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それを仕遂げて 死なむと思ふ」啄木職場で涙をこらえたことがありますか?って今日の私です。つい日頃の鬱憤が爆発しかかり、上司に爆発寸前ですと言ってすぐ悔やみ、頭が痛くなった私です。何が悲しいって、同じ働く仲間の立場の人に、気持ちが通じないことが一番悲しいものではないでしょうか・・不合理なことを不合理だといってるだけなのに・・、そんな思いをして働いても会社に何の利益ももたらさない(たぶん)し、働く側から言ったらただただストレスが溜まるだけ、なのに・・会社の方針に素直に従おう、逆らわないようにしよう、という空気が職場に醸し出されることがひょっとしたら会社の利益?なのかな・・・”本当にそうだ”、と誰かが言ってくれていたら全然こんな悲しい気持ちにはならないだろうナ、と思うのです。何で目の前の不合理なことに異を唱えなくなっているのだろう?いちいち目くじらをたててはいられない、ってか???共感を得られない、ということで日頃の空しさが倍加して、かどうか?・・無性に、”生きている実感が湧くような仕事をしたい!!”という気持ちになった次第です。それはたとえば・・・男女差別(女性は二束三文!)や、職務内容の差別など納得できないものを日頃感じているもので・・・”不公平感のない!仕事”がしたい!!そして誰かの役に立っていることを実感したい・・生きるために本当に必要なものを作る仕事、がいいな~・・なんて(*^_^*)・・
2007年11月28日
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もう旧聞のたぐいですが・・「船場吉兆」の偽装事件で、責任を押し付けられ拒否しようとしたパートの方に、「自分を守るより前に会社を守れ!」と会社の偉い人が怒鳴ったという話・・・何だかどこかで聞いたようなセリフだと思ったのです。どうも、戦時中に軍隊の上官が部下の兵隊に言ってそうだナ~と。「自分の命を惜しんでいる暇があったら国を守れ!」かなんか・・・国を守ることが一番大事なことで、「人間の命は二の次」これと同じようなことが会社の中でも起こっている・・「会社という組織を守ることが一番で、労働者の首なんか二の次三の次」こういうことが「日常茶飯事」でいいのだろうか?人の命を大事にしない国(社会)でいいの?人の権利を大事にしない会社でいいの?そんなに大事な「国」は何をしてくれているのか?そんなに大事な「会社」は何をしてくれているのか?「お国が大事」、「会社が大事」、では、人はその下に踏み潰されてしまう、国よりも、会社よりも、「人間が大事」という社会に!!!前回、労働の現場を追い出されたくない、と書きましたが、今の体制では、その現場もまた、「息苦しい、つらい現場」でもあるのです。逃げ出したくなることもしばしば・・・それでもなお、追い出されたら生活できないという現状はどうしようもない。。。呻吟する声があちこちから聞こえてくるようです・・・お国よりも人間が大事なような、会社よりも人間が大事なような、きつい労働も楽しい労働に化けることができるような、「労働が楽しいものである」という社会にしたいものです・・・「かぐや」からの映像で見た美しい「地球の入り」。あの美しい地球の中で、醜い争いが行われていること自体、地球にとって申し訳ないことである、と感じました。それは何よりも、人間自身にとって「申し訳ない」ことなのですが。。
2007年11月19日
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この言葉好きなので、何度でも登場します。仕事をやめる、という人がいて、その人はやめても別に生活に困らないので、やめた後はただただ、遊んで暮らす?というようなことをおっしゃっています。ムロン、誰しもが好きな仕事をしているわけではないでしょうし、生活のために仕方なく働いている面はあるのでしょうが、でも、わが身を振り返ってみるに、「働く」、ということから遠ざかると、どんな人生なのか?と見当がつきません。自分に幸運にも生活に困らないだけの蓄えが急に目の前に現れたとして(宝くじに当たるなんかしないとムリデスガ)、今の仕事をやめるだろうか?と考えたら、今すぐにでもやめたい、という気持ちと、もう少しこの仕事を続けてみたいという気持ちと両方がせめぎあっている感じです。いずれにしても、どんな仕事にしても、「仕事」自体から遠ざかりたくはない、という気持ちだけは強いように思います。社会とのつながりが辛うじて保たれているのがこの「仕事」、を通してしかないような今の状況のもとでは、仕事から切り離されたらおかしくなりそうな気さえします。今働いているところに誰かがやってきて、「その場所を代わってくれ」といってきたらどうしよう・・・と心配するくらい。。追い出されたら行くところがない、と思ってしまいます。そこまで考えて、公園に放り出された全盲の入院患者の話を思い出しました。「追い出されていくところがない」、という状態は人間に課してはいけない試練なのではないか?かたや、お金がたくさんあって遊んで暮らしていける人と、お金がないために入院費も払えずに、病院から厄介者扱いされる人と。。。後者の場合、お金さえあれば解決するかのように見えますが、ただ、社会とのつながりの面を考えると、前者もですが、お金でのつながりだけに頼るようでは寂しいのではないか?という気もします。人と人とは支え合って生きていくもの、という言葉が全面的に花開いているような社会であれば・・・働ける人は働くことで、そうでない人は別の形で。そうであれば、追い出される人など生み出さずに済むのに、と思えてなりません。
2007年11月15日
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小学校の先生に教えていただいたこの言葉を思い出したのは、「医師の不足」の問題をとりあげた今朝のNHKラジオで、『医師には”尊敬とそれに値する待遇”が与えられなければならない』、とどなたかがおっしゃっていたのを耳にしたからで・・・その方によると、医師が不足しているのは、上記のことが不足しているから、らしいのですが・・・医師は十分尊敬とそれに値する待遇が与えられているような気がしていましたが、―そうではない、だから開業医は減らないけれども、勤務医はどんどん減り、特に小児科、産婦人科等が深刻で、最近も問題になった、救急車の受け入れ拒否のようなことが起こる。殊に自治体運営の病院でそれが顕著。社会が必要な経費を払わないと、医師不足の問題は解決しない―とこんな感じの内容でした。日本は国民皆保険で、少ない費用で質の高い医療が受けられるいい制度を持っているが、医師になりたがる人が少ないようでは、医療体制は整わない。社会が医師に対して尊敬とそれに見合う待遇を、という流れかと。。そこで考えたのですが、「尊敬とそれに見合う待遇を得られている職業」って?と・・尊敬はどうか知りませんが、それに見合う以上の待遇を得られている人たちが目に付いて仕方がない気がするのですが、気のせいでしょうか?そして、身を粉にして働きながら社会を底辺から支えているような人たちは「尊敬とそれに見合う待遇」なんて全然得られていなさそう・・と思ったのです。「職業に貴賎なし」とは人間讃歌の言葉だと思っていました。Aさんがする仕事とBさんがする仕事、傍を楽にするために一所懸命する仕事はどちらも優劣つける必要のない、どちらも尊い仕事に変わりはない、と考えることは人は支え合って生きるものだ、という意味にもなり、そうした生き方ってすばらしい、と思えました。ところが、実際にはその言葉は机の上だけの、理念だけの言葉でしかなかった・・・(Aさんの仕事はなぜか、Bさんの仕事の何千倍、何万倍の収入を得ることが可能!!・・・)いやいや、「職業に貴賎なし」を現実のものにすることができるなら、あらゆる差別もなくすことができるのでは?と考えることができます。「人に何かものや技術を売って莫大?なお金を儲けることしか尊い仕事はない」「その方法しかいい待遇を得ることはできない」ような社会を変えること、それしかないように思うのです。
2007年11月08日
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高野辰之・岡野貞一両氏による文部省唱歌の「故郷」ですが、いつも涙なくしては歌えません。というのは少し誇張が入っています(*^_^*)。が作詞の高野氏が長野県出身ということがわけもなくうれしい・・・歌詞にある「山は青きふるさと 水は清きふるさと」なんてのはまさにわが故郷をうたっているようなのです・・・というのは、実はどこのどなたでも感じられることではないでしょうか?それこそが老若男女を問わず、多くの方々から愛される理由になっているようです。実は昨日、所用で外出した際、ラジオでこの歌の由来を(宮川教授?から)聞き、ますますこの歌が好きになりました。”大正時代に生まれたこの歌は、他の歌が軍歌一色に染まる中、ただ一人、燦然と輝く軍歌以外の歌”なのだとか・・・”反戦の歌など歌えないような雰囲気の中で、「故郷を思う気持ちは誰も同じ、敵国の兵隊だってそれぞれの故郷があり、思いは同じだ」という思いを託すことができたのは、りっぱだ。反戦の歌になっている”とのことでした。「故郷」って反戦歌なんだ~!!そういう気持ちで作られていたということを初めて知り、感激した次第です。確かにそうしたメッセージが込められた歌だと改めて思いました。(所用での外出はガソリン代が出ない!こともあり、あまり積極的にはお受けしたくないお仕事なのですが、こういうこともあると得をした気分になるからいい気なものです。)
2007年11月03日
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小沢党首が密室はダメよと言いつつ、密室で福田総理と会談。これ、誰が見てもそう=密室=だと思うのですが・・(本人はそうじゃない、と言ってますが)それで与野党ともに疑心暗鬼になっている、とは今朝のNHKラジオです。「そういう政治はしないよ、全部国会で=表舞台で=話あいましょう」と小沢さんは言ってたように思うのですが。二人だけの話し合いは表舞台、とは言いませんね。二人しか知らない話合いの中身は、二人が口裏を合わせればどんな内容にでも変わることが可能ですよね?これは話し合ったことにしよう、これは話し合わなかったことにしよう、いくらでも、”なんでもあり、”というようなことが、疑心暗鬼を生むような政治のあり方がりっぱなこと?なのでしょうか・・・それとも”普通のこと”?しかも日本を代表するような、”二大政党”のそのまた”代表”たる二人によってなされるのだから、つまり、この国で一番というくらいりっぱでなくてはいけないくらいの会談?が・・というのはかなり冗談入ってますが。。公開しない会談というのは政治の世界ではしょっちゅうあるように見受けられますが、公開してはまずい、という理由がわからない、ですよね。政治討論の舞台が国民に開かれていなかったら、何のための国会(議員)か?しかし、NHKの解説員の方は、「国会は話し合いの場でなく、セレモニーの場になってしまった。」と見事に喝破してました。多数派になってしまえば「国会は話し合いの場でなく、野党におしゃべりをさせる儀式の場になるしかない」みたいな・・今回与党は参議院において多数派になれず、「国会が機能する機会がやっと巡ってきたのだから、本来の話し合いを国会ですべき」、と言いたいようでした。ところが与野党逆転でも「密室政治」!の再登場です。密室はいけない、という舌の根も乾かないうちに!!結局、そういう政治しかできない、ということなのでしょうか。子供たちにもわかる政治というのはムリ?うそはいけない、人をだましちゃいけない、ということを子供にお説教しておきながら、うそばかり。←うそではない、といってうそをつく国会議員の皆さんに、せめて正直な政治をお願いしたい、と思うのはないものねだり、なのでしょうか。
2007年11月01日
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