2014年09月18日
中国の旅31
麗江(リージャン)は、大理よりも古都が強く見られる。何千年前からあるのか分からないが、中国の新しい街よりも整備されてる感じがした。まず、臭いが少ない。中国は大都市でも汚物の臭いは当たり前。だが、リージャンの街は古いのにインフラが良いのか臭いがほとんどなく歩きやすい。昔の人達の街作りが素晴らしかったのだろう。リージャンは立派な観光地となっている。トンパ文字で印鑑を作ってもらったが、二件で自分の名前を作ってもらったが、全く違う絵文字だった。と言う事は、当て字になると分かったのだ。アルファベットの文字を日本の漢字で書くのと同じって事になる。印鑑はたいした金額ではなかったが、15年経った今でも大事に持っている。宿は部屋は良かったが、トイレとシャワーが同じなのは嫌だった。トイレの便器の上に、シャワーの蛇口がある。つまり、シャワーの排水は便器になる。リージャンの気候は冬へと向かっており、朝夕はかなり冷え込んできた。シャワーを浴びるのも寒かった。リージャンの街は小さいので2泊もすれば充分と判断して、直接バスで昆明へと帰った。
中国の旅30
大理に来てから4日になった。自分も沈没者になってしまったのか。それとも、この街が気に入ってしまったのか。沈没者の人達とも仲良くなったが、普通の人だった。変人かと思ったが、特にごく普通の人達であった。仕事が嫌いで、お金がなくなったら日本に帰り、新聞配達や引っ越し屋で1年間働いて、3年以上は有意義に中国、インドなどで過ごしている人がいた。
確かに1年ガムシャラに日本で働けば、3年以上は楽に過ごせる。こんな生き方もあるんだなー。と感じた。
やはり、沈没者はマリファナにハマっている人が多かった。ただ、自分が大理に着いた時に、マリファナ所持で当局に連行された人がいたみたいで、ベランダで日中やるのは危ないと言われた。夜に部屋の中で、みんなやっていた。中国の公安なんかに捕まったら何されるか分からない。こんな場所からは早く出た方がいいなと思い、リージャンへバスで向かった。リージャンに着いた時は、大理で一緒の部屋だった3人でいた。宿も決めており、3人一部屋の値引きも出来た。この頃から旅に慣れてきた感じがした。
中国の旅29
大理には日本人の沈没者が多いと聞いたが街中ではあんまり見かけなかった。宿近くの日本食に入ったら、日本人がかなりいた。この人達が沈没者なのかな?と思いながら、カツ丼を注文。待っている間に旅ノートなる物を発見。これは、バックパッカーが情報を載せたりしている履歴を残すノートであった。旅をしていると旅ノートを目にする事があるが、自分は初めての旅ノートを見た。結構面白くて、大理の話やら遠くはアフリカの情報まで載っていた。大理の沈没者がいる情報の意味を知ってはいたが詳しく書いてある文章を見つけた。ここ大理では、自然にマリファナが生えている。街中でも街外でも至る所にマリファナが生えている。それを目的に白人、日本人旅行者が多く集まる。質のいいのは、どこの門を出た所から、山に入るとマリファナだらけの所がある。なんて書き込みがあった。沈没者はタダで手に入るマリファナと宿が安いので留まってしまうのだろう。冬になると寒くなるので、南下してインドに行く人もいる。ノートを読みながら、出てきたカツ丼を食べた。日本人を相手にしているのか、日本人から作り方を教えてもらったのか分からないが美味しい!さらに沈没者が多い意味が分かったような気がした。食べ終わって、ぶらりと街中を歩いていると、マリファナらしい物を発見。こんな街中にうっそうと生えているのか!とビックリした。宿の前でパイプを売っていたのを思い出すと、なるほどねー。と思った。
2人で宿に戻り、またシャワーを浴びてゆっくりしていたら、突然ノックがした。宿のフロントの人だった。英語が堪能で、こちらのミスで部屋を間違えてしまいました。お客さんの部屋を案内しますのでバックを片付けて下さい。と言われた。やっぱりオカシイとは思ったが、早々にバックを片付けて部屋を移った。そこは4人部屋で、1人だけ男性の日本人がいた。
ベッドが4個、テーブル1個のシンプルな部屋でトイレとシャワーは共同。
中国の旅28
大理に到着。古風な街並みで、日本で言う京都みたいな感じである。ここの街には日本人旅行者がたくさんいると聞いてきた。沈没者と呼ばれている人達も多い。沈没者とは長く同じ街にいて他に移動せずに留まっている人を指している。沈没者は、インドやネパールに多いらしいが、中国だと大理になる。早速、バスを降りたら宿の客引きが待っている。自分達は、日本人の多いとされる街中の宿に決めていたので、地図の通りに歩き宿にたどり着いた。フロントは安宿にしては立派なイメージがあり、早速1番安い部屋をリクエスト。空きがあるので、すぐに通された。部屋に入ると??ものすごく豪華でツインの部屋!シャワーもトイレも部屋に付いている。この街では二流くらいに入るんじゃないか?と言うほどの部屋だった。じゃあ、早速シャワーを浴びて、移動の疲れをフカフカのベッドで仮眠。2人で2時間くらい疲れを取って街へ繰り出した。街の1番大きい通りは配管工事で至る所に深い穴があった。落ちないように気をつけなければ足を怪我してしまう。中国では安全策を講じてる所が少ないので自分が気をつけなければならない。目抜き通りにはお土産屋など色々と目に入ってきて意外と歩いてるだけで楽しい。宿のレベルもバックパッカーには最高レベルだし、街並みも何か昔の日本みたいな所もあるし、沈没していくのが分かると思いながらウィンドウショッピングをしていた。宿の前に帰ってくると、ここの少数民族なんだろうか、ちょっとした土産物を路上で売っている。主にパイプが多い。タバコを吸うパイプなんか売れるのかな?と思い宿の近くにある日本食レストランに入った。