昨日(23日)は大学同窓会で行っている青雲塾に参加して参りました。青雲塾というのは、同窓生などが講師となって講話をするもので、今回の講師はD君。D君は大阪大学大学院法学研究科で研究者を目指して勉強中の学生さん。目下は明治期の日露関係を研究して居られるそうな。法学部在学中に、青雲会主催の懸賞論文で2年連続して最優秀賞を獲得された優秀な学生。昨年法学部を卒業されて同窓会の仲間となったこともあって、今回、講師になって戴いたもの。
演題は「知られざる適塾出身者に迫る -西洋科学技術の先駆者・武田斐三郎と幕末維新-
」で、その業績に比して一般には余り知られていない武田斐三郎に焦点を当てて、幕末維新の時代を鳥瞰しようというもの。とても分かり易い説明で、いい勉強をさせて戴きました。
参加者は16名。講座後の懇親の会食も楽しいものでありました。幕末・維新の時代については皆さん関心が高くそれぞれにナニガシかのご意見をお持ちの方も多く話が大いに盛り上がりました。
(青雲塾・知られざる敵塾出身者に迫る)
適塾出身者というと福沢諭吉や大村益次郎などが思い浮かぶが、武田斐三郎も適塾出身者。この人物の名を知る人は少ないと思う。小生も今回初めて知りましたが、函館の五稜郭の設計者だとか、勝海舟が彼を評して「わが国科学技術の先駆者として万能の逸材であった」と言っているとか、わが国初のストーブを考案した人物などと言えば、関心も湧くのではないでしょうか。D君は「幕末のダ・ヴィンチ」と言っていましたが(笑)。
大河ドラマの八重さんの夫、新島襄も斐三郎に入門すべく函館にやって来て入門するが、折悪く斐三郎が江戸に出張中であり、教えを乞う機会もないまま、アメリカへ密航してしまうことになるのだが、斐三郎がその時函館に居て襄が斐三郎の下で勉学していたら、その後の襄の人生はどんな展開になったのか、八重さんとのことはどうなったのか、などと考えるのも面白い。
<参考> 武田斐三郎・Wikipedia
五稜郭・同左
講義に先だって、適塾などを見学して参りましたので、以下はそのご報告です。
懐徳堂は大坂の商人たちが設立した江戸時代の学校であるが、その旧趾碑が淀屋橋の日本生命ビルの南側壁面に埋め込まれるようにしてある。
<参考> 懐徳堂・Wikipedia
適塾は元来は「適々斎塾」というらしいが、緒方洪庵が自宅兼で開設した蘭学
塾である。幕末から明治にかけて活躍する人物を多数輩出したことで有名。懐徳堂と共に我が大阪大学の前身とされているから、武田斐三郎も同窓の先輩と言うべきか(笑)。
適塾建物は、1942年(昭和17年)に緒方家から大阪帝国大学に寄贈され、現在は大阪大学がこれを管理している。1980年(昭和55年)5月から一般公開されている。入場料は一般250円です。お近くにお越しの際は是非ご見学下さいませ。地下鉄淀屋橋駅下車8番出口から出て東へ徒歩5分です。
<参考> 適塾・Wikipedia
適塾-大阪大学
(説明板・写真をクリックすると大きさを変更できますので拡大
してお読み下さい。)
(ヅーフ部屋)
この部屋で、塾生たちは、一冊しかない蘭和辞書・ヅーフ辞書(長崎出島の商館長ヅーフが作成した蘭和辞書)を奪い合うようにして使い、寝る間も惜しみ予習に励んだそうな。この奥が大部屋になっているが、其処で会読などをしたのであろう。
建物の東側と西側は史蹟公園になっている。
西側の公園の奥の通路から南へ抜けると道を挟んで向かいに緒方ビルがある。このビルの入口脇に除痘館跡の説明板がある。
洪庵は適塾の裏手になる此処に除痘館を開設し、天然痘の予防接種活動を行ったのである。
(同上)<参考: 除痘館-疫学史 >
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