全7件 (7件中 1-7件目)
1
ごうがわく=業が湧く?という言葉、方言かな?こんなに愛情深い”ごうがわく”という言葉を聞いたのは初めてでした。5月に亡くなられた小学校の時の先生の奥様の言葉です。「しのぶ会」の前に教え子10数人で先生のお宅に伺い、奥さん(と呼ばせていただきます)のお話をお聞きする事が出来ました。初めてお会いするのに、全然そんな感じがせず、気さくな方で温かく迎えられました。驚いた事に、自己紹介すると、みんな、「あー○○さん」とその名前をご存知なばかりでなく、出身部落や当時のエピソードなど細かく覚えておられるのです!まるで、”先生の奥さん”でなく、直接の”先生”だったかのような錯覚を覚えるほど・・昔ご自身も教師であった方らしく、シャキっとされてて、戦争の話、お二人の出会いの話、大勢の教え子たちの話、いろいろうかがった中で、”ごうがわく”という言葉が・・まだ、未だに遺影に語りかけるのは「何で?どうして?」・・・ばかり。「百まで生きるって言ったのに・・・・ごうがわいてなぁ」と。元気で出かけて、その先での突然の出来事。その日に限って自分にもどうしても出かける用事があり、先に家を出るのを見送ってくれたのが最後とか。日頃、『延命治療と介護保険を使うのだけはやめてくれ』と言われていたのがその通りになった・・とのことです。未だに腑に落ちない、と何度も仰っておられました。「どうしても腑に落ちんのな・・」その気持が痛いほど伝わって来ました。元気でぴんぴんしていて、最近の検査でもどこも悪くない、とのことだったのに・・遺影に語りかけるつらさ・・想像するだに、無念でなりません。奥さんの腰がしゃんとしているのは、腰を痛めたとき、決められた運動をちゃんと毎日していたことと、先生が毎日!背中から腰にかけて指圧?をしてくれたこと、とで治ってしまった!というのですから、どれほど、お二人の愛情が深かったか、がわかろうというものです。後で別の方からうかがった話では、病院の院長をしておられる長男の方が、先生が運び込まれた病院からの電話を聞いた時、『呼吸器ははずしてください』と即座に応えられたのだとか。普通は家族が駆けつけるまでの間、息があるうちに家族に会わせてあげたい、との理由からはずさないもののようなのですが、そんなわけで、家族のどなたも、亡くなられてからのご対面となったようです。見事な親にして、見事な息子あり、と感じ入りました。(でも、奥さんとしては、会いたかったというのがあったのでは?とも思えて、その辺は複雑な思いも・・。)そうそう、行きのバスの中では(中央高速です)会社での不平等な扱いに何と言って申し立てをしようかとそればかり考えていましたが、帰りのバスでは、先生ご夫妻の愛情物語や、同級生らの頑張りに胸を熱くしてそのことばかり考えていたのでした。「すっかり前向きになって帰って来ましたよ~」とご心配下さった皆様にご報告したいと思います。ありがとうございました。――「千の風になって」は心の癒しになるのでしょうか、先生の祭壇に飾られていました。ある方から葬儀の当日に手渡され、家に帰って開けてみたらこのCDだったそうで、私達にそのお話をされる様子からみて、そう思いました。――
2007年06月24日
コメント(6)
しばらくのどの調子が悪く、風邪の症状もでて病院にいったのですが、症状を書き、原因と思われるものがありますか?という問いに答えようとして、ハッと思ったことは。。免疫力の低下心の沈み具合が半端じゃない・・いや、沈み方の程度は深くないのに、気がつくと沈んでいる、という感じがずっと続いていたことに”気がついた”のでした。これだ。ストレスが免疫力を低下させていたんだ・・普段なら何ということなく通り過ぎていた菌が取り付いてしまった原因はストレスだったんだ・・・と思ったら、ふっと心が軽くなりました。沈んでいる原因は思うに二つ。賃下げで、人格まで否定されてしまったかのような屈辱?を感じながら毎日働いていること。これが意外としつこく、心に覆いかぶさってます。もう一つは恩師の死。これはどうしようもないことなので、それこそ、時がたって、悲しみがうすらぐまで、待つしかないのかも・・でも、今週の土曜日、「しのぶ会」が催されます。級友と同じ悲しみを分かち合えることができれば、癒されそうです。そう、癒されたいのですね。基本的に。会社では日々、癒される事がない、と言っていいくらい・・でも、思想、信条の自由を奪われるようなことのない職場というだけでも、まだいいと思うしかないのか・・東京地裁かなんかの判決を今日帰りの車で聞いて、教師には思想信条の自由は認められないんだ、と腹が立ちました。「君が代」の斉唱を拒否した教師の再雇用を認めなかった事は合法!ですと。教師の自由がなければ、子供の自由もない、これほど明白な事はないといっていいくらいだと思います。子供の明日をもしばる、教師への抑圧。許されてはならない、落ち込んでいる場合じゃない。国というものは人の役に立つためにあるのであって、国のために人があるのではない、と人の方が国より大事だといい続けなくては・・・先生に申し訳ない、よね。
2007年06月20日
コメント(14)
先生の訃報に接して、自分は小学校時代にどんなことを考えていたのか?振り返ってみたのですが・・たとえば、戦争はしてはいけないと思ったり、男女の差別その他あらゆる差別に反対の気持を抱いたり、貧富の差について、それはあって当然のものなのか?それともある程度までは仕方がないけれども、ある程度以上?はおかしいことなのか?でも、そんなことより、一番の基本は人としての尊厳、というか、尊さは他の人も自分も同じ、ということ。自分だって、尊さはあり、それは他の人以下ではない、もちろん、以上でもない。そうした考えは、ともするといじけたくなるその頃の自分にとって、唯一心をしゃんとさせてくれる”よりどころ”、なのでした。平等とか人権とか、そういうことを教えられたのかもしれません。教育にとって、何が必要か?っていっぱいあるのでしょうけれど、一番大事なところは人権(自分の、そして、他人の)がどういうものか知る事。そのことが命を大切にすることなのであり、他人を大切にすることであり、自分を大切にすること。なのだと思います。それを教えてくれたのが小学校時代の恩師だと思うのです。それさえあればどうにか曲がらずに?生きていける・・・自分らしく、でも、それだけでいいの?人としての尊厳、それはお金には代えられないものだと思います。ところが、社会の至るところで、人の命がお金に代えられています。学んでいる間は男女の差別はさほど感じられないのですが、働き始めると、その差は歴然です。給料の額という命の値段です。会社を儲けさせるのに、女性は劣った労働力ということなのでしょう。まっとうに評価されることとはどういうことか?会社にとって都合のいい働き方をしてくれる人。これが、狭い会社での評価でなく、広く社会の評価として一人歩き?してくれます。(年金がいい例です。ほんの一例・・高い給料をもらっていた人は退職してからも高い年金がもらえる。安月給は一生ついて回ります。生涯、お金に縁はないけれども、人としての尊厳は失うまい、と思うことは素晴しい、と思います。が・・・)自分の働きがお金に換算される、なんだか、それがいやになっています。そのこと自体が人間の尊厳をそこなうように思えて・・そうはいっても、明日からまた元気に働かなくっちゃ、ですが。ー今働けるところがあるだけでいい、などという言葉をよく聞きますが、それも、人間の尊厳を損なう言葉のように思えます。働く場がない事の方がおかしい。儲けの関係ない社会を、お金のいらない社会がいいな~やはり。
2007年06月14日
コメント(6)
人の思想というか、考えの元というのはどこから生まれるのだろう?自分のことを考えてみるに、生まれて最初の6年間は、といっても3年くらいは記憶がないですが。あまりにも人との接触が少なく、家族ですら忙しく、相手をしてくれたと思えるのは唯一2歳違いの兄でした。ちゃんと向き合ってくれた初めての大人が小学校の先生、ではないか?と思えます。人と話をするのがとても苦手で先生との初めての会話が通学途中で名前を聞かれたこと、だったでしょうか。それなのに、それすら言う事が出来ず、先生は名札を見て、「あー○○さん」と呼んでくれたのでした。社会との接点は学校ぐらいしかなかった・・狭い視野しかなかったような気がします。今でも視野は狭い?かな・・・そんな中で、家が働いても働いても貧しいということだけは身にしみてわかったし、先生の教えてくれた石川啄木の歌が自然にすっと心に入ってきたわけです。基本はそこでした。働いているのに貧しい。それはおかしい。これが私の原点かもしれません。確かに農業で現金収入は少なく、女手一つ(父は障害者で収入はなく)では何ほどのことができようか?ということはあるでしょうが、それでも、朝早くから夜遅くまで働きづめで、子供も総動員なのに、なんで生活は大変なのか?と不思議に思う毎日でした。働いていないなら、生活が苦しくてもある程度仕方ないように思うのです。でもあんなに、子供の相手も出来ないくらい働いているのに、子供がいくらお手伝いしてもおいつかないくらいに苦しいのは何故?働いても貧しいという事がない社会を切望するようになったのは小学生の時だったのでした。生まれてからの6年間について、(考えのヨッテキタルところ?)を書こうと思ったのに・・・話がそれました。
2007年06月11日
コメント(10)
教えていただいた先生の訃報が・・・今朝届き、それは一ヶ月ほども前のことだとか・・家人が皆出かけている今の時間、何も手につかないので何か書かなくちゃ、と思いつきました。誰もいなくて、思う存分泣く事ができ、いくらか今は落ち着いています。級友からの電話をどうしてあんなに普通に聞いていられたのか、不思議なくらい号泣しちゃいました。泣けるって事は幸せなことなのだと感じています。人がいたらきっとこんなんではないだろう、と思えるから・・人生最初の師であり、ひょっとしたら、最大の師。体罰とは無縁の先生でした。叱られたことも、記憶によれば、ほんの2~3回。(私がではなく、クラス全体が、です♪)いじめられっこだった私が次第にいじめられなくなったのはひとえにこの先生のおかげではないか?と思えます。それも叱ってなくすというのでなく(いじめのあったことはひょっとしたらご存知なかったかも)子供たちがいじめなどという、バカな事に大事な時間をとられないように自分たちで、仲間の中で成長できるように、成長しあえるように、導いてくれた結果ではないか?と思えるのです。私という人間に、自分の考えというものがあるとするなら、その芯の部分に大きな影響を受けているであろうと思われる、師。ご自分の戦争体験から、絶対戦争はしてはいけない、と言葉でなく、生き様で教えてくれた、ように思われる、師。もっといろいろお話をしたかった・・・先生、風になって、私のところまで吹いてきてくださいね。そして、私がくじけないように、見守っていてください。ちょっとずうずうしいお願い♪先生の口癖だったことば。「へこたれない」を忘れません。
2007年06月09日
コメント(6)
今週のラジオいきいきホットライン(ラジオ夕刊の一つ前の番組)のテーマは「親学」だそうです。タイトルの言葉は”いい親でありたい”、”子供を厳しくしつけなくては”と日々悩める親に東大の本田由紀先生が仰った言葉とのことです。大人ばかりでなく、子供も、社会のあらゆる場所からストレスを受けながら生きているものであり、家庭でまであーしなきゃ、こーしなきゃ、と追いたて?られては休める場所がない、人間休息が大事、家庭で休息しなくて、どこで休息できる?といった感じのお言葉でした。。子供も、大人も、ですね、休息が大事なのは・・・(そう、お父さんもお母さんも、子供も、おうちでは休みましょうよ・・・)今日の放送での言葉の紹介です。60代のお父さん。「今では家庭の中の仕事をほとんどできるけど、もっと前からやっていれば良かった。子育てにももっと関わりたかった。子育ての時期なんてそんなに長いもんじゃないのに・・・」定年退職されてから、お母さんが外で働き、ご自分は家事全般をこなしていらっしゃるそうで。やればできたのに、会社勤めの時はまるで何にもしなかった、と後悔されてます。母子家庭のお母さん。「どの子にも、学びたい者を学ばせられるだけの援助が欲しい。経済力がなくては塾に生かせることも出来ないのだから、行かなくてもいいような体制=学校で十分学ぶ事ができる=にして欲しい」(少し、というか、大分脚色しているかもしれません。いろんな人の意見をごっちゃに書いているような気が・・・)家庭はリラックスできる場所であることが大事その一言で「親学」を唱える人たちに何かを感じてもらえたらな~と思ったのでした。
2007年06月06日
コメント(4)
ラジオでこの言葉が聞こえてきました。”指南”より”支援”だろうと思います。教育再生会議の提言に対しての意見のようでした。「親に物申す」というのでなく、「親を支援」するというのでなくてはいけない。「早寝早起き朝ごはん」と”十把一絡げ”にお説教をするのでなく、”必要とされる支援を必要なところに”児童相談所なりの支援が行き届くような体制がなくてはならない。社会が親を支援する体制がほしい。親を支援するのは子供を社会全体で育てるということに他ならない・・・というような、常々思っていることをラジオで聞く事ができ、うれしくなりました。ラジオ夕刊の一つ前の番組でした。
2007年06月04日
コメント(6)
全7件 (7件中 1-7件目)
1


![]()