Aselluseの丸太小屋

Aselluseの丸太小屋

2006年08月13日
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あちこち転々とさせられた父は、終戦間際には、土浦の航空隊に居たそうです。
死ぬことなんかどうでも良くて、あんなに映画などでかっこよく特攻前夜を迎えるなんて
無かったそうで、終戦間際は運動神経がよく、肝がすわっているものを
どんどん片道切符の飛行に出したそうです。
終戦間際に土浦にアメリカの爆撃があり、将校や下士官などが安全だと避難した所に
すごい爆撃があり、全滅したので、交代で死体の始末(すごい言い方だけどもう感情は無くなっていて)を
したそうです。夏なので臭くてどんどん穴を掘って、ドサドサと埋めたと言ってました。
もう極限状態になると、なんの感情も湧かなくなり、ご遺体もぐちゃぐちゃで識別も不可能で
早くさっさと済ませたいとだけ思ったそうです。

父も農家の次男坊で、「百姓はいやだ、軍人になるのが出世の早道だ」と子供心にいつも
思っていたそうです。
またこういう考え方の子供が大変多かったとも言っていました。

終戦の時も、「あー終わった」としか思わなかったそうです。
この後、しばらくぐれて、ちんぴらちゃんをやっていたそうです。
国が180度の路線変更をしたわけで、価値の尺度もまったく変わってしまったのですから
愚連隊なんてのも、若い戦争帰還者には多かったようですね。
母と結婚した時、所轄の警察の方がとても喜んでくれたそうです。
私は予科練の白服をばらして、ベビー服にしたものを着せられていたそうです。
パラシュートの生地の富士絹が、おくるみになりました。
当時まだ、物資は潤沢には無くて、なんでも利用した時代でしたから。
海軍は陸軍に比べると、ややリベラルなところがあり、父もいろいろ
少なからず影響を受けた所もあったようです。
訓練はかなりきつくて、体力のある者が残ったようです。
遠泳やら、高い所からの落下訓練など、バンジージャンプまがいのこともあったようです。
父はマンションの消防訓練で、12階の柵を平気でまたぎ、颯爽と降りてきた事もありました。
当時の訓練が生きていたのでしょうね。みんな尻込みして他に誰もやる人はいませんでした。
写真は自衛隊の学校に現存している、予科練の銅像だそうです。





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最終更新日  2006年08月17日 04時07分25秒
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