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昨日に続いて「私の愉しみ」。趣味とか夢について、私が楽天日記のプロフィール欄に書いたことを紹介してみると・・・。■ はまってること = 古本の購入■ 趣味 = 読書 または、本を買うこと■ 好きな音楽 = 主に モダンジャズ クラシック■ 欲しいもの図書室地下音楽ホール昼寝と読書とのためのパティオハバナ葉巻貯蔵室勤勉な召使い美しい女奴隷中華・フランス・日本料理の各専門コック世界旅行飛行船大型ヨット日本銀行券少々 ~~~~~~~~私の「ほしいもの」を順々に見て行こう。■ 図書室■昼寝と読書とのためのパティオ本当は、図書室+読書室というべきかもしれない。まあ、図書室でしか読書が出来ないというわけではない。ただ、その質はともかく、量(約4000冊)だけはある私の蔵書(大げさな表現かな?)を、カテゴリー別に、著者別に、出来れば本のサイズ別にも分類して収めることが出来る大型の本棚が欲しい。それに、それをじっくり読みながら、ときどき傍線を引くことが出来るようなマホガニー製の読書デスクが欲しい。その読書デスクには、質のいい読書ランプが欲しい。できれば、ビリヤードかスニーカーの台の上のつり下げられている方形の照明の小型のものが欲しい。読書デスクの脇には、読書中の本の関連本を置いておけるような、長いテーブルが欲しい。デスクにつり合うような、スコットランド製の牛革のチェアが欲しい。余計な外光が差し込まないような、分厚いカーテン・段通が欲しい。床には、ときどきミルクティーやカフェを持ってくる、美人奴隷のハイヒールの音が聞こえないような、吸音用の分厚いペルシャ絨毯が欲しい。・・・こうなると、やはり今の8畳相当の洋間でも狭すぎる。・・・と言うことで、図書室が必要なのだ。決してぜいたくを言っているわけではない。(??)私がロンドンにいた頃に所属していた英国の最大の「Gentlemen’s club」であり、世界最初の自動車クラブである「Royal Automobile Club 通称 RAC」は、英国最大の会員数を誇るクラブであって、名誉会長はエリザベス女王の甥のケント候である。(と、私がいばってもしょうがないのだが)そのRACには、数多くのベッドルームがあり(上流階級の紳士が、怖い奥さんから緊急避難する宿として)、プールがあり、サウナがあり、昼寝用ベッドがあり、大広間のようなバーがあり、軽食用のコーナーがあり、レストランがあり、豪華大ダイニングルームもあり、専用の郵便局やクリーニング店まであるのだが、なかでも白眉は「Smoking Room」と称する読書室がある。そこには、大きな暖炉で薪が燃えていて、豪華な革製のソファーや、ライティングデスク(便箋と封筒が備え付けられている)があり、英国中の新聞がおいてあり、もちろん書庫が隣接している。そこで、英国の上流紳士が、紳士のクラブは女人禁制だから、恐妻に、クサンチッペにどなりこまれる心配も無く、静かに安心してパイプ煙草や葉巻をくゆらせる場所なのである。う~~ん、こんな smoking room があれば、私は死んでもいいのだが・・・、オイオイ、死んでしまっては、こんな「恐妻が怒鳴り込んで来る危険性ゼロ」という桃源郷には、おれなくなってしまう。昼寝と読書のためのパティオというのも上げたが、これはまあ、第二義的なものと考えてもらってもいい。財政事情によっては、削除してもいい。■ 地下音楽室これは先日、すでにオーディオ趣味で語ってしまっているので、省略しよう。「今日はこれぐらいにしといたる」が、私の愉しみシリーズは、まだまだ続く。
2005.08.31
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【復刻日記】ラウンドな人物像 「元首の謀叛」昨日は立花隆氏の見解を引用して、フィクション、つまり小説家の想像力も現実のノンフィクションの世界に比較すると及ばないと言うことを述べたが、それは特に海外を舞台にした場合にいえることではないかと思う。もちろん海外を題材にした素晴らしい作品もある。一例を挙げると、永井荷風の断腸亭日乗などだが、ここに描かれた海外経験などはたしかにその素晴らしい作品に該当するのだが、これは単純にフィクションとは言い難い。小説家の日記だからフィクションは織り交ぜてあるのは当然ではあろうが、やはり日記というか記録文学というか、あるいは紀行文学かも知れない。そうするとノンフィクションのジャンルに入ることになる。冒険小説も海外に題材を取った作品が多い。日本冒険小説協会という組織があって、多くの小説家がいる。逢坂剛 大沢在昌 景山民夫 北方謙三 斎藤純 佐々木譲 志水辰夫 高村薫 谷甲州 辻真先 馳星周 藤田宜永 船戸与一 南洋一郎 宮部みゆき 森詠 夢枕獏 隆慶一郎これに、内藤陳御大も含めるべきだろう。日本冒険小説協会会長内藤陳氏。彼のバー「深夜+1(シンヤプラスワン)」 は、新宿ゴールデン街にあって、日本冒険小説協会公認酒場であり、かの007のショーン・コネリーが入ってきて日本冒険小説協会の会員に登録させられたという話を聞いたことがある。このなかで海外に舞台をとって、冒険小説を書く人と言えば、主に逢坂剛・船戸与一氏あたりだろうか?逢坂剛氏などは、自身がフラメンコギターの奏者でもあり、スペインを何度も訪問しているし、スペインや中南米を舞台にした作品が多い。名前は想い出さないが、やはり週刊紙などに連載された、海外に題材を求めた作品を、途切れ途切れではあるが、かなり読んだ。しかし、私としてはどうもしっくり来ない。作品としては、よくできているのだが、なにか「和製感覚の欧州」という感じがぬぐえないのだ。人物も風土もである。人物などはそれらしき人物像を与えられてはいるが、なぜか私には「日本人が恐る恐る作り上げた、あまりバタくさくない、人間くさくない、マネキン人形的な欧州人」という感じがするのだ。ステレオタイプな欧州人のように思えるのだ。彼らのワキガや体臭まで漂ってくるような、髪の毛のふけまでが飛んでくるようなそんな生な人間像になりきれていないと思うのだ。う~~ん。どうもうまく表現できないのだが。一流の作家の書いたものに、楽天日記作家ごときの私がダメだしをしても、向こうは痛くも痒くもないとは思うが、それでも・・・である。それは、彼ら(と言っても小説家の先生達だが)が欧州での滞在の体験を持ってはいても、それはあくまで短期のものであったり、会話を交わしてもそれは片言ベース(失礼!)、またはそれほど流ちょうなものでは無く、意思疎通がやっとというレベルであったり、関係も単に「友人」どまりであったりで、欧州の風土や人間に対する溶け込み方が少ないのではないだろうか?欧州の人間と親友同士になったり、欧州の女性と結婚したり、離婚したり、(これは余計だが)、してはいないのではないだろうか?心においても肉体においても、混じり合い、体液を注ぎ合ったことがないのでは無かろうか?(私も相当無理を言っているかも知れない)その結果、欧州人の人間としての特性を、体感するまでには把握していないのではないだろうか?東洋人が欧州人を描くのは難しいし、その反対はさらに難しいだろう。欧米人が日本人を描いた小説など、やはりミステリアスな黄色人種という前提がどうしても抜けていない。映画でも同じ事で、外国映画に出てくる日本人なんて、おおよそ噴飯ものである。演劇・文学などのフィクションにおける「character論」においては、「flat character」 と 「round character」 と言うことが言われる。フラットな人物像とは、いわば二次元・平面のような、人間としての「特性」の少ないもの。現実的には陳腐なステレオタイプの人間像を指すわけで、近ごろの言い方をすれば「キャラが立っていない」状態を指す。それに対してラウンドな人物像とは、立ったキャラで、球形の、三次元の、つまり奥行きのある人間像であり、特性が多く、しかも矛盾した特性も含む人間像。フィクションではこのラウンドな人間像を創造できるかどうか?という所が key point になる。欧州人を描くに際して、一般に日本の作家たちは、ラウンドな人間像を書けていないのではないか?白人・欧州人の特性をもうひとつ把握できていないのではないか?そんな気がする。その一方で、同じ白人でも、比較的つきあい慣れた米国人については、ある程度、ラウンドな人物像が描けている場合が多いように思える。これは気のせいなのだろうか。 ★ ★ ★ ★ ★ ★私が感心したと言うより、ノックアウトされた長編小説がある。「元首の謀叛」 中村正軌 文藝春秋。この題名は、「げんしゅのぼうはん」と読む。直木賞受賞の傑作国際謀略スリラー小説。もうかなり昔のベスト・セラーなのだが、昭和55年7月刊。著者はJALの欧州駐在員の経歴を持ったサラリーマンと言う異色の人。この著者の名前は「マサノリ」。この「ノリ」の字は、正確には、左が「車」、右が「几」。機種依存文字なので、ネット上では一般に「軌」が使われている。この作品は東ドイツを舞台にした国際政治の権謀術数を描く優れた政治小説というか政治冒険小説と言うべき作品。ある書評から引用。~~~~~~~~~ある日、東ドイツの国境監視塔が轟音とともに崩れ落ちると同時に、ソ連軍や東独軍が不審な動きを見せ始めた。西側への侵攻準備だろうか? 各国の首脳が疑心暗鬼におちいっている間に、一人の東独空軍中尉が、密かに西ドイツに潜入した。彼は東独書記長の親書を西独首相に手渡すという、重大な秘密任務を帯びていた。東独書記長ホーネッカーは、ソ連の圧制からのがれ、東西ドイツの統一を実現するために、驚くべき手段を講じようとしていた。世界大戦を起さずにヨーロッパの地図を塗りかえる─この狡智極まるソ連の野望に西側諸国は?東西ドイツ国境線での大爆発から始まる直木賞受賞の国際謀略小説。~~~~~~~~~私は東西冷戦時の東ベルリンに滞在していたことがあるので、当時の東西ドイツ情勢を恐ろしく緻密に描いたこの小説には驚いた。まるで現場にいるようなリアルさなのである。他の海外冒険小説が、まるで一瞬に色褪せてしまうような質と量と密度だ。だからといっても言い訳にはならないが、この小説は読みでがあり過ぎて、私は初めの部分しか読んでいないのだが、それはそれとして。この単行本は絶版になっていて、今は文春文庫に上・下巻として入っている。また、文春ウェブ文庫という、 web site で読むことも出来るようだ。いずれにしても、いつかはこの小説を、あの冷え冷えとした東ベルリンを思い出しながら読まなければいけないと思っている。
2005.08.30
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整理しなければと思いながら、私のデスク+PCの周りには4000冊の本がうずたかく積まれている。積まれていると言うより、ボタ山になっているという方が正しい。以前はジャンル別にきれいに整理していたのだが、本棚の収容能力の限界が、ニューオリーンズの堤防の様に決壊して、ボタ山と変容したのだ。下記のCDや、DVDや、新刊書や、古本は、そういう無秩序、ケイオスの住人のほんの一部である。積まれているから、もうすでに読まれていると言うことでもない。未読了のものがほとんどと言っていい。これから、日記を書く時間の無いときには、このような蔵書?リストでお茶を濁そう。蔵書データベース作成も兼ねることが出来て、一石二鳥。 ~~~~~~~~Lなお、●リーダーの易経 竹村亜希子 PHPこれは、楽天でリンクさせていただいている「易経」研究家、亜さんこと、竹村亜希子さんの最新著書である。私の手元には予約していたものが到着したばかりなので、流し読みしただけだが、女性離れした構成力で素晴らしい内容になっている。下記のブログでも、難解で象徴的な易経を、噛んで含めるように、「猿でもわかる」ように、優しく易しく教え導いてくれている。私は、自信を持ってこの本を推薦できる。読了後は、あらためてもう少し詳しい読後感を書く予定。亜さんの楽天ブログ ~~~~~~~~CD/DVD======FARRAH FAWCETT(米国で買った米国女優、ファラ・フォーセットのDVD) PLAYBOYHORACE SILVER(CD) BLUE NOTEJACKIE McLEAN(CD) BLUE NOTEカフェ・ホヘミアのケニー・ドーハム(CD) BLUE NOTEBEST COLLECTION グラシェラ・スサーナ(CD) 東芝EMILEFT ALONE(CD) MAL WALDRON CAPUCHIN SWING(CD) JACKIE MaCLEAN BLUE NOTELIVE AT CAFÉ BOHEMIA/1955(CD) THE GEORGE WALINGTON QUINTED あの日あのとき(DVD) WONDER MAN(DVD) DANNY KAYE SAMUEL GOLDWIN新刊書 古本======いよいよインフレがやってくる! 浅井隆 第二海援隊中国株で大成金になる次の一手 関根進 太陽企画出版相続・贈与税の基礎知識 中島吉央 ぱる出版大事なお金は香港で活かせ 渡辺賢一 同友館日本破綻 深尾光洋 講談社国債暴落 高田創+住友謙一 中央公論社国際投資へのパスポート マーク・モビア 日本経済新聞預金封鎖 副島隆彦 祥伝社ゲルマンとダキアの戦士 ピーター・ウィルコックス 新紀元社美人コンテスト百年史 井上章一 朝日新聞社十字軍 ジョルジュ・タート 創元社客家 中国の内なる異邦人 高木桂蔵 講談社物語ヴィエトナムの歴史 小倉貞男 中央公論社情報、官邸に達せず 麻生幾 新潮社こちら大阪社会部 阪神大震災編 大谷明宏 講談社官邸応答せよ 高見祐一 朝日新聞社英語脳のつくり方 和田秀樹 中央公論社理科系の作文技術(再読) 木下是雄 中央公論社共同討議 性 松田道雄編 筑摩書房血と石 ヨーロッパの精神風土 竹下敬次 以文社知的市民と博物館 梅棹忠夫 平凡社表層のエロス 現代思想1994 vol.22-14 青土社県別日本人気質 河出書房新社大正時代の身の上相談 カタログハウス編 筑摩書房愛するということ(再読) エーリッヒ・フロム 紀伊國屋書店チーズの来た道 世界のチーズと乳文化探訪 鴇田文三郎 河出書房新社今西錦司座談録 今西錦司 河出書房新社新版 概説イギリス史 伝統的理解をこえて 青山吉信 今井宏 有斐閣中世の秋 世界の名著(再読) ホイジンガ ホイジンガ 中央公論社甘えと社会科学 大塚久雄 川島武宜 土井健郎 弘文社日本のこころ(再読) 岡潔 講談社部落史を読みなおす 部落の紀元と中世被差別民の系譜 解放新聞社楼蘭 流砂に埋もれた王都 A・ヘルマン 平凡社天皇をどう教えるか 渡辺賢二 有田芳生 教育史料出版会思想と行動における言語 S・I・ハヤカワ 岩波書店人間の研究 トマス的心理学入門 R・E・ブレナン ヴェリタス書院文明化した人間の八つの大罪 K・ローレンツ 思索社世界近代史 上 上海師範大学世界近代史編写組編 東方書店世界近代史 下 上海師範大学世界近代史編写組編 東方書店アンドロイドは電気羊の夢を見るか? フィリップ・K・ディック 早川書房不良中年は楽しい 嵐山光三郎 講談社頭がいいとはどういうことか 米山公啓 青春出版社嘔吐(再読) J.P.サルトル 人文書院科学者は妄想する 久我羅内 日経BP出版センター一週間でマスターするAccess 2003 データベース構築基礎 門脇香奈子 MYCOM書くためのデジタル技法 仁木麻里 中山元 筑摩書房国際投資へのパスポート マーク・モビアス 日本経済新聞脳の進化学 男女の脳はなぜ違うのか 田中富久子 中央公論社スーパー書斎の道具術(再読) 山根一眞 ビジネス・アスキー白い航跡 下 吉村昭 講談社うまぼし博士の逆・日本史 庶民の時代 昭和→大正→明治 樋口清之 祥伝社●リーダーの易経 竹村亜希子 PHP図解雑学 時間論 二間瀬敏史 ナツメ社高松宮と海軍 阿川弘之 中公文庫イスラムの謎 新人物往来社贅沢の探求 ピーター・メイル 河出書房新社シェイクスピアにおける「甘え」の研究 三好弘 朝日出版社ぼくはこんな本を読んできた 立花隆 文藝春秋人間の集団について ベトナムから考える(再読) 司馬遼太郎 中公文庫
2005.08.29
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私の今までの人生は、楽しいことでいっぱいだったと思う。(つらいこともあったけれど、つらいことは忘れる性格)その楽しいことの中でも特に海外出張で世界の僻地に行くことが、私にとって冒険であり、楽しみだった。その「僻地での冒険」に代わって、今は「本の世界の冒険」が、楽しみになった。そのことについては、以前に日記で書いたので、その【復刻日記】を明日ぐらいにアップしたい。(どうも日記を書く時間が取れない)昔の私は、かなり物欲に燃えた時があった。高級ブランドものがどれだけのものかという好奇心も手伝ってのことだが、高価なステレオ装置やカメラを買った。スノビッシュな会員権なども六本木の「プレイボーイクラブ」や、英国で最大の「クラブ」の会員でもあった。(英国の有名クラブの会員であった日本人は少ないだろうと思う)と言っても金持ちというほどの財力があったわけではないから、つつましい物欲ではあったかもしれない。しかし、今は私の持ち物で比較的高価な(であった)ものと言えば、カメラぐらいのもので、その他には、なにもない。日本では車を持ったことがないし、高級ステレオ装置は海外に置いてきてしまった。時々、一度は高級外車、それもスポーツカーを買ってみたいと思う時もあるが、親の介護で遠出をすることが出来ない現状だし、実際に買うつもりはない。代わりにホンダのBENLY S50という、50ccながらカッコイイ「オートバイ」の新同品があったので買った。(普通二輪の免許は持っていないため、50ccとした)オートバイでのちょっとしたツーリングの方が、高級車でのドライブより楽しいのではないだろうか?(このところ酒気が切れないので、クラッチ操作が必要なこのオートバイにはまだ乗っていない) ~~~~~~~~まずステレオについて。ステレオといえば、(今はオーディオ・コンポと言った方がいいかな?)、今は、安いコンポでも良質な音が出るようになった。スピーカーが進歩したからだと思う。と言ってもさすがに小さなスピーカーでは迫力のある音は出ないけれど、音というものは相互に比較しなければ、「それなりに」その音で、ある程度は満足出来るものだ。・・・と言いながら、本音としては、昔聴いた大型高級スピーカーとそれを思い切り鳴らすことが出来る音楽室が欲しいと思う。高級スピーカーの大音量に身体をゆだねると、素晴らしい快感が得られるものだ。昔、新宿などのモダンジャズ喫茶で聞いたJBLやアルテック、それに秋葉原のある店にあったタンノイ・オートグラフの音は、例えばそれがヴァイオリンなどの弦楽器だったら(皇太子に敬意を表してヴィオラでもいいけれど)、松ヤニの粉が飛ぶぐらいの臨場感で迫ったものだが。その秋葉原の店とは、秋葉原の駅前ビルが出来る前という昔に、その場所の奥まったところに確か佐藤無線のオーディオ試聴室があった。オーナーが半ば趣味で作った視聴室だと思うが、タンノイ・ジムランシング・アルテックその他のスピーカーのそうそうたる銘器が大きな部屋にズラリと並んでいて、それに加えてアンプ類(プリアンプ・メインアンプ)、ターンテーブル・アーム・カートリッジ・・・。これらも数多くのものが備え付けられていて、すべて一流のものばかり。そこでリクエストをすると、これらを鳴らしてくれるのだが、さらに要望があれば、いわゆるブラインド・フォールド・テストというものをやってくれる。つまり、予め何と何の組み合わせなのかを知らされずに聴きながらそのパーツを当てるのだ。私は、耳がいいらしくて、アンプやカートリッジの違いをほぼ間違いなく聴き分けることができた。もっとも、いまはこのブラインドと言う言葉が、盲人への差別語になっているので、別の言い方をしなければいけないようだが、差別語規制というのもおかしなものだ。
2005.08.28
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今日の日記は、他人様のブログへ書いたコメントを、自分の日記にするという魔術(ズルとも言う)という新手法??でお茶をにごそう。■ ドイモイさんがこういうことを書いている。> 少し悲しいことではあるが、文学作品というものをなかなか30歳を越えると読む気もしなくなったし、読んでも途中で投げ出したり、心ふるわせられることもなくなった。しかし、世界的名作というのは、有名だから感動する場合もあって、これには同感。若い頃には結構小説も読んでいたのだが、歳と共にノンフィクション率?が高くなっている。> ジョイスのフェネガンスウエイクなんか、18行ぐらいで投げ出した。私など、トライもしていない。どうせ読めない上に、世界一難解な小説だから。ただ、同じジョイスの「ユリシーズ」は、高校時代、かなりの興味を持って読めた。それなりの感受性が「当時は」あったのだろうと思う。ユリシーズもそうだが、ジョイスは「言葉オタク」で、あらゆる言語の単語を使用したり、果ては自分で造語したりしている。これを読むのに、日本語という言語へ翻訳する意味が果たしてあるのか?その歩留まりは?と言うことについては、先ず訳者が書いた本を読まないと。「辞書のおもしろさ」という本で(この題名だと思うが)この訳者がその苦労話をちょっと披露してくれている。今は、ノンフィクションばかりだし、文学関係と言っても、句集や評論中心。小説は、読めないのかどうか?とにかくノンフィクションの後回しだから、永久に読めないかな?■ wa-kaさんが引っ越しするそうだ。私は両親が死んだら、娘と一緒に東京に帰って、カギ一つあればいいマンション暮らしをしようと思う。しかし、母がエサを与え(去勢してはいるが)、いまでは私に頼り切っている野良猫たちがいる。おまけに、その中の二匹は家猫同然にまでなっている。彼等に「食事時間ですよ~!}と訴えているつぶらな瞳で見つめられると、彼等・彼女等の今後を考えてしまう。マンションでは、東京に連れて行くわけにも行かないだろうし・・・。どうしたらいいのか? ネット友達の野良猫専門家に聞いてみようかな?■ 作家さんが、韓国人の友人について書いている。韓国人と言えば、私は最近、韓国人とつきあう機会があって、その中で感じるのだが、(例外はあるのだが)、韓国人は日本人と比較して、「いいかげん」、いいかえれば「おおらか」な民族性だと思う。それに自己中心的で、責任感や気配りはあまり無い。作家さんがおっしゃるように、「精密さ」も無い。「ほうれんそう」(報告・連絡・相談)をしない。(これでは、チームワークの仕事は出来ない)気軽に人に頼み事をするが、日本人ほど感謝の念は表明しない。あまり緻密に深く考えないで無謀だから(失礼)、果敢に(に見える)決断・行動する。小さな商売なら、そのリスクをそれほど考えることなく、あっという間に始める。日本人には、これは真似が出来ない。ふりかえって日本人は、ボトムアップの精密な稟議書を関係者全員に回覧して捺印して、誰も責任を取らないで済む「共同責任」としないことには、何事も決断できない民族だ。(考えてみれば、ホリエモンは韓国人体質かも知れない)これはやはり韓国人の、(全部ではないが、高句麗などの)遠い先祖の遊牧民・騎馬民族の血と考えていいのかな?日本人の場合、農耕民族だから移動が出来ない。だから、飛ぶ鳥後をにごすようなことは出来ない。今は核家族・隣は何をする人ぞ、という社会になった日本だが、以前は先祖代々の隣人との人間関係において、義理を欠くことは出来なかった。農業などの定着生活では、精密な仕事が出来る。仕事の内容は、農業カレンダーに沿った農作業などのルーティーンのものが大半で、毎年同じ事をなぞって働けばいいのであって、特に大きな決断を必要とするものではない。創造力もさほど要らない。遊牧民・騎馬民族は、「移動してなんぼ」の世界だろうから、移動の日常で始終、小さな決断をしていかなければいけない。決断に慣れているとも言えよう農業・定着民の周りの世界は、当然のことだが移動しない。しかしその定着した世界の中にも微妙な、subtleな、繊細微妙な変化があって、それを定着民は感じて、それを大きな変化と感じているのかも知れない。当然神経はとぎすまされて、小さな変化をも見逃さない繊細な世界となる。それに引き替え、遊牧民・騎馬民族の世界は、汽車の窓からながめる、流れゆく風景の様に次々と違うものが現れる。その変化をおおざっぱに受け止めて、最大公約数的なものだけをすくい取るのだろうか?
2005.08.27
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【復刻日記】昨日の王女の処刑物語の日記は本当はもっと長かったのだが、私なりの編集過程でまちがって短くなったまま書き込んでしまった。そういうわけなので今日は昨日の続きと言うことで、同じ話題から初めてみる。 ―――― ◇ ――――サウジアラビアの今の王朝の創始者、サウド王(3代前だったかな?)は、百人以上の子供を産んだ。もちろん同一の母親ではない。イスラム法では4人まで妻帯が許されるし、入場制限無しの後宮というものもある。その結果、サウジアラビアのいわゆる王子・王女達は数百人いると言われて久しいから、今ごろは千人を超えているかも知れない。この数多くの王子達が権力争いをするのだから、サウジという国も将来はなかなか大変だと思う。私もサウジアラビアのペルシャ湾側の対岸の島国、バハレーンのホテルのバーであるサウジアラビアの王子と仲良くなった。サウジアラビアは完全禁酒国だがバハレーンは歴史的に英国海軍の基地であった歴史があり、欧州文化との接触の歴史があるのでイスラムのタブーにも比較的寛容な土地で、ホテルでなら酒がでる。その若い王子は気がいい男で、サウジに来たら俺の家に来いとしきりに誘ってくれた。護衛らしき大男が二人ほどいた。 ―――― ◇ ――――しかし数は多くとも、直系・本家ではなくても、とにかく王女は王女である。しかも既婚の王女が平民の男と恋に落ちた。平民といえどもある国への大使の甥で名門の人間といえるのだが。致命的なのは、彼女が国外逃亡しようとして空港で逮捕されてしまったことだ。この事件は後ほど英国のテレビドラマにされた。もうひとつ、この処刑の現場にある英国人のジャーナリストがいた。昨日の日記で書いたことだが、首切り広場を囲む数軒のホテルのどれかの窓からぐうぜんこの処刑の瞬間を見つけて、とっさに自分のコダックカメラでこの場面を撮影、英国に持ち帰ってから雑誌に投稿した。私もこの写真を見たがプロのフォート・ジャーナリストでは無いから、カメラもいわゆる○○チョン・カメラでとったものだから、鮮明ではないがその場の雰囲気は見て取れる。ただし処刑の瞬間のものではなかった。それを掲載すると今度はその雑誌がサウジ政府から厳重な抗議を受けるからだろうが。この二つの事件はのちのち大きな話題になり、英国とサウジアラビアの関係が一時極度に険悪となった。大使を召還するしないの大事になった。 ―――― ◇ ――――サウジアラビアというのはアフリカ大陸とユーラシア大陸の間にある幅広い大きな半島、アラビア半島にある。この処刑が行われた都市ジェッダは、サウジアラビアの西側、紅海沿岸の最大の商業都市である。その紅海をはさんで対岸はアフリカ大陸である。サウジアラビアは産油国の中でも産油量の最も大きな金持の国だ。金満の国と言ってもいい。豪壮な住宅はある。しかし、水電気という基本的な生活工業設備、いわゆるインフラが、以前は不足していた。だから、超大型の発電所プロジェクト、海水淡水化プロジェクトがゴロゴロしていた。サウジアラビアに限らず、中東の産油国は同じ様な状況だった。だからプラント・プロジェクト本部に所属していた私は、サウジアラビアをはじめ中東産油国に何度も長期出張を繰り返して、受注して大喜びをしたり、受注を逃がして失望したり、そんな生活を繰り返していた。
2005.08.26
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今日は急用で日記を書けないので【復刻日記】としたい。 ~~~~~~~~【復刻日記】1977年、サウジアラビアのある王女が処刑された。彼女は既婚者である上に平民の男と恋に落ち、男装して海外に逃亡しようとしたが発覚して処刑された。罪名は姦通罪だったか、王族の人間が平民と結婚しようとした罪だったのか?どちらかだったと思う。なんでも処刑場に連れ出された二人はすでに鎮静剤を大量に打たれて意識朦朧としていたという。王女は銃殺、男は斬首された。通常、アラブでの姦通罪での処刑は石打刑である。息が絶えるまで民衆に投石されるのだが、一方の罪人が王女だから、これでも温情の特別処置だと思う。 ―――― ◇ ――――私はこの王女が処刑された街、ジェッダに何度も長期出張していたが、タクシーなどで事務所から宿舎へ帰る途中に砂地の広場があってその広場を取り巻くようにカフェテラスが並んでいる。この広場は首切り広場と呼ばれていて、処刑が行われる場所でもある。中東では処刑も娯楽の一種である部分がある。日本でも江戸時代の処刑場では、竹矢来の外は野次馬で一杯だったと言うことだ。ある出張でジェッダに入った時には、ヒルトンなどのまともなホテルに空き室がなかった。仕方がないのでこの首切り広場に面したホテルに宿泊した。 ―――― ◇ ――――もともと昔の中東はどの大都市でも高級ホテルであるヒルトンぐらいしか外国人が宿泊できるまともなホテルが無く、しかしそこはいつも満員でなかなか宿泊できなくて、大変な苦労をした。その代わりいったん宿泊してしまえば、先の予約が一杯は言っているので短期間のステイしかできないが、何しろヒルトンだからなんでも豪華版。少し時代が経ってヒルトン以外にシェラトン・インターコンチ・その他野市流高級ホテルが増えたが、まだ現地のホテルとはあまりにも格差があって、ビジネスマンはみな一流ホテルに宿泊していた。おかげで私も一流ホテルの宿泊歴だけは、たいていの人よりは上だろうと思う。 ―――― ◇ ――――この時、私が泊まったホテルは典型的なアラブの商人宿で、窓は小さいものが高い所にあるだけで、建物の外は強烈な陽光だが、ホテルの室内は薄暗い。監獄といってもいいような室内ではある。家具もベニヤ板の安っぽい洋服ダンスがあるだけ。中には針金のハンガーが二・三個ぶら下がっている。それに紅海沿岸は湿気もすごいから、ひどくかび臭い上に、あまりシャワーを浴びないアラブ人の汗だらけのすえたような、苦いような体臭が鼻をつく。しかし、こんなホテルには慣れている私だから、ベッドにドンと身体を投げ出したが、おどろいた。ベッドの底が抜けて、身体が沈み込んだ。みなの汗がベッドのスプリングを錆びさせて、ついに底が抜けたらしい。部屋の隅にもう一つある粗末なベッドで寝ることにした。しばらくしてベランダに出てみたら首切り広場が真下に見える。処刑は金曜日に行われると言うから今日は静かなようだ。その内にはてな?と思った。例の英国人ジャーナリストが盗撮したのはこの首切り広場廻りのホテルの一つのはずだが、ひょっとしたらこのホテルかも知れないと思った。写真のアングルから判断して、その可能性が高い。 ―――― ◇ ――――もうひとつ王女の恋物語がある。場所はサウジアラビアではなくて、対岸の小島のバハレーンである。女性はバハレーンの首長の親戚の王女。男性は米海兵隊員。ショッピング・モールでお互いに一目惚れで恋愛関係に入ったと言うことだが、そんなことが果たしてあり得るのかな?私は個人的には疑問なんだが。バハレーンは小さな島国なのでバスに乗った経験はないが、サウジアラビアではバスの中が二つに区切られていて男女は七歳以下でも席を同じゅう出来ない。だいたい女性は黒いベールで顔を隠していて、見せてもいけないし見てもいけない。われわれはカラス天狗と呼んでいたが黒いマスクをかぶっている時もある。ただ、サウジの美女を近くで拝める秘密の場所がある。一流店の化粧品売り場だ。そこでは上流階級のお嬢様・奥様達がベチャベチャ、ピーチクパーチクとおしゃべりし、化粧品を試し塗りしながら鏡をのぞき込んでいる。日頃のたしなみの黒いベールで顔を隠すこともせずに・・・。彼女たちはさすが美女を集めたハーレムのDNAが生きてて美女ぞろいだ。黒髪に黒い瞳だから、イタリアの清純な女優さんと言ったおもむきだ。イタリアと言ってもゲルマンの血が混じる北イタリアではなくて、アラブの血が混じるいシチリア島で見た美女たちによく似ている。バハレーンの海兵隊員もきっと化粧品売り場で彼女を見そめたのだろう。イスラム法ではイスラムの女性と異教徒の男性の結婚は禁止されているから、私がイスラムに転向したら理論的にはこの美女達の一人との結婚も可能となる・・・。チラッとこういう考えが頭に浮かんだこともあったが、イスラムに改宗するまえに首をちょん切られたかも知れない。首まで地面に埋められて、石を投げられて惨死したかもしれない。やはり私の人生はこれでよかったのだ・・・。
2005.08.25
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ivedoorと、はてなダイアリーにエントリーしたと書いたが、とりあえず楽天日記のいくつかをコピペして、あと二・三ヶ月放置した。コピペでミラーサイトを作っているだけだと、非生産的な気持ちになって、モチヴェーションが上がらないのだ。最近、この二つのブログの内、はてなダイアリーを本格的に使おうと思った。そう思い立った原因は、楽天日記の過去ログのバックアップにもなると思ったからだ。以前、楽天日記をバックアップするソフトをネットで見つけて、ハードディスクにバックアップしたのだが、そのPCがお釈迦になったので、バックアップも共連れになった。だから、バックアップの必要性を感じていたのだが、なかなか実行できなかった。いい機会なのである。それにもう一つの大きな要因は、楽天では日記がある日突然、楽天側によって問答無用で全面削除されることがかなりひんぱんにあるらしいのだ。楽天側としてはそれなりの理由があるのだろうが、ほとんどの場合その理由も示されないでいきなりだという。使用料無料だから仕方がないだろうという意見もあるだろうけれど、ブログサービスを各社が競っているのには、それなりのメリットがあってのことだ。楽天の場合は、楽天市場とアフリエイトへの誘い込みだろう。私も、かなり「率直な」というか、「配慮の足りない」意見を書く方だから、いつ削除になるか知れたものではないという恐怖感が強い。自分の日記を読み返ししないと言っておきながら削除が怖いのも矛盾しているようだが、やはり一年以上書きためた日記で、ある種、私自身のマイル・ストーンだから、それが消失するのは怖い。まあ、そういう二つの要因があって、はてなダイアリー・・・と言うことだ。楽天にはリンク制度があってすぐお友達になる。囲い込みというか、家族的なかなり濃密な人間関係がある・・・というより構築されてしまうのだが、他のブログにはそういう制度は無いようだ。リンクやトラックバックというものはあっても、楽天のリンクとはちがう。はてなでは、コメントをまだ一件ももらっていない。こちらから、はてな内のブログをまだ一度も見に行ったこともないので(方法もまだわからないまま)、おこがましいのだけれど。アクセスは一日数十件ほどあるようだ。はてなでは、日記の中の単語がキーワード扱いされ、自動的に下線を引かれる。このキーワードは、他の日記の作者がトレースすることが出来て、例えば私の日記のキーワード近辺を読みに来るらしい。いずれにしてもあまりまだよく分かっていないのだけれど。はてなダイアリーには、昨日一気に二ヶ月分の楽天日記をコピペした。一週間で完全ミラーになるだろうと思う。はてなダイアリーは機能満載で使いこなしにはかなりの知識と経験が必要らしい。解説書も買ってあるので、ぼちぼち習得して行こうと思う。
2005.08.24
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今まで私は、楽天広場だけで日記(ブログ)を書いてきたが、他のブログにも書いてみようかという気持ちになって、数ヶ月前に livedoor と、はてなダイアリーにエントリーしてみた。しかし、さすがにふんどしのような長い日記を書く私も、一日に2種以上の、内容の異なった日記を書き分けるだけの時間が無い。時間があれば書けないこともないかとは思うが、私はプロ作家でもないし、日記でお金をもらっているわけでもないし、「動機」の面からも、一日一回の日記で充分である。それに、「時間の余裕」の面からも、現在の私は「数件」の、「やるべきこと thing to do」、それも「緊急」に処理すべき、「難易度の高い」、しかも「重大な」事項を抱えている。だから、本来、ここで日記は「一時停止」して、そちらの方に全力投球すべきなのだが、人間というものは、いや私という人間は、そういう状況でもバランス的に、ネット日記のような、脳内整理・不満解消のプロセスを必要としているようだ。でないと、脳内のエントロピーが増大して・・・。・ ・・なるほど。従来から書いてきたことだけれど、私の場合、「他人のブログを読む」ということでは、「情報収集」の効用がある。しかし、それ以外の「私が書く」という側面だけで言えば、自分内部の「エントロピーの増大をコントロールする」という効果が、日記・ブログの一番の効用かな?副次的なものは、まだあるにしても。自分の脳内でフワフワと、気化したまま、定着して物質化していない、とらえどころがないままの意識や思考を、整理してブログに活字化すると言うことで、定着化・思想化してしまえば、エントロピーが減少して、楽になると言うことだ。混雑や渋滞していた、不法駐車の車があったり、または信号が無くて、流れがスムーズでなかった道路の流れが、交通整理されてスッキリすると言うことだ。 ~~~~~~~~ブログの効用はもういいにしても、ブログの乗り換えの話だった。== 続く ==
2005.08.23
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いろんな週刊紙記事や新聞記事のクリッピング(切り抜き)が机の上にたまっているから、これらを一掃することを兼ねて、複数テーマの日記(アラカルト日記と命名)を書いてみる。■ 女子フィギュア・スケート四大陸選手権世界選手権の出場選手はすでに、荒川静香・安藤美姫の二人がすでに決定していて、残りひとつの枠をかけて、恩田美栄と村主章枝が争った。結果は微差で村主が勝った。私はこの試合をテレビで見なかったけれど、村主選手のいつも手旗信号のようなパタパタした腕の振り中心の演技にはあんまり感銘していない。恩田選手はジャンプが得意だが、表現力もかなり出て来たようだし、将来的にはスケールの大きな選手になる可能性がある。私は恩田選手に代表になって欲しいと思っていた。・・・と言いながら、本心はちがう。太田由希奈と言う京都出身の選手がいる。しなやかで、優美でしとやかな、女性らしさという演技が出来る。世界ジュニアで優勝したものの、足首を痛めて、昨年は全日本や世界選手権で活躍したことがないのに根強いファンがいるという不思議な選手だ。みなさんも一度彼女の演技を観てください。■ 西武鉄道の前社長が自殺した。自殺者はコクド総務部次長に続き二人目。肝心の堤氏は所在場所がわからないとも言われている。日本の汚職や経済犯罪事件では、中級管理者がキツイ取り調べを受けた後自殺して、捜査がやりにくくなるケースが伝統的だ。これは企業への忠誠心なのか?それとも心労なのか?よくわからない。■ 大阪はオバチャンのイメージだけではない。静岡県がオレオレ詐欺・振り込め詐欺防止のために、日本一詐欺に引っかかる率の低い大阪の「おばちゃん」を使ったCMがある。静岡で放送されているはずだが、ずいぶん話題になって私も目にしたことがある。「大阪はオレオレ詐欺の被害、めちゃ少ないんやで」「静岡の人も気いつけや!」など、おばはんが口々にまくし立てる。それがまことにガラが悪い。大阪のオバチャンというキャラクターが確立しているようだが、あれはほとんどテレビのやらせだと思う。あんなにガラの悪いおばはんに、私は会ったことがない。大阪府に「大阪のイメージダウンになる」という意見も届いて、結局大阪府は静岡県に抗議するまでになった。それに対して出演者達(おばはん)が、太田府知事に逆に抗議。あつかましいおばはんだ。やはり大阪のおばはんはガラが悪い。(な~んだ)■ 東京大空襲「わずかに時間で十万もの人が焼き殺された市場希なる事件なんですよ でも三月十日と言っても、東京大空襲の日だとわからない人が増えてきていて、このままだと忘れられてしまう、何とかしたいと考えていたんです」故林家三平さんの妻でエッセイストの海老名香葉子さんが東京大空襲60周年メモリアル「十万人の青空」(3月7日 日比谷公会堂)を開く。楽天の人は東京大空襲なんて知らないだろうな~。■ 電機製品の名称「ウッディー」というクーラー?がある。この言葉は、木のように固い・・・と言う意味があって、男性の体の一部がそういう状態にあることを示すのだという。「ビーバー」という三菱のクーラーがある。ビーバーはご存じのようにカワウソみたいな動物で、川に住んでいる。ビーバーと言う言葉は、米語では、そのふさふさした毛皮から、女性のパブリック・・・じゃなかった、ピュービック・ヘア(陰毛)を意味する隠語でもある。裸の女性が大股を開いた写真は、ビーバーショットと呼ばれる。こういう名称をどうして製品につけるのかな~?■ 「居酒屋がいいのは、客を放っておいてくれるところです」そう話すのは評論家の川本三郎氏。「バーやナックではそうはいかない。店の人と会話を強いられる。無関心でいてくれることが、我々のような人間には、最高のサービスになります」群衆の中の孤独。憂愁詩人のボードレールが発見したこの快楽を平成日本で満喫するのに、良質の居酒屋ほどふさわしい場所はない。川本さんが続ける。「チェーン店は敬遠したい 欲を言えば、家族で切り盛りしている店がいい」同感だな~。昔、新橋に「中川」というそんな風な居酒屋があったけれど、今もあるのだろうか?■ 女性の浮気は遺伝?ロンドン発の時事の記事 ~~~~~~~~女性が浮気をするのは遺伝のせいー。英国セントトーマス病院の研究者たちはこのような傾向を示す調査結果を公表した。人の性的行動と遺伝的要因を明確に結びつけたのは初めてで、結果は来月出版される医学誌ツイン・リサーチに掲載される。19才から83才の女性の双子1600組以上を対象に、過去の性的行動について聞き取り調査を実施。その結果、浮気をしたことがあるとした人の内「遺伝的要因による」と判断されたのは41%で、これは遺伝の影響でガンなどの病気を発症する割合より高かった。調査を行ったティム(ティモシー)・スペクター教授は、「女性が浮気をしたり、複数のパートナーを持ったりするのに遺伝子が大きく影響している」と指摘。ただし、「実際に行動に移すかどうかは生活環境や育ち方による」とも話している。~~~~~~~~~そこでドキッとしている貴方、安心してください!あなたの浮気は、遺伝子のせいで、あなた自身の責任ではない。DNA浮気なのですから。
2005.08.22
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ほとんどのみなさんが、自分が書いた日記を再読することはめったにないだろうが、私も再読はしない。だから【復刻日記】というものは、私にとっては、手抜きではあるものの、自分が過去に書いた日記を再読できる機会でもある。再読してみると、ある時は感情にまかせてつまらないことを書いているし、ある時は、自分でもこんなことを考えていたのか?というような思いがけないことを書いている(時もある)。・・・と言う理屈をこねて、今日も【復刻日記】としてみよう。なお、私の蔵書?数は、この日記を書いたときより、500冊、ことによったら1000冊ほど増えているものと思われる。ほとんど読まないままである。無念きわまりない。これを機会に、毎日、読書の時間を設けよう。(いまさら?)それに、今度阪神大震災レベルの地震が来たら、私はこの中古本中心の蔵書の山の、地滑りに埋まって死亡したと思ってください。 〓 〓 〓 〓 〓 〓【復刻日記】123maoさんが、フリーページで「本好きの人への100の質問」に答えているのが興味深い。無断でその一部を引用させてもらおう。----------------018. あなたは蔵書をどれくらい持っていますか。 作者名、題名を記録していて、ある場所も把握しているものは4200冊くらい019. 自分の本棚について、簡単に説明してください(“小説が多く実用書が少ない”等々)。 圧倒的に小説が多い。ジャンルはミステリ>一般(?)>歴史>SF>ホラー>古典020. 本棚は整理整頓されていますか。 それなりに。だが満足いかず、よく配置換えをします----------------まず、蔵書数が、「確認しているものだけでも4200冊くらい」というのがすごい。123maoさんは私よりずっと若いはずなのに、私の蔵書数より多いのだ。それに本棚が整理されているというのもすごい。4200冊を整理している本棚の数はどれぐらい有るのだろうか?私は昔からそれほどの読書家ではなく、むしろ本を買うのが趣味だったと言える。本来は本を「読む」のを趣味とすればいいのだけれど、買っては「積ん読」になっていた。もちろん、買うときは読むつもりなのだが、私自身の読書能力を超える数の本を買ってしまうので、結果的に積ん読になっている。それが積もり積もって、私の自宅には2000冊前後の本が積ん読状態になっている。それに私には海外に家族・親族がいるので、そんな場所(複数)に、まだ合計1000冊ぐらいはあると思う。海外で長期間、日本語の本が読めないと言うのは私にとってとても苦痛だから、意図して本を残してある。移動にともなって泣く泣く廃棄したり、人にあげたり、海外支店の寮などに寄付した本なども、500冊ぐらいあるかも知れない。もちろん、雑誌や週刊誌はこの勘定に入っていない。それに私の本はほとんどがノン・フィクションの分野だという特徴があるかもしれない。というと合計3500冊くらいということになる。これでも123maoさんに及ばない。私はだらしないくせに、変に完璧主義な所もある人間だ。例えば、本を含めて持ち物の「インベントリー INVENTORY 目録・在庫表」を詳細にエクセルで作っていた。企業に在籍していたときには海外出張・海外駐在がしょっちゅうだったので、インベントリーがあると便利だったのだ。どこに何があるか?どこにどの本があるか?・・・がわかるから、今度の出張には何を持っていこうとか? 急な出張の携行品をそろえるとか、そういう時にはインベントリーを見て決めた。ところが、数年前には海外間での移動が激しかったので、本も大量に移動してしまい、update する余裕もないまま最新の状況が把握できなくなってしまった。仕方がないので自宅にある本だけでも現在、INVENTORYを再構築中。あと二・三百冊をデータ入力すれば自宅分は完成することになる。 この日記をはじめる少し以前から、二つの傾向が出てきた。1) ひとつ目は古書店で興味のある本を見つけて、積ん読だけではなく、「読むこと」に興味が出てきたこと。2) もうひとつは、古書店の店頭の「投げ売り本」または「バスケット本」というか、「100円均一」「「200円均一」の超安値の本を買うという楽しみを見つけたこと。心ならずも100円均一の本に成り下がっていても、本来の定価が100円という本は普通あり得ない。それどころか、定価が5000円近くの本が100円、200円で売られていたりする。そんな本を見つけ出すと、ケチな私としてはその差額を稼いだような錯覚に陥る。もちろん古書店では買えないような新しい本は、アマゾンで新刊本として買うけれど、基本的にはこのように、古書店の100円・200円均一の本の中から「お値打ち本」を見つけることにしている。古本屋で買うのだから、やはりそのなかでも古い本が多い。時代物の本と言ってもいいかもしれない。私はなぜか、新刊書を売る大型書店にそれほどの魅力を感じない。もちろん、様々な本がずら~っと本棚に並んでいる訳なのだが、どうしてか、それほど「本が私によびかけてこない」のだ。新聞などで、あらかじめ、その本の紹介などを読んでしまっているせいかもしれない。本の背中がのっぺらぼうに見えてしまう。その点、古書店の本は粒が立っているように思われる。超時代物の変色してしまっている本や、うらぶれた風情の本がある。それにその本の個性やその本を書いた・発行した人々の視点が、様々な時代に散らばっていて、一種のパースペクティブ(遠近法)を形成している。古書は、同じ「日露戦争」というテーマにしても、最近の新刊書とは違う。今までの各時代の視点・時代の思想から書かれた本が古書店にはあるのだ。言い換えれば、森羅万象という世界が、本当にそこにある。新刊書は、現代の視点・知識でのみ書かれた本である。だから、新刊書ばかりが並ぶふつうの書店では、こんな「複雑系」の、「遠近法」の、「時系列」の本の世界を見つけ出したりはできない。
2005.08.21
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今日も【復刻日記】だが、この日記で書いた本については、その後、一向に読み進めていないことをお断りしておきます。【復刻日記】最近、読んだり読み始めた本のことを書いてみよう。(必ずしも最近買った本ということでもない)~~~~~~~~~「立花隆秘書日記」 佐々木千賀子著 ポプラ社 1500円ブックオフで800円で購入。 帯には、こうある。----------------「知の巨人の日常と知的生産の技術のヒミツに迫る! 1993年から98年の5年間。 立花隆事務所(通称・ネコビル)に努めた名物秘書が、激動の日々―田中角栄死去、阪神大震災、オウム真理教事件、立花東大教授誕生―をリアルに活写する。----------------内容はこの通りなのだが、立花隆という知の巨人の人間としての素顔がよく描かれている。知の巨人だから人格的に完璧というわけでは、もちろん無い。やはり天才特有のエゴイズムと、一種の幼児性が目立つ。能力・関心が一点に集中すると、人間的にバランスが欠けるものである。----------------●「日本憲法の問題点」 小室直樹著 集英社インターナショナル 1400円ブックオフ・半値本。得意の帯----------------【大好評「痛快!憲法学」姉妹本 アメリカ製憲法は戦後日本に、何をもたらしたか 「日本病」の延引はなんと憲法にあった!】----------------私は小室さんのファンと言えると思う。(この他に憲法関係の本として下記の本も持っているがまだ読んでいない。「痛快!憲法学」 小室直樹著 集英社インターナショナル 1785円)「日本憲法の問題点」 は昨夜半分ぐらいまで読んだ。その中で特筆したい箇所がある。デモクラシー思想の最も重要な思想家であるロックは「社会契約説」と呼ばれる思想に基づいて、人間には奪うことのできない権利が備わっていることを理論的に証明した。それは「生命」・「自由」・「財産」の、三つの権利である。そのロックの思想を継承したのが、デモクラシー思想の嚆矢とも言える米国の独立宣言を書いたジェファーソン。その独立宣言の中にこういう一節がある。★ 生命、自由および幸福の追求日本の憲法第十三条はこうだ。★ 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については・・・・ つまり、GHQは「自国の独立宣言の一節」を日本の憲法の中に織り込んだのだ。「ありがとさん!」??----------------●「海賊の歴史」 J・マホフスキ著 河出書房新社 1500円古書店で買った本だけれど発行が30年前。ヴァイキングの章を読んだが、ノールウェイのバイキングが「ノルマン」と呼ばれていたのだ。なお、ポーランドは対岸のスエーデンに征服されていた時代がある。そのころのスエーデン人はまだヴァイキングとしての野蛮性を保持していて、子どもが泣くと「スエーデン人が来るぞ!」と、子どもをおどかしていたらしい。どこでもありますよね、「○○が来るぞ!」という脅かし。「奥さんが来ますよ!」!!!!!----------------●「ポンペイの滅んだ日」 金子史朗著 原書房 1800円200円で買った古書。これも発行は1988年。著者は日本人なのに実に内容の質がすごい。ポンペイ関係の本は他に2冊ほど積ん読中なので、併せて読んでみたい。●「素顔のローマ人 生活の世界歴史 4」 弓削達著 河出書房新社 1200円1975年発行これも200円。素晴らしい本だ。(こればっかり)●「21世紀の日米関係 経済・外交・安保の新たな座標軸」ドン・オーバードーファー著 日本経済新聞社 1800円ブックオフ。米国人ジャーナリストの視点からの日米関係。パースペクティヴな視点を得られる。巻末資料の「日米関係史年表」も有用。●「図解雑学 世界の歴史」 岡田功著 ナツメ社 1400円私はこのナツメ社の「図解雑学シリーズ」を評価している。決して深くない。浅い。本当に入門段階の入門書。しかし入門本としては優秀だと思う。全体の流れが実によくわかる。右側のページの図解が本当に要領よくエッセンスを示してくれる。まだほとんど読んでいないけれど、現段階の私には座右の本。●「図解雑学 日本の歴史」 前澤桃子著 ナツメ社 1400円上に同じ。●「昭和の世界史 8 占領と民主主義」 神田文人著 小学館 1200円これは10巻全集の第八巻。ブックオフで全集を一冊各100円で購入した。こんな本が100円だなんて、この世には神も仏も無いものか?・・・って、自分が100円で買ってるじゃない?(すみません)●「詳説 日本史研究」 五味文彦・高埜利彦・鳥海靖著 山川出版社 2381円山川出版社は「日本史年表」などで定評のある日本史得意の出版社。岩波と競っている。この「詳説 日本史研究」も、日本史の決定版・・・などと言われることもある。実はこの本はアマゾンで新刊書として買った。ただ、アマゾンからこの本が到着した翌日、ブックオフでこの本が100円で売られているのを見つけて、私は立ち直れないほどのショックを受けた。それでも、よろめきながらもしっかりと、その本も100円で買って帰った。しかし、自宅でよく見比べてみると(読み比べて・・・と言わないところが私らしい)、同じ本ではない。100円の方は旧版なのだ。「詳説 日本史研究」 前東京大学教授 笠原一男著 2000円著者の笠原先生の肩書きが「前」東京大学教授となっているところには笑える。「前」でも、東京大学教授!なのだ。さて、内容を読んでみると・・・、笠原先生には悪いがだんぜん新版の方がいい!ま、笠原先生も100円なのだから本棚には入れてあげよう!(私も人間ができて来ました)●「憲法 第三版」 芦辺信喜著 岩波書店 3000円これは司法試験受験生のバイブルらしい。定番中の定番らしい。定番とか、定食(特に「肉野菜定食」や「レバニラ炒め定食」に弱い私だから、買ってしまった。芦辺先生の第九条解説はじっくり読んでみよう。●「憲法とはなにか」 櫻井よしこ著 小学館 1400円ブックオフ。気品溢れる熟年美女、櫻井先生の著書。まるで平安時代の女官、宮中の女房のようなおっとりしたお品のいい口調から、極めて厳しい主張が飛び出す。う~~ん、いいな~~。まだこの本は読んでいないが、ぜひとも櫻井先生にいじめられてみたい・・・。(憲法とは全然、関係有りませんでした)●「論考 憲法学 I 統治機構」 榎原猛・土居靖美・伊藤公一・佐伯宣親 編著 嵯峨野書院 2060円古書、1000円にて購入。●「憲法 磯理論と演習」 土居靖美・森省三・伊藤公一 編著 嵯峨野書院 定価不明 ブックオフにて100円にて購入内容豊富。●「日本国憲法の証明」 森村誠一著 徳間書店 980円古書店にて200円で購入。「人間の証明」の次は「憲法の証明」なのか。未読。 ●「翼竜の謎 翼竜・首長竜・魚竜の時代」 金子隆一他著 二見書房 2300円ブックオフにて1200円で購入果たして鳥は恐竜(翼竜)から進化したのであろうか?私が解明してみよう。
2005.08.20
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【復刻日記】「翼竜の謎 THE TIMES OF PTEROSAURIA 翼竜・首長竜・魚竜の時代」世に言う「恐竜ファン」は結構いるものである。私が先日紹介した「翼竜の謎 THE TIMES OF PTEROSAURIA 翼竜・首長竜・魚竜の時代」という本は、恐竜のみならず、恐竜の仲間の巨大爬虫類たちも含めて論じた本。私はこの本がただの恐竜ではなくて、翼竜・首長竜・魚竜というマイナーな巨大爬虫類がテーマなので読みたいと思った。例によって本の扉の解説を引用してみたい。----------------恐竜が支配していた中生代の地球。だが、彼らはあくまでも地上の支配者にすぎなかった。空中や水中では他の巨大爬虫類 ―― 翼竜・首長竜・魚竜 ―― たちがその栄華をきわめていた。巨大爬虫類の黄金時代と言われる中生代。この時代の生態系をトータルにより深く理解する上でも、これら翼竜・首長竜・魚竜は欠くことのできない存在だ。しかし、いままでこれらの巨大爬虫類はえてして恐竜といっしょに扱われ、その存在自体がまともに紹介される機会にめぐまれなかった。本書は、海外の一次文献、または第一線の研究社の収集した直接情報をもとに、知られざる翼竜・首長竜・魚竜などの巨大爬虫類と人類の祖先である哺乳類型爬虫類の謎にスポットをあてた日本初の入門書である。----------------この翼竜というのは始祖鳥という名前で知れている空飛ぶ爬虫類の仲間だ。首長竜・魚竜は海生爬虫類と呼ばれている。山下清ではないが、わかりやすく「軍隊の位で言うと」翼竜が空軍恐竜が陸軍首長竜と魚竜は海軍・・・というところかな?それぞれのテリトリーで王者として君臨していた爬虫類だ。この内の首長竜は例のネス湖のネッシーが(もし実存しているとすれば)これであろうと言われる首の長い爬虫類。哺乳類型爬虫類とはアザラシのような形態の爬虫類がだんだん哺乳類に進化して、ついには爬虫類から抜け出して哺乳類の先祖となった。つまり人類も哺乳類の仲間ではあるのだから、この哺乳類型爬虫類が我々のご先祖様と言うことになる。とにかくこれは面白い本だが、まだあまり読み進んでいないので、紹介はここまでとする。~~~~~~~~~二年ほど前にニューヨークで下記の博物館を訪れたことがある。アメリカ自然史博物館 American Museum of Natural History 住 所 Central Park West at 79th StNew York, NY 10024(bet 77th & 81st Sts) TEL Tel (212) 769-5100 ホームページ www.amnh.org 非常に大型の博物館で地球と人類の進化を総合的に検証した博物館と言えようか。とにかく地球の歴史と人類の、その他の生物の歴史に関する展示物が系統的に展示されていて、とても一日ではすべてを見ることが出来ないほどのスケールだ。ところで、ここの人気者は恐竜の骨格標本。2・3体展示されているのだが、まるで巨大な爆撃機のようなおもむき。アメリカ大陸は恐竜の名産地だが、日本には果たして恐竜の骨格標本などあるのだろうか?日本の土壌は酸性で骨などがすぐボロボロになってしまって化石などが残るには不利な条件だという。日本の原人・旧人の化石にしても、明石原人などの骨格の一部が奇跡的に発見されたが、こういう事情で、その他はなかなか難しそうだ。~~~~~~~~~恐竜に限らず地球上にはいままで我々の想像を絶するような奇妙な生物が無数に存在していたということは化石からも証明されている。特にカンブリア紀という時代にはなぜか?爆発的としかいいようの無いほどの数多くの種の生物が出現している。このカンブリア紀の生物に関する本も、一冊もっているので愉しみにしていよう。爬虫類と気軽に書いているようだが、私もなにをかくそう、身近な爬虫類。あのナガモノが大の苦手だ。その証拠にその爬虫類の名前も書けないほど。それなのに、この私が数多くの爬虫類に囲まれてしまってパニックになった経験談がある。 ~~~~~~~~以前、東ドイツとある商談の交渉(ネゴ)を続けていたときのことだ。ある日曜日に久しぶりに暇ができて西ベルリンの町を散歩していた。たしかツォー(動物園 英語でいうとZOO)近くだったと思うが、いつも気にかかっていた小さな動物園があった。そこは「爬虫類動物園」という名前。いったいどんな動物園なんだと、怖いもの見たさで入ってみることにした。入ったらド~~ンとガラス張りの吹き抜け空間。そこになにか碧黒く光ものが見える。近づこうとしてたまげた!ボアというのだろうか?アナコンダというのだろうか?巨大な蛇が (ついに嫌な名前をかいてしまった) 実に巨大な蛇がどくろを巻いて存在しているのだ。----------------「アナコンダ」という映画がある。今をときめくセクシー女優兼歌手のジェニファー・ロペスが昔、主演したB級映画だ。アマゾンの河を舞台に探検隊が巨大な巨大なアナコンダ(水棲性の大蛇)に襲われる。私はそれまでにジェニファーの映画としては「Uターン」というものを見た。週刊誌の映画評に「こんな褐色のエロティックなセクシー悪女、ジェニファーにズブズブにおぼれてみたい」という映画評があったので、すぐレンタルで見てみて、ズブズブにおぼれたので、アナコンダもレンタルしてみた。しかし、この映画は良くなかった。私はジェニファーのエロティックなセクシー・ボディーを愉しみたいのに、碧黒い鱗を光らせたアナコンダのボディーが主役の映画だった。そのアナコンダが探検隊の筏などをおそって暴れまくるので、ジェニファーのエロティック・ボディー鑑賞どころではないのだ。気持ちが悪くなって翌日返却してしまった。このアナコンダはコンピューター仕掛けのロボットだということだが、それはどうでもいい。恨みは深いアナコンダなのだ。----------------しかし、この爬虫類動物園のアナコンダは、ジェニファーがいないせいか? 至極おとなしくてピクリともしない。人間の胴体ほどの太さの巨大なものが3頭ばかり、昼寝をしているのか?深い思索にふけっているのか?そのところはよくわからない。足をしのばせて(しのばせる必要もないのだが)そっと二階に上がった。そこからは細い廊下の両側に水槽がズラッと並んでいる。この水槽には金魚がいるわけではない。例の生き物がいるのだ。例の生き物と言っても、熱帯のジャングルにいる毒蛇から、水棲性のもの、海で蛇をしている海蛇なんてやつらが、陰険に横たわって時々こっちをみる。こういうやつらとは知り合いになりたくない。つれなく横を向いて前進する。しかし、そのうちに、私はこんな嫌な恐ろしいながものに囲まれているのだという実感が徐々に湧いてきた。普段ならその姿さえ見たくない、その名前だって聞きたくない蛇・・・ あ!また書いてしまった。膝が震えだした。しかし、ここまで来たら私も男だ?三階の一番行き止まりまで、なんとか這うようにして進んだ。もう両側の方々の、出身や猛毒性に関する説明版や、ヌメヌメしたお身体なんか見る余裕は全く無い。ただ廊下をあえぐように10センチずつ前進するだけだ。「行きはよいよい 帰りは怖い」こういう童謡の一節ぐらい私も知ってる。しかし、この童謡のこの一節に秘められた深~い意味を私はこの時初めて知った。三階から一階までの帰路の記憶はほとんど無い。酸欠状態と膝が笑う状態でたどり着いた一階が、また昼寝中の?巨大アナコンダだ。このいまいましい動物園から出たときの空気のおいしかったこと、明るい太陽のありがたかったこと。
2005.08.19
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今度の衆議院選挙には、自民党から刺客候補や、マドンナ候補などがつぎつぎと擁立されている。あのホリエモンも出馬とか。あいつは人間としては好きじゃないけれど、国会議員としては、旧態依然とした議員連に、新しい視野やコンセプトを提供してくれるかも知れない。いいんじゃない?藤野眞紀子私は知らなかったけれど、カリスマ主婦だそうだ。夫は参議院議員。彼女のコメント、「常にすべてを出し尽くす ゼロになって、次に進む」。これは、気に入った。いいんじゃない?私のブログ日記も、それが目的。頭の中で、もやもやしていて、活性化していないことを活字にして不特定多数の人の前に、提示し、出し尽くす。そうして自分はゼロになって、次に進む。そんなつもりだけれど・・・。 ~~~~~~~~Msk222さんが、久しぶりに政治的発言をしている.Msk222さんの日記の内容は下記。-------ところで、小泉執行部の刺客対造反議員の戦いにはとんと興味がないが、猪口邦子氏を刺客として引っ張り出したことには、ちょっとビックリするとともにとても残念だ。僕は猪口邦子氏については、彼女の書いたものや発言をずっと読んでいたので、これからの日本にとって期待できる人物として注目していた。国連の軍縮委員としても各国の委員の信頼を得て、男にはできない交渉をまとめてきた実績もある。また、「首相公選制」への提言など、さまざまな思考の切り口はするどく、先見性に満ちている。ホリエモン擁立などを冷ややかに見ている有権者も、彼女だけには特別な期待を持つのではないだろうか。僕なども、できれば彼女ならゆくゆくは女性宰相になっても…、と期待したくなるところだ。しかしだ、国会議員は将棋の駒のようなものだ。どんなに優れた資質をもっていても、当選後は海千山千の政界のドロドロした汚泥の中で、何百分の1の発言権は埋もれてしまうのがオチだ。また、今度の造反劇をみてもわかるように、最後まで自分の信念を貫けば簡単に捨てられてしまう存在なのだ。ましてや今回のドロドロしたなかから議員に誕生したとしても、小泉体制が変わればそのときの立場はけして良いものにはならないだろう。まあ、他の有象無象の刺客とやらが、どのように使い捨てられようと僕にはどうでも良い。しかし、これだけの才能が、政争劇のなかの捨て駒にされるとしたら、それは日本全体にとっても損失だとおもう。どうか出馬を翻意して欲しい。有権者の皆さん、それでも出たら、彼女をフリーな立場にしておくために、ぜひ落選させてあげて欲しい。 ~~~~~~~~私は、異なる意見を持っているので、下記の様にコメントしておいた。なお、msk222さんとは、事前の了解無しにお互いの日記を引用してもいいという約束をしている。------チェスとちがって、持ち駒を使うというのが将棋でしょう。いつまでも使わないまま手元に置いて、死駒にしてもいても意味がありません。本人も政治的な経験を積むでしょうし。議員は低級な人材でいいと言う意見に取られかねない消極的な日本的意見だと思いますが。郵政改革に反対の議員の反対理由がよく分かりません。民営化というのは正しいと思うのですが。それに反対するのは、票田とか、資金援助とか、その他の悪名高い「郵政利権」にしがみついていたことの証左では無いでしょうか?それに、郵政改革という視点だけでなく、利権というものを一掃するきっかけになればいいと思うので、この際、こういう議員は大量虐殺して欲しい。離島・僻地の郵便事情なんて、現状でもクロネコがいれば大丈夫じゃありませんか?それを敢えて保護すると、そのコストが税金として、われわれにかかってきますよ。自己責任というのは現実です。
2005.08.18
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以前、ちょっと書きかけたら女性読者から絶大な関心を寄せられたマダム鳥尾の「おとこの味」という、ちょっとエッチなエッセイがある。せっかくエールを送ってもらったのに、たった一回しか書いていないのは、私の怠慢で、深く深く、母の恩より深くお詫びをするところである。しかし、今の私には「時間」が無い。ピアノはあるが・・・。(西田敏行)なぜか、こんな男が、「今」限定で超多忙なのである。今年中には何とか決着がつくかもしれないが、せめて【復刻日記】で、エッチな香り?を復活させたい。なお、「マダム鳥尾って何者?」と言う方には、前提知識として、私の下記の過去日記を読んでいただこう。 〓 〓 〓 〓 〓 〓【復刻日記】【GHQ民政局のボス、ケーディスには有名な醜聞がある。旧華族の元子爵鳥尾敬光氏の奥様・鳥尾多江、通称「マダム鳥尾」とのおおっぴらな不倫関係である】敗戦後の日本がサンフランシスコ講和条約で独立するまでは、日本は実質的にGHQに支配されていた。このGHQはその統治期間を通じて日本を「政治的武装解除=Political Disarmament」させようとしていた。※ 「史録 日本国憲法」(児島襄著)(文春文庫)戦後日本を論じる・検証するにはこのGHQというものを研究しなければならないと思いだした。私でも記憶のあるGHQの有力者の名前がある。● もちろん第一にマッカーサー元帥。GHQの最高司令官である。● マッカーサーの分身と言われた弁護仕上がりの副官のホイットニー。● 一兵士からたたき上げて代将にまで昇進した職業軍人、G2、軍事部門である参謀部の第二部長チャールス・ウィロビー。まあ、言ってみればタカ派・コチコチの右翼だろう。● ケーディスGS、政治行政担当の民政局次長「非軍事化・民主化」政策の主導権をもっていた民政局の中心人物。映画俳優のような美男だったという。こちらはウィロビーに敵意を込めて「ピンカーズ」と呼ばれていたという。PINK はもちろん、左翼思想の持ち主、共産主義のシンパという意味。もしかれが本当にピンクなら、日本の「非軍事化・民主化」政策推進の中心としてはうってつけの人物である。----------------このケーディスには有名な醜聞がある。旧華族の元子爵鳥尾敬光氏の奥様・鳥尾多江、通称「マダム鳥尾」とのおおっぴらな不倫関係である。マダム鳥尾は「GHQの影の女王として、終戦直後の日本に君臨した」などと書いてあるものもあるが、果たしてどうだったのだろう?先日偶然、古書店である本を手に取ったら古書店店主から「あっ!それはエッチな本ですよ。いやらしいですよ。」と言われた。題名が「おとこの味」。確かにエッチかも知れない。著者がマダム鳥尾。私も知っている麗名高い女性である。なるほど~。サンケイ出版社。奥付には昭和26年頃、銀座でクラブ「鳥尾夫人」を経営・・・とある。この頃は私はまだこどもだから、この「鳥尾夫人」に出入りは出来なかった。この本の帯には下記のように書いてある。----------------戦後、GHQの影の女王として名をはせた元子爵夫人が、幾多のおとことの体験を肌で綴ったモーレツなる「セックス教書」。「おとこの味」のよしあしを判断するには、まずそれを試飲してみることだ。スタミナのあるおとこ、バイタリティーあふれるおとこに、ワタシは魅力を感じる・・・。(著者)----------------ちょっと読んでみると、確かにケーディスとつきあった女性だけあって、当時の女性の感覚としては、バタくさいところがある。男女間の色事に関して、本音で語っている。確かにこれは「いやらしい」本かも知れない。読むのが楽しみになった。ではでは、戦後の日本の方向を決めたと言ってもいい「GHQ」の研究は、このへんから(下半身から)はじめてみよう。(オイオイ!) 〓 〓 〓 〓 〓 〓お約束のマダム鳥尾の「おとこの味」からの抜き書きです。( )内は私のコメントです。コメントが少々情けないものになっているところは、男としての私の言海です・・・、じゃなかった限界です。----------------「女の心理」 英語に、オイリーな感じの男という言葉がある。日本語で言えば、つるっとした男、あるいはぬるっとした感じの男ということである。これを着物に例えると、ペラペラな安手の布地にさわった感じというのかもしれない。----------------(alex注 : oilyと言う英語の表現は、脂ぎったと言った意味じゃないのかな? 例えば「風と共に去りぬのクラーク・ゲーブルのような。 または口がうまい・・という意味では? まあ、マダム鳥尾の方が正しいのかも知れない・・・。 泣く子と地頭と・・・特に女性には勝てないと言うのが私の人生哲学だ。)ワタシは着物でもそうだが、男もしゃきっとした感じのない人はキライである。----------------(ドキッ! すみません。 ???まだ、あやまることはなかったかな?)かといって、ゴワゴワの手織木綿がよいというのでもない。質実剛健、実用一点張りでは、やはり味気ないからだ。そこでワタシは、男のてざわりは結城紬(ゆうきつむぎ)のような味を持った人が最高だと思う。結城紬は、しっとりとした触感と、しぶい光沢を持ち、着れば着るほど味が出てきて、何年たってもアキが来ない。男も、そんな味のある男こそ、もっとも手ざわりのよい男といえるのではないだろうか。(中略)ワタシは、男のひとの手ざわりをさぐるのに、よく男のひとと食事をする。三度食事をしたら、すべてがわかるが、一回でもおおよその見当はつく。おなかがすいているからといって、相手の思惑など考えずに食べる人とか、くちゃくちゃ、変な音をたてて食べる人など,まずダメである。こういった人は、セックスの場合も同じである。----------------(ドキッ!)(相手の思惑など考えずに・・・・。。 ダメなの?)だから、ワタシは、関心をよせる男性ができたら、こちらで食事に誘うか、誘われたらその機会につぶさに拝見させてもらう。----------------(つぶさに拝見されても食事のお勘定は男性持ちなの?)学生時代にみじめな下宿生活を送っていた人など、一発でわかる。----------------(ドキッ! やっぱり?)どうかすると、首までつきだして食べている。----------------(うるさい!)そして、相手の食べるスピードなどいっさいおかまいなしである。こういった男性をみると、ワタシなどついてはいけない。一番肝心な後始末をしてもらえない男性という感じがするからだ。----------------(ドキッ! やっぱり? スピード違反はどこでもいけないのだ! それよりも、車の流れに乗らない遅すぎるスピードもいけないのだ! 何を言ってる? このへんは自分でもわからないのだ。 それに一番肝心な後始末といういいかたは・・・。男は後始末処理機かい?)女はそれがイヤだから、そんな恐れのある男性には警戒をはらう。そして、この手ざわりだかは、女のカンで不思議にあたるのである。----------------(これからは女性との食事は避けよう。いきなり!で行こう・・・。何が「いきなり」? まあ・・・それは。) 〓 〓 〓 〓 〓 〓どうでしたか?これからマダム鳥尾の「おとこの味」の引用はシリーズでやらせていただこう。女性からの要望も多いようだし。
2005.08.17
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Katiebooksさんの日記にこういうのもあった。「なんでも鑑定団」の岩崎鑑定士の唱える値段の法則セルロイドの玩具・キューピー人形などに関連して想い出すことがある。戦後、占領軍時代、ある日本の会社が「MADE IN USA」というロゴ入りの玩具を米国などに輸出して儲けたそうだ。米国から「MADE IN USA」を名乗るとはけしからんと苦情が来た。そうしたら、その会社の所在地、宇佐市の市長が、「USA すなわち「宇佐」は日本の古代からの由緒ある土地である。アメリカごとき新興の国とは歴史がちがう。こちらが先輩なのだ!」と、突っぱねたら、米国側はそれ以上追求してこなかったという。戦後すぐなのにサムライがいたものだ。アメリカの歴史コンプレックスが見え隠れするようでもあり、なにかおかしい。(笑)宇佐については、うさうさ・・・、いや、「うすうす」知っていたが、あらためてネットで検索してみたら次のような紹介があった。 Web site のHPの名前がないのでURLのみ紹介する。 ~~~~~~~~http://www.pref.oita.jp/10400/toyo_info/m2/menu.html八幡宇佐神宮 宇佐神宮(宇佐市) ”八幡様”は、多くの日本人に最も親しまれた神様であろう。その総社が八幡宇佐宮(宇佐宮、宇佐八幡宮とも、本殿は国宝)である。宇佐宮は大分の古代史の鍵をにぎっている。八幡宇佐宮の起源は、多くの謎につつまれている。元来は、宇佐地方の部落国家統合の農業神であったという。そして、地元の豪族宇佐氏、渡来系の豪族辛島氏、大和系の豪族大神氏によって維持されていたと考えられる。ここに、ひとつの大分の歴史・文化の特徴、”国際性””融合性”の起点がある。 八幡宇佐宮が文献に出るのは8世紀の前半が最初である。当時の政府が朝鮮半島や大陸との関係や聖武天皇の病気平癒など国事に関することで祈願することが多く、鎮護国家の神であった。また八幡宇佐宮は当初から仏教との関係が深く、日本で最初に神仏習合をし、八幡大菩薩となり、神社と一体化した弥勒寺を建立している。神仏一体、融合の神が宇佐八幡宮であった。9世紀には山城国(京都府)石清水八幡宮が造られ、やがて源氏の氏神鎌倉の鶴岡八幡宮など全国に八幡宮が勧請されていった。 八幡宇佐宮と大和政権 東大寺大仏造立は、八幡宇佐宮の全国区へのデビューの事件であった。聖武天皇は発端から八幡宮の託宣(お告げ)を受け、黄金の不足には託宣によって陸奥国に黄金が発見され、八幡神は東大寺の地主神となった。大仏の開眼にさいして都にのぼった八幡神は、日本で初めて神位をうけ、最高の領地を受けた。地方の神が大神宮となり、朝廷から”宇佐使”が派遣されることとなった。 八幡宇佐宮の名を、よりひろめたのは”道鏡事件”であった。聖武天皇と光明皇后の間に生まれた称徳女帝は、弓削道鏡を寵愛し、太政大臣禅師から法王にまで昇進させた。こうした折、宇佐宮は”道鏡を天皇にすると天下太平になる”との託宣を出したという。称徳女帝は、それを確かめるために和気清麻呂を宇佐へ派遣した。宇佐宮の神託は道鏡の期待を裏切るものであった。道鏡は失脚した。以後、天皇が即位するたびに使者が使わされている。宇佐宮は中世には九州随一の荘園領主となり、独自の文化をつくった。
2005.08.16
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Katiebooksさんの日記が面白いので、はじめから読んでみた。こういう日記があった。日本旅行ー私の好きな眺めのいいホテル ~~~~~~~~東京の空も、秋と冬はみごとに青い。私のEXワイフは欧州人、それも北の方の国だったので、日本で外出中に「日本の青い空はいいだろう 君の国では冬に青い空なんてあり得ないからな」とうっかり言ったら、なぜか、怒りだされたことを想い出す。ホテルと言えば、私は中東でビジネスをやっているときは、いつも一流ホテルに宿泊しました。シェラトン・インターコンチ・ヒルトン・マリオットetc etc.別に自慢というわけではなく、第一、会社の出張費で宿泊するわけだが、そもそもその当時の中東では、外国人が泊まれるホテルは一流ホテルしか無かったからだ。あとはアラブの安宿だが、ここは出来るなら止まりたくないところ。とは言っても、中東ブームの時代の初期は、その「外国人が泊まれる一流ホテル」はヒルトンだけで、(あとで他の一流ホテルも建設ラッシュになりましたが)、なかなか泊まれない。運良く予約がとれても数日。その数日が過ぎれば、予約が詰まっているので、追い出されます。しかたがないので、そんなときは灼熱の町を、タクシーでさまよいながらアラブの安宿を訪ねまわって、なんとか空き室を見つけて泊まる。そんなアラブの安宿は、焼けた屋外と反対に暗く湿っていて、カビの臭いと、風呂に入らないアラブ人の強烈な、苦いような体臭が鼻から刺すように入ってきて、しばらくは頭が痛くなりそう。部屋には、高いところに窓があって、バルコニーらしき所に出ようとすると、床が朽ちているので危ない。ベッドは客の汗でスプリングがいかれていて、中央部が凹んでいます。古いクーラーがあればラッキーですが、無ければ天井の扇風機がゆらゆら回っているだけ。ま、そんな安宿でも住めば都。だんだんなじんで、薄暗い食堂で、ラクダのステーキなど食べておりました。日本へスパイ活動の成果?を報告するためにテレックスを出してくれと頼むと、忙しいので今は出来ないという。天井部屋にテレックスがあるから、勝手に打てばいいと言う。しかたがないので、勝手が分からないシーメンス社製のテレックスマシーンの前に座って、ふんどしのような長い原稿(ポツポツと点字のような穴が開いた紙テープ)をつくり、いい加減な操作で送信する。それはそれで、のんきな所だったので・・・、懐かしい。
2005.08.15
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今日も時間がないので、【復刻日記】。一連の「桃源郷シリーズ」の最後。元の日記に寄せられたコメントもお読みになりたい方は、下のリンクをクリックしてください。ただし、本文はかなり書き加えているので、本文はこの【復刻日記】の方を読んでくだされば幸甚です。桃源郷には美女がいればいいのだが、陶淵明の「桃花源記」には、どうも美女の話題は出ていないみたいだ ~~~~~~~~【復刻日記】せっかくの桃源郷に「美女」がいればいいのだが、陶淵明の「桃花源記」には、どうも美女の話題は出ていないみたいだ。そこんとこを、最も重要なところを、もう少し、突っ込んで取材して欲しかった。考えてみれば、浦島太郎の物語に出てくる竜宮城も、「男性向け限定版」だが、理想郷のひとつではないだろうか?「♪竜宮城へ来て見れば絵にもかけない美しさ」美しい乙姫さんが「身を挺して」お相手してくれるようだし、「鯛や平目の舞い踊り」というセクシー・ショーもあるし、正に夢の中である。♪♪♪♪♪♪♪♪(一)昔々浦島は助けた亀に連れられて竜宮城へ来て見れば絵にもかけない美しさ(ニ)乙姫様の御馳走(ごちそう)に鯛(たい)や比目魚(ひらめ)の舞踊(まいおどり)ただ珍しく面白く月日のたつのも夢の中(三)遊びにあきて気がついてお暇乞い(おひまごい)もそこそこに帰る途中の楽(たのしみ)は土産に貰った玉手箱(四)帰って見ればこは如何に元居た家も村も無く路に行きあう人々は顔も知らない者ばかり(五)心細さに蓋(ふた)取ればあけて悔しき玉手箱中からぱっと白烟(しろけむり)たちまち太郎はお爺さん♪♪♪♪♪♪♪♪しかし、よ~く考えてみると・・・。この理想郷はちょっとひどいぞ。乙姫さんは、美しい悪女だし、玉手箱なんて、まるっきり「ワナ」じゃないの!「浦島太郎」の歌詞を注意深く読んでみれば、いかに竜宮城が、悪女「乙姫」の若い男を吸い尽くす魔窟(まくつ)であるかがわかる。結局乙姫様は、私の・・・、いや浦島太郎の若い肉体だけが目的だったんじゃないの?故郷に帰りたがった浦島には玉手箱の「お持ち帰り」の「おみやげ」。だけど一体、「開けてはいけない!おみやげ」なんてアリなの?だれだって、開けるでしょうが!悪意の「おみやげ」なんだ!こういう歓楽の秘境があることを一般人に知られないように、浦島太郎を老人にしてしまうと言うタイム・ボムである。それを開ければ、一瞬で爺さんになってしまった浦島太郎が哀れだ。美女にもてあそばれた一生と言えよう。 ~~~~~~~~桃の花も美しいが、梅もいい。昔、大阪の池田市に「畑の梅林」という有名な梅畑があった。梅が咲く時期になるとそれこそ見渡す限り梅の花になる。当時は、多くの人々が花見に来ていた。私も祖母に連れられて花見に行った記憶がある。梅の花見は、派手な桜の花見とはひと味ちがう。それに、樹の高さがそれほど無いので、目の高さで花を愛でることが出来る。本家中国では、美しい花と言えば決まって「梅」で、桜などは振り向きもされない。だから、美女の名前に「梅」がついたものが多い。中国文化圏であるヴィエトナムでも、「マイ(梅)」という名前が多い。日本ではもっぱら桜が花見の主役だが、私は梅の方が好きだ。梅には独特の高雅な美しさがあって、生々しい生を感じさせる過度に鮮やかで蓮っ葉な(言い過ぎか?)桜より好きなのだ。また、桜はすぐ葉桜になってしまって醜い姿を見せてしまう。「三日見ぬ内の桜かな?」自宅の庭に紅梅が二本あるが、冬が終わりそうになり、春の気配が感じられることになると、梅の花が咲くのが楽しみだ。それに桜は私にとって、温室のような小さな私立の学校から、公立の高校に入学した春の四月の不安感がフラッシュバックする不吉な花で、なんとなく落ち着かない。それに桜の木の下には死人が埋まっていると言うし・・・。この「畑」という土地は、昔、帰化人が移住した土地だったと聞いたことがある。畑という地名は多分、帰化人の泰氏から来ているのだろうと思う。それにここにあるお寺は京都の黄檗山万福寺と同じ黄檗宗の寺で、建築様式はカンフーの映画で見ると同じ、エキゾチックな中国風の寺だ。これも帰化人の土地だったことと関係があるのだろうか?「畑の梅林」へ花見に行った頃は、この田舎の山麓に、長~い一本道が通っていた。モダンジャズのピアニスト、秋吉敏子の作曲した「ロング・イエロー・ロード」という曲がある。秋吉敏子は満州からの引き揚げ者で、この「長く黄色い路」とは、故郷満州の風景を思いだした曲だと言うことだ。やはり、この「畑」の路の近辺は、帰化人が故郷を思い出して定着したものだろうと思う。
2005.08.14
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今日もまた、桃源郷の続きの【復刻日記】。 ~~~~~~~~【復刻日記】理想郷と言っても、桃源郷の他にいろんなものがある。まず、上記の説明にあるユートピア(Utopia)というものがある。これは「どこにもない場所」という意味の造語だという。トーマス・モアの主著で1516年刊。架空の国ユートピアの見聞記の体裁をとって、共産主義・男女平等、また宗教上の寛容を説いた本。私が付け加えるなら理想郷としてはアルカディア(Alkadia)というものもある。ギリシャ南部、ペロポネソス半島中央部の山がちな地域のことで、高山や峡谷で他の地域から隔絶され、古くから牧歌的理想郷の代名詞とされた・・・とある。私の元妻の実家(と言っても外国だが)の避暑地の土地にある別荘の名前がこれ。実家は没落貴族だから、このアルカディアも手放してしまって、国に引き取られて、部屋が数十あるから、今は国民宿舎みたいな宿泊施設になっている。ま、昔の持ち主だから、満員に近いときでもフロントのおばさんが優先的に泊まらせてくれたりしたが、最近は新しいホテルが建っていて、もうこんなレトロな施設に泊まる必要もないかな?昔、娘と庭でブランコに乗ったり、卓球をして遊んだのが懐かしい。しかし、もう一つ付け加えよう。シャングリ・ラ(Shangri-la)だ。『チップス先生さようなら』でおなじみの英国の作家のジェームズ・ヒルトンの小説「失われた地平線」(一九三三年)の中の仏教徒の理想郷。この小説では、一九三一年、インドの争乱を逃れて英国領事ら四人の乗客が飛行機で脱出するが、機はヒマラヤ山中に不時着し、パイロットは「ここはシャングリ・ラだ」というなぞの書葉を残して死ぬ。四人はラ・マ大寺院の張老人に助けられるが、そこは月が青白く輝き、深い森や川や谷に囲まれた大自然だった。不老長寿の地、時の流れから解放された秘境だったが、四人の中の青年が現地の中国嬢と恋に落ち、そのためシャングリ・ラを後にする…。私はまだ理想郷を知ってるぞ。(理想郷スペシャリストかい?!)それは「ブリガドーン」。私の好きなミュージカル映画の題名でもある。100年に1度だけ姿を現すというスコットランドの幻の村。そこに狩りの途中で迷い込んだ2人の若者が、その村の清純な娘に恋をする…。ミュージカルと言っても幻想的なミュージカルで極めて上品。その代わりに、地味~。しかし、いいのだ。村娘に扮して優雅に踊るのがシド・チャリースだから。古今東西、最高の脚線美だし、「踊るエヴァ・ガードナー」とうたわれた美貌、特にダンスのうまさはミュージカル女優の中でも最高。もっともクラシック・バレエ出身のバレリーナだから、ジンジャー・ロジャースのタップ・ダンスとは違う流儀の踊り方だが。シド・チャリースは、ヴァンプ(悪女)役が案外多い。出世作の「雨に唄えば」での、ジーン・ケリーにシド・シャリシーがからんで踊る「ブロードウェイ・バレエ」のシーンでは、シド・シャリシーの官能的な脚線美がアップになる。このシーンで、この映画を観ていた全米の男性の「あご」が、あんぐり開いてはずれてしまった!・・・という記事を米国の映画雑誌で読んだことがある。これに始まって、シドはいろんな女に姿を変えてジーン・ケリーを誘惑して悩ませる。ついでに言えば、「雨に唄えば」と並ぶMGMミュージカルの傑作、「バンド・ワゴン」でも、シド・チャリースがフレッド・アステアと踊る「劇中劇」的なバレエ・シーンがある。これは、アステア扮するハードボイルド探偵の冒険と悪夢をバレエ仕立てにしたもの。ここでもシドは、ヴァンプ役でアステアを翻弄する謎の女。さてこの、ブリガドーンでの相手の若者がジーン・ケリー。とくれば、シドとの「バンド・ワゴン」などでの世紀の名コンビ、フレッド・アステアではどうか?ということも考えられるが、さすがにアステアでは老けすぎていて、「若者」とは行かずに、「初老の男」となってしまって、若者特有の「冒険心」や「無謀さ」が出ないだろう。初老なのに無謀な男もいるが・・・。・・・私のことです。
2005.08.13
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昨日の【復刻日記】「逃亡者としての私」に続く【復刻日記】。 ~~~~~~~~【復刻日記】昨日の日記で桃源郷と言うことを書いたので、それに関連して。知っている人は多いと思うけれど、桃源郷とは中国の理想郷のことである。陶淵明の「桃花源記」に描かれた理想郷が原義だが、これから派生して俗世間を離れた平和な世界・仙境を指す。言葉を換えれば理想郷、西欧流に言えばユートピア。----------------これ以上の桃源郷についての説明として、下記のサイトを引用させてもらおう。 ~~~~~~~~http://www.page.sannet.ne.jp/nenge/togenkyou.html「桃花源記」訳文 晋の太元年間、武陵に魚採りを生業としている男がいた。ある日谷川に沿って船をこいで行くうちに、どれくらい行ったか忘れたが、突然一面に咲きそろった桃の林に出逢った。川を挟んだ両岸には数百歩の間、桃の木以外の木は一本もなく、香しい花が鮮やかに咲き誇り、花びらのひらひらと舞い落ちるさまは実に見事であった。漁師は甚だ不思議に思い、さらに溯って林の奥まで見届けようとした。林は水源のところで尽きて、そこに一つの山があった。その山には小さな口があって、何かしら光が射しているようだ。そこで船を下りてその口に入った。始めのうちはひどく狭くてやっと人一人通り抜けられるくらいだった。さらに数十歩行くとがらりと開けて、土地は広く平らに、立派な家屋が立ち並び、よい田畑、美しい池、桑や竹の類があった。道は縦横に通じ、鶏や犬の声が聞こえた。その中を行きかい畑仕事をしている男女の服装は、どれもみな外国の人のようであるが、老人や子供までみなにこにこしていかにも楽しげである。漁師を見るとひどく驚いてどこから来たにかと聞いた。そこで詳しく話して聞かせると自分の家に連れ帰って、酒の支度をし鶏をしめてご馳走した。村の人々はその漁師の来たことを聞き、みなやって来ていろいろ質問して言うのであった。「私どもの先祖が秦の時代の戦乱を避けるために妻子や村人を引き連れてこの人里離れた山奥に来て、もはや決してここを出ず、そのまま外界の人々と縁が切れてしまったのです」。そう言ってさらに「今はどういう御代ですか」と尋ねた。なんと彼らは漢代のあったことすら知らなかったのだ。ましてや 魏晋はいうまでもない。漁師が一々自分の耳にした限りのことを詳しく話してやると、彼らはみな驚いて嘆息した。ほかの人々もまたそれぞれ自分の家に招待して、みな酒食を出した。かくて数日間この地に逗留して暇を告げて去ったのだが、そのとき村の人々は告げて言った。「外界の人に話すほどのことではありませぬよ」(これは外界の人に話しては困ることを婉曲に言ったもの)こうして辞してやがて例の口を出てくるともとの船を見つけ、前に来た路を辿って要所要所に目印をつけた。かくて郡の町に着くと、太守のところへ参ってかくかくしかじかと話をした。太守は早速人を派遣してその漁師について行かせ、前に付けた目印を辿って行ったが遂に迷ってもはや路を見つけることはできなかった。南陽郡の劉子驥先生は高潔な人物であった。この話を聞くと喜び勇んでその秘境を探検しようと計画を樹てたが、まだ実現せぬ内に間もなく病気で世を去った。そのご遂にその地を訪れる人はなかった。~~~~~~~~~こんな桃源郷は、私にとっては一度は訪問してみたい土地だ。いや、永住してもいい。こんなところでのんびり薔薇の根のパイプ・・・、いや、キセル煙草でも吸いながら逍遙して、道行く村人と挨拶をしたい。私が異邦人でも驚かずに挨拶をしてくれるだろう。路傍には、なずな・・・みたいな花が咲いていて、小川には小さな橋などが架かっていて、そこを鄙(田舎)には希な清楚な少女が、老酒の入った壺などをかかえて通りかかるかな?この少女は、恥ずかしがってはいても異邦人の私に密かに興味を持っていて・・・、いずれは「逢い引き」をしてくれることになっている。私が声をかけると恥ずかしがって逃げるように去って行くが、あとで壁土の崩れかけたような民家の陰で私と愛を語るプログラムが初めからインプットされているのだ。西脇順三郎の世界だと、小川が流れる民家の脇で、農婦が隠れて小便などをしているのだが、これも,わびさびの極みだとしておこう。流れはすべてを浄める。しばらくすると芭蕉が奧の細道の取材を兼ねて、この梅の村を通りかかるはずだから、私としては、果たして世評のように芭蕉先生が伊賀の隠密だったのかどうか?を、この村の俳諧読みの庄屋宅での宴会に参加して聞き出そう。~~~~~~ 明日の日記に続く ~~~~~~~~~
2005.08.12
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以前、私のリンク先を棚卸しして、かなりのリンクをばっさり切らせていただいたのだけれど、その後、面白そうな日記が見つかったので、またそろそろリンクの50と言う制限数が迫ってきた。だから、また「リンクのリストラ」をせねばならなくなってきた。何度でも書いているように、私のリンクとは、私が毎日、面白そうな日記はあるかな~?と、「おすすめ新着」を見るためだけにある。面白いことを書いてある日記を毎日見るためのチェックをここでしている。その日記のレベルの高度とか、尊敬とか、義理人情とかは一切無く、ただ、見たい日記を一覧してくれるこの「おすすめ新着」だけが、リンクの理由だ。面白い日記でも、更新が、週一とか、月一だったら、毎日の「おすすめ新着」の機能の無駄遣いだから、リンクからは落とす。ただ、私の日記へ書き込みをしてくださる頻度などは、もちろん勘案している。その代わりに、そういう更新の少ない、しかし価値がある日記は、「お気に入り」に設けてあって、ジャンル別に分けてある「ブログ」なるものに格納していて、だいたい週一ぐらいの頻度で、まとめて読ませてもらっている。だから、「大好き and/or 尊敬している日記」であっても、敢えてリンクから外しているものは多い。私にリンクしてくださった楽天メンバーでも、リンクからあとは全くコメントも書き入れず、訪問もしてくれていない人が相当多い。七夕のようなものだ。私へのリンクの半分近くにはなるのではないだろうか?そもそも、いったいどういう気持ちで私の日記へリンクしてくれたのだろうか?「リンク関係」なんて、ネット親友とか、そんなものとは全く関係ない・・・というのが今の私の考え方だ。
2005.08.11
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【復刻日記】で小休憩。今日の【復刻日記】の元の題名は【最近、日記を書く意欲が減退している】なのだが、ちょっと情けない題名だと思ったので、変えてみた。 ~~~~~~~~【復刻日記】最近、日記を書く意欲が減退している。最初は読書日記をと思って書き出した私の日記だったが、昔の思い出話や、聞き知った雑知識などを中心に書いてきた。時々時事問題を書いたり。しかし、読書については私は精読派の上に歴史や科学の本が多いので、毎日一冊読破して、感想を書くというペースは不可能だ。昔の思い出話も色々あるにはあるのだが、書いてしまえばそれまでで、想いの交錯する過去の世界も、そこで完結してしまう。逆に言えば、バラバラにして机の引き出しにしまってあった昔の写真をアルバムに貼り付けるようなもので、それなりに私の心の中で「整理がつく」という側面もある。~~~~~~~~~日記らしい日記というものを書く、つまり「その日の」私の行動記録や心境を書く、と言う事には私は興味がない。それは、私の生活や行動そのものが、記録するほどのもので無いことに起因していることは確かだが、それでも毎日、定点観測を続けていれば、少しずつはそれなりの変化があるはずなのだが・・・。やはり私という人間は、現実の私の行動とか交遊とか、そういうものに興味が無いのだろうと思う。ひょっとしたら、私は「私自身という現実」に、それほど興味が無いのかも知れないと思う。~~~~~~~~~私は中学時代から登山に興味を持って、高校時代は山岳部にいた。大学でも同好会に少し入っていたときがある。社会人になってからは同僚が行きたがらない僻地への出張が楽しみだった。アラブの安宿でラクダのステーキを食べたりしていたら、なごむのだから変人かも知れない。学生時代も試験が終わるとその日の夜行に飛び乗ってあての無い旅行をするのが楽しみだった。こんな事を書きながら、自分というものを考え直そうと思っているのだが、私は結局、現実逃避の人間かも知れない。旅というものは現実の日常からの逃走だと思う。夜汽車に飛び乗った瞬間に、現実から切り離されるのだ。現実とは異なるものを発見したいと思いながら、車窓から飛び去る暗い夜景を眺めているのだ。今思い出すことがあるが、幼いときに近所を「探検」して歩いていて、ふと気がつくと全く知らない村落のような所に出くわすことがあった。村というと正確では無いかも知れないが、昔のそんな牧歌的な地域の雰囲気は漢詩の世界の「桃源郷」を思わす雰囲気があった。そんな時に私は、幼いなりにまるで「新大陸」を発見したような驚きと誇りを感じ、興奮したことを想い出す。読書でもそうなのだが、歴史の世界を好むのも、一種の心の旅行・心の中の探検かも知れない。この現実という、けだるい、アンニュイな、閉ざされた予定調和の世界から、なんとしてでも逃れたいという、「逃亡者」としての心の動きなのかも知れない。音楽で言えば、モダンジャズのサックスの悲鳴にも似たアドリブなども、どこかにあるはずの、違う世界への身をよじるようなあえぎなのかも知れない。
2005.08.10
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娘との「にじよじ」の話の続きだが。その一見さえない印象の寿司屋に入ってみた。「にじよじ」時間だから(「よじ」に近かったが)、客はいない。にぎりを二つ頼んで、鉄火巻きを一本頼んで、冷酒を飲んだ。この際、なぜ「にぎり」で、「上にぎり」でないのか?という素朴な質問に答えたい。(まだ質問はもらっていないが・・・)第一に私は大阪人で実質をとるから、値段が安いから「にぎり」を避けて「上にぎり」を自動的に注文すると言うことはしない。東京人はいい年配になって「にぎり」を注文することに、バンジージャンプのような勇気を要するかも知れないが、私にとって「にぎり!」と注文することになんのためらいもない。ときどき『「にぎり」でいいんですね?』という、失礼極まりない確認が注文取りのおばさんから発せられるが、これにも決してめげずに、「そう! にぎり 上にぎりじゃないよ」と最終確認を言い渡す。すると、おばさんは「『上にぎり』の注文を受ける」という夢がやぶれて、がっくりと首を垂れてさびしげに去ってゆく・・・、訳ないか。「にぎり」と「上にぎり」の違いは、どこへ行っても「イクラ」と「ウニ」が入っているかどうか?という一点に絞られる。もし、「イクラ」と「ウニ」に対する嗜好と執着がうすければ、「上にぎり」という奸計にはまることなく、コストパーフォーマンスが最高である「にぎり」を注文するという、人間としての王道を行くことができるのである。、その点、親として最大の幸福と言おうか、娘は日本育ちではないから、「にぎり」と「上にぎり」を隔離・差別化する最大要因である「イクラ」と「ウニ」をそれほどアプリシェイトしないのである。むしろ、『隠れ「にぎり」ファン』疑惑さえあるのである。「にぎり王道派」(これはフランス革命における『王道派』とは著しく様相をことにするかもしれない)である私も、実は、東北ドライブ旅行をしたときには、イクラ丼とウニ丼のあまりのおいしさと、あまりの安さに、うっかり大感激したものだ。しかし、その私が、都会では、よほどの一流店でないとイクラとウニを食して感激したという経験はないのである。であれば、なにも約二倍の値段がする「上にぎり」を注文することもない。(まだ、言ってる)「にぎり」の多大な貢献の結果、私の財布も幸福、娘も幸福、というウィンウィン状況なのだ。 ~~~~~~~~私と娘が食べながら話していると、板さんが声をかけて来て、彼との会話が始まった。この人は大阪人で、江戸前寿司職人ではもちろん無いが、その単純で気っぷの良いテンポの速いおしゃべり・無駄口ぶりは、江戸っ子も裸足で逃げるほどの暴走ぶり。ついつい、はまりそうなサービス精神にあふれた職人さんである。その暴走?職人が、「ご主人は商社マンですか?」といきなり私の元職業をズバリとあてる。他の無限にある職業を言わないで、いきなり「商社マンですか?」と来たから、私も驚いた。「それ、当たっているけれど、どうしてわかるの?」と聞いたら、「そういうお顔と雰囲気ですよ」と言われた。そう言えば、ある雑誌で読んだのだが、中高年の同窓会で一番学生時代と比較して顔・容貌が変わっているのが商社マンだという。学生時代の私が商社マンという顔をしていたわけがないから、異邦の地での幾歳月?が私の顔を変えてしまったのかも知れない。またそう言えば・・・だが、私が最初の赴任地から帰国して、一家で食事をしたときに、妹たちが私の顔が一変していると言ったことがある。「まるで○○人のような顔になって」と言われてもピンと来なかったが、ある程度そんなことになっていたのかも知れない。不思議だなと思う。不思議だなと思うと同時に、そんなものかもしれないとも思う。昔、東宝の映画に決まって出てくる役柄が、ハワイ日系二世のバイヤーというものがあった。そのバイヤーや進駐軍の日系二世のGI達は、明らかに日本人ながらどこかバタ臭い顔だった。一方、中国残留孤児などは、両親とも日本人なのに、数十年の中国生活で、まるっきり中国人という容貌になっている。日本人の面影はまず無いと言っていい。日本人の顔もここ百年ぐらいで大きく変わっている。幕末や明治初期の写真に写っている武士や庶民の顔が、まるで泥を塗ったような容貌で、醜い猿のようなものなのである。滞日していたフランスの漫画家のビゴーが描いた日本人が、のちのち日本人の典型的なイメージとなる、矮躯・出っ歯・吊り目の日本人だが、このころの写真を見ると、そのようにビゴーが描いたことは、写実であったとしか思えない。時代が一変して、今の日本人の容貌である。芸能人の顔を見れば、どれだけ日本人の容貌が変容したかがわかる。大きな瞳に高い鼻、あか抜けて現代的。白人的とまで言える容貌が多い。原因はなになんだろう?一つは顔面の筋肉の動きで表情が、容貌が変わるのだろうと思う。一つは栄養が行き届いて、容貌に変化を与えたのだろう。後は、住んでいる環境・文化も大きな要因だろう。さらには、「こういう容貌になりたい!」という人間の欲求が肉体的なものに反映すると言うこともあると思う。不思議である。いずれにしても不思議である。== 明日につづく ==
2005.08.09
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koikeさんが、オートバイについて日記を書いているが、たまたま私、オートバイを今日買いました。と言ってもホンダの赤い50ccで、店頭で見て衝動買いをしたのですが。ただ、スクータータイプではありません。クラッチ・変速のある一応、オートバイです。ホンダ・カブのような実用車でもありません。私は日本ではペーパードライバーで、車を持ったことがなかった。海外ではあるんですが。日本では今まで原付スクーターに乗っていて極めて便利だったんですが、子供からの夢、オートバイに乗って旅をしたかった。でも、二輪免許を持っていないので、とりあえず衝動的に50ccを。スピードは大型二輪ほど出ないでしょうが、自転車感覚でのんびりと走れば、かなりのところまで行けそう。しかし、実際は今まで原付スクーターでやっていた日常の町乗りや駅まで。これを自動二輪でするとなると大変で、特に商店街は無理。駐車も不便。取り回しも重い。 ~~~~~~~~私は、みなさんには意外と思われるかも知れませんが、極めて安全運転の男です。自己顕示でスピードを出すなんてことはしません。「止まれ」では、止まるか、微速にします。曲がり角では左右を確認するまで出ません。直線で見晴らしがよくて、飛び出しの無いところは高速にしますが、このごろはそれも止め、意識的に原付は自転車のスピードに近く、自転車では歩くスピードに近く・・・でのんびり走っています。これだと、事故の確率は限りなくゼロに近くなる感じです。小さな事故の確率でも毎日乗っていれば、積算して大きな確率になりますから、安全運転を習慣にしてしまえば、何も欲求不満もありません。 ~~~~~~~~ただ、本当のことを言うと、夜、飲みに行くときには自転車で通っていたんですが。それも、今まで乗っていたツーリングタイプやマウンテンバイクではなく、変速機も無いただのシティーサイクルを飲み屋専用として買ったのです。その自転車を酔っぱらって行方不明にしてしまったので、やむなくオートバイを。夜の飲酒運転で風船をふくらませられたことがあって、それから自転車にしたわけですが、その自転車も消えてしまった。オートバイで飲みに行けば飲めません。これから私はウーロン茶にして、女の子にはウヰスキーを飲んでもらおう。禁酒になってダイエットになって一石二鳥。酒なんか、好きじゃないモン!?
2005.08.08
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Musical Batonがまた、亜さんから廻ってきた。もうすでに日記にもしているので、好都合だと、【復刻日記】にすることにした。「幸せの手紙」「不幸の手紙」のようなもの(回付するアンケート)が出回っている。これを、自分の日記の書き込みに代えたいが、これとは別に、いずれ好きな音楽・曲についてもっとくわしく書いてみたい。 〓 〓 〓 〓 〓 〓Q1.今コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量は?A PCに音楽ファイルを入れると言うことをまだしていない。Q2.今聴いている曲A 多忙にて、特になし。Q3.最後に買ったCDA 数日前に到着の下記CD3点。すべてグラシェラ・スサーナです。☆ グラシェラ・スサーナ ベスト30☆ 街燈☆ 愛の詩を今あなたにQ4.よく聴く、または特別な思い入れのある5曲A 「よく聴く」と「特別な思い入れのある」とは、全然ちがうと思うけれど。 まあ、いっか。5曲なんて難しいから、無制限?で。ポピュラー=====■ グラシエラ・スサーナ アドロ/サバの女王■ カテリーナ・ヴァレンテ 情熱の花/マラゲーニア/シボネー/ブリーズ・エンド・アイ/ジェラシー/ビギン・ザ・ビギン/キエレメ・ムーチョ ■ マーティー・ロビンス エル・パソ■ ドナ・サマー アレキサンダー・パーク■ エルヴィス・プレスリー ブルー・ムーン/ハワイアン・ウェディング・ソング/オール・シェイクアップ■ パティー・ペイジ テネシー・ワルツモダンジャズ(器楽)======■ジャッキー・マクリーン Left Alone/Cool Struttin’■ジョン・コルトレーン Giant Steps/My Favourite Things ■マイルス・デイヴィス Someday My Prince Will Come/Around Midnightモダンジャズ・ジャズ・女声ヴォーカル=============■ ヘレン・メリル 'S Wonderful/Bye Bye Blackbird/At The End of Love Affiar■ クリス・コナー Somebody Loves Me■ ジョニー・ハートマン+ジョン・コルトレーン My One and Only Loveオペラのアリア======■ ある晴れた日に (蝶々夫人)■ 星は輝きぬ (トスカ)■ 誰も寝てはならぬ (トゥーランドット)■ 私のお父さん (ジャンニ・スキッキ)クラシック(器楽)======■ ジャックリーヌ・デュ・プレ エルガー チェロ協奏曲■ バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲) いろんな人の演奏を持っているんですが、どれが一番いいかな?■ バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ ヘンリク・シェリング(Henryk Szeryng)の旧版の演奏が一番好きです。日本民謡====■ 元ちとせ 「故郷(しま)・美(きょ )ら・思(うむ)い」(アルバム)(元ちとせが、まだ高校生だった頃に、故郷である奄美大島の島唄を吹き込んだCD 素朴で素晴らしい 夏の夜はこのアルバムを子守歌?にして寝るのが習慣でした)
2005.08.07
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ははは・・・。【復刻日記】は、やはり楽でいいや。酷暑の毎日は、これに限る・・・、と調子に乗って、今日も【復刻日記】。 ~~~~~~~~【復刻日記】ハリー・ポッターの舞台がスコットランドで、どうもケルト人がらみの話らしい
2005.08.06
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暑いときは、【復刻日記】で手抜きをしよう。みなさんも、更新が滞っている日記が多いようだし。 ~~~~~~~~【復刻日記】 今年の夏の暑さはすごい。あまりの暑さで、もう何もする元気が出てこない毎日だ。日記も復刻版ばかりでごまかしている。さすがに怠け者の私も、これではいけないと思い始めた。何かいい方法はないだろうか?それがあるのである。私には、しょうれいの地、中東の酷暑の中を生き延びたという貴重な経験があるのだ。あの暑さを思い出せば、これしきの暑さに負けるわけには行かないのだ。それにイラクで酷暑に呻吟しているはずの自衛隊のみなさんの苦労も思いやらなければいけない。・・・ということで、中東の暑さを思い出して書いてみよう。しかし、この暑さだから、短めの文章にしたい。(やはり暑さに負けているのだが)~~~~~~~~~中東の暑さはみなさんの想像以上である。イラクはまだそれほどでもないと思うのだが、少なくともアラビア半島のUAE(アラブ首長国連邦)やサウジアラビアの暑さと言ったら無い。ここは昔、白人の墓場と言われたほどの場所だ。気候は HOT HOTTER HOTTEST の三季節しかない。温度は60度以上になる。発表される温度はそれほどでなくても、実際に地上に立ったら、そこの温度は60度を越す。自動車のボンネットで軽く目玉焼きが出来る。駐車した車のハンドルを握ることが出来ない。タクシーにはクーラーが無いことが多かったが、だからといって窓を開けると熱風が入って来るから、窓は閉める。一度、UAEの中のアブダビから、エジプトのカイロに出張したことがあった。ピラミッドやスフィンクスを観て、夜のテントで半裸美女の!ベリーダンスを観てアブダビに帰った。その帰りの飛行機がアブダビ空港に着いて、ドアが開いた瞬間、驚いた。本当に一瞬で、手の平がベタッとなったのだ。つまりものすごい湿気が機内に入ってきたのだ。つまりそれほど、アブダビの湿気はすごい。一年中、ほとんど100%。車のフロント・ウインドーも湿気の多い日は、湿気で曇るからワーパーを動かす。東京からの出張者がゴルフをしたら、5ホールめで、熱中症で倒れて救急車のお世話になった。なおこのゴルフ場は、競馬場ならぬラクダのレース場兼用のもの。もちろんグリーンなど無いので、砂をアスファルトで固めたものがグリーンの代用になる。フェアウェイでもカチカチに干上がった地面にラクダの大きな蹄がディポットになっていて、ボールはパチンコの玉のようにカンカンと転がりまわる。めったにないが、停電になると困る。エレベーターもクーラーも止まるからだ。高層アパートの階段をやっと徒歩で登ってきたら、部屋は蒸し風呂以上。とても生きて行けない環境なんだけれど、外に出れば熱中症になるから仕方がない。ベッドのシーツをバスタブに浸して、それをかぶってベッドに横になるとかろうじてしのげる。それでも、シーツが一時間で乾くのでまたバスタブに浸す。(なお、このアブダビの想い出は、ずいぶん古い話なので、今ごろは、相当変わっているだろう事をお断りしておきます)~~~~~~~~~あれを思い出したら、怖いものはないはずなんだけれど、それでも暑いものは暑い。暑い想い出を思い出しただけ、損をした感じ。今晩は、美女の館にでも飲みに行こう。この暑さに耐える私へのごほうび。(正当化できんか?)
2005.08.05
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【復刻日記】「さよならだけが 人生だ」
2005.08.04
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人生の岐路に立つといろいろなことを考えるが、人生をシンプルに考えることへのヒントとなる言葉というものがある。この【復刻日記】で取り上げた言葉は、そんなものの一つだと思う。【復刻日記】♪変えられないものを受け入れる力 ♪そして受け入れられないものを変える力をちょうだいよ
2005.08.03
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娘と「にじ・よじ」をしていたら、というか、本当は「さんじ・よじ」をしていたら、その「さんじよじ」が「さんじ・じゅうにじ」になっちゃった。娘と近場の寿司屋に入った。杉浦日向子さんのいう「にじよじ」の時間である。娘はハーフなのに、日本食大好き、特に寿司なら毎日でも。友達関係でも、日本人とだったら、なごんでリラックスできるが、欧州にいると鬱々として楽しまない。要するに四文字熟語で言うと「不定愁訴」、カタカナで言う「ノイローゼ」、語源はドイツ語かな?それがあって、日本にいるとストレスが無いという、不思議人間である。この寿司屋さんは、入り口の雰囲気からして、「もうひとつ」で、寿司好きの娘も、入るのをちゅうちょしていた店だ。だから、寿司というと、今まで遠出して食べてきたのだが、今日は思い切って「あの怪しげな」寿司屋に入ってみようと言うことになった。私が東欧にいたころは、東欧の貧民が食べに来る貧民レストラン(ミルク・バーと言われている)の料理の味が大好きで、毎日のように通っていて、日本人のみならず、家族にも笑われていた。だけど・・・、厳冬の東欧で、暖かいスープや暖かい料理を食べるのって、至福。身体が冷え切っているだけ、あったかいスープが、おいしい!!!これは、私の好きなロシア!のゴーゴリの世界かな??娘とは反対に、私は、基本的に洋食が好き。商社員時代、長い海外出張から帰ってきて、同僚・部下達にプチ歓迎会を催され、「alexさん 今日はなに食べませうか?」と聞かれたら即答で「○○○のビフテキ鉄板焼き」と、答えて、寿司を期待していた彼等に驚かれた男である。今思いだしたが、NYのある有名日本鉄板焼きレストランで、不愉快なことがあった。私の妹は米国で国際結婚しているのだが、日本のビジネス社会は、国際結婚をしている日本女性を一段、下に見下げる風潮がある。戦後すぐの日本女性とGIの結婚、(戦争花嫁と呼ばれたりした)に対する偏見が、いまだに尾を引いているのだろうか?日本で生まれて、日本で育ち、日本人エリートと結婚して、たまたま夫の海外駐在という出来事で海外にいる・・・、そんな幸せ?な日流「セレブ奥様」が、日本のスタンダードで、そのご主人である日本企業の駐在員の社用接待がNYの日本料理屋のメインの顧客なのはわかる。日本人の女性と結婚している「現地人!が毎日の商用の接待で日本料理屋を利用するようなことは無い。日本企業のビジネス客以外は、リピーターではないし、金を落とす客だとは思われていないのだ。彼等はせいぜい、たまの休日に日本食の味わいを懐かしんで日本料理屋に立ち寄る、またはブロードウェイで観劇して、その帰りに、日本料理屋の看板を見て急にノスタルジアを感じて、日本料理屋に入るのである。予約を義理の弟の米国名で入れて、店内に入ったら、冷ための対応をされた。私の勤務先の商社名、それもNY支店の機械部あたりの名義で予約したら、ひょっとして対応がちがったかも知れない。おまけに、注文した「ミディアム・レア」のビフテキが、ウェルダウンに近かった。従業員を呼んで、ウェルダウンを引かせて、もう一度「ミディアム・レア」を作らせた。同席していた私のもうひとりの妹の主人が、あとで「あれは行き過ぎではないか 場の雰囲気を壊す」と言っていたらしいが、私から言わせればとんでもない。(彼はわれわれ家族とは異文化の、伝統的日本社会の人)注文通りのものを出さない店が悪いのである。「ミディアム・レア」で注文を受けておきながら「ウェルダウン」を出すのであれば、はじめから「お肉の焼き加減は、いかがいたしましょう?」などと聞くな!肉の焼き加減などどうでもいい客と、肉料理が売り物のはずの店。ビフテキではなく、「焼き肉」または「炭状に焦げた元牛肉」とでもしろ!ロンドンで同じようなめにあったことがある。英国には、エスニック料理(要するに外国料理)以外、うまいものはないが、それでもイングリッシュ・ブレークファーストとローストビーフは有名である。フランス人の朝食はベッドでのカフェだけらしいが、英国人はたっぷり量のある朝食をとって、それがイングリッシュ・ブレークファーストと呼ばれる。極めて美味であると紹介されることもあるが、日本人が同じ素材で料理すればきっともっと美味になるだろうという程度のものである。それでも、英国でうまい食事をしたければ、イングリッシュ・ブレークファーストを朝・昼・晩の三食食べろというジョークもある。フィッシュ・エンド・チップス(フィッシュェンチップス)というものがある。揚げた魚(コッド 鱈)とチップス(ジャガイモの揚げたの)(米国や日本でいうポテトチップス えびせんのようなものとは違って、短冊形に切ったジャガイモを揚げたもの)を新聞紙に包んで出してくれる。もともとこれなどは、下賤なたべものであるからして、包んでくれる新聞も、階級社会の英国の下層階級が読むセンセーショナルな記事満載のタブロイド誌で包んでもらうと味がひと味違うという説がある。特にタブロイド誌の三ページ目に定番としてのっている、見事な肉体のヌードのお嬢さんの写真あたりで包んでもらうと、もうひと味違うかも知れない。ところで、英国人は実質ほとんど料理をしない。ごく単純に揚げたり煮たりするだけで味付けなどはほとんどしない。味付けは、塩胡椒やソース類にたよることになる。このフィッシュ・エンド・チップスもそういう状態で出てくる。塩やソースをかけて食べるらしいが、その不味さがスゴイ。これが英国名物なんてお笑いだ。英国のマクドナルド的な「ウィンピー」というチェーン・レストランがある。よくもこれほどマズイものを作れるものだというほどすごい「料理」を出してくれる。まあ、英国人の舌には、味覚のセンサーがついていないのだからしょうがないが、それにしても・・・である。では、英国人の舌はなんのためにあるのだろう?不味い食い物を搬送して喉に放り込むためなのか?母音が世界一多い言語である英国英語を話す際に、多彩な母音を発音するための器官なのか?それとも、これも世界一多いといわれるゲイの人達が、フレンチキッスをするためにあるのだろうか?で、ローストビーフであるが。ロンドン案内を読むと必ず出てくるローストビーフの名店に行ってみた。店名は忘れた。ウェイターがちょっと慇懃無礼風に出してきたローストビーフ、これが見事にウェルダウンである。それも焦げて黒くなっている。もちろん肉はパサパサ・・・というより焦げてカリカリである。私もカリカリ来て、このカリカリビーフを突っ返した。いったい「ウェルダウン」で受けておいて、こんなカリカリ・ウェルダウン・・・というよりチャコール(炭)をどうして焼くことが出来るんだろう。この肉の焼き具合というのが、国によってちがうと思う。欧州はややよく焼く、つまりウェルダウン・サイドである。アメリカは、ちょっとレア・サイドかな?フランスもそうだと思う。話題がOBしてしまったので、寿司屋での二時四時の話は、明日書くことにする。
2005.08.02
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ニコルさんの日記で「デートの際の割り勘」というテーマが出ている。このごろは、男女割り勘のデートも多いらしい。私は女性に勘定を払わせたことが無い。古い人間だからだけれど。女性の方から誘われた場合でも、その誘いを、あまり積極的には受けなくても、結果的に誘いに応じた限り、私が払った。「時代遅れ」だろうけれど、男とはそう言うもの・・・という固定観念がある。一度だけ女性からお金を借りて返さなかったことがある。学生時代からつきあっていた女性と、社会人、新入社員になって始めて男と女の関係になった時。朝、ホテルの支払いをしたら、財布の中にはもう、会社へ出勤するタクシー代も無くて、仕方なく彼女からタクシー代を借りた。○○○ちゃん、ごめん。でも、あの後、すぐ結婚しちゃったんだよね、君は・・・。だから、返す機会を失ったんだよ。
2005.08.01
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