本日は大和三山銀輪散歩。大和三山は何年か前に友人と八木駅を起点に耳成山から順に登ったことがあるが、今回はこれを自転車で回ってみようというもの。午前11時半橿原神宮前駅に降り立つ。
先ず、畝傍山から登る。
香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくなる
らし いにしへも しかなれこそ うつせみも つまを 争ふらしき
(天智天皇 万葉集巻1-13)
説明板は「畝傍を愛しと」としているが、「ををし」を「雄々し」と解する説もある。「を愛し」なら畝傍は女性、妻を廻る男の争いとなるが、「雄々し」だと畝傍は男性、夫を廻る女の争いということになる。万葉では妻も夫も「つま」と訓むから「つま争い」も両義がある。
西を見やると、金剛・葛城の山。この山裾を銀輪散歩したことも思い出される。 <参考> 当麻寺から五条市まで( その1) ( その2) ( その3)
下山し、そろそろ昼食と思うが 、それらしき店も見当たらぬまま、本薬師寺まで来てしまう。 (「 磐余銀輪散歩別巻・本薬師寺趾 」参照)
昼食はお預け。香久山に登ることとする。その前に奈良文化財研究所 (参照:「 古池から奈良文化財研究所まで 」) に立ち寄る。此処は入館無料。藤原京の発掘品などを展示している。隣の哭澤の杜 (参照:「 哭澤の杜から藤原宮趾まで 」) にも立ち寄る。
正式名は 天香山坐櫛真智命神社 。
(香久山山頂・国常立神社)
頂上に祀られているのは
クニトコタチノミコト (右)
とタカオカミ
(左)。
下山後は、醍醐池から耳成山へと向かう。途中で遅い昼食。耳成山公園到着は14時55分。
池の前に万葉歌碑があるが、これは下記に掲載しているので省略。古今集の歌碑の方を掲載して置く。
<参考>「 醍醐池から耳成山公園まで
」
みゝなしの 山のくちなし 得てし
哉
おもひの色の したぞめにせむ (古今集1026)
(歌意)耳が無いという名の耳成山の、口がないという名のくちなしを手
に入れたいものだ。そうすれば私の恋の思いの「火」の色でもあ
る「緋」の色の下染めのように、心の奥にじっとしまっておこう。
山頂の直ぐ下に山口神社がある。
下山。午後3時21分。未だ早い。飛鳥川に出て今井町へ。今井町を出て神武天皇陵経由剣池と孝元天皇陵へ。
剣池は日本書紀・応神11年10月の条に「剣池、軽池、鹿垣池、厩坂池を作る。」と出て来る古い池。
みはかしを
劒
行方
なみ
わがせし時に あふべしと あひたる君を な寝そと 母 聞
せども
わが心 清隅
の池の 池の底 吾は忍びず ただに逢ふまでに
(万葉集巻13-3289)
剣池の畔には紀皇女の歌碑もある。
輕
の池の
汭廻
行き 廻
る 鴨すらに 玉藻のうへに 独
宿
なくに
(紀皇女 万葉集巻3-390)
紀皇女は天武天皇の娘。穂積皇子の同母妹である。
午後5時橿原神宮前駅到着。銀輪散歩終了です。写真を掲載し過ぎて、書いた文章の削除・再編集に苦労しました(笑)。
飛鳥川銀輪散歩(下) 2024.11.11 コメント(4)
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