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★★★後日編集します★★★取敢ず………前日からの体調不良で、朝食が食べられず。。。熱を測ったら、平熱35度6分のところが、36度7分!フラフラになるわけである。。。午前中、西安周辺で仏跡をめぐった後、午後の飛行機で広州へ。今日は、広州泊まり、明日は帰国である。。。★★★後日編集します★★★
2006.08.31
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★★★後日編集します★★★取敢ず………この日は、ラサから一気に西安へ!下界に降りて、夕食に日本食を食べて、久々にビールを飲んだら………体調をおかしくして、ダウン。★★★後日編集します★★★
2006.08.30
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★★★後日編集します★★★取敢ず………この日は、シガツェからラサへ戻り、ラサで1泊!★★★後日編集します★★★
2006.08.29
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この駅はチベット第三の都会で、ここにバンコル・チョエテンという大きな寺があり、僧侶も一五〇〇人ほどいる。 河口慧海『チベット旅行記』(長沢和俊編、白水社版)パンコル・チョエテン(白居寺)本尊前の燈明この燈明は、継ぎ足されるバターで消えることはない。昨日と同様、5時30分起床………今日も寝疲れて起きた(苦笑)。モーニングコールは6時………のはずだったが、なぜか中途半端な6時10分。7時に1階餐庁でフリースタイルの朝食。25分に部屋に戻って、トランク持参で45分には再び1階ロビーへ。今日は、ラサから西に270kmほど行った、チベット第2の都会シガツェに泊る。従って、チェックアウトをしなければならないのだが、キャッシャーのおねぇちゃんがチンタラやって、ちょっと時間がかかった。8時にバスに乗って出発。直ぐに付近のガソリンスタンドでトイレを借りようと試みるも「ない」とのことで、出発。さらに10分後、初日にバスを駐めた「西蔵賓館」にバスを駐めて、今度はトイレだけ拝借(苦笑)。8時45分に再び出発して、一路西へ。途中の曲水までは、ラサ空港の道程と同一である。ラサで2泊したホテルの名前にもなっている、チベット第1の大河ギャルツォンポ(雅魯荘布)川を車窓に眺めながら、西に向かう。曲水を過ぎると、道は山間に入っていく。相変わらず川沿いの道だが、川は遥かに断崖の下である。10時30分頃、トイレ休憩。………とは言っても、トイレなどないので男性は川側、女性は山側でそれぞれ用を足した。その、男どもが用を足す背後には牛飼いの牛がゾロゾロ。10時45分に出発し、11時45分頃、標高3,970mの大竹ソウ(「ソウ」は「上」と「下」が上下に一体になった字)の如意飯店にて昼食。食べ終わって外に出ると、今度は羊飼いの羊の群れがゾロゾロ。12時50分に出発し、シガツェ市街地の外れを通って、ギャンツェ方面へ。途中の景色は、集落を外れると荒涼としていて、砂漠の外れのような感じである。時折、砂の堆積したものも見られた。集落の周辺では、ちょうど麦の刈り入れの真っ最中で、あちらこちら麦藁を積上げている様子が見られた。13時50分頃、再び山間部でトイレ休憩。14時頃出発。15時10分頃、それまでの舗装道路から砂利道へ。ギャンツェに向かう道が、工事中なのだそうだ。激しく揺れる車内から、砂煙の上がる窓の外を見ると、彼方の山に赤い塀が見られる。「あれこそ、目的とする寺では?」と思ったら、まさにそうだった。30分ほど激しい揺れに耐え抜いて、15時40分頃にはギャンツェの市街地に入って、再び舗装道路。45分に白居寺に到着。チベット最大の仏塔(ストゥーパ)があり、チベット仏教の諸派が兼学する一大仏教センターの役割を持った有数の寺院である。ここは、20元を支払えば内部の撮影はできたので、早速撮影。チベット僧の勉学している姿が、ようやくカメラに納められた。ちなみにここの僧が開いているのは、紺地金泥経つまり紺色の紙に金泥で経文が記されたもので、経典を高度に称讃する装飾法の一つである。他の寺院では、白地の版本(版木から刷ったもの)を開いていたのだが、この違いは白居寺のチベット仏教の勉学センターとしての地位の高さを示すものであるかもしれない。なお、チベット仏教の僧侶が使う経本は、いわゆるチベット大蔵経と呼ばれるもので、これは縦15cm横60cmほどの紙に記されたり刷られたりしたもので、製本はされない。だから、順序よく紙をめくっていかないと、バラバラになって大変なことになる。とにかく途切れることなく読経・勉学に励むその姿に、頭の下がる思いであった。本殿の奥に進んで本尊を拝観すると、そこに供えられたバター細工がなかなか素晴らしいものであった。別室は経蔵であるらしく、チベット大蔵経がうずたかく積まれていた。この大蔵経の棚の最下段はくぐり抜けられるようになっていて、なんでもそこをくぐり抜けると頭がよくなるのだそうだ。もちろん、勉学の向上を願って小生もくぐった(ただし、途中まで)。さぁて、効果はあるのだろうか?それから、一旦外に出て、隣の仏塔へ。ここは、内部撮影を防ぐために、入口でカメラを取上げられてしまった。撮影するのなら、120元を払うのだそうだ。もっとも、小生は肩に1眼レフをかけていたのでそれを預けたが、実はウエストポーチの中にコンパクトカメラを入れていたので、それは素知らぬ顔をして仏塔の中に入り、数枚失敬した。大蔵経の下を中途半端にくぐったおかげで、悪知恵が付いたかな?白居寺を後にしたのは17時10分。直ぐの所に、ポタラ宮のように街中にある小丘を占めている城があり(宗山公園という史跡公園になっている)、それを遠望。この城は、イギリス軍がこの地を攻めたとき、最後まで落ちなかったことで、当地の誇りとなっている。それと同時に、中華人民共和国政府が、「侵略に耐え抜いた」城として国家としての顕彰を与えている。もっとも、大方のチベット人にとっては現在の西蔵自治区はその中華人民共和国政府による侵略の結果成立したと意識されているから、共和国政府による顕彰には複雑な心境のようである。18時30分頃、今日のもう一つの目的地である夏魯寺に向かうべく、シガツェへの帰路にある強堆という集落付近でウロウロしたが、結果、同寺に向かう道が細くてバスが入れないことが判明し、行くのを諦めた。ちなみに、強堆から夏魯寺までは片道5kmだということで、歩いて行くにも問題があった。19時5分、今日の宿である日喀則飯店に到着。当地では最高位の三つ星ホテル、しかし今回の団では最低位の三つ星ホテル(他は四つ星・五つ星)である。部屋は、バスルームを除いて四畳半程度の広さで、ベッドはソファーベッドが頭を寄せるように、壁沿いに鉤になって2台。部屋の中に、チベットの三尊仏が飾られて(いや、その前に燈明を点す炉があったから、祠られて…かな?)いて、チベット人もよく利用するのだということが窺われる。団長が、風邪をひいたそうだ。帰路のバスですでに調子がおかしいのが見て取れたが、ホテルで熱を測ったら38度あったとのこと。夕食を一緒に摂らず、そのまま部屋で身体を休めることになった。その夕食は20時から。その前に、手持ちの人民元がそこそこあったことと、ラサのホテルで両替できなかった(五つ星=国際級のクセして!)こともあって、今回、まだ両替をしていなかったのだが、今日は売店で両替できるということで、早めに1階に下りて両替。大体、1万円で670元程度のはずだが、ここでは630元、かなりボッタクられた。夕食は1階別棟の餐庁でフリースタイルだったが「まぁ食べられればいいかぁ」という感じ。欧米人の団体がいたが、彼等の口にはどうだったのだろうか?そういえば、ビールをたらふく飲んでいたなぁ。こちらはチベット4日目で、まだ誰もビールを飲んでいないのだが、彼等はタフなのか、あるいは滞在が長くてもう慣れたのか?20時30分に夕食を終了して、再び売店にいった。ただし買うものがなくて、そのまま引き揚げ。22時15分に就寝。チベットの夜は………再びなんと言っても長い! ~~~~~【今日の色】(「和色大辞典」による)淡黄(たんこう):#f8e58c/R:248 G:229 B:140/H:49 S:43 B:97【今日の背景色】(「和色大辞典」による)黒檀(こくたん):#250d00/R:37 G:13 B:0/H:21 S:100 B:15
2006.08.28
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場所は………ポタラ宮の脇。いよいよこれから、今回のメイン・イベント、ポタラ宮の参観である。参観は現在地元旅行社の仲介のある団体に限られ、時間はどのグループも1時間と制限されていて、これをオーバーすると現地の旅行社が仲介停止や、罰金などのペナルティが課せられるそうである。今回、我が団は14時からの参観。では、なぜ、30分も前に着いているのかというと、参観の時間は、上部宮殿の入口からの時間だからである。ただし、ポタラ宮の域内にはいるために、厳重なチェックがここで行なわれる。まずはここで、日本人添乗員から各個にパスポートが返却された。で、直ぐの入口で、パスポートチェック・本人照合が行なわれる。それから、ちょっと域内に入って、身体並びに手荷物検査。飛行機の搭乗の際のものとまったく同様で、人はX線ゲート、荷物はコンベアのX線検査器の中を通って、荷物を再度受取る。そうすると、眼前に巨大なポタラ宮の姿が見えてくる。ここから、ゆるーい階段を通って、かなり上部まで登ることになる。おおよそ、写真に見える黄色い建物の辺りまでである!大体、120mほども登ることになるだろうか………低地よりも気圧が低く、酸素濃度も低地の60%ほどしかないところである。さすがの小生も、若干、息の切れるのは早かったが、それでも低地とほぼ同じ体調で登りきった。(私の身体にゃ、酸素が使われていないのかァ? 笑)途中、塀を見て気付いたのだが、赤い(というよりは葡萄色)の箇所は、石組みの上を漆喰で塗り固めたようなものもあれば、萱のようなものを積上げたものもあった。そんなのを観察しながら、ようやく建物の入口に着いたのが、13時50分。まずは、この脇の世界一見晴らしのいいトイレ(!)で用を足し(さすがに写真は控えたが、確かに見晴らしはよかった!)、58分に急な階段を昇って、いざ内部へ。ダライラマの公私にわたる部屋を見たり、巨大な墓塔(ストゥーパ)を見たり。ダライラマの私室は、四畳半ほどであろうか、随分と小さいものだったのが印象的だった。睡眠と、瞑想・勉強ができればいいだけの部屋として、そこにあった。そして、内部を上り下りしながら拝観すること1時間。ギリギリに出口を出て、参観修了。あとは、ながーい下り坂をダラダラと下りて、ポタラ宮の域外に出たのが15時15分頃。正面の人民広場にいって、正面の姿を撮影、そして団員揃って記念撮影。再びバスに乗ったのは15時30分頃。今度は郊外のセラ寺に15時55分頃到着。ここは、河口慧海や多田等観が勉学に励んだところで、チベット仏教のゲルク派の学府でもある。それはともかく………妙なものを発見。太陽熱で湯を沸かす道具であるこれはなかなかよくできている。後々気をつけてみてみると、この寺だけでなく、街のあちらこちらで同じものを見掛けた。16時40分にセラ寺をバスで出発し、ホテルに戻ったのが55分。18時30分まで休憩のはずだったのだが………部屋に戻ると、トイレの掃除がしておらず、なくなったトイレットペーパーの補充もしていなかった。その他、未整備の所多数。さぁて、トラブル!日本人添乗員にこのことを告げ、処置を依頼。その後、たびたび電話がかかってくるものの、こちらは中国語ができず、先方は英語ができなくて、話ができない。中国人添乗員がいろいろと処理してくれて、服務員の女の子が2人来たものの、トイレットペーパーを置いていっただけて、掃除はなし。その後、マネージャーが陳謝に来室。さらにはお詫びにフルーツの盛合せも持ってきた。開業したてで、不首尾というのが口実だったので、これからの発展を祈る旨伝えておく。結局、休息を取る暇もなく、18時30分には再びバスに乗り、夕食。若手が一人、体調不良で居残りとなった。夕食は、19時から「花園賓館」の「瘋牛餐庁」というところ(ちなみに「瘋牛」とはヤクのこと)で、チベット料理・中国料理のフリースタイルを食べながらショーを見るというものだったが………料理はチベット・中国共にひどい味だった(苦笑)。ショーも、チベットの民族音楽と舞踊ということだったが、ショー化されているだけ生きたものとは違うようであった。早めに切上げて、19時50分にはバスに乗り、ホテルに20時過ぎに到着。薄明るい外で、従業員を集めて訓示をしていたが、今日のトラブルが原因だったのだろうか?帰室した後、自宅に電話。細君と母に無事を伝える。22時30分に就寝。チベットの夜は………再び長い!
2006.08.27
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実に法王の宮殿はこれを見る者の心を奪ってしまうようなりっぱなものである。 河口慧海『チベット旅行記』(長沢和俊編、白水社版)「法王の宮殿」ポタラ宮街から離れたところにあると思ったら………街のど真ん中にあった!5時30分起床。7時間も寝ると随分寝たような気がする………というよりは、寝疲れて起きた、と言う方がただしい。後はベッドの中でゴロゴロ。モーニングコールは7時(!)まだ薄明るい程度である。ラサの東経は91度ほど、だから北京と25度ほどの経度差があって、2時間弱のずれ………北京での5時40分頃の空と同じ状態なのである。………街がボヤーッと浮かんでいる。。。8時に1階ロビーへ行き、その奥の餐庁でフリースタイルの朝食。チベットに行って、とにかく飲んでみたかったもの、それがこの朝食で飲めた。なにかといえばバター茶である。早速飲んでみた………うっ、しょっぱい!ただし、臭みはあまりない(ように小生は感じた)。よく見てみると、溶けたバターが茶の上に結構な厚みで乗っかっている。かなり、バターを入れるようだ。8時35分に一旦部屋に戻り、55分にロビー集合。そしてバスに乗り、本日の参観を開始。まずは、小昭寺というチベット寺院へ。7世紀に、唐王朝から吐蕃王ソンツァンガンポに嫁した文成公主が造った寺である。小雨と、入口付近の焚炉の煙で白く霞む境内に入る。焚炉には、何らかの草や溶かしたバターを入れていたが、紙銭の類を入れている様子はなかった。この辺りは「願掛けをするときにはまず紙銭」という漢族の習慣と大きく違っている。近くの露店を見てみても、紙銭の類はついぞ見なかった。寺の建物の入口では、多くの人が五体投地をしていた。五体投地そのものは、すでに2002年に山西省に行ったとき、現在はチベット仏教の西域となっている五台山にてその様子を見たことがある(五体投地により五台山までやってきた巡礼僧の姿)が、人数の点からいっても、そのさかんなことから言っても、チベットでのものには迫力がある。このあと、方々でこのような五体投地の姿を目にすることとなった。チベットの寺院はほとんどが内部撮影禁止のため、撮影を断念してひたすら寺院内部の空間やチベット僧の様子を脳裏に刻込んだ。10時20分頃に小昭寺の参観を終えて、20分ほど歩いて大昭寺へ。途中の賑わいは、小昭寺や大昭寺などの参拝者や観光客相手の商売をしていて、特に特徴的だったのがバターを売る店が多かったこと。 チベットでは食料油としてバターは圧倒的な使用量を誇っていることもあるが、他にも燈明にバターを使うこともあって、とにかくその使用量は多い。燈明としてのバターの点でいうならば、日本や中国(漢族)ならば蝋燭よりも線香を供える方が主になるために燈明は数本の蝋燭を供える程度だが、線香をほとんど用いないチベットでは参拝した寺院のありとあらゆる燈明にバターを注いで廻るようで、一ヶ寺参拝すれば魔法瓶1瓶分程度の溶かしバターは消費してしまうようだ。ちょっとした寺院の燈明の数だって、10や20といった「少数(!)」ではないのである。だから、とにかく大きな塊でバターを売っている。大昭寺前に着くと「まずはチベット茶で休憩しましょう」ということで、「大昭寺広場蔵風味餐庁」なる店で休憩。小生はすでに朝食時バター茶を飲んでいるので、甜茶をオーダー。飲んでみたら、要は甘いミルクティーだった。ちなみに、この店での値段は、酥油茶(バター茶)・甜茶(ミルクティー)共に、 8ポンド(約3.6kg) 12元(約180円) 5ポンド(約2.3kg) 8元(約120円) 3ポンド(約1.4kg) 6元(約 90円)であった。ちなみに、コーヒー・カフェオレ・ミルクはいずれも1杯5元(約75円)である。バター茶・甜茶がポンド単位で売られているというのは、二つの点で興味深い。まず第1点は、これがカップ単位ではなく、ポット単位でのカウントだということ。つまり、ポットの中身がある限り、飲み放題なわけだ。もちろん、人数は問わない。チベットの生活の中に、バター茶・甜茶がいかに「普通の飲物」であるかが、ここから読取られる。第2点は、これが(キロ)グラムではなくポンドでの計量だということ。チベットはインド・ネパール方面からのイギリスの侵攻にたびたび晒され、一時的にその支配下に置かれたこともあったし、あるいは英領インドとの間の茶葉交易があったことも関係して、イギリス流の計量法が入り込んでいるのであろう。あるいは、これは茶に限っての単位かもしれないが。ちなみに、バターはグラム法かポンド法かは判明しなかった。。。11時5分にティータイムを終えて、大昭寺の参観。この寺の前には、文成公主の嫁入りによって唐と吐蕃が友好条約を結んだ際の、それが「唐蕃会盟碑」として残されている。漢文とチベット文でそれぞれ同意の内容が記されているのだが………残念ながら写真は塀に囲まれて、思うようなものが撮れなかった。。。さてさて、大昭寺。入口付近には、小昭寺と同じく多くの五体投地の姿が見られる。ザッと見で7・80人ほどであろうか。ものすごい熱気である。内部にはいると、建物はかなり重厚だが、同時に一面の壁画があったり、建物への彩色が色とりどりに施されていてなかなか華やかでもある。中ではチベット僧が経文の読誦や暗記を必死に行なっていた………といいたいのだが、見た目にはこれは案外気楽なもののようで、携帯電話をしている僧もいれば、隣と話したり、中座して立歩いたり………と、結構バラバラである。時間の関係だろうか、それとも全てが自己責任だということなのだろうか?11時55分に大昭寺を出て、20分ほど歩いてバスに乗車。それから15分ほどの某ホテル(メモし損なった!)の餐庁で昼食。12時15分にはバスに乗り、30分には降りた。→→→以下、後編に続く。 ~~~~~【今日の色】(「和色大辞典」による)葡萄色(えびいろ):#007b43/R:100 G:1 B:37/H:338 S:99 B:39【今日の背景色】(「和色大辞典」による)胡粉色(ごふんいろ):#fffffc/R:255 G:255 B:252/H:60 S:1 B:100
2006.08.27
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さあ イマジネーションあなたは傷を負ったパイロット戦闘機は密林に砕け 赤く燃えた雪を抱く峰がゆく手にそびえ立つ 松任谷由実「SHANGRILAをめざせ」(詞:松任谷由実)雲南省西部、シャングリラの迪慶空港「シャングリラ」って、あっちゃならないんだけれどもなぁ。こりゃ「Lost Horizon」ならぬ「Lost Shangri-La」ですぜぃ!4時30分のモーニングコール、荷物をまとめて5時10分には1階ロビーへ。今日は、7時の飛行機でいよいよチベットはラサに入るので、きわめて早い出発である。当然、レストランは開いていない。そこで、ホテルで弁当を準備してもらったのだが、内容はサンドウィッチとゆで卵・バナナと缶ジュースといった具合。ロビーで食べ終わって、5時40分にはバスに乗り出発。昆明の街はまだほとんど目覚めていない。ちなみに昆明は東経102度付近、北京が116度付近だからおよそ14度の差がある。14度の経度差は時間ではほぼ1時間の時差となるのだが、中国は全土で北京時間を採用しているので、北京時間が昆明の地方時に1時間先行しているとなる。従って、昆明の5時40分は実際には4時40分の状況だと考えれば、まだ街が目覚めていないことは判るだろう。5時55分には昆明空港に到着。6時に荷物を預け、25分には手荷物検査。中国では、現在爆発物の持込みを避けるため、ペットボトルなど液体入りのものについては、開封して中身を飲ませたりしている。で、変に勘ぐられてはいけないので、手持ちの水入りペットボトルをカメラバックから出し、別に手でもって検査を受けたらX線照射器を通しただけで、飲まなくても通った。6時40分頃に16番搭乗口からバスに乗り、今回搭乗の中国東方航空MU5837便へ向かい、搭乗。6時50分には定刻を待たずに出発。小生は通路側の席だったが、空いていたのでいそいそと後方の窓側の席に移った。6時56分離陸。海抜1,900mほどの昆明から、まずは雲南省北西部、海抜3,000mほどのシャングリラを経由して、海抜3,800mほどにあるチベットのラサまで飛ぶ。離陸からほぼ50分後の7時45分頃、シャングリラの迪慶空港に着陸。ここで一旦飛行機を降りて、待合室へ。天気は曇、高地のためか少々肌寒い。体感気温は20度前後といったところだろうか。ただ、空気が澄んで、美味しく感じる。で、スモーカーの小生は、待合室に喫煙室を見付けて、早速一服(折角澄んだ空気なのにねぇ。。。 だけれども、これがまた美味い!)8時15分頃には再搭乗して、8時33分に離陸。この後、機内食が出て来て、2度目の朝食(大したものではないが!)。食べ終わる頃には眼下は次第に晴れて、チベットの山塊が見えてきた。チベットに入るとほとんど快晴で、眼下には農村の様子も見られる。恐らく水に因るであろう浸食で、緩い谷が非常に多く見られ、農村も大方その谷間に形成されているようである。扇状地のようにも見えるが、その辺はKENT先生辺りからコメントを頂かないと判らない。ただ、緑少なくもっと殺伐とした風景を想像していたのだが、割合と緑があることは一つの発見だった。10時3分、ラサ空港に着陸。8分には飛行機を降り、屋外を手荷物受取所へ。体感気温は迪慶と同様20度程度。ただ、日光が直接肌にぶつかってくるような感じがする。15分には到着ロビーに出て、その後バスに乗車。さすが海抜3,800mだけあって、ちょっと動くと心拍が早くなるのが判る。それと、大笑後に頭がクラッとするのと同様の感覚があった。10時27分、バスに乗車してチベット人ガイドからチベットで歓迎の意を示す白い布を首にかけてもらい、高山病予防の案内を受ける。空港からラサ市内までは約80km、およそ1時間。11時40分に西蔵賓館の駐車場にバスが駐まったので、ここで昼食かと思ったら、門を出てその脇の食堂で昼食。チベット料理ならぬ中華料理が、チベットの第1食だった。12時20分頃に再びバスに乗り、宿泊する雅魯荘布大酒店には12時40分に到着。できたて、というかまだ未完成の最新のホテルである。今日は、高地に身体を慣らすことが優先されるので、基本的な行動予定は夕食を残すのみである。一旦部屋に入って荷ほどきをしたら、未開封のビニール包装品などがパンパンに膨れていた。チベットでの状態平地での状態気圧がかなり下がっていることを実感。部屋には高山病になったときのために、酸素発生器もおいてあったが、これはフロントで500元のカードを買って使うものだということ。もちろん、一旦買ったカードの払い戻しはきかない。ちなみに………高山病予防のためには、 1.激しく動かない。 2.酒は飲まない。 3.タバコも喫まない。ということだそうだが、飲酒のできない小生は2はともかく、3はむしろ試してみようという精神の元、ロビーに降りて一服。危険は承知だが、試した理由もそれなりにある。第1は、実際に身体にどのような変化が現れるのかを知りたかったこと。第2は、肺活量が身体に対して多いので、身体上さほどの影響は出ないと思われたこと。もちろん、低地のようにスパスパと喫むことは、さすがに避けたが(笑)。ちなみに、1は空港で荷物を運ぶことで経験してしまった。一服している度学生が来たので、一緒にちょっと外に出てみた。ただ、高地のためか天気が非常に変りやすく、今し方まで晴れていたと思ったら、小雨が降出したので、やむなくホテルに戻った。そしてしばらくしてから部屋に戻り、窓から外を眺めると、雨はすでに上がって虹が架かっていた。それから2時間ほど昼寝。18時頃目を覚まし、18時50分には1階ロビーに集合。バスに乗って、別のホテルまで夕食を摂りに行く。到着は19時10分、終わって再びバスに乗ったのが20時5分。15分にはホテルに戻って、団長室で明日の行動について打合わせ。明日、ポタラ宮の参観があるのだが、参観希望の箇所をリストアップ。(実際には所定のルートがあってそれ以上参観できなかった)で、団長「ダラダラしないで、スタスタと歩けばなんとかなるだろう」と言うので、小生慌てて「先生、ここではダラダラでなければなりません!」と言ったら、「そうかぁ、ではダラダラとやりましょう」と方針決定。21時30分に帰室して、22時30分に就寝。チベットの夜は………長い! ~~~~~【今日の色】(「和色大辞典」による)常盤色(ときわいろ):#007b43/R:0 G:123 B:67/H:153 S:100 B:48【今日の背景色】(「和色大辞典」による)空五倍子色(うつぶしいろ):#9d896c/R:157 G:137 B:108/H:36 S:31 B:62
2006.08.26
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遠離顛倒夢想究竟涅槃 玄奘訳『摩訶般若波羅蜜多心経』「地蔵寺経幢」に記された般若心経日本では「遠離一切顛倒夢想」だが、中国では「遠離顛倒夢想」なのだそうだ。確かに、そう刻まれている(見づらいですが、3行目)。6時30分のモーニングコールで、中国の第一夜は明けた。洗面して、施灸(笑)。同室は昨年も参加した還暦前の僧侶で、気兼ねなく施灸できる。朝食を摂るべき1階ロビーへの集合は7時30分だが、ホテルの内外を見るべくちょっと早めに部屋を出る。 ここは新しいホテルだそうで、外観・内装共に綺麗なホテルである。ロビーなどは内部は重厚さを出すために、あえて濃い色の内装・調度品と、間接照明を主としていて、ちょっと薄暗い。外に出てみると、ちょっと涼しめだった。昆明は別名「春城」とも呼ばれるそうで、一年中温暖でかつ暑くなりすぎないのが特徴だそうだ。今日の予想気温も、日中最高は25度、まぁ過ごしやすいだろう。ひょいと見ると、玄関脇で太極拳をしている3人の女性。服装が小綺麗なところを見ると、ホテルの演舞兼宿泊客の体験用のようである。 7時30分に大方の団員が揃って(一部学生はちょっと?遅れる)、ロビー脇の西餐庁にてフリースタイルの朝食。8時過ぎに一旦部屋に戻って、8時30分に再度ロビーに集合。バスに乗って、いよいよ参観開始である。まずは10分ほどのところにある円通寺というお寺。昆明の老若男女の信仰を集めている大寺である。風水研究の関係から、方位や地形環境を観察、メモ。この寺は珍しいことに、総門が高いところにあって、境内地が低くなっている。写真では見づらいが、手前の門の奥に日本の楼門のような門があり、これを「天王殿」と言って日本の禅寺の三門の原型になっているのだが、その天王殿の内側が境内の中心部になる。ちなみに、天王殿は日本の三門とは違って、堂の中央に厨子があり、正面(入口方向)に布袋、その背面(境内方向)に韋駄天を祠るのが通例である。写真で奥の方がちょっと狭くなっているのは、その厨子が天王殿の中央にデンッ!とあることによる。さらに周囲を眺めると、ちょっとした丘で囲われているから、江西派風水で言う「蔵風得水」の地に立地していることが判る。中軸線もものの見事に歪んでいるし、交通・経済の関係から見ても江西派の影響は間違いないだろう。天王殿をくぐると境内は広々。ここで、いろいろと参観(小生は風水調査!)をした後、9時40分頃にバスに乗り、次の目的地である曇華寺へ。曇華寺には10時に到着。ここは、現在、寺としての機能はなく「曇華寺公園」として一種の史跡公園になっている。従って、小生の調査はすでにできないので、公園をブラブラ。裏手に回ると………赤提灯が見えた(笑)。「酒」と記してあるそれから言っても、まさに「赤提灯」である(爆)。10時40分頃に再びバスに乗り、昆明の著名な景勝地である石林へ。高速を通って、到着したのが12時10分頃。ここの地趾(地名)は「路南(lunan)」というが、漢字は音写である。この一帯は少数民族のイ族の支族のサン族の居住域で、そのサン族の言葉で「lunan」とは「黒い山」を意味する。ただし、石林は石灰質の地形(カルスト)なので、黒というよりは濃い灰色に近い。まずは、昼食。そして、石林公園を散策したのだが、一種庭園風に整備されすぎていて違和感があり、また自然の迫力が失われてしまっている。奇岩による奇勝はそれなりに楽しめるのだが、迫力のなさがなんとも味気ない。やはり、このような景色は自然や生活の中に溶込んでいるのが、一番の迫力であるし、しっくりくる。14時30分頃にバスに乗り、再び昆明市内へ。16時5分頃、昆明市街地中央南部の東寺塔・西寺塔に到着。両塔ともその主たる寺はすでなくなっていて、塔だけがポツリと建っているのだが、その間は歴史風景を模した観光商店街になっていて、それなりに楽しめる。雲南は茶の交易で大いに経済的な利益を上げたところだが、その故、その交易路を「茶馬古道」と言い、これが観光の一つの目玉になっている。その茶馬古道の様子を示した銅像などもあるのだが………あれれ?、ちょっと違うのが混じっているゾ(笑)。土産物屋の店先には椰子の実の豚があったり、茶葉を固めて作った見事な衝立があったり。そんなものを眺めながらバスに戻ったのが16時35分。今日の最後の参観場所である、昆明市博物館には45分に到着。この博物館は、この地域が「大理国」(937~1253)によって治められていた時代に建てられた地蔵寺経幢を保護すべく、その周囲に建てられたもので、メインはこの経幢にある。ここで、中国人のT先生から日本では「般若心経」に「遠離一切顛倒夢想」という一句があるが、中国ではこの箇所は「遠離顛倒夢想」となっていて、一般に通行している「般若心経」の原訳である玄奘訳でもそうなっていることを教えてもらった。経幢には「般若心経」が刻まれているので確かめてみると、確かに「遠離顛倒夢想」となっている。日本で「一切」が入っている理由はどこにあるのか、これは帰ってからちょっと調べてみようかねェ。その他、出土品などを見て回ったが、どうやら2階で特別展の準備か何かをしているらしく、ドンドンガンガン、とにかくうるさかった。17時35分に博物館を後にし、バスで今日の夕食どころ「中玉大酒店」にむかう。17時50分頃に到着し、夕食。18時55分には早くも終わってバスに乗り、ホテルに帰着したのが19時25分。明朝は4時30分のモーニングコールなので、22時30分には早くも就寝と相成った。 ~~~~~【今日の色】(「和色大辞典」による)灰青(はいあお):#c0c6c9/R:192 G:198 B:201/H:200 S:4 B:79【今日の背景色】(「和色大辞典」による)深緑(ふかみどり):#00552e/R:0 G:85 B:46/H:152 S:100 B:33
2006.08.25
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明日の汽笛が君にも 聞こえるだろう汗ばむ 夢の切符を 握りしめろ年老いた大地を 思いきり蹴って星たちの彼方へ さあ飛び立て ゴダイゴ「テイキング・オフ」(詞:奈良橋陽子 & 山川啓介)成田・広州間のANAのチケットいまは「切符を握りしめてはいけない」と、学生諸君に十分注意!なんたって、磁気テープが改札のカギなんだからねぇ(苦笑)。5時45分起床。目覚ましが6時になっていたので、若干早い目覚めである。6時10分頃に1階まで下りて(部屋は11階)朝食を摂り、一旦部屋に戻って、チェックアウトしたのが7時10分頃。7時20分発のホテルバスで空港まで。今日は曇っていて、空が沈み込んでくるようである。朝7時台の成田空港周辺は相変わらずの混みようだが、今年はそれでもひどい渋滞に捕まらずに検問を通過して、第1ターミナルに到着したのが7時40分。中に入って、南ウィングを南に行くと、先着の団長(K大教授)と馴染みの添乗員J氏、そしてK大の職員と学生数名がHカウンター付近で待っていた。当初の集合予定はJカウンター前だったのだが、「どうせここを通るのだから」と実際に手荷物を預けるJカウンター付近に移動したらしい。到着次第、手荷物を預けるとのことで、早速搭乗券を受取りカウンターへ。行きの荷物は16.5kg、トランクの内容は半分しかないが、帰りはどれだけになるのやら…ちょっと遅れた学生もあって9時に手荷物検査場へ。小生の並んだところは、係員の若い女性がトロトロしていてちょっと時間がかかった。終わって、階段を下りて3階にて出国手続。そのまま第5サテライトの54番搭乗口まで適宜向かうことになったので、すぐそばのDFSで免税タバコ1カートンを仕入れる。そして、搭乗口付近の喫煙所で一服。今年の愛煙者は、小生を含め5人。団長は昨年帰国後、何度目かの禁煙中(笑)だそうで、今回は無煙組である。喫煙所で、面白い道具を発見。タバコの点火具だが、自動車のシガーソケットをそのまま応用したもの。使い方も同様に、取っ手を押込んで電熱で熱せられると、自動的に取っ手がポン!と上がってくる。ちょっと遊んで、一服した後、搭乗口へ。9時40分に搭乗開始。今回の往路は、全日空NH923便である。9時50分に出発し、10時15分に離陸。安定飛行に移って、早速、座席前の画面を操作すべく、コントローラーなどをいじくるが無反応。フライトアテンダントにその旨を伝えると「そんなはずはありません!」との返事。普通だったら「お客様、大変申し訳ございません…」となるはずなのだがねぇ。。。それでも、処置はしてくれたのだが「15分ほどそのままでお待ち下さい」と言ったきり、そのまま「お使い下さい」の一言は最後までなかった(このフライトアテンダント、最後まで客あしらいはあまり上手くはなかった!)機内食は11時30分頃。まだ日本上空で食べられるとは、国際線ならではである。今回、珍しくビールを注文。飲めない体質のはずなのだが、ちょっと冒険(笑)。以下、中国時間(日本時間-1時間)。13時14分、広東省の広州白雲空港に着陸。ボーディングブリッジに接続したのは21分。26分に飛行機を降りて、ながーい通路を通って、まずは衛生検査。問診票を提出してゲートを通ると、ゲート前のカメラが額の体温を測定して、異常を検知した場合には別室行き、となっている。幸いに、小生は平熱が低いこともあって、無事通過。それから入国審査を経て、手荷物を受取り、到着ロビーに出たのは13時45分。これから国内線カウンターに移動して、再度搭乗手続ということになる。移動中、昨年、まだ未完成だったターミナルビルがほぼ完成していることに気付いて、昨年の記憶と照合。天井からは世界各国の国旗が吊下げられていて、なかなか華やかである。ここで、小生、ある携帯電話の広告にウケてしまった。ポスターの白地のところに「白友」というような感じで記してあるそれである。この「友」に見える字は、よく見てみると判る通り、上部に点が二つ付いていて「友」ではない。実は「発」の簡体字なのだが、同時に「髪」の簡体字としても使われている。本来、このポスターは「薄発」で薄型携帯電話のものなのだが、ちょっとひねると「薄髪」とも受け取れる(笑)。学生に冗談半分で「『薄髪』だぁ!」って言ったら、半分真面目に捉えてしまったので、慌てて訂正(苦笑)。そんな道中(本当に「道中」と言うほど長い!)を経て、中央ビル3階の国内線カウンターに着くと、昨日広州入りしていた名古屋組のY先生とその教え子(とは言っても還暦の元刑事さん)のS氏が待っていた。ここで、再び手荷物を預けて2階へ下り、14時5分に一旦解散。再集合は16時40分、今度のフライトは17時50分の予定である。で、そのフライトの状況を確認しようと掲示場に行ってみると、画面にウィンドウズのエラー表示。それをそのままに表示しているところが、いかにも中国らしい(と言ったら、ちょっと失礼かな?)まぁ、後はなす事もなくブラブラと時を過ごし、16時40分に予定通り集合。再び4階に上り、手荷物検査を受け、ながーい通路を通って搭乗口まで。ここから、昆明まで飛ぶ中国南方航空CZ34899便に搭乗したのは17時20分。出発は定刻より少々早く17時44分で、離陸は55分。簡単な機内食を食べた後は、外を眺めつつも読書。本日の目的地である雲南省は昆明空港に着陸したのは19時50分。移転前の広州空港や香港空港と同様に、街中にある空港である。荷受けし、到着ロビーに出たのが20時10分。ここでさらに、木曜日にいつも顔を合わせているK大教員で中国人のT先生と院生のO氏とを待って、合流したところで今回の全団員、総勢22名がようやく揃った。もう一人、これも馴染みの中国側全線同行ガイドのC氏もここで合流。20時35分頃に貸切バスで空港を出発し、20時55分頃金龍飯店なるホテルの1階で夕食。22時頃再びバスに乗って、本日から2泊の宿である翠湖賓館には22時15分頃到着。団長命令で、皆が部屋に入り、トランクなどが部屋に届いた後、事務局費(現地使用一括経費)を徴収に各部屋を廻った。ちなみに、小生、今回の団での肩書は「顧問」で、名簿順位はなんと3位。団員に学生や大学職員が多いこともあって、バランスを取るためにヒラの団員ではない扱いにしてあるようだ。でも、若手で、参加回数も団長・Y先生を除いて最多ということもあり、またここ数年、事務局費徴収役をしていることから、今回も団長直々の指名での徴収役である。事務局費は団長以下、全員平等に1万円(もちろん、添乗員は除く)。これで、食事の際のビール代や、1日1本のミネラルウォーター、あるいは全団員に配布する現地入手の資料などを購入する。それにしても………取立に廻る小生は「顧問」というより「虎門」と言うべきか(苦笑)。徴収が終わって、団長室に届け、帰室して、風呂に入り、就寝したのは23時30分のことであった。ああ、そうそう、お灸も忘れずに何ヵ所か(笑…焼かな?)。 ~~~~~【今日の色】(「和色大辞典」による)白(しろ):#ffffff/R:255 G:255 B:255/H:0 S:0 B:100【今日の背景色】(「和色大辞典」による)紺碧(こんぺき):#007bbb/R:0 G:100 B:73/H:201 S:100 B:73
2006.08.24
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夢の中をさまようように夜をよぎり追いかけて 夜間飛行 中森明菜「北ウィング」(詞:康珍化)夜の北ウィング第1ターミナルに久々の活気。いや、懐かしいねぇ。 ~~~~~いよいよ本日より恒例の中国調査。とは言っても、明日の集合が早いことと、久々に復活の成田空港第1ターミナルの探検、そして年に一度のスイミングの機会の3要件のために、本日は成田の定宿に前泊。この調査団(実際には「仏教史蹟参観訪中団」と名乗っている)、小生が最初に参加した1994年の時にはそれこそ第1ターミナルの北ウィングからキャセイ航空で出発だったのだが、それを最後に以後は第2ターミナルからの出発ばかり。今回、12年ぶりに第1ターミナルからの出発である。さて、上記3要件の内、後半2要件+不足品の補充をすべく、自宅を12時10分と少々早めに出発。まずは横浜まで出て、そごうで不足品の購入。そして、13時30分の成田エキスプレス25号にて終点の成田空港(第1ターミナル)へ。早昼を食べたものの、少々小腹の空いていた小生は車内販売を待っていたのだが、乗っていた9号車に来たのは千葉を過ぎてからの14時35分頃。ちょっと来るのが遅かったので食料の購入を諦め、「これでは、誰も何も買わないって!」と思いつつ、車販の過ぎゆくのを眺めていたら、直ぐに見慣れた佐倉を通過。成田空港には14時57分到着。検問を通過して、ターミナルビルに入ってみると、随分と様子が違っている。改装したから、とにかく綺麗である。早速探検開始。まずは4階の出発ロビーに上がって、米国線の混雑状況と第1ターミナルの外観を眺めることにした。フムフム、4階まで一気に上るエスカレーターはないのだな?各階乗換で、一々小回りしなければならないのが、ちょっと面倒である。で、出発ロビーに上がって、新装開店の南ウィングの一番南端まで行き北ウィングを眺めると、南ウィングは出発ロビーも拡張されていることもあって、北ウィングより随分と飛出た感じがする。内部は、カウンター周囲の柵が撤廃されたこともあって、以前に比べて随分と開放感がある。そういえば、第1ターミナルって、以前は手荷物検査場が階下にあって、階上から出国手続を終えた人達が出てくるのを眺められるようになっていたけれども、改装して手荷物検査場が4階になったのだねぇ。薬師丸ひろ子が「探偵物語」のラストで、第1ターミナルのエスカレーターを降りていったシーンのような「エスカレーターを降りながら、振る手が最後まで見える」という出国の情景はもう見られないのだなぁ。米国線のカウンターは、イギリスでのテロ未遂による検査の強化から激しい混雑を呈していた。手続の列が2重3重になっていて、並び始めてから40分はかかるように見受けられた。そんな様子を眺め、ついでに所持のカードのカウンターなど寄りながらブラブラしていると、向こうから見たような顔が近づいてくる。どうやら家族連れのようだが、その中の若い女性も小生のことを眺めつつ過ぎていった………と思ったら、やにわに寄ってきて「星の話をしていた○○先生ですか?」と訊ねてきたから、やっぱり今年のK女子大の教え子だと当方も理解。毎回、成田で出発しようとするときや、海外に出た後、誰かと会うのだが、今回は教え子だった。彼女はこれから、家族でタイに行くのだという。後期の履修は決めていないそうだが、「もし後期の開始が遅れていたら、僕はチベットでアワアワな状態になっていると理解して!」と冗談半分で話しておいた。彼女、講義中やその前後は随分とおとなしかったが、ここではよく喋ったねぇ(笑)。そういえば………成績、どのように付けたっけ?その後は北ウィングに行ったけれども、手荷物検査場が階上になった以外は、こちらはあまり変化無し。16時10分に1階に下りて、ホテルバスを待つ間、さらに外観を眺める。16時25分にバスに乗って第2ターミナルを経由して、ホテルへ。チェックイン後、早速1年ぶりにプールで泳いだ。21時を過ぎてからプールに来ると、ほぼ独占状態なのだが、今日の行動予定を組立ててみると日中に泳ぐことになった(この時間は、子供が多くてちょっと泳ぎ足りなくなる)。結局30分ほど泳いだだけで部屋に戻った。不在の間に、亡父が係わっていた研究懇談会の会合があるので、そこで読上げてもらう原稿が未完成のままであることもあって、その後は部屋で原稿作成。とは言っても、出掛け間際までパソコンで打っていて、NEXの中でも続きをやっていて、大分出来上がっており、明朝、出発までにFAXすればよいのだが「夕食までには間があるし、ちょうどいい時間かもしれない」と始めたら、いつの間にか19時過ぎ。夕食を第1ターミナルで摂ることにしていたので、フロントでFAXしてもらい、そのままホテルバスで第1ターミナルへ。20時過ぎに到着してみると、ほとんどの飲食店が終了していて(国際空港にしては、ちょっと早すぎゃしませんかい?)、辛うじて開いていた中華の店へ。(ちなみに…、明日からの行先は中国!)マーボー豆腐定食を食べて、ターミナルビル内のローソンでタバコと飲料などを購入して、再びホテルバスで戻ったのが21時20分。荷物のチェックをして、目覚ましを3個(備付けの時計、腕時計、携帯)、6時にセットして就寝したのが23時30分。寝坊すると………朝食抜きである。。。 ~~~~~【今日の色】(「洋色大辞典」による)ミッドナイトブルー(midnight blue):#001e43/R:0 G:30 B:67/H:213 S:100 B:26
2006.08.23
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いよいよ明日から(とは言っても、明日は成田で前泊だが)中国調査。荷造りも最高潮!………と言いたいところだが、ちょっと足首の様子が心許ない。そこで、10時30分から鍼灸医へ。戻ってきて、トランクに荷物詰め。ここのところ、年に一度しか海外に出ないので、なにをどのように準備すべきかの感覚が随分と失われている。衣類は一昨日用意したのでよし。フィルムはほとんど使わないが、5本ほど。デジカメのバッテリー用の充電器は、持参することにしよう。ポケットティッシュは大量に。ついでに、ウェットティッシュも大量に………一昨日購入。………あとは?そうそう、ワイヤーハンガーに風呂敷。傘も忘れちゃいけないねぇ。あっと、充電器用の変換プラグがない!これは買わなくては………明日、NEXに乗る前に、横浜で買うことにしよう。そうそう、大事な大事な軍資金。中国の人民元は昨年の残額がそこそこあるが、ちょいと引出してこなければ。それと、お菓子v(^^)v500円なんてケチなこと言わないで(笑)、もちょっと買ってこよう。それから………インスタントコーヒーも忘れずに入れておかなければね。あと、お風呂セットと洗面具と、水着。なんたって、明日は年に一度泳げる日だからねぇ(苦笑)。よし、こんなものか。………という状態で、16時頃にバタバタと街中に買物に出掛けて、荷造りの続きをして、ホテル宛にトランクの発送をすべく、18時00分頃に車でクロネコヤマトまで。………出掛けて数分後、車の中でメモを書き書き(笑)まずは「せんねん灸」(私の足首と共にホテルを燻してやる!)。そして、タバコ。あーっ! ブルゾンを入れるのを忘れた!今回は、広州(広東省)から昆明(雲南省)そして拉薩(西蔵自治区)の3箇所がメインで、チベットは標高3,800mほどのところだから、この時期でも寒さ対策が必要なのにぃ!仕方がない、カメラバッグは満杯になりそうだから、これらは手提げ袋で持っていくか。。。あとは、忘れ物はないだろうなぁ? ~~~~~というわけで、明日より9月1日まで更新ができません。次にお目にかかるのは、9月2日の予定です。それまで、皆様お達者で(^_^)ノ""""
2006.08.22
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今日こそは………正規の当番日(笑)。で、お茶の水の研究所へ行ってきた。来週の月曜日に研究所の主催で鎌倉で講演会をすることになっているのだが、案内の発送やホームページなどでの公表が8月に入ってからだったので、事前申込みはすこぶる少ない。今日は、FAXが1件とキャンセルの電話が1本あっただけ。準備も、担当の主事から一切指示が出ていないので、誰が行くのか、なにをどのように荷造りするのか、当日の手順など一切不明。「おらー、知らんぞー」と思いつつ、何事もない平穏な勤務は17時に終わった。
2006.08.21
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23日から、毎年恒例の中国調査。というわけで、今日はその準備。その傍らで、細君が久々の布団干し。なんたって、ここ数日、日中は天気が良いものの、毎晩雨が降っていたから、布団干しができなかったのである。で、干してから1時間ほど経った頃………時刻は11時30分頃に急に空が暗くなった。「降りそうだなぁ」と小生が思って、布団をしまうべく、布団に手をかけたまさにその瞬間!ポツリ、ときた。「こりゃ、急いでしまわなければ」と思うその間に、徐々に雨が降始めたので、怒濤のように布団を寝室に投込んで、撤収完了。寝室に小生が入ると「ザァーッ」ときた。まさに危機一髪。雨はしばらくしたら上がったものの、ふたたび干せる状態ではなく、そのまま寝室に拡げた状態だった。ちょっと、雨に濡れちゃったからねぇ。午後は衣類の調整。今回は暑いところと涼しいところに行くので、夏服と秋服を準備しなければならない。しかも、連泊が前半にあるので、その際のランドリーサーヴィスのことも踏まえて、パズルのように衣類の組合せを考えて、必要量+予備1着を準備。その他の携行品としてはフィルムがある。ただし、昨年までならフィルムが大量に必要だったが、今年からはデジカメを中心にするのでさほど必要ではない。もっとも、飛行機から外を写す時と、いざというときに備えて、フィルムカメラも1台持っていくので、5本程度は準備していくことにした。あとは………特に準備するものはないかなぁ?出発前、半分しか詰まっていないトランクを見て、毎年「準備不足はないか?」と不安になるのである。
2006.08.20
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今日は小宅の施餓鬼と亡父の祥月命日の供養。9時過ぎにまずは施餓鬼を行ない、引続き亡父の供養。七回忌は昨年やったので、今年は8度目の命日となる。弟の細君と息子は愛媛の細君の実家に行っているので、今日は母と小生夫婦、姉の一家(颱風3個付き)と弟の、大人6人子供3人での供養となった。10時前に終わって、墓に向かう。戻ってきたのが11時10分。これから、皆で横浜中華街に食事である。7月に引続き、悪友IKを通してI家御用達の四五六菜館の予約をしておいたのだが、その時刻が13時。小宅を11時50分に出れば間に合うのだが、どこにどう動くか判らない颱風が3個もあるので(苦笑)、ちょっと早めに11時40分に出発し、48分の京急で横浜に向かう。横浜で根岸線に乗換えて、石川町に到着したのが12時35分。時間は十分にあるが、そのまま店に向かい、12時50分頃には着いてしまった。店ではすぐに案内されて、個室へ。その後、適当に注文をして、たらふく食べて、店を出たのが13時50分頃。普通、こういう予約は2時間の枠のような気もするが、なんたって颱風が騒々しいので早めの退散となったのである(苦笑)。帰路はみなとみらい線で横浜まで出て、京急で新逗子まで。京急の横浜駅は7月22日から下りホームが新設されたのだが、今回、初めて使用した。ちょっと、狭い感じがする。15時頃に帰宅した後、姉一家はしばらく休憩。これから、愛知の自宅まで東名を通って帰って行くのである。姉夫婦と颱風が去ったのは18時頃。19時過ぎには小宅は夕食となったが、昼にたらふく中華を食べたので、軽くお茶漬サラサラで済んでしまった。これで、盆の行事は、一通り終わった。
2006.08.19
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今日は一日、明日の小宅の施餓鬼と亡父の祥月命日の供養の準備。小宅は普通の家だが、亡父が一通り寺院用の仏具を揃えて、禅宗寺院の如く山号寺号を付けているから、未承認(=私称)の寺院でもある。きちんとした寺院(=宗教法人として登記されている)ならば、宗教法人法に従って、責任役員を置いたり、寺院規則(法人設立規則)などを備えなければならないが、未承認だからそのようなものを備える必要もない。それと同時に、檀家もない。ただし、亡父や小生が葬儀をしたり、縁があって戒名を付けたりしている場合があるので、それらについては小宅で供養する必要がある。そのようなことから、亡父が若干のものを霊簿に記していたのだが、未記入のものもあったり、親族の戒名が入ったりしていないので、明日の施餓鬼に合わせて、一通り整理することにした。で、その作業にほぼ1日かかったが、取敢ず仮霊簿をパソコンで作成。もちろん、ちゃんとしたものは、時間ができたときに筆で書改めることにしている。夕食後、何日か遅くはなったが玄関前で送り火。その後、小生は塔婆書き。さて、明日、9時からの施餓鬼と亡父の供養、ちょっと時間に追われながらだけれども、上手くいくかしらん?
2006.08.18
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さあ眠りなさい 疲れきった体を投げ出して青いそのまぶたを 唇でそっとふさぎましょう 岩崎宏美「聖母(マドンナ)たちのララバイ」(詞:山川啓介)聖橋で行なわれた2時間ドラマの撮影風景いや~、いきなり目の前を駆抜けるんだもの!ビックリしたぁ! ~~~~~九州には本物の颱風が近づき、小宅には小型で強い勢力の颱風が停滞(笑)。記憶の限りじゃ、今日はお茶の水の研究所の夏期出勤の当番日に当っていたので、颱風から逃れるように出勤。我が財団は今年度は8月2週から9月1週までが夏期勤務になっていて、月・木のみ事務局が開室されて、通常の当番日にかかわらず独自の出勤シフトが組まれるのである。10時過ぎに到着して、予定表を見てみると………なんと、今日は別人の当番日で、小生は来週の月曜日!「なーんだ」と思いつつも、科研費の処理のため当番日以外に一度は出勤しなければならなかったので、今日はその処理をすることにした。11時過ぎに、正規の当番者が出勤してきたので、昼食後に銀行へ行く旨を伝えて、15日締の科研費の処理。で、13ちょっと前に事務局を出て、聖橋に差し掛かろうとしたらロケ車が数台停まっていて、歩道にはロケ椅子などが並んでいる。「なんのロケかな?」と思っていたら「ちょっと通行を御遠慮下さい」の声が掛かり、聖橋から数人の男が駈けてきた。で、小生の目の前で駈け終わったが、そこにいたのは的場浩司。「あら、ナマ的場だわ」と、もちっと眺めていたかったが(的場浩司は好きな俳優である)、お盆明けの銀行がどれだけ混んでいるか不安だった小生は、そのまま九段下の銀行へ。研究所から2キロほど、歩いて20分程度の道程である。幸いに、銀行はさほど混んでおらず、各研究代表者所定の口座への振込を済ませた後、ふたたび聖橋に掛かろうとすると、今度はどうやら橋の下でロケーションをしているらしい。で、今度はちょっと覗いてみた。的場浩司が、チンピラ風の2人組を追いかけるシーンの撮影らしく、何度か聖橋脇の階段を駆下りてリハーサルをした後、本番。リハーサルの的場浩司はワイシャツ姿で、本番はスーツ姿。どうやら、刑事の役らしい。 的場浩司は本番のギリギリまで、アクションの身の動きを練習していた。で、ちょっと彼方を見遣ると、そこに船越英一郎の姿があった。「2時間ドラマの帝王」船越栄一郎がいるってことは、これは2時間ドラマの撮影だねぇ。その船越栄一郎は的場浩司の本番が終わると、近づいていってチンピラ役の若手俳優に声をかけたり、的場浩司と話をしたり。それにしても、二人ともテレビで見るよりも背丈があるように見えたなぁ。およそ15分ほどロケの様子をながめて、的場浩司の本番が終わってから、小生は今度は秋葉原のヨドバシカメラに行き、ちょっとした買物をして、研究所に戻ったのが14時30分頃。炎天下、都合5キロ半ほど歩き回ったことになる。研究所の仕事は16時過ぎには終わって、当番者より一足先に帰路についた。帰宅は18時30分頃。棚経と違って、ほとんど一気に5キロ半ほど歩いたので、足首が大分痛んでしまった。捻挫の後遺症は、一進一退である。 ~~~~~【今日の色】(「洋色大辞典」による)チャコールグレイ(charcoal gray):#4e454a/R:78 G:69 B:74/H:327 S:11 B:31
2006.08.17
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昨日、S寺からの帰りがけに「今から帰るよ~」と自宅に電話したときのこと。電話に出た細君が「怒らないでね」と前置きをして、「コーヒーメーカー壊しちゃった」と詫びてきた。怒りませんよぉ!そりゃ、新しいのを買ういい口実だもの(笑)………というわけで、細君の夏休みがちょうど今日までなので、午後から細君とコーヒーメーカーを買いに上大岡のヨドバシカメラへ。………と、その前に、23日から(とは言っても、23日は成田に泊るのだが)今度は中国に出掛けるので、成田エクスプレスの切符を購入しに駅まで。昼過ぎに「えきねっと」の会員登録をした上で、早速予約して、駅まで受取りに行った。戻ってきて14時過ぎに、今度は細君と上大岡に出発。今まで使っていたコーヒーメーカーは、サンヨー製で、コーヒーの他にお茶まで入れられる優れもの。同一機種はなかったが、ちょっと大型な後継機種があったのでそちらを購入。ちなみに、これまで使っていたものは、結婚半年前に1ヶ月半ほど自宅で自炊していたときに買ったもの。ほぼ5年前の機種である。その後、細君と地下の麻布茶寮でお茶をして飲んで、17時過ぎに帰宅。帰ってくると、2週間前に捻挫した足首の様子がちょっとおかしかったので、18時頃に鍼へ行って、帰ってきたのが19時過ぎ。本当だったら、今日帰ってくるはずだったのだから、1日トクした気分である。コーヒーメーカーを使ってみたら、今までマグカップ2杯半しか入れられなかったものが、3杯ちょっと入れられるようになった。こちらもトクした気分である。 ~~~~~夜分、5月以来のトリプル颱風襲来!19日まで、停滞する(速度:ゆっくり 笑)
2006.08.16
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あたまを雲の上に出し四方の山を見おろしてかみなりさまを下にきくふじは日本一の山 文部省唱歌「ふじの山」(詞:巌谷小波)東名高速上り富士川サービスエリアから見た富士山頭を雲の中に入れて、富士山はこれからお盆休みかねぇ?「富士川楽座」は帰宅ラッシュでえらい人混みだったけれども。。。 ~~~~~今日は昨日のし残しの棚経をして、帰宅の予定。棚経は9時からでいいということだったので、8時25分頃にチェックアウトをし、S寺に到着したのが8時50分。寺で略装の法衣に着替えて、快晴の中、9時10分に棚経に出発。10時過ぎまで数件廻ったが、結局、昨日不在だった1軒だけ棚経があって、他はどうやら別の和尚が廻った地区に含まれていたらしい。寺に戻った後、帰宅の準備をして、出発したのは11時45分。途中、寺の近くにある古墳に寄って、掛川から東名に乗ったのが12時30分頃。帰宅ラッシュで渋滞を覚悟していたものの富士川SAまでスイスイと流れていた。この帰路では、行きがけに入れたガソリンが足りなくなるのが判っていたが、富士インターの辺りでタンクのランプが点灯。一旦、富士川SAに寄ることにしたが、SAのスタンドはかなり混雑していたし、小生が会員になっている石油会社のものでなかったので給油は止めて、単にSAで休憩することに。富士川SAは「富士川楽座」という施設があっていろいろと楽しめるそうだが、いつも寄るときには夜で営業終了後なので、今日は寄ってみようかというのが、もう一つの目的だったが、帰宅ラッシュで自分時でもあったので大混雑!土産のうなぎパイを買っただけに終わってしまった。小腹も減っていたので焼きそばを買って、車内で食べて出発。富士・沼津間は事故渋滞が若干あったが、SAを出る頃にはほとんど解消されていた。さて、小生も車も(小生は、ちょっとはつなぎをしておいたが 笑)空腹のままでは帰宅できないので、沼津で東名を下りて空腹の解消をすることにした。沼津を出たのは14時過ぎ。インターの近くにメンバーのGSがあれば、給油後ふたたび東名に乗ろうとも思ったのだが、残念ながら廃業していたので、国道1号線へ出て三島から熱海に出て帰ることにした。その途中、ロイヤルホストとメンバーのGSが並ぶようにしてあったので、14時30分頃まずはロイホで小生の腹を満たし、ついでGSで車の腹を満たして15時10分頃ふたたび帰路についた。熱海通過が16時頃、湯河原からは混んでいる真鶴道路を避けて、裏道を通って西湘バイパスの早川口まで。同バイパスとつなぎの国道1号線はスイスイ行ったものの、大磯で本線と合流する段になって大渋滞。そこで、脇道に入ったらこちらも渋滞していて………帰宅したのは18時30分頃。それでも、予定時刻が20時過ぎだったので、早く辿り着いたと言えるかな?斯くして、掛川の盆の仕事は予定より1日早く終わったのであった。 ~~~~~【今日の色】(「洋色大辞典」による)シグナルレッド(signal red):#e8383d/R:232 G:56 B:61/H:358 S:75 B:91
2006.08.15
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鈴なりの花を摘み吹く風に夏を知るおだやかに ああおだやかに今ぼんやり遠くをながめてる 原由子「花咲く旅路」(詞:桑田佳祐)棚経中に見掛けた花良い天気に恵まれた、田園地域の棚経。暑いが、景色も楽しめる。 ~~~~~今日はS寺の周辺の棚経。ホテルからS寺までは約25分。棚経は8時過ぎから廻らないと、夕方までには終わらない。………ということで、6時起床、7時過ぎに朝食。ホテルを出たのが7時25分で、S寺に到着したのが7時50分。寺で略装の法衣に着替えて、快晴の中、8時10分に棚経に出発。まずは、寺の隣の家から。午前中に20軒廻ったが、最後の2軒前の家で「近所(但し、小生担当地域外)に戻ってきた娘の婚家から、棚経にまだ来ていない」という苦情があった。寺で、事実確認をしてから善後策を採ることで了解してもらい、残りの2軒を済ませて12時頃に寺に戻った。寺で事実確認をしてみると、別の和尚が数日前に廻ったところだったが、最近戻ってきたことからリストに抜けていたらしい。そこで、小生が今日の担当分を済ませた後、夕方に行くことにして一件落着。その手当を済ませてから、汗を流して昼食。そして着替えて、13時前に再び棚経に出発。ちなみに、掛川辺りでは(…というか「遠州では」かな?)お盆の霊膳としておはぎを供える習慣があるらしい。で、「折角作ったのだから」と寺にも差入れしてくれる檀家があって、今日の昼食はおはぎ。甘味大好き、餡もの大好きな小生としては、粒餡たっぷりのおはぎは大好物である(笑)。今日、寺で昼食を摂るのは、奥さんと小生の2人だけだが、おはぎは2人では食べきれない量がある。小生、ニコニコして頬張ること6個(正しくは…ニコニコニコ、ですね ;^^ゞ)午後に36軒廻って、都合56軒。S寺に戻ったのが17時30分。予定通りの時刻に終わった。………ここで、予想外の出来事。小生の担当地域が急に増えて、しかも今日中に廻らなければならないそうだ。昨年、別の和尚が廻っていたところなのだが、もともとは小生の担当地域を担当する者が廻るところらしい。小生が今日廻ったところは、寺から離れても300mほどの地域で各家が隣り合ったところだったので歩いて廻ったのだが、今度はちょっと離れた地域でしかも各家同士も離れているところなので、急遽、檀家が車を出して一緒に廻ってくれることになった。そこで、18時頃出発し、まずはリストから漏れた家に向かう。それから、急遽増えた地区を20軒ほど廻って、S寺に戻ったのは20時15分頃。不在が1軒あったり、ちょっと不明な家があったので、それは明日に廻すことで奥さんに了解を取り、今日の棚経は終了。20時35分頃に寺を出て、途中のCoco'sで夕食。ホテルに戻ったのは22時頃だった。 ~~~~~【今日の色】(「洋色大辞典」による)マリーゴールド(marigold):#f39800/R:243 G:152 B:0/H:38 S:100 B:95
2006.08.14
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昨晩はS寺に泊まり、今日は2回目の施餓鬼。6時に起床し、朝食。6時30分には手伝いの檀家がやってきて、受付の設営など準備。小生は7時過ぎに、湯河原の師匠を迎えに掛川駅まで。S寺に戻ったのは8時前。8時30分には、法要に参列(我が宗門では「随喜」と言う)する和尚方も集まり、小生も法衣に着替える。檀家も大分集って、広い本堂は目一杯の状態。開始直前に随喜の和尚の人数を見ると小生の加わる余地はないので、小生は随喜を諦めて法要が始まってからすぐに作務衣に着替えた。法要が終わったのは9時50分頃。しばらく経ってから片付。その間、先住の一番弟子と法類(本師が兄弟弟子であるなど、あたかも親族血縁のような関係にある僧侶の間柄)として初めてきちんと話をしたりした。なんたって、先住の遷化以来、バタバタしてまともに話す機会などなかったのである。で、S寺の跡継の話などについて、法類としてどのようにしていくべきかをいろいろと話した。その後、昼頃に一番弟子は一旦自分の寺に帰っていった。さて、湯河原の師匠は小田原に用事があるので、13時過ぎに掛川駅まで送って行ったが、新幹線の最寄の南口は車が混雑していたので、そこで降ろしてすぐに寺に戻った。今日は、15時30分から初盆まわりを7軒しなければならないので、15時20分頃まで片付の手伝いをし、急いで着替えて出発。初盆は、まず屋外に設けられた精霊棚(盆棚)に初盆の位牌や香炉などを置いて、精霊迎えをした後、屋内の初盆の盆棚(通夜飾りに似た盛大な飾付け!)に位牌や香炉を移して供養。読経中に参列者が線香を立てていくのだが、丹念に拝んでいくので時間がかかる。それを見越してお経を選択したり、読経の速さを調整するのだが………なかなか上手くいかないねぇ(苦笑)。なんたって、「終わった」と思ったら、まだ隠れたところから出て来たりして、慌ててお経を追加!しかも、他に廻るところへの時間も逼迫!時間と競争しながらの、初盆まわりであった。終わって寺に戻ったのは19時45分。手伝いの檀家の話では、住職が亡くなって寺に残った奥さんが、高齢のこともあるが、やはり他人が泊っていると気疲れするということを話していたし、小生もネットが繋らなくて持込んだ仕事の処理に支障をきたしていたので、小生側の事情だけを話して了解を取り、今夜からホテルに泊ることにした。ただし、何泊予約すればいいのかが判らない???小生は昨夏同様16日まで居る心づもりでいたのだが、どうやら昨夏2日かけて棚経で廻った内、2日目の分についてはすでに別の和尚が廻っていたらしい。事前に何も知らされていないので、どこを廻るかは昨年同様だと思っていたのだが………いずれにせよ、なにがあるか判らないので、取敢ず一昨日兄ちゃんと泊ったホテルを2泊のみ予約。幸い、1部屋だけ空いていた(^o^)夕食は、寺で施餓鬼に出席した檀家に配った寿司(のり巻きと稲荷)の残りを食べて終り。その後、明日廻る檀家の確認と、その後の予定の調整など。S寺を出発したのは21時頃。同30分頃にホテルにチェックイン。メールチェックや、持込んだ仕事、そして昨日投稿できなかった一昨日と昨日の日記を投稿。明日は寺の近所の檀家、約60軒の棚経が待っている。
2006.08.13
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山のあなたの空遠く「幸」住むと人のいふ カール=ブッセ(訳:上田敏)「山のあなた」静岡県森町のJ院山の彼方の彼方、携帯のつながらないところにその寺はあった。 ~~~~~掛川の3日目。前夜、東名掛川インター近くのホテルで1泊して、今朝はゆっくりと朝食を摂って10時に出発し、S寺に向かった。S寺の予定では今日は空きの日なのだが、D院の留守番が住職をしている森町のJ院に、説教に行くことになっている。ただし、説教は13時からなので、十分に時間があるのだ。兄ちゃんはちょっと駅周辺に用事があったので、駅のところで降ろして、小生は10時30分頃にS寺に到着。前夜、夕食の時に兄ちゃんから、小生が住職をしている寺の檀家総代がちょっと前に亡くなったことを聞いたので、S寺で事実確認をした。前にも書いたが、小生の住職寺院は、組織としての寺は残っているが、建物としての寺はすでにない。で、法要などは全てS寺でやっていて、しかもS寺の住職が亡くなってしまったものだから、みんな小生の住職寺の檀家総代であるということを失念していて(ちなみに兄ちゃんも、名前は知っていたが、小生の住職寺の総代だとは知らなかった)、その後の法的な手続が発生することなど忘れていた(苦笑)。そこで、今夏のことや、手続のことなど遺族を含めて話している間に、11時50になった。S寺からJ院へは、車でおおよそ30分。だから12時20分には、出発しなければならない。すでに出前のカツ丼を頼んであったので、それをそそくさと頂き、12時15分にはS寺を出発。12時40分には到着した。施餓鬼が13時30分からということで、およそ20分の説教。前夜のホテルでは、15日にメールで送信しなければならない仕事をしていたので、ちょっと事前準備が足りなかったが、なんとか20分で話をした。13時40分にはJ院を辞去したのだが、ちょっと事情があってすぐにS寺には帰れなかったので、D院へ行き時間つぶし。その後、森町で小宅(鱸家)が懇意にしている茶屋があるので挨拶に行き、14時50分頃S寺に戻った。後は明日廻る初盆の家や、14・15の両日で棚経廻りをする家の確認や、そのほかS寺のゴチャゴチャした仕事などして夕刻。その間、雷が鳴り始めたが、16時過ぎに戻って来た兄ちゃんの話だと、神奈川あたりは相当の雨だということだった。新幹線だか、東海道線だかが2時間止まったと聞いたけれども。。。16時45分頃、17時前に野球少年などが30名ほど、引率の大人7・8人に連れられてやってきて、本堂の前を通過ぎて、墓地のとある墓の前に集まっていた。関係ある先生でも亡くなっているのだろう。それにしても、この少年達、和尚が何人もいるのに挨拶のひとつもしない。引率の大人からして、挨拶をしていかない。よく感じることだが、体育系の連中は「礼儀」ということをしばしば口にするが、その割にはきちんと身についていないことが多い。彼等の言う「礼儀」というのは、身内(部や先輩後輩)や関係者(競技連盟や大会関係者)のみに対するものであって、社会一般に対するものではないらしい。寺に行ったら本尊に挨拶、そこに僧侶が居たら僧侶に挨拶、というのが社会的な礼儀だろう。ちょっと腹が立ったが、よその寺のこともあるので我慢をしておいた。夕食は18時頃。その後、ゴチャゴチャと仕事。外では雲間に雷電が光り、その下では掛川の(?)花火大会をしていて、雲間でビカビカ!、大輪の花が開いてドーン!と、随分賑やかな夜であった。明日は、また9時からS寺の施餓鬼。21時頃、携帯に細君から電話があったと思ったら、それに被って湯河原の師匠から電話。昨日、一度湯河原に帰った師匠は、明朝7時35分に新幹線で掛川に到着するということなので、それを迎えに行くことになった。ちなみにS寺、PHSの通信圏外のようで、パソコンにワイヤレス・ウェブカードを挿入しても、通信できない。こりゃ、明日・明後日は再びホテルに泊まらなければならないかなぁ。。。 ~~~~~【今日の色】(「和色大辞典」による)深緑(ふかみどり):#00552e/R:0 G:85 B:46/H:152 S:100 B:33
2006.08.12
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おおつか~かどま~ん 「角満」のCM掛川は秋葉通りの「たこまん」の看板謎の物体「たこまん」。果たして、正体はイカに?(だからぁ、「タコ」だってばぁ!) ~~~~~掛川の2日目。前夜掛川駅近くのホテルで1泊して、今朝は朝食を摂らずに6時30分に出発し、S寺に向かった。施餓鬼は9時からだが、準備などがあるので早めに到着するためである。途中のコンビニでおにぎりなどを買って、7時頃S寺に到着。施餓鬼は予定通り9時からで、今日はその後4月に亡くなった先住の初盆の法要をしたのだが、小生は湯河原の師匠の指示によって裏方をしていたので、法要に参列はしなかった。いつもは8人程度の僧侶しか集まらないのだが、今日は先住の初盆をするので倍の僧侶が来ていた。10時30分頃に法要は終って、後片付け。但し、13日にもう一度施餓鬼があるので、大方はそのままである。11時過ぎに早めの昼食を摂ってバタバタやっているうちに、湯河原の師匠が帰る時刻になったので、車で掛川駅まで送っていった。13時過ぎにS寺を出て、車で約20分。13時25分に掛川駅に着いて、13時40分のこだまに乗る師匠を送り、その帰路、いつも疑問に思っていたものを購入。その名は「たこまん」。S寺に行くときに看板をながめながら、「おおつか~、かどま~ん」と小さい頃によくテレビで流れていた、大塚の結婚式場のCMが頭をかすめるのだが(「たこまん」と「かどまん」、よく似てるでしょ? 笑)、「一体、『たこまん』とはなんぞや?」と気になっていた。で、寄って、買うことにしたのだが………、その前に、「たこまん」屋の駐車場の入口にあった、別の店の看板がちょっと気になった。一体、この食堂は何を食べさせるのだろう???それはさておき、「たこまん」。買ってみた!外見は、こんな感じ。正体は、こう! 要するに、こしあんの入ったカステラ饅頭だったのだ。で、シンボルマークは蛸、だけれども漢字では「多幸満」で「たこまん」。。。………うーむ、紛らわしい(笑)今日、本当なら、湯河原の師匠のお兄ちゃん(通称「兄ちゃん」)と小生の2人は、S寺に泊まることになっていたのだが、夕刻、D院の留守番の勧めもあって、2人共に東名掛川インターすぐ近くのホテルに泊まることになった。17時40分頃にS寺を出発し、ホテルに到着したのが18時10分頃。ほぼ隣接して「ルート・イン」と「バジェット・イン」といった似たような名前のホテルが2軒あり、最初間違えて別のホテルへ(さぁて、どちらでしょうか? 苦笑)。その後、予約したもう一つのホテルに入り、チェックイン。19時過ぎに兄ちゃんと夕食を摂りに外出。あれこれ寄ってみたが混んでいて、Coco'sが空いていたので入ったのだが、水が出てくるまで10分近く、注文してから食事が出てくるまで20分近く待たされた。近くの席には、小生などが入る前に帰った客の残滓がずーっと残っていて、気分が悪かった。帰りに、薬屋によって、ちょっとした薬と飲料そして夜食を購入。ホテルに帰ったのは20時40分頃。作業をしながらうたた寝してしまい、目覚めたのは1時。それから風呂に入って、再び作業して、2時40分頃に就寝。明日は、D院の留守番が住職をしているJ院に、説教に行くことになっている。(急に決めないで、事前に連絡をくれぃ!) ~~~~~【今日の色】(「和色大辞典」による)紅赤(べにあか):#d9333f/R:217 G:51 B:63/H:356 S:76 B:85
2006.08.11
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掛川袋井中泉いつしかあとに早なりてさかまき来る天龍の川瀬の波に雪ぞちる 「鉄道唱歌」(詞:大和田建樹)掛川はS寺の鶏頭掛川にやって参りました。 ~~~~~今日から、掛川でお盆の手伝い。修理に出したカーナビは昨日戻ってきたので、今日はすんなりと出られる………はずだったのだが、ゴチャゴチャとしていたので、結局11時40分頃に出発と相成った。行きがけに、なじみの鎌倉のセルフスタンドで給油&洗車&タイヤの点検をして、湘南海岸を西へ。いつもの通り茅ヶ崎市内に入る頃から渋滞が始まり、湘南大橋の手前1.5kmほどのところでほとんど動かなくなってしまったので、脇道に入り、さらに相模川沿いを北上して国道1号線まで出て、相模川を渡り、花水川の手前で海岸沿いに再び出た。この少し先から、西湘バイパス(有料道路)のバイパス(有料道路手前の自動車専用道路。ただし無料区間)を通り、二宮(大磯と二宮の町境)で下りて再び国道1号線に乗り、二宮交差点から秦野中井線を北上して、秦野中井インターから東名に乗ったのが14時頃。トイレに行きたいのを我慢して東名に乗ったので、15分後には足柄サービスエリアでまず休憩。それから西にひた走り、15時40分頃、牧ノ原のサービスエリアで遅い昼食を摂り、掛川の寺に着いたのが16時30分頃。昨年は湯河原の師匠を掛川駅まで迎えに寄ったのだが、今年は大阪から来るというのでそのまま寺に向かった。この日は、寺へ到着すればいいので、その後、師匠と森町のD寺の留守番の和尚と、湯河原の師匠が声をかけたのでやってきた、S寺の和尚の葬儀の手伝いに来ていた尼僧と4人で掛川の街に出て食事。D寺の留守番を除いた3人は、街のホテルに今日は泊まることになっている。で、片付いたはずのS寺の後継住職の話がまだきちんとしていないことを知らされて、あれこれと説得されてしまった。。。例の尼僧が、何も判っていないのにあれこれというので、小生などちょっと腹が立ったので(師匠もD寺の留守番も腹を立てていたようだ)、尼僧の方はあまり向かないようにしていた。それにしても、後継住職の件、困ったなぁ。。。 ~~~~~【今日の色】(「和色大辞典」による)黄枯茶(きがらちゃ):#765c47/R:118 G:92 B:71/H:27 S:39 B:46
2006.08.10
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朝っぱら、颱風は、近場にいたらしい。昨夜からの強い雨が降ったり、止んだり。今日は、11時に亡父のゼミ生で出家の弟子が来ることになっている。まどろっこしい言い方をしたのには理由がある。すでに何回かここでも書いているが、我が宗門の師弟の関係には少なくとも3種類がある。その第1が、出家の師弟の関係。つまり、仏門にはいることへの結縁(けちえん)を付けた師匠がそこでできる。この師匠を「授業師(じゅごうし)」という。仏門にはいるということの業(ごう)を授けた師匠というわけだ。第2が修行の師弟の関係。勝れた和尚の下には、何人もの修行僧(雲水)が集るが、その修行僧の中で、最も優れた者(「首座(しゅそ)」)との間に結ばれる師弟関係である。この師匠を「法幢師(ほうとうし)」という。「法幢」とは修行道場を示す旗のことで、その旗の主たる師匠というわけだ。第3が法(=教え)の師弟の関係。つまり、思想の師匠がここでできる。この師匠を「本師(ほんし)」という。本師という名称に示されるように、最終的に師弟の関係はこの本師と法弟(ほうてい)との関係を指すことになる。我が宗門で僧侶が亡くなった際、「遺弟(ゆいてい)」つまり一般の遺族に当る弟子はこの本師の関係を結んだ者に限られる。今日来た弟子は、だから遺弟ではない。ただし宗門の諸手続では出家者が住職資格の取得をするまでは、授業師がその全責任を負うことになっているので、その取得以前に授業師が遷化してしまった場合には「師僧替え」(=授業師の変更)をしなければならない。その手続に、やってきたのだ。僧侶の籍を「僧籍(そうせき)」というが、これは師匠の住職寺院に置かれる。亡父の場合は、チョビッとだけ(しかも、亡父の知らない間に!)明日から行く掛川の寺(つまり、小生の住職寺の本寺)になっているのだが、そこの住職に手続を頼まなければならない。亡父が生きていれば、亡父が責任者として手続すればいいので面倒はないのだが。。。しかも、4月末に住職が亡くなっているので、どのように手続をすればいいのかよく判らない。まぁ、書類を預かって、複雑な事情を話しながら、新住職(誰だろうねぇ?)に手続してもらうしかないねぇ。 ~~~~~午前中降っていた雨は、昼過ぎには上がって、若干、綺麗な夕陽が見えていた。颱風は………いつの間にか、速度を速めて東方海上に行っちゃったみたいだねぇ。弟子氏が帰宅した後、カーナビの修理が上がってこないので、ディーラーに電話。どうやらメーカーでの修理は終わったものの、発送が遅れているらしい。で、修理依頼のときに「10日から必要」ということを伝えておいたことを確認の上、善処を依頼。そうしたら、メーカーまで取りにいってくれたようだ。17時過ぎ、明日持っていく土産などを買いに市内に出たが、その間、17時35分頃に車のディーラーから自宅に電話があったらしい。切れた直後に、小生は帰宅。すぐにディーラーに電話すると、修理品到着とのことだったので、早速ディーラーに向かい、カーナビの装着をしてもらった。これで、明日からの仕事がなんとかなる(^o^)
2006.08.09
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一日、自室の片付。で、その合間にかなり欠落していたブログの補完やら、プライベートの収支簿の整理など。それと、10日から掛川に行くため、去年の日記を参考に出掛ける時刻などを勘案。ところで、修理に出したカーナビがまだ戻ってこない。10日から出掛けるので、それまでには間に合わせて欲しいと、修理に出す際に言っているのだが。。。もひとつ、颱風7号、10日の0時に千葉あたりだと予報されているけれども、大丈夫かなぁ? ~~~~~昨晩、頻りに雷が光っていたが、今朝の1時30分頃から大粒の雨が降りしきった。夕刻、雨が上がって、夕焼けが綺麗だったねぇ。とても颱風が近場にいるとは思えない夕方だった。
2006.08.08
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昨日から探している原稿の依頼状、今日も一日大探し。そうすると………いろいろと、失せたものが出てくる出てくる!出てきたら………今度は再び失せさせないように、まずはそれから整理する。あぁ、振込忘れの会費の振込票も出てきたぁ!………と、慌てて振込にも行き、夕刻、墓参。さてさて、本来の目標物は、どこへ消えているのだろう?
2006.08.07
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昨晩、3時45分には就寝したものの、今朝は7時前には起床。細君が、内緒でちょこっと病院に出掛けるので、それに合わせてのことである。この「ちょこっと」、遅い朝食前には帰宅することになっている。 ~~~~~さて、今日は61回目の原爆記念日である。昨年のブログにも書いたとおり、小生の母は広島で被爆し、祖母は亡くなっている。つまり、小生自身も間接的に被爆者となっている(卵原細胞は胎児の内に形成され、その数約200万個)わけである。所以に、原爆記念日に思うことはいろいろとある。今年の広島の原爆記念日は、日曜日。追悼式典の全国中継は毎年のようにNHKだけが行なっていた。もっとも、平日にかかっているときには、ちょうどニュースショーの時間帯だから、黙祷の時間近辺で各局共に中継を入れるのだが。。。ここで、腹が立つことがある!たとえば、テレビ朝日。朝日のあり方は「正義主義」だと小生は見ているが(よく「左」とされているが、それはちょっと違う気がする。。。)、その正義主義の上に立って、反戦・反核を高らかに番組で謳い、さらには終戦記念日近くになると「植民地主義に立った侵略を繰返して、無謀な戦争に突入させた(天皇制)政府」は悪の権化のようないい方をして、これを現政権批判にまでつなげることを毎年のように繰返す。原爆投下の原因ですら、この路線の上で政府批判につなげてしまい、とにかく「悪いものは悪い」ということだけで他の議論を圧殺しようとする傾向が、小生などには感じられて仕方がない。そのくらい「正義」が大好きなテレビ朝日が、なんで追悼式典の時間帯に子供向けヒーロー番組を流しているのかねぇ?「正義」でもって原爆や戦争、そしてそれを行なった者を断罪するのならば、こういう追悼の式典こそきちんと中継すべきではないのだろうか?主張をきちんと形にしないで「正義」の主張ばかりするのは、その主張が本気ではないからとしか思えない。朝日は「正義主義」であると共に「『正義』と『平和』と『市民』に媚びる」というのが、小生の以前からの感想だが、本気ならば8月6日や9日、15日の番組編成くらいもう少し考えるべきだろう。その点、同じように「『正義』と『平和』と『市民』に媚びる」存在として嫌いな司会者に関口宏がいる。サンデーモーニングでは、たびたび戦争報道を通じて安っぽい反戦思想を出演者に語らせてもいるが、今朝は追悼式典の中継があったのだろうか?少なくとも、黙祷の前後に中継はなかったのだが。。。いずれにせよ、パフォーマンスも「媚び」も止めてもらいたい!、と強く思うものである。
2006.08.06
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ああああ・・・・ 神様 お願いだ ザ・テンプターズ「神様お願い」(詞:松崎由治)網戸に貼付いたカミキリムシ世の中にゃ、いろんな「かみ」がありまして(^o^) ~~~~~原稿の依頼状がどこかへ行ってしまった( ・_・;)探さなくては………!という状態で、一日、部屋の片付&失物探し。………なんだけれどもちょっと昼寝(苦笑)。夕刻、カミさんが「笑点」を見始めたので、捜し物&片付を中断し、小生も見る。で、結局見付からず。夜分、バタバタと網戸にぶつかるものがあったので、なにかと思ったら本体体長6cmほどのカミキリムシだった。でかかったねぇ。網戸をガリガリやられるのではないかと心配したが、若干ガリガリして諦めたようだ。ストロボにも動じないカミキリムシだった。(あまり、腹からの写真っていうのはないよねぇ…笑)それにしても、我が大事な「かみ」はどこに行ったのだろう??? ~~~~~【今日の色】(「和色大辞典」による)路考茶(ろこうちゃ):#8c7042/R:140 G:112 B:66/H:37 S:52 B:55
2006.08.06
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Believe Again心の中を新しい風で満たしたいよ 浅香唯「Believe Again」(詞:麻生圭子)羽田空港に着陸する直前の全日空機渋滞も、それなりに楽しみ方がありまして。。。時間とトイレさえ襲ってこなければ! ~~~~~我が大事な檀那おつけものの盆供養をすることになっている。約束は13時に小宅に来宅ということになっていたのだが、いつもの通りならば予定時刻プラス1時間で14時頃だろう………とタカをくくっていた。ところがギッチョンチョン(うわぁ、古い響き…笑)、なんとしたことか、今日は12時50分に来宅!ちょっと、客間で涼んでもらってから、墓経へ。以前にも記したが、おつけものは別の宗派の寺の檀家だから、墓経もこっそりその寺に行ってやる。で、終わって、一旦、小宅に戻って、車で鎌ヶ谷のおつけもの宅へ。ところで、今日は5のつく日………ということはコーヒーが20%引きということで、行きがけにそごう横浜店に寄って、コーヒー豆を購入。実は、今日が、今月唯一のチャンスなのである。15日はお盆で掛川に行っているし、25日は中国に行っている。名残のコーヒーを購入後、昼食をまだ摂っていないおつけものの昼食探し。そごうの10階はあまり気乗りしなかったようなので、みなとみらいのロイホへ向かったが………なんと閉店していた!そこで、ランドマークに行って「横濱文明開館」なる店で昼食。おつけものはカツ丼で、小生は天丼。「大したことないだろう」と思って入ったのだが、適度な甘さの天丼のたれが効いていて、なかなかよい味だった。刺激物の摂取を中断している小生、この時点で限定的に解除して久々のコーヒーを飲む。みなとみらいを出発したのは17時30分過ぎ。これから、首都高で渋滞が待っているはずなのだが、カーナビを修理に出したままなので渋滞情報が掴めない。とにかく乗って、湾岸線を走り、羽田空港を過ぎたところで恒例の大井料金所手前の渋滞。いつもより進み具合はいいようだったけれども、およそ4キロを1時間近くかかった。傍らを見ると、空港に着陸しようとする旅客機がいくつも見える。中にはアシアナ航空もあったなぁ。チャーターかなぁ?(今調べたら、定期便が運行されているのだねぇ。。。)スーッと通過ぎるとなかなか見られないものが見られるのが、渋滞の特徴だと割切っている小生は、幸いトイレの心配もなく(笑)、渋滞を楽しむことにした。渋滞を抜けて、西船から鎌ヶ谷に抜ける途中のヨークマートでお供え物を買って、おつけもの宅到着は、20時頃。それから法衣に着替えて、仏壇供養。さらに恒例のカラオケに行き、およそ3時間、野郎二人であれこれと歌った。浅香唯の「Believe Again」、かわいく歌えなかったねぇ(苦笑)。0時を過ぎてからカラオケ店を後にし、デニーズで軽く喫茶して(もちろん、甘味付き!)、帰宅の途に着いたのが1時30分頃。帰宅は3時15分、トイレにせかされての状態だった(苦笑)。それにしても………今日のタイトル、なんだろうねぇ?(爆) ~~~~~【今日の色】(「和色大辞典」による)瑠璃紺(るりこん):#19448e/R:25 G:68 B:142/H:218 S:82 B:56
2006.08.05
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朝っぱらから、捻挫の検査のために近くの整形外科へ。ほとんど治っちゃいるのだけれども、10日から掛川でお盆の1週間が待っているので、念のため検査。結果は、骨には異常がないということなので、一安心。………午前中はこれで潰れた。。。。。午後は、ちょっと部屋の片付け。なんたって、沢山、どこかへ消えたものがあるので、探出さなければならない。。。そして、一日が終わる。。。
2006.08.04
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昨日捻挫した右足首は、まだちょっと違和感があるものの、処置が早かったせいか、外出するにはなんとか耐えられそうである。ということで、7時過ぎに自宅を出てA大まで。念のために、サポーターを右足首にして、である。ラッシュの電車に乗るのは、ちょっと恐かったのだが、成績提出の締切を過ぎてしまったこともあるし、A大の帰路に研究所に行く用事もできたので、早めの出発。ラッシュは、夏休みに入っているせいか、思ったほどのこともなく、なんとか無事にA大に到着。実はラッシュと共に恐かったのが、駅からA大までの道程である。ここは、コミュニティバスが走ってはいるものの、タイミングが合わないと乗る機会に恵まれず、往路は結局15分ほど歩いていくことになった。成績を提出して、帰路はちょっと足が不安だったので、ちょうどやってきたコミュニティーバスに乗り駅まで。そこからお茶の水まで約40分。11時前には研究所に到着し、いくつか溜まった事務仕事。ラッシュを避けるべく、17時前には帰路に就いた。逗子に着いたのは18時20分頃。まだまだ空は明るかった。いや~、東京での仕事を終えて、明るい内に帰宅できるなんて、珍しいねぇ。嬉しくなっちゃう。これが冬場だったら………まっ暗なんだけれどもねぇ(笑)。
2006.08.03
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今日はA大の成績の締切日。こちらはK女子大と違って紛らわしい指示もなく、きちんと締切に合わせて提出できるよう、成績付けが完了した。さて、出掛けに、自宅のコピー機で採点表のコピーをとって、とりおわって、右足を挙げた瞬間、右足を捻挫した(*_*;;僕は、右足を上げただけなんだけれどもなぁ???(もっとも、3ヶ月前くらいから右足首に違和感があったのだが。。。)それでも、なんとかA大まで行こうと試みたものの、とても駅まで歩いていける状態ではなく、ましてや駅の階段を上り下りできる状態でもない。急遽、車で行くことも試みたのだが、ブレーキペダルを踏込むのに不安な点がある。仕方なく、A大に詫びを入れて明日持っていくことにした。で、捻挫の方は応急処置をした後、近所の鍼灸医を探すことにした。昨年の今時期にかかっていたやはり近所の鍼灸医は、ちょっと宗教がかっていたのが鼻についたし、効き方が緩かったので行く気にならず、新規開拓と相成ったのである。取敢ず見付けたところに予約を入れ、17時にそこに行き治療してもらい、ある程度症状は回復した。ちなみに、その鍼灸医の先生は、患者の希望に合わせていろいろとしてくれるということで、運動鍼も希望によってしてくれるとのことだったので、しばらく通ってみることにした。さて、明日はどうしてもA大に行かなければならないが、足は大丈夫だろうか???
2006.08.02
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ほぼ徹夜でK女子大の試験の採点と、成績処理をして………完了したのが14時。昨日提出するはずだった4年生の成績は、朝っぱらにK女子大にお詫びの電話かたがた指示をしてもらい、午前中にFAXで仮に提出し、正本を午後に持参することで決着は付いた。母は、11時には横浜の病院に出掛けてしまい、昼食抜きで成績処理を終了させた。で、14時過ぎに車で出発しようとしたら、ガソリンがギリギリ。途中で給油しようかとも思ったのだが、提出締切の関係もあって給油を断念。運を天に任せて、K女子大に向かった。到着は16時15分。提出して、すぐに帰路につく。昼食抜きはちょっと堪えていたのだが、ガソリンがギリギリの状態で、あまりエンジンの停止・起動をしたくはない………なんだけれども、空腹には耐えられず、17時頃、途中のセブンイレブンによって、パン1個で遅い昼食を済ませた。ちなみに、タンクの残量警告ランプは、往路ですでに点灯。自宅からK女子大まではほぼ50キロの道程だが、到着手前3キロの地点で点灯した。車のマニュアルでは、残量8リットルほどで点灯するということだから「たぶん大丈夫」だとは思ってはいるものの、やっぱりおっかなびっくり。ポイントものに弱い、いじましい小生としては、自宅近辺の馴染みのスタンドで給油をすればポイントがたまるので、できるだけ馴染みのスタンドで給油したい。。。ということで、とにかくいつも以上に経済走行であった。結局、ガソリンは、馴染みのスタンドまで保ってくれて、無事に給油。………5円も小売価格が上がっていたことにビックリ。ちなみに、今回の燃費を計算するとリッター11キロだった。いつもより、ちょっと経済走行だったことになる。
2006.08.01
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