★スーパーマン★好きだ★ 0
プロット「イケメン」 0
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カテゴリー8、ラストです。下にさかのぼって、1から読んでね。 ブログって、最後が一番新しい記事になるから、めんどうですね。 それから数ヵ月後、なんとこの私、今年度の推理小説の新人賞を受賞いたしました。ムスコもミステリーの最高峰の賞を受賞し、母親の私も推理作家の仲間入りでございます。私は高卒でございますが、自宅に寄生する「悪魔退治」のために、ありとあらゆる専門書を読み、ありとあらゆる推理小説を四年間で千冊あまりも読破いたしました。すぐにでも薬剤師にでもなれるほど、私はさまざまな薬学の知識を身につけました。もちろんムスコの「殺人」のためでございます。人は「やる気に」なれば、天才に生まれ変われるものですね。息子の殺し方を研究しているうちに、いくつもの殺人方法を簡単に思いつくようになるとは、誰にも想像ができないでしょうね。今なら東京大学にだって、ハーバード大学にでも合格できそうな気がします。 息子への「殺人動機」が審査員たちを驚愕させたという、殺人トリックの完成につながったとは、当の審査員の皆さまも、「この謎解き」だけは決してできないでしょう。 ここに晴れて、現役看護師のミステリー作家が誕生したのです。あ、これはここだけの話で(ご内密)に願います。だって患者さんたちを懸命に看護する「白衣の天使」の一人が、毎日のようにムスコの始末の仕方を考えていたなんて世間に知られたら、それこそイメージが台無しです。すでにベテラン看護師で天使ではない私ですが、誓って善良な「患者さま」たちを殺そうなどと、一秒たりと思ったことはございません。殺人ナースはこの世に、この私だけでございます。 この私も予想できなかった新人賞受賞は、家庭内暴力の加害者であった長男の人生最後の善行でした。あの10円の値打ちもなかったヒキコモリの息子が、我が家に二人の偉大なる小説家を誕生させたのですから。あのムスコの「偉業」を密かに讃えるために、私どもはヴェネチアンガラス製の最高級の骨壷を新調してやりました。色とりどりのガラスで創造された壷はとても見事なもので、私は当時ムスコの生命保険金もあったせいか、大胆になっていて、葬儀屋の薦めるまま即決で購入したのでした。これであのムスコも、不肖の長男をこんな綺麗な壷に入れてくれるとはと、草葉の陰から感謝してくれていることでしょう。しかしサブロウが死んですでに二年。まだ骨壷は自宅にございます。親戚たちは愛するムスコと別れることができずに、納骨が遅れていると思っていることでしょう。毎日泣き暮らし、ムスコの骨壷と寝食を共にし、仕事も手につかずと思っていることでしょう。しかし私はまだ看護婦長として仕事に毎日出ておりますし、食欲もあり元気です。新米ナースたちを毎日のように仕切っております。ただあまりにも美しく高級な壷でございましたので、すでに愛でることもできない死人に、簡単にくれてやるのがとても惜しくなったのでございます。このまま墓には納めずに、しばらく家において眺めていようと思っております。つまり魔がさしてしまったのでございますね。ムスコには一応黒御影石製の四百万円もする墓を立ててやりましたので、これで罪滅ぼしとさせてもらいたいと思います。もちろん将来的には私どもも一緒に入りますので、ちょうどいい買物でございました。 あ、皆様、くれぐれも私のように誰かを殺そうなどと思わないで下さいませ。まったく「殺人」とは大変に気を使うものです。数多くの古今東西のプロの殺人テクニックを勉強いたしましたが、すべてを実行することはできませんでした。あの不肖のグータラムスコでも人間は頑丈なもので、ちょっとやそっとの毒ではなかなか殺せないものでございます。かくゆうこの私、「ムスコを殺す計画」を練るだけで二十四キロも痩せました。百貫デブ婦長と密かに患者さまたちに陰口を言われていた私ですが、今ではすっかりスーパーモデル並みにスリムです(ちょっとだけウソデス)。警察にバレずにこっそりとやるために、ありとあらゆる殺人方法を勉強しなければならなかったのですから。いいダイエット方法ですが、お薦めはいたしません。くれぐれも健康を害わないように、自重下さいませ。 あ、蛇足でございますが、先日「月刊メイブン」の本格ミステリー大賞短篇部門に、うちの主人が入選いたしました。機械の工作機械の専門知識を使った見事なトリックだと、審査員様に称賛されました。ムスコの「暗殺方法」を研究しているうちに、うちの平凡な主人も、トリック、殺人方法創作の天才になっていたようでございます。生きていた時は不肖のムスコでしたが、そのサブロウのおかげで家族全員がプロのミステリー作家になれたのでございました。人生山あり谷ありと申します。確かにうちも様々な不幸に見舞われましたが、終わり良ければすべて良しでございますね。バンザイ。 了
2012.03.31
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サブロウの葬儀を終えた数ヵ月後、新人賞の授賞式が行なわれました。そしてそのさらに数か月後に、新ミステリーXP賞の受賞式が行なわれました。サブロウの代わりにオトウトのアツシが筆名「竜崎ハヤテ」として受賞式に出席したのです。アツシはまだ十八才、今年進学高校を卒業し、有名国立大学に入学しました。二流大学卒業のサブロウよりも秀才のアツシの方が、この名誉を受けるに十分な資格があります。誰も疑うことはないでしょう。私は新人賞授与式に立ち会い、盾と記念品を受けるアツシの晴れ姿に涙したのでした。小説のことはインテリではない私には判りませんが、誰が書いていようとどうせ判りません。人前で書きませんし、俳優やモデルのように容姿や演技力で選ばれるわけではございませんから。サブロウの作品は、彼でなければ書けないというような独特の文体ではありませんでしたし、突き抜けるような個性もありませんでした。どうせサブロウは死んでおりますし、顔も二人は兄弟なのでとても似ておりました。連絡を取った編集者には、成人している方がいいと思い込んでいて年齢を偽っていました、実は二十八才でなくまだ十八才ですと伝えると、そうですかと言っただけで、何の科もなく受賞は覆りませんでした。 このように小説などは写真を添付するわけでもなく、目の前で書いてみせるわけでもございません。誰が授賞式に出席し受賞の記念品や賞金をいただいても、何とか誤魔化せるようです。アツシは最年少での受賞によって、出版された本は爆発的に売れ、次男はアイドルのように芸能界入りをしました。すでに二作目の出版が決まっております。え、書いたのはアツシではなく長男のサブロウでしょうって? そうそう、それも大丈夫。就職も資格試験の勉強もしなかった長男は、高校生の時からたっぷりと作品を書き貯めており、ひそかに雇ったゴーストライターに長編として書かせている所です。これでアツシは天才小説家として輝かしい未来が約束されており、そしてわたしは天才小説家の母親となったのでありました。 その頃、百貨店から百八十万三千五百円のロシアンセーブルの毛皮が届きました。もちろんサブロウの生命保険金で買ったのでございます。生保のセールスレディを遣っていたおりに、成績のために長男を三千万円の保険金に加入させていたのでした。私どもは何も悪くはございません。長い間ヒキコモッタ息子の面倒をみ、そして数年も家庭内暴力に悩んだのでございます。何度包丁で刺し殺そうかと涙したことでしょうか。ありとあらゆる推理小説を読み、トリックも研究いたしましたが、どれも警察のカンシキにかかるとどの殺人方法もバレてしまうかもと思うと実行できませんでした。それで最後に辿り着いたのがトリックなど使わずに簡単に済ませられる「事故死」でした。日本だと名探偵はいなくとも警察の専門家がおりますし、本格推理小説マニアの刑事が、私どもの殺人トリックを見破るやも知れません。あの息子のために死刑になるのはバカらしいので、そんな危険は犯せません。しかし外国での事故死なら鑑識も適当そうでしたし、毒も出ないしで絶対にバレないという確証がありました。私はこれを思いついたときに万歳を叫びました。なんて私は天才なのだろうと。天才小説家が考える手のこんだトリックよりもシンプルで上手くやれば証拠も残らない。 注意すべきなのは、私たち家族に容疑がかからない事と、そして長男以外はほぼ無傷でなければならない事だけです。専門の殺し屋を雇おうと日本で探したこともありました。まったく縁のないヤクザに声をかけ、そういう者を知らないかと探しました。中には実の息子を殺すなんて、あんたたちは俺たち以上にワルだなと説教をするヤクザもおりましたが、彼らは私たちの苦労を知りません。ショバ代をとったり、ワケの判らない出版社を立ち上げて企業に妙な雑誌を定期講読させたりと、世間のカゲで真っ当な人間たちの生き血をすするように生きている裏社会の人間に、説教などされたくはありません。私は何を言われても殺し屋を探しつづけました。そして何人かを当たったとき、やっと紹介してやるというヤクザに辿り着き、前金を渡して頼もうとしましたが断られました。そして悟りました。秘密を守りたければ自分たちでやるのがいいと。そこで思いついたのが事故死でした。 事故死を殺人と断定できる警察が、しかも発展途上国の警察にいるわけがない。もちろん名探偵など作家の創作。頼りない警察なら楽勝だと考えました。私は警察機能の手薄なアジアのリゾートを暗殺の現場に選ぶことで、息子の暗殺という完全犯罪の成功に確信を持ったのでありました。 事故の前にも、鮫がよくやって来るという遊泳禁止の入江にも行きましたが、ムスコは無事に生還しました。しかし不幸にも、魚の血で鮫をおびき寄せてくれたガイドの友人が、下半身を食い千切られてしまったのです。本当に彼には気の毒なことをしましたが、要領が悪かったということでしょうか。不測の事態がもたらした、不幸な事故でございました。私たちは遺族に四十万円を支払い、その場を丸く収めました。 次は不衛生な環境での食中毒を装い、現地の薬をホテルのエスニックフードに仕込み食べさせましたが、ムスコは死にませんでした。あの薬はガイドのオピに紹介された村に伝わる、秘伝の毒でございました。呪師が病気の治療に処方するので、絶対に現地の警察には見付けられないと言いました。しかしムスコは食中毒症状を起こしただけで、やはり死にませんでした。フラフラと意識が朦朧とするだけでしたので、私は悪魔となってさりげなく突き飛ばしたのでございます。しかしそれも失敗し、よろめいたサブロウがさらに欧米の婦人にぶつかり、その婦人が転落死したのでした。サブロウはなんと悪運の強い子でしょう。何をやっても死にませんでした。 鬼となって手を尽くしたものの、ムスコの暗殺はことごとく失敗したので、現地で雇ったガイドにオピとトラックのドライバーを買収し、うまく事故を起こさせました。主人はアツシを一度長男から離し、私だけが長男と一緒に事故にあったのです。私はしっかりとシートベルトを締め、ぶつかる寸前に車を離れ絶対に安全にしました。 そしてそれから半年後、あのリゾート地で知合ったガイドのオピがやってきました。ディズニーリゾートとユニバーサルスタジオ観光付きの日本一周旅行です。彼はご招待ありがとうと言いました。もちろんあの島での協力代金としての招待で、もちろん日本円で二十万円ほども渡しておりました。それでもオピは満足したようでございます。スーツケーツ三つ分のディズニーのお土産を、嬉しそうに持って帰りました。 みごとに長男の暗殺に成功し、新ミステリーXP大賞受賞の小説家を輩出した家族という名誉を手に入れた私ですが、唯一誤算がありました。殺し屋を探していた時に声をかけたヤクザが、私たちの「殺人の成功」に気づいたのでした。ヤクザは私たちが本当に暗殺に成功したのかが気になって、今まで読みもしなかった新聞を読み、ニュースをずっと見て私たちの殺人を監視していたようでした。そしてリゾート地での事故死という、小さな小さな新聞記事を見、私たちの暗殺の成功を確信したというのです。もちろん彼の目的は保険金です。子供にはあまり掛けていないだろうと思っていたら、私が豪華な毛皮を着ていたので、これは儲けやがったなと確信したというのです。黙っていてやるから半分よこせと言ってきました。私は家庭が平和になれば、別にお金などほしくはなかったのですが、人間は所詮汚いものです。もらえるものは何でも、もちろん大金ならもちろんほしい。喪が明けるのを待って生命保険金の請求をし、その前にロシアンセーブルの毛皮をカードローンで買ってしまったのでした。私は焦っていました。そして主人と相談し、また暗殺を決行したのです。 今度の暗殺はもっと簡単でした。ヤクザとは一度殺し屋の紹介を依頼しただけの関係。それでもせっかく主人が涙を流して買ったベンツに傷をつけるわけにはまいりません。ほとんど面識のないヤクザでも、車に傷がついていればいつか警察は私どもに辿り着くでしょう。仕方なく私達はヤクザを暗やみで突き飛ばして、運悪く通り掛かった不運なBMWにひかせたのでした。
2012.03.31
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主人たちを迎えにいく時間になったので、またタクシーに乗りました。道路は自転車や車でずっと混雑しておりました。島であるのにまったくバイクが多いのです。 交差点に行くと車は人やタクシーや自転車が交通規則を無視して、縦横無尽に走っておりました。ドアも三枚しかなく、他のドアも不安定で今にも吹き飛びそうでした。私はドアを押さえながら、シートベルトを確かめたのでした。何度もタウシーから振り落とされそうになっていると、堪らなくなったのかサブロウが何とかしろとオピに叫びました。 オピ、もっと車が通らない所を走ってくれと。しかしオピはOKOKOKOK、モンダイナイと言って頓着しません。いっこうに乱暴な運転は変わりませんでした。「!」目を見張ると正面から巨大なトラックが迫ってきておりました。私は数少ない把手を掴みました。この島には右側通行だとか、左側通行だとかいう決まりはないようでした。 OKOKOKOKジュンビカンリョウ、スベテジュンチョウと、オピは呑気そうに言うとハンドルを切っておりました。それでもトラックは容赦なくタクシーに突っ込んできました。それともオピのテクニックが最低であったのでしょうか。「ヒ!」Kikikikikikikikikiki! この世のものではないような悲鳴がしました。誰かの雄叫びのような気もしました。サブロウの最後の声を聞いたような気がしました。 目をさますとベッドの上におりました。真っ白ではなく途上国らしいペンキでコンクリートをグリーンとシロの二色に塗り分けている部屋でした。看護婦らしい女性がやってきてにっこりと微笑みました。言葉が通じないので、目をキョロキョロさせて情況を観察しました。ケガはどうもアタマを少しと手足を少し切っただけのようでした。動かすと痛いので打撲も少しあったようです。入り口のそばに主人とアツシが立っておりました。 主人は静かに寄ってきて、サブロウが死んだよと言いました。あぁ、そうと私は答えました。あの声は、あの悲鳴はサブロウの声だったのです。憧れていたミステリーの新人賞の受賞を目の前にして長男は死んだのです。哀れで可哀想な無職のムスコ。長男はまた就職に失敗したのです。永遠にプータローで平凡な男でございました。 そうして、残った三人でサブロウを哀れんでおりますと、フィリピンの日本大使館の人がやって来ました。「三郎さんのご遺体はどうされますか?」「すぐに荼毘にふしていただけますか」「棺に納めて日本へ送り、葬儀をお出しになることもできますが。フィリピンの日本大使館の方で手続きをさせていただきますので、お任せください」「いえ、お骨でもいいです。どうせ日本で焼きますし」「それではそのようにさせていただきます」 三日後、私たちはポポラ島を後にしました。サブロウを失い三人になった私たちは、焼かれて現地の素焼きの壷に入った長男の骨を持って、ポポラ島の飛行場からインドネシア経由で日本へと向かっていました。 私たちは土産と骨壷を抱え、合成皮革のイスにゆっくりと体を委ねてくつろいでいました。やっと終わったねと主人は言いました。そうね、でも胸から腹にかけてシートベルトが食い込んでいるよと私は飛び出したお腹を出して、主人に見せました。すると主人は、ハハハハと声をあげて笑いました。 私の主人三崎啓二は長男の骨壷をずっと撫でていました。サブロウの死を悲しんでいたのでしょう。もちろん作家になり損ねた長男が不憫なのはよくわかります。きっとあの子は灰になっても、嘆いていることでしょう。今頃は三途の川を渡っているでしょうか。それともここはまだ日本ではないので、雲の中を散歩でもしているのでしょうか。私は何度も唱えました。サブロウ、安心して成仏しておくれ、お前の小説が銘文社ミステリー新人賞に決まったそうだ。もしかしたらすぐに新ミステリーXP賞もくれるかもしれないそうよと告げました。なのにあんたは事故で死んでしまって、可哀想にね、私はサブロウを成仏させるために精一杯哀れみました。「なぁ、サブロウ。死んでしまっても、何も心配しなくていい。お前の代わりに高校生のアツシにミステリー新人賞を受賞させるから。(驚愕の才能、天才高校生作家誕生)とでも売り出すかな」「おまえは可哀想だったけど、十代の方が爆発的に売れるだろう。無職のお前を何年も養ってやった。せっかくの名誉だし、今度はお前の作品で稼いでもいいよな。アツシを天才作家として売って儲けさせてもらうよ。最年少はダメだけどインパクトはあるよな」「立派なお墓を買ってあげなきゃね」と私は言いました。
2012.03.31
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確かにガイドブックに書いてあった通り、この島には日本人観光客は数人しかいませんでした。何でもフィリピンのリゾートは海の美しさはピカ一であるが、アクセスが良くないので敬遠されがちだということでした。ムスコは何だか淋しいな、孤独で全世界に日本人が俺たちしかいないようだと言いましたが、主人ははりきっておりました。「ホテルに行く前にレストランで南国料理でも食おうか。初めての海外旅行だから、ここにいる間はご馳走ばかり食べよう」 主人はすでにリゾート気分なのか、とても気前がよくなっていました。ケチだったあの人が家族のためにお金を使おうとしておりました。三時間もかけてたっぷりとランチを取りました。ゆったりとしたポリネシアン音楽が耳に心地よく、そのレストランのインテリアももちろんリゾーティな雰囲気でした。ヤシやバナナの木などが数多く植えられており、イエローカラーの壁も南国の気分を演出してくれていました。花柄のドレスを着た女性たちが腰をくねらせながら遇してくれたので、男の主人やサブロウなどはもうメロメロになっておりました。開放されたテラスからは、美しい海がキラキラと輝きながら私たちを迎えてくれておりました。女の私でさえも、すぐにでも仕事を辞めてこのまま一生ここにいたいと思ったほどです。 お腹いっぱいになった後、ホテルに向かいましたが、サブロウが吐き気がすると言いました。ホテルに着いたなりに、長男はまっしぐらに部屋のトイレに飛び込んだのです。すさまじい音が聞こえていたので、せっかく食べた南国料理をすべてを上からも下からも出したようでした。あたしはせっかくのお料理だったのにもったいなかったわね。吐き出すのは太れない職業のモデルだけよと言いました。 一休みした後、私たちはお洒落なホテルの階段で写真を撮りました。そしてサンタモニカ風のリゾーティな一階のフロアでも写真を撮りました。少しきどって何十万円もするような高級猫足イスに座り、一人一人写真を撮りました。あの長男でさえも嬉しそうに写真に収まりました。主人はまるで写真館で撮ったようだな、いざという時に使えるなと言いました。 そのあとしばらく綺麗なホテルの敷地を散歩し、ホテルのプールサイドに寝転ろびました。バカンスに来ている足の長いモデルのような欧米人と並んで、オレンジ色のチェアに寝そべって海を眺めていると、とても豊かな気分になり、毎日の仕事の疲れが取れたような気がしました。ここは確かに楽園でございました。すでに天国にいるようです。ずっとこのままここに寝そべっていたいと心から思いました。 そして夜にはリゾート柄のベッドカバーのベッドで四人並んで休み、天国での一日を夢でもう一度見ようとしたのです。こうしてホテルのベッドで寝ていると、ヒキコモリのサブロウのことで悩んだ事などなかったように思えました。サブロウは就職に成功し、家族四人で仲良く平和に暮らしている事が現実で、ヒキコモリのサブロウがいるというという事実の方が嘘の世界であると思えたのです。 次の朝早く、私たちはガイドが紹介してくれたプライベートビーチへと向かいました。こういうリゾートのビーチは初めてでございます。私たちはそれだけで興奮し、ずっとウキウキとしておりました。ガイドのオピが案内してくれたビーチは確かにとても美しく、純白の砂浜にエメラルドグリーンの水は天国としか思えませんでした。天使か神様が降りてきて、私たちを歓迎してくれるのではないかと思えたほどでした。まさに神々しいという言葉がぴったりでありました。この島のビーチは四ヵ所しかなく一つはホテルのもの、あとの一つは遊泳禁止、そしてあとの二つは一般観光客用で所有者が開放してくれているスペシャルなビーチだということでした。いまは時期的にリゾート客が少ないので、このビーチでも比較的すいているということでした。 私たちは静かに納得して、海に足を入れました。汚い日本の海岸でしか泳いだことのない私です。このような真っ白な汚れを知らぬビーチに足を付けるのは、恐れ多いと思いました。それほど私は美しいものに縁がなかったのでありました。 サブロウとアツシは飛び込むように海に入り、すでに泳いでいます。若い者は順応力が高いようで、私のように臆することがないようでした。 私は水泳が得意ではありませんでしたので、主人に日焼け止めをたっぷりと塗り込んでもらい、ビーチでゆったりと寝そべっておりました。気分は最高でした。本当に天国のように暖かで、空気も清浄です。 しばらくすると悲鳴が聞こえました。こんな綺麗なビーチで悲鳴が?と怪しみましたが、起き上がると向こうの方で、サブロウが逃げ回っておりました。アツシも波頭に浮かんで、ヒーヒーと泣いておりました。私は何事かと立ち上がって走ってゆきました。すると波間に黒っぽい背ビレが動いております。野性のイルカよと私は叫びましたが、アツシが鮫だよと怒鳴りました。私は少し古い人間でありますから、すぐにスティーブンスピルバーグ監督の映画が思い浮かびました。そうジョーズなのです。イルカよりも二倍も体長のある大きな魚です。噛まれれば、カマボコにする前にこちらが噛み砕かれてしまいます。サブロウ、サブロウと長男の名を呼びました。長男はまだ鮫に追い掛けられておりました。小学校時代にスイミングスクールに通わせておいたので、なんとかクロールで逃げ切っていたようでした。次男は命からがらサーフボードでビーチに辿り着いておりました。私は片言の日本語で話すガイドオピに早く助けてやってと叫びました。しかしガイドは頷いておりましたが、ノーホーン、アイキャントスイムというだけで、何もしません。たしかに銃もナイフも持っていない以上、鮫のような獰猛な魚を追い払うことさえできません。スーパーマンかターザンくらいしか退治はできないでしょう。しかしふと思いつきで入江の端に走ってゆき、ランチでバーベキューにするために持ってきていた魚をクーラーから取り出して放りこんだのでした。すると鮫は思いついたように反転すると、長男を追い掛けるのを止めて、入江の入り口へと向かってゆき、そのままビーチから海へと出ていってしまいました。しかし修羅場の後、ビーチには人間の死体が浮かんでおりました。なんと他の客が鮫に足を食い千切られていたのでした。あれほど美しかった水色の海は、その客の体液で鮮血色に染まっておりました。もちろん死因は出血多量です。万が悪ければうちのサブロウか私たちの誰かが犠牲者になっていたかもしれません。そう思うと今でも震えがきます。 美しい海と鮫は似合いませんが、南国なら確かにありそうです。日本ならあまり考えられませんが、ここにはあるのです。私たちは命からがらホテルへと逃げ帰りました。幸いサブロウはほとんど無傷でございました。足一本も、取られておりませんでした。 南の島での突然の洗礼に、いつまでも鼓動が鳴っておりました。アツシも無傷。私たちも無傷。サブロウも無傷でした。 小一時間ほど昼寝をしてから、ランチを取りました。エスニックなお料理ばかりでしたが、花々が装飾に使われ、たっぷりとリゾーティな気分に浸れました。英語ができないことなどまったく気にならないほど、ゆったりと癒されました。 私はサブロウに、このお料理とても美味しそうよと自分の皿を渡しました。サフランのイエローカラーが美しく、香辛料かハーブのいい匂いがしておりました。サブロウはそれを本当に美味しそうだねと言ってすぐに平らげてしましまいました。余りにもいい食べっぷりでしたので、私の方が驚きました。そんなに慌てて食べなくてもと言いましたが、サブロウはみんな食べてしましました。 リゾーティなカクテルもとても美味でありました。私は日本のキャリアウーマンではありますが、こういうハイカラなアジアンフードづくしは初めてでしたので、何を味わっても感動いたしました。今度はハワイで美味しいカクテルを味わおうと思いました。 その後またホテル内を散策しようということになりました。高級ホテルなどこういった海外旅行でないとそうそう泊まることはございません。私たちはたっぷりと堪能したかったのでございます。ホテルにはもちろん他のリゾート客がおりました。白い欧米人たちもたくさんおりました。団体客なのか数人の欧米人が白い階段を降りながら歓談しておりました。えずくような声で振り向くと、サブロウは食後であるにも関わらず、フラフラとしております。大丈夫と声をかけるとたぶん食当たりだろう。気分が悪く目が回ると言いました。あっと思うと誰かの悲鳴がしました。欧米人の一人が階段から落ちたのです。婦人の大きな体が階段へと落ちてゆきました。同じ仲間たちが心配そうに駈け降りました。婦人はまったく動きませんでした。私どもは言葉が判りませんので遠巻きに眺め、そしてサブロウを介抱しながらロビーへと向かいました。まもなくして救急車のような音が聞こえてきて、ホテルの前で止まり、救急隊員のような四人が走ってきました。遠巻きに眺めているとあの転がった婦人が運ばれていくのが判りました。 その後またホテルの庭の散策を始め、プールサイドから海を眺めておりました。「買物にいこう。せっかくだから現地の市場でも見学に行くか」 主人は妙に張り切っておりました。「オピにもう頼んであるんだ。やっぱりホテルにたむろしているだけじゃ、日本人的だよな。サブロウも小説にするネタに必要だろうし」 みんな賛成しました。午前中のビーチで殺されかけたというのに、私たちは張り切っていました。日本の庶民は旅行代金をムダにしないために、一瞬の時間もムダにはしません。時は金なりという大阪人のような貧乏人根性が、長の年月染み付いております。死にかけても見たいものはみたいものです。ホテルのコンシェルジェに頼むと、ガイドのオピがすぐに飛んできました。オピはガタガタと妙な音のするタクシーのような、バスのような車に私たちを乗せると、意気揚揚と市場へと向かいました。よく揺れるので乗り心地はよくありません。サビもかなり付いており、かなりのポンコツです。日本には絶対に一台も走っていないような化石のような自動車でした。オピは日本語がそこそこできました。日本で四年ほど不法滞在で出稼ぎをしていたそうです。 ここのビーチでも泳いでみたいなと主人が言いました。見ると、窓の外には朝とは違うビーチが広がっています。水平線までエメラルドグリーンです。アツシ一緒に散歩でもするかというとアツシは喜びました。まだ高校生です。遊びたいに決まっております。きっと写真を見せながら、トモダチに自慢がしたいのでしょう。もしかしたら女の子かもしれません。オレもっとすぐにいい返事をして、一緒にタクシーを降りてゆきました。オピが二人と二時後に迎えにいくという約束をしたので、サブロウと私だけが先に市場へと向かったのです。 市場は独特の匂いがいたします。もちろん古き良き時代の日本の市場でも同じような匂いがいたしました。生魚や肉を処理した血の匂いもいたします。活気があり、異国の言葉が飛びかっておりました。 私は市場ではなく通りの雑貨屋などに次々と入って、お土産ものを選んでおりました。 サブロウは小説のネタを探しているのか、舐めるように通りを観察しておりました。時折見かける若い美人を見付けるとじっとりとした視線を向けて眺めているので、このコも適齢期の男だったのねと思いました。
2012.03.31
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そういう数年ぶりの喜ばしい報せです。主人も気前がよくなったようです。「サブロウ、最終選考記念に家族四人で海外旅行でも行くか。ほら、南島なんかどうだ? 暖かい南の島でボーッとすれば、いいアイディアが生まれるぞ。リゾート殺人なんてどうかな?」「平凡だよ。一次選考にも残らないよ。でも気分転換にはいいよな」「本当は就職の内定ならよかったのに」と主人は言いましたが、息子は大喜びです。 私もせっかくだからと喜びました。平凡に生きるしか能のないような、ホントに平凡な家系から有名作家が誕生するかもしれないのです。 一ヵ月後くらいに、南の島に海外旅行をすることに致しました。それからは家族は一致団結したかのように盛り上がりました。パンフレットをあちらこちらから寄せ集めてきて、毎日ように夜更けまでどこにするかを話し合っておりました。次男のアツシも恐い兄がいたことなど忘れたかのように、満面の笑みを浮かべてハワイ、オキナワ、グアム、などつぎつぎと候補を挙げておりましたが、最終的に決めたのは主人でございました。主人が旅行先に決めたのは、フィリピンのポポラ島です。ほとんど無人島同然であった秘境の島を、最近国策によりリゾートとして売り出した、新しい観光地のようでした。フィリピンはアメリカの植民地のような国ですので、ちょっとは英語が通じていいだろうというのです。英語も満足にできないくせにと私は言いそうになりましたが、一家の主人の決めたことです、即座に賛成いたしました。サブロウはというと、日本人の憧れの定番リゾートのハワイがいいようでしたが、あまり日本人が行かない場所を小説の舞台にする方がきっと受けるぞという主人の薦めで、ポポラ島に決めたようでした。さっそくガイドブックを舐めるように読みながら、どういうプロットにしようかと考えているようでございました。私はそういうものは全く判らないのでございましたが、本人がやる気なのだからと恋愛物か何かにするのと静かに助言をしたのでした。すると、恋愛物でミステリーは俺にはムリだよとサブロウが言いましたので、そうと私は答えました。 こうしてポポラ島への初めての家族一同での海外旅行が決まり、ほぼ一ヵ月後の九月四日に成田国際空港からフィリピンのマニラ国際空港経由で出発したのでした。 そしてさらにマニラ国内空港から小型ジェットでまた一つ空港を経由し、そして三輪自転車タクシーで港に、そこからエンジン付のカヌーに乗り換え二十分、ポポラ島に無事に到着いたしました。日本から十四時間の旅です。これではヨーロッパ旅行と変わらないと文句を行っていたサブロウでしたが、ポポラ島の周辺の海の美しさに目を奪われ、そんなグチなど吹き飛んだようでした。
2012.03.31
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次に考えましたのは偶発的な事故死に見せ掛けることです。サブロウが昼間に一人で風呂に入っている時に、こっそりと帰宅して電化製品、よくあるのは髭剃などを風呂に放りこむという方法です。感電して上手く死んでくれるかもしれないと考えました。不幸な事故として警察が処理をしてくれれば、してやったりです。しかし、これも完全に殺すことができるという確証がなく、被害者のサブロウに証言されると思うと、私にはできませんでした。 そして低体温症で殺すことも考えました。体が冷える状態を作り、酔わせたまま自然死するような情況を作るのです。これも緻密な計画が思いつかず断念しました。 次に思いついたのは、自然にある毒をサブロウに摂取させることです。一度スズメバチに刺されるようにして、もう一度刺されるようにすればいいのです。そうすればうちの子はアナフィラキシーショックで死ぬかもしれません。しかし私にも夫にも、スズメバチなどという狂暴なハチを採取する勇気がございませんでした。業者に頼めばそれだけでアシが付きます。かといってインターネットでスズメバチが売っているわけもないし、買ったことも警察がちょっと調べればすぐに判るでしょう。これも実現不可能として諦めました。 最後に名トリックではないかと思ったのは、サブロウを餓死させることでした。毒で食欲を落とすのではなく閉じこめて、何も食べさせないのです。長男は自分でヒキコモリ、つまり自ら望んで閉じこもっているのです。あの頃は食事を毎食ドアの外においてありました。食事を置かなくても、サブロウは食欲だけはあるコです。キッチンに降りてきて、冷蔵庫から何かを漁るはずです。ですから今度はオヤ自身でサブロウを監禁し、山にあるような好みばかりを無理遣り押し込みます。そして弱ったところで崖から突き落とし、遭難して墜落死したように見せ掛けるのです。なんといいアイディアなのでしょう。これは完璧な事故死です。これが素人には一番てっとり早くできる殺人のように思えました。私は自分で自分を称賛しました。もちろん人のパクリですが、すでに著作権は切れ、どうせ作者も気づかないでしょう。警察の目を誤魔化せれば完璧な殺人になるはずでした。しかしこれも実行に移せませんでした。サブロウは子供の頃からアウトドア派ではなく、登山などしたこともありません。春の遠足で近くの山のハイキングに行ったくらいでございます。登山の趣味がないことはどこから証言が出てくるでしょう。もしかしたら私が長男は気分転換にといって出掛けてゆき、一日経っても帰宅せず遭難したようですと届け出れば、上手く行ったかもしれませんが。しかし私は実行できませんでした。 様々な名トリックを知りましたが、どうも私には直接手を下す殺人はできないようです。人様の命を支える仕事に就いておりますので、なおさら、ムスコとはいえ人を殺めるという残酷な行為に手を染めることができないのでありました。 そして人というものはなかなか死なないものでございます。密かに食欲がなくるという毒を盛ってみましたが、時折下痢をする程度で痩せ衰えることはありませんでした。ちょっとアタマをぶつけただけで死ぬ人もいるというのに、うちの家庭内暴力の長男は死にませんでした。父型の祖父も祖母も百まで生きましたので、長寿の家系のせいで生命力が異常に強いのかも知れません。ゴキブリ以上にしぶとい長男でございました。 そうして私が長男の暗殺に戸惑っておりますと、驚天動地の報せがやってきたのであります。それは出版社からの一枚のハガキでありました。『あなたの作品が最終選考に残りました。現在選考委員による選考が行なわれています。もしも銘文社ミステリー新人賞に決まりましたら、編集者が直接お電話でお知らせします』 私は心臓が止まりそうになりました。嬉しさではなく、それはただの驚きでした。せっかく私たちが総力を上げてムスコを殺そうとしているというのに、それに水を差すような最終選考の通知です。 一応ムスコには報せてやりました。主人が堅く閉ざされたドアごしに報せが来たことを伝えると、十秒ほどの後、脱兎のごとく部屋から飛び出してきたのです。 五年ぶりにムスコの顔を見ました。風呂には私が留守のうちに入っているようで、悪臭はありませんでした。こういうムスコでもまだ不健康にはなりたくないようです。「・・・・・・サブロウ」すでに気配だけを感じ合うことが当たり前になっておりました。「最終選考? まだ年間講読している雑誌は郵送されてきてないけど。そうか、やったか。俺は高校時代からミステリーなるものを投稿していたんだ。もう少し早ければ、履歴書に特技としてもう一行分増やす事ができたのに。そうしたら一社くらいは内定をくれたかもしれないのに」「受賞できたら晴れて作家、か」ムスコが五年ぶりに笑っておりました。「知り合いに聞いたのだが、この賞を受賞した新人は、ほぼ確実に新ミステリーXP賞を取れるっていうじゃないか」 後で知ったことですが、新ミステリーXP賞とは最近新設された、ミステリーながら純文学の要素も少し含まれた作品に送られるという、直木賞とも芥川賞とも傾向の違う賞で、直木賞と芥川賞との中間のような作品が選ばれるということです。最近の読者の嗜好の多様化で、これを受賞すると爆発的に売れる賞だということでした。もちろん賞金も高額で、一千万円の賞金とテレビドラマ化が約束されています。江戸川乱歩賞並みに、売れっ子作家への道が約束されているのです。「長い間無職だったけど、これで晴れて就職できるな」「まだ判らないし」 きっと長男は飛び上がってダンスでもしたい気分でしたでしょう。ずっと二次選考止まりで、一度も最終選考には残ったことがないようでしたから。「う」とムスコは唸り声を上げると主人を突き飛ばすようにしてトイレに駆け込みました。二階のトイレから酷い音がしております。どうも下痢のようです。どうもかなり気分が悪いようで最近食欲もないようでした。私が作った食事をすぐに食べないものですから、食事が痛んだのでしょう。クスリを飲ませようと思いました。 髪も薄くなり、年齢よりも妙に老けたようです。髪の薄い親族はおりませんので遺伝ではないようでした。「すぐに新作を書くぞ」ムスコは犬が吠えるように張り切っておりました。 がんがん書いてやると張り切っておりました。これで無職生活とはオサラバだ、企業は俺を否定したが、文壇は俺を必要としていると蘇ったゾンビのように元気になったのでした。
2012.03.31
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家に居着くアクマを退治しなければ、私たちに平穏な生活はありえません。悪魔払いは神父か牧師の仕事ですが、私たちは自分たちでやらねばなりません。自らを叱咤激励して、自宅の悪魔を追い払うのです。 まず買い集めたのは本格ミステリーの作品集です。古本屋で一冊五十円で買ってきました。それを夫と肩を寄せあって読み耽ったのです。きっといい殺し方が書いてるに違いないと思いました。 相変わらずサブロウは部屋に篭もりっきりで、ワープロを打っているようでした。今だに新人賞を狙っているようです。お前は平凡なバカなんだよ、うちはそういう家系なんだよと言ってやりたかったのですが、今更どうにもこうにもできません。母親の年金だけで細々と暮らしていたという自称アーチストの中年の話を聞いたことがあります。母親が死んだと判ったら年金が打ち切られるので、役所に死亡したことを届けず、年金を振込ませ続けたという詐欺容疑で無職の男が逮捕された事件です。まるで私たちの未来のようです。子供たちが独立したら夫婦二人でゆっくりとヨーロッパ旅行になどという夢は、中年のサブロウを扶養することで悪夢に変わりそうでした。 私はせっせと読み漁ったミステリーの中から、使えそうなトリックをノートにまとめました。悪魔を追い払うためには、人はどんな面倒臭いことでもできるものです。勤めに出ながら私たちは、悪魔退治の方法を探しました。それは魔術の本や聖書に書いてあるものでもありません。本格物のトリックの中に、最高の方法があるはずだと信じておりました。 古今東西の名作ミステリーは「殺し方」の宝庫でございました。しかも犯人が捕まらないような様々な「殺し方」を簡単に伝授して頂けるのです。本当にそれらのトリックを実行できたとしたら、優秀な日本警察も見事に騙し遂せて、素人でも簡単に「完全犯罪」ができるかもしれないと思えました。こうした作品のトリックたちは、まるで私たちを励ましてくれているようでした。やればできる、きっと上手く「悪魔退治」ができるぞと、激励してくれているように感じました。 私はミステリー作家が憑依したごとく、必死にアタマを捻りました。考えて考え抜いて、最高の完全犯罪を考え続けたのです。しかしそこは素人。絵画も最初は模写からと申します。私も最初はマネからとして、プロのトリックをそっくりそのまま使わせていただくことにいたしました。本の中の名探偵ほど、日本の警察は利口ではないだろうと思いました。上手くやれればきっとバレないだろうと、呑気に思っておりました。 子供の頃に読んだ本に、尖った氷を魔法ビンに入れてサウナに持ち込み、人を殺害した後、そのまま凶器を消滅させ逃げるというトリックを読みました。しかし凶器が消滅しても、犯人がすぐに特定されれば何にもなりません。しょせんあれは子供用の読み物にしか過ぎなかったのです。人の殺害方法を数多く仕入れた私でしたが、実際使って完全犯罪ができるとは思えないようになりました。警察の鑑識が正式に入る前に名探偵がさっさと解決してしまう孤島や孤立した山荘ものなども、都合のよいだけのトリックに思えました。 だからといって露骨に青酸カリや拳銃などを使ったトリックも、入手ルートから私が容疑者になることは目に見えていました。名探偵ならずとも足で解決する警察はそれほど無能でなないでしょう。というわけで入手の難しい道具は使わないことにしました。そして私ならすぐに手に入れられそうな筋弛緩剤や降圧剤などを使うことも考えましたが、やはり入手ルートを警察が洗った場合、私へすぐに辿り着くことは目に見えておりましたので、止めることにしました。筋弛緩剤とは筋運動を止めるもので、末梢神経に作用し、全身の筋肉を止めるのです。これが体内に入ると呼吸が停止、つまり外窒息が起こるのです。これは手術時に全身麻酔をしても内蔵などの筋肉が動いているのでそれでは手術ができません。そのために筋弛緩剤を使うのです。しかし人工呼吸器をしていれば死ぬことはなく、その成分が代謝されれば、元気になるのです。降圧剤はもちろん高血圧を下げるための薬剤です。 そこで次に考えつきましたのは、強盗に見せ掛けることです。帰宅したらヒキコモリの長男が殺されてしました、家は何者かに荒らされていましたと通報するとします、すると警察はヒキコモリのサブロウが、風呂に入るために降りてきた時に鉢合わせをして、居直強盗に殺されたと判断するかもしれません。私は警察が大バカであることを期待しました。しかし「殺し」というものは第一発見者と身内をまず疑えというのが鉄則だということです。そうなると第一発見者で、家族の私はすぐに第一容疑者になってしまいます。子供がオヤを、オヤが子供を殺すことも昨今ではめずらしくはございません。私がサブロウを殺したと警察が判断することも十分にありえました。長い間家庭内暴力に怯えてきたアツシに手を下させるわけにも行かず、プロのように完璧なアリバイを創作できる明晰な頭脳も当時はありませんでした。私は考えあぐねて、この居直強盗殺人事件は諦めました。 次に使おうと思った殺人方法は、睡眠薬で眠らせておいたサブロウをベランダの手摺りに引っ掛けておいて、目が覚めたら驚いてそのまま転落死というシナリオです。しかしマンションの高層階ならまだしも、一戸建の二階から落ちて即死するとは思えません。中途半端な身体障害者になれば年金が入ってくるだけで永久介護となり、さらにやっかいな事になるのでこれも諦めました。あのサブロウのために私が仕事を失い、一生介護に終われるなど考えただけでゾッといたします。
2012.03.31
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人は私どもを、聖人君子のオシドリ夫婦と呼びます。息子はミステリー新人賞を受賞後、新ミステリーXP賞を受賞した天才ミステリー作家。私は某専門職として、若い頃からずっと現場で働いておりました。主人はもうすぐ定年退職ですが、老後は発展途上国でシルバーボランティアとして、工作機械の開発加工の指導をしたいと言っております。 主人も確かにいい人です。真面目な善人です。ゴキブリも殺せないような優しい人です。そして確かに私たちはオシドリ夫婦です。しかしあのオシドリも専門家の研究により、実は「オシドリ夫婦」ではなかったと判明しております。つまり繁殖期以外は夫婦が別行動で、相手をよく交換、つまりスワッピングのようなことを当たり前のようにするのでございます。もちろんこれは、より強い子孫を残すための野性の知恵のようなものでございましょう。そのように、野性動物のみならず、哺乳類の上位に君臨する人間たちも、「聖人君子」ではなかったり、「オシドリ夫婦」ではなかったりするのであります。 私どもには二人の息子がおりました。八年前には長男は二十二歳になっておりました。そして弟の方は、遅い子でしたので十二歳でした。その長男の事ですが、大学在学中はアルバイトに熱中しており、就職活動に出遅れ、そして卒業間近でやっと活動を始めた頃には、すでに目当ての企業さまのエントリーも終わっておりました。元々のんきな子でありましたので、企業説明会に出席するも(サクラは散る)ばかり。大した大学ではないうえに、履歴書に一行増やせるほどの資格も第一種運転免許と、小学生の折りに習わせておりました、珠算二級や書道くらいしかありませんでした。せめてコンピューターの資格ミニアドストレーターや、マイクロソフトオフィススペシャリスト、簿記二、三級などでも取得していればよかったのですが、長男は貴重な四年間を単位取得のために学校へ通い、アルバイトに勤しむために毎日せっせと外出していただけでございました。あれでは予備校にまでやり二流大学へと入れたかいが何もございません。全く長男ときたら全く呑気者で、いつも行き当たりばったりの人生でございました。これでは折からの不況に加え、ライバルの学生たちがしのぎを削っている中、貴重な内定がもらえるはずがございません。国立大学の女子学生でさえ、パイが少ないということで、気象予報士や行政書士の資格を取得して就職活動に臨むというのに、うちの息子はどんな資格取得にも動きませんでした。「アシタがあるさ、アスがある」「ケセラセラなるようになる」などと古い歌を歌い、気を楽にしてのんきに生きるように育てた私も悪かったのでありますが、まさか一年以上も就職活動をして、ただ一社の内定も頂けないとは思いませんでした。息子の大学は一流の私立大学でないまでも二流の私立大学、どこかには引っ掛かるだろうと私どもも内心思っておりました。しかし実際はことごとく不合格となったのでありました。本人は大企業ばかり狙いすぎた、だから就職浪人になったのだと言っておりますが、それだけではございますまい。適当なところでランクを落とせば良かったのでありますが、秀才でもないのに結構プライドの高いうちの長男、浪人までして、三流ではなく二流大学を卒業見込みなのだからと、名の通った、つまり誰もが知っている知名度の高い企業ばかりを狙い、そして足蹴にされたようなのでございます。まったく自分というものを知らないと申しましょうか、分を弁えなかったと申しましょうか、これも親ゆずりの呑気さがもたらした悲劇であったのでしょうか。就職さえしてくれれば、知名度はなくても堅実な企業、中堅クラスの製造業などでも親は感激したことでしょう。同じレベルの大学の学生たちが次々と内定を頂いていたというのに、あの長男にはたった一つも来なかったのでした。 そうした呑気者のくせに、少しプライドの高い長男が行き着く先は決まっております。大学を卒業後次第に無気力になり、就職活動も二、三ヵ月で中止、約半年でハローワークへも大学の就職課へも行かなくなり、毎日テレビの前でゴロゴロをする日々を送るようになったのです。それでも、求人を掲載している新聞の折り込み広告には目を通しておりましたが、一つ二つ三つと不合格通知が来るうちに、求人広告にさえ目を通さなくなりました。レンタルしてきたDVDをゆったりと鑑賞しながら、ポテトチップスを食べ続けるのが日課となってゆきました。あの大学四年間でのアルバイト料は、このヒキコモリの日々のために貯金されていたのではないかと思えたほど、長男は二百万円ほどもあった貯金を消化してゆきました。 そんな長男でございましたが、ある日突然立ち上がり、オレにはすごいアイディアがあると言いました。ただの一度も内定ももらえず、役に立つ大した資格もないくせにと私は思いました。しかしそれでも大事な長男です。ヒキコモリでも無職でも、彼のアイディアを訊いてみました。 すると長男は、これまで見たこともないような自信に満ちた顔で、オレは高校の頃から同人誌を作り、雑誌に投稿していたというのです。だからきっとミステリーの新人賞を取り、その後新ミステリーXP賞を受賞するというのです。私は腰を抜かしました。ヒキコモリの無職が、小説の賞を取るというのです。しかも自信満々で、自分の才能を全く疑うことなくです。 私は呆れ返りました。あんたが取れるなら誰でも取れる。あんたが取れるなら小学生でも取れると言ってしまいました。買い言葉に売り言葉ですが、長男は子供の頃からずっとそうだった。いつもオフクロはお前にはできない、なれない、ダメだ、それしか言わない、一度たりとも励ましたことなどないだろう、だからこんなダメ人間ができたんだと、長男は大声で叫んだのでありました。私はまたまた腰を抜かしました。あの大人しくて呑気者の長男が、ずっとそう思っていたなんてと。 たしかに私は誉め上手ではありません。仕事を持つ忙しさもあってか、子供たちの趣味にも才能にも無関心であったように思います。顔を合わせる貴重な休日でも、叱咤するも激励した覚えが余りありませんでした。抱きついてくる子供たちを、疲れているからと何度も突放したこともございました。あんたは勉強しない、あんたは落ち着きがない、あんたはお気楽すぎる、あんたはお兄ちゃんだから、あんたはあんたはといつも口喧しく言っておりました。確かに仕事に忙しく、家事育児は亡くなった実母に任せ、たまの休みの子育ても、口喧しく怒鳴ってばかりだったように思います。子育てに関しては、ほとんど放任に近かったような感じでございました。私も口喧しい母親に育てられたので、そういう風になったのだと思います。 私の子育て論はさておきまして、あの長男のことですが、新ミステリーXP賞を絶対に取る、だから三年間は投稿生活三昧をさせてくれと言ったのです。私はそんな彼を馬鹿にしながら、いつものように大反対をしました。私は長男の作品を読んだことも、小説というものを教科書以外で満足に読んだことなどありません。そんな私の長男が、私の遺伝子を引き継いだムスコが、そういう有名な小説の賞を受賞できるとは全く思えません。うちは代々そういうインテリの家系ではなく、平凡に目立たずに生きることしか能のない一族なのです。そして五十歳を越えて生きた先祖未だにたった一人しかいないという、幸の薄い家系なのでした。そういう無駄な時間を過ごすくらいなら、何度でも落ちてもいいから、就職活動を再開するようにと、主人ともどもきつく言ったのでありました。私もムスコの覚悟を聞き、こっそりとミステリー雑誌の立ち読みもいたしましたが、短篇賞でも投稿が五百を越え、その中から年に一作しか受賞できないようで、とうていうちのムスコなどが受賞できるとは思えませんでした。高学歴だけでなれるのなら、東京大学出身者ばかりになります。しかし実際は小学校卒業の方さえおられる世界です。そのようにプロの小説家とは、神さまに選ばれた者だけしかデビューできないという超難関。あの東京大学でさえ年に三千人も入学できます。ですから小説新人賞の受賞は、進学高校の生徒が東京大学に合格するよりも狭き門であると、私は考えました。 そうです皆様、プロの小説家とはそういう選ばれた血族が目指すものなのです。あのアクタガワさんの息子さんたちでも、後に芸術分野で目覚ましい活動をされたではありませんか。そういう名を残す家系は、そういう風に(神仏)に選ばれるものなのです。祈ったり拝んだりしたからといって、そう簡単になれるものではありません。ですから、うちのような幸の薄い、ブルジョワでもインテリではない家系の長男がプロの作家を目指す事など、大企業ばかりを狙い失敗した就職活動と同じように思えました。 それなら、すぐに華々しく出版してもらえるようなゲーノウ人になった方がマシです。ゲーノウ人は大した芸がなくても、タレント性がある間はすぐに本を出版してもらえますが、庶民はそうはまいりません。出版する側にとっては爆発的に売れる事は少なく、全く旨味がないからです。世間を見渡すと、作家になりたければまず先に、タレント芸人か演劇人から始めるのがよろしいと思われます。面白くなくても才能がなくても構いません。テレビに出ていればそれだけでいいのです。そうすれば一冊くらいは出版して頂けます。一発芸人でも芸がなくとも一発必中で、一瞬だけでも作家気分が味わえます。一冊出版されれば、次の日からはタレントという肩書きに加えて、作家という肩書きが付きます。映画化やドラマ化がされて、すぐにでも立派な作家になれます。その方が、何年投稿しても最終選考にさえ残らない無名の庶民よりも、数倍も作家への可能性があると思われました。 主人と私が猛然と反対すると、長男はもういいよと語気を強めて、二階へと駈け上がりました。私たちはまだつまらない冗談を聞いたように思っていましたが、本人はどうも本気のようでした。 それからでした。長男と私たちとの戦いが始まったのは。どんなに主人がきつく就職活動をするように怒鳴っても、本人はひたすら部屋から出てきません。私は仕方なく食事だけを部屋の前に置くようになりました。部屋の中からはワープロを叩く音だけがしてきます。本気で小説なるものを書いているようでした。それでも私はそういう音を聞いても、絶対にうちのコには無理だという確信に似た思いがありました。うちのコは最年少美少女でも、天才秀才青年でもありませんでした。能天気な上に、プライドが少々高いという、どうしようもない二十二歳だったのです。 無職の二十二歳が昼夜ずっと家にいるという現実。私は毎日地獄のような日々を送っておりました。もちろん私は専門職として仕事に出ます。可哀想なのは当時十二歳でありました弟のアツシでした。十歳も違う兄が学校から帰ると家に必ずいるのです。しかも次第に狂犬病の闘犬のようになってゆく寄生虫のような兄が。 私の予想していた通り、長男は約束の三年間、最終選考にさえ入りませんでした。そして次第にサブロウは荒れ始め、弟のバットを持っては家中を破壊し始めました。階段、壁、下駄箱、ドア、まったく手加減なしに家を殴り続けたのです。私はますます恐怖を感じ、仕事を辞めることができませんでした。一人、弟のアツシだけが耐え続けていました。 私は何とかしたかったのですが、次第に狂っていくサブロウをどうすることもできず、夫と二人で震えていたのでした。一緒の仕事とした勤めもありましたし、恥を人様に相談することもできませんでした。今なら冷静に警察か福祉課にでも相談できたでしょうに。しかし当時は神経が疲弊しており、正常な判断力がありませんでした。そしてこのまま待ち続けていても、サブロウがミステリーの新人賞を獲ることはないだろうと思っていました。そして二十五才を過ぎても、きっと就職活動を始めることはないだろうと。 そこで私に悪魔が囁きました。「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」です。
2012.03.31
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