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2022年03月30日

危険な焼きそばの話

yakisobakiken.jpg
僕が20歳代前半の時、東京都大田区千鳥のとある病院でバイトをしていた。

昼休みは休憩室で僕らぐらいの20代3人と70代のおばちゃん3人、まるで孫とお婆ちゃんみたいな世代が一緒にお昼ご飯を食べていた時の話で、僕はカップ焼きそばにお湯を入れて3分経つのを待っていた

伊藤さん(おばちゃん)「あら、今日は焼きそばですか」

僕「はい、伊藤さんはこれ食べた事あります?」

伊藤さん「あるよ。この前孫がそれを美味しい美味しいって食べよったからそんなに美味しいって言うなら私も一回食べてみようと思ってスーパーで買って来たんよ」

僕「へぇーそうなんですね、食べてみました?」

伊藤さん「それがな、食べてみたけど全然美味しくなかったわ」

僕「あら、お口に合いませんでしたか」

伊藤さん「私の口には合わんかったなぁ。先ず味は薄いし、どこかそんなに美味しいのか全く分からなくて申し訳ないけど捨てたんよ。今の若い人達はこれが美味しいと思うかもしれんけど、私はこれが美味しいとは全く思わんかった。そもそもアンタ達と私達は味覚が違うんよ。私達ぐらいの年齢は皆そう思うんやないかなぁ?」

同僚の吉井さん(おばちゃん)「あら、ウチの息子もたまに食べて美味しいって言うからアタシも一回食べてみようと思っとったんよ。伊藤さん、そのカップ焼きそばをどうやって作るか教えてくれんやろか?」

伊藤さん「簡単よ」

?@お湯を沸かすやろ

?Aカップ焼きそばの蓋を開けるやろ

?Bかやくとソースとスパイスの袋を取り出すやろ

?Cお湯が沸いたらお湯を線まで入れるやろ

?Dかやくとソースとスパイスを入れるやろ

?E3分経ったらお湯を捨てるやろ

?Fそしたら蓋を開けて混ぜて食べるんよ


僕「(心の中で)そりゃ薄いわ」


伊藤さん「そう言えばアンタ(僕)が食べてる焼きそばは色が濃いなぁ。アタシが食べたやつと全然色が違うわ。それは新しく出たやつ?」




posted by まあ at 05:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出

2022年03月25日

マジか?僕が行ったLIVEのサプライズゲストBEST3

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3位 光GENJI


1987年12月8日(火)CHAGE and ASKA X’mas Special’87 日本武道館

「STAR LIGHT」のイントロが流れると光GENJIが登場。

会場は興奮の坩堝と化し、日本武道館の天井が吹き飛んでしまうのではないかと思うくらいの黄色い歓声が鳴り響いた。サビの「夢はFREEDOM FREEDOM」からCHAGE and ASKA2人の周りをローラースケートでぐるぐる回りながら歌う絵はなかなかのレアだった。


2位吉川晃司&大沢誉志幸

1988年1月26日(火)山下久美子 ACTRESS OUT OF THE BLUE 渋谷公会堂

布袋寅泰(G)

松井恒松(B)

ホッピー神山(Kb)

池畑潤二(Dr)

1987年12月24日のChristmas Eve、ここ渋谷公会堂でBOØWY の解散発表があった33日後に行われた山下久美子Birthday Live。バックメンバーだけでスゴいのにアンコールの「こっちをお向きよソフィア」で吉川晃司&大沢誉志幸が登場し、会場はとんでもない盛り上がりを見せた。そしてこの日から68日後の4月4日、5日東京ドームでBOØWY LASTGIGSが行われた。(僕は運よく行けました)


1位Sting

1988年11月4日(金)Eric Clapton 25th Anniversary Concert in Japan 日本武道館

Mark Knopfler(G)

Elton John(P)

Nathan East(B)

Steve Ferrone(Dr)

Alan Clark(Kb)

Ray Cooper(Per)

このLIVEは2日前に東京ドームで行われたのですが僕は追加公演の日本武道館へ。

9曲目のCan’t Find My Way Home が終わるとステージ下手(しもて)から金髪で上下黒い服に身を包んだ人が現れるとアリーナ席がざわつき始めた。

そして、その人が合掌をしてお辞儀をしたのですが僕は2階席だったのでそれが誰なのか?男性なのか女性なのかも分からなかった。会場全体がその誰かに気付くと割れんばかりの大歓声に変わった。

まさかのStingだ。

僕はMark KnopflerとStingのMoney For Nothingの共演が生で観れるとは夢にも思っていなかった。

Stingが歌い、Mark Knopflerがギターを弾きながら歌い、そのバックにEric ClaptonやElton Johnがいるとあり得ない現実を目の当たりにすると僕は「THE PRINCE’S TRUSTじゃん」と呟いた。

今思うとやっぱり夢だったのかな?(夢でもいいや)




posted by まあ at 06:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出

2022年03月19日

渚のカセット

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時は1987年、東京での生活が始まって初めての夏。

テレビからキリンレモンのCMでTUBEのサマードリームが流れていた。

この少し前、家でステレオやコンポで音楽を聴いくのが当たり前だった時代から、WALKMANやカーステレオで『音楽を外に持ち出す時代」に変わって行った。

アルバムをカセットテープに入れて聴いていた僕が、なぜか様々なアーチストの楽曲を90分のカセットテープに片面10曲ずつ合計20曲を入れてその年の夏のBGM「渚のカセット」を作るようになった。

cassetttetape.jpg

まずCDを大量にレンタルしてその年の夏を象徴する曲からスタート。

車に乗り、エンジンをかけて家を出て高速に乗り、ここで海が見えてしばらく海沿いの道路を走る、頬にあたる潮風が気持ち良い。駐車場に車を止めて砂浜に降り、座って海を眺めながら過ごして夕方家路に着く。

当時、僕は車を持ってなかったので見える景色は完全に頭と心と肌感覚である。

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それを六畳一間のアパートで目を閉じながら感じてるのだ(謎)

僕は高校生の時にバンドを組んでいてLIVEのセットリストは僕が作っていたのでここで上げて、ここで落として、後半一気に畳みかけるなどという自由自在な流れを作るのがたまらなく好きだった。

それから何年か経ち、車が持てるようになった。

今まで頭と心と肌感覚で作っていた作品を実際車で聞くようになると風、音、振動の体感がよりリアルに感じる。

車を運転しながら

「あ、ここでアップテンポがもう一曲必要だ」

「この繋ぎはいい」

「あーここでこの曲じゃない」

「なんかしっくり来ない」

「違う!」

とか。 

家に帰り曲順を入れ替える修正作業が始まる。

新しい曲を持ってきたり、今回この曲はごめんなさいしたり、どうしてもあの曲を入れたいのにCDレンタル屋さんに行ったらで借りられて無かったりしてすぐに完成しなかった年もあったけどハマった時は本当に気持ちが良かった。

「渚のカセット」を作ったら夕日の海を見ながら聴きたい「Sunset Beach」も作るようになった。

sunset2.jpg

邦楽、洋楽のバラードばかり20曲、採用の基準は夕日をイメージしてその曲を聴くと鳥肌が立つかどうかだ。

そんなことやってたなぁ・・・


いい映画には必ずいい音楽がある

映像と音楽がばっちりハマると感動する

そして夏の思い出はずっと心に残る。


posted by まあ at 07:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出

2022年03月15日

誕生日とは?

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誰にでもある誕生日。

今日は誰かの誕生日。

たんたんたんたん誕生日。

小さい頃は誕生日が近づいてくるとそわそわして、その日が来るのを指折り数えたものだ。

誕生日の日にはケーキやプレゼントでみんなから「誕生日おめでとう」とお祝いをして貰える、一年のうち誰でもが主役になれる日である。

それはこの年齢になってもじわっと来る特別な日だ。Facebookでも毎年ちゃんと教えてくれる。

自分がこの世に生を受けた日であるがもうひとつ特別な日である事にお気づきだろうか?

それは

一人の女性が母親になった日である。

そう、あなたのお母さんが命懸けであなたを産んでくれた日なのだ。

僕は長男なのでウチの母にとっても初めての出産が僕だった。

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ここ数年、僕の誕生日には母に

「今日は誕生日です、僕を産んで頂いてありがとうございます」

と言っている。

僕の誕生日の日にこの言葉を伝えると少し前までは顔を赤くして照れていたが、今年は

「そうやったかなぁ?私があんたを産んだんかなー?覚えてないわー」

と返ってきた。

来年は覚えてくれてるといいが、僕が覚えているからどっちでもいい。

僕は生涯、自分の誕生日に母にお礼を言い続けるだろう。

あなたを産んでくれたその人がいなければあなたは存在していない。


posted by まあ at 06:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出

2022年03月13日

えっ、Sam Cooke聴いてるの?

samcooke.jpg
時は昭和最後の年、たくさんの夢を抱えて東京に出て来たもののサラリーマン生活に耐えられなくなり挫折。

なんのあてもないので「an」だったか「FROM A」だったかを見ながらあるひとつの募集に目が止まった。

「ガラスの窓拭き」だ。
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あなたも街でビルの上からロッククライミングのようにガラスを拭きながら降りてくる人を一度は見たことがあるのではないだろうか?

そう、あれだ。
madofuki2.jpg

なぜガラスの窓拭きをしようと思ったのかは全く分からないが、とにかく作業時間が短いのにお給料が良かった。

研修で社員の方が「窓ガラスの無いビルは無い」と言う言葉は今でも覚えている。

渋谷の高層ビル、原宿のブティック、品川のマンションや、横浜のレストランでは窓ガラスが少しでも汚れていると綺麗な景色が半減するので店長さんが窓拭きをしている現場に立ち会い「ここが残ってる、あ、ここが残ってる」と厳しいチェックを受ける現場もあった。

夏は日差しの照り返しがキツく、冬は極寒だったが、春と秋はとても快適だった。  

僕は中学生、高校生とバンドを組み、当時はBOØWY、HOUND DOG、EARTH SHAKERなどを演奏していた影響でほとんど日本の音楽を聴いていた。

しかしある日、何故か分からないけど急に「SOUL/R&B」が聴いてみたいと言う気持ちになり近所の貸レコード屋へ。

「SOUL/R&B」コーナーでLPレコードを何枚か見てもあまり曲も名前も知らない人ばかりなのでジャケットにビビッときて手にしたのが

Sam Cooke – Live at the Harlem Square Club 1963
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家に帰ってこのレコードに針を落としたら、あまりの衝撃で僕は動けなくなった。

なんだこれは…

それからSOUL/R&Bの世界にどっぷりハマって行く事になる。

当時僕がいたガラスの窓拭きのバイトはお昼ご飯を食べるとビルの踊り場などでみんな昼寝をしていた。

いつものようにお昼ご飯を食べてWALKMANで音楽を聴きながら「さて、昼寝をしよう」と思ったら同じグループになったばかりの鈴木さんがニコニコしながら

「何聴いてるの?」と声を掛けてきたので

僕が「Sam CookeのLiveです」と言ったら鈴木さんの表情が一変し真顔で

「えっ、Sam Cooke聴いてるの?ちょっと聴かせてもらっていいかなあ?」

と言うので「ああ、どうぞ」とWALKMANを渡すと鈴木さんは座ったまま真剣な表情で時に体でリズムと取りながらずっと聴いていたので、休憩中に僕のWALKMANは返って来なかった。

休憩が終わり鈴木さんが僕にWALKMANを持ってきた時「ごめん、ずっと聴いて。このアルバムは初めて聴いたわ、すごいな」とやや放心状態であった。

そして鈴木さんが僕に「今度良かったらウチに来て音楽の話しながら飲まない?」と言った。

この日から僕と鈴木さんの新しい音楽の旅が始まる。


posted by まあ at 10:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出

2022年03月10日

彼女の謎とは?

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ウチから最寄り駅まで徒歩10分少々。

朝、久しぶりに駅まで歩いていた。

普段10分少々歩く事がほとんどない僕だけど、東京で生活していたので歩くのが早いと言われていた事もあった。

途中喉が渇いたので、自販機で缶コーヒーを買っているとスーツを着た若い女性が僕の横を走って行った。

「乗りたい時間の電車がギリギリなのだろうか?」

「間に合うといいな」

と思いながら缶コーヒーをバッグにしまい再び駅まで歩く。

すると、さっき僕の横を走っていった若い女性と信号待ちで一緒になった。

信号が青になり、若い女性は再び走り出し、僕はまた歩き出す。

ここで異変に気付く。

確かに彼女は走っているのに歩いている僕の方が次の信号まで先に着いてしまったのだ。

「何かがおかしい」

信号が青になり再び僕は歩き出し、彼女は走り出した。

「この謎を解かなければ」

と思い、僕は一旦止まって靴紐を結ぶフリをして彼女を見た時、ついにその謎が解けた。
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彼女は前ではなく上に飛びながら走っていたのだ。

常に上に飛んでいるので歩幅が極端に狭い、だから歩いている僕の方が早いんだ。

ようやくその謎が解けた僕は再び歩き出すとまた彼女を抜いた。

僕が先に駅に着いて切符を買いながらふと駅の入口を見たら

彼女が走って改札に向かっていた。?



posted by まあ at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出

2022年03月04日

真ちゃんの話

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僕は小学生の頃からプロレスが大好きで、ウチの田舎にプロレスが来ようものなら胸をときめかせながら会場に足を運んだ。

しかし、18歳で上京してからあまりプロレスを見なくなっていたのですが、1990年2月10日、当時のバイト先がスポンサーだったので招待券で行った新日本プロレスvs全日本プロレスの「スーパーファイトin闘強導夢」が最後だった。

そんな時、研修会でたまたま隣の席に座った同業者の真ちゃんと出会う。

「どちらからいらっしゃったのですか?」

「川崎です」

「えー!僕も川崎です」

「今度メシ行きましょうよ」

と連絡先を交換した。

何回か会う中でプロレスの話になり

「今度スタンハンセンの引退セレモニーがあるんですが一緒に行きませんか?」

と言われ、一緒に行くことになった。

それが2001年1月28日、東京ドーム。

実に11年振りのプロレス生観戦、この大会にはテリーファンク、アブドーラザブッチャー、ミルマスカラス、そしてスタンハンセン…入場テーマが流れるたびに胸が熱くなり、ハンセンが引退セレモニーで「ブルーザーブロディーに対して、良き友人、そしてベストパートナーであった事を誇りに思い感謝します」と言った時には涙が止まらなかった。

僕の心に眠っていたプロレスLOVEが完全に蘇った。

それから真ちゃんと2001年4月15日、NOAHの初代GHCヘビー級王座決定トーナメント決勝が行われた有明コロシアム、2003年7月18日、闘龍門の川崎市体育館、FMW川崎球場などに行き、全日本プロレスの日本武道館に行った時に前半戦の何試合目かに僕が真ちゃんに

「今の試合面白くなかったね」

と言ったら真ちゃんが

「いや、僕は10分過ぎのあの切り返しが良かった」

「あのタッチワークのタイミングが良かった」

「やられた時に向かっていくあの表情が良かった」

と言われハッと気がついた。

真ちゃんはプロレスを「加点方式」で見ていて

僕はプロレスを「減点方式」で見ていたのだ。

「なんて勿体無い事をしていたんだ」

と思い、その次の試合から加点方式で見るように意識をした。

すると今まで気が付かなかった部分まで見えるようになった。

もっとプロレスが楽しくなった。

真ちゃん、ありがとう。

あなたも減点方式で見なければならない時が多いかと思いますが、少しでも加点方式で見る機会があったらいいなと思います。


あなたの周りの人とか。


posted by まあ at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出

2022年03月02日

固まった話

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時は昭和62年夏、高校生だった僕は夏休みを利用して東京の親戚の家にいた。

カキ氷を食べながらテレビのチャンネルを回すと「24時間テレビ」をやっている。

この時僕が「あ、東京にいるのか」と呟いたら親戚が「武道館に行ってみる?」と言った。

僕はまだ日本武道館に行ったことがなかったので「行く!」と言って電車を乗り継ぎ、初めて日本武道館に着いた。

入口付近には募金箱を持った若い男女の行列が出来ていて僕らも行列に並んでいよいよ中に入る。

「うわ〜広いな〜これが日本武道館か」

と2階のスタンドを見回していると後ろから押され、募金をして流れるまま進んで行くと

和田アキ子さんと菊池桃子さんがいて握手をしてもらった。

和田アキ子さんは身長も手のひらも大きく、菊池桃子さんはこの世にこんなに可愛い女性が居るのかと思った。

興奮冷めやらぬまま進むと行列が渋滞して止まった。

何気にステージを見てみると白い長袖のシャツにGパン姿の髪の長い女性がいて、髪をかき上げてこっちを振り向いたら

「明菜ちゃんではないか」

夢でもいいやと幸せを感じながらしばし呆然と見つめていると、明菜ちゃんはスタッフに連れられて僕達がいる行列の所に来てくれた。

想像して欲しい、明菜ちゃんが両手で僕の右手を包み、僕の目を見てニコッとしてくれたのだ。

固まった、僕は完全に固まった。

そこで明菜ちゃんに何か一言声を掛けようと思ったけどあまりの衝撃で口も固まってしまったので全く言葉が出て来なかった事は覚えている。

放心状態のまま再び後ろから押され、行列は動き出した。

1987年8月だからシングルは『BLONDE』の時だったか。

僕はあの数秒の奇跡を体感する為に東京に行ったんだと思った。


中森明菜 BLONDE
https://youtu.be/kYRgPDQUJtQ



posted by まあ at 06:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出
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