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先週の土日に立て続けに遭遇した、私的にびっくりした話です。それは先週土曜日のこと。一週間遅れの父の日企画、として弟達夫婦がうちに遊びに来た。「先月は二回も皆で集まったし、別に父の日にまで わざわざ集まらなくてもいいと思うんじゃが・・・。 我が弟ながら、律儀なやっちゃなぁ・・・。」(私が長女として駄目過ぎw)そんな変な感心しながら、私があさりの酒蒸し作ったりしていたその日の晩餐。(なんかしらんが最近、私の作るあさりの酒蒸しが美味しい!!と父が大変気に入っていて、週に一回あさりを買って来ては作らされているのだ。あさりの酒蒸しなんてめっちゃ簡単な料理だぞ?お酒入れて蓋してほっとくだけなんだから。私でなくても、誰が作っても塩加減さえ間違えなければ大丈夫だと思うんだが、父は私が作った方が絶対美味しい!と譲らない。自分で作るのが面倒なだけでは・・・)ある程度皆のお腹が膨れた頃、弟(上の弟・長男)が、父の日の祝いだと言って父におもむろに封筒を差し出した。祝いならば、既に焼酎を持参していたので他に一体何を?と見せてもらったそれは、一通の手紙だった。その手紙にプリントされていたのは白黒の写真。産婦人科で妊娠した方に渡される、子宮内部の写真・・・。そう、ついに長男夫婦に第一子が出来たのだ!!結婚して5年?6年か?くらい経っている長男夫婦だが、「子供は授かりもの。 出来たら勿論嬉しいけど、出来なきゃ出来ないでも全然気にしない。 だから子作りは特に頑張らない。」という、大変私の弟らしいスタンスだったので(笑)、お目出度い事ではあるのだが、私は大変びっくりしたのだ。全然作る気なし、だと思ってたから。このびっくりの為に一週間遅れでも『父の日』したんだなぁ・・・。我が弟ながらいい奴だ。(笑)父はとても嬉しそうだった。実は母はこの数日前、妊娠が発覚してすぐこの話を弟から聞いていたそうだが、「それならこの話は皆で集まる時まで内緒にしよう。」と言って、今回の演出を企画したのは母だったそうだ。やるな、母。(ニヤリ)今、妊娠二ヶ月目なんだそうだ。今はまだまだちっさい塊でしかない、私の未来の甥か姪。出産予定日は来年の二月中旬頃。「お!それなら私と誕生日近くなるじゃん!!もしかして一緒になったりして♪」と私が言ったら、父が「それはなんとしても阻止しろ。日をずらせ!!」とか言ってたのが、今思い出してもちょっと憎らしい・・・。(笑)数年前に、私の昔の職場の先輩が男の子を妊娠した時も予定日が二月だったが、その時も友達の間で同じ様なやり取りがあった事も、私は未だに納得がゆかぬ・・・ゆかぬぞっ!!!
2007年06月30日
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どうもこんにちわ♪今回は数秘術チャート作成受付再開のお知らせです~。去年の10月いっぱいで受付終了して、その後はキリ番プレゼントにさせてもらっていたのですが、今回の受付再開に伴いまして、キリ番プレゼントの方は終了させていただきます。前に一度受付を止めたのはですね、あまりにも一つのチャートを作るのに時間がかかったからです。「これに時間かかりすぎて絵を描いてる時間がないわ!!」と思ってやめたんです。でも、それもつまらない言い訳だったな、と。時間があろうがなかろうが、やりたい時は無理やり時間作ってやるし、(例えば睡眠時間や食事の時間を削るとか)やる気のない時はいくら時間があろうが一切、やらん。(笑)(そして私は、この『時間があっても・・・』のパターンが圧倒的に多いのだ。今までの人生において)今更ながらそれが分かったので(遅い)、ダラダラしている時間があるならそれを少しでも、自分の為だけじゃなくて他人の為に使ってみてもいいよね♪という事で、今回受付再開する事にしました。キリ番プレゼントとかでたま~に作らせてもらっていたんですけど、作って差し上げた相手の方の反応見ていたら、やっぱり喜んで下さったり、「参考になる」と言って下さるので、ちょっとはお役に立っているのかな?と思っています♪というわけで、チャート作成依頼される方は、このブログのトップにある『メッセージ』の方に●調べてもらいたい人の名前(カナだけでいいです。あと、生まれた時のお名前で。つまり既婚女性の場合は旧姓の方のお名前、となるわけですが、女性は結婚して変わった名前の方からも、当然の事ながら色々と影響を受けます。そこで既婚女性に限り、旧姓と結婚後の両方のお名前の運命数を調べますので、両方のお名前を明記しておいて下さい)●生年月日●メルアド(携帯メールは不可。添付ファイルが送れるアドレスで) ※wordでチャートの解説文章を作って添付します。 wordをお持ちでない方は、あらかじめそれを明記しておいて下さい。※一度のご依頼で、数人分のチャートを依頼してくださってもかまいません。 依頼数の上限はありません。 ご自分以外の、ご家族や友人の方等のチャート作成代理依頼もお気軽にどうぞ♪※作成費用は頂いておりません。無料です。 何故なら、私はキャロル・アドリエンヌ女史の著書『数秘術マスターキット』 という本を使って、あなたの代わりにこの本であなたのチャート結果を調べ、 お伝えしているだけだからです。※ですから、私は数秘術をきちんと勉強したわけでもなんでもなく、 ただこの本の内容を、あなたの代わりにPCに打ち込んでいるだけなのです。 (再開する気になったのは、その打ち込んだ今までのデータが、この本の70%くらい になったので、以前よりはかなり短時間でチャート作成が出来るようになったから です) というわけで、チャート結果に関しましてはあまり突っ込んだ質問は しないで下さい。 私には答えられない可能性が高いです。(笑)※この本の内容だけでも充分役立つものではないか、と思っていますが、 あくまでもこれは『数秘術初心者用』で、かつ『一般的』な内容のものです。 もっと個別に詳しいチャートが欲しい方は専門家にご相談下さいね。 本の著者キャロル・アドリエンヌさんの公式サイトならうちのリンクから行けます。※数秘術チャートってそもそもどんなんじゃい?という方は、 サンプルとしてこのブログのフリーページに私のチャート結果を纏めて公開してい ますので、こちらをご覧下さい。そういうわけで、受付再開いたします♪どうぞ、お気軽にご用命下さいね~♪
2007年06月25日
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今日は私の大好きな写真家、野波浩(のなみひろし)さんをご紹介します♪上の写真が野波さんの作品です。も~お、溜息が出る程美しいです~・・・♪(うっとり)この方、大阪・天王寺を中心に活躍されている写真家で、日本国内よりも海外での評価の方が高いそう。海外のモデルが「どうしても野波さんに撮って欲しい!!」と、ただ野波さんに写真を撮ってもらう為だけに来日したりするそうです。日本国内の有名どころとの仕事としては、宝塚や劇団☆新感線の宣伝写真等を撮られています。(『阿修羅城の瞳』『アテルイ』『朧の森に棲む鬼』などの宣材写真がそうですね)昔はLUNA SEAの写真も撮ってたな。でもやはり一番有名なのは、江角マキコのヌードで話題になった写真集『E-MODE』でしょうなぁ。しかしこの本はご本人曰く、「あの本はちょっと置いといて、と。(笑)」みたいな事を以前、冗談で仰っていたのだが。(ちなみに私も当然持ってます。綺麗っすよ、江角の裸w)この方の写真集は、出版社(トレヴィル)が一度倒産したせいで、人気が高かったのにも関わらず絶版となっているものも多いのですが、(その後、『トレヴィル』が『エディシオン・トレヴィル』と社名を変えて復活)私は幸運にもほぼ全ての写真集を手に入れる事が出来ました♪初期の作品で絶版になってしまった『ABYSS(アビス)』『EUREKA(ユリカ)』も最初のトレヴィル版の方を持っているし、最新写真集『Mousa(ムーサ)』なんか、目の前でご本人にサインしてもらいましたよ!!(ふふふ・・・密かな自慢・・・♪お宝です♪)今から二年半前の2005年一月。私は大阪・難波で開かれた『Mousa出版記念パーティー』に行ったのです。そこで憧れの野波浩さんご本人とお会いする事が出来ました。思い起こせば十年程前、梅田の紀伊国屋書店で『ABYSS』と『EUREKA』に出会ったのが野波さんを知ったきっかけ。あれも、私の人生の中で間違いなく『運命の出会い』の一つに数えられる、幸せな出来事でした♪二冊合わせて8000円位する写真集を迷わず買ったのはあれが初めてで、当時はカードを持っていなくて(今なら現金よりカードを使う事の方が多い)、友達と遊びに出かけた帰りの事だったのですけど、写真集を買ってしまうと帰りの電車賃が失くなってしまう!!でもど~しても欲しい!!今買わねばきっと後で後悔する!!!と思い、思い切って買ったのでした。いや~、やはりあの時買っといて正解でした~♪今じゃ手に入らないもんね~。(オークションではあるけど、私はオークションを利用するのが嫌い)え?この時どうやって帰ったのかって?そりゃ勿論、その時一緒にいた友達に「後ですぐ返すから~。」と頼んでお金を貸してもらったんですよ~。ひょほほ♪あ、今思い出した。あの時借りたの、電車賃だけじゃなくて本のお金もだったわ。財布の中のお金は全然足りなかったんだったわ。(笑)でも友達が一緒で良かった♪そのおかげで写真集買えたから。やはり持つべきものは『いい友達』ですね~♪友情、万歳♪(笑)さて、この出版記念パーティーには私は一人で参加していたのですが、同じテーブルの、私の隣の席に座ったある女性とお話させて頂いていて、もの凄くびっくりした事がありました。何とその人、私が十数年前から知ってた漫画家さんだったのです。「私は漫画家と言っても全然マイナーなんですよ~。」とその方の名刺を頂いたのですが、その名刺にその方のペンネームと絵が描かれていたのですぐに分かりました。「貴女が○○さんだったんですかー!?私、ずっと前から貴女の漫画を読ませてもらってたので存じ上げてましたよ。 まさかこんなところで会えるなんて・・・もの凄い偶然だわ・・・。」と。この時は「“もの凄い偶然”とは、それすなわち“必然”である。」とは言わなかったけど。(笑)『この世の中にはそもそも偶然など存在しない。あるのは必然だけ。』と知ったのは、この後の事ですからのぉ~・・・、ひょほほほ~♪確かに漫画家さんとしてはかなりマイナーな方なので、おそらくここで名前を書いても「誰、それ?」となるような方だと思うのだが、そういった事はご本人も自覚されていたようで、自分の事を知っていた私に出会って、逆に随分びっくりしていらした。この方は元々兵庫県出身で、ずっと兵庫に住んでいらしたらしいのだが、あの阪神大震災がきっかけで関東の方に移り住んでおられた。しかし話を聞くと、私以上の大の野波フリーク(笑)で、「このパーティーの為に頑張ってお仕事しました~♪」と言っておられた。関東からわざわざこの為だけに大阪に来ているだけでも凄いと思ったが、(私だったらいくら好きでも東京とかで開催だったら絶対に行かない)一冊一万円もする写真集を、5~6冊まとめて買っていたのにも驚いた。何でも自分の知り合いの漫画家さんや友達に頼まれた分らしい。ご自分用にも『保存用』『観賞用』等で2~3冊買っておられたような・・・。「ファンってすげーな・・・。」と改めて感じた出来事だった。(笑)(私も好きだが、ここまで入れ込むという事は絶対しない)その方のお話によると、野波さんはどちらかと言うと玄人受けする方で、同業者である写真家以外に、漫画家やイラストレーター等の絵を描く職業の人の中にファンが多いらしい。そう言えば、このパーティーにはこの方以外にもう一人男性の漫画家さんがいらしていたし、昔、CLAMPが角川で連載していた『X』の扉絵で、野波さんの影響を受けたと思われるイラストを描いていたな~。(その絵は私は好きだったんだけど、確か『X』のイラスト集には入ってなくて残念だった)このパーティーの際、私が「ラッキーだったな。」と今でも思い出すのは、この同席した漫画家さんがこのようにもの凄い野波ファンだったので、もう野波さんと接触する気マンマン、色んな事一杯訊きたい~!!とがんがん野波さんに話しかけてくれた事。おかげで何となく一緒に居ただけの私も、色々野波さんとお話しする事が出来た。お話させて頂いてその時感じた野波さんの印象は、実は先日ご紹介したノストラダムス研究家・池田邦吉氏に近いものだった。野波さんの写真はもの凄く繊細で美しいのだが、これは今流行りのデジタル処理などは一切していなくて全てアナログ、手作業なんだそうである。普通はヘアメイクしたモデルの写真を撮ってはい終わり、となるのだろうが、野波さんの作品の場合は撮ったその後の方が、恐ろしく手間と時間をかけているのだ。ある効果を狙ってわざとフィルムにカビを生えさせたりする為に、何週間も時間をかけたりする事はよくある事らしい。そんな話を私達は「凄いですね~・・・。」と感心しながら聞いていたが、ご本人にとっては至って普通の事で特別大変な事だ、とは思っておられないご様子。常に淡々と、冷静に語っておられた。なんか飄々とした方だった。私はその野波さんの様子を見て、ますます野波さんに好感を持った。『凄い事をしている人なのに、浮付いたり有頂天になったりしている所がなく、地に足の着いた冷静な方』というのが野波さん、池田さん共通して私が感じた印象。あ、これはINTUITION@師匠にも言える事ですわ。(笑)『自分が尊敬している人・芸能人に出会う』というのは『自分の願望が現実になりつつあるサイン』だそうだが、今考えてみると、野波さんにお会い出来たこの出来事は、私にとっては確かにそういう意味の『サイン』だったと思う。このパーティー直後に師匠を知り、師匠のサイトからifさんのPANDORAを知ったのである。そして、それまでネットは使っていたけれど、コメントの書き込みなどは一切せず、主に通販の申し込みや情報検索にしかネットを使っていなかった私が、今ではこうして自身のブログを持ち、ネットを通じてたくさんの友人や知り合いを得る事が出来た。2005年一月の私とは、明らかに違うところに立っている私が居る。二年半後はおろか、一年後の予測も出来なかったあの頃。今も出来ないけどさ、それは。(笑)願わくば、二年半前の私よりも、一年前の私よりも、少しでも、しかし確実に成長している『私』でありたい、と常々そう、思っている。
2007年06月18日
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さて、そんなトンデモ話満載の講演会でしたが私にとってはなかなか面白く、大変楽しめた講演会でした。講演会の内容自体はノストラダムスの預言の解読の話だったので、それ関係の著書を全て読んでいる私にはそれ程目新しい内容でもなかったのですが、最後の質疑応答の部分が興味深く、とても面白かったです。私は、「池田さんてどんな人間なんだろう?信用できる人だろうか?」と思っていましたが、実際に彼の話を聞いてみて、「この人は大丈夫そうだ。まともな人だ。」と感じました。質疑応答の時間、ある参加者の方が「近々全世界的な食糧危機に陥るそうですが(実際にはもう始まっています)、(自分が生き延びる為には)どの位食料や水の備蓄をすればいいのでしょうか?」という質問をされました。私は正直「下らない質問をする人だなぁ・・・。自分の事しか考えてないのね。」と思いながらそれを聞いていたのですが、池田さんのその質問に対する答えには大いに共感いたしました。池田さんは、冷静にこう答えておられました。「将来の食糧不足を心配するより、今のご自分の食べ過ぎの食生活を見直す事を 先に考えてください。 今は殆どの人が明らかに“食べ過ぎ”です。 本来、人間は一日一食でも充分なんです。 一回の食事だけでも食べ過ぎている場合が多いのに、それを一日に三回も 続けているのは多過ぎます。 今から一日一食で充分な体にしておけば、食糧危機の心配をする必要など なくなるでしょう? 例え実際にそうなったとしても、何も問題ありませんよ。」私もつい最近同じ様な事を考えて『不食モード』に入っていたので、「あ、この人私と同じ事言ってる!!」と嬉しくなり、私はこの答えを聞いて、池田さんにとても好感を持ちました。私もこれに関しては全く同感です。将来の事、環境の事、色々と心配するよりもまず、『自分』。『自分』の心と体を見直す事が何よりも一番重要で、一番必要な事ですよね。池田さんは著書の中で以前から、『洗心』というものの重要性をずっと説いておられます。『洗心』とは『せんしん』と読み、読んで字の如く『心を洗う』という事です。元々は誰か(誰だったか、興味がないので覚えてない)が受けた神からの『神示』の中の一説だそうです。『不良星人』から『優良星人』として生きる為の『心構え』、という事みたいです。(詳しくはザ・コスモロジー(宇宙学)へ)どんな時も『常の心』で過ごし、出来る限り『御法度の心』を失くす事。それが『洗心する』という事だそうです。『常の心』とはプラスの心掛け。『強く・正しく・明るく・我を折り・宜しからぬ欲を捨て・皆仲良く相和して・ 感謝の生活を為せ』『御法度の心』とはマイナスの心の在り方。『憎しみ・嫉み・猜み・羨み・呪い・怒り・不平・不満・疑い・迷い・心配心・咎めの心・ いらいらする心・せかせかする心』 これは『わかっている人』にとっては、今更言うまでもないくらい、『当たり前の事』でしょうね。私も常にこの『洗心』を心掛けて生きていきたいと思っています。それから、講演会では出てこなかったのですけど、コスモロジーのサイトで見つけて「いいな。」と思ったので、こちらも最後に、参考として載せておきます。【四句御箴言(しくごしんげん)】過般に伝えし如く、宇宙一切大神の律動なり。波動の充満なり。これ、大神霊の創造たり。大神霊は無限の波動を発し、無限の大愛を発し、無限の叡智を発し、万象を仕組み、万象を生み、万象を育て給う。この大神霊こそ、宇宙創造の大神様と申せしなり。(中略)与えられた事を感謝して受けよ与えられぬ事を感謝して受けよ与えられた事を拒む これ欲なり与えられぬ事を欲する これ欲なり -サイト『ザ・コスモロジー』より引用ー
2007年06月15日
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先月某日、ちょっとしたご縁から池田邦吉さんの講演会に行きました。池田邦吉って誰?という方も多いと思いますので、簡単にご説明させていただきますと、1999年がとうに過ぎ去った今も、ノストラダムスの預言を真剣に研究しているおじさまです。ご本人曰く、池田さんは『ノストラダムスの分御魂』で、ノストラダムスの預言書の原書の前書きに『後の世にこの預言を解読する者』として書かれている方なんだそうです。ノストラダムスの預言書に『2月6日生まれの者がこの預言を解読する』と書かれていて、池田さんはまさしくその『2月6日生まれ』の人だそうです。私は数年前からこの方の預言研究の本を愛読していまして、元々この方に興味があったので、この方の講演会が大阪で開かれる、という情報を聞きつけ、「一度池田さん本人に会ってみたいわ♪」と参加したわけです。行ってみてまずビックリしたのは、その会場に私の顔見知りの方がお二人もいらっしゃった事。お二人とも師匠のとこの購読者さんで、私と同じく大阪勉強会の常連さんでもある方達でした。「まさかこんなところでお会いするなんて~!!」とお互い驚いていたのですが、相手の方に「この世界も広いようで狭いですよね。」と言われ、「ん?“この世界”って?…ああ、“トンデモ関係の”って事ね。って、え?私、そんなディープなとこにいつの間にか入り込んでた!?…全然自覚してなかっただす…(軽くショックを受ける)」な~んて事もありました。(笑)そういや、師匠の勉強会に毎回参加してるっ、てだけでも充分ディープだったわ・・・。あ、ちなみに池田さんは師匠のとこでも過去に一度講演会をされてまして、その時の様子は師匠のとこでDVDとして販売されています。興味のある方は購入してご覧下さい♪・・・と、一応弟子の一人なので宣伝もしてみるwそういう私は、実は一枚も師匠ンとこのDVD買った事がないのだが・・・。(笑)さて、まず講演会が始まってしょっぱなに池田さんが仰った言葉にまたびっくり。「いよいよ今年の9月26日に、この地球に“創造主”が到来します。」・・・・・・もしもし?そんな事、そんなにキッパリはっきり「当たり前」って感じで言われても・・・。(^_^;)この事自体は、以前から池田さんはご自身の著書で書かれていたので私は知っていた事ではあるのですが、改めて目の前で、ご本人の口からはっきりと言われたので、少し面食らってしまいました。(笑)これは別に池田さんの妄想でも、どっかの怪しいチャネ情報とかでもなく、あくまでノストラダムスの預言書に書かれている事だそうです。預言書を解読していったらこの結論に達しただけの事、だそうです。池田さんはずっと独自の預言書研究の中で、かの有名な一節『1999年七の月、恐怖の大王が・・・』の預言詩の意味を「“1999年”と読めるところは21世紀初頭、2001年以降数年以内の事、“七の月”とは七月の事ではなく“占星術での七番目の月”の事。つまり“天秤座”の事で、9月24日~10月23日の期間の事である。そして“恐怖の大王”の正体は、イタリアのベスビオ火山の歴史上最大の大噴火の事である。」と仰っています。噴火が起こる年の六番目の月、つまり“乙女座”の月の間(8/24~9/23)に噴火の前の予兆(ベスビオ付近の地震や中東・ヨーロッパ全土での洪水等)が始まり、その中で現法王が死去され、次の法王(その方が最後のローマ法王となる)が選ばれる・・・という流れになるそうです。ベスビオの噴火と大洪水でヨーロッパ全土が大混乱・壊滅状態となり、それが今世界を支配している『資本主義・物質最優先文明』の崩壊のきっかけになるそうです。噴火で真っ先にローマ法王庁(ヴァチカン)が崩壊するので、それが全世界的宗教システムの崩壊にも繋がっていくそうです。その翌年の春頃(だったかな?)、今度は地中海のサントリーニ島だかシチリア島だかが(うろ覚えです~。スンマセン・・・)海底火山を大爆発させ、その大噴火はヨーロッパ大陸と北アフリカ大陸の一部を載せたプレートの変動を起こし、ヨーロッパと北アフリカ・中東の一部が海底に沈むのだそうです。その海底火山の噴火が、ノストラダムスの預言で『アンゴルモアの大王』と呼ばれるものの正体なんだそうです。さて、これが本当に起こる出来事であるならば、当然大勢の人々がこの災害で犠牲となる事でしょう。しかし、これは決して『人類滅亡』へのシナリオなんかではなく、あくまで新しい文明・新しい世界へ行く為の一つのステップに過ぎない、という事らしいです。ノストラダムスの預言書の中では、ベスビオの噴火の時に人々を救出する為に空から降りて来る者達の事も書かれています。所謂『宇宙人』、今の地球人よりずっと進んだ文明・技術を持った私達の同胞が、救助の為、初めて公にその姿を現すのだそうです。そして先述の『創造主の来訪』は、このベスビオの噴火の直前に起きるんだそうです。9月26日の夜、日が沈み、一端空が暗くなったその直後、また太陽が昇ってきたかのように空が光に包まれ、“創造主”がその姿を初めて全ての人類の前に現し、世界中の人間に同時にメッセージを送る・・・んだそうです。私は、ベスビオの噴火やアンゴルモアの大王の話までは、「ま、実際に起こり得る話かもね。」とは思っていますが、さすがに『創造主来訪』は「どうかな~?」という感じです。創造主って、そもそも『外』から来るものなのか?本来、私達一人一人の『内』にあるものなんじゃないの?『内』と『外』が本来同じ、同質のもの・・・『上の如く下も然り』の錬金術の奥儀から考えれば、一見『外』から来たように見えても、実際は私達の『内』から来たのだ・・・という事にはなるのでしょうが。『その日』が来れば、嫌でもはっきりする事ですけどね。池田さん曰く、『その日』は今年、2007年なんだそうです。預言書を全て解読してみてベスビオの噴火の起こる年をずっと調べていたそうですが、どうも、いよいよ今年こそがその年らしい・・・です。預言に出てくる『その年』の世界の情勢の『条件』も、今、かなりの部分が現実になってきているらしいです。もしも今年でないなら、今年もまた外れてしまったら、(池田さんは何度も『起こる年』を外している)池田さんは、「その時は私がクビになるだけですよ~。」と、笑っておられました。(笑)長くなったので続きを分けます。というわけで。『その2』へ続く!!
2007年06月14日
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昨日行った仕事先での話です。実は昨日の帰り際、私はまたもや入店許可証を失くしてしまった事に気付きました。(前回入店許可証を失くした話はこちら)もう全ての後片付けも着替えも済ませて、後は出店手続きをして帰るだけ、というところだったので、「なんでやね~ん!!(怒)」とは思ったのだけれど、今回は、前回以上に焦りは感じていませんでした。なぜか、「必ずすぐに見つかる」という確信めいたものを感じていたからです。かくして、実際に私が失くした事に気付いてから5分と経たずに入店許可証は見つかったのですが、今回は前回よりも格段に早く『原因』が分かっただけでなく、『原因』よりも先に『解決法』の方がパッと頭に浮かびました。今日はその出来事と、その出来事から更に少し考えて、自分なりに「ああ、そういう事か。」と気付いた事の話です。昨日も一日仕事を終え、全ての後片付けを済ませ、仕事の時に着ていたエプロンと三角巾も脱いで、それ等をたたんで鞄にしまおうとしていた時、その店の入店許可証であるバッチが無い事に気付きました。「またか・・・。」と思いながら、たたんだエプロンをもう一度広げてポケットの中を探ってみたり、鞄の中を探してみたりしましたが見当たりません。自分で外した記憶は無かったので、おそらく何処かで落としたのだろうな、という予測はつきましたが、私は探しに行きませんでした。それよりも「・・・Tさんに電話すれば出てくる気がする。」と思いました。何故、落としたバッチが電話して見つかるのか?論理的に考えればおかしな事のように感じられるでしょうが、実はこれにはちゃんと論理的な『理由』があったのです。Tさんとは、この日の仕事の発注元である某パンメーカーの営業さんの事です。私は現在、マネキン登録会社二社と、この某パンメーカーと直接契約して専属マネキンとして仕事を請け負う事の、計三つの仕事をしています。マネキンの仕事は今年で三年目になるのですが、いつの間にやら人と人とのご縁が繋がり、今では三つの会社と仕事させてもらえるようになりました。有難い事です。さて、では何故Tさんに電話する事がバッチを見つける事に繋がるのか?そのパンメーカーの仕事では、仕事する店での商品在庫の総数をある程度まで減らさなくてはいけない事になっています。で、終了する前にメーカーの営業さんに数の報告をして、その日の仕事を終了していいかどうか、確認を取らないといけないのです。昨日の仕事先はいつも私が担当している地区から外れているお店で、そこの担当の営業さん(それがTさん)も、私がいつもお世話になっている人とは違う人です。私が普段、直接仕事を請けるのはWさんという方からなのですが、この日の最終報告は、このWさんとTさんのお二人にしました。Wさんからはすぐに「その数ならもう終わってくれていいですよ。」と連絡が来ました。そこで私が後片付けをしていると、もう一人のTさんの方から私の携帯に電話がかかってきました。でも、私はその時後片付けをしている最中だったし、何より仕事中は携帯をずっとマナーモードにしてあるのですぐに留守電に切り替わり、電話には出られませんでした。すでにWさんの確認は取れていたし、Tさんにも数の報告はしてあるからTさんの用件も「もう終了してくれていいですよ。」という事だろうと思ったので、こちらからはかけ直さなくてもいいだろう、と考えました。何かあるなら向こうからまたかけてくるだろう、とも思っていたので、この時は私からはTさんに電話しませんでした。Tさんからの電話をほっといて後片付けを済ませ、さて帰ろうか・・・という段になって、前述どおり、入店許可証が無い事に気付いたわけです。私はすぐに、いつものように入店許可証が無くなった『真の理由』を考えました。すると今回は、『Tさんに電話する』という事が浮かんだのです。そうすれば自ずと入店許可証も出てくる。そんな気がしたのです。まあ、実際は自分でも半信半疑ではあったのですが、取り敢えずさっき浮かんだ通り、Tさんに電話してみました。すると、Wさんとは違う指示を出されました。電話して正解だったようです。Tさんとの電話を切った途端、そのお店の警備員さんが私の所にやって来て、「K屋さん?(私が専属契約しているメーカーの名前)もしかしてバッチ(入店許可証の事)落としてない?」と訊くのです。私はやはり売り場にバッチを落としていて、それをすぐにお店の方が見つけ、警備員さんの所に届けてくれていたのです。こうして私の予測はばっちり当たり、私はバッチを失くしたペナルティ(その店では210円払ってバッチを再発行してもらわなくてはならない)も受けず、その日の仕事も完璧に終えて、無事帰ってくる事が出来たのでした♪今回の出来事の『原因』は、『やり残している仕事があるから、Tさんに連絡しなさいね』という事だったようです。『Tさんに電話すればバッチが見つかる』という解決方法が浮かんだ時にその理由もわかっていましたが。ね?こうして見てみるとちゃんと論理的でしょ?しかし、今回は解決するのが前回以上にかなり早かったです。失くした事に気付いて『原因』を考えていたら、ものの数秒で『答え』が返って来ました。一見突飛に思える解決法が浮かび、しかもそれが正解だった事も、我ながら面白い驚きでした。前回、入店許可証を失くした二月から四ヶ月足らずですが、二月の頃よりも、私は直感か何かが鋭くなっているのかもしれません。さて、この出来事を終えて、また私の頭にふと、ある言葉が浮かびました。それは『省エネ・エコ』です。今、世間ではマスコミ等が一大エコロジーキャンペーンを展開中ですが、そういう風潮の『真の理由・真の意味』とは、実はこういう事なのかもしれないな、と自分なりに分かりました。どういう事かといいますと、『省エネ』とは一般的には『地球温暖化防止・自然環境保全の為に、無駄な電力・エネルギーを極力使わず節約しよう』という事ですが、それは私達の社会的経済活動・環境に対するだけの話ではなくて、実は私達一人一人の、人としての内面問題に直結する話なのではないか?と思ったのです。むしろ本質的な意味としては、こちらの意味の方が重要かもしれないですね。世間的なこのエコロジーブームの本当の意味は、『一人一人、無駄な“思考・感情・行動”を失くして、人としてのエネルギーを無駄に使わずに、効率的に生きていけるようになりなさい』という事ではないのかと思います。私の今回の出来事のように、どんな出来事でも即座に物事の『原因』が分かれば、必要以上に焦って探し回ったり、不安に駆られたりする事なく、ずっと平静でいられます。余計なエネルギーを使わずにすみます。『原因』さえ分かれば、自然と『結果』も分かるからです。これからの時代、何より人に必要とされるスキル。それは『瞬時に原因をつきとめる能力』なのではないか?今回の事から私はそう感じました。その能力があれば、人は無駄なエネルギーを浪費する事なく『省エネ人生』を送れるのではないでしょうか?必要以上に自分の感情を揺らして、焦りや怒り、不安、動揺等を感じる事なく、常に冷静に、真っ直ぐに『中庸』を往く・・・。そんな人生が『理想的な省エネ人生』なのではないかと気付いた、昨日の『バッチ紛失事件』でした♪今回もネタ提供ありがとう、『天』よ!!「ネタ切れじゃ~・・・。」と思っていたら、いつも何かしらアクシデントがあり、それをきっかけに自分なりに色々と考えを巡らして、こうしてブログに記事を書く事が出来ています。おそらく、昨日のアクシデントの『真の理由』も、このように私に自分で考えさせ、色々と気付かせ、そしてこのブログでネタとして書かせる・・・という事だったのでしょう。『天』(『神』でも可)は、ブログのネタ提供もしてくれている!!・・・のかもしれません。(笑)
2007年06月11日
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今朝、父と会話していてまたムカつく事があった。(私の場合しょっちゅうなんですけどね~w父も当然私に対してムカついていますw)父と母が、父の今朝の朝食のメニューについて話していて、母が「パンを焼いておかずにブロッコリーのおひたしでも作ろうと思ってる。」と言ったら、あんまりブロッコリーが好きでない父はそれが気に入らなかったらしく、「親子丼でも食べたいと思ってたのに。」とか言い出した。それを聞いて母が、「材料はあるけど今から作るのは時間がかかるよ」と言って、親子丼にすぐに同意してくれなかったので父がむくれた。うちの父は食べ物に関する好みが凄くうるさくて、自分なりの『こだわり』も多い。父の『こだわり』は、あくまで『自分だけのこだわり』だと思うのだが、それを指摘するといつも怒る。私は食べ物に関するこだわりはあんまり無くて、美味しくて腹が膨れりゃ何でもいいので、焼き方や温め方まで指定する父の注文がいつも鬱陶しくて仕方がない。ま、ここまで面倒臭がりな私自身にも勿論問題はあるのだが。しかし、この程度の事ですぐ目に見えて不機嫌になる父もどうよ?といつも思っていたので、今朝のその様子を見て、母にこっそり「ほら、またこんな事位で不機嫌になってるよ。」と言った。母は父も居るので父の手前、「自分の思い通りにならなかったら誰でも不機嫌になるよ。」と言ったが、そもそも自分の思い通りにいかないとすぐ不機嫌になる人なんて、『精神的にすごく幼稚な人』だと思うのですが、それに関してはどうなのよ?いつもそういう話を母と二人でするが、母はいつも「あんたの言う事もわかるけど、やっぱりお父さんに対するあんたの態度は悪過ぎる。もう少しお父さんを立てなさい。」と言う。ま、それもそうだとは思うけどさ。私の態度が悪いのは認めるさ。でも、やっぱり父の言動・考え方には『納得出来ない事』も多いんだもん。で、この時も内緒話のつもりが父も傍に居たので丸聞こえで、(ていうか、これでは隠す気ないね、私はw)父は当然、私に対して怒りを向けてきた。「わしはお前にそんな事言われる筋合いないぞ。お前が充分親の世話をやってから、言えるようになってから言うてくれ。」と言ってきた。これを聞いて私もムカついた。で、一つ分かった。「ああ、この人(父)は子供(私)を生み育てた事に対して、無意識のうちに恩に着せているのだな。」と分かった。「今まで育ててやったんだから、わしの言う事を黙ってきいとけ!わしの言う通りに動け!わしの世話をしろ!!」私にはこんな風に聞こえました。時々考える事なんだけど、『本当の親の義務』『本当の子供の義務』って何だろう?育ててもらった事、今も扶養されている事(お恥ずかしながら未だ私は『扶養家族』である事は事実ですわw)、勿論『有難い』とは思っている。で、私は『親が子供を肉体的・精神的に育てる事』は当然『親の義務』だと思っているのだけれど、違うのだろうか?そしてその当然の『親の義務』を果たしただけで、それを子供に『恩に着せる』のは如何なものなのか?今朝の父との会話でそんな事を考えていました。『子を育てる事』が『親の義務』なら、『親の世話をする』のも『子の義務』か・・・。それも間違ってはいないと思うけど、うちの父の今朝言った台詞から垣間見えた父の考え方は、やはり何か違う気がする。私は抵抗したくなるな、どうしても。『家の事は全て女がするもの』と考えている事も納得出来ない。いや、基本的にはやはり家の中心には女性(母親)が立って回していくのが一番いいとは私も思うが、『家の中では縦のモノを横にもしない』という姿勢は、やはり問題がないか?もしも母の方が先に死んだら、父は一人で生きていけないだろうな~。母は今んとここんな父の面倒を一生みるつもりでいるようだから、それはそれでいいんだけどさ。母がそうしたいのなら、ずっと我慢が続くのならやればいいと思う。ただし、「あたしはしないよ。」と母にははっきり言ってますけどね。母がどうしても都合がつかない時などは手伝える事はするけどさ。父と母を見ていると、父って「母親に甘える子供みたい」といつも思う。そのくせそんな自分には気付かず、自分のわがままばかりを通そうとする。しかし、うちの父に限らず世の中にはこういう男性は多いのではないだろうか?別に家事全般をやる必要はないと思うんだけど、「最低限の事は自分でしろよ!!」といつも思う。母が折角作ってくれたものに不満があるのなら、「自分の食べたいもんくらい自分で作れ!!」と思うんだけどね。いつもそう思って父を突っぱねる私は、子供として、やはりどこかおかしいのだろうか?『子供の親に対する本当の義務』って何だろう?親の『おかしい・変だと思う部分』を見つけたら、それを指摘するのも『子の役割』『子の義務』ではないのかと思うが、違うだろうか?しかしいかんせん、大抵の親が『自分が子供を育てる・指導する側』であると信じて疑わないので、子供の言う事なんて聞いちゃあいませんね。こうやって指摘したり反発したりすると、「子供のくせに親に意見するとは生意気だ!!」となる。で、「こいつは親の言う事を聞かない悪い子供だ。」と考えるんだろう。うちの親も間違いなく、私の事をそのように考えているだろう。ま、それも間違いではないわな。(笑)それにしても、今書いてみて気付いたが、「子供のくせに親に意見するとは生意気だ!!」って考え方、「のび太のくせに生意気だぞう~!!」って言ってるジャイアンとまるっきり一緒だと思うんだが、これいかに?(笑)
2007年06月07日
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一日空けて、前回の続きです~。すいませんなぁ・・・『仕事』に行くと、どうしてもその日の晩はブログ更新する余力がない私です~。眠気に・・・眠気に負けるのだす~・・・。(^_^;)私の言い訳はほっといて、と。その当時、私は就職して二年目くらい・・・だったかな?その彼女とよく夜、電話で話をしていたんですが、その電話の中である時、私が何の気なしに「あんた漫画ばっかり描いてるから合格出来ないんじゃないの?もっと勉強の方に本腰入れれば?」みたいな事を彼女に言ったんです。だって、「試験に合格したい、したい」って言ってる割には散々漫画の方で遊んでるなんて矛盾してんじゃないの?と思っていたからです。その電話の時には、彼女は私のその台詞で特に怒ったり、不機嫌になったような反応も見せなかったので、私はその後、そんな会話をした事すら忘れていました。で、それから暫く経ったある日の事。他の友達から、彼女が私の悪口を陰で言いまくっている、という事を教えてもらいました。それを教えてくれた友達によると、その子の処に彼女から電話がかかってきて、私から「こんな酷い事を言われた!!」と私に対する不満を言ってたらしいんですね。私がびっくりしてよく話を聞いてみると、どうも私の悪口を言い振らしているのはその子にだけではなく、それ以外の共通の友達数人にも言っていたらしいんです。理由を聞いてみると彼女曰く、「あの言葉で自分は非道く傷付けられた!自分はこんなに頑張っているのに、あんな事言われる筋合いない!!」と憤慨していたそうです。この話を聞いてまず、「私が言った言葉にそんなに腹が立ったのなら私に直接言えよ!!言われたその時に同じ様に言えよ!!その時は笑って“何も気にしてない”ふうに会話続けてたくせに、今頃になって、しかも他の子に人の悪口言ってんじゃねーよ!!」と彼女にムカついたのですが、それと同時に、「でも、そうか。私は別に傷付けようと思って言ったわけじゃなかったけど、それでもあの子は私の言葉で傷付いたのか。(そもそも、私には何であんな事位で傷付くのか分かんないけど)私の言葉で彼女が傷付いた、と言うのならやっぱり、それはそれで悪い事したな・・・。」と考え、取り合えず彼女を傷付けてしまった事に対してはきちんと謝ろう、と思いました。その話を聞いたすぐ次の日(くらいだったと思う)、私は仕事を終えてから彼女の家に謝罪に行きました。彼女と、彼女のお母さんが迎えてくれたのですが、さすがに夜の八時過ぎに突然訪問したので驚いていました。でも訪問の理由を述べて家に上がらせてもらい、上記の様に、傷付けるつもりなんかなかったけどそれでもあんたが傷付いた、と言うのなら私が悪かった。不用意な事を言って傷付けてごめん、と謝りました。謝罪しながら、泣くつもりなんかなかったのに涙が出てきました。『泣き落とし』というふうに見られるのが嫌だったから泣きたくなかったけど、涙が勝手に出て来て止まらないので仕方がないです。暫くの間、彼女と彼女のお母さんの前で私は泣いていました。そんな私を見て、取り合えず彼女は私を許してくれました。もう分かったから、もういいから、と。そしてその時はそのまま彼女の家で紅茶とケーキをご馳走になり、私は「これで問題解決ね♪」とすっかり安堵して家に帰りました。ここまでなら、何故彼女と絶縁したのか?となるでしょう。ふ・・・あいつ、この時私には「もう気にしてないよ」とか言ってたくせに、実は全然、私の事を許してなんかいなかったんですよね~。またもや人づてに、私のこの夜の行動を非難している彼女の話を聞かされたのです。「いきなり夜に人の家に連絡もなく来られて迷惑した。しかも目の前で泣かれて困った。」と。はあ!?何だそりゃ~!!!(怒)今度こそ、私の堪忍袋の緒も切れました。こっちは何も間違った事言ったつもりはないけど、それでも悪い事したと思ったからわざわざ謝りにいったのに!!一応長い付き合いがあるから、こんな事で関係を切れさせたくないな、と思ってこっちから折れたのに!夜に家に行くのは確かに非常識かな、とは思ったけど、それもこっちは理由があった事だから、とちゃんと会った時に断っただろうが!!電話では誠意が伝わらない気がしたし、こういう事は思い経ったらすぐに行動した方がいいと思ってそれで結果的にこうなった、とちゃんと説明しただろが!!私は昼間仕事してるんだから、すぐ行くとなったら平日の夜しかなかったんじゃ~!!!たく、またか。私の事がどうしても許せない、夜家に来られるのが迷惑だ、そう思ったのならその時言え!!私に!!直接!!その通りに!!!私を家に上げずにそのまま追い返せ!!そんな度胸もないくせにその時は私にいい顔して、後から影でまた他の子に人の悪口言ってんじゃねーよ!!最っ低な女だな!!そんな根性だから苛められるんだよ!!(どうも彼女は中学時代苛めらていたそうです。高校に入って私達と出会ってからはそんな様子は見せなかったので、最初、私はそんな事には全く気付かなかったのですが、今なら彼女が苛められていた理由がよく分かります)別にこの事は引きずってはいません。とっくに私の中では消化されております♪だって、こんなふうに書いてはいますが今は彼女に対しての怒りは特にありません。と、いうかつい最近までずっと忘れていました、この『事件』。もう十年以上前の話になりますし。その後、私は彼女と連絡を取るのを止めました。こっちはこっちで既に誠意は見せてやる事はやったので、あっちがそういうつもりならもういいです。『来る者は拒まず、去る者は追わず』です。あんな、人の誠意を平気で踏みにじる様な人と友達なんかやってられる筈がありません。彼女はこれをきっかけに、私だけではなく他の友達もなくしました。この『事件』が起きる暫く前から私達が召集をかけても何だかんだと理由をつけて、私達とはあまり遊ばなくなっていました。他に居心地のいい場所(人)を見つけていたようです。彼女から離れて、あの当時よりはずっと物事がわかるようになった今ならはっきり分かりますが、彼女は物凄く『ネガティブ』な人だったのですね。当時から薄々気付いてはいましたが・・・。で、何がしかの『低級霊』に憑り付かれていた可能性も大ですね~。当時の彼女の家には本当に何らかの霊的気配もあったようだし、根っからの『ポジティブ人間』の私とは徐々に合わなくなっていったんでしょうな~。(彼女のお母さんが家を建てる時に方角に凝りまくって建てた家だそうですが、本人曰く、『悪いモノを入れない様にするはずが、逆に霊的なモノが入って来て、入ったはいいけど出られない、つまり、霊的入り口はあるけど出口のない家』だったんだそうです)その彼女が今、どうしているのかは全く知りません。その後三度目の正直くらいで何とか国家試験に合格し、晴れて念願の鍼灸師になり、同人からも足を洗ったらしい・・・という事までは風の噂で聞きましたが。ほんっと、あっちから離れて行ってくれて済々しました♪(あっちはあっちでそう思ってんだろうな~w)今、私の周りにはここまで『ネガティブ』な人は居ません。他にも離れていった友達がいますが、『切れるべき縁』は全部切れているので、今は本当に人間関係で悩む、という事はありません。大変良好です♪快適です♪皆様もこんな『ネガティブさん』にはご注意を♪良い子の皆は、こんな大人になっちゃ駄目ですよ~♪
2007年06月04日
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どうも~♪先日ifさんから『ポジティブの神(笑)』の称号を頂いてしまった麻生です。(笑)(何のこっちゃ?という方はこちらのコメント欄を見てね♪)で、先日ふと思い出した昔話を今回は皆様にお聞かせしようかと・・・。それは、私がまだ『ポジティブの神(笑)』になる、遥か前のお話。例えて言うなら、私が『ポジティブ界のアイドル』だった頃位でしょうか?ん・・・?今なんか、『誰か』に乗り移られて変な事書いたような気がするけど、ま、いっか♪さて、それは私が『ポジティブ界のア・・・』でなくって!!(笑)(ま~だ何か憑り付いてるな~!悪霊退散!!)高校生だった頃の話。ある一人の『ネガティブさん』とのお話です。私が通っていたのは私立の女子高でした。その『ネガティブさん』とは高一の時、クラスは違ったのですが同じクラブで知り合いました。ふ・・・所謂『漫研』です。(笑)彼女も私と同じく漫画が大好きで、自分でイラストや漫画をよく描いてました。で、二年生になった時同じクラスになり、そこから更に付き合いが深くなりました。私は高一の夏休みくらいからバイトを始めたので、そのクラブの方からは一端籍を抜いてたんですが、クラブで知り合った同学年の子達とはずっと仲良くしてました。(今でも殆どの子とは付き合いがあります)その当時、私は既に心霊現象やらUFOやら、そういう事に関心がありましたが、その彼女も漫画以外にそういう事にも興味を持っていたようでした。彼女の話によると、彼女は多少霊感があるらしく、よく「家に霊が出る」、なんて話をしていました。寝ている時に耳元でそろばんをかき鳴らすような音、だったかな?そんな音がよく聞こえたり、ある時部屋の中で気配を感じて振り向くと、赤い服来た女の人の霊が立っていたりした事があるそうです。私も元々そういう事に興味があったし、そんな話を喜んでする年代です。(笑)彼女のそういう話を特に疑いもせず、「へぇ~♪」って楽しんで聞いていました。他には、彼女はタロット占いもしていました。クラスメイトにせがまれて占ってあげたりもしていました。この彼女とは高校二年・三年と同じクラスで、卒業後もずっと付き合いがありました。あの『事件』が起きるまでは・・・。私は、実はこの彼女にずっと妬まれていた事がありました。彼女が一体私の何に嫉妬していたのか?というと、どうも主に漫画関係の事だったようです。自分で言うのもなんですが、私は彼女よりも絵が上手かったんです。まず、それが彼女にはずっと面白くなかったのだと思われます。それは自分でも気付いていたし、他の友達からも指摘された事があります。彼女の言動の端々に『卑屈さ』が見え隠れしていましたから。私も漫画関係に対しては、彼女の行動でどうしても納得できない事がありました。それは、彼女は人真似した漫画ばかり描いていた事です。彼女の絵は、その時々の自分の好きな作家さんの絵の影響を受けているのがもろバレの絵で、しょっちゅう絵柄を変えていました。漫画として描いたものも、自分が「いいな」と思ったのでしょう。ある有名作家さんの作品の一部の効果や構図を、そのまんま真似して自分の漫画の中に描いたりしていました。私は当時からそういう事が大嫌いだったので、その部分では彼女の事を軽蔑していました。「バレてないと思ってんのか?(怒)」と。何度か、それとなくその事に関して注意してみた事もありましたが・・・。ま、彼女からすれば『余計なお世話』だったでしょうね。(笑)しかし、彼女には私が尊敬出来る部分もありました。私はその当時から(いや、生まれた時からかw)怠け者なので、漫画を描く事自体は好きだったのですが、殆ど数は描いていませんでした。(それは今もですけどね・・・)でも、彼女はその点は私と違って凄く真面目なのです。こつこつ描いて、高校生の頃だけでも何冊か自分の本(同人誌)を出していました。そういうところは私は尊敬していました。私には、彼女と同じ様には創作活動に打ち込めなかったから。「偉いな~。」といつも感心していました。私も彼女に対して『不快感』を持っていたけれど、先に言ったように彼女には尊敬できる部分もあったし、その『不快感』も取り敢えずは漫画に関する事だけだったので、普段は至って普通に付き合っていました。少なくとも、私はそのつもりで彼女に接していました。さて、この彼女は高校時代から鍼灸師を志していました。しかも開業したいんだそうです。漫画が好きなんだから漫画家は目指さないの?と訊ねた事もありましたが、職業としての希望は、彼女にとってはとにかく『鍼灸師』以外にないんだそうです。今思えば、頑ななまでに鍼灸師になる事を目指してました。どうしてそこまで鍼灸師になりたかったのか?理由を聞いたような気もしますが忘れました。(笑)(彼女の家族の都合が関係していたような気がする)そして『事件』は、彼女が鍼灸師を目指していた事と関係しています。当時(確か平成三年)は、就職活動に関しては『最後の売り手市場』でした。私の友達には短大に行った子達が多かったのですが、その子達が卒業してさて就職・・・となった時には、既に『売り手市場』は終わっていて、彼女達は物凄く就職活動に苦労していました。私はいうと最初から就職希望でした。何故かと言えば、大学や短大に行ってまで「勉強したい」と思えるような事がなかったからです。ただ適当に自分でお金稼いで、自分の好きな事(漫画を描く事)だけがやりたかった。もしもどうしても何か学びたい分野があれば、親に無理言ってでも大学なり、短大なりに行かせてもらったでしょうけど。でも、『ただ他の皆が行ってるから』『短大くらい出ておかないと恥ずかしいから』とかそんな理由で進学するのは嫌でした。そんな無駄な時間とお金をかけるくらいなら、さっさと社会に出て、少しでも自分で稼いで親にお金を返していった方がいいや、と思っていました。そこで私の条件としては、まず『週休二日』を第一条件にしました。楽したかったのと、少しでも漫画を描く時間が欲しかったんですよね。(で、実際には時間があっても殆ど描いてない、という“お約束”な結果になっているわけですがw)その当時は完全週休二日制、というと金融機関しかなかったので、私は大阪市内の某信用金庫を受ける事にしました。(私の成績で金融機関、となるとそこしかなかったわけですw)当時、そこは大きな事件で騒がれていたところだったので、先生達は随分心配してくれたけど、私はあんまり気にせずにそこを受けました。(この時、親には全く相談しなかったんですが後で愚痴られました。「お前は親に相談もせんと勝手に就職先決めて!!」って。私の就職なのに何故親に相談しなければいけないのか?私は相談しなきゃ・・・という事すら考えもしませんでしたよw)で、試験受けた次の日に即内定もらいました♪やはりあの事件の影響でその年の入庫希望者は少なかったようです。しかし、信金側はどうしても新入社員が欲しい・・・という状況だったのです。(フフフ・・・ラッキーだった♪)そんな感じで第一希望のとこにすんなり就職が決まり、(クラスで一番に進路が決定しました)私は高校三年生の二学期以降、受験勉強に頑張っている友達を尻目にずっと遊び倒してました~♪(昔からこういう事では苦労した事ないです。最初から無理して「上を目指そう」とか考えないからw『怠け者、万歳!!(笑)』)さて、例の彼女の方はというと、先にも言ったように鍼灸師を目指していましたので、とある『鍼灸師国家試験合格率100%(らしい)』の鍼灸専門の短大を目指していました。しかし彼女はそこにストレートでは入れず、一浪してその志望校に入学していました。(学校の成績は彼女の方が私よりずっと上だったのですがね。クラスで常に上位でしたから。私は得意な教科(国語と社会)はトップクラスでしたが、 それ以外の教科は見るも無残な結果で…wだって勉強したくなかったからしなかったんだもん♪国語と社会は勉強しなくても出来た)そういえば、学校に関しても彼女は「その鍼灸大学でないとイカン!!」と思い込んでいたような・・・。だって、浪人とはいっても滑り止めの鍼灸関係の専門学校には受かっていて、一年間そこに通いながらその大学を目指していましたから。別にその専門学校でもきちんと勉強していれば鍼灸師の資格は取れた筈なんですが。 さて、自分の志望の大学に一年遅れで入学した彼女。今度の試練は鍼灸師の資格を得る為の国家試験です。しかし、ここでも彼女はすんなりと合格する事が出来ませんでした。確か二度ほど試験に失敗していると思います。その間、彼女は何処かの病院で鍼灸師の見習いみたいな事をしながら受験勉強していたと思います。で、同人活動の方も同時に結構盛んにやっていました。私と彼女の仲が決定的に壊れる『事件』はその頃起こりました。 長くなったので続きます。(久々w)
2007年06月02日
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