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愛車のマーチが重症で、未だに代車のお世話になっているのですが、その代車の調子が悪く、車やさんに持っていきました。すると今度は待望の!軽自動車が借りられる事に♪・・大きな車のスプリンターから急にマーチより小さい車になって、おもちゃみたいだ、と思いながら帰ったのですが、ふと、体を運ぶだけなら、軽で十分、と思ったのでした。確かにかなり頼りない・・けど、狭い日本、一人の人が動くのに、大きい車が必要とはとても思えません。普段の通勤に使うだけなら、コンパクトカーにすべき!との思いを新たにしましたネ。用途に分けて、通勤用、レジャー用と何台もお持ちの方もあるでしょうし、何台も持てない、という方はレジャー用を優先して、通勤にもそれを使っている、ということもあるかと思います。実はこういう方々は多いのではないでしょうか?我が家はムロン、通勤用が一台のみですが、地球全体にとってはこれも贅沢なことなのかもしれません。通勤に車を使うなんて、と。。。ただ自転車を使うには道路事情が悪すぎます。車道は狭く、自転車が通っていいようなスペースはもともと考えられていないような感じすらします。家から会社までの道路で、自転車が車と別の道を走れるような場所はほんの10%あるかないか、というくらい少ないですし、坂道も多いし、雨の日もありますし、つい二の足を踏んでしまいます。そこで、軽自動車の出番!ナンチャッテ・・・しかしそれより、これからの社会を考えるとき、公共交通機関をもっと便利に、ということと同時に、自転車専用道路を思い切ってバンバン作る事を考えた方がいいんじゃないかと思います。なんといっても消費するエネルギーをその分減らす事ができます。二酸化炭素も人の吐く息が荒くなる分だけ増える♪くらい(?)・・排気ガスの心配もいらない・・・車を売りたい人は困る、かな・・・でも、自転車用道路がもっとたくさんあれば、車をおりる人が増え、空気はきっとおいしくなる、人もスマートに♪、と夢見ています。ただし、そうなる前は軽自動車に乾杯!です。。。マーチのようなコンパクトカーも含めて!(チャッカリしてます♪)
2007年08月29日
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我が埼玉県では知事選の最中です。といっても、選挙カーを見たのは今日が初めて。それも普段通らない道で・・さあ、投票してくださいといっても、今まで選挙やってるのかどうか、公営掲示板のポスター以外ではゴルゴ松本さんの”選挙命”があるだけでして・・・関心がまるで高まっていないように思われます。こんなんでいいんでしょうか?3人しか立候補していない上、現職の対立候補は共産党系の人と、無名?の人(失礼!)。こういう状況では、まず現職安泰だろう、と思われ・・・投票率もきっと低いのでは?と案じられます。この上田さんという現職知事ですが、「従軍慰安婦はいなかった」と思っている方。歴史をちゃんと真正面から見る事が出来ない人ではないかと心配しています。「教科書を作る会」のメンバーを教育委員に据えたり・・・これっておかしいですよね。試験を受ける側の人が試験の合否を決める側も受け持つなんて、フェアじゃありません。そういう政治に対してもちゃんと目を向けていますよ、ということを示すためだけでも、「ノー」の一票を入れたいように思うのですが・・選挙をやっているかどうかもあんまり伝わってこないような状況では、候補者がどんな人物であるかも伝わりませんよね。投票率が低いとしたら、一体誰の責任か?選挙を身近に、する方法はいくらもあると思うのですが、為政者はどうも有権者が無関心でいるように導いているようにしか思えません。投票を、と呼びかけるだけで投票にいくなんてちっとも思っていないくせに、私はちゃんと呼びかけている、というポーズだけはとっているのです。ゴルゴさんにまかせて・・批判票を入れる意味は大きい、これをついこの間の参院選は示していると思います。民意とずれている、と自民党の中からも声が出てきました。これをいくら指摘されていても、全然聞く耳をもたなかった方たちが、選挙に負けた途端、急に、民意を政治に取り入れるように、と形だけでもいい始めました。選挙に勝てば、民意などどうでもいいのです。(ソリャソウダ、賛成してくれているわけだから無視してよい・・)しかし、負けるということで初めて反省するなんて、いや、ホントに反省してるかどうかわかりませんが、口先だけは。。。そうでなければ反省しない、ということになるわけですよね。(コレモ当たり前でした・・)今の政治でいいんだと思わない場合、反省を求める意味で、大いに批判票をいれようではありませんか?という呼びかけは選挙違反かな?どうせ現職が勝つんだと投票に行かないでいると、民意はどうでもいいんだ、と思われてしまいますよ・・・地球をよくするためにまず足元の政治から改めましょう♪
2007年08月24日
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特別な事じゃないんだけど、特別な事だと思いたいような・・・突然ですが、愛車の話です。マーチが事故にあい、(双方無人でした)代車がスプリンターでマーチと比べると縦も横もかなり大きめ・・・それで今会社に通っているのですが、あまりにも図体の大きいのが気になって仕方ありません。渋滞の程度を高めているのではと思ったり、(右折の時、小さい車だと脇をすり抜けられるのに、大きいと後ろの車はずっと待たねばなりません)、車が止まっていると脇を通るのも気を使います。鋭角のカーブは大回りになるし、駐車も一度ではできず、何回も切り返します。ガソリンも減り方が早いように感じます。どれもこれも、場所はとるは、燃費はよくないは、で地球に優しくないような気もして、どうも落ち着きません。ま、一番は乗らなきゃいいだけの話なのでしょうが・・・運転があまり得意じゃないというのもあって、毎日が緊張の連続というのもあるでしょうね。確かに乗らないのが一番。バスや電車で乗り継いでいくべきなのでしょうが・・・ナカナカ・・やはり、燃費のいい、コンパクトカーなら、まだしも許せるといいたいのであります、←自分に都合よくいいわけしています(*^_^*)それなのに、代車は大きい車・・・大きい車になかなか慣れないということと、地球に悪い事をしているのじゃないか?という両方の理由で毎日少しばかりつらい?のです。実は大した違いじゃないのにね。。。車に乗らない事に比べれば・・新しい車が売れないということで、自動車各社がこの秋売り込みにしのぎを削っていると何かで聞き、もう新しい車が売れなくたっていいじゃない、といいたくなりました。車が売れないと景気がよくない、みたいですが、景気よりなにより、車が売れなきゃぁ成り立たない社会なんていらない、これ以上車が増えなくてもいいんじゃないか、と。。(じゃあ、車に乗るなよと突っ込まれますね、あと5年ハノリタイ?・・・)軽自動車が三分の一を占めるまでになったと聞いて、いくらか安心しているのですが、無駄に大きい車は追放したい、と考えるのは少しアツカマシイでしょうか?大家族の場合は別ですが、そうでなくて、若い人が一人で大きい車に乗っていると、”地球のことをもう少し考えて”と思ってしまうのです。小さい車に乗っているときはこんなに肩身の狭い思いはしなかったナ~と思い、もう少し車社会全体のことを考えたほうがいいかな、と思いなおしました。小さい車に乗り換えるよりいいのは、車のシェアができること、でしょうか・・もっとゆったりとした、豊かな社会でなら、例えば一つの区画に車何台という共有も可能のような気がします。そうそう、この世に生まれた意味でしたっけ。何らかの方法でこの社会の役に立つこと傍を楽にすることが自分の役にもたつようなゆったりとして、争いのない社会をめざすことそれが地球に負荷をかけることを少なくする事にもなるように思います。それをやりたいかな・・自分のやっていることが他の人に悪いな~と思いながら通勤するのって、健康にもよくないですよね。(自分が生きている意味を考えてしまうくらい・・・)本日は言い訳ばかりでした・・・・
2007年08月20日
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8月は戦争について考える機会が多く、憲法9条についても、靖国参拝や核やその他の兵器の問題についても、自衛の問題、反戦の問題についてもいろいろ議論が盛んになり、いいことだと思います。ただ、8月も半ばを過ぎるとせっかく盛り上がった議論も下火になるかナという心配もありますが。。昨日もNHKで『日本のこれから』という番組があり、その中で「国を守る」ということが無条件でいいことのように語られていたのが気になりました。いわく「自分で自分の国を守らないような国は信用されない」「憲法9条はよその国に自国の安全をまかせているようでとんでもない」「他国が攻めてきたら逃げるという若い人が大勢いて残念」それに対する反論として、『国を守る』ということ自身についての反論は重点的になされなかったように感じ、そのことこそ、問題にすべきではないか、と思いました。そういう意見に対しては、国を守るということはどういうことか?果たして無条件に認めるべきことなのか?真正面からとりあげてほしかったと思います。自衛のためといいつつ、侵略戦争をしている、という意見は出されて、それで言い尽くされているとも思うのですが・・・もっと「国を守る」という論理ではいけないんだというところを強調して欲しかったように思うのです。「国を守る」という言葉で「お国のために命を捧げる」ことを強要したのは「過去の一時期の経験」ですが、それだけでなく、昨日の上記のような発言からもわかるように、「これからのこと」として、捉えられている現実があります。このことを肯定していたら、誰もお国のために命を捧げることの必要性を否定できなくなると思われます。今のように、「喧嘩っ早いお友達に忠告することもできず、そのあとをついていくだけ」(この番組に寄せられたFAXの中の言葉)のような国家のために、人間の尊い命を捧げるなんてことは断じてできない、と言わねばなりません。「国を守る」とは何から何を守るのか?といった根本的な問題をはっきりとさせるべきと思います。ただ単に、自国だから無条件に守るというのでは、戦前の方たちを批判することはできません。他国の人民は敵ではないということを今ではみんな知っているのですから・・・
2007年08月16日
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「元から絶たなきゃダメ」という宣伝文句が昔ありましたが、原因をそのままに、結果だけ除こうとしても無理があるのではないか?と改めて思います。「核兵器のない地球」をめざすために、「核兵器をなくそう!」と呼びかける何の不思議もないことですが。。。何十年呼びかけてきて、核は拡散している・・・核兵器を持つ国はその小型化が進み、使える核にしようとしているし、持たない国は持つ国の仲間入りをして何が悪い、と核実験を行うし、核軍縮も不拡散も一向にすすんでいません。どころか逆に世界中に核が増えている!核兵器は人道上なくすべきだ、と頭でわかっていても、自国の利益の追求に凝り固まった国々の為政者を動かすことはできない、その彼らを説得することが大事なのでしょうか?説得ではなく、彼らを一掃することが大事なのでは?そうした人たちに政治の舞台から降りてもらい、代わりに自国の利益を追求しない人たちに政治をまかせるというのはどうでしょうか?自国の利益でなく、人類共通の利益を追求する人たちをこれからは生み出していかなくてはいけないように思います。それが世界中の国でおこったら・・・そこには核兵器のみならず、一切の兵器が必要なくなる、と確信します。核がなくても、戦争は悲惨です。戦争そのものに反対するのは、人類が末永くこの地球上で生きていくために、不可欠のことと思います。自国の利益でなく、人類の利益を!こうした目的のために、核兵器もそうでない兵器もいらない、と思います。
2007年08月11日
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例年のように、また今日も、通勤の車の中で広島の平和記念式典の模様を聞きました。秋葉市長は話の中で原爆の被害を受けるのは都市であり、世界の多くの都市と手をつないで、反核の運動を作り出していく必要があり、すでにその方向に歩みをすすめている。市民が主体となって運動を作り出す事ができる。アメリカの101の都市で原爆の展示会を催し、反核を訴えていく。政府は先頭にたって核廃絶の運動に世界をー米国をーまきこんでほしい。というようなことを言っておられました。首相の挨拶では、安倍氏は去年の小泉氏ほど原稿の棒読みではないにせよ、『非核三原則の堅持』とか通り一遍のことを気のなさそうに←力強くなく、述べていたように思えました。国家間の対立のあるところ、兵器なしでは一日でもいられない、という立場の方ですから、核兵器の廃絶にも及び腰なのだと思われます。そんな対立のある世界の中、数ある兵器の中で、核兵器だけをなくそう、というのは、実はムリがあるのではないか?と疑問を感じています。兵器があるから争いがあるのではなく、争いがあるから兵器が、そして、兵器の性能の競い合いも生まれるわけですから、争いの元を断つ事が先だ、と思うのです。争いに勝ち抜くためには、より一層効率的で安上がりの兵器が開発されていくでしょう。それが人道的であるかどうかなどは二の次です。何せ、すべての兵器は人道的であるわけはないのですから・・国家間の対立をなくすことができれば、兵器はいらなくなる、この道を求めることが必要ではないか?と思うのです。その対立は秋葉市長も仰るように、市民同士のものではないし、労働者同士のものでもないでしょう。働く者同士が競争させられているのは、ひとえに儲けのため、でしかないと思われます。儲けの体制を変えること、それができれば・・・・そうそう、子供たちの『平和への誓い』、いつも感心させられます。今年は「やられたらやり返す、という憎しみの連鎖を自分のところで(!)断ち切る勇気が必要」という言葉に痛み入りました・・子供たちのまっすぐな言葉がすがすがしかったです。
2007年08月06日
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