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何を思うか?その思いはどこから来たのか?その思いは正しいのか?正しくないのか?正しいとすればそれは何故なのか?正しくないとすれば、それは何故?正しくない思いをもし、毎日のように思っていたらどうなるか?その正しくない、という評価は誰がするのか?たとえば、わたくしなぞは、毎日のように人はみな平等だ、誰も差別されてはならない、従って天皇も差別されない権利を持っている天皇制はないほうがいい、人間として皆平等なのだから・・・外国人も日本人も人間としてなんら区別する必要を感じない、なので、殊更に国歌を歌えといわれたり、国旗に敬礼しろと言われても、何でそれを強制されなくてはならないか?と考える・・人にそれを強制するのはよくないことだと考える・・・習性があります。それで今回の最高裁の判決「君が代の伴奏を命じることは思想の自由を謳っている憲法に反しない」だから都教委の処分は妥当ですと!最高裁の判決だから、期待はあまりしてませんでしたが、やはり、とがっかりです。最高裁が一番権力に近いといつも思っているのですが、今回はまたその思いを新たにしました。国家にしてみれば、由々しきことを毎日思っている私。でも、国家より、地球の明日の方が人間にとって大事だという気持はどうしようもありません。国家より、一人一人の人間の方が大事だと思う気持をどうすることもできません。「千の風になって」という歌にならって、私も言いたい。「歌をうたうことを強制しないで下さい。そこに心はありません。」(なぜ天皇制の永久的な存続を願わなくてはならない?それは苦しみの連続です。終わることのない差別の歴史になります)「旗に敬礼することを強要しないで下さい。そこに人はいません。」
2007年02月28日
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岡山県の「夢アスリート発掘事業」今日のラジオ夕刊で取り上げていたのは上記の初代合格者の話題。応募小学(3年)生913人の中から、23人が選ばれてこれから小学卒業までの3年間、いろんな経験を積むことにより、中学生になったら、自分の好きなスポーツ、自分に向いているスポーツを選んで、その分野でオリンピックやその他世界大会に出られるよう、育てられるのだそうです。大雑把ですが。自分に何が向いているか、最初から決めないで、いろんなことを経験した上で、試した上で、これだ、と思えるものが出来たら幸せだろうな、とふと考えました。3年間の準備期間とも言える間は、音に合わせて体を動かすとか、基礎的なことを身につけるとかに重点が置かれるようです。どれかのスポーツに照準を合わせるやり方でなく、総合的な体力や精神力を身につけるといったことに主眼が置かれているような感じでした。これを他の事に応用したらいいのではないでしょうか・・スポーツに優れたお子さんを小さい頃から見出すというのもいいでしょうが、そうでない、他のことに優れたお子さんを見出すこともいいのでは??と・・そのためにはいろいろな経験を積む事が必要になってくると思われます。頭から知識を詰め込むだけでなく、手を動かしたり、足を動かしたり、体全体を使ったり頭を働かせたりしながら、生きていくのに必要な、様々な経験を・・その経験を積むという所が学校の授業の中では足りない、ように思います。今のままでは、実体験が少なすぎるような・・実体験が多いと、「仮想現実と現実との区別がつかない虞」が格段に減ると思われますし。。「人の心の痛みに思い至る事態」に遭遇する可能性もぐんと増えるように思います。要は「仲間と一緒に何かを作り出す」ということだったりするのかも、ですが・・・何かを一緒にやることにより、助けあうことも自然に覚えられますし、自分は何が得てで、何が不得手かも分かって来るように思います。そういう経験を大いにした方が、”社会に出て何をやりたいか迷う”ということも少なくなるのでは・・・・
2007年02月26日
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長野県出身なので特に思うのかもしれません。このバスの事故は殊に悲惨に思います。21歳のお兄さんの運転するバスにアルバイトで乗車していた16歳の弟が亡くなってしまった・・兄は連日の夜間運転で疲労困憊の極致にあり、人手が足りないので弟に応援を頼み、弟はその日初めての乗車で、兄の起こした居眠り運転?のために還らぬ人に・・・それもこれも、人件費の節約によるもの、人災に他なりません。規制緩和により、中小の企業も参加できるようになったはいいが、競争が激しくなり、安売り競争の激化で、人件費より他に下げるものはなく、安全は二の次、どこかの列車の事故ではないが、安全より利益追求になってしまっていたのではないでしょうか?まだ若い、幼いといってもいいくらいの、二人の兄弟があわれでならないのです。あまりにも悲しい。資本の論理に殺されてしまった、ということではないでしょうか・・・「儲けより人の命」を大事にする社会でないことが悲しいのです・・・
2007年02月20日
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企業と政党との?な結びつきが話題の時に仕事中に!!堂々と自民党の候補者の後援会入会の回覧が回ってきます。談合はしないけど、企業ぐるみの選挙はします?もちろん、名前を書く人ばかりではありません。が、これは無言の圧力では?まるで職務の一環のようではありませんか?書かせるほうも、書くほうも・・こういう類の仕事って、本来の仕事とは明らかに違う。思想信条の自由はどうしたの?と言いたい・・「強制ではないから、思想信条の自由をおかすものではない」、というかもしれない・・けど、「表立ってこういうことをすること自体、憲法違反ではないの?」という自由はない、のです。ちなみに、こうやって回ってくるのは、自民党以外はないのです。他の政党が回ってくることはまず、ない。。一度だけ公明党があったかな?つまりは与党の候補者のみ。。この会社にいる以上は、与党以外を応援する事はまかりならん、と言ってるようではありませんか?会社が権力を持って押し付けてくる、という感じが否めないのです。地域によってはこれが民主党になったりするのかもしれませんが。選挙のたびにこんなのが来て、うんざりです。禁止するわけにいかないのかな?ムロン、書きはしませんが、嫌な感じは残ります。会社が押し付けてくるものはとにかくやめてほしいと思うのです。パワハラ、ではないでしょうか・・
2007年02月19日
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「その通り!」と声に出しそうでした。例によってラジオ夕刊。。労働ビッグバンだか何だか知りませんが、経営者に都合のいい話ばかり昨日は聞かされ、むかむかしていました。今日は働く者の立場にたつ弁護士さんの登場でいくらか胸がすっとした次第です。この「労働は生活の基礎」という言葉はキャスターの方の言ですが。これが労働行政の基礎にあれば、もう少し違った政策が出てこようというものです。働くものが働きやすい社会がいいと常々思っています。それが生きる基礎だと思うからです。生活に必要なもの働かなくては手に入りません。働くことを希望した場合、それが出来る社会でなければ・・・正社員になりたくてもなれなかった世代の若い方たち。これから人生を謳歌しようかというそんな大事な時に、仕事から、働くことから、職場から切り離されてしまった、としたら、とてももったいないことだと思います。働く場もろくに用意できずに、やれ低賃金でも、不安定でもガマンして働け、税金、年金を払え、結婚して子供を産め・・?ですと。。働くものが働きやすい社会そうしたものを政治が作れないのだったら、そんな政治はごめんです。
2007年02月16日
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毎年この日は肩身の狭い思いをします。それというのも、会社でそれとなく?しているかの「チョコの話題」が耳に入ってくるからなのですが。義理チョコを嫌がっているわけではないのです。おば(ぁ?)さんにもらっても・・ですよね。どうも気恥ずかしくてそういうことができません。またお返しの心配させるのも気の毒ですし(^^♪・・しかし、聞こえないふりをしていても、1万円にはびっくりです。しかもまだ年端もいかない小学生が・・・5人に2千円ずつの計算だとか・・・そんなお金があったら、寄付しろよ・・・とは小学生には言えません。いっそ、どこかの会社のように、「チョコを買ったつもりで500円ずつ遠い国の子供たちのために寄付する日」という一大イベントデーに変えてしまってはどうでしょうか?それをどこの会社でもやるということになったら、子供たちの世界も変わってくるかもしれません。それなら、「お返し」も「子供たちのための寄付」になるわけですから、ためらいなく500円支出できるような気がします。あ、もちろん、「強制はなし」です♪
2007年02月14日
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踏み切りで、死のうとする女性を助けようと殉職されてしまった警察官の方に対して、安倍総理が「日本人として誇りに思う」と述べておられたのがどうも気になりました。人間として、でもいいし、警察官として、でもいい、のに「日本人として」、という規定が自然と浮かんでくるところに、何か狭いものを感じてしまう・・この方はただ単に、日本人として、と規定されることに何の違和感も感じないかもしれない、でも、「日本人だから」、やったことなのでしょうか?そこには、~~人だから、という区別はかけらもないのでは?何でもいいことは日本人だから、よくないことは日本人にあるまじき、と判断する、というわけではありますまい。。その規定の仕方に文句を言ってる私も狭い??でも、日本人という枠にはめなくてもいいのでは?とつい思ってしまうのです・・・・・
2007年02月12日
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正確には○○丘陵という中の自転車のために舗装してある道と平行してあるような人が歩いたから道になっている、というようなところどころ木の根っこが顔を出しているような子供が歩いたらそれだけで遊びになってしまうようなそんな道・・・歩いてみて、その柔らかさに驚き、舗道に比べて足の裏で感じる弾力の優しさ、に驚き、山育ちなので、ある種懐かしさみたいなものがあったのかも、ですが自然に温かく包まれているような感じを楽しみながら、踏みしめて歩きました。舗道しか歩いていない日常は、何か、突き放されているような思いが、急に湧いてきて・・優しさも何にもないな~と・・舗道が人間を突き放している、と感じたのは今回が初めてでした・・
2007年02月12日
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「子供を産む役目」という言葉が「人格否定」という言葉にぴったりと!「マッチ」してしまった・・突然、皇太子さんの発言・・奥さんの『キャリアや人格を否定する動きがあったのは事実』という言葉を思い出し、いまさらのように、「子供を産むのが役目」という発言がまかり通る世の中では女性の人格は認められないも同然、との思いを新たにしたのでした。奥さんの人格否定しているのは皇太子さん、あなたですよ。と言った人がいましたが(その立場に追い込んだということで)、「子供を産むのが役目」という立場の人は人格として認められていない、役目を果たす人としてしか認められていないというのは真実であろうと思われます。この「子供を産む役目」という言葉は、(言われる対象の相手が)「同じ人間である」、という思いからは絶対出てこない言葉だと思うのです。
2007年02月07日
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今朝のラジオです。放送大学の柏倉副総長のお話。「グーグル」ではおよそ本として出版されているものはすべて「スキャン」して電子図書を作ることを目指しているとか。それは著作権法に「触れる」のですが、「やめてくれ」と意思表示してきたものについては削除すればいい、との考えによって進められているというのです。それでは問題は回避できないだろうと通常は思われます。それについて柏倉先生ご自身のお考えは?と聞かれ、『私個人としては、自分の著作が大勢の人に読まれ、世界中の人々の役に立てるのであれば、著作権を主張するつもりはなく、むしろ喜ばしいことである』みたいなことを仰っておられました。「世界図書館構想」という言葉でしたっけ?誰もが利用でき、文化を享受できる、等しく人類に貢献できる、そういうことが可能であればすばらしい、というようなお話も。。実はあまり読書家でない私ですが、柏倉先生の広い心に触れて、朝から幸せな気分になれました。
2007年02月07日
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ここ2~3日気になって仕方ない事が・・・それは千葉県松戸市の中学2年生の自殺。考えるだに切ない・・・前日に仲間?7~8人で一人の同級生をいじめたことを先生に注意されて、その日は学校を休み、そのいじめた子のマンションで、自殺・・ごめんね。と書いたノートと共に・・この事が、教育再生会議で、「いじめっ子を教室から締め出す」と提言された後に起こっている事にどうしても注目せざるを得ないのです。どうしても関連付けて考えてしまうのです。この子は普段はいじめる子ではなく、いじめられる側の子だった、真面目で責任感の強い子だったと伝えられています。今回はじめていじめる側にまわってしまった、とのこと・・・どういう気持でそちらの側にいってしまったのか・・・たった一度でも・・と後悔の念に苛まれていたのだろうと想像してしまうのです。その気持を考えると・・・・今日のニュースによると今度は担任の先生が寝込んでしまわれたとか・・事実関係も明らかでないのに、こういったら多分言いすぎなのでしょうが、何だか、二人とも、今回の教育再生会議の提言の犠牲者のように思えてしまうのです。いじめる子を悪ものと決め付けてしまうような今回の提言はやはりまちがいなのではないでしょうか? いじめっ子といじめられっ子の線引きは難しいのです。今回の提言をもとに子供を指導したのだとはいえないにしても、どうもその方向に沿うような指導がなされたように想像してしまいます。もしそうでないにしても、いじめる子即締め出し、みたいなことでは教育は成り立たない、ということをもう一回考え直してほしい、と切に願います。
2007年02月04日
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