本日も日下周辺の銀輪散歩でありました。
一昨日(20日)に立ち寄ったパンドラの丘から北西に500mほど坂を下った処に在るのが旧河澄家である。河澄家は、南北朝時代の日下連河澄与市大戸清正にまで溯る旧家にて、江戸時代には代々日下村の庄屋を務めたという家柄だそうな。1998年に河澄家から寄贈を受けた東大阪市が市指定文化財として整備保存を続けていたが、2011年5月より一般に公開されることとなったもの。
与謝野晶子らと共に活躍した明星派の歌人、 石上露子
の母親の杉山ナミは、この河澄家19代当主、河澄雄次郎の娘であったのでした。このことを知ったのも、先日の田◎氏から頂戴したパンフレットの記載からでありましたので、この処の記事は同氏のお陰とも言うべきものであります(笑)。
石上露子(本名、杉山タカ)については以前富田林市寺内町を銀輪散歩した際に記事にしていますので、その関連で言うと今回の銀輪散歩は露子の母方の祖父母の家への訪問ということになります。
<参考> 富田林寺内町
2008年7月9日
「ゆふちどり」
ゆきずりのわが小板橋
しらしらとひと枝のうばら
いづこより流れか寄りし。
君まつと踏みし夕に
いひしらず沁みて匂ひき。
今はとて思ひ痛みて
君が名も夢も捨てむと
なげきつつ夕わたれば、
あゝうばら、あともとどめず、
小板橋ひとりゆらめく。
(「明星」1907年12月号収載)
主屋西側に付随して建てられた数寄屋風書院造りの建物で、棲鶴楼と呼ばれている。現在の建物は天保6年(1835年)の改築であるが、前身の建物は慶安年間(1648年~1651年)に大坂西町奉行の曽我丹波守古佑 (ひさすけ)
が隠居するために作らせたと伝えられている。
寛政10年(1798年)日下村に隠棲していた上田秋成(雨月物語の作者)は河澄家15代当主と親交があり、河内、摂津の文人、歌人、俳人が多く此処棲鶴楼に集い、文芸サロンの如き様相を呈していたそうな。
庭園にあるカヤの巨木は樹齢500年、「日下のかや」と名付けられて、東大阪市の天然記念物に指定されている。
<参考>旧河澄家 開館時間:午前9時30分~午後4時30分
休 館 日 :月曜日(祝日の場合はその翌日)
祝日の翌日・年末年始
見学無料
電話・FAX 072-981-1640
日下江
の 入り江の
蓮
花蓮
身の盛り人
羨
しきろかも
(日下の入り江に咲いている蓮の花のように、今が一生の盛り
の若い人が羨ましいことです。)
この歌碑は、旧河澄家から西へ坂道を少し下った処にある。
古事記の雄略記に出て来る引田部赤猪子の歌である。
以前にもこの歌に関連する話は掲載したので、詳細は下記の参考記事をご参照戴くこととし、説明は省略させて戴きます。
<参考> 銀輪万葉・藤井寺界隈(続)
2009.11.23.
更に下って行き、少し南に入ると、日下公園の下に紅梅が咲き匂っていました。日下公園は以前に「鯨が泳ぎよる」公園としてご紹介済みです(笑)。
<参考> 「♪潮吹く魚が泳ぎよる~」
2009.5.1.
更に下り、東高野街道に出る一つ手前の道に日下貝塚の碑がある。大森貝塚ほどではないが、日下貝塚も結構有名な貝塚なのである。この碑の裏の路地を行った処にあるが、今日は立ち寄らずです。
何やら後頭部の偏頭痛が酷くなって来ました。もう限界。記事はここまでとします(笑)。
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