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2学期制の子たちの後期期末テストが返却された。470点とか440点という子もいるが、370~400点に位置してる子が一番多い。学校平均自体も下がってはいるが、塾内平均も380台後半になってしまった。(中1~中3全員で)どうにか全員に5科目400点を取らせたい。一度平均80点を超えると、勉強に対する意識が前向きになるし生活の中で勉強が占める割合も上がってくる。次で達成できるようにいろいろ考えよう。全員達成できるだけの潜在能力はあると思っている。まずは計画シートの改善からだ。
2009/09/30
新型インフルエンザについては、マスコミ等がかなり煽っている感は拭えないが、実際の致死率などを見ると、鳥インフルよりも危険度は低いと思う。 しかし、やはり子どもたちを預かる場としては、対策を講じる必要がある。ということで、遅ればせながら、うちもプレベントを導入することにした。 9月より、複数の消毒液を試し(通販、薬局、某マット交換会社などで仕入れてきた)、「肌荒れを起こさないか」、「入室後、気軽に(簡単に)消毒できるか」などを試してきた。 その中で最も良いと判断したものを明日より導入する。実際は、パンデミックの段階に入った今、消毒薬の効果は少ないかもしれないが、やらないよりは良いだろう。 薬剤に関しては、アレルギーもあり、肌の弱い子もいるので、強制はしないが、明日以降入口に置いておこうと思う。
2009/09/29
塾を開業して1年ちょい。とにかく本気で勉強したい子にとって、「最高の学習環境を提供したい」という目標でスタートした。 1つめは実現できた。それは私語のない自習室である。まず自習室の私語は厳禁。勉強中はみんなが黙々と勉強している。うちの塾は、見学に来た方や保護者の方がビックリする。なぜなら、10メートルくらい遠くにいても、生徒たちのページをめくる音やペンを書く音が聞こえるからである。それくらい静かな学習空間を作っている。 先日いらっしゃった、ある塾長さんとお話していたら、その点を褒めてくださった。ちなみにその塾長さんの塾では、自習室で野球をやったことがあるらしく、ちょっと羨ましく思った(笑)うちも、毎回静かな自習室じゃつまらないから、たまには野球かカラオケでもやろうかな(笑) 2つめも、ほぼ実現した。それは、5科目の質問に答えられる先生が揃っているということ。(実際には私1人しかいないが)生徒たちが勉強していて、分からない点があれば、即座に質問に答える。そんな環境を作りたかった。 以前の塾では「ごめん、今理科の質問に答えられる先生がいないんだ」とか「今日は英語の先生がいないから、英語の質問はできません」なんてことがあった。でも、今は私が塾に常駐しているので、それが可能になった。もちろん、まだまだ勉強をしなければならないことを痛感している。もっともっと勉強しなければ。 3つめも実現できた。生徒たち何か調べたいことがあれば、すぐに調べられるだけの参考書を用意しておくこと。この前数えたら、参考書・辞書などが全部で2000冊以上あった。もうちょっと充実させたいが、現時点では十分だろうと考えている。 4つめは、半分だけ実現できていない。それは、生徒たち全員にイスと机を用意してあげること。つまり、「もう1つの自宅」として塾をいつでも毎日使えるようになることである。 現時点でも、テスト2週間前からは「毎日通塾」になっている。だが、本当なら365日毎日使える状態にしたい。しかし残念ながら、現在のキャパでは小さすぎる。理想としては、塾生全員に個人用のブースを用意したい。これについては5年後の目標にしようと思っている。
2009/09/29
たまーになのだが、いやはっきり言ってしまえば、ある一人だけなのだが、何をしに来たのかサッパリ分からない方がいらっしゃる(笑) たとえば、ユニマットやダスキンが来れば、商品を売りたいのだと分かる。タウンワークやユメックスが来れば、求人広告を出してほしいのだと分かる。朝日や読売が来れば、新聞を取ってほしいのだと分かる。教材会社の方がくれば、教材を採用してほしいのだと分かる。塾外の保護者の方がいらっしゃれば、資料がほしい、あるいは説明してほしいのだと分かる。 しかし、1人だけよく分からない方がいる(笑)まあ、某教材会社の方なのだが・・・たまーに。年5、6回いらっしゃるのだが・・・これが全然喋らないんだよね~(笑)こちらから質問を振っても、何も返ってこないし、情報も一切持ってない。クビをひねったり、「ちょっと分からないですね~。」と言うばかり。じゃあ、質問をドンドンしてくれた方がありがたいし、教材に関する意見もドンドン言えるのだけれど、「順調ですか。」という質問しか来ない。教材に関する話は出てこない。 そして、毎回気まずい沈黙が数秒流れる。 (・・・何をしに来たのだろう?)←心の中かといって、「今日はなぜ来たのですか」などとは口が裂けても言えない(笑) そこで仕方なく無理矢理質問を作ってみるのだが、具体的な回答が一切出てこない。では、教材を売りに来たとか、新作見本を見せに来たのかというと、どうもそういうわけでもない。入試資料を持っているわけでもない。本当に一体何をしに来たのだろう(笑)不思議である。まあ、老舗の教材会社であるから、営業マンによってそれほど売上の増減は影響ないのかもしれないが、さすがにちょっと心配になる。大丈夫かな。
2009/09/28
夏期講習が終了し、8月下旬から10月上旬まではテスト対策期間となっている。テスト対策に関しては、基本的には各自が計画を立て、それに則ってノルマを消化していく形。まあ普通の型であろう。 ところで、最近研究している課題は、「生徒のタイプに応じたテスト対策」である。 生徒の勉強法には様々ある。書いて覚えるタイプ、見て覚えるタイプ。音読するタイプ、黙読するタイプ。問題演習を大量にするタイプ、少ない良問をじっくり解くタイプなど。様々な子がいる。そうした子に、今までは一律のテスト対策を施してきた。具体的には、例えば、英語に関しては私は音読を推奨してきた。 しかし、最近いろいろ研究しているのだが、例えば「聞く力」だけが極端に弱く、同世代の平均値より大幅に劣っているタイプの子もいる。そうした子に音読を勧めても、おそらくほとんど効果がないだろう。また、「問題を大量に解かせて慣れさせるか」、あるいは「良問に絞って根底から理解させるか」という問題も、生徒によってアプローチを変えていった方が良いと、最近は改めて感じている。 作業スピードの遅い子に、新中問を3周以上させるのは不可能だし、論理的思考力のある子に、大量の作業的訓練をやらせるのも不毛のような気がする。 そこで、まず生徒を4つのタイプに分け、その上でテスト対策に変化を加えていく方法を現在模索中(未完成)具体的には、x軸とy軸上に、生徒の特徴を分け、個別に計画を立案しようと思っている。 それがこんな感じ。↓ 知的 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ インパクト.━━━━━━╋━━━━━━渋い ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ バカ まず、インパク知とバカ渋の説明なんですが・・・ あ!すいません。激しく間違えました。正しくはこちらです↓ 作業スピード遅い ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 暗記型. ━━━━━━╋━━━━━━論理的思考型 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 作業スピード速い 生徒の勉強を見ていると、その特徴は様々。その分け方も当然たくさんあるだろう。ただ、私は「作業スピード」と「頭の働かせ方」の2つの観点から分けるのが、テスト対策には有効かなと思っている。 続くかも・・・
2009/09/26
英語や社会は90点を超えているのに、数学と理科が極端に出来ないということで入塾してきた子がいる。以前在籍していた塾では、あまりの出来無さに、そこの塾長から「幼稚園からやり直した方がいい」と言われ、親子ともども傷ついて、転塾をしてきた。 さて、どれほど数学と理科が苦手かと指導してきたが、なるほど・・・かなり深刻である。私が指導してきた中でも、数学と理科に関しては、極端に「理解すること」ができない。 まず、授業の理解度。こんなことを自分で言うのも何だが(笑)、私の授業を聞いて「分からない」と言った子は、ここ数年ほとんどいない。解説に関しては、おそらく分かりやすい方なのだと自負している。(いや、生徒たちは、単に私が怖くて「分からない」と言えないだけかもしれない笑) しかし、彼女の場合。私の授業のほとんどが理解できない。たとえば、60分授業を行うと、その60分で話したことと丸丸同じことを最初から説明しなければならない。「1対1」で話すと理解することが出来るのであるが、集団の中での会話を理解することが出来ないのである。いわゆる「言語能力の困難」という状態にあてはまる。また、自分から話す時も、順序立てて、ゆっくり話すことができない。単に単語の羅列であったり、話が飛んだりすることも頻繁にある。それに、とにかく早口であり、他者からは聞き取ることが困難な場合が多々ある。 指導当初は、個別指導塾への転塾を提案することも考えたが、おそらくどの塾に行っても、「できない子」「理系が苦手な子」で済まされると考え、私の方で毎日呼び出しながら指導を続けている。 また、「推論と計算」はとことん苦手である。小数計算は、繰り上がりになるとできなくなる。ケタもずれてしまう。何度かやっても、数日すると方法を忘れてしまう。また、規則性や共通点を探すことも苦手なため、とにかく順序立てて、丁寧に指導する必要がある。図形も苦手である。たとえば理科の問題で、選択肢に4つの絵(実験方法)が並んでいる場合などは、その4つの絵がそれぞれどこが異なるのかが判別できない。ただ、今日はヒントを出しながら、4つの絵のどこが違うのかを自分自身で見つけ出すことができた。私が「自分で見つけられたね。」と言うと、とても嬉しそうにしていた。 こうした状況なので、ペースはとことんゆっくりである。こちらも焦らずに指導しているのであるが、実は志望校が大変高い。しかも、英語と社会は9割取る力があるので、こうした現状を学校と保護者の方が理解していない場合も十分に考えられる。(というより、間違いなく理解していない) 彼女は、他の生徒と一律のやり方では伸びないと思っている。今後(高校進学後)のことも含め、どうにか良い方法を探していきたいと考えている。
2009/09/16
私が学生の頃に、コンビニやレンタルビデオ店などいわゆる接客サービス業でアルバイトをした経験がある。こうした接客業では、店長の管理能力が、そのままアルバイトの接客態度に出る。 レンタルビデオ店は深夜2時閉店であった。深夜は店長などいない。そもそも週のうち、店長が顔を出すのは1日程度。必然的に、学生バイトやフリーターが作り出す「ゆるい雰囲気」の中で時間が進んでいく。そこに「サービス業」という観点はかけらもない。深夜は単なる不良のたまり場になっていた。 レンタルビデオ店では、1:55から有線放送を「蛍の光」に変える。店内に閉店を知らせるためである。私たちバイトは、少しでも早く帰りたいために、1:50あたりからお金の計算や本日の「締め作業」を始める。お客さまから見えるところに、小銭を並べ、1000円札を10枚ごとに包み、本日の売上を計算していく。「日報」と呼ばれる、本日の売上明細の処理も同時進行で進めていく。その時の気持ちは「早く帰りたい」。その一点である。 しかし、店内のお客さんには、2時近くになっても、まだ帰宅しない人がいる。するとスタッフもいらいらしてくる。さらに1:55くらいに店内に入ってくるお客さんまでいる。 こうした日が重なるにつれ、1:45位から「蛍の光」を流し、早く客を帰らせようとするバイトも出てくる(笑) 売上計算を終了し、もう閉店の2時を待つばかり。カウントダウンが始まる。しかし、そんな閉店ギリギリの1:59にビデオを返却に来て、延滞料を支払うお客さんがいる。すると、あからさまに嫌な顔をするスタッフも中にはいた。今終了した日報を書き直さなければならないからである。 こうしたことは何もバイトだけに限ったことではない。専任スタッフでもありえることだ。以前の会社でも、専任講師の終業時刻は22時。そして、時間講師に関しては、授業時間以外の時給は一切支払われることがなかった。そのため、生徒たちの質問に捕まりたくないために、職員室の陰に隠れて仕事をしたり、質問しようとする生徒を早く帰らせようとする動きが目立ってきた。 こうしたことが起こる原因は2つ。1つは研修不足。もう1つは、時間外労働に給与が支払われないことである。(3つめを挙げるとすれば、それは熱意の問題なのだろうが、マニュアルではなるべく「熱意」に頼らない) まず、研修段階で「閉店時間とは、決してスタッフが帰宅する時間ではない」ということをきちんと理解させておかねばならない。この考えを理解させておかないと、閉店間際に飛び込んできたお客さまに対し、スタッフが失礼な態度を取るというとんでもない事態が起こる。塾業務においても、生徒からの質問や、夜遅くまで残って勉強する生徒への応援態勢がきとんと取れないという状況に陥る。 また、ペイの問題も重要な観点である。先に挙げた私のバイト時代の話で言えば、時給が2時までしか出ないことが問題である。しかし実際は、お客さまが帰宅された後に、30分程度締めの仕事が残っている。しかし、その部分に時間給が発生しないのだ。これは経営者が支払うことによって解決する問題だろう。もちろん、全ての残業に対し、報酬を支払うという考えに私は反対である。これをやると、仕事の遅い人やサボっている人ほど給与が高くなるという事態になる。しかし、実際に会社として拘束している時間に対しては、給与を支払わないとならない。 閉店間際にどこかの店に入り、何となくスタッフの嫌な空気を感じたことがある人も多いだろう。デパート、書店、レンタルビデオ店、レストランなどなど。閉店間際でも営業時間は営業時間である。それはスタッフが帰る時間でも、スタッフが後かたづけを始める時間でもない。営業時間とは、お客さまのために与えられている時間なのである。研修の初期段階で、この点を勘違いさせないようにしておくことは重要だ。ここを強調しておかないと、「とにかく早く上がりたい症候群」が社内に起こる。何もダラダラ仕事をする必要はないが、早く上がることだけにスタッフが集中し始めると、その会社からはプラスαのアイデアや企画は生まれてこなくなる。
2009/09/16
予め断っておくと、今の塾ではそのマニュアルは一切使っていないし、実践していないものもたくさんある。以下に記述するのは、あくまでも、大きな組織にいる時に書いたマニュアルの内容である。 私の教室長マニュアルは細かい。カーテンを閉める時間帯まで書いてあった。(むろん、季節ごとに異なる)基本的に、「塾はサービス業である。」という観点のもとに書かれている。 また、私のマニュアルは、いわば「やってはいけないこと集」となっている。塾に最初に入塾した「生徒さん」(←マニュアルではこうした呼び方になっている)、および「保護者様」(←やはりマニュアルではこうした呼び方になっている)は、比較検討した結果、当塾を選んでくれているのである。いくつもの塾チラシを見て、HPを見て、実際に見学したり体験授業を受けたりして、自塾を選んでくれている。つまり、最初の段階で、彼らの持ち点は「100点」なのである。しかし、実際に入塾し、授業を受けていく過程で、その持ち点が減点されていくのだ。だから、マニュアルというものは、いかにお客さまに減点されないかが重視される必要がある。 一般にお客さまというのは、無意識にうちに頭の中で採点をしている。その採点の際には、競合店との比較も同時に行われている。教室長に研修する第一段階は、こうした減点法の観点である。 また、教室長候補にはもう1つ伝えておかなければならないことがある。それは、一般に客単価が高ければ高いほど、お客さまの採点基準は高くなるということである。塾の年間費用は高額だ。3年間通えば、車を買える料金になる。これはコンビニの買い物とは、期待度のレベルが大きく異なる。この点を理解していないと、後々とんでもない誤解を持ったまま仕事に向かうことがある。だから、教室長研修の際には、まず料金表を熟読させ、いかに多くのお金がかかっているのかを理解させることからはじめる。同時に、他サービス業との性質の違いもよく理解させておく。
2009/09/15
個人塾、それも1人で運営している個人塾にはマニュアル類が必要ない。自分自身がルールであり、その場その場で臨機応変に対応していけばいいからだ。 しかし、スタッフが複数になった場合には、私はマニュアルが必要であると思っている。もちろんマニュアルなどなくても、立派に運営している組織はたくさんある。しかし、そこにはカリスマ性を持ったリーダーが必ず存在していて、そのリーダーの意思をメンバーがしっかりと把握している。各自が自由に行動しているようであるが、リーダーが重要視している「ある勘所」からは決して外れないように、組織全体が動いている。終着点や目的がきちんとしている証である。 しかし、組織がある程度大きくなると、リーダーの意思が下まで届かなくなる。また、メンバーの中で微妙に異なる意見を持つ集団が生まれることもある。そうした際に、私はマニュアルは必要であると思っている。 よく「マニュアルは必要ない」という言葉を見るが、私が仮に2名以上の組織を作る際は、絶対にマニュアルを作る。 自分と同じ人間はいない。だから、自分と同じような意識で、同じように行動する人間も存在しない。だからこそ、私はマニュアルを重要視する。 一方で、相手に完璧を求めてはいけない。世の中に完璧ということはありえない。8割できれば、合格にしておく柔軟性も時に必要である。しかし、マニュアルがあれば、そこに書いてあることはきちんと守らせたい。 そんな訳で、以前の会社では個別指導版教務マニュアル(約160ページ)集団指導版教務マニュアル(約100ページ)事務スタッフマニュアル(約40ページ)教室長マニュアル(未完)を作成して、研修に多くの時間を割いていた。 私はあまり「自由」を許さない。「規律」を重要視する。 もしかすると、ブログでの印象と実際の印象はかなり異なるのかもしれない。
2009/09/15
昨夜はある生徒に厳しい話をした。瀬戸際の生徒である。今回の定期試験で失敗すると、都立合格可能性は限りなくゼロに近づく。かなり厳しい状況に追い込まれている。都立の入試制度とこの子の実力を考えると、当日の逆転は難しい。今回の期末は大変重要だ。一方で勉強計画はとても順調とは言えない。後期中間は週明けの火曜なので、この日曜は貴重である。しかし、何と今日、彼女は高校の文化祭に遊びに行くと言う。「見学」という名の遊びである。塾としては止めた。「高校3年間で6日間しかない文化祭が面白いか面白くないかで、〇〇さんは志望校を決めるの?」と尋ねた。また、「文化祭がつらまなかったら、志望校を変更するの?」とも尋ねた。答えはノー。志望校は変えないらしい。そうであれば、テスト前日に文化祭へ行く必要はないと思うのだが友達との約束(←話を聞く限り、その友達は多分合格可能)があるため、遊びに行くようだ。そもそも、文化祭という非日常的な空間を見ても、学校見学にはならない気が個人的にしている。この一週間の勉強の様子を見ていても、イマイチ気持ちが入ってない。成績を上げるためには、本人の気持ちが大切なのだと改めて実感した。
2009/09/13
近々、この2ヶ月間に起こったことは、あちらで書こうと思います。 って、「あちら」ってどこやね~んっ!(僕には「あちら」がない・・・) ということで、こちら(楽天)で書きます。 そういえば(?)、来年度「勝利」が全面改定されるらしい。数学に関しては、全て見開き構成になるとのことで、ちょっと楽しみにしている。私が「勝利」ではなく、「ニュー ジュニアハイスクール エクササイズブック」を採用した理由は、見開き構成で見やすかったということも、若干はある。来年度の数学教材は、また一から選び直しになるだろう。 また、その他の科目に関しても、再度検討に入る。来年あたりから、おそらく移行措置内容も含めた改訂が各社出そろってくると思われるので、それを踏まえてゼロから教材選びをしていきたい。
2009/09/12
たまに近所のブッ〇オフまで足をのばす。 基本的にブ〇クオフでは、古いか新しいかで価格がつけられるようなので こちらが え!? と思う値段で売られている物もある。 吉川英治全集とか1冊105円だったりする。 本好きには嬉しい限りだ。
2009/09/11
生徒からショッキングな話を聞いた。V6の岡田くん、三宅くん、森田くんは、中学生から見たら「おじさん」なのだそうだ。「え??じゃあ、スマップは?」と聞いたら、あれは「おじさん」ではなく「おっさん」なのだそうだ。小さい「っ」が入るらしい。小さい「っ」が。「っ」が。 ある塾長さんに聞いたら、平成じゃんぷ?の山田くんが人気があるそうだ。平成ジャンプ?!!!雑誌名か!?週刊平成ジャ・・・ とりあえずネット検索かけてみたら、Hey! Say! JUMPと表記するらしい。和訳すると「よぉ!言えよ!飛べ!」って感じか。一体どういうシチュエーションだったのだろうか。いや、これは訳してはいけないのかもしれない。 訳してはいけないと言えば、Tシャツの横文字もだ。昔、原宿とか渋谷で、前を歩いている人のTシャツを見て、いちいち訳しているTくんという友人がいた。「おれは一番です。」「私はウソをついている」「横切るな」「動物の命を大切に」「家族と女が命」「いこうぜ天国」「とても速いロック」「死への分速1マイル」「私はバンクーバーに行きたい」などといちいち和訳していた。他に訳してはいけないものといえば、「チャタレイ夫人の恋人」だろう。訳すと捕まる。 「本日は晴天なり」「羊が一匹」「コーヒーのお替わり自由」も訳してはいけないものなのかもしれない。 話が大幅にずれたが、へいせーじゃんぷの山田くんという子が人気らしい。ドカベンの山田くんではない。笑点の山田くんでもない。おじゃまんが山田くんでもない。Hey! Say! JUMPの山田くんだ。とりあえず、ライバルに指定した。 さて、 本題を書こうとしたのだが、生徒が来たので終了。
2009/09/10
そして美味からず という風に上島竜平の代表的なギャグで書き出してみましたが、都立独自校を目指す子のテキスト(数学)について悩んでいる。基本は過去問演習。まずは、八王子東や国分寺を演習し、立川、日比谷、西高の問題も解かせておきたい。戸山の数学もやらせておきたい。 ただ、過去問演習が中心といっても、やはり基本書となるものが1冊ほしい。一応、新中問と実力完成は渡してあるが、理科社会のオリテキSロードのように「基本書」となるようなものを1冊用意したい。残された時間も多くない。 そこで、甘からず、かといって辛からず。美味からず・・・ではなく、難しすぎず、かといって簡単すぎず、薄すぎず、かといって厚すぎず、そんなものを探している。 本棚にある本を1冊ずつ確認し、1つ候補が見つかった。文理の「特訓テキスト(精選編)」。レボー的にはちょうどよく、極端な難問はカットされている。量の面でももぅしぶんなぃ。数学だけでなく、英語もこれでいこうかと考えている今日この頃・・・。
2009/09/09
夏期講習終了後の9月は、各自バラバラの内容を進めている。大きく分けると、テスト直前組(2学期制の中学の子)と通常授業組(3学期制の中学の子)に分けている。<テスト直前組> テスト組は、私のアドバイスやヒントを元に、計画は各自が立てる。その後、その計画を私がチェックし、修正を加える。日々勉強する中で、計画に新たな項目が加わることもあれば、時間的に難しいと私が判断した場合は、思い切って削除する場合もある。そうして、各自が目標に向け、一歩ずつ進んでいく。本日は、試験前日の学校もある。そのため、自宅での勉強を許可した子も数名いる。ただ、自宅学習を許可したとはいえ、やはり勉強の進み具合は気になるもの。先ほど、本日来なかったテスト前日組の全員に電話をした。6人程度なので、短時間で終わったのだが、ちょっと気になったことがある。それは、私がワンコールかツーコールした後に、「すぐに」「本人が」電話に出たケースが2件あったことである(笑)彼らはちゃんと勉強していたのだろうか(笑) まあ、家の間取りや電話の置いてある位置など、各ご家庭で様々なので、そこは勉強していたと信じるしかない。 ただ、この電話入れも出来ればやりたくない。マイナス面もある。というのは、私が電話をすることにより、勉強を中断し、電話のある居間や廊下などに来なければいけない家庭もあると思うからだ。すると、今まで集中していたのに、電話に出たついでちょっとジュースを一杯・・・みたいな感じで休憩に入ってしまう子もいるだろう。 やはり、自宅学習をした子には、授業終了後に報告電話をさせるのがいいのかもしれない。次回以降、考えてみる。 <通常授業組>テストがまだ先である3学期制の子たちは、夏期講習の復習をさせている。中3の夏期講習は、多くの単元を一気に進めた。言葉を変えると「詰め込んだ」という状態に近い。また、中1と中2は、それぞれ一次方程式、一次関数など重要単元をすすめた。 そのため、9月は「定着タイム」として、8月までに習った内容の反復に充てている。先へは一切進めない。この期間は大変重要である。夏期の内容を消化不良にしてしまうケースは意外と多いものだ。かといって、復習を生徒の自主性に任せておいても、多くの中学生は実行に移すことができない。そこで、塾で強制的に復習をさせ、私が一人ひとりの進行状況を管理している。この9月でしっかりと復習し、自分のものにしてほしい。
2009/09/08
<日本文>ジョン:クローン技術ってすごいね。ケン:羊や他の色々な動物のクローンを作ることに成功した科学者もいるね。理論的に言うと、我々のクローンも作れるってこと?<英文>John:I think cloning is a great technology.Ken: Some scientists succeeded in cloning a sheep and various other animals. Theoretically, doesn't this mean we can clone ourselves? <日本文>では、ケンは「我々のクローンも作れるってこと?」と肯定文で質問しているのに、<英文>の方では何故否定疑問文になっているのですか。「dosen't this mean」ではなくて「dose this mean」ではないのでしょうか?という素朴な疑問なんです。 回答(仮説)あまり日本語訳は気にせずに、英文だけで考えた方が良いでしょう。Kenは否定疑問文を使ってますが、相手にyesの返事を期待する時は、否定疑問文を使います。そして、この場合の否定疑問文は、付加疑問文とほぼ同じ意味になります。念を押す感じであり、相手にYESという答えを期待しています。ケンは Some scientists succeeded in cloning a sheep and various other animals. と述べたあとに「Theoretically,」という言葉を使っているところが、ポイントになるかと思います。「理論的に言うと」と言ってるくらいですので、ケンの頭の中は「当然、人間もクローンを作れるんだよね」と考えていると思うのです。つまり「イエス」という答えを期待していると思われます。そこで、この場合は、否定疑問文を使って、doesn't で文を始めたのだと思います。(仮説ですが)
2009/09/08
John can also read Spanish. という文について、「ジョンもスペイン語を読める」「ジョンはスペイン語も読める」という2つの訳が書いてありますが、前者と後者では全く意味が異なります。区別して表現する方法はありますか。 話し言葉では、John を強く発音すれば「ジョンもスペイン語が読める」の意味になり、Spanishに強勢を置くと「ジョンはスペイン語も読める」になります。書き言葉で区別したい場合は、alsoではなくtooを使い、tooを修飾したい語の直後に置く用法があります。John, too, can read Spanish.とすれば「ジョンも...」の意味になります。同じような例文では、I play the piaso. を I, too, play the piaso. と表現すれば「私もピアノを・・・」の意味になります。tooは通常文末に置くことが多いため、それがわざわざ主語の後ろにあるということは、主語を強調したがっていると判断できます。 一方John can read Spanish, too. とすると「スペイン語も」「ジョンも」の両方の意味にとれます。したがって、この場合はJohn can read also Spanish.という感じにalsoを「修飾したい語の近く」に置くと良いようです。通常alsoは主語の後ろに置くことが多い言葉なので、それが、あえてSpanishの前に置かれているということはこの人は「スペイン語」に「も」を付けたいんだな~と判断できます。 このように、alsoに関しては、修飾したい語の出来るだけ近くに置きますが、only同様、この語順は本来の位置からよく動くので注意が必要です。結局は文脈判断になるのでしょう。なお、一般にtooとalsoを比べた場合、前者の方が驚くべき・注目すべき事柄として、人の注意を引く効果があるそうです。
2009/09/08
昨夜は、生徒たちに頼まれたプリント作成に明け方までかかった。テスト前のプリントは、学校のテスト範囲を見て、その範囲に合わせて作成する。多くの学校では、カリキュラムごとにきっちり進むということはない。「今回の試験範囲は一次方程式全部」とか「1分野は電流で、2分野は人体」などときっちりと単元ごとに出題してくれれば、こちらも楽なのだが、そういうケースは稀だ。多くの場合、試験範囲は中途半端である。たとえば、「二次方程式の計算と文章題の最初の1ページだけ」とか「レッスン4の2まで。ただし、途中のP○○~○○は入らない」とか「歴史は、P○○の○行目~P○○の途中、地理はアメリカの半分まで」という感じである。プリントを作成する際も、当然その範囲に合わせて問題をカットしたり、一部追加したり、ちょっとした修正が必要になる場合が多い。さらに生徒ごとに、プリントのレベルも若干変化させている。 結果として、「5科目分×頼まれた生徒分」を作成すると、試験期間中は明け方までプリント作成に時間を費やす日が多くなる。 ところで、今月当地区では新型インフルエンザが発生し、学級閉鎖も一部で行われた。その結果、試験範囲が若干修正された模様。当然、授業が中止になった分、テスト範囲も一部カットされた。一方で、カットされた分の試験範囲が狭くなってしまうので、1学期の試験内容が追加されたようだ。 いま、頼まれていたプリントを生徒に渡した。本日明け方までかかって作成したプリントである。すると、生徒が「すいません。今回の試験範囲と違います。試験範囲が変わりました。」と今さら言ってきた。 試験範囲の変更という重要な報告が、塾側になされていないのである。 中3には、6月にも厳しく注意したことがある。修学旅行の日程が変更になった際に、誰1人として塾に報告に来なかったからである。「4月に集めた各学校の年間行事予定に変更があった際は、速やかに塾に報告すること。」6月はその件で厳しく注意を与えた。ちなみに、この報告が遅れたために、夏期講習の日程は大幅に変更になり、授業回数も減ってしまった。作成済みであった「夏期講習のおしらせ」も大幅に修正を加えた。 しかし、その後も、彼らから重要な報告が入ってくることはない。今回の試験日程も、中3生の修学旅行が9月に延期になった関係で、年間行事予定とは1日ずれている。私は自分で気づいたが、未だに誰からも報告は入ってこない。 「いいですか。テストの日程が変更になったら絶対に報告してください。」と授業中に何度か言ったのだが、それでも誰からも報告が入らない。報告の重要性が分かっていないのである。 彼らの試験は、9月11日に終わるのだが、年間行事予定通り、私が9月10日から通常授業に入ってしまったら、困るのは彼らである。そのことが今ひとつ理解できていないようである。 今回も、試験範囲の変更を塾側に伝えてこなかったため、本日のプリントがあまり意味のないものになってしまった。ホウレンソウ(報告、連絡、相談)の重要性を、あらためて今後の授業内で伝えていくつもりである。
2009/09/06
2学期制の中学は、今週からテストにはいる。しかし、うちの生徒を見ると、全体的に計画が遅れ気味である。計画の進み(消化状況)があまりよくない。 中3生に関して言えば、インフルエンザにより延期になった修学旅行が、この8月末~9月上旬に入ってきたことが影響している。入試の内申点に影響する大切なテストなのだが、修学旅行中に浮かれてしまい、今イチ気持ちが入っていない子が多いようだ。また、夏期講習が終了し、ある程度の達成感(解放感?)を味わってしまったことも影響している。一度抜いてしまった気持ちは、なかなか元に戻らない。その他の学年に関しても、8月中は部活が忙しく、なかなかテスト勉強をすることができなかった。9月に入ってからも、若干夏休みボケしていることは否定できず、どうもテスト対策に気持ちが入りきっていない様子の子が多い。2学期制の子のテスト対策は、とにかく動機付けに仕方が難しいのだ。 ただ、この週末で一気に挽回して欲しい、そしてそれが可能だと考えている。 確かに全体的に計画の進み具合が良くない。1、2名を除き、前回の前期中間よりも3,4日間くらい遅れている印象だ。その上、今回は実技教科も加わる。しかし、統計的に考えて、うちの塾生だけ勉強が遅れているとは考えられない。たとえば、視聴率調査などは、大体3~400世帯程度調査すれば、実際の視聴率と誤差はほとんどないとのこと。選挙の出口調査や世論調査も同様で、各テレビ局が調査すれば、そのサンプルをもとに開票前に当確ランプを灯すことが可能。 そうした確率・統計の話になるのだが、たまたまうちの塾だけに、計画の遅れている生徒が集まっているとは考えづらい。しかも、塾生の平均点を算出すると、3学期制の子の1学期中間&1学期期末、そして2学期制の前期中間の塾生平均は400点を超える。そんな塾生たちである。そんな塾生なので、彼らだけがたまたま計画が遅れているということは、やはり考えられないのだ。 つまり、この週末の過ごし方で一気に挽回可能であるし、計画の遅れを軌道修正することも可能である。今日は生徒たちにそんな話をした。 さて、本日日曜日の過ごし方も重要になってくる。こちらが出来ることは限られている。計画の進み具合と本人の作業状況、スピード、取り組み方を見て、計画に修正を加えること。あとは仕上げに確認テストを受けさせることだけである。今日1日でどうにか軌道修正していきたい。そのためには、生徒たちの気持ちが何よりも重要なことは言うまでもない。
2009/09/05
今さらながら、中学校間における学力格差が気になる。これは地域ごとの教育熱の高さなども影響するのであろうが、やはり見ていると指導者による違いや教材による違いも見逃せない。 <指導者による違い>まず、指導者による違い。塾の先生同様、学校の先生にも力量の差はある。例えば、当塾の周りの数学講師を例にすると・・・A中学:もの凄い力量(←指導スキルではなく、先生本人の数学の力が)を持ったベテラン教師。かなりハイレベルな内容まで扱う。近隣の大手進学塾のトップクラスに在籍している生徒たちの評判はすこぶる良いが、それ以外の生徒からの評判は良くない。テストの平均も50点を割ることがある。ただし、全体的に生徒の力は上がっているようだ。B中学:20代後半の若い講師。元大手進学塾でバイト経験あり。 この地で塾運営をして2年目に入るが、数学だけ見れば、A中学の生徒の学力は高い。逆にB中学の数学偏差値は低い。B中学の先生は、元塾講師だけあって、指導法が「塾的」である。たとえば、円錐の表面積は、前々回のブログで書いたような「一発公式」で指導する。普通のやり方はほとんど説明しない。それはそれで1つのやり方なのであるが、生徒からすれば「答えは出るのだけれど、一体何のために何をやっているのか分からない。」という状態になっている。「先生~、円錐の表面積の出し方は分かるんですが、これって将来何の役に立つのですかぁ?」となる。それはそうだ。これは塾がやる指導。入試で点数を取らせるための指導であり、学校の指導の目的は、別の所にある(と私は考えている)。文科省の意図も裏技公式にあるのではない。その問題を使って、いかに思考力をつけ、学ぶ力を付けさせるかが大切である(と私は考えている)。 この学校では、通常の「学校VS塾」とは逆の図式が成り立っている。B中学の生徒「塾で円錐の表面積の出し方を習ったけど、全く分からなかった~」B中学の先生「これ、簡単な公式があって、これで一発で出るよ」という風景である。 たしかに、このB中学の先生は、「非常に分かりやすい」と生徒たちに評判がいい。しかし、これも元大手塾の講師だけあって、ちゃんとからくりがある。それは、「簡単な問題」および「教えやすい問題」しか扱っていないのである。大手塾では生徒からのクレームを最も嫌う。そのため、「学力を上げる指導」よりも、「クレームが来ない分かりやすい授業」の方が時に優先される。(上位クラスは除く)この先生は、その塾的な指導をそのまま公教育に持ち込んでしまっているのである。まず、授業でやっている解法の多くに裏技や一発解法が見られる。また、授業内で扱う問題は簡単なものばかり、あるいは講師側が教えやすい問題に特化して指導している。さらに、テストや配付されるプリントも基礎的なものが中心である。結果として、この学校から来ている生徒は、数学を苦手としている子が多い。(もちろん、本人と保護者の方々は自覚していない場合がほとんどである。なぜなら学校の点数は低くないから。) 先のA中学との比較で言えば、A中学のテストで60点を取っている子は、Wもぎの偏差値で57~63。B中学のテストで85点を取っている子は、Wもぎの偏差値は45前後になっている。 A中学の子は、学校内では数学が苦手だと思いこんでいたが、いざ模擬試験を受けると、実は結構数学が得意であることに気が付く。一方、B中学の子は、模擬試験などで他流試合を経験するまでは、定期試験の点数しか学力の判断材料がないため、自分は数学は得意だと考えていた。しかし、いざ外の世界に飛び出してみると、数学の偏差値が低いことに気が付く。塾の役割の1つに、こうした学校間格差を埋めることがあると思う。 <教材による違い>これも生徒の学力に与える影響は大きい。C中学の数学のワークは基本中心だ。応用問題などほとんど載っていない。問題数も少なめ。テキストの具体名は挙げないが、茨城県内の入試問題だけで構成されている学校用問題集である。一方、D中学で採用している問題集は、かなり難しい。正進社発行のワークを使用しており、テストには「オープンセサミ」という箇所からたくさん出題される。問題数も多めのため、C中学の子よりも、解いている問題数は圧倒的に多くなる。 さらに、D中学の理社ワークは、入試問題を中心に編まれた難しめのものである。定期試験の際には、そのワークから30ページ分くらい出題される。それに対して、C中学の理科ワークは穴埋め方式の簡単なもの。問題集というより、作業ノートという感じである。しかも、試験範囲は毎回少ない。社会はワークが配られていない。プリントのみである。 当然、このC中学とD中学の間でも、学力差は生まれている。学校の教科書は、どの中学も共通。しかし、サブテキストとして採用されているワークや試験範囲により、生徒の学力は大きく左右されてしまう。やはり、こうした観点からも塾という場は必要であるように感じる。地域の学力状況の監視などという大それたことはできないが、少なくとも塾生の学力に関しては、学校成績に表れない部分まできちんと把握し、方針を立てていかねばならない。
2009/09/04
以前書いたが、夏期講習中は独学を行っていた学年○位の子が、9月より個別指導で復帰。都立トップ校に向け対策を開始する。各科目過去問演習が中心となるが、英語と国語は作問方法にまで視野を広げ、都立向けの頭の使い方を身につけていく。数学は、やはり過去問を中心に進めていくが、まずは未習単元(相似と三平方)があるので、それを9月中に片づける。その後、自校作成の1番問題を特集し、整数問題など教科書内容を超える問題の解法を10月でマスターする予定。11月からは図形と関数を中心にハイレベル問題を解いていくが、これについては手書きプリントの作成も考えている。というのは、東京学参にせよ声の教育社にせよ、あの解説は入試本番向けの解法ではないからだ。制限時間内に素早く解くためには、「別の方法」が必要になってくる。たとえば、二次関数の「変化の割合」を出すのに有名な一発公式?がある。多くの中学生は、「変化の割合」の問題の中では、その裏技?を使いこなせるが、実際に関数のグラフの中で、一次関数と二次関数が混ざった形で出題されると、あの公式が使えるという発想に思い至らず、「普通の」解き方で始めてしまう場合が多い。おそらく、この段階で「出来る受験生」との間で、1分~2分程度の差が生じてしまう。 大手塾には、5、6教室に1人くらいの割合で、数学のトップ講師が在籍している。彼らはこうした解法をドンドン使って解いていく。「この形が出たら、この公式を思い浮かべよ。」「このパターンの時は、ここに補助線を引いてみよ。」というような定石をよく知っている。そうした先生方に習った受験生と戦えるように訓練を重ねていかねばならない。これらの訓練は11月以降に行っていく。ちょっと遅れ気味だが、どうにか間に合わせたい。 また、サブテキストとして実力完成も渡してあるので、そこから必要な問題を選択するのも私の仕事になるだろう。夏期講習も終了し、いよいよ後半戦。この後半戦は、私自身の予習や授業準備に大変な時間がかかることが予想される。一応、現時点での予定では、都立自校作成を7,8校分+数年分全て解き直す予定(英数国)同時に、数学の「実力完成」を全ページチェックし、必要類題をピックアップする作業も行う。しばらくは受験生よりも勉強する日々が続くだろう。
2009/09/02
ブログを始めた初期の頃に、以下のようなことを書いたことがある。(真面目キャラで通そうとしていた懐かしい日々)円すいの表面積~中1数学~ 誰にでも跳び箱が跳べるように チョークの色 子どもが同時に認識できることには限界がある。年齢や個人差もあるが、中学生段階で同時に4つ以上のことを処理できる能力があれば、その子は優秀な部類に入るのではなかろうか。小学生くらいだと、この「同時に物事を処理する力」が未発達なので、たとえばバスケをやらせても、ゴールがなかなか入らない。「ホップ・ステップ・ジャンプ」という3段階におよぶ一連の動作がぎこちなくなってしまうのだ。勉強面でも同じことが言える。勉強の苦手な子は、この「情報処理」の力が弱い。「短期的な暗記力」と言ってもいいかもしれない。中学の勉強を例に挙げると、1つの問題の中に、3つ以上の操作が必要となる問題になると、途端にできなくなってしまう。こうした子にとって、中学数学の最初の難関は「方程式の文章題」である。方程式の文章題が苦手な子に対する分析として、よく言われることは「文章読解力がない」「国語力が不足している」ということである。私も同感である。確かに国語力の不足を感じるケースはままある。しかし、もう1つの原因として、「同時に3つ以上のことを処理する力が完成していない」という観点も見失ってはいけないと感じている。方程式の文章題は、「問題を読む」→「文字で表すものを決める」→「式を立てる」→「計算をする」→「題意に適するか確認する、検算する」というように、答えを出すまでの行程が「3」段階を超える。慣れてくれば一連の作業で終わるので、実は考えることは1つか2つなのであるが、数学に慣れていない中1生にとっては、やっている作業が3つも4つもあるように感じる。この3段階目あたりで躓きが起こる。3の付く数字のところでアホになるのだ。次の関門は、やはり円すいの表面積(中1の3学期)であろう。この問題を解くためには、以前のブログで書いたように複数のステップを踏まなければならない。情報処理能力が発達していない子は、この問題をマスターするのに時間がかかる。何度解き直しても「あれ?次は何をするんだっけ?」という事態になり、ペンが止まり、思考も止まる。問題演習している様子をよく観察してみると、やはり3段階目で操作を忘れたり、思考がストップしたりするケースが多い。これも、まさに「3の付くところでアホになる」のだ。 中3生の指導をしていても、数学の苦手な子は、二次方程式の計算、とりわけ「平方完成による解き方」になると、途端に操作を忘れる。平方完成による解き方は1 因数分解ができないと判断する2 数字を右辺へ移項3 半分の2乗を両辺に加える4 左辺を因数分解5 左辺の2乗を外し、二次方程式を解く・・・・略という風に進めていくが、大抵3~4段階目で操作が止まる。これもやはり「3段階目でアホになる」典型問題なのかもしれない。 実は、こうした数学の問題を処理する能力というのは、日常生活でも非常に大切であると感じている。大人になり、同時進行で仕事を処理していく場面はたくさんある。次から次へ新しい案件が舞い込んでくることだってある。しかし、同時に3つ以上のことを処理できない、あるいは短期的な暗記力が不足したまま社会に出ると、どうしても仕事でミスがでる。社内では、「仕事ができない人」としてのレッテルを貼られてしまうことだってあるかもしれない。本人が真面目な場合は、そうした弱点を克服するために、メモを入念に取ったり、何度も何度も確認するようになったりするようになるため、今度は「仕事の遅い人」というレッテルを貼られてしまうケースもある。 これは、私は数学の能力や情報処理能力を中学時代に鍛えていないために起こる現象だと考えている。 また、私の周りを見渡してみると、中学時代に数学を苦手にしていた子は、車の運転があまり上手でない。特に車線変更が苦手だ。教習所で習うが、車線変更する際は1 ルームミラーを見る2 サイドミラーを見る3 死角になっている斜め後ろを、目視で確認するの3つの動作を1秒程度で行わなければならない。数学が苦手な子は、この一連の作業ができないのだ。どれか1つが疎かになったり、全体に時間がかかったりする。そのため、車線変更で重大なミスが起こる。あるいは、後続の車に迷惑をかけたりする。同時に処理できることを増やしていくことが、数学が苦手な子に対する1つの対策になるのではないかと思っている。また、数学の力を上げていくことは、その子自身にとっても将来決してマイナスになることはないだろうと思っている。いや、勉強を通して、3つ以上のことを同時に処理する能力を鍛えていくことは、子どもたちにとってとても大切なことであると私は考えている。
2009/09/02
昨日遭遇した事件。すぐに交番に走った。台風が接近していたため、ビショ濡れになり、警官と現場に戻った。すると、そこには既に20人くらいの野次馬がいた。そして、その20人中、1人か2人を除いて、全員が同じ行動をしていた。左(右)手に四角いものを持ち、そして左(右)腕を伸ばしながら、その左(右)手の中に包まれた四角いものを覗いている。そう。みんな携帯で写真を撮っていたのだ。何となく日本の縮図を見た気がした。
2009/09/01
キムタク。既にアイドルとしては、全盛期を過ぎたとは思うが、90年代の代表的なアイドルといえば木村拓哉であろう。ドラマの中でキムタクが、頭にタオルを巻けば、それが若者たちの間で流行した。ドラマの中でキムタクが、吉田カバンのポーターを身につければ、それが若者たちの間で流行した。ドラマの中でキムタクが、ロレックスのエクスプローラーを身につければ、それが若者たちの間で流行した。ドラマの中でキムタクが、MA1を着れば、それが若者たちの間で流行した。キムタクがレッドウイニングのブーツを履けば、レッドウイニングのブーツはたちまちプレミアが付き、キムタクがリーバイスのXXを履けば、やはり待ちではXXが流行した。まさに90年代のファッションリーダーであったように思う。そもそも日本人は「空気」を大切にする。2年ほど前、「KY」という言葉が流行ったが、空気を読むことは、日常生活を円滑に進める上で大切な要素と考えられている面も否定できない。独自の路線を取ったり、個性的な意見を述べたりすれば、それはたちまち空気の読めない人間として、周囲からは敬遠されることさえある。日本で暮らしていくためには、「空気を読むこと」、すなわち「普通」(←定義が難しい言葉)でいることが社会生活を営む上で最も「安全」な方法である。 空気を読むとは、言い換えれば「流れに乗る」ということである。ワールドカップが日本で開かれたのであれば、たとえ普段サッカーなんか見てなくても、たとえ「Jリーグなんてレベルが低くて見てられねー」と普段言っていたとしても開催期間中は、日本代表のジャージを購入し、みんなで盛り上がらなければならないのだ。今までサッカーなんて見たことがなくても「フラット3の弱点はここだよね。」とか「あそこで、数的優位を作らないとね。」などと戦術論を語らなければならないのだ。時には、トルシエ以外の監督なんて誰も知らないのだけれども、「トルシエはダメ」と総武線の中で話してみたりするのが、とてもかっこいいのだ。「イタリアの○○はすごいよね。」とか「ブラジルの○○には注意」などと、どう考えても、昨日雑誌で仕入れてきた知識やウイニングイレブン(プレステのソフト)で仕入れてきたデータを駆使して、会話に参加する必要だってある。1ヶ月後、日本代表のジャージは、おそらくタンスの奥に眠ることになるのであろう。でも、そんなことは関係ないのだ。今、この瞬間、社会の流れに乗ることの方が重要である。ワールドカップ開催期間中は、全体の流れに乗っている方が安全なのだ。そういえば、こんなこともあった。2005年にロッテが優勝した。日本シリーズでセリーグの優勝チームを破り(←相手がどこのチームだったかは記憶にない)、アジアシリーズでも優勝した。まさにロッテはブームであった。アジアシリーズでは、連日東京ドームを満員のロッテファン(ロッテサポーター笑)が埋めた。一体彼らはどこに消えてしまったのだろうか。 一度流れに乗り出すと、全体で1つの方向に行く。それが日本の特徴である。その特徴は、第二次大戦中から大きく変化していない。もちろん、個人レベルにおいては若干の変化は出てきている。それは、テレビの評論家、雑誌、新聞、そしてブログや各大型掲示板などを読んでいても感じることはできる。が、全体としては日本人はやはり日本人のままである。こうした流れに乗りやすい国民性の国に、「小選挙区制」を導入すれば、今回のような結果になることは、ある程度予想可能であった。小選挙区制は確かに利点もある。しかし、1選挙区から1名の選出のため、各候補者は、有権者の最大公約数的な意見を拾い上げ、選挙戦を繰り広げることになる。その結果、政策面においては、どの候補者も同じようなマニフェストに終始し、政策論争という観点からすればつまらない選挙になりやすい。よく政治の参考書には、比例代表制の欠点として「顔のみえない選挙」という言葉が書かれているが、実は小選挙区制も「顔のみえない選挙」になりやすい。政策に特色がなくなるのだ。また、1つの選挙区から1名の当選のため、企業で言えば独占企業になりやすい。塾に喩えれば、1つの地域に1つの塾しか存在できないわけなのだから、全ての地域で大手塾が勝利している状況である。消費者の選択肢は、極めて少なくなってしまう。もう1つ。小選挙区制といえば、二大政党制が生まれやすいというのが政治の参考書に記述してある特色。しかし、日本は、公明党(創価学会員は全国1000万人以上いるらしい)と共産党が存在する国である。政治学とりわけ選挙制度を研究すればわかるが、公明党と共産党の支持者は、他の政党に切り替えることは基本的には行わない。(ちなみに公明党と共産党間における、支持政党の変化は限りなくゼロに近い)この2つの政党支持者が相当数いる日本において、仮に小選挙区制を導入しても二大政党制にはなりづらい。結果、単独過半数をとれないケースがほとんどであり、連立与党が成立する。結局は、選挙後に「数合わせ」が行われるわけである。ここに比例代表制が加わるのだから、日本の選挙制度は「数合わせ」が最初にありきの選挙制度である。 一方で、戦後長らく採用されていた中選挙区制は、政治腐敗、派閥政治、タニマチが生まれてしまうという問題点もあったが、1つの選挙区から自民党議員、民主党議員が複数立候補することもあり(単独過半数を得るためには、1つの選挙区に複数の候補者を擁立する必要があるから)、各自の政策の独自性は大変面白い。1位狙いではなく、最初から「ギリギリ当選」狙いの政策で当選を目指す立候補者も多いので、そこには特色ある公約も見受けられる。また、1つの選挙区から同一政党の候補者が立候補できるので、世代交代も小選挙区制よりも行いやすい。今回の選挙結果は大変興味深いものになった。改めて、日本における「空気」「流れ」の大切さも痛感した。塾運営においても、この空気と流れを作ることが大切なのだろうと感じた次第である。また、塾の市場は、大選挙区制である。この業界を面白くしているのは、まさにその点なのかもしれない。
2009/09/01
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