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やっちゃんは鶏肉は食べませんでした。
理由は---- ![]()
小学校の頃、縁日でひよこを買いなぜか大きく育ってしまったのです。
ものすごく根性の悪いコケコッコで、餌を乏しい小遣いで買って与えるやっちゃんの
手は突っつく、気に入らないと追い回すという、いやな鳥。
でも飼っていれば、まあ仕方ないかとそのまま飼っていました。
この頃、彼女はちゃんと鶏肉も食べたそうです。
ある日学校から帰ると、根性悪の鳥がいない!!
ひょいと玄関の横を見ると、根性悪が絞められて、血抜きのため逆さ吊りしてありました。
やっちゃんはショックで親に喰ってかかったそうです。
「これ以上大きくなるとうまくないから絞めたよ、明日のおかずだから」といわれ
それから一切鶏肉は食べなかったそうです。
彼女いわく「いくら根性悪でも、あの絞められた姿をみたら鶏肉はたべられない」
彼女は東京の大井で生まれ育ち、当時は鶏なんて、絞めて食べたりしたそうです。
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やっちゃんは独身でした。一度お見合いくらいはしたそうですが
なぜか独身でした。いま考えるとわりと男っぽいところもありましたが
私から見れば、女性的なところも多々ありました。
図面代を値切るとふくれるのです。男性の図面書きはあっそーとさっぱりしたものですが
彼女はいつまでもブツブツ言ってましたね。
図面の不適格な処を指摘されると、かなり反抗もしました。
今でも図面書きをしている〇田さんなどは、「あっそー直すよ」なんてもんです。
〇田さんは、こんなの図面に書くほどのものじゃーないと省く癖があります。
お施主にはみせなくちゃだめだから書いてと言うと、一枚分当社が損するからよしなよという人。
おかげで金儲けはからっきしだめな人ですが、いい人です。![]()
話が飛びましたね。スマソ
やっちゃんの仲間で図面を書きながら茶道の先生をしている人もいて、時々お茶会も開きました。
私はこういうときは、いつも搬入係と片付けやら着つけとか、裏方ばかり--それもボランティアでぇぇぇ
やっちゃんもこの時だけは、訪問着なんか着て、別人みたいにきれいでした。
お茶会はお客兼運転手兼お運びさん兼弁当配りの私でした。一応着物も着ましたけど。
お席でお正客だけは逃げまくり、あーよかったと喜んでいたら、お詰めにさせられ大慌て
流儀が違うので、しらんフリして「あらそう、私の流儀はこうなのよ」とごまかし----。冷や汗
やっちゃんは都合が悪くなりそうだと、図面があるからとトンズラしてました。
よく居酒屋とか近くの寿司屋にも呑みに行きましたね。
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私が呑んで、どこかの大学の先生と喧嘩をした時、彼女だけが一緒に参加してくれました。
マジでうれしかったぁ。
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この近くのお寿司屋さんはホントに近いので、閉店したときシャリが余ると、事務所に届けてくれるのです。
一人が一口たべて、「酸っぱい、腐ってるかも」
全員食べかけて箸を置きました。
やっちゃんが「どのご飯いれたの」と聞いたので、「このボールにあったの」と答えました。
「あっ寿司飯でつくったんだ。腐ってないよ」
この一言で全員また食べだし、完食となりました。
お雛さまの節句の時、私が会津若松で買ってきたにごり酒を仕事が終わった明け方から呑み出して、
翌日は全員すごい二日酔いならぬ当日酔いだったこともありました。
私の勤務先は全員大酒呑みなので、私はだれにも叱られませんでしたが---いい会社だろってか
社長から「お前また、やっちゃんと呑んだんだろ。すごい酒の匂いだ」と言われ
「昨日の社長の匂いには負けてるけど」と言い返す始末。
この社長も 呑み過ぎで死にましたが。![]()
仕事も遊びも楽しかった時代ですね。今のようにNETで情報交換する時代ではなかったですが
それなりにいい時代でもありました。
まだバブルの余韻抜けやらぬ頃でした。
この続きはまた明日ね。![]()
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