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気仙沼市在住の転勤族リーマンです。土木・建築の復興事業の設計を仕事でやっています。技術士(建設部門、分野は道路と建設環境)です。このため、出張が多いです(東京や東北各地だけですが・・・)。 出張先でみつけた珍しいもの、日々の生活でコレは!?と思ったことを載せてみようと思っています。

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    2017年04月25日

    今村復興相 | 【まだ東北のほうだったからよかった】 → こういう発言はダメでしょ。辛くなります。






     今村復興大臣の発言が話題となっています。発言の内容は、「まだ東北のほうでよかった」ということです。首都圏と比較しての発言ですが、誤解を招く発言です。
     大臣という立場で、こういうことを軽はずみにいうのは如何かと思います。

    imamura.JPG

    画像の出所: NHK NEWS WEB


    1.はじめに
    2.今村復興相の発言の内容(要約)
    3.結局辞任の意向(辞めれば良いのか?)
    4.最後に





     大臣の発言は、4月25の夜(当日ですか・・・)、自民党の等はパーティーの場で発言したようです。発言の内容は以下のとおりです。

    ・社会資本などの毀損も、いろんな勘定のしかたがあるが25兆円という数字もある。
    ・これは、 まだ東北のほうだったからよかった が、もっと首都圏に近かったりするとばく大な額になる。

     というものです。話す内容としては、そのとおりだと思いますが、「東北の方がよかった」という発言が余計だったようです。また、復興大臣という立場で、首都直下地震のことを発言するのは、立場が違うのではないかと思います。復興庁の大臣ですので、東北の復興だけ考えれば良いのではないかと、私は思います。

     この「今村復興相」の経歴を調べてみました。佐賀県佐賀市の生まれで、東京大学法学部の出身です。大学卒業後、国鉄に入社し、民営化後の九州旅客鉄道で勤めていたようです。九州出身ということで、余り東北についての知識がない方だったのでしょうか。
     このような発言をするのであれば、「東北でもあれだけの被害があった。首都圏で起きたら。ばく大な額になる」と言っていれば、問題なかったと思います。

     復興大臣に任命されてからの問題発言は以下のとおりです。
    ・「福島の復興はマラソンにたとえると30キロ地点」→まだスタート地点にも立っていない場所がある。
    ・「本人の責任でしょう」、「裁判だ何だでもそこのところはやればいいじゃない」、「二度と来ないでください」→これはフリーのジャーナリスト西中誠一郎氏の質問の仕方にも問題がありますが、大臣という立場で感情的になったのは上に立つ人間の態度ではないですね。






     「口は災いの門」の典型的なケースで、発言した後、安部首相は「東北の方々を傷つける極めて不適切な発言で、総理大臣として、おわびをさせていただきたい」と述べ、陳謝。そして、今村大臣は「被災者を傷つけるよう発言をした」責任を取りたいとして、大臣を辞任する意向を固めたようです。
     →結局、大臣を辞任したようです。






     私も東日本大震災で被害を受けて、微力ながら自身を経験を活かして、復興事業に従事しています。これまで各地にお仕事に出向きましたが、どこも様々事情を抱えています。震災や原発の被害によって、もう復興できないのではないか?と思うようなところもあります。
     次の大臣の方は、上記の件、特に被災者の心情や各地域の事情をご理解できる方が担当して頂きたいです。
     復興に携わるものとして、少し真面目に記事を書きました。






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    2016年10月08日

    話題の宮城ネタ | 被災トイレ くみ取り和式で原型復旧





    1.はじめに

    河北新報 に東日本大震災で被災した「くみ取り和式トイレ」を、「くみ取り和式」のまま原型復旧したことに関する記事が掲載されていました。
     非常にくだらない内容ですが、復旧の対象物がトイレではなく、コレが道路であれば、大問題になります。

    2.トイレの復旧の内容

     新聞の記事を要約して、このトイレ工事について、以下のとおりまとめます。

    ・被災トイレの内容:宮城県気仙沼市の公衆トイレ工事
    ・工事の内容:「原型復旧の原則」に基づき、男女共用で電気もないくみ取りの和式トイレを約560万円かけて新築した。
    ・何が問題か:「時代に合わせてほしい」との不満や要望が住民から上がり、水洗トイレに模様替えするための追加工事には、約180万円を要した。

    という内容です。




    3.原型復旧の原則

     まず、災害復旧は原形復旧が原則です。これは法律に基づくものです。「公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法(昭和26年3月31日制定)」という法律です。
     簡単に記述すると、災害で被災した施設を国の補助金を用いて復旧させる場合、災害報告に基づいて、災害査定が行われます。この査定に基づき、施設の復旧に充てる費用が決定され、施設を復旧します。

    4.被災トイレの原型復旧の問題(私の想像)

     気仙沼の被災トイレの何が問題なのかということですが、復旧しようとした方(公務員)が大変真面目な方でトイレの復旧工事行う際に、上記の「原型復旧の原則」を厳格に適用してしまったことです。

     私は公務員ではないので、補助金の仕組みは役人ほど詳しくありません。このため、以下に関する内容は、私の想像の範疇で記載します。

     厳しい役人であれば、「原型復旧の原則」を盾にして、地元の意見は無視し、水洗トイレへのグレードアップはしません。
     問題なのは、水洗トイレへの改良工事の際に、無駄な税金が使われたことです。追加工事に約180万円かかっています。

     宮城県知事は議会で「原型復旧の原則に従った判断だが、追加工事が発生したのは無駄。今後はより柔軟に考えたい」という発言を行っていますが、壊れたものを直す場合は「原型復旧の原則」が筋です。

     柔軟な判断は不要です。以下のようなことを検討すればよいと私は考えています。

    ・「くみ取り和式トイレ」を復旧させる前に、地元と調整する。
    ・法に基づいて「原型復旧の原則」に従い、改修は「くみ取りトイレ」にて復旧すると地元等に報告。
    ・「時代に合わせてほしい」という不満が出るのではあれば、「くみ取りトイレ」から「水洗トイレ」へ改修する際の工事費の差を算出する。
    ・その差が僅かであれば、利用者である地元への費用負担を求める。
    ・「くみ取り和式トイレ」を作るよりその後の維持管理費も含めて「水洗トイレ」が安い場合は、「くみ取り和式トイレ」を「水洗トイレ」に変更してもよいか、補助金の負担元と交渉する。

     今回は対象物がトイレで「くみ取り和式」ということで、話題になりましたが、道路で例えると、「元々の道路の幅員が狭いので、追加工事で広くしてくれよ。税金で。」という住民の要望に安易に答えるようなものです。
     今回のケースが他の公共事業の復旧工事に波及しないことを祈るばかりです。私の無駄な仕事が増えます。






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    2016年04月17日

    【参考にしてください】熊本地震 | 災害は突然やってきます。いざというときの備え | 東日本大震災のときの支援物資で「役立ったもの」「役に立たなかったもの」のまとめ

     以前、書いたブログの記事です。災害時のときの支援物資で役立ったものと役に立たなかったものをまとめたモノです。熊本の地震とは特性が異なりますが、参考になればと思い、再掲します。






    1.はじめに

     最近、地震が多いです。昨日は青森で震度5弱地震、北海道でM6.0を超える地震がありました。
     地震で思い出したことですが、東日本大震災のときに、仙台にいる家族・友人へ支援物資を届けに行きました。そのときに持っていった物資のうち、 役に立ったものと、役に立たなかったものを後日聞いていました。

     以下は、上記を項目ごとに記述したものです。参考にしてください。ちなみに、当時私は埼玉県内に住んでいました。 震災後、関東では買い占めが始まっていましたので、救援物資は新潟県の新潟市と村上市で全て調達しました。蛇足ですが、新潟のバイパスは素晴らしい道路です。是非一度訪れてください。
     埼玉から新潟まで関越道を車で走っているときに、私の妻と相談しながら購入するものを決めて、モノを買う前にリスト化しました。
     参考までに当時の埼玉から仙台まで向かった経路を下図に掲載します。
    埼玉から仙台までの往路復路-01.jpg


    2.役に立ったもの

     以下、役に立ったものです。 画像や文字のショートカットをクリックすると、Amazon等のサイトに飛びます。

    灯油 :寒い時期だったので、灯油は役立ったようです。灯油は新潟市と村上市で調達しました。 村上市のガソリンスタンドで調達したときに、店員から「凄い荷物だな〜。持ってどこに行くの?」と聞かれ、「仙台まで」と返答したところ、数量制限なしで入れてくれました。
    嗜好品(たばこ、酒) :これは私のアイデアです。絶対欲しくなると思いました。案の定一番役立ったようです。


    水タンク :給水車は来ても水を入れるタンクがない家がほとんどでした。白色のポリタンクです。
     その他 水タンク はこちら。

    ガラガラ(カート) :水タンク等、重たいものを持っていくのに便利だったようです。
     その他 カート はこちら。

    袋に入った保存食(ウズラの卵等)、手で開けられる缶詰 :小さな子供と高齢者がいたのでコレはすぐに食べたそうです。

     その他 保存食 はこちら。

    カイロ :寝るときに使ったようです。
    おすすめカイロ です。

    携帯ラジオ :これは私のアイデアです。多分テレビは観られないし、ラジオも車でしか聴くことができないと思い、安い携帯ラジオを購入しました。
    携帯ラジオ の商品一覧です。

    ライター :意外にも役に立ったようです。
    ライター (100円ライターから高級ライターまで)の商品一覧です。

    カセットコンロ :ガスの復旧はかなりかかったので、重宝したようです。
    カセットコンロ とその関連商品(ボンベ等)の商品一覧です。

    自転車の空気入れ :コレも意外に役に立ったようです。
    空気入れ の商品一覧です。

    ゴミ袋 :必要最低限しか買っていないと考え、無地と黒い袋を調達しました。
    ゴミ袋 の商品一覧です。

    紙の皿や紙コップ、割り箸 :食べたらすぐにポイできて、水道が復旧するまではコレで凌いだようです。
    紙皿 紙コップ 割り箸 の商品一覧です。

    カップラーメン :暖かい食べ物はカップラーメン以外食べられなかったようです。
    カップラーメン の商品一覧です。

    お菓子 :子供がいる家庭に役立ちました。
     その他 保存がきくお菓子 の商品一覧です。

    スルメ :イライラしたときにスルメをかじっていたようです。
    スルメ の商品一覧です。

    ホウキ :建物の中は地震の揺れでグチャグチャになっており、どこにホウキがあるか判らない状態だったようで、役だったとのことです。
    ホウキ・チリトリ の商品一覧です。

    ジャンプ(漫画)、週刊誌 :暇つぶしに重宝されました。

    薬(胃腸薬、頭痛薬) :少しでも気を許すと、身体に支障を来したようで役だったとのことです。
     ※お薬はきちんとしたドラッグストアでのご購入をおすすめします。
      ↓以下の店舗等を参考にしてください。



    マスク・軍手 :これはいらないとまず言われましたが、4月以降暖かくなってから役に立ったとのことです。
    マスク 軍手 安全めがね の商品一覧です。

    オムツ :赤ちゃんがいる家庭がいたので、コレを持って行きました。
     その他 おむつ の商品一覧です。

    アルミホイル :アルミホイルを身体に包んで寝ると暖かいようです。
    アルミホイル の商品一覧です。

    埼玉で汲んだ水道水 :トイレ用として使ったようです。市販のゴミ袋の中に水を入れて、その水袋を段ボールに詰めて持って行きました。→決して埼玉の水道水が不味いという訳ではありません。

    乾電池 :単三よりも単四の乾電池が活躍したようです。
    乾電池 の商品一覧です。

    トイレットペーパー、テッシュペーパー :地震発生時には買い置きしたものがなかった家がほとんどで、これは役に立ちました。
    トイレットペーパー テッシュペーパー の商品一覧です。

    キッチンペーパー :これも上記と同様です。雑巾代わりに使っていたようです。
    キッチンペーパー の商品一覧です。

    市販の地図 :意外だったのがコレです。なぜなら紙の地図はどの家にもなく、自転車で遠出するときや山形まで買い出しするとき、山形まで風呂に入りに行くときに役立ったようです。これだけは埼玉で調達できました。
    地図(都市地図、道路地図) の商品一覧です。


    3.役に立たなかったもの

    食パン :すぐに食べてしまったようです。
    缶詰 :缶切りがないので開けられないとのこと。また、地震等で被害を受けた店がダメになった缶詰をタダで配っていたようです。
    カセットコンロのボンベ :余分に買いすぎました。
    マッチ :活躍した場面はなかったようです。
    絆創膏 :絆創膏はどこの家でもありました。
    バーベキューセット :庭があっても使うのは周辺の目があったので、無理だったようです。現在、たまに使っているようです。

     以上が、震災時に私が救援物資として車で持って行ったものです。車はレガシィだったので、後ろの座席を全て倒してモノを運びました。5家族分だったので、ギュウギュウ詰めでした。お金は相当使った記憶が残っています。
     最後に、余計なコメントですが、帰りは国道4号を南下して埼玉に戻りました。途中の道の駅安達で休憩しているときに、街頭テレビで「福島第一原発」が爆発したニュースをやっていました。テレビを観ていた方々の口から小さな声で「日本終わった・・・」「さてどの国に行くのかな?」という会話や独り言を耳にしました。私は当時の状況を今でも鮮明に覚えています。









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    2016年04月10日

    大丈夫? ちょっと怖い | 防潮堤の高さの変更 | 震災後の地盤隆起

    1.はじめに
     大分、前の新聞記事ですが、かなり重要なことが掲載されていました。
     以下は、新聞記事の引用ですが、私が注目しているのは「防潮堤の高さの変更」ではなく、地盤隆起が早すぎることです。震災から5年でおおよそ沈下分の3分の1から2分の1まで戻っています。余りに急な地盤隆起のため、また大きな地震が起きるのでは?と危惧しています。







    2.河北新報の新聞記事
     以下、「防潮堤の高さ、地盤隆起分を差し引く」に関する記事です。
    防潮堤の高さ、地盤隆起分を差し引く
     東日本大震災に伴う防潮堤の建設事業で、気仙沼市は沈降した太平洋沿岸の地盤が少しずつ隆起しているのを踏まえ、防潮堤の高さから隆起分を差し引いて暫定的に工事する方針を決めた。堤防の高さは震災発生直後の地盤が基準となっていて、隆起により防潮堤が必要以上の高さになる恐れが生じていた。こうした対応は珍しく、他自治体の参考になりそうだ。(高橋鉄男)

    <5年で25センチも>
     市は25漁港38カ所で防潮堤整備を計画する。暫定施工するのは原形復旧の6カ所を除く32カ所のうち、国や県が造る防潮堤や河川堤防とのつながりに支障がない約10カ所が対象という。
     国土地理院の衛星利用測位システム(GPS)による観測で、震災発生からことし2月までの変動幅は表の通り。太平洋沿岸部は、震災で地盤が沈降した後に隆起している場所が多い。気仙沼市笹が陣の地盤は65センチ沈下した後に年4〜7センチずつ上昇し、5年間で計25センチ隆起した。
     しかし、隆起分は堤防高の設定に反映されていない。堤防高の基準となる水準点標高が、震災後に国土地理院が測量した2011年10月〜12年12月以降、改定されていないためだ。
     市は国土地理院の水準点改定を見越し、直近のGPS観測で分かった隆起分を堤防高から差し引いて「暫定の高さ」で施工する。水準点を基準とする防潮堤計画そのものは変更しない。
     国土地理院測地基準課によると、水準点の改定時期は未定。担当者は「隆起に伴い改定の必要性は感じている」と説明する。

    <県は対応せず>
     地盤隆起をめぐっては、宮城県が「防潮堤の施工は水準点が基準。GPSはあくまで速報値で、気仙沼市の対応は市独自のものと考えている」(河川課)として、施工で考慮する必要はないとの姿勢を崩さない。
     これに対し、沿岸住民からは「地盤隆起で堤防高が高くなる」と疑問の声が上がっている。
     気仙沼市内湾地区の景観・まちづくり検討会のメンバーが3月31日、市役所を訪れ、宮城県にも市と同様の対応を働き掛けるよう菅原茂市長に要望した。同地区の海抜5.1メートルの防潮堤は県が整備を担当する。
     菅原市長は「防潮堤を低くできるチャンスを無視するのはおかしい。内湾地区は防潮堤の高さをめぐり議論を重ねた経過があり、(隆起した)25センチを無視できない。住民側からも強く県に要望してほしい」と応じた。市としても県に対応を求めている。

    [防潮堤高] 東日本大震災を踏まえ、被災地の防潮堤の高さは2011年度、数十年〜百数十年に1度発生が予想される高さの津波を防げるように設定された。地形や過去の津波被害を踏まえ計画高は海抜2.6〜15.5メートル。数百年に1度発生する東日本大震災級の津波は防御できない。
    隆起量.JPG

    嵩上げ堤防.JPG


    出典:2016年04月03日日曜日河北新報新聞記事




    3.(参考)東北地方太平洋沖地震後の地殻変動(上下)
     参考までに東北地方太平洋沖地震後の地殻変動(上下)の累積及び震災前からの累積を図で表したものを添付します。

    本震後からの累積.jpg

    本震前からの累積.jpg
















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    キーワード
    東日本大震災,地殻変動,隆起,宮城県,岩手県,震災後の隆起,福島県,次の地震,震災,防潮堤,高さ

    2016年03月11日

    東日本大震災 | 震災から5年経ちました。私の当時の状況(行動)をまとめました。

    1.はじめに

     本日、平成28年3月11日であの忌々しい 「東日本大震災」から5年が経ちます。私は直接的な被災者ではありませんが、あの体験は二度と味わいたくありません。恐らく、死ぬまで一生忘れない出来事になると思います。今回は当時の私が体験した内容について、投稿します。






    2.平成23年3月11日の私(の行動)

     震災の体験とはズレますが、私、震災当時は前の会社(ブラック会社)から部署廃止のよるリストラ勧告を受けて、転職活動に勤しんでいました。4月始めまでには新しい職場を見つけたいと目標を立てて、毎日のように都内の建設関連の会社の面接を受けていました。

     リストラ勧告から4月まで1ヶ月しかありませんでした。時間がなかったので、いわゆる大手企業から順番に受けていました。業界の最大手は書類選考の段階でご遠慮のお返事。数をこなしたいので、履歴書もワードで作成したものを送っていました。

     そんな中でも、最終面接まで行って頂けた会社は数社ありました。一つは関西の最大手の建設コンサルタント、この他の会社ですが、本業は別の事業を行い、そのツールを用いて、各種の計画・設計を行っている会社です。
     関西の建設コンサルタントは内定を頂いていましたが、やはり後者の方がいろいろなことができそうで魅力を感じたので、ほぼそこの会社に転職したいと思っていた次第です。その1社が、現在、私が在籍している会社です。
     最終面接は役員の方の都合で3月14日(月)でした。3月11日はその準備のために、埼玉の自宅で面接の練習を昼間から行っていました。妻が面接官です。朝から10回ぐらい行い、昼ご飯も食べていなかったので、14時を過ぎたときに昼ご飯を食べることにしました。

    地震発生
     14時半過ぎに飯を食べ終わり、少しテレビを観ながら休憩していました。たまたまNHKの国会中継を観ていました。トイレに行っていたときに、突然テレビから「緊急地震情報」がアノ音が流れてきました。

    NHK緊急地震速報.jpg



     緊急地震速報が出てから数10秒経過したときに、埼玉(大宮)でも大きな揺れを感じました。揺れを感じた瞬間、只の地震ではないな。東海地震でも来たのか?と思いました。しかし、テレビから出てきたテロップは、「宮城北部震度7、宮城県南部6強」という情報。その後、大津波警報、津波警報が発令。妻も宮城県出身でしたので、2人で愕然としていました。

    NHK緊急地震速報.png
    NHK地震仙台.jpg


     その後、津波の予想高さが発表されました。NHKの最初の情報は宮城県で予想高さ6mという予想。テレビでみた様子では仙台市内のビルに大きな損傷もなく、津波の高さも6mであれば、建物の3階や近くの高台まで上れば、大丈夫だろうと思っていました。

    NHK津波.png


     14時43分のデカい地震後も大きな余震が続いていました。埼玉の自宅は建物の被害はなかったものの、部屋の中は地震の揺れをモノが散乱していました。暗くなる前に片付けを済ませてしまおうと、私は掃除をしていました。15時半を過ぎて、再びNHKをみたところ、仙台〜名取のヘリからの映像が流れてきました。

     これをみて、自分が観ているものが本当の映像であるか目を疑ってしまいました。「津波の高さは6mじゃない・・・」軽く10m以上はある。ヘリは仙台の南方面(閖上)方面に向かっていました。動いている車や人が黒い波に飲み込まれていく・・・。自分が知っている場所でしたので、「そこを左に曲がれ!」とテレビに向かって叫んでいました。頭は完全にパニックです。こんなパニックは、私の親父が亡くなったとき以来でした。自然と涙が出てきました。

     そして、停電で電気が切れてしまい、しばらく薄暗い中で携帯ラジオを探していた記憶が残っています。次の日(12日)になり、一瞬電気が復旧しました。その数分後に14日に最終面接を受ける会社(今の会社)から家に電話がきました。偶然つながったようです。
     電話の内容は、「弊社の役員は地震のため、しばらく会社に詰めることになったので、問題ありませんが、○○さんは帰宅困難者になってしまう可能性があるので、面接の時期を延期しますか?」という打診でした。我に返り、「先ほどの地震で仙台の実家との連絡が取れない。すぐにでも車で仙台に向かいたいので、御社まで車で向かいます。」という返事をして、電話を切りました。

     14日まではとりあえず時間があったので、仙台の家族に向かう準備を着々を行っていました。ガソリンの調達が一番苦労しました。どこも長蛇の列。しかも給油制限が始まっていました。ふと考え「もしかしたら、関越道の高坂SAの上り線のガソリンスタンドであれば給油できるかも」と思い、東松山ICから関越道に乗り高坂SAに向かいました。案の上、一般道路よりも空いていました。10分ぐらいの待ち時間はありましたが、満タンで入れてくれた記憶が残っています。ガソスタの兄ちゃんは「レギュラーは残り僅かなのでダメだけどハイオクなら良いよ」と言ってくれました。

     14日の最終面接は無人の首都高速(東北道方面は、自衛隊や消防の車がバンバン走っていました)を走り、本社で面接。全く面接にならず、まるで私がカウンセリングを受けているような状態でした。そして、すぐに新潟経由で仙台へ向かいました。邪魔になるので、物資を各家庭に配り、がれきの片付けを終えてから、すぐに埼玉に戻る予定でした。しかし、夜に富士宮でデカい地震が発生。このまま帰ると危険なので、一泊していけと説得されて弟の家に泊まることに。その代わり、たばこを1箱くれと要望されました。

     次の日に、国道4号(下道)を使って埼玉の自宅に戻ってきました。自宅のポストを空けたら、14日に面接を受けた会社から内定通知と入社までに準備してほしい書類等が書かれた分厚い封筒が届いていました。

     以上が、震災のときの私の行動です。余談ですが、仙台から埼玉に戻る途中で、前の会社の社長と会長から私の携帯に電話がありました。内容ですが、「あの話し(リストラ)はなかったことにしてくれ」との話し。「余りにもムシが良い話しだ。次決まりましたから、退職の手続きお願いします」と強い口調で返答。さらに、書類選考で落とした会社からも「やっぱり受験して」との打診の電話がありました。人を何だと思っているのか少し疑いました。そのような会社に転職せずに良かったと今になって思っています。

    3.最後に

     つらつらと、震災のときのことを書きましたが、あんな体験は二度経験したくありません。津波の被害に遭われた方はもっと辛い経験をしていると思います。また、福島の原発が事故が起きなければ、もっと早く復興していたのにと悔しいです。アレは天災によるものですが、限りなく人災に近いものです。当時の当事者には然るべき責任を取って頂きたいと思います。被害を拡大させた輩が多数いるようですが、私は絶対に許しません。








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