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タイ最北端のメーサイ(メーサーイ)。国境の様子や町の様子を先日から紹介している。ただし,情報は少々古いが… 今日は,町の様子の2回目だ。 大通り。イミグレ側から。 町のあちこちに,スピーカーがある。 タイでは,朝8時と夕方6時に,公共施設・公園・広場やテレビ・ラジオで国歌が流される。ここでは,街中に流されるのだ。このとき,直立不動の姿勢をとらなければならない。この姿勢をとらない場合には不敬罪となり,逮捕されることがあるのだ。(運転中や手術中などは例外)このときは,夕方の6時だった。警官は敬礼している。 '06年11/20の日記で,前後の様子をUPしている。 国歌については,1/29の日記でUPしている。 街角。 みやげ物屋は,いろいろある。ミャンマーものが多い。国境を表したTシャツもある。 京都銀行?いきなり京都に帰ったのか??(^_^;) 1番上の画像の左側に写っている7-11で売っていた。下には,タイ語で小さく書いてあるけど。 この先を進むと,丘の上に,ワット・ドイワオがある。 右横の長い階段を上がる。 登り口横の大仏。なんともユーモラスな… お参りしている女学生。半分お参り,半分遊びだ。 横の展望台から寺と,向こうのミャンマー(ビルマ)のタチレクを望む。 サーイ川を挟んで,右がミャンマー,左がタイだ。説明がなければ,同じ国に見えるだろう。 ミャンマーのタチレク,西側。 タチレクの東側。手前は,メーサイだ。 ワン・トンホテルから,タチレクを望む。このホテル,朝食付き(バイキング形式)シングル750Bだが,シーズンによっては600B(当時で約1800円)までディスカウントできた。今は,900Bのようだ。 プールもある。プールと建物の間の下は一般道だ。ホテルは,道をまたいでいるのだ。外からも入れる。私が座っていると,従業員が通りかかり,「あなたは,ホテルの客か??」と聞かれた…(*_*) チェックインの時,「女はどう?薬は??」などと言ってくるボーイがいる。そこそこの中級ホテルだが,ここではこれがふつうなのか??断っても何も言われない。あっさりと引き下がる。おそらく中間マージンが入るのだろうが… でも,みんな愛想は良く,気持ちよく泊まれる。部屋は清潔で広さも十分。朝食のバイキングも,メニューが結構あり満足だ。ツアー客も多い。 '05年1月の夜。年末年始の電飾だ。1番上の画像は,'02年12月だが,電飾は何もない。 こんな飾りもあった。米国式に,クリスマスと新年が一緒のパターンが多い。 次回は,屋台を紹介する。 タイの2空港占拠。国王の鶴の一声は,いつになるだろう?? 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/11/29
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タイ(メーサイ=メーサーイ)~ミャンマー(タチレク=タチレイ,タキレイ,タキレク)の国境線があるサーイ川付近の両国の様子を23日の日記でUPした。 今日は,さらに細かくなり,タイ側のメーサイだ。3回連続の予定でUPする。初東南アジアのときの'94年8月にチェンライのゲストハウスの主人の車で訪れたのが最初だった。(初東南アジアについては,'07年4/25の日記や'06年12/14の日記などで書いている。)この町は,売春・麻薬など良くない噂もあることは後に知ったが,ふつうに旅行している分には,何の問題もない。 その後,'03年1月と8月,'05年1月の合計4回訪れている。そのうち,ミャンマー(タチレク)へ越境したのが2回ある。国境付近というのは,何となく好きだ。 '94年だ。ゲストハウスの主人が,山岳民族の村やチェンセーンなどとセットで回ってくれた。もちろん有料だが… '03年1月。約8年半ぶりに訪れた町は,かなり変わっていた。チェンライからの道路がきれいになり,大きな街灯などもついていた。 大通りの突き当たりは,イミグレだ。この先の橋を渡ると,ミャンマーだ。 イミグレの横は,タイ最北端地点になる。以前は,ここに民族衣装を着た女の子が記念撮影用にいたのだが…イミグレの建物が大きくなったあおりで,ここは陰に隠れて目立たなくなってしまっていた。 タイ人だろうか?記念撮影をしている。 タイ側のイミグレの建物。以前来た時よりも,かなり立派になっていた。 ミャンマーへ行ってみよう。建物左側にある窓口に行く。 この先で手続きをする。 ガイドブックなどには,パスポートにスタンプが押されると書いてあるが,このときはコピーの紙が必要で,ここにスタンプが押された。今は,どうなのかはわからない。 ちなみに,メーソット~ミャワディーの国境は同じデイリターンでもパスポートに出入国のスタンプが押された。('05年8月) 真ん中は,車道だ。帰ってきた時は,右側の窓口を通る。 国境のサーイ川に架かる橋を渡ると,ミャンマーのゲートが見えてくる。右側の歩道を歩く。 右手に,ミャンマーのイミグレがある。良き見ればわかるが,初めての時は気がつかずに通り過ぎることがあるので注意。 パスポートのコピーに,ここでもスタンプを押され,パスポート本体は預けた。ミャンマーの役人は厳しいが,ここの係官は笑顔で優しかった。 確か,これが戻った時の引換証だったと思う。無くさないように注意だ。'03年。タイとミャンマーは,時差が3分あり,間違うと窓口が閉まってしまい再入国できずにオーバーステイになってしまう。正確には,不法滞在になるのだろうか? '05年 イミグレの建物の横を抜ければ,晴れてミャンマー入国になる。タイ人やビルマ人は,何やら手続きが必要なようだが,日本人はそのまま通過できた。 次回は,メーサイの様子。さらに,その後はタチレクの様子をUPしていく。 ただし,今後のタイの状況次第では,緊急に情報をUPしていくこともある。ソムチャイ首相がチェンマイ空港に帰国し,緊急事態宣言が出される可能性もある。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/11/26
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タイのバンコクが混乱している。しばらく前から反政府団体(反タクシン派)がデモなどを起こし,首相府を占拠し,臨時首相府がドンムアン空港(旧バンコク国際空港)に置かれている。 しかし今日,そのドンムアン空港の臨時首相府が占拠され,さらにスワンナプーム国際空港(現バンコク国際空港)まで占拠し,空港が閉鎖され観光客まで影響が出る事態になっている。 国情が違うので,昨年のミャンマー(ビルマ)のデモ騒動の時のような悲劇は起きないとは思うが,たいへん心配である。 今冬の旅は,いつものごとくタイにも寄るので,どうなっているか人事ではない。まあ,寄らなくても,たいへん心配なことには変わりないが… 冬は,3期連続ミャンマーに決定している。夏に行けなかったところにどうしても早いうちに行きたかったのだ。必然的にタイを経由することになる。他国経由もあるのだが,今さらチケットを他航空便に替えるわけにはいかない。 まだ,1ヶ月ある…と思うのだが,騒動は3ヶ月以上前から続いている。どうなるのだろう?? 東南アジア有数のハブ空港,スワンナプーム国際空港。このニュースに関する記事は…→アサヒコム→ヤフー→MSN ただし,日本で報じられているニュースと現地の実際の様子が違うことは多々あることなので,鵜呑みにしているわけではない。基本的に,何もしていない外国人に危害を加えることはないはずだ。意味がないからだ。批判の声もあがっているようだ。それは,そうだろう。 私は,よっぽどの事態にならない限り,渡航の予定は変えない。 今日は,国境つながりで,そのままタイのメーサイ(メーサーイ)をUPしようと思ったが,急遽変更した。ショート編になってしまった。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/11/25
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昨日は,各国の国境を紹介した。今日は,その中のタイ(メーサイ)~ミャンマー(タチレク=タチレイ)の国境線があるサーイ川付近の両国の様子だ。 町の様子は,'06年7/25の日記や'06年11/20日記などで紹介している。さらに,フェアトレード通販店「地球まる」のサイトでも紹介している。 町なかの様子は,まだ画像があるが,今回は基本的にサーイ川付近に限定してUPする。 昨日の日記の2枚目の画像の反対側だ。乾季の画像だ。 同じく乾季。 今度は雨季だ。水量が多い。 タイ側(メーサイ)の上流に行くと,こんな感じだ。雨季で,さっきよりもやや川幅があるが,やはり目の前にミャンマー(タチレク)がある。 メーサイからの別角度。乾季だと,水量が減るので,ここも簡単に渡れるだろう。 対岸(タチレク)で,何かを洗っている。 川沿いの丘に張り付くように建つゲストハウス(だと思う)が,いくつも並ぶ。 川から山に向かって道がある。 奥の方にも家がある。 今度は,橋を渡って国境を越え,ミャンマーのタチレクからメーサイを望む。やはりタイの方が賑やかだ。ミャンマーは,質素な感じがするのだ。 国境の橋を渡り,左方向へ行く。サーイ川が見えてきた。さっきよりも上流だ。途中に監視小屋があり,銃器を持った役人に睨まれたが声はかけられなかったので進んだ。 道路工事中。みんなが笑顔で声をかけてきて,撮影となった。ミャンマー特有のロンヂー(巻きスカート)を履いている人もいる。 道路工事と言っても,未舗装で全て手作業だった。 向こう側(メーサイ)の,こんなところにも家がある。こんなとこに家を建てなくても…と思ってしまう。 川沿いに家は少なかったが,少し離れると多くあった。 国境の橋を右に行き,サーイ川下流方向へ行くと,こんな橋がある。行ったのは'05年1月で,地図にも載っていないので,知らなかった。街灯まである立派な橋だ。しかし,通行止めになっていた。 第2友好橋と書いてある。警備員らしき人がおり,向こうへは行けないだろう。どういう趣旨の橋なんだろう??と,当時は思っていた。 後に知ったが,'06年1月に開通したのだとか。税関などの施設もあるらしい。中国南部とミャンマー・タイの物流拡大を図り,貿易や観光を盛んにするために造られたそうだ。 いくら隣国だとは言え,小さな川を隔てるだけで,町の様子も人々の様子も変わってしまう。 これらの画像だけを見ていると,どちらもすごく田舎に見えるが,町なかは建物も多い。また今後にUPする。 気軽に超えられる近い国境。1度トライされては?? 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/11/23
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大陸では,一足で隣国,川の向こうは隣国などということは,ごくふつうだ。島国日本に生まれ育った人には,かなりの違和感を覚えるだろう。台湾やフィリピンなどの人々も,そうなのだろうか?同じ島国でも,環境や歴史が違うので感覚が違うような気がする。 国境を陸地や川で越えるバックパッカーは多いと思うので,そのような方々から見ると,めずらしくないだろうが,私は空路で国境越えをする方が多い。だから,目の前に異国があれば,「目の前は,外国や!!」…と,まだまだ意識が高揚するのだ。 今日は,他人に比べれば少ないが,私が国境付近で撮った画像だ。既出の画像がほとんどだ。 一昨日にUPしたバングラデシュ南部のテクナフ手前のナフ川。向こうはミャンマー。雨季で雨が降り続き,ほとんど見えなかったが,乾季にはよく見えるという。ミャンマーとの交易は,かなりある。密輸品の?アルコール類も渡ってくる。 見えていると言っても,ミャンマーとの距離はやや遠い。 そのミャンマーとタイが,小さな川1つで隔てている。右がタイ北部のメーサイ(メーサーイ)で,左がミャンマーのタチレク(タチレイ,タキレイ)。乾季は,歩いて渡れる。(外国人は,厳禁。) イミグレを通して橋を渡り,ワンデイリターン(日帰り)が可能な有名な地点だ。橋を渡るだけで,時差が30分生じるのだ。(タイは日本-2時間,ミャンマーは日本-2時間半なのだ。) 国境越えは,'06年7/25の日記と'06年11/20の日記でUP。 同じく,ミャンマーとタイ。こちら側がタイ北部のメーソット,向こう側がミャンマーのミャワディ。ここも,ワンデイリターンができる。 国境越えは,'07年5/1の日記('06年7/26の日記のR版)と'06年10/22の日記でUP。 タイとラオス国境だ。ここは,タイ東北部のムクダーハーン。メコン川の向こうは,ラオス南部のサワンナケート(サバナケット。現地人の発音では,サワナケーッ。)だ。 国境越えは,'07年8/31の日記でUP。 反対側の,ラオスのサワンナケートから。第2メコン友好橋をバスで渡った。(私は使ったことがないが,以前は船で渡っていた。今は,地元人のみ。) 国境越えは,'07年9/1の日記でUP。 サワンナケートよりバスでヴィエンチャン方向へ約3時間のターケークだ。メコン川の向こうは,タイ東北部のナコーンパノムだ。 船着き場周辺の様子は,'07年9/16の日記などでUP。 ラオスのターケークからバスでヴィエンチャン方向へ約5時間の小さな町パークサンだ。町なかからメコン川は見えにくい。ここは,タイへ渡るメコン川の船着き場だ。向こうは,タイ東北部の小さな町ブンカンだ。 国境越えは,'07年8/23の日記でUP。 反対側タイのブンカンから,メコン川対岸のパークサン周辺だ。このルートで渡る人は,かなり少ないと思う。ここからバスで2時間半のノンカーイ~ヴィエンチャン郊外(ラオス)で国境越えをする人が大多数だろう。 国境越えは,'07年8/25の日記でUP。 そのタイのノンカーイから,メコン川対岸のラオスのヴィエンチャン郊外の町を。 詳細は,7/27の日記から3回連続でUP。 国境をあちこち移っているので,みなさんついて来られているかな?ここは,ラオスのヴィエンチャン。メコン川向こうは,タイの町である。 川沿いの様子は,'07年12/9の日記でUP。 タイ北部のチェンセーン郊外にある,ゴールデントライアングル。黄金の三角地帯(麻薬の密造)と言われたところだ。右がラオスで左がミャンマー。タイ・ラオス・ミャンマーの3国が接するところだ。 '94年8月の初東南アジアの時だった。'07年4/25の日記でUP。 カンボジア北西部の町シソポン。町の西側にある丘プノン・スバイより。40km向こうは国境の町ポイペト,さらに大地の向こうはタイ。大地で国々がつながっているのが実感できる。 詳細は,'07年7/15の日記('06年8/31の日記のR版)でUP。 ところ変わって,東ティモール。首都ディリから西へ行くと,ティモール島の西半分はインドネシア領だ。向こうのゲートを超えるとインドネシアなのだ。東ティモールは,このときは独立後の混乱で,ディリは比較的マシだったものの,他の町では民兵が暴動を起こしたりして,混乱していた。治安が不安定の中,この町へ行った。 国境付近の様子は,'06年11/19の日記でUP。 また,ところ変わって韓国の統一展望台より,向こうは北朝鮮。あいにく天気が悪くて見えにくかった。対韓国向けの宣伝村だろうが,はっきりと見たかった。 詳細は,7/1の日記でUP。 マレーシアは,マレー半島とボルネオ島(カリマンタン)の3/4から成る。ボルネオ島の1/4はブルネイであるが,ここコタ・キナバルの町には近くのフィリピンの島から小舟で海を渡って人々がやって来る。陸続きでなくても,ふつうにやって来るようだ。 旧称フィリピノマーケットだ。現在は,ハンディクラフト・マーケットと呼ばれているらしい。 コタ・キナバルについては,'07年5/30の日記でUP。 日本人にはピンと来ない,“目の前は隣国”。みなさんは,どうだろう?? 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/11/22
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バングラデシュ南部の町,コックスバザールから,さらに70km南の町テクナフへ行く途中,左手にナフ川が見えてくる。'04年8月。 '06年6/28の日記の画像大幅充実リニューアル版だ。 ナフ川の対岸はミャンマーだ。晴れていると,見えるという。 テクナフに向かって,川沿いの道を車で走っていた(ホテルのボーイがガイド兼ドライバーをしていた)。 港らしいものが見えてきた。車を止める。トラックや車が止まっている。 港の建物の周囲は厳重に有刺鉄線付きの金網が張り巡らしてある。閉まった門の前には多くの人がいた。 門には銃を持った兵士らしき者が立っている。「中を見たいか?」とガイド。「もちろん見たい!」さっそくガイドが受付で交渉する。関係者以外は立ち入り禁止らしい。交渉に時間がかかる。やはり無理か?…「OK!」入れた!船の撮影はOKだが,港は撮影禁止と言われた。兵士がいたところをみると,軍事的な秘密でもあるのか?? 門をくぐると,建物に入り,外から見えないところでガイドが合図。「あっ,賄賂か。」…兵士に渡す。日本円では,微々たるものだが。これを渋ると,退去だろう。 敷地には,建物の他に倉庫などもあった。トラックが止まっている。 その向こうは川で船が何艘か止まっていた。一艘の船からは米を運び出している。ミャンマーから来たらしい。港のトラックへ積んでいるようだ。そういえば,ミャンマーからの密輸品は多い。 この川の向こうは,ベンガル湾(海)だ。 さらに桟橋を進む。 海で捕れた魚を下ろしている。 1匹ずつビニール袋に入れてある。氷で冷やしてもいる。ナフ川から少し下るとベンガル湾なのだ。みんな熱心に仕事をしている。 移し換えた魚は,米と同じく港の倉庫へ運んでいる。結構重そうだ。 ちょっと手が空くと,私の方をめずらしそうに見てくる。その私の横では,ずっと兵士が私を見ている。船以外を撮影しないように監視しているのだ。 …が,スキを見て何枚か撮っていたのだ!兵士の後ろから撮ったので,気づかれなかったが,私の後ろの船員たちは見ていたと思う。叫ばれたらどうしよう…とは思わなかった。(^^;)しかし,ほとんどがブレていた… これは,港の倉庫の一部と,米をトラックに積み込んでいるところ。 ふつうは見学・立入禁止の場所でも,地元人ガイド(私の場合は,即席ガイドに近かったが…)に頼めば交渉してくれることがある。チッタゴン郊外の大型船舶解体場に行った時も,同じく頼んで見学させてもらった。しかし,たいした額ではないにしろ,賄賂と言うか心づけ(良く言えばチップ)が必要だ。 バティアリの船舶解体場については,'06年7/8の日記と'06年5/20の日記でUPしている。さらに,フェアトレード通販専門店のサイト「地球まる」の中で,私が書いている連載でも「バングラデシュ バティアリの船舶解体場」として取り上げている。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/11/20
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メトロ・マニラを走る高架鉄道のLRTとMRT。'07年12/15の日記など何回か紹介している。 今日は,LRT(Line1)の未紹介分。'05年と'07年のが混在している。(以前にUPしたものも,少し含む。) 高架下の道路は渋滞だ。路上で,ウロウロしていた少年がやって来て,カメラの前で騒いでいた。 UNアベニュー駅。横にUN(国連)のWHOビルがある。 駅の入り口の1つ。 UN駅構内だ。 なぜか,ロープで仕切ってある。そう言えば,女性専用車両があるが,1両の中で区切っているわけではないはずだが… 北の端のモニュメント駅の改札口。自動改札は,日本と違って回転するバーを押して回す。台湾やシンガポールでも,そうだったと思う。 駅の下は,人でごった返していた。 陽気な人が多い。 高架下は,ほとんどが並行して道路が走っている。(ロメロ・パパ駅下)ロメロ・パパ駅周辺は,7/5の日記や'07年4/4の日記ほかで紹介した。 エドゥサ駅より,最南端のバクララン駅方向を。左の通路を通れば,MRTのタフト・アベニュー駅と連絡してある。 6時半になってくると,もう暗くなってくる。駅構内照明は少なく,さらに暗い。 列車内は,もっと暗い。治安が決して良くないマニラでは不安が募る… UN駅も暗い。列車を見ると,窓が真っ暗だ。 照明はあるのだが…慣れない人は,不安になると思う。 移動手段としては,たいへん便利な乗り物だ。値段も12ペソ(約30円)~と安い。次回は,Line2も乗ろうと思う。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/11/16
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ベトナムのホーチミンから水中翼船で約1時間半。1年中泳げるビーチがある町ブンタウに着く。'06年12/29の日記で現地から,'07年1/13の日記ではビーチの様子をUPしている。 今日は,行き帰りの水中翼船だ。 ホーチミン中心部のハムギー通りがサイゴン川に突き当たったところに,ブンタウ行き水中翼船乗り場がある。しかし,乗り場の手前を横切る通りは交通量が激しくなかなか渡れない。信号などない。次々と車が来るのだ。しばらく様子を見ていると,チケット売り場周辺にいた人がやって来て手を引いてくれたが,案の定「チップ!」だ…この国では,なにかと煩わしい対応が迫られる。シクロマンなどの「オ~イ!」もしつこい。 チケット売り場は,乗り場へ入る門の手前にある。以前は,カントーやミトー行きもあったのだが… ビナ・エクスプレスのチケット。120,000ドン(約960円)。ドル払いだと$10だが,ドン払いを勧められた。 ※レートは,当時('06年12月)のもの。今日は,1円=175ドンぐらいのようだ。今なら約685円ということになる。 船内だ。欧米人が結構いた。 ロシア製なのか?? 船上から見たホーチミン。 ブンタウの船着き場に着いた。乗ってきたのは向こう側の船だ。2艘並んで止まり,隣の船内を抜けて岸に上がるのだ。船と船,船と岸との間が少し開いていて板が渡してある。波で揺れていて落ちそうだ。大きいバックパックの私は渡るのに少し苦労した。 水中翼船は,どんどんやって来た。 グリーン・ラインズ 船着き場の建物。建設中だった。 船着き場は,フロントビーチにある。ここは,泳ぐのには適さない。海水浴は,半島の反対側のバックビーチの方がよい。 ブンタウ滞在後の帰りは,グリーン・ラインズ。船内だ。 ブンタウは,海に面した半島になっている。船は,サイゴン川から南シナ海に出るのだ。ここは,河口だ。 大型の船舶が通った後は,波で船体が大揺れだった。 小舟で生活している人が,ここにもいた。 サイゴン川をホーチミンに戻ってくると,このような光景があちこちにある。 ペトロ・エクスプレス ホーチミンの乗り場に戻ってきた。 乗り場横には,ふつうの船もある。 橋を渡ると,喧騒のホーチミン市内へと戻っていく。 周辺国で,水中翼船が就航していることは,ほとんどないのではないかと思う。以前はカントーへも水中翼船で行った。しかし,今はない。バスや列車とはまた趣が違っていておもしろい。行かれた方は,1度乗ってみては? 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/11/15
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ちょっと前から,こだわって撮るようになった夕陽。すでに何回かUPしている。まあ,以前から撮ってはいたが,ついでだった。今は,いい夕陽(朝陽)を撮ろうと意識している。 今日も,きれいな夕陽が見られた。職場近くの建物から撮った。たまたまタイミング良く,デジカメを持っていたのだ。きれいな夕陽に外国も日本もない。 これからは,夕陽に限らず,その日に撮ったいいものがあれば,鮮度が落ちないうちに?UPしていこうと思う。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/11/11
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台湾南部の高雄から列車で台東方向へ約30分弱乗ると,屏東市に着く。屏東県の中心都市である。'04年5月,ちょこっとだけ行った。 このとき,高雄駅周辺は工事中で仮駅舎だった。高雄地下鉄や台湾高速鉄道(新幹線)開通に伴うものである。今もまだ仮駅舎のままのようである。 駅だけでなく,地下鉄工事も行われていたのだ。高雄地下鉄(高雄捷運)は,今年3月の南北を走る紅線(高雄空港へも行ける)開通に続いて,9月に東西線の橘線も開通した。まだ計画中の路線もある。 「普通快速」だ。冷暖房無しの扇風機のみ。 切符。23元(約78円)だ。'93年ではない。年号は,清朝を辛亥革命で倒した孫文が樹立した中華民国から始まっている。1912年が元年。西暦-11年だ。 屏東車站(屏東駅)構内だ。 駅舎だ。漢字の国は,日本人にはわかりやすい。 駅から町を見たところ。台北行きのバス(国光号)も出ている。 駅から少し歩くと大通りだ。車通りは多い。 駅の近くには,慈鳳宮(媽祖廟)がある。媽祖(道教の女神)を祀ってある廟祠だ。緻密な装飾が施された華やかな建物は,台湾有数だ。1780年前後に造られ,多くの信仰を集めている。 上も派手だが,下も派手だ。 屋根に多数のカラフル提灯が。 中も派手だ!装飾の細かさには,驚かされる。 この通りは,食べ物の店や屋台がずっと並んでいた。 鬼洗い!??日本語だ。意味はわかるが…'06年11/14の日記で,拡大版をUPしている。 日本家屋を思わせる屋根の家が結構あった。鬼瓦がある。(鬼瓦の発祥は中国だ) 駅を少し離れると,途端に閑散としてしまった… 反対向いても… 帰りは,「通勤電車(略称は電車)」に乗った。そのままやん!列車種別が一新された今は何と呼ぶのかわからないが… 高雄行きの切符。16元(約54円)だ。こちらの方が安いのに冷房付きだった。 高雄車站に戻った。改札口を出て,振り返ったところだ。 屏東は,ずっと歩き回っていたわけでなく,途中は昼間から開いているオープンカフェのような店で,飲んでいた(^_^;) 今後,台湾へ行く時は,あちこちを列車に乗ってプチ旅行をしてみようと思う。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/11/09
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アンコール・ワット…かなり有名である。カンボジアは,怖い,危ないと思う人は多いが,ここへ行った人は多いだろう。タイのバンコクや各国各地から,近くの町のシェムリアップまで飛行機が多数飛んでいるので,カンボジアではここだけに行ったという人がほとんどだろうか? アンコールワット及び周辺の遺跡群には,'00年12月に初めて行った。もう8年前になる。友人や弟との2人旅から,初めて一人旅になって行ったのがカンボジアだったのだ。つまり,一人旅デビューがカンボジアだった。 画像は,あちこちのサイトや文献で見られるので,めずらしくないだろうが,UPする。これまでも何回かはUPしている。撮ったうちの一部だ。 正面の画像は以前にUPした('07年7/3の日記と'07年12/12の日記)ので,別バージョン。 遺跡の研究や修復には,日本人や日本の団体も大いに関わっている。 以前もUPしたが,画像サイズを大きくしたので再UPだ。400年ほど前に,この地を訪れた日本人が残した落書きが保存されている。 残されているだけでもすごいが,大昔にここまで来た日本人がいることもすごい。昔なら大旅行だ。(詳細は,'07年7/5の日記参照) 現代の世界で同じことをすると,ご存じのように大騒ぎやろな… 近くにある,アンコール・トムへの門。写っている人々は,ツアーのおじさん・おばさんたち。日本語が聞こえた瞬間に,ダッシュで離れた…(^_^;) アンコール・トムのバイヨン寺院。 近影。でかい… 回廊に彫ってあるレリーフ。 王宮・象のテラス。 少し離れたところにある,タ・プローム。 大木の根がすごい状態になっているが,わざとそのままにしているとか… 自然の力は,すごい! アンコールワットからかなり遠いところにある遺跡,バンテアイ・スレイだ。シェムリアップからは,約40kmらしい。 ここは,何年か前から遺跡保護のために中までは立入禁止になっているようだ。 いくつかあるデバター像の1つ。これは「東洋のモナリザ」と言われている。いわくつきらしい。しかし,今や間近で見ることはできない。 シェムリアップから約50kmにある,クバル・スピアン。川底の石に彫刻がある。当時は,ガイドブックにも載っていずに,何かわからなかた。しかも,歩き道周辺に地雷が多数あることを知ったのは,帰国してからであった…詳細は,'06年7/28の日記で。 ヒンドゥー教の特別な聖地だったらしい。 結構な山中だった。 データは古いが,今では見られないものもある。ダイジェスト的に紹介した。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/11/06
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ラオスのパークサン。首都ヴィエンチャンからターケーク,サワンナケートへ行く途中にある小さな町だ。ここを訪れる観光客はほとんどいない。以前から何回も書いているが,「地球の歩き方」や「ロンリープラネット」に町の地図は載っていない。 いつも,冒頭に同じようなことを書くのは,このサイトを初めて訪れた人にもわかりやすいようにという思いからだ。この町の情報は,ほとんどない。だからこそ,行った者が情報提供や紹介をすると,これから行く人の参考になると思う。 また,それ以上にラオスをはじめ,様々な国や町を知ってほしい思いがある。 今日は,パークサンのマーケットだ。'07年9/9の日記の続編的な内容になる。両方見てもらうとわかりやすいと思う。 国道13号線沿いにマーケットはある。向かって右側の入り口を入ったところ。 右側に大きな屋根のマーケットがあるが,周りにも小さく質素な店が並んでいる。左側にもマーケットがあり,前方へ行くとバス(ソンテウ)ターミナル('07年9/29の日記)がある。 大きな屋根の周りには,小さな店が並ぶ。これは,衣料だ。 大屋根の下だ。この直前の撮影では,みんな笑顔で写っていたのだが,ピンぼけしてしまった… マーケット内。家ではない。 水産物。 VTRはOKでも,デジカメを向けると… 野菜や果物。 人々の生活は慎ましやかというが,一応いろいろなものが多数売っている。 従業員などが店の前で,出前や買ってきた食事を食べているのは,めずらしくない。周辺国でも,よくあることだ。 左側のマーケット。足下が本当にジュルジュルだ…サンダルなので,誰も気にしない。 以前も紹介した,空気注入式の巨大遊具だ。すべり台の上には,小さな子どもばかりと思いきや,そうでもない。 空気注入中。蹴って様子を見る少女。 ちゃんと食堂がある。 串焼きはうまそうだ。向こうの店には,ビール瓶が多数並んでいる。 特に何があるというわけではない小さな町だが,私は見ているだけでも楽しい。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/11/03
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今冬の行き先が,いまだに決まっていない。いつもなら,夏と冬は3ヶ月前に仮予約をしているが,今回は迷っている間に2ヶ月を切ってしまった…取りあえずタイまでを予約したが,すでに一杯で,行きの便は取れたものの,帰りの便はキャンセル待ちだ。これはマズい! こんなことなら,先にタイまでを取っておけばよかった… 候補は,次の3国だ。 今1番ハマっているのは,ミャンマー(ビルマ)だ。最有力候補だ。もし行けば,初めての3期連続になる。夏に行けなかったパテインへぜひ行きたいのだ。できれば,ヤンゴン対岸の町も。 (ヤンゴン・スーレーパゴダ) 順番から言うと?カンボジアだ。この国も好きだ。まだ行ってない町がいくつもある。 (プノンペン・セントラルマーケット周辺) そして,大好きなラオス。この国で,のんびりと過ごしたい。 (ヴィエンチャン・パトゥーサイ) バングラデシュ・パキスタンも考えたが… パスポートが来年4月で10年の満了だ。しかし,渡航するには残り6ヶ月なければならないので更新しなければならない。ミャンマー・カンボジアならビザも必要だ。許可まで1ヶ月近くかかる。よって,早く更新に行かなければならない。旅券事務所の申請は平日の16時半までのみ。しかも,今週は出張だらけで自由がきかない…どっかで無理に休みを取って行くしかない。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/11/02
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ミャンマー(ビルマ)のヤンゴン~モウラミャイン。バス移動編の最後だ。昨日UPした途中のドライブインからモウラミャインまでだ。全て,バス車内からだ。 途中で急減速…「なんや??」みんな窓の外を見る。「うわっ!」道に水が溢れている。どんどん流れてくる。雨季なので仕方ないか。 バイクは押して歩いている。走っていたバイクは,こけそうになっていた。流れが結構速い上に,こんなところでは,道路がヘコんでいたりするのだ。 横は,本当の小川のはずだと思う。 崖ギリギリも走る。下は,川だ。 漁をしている。道路ギリギリのところだ。 道路は狭いところが多い。 川幅が,かなり広くなっている。 整然と植えられた木。しばらく続いたが,なんなんだろう?? 車内では,VCDがかけられている。最近は,DVDが増えた。音楽かお笑い番組が多い。 小学校。 増水した川が家の敷地まで行っている。家は高床式なので問題ない。小舟も軒下に備え付けられているだろう。 モッタマからタンルウィン川の橋を渡って,対岸のモウラミャインへ行く。 向こう側に鉄道橋が見える。このあと,合流するのだ。 タンルウィン橋上から。道路と鉄道が並行して走っている。 モウラミャイン市街に入った。 ミニゴンバスターミナルに着いた。雨季にも関わらず,8時間少しでちゃんと着いた。 バイタクやサイカーが多数待ち構える。着くや否や一斉に押しかけてくるのだ。 ヤンゴンへの戻りは鉄道に乗っている。途中は線路が冠水していた。詳細は,また後日… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/11/02
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ミャンマー(ビルマ)のヤンゴン~モウラミャインのバスの続きだ。今日は,途中のドライブインだ。 バスには8時間以上乗ったが,長い時は必ずドライブインに停車する。売り子が,一斉に走ってくる。 昼なので,ほぼ全員が食事をする。作り置きのおかずが置かれている。 いろいろな種類がある。以前にも書いたが,私はあまり食べることはない。本当は食べたいのだが,以前にそれでお腹の調子が悪くなり,バス車内でたいへん苦しかったことがあり,それ以来ほとんど食べない。おやつなどを買って食べることはある。 ここで食べる。着いた直後は,みんなトイレへ行っている。 厨房。ガスではない。 下ごしらえ 反対側から。 バス到着直後には騒然とする売り子だが,客がいる間は売り込みをしている。 輪っかのようなものを挟んで乗せている。 売り込み中。 私にも声をかけてきたが,買わなかった。しかし,VTRに興味を持って,うれしそうに見ていた。すると,何人かが集まってきた。自分が撮られるのはイヤだが,液晶画面に映っているものを見るのは,おもしろいようだ。 ミャンマーでは,一般人がVTRを持つことはほとんどない。庶民には縁のないものだと思う。デジカメは,ほんの小数が持っていたが,これも高嶺の花だろう。カメラ付きの携帯は,意外と持っている人が結構いた。 売り子は,たくさんいる。年齢も,子どもから年配の人まで様々だ。 横にも店はある。 向かいにも店はある。 こちらから来た。 こっちへ行く。 次回は,ドライブイン~モウラミャイン到着までだ。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2008/11/01
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