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先ごろテレビのニュースで千葉県の柏市?のある中学校で生徒がお茶の葉を摘んだという話を聞き、この名前を思い出したものです。このお茶の葉を、中学校の体育館で手揉みして、業者に製茶を頼み、一本500円で売り、利益は生徒会の費用にする、という話でした。40年以上前になりますが、私が小学生の頃、やはり子供達で銀杏を拾い、業者に売ってそのお金でベルツ水を買ったことを思い出した次第です。当時はひびやあかぎれのできている子供が多く、私もかなり毎年冬になるとそれに悩まされていました。いつの頃からか、我々の学年だけなのか忘れましたが、銀杏拾いは毎年の行事になり、くさいくさいと大騒ぎしながら拾いましたっけ。でも、ベルツ水は全学年にクラスに一本ずつ配られたように思います。それで寒い冬を乗り切りました♪働いたことがお金になる、という経験は何かうれしいものだったような気がします。畑で作った物が給食の野菜になって出てくる事もありましたが、お金になるという実感はなく、ぎんなん拾いの方が何か達成感がありましたね~。不思議な事です。ただ単に、働いた事でお金を得て、それで何かを買うという行為がカッコよく見えていただけなのかもしれませんね。取れた野菜をそのまま食するのでは、有り難味が少なく思えたのかも・・今にして思えば、自分で育てた野菜を自分で食する事が出来ることは素晴しく思うのですが、当時はあまり感激しませんでした。自宅でもやってることでしたし・・・その野菜作りを、どこの小学校でもやれるといいな~と思うのですが、条件がないところもあるのでしょうか?それから、子供に農作業をさせるなんてとんでもない、という親御さんもいらっしゃるでしょうか?嫌いな事をムリヤリさせるのはとんでもない、という意見はごもっとも。。しかし、”嫌いな事”と初めから決め付けなくてもいいような気もします。やってみなければわからないし、貴重な経験だと思うのですが・・・教育再生会議の方々の仰っているような事、の数々(競争原理、市場原理の導入とか)、それをやるよりは、余程いい!!と思います。子供たちの居場所の一つになりうるのではないか?と。。
2007年04月27日
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今朝の日本テレビでキャスターの方が「全国一斉学力テスト」大賛成!と述べておられました。思うにこの方は以前、「フィンランドの学力世界一」をとりあげた番組でも「自分の子供がどの辺の位置にいるかわからないと不安」と仰っていた方でした。そんなに、「自分の子供がどの辺の位置にいるかわからないと不安」なのでしょうか?学力と言っても、せいぜい、そのとき出された問題でたまたま、何点をとったかの順位が出るだけ、その点数で、その順位で、何が分かるというのでしょうか?良い高校、良い大学にいってよい就職をするため?それぞれの受験のために、自分の位置を知っておく必要があるということ?それでは、今いる学校を楽しく過ごすためにでなく、”上級の学校の試験のための学校生活”になってしまう怖れはないでしょうか?学ぶために学校というものに通うのだと思うのですが、学ぶという事は試験でよい点数をとる方法を学ぶことなのでしょうか?一部の成績のよいお子さんには楽しい事かもしれませんが、その楽しさは、他の楽しさを犠牲にした上に成り立っていると考えられませんか・・子供達同士の学びあいは?助け合いは?足りないものを補い合ったりして得られる喜びは?子供同士だけでなく、子供と先生との間にだって学びあいがあると今回の「学力テスト」をパスした犬山市のどなたかが仰ってました。全国一斉の学力テスト全国たった一つのものさしで測られる”学力”そんなものに左右されかねない子供たちの学校生活。先生達の努力。成績を上げることだけを期待されてしまったら・・・そういう子供たちが将来、助け合う事を知らない人に成長してしまったら?・・これは決して子供たちだけの問題でない、国が国民(とりわけ弱者)、なかんずく労働者に対して襲い掛かっている問題だと思えてなりません。
2007年04月25日
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政務調査費などを違うことに流用していたとして大問題になっていたはずの、目黒区。選挙結果はどうなったか?とみますと、なんと、ほとんどの流用者?が当選しているそうです。テレビに出ていた人は1400票あまりで48人中30位くらいで当選なさったとか・・・私の住んでた市では2000票以上でも落選してるのに・・なんて関係ないですが。。ということは、もっと下位の方々はもっと少ない得票で当選なさっている・・ひょっとして区議員さんて多すぎるのではないでしょうか、などと余計なことは別として。当選された方の弁では、「やはり政務調査費のことは問題なかったということです」!!???そんなこと言わせておいていいのですか?区民の税金を、区民のために使わずして、税金を食い物にして、(文字通り飲み食いに使った分もあったとか、キャバクラなんてのも?)それで政務調査費に使いましたとウソの報告をして、それで問題なかった!!ということになるのでしょうか?当選してしまえば?・・嘘つきのお手本を政治がやっていて、それを選ぶ区民がいて、(区だけではないですよね、中央の政治も税金を食い物にしている人たち―ナントカ還元水の人等?―が幅をきかせている)それをどう子供たちに説明するのでしょうか?それとも、子供達は政治の事は考えるな、と政治から遠ざけますか?政治とはこういう汚いものだと教えますか?それでわかった風に育つ子供は幸せでしょうか?とんだ”美しい国”があったものです。この美しくない”伝統”の上に、美しい子供たちの未来をどう描けというのでしょうか?
2007年04月23日
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お昼の毎日新聞のコラムは玄侑宗久さん、本田由紀さんの道徳教育の教科化、に対する意見。今日はその紹介というか、抜書き(のようなもの)です。玄侑氏(作家、臨済宗僧侶)の意見「道徳教育とは人の生き方を学ぶこと」であり、人の生き方に優劣はつけられない知育が偏重され、徳育が軽視されてきたかに言われているが、道徳を「評価する」となるとそれはすでに徳育ではなく「知育」である。人の道徳を評価できる人がいるのか?評価にはものさしが必要になるが、人の生き方を一つのものさしで測ることは可能か?一つの物差しで測るなら、それは市場原理と同じ市場原理と金がすべて、という価値観、”のみがものさしでいいのか”数値化し、評価できるものしか、価値が見出せない”ということでいいのか”実際には優劣のつけられない、無数の価値観がある。”それを切り捨てるのか”現在の副教材の「心のノート」(文科省)はどろぼうの勧めになっている。そこに載せられている多くの言葉の出典は明らかにされていない。根本原理は宗教として残ってきたものが多い。最大多数の思想を抽出して集めて本にしたものがこれであり、それはどろぼうと同じ事。どのようにして生き、どのように死んでいった人々の言葉か、どのような時代に生きてその生き方を見出したのか、がわからないと、言葉はその切実さを欠くのである。知恵者であることはあだ花であり、愚の始まりである。点を競い、功名を競う、華を競う(目立つ事、ほめられること)ほどに、徳から離れる。――――――――東大准教授の本田由紀氏国家権力が個人の内面、規範、価値観に介入していいんだというような姿勢が明からさまになっている。道徳の教科化はその象徴である。市場至上主義の導入、右派的、全体・伝統に回帰しようとする新保守主義の推進が並行して起きているこうあるべきと教えられたら、そうできないものは――素直な子は自分を責め反発を感じる子はますます離反していき、教えられたとおりに出来る子は――同じ鋳型に流し込まれるいずれにしても、いいことは一つもない。――――――――走り書きしたものを並べただけなので、読みにくくてすみません。””内は私が勝手に付け加えたものですし、本田氏のものは大幅にはしょりました。覚書としても不正確さが残るかもしれません。行間を読んでいただければ幸いです。
2007年04月19日
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何だか、仕事に疲れています。といっても、忙しいからではなく、反対に暇だから、なのです。景気が悪くない、という宣伝がされているように思うのですが、どこの世界の話でしょう?という位、ヒマです。この世に、人様のお役に立てる仕事というのは数限りなくあるはず、と思うのですが、いざ、自分に出来る仕事となると、ほとんどないのではないか?と、年齢と共に衰えてくる知力?と体力を考え、転職もままならないし、ある種あきらめのような気持に、度々陥るようになりました。今の仕事は結構好きではあるのですが、いつ、リストラの話が来てもおかしくない状況でもあります。そこを無事通り抜けて?定年を迎えるまで続けられたとしても、その後、何ができるのだろう?という不安は残ります。今、何のために働いているのか?と自問自答してみるに、ほとんど、家のローンの支払いのため、といってもいいくらい。一生働いて、自分の住むところの確保のためにしかならず、残せるものは何もない、というのでは少し寂しい~。。。そこで、仕事以外に生きがいを見つけ出さなくては、という声が聞こえてくるわけですが・・仕事を通じて自己実現、ということは100%はムリですし。仕事に生きがいを感じられない理由の一つは、やはり、儲けのために事業がなされている、ということがあるわけでして・・儲けを度外視したら、やっていけないわけなのですね・・・これがない社会、というのを働く人のための、人間のための、社会を夢想する所以なのです。今は儲けが主人公で、人はその召使になっているような気が・・地球の抱える問題も、その「足枷」を除いたら案外簡単に道が開けるように思うのです。
2007年04月16日
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今日は早めに退社したので、ラジオ夕刊より一つ前の番組を聴きました。テーマは『政治家も職業選択の一つ』かどうか?というものだったようです。昔から、政治を悪くするのは簡単!『皆が政治に無関心であれば良い』という話を聞きます。反対に言えば、『皆が関心を持てば、政治は良くなる』!何を言った人か、した人か、忘れないで、よく覚えておく、議員を監視するつもりでないと、政治はよくならないとのことです。そこでつい思ったのですが、昔、高校生の頃、政治に関心を持つことが普通だった?あの頃、クラスで安保や自衛隊についての話し合いをしたり、生徒総会で安保改定問題が議題になったり、ということがホンの少しだけどありました。今はどうでしょう?子供達が政治に関心を持つ事がなんだか良くないことであるかの雰囲気はありませんか?政治的なことに口を出すのが、憚られるようなことはありませんか?学校でおおっぴらに政治向きの話をするなんて、あまりないような気がするのですが。。あったとするなら、政治に批判的なことではなくて、肯定的な意見なんてことはないでしょうか?政治は大人の仕事、子供は口を出すんじゃない、ということを大人が言ってはいけないように思います。いつから政治に関心を持ったらいいのか、とまどいそうです。20歳になっていきなり、「さあ投票してください」、と言われても、急に政治に関心を持つようになる、とは考えにくいのです。それだったら、政治に対していくらかでも関心を示した時から、大いにその関心を伸ばしてあげたいな~と思うのです。それには教育の場において政治をタブーにしない方がいいのでは?ところが今の教育では、政治的なことを少しでも言うと偏向教育とレッテルが貼られてしまいます。政府のやることに批判的なことは言えなくなっているように思います。日の丸・君が代に反対と言えなくなっているのがいい例です。「自由な意見を述べる場」教育がそんな場でないことは不幸なことだと思います。政治を悪くするのに一役買っていると思うのです。
2007年04月11日
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またまたテレビ番組です。フィンランドの学力が世界一ということで、そこから何を学ぶか?というようなことを日本テレビでやってました。コメンテーターの意見として、”あちらの学校と違って日本の教育には競争がない”(!?)”日本では学校の平均値と自分の点数を比べて自分はどの位というのがわからなくて困る”?―えっオイオイ、そこじゃないでしょう。どこからそういうことが出てくるかな~・・何にもいいところをわかっていないジャン!!―私がホンの少し見たところでは・・教科書の検定はやめて、教師は自由に教科書を選べる!20人の少人数学級!子供達が自分達で話し合って答をだしているので、分からない子には分かる子が教えることが普通で、教えあうことにより、共に理解力が高まる。教育は大学に至るまで無料で、給食費もタダ!みたいなことだったような・・どこから、あちらには競争があるが日本にはない、という話が出てくるのでしょうか?しかも日本に競争がないなんて大ウソで、受験競争が本来の教育のあり方を大いにゆがめているかもしれないってのに・・いや、かなり受験が子供たちの健やかな成長に影をおとしている、と考えます。その中身も、生きて行くのに必要な知識、とは言い切れないような知識の詰め込みだったり・・とても、子供達の将来のことを本気で考えているカリキュラムとは思えません。フィンランドの子供達は勉強は楽しい、と言ってました。かなり多くの子供たちにとって、そうなのだと思います。日本ではかなり多くの子供たちにとって、勉強は苦痛になっているような気がします。分かれば楽しい、わからなければ楽しくない、と思うので・・日本では分からない子はおいていかれています・・学校が楽しいものであれば、いじめ問題など、おこすような子供はいなくなると思うのです。大事なことは子供達が生き生きと楽しく学校生活が送れること。それには心を大事にする教育が必要なんだと思います。形でなく、心。心は学ぶ喜びを知りたいはずだし、友達と学びあう喜びも知りたいと思うし、一生懸命とりくんだことで感動もしたい、表現することを妨げられたくないし、それは人格を尊重されることだと思うのですが、そうした経験が成長過程でたくさんあった方がいいように思います。心を大事にする教育とは国家を大事にする教育とは相容れない、と思います。無条件に国家に従えというのでは、心を大事にしたことにならない、形の上で尊重する態度を身に付けさせようというのがそもそも間違いで、面従腹背を奨励するようなものです、子供の心に最も悪いことだとすら思います。子供には助け合うことの大切さをわかってもらえればそれでいい、と思うのですが・・高福祉高負担の問題ですが、税金の使い道が透明になっていれば、社会的に必要なところに使ってもらえれば、納得できると思います。子供達の教育の心配、医療面・老後の不安、がなくなれば、あとは普通に生活できればいいわけです。。働くところがなくてはダメですが・・・
2007年04月07日
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昨日のテレビ番組で聞いた言葉です。忘れないうちに書き留めておこうと思いました。小さなお子さん二人を持つ看護師さん。(お子さんは今はもうりっぱに成長されてます)夜、手術のため寝た子をおいて仕事にでかけ、すぐ帰れるはずだったのに、手術が重なり、夜明けになってしまい・・(その状況でもうお子さんのことが気に係りドキドキ)そこへ電話が。『お宅のお子さんを預かった』(えーっ誘拐では?と心配スルモ・・)それは近所に越してきたばかりの方からの電話でした。ちゃんとご飯を食べさせて保育園にも連れて行ってくれていた!!何とありがたいお方!!私もそんな事があった・・(そんなに長時間デハナカッタデスガ)後ろ髪引かれながら子供だけを残して出かける時の張り裂けるような気持、を思い出し、良かった良かった、と胸をなでおろしました。ところが本当の感動はそのあとでした。子供達が夜中に母を捜して雪の道もかえりみず、隣まで訪ねていった気持・・そんな思いまでさせて、働かなくても・・という気持になっても不思議ではありません。お隣にまで迷惑をかけてしまった・・・また、それを周囲に言われたら、”そうまでしてやらなくてはいけないの?”などと、それでもなお、たとえ人に迷惑がかかってもやります!とはとても言えないものです。やめる決心をしかかった時、その隣の方は、『あなたは看護師として、人に親切にする仕事をしている、私はあなたから、人に親切にする機会を与えてもらった。だから、今仕事をしている事はとてもいいこと』トイウヨウナ意味のことを仰ったのです!!!なんて素晴しいお言葉、なんて素晴しいお方!!こういう方がいるかいないかで、「仕事をやめざるを得ないか、続ける事が出来るか」が変わってしまうのですね・・この方が一言、”なんて可愛そうなことするの?”と言ってたら、間違いなく仕事は続けられなかったでしょう。(本当は社会的に仕事を続けられるような制度がほしいところです)『人に親切にする機会を与えてもらった』なかなか言えない言葉ですが、「人と人とのつながりの温かさをこの上なく伝えてくれる言葉」として覚えておきたいと思いました。きっといつか使う機会があるのではないか?と思っています♪
2007年04月04日
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いつもの見下したような表情は微塵も見られず、相手を対等の人間として話しかける姿を初めて見た感じがします。相手の人を対等の人間と見るというのは人間として当然のことと思われますが、この方の普段の態度からはとても相手を尊重している姿勢はうかがわれず・・記者を怒鳴り飛ばしている姿とかババア発言とか、三国人発言とか、障害者の方々に人格はあるのかとたずねたとか・・そういうお話が多いように思います。他人はみな敬意を払わなくていい存在と思われているフシがカイマ見られるのです。謙虚な?姿を見られるのはいまだけですよ~ナンチャッテ老人福祉の話をされてましたが、何をおっしゃいますやら・・・ババア発言の中身を覚えていらっしゃらない?「文明のもたらした最も有害なものはババア」だそうですが、そのババアとはどういう人かというと子供を育て終わってもまだ生きている女性?!!!のことだとか・・・確かに長生きするようになりましたけどね・・・長生きはいけないことなのでしょうか?そして、男性は長生きしてもいいけど、女性はさっさといなくなれ、ということなんでしょうか?女性は子供を産む機械といった柳沢厚生労働大臣に負ける勝るとも劣らない(?)、暴言ではないかと思われます。(マサルトモオトラナイという表現は良い方向に競うことが連想されますが、悪い方向に競う場合、何と表現したら良いのでしょうか?)ババア発言の同じ口で、老人福祉をやりますって言われましても・・・?それとも他人を対等の人間と見られない人が、ご老人に対してだけは敬意を持っています、と言えるのでしょうか。(ババア発言一つとってみてもわかることですが)一つ質問が・・・いつもの態度があなたにとって正しい態度なのですか?正しいならなぜそれを政見放送の時も貫かないのでしょうか?正しいのだけれどもそれでは理解が得られないと思っているのだとしたら、普段の態度もそのように改めるべきだと思うのですが・・・
2007年04月03日
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『ともだちはいいもんだ』という歌の一節ですね。今日昼間、例によって会社の用事で出かけた時、車のラジオからこれが聞こえてきて、思わずジーンとしました・・・「劇団四季」がこの劇をいじめ問題を抱える子供たちに、無料で公演してくれるとか。。。演劇はいいものですね。10代の頃、『若者たち』という劇を(たぶん旅回りの一座の方々のだと思うのですが)、見る機会がありまして、目の前で見るその”ど迫力”にいたく感激したことを思い出しました。心に迫ってくる、という表現がピッタリきたように思います。映画と違って、”生身の人間が演じている姿”が美しい、と思ったみたいな。。喧嘩の際には、舞台から客席の方まで飛び出してきそうな勢いでしたし、効果音でなく、実際の音が余計に迫力を感じさせてくれたのかもしれません。”どきどき”なんてものじゃなく、臨場感そのもの、「その場にいる」わけですから、自分も登場人物のような錯覚を感じ・・というのはウソですがそれに近いものがありました。同じ雰囲気を共有しているわけですもんね。育ち盛りの子供たちに、是非よい演劇を見てほしいな~と急に感じたのであります。ただ単に「みんなは一人のために、一人はみんなのために」なんて言っても説教にしかなりませんが、こういうものは説教ではなく、無条件にいいもの、心に迫るものだと考えます。「劇団四季」の皆さん、よいことを教えてくださりありがとうございますm(__)m。
2007年04月02日
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お昼、ネットの新聞を読んでいましたら、「風呂上りは何で体を拭きますか?」というタイトルが目に入りました。通常は「バスタオル」という答が返ってくると思われますが、その記事を書いた記者(男性)は「タオル」。男性でもタオル一本で十分!!全身拭くことができる、とのことでした。記事によると(実は記事に沿った内容は忘れた部分が多く、手前勝手のものが少々・・)「バスタオルをタオルに変えることで何が変わるかというと、洗濯物が少なくなるゆえに、水、洗剤が節約できる干す時に場所をとらない殊に分厚いバスタオルの場合、なかなか乾かない、置くにも場所をとらない」いいことずくめ!実は私も前から実践していて(それ程のものか?)家族にも勧めているのに、家族は誰も同調してくれません。今回、同意見の方を発見!して、意を強くしました。もう一度挑戦してみようかな?だめでもともと・・・ところで、りっぱな分厚いバスタオル、いらないと思いませんか?洗濯するたびに、干すたびに、重くて嵩張って疲れます。タオルまでいかなくても「百歩譲って」、薄いので十分だと思います。地球に優しくないと思うのです。
2007年04月02日
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