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ところで、この映画のチケットは当日ネットで買ったのですが、買った後にPANDORAを読んでいて、「13は女神を表す数字」ということを知りました。そしてその後映画館に行き、席に着いてしばらくしてからふと気付きました。私の買ったその席は「G-13」という席である事を。「G列」の「G」ですが、師匠の情報誌最新号にその解説がありました。「G」とは「Generate(生殖)」の頭文字のことで、「多次元世界の無限のパワーをこの三次元世界にダウンロードすること」を表しているそうです。とすると、「G-13」という席番号は「女神降臨」を表すコード、という風にも考えられるのではないでしょうか?女神降臨の物語をそんな席で観れたなんて・・・。とっても素晴らしいシンクロだわ~♪「G」については、師匠が情報誌に書いた途端にテレビなどでよく目にするようになりました。英会話教室NOVA(これも星を表します。「NOVA」は「新星」という意味です)の破綻問題で、その後始末に出てきたのが「ジー・コミュニケーション」(Gの交流)という名前の会社でしたし、(これは新たなる宇宙の出産祝いのサインなんでしょうね)民主党党首の辞意問題とかね。(「辞意」も音としては「ジー(G)」ですね)この映画は出てくるキャラクターがみんな魅力的で面白いなぁ、と思って観てたんですけど、特に面白かったのが海賊シェイクスピアです。シェイクスピア(振りかざす槍)を演じているのはロバート・デ・ニーロ。ハリウッドの俳優で私が好きなのは、この人とキアヌ・リーブスくらいかな。俳優とか芸能人自体に殆ど興味がないんですが。デ・ニーロは映画フランケンシュタインを観てからファンに。(デ・ニーロはフランケンシュタイン役)この映画も素晴らしかったです。機会があれば是非一度ご覧下さい。デ・ニーロの演技が凄い、と言われるのがこの映画を観てよく理解出来ました。さて、海賊シェイクスピアですが、海賊と言っても海を渡って他の船からお宝を強奪するんじゃなく、空飛ぶ船で嵐の空に繰り出し、雷を集めてそれを商人に売るのです。この国では雷(電気)をエネルギーとして使っているようですね。映画内では魔女を攻撃する手段としてしか使っていなかったと思いますが、結構貴重なもののようで、高値で取引されているらしいです。で、このキャプテン、世間では残忍な海賊として有名なのですが、その実体はとても紳士的で、人間の世界(イギリス)の伝説が大好きな心優しい「オカマ」なのです。(笑)先代の船長だった自分の父親が、実際に残忍な海賊で皆に恐れられていたらしく、その父親に憧れて跡を継いだ彼は、わざと拷問や処刑をしたフリまでして自分の「恐ろしいキャプテン」としてのイメージを保とうとしている人なのです。だから、ずっと一緒にいる部下達にも「本当の自分」を隠しているのですが、実は部下達にはそんな事はとっくにお見通しだったのです。(笑)船長が隠しているつもりの「本当の船長」の姿を知っていて、船長を立てる為にずっとみんな「騙されたフリ」をしていたのでした。船長の「本当の姿」を知っていても、みんなちゃんと船長のことを自分達のキャプテンとして認めているのです。みんな、とっても微笑ましくて愛すべき海賊達でした♪ああ、こんな関係いいなぁ、と羨ましくなっちゃいますね。「本当の自分」というのは、案外、隠せていると思っているのは本人だけで、外から見ればバレバレ、なのかもしれません。あと、「オカマ」が出て来たのが面白い。(デ・ニーロはおねえ言葉使ったりはしてませんけどw)男と女の間に位置するこの人達は、これからの時代を牽引する存在ではないでしょうか?女性なら自分の中の男性性、男性なら自分の中の女性性を認め、自分の中で男性姓と女性性のバランスを上手く取ることがこれからは求められて来るようですからね。て、どっかの受け売りですが。(笑)物語の最後は、流れ星の「輝く心臓」(星の心臓で、これを食べたものには不死と若返りの効果が与えられる)を狙っている邪悪な魔女(闇の女王)をイヴェインの「光」で倒します。イヴェインは「星」なので、星の本来の仕事は「光り輝き、夜(闇)を照らすこと」。だから、イヴェインが地上でも本来の「光」を取り戻せば、対極の「闇」の存在である魔女は、本当は手を出すことは出来ないのですね。しかし、地上に落ちた「星」は、たとえ星でも一人では輝くことが出来ません。恋を知り、愛し、愛される「誰か」がいないと。その人がいないのなら、「星」は簡単に壊されてしまうのです。この物語の中では、イヴェインはいつの間にかトリスタンに恋をして、トリスタンに愛されていることが分かると、魔女を滅するほどの光を放つのです。魔女を倒す際に、7人の王子達の最後の王子も魔女に殺されてしまい、自動的に最後の男性の王族となったトリスタンが王位を継ぎ、イヴェインと結婚して二人で王国を統治していくのですが、トリスタンは自分が実はこの国の王子だった、ということなどまったく知らず、ただ愛する人を守る為だけに行動していたら、それがいつの間にか自分が王となる結果に繋がっていたのでした。(ちなみに、王子達の長男であるプライマスが魔女に首を切られて死ぬのですが、その時、首から赤ではなく青色の血が流れています。これは彼等が別世界の住人だから、ということかもしれないけれど、それよりも彼が王族だったからではないでしょうか。貴族・王族の事を昔から「青い血」と呼ぶ事がありますね。それともこれも真実誇示の一種で「王族(貴族)は普通の人間とは根本的に違う人種だ」ということを暗示しているのかもしれません)自分こそが次の王なのだ、と一生懸命イヴェインの胸の王の証であるルビーを追い求めていた王子達は全員命を落とし、そんなことを考えもしなかったトリスタンが最終的には王となり、愛する人も得て幸せに暮らす。これは、師匠が最近情報誌で書いている内容とも繋がってきます。「結局は誰も争ってはいなかった。ただ一人、一番ピュアな人を輝かせる為だけに、知らず知らずのうちにみな行動していた」のです。この映画は、それをよく教えてくれる内容となっています。80年間(番人と同じ年数なのは偶然だろうか?)、平和に王国を統治した二人は最期に「バビロンの蝋燭」を使い、イヴェインの故郷である「天」へと帰ります。そして「星」として、二人でずっと輝き続けるのでした。我欲を持たずに真心で行動した者は、望まずともいつの間にか全てを手に入れ、最終的には星となって永遠の命を得る、というお話でした。この映画は、「アセンション」に繋がるメッセージを沢山含んだ映画ではないでしょうか?
2007年11月16日
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水曜日に、前から観たかった映画スターダストを観てきました。色んなメッセージが込められている映画だな、と思いました。※かなりネタバレしています。 これから観に行く予定の方は、映画を観てから読まれることをお奨めします。 「あ~、先に読んじゃったからぁ~・・・」等のクレームは一切受付けません。(笑)この映画は、ある夜、天(宇宙)から地球に落ちて来た「流れ星」イヴェインと、イギリスの田舎で育った純朴な青年トリスタンが出会い、二人で色んな障害を乗り越えながら次第に成長し、互いに愛し合うようになり、最期はハッピーエンド、というファンタジーものです。この映画の舞台はイギリスの片田舎、「ウォール村」という場所です。「ウォール(Wall)」とは「壁」のことです。その名の通り、この村は周囲をぐるりと壁(石垣)に囲まれた村です。この壁は一体何なのかというと、魔法の世界(高次の世界)と人間の世界(三次元物質世界)を隔てる「境界」なのです。この壁の前には80年もの間、そこで24時間番人を続けているおじいさんがいます。(何ともご苦労様ですなぁ・・・)村(人間の世界)から「壁」を越えてあちら側(魔法の王国)へ行こうとする不届き者(番人の目から見れば、だけど)がいないかどうか、常に厳しく監視しています。この番人さんによると、今までこの壁を越えた者、越えようとした者は一人もいなかったらしい。18年前、トリスタンのお父さんが越えていくまでは。トリスタンは、この時お父さんが壁の向こう側で出会った女性との間に生まれた子供なのです。これは現実世界でも同じですね。自分達が「壁」に囲まれて暮らしていても、その状況を誰も疑問に感じない。何故なら、生まれた時から「壁」に囲まれて生きるのが当たり前だったから。親や周りの大人が子供達に「決して壁を越えてはいけない」と教え込んでいるから。村の住人にとって「壁」の向こう側に行く事は「最大のタブー」なんですね。だから長い間、誰一人としてこの「壁」の向こうに行こうとする者はいなかったのです。「壁」の向こう側には一体どんな世界が広がっているのか?もしかしたら、自分達の想像を絶する世界がそこには広がっているのかもしれない。と、こういうことを想像してワクワクする者すらこのウォール村には今までいなかったようです。「そこ」に行くには、ほんのちょっとの知恵(番人をうまくかわす為の)と、ほんの一歩を踏み出す勇気さえあれば、誰でも簡単に行けるのです。しかし、その気持ちはやはり純粋でないといけないようです。映画では、トリスタンのお父さんはおそらくは純粋な好奇心から「壁」の向こう側に行きたいと思い、番人に頼むのですが通してもらえません。そこで一旦諦めて帰るフリをして番人をやり過ごし、番人が気を抜いて後ろを向いた瞬間に、走ってあっさりと壁を越えてしまいます。息子であるトリスタンは、自分の父親が村で初めて「壁」を越えた人だなんてことは知らないのですが、憧れの村一番の美女ヴィクトリア(イギリスだし、女王陛下への皮肉とか入ってんのかも・・・w)への「幻の愛」の為に一歩を踏み出しました。ヴィクトリアが本命の彼から求婚されている、と知ったトリスタンが、何とか彼女を自分の方に振り向かせたいと思っていた時、二人の見ていた夜空に突如「流れ星」が落ちてきます。流れ星は壁の向こう側へ落ちてしまいます。それがイヴェインでした。流れ星を見たトリスタンは、あの流れ星をヴィクトリアへの愛の証として持ち帰ることを約束し、その為に「壁」を越えようとするのです。そこには、ヴィクトリアにいいところを見せたい、という「見栄」やヴィクトリアの彼に負けたくないという「競争心」もありました。何より、本人が「本物」だと思い込んでいるヴィクトリアへの愛そのものが、実は違うものだったのですが、当の本人はそんな事、この時は考えもしません。だから、本人は至って真剣に、ヴィクトリアの為に(本当は自分の為なんですけどね)「壁」を越えようと番人のところに行き、知らず、自分の父親と同じ方法で番人の目を欺こうとするのです。しかし、一度同じ方法で突破されている番人は学習していたらしく(笑)、一旦騙されたフリをしながらも、トリスタンを見事に叩きのめして追い返してしまいます。トリスタンの「壁」を越える為の動機が不純で、純粋ではなかった為に一回目は失敗したのではないでしょうか?二回目は直接自分の足で「壁」を越えるのではなく、ある特別なアイテムを使って一瞬のうちに「壁」を飛び越えて魔法の国へ行く事になります。それは「バビロンの蝋燭」という魔法の蝋燭で、火を付けて行きたい場所、会いたい人のことを想うと瞬時にそこへ連れて行ってくれる、というものです。その蝋燭は、母親からトリスタンへの贈り物でした。「この蝋燭を使って自分のもとに来て欲しい」と母親からの手紙には書かれていました。そこで、それを使って母親の所へ行こうとしたトリスタンですが母親ではなく「流れ星」イヴェインの所へ飛んで行ってしまいます。母親を想う一瞬前に、ヴィクトリアと流れ星の事を想ってしまったのです。親不幸者ですね。(笑)親不幸者でも「あちら側」に行ける、ってことでしょうか?(笑)何はともあれ、こうしてトリスタンは無事、魔法の国「ストームホールド」へ到着しました。(「ストーム」は「嵐」でしょ。「ホールド」は「固定する」かな?「定着した嵐」「常に荒れた国」という意味ですかね?)この国では前国王が亡くなって、4人の王子達による相続争いが始まったばかり。王には7人の王子と1人の姫がいました。7人の王子達は互いに兄弟で殺し合い、生き残っているのが4人だけなのです。たった一人の姫ウーナは、実はトリスタンの母親で、十数年前から魔女サルに捕まり、奴隷としてこき使われています。(何故王女が魔女の奴隷にされたのかは不明。つーかさっさと探しに行けよ、王子達)王(この人も12人兄弟で、自分の父王の前で他の兄弟を皆殺しにして王位に就いた)は死ぬ直前に後継者を指名しませんでした。その代わり、王の証であるルビーのネックレスを空に放ち、「このルビーを手にした者が次の王だ。」と言い残して亡くなります。このルビーが、何故か地球を越えて宇宙にまで飛んで行き、星として輝いていたイヴィンにぶつかって、イヴェインが地球に落ちてくることに。今日、シリウス文明がやって来るというブログを読んでいて気付いたのですが、この物語も「女神の降臨」を表しているのだな、と思いました。何故ならイヴェインは「金星」だからです。つまりイヴェインは「女神ヴィーナス」だということですね。実際に「壁」の向こう側、魔法の国へ落ちた「流れ星」はみな美しい女性の姿になります。しかし、人間の世界に落ちた場合はただの「星屑(スターダスト)」になってしまうのです。つまりそれは「星」にとっての「死」を意味します。これも面白い設定だな、と思いました。現実に私達の世界に落ちて来る流れ星はみんな隕石(石)ですものね。本当は、別の世界では美しい女性の姿をしているのかもしれませんね。「星」にとっても、落ちるところが「壁」の中か外かでその後の運命が大きく変わってしまうということですね。あと、どこで読んだかは忘れてしまったのですが、「人の魂の究極の進化の姿は星(恒星など)である」というのを読んだこともあります。今私達が住むこの地球や太陽は、元は私達と同じ、一人の人間だったというのです。その一人の人間の魂が途方もない時間をかけて進化し、幾度も輪廻転生を繰り返し、やがては「星」として、他のあらゆる生き物達を産み、育む存在となった、という考え方です。この考え方でいくと、私達もいずれはそうなる可能性がある、ということですね。あまりに壮大すぎてイマイチ想像できませんが。(笑)でも、「魂の進化」という点で考えていくと、可能性としてはそれも有りかな、と思います。※長くなったので続きます。
2007年11月15日
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さて。5月9日の鳳凰との邂逅(と、私は思ってる)から二週間後の5月23日。普段滅多に夢を見ない私が、久々にカラーの夢を見ました。その夢の話はこちらに書きました。この時にも思った事ですが、この夢はあの某チャネラーさん絡みの私に関する真実を教えてくれていた夢なのではないか?と。去年の10月に、私がネット上で公開セッションを受けた時に起きていた事で、それを防ぐ為、その時期だけ私の護りを強化する為にあの子猫は私のところへ来てくれたのではないか?ずっと密かにそう考えていました。そこで、この夢を見た後にifさんにメールでこの話をしました。実はこんな事があったのです、と。するとifさんからも「実際にそういう(守護する使命を持って来る)動物がいるらしい。だから麻生の予想は正しいのではないか?」という返事をもらいました。その時点で自分の中では、やはりあの子猫は私の守護の為に来てくれたということで間違いないだろう、とは思っていたのですが、その後ジュネさんの事を知り、この事をジュネさんにも訊いてみてつい先月確認が取れた、というわけなのです。(ちなみに、今日はジュネさん本人にお会いしてきました。自己紹介で「PANDORAのifさんからの紹介で~」と言ったら、「ああ、PANDORAからのお客さんも凄いんですよ~w」と笑ってらっしゃいました。「ifさんによろしく~♪」だそうですw)この間、色んなサインやシンクロが出てきていましたが、きちんと確認が取れるまでに一年かかりました。その間も、「きっとそうだろう」と思っていましたので、時々あの子猫の事を思い出しては「今頃どうしているだろう?」「お腹すかせてないかな?元気にしてるかな?」とずっと気にかけていました。もう二度と会えなくても、きっとどこかで元気にやっている。きっと今も幸せでいる。そう信じています。どうもありがとう、ちびちゃん。その小さな体で、私の知らないところで、私を護ってくれていたんだね。ありがとう、ありがとう。君の事は一生忘れない。何処にいても、君の幸せを祈っています。解読の際に、この子猫の話をジュネさんに訊いた時、ジュネさんから何度も「あなたはとても護られていますよ。だから(何も心配しなくても)大丈夫よ。」と言っていただきました。えへ♪それは自覚あります。(笑)護られていない人など一人もいない。本当の意味で見捨てられている人など一人もいない、と思うのです。どんなに極悪人だろうが、善人だろうが、それは同じだと思います。自覚がない人は多いかもしれないですけどね。私が、本当に他人よりポジティブな思考の持ち主なのだとしたら、(私よりポジティブな人なんてい~っぱいいますけどね)ネガティブな人との違いは何だろう?と考えてみたら、それは「護られている自覚」「愛されている確信」を持っているかいないか、それだけではないかな、と思います。私は、決して世界(ここでは神・宇宙と同義語です)は人を裏切らない、と思っています。人の方はわからないけれど。私はこの世界、この宇宙を信頼しているし、神を信じています。それは宗教的な意味合いではなくて、ただ単に、「自分を信じてる」ってことです。何が起きても、結局は「何とかなる!何とか出来る!!」と思ってます。至極単純明快。とことんお気楽思考ですな。(笑)とにかく、この話で一番言いたかった事は、ただ単に「ちびちゃん、私のとこへ来てくれてどうもありがとうね♪」という感謝の気持ち、なのでした♪だから、私は正直言って例の「某さん」に対しても、あの人のおかげで短い間でもあの可愛い子猫と楽しい時を過ごせたので、今は「どうもありがとうございました♪」という気持ちしかないのです。 これが噂のちびちゃんです♪可愛いでしょ~? 当社比。(笑)こんなにちびっこかったんです~♪
2007年11月10日
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子猫がいなくなってしばらくしてから、子猫が来た日と、去った日に起きた出来事の意味に気付きました。もしかしてもしかしたら、あの子猫は私を護る為に来てくれたのかも・・・?だって、あの子はifさんのストラップが届いた直後にいなくなったし、あまりにもタイミングがぴったりではなかったか・・・?これは、「自分の代わりのお守りが来て、自分の役目が終わったこと」をあの子猫が知っていたからではないのか?こんな風な考えに至りました。が、いくらなんでもこれはさすがにファンタジーっぽいっつーか、突飛過ぎるかな、とか、考え過ぎかなぁ、とか、思い上がってんじゃないの?あたし、とか思ってました。(笑)それでこの一年間、ずっとこの事は書かずにいたのです。(子猫のその後のことについては、お茶を濁す書き方しかしていませんでした)それが今回、こうやって書く気になったのは、先日受けたジュネさんの潜在意識解読で、子猫がうちにやって来た理由は私の想像通りだった、とわかったからです。ずっと、あの子がうちに来た理由、たった一ヶ月で去って行ってしまった理由が知りたい、と思っていました。すると、子猫がいなくなってからちょうど半年後の今年の4月8日にちょっと妙な出来事がありました。その日、仕事に行っていた私はふと自分の財布を見て、いつも財布に付けているはずのifさんから貰った例のストラップが見当たらない事に気付きます。一瞬本気で焦りました。あのちびちゃんの変わりに来た(かもしれない)大事なストラップだし、何より、ストラップ自体をとても気に入っていたので、「どっかで失くしたのかも!?」と凄くショックで、慌てて鞄の中などを探しました。すると、この時はすぐにストラップが見つかりました。よく見ればストラップは財布にきちんと繋がったままで、いつの間にか財布の折り畳んだ部分(私の財布は折り畳み式です)に入り込んでいて、姿が見えなかっただけだったのでした。「な~んだ、良かったぁ~~♪」と、この時はそれで一安心。一件落着・・・かに思えたのですが・・・。その次の日の4月9日。この日は休みで家にいたのですが、またふと財布を見てびっくり。ストラップの、一番下についてた鐘形の水晶が壊れてる!!水晶の鐘の中に石が入っているのですが、その石が剥き出しになる形で、水晶の鐘(ベル)が壊れていたのです。このストラップはずっと財布に付けていて、で、財布は色んなところに持ち運ぶから知らず知らずのうちに、このストラップも色んなところにぶつけていた可能性は大いにあるけれど、それにしても、水晶がこんなにばっくり壊れる程の衝撃を与えた事があったのだろうか・・・?何より、その前の日に一瞬失くしたかも!?と焦ってたから、見つけた時にこのストラップをよ~く観察したんですね。そしたら、その時には鐘形の水晶は欠けたり、ひびが入ったりしているようには見えませんでした。仕事中は殆ど一日中、鞄の中か、エプロンのポケットに入れてるだけだし、落としたりもしてないはずなのに、一体どんな力が加わって壊れたのか?正直、これも未だによく分かっていない事なのです。ところで、このストラップが壊れた日の4月9日というのは旧暦で見ると2月22日になります。その前日の4月8日は当然の如く、旧暦の2月21日ですね。実はこの2月21日というのは、私の誕生日にあたる日なのです。旧暦の私の誕生日に、一瞬雲隠れした(?)ストラップ。そして、その次の日に壊れてしまったストラップ。この出来事は、一体何を表しているのでしょうか?おそらくは、私をちびちゃんに変わって守護してくれていたであろうストラップが私の旧暦の誕生日の次の日に壊れた、というのは、私の何かが「新しいサイクル」へと切り変わった事を表すのではないか?そして、その前日にストラップの姿が見えなくなった事は、次の日の出来事の予告みたいなものだったのではないか?そんな風に考えています。ちょうど、旧暦の私の誕生日を境に起きていることなので、何かエネルギー的な変化が起きた、という意味なのかもしれません。色々とシンクロが続いていますが、これにはまだ続きがあります。京都・宇治の平等院に行って、鳳凰に会ってきた話は以前書きましたが、その日というのが5月9日でして、この日はこれまた、ストラップが壊れた日のちょうど一ヶ月後にあたります。平等院に行く日は私が決めましたが、いつ行こうかな?と考えていて、ふっ、と思い浮かんだのがこの日にちでした。理由はありません。思い付きです。この時は、ストラップが壊れた日との関連性になどまるで気付いていなくて、(というか、この時はすっかり忘れてましたw)しかも、一緒に行く予定の母の都合も合わないと9日には行けなかったのに、この時はすんなりと母の仕事も休みが取れたので、結局9日に行く事になったのでした。今考えてみると、平等院に行く日も実は何か、「絶対に5月9日でないといけない理由」があったのかもしれません。ジュネさんによると、私は鳳凰に守護されているそうで、とても縁が深いのだそうです。私を守護する為に来てくれていた子猫と、それと入れ替わりに私のもとにやって来たifさんのストラップ。その半年後にストラップが壊れ、またそのちょうど一ヵ月後に行った、京都・宇治の平等院鳳凰堂。その鳳凰像の前で、訳も分からず泣いてしまった私・・・。何か、目に見えないものに導かれているのは間違いないような気がします。どうやら、あの子猫から鳳凰まで、話はずっと続いていたようです。何かしらの「エネルギー的な変化」も、この頃あったのかもしれません。今、これを書く為に今年の手帳(ほぼ日2007)の5月の所をざっと見直していたのですが、まず「鳳凰(鳥)」に関しては平等院に行く日の3日前、5月6日に既にサインが出ていました。ブログにも書きましたが、その日、私の部屋の中に鳥が入り込んできて、私の留守中に部屋中の壁や襖にウンチをしていってくれた事がありました。どっちの出来事も、ブログにも手帳にも書いてあるのに、今の今まで気付いていませんでした。(笑)人間、なかなかその時すぐには気付けないもんですね。
2007年11月08日
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あの時、何故、私はあんな選択をしたのだろう?今だに不思議でなりません。しばらくの間、私はこの日の自分の行動、判断を呪い、悔いていました。何故こんな悲しい目に合わせるのか?と、自分の守護存在「ロクちゃん」の事すら罵倒し、勝手な恨みつらみをぶちまけて八つ当たりしたりしました。(子猫との別離は、別にロクちゃんのせいじゃないのにね。まったく、我ながら勝手なもんです。あの時の事、まだきちんと謝っていなかったわ。ごめんね、ロクちゃん)しかし、後にはっきりしてくる事ですが、やはりこの世に「偶然」は一つもなく、この時の私の判断、その結果もたらされた子猫との別れ・・・。これら全ては、結局、なる様にしかならなかった出来事・・・。「必然」だったようなのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・二時間も時間があるので、その間どう時間を潰そうかと考えていました。いつもの私なら、すぐに一旦家に帰っていたことでしょう。しかし、この日の私は、普段ならおそらくしないであろう選択をしたのです。「天気もいいし、この近くの公園でちびちゃん(子猫の事。仮の名前)を遊ばせてあげよう♪」私はそう思い立ち、単車を病院の前に置いて、病院から歩いて数分のところにある公園に向かいました。公園に向かう間、私は、自分がとてもいいアイデアを思い付いたのだ、と思っていました。公園の中のベンチにでも座って、その近くでちびちゃんを遊ばせよう、と思った私は、ベンチを探して公園の奥に入って行きました。結構広い公園で、大きな樹が何本も植えられています。私の予想に反してなかなかベンチが見つからず、どんどん公園の奥に進んで行きました。やがてベンチを発見しましたが、そのすぐ近くで、中学生くらいと思われる少年達がキャッチボールをして遊んでいるのが見えました。正直、私はこの時点で「ヤバイな・・・。」と思っていました。何がヤバいのかと言えば、この子猫は、やっと私や母に慣れてきたところで私達以外の人間に出会った事はなく、もしも子猫を放している時に彼等がやって来たら、子猫が驚いて逃げてしまう可能性があったからです。そういう危険性を予測出来ていたにも関わらず、この時も何故か「ま、でも大丈夫だろ。」という、何が大丈夫なのかまったく分からない、「大丈夫」の根拠のない判断をした私は、子猫を鞄の中から出してしまったのです。鞄から出してそっと地面に降ろすと、子猫は恐々辺りの様子を伺っていました。緊張しながらも、少しずつ子猫が歩きだしたその時、恐れていた事が起こりました。子供達の声がして、少年の一人がこちらに向かって走って来たのです。どうやら、三人でしていたキャッチボールのボールを一人の子が受け損なってしまい、それを追いかけてこちらに駆けて来たようでした。この瞬間の事も、今でもよく覚えています。ボールは何故か真っ直ぐに、子猫目掛けて転がって来たように見えました。当然、それを追う男の子も子猫の方に走ってくる事になります。子猫は突然現れた少年の姿を見て驚き、一目散に駆け出しました。私が、子猫を直ぐに追わなければ、と思ったその時、私の携帯の着信音が鳴りました。まるで、私を呼び止めるかのように。あの時、あの電話を何故、私は無視出来なかったのだろう?これも、私が未だに不思議に思っている事です。携帯ならば、着信履歴が残るのだからこの時は電話に出なくても後で掛け直す事がいくらでも出来たはずです。電話よりも、子猫の方が見失ったら、離れたらもう二度と取り返しがつかなくなるかもしれないのに。その事も頭にあったのに、私はこの時、何故か瞬間的に、迷わず電話の方を優先させてしまったのでした。「ヤバイよ!早く子猫を追っかけなよ!!」と焦る私と、「いや、でもきっと大丈夫よ。逃げてった方角はちゃんと見てるし、後で名前呼べばすぐに出てくるよ、きっと・・・。」という何故かとても楽観視している私と、二人の私がこの時、同時に存在しているのを私は確かに感じていました。今思い出してみると、二つの事を同時に考えている自分がいる、という事をさらに冷静に見ている第三の自分・・・のようなものがいたような気もします。少年に追っかけられる形となって、公園の草むらに飛び込んだ子猫の姿を確認しながら電話に出ていた私は、すぐに電話を切って子猫が入ったと思われる草むらに向かいました。時間にすれば、ほんの2、3分間の出来事だったでしょう。その後、何度もこの公園内やご近所を探しましたが、結局、今日に至るまで、あの子猫の姿を発見する事は出来ませんでした。
2007年11月06日
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去年10月、一匹の子猫が我が家にやって来ました。可愛らしい、生後一ヶ月くらいの三毛猫の女の子でした。(きちんと確認したわけではないけれど、三毛猫は殆どが雌なのであの子も雌だっただろうと私は思っています)この子猫は、どうやら我が家にある使命を持ってやって来たようです。その使命とは、私の一時的な「守護者」となる事でした。子猫がやって来た、2006年10月9日の朝の事は、今でもよく覚えています。この日、仕事が休みだった私は、朝からとてもわくわくしていました。何故ならこの日の朝から、その当時の私にとっては大変エキサイティングで、とても楽しみな出来事が始まる予定だったからです。その「楽しみだった事」はネット上で行われます。少し早起きしていた私は、起きてすぐにPCを開けようと思っていました。しかし、「いや、やはり楽しみは後で取っておこう♪」と思い直し、滅多に行かない犬の散歩を自分から申し出て、母親の代わりに行きました。今考えてみると、この日に限って海(うちの犬の名前)の朝の散歩に行こうと考えたこと自体が、そもそも「護られていた事」だったように思います。通常、うちでは犬の散歩は母が朝晩連れて行っています。私はたまに、母の用事の都合などで代わりに行く事があるけれど、代わったとしても、それはいつも夜の散歩だけで朝の散歩を代わった事はありませんでした。朝の散歩に行ったのは、後にも先にもこの日だけでした。この日はとてもいい天気で、真っ青に晴れわたった朝の空には雲一つなく、清々しく、非常に気持ちのいい朝でした。この日、海の散歩から帰って来てから子猫を見つけるわけですが、その時の話はこちらに既に書いていますので、この後の詳細は省きます。さて、その後この子猫がどうしたかと言いますと、結論を言えば今はもううちに居ません。うちに来た10月9日から、ちょうど一ヵ月後の11月8日。子猫は、おそらくは自分の意思で、私の前から去って行きました。この子猫の「お役目」は、その日が最終日だったようです。子猫が来た日は、実は私が某チャネラーさん(某つったって知ってる人はすぐに分かるし、何より昔の日記には名前書いてるんで今更なんだけど、何となく今は「某さん」でw)から、ネット上で公開セッションを受けた日でした。普段はしない犬の散歩に行って、わざわざネットを始める時間を(無意識のうちに)遅らせ、その間に、子猫は我が家の前に何処からともなくやって来て、私を待っていました。そして、子猫が去って行ったのは11月8日の午後。この日はifさんから例の「結婚出来るストラップ」が届いた日でした。届いたばかりのifさんのストラップを喜んで家の鍵に付け、その鍵を持って、私は子猫を連れて家を出ました。その出先で、子猫は私の前から姿を消してしまったのです。11月8日、うちに子猫がやって来てから初めて、子猫を家の外に連れ出しました。動物病院で健康診断をしてもらう為です。最初は、既にうちには三匹もいるのでこれ以上は増やせないから、この子をうちで飼うつもりはなかったのです。だから餌をやるだけで、情が移らないように、わざとあまり相手をせず、家には絶対上げないようにしていました。取り合えず、自分で餌が取れるようになるまで、一人(一匹)でも生きていけるようになるまではうちの裏庭でこっそり面倒を見よう、と考えていました。この子猫の方も、与えた餌は食べるけれども、最初のうちは私達に対する警戒心を解かず、私と母が子猫のいる裏庭に行くと(父には内緒だった)すぐに隠れてしまっていました。それが二週間ほどすると徐々に慣れてきたのか、すっかり私達に甘えるようになりました。私が裏庭に行くとすぐさま顔を出し、私の足元にスリ寄って来ます。喉をゴロゴロと鳴らし、私の後をぴょんぴょん跳ねながらついて来るようになりました。そうなると、生粋の猫好きの私のこと(笑)、もう、この子猫のことが可愛くて可愛くて仕方がありません。時間があればしょっちゅう相手をしていました。自然と私は、この子をうちの子の一員にしたい、と思うようになりました。そして同じく、最初は餌をやる事すら難色を示していた母も、子猫から甘えられるようになってきて子猫に情が移ってきたらしく、「どうしても貰い手が見つからなければ、うちで考えてもいいよ。」と言うようになりました。そこで、私が一度ネットなどで貰い手を探してみて、どうしても里親さんが見つからなければ、正式にうちの子として一生面倒見よう、という話になったのです。(この時は、まだ父には何も話していなかったし、明や空がこの子の事を受け入れてくれるかどうかもわかりませんでしたが)見た所、この子は痩せてはいたけど毛艶は良く、目やにが溜まったりもしていなかったので、取り合えず健康体だろうと判断していました。猫は具合が悪いと毛艶が悪くなります。何か異常を発見したら、その時病院に連れて行けばいいと思っていました。だから、それまでは病院にも連れて行っていませんでした。しかし、本格的に貰い手を探すとなると話は別です。最低限の事はこちらでしなくてはいけません。そこで、まずは病院で健康診断してもらおう、という話になったのです。思い立ったら吉日、と申します。母とそういう話になって直ぐ、その日のうちに子猫を病院に連れて行くことにしました。私は動物病院に行くのは久しぶりで、診察時間がうろ覚えだったのですが、三時くらいから午後の診察が始まっているような気がして、三時に間に合うように家を出ました。いつもなら、仕事の時でもぎりぎりにしか家を出ないくせに、この日に限っては何故か「早く行かねば。」と思っていたようで、早々に準備に取りかかっていました。その時、ifさんから届いたばかりのストラップを家の鍵に付けて持って出たのです。病院に着いてみたら、午後の診察は5時からとなっていました。まだ2時間もあります。早く着き過ぎてしまった、さてどうしよう、家に帰る時間も充分にあるけれど・・・。そう考えていた私は、ある選択をしました。
2007年11月05日
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チャートの作成状況のお知らせです。先程、10月19日までにご依頼いただいた方の分のチャートを全て送信いたしました。もし、「届いていない」という方がいらっしゃいましたらすぐにご連絡下さい。また、チャート内に間違いや誤字脱字などもありましたらお知らせくださると有難いです。残りの方の分は来週中にお送りいたします。お待たせして申し訳ありませんが、今しばらくお待ち下さい。以上、うちのブログでは珍しい事務連絡でした。(笑)
2007年11月02日
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