあります。 本書に登場する、津波によって母親とともに流された赤ちゃんのお父様から 連絡があり、あることを託されました。そのことについてブログに書きました。 お読みいただければ幸いです。http://kotaism.livedoor.biz そして、紹介されているブログを読んで朝の出勤前に涙してしまった。ということで、この本をさっきアマゾンで注文した。「遺体―震災、津波の果てに」年末に日本にいる間に読んでしまってうちにおいておくので遥も読んでみて。今の試験が終わってからとうちゃんが帰るまでに読んでしまってもええで。読むのは辛いかもしれないけど、読んでおいた方がいい本だと思う。以前、こんな事を書いたことがあるのを覚えてるかなあ。2005年7月10日(日)目をそむけちゃいけない:遥へ(371)2006年12月10日(日)見なあかんもんは見なあかん:遥へ(887)2010年1月17日(日)15年。生きているとうちゃんたちにできることはなんやろう?:遥へ(2101)
2011年12月10日
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<東日本大震災から273日目>はるかへとうちゃんよりフランス人は自分のことがむちゃくちゃ好きに違いない。こんなことをパリのメトロに乗っている時に思った。全く根拠はない。自分が好き → 他人にとやかく言われたくない → それを他人に期待するということが他人にもとやかく言わずに尊重することにつながるこういうことなんやないやろか?(ほんまは、この筋道の逆で、フランス人は我が道を行くってな奴が多そうだ。そういう奴らを許容するんやよなあ? 何でや?それはきっとフランス人は自分が好きだからやないやろか? って思ったんやけどね。)実はそうでもなくて、「他人と一緒はおもろない」となぜか多くの人が考えているので、他人と一緒じゃない人が増えるし、一緒じゃない人が歓迎されるってだけかもしれへんけどね。とうちゃんが通っていた大学がそんな感じやった。
2011年12月09日
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<東日本大震災から272日目>はるかへとうちゃんよりあかんねえ。年を取った証拠だ。パリはそこそこ知っている。だから、気楽に行ける。若い頃なら、一回行ってるから他の所に行こうって考えてたはず。同じところ、気楽なところよりも初めてのところ、立っているだけでどきどきするような緊張感のあるところの方が楽しいじゃないか、と思って行っていたはず。おっさんになった証拠やで。遥は次回海外旅行する時はパリ以外に行くことやね。
2011年12月08日
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<東日本大震災から271日目>はるかへとうちゃんより昨日隣の部屋からAさんがBさんを問い詰めている声が聞こえてきた。どうやら、AさんがBさんに蛍光灯を5本買って来てくれと言ったのに、Bさんは間違って1本しか買ってこなかったらしい。5本買って来てくれと言ってその分のお金を渡したじゃないか。1本だったらそんなにたくさんお金を渡すはずもないだろう。なんてことを言っている。その気持ちはわかる。Aさんの言い間違いじゃなくてBさんがきちんと聞いてなかった可能性が高い。Bさんはちょっと抜けた人だから。だから、とうちゃんはAさんが悪いと思って聞いていた。なぜか?AさんもBさんがちょっと抜けていることはよくわかっている。それなら、口頭だけで依頼をするのじゃなくて、紙に書いて渡せばよかった話。そうすれば誤解のしようがない。自分はちゃんと伝えたのに、相手がきちんと理解しなかった。 言ったとおりに相手が買ってこなかった。Aさんがこんな風にしか考えなかったかどうかはわからない。もしAさんかこんな風に考えていたとしたら、次回も同じようなミスをするかもしれない。「相手が悪い」じゃなくて、Bさんはこんな人だとわかっているのに誤解がないような方策を考えなかった「自分が悪い」と考えない限り同じ事の繰り返しとなる。口頭だけで済ませてしまった自分。 あほやなあ。メモ書きする程度の手間をなんで惜しんだんやろう? てな風に考えないとねえ。
2011年12月07日
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<東日本大震災から270日目>はるかへとうちゃんよりとうちゃんが今働いているところはとうちゃんを合わせて3人しかいない。3人しかいないからひそひそ話ができないくらい狭い部屋。聞く気になったらとうちゃんがAさんに話すことは全部Bさんも聞くことができる。Aさんへのアドバイスや注意をBさんも聞いてくれていることを期待することもあるねんけど、なかなかそういう風にはなれへんねんなあ。もったいない話やよねえ。Bさんはすごく損をしてるよなあ。自分が同じような場面に遭遇しなくても、同じような失敗をしなくてもアドバイスを受けることができるのに、Aさんへの話は自分には関係ないと思っているみたい。他の事をやっていたので聞いてなかった。ということかもしれない。もしそんな風に考えていたら、それはやっぱりBさんの心構えが今ひとつって事やね。「他の事をやっていた」→「聞こえなかった」というのは事実かも知れない。でも、「他の事をやっていた」→「でも、Aさんに話し始めた声が聞こえたので中断して聞こうとした」 っていう風にどうしてなれへんねやろねえ。それは、はなっから聞く気がないというか、Aさんへのとうちゃんの話は自分にも当てはまることがあるという意識がBさんにないからやよねえ。ああ、もったいない。
2011年12月06日
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<東日本大震災から269日目>はるかへとうちゃんより年末年始の休暇。パリで落ち合って数日パリで過ごしてから日本に行くってのはどう?なんて言うたら、あっさりとクラブの方が大事だと遥から却下されたけどそれはそれでよかったということにこの週末パリにいる時に気がついた。(遥に却下されたので、金曜日からの3連休を利用してとうちゃん一人で行っていた。)海外旅行なんてもっと大きくなってからでもできる。パリで落ち合おうっていうのは、遥に早くいろんな世界を見せたいといいつつ、とうちゃんの単なるわがままやったんちゃうかと思い始めた。好奇心を持ち、本をたくさん読むというような生きていく上での「基礎体力」さえきちんと鍛えられていたら、中学・高校の間はそれでOK。中高の間に海外旅行するよりも、こちらの方がよほど大切。
2011年12月05日
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<東日本大震災から268日目>はるかへとうちゃんより知ってるだろうけど、とうちゃんは大学に入る前に2年浪人している。じいちゃんは、二年間も大変やったやろうなあなんて言うたことがあるけど実はそれほどでもなかった。 結構楽しくやってたんやよねえ。そんなだったから、二浪もしたのかもしれへんけどね。現役(もしくは一浪)で合格してた方がよかったやろ? なんてむかーしに誰かに言われたことがある。とうちゃんはどっちがどうとも思わなかった。二浪したからこそ、今の友達がいるし、大学でのクラブも二浪してなかったら入ってなかったと思う。逆に、幸運にも現役や一浪で合格していたらどうか?それはそれで別の出会いがあっていろんな友達もできていただろう。もちろん、今の友達とは違うので、今とは別の人生になってるんだろうけど、だからって今よりもかわいそうなものでもなければ今よりもいいものでもない。どっちであってもきっといい友達に巡りあって、たのしくやってると思うよ。遥が何年かかって大学にはるのかは神のみぞ知る、やけどね。あ、一つだけすごく大きな違いがあった。浪人したからとうちゃんはジャイアンと知り合えたんだった。成績からして絶対になかったけど奇跡的に現役で合格していたら遥はこの世にいないんだった。
2011年12月04日
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<東日本大震災から267日目>はるかへとうちゃんより昨日書いたようなことって実はこれまでにも書いたことがあるよね。でも、「引き算」という言葉を与えられたことでまたちょっと感じがちがってくるし、覚えやすくもなる。言葉ってすごいねえ。名付けってすごいねえ。注意して世の中のことを見聞きしてると同じようなことが沢山見つかると思う。これまでも存在していたけれど、名前をつけられてなかったためにあまり注目されていなかった。 それが、ある時、名前がつけられて他と区別できるようになったことから急に注目されるようなこと。
2011年12月03日
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<東日本大震災から266日目>はるかへとうちゃんより曾野綾子さんが ラジオ版学問のススメ で言っていた。なんにつけても これがない、あれがない と引き算で考えるかあれもある、これもある と足し算で考えるか。生き方としては足し算がいいよねえ。でも、引き算で考えた方がいい時もあるような気もする。仕事や練習の時とか。
2011年12月02日
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<東日本大震災から265日目> はるかへとうちゃんより人間、慣れっちゅうのは怖いもので最初は「え?」って思うようなことでもそのうちにそれが当たり前になってしまうよねえ。(いい面でもありよくない面でもあり。。。)こないだ、そういうことを痛感したことがある。こっちに住む日本人の人たちとご飯を食べていて、ガーナに住むのは大変かどうか、辛いかどうかっていう話になった。・生ものが食べられない。・卵に触るとサルモネラ菌に気をつけねばならない。・水道水が飲めない。・スーパーなどで同じ商品がいつも手に入るとは限らない。・本、スポーツ用品など娯楽品を買えるお店がほとんどない。・服も日本人が買えるようなものがほとんどない。・映画館は一つあるが、見たい映画をやっていることはまずない。・屋内プールがなく、屋外プールは水の質が悪いところが多い。 かなり新鮮だった。とうちゃんがガーナはどうかって考える時の比較対象なんてアルジェリアとエチオピアとコートジボアールやからねえ。途上国ってのはこういうもんだと思っていたので、何がつらい?ってきかれてもあまり思い浮かばなかった。言われてみれば、たしかにそうだなあ。。。とは思うこともあるんだけど、基準が高すぎない? と思う点がないこともない。まあ、どこがつらい?という話題だったので、強いて言えばこう言う点がつらいかなあと出てきたのかもしれない。辛いところ、というのが話題だったけど、きっとそれ以外でも慣れっこになってしまって気づかずに過ごしていることがいっぱいあるに違いないと反省した一瞬だった。
2011年12月01日
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