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お天気良しということで、鶴見緑地にでかけたのです。広大な敷地に散策路を巡らし・・・・植物園というのもちょっと違うし、やはり緑地というのが言い得ているようです。20年前に花博が開催され見にきたことがあるが、ここに来たのはそれ以来のことです。「咲くやこの花館」に入ったことや、敷地がとにかく広いな~という記憶が残っています。お 私の好きなカツラだ♪カツラ各国のパビリオン、モニュメントが残っているが、個人的には韓国館の庭が良かった♪韓国館
2010.05.30
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哨戒艦沈没事件をめぐり、韓国が北朝鮮に対して制裁措置を表明し、日米も同調する昨今ですが・・・「攘夷派の内田先生」と・・・大使が贔屓の引き倒しにしている内田先生が日朝の歴史認識において、目からウロコの落ちるような認識を披瀝しています。先生の米帝嫌いは以前から知っていたが、要するに帝国主義を憎んでいることがこのエントリーからうかがえます。5/20豊臣秀吉の幻想 より歴史は別に進化しているわけではないし、人間は時代が下るごとにどんどん知的・倫理的に向上しているわけではない。今の私たちにはうまく理解できないものが、過去の人々のリアルタイムの現場においては合理的かつ適切なふるまいだと思われていたということはありうる。それを現在の基準に照らして「狂気」とか「野蛮」とかくくっても、あまり生産的ではない。明治維新の後に西郷隆盛は「征韓論」を唱えた。この唐突なプランもまた現代の私たちにはほとんど理解不能である。歴史の教科書は「西郷は外部に仮想敵を作ることによって、国内の士族の不満をそらそうとした」という「合理的」な説明を試みるが、そうだろうか。豊臣秀吉と同じように「部族が統一されたら、次は『中原に鹿を逐う』事業を始めなくてはならない」という「中華思想内部的」な思想が西郷隆盛のような前近代的なエートスを濃密にもっていた人間には胚胎された可能性は吟味してもよいのではないか。大久保利通と西郷隆盛の間の国家論的な対立を「華夷秩序コスモロジー」と「帝国主義コスモロジー」の相克として理解することはできないのだろうか。事実、その後、日本が江華島条約で朝鮮半島への侵略を企てたとき、日本は直前に経験したペリーによる砲艦外交を再演し、陸戦隊による砲台の占拠では、四カ国艦隊による長州下関砲台占拠の作戦を再演してみせた。これは日本が「華夷秩序のコスモロジー」を離れて「帝国主義のコスモロジー」に乗り換えたことの一つのメルクマールのように私には見える。ある社会集団の「狂気じみた」ふるまいの意味を理解したり、次の行動を予測したりする上では、その集団の「狂気じみたふるまい」を主観的には合理化していた幻想の文脈を見出す必要がある。繰り返し言うが、それはそのふるまいを「今の時点」で合理化するためではない。私たちもまた今の時点で固有に歴史的なしかたで「狂っている」ことを知るためである。斯様に狂気に懐疑的な内田先生であっても、ことアメリカになると「帝国の瓦解」に賭ける意気込みがすごいのです。そこまで言うか・・・・というエントリーを再度紹介します。(一見狂ったようなご意見であるが、集団の意見でないのが先生らしいです)4/8従者の復讐より 基地問題をめぐる外交交渉をめぐって、手札の限られた日本に許される「勝ち」は、「この交渉を通じてアメリカの国力を殺ぐこと」である。アメリカ政府高官たちを悪代官的な「憎々しげ」な対応に追い込み、日本人の反米感情に心理的エネルギーを備給し、アメリカとは「軍事力だけで属国を恫喝しているあくどい超大国」であるというイメージを広く国際社会に印象づけ、国際社会における威信を低下させ、覇権を脅かし、ついには「帝国の瓦解」を達成することである。基地交渉の過程でもし、日本政府がアメリカの植民地主義的本質を露呈させることに「成功」するならば、沖縄の基地問題が「解決しない」ということそれ自体が日本のアメリカに対する「得点」にカウントできる。 日本のメディアはこの交渉の不首尾について、もっぱら「日本政府の腰の弱さ、定見のなさ」ばかりを批判するが、欧米のメディアは、総じて「アメリカ政府の首尾一貫した横暴ぶり」の方を優先的に批判している。当然である。ワルモノが弱々しい市民をいたぶって理不尽な要求をしているときに、市民に向かって「堂々と戦え」と言うより先に、ワルモノに向かって「理不尽なことを止めろ」と言うのがことの筋目だからである。そして、実際にそうなっている。
2010.05.25
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上海万博に沸く昨今ですが、上海を目指して集まる日本人については先ごろのNHKのテレビドラマにもありましたね。桐野夏生「玉蘭」を図書館で借りて読破したが、そういう意味でも大使のチョイスは時宜を得たものであった。(さよか・・・実は2007年には「玉蘭」のテレビドラマもあったそうだが、大使は見逃していました。)この本の読後にデジャビュの思いをしたが・・・・過去の恋人と現在の恋人が手紙(「玉蘭」では日記)を通じて交錯するストーリーは台湾映画「海角7号」で見たことがあるな~。それから、新旧の恋人だから4人の登場人物の語る章立ては、1Q84の章立てにも似ているな~。個人的にはデジャビュになるが、「玉蘭」は2001年に刊行された小説だから、この小説のほうがご本家なんですね。自動車企業の社員目当ての娼婦にまで身を落とした有子には驚くが・・・・このあたりが桐野夏生の独壇場というか、いかにも現代の日中の経済関係が現れています。いっぽう、大叔父の質(ただし)は陸に上がった船員であり、戦後の復興期でも浪子を失ったあとの喪失感を引きずり自殺を決意したのです。男女間の綾に関しては、「海角7号」も1Q84も裸足で逃げ出すほど桐野夏生の小説には凄みがあるのですが・・・・小説の最後は質の後日譚のようになっていて、桐野夏生にはめづらしく、なんとも暖かいので・・・・人生捨てたものではないと小説を読む醍醐味を味わったのです。桐野夏生の実在の大叔父を題材にした小説であったことが、桐野夏生公式HPに書いてありました。『玉蘭』 恋人、仕事すべてを捨てて上海に留学した有子の元に、若き日の大伯父が幽霊となって会いに来た。70年前、戦時下の上海で大伯父は一人の女を愛した。時を超えて飢えた魂の孤独を抱えながら生きる男女。作者のコメント 私の大伯父、萩生質は昭和29年に一通の手紙を残して失踪しました。彼は戦前の上海に住んで、上海・広東間の貨客船に乗っていた船乗りです。その話を元に、現在と過去を交錯させた物語を作ろうと思い立ちました。構想したのはかなり古く、『OUT』を書く前のことです。その時、上海の取材も終えていましたので早く書かなくては、と思っていたのですが、逆に思いが強くて取りかかれませんでした。それで、「小説トリッパー」で1年半連載した小説です。1回に100枚書く、という形式による縛りを、どう使うかと悩みました。結果、主要な登場人物のそれぞれの思いを書くことにしました。 女主人公の有子は複雑な性格です。有子を好きになるか嫌いになるか、でこの小説の好みがはっきりした感がありますね。でも、複雑な分だけ、現代を生きる女性の悩みや苦しみの一端が覗けたのではないかと思うのですが。 苦労したのは、70年前の広東の状況。上海は沢山あるのですけど、広東は全くないのです。広東の租界地である沙面と市街地とを隔たる川で、質と浪子が別れるシーンを書きました。危険な市街地に取り残された浪子の姿が、沙面側にいる質のところから川霧の向こうに見え隠れするという場面です。去年、テレビの仕事で現地に行ったら、川は資料の通りあるのですけど、すごく狭かった。あちゃーと思いました。でも、小説世界はこれでいいのだと自分で勝手に納得しています。異国での語学学校に集う日本人と言えば・・・・大使もかって、仕事を捨ててパリの語学学校に通ったことがあるので、これまたデジャビュであったのかもしれないのです。海角7号
2010.05.20
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このところ政党支持率とか普天間移設問題でゆれているが、鳩山さんは本当にルーピーなのかということで、おっとり刀でネットの論調を探したところ・・・沖縄の海兵隊は抑止力にはならないと高野さんが述べていました。在日米軍は朝鮮有事、台湾有事に対する抑止力と言われるが・・・・大使の認識もその程度であり、ルーピー鳩山さんの認識とたいして違わないようです。5/5"抑止力論の罠"に絡め取られた鳩山首相 高野論説より「中国の海軍力増強」というが、それは主として米第7艦隊の問題で、海兵隊はほとんど関係ないのではないか。中国が台湾に上陸侵攻した際に海兵隊が地上戦闘に加わるというシナリオはあるのかどうか(多分、ない)。台北の米人救出? そのために沖縄に待機しなければならないというものでもないでしょう。「海兵隊が沖縄から出て行ったら尖閣諸島はどうなると思う。次の日から尖閣諸島に中国の旗が立つだろう」と米政府高官が言っていると、朝日新聞5日付の船橋洋一主筆が書いているが、これこそ典型的な"抑止力"を御印籠とした対日恫喝で、彼も言うように「尖閣列島を守るのはまずは日本の自衛隊と海上保安庁が果たすべき役割」であるし、大体、仮に中国が尖閣を支配しようとしても米国が中国との軍事紛争突入を賭けてその防衛のために出動する予定があるのかどうかも定かでない。 こういう議論を米国ととことん交わした上で、なおかつ鳩山が、上記のレベルのうち第3レベルで「抑止力はやっぱり必要」と言うのであれば、説得力が湧かないでもなかったろう。第2レベルの自民党的常識に立って"抑止力"を口にしたのでは、それ以上詳しい説明など出来るわけがなく、従って県民はじめ国民を納得させて負担を求めるなど出来るはずもない。今からでも遅くはない、「5月末」までにさらに「学んで」米国と論戦を交わし、第3レベルで物を言って貰いたい。やや頼りない鳩山さんではあるが、民主党がルーピーというわけではなくて・・・・かって野党時代の民主党は「常時駐留なき安保」論という大胆な論陣をはったようですが(仕事に追われる大使はとんと覚えておりませんが)高野さんは「その論は今こそ有効であり、普天間問題の日米再交渉の基礎でなければならない」と心強いメッセージを発していました。1/11後ろ向きに終わった「日米安保再確認」高野論説より96年4月に橋本・クリントンによる「日米安保再確認」宣言があって、それに対する異論というかオルタナティブとして同年9月旧民主党による「常時駐留なき安保」論の大胆な提起があった。それは突拍子もないことでも何でもなくて、米国の国防政策中枢においても"ポスト冷戦"の時代状況への適合と沖縄少女暴行事件の悲惨に象徴される沖縄での過大な基地負担への対応を計ろうとするそれなりに真剣な努力が始まっていた。 しかしその米国側の動きは、東アジアにおける「勢力均衡=抑止力」という19世紀的な旧思考に足をとられた不徹底なものに留まっていて、沖縄県の「基地返還プログラム」やそれに学んだ旧民主党の「常時駐留なき安保」論は、まさにそこに切り込んでいって、日米が共に"脱冷戦"を果たすよう、日本のイニシアティブで米国を積極的に導いていくことを狙いとしたものだった。 大事なポイントは、アーミテージが言ったように「朝鮮半島情勢が緩和すれば在沖海兵隊は撤退すべきである」ということで、当時はまだその条件は熟していなかったが、今日ではまさにそれが可能になりつつあるという点である。「常時駐留なき安保」論は今こそ有効で、それこそが鳩山政権の普天間問題の日米再交渉の基礎でなければならない。普天間問題を考える際に、9 月11日米国同時多発テロ事件以降の日米安保はどのように変質したか?という認識もまた重要ではないかということで、ネットを巡ったところ「テロ関連法案を成立させた国内背景」というのがヒットしました。政治家・外務省・防衛庁・専門家といわれる人たちの総意が果たして日本の総意なのか?という疑問が沸くのですが。「対テロ戦争」と日米同盟より(2)テロ関連法案を成立させた国内背景テロ対策特別措置法の可決、成立後、米政府は直ちに歓迎の意を表明した。そもそも9 月11 日以降の日米安保関係の専門家の間では、「日米同盟のテスト」という表現が使われていた。そこでは、日本が対応を読み誤った場合には「日米同盟を崩壊させないか」という懸念が支配していた。この懸念は、湾岸戦争の経験と記憶(湾岸シンドローム)と相まって、政治家・外務省・防衛庁・専門家の間で広く共有されていた17。しかし、実際のその後の推移は、テロ事件の6 週間後にはテロ対策特別法の成立につながるという、これまでの経緯と比較すればきわめてスピーディな立法成就であった。それを可能にしたのは、日本に六つの政治環境があったからだと考えられよう。第一に日米安保関係者の危機感である。湾岸戦争時の日本の貢献が、130 億ドルという支援規模にも関わらず”too little, too late”と評され、日本が一国繁栄主義との評価を得たことは外交当局者が繰り返してはならない事例としてまず肝に銘じたことであった18。第二に国民の米国の軍事行動及び日本の支援に対する基本的な支持があった。読売新聞の世論調査(10 月30 日)では83%の有効回答者が「米軍の軍事行動に賛成・まあ賛成」と答え、毎日新聞の電話世論調査(9 月24 日)でも米国の後方支援のために自衛隊を派遣することを63%が賛成していた。湾岸戦争の際の日本の世論と比較すると、明らかに広く国民が米国の軍事行動を支持し、日本が何らかの貢献をしなければならないという意識をもっていたことを意味する。第三に小泉内閣の人気も法案の成立を大きく後押しした。2001 年4 月の小泉政権発足以来、内閣支持率は平均77.7%(4 月から10 月まで)という記録的な高水準であった。この小泉政権自身の高支持率は、第二の理由の国民世論の支援と重なって、国会論戦における法案審議を後押しした。その結果、「テロ対策特別措置法」に法案審議段階から明確に反対を表明していたのは共産党、社民党にとどまるに過ぎなかった。また、民主党は自衛隊の派遣に関わる国会の「事前承認」をめぐる問題で与党との妥協が折り合わず、最終的に反対に回ったものの、「反対のための反対はできない」という立場を終始鮮明にしながら、立法意図については賛成を表明していた。また、残りのテロ三法のうち「改正自衛隊」法については民主党が賛成し、さらに「海上保安庁法改正法」については共産党までもが賛成にまわるという結果になった。高い小泉内閣の支持率は、政府提出法案に反対すること自体が、政党支持率の低下を招くというスパイラルを生じさせ、結果的にテロ特別三法案(特に後二法案)は幅広い超党派的な賛成によって成立したことが特徴である。
2010.05.17
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韓国の仕事が終わったので、今となっては韓国は思い出になろうとしている昨今です。韓国料理で美味しい思い出といえば・・・・・テジクッパとかカルビタンとか、タラ鍋とかフグ鍋とか、とにかく汁物が好きな大使でした。その汁物では、個人的には釜山で食べたフグ鍋が一番だと思うのです。日本のフグチリとは違うけど、フグとセリとお酢少々という取り合わせが絶妙で、これもまた良しと思った次第です。ソウルのフグ鍋は残念ながら、赤い辛子まみれでフグの味が隠れてしまっているようです。フグ鍋そして、食べ飽きないのは、なんと言ってもソルロンタンでした。ホテルの前の店で毎朝ソルロンタンを注文していたように、飽きないというか、くせになる味でした。(ホテルの朝食が高いこともあったけど)塩、胡椒、ネギ、そして味がいまいちならキムチ、テンジャンを放り込めば、どこの店のソルロンタンでも自分好みの味になるので、食べ飽きないのです。ただし、牛骨のダシには店により良し悪しがあるので、どうやっても頭打ちの味しかならないこともたまにあるのですが(そんな店にはその後、行かないだけです)店の前に大釜を据えて牛骨スープを沸かしている店があったけど、こういう店のソルロンタンが美味しいようです。韓国料理といえば焼肉とキムチに代表されるが、韓国の焼肉を食べてみるといまいちなんですね。焼肉の味ならタレの違いかなんかで、どうしても日本のほうに軍配が上がるのです。(大使の場合)韓国では釜山とインチョンで割と魚料理を食べたけど、総じてこれはいける味でした。肉か魚か選べる場合は魚を選んだように、大使の嗜好はかなりへそ曲がりなのかも?(大使、嗜好が年寄りじみているだけです)韓国のディープな魚がナビ的韓国語魚介類辞典!に出ていました。
2010.05.12
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アメリカの御用メディアが、NPT会議かなんかの際に日本の首相をルーピー鳩山とコケにしたそうですね(大使 遅れていますよ)アメリカの侮辱といえば、古くはマッカーサーの「12歳」発言を思いおこします。マッカーサーは1951年5月5日に米上院軍事外交委員会において次のように「12歳」発言を行った。(ウィキペディアより) 「民主主義の成熟度についてアメリカがもう40代なのに対して日本は12歳の少年、日本ならば理想を実現する余地はまだある」と述べた。これは成熟した民主主義をもちながらファシズムに走ったドイツのケースと日本のケースを比較し、新生日本を擁護した文脈であった。しかしながら、“12歳”という部分だけが取り出され、現在に至るまで“日本の未熟さ”について「日本人の精神年齢が12歳程度」と侮辱したかのような解釈を受け続けている。だけど・・・民主主義の成熟度うんぬんについて、自由が消えたかのようなアメリカからコケにされるすじあいはまったくない昨今において、ルーピー鳩山さんは、腰をすえて事にあたって欲しいと思う次第です。ということで、ここはガチガチの攘夷派?として大使が高く評価する内田先生の弁を紹介します。5/7基地問題再論より定数としてまず決めておくべきことは、日本国民は国内の米軍基地を「いずれ撤去すべきもの」と思っているのか、「恒久的に存続すべきもの」と思っているのか、どちらか、である。私は「日本国内にある駐留米軍基地がすべての撤去されること」を求めるのは主権国家として当然の要求であると思っている。メディアの論調を徴するに、国内に治外法権の外国軍基地が恒久的に存続することを「望ましい」と思っている人たちもおられるようだが、その方たちにはその理路をお示し頂きたいと思う。そして、多少想像力があったら、私に向かって説いたのと同じことを、例えば幕末の京都の四条河原や、日露戦争中の日比谷公園で道行く人に声高に説き聞かせた場合、誰にも殴られずにいる可能性がどれくらいあるかについて考えてみるとよろしいかと思う。私はとりあえず、「国内に治外法権の外国軍の駐留基地を持つ限り、その国は主権国家としての条件を全うしていない」という一般論についての国民的合意を形成したいと願っている。それだけである。米国防総省は沖縄の海兵隊基地については、県外移転も問題外であるほどに軍事的重要性があると言い、日本のメディアはそれを鵜呑みにしている。だが、その言い分とアメリカが海東アジア最大の軍事拠点と北朝鮮と国境を接する国の基地を縮小しているという事実のあいだにどういう整合性があるのか。とりあえず私たちにわかるのは、日本国民は韓国国民やフィリピン国民よりもアメリカに「侮られている」ということである。「中国、北朝鮮に対する抑止力として米軍基地の存続が必要だ」とするのが、大人の考えだって?米軍基地抜きの日本において、米国、中国との間でバランスを取るのが主権国家ではないか!堤未果著「アメリカから自由が消える」という本を買ってきて、読み始めたんですが・・・・普天間基地移設については、5月末と言わずズルズルと先延ばしして決着を図るのがいいのではないかと、攘夷派の大使は斯様に思う次第です。徳之島移転の根回し不足なんかがあり、鳩山さんの不手際が取りざたされているのを見ると、宇宙人こと大金持ちの御曹司が、やっと危機感を持ったように見えるのです。アメリカに対しては、もっと腰をすえて戦略的に構えてくれよな~大丈夫?民主党。
2010.05.11
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ウノハナ匂う垣根に~♪新緑を見たいので、思い立って京都府立植物園にでかけたのですが・・・・これが正解というか大当たりでした。地下鉄を出ると駅のすぐ前が緑あふれる植物園です。古都の植物園としてはなかなかセンスであり、さすがにやんごとなき府民の好みが見られると言ったら褒めすぎか。国内屈指の植物園だそうで、樹木主体の造りであり・・・・大使としては文句のつけようがないのです。大正13年開園ということで、大木も多く、うっそうとしています。府立植物園1モミジの新緑が清清しいですね。秋の紅葉もきれいでしょう。府立植物園2緑に白い花のコントラストがいいのです。オオデマリ極め付きのお奨めとしては、ヤブデマリなんかいいですね。ヤブデマリ京都府立植物園公式HPヤブデマリ(藪手毬)植物園へようこそ!より
2010.05.09
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この歳になれば、新しい歌にはとんと疎いし・・・・昔の歌、オールディーズと言うんですか、それしか反応しないのです。テレサテンもいいが、コニーフランシスもいいな~♪彼女の歌もマルチリンガルで、ドイツ語、スペイン語、日本語となんでもござれなんですね♪おっと、もちろん英語もイタリヤ語も。 Connie Francisということでオールディーズを集めてみました。Connie Francis - Schoner Fremder MannSomeone Else's Boy(Japanese) Connie Francis - I will wait for you CONNIE FRANCIS - LA PALOMA 酒場にて 『Sakaba Nite』~ 江利チエミ サチコ ニック。ニューサ Patsy Cline ~ Tennessee Waltz A Mansion On The Hill (Hank Sr )Nana Mouskouri - La Golondrina
2010.05.05
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韓国での仕事を通じて思ったのだが・・・・彼我の仕事の進め方が違っているので、どうあがいても結果的に彼らのペースに巻き込まれてしまったことである。「郷に入れば郷に従え」というか、契約はあるにしても仕事の進め方は彼らに合わすしかなかったのである。そして更に言えば・・・・大陸的性格に島国根性が押し切られてしまったのかもしれない。その大陸的性格について、関川夏央さんが1991年にこう述べています。 大陸とか大陸的性格とかをわたしにいわせるなら、それは第一に猜疑であり裏切りであり政治力であり同盟である。第二には攻撃性であり白熱する議論であり孤立である。第三には歴史的時間に対する圧倒的な気の長さであり現在的時間に対する気の短さである。これをわたしは大陸根性と呼んでいる。 もっとも韓国の場合、この40年は絶対に超えることのできない北朝鮮国境に接して、事実上の島国となっている。それゆえに経済的発展をたのしむことが可能だったのでもあるが、大陸根性に多少島国根性の味もつけられたようだ。 近年いわれる「国際化」とは、これら恐るべき膂力と異質性とを持った文明の、島文化への侵襲とわたしはとらえている。それは日本の普通人が想像する以上に、摩擦熱を発して、危険で大胆な歴史の営みのようである。韓国での仕事は、(両班の?)裏切り、政治力にしてやられたという思いがつのるが、若年スタッフの驚異的頑張りでカバーしていたことなど・・・・過ぎてしまえば、韓国の思い出となろうとしている。韓国出張が終わり、韓国との関わりがなくなるが、彼の地の思い出を反芻することが多くなるのでしょう。それにつけても・・・・サムソンにしろ、韓国政府にしろ決断の早さには舌を巻くが、日本の規制まみれの優柔不断さが目にあまるのです。これが島国根性というものだろうか?(事業仕分けで5兆円くらいの手柄をあげて欲しいものである)
2010.05.04
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内田先生が「男性嫌悪映画」と薦めているので、どんなもんかな~と『プレシャス』を見にいったのです。最底辺の状況でもヒロインのプレシャスの希望を描く、女性ばかり出てくる映画であり・・・内田先生がある意味「映画史の潮目?」と大げさに薦めているが、感想としては、そんなもんかな~?というものでした。(感度のにぶい大使である)マライア・キャリーが出ていることが「プレシャス」公式サイトを後で見てわかりましたが、黒髪に染めているから見ている際には気づきませんでした。4/29男性中心主義の終焉より『プレシャス』は、アメリカ社会に深く根ざし、アメリカを深く分裂させている「性間の対立」をどこかで停止させなければならないという明確な使命感に貫かれている。その意味で、本作は映画史上画期的な作品であると私は思う。その歴史的な意義が理解され、定着するまでには、まだしばらくの時間を要するだろう。だから、「映画史の潮目」の生き証人になりたい人はこの映画を見ておく方がいいと思う。女性嫌悪映画は1920年代以来のハリウッドの伝統である(どうして1920年代に突然ハリウッドが「女性嫌悪」的になったかについては、私の『映画の構造分析』に詳しく書いてあるので、興味のある方はそちらをどうぞ)。『プレシャス』はその時代が終わったことを示している。たぶんこれから後はハリウッド発の「男性嫌悪映画」が量産されることになるであろう。もちろん、これまでも男性登場人物は記号的に処理され、葛藤や逡巡や成熟が女性固有の出来事とされたドラマは存在した(女性作家の書く物語の多くはそうである)。けれども、男性のクリエイターが男性嫌悪的なドラマを進んで作り出すようになったのは新しい傾向である。そこにはアメリカのマッチョな文化がもたらしたあまりに多くの破壊に対するアメリカ男性自身の自己嫌悪が反映しているのだと思う。ハリウッド発のマッチョ映画に幻滅している大使は、内田先生のお言葉に惹かれて、その対極の映画とはどんな映画だろうという興味で見に行った映画でした。映画館でハリウッド映画を見ることは減っていて最後に見たのは、「グラントリノ」であるが、大使の好みはやはりマッチョな映画である。ただ、ハリネズミのような過剰防衛で、やられる前にやる!というアメリカ的なマッチョが嫌いなだけである。(国民の生活を犠牲にしてまで、戦争の種を振りまく産軍複合体はマッチョというよりマッドではないだろうか)
2010.05.03
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小沢さんの説明が不十分で、民主党がもたもたしているので、首長新党とか地域政党などの旗揚げが澎湃としておきているが・・・参院で5議席とったとしても、一党突出時代のキャスティングボードの意味とは何か?と考えるわけです。もしかして、国会議員はそんなに美味しい職業なのか?と下司の勘ぐりが沸かないでもないのです。メディアとは,とかくせっかちで近視眼であるが、このところの鳩山政権支持率下落について警鐘をあげているのか?、火に油を注いでいるのか?・・・大使にはよくわかりません。もしかして報道監視まとめWIKI にも警鐘があがっているように、メディアは生き残るために民主党の揚げ足をとるのか?とにかく日々の生活に追われている大使にとって、新党立上げのニュースで、メディアの喧しいことにうんざりするのです。。政治に関しては、せめて月単位での変革をニュースとして捕らえる複眼的視座を持ってほしいものである。メディアには気の長い歴史認識と、ごまかしに反応する瞬発力が求められるわけで・・・・・今回の政権交代は、明治維新以降では初めての革命的政変であり、劣化した官僚制民主主義(こんな言葉はあったっけ?)を見直す千載一遇の好機ではないかと思うのであり、ちゃぶ台をひっくり返すように、民主党がひっくり返る記事を量産されては困るのである。今回の政権交代は革命的政変ではあったけど・・・・・自民党がかってに転んだような、つまり敵失で転がり込んだような政変でしかなくて、その後の国民のフォローがなく底が浅いんでしょうね。メディアによれば・・・・徳之島移転の根回し不足なんかがあり、鳩山さんの不手際が取りざたされているのを見ると、宇宙人こと大金持ちの御曹司が、やっと危機感を持ったように見えるのです。アメリカに対しては、もっと腰をすえて戦略的に構えてくれよな~大丈夫?民主党。池田香代子さんのブログで政権交代という卓袱台をひっくり返していいの?というのがあって・・・・卓袱台返しのイメージが強く残っています。
2010.05.02
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嫁さんのお父さんの葬式があり帰省していました。(25日逝去、28日葬式)大使が駆け込みで葬式に参列しても、嫁さんは喪主のサポートに奔走しているので交わす言葉も無いほどでした。89歳だから親族は覚悟していたし、大往生なのかも知れません。嫁さんは最後の看護もやり遂げ、死に目に会ったことだし、成すべきことは成したわけで・・・・山々は春の日に輝き爽やかな五月晴れであるが、ぽっかりとした喪失感があるのです。ということで、久々のブログ記入になりました。
2010.05.01
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