多分 いやな思い出ばかりだったのかもしれません。
それでも 予科練でいじめられて おケツにバットで叩きを食らった時は
上級生になったら 俺もやってやると思ったそうです。
ケツは丈夫だからいいけど 顔をスリッパで殴られるのはきつかったらしい。
歯が折れた人もいるとか。
徴兵制度で行った人は 使い物にならないから やはりたたき上げるとかないのかもとも言ってました。
若い人は 赤紙が来る前に 志願する方が出世が早いので 予科練などの競争率はすごかった。
頭がいいだけではだめで 運動神経もかなり要求されるようでした。
もっとも かなりの頭の良い子は 士官学校に入れたので それ以外はそこそこ程度だってね。
パククネのお父さんは 朝鮮人でありながら 陸軍士官学校に入れたのだから天才だったのでしょう。
朝鮮半島も志願兵が多く かなりの競争率だったそうです。
終戦間近 父は霞ヶ浦の基地にいて 爆撃されてばかりだった。
士官の防空壕は 近くて頑丈 一般兵は遠くて丈夫じゃ無いものでしたけど
B29は 皮肉にも士官の壕を爆撃し 死体の山だったそうです。
夏なので すぐ腐るから みんな交代で穴を掘り ボコボコ埋めた。
葬儀だとか 人間の尊厳なんて どこかに吹っ飛んでやった作業でした。
そんな事考えていたら 神経が参ってしまうし 臭いのと暑いのでヤケクソ。
終戦の知らせを聞いて やっと解放されるんだなと思ったそうです。
いつも 死と隣り合わせの生活をすると 感情もかなりおかしくなるそうです。
日航機墜落事故の時 父は 多分爆撃にあったみたいな現場だろうと言ってました。
実際 現地に行った警官に聞くと 同じような状態で焦げ臭いのと 死体の臭いがいつまでも消えなくてつらかったそうです。
本当に戦争の爪痕が無くなるのは 私たち団塊の世代がみんな死んだ時かもしれません。
終戦後 産めや増やせよの時の生まれですから。
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