全16件 (16件中 1-16件目)
1
28日の新聞に鉄人28号の写真が載っていたので、早速、会社の帰りに見にいったのですが、残念ながらお披露目は1日かぎりで、頭部はもう製作会社に戻したそうです。鉄人28号の設置場所の公園が通勤ルートに近いので、地下鉄を途中下車して公園に寄ったのですが・・・分割された手足の部分がシートにつつまれて、バラバラに置いてあるだけでした。すぐ見に行く、物見高い大使であるが・・・・阪神大震災の被災場所に、神戸ゆかりの鉄人28号を据えるという構想がグーですね♪とにかく、漫画連載中から親しんだ団塊にも、いま現役の子供にとっても元気が出るではないか。鉄人28号モニュメント製作報告より7月27日(月)15時、多くのお世話になっている方々や各メディアの報道の方々をお招きして、鉄人28号モニュメントの起工式を行いました。朝準備をしている時には時折強い雨になり、午後三時からの式ではどうなる事かと心配しましたが、式直前には雲も切れ間を見せ始め、除幕式では、強い日射しの夏の太陽が姿を見せる中、ご臨席いただいた、来賓の皆様をご紹介させていただき、除幕をしました。除幕で姿を現したのは、この日に合わせて塗装されて会場に運び込まれた鉄人の頭部です。今まで見ていた鋼鉄の鉄人は製造途中の姿、除幕後目にした最終カラーで塗装されたその姿に、いよいよここ新長田・若松公園で建設が始るという期待感で胸がいっぱいになりました。今後搬入された鉄人のパーツで8月初旬には本格的に建設がスタートします。実物大の?18mのモニュメントか・・・・そなアホな♪いや、その途方も無さが肝要なんでしょうね。途方も無いサイズに拘ったプロジェクト皆さんのアホさかげんに・・・座布団3枚♪神戸の鉄人28号誕生前夜、岸和田 北海製作所北海製作所で鉄人製作中
2009.07.29
コメント(0)
you tubeでナナ・ムスクーリの「さくらんぼの実る頃」が復活したので、以前の日記を再掲します。Nana Mouskouri - Le temps de cerisesLe Temps des cerises Paroles:Jean-Baptiste Clement Musique:Antoine RenaQuand nous chanterons le temps des cerisesEt gai rossignol et merle moqueurSeront tous en fete …Les belles auront la folie en teteEt les amoureux du soleil au coeurQuand nous chanterons le temps des cerisesSifflera bien mieux le merle moqueurMais il est bien court le temps des cerisesOu l'on s'en va deux cueillir en revantDes pendants d'oreille …Cerises d'amour aux robes pareillesTombant sur la feuille en gouttes de sangMais il est bien court le temps des cerisesPendants de corail qu'on cueille en revantQuand vous en serez au temps des cerisesSi vous avez peur des chagrins d'amourEvitez les belles …Moi qui ne craint pas les peines cruellesJe ne vivrais point sans souffrir un jourQuand vous en serez au temps des cerisesVous aurez aussi vos peines d'amourJ'aimerai toujours le temps des cerisesC'est de ce temps la que je garde au coeurUne plaie ouverte …Et Dame Fortune, en m'etant offerteNe pourra jamais fermer ma douleurJ'aimerai toujours le temps des cerisesEt le souvenir que je garde au coeurこの歌詩はウィキペディアから転載したのですが、coeurなど一部フォントを変えています(仏語フォントは楽天が受け付けてくれません)"A la vaillannte cityenne Louise, l'ambulanciere de la rue Fontaine-au-Roi le dimanche 28 mai 1871."このシャンソンはフォンテーヌ・オ・ロワ通りの看護婦,勇敢なる市民ルイーズに捧げられたそうです。「桜んぼの実る頃」をめぐって大野修平さんより
2009.07.28
コメント(0)
麻生太郎首相は25日、横浜市内で開催された日本青年会議所(JC)主催の会合であいさつし、「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違って、働くことしか才能がないと思ってください。働くことに、絶対の能力がある。80歳過ぎて遊びを覚えても遅い。働ける才能をもっと使い、その人たちが働けば、その人たちは納税者になる」と述べた。(25日 毎日新聞)ま~ 死に体の麻生さんだから、いまさら失言しても政権交代の潮流は変わらないと思うけど・・・・まったく「それを言ちゃーお終いよ!」であり、政治家としては、思っていても言ってはいけない発言であり、政治家として危機意識の乏しい発言でしたね。これは、団塊の世代よりもっと年上の高齢者に対しての首相の本音のようですが、再雇用で働く団塊世代の大使としては、少し耳が痛いが、なにより・・・・・「お前にそれを言われたくない!」と憤懣やるかたないのである。若者におもねて世代間確執を煽る奇策ととれなくもないけど・・・・やはり、世代に関係なく格差是正を目指すのが本筋だと思うんですけど。民主党政権になったら、後期高齢者医療制度という悪法は早速、廃止、見直しを行うことになるでしょうね。厚生労働省大臣および事務次官殿
2009.07.26
コメント(8)
機上からタクラマカン砂漠を見て以来・・・・満蒙、西域に漠然と憧れていた大使の意識に油が注がれたようです。シルクロード熱、砂漠熱が発熱した大使はWeb検索にとっかかったんですが・・・・・検索ルートが手当たり次第で要領がわるいのです。とりあえず、シルクロードは、「オアシスロード」と「ステップロード」のふたつに分かれるということがわかりました。このふたつのシルクロードの別称が、天山北路/天山南路のようですね♪ジンギスカン.comより紀元前より中国の西安からローマ帝国を結んだ絹の道「シルクロード」は大別すると、「オアシスロード」と「草原の道/ステップロード」に分かれます。「オアシスロード」は、西安から中央アジアを越えアラブの砂漠地帯を抜けてイスタンブールに到達してローマまでの道です。北緯40度付近で東西を横断する道はほとんど砂漠で、そのなかの点在するオアシスを道路で結んでいったことから「オアシス路」とよばれています。通常のシルクロードはこのオアシス路です。(長安→チャルクリク→バルフ→タブリズ→コンスタンチノープル→ローマ) 「ステップロード」は、ウルグイ、モンゴルなどの騎馬民族に代表されるようにオアシス大陸北部、中国から西アジアの山岳地帯を経てドナウ川下流からローマまでの道です。北緯50度付近を横断する道は、「草原=ステップ」からステップロード、ステップ路と呼ばれています。(長安→北京→カラコルム→ジュンガリア→カザフスタン→アストラハン→バルト海→ブタペスト→ローマ)第3の道である海路もあるそうです。(長安→杭州→広州→タームラリプティ→バリュガザ→バスラ→フスタート→アレクサンドリア→ローマ)パミール高原で見られるバクトリアン・キャメル大使の好物は、マトンの焼肉であるが・・・それも、かってホルモン屋の金網で焼いたものであり、半世紀ほど前に食べた味には、いまだ再会していない。言わば、個人的には幻の味なんですね。Webでシルクロードを検索しても、ジンギスカン(焼肉の)から入っていくあたりに、大使の思考回路が表れてくるようです。(笑)ふたつのシルクロードの別称が、天山北路/天山南路のようですが・・・・西域南道/西域北道というのもあり、混乱してしまうのです。そのあたりを「中央アジアのこと」を見て整理してみます。中央アジアのことより天山北路(草原の道、ステップ・ルート) 敦煌から北進し、ハミを通って天山山脈の北側を西に向かうルート。 トルファン(高昌)から北進しても合流できる。 天山南路(狭義のシルクロード) 天山山脈と崑崙山脈の間にあるタリム盆地(タクラマカン砂漠)を囲むように、 オアシス路ができていた。天山南路は北道と南道に分かれていた。 天山南路北道(西域北道) 北道は、敦煌から玉門関を通って、楼欄、クチャ(庫車)を経由し、 カシュガルに至る。ここからさらに西進するとサマルカンドを経て地中海にまでたどり着く。 善善を北上すると高昌経由で天山北路に合流する。 天山南路南道(西域南道) 南道は、敦煌の陽関を出て、ミーラン(米蘭)、チェルチェン(且末)、ホータン(和田) を経てヤルカンドに至る。ここからカラコルムを越えて南進すれば ガンダーラ(北インド、ネパール)に着く。 西域北道 タクラマカン砂漠の北辺、天山山脈南麓のオアシス都市を結んだルート。 西域南道 タクラマカン砂漠の南辺、崑崙山脈北麓に点々と存在するオアシス都市をたどるルート。 (井上靖、シルクロード紀行、岩波新書、1993) タクラマカン砂漠 地図
2009.07.26
コメント(0)
日本の(サウジと比ぶれば)気の抜けたような暑気のなか、辛かったサウジを反芻しております。ところで、煉獄からの脱出と言えば・・・・・絶海の孤島に繋がれた男どうしの友情を描いた「パピヨン」という映画を思いだしたのです。自由を求めて命がけで脱出を図るこの映画のストーリーに、つい昨今の私が二重写しになるんですね(ハハハ)帰国という希望にすがる大使にとってPapillonのテーマソングが身にしみるのです。この映画の結末は、忘れてしまったが・・・パピヨンは、友人(ダスティン・ホフマン)は、脱獄できたんだったか?(このあと、Webで詳細を調べます)ダスティン・ホフマン出演の「真夜中のカウボーイ」という映画があったが・・・これも友情を描いた、忘れがたい映画でした。あらためて評価するに、この二つの映画は友情を描いた映画では双璧ともいえる映画だったのかもしれませんね。今のハリウッド映画が金儲けと暴力に傾斜してしまい、大使はとうの昔に見切りをつけているが・・・昔の映画は良かったな~♪パピヨン
2009.07.25
コメント(2)
サウジの現場では砂に泣かされたし、帰りの飛行機から見たタクラマカン砂漠の美しさに魅了されたし・・・図書館でさっそく、砂漠に関する本を借りてくるイラチな大使である。・図説「砂漠への招待」・北アフリカ戦線騎士道精神で戦った「砂漠のキツネ」ことロンメルや、「アフリカの星」ことハンス・マルセイユの出てくる「北アフリカ戦線」という本を選ぶところに・・・・ややミーハーな(ロマンティックと呼ばしてほしいところだが)大使の嗜好が表れてしまいます。ということで、この際、Webでも砂漠について調べてみたのです。1950年でも人跡未踏の地であったブアルカリ砂漠が「空白地帯」と名づけられていたんですね。逃げ帰ってきたサイト辺りを、私は勝手に「地の果て」と称していたが、ブアルカリ砂漠にも遠からず、あながち間違ってもいなかったようです。空白地帯と呼ばれる砂漠よりここアラビア半島の中央に位置するサウジアラビアは、中東最大の面積を持つ国です。そしてその殆どは、砂漠や、土漠(どばく)になり、湖や川は全く無いと記憶しております。サウジアラビア首都リヤドから南に位置する世界一の面積を持つ「空白地帯(the Empty Quarter)と呼ばれる広大なブアルカリ砂漠(Rub Al Khali Desert)(650,000平方km)」が大きく存在します。空白地帯<空白地帯>かつては屈強なベドウインしか越えた事の無い広大な空白地帯は探検もされず西洋人に取って地球上で最後に残された秘境であった。探検家バートラム トーマス(Bertram Thomas)がオマン(Oman)南部のアラビア海の海岸にある町サララ(Salalah)からカタール半島(Peninsula of Qatar)まで初めて横断したのは1930年から1931年に掛けての事であった。1932年にジョン フィルビィ卿(H. St. John Philby)がアラビア半島の中央部と北部を探検しその中で空白地帯についても記述している。この様に空白地帯の広大な地域が好戦的な部族が出入りするだけの無人地帯に囲まれ探検されて居なかった。カルフォルニアアラビアン スタンダード石油会社の地質技術者であったトム バーガー(Tom Barger)が1937年から1940年の間にこのサウディ アラビアの沙漠を調査した。その調査地でベドウインのガイドや兵士達と過した数ヶ月の間にトム バーガーはアラビア語を学んだり歩いて生活する遊牧のアラブ部族達と出会ったりして居る。さらに英国人のウィルフレッド テシガーが1945年から1950年に掛けて空白地帯の人跡未踏の地を何度も探検している。「最後に残された秘境」という表現には・・・そそられますね。
2009.07.24
コメント(0)
26時間以上の完全徹夜を敢行したあと、ドーハから関空に向かうカタール航空のビジネス席に座り・・・・リクライニングシートを倒し、アテンダントの微笑みにかしずかれ、快適な時を過ごしているが・・・まさにドングリ大王のような気分である♪実は、サウジのサイトから逃れて、ジェッダ空港の出国ゲートをくぐった時が一番感激していたのかも知れないが。ドーハを出てアフガニスタン上空あたりで目覚めたが、乾燥したパミール高原が克明に見えるではないか♪緑が一切なしで、峰々の頂上は冠雪しています。そして高原の中央部付近では氷河まで見えます。ここの雪解け水が、かろうじて砂漠を潤すのだろうな~タクラマカン砂漠それからは、パミール高原からタクラマカン砂漠、内モンゴル自治区と広大な自然景観を飽きもせず眺め続ける大使であった。サウジの砂漠も広大ではあるが、サハラ砂漠の次に大きいのがタクラマカン砂漠のようですね。タクラマカン砂漠、コンロン山脈、西域南道?と来れば、シルクロードや西遊記の世界であるが・・・・・国名をドングリスタンと決めた大使は、もともと西域に憧れているわけで、眠いのも忘れて、窓にひたいをつけて眼下の自然景観に見入るのでした。ウィキペディアのタクラマカン砂漠によれば、タクラマカンとは死の場所という意味のようです。無機質で美しい景観ではあるが、人を寄せ付けない過酷な場所なんでしょう。自前のカメラはサイトで落として壊し・・・急遽、同僚にハンドキャリーしてもらった会社のカメラも砂嵐のなかで砂にまみれて故障したので、この景観を撮影できないのが悔しいが・・・まぶたの奥の記憶装置に、記憶することにいたしましょう(トホホ)夜勤体制になじんだ体のリハビリのため23日は、有給休暇をとることにしました。タクラマカン砂漠 地図シルクロード地図シルクロードみどころMAP
2009.07.22
コメント(7)
ware sauji dassyutu ni seikousitutu ari.ima jydda no raunnji no pasokonn de kakiko siteimasu.(ro-maji de yominikui kamo?)syukkoku ge-to wo kugutte kokomade kureba hannbunn nihonn nituita youna monodesu.mattaku hazusareta hasigo wo jibunn de kakete oriru youdesu.
2009.07.21
コメント(8)
サイトでは班長殿と現地に乗り込んできた設計殿とお客が2人いるようなもので、どちらからも難題を貰っていた訳です。それに、現地出向中の会社の同僚は「早く帰してやろう」という配慮は一切無いのです。それもそうだろう。帰られると自分の負荷が増すとでも思っているのでしょう。私単独でできる作業は、暑さと砂塵のなか、わりと頑張ってできたが・・・・単独で作業できないことは、現地のワーカーに頼むことになり、英文の作業指示書を書くことになるが・・・面倒なんですね。インターネットのエキサイト翻訳に日本語を打ち込んで、英語のスペルを確認しながら、文法そちのけでとつとつと書くことになるわけです。(汗)思えば・・・・会社とサイトの要求にいかに対応するかという悩みが大きかったわけで、サウジの気候は二の次というか、さほど苦にならなかったほどです。でもね♪・・・四面楚歌のなかを、必死のパッチでしのいできたが、3回も変更した21日のフライトで帰る目処がようやくついたのです。帰国したら、旨いビールが待ってるで♪帰国の前に、カタール航空のビジネスクラスで、禁酒明けの一杯をいただくことになるが、体質が変わっているかもしれないので、そうとうに回りが速いのではなかろうか?
2009.07.17
コメント(4)
酒が飲めないだけに、タバコの本数が増えています。サウジ出張は断酒をするには、いい試みかもしれません(ほんとに もう)ただし、アル中が治っても、ニコ中に陥る心配がありますね(悪い冗談だ、ほんとに もう)今日は約1ヶ月ぶりに休日をとり、ホテルで休養しています(ほんとに もう)リクレーション室から持ってきた本を、ゆっくり読む時間もとれそうです。漫画「バガボンド」の10数冊はもう見たし、いま手元にある読みかけの本は・・・・「深夜プラス1」ギャビン・ライアル・「イスラームの世界地図」21世紀研究会・「書を捨てよ、町に出よう」寺山修二・「パーマネント野ばら」西原理恵子・「国際情勢の見えない動きが見える本」田中宇・・・など、けっこういい本も見つかりました。というか支離滅裂の選択というか。ささ、ノンアルコールを飲みながら、読書のお時間である。それはそうと・・・出国前に図書館で借りた本の返却期限はとうの昔に過ぎているが、催促の電話があったのではないだろうか?(ほんとに もう)
2009.07.16
コメント(2)
夏が来~れば 思い出す 遥かな尾瀬 遠い空♪尾瀬に行ったことはないが、この曲を聴くと・・・白い夏雲の空と至仏山?など、尾瀬の情景がまぶたに浮かびます(んな訳ないか)とにかく、高原の空気まで感じさせるこの曲は名曲だと思うのですが・・・それに引き換え、砂嵐の吹き荒れるサウジを思うに、地球の広さと、気候の違いに感じ入る大使である(グスン)夏の空気を感じさせる映画と言えば・・・・「トトロ」で観た夏雲や、紅花畑の朝の情景がありますね♪あのシーンは、実態以上に美しい?秀逸なシーンであり、これぞ スーパーリアリズムという感じでした。とまあ・・・日本の恵まれた気候について、はるか日本をはなれた地の果て、常夏のサウジより思いをはせる大使であった(ウェーン)夏の思い出江間 章子作詞、中田 喜直作曲夏の思い出
2009.07.15
コメント(4)
このところ、映画を観ていないが・・・・理由は単純で、眼鏡を紛失したので洋画の字幕が読めないからである。以前は、片側のツルがとれた眼鏡を映画専用眼鏡として愛用していたが、その愛用眼鏡をどこかで紛失したのです。洋画の字幕が読めないほどの近眼だから、旅行中などいろいろと不都合があるが決定的に困ったことがないので・・・ま いいか♪でやりすごしてきたわけです。しかし、半年以上も映画を観ないと、ブログでも書くネタが減ってしまうので・・・そろそろ、眼鏡を新調する必要があるな~そう言えば、今年も確定申告をすっぽかしていたので、会社に催促があったようです。確定申告を3年続けてすっぽかしていたら、税務署のブラックリストに載ってしまうかも?これはアカンな~、しかし、還付請求をしない、つまり税務署にとって払いのいいお客様だから、優良納税者という面もあるから・・・ま いっか♪眼鏡といい、確定申告といい・・・・要するに、性格がズボラというか・・・行動の基準が、ひとよりズレているのかもしれないのです。帰国したら(帰国できたら?)さっそく眼鏡を新調しましょう。
2009.07.12
コメント(2)
サイトのレクレーション室の本棚には、週刊誌、漫画本、文庫本など、手当たり次第のジャンルが揃っていて・・・・けっこう楽しみにして読んでいます。そのなかに桂雀々の「必死のパッチ」という本を見つけて、読んだところです。関西では「必死のパッチ」と言えば通用するが、この起源については諸説紛々だそうですね。私はてっきり「必死のパッチワーク」を短めただけだろうと思っていたが、それだけでは、なかったようです。そのあたりが神戸新聞の「必死のパッチ」って駄じゃれ?股引?桂馬の駒?に載っていましたが・・・・・「必死のパッチ」とは、継ぎはぎのやっつけ仕事を大慌てでやるという感じで、正攻法で頑張るというのとはチョット違うと私は思います。ということで・・・サウジのお仕事も、いま、まさに「必死のパッチ」で頑張っております。博打狂いのオトンに愛想をつかしたオカンが失踪して・・・・そのあと、借金取りから逃げるオトンも家を出てしまい、天蓋孤独の身になっても、近所の支えと生活保護で食いつないだ雀々さんが落語にめぐり合って成功したお話ですが・・・・こんな頑張りを称して「必死のパッチ」と言うのでしょう。桂雀々 必死のパッチ
2009.07.10
コメント(0)
サイトとホテルを行き来する毎日で・・・無聊をかこっております(グスン)ひとりカラオケで、日本的情緒を思いだしております(ウェーン)ということで、「挽歌」の聴き比べなど、如何?出だしは、またテレサ・テンです。毎度代わり映えが無くて・・・スンマセン。挽歌 (Banka)Teary Love由紀さおり~挽歌おまけです。新潟ブルース ~ 美川憲一さそり座の女(1991)悪女・・・中島みゆきニック・ニューサー / 大阪で生まれた女長崎ブルース ~ 青江三奈ところで・・・・帰国という希望にすがる大使にとってPapillonのテーマソングが身にしみるのです。この映画の結末は、忘れてしまったが・・・パピヨンは脱獄できたんだったか?
2009.07.08
コメント(4)
まだサウジにいます。一旦帰国のつもりであったが、仕事が終わるまで帰さないということで、居残りとなったのです。まったく、刑期再延長のようなものである(グスン)おまけに、この地域は今日から砂嵐(sand storm)が始まったのです。ゴーグルを着けてのお仕事でしたが、風は強いは・・・襟から袖から細かな砂が進入します。耳の穴を触ると、砂でジャリジャリしています(ウェーン)ホテルに帰って、洗濯とシャワーを同時進行ですまして、ノンアルコールビールをあおってやっと、人心地がするという有様です。こんなときは、ちあきなおみのカスバの女でも聴いて、元気を出すしかないようです。仕事と兼用しているこのパソコンが、唯一の慰めになるが・・・・このパソコンが故障したら、仕事にもならず、ブログも読めず、ほんと、どうしよう?日本とかろうじて繋がっているけど、このパソコンが頼りの綱です。三木たかしさんが亡くなって、ポッカリと穴があいたようにさびしいが・・・今夜は三木さんとテレサテンをしのんで、彼らの歌を集めてみました。そっとおやすみ Sotto Oyasumi悲しい自由追悼三木たかし1追悼三木たかし2三木たかし、「津軽海峡・冬景色」を語るウィキペディアの三木 たかしより、私の好きな三木さんの曲をピックアップしてみました。思秋期(岩崎宏美) 想いで迷子(チョー・ヨンピル) あなたにあげる(西川峰子) 忘れないわ(ペギーマーチ) もしも明日が(わらべ) 北の蛍(森進一) 津軽海峡・冬景色(石川さゆり)みずいろの手紙(あべ静江)夜桜お七(坂本冬美) 風の盆恋歌(石川さゆり)
2009.07.04
コメント(6)
現地事務所でも、無事サイト到着おめでとうとねぎらってもらったが・・・・一見さんがサウジの地方空港まで無事たどりつくのは、そうとう酷な所業のようです。ジェッダでの入国審査はサウジアラビア人と接する初めての機会であるが、ここで先ずカルチャーショックを受けるわけです。サウジで働くサウジ国民を見る機会はそんなに多くはないのです。インド人なんかの外国人が働き、サウジ国民は豊富なオイルダラーで遊んで暮らしているのではないだろうか?空港職員は制服を着た数少ないサウジ職業人と思われるが、going their waysでとても職業人と思えない振る舞いなんですよ。他の国ならパスポートを見るだけでハンコを押してくれるが、ここでは質問するでなく、一人一人のデータをパソコンに何やら打ち込み、通すのに時間がかかるので長蛇の列です。私の番となったが、いらつく職員が休憩とのことでどこかに行ってしまい・・・・帰ってきて再開すると、システムダウンとのことで、別の場所に連れていかれて、やっと入国させてもらいました。翌日、ジェッダの国内線のカウンターで、ここでも手続きに手間取ってしまった。システムが不調なのか長時間パソコンとやり取りしたあげく、「この便はもうクローズ」とのたまう・・・ここであきらめてはならじとねばったら、発券不能なのか打ち出したシートをくれて、早く行けと指示があったので・・・搭乗口まえのチケットを渡す場所で、チケットを作ってもらう異例の手続きであった。手荷物はすでに飛行機に運ばれているのに、この飛行機に乗れなかったらその手荷物が迷子になるではないか。3日には帰国の予定であるが、アブハの空港カウンターで、このドタバタ劇を再現するのは勘弁してほしいものです。そして、ジェッダでの出国審査でも、システムダウンの起きないことを祈るばかりである。国際線のカタール航空のビジネスカウンターは、それなりに丁重な扱いが期待できるにしても、問題はサウジの空港職員である。だいたい、若者には働く者が少なく、職業倫理なんか・・・・そんなものとは無縁の国なんでしょうね。サウジ国内の空港手続きでは何が起きても不思議でないそうで・・・中途半端な英語しかできない者にとって、ほんと、おとろしい国である。
2009.07.01
コメント(2)
全16件 (16件中 1-16件目)
1