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日本に住んでいると、イスラムの世界はかなり縁遠いもの。 私の場合、キリスト教の信者さんと接する機会はあっても、 イスラム教の信者さんと接する機会は、そうそうない。 なので、聖書に接する機会は多少あっても、コーランは全くない。 イスラム教の場合は、ほとんどが預言者のお話、 しかも、そのあらかたが 旧約聖書(ユダヤ教の聖典も同じ)の登場人物である。 コーランには都合25人の預言者が登場するが、 その内訳は旧約聖書から15人、新約聖書から3人、 アラブ世界の伝説から3人、 名前だけで正体がよくわからないケースが3人、 そしてマホメット自身である。 まことに、まことに、「旧約聖書を利用している」 と言われても仕方のない状況なのだが、 コーランの立場は”ユダヤ教(キリスト教も)を否定するものではなく、 完成するものである”なのだ。 ありていに言えば、ずーっと昔から(時間を超え空間を超え) 同じ唯一神の支配が続いているのであり、 ユダヤ教とかキリスト教とか、いくつかのプレゼンテーションがあって 神は預言者を何度も地上に送って警告を発し続けたが、 いっこうに教えが実現しなかった。 そこで最後にして絶対的な教えであるコーランを送り、 同じく、最終にして絶対の預言者マホメットを遣わして 今までの教えを完成するのだ、なのである。(p.125)なるほど、なるほど、そういうものなんですね。著者の阿刀田さんによると、イブラヒームにムーサー、イーサーの3人は、アラーのお気に入りで、コーラン全体を通してよく登場しているらしい。これは、アブラハムにモーセにキリストという、新約・旧約のビッグネーム3人。 コーランは、その内容の崇高さはおくとして、 普通の脳みそで読む限り、けっして論理的な記述ではない。 話がポンポンと飛ぶ。 推論を重ねて結論へと導くというタイプではない。 断片的に恣意的に、いろいろなトピックスが交錯する。 コーランが伝えられたころの社会的情勢や風俗習慣を知らないと、 とても理解が届かないところもある。 そしてご多分に漏れず……ちょっとくどい。 同じ忠告が何度も何度もくり返される。(p.37)即ち、興味本位でちょっと読んでみるというような代物ではない。そして、イスラムの人々は、そういった世界で、そういう思想のもとで生きている。なので、宗教と深く密接に関わった世界で生きているとは言い難い日本の人たちや、基本、キリスト教を背景に創造された世界で生きている欧米の人たちとは違って当然。 コーランの思想では、現世のことなど、 最後の審判へと続く全体のほんの一部にしかすぎない。 たとえ戦場で死んだとしても、アラーのために戦ったのであれば、 それは栄誉であり、未来の保証であり、少しも不幸ではない、 という考えである。 これこそがコーランを貫く理念であり、 現代の聖戦(ジハード)という表現も、 もちろん、この理念に裏打ちされている。(p.165)このように、本著はコーランというものについて、それがどんな状況の中で生まれ、どのようなことが記されているかを、ザクっと教えてくれるものである。その内容について、ほとんど知らなかった私には、大きな発見の連続であった。しかし、本著の中で私が一番心に残ったのは、コーランそのものついて書かれた部分ではなく、阿刀田さん夫婦が、十数年前にサウジアラビアを訪れた際の旅行記、「第10話 聖典の故郷を訪ねて」における、地元新聞紙記者とのやりとり。 同席した私の妻にも感想が求められ、 「女のかたが家だけに閉じ込められていて、それで満足なのでしょうか」 記者が憮然として答えて(おおむね表情の固い紳士であったが) 「女性たちは男性の保護を受けて幸福に暮らしてます」 ガイド氏もかたわらで頷く。 だが、私の妻は、 「きっとそうなんだと思います。でも、それは男のかたからではなく、 女のかたからじかに聞きたいですよね」(p.358)後日、東京に届けられた新聞(アラビア語)は、次のようなものだった。 綴られているのはおおむね私が語ったことだが、肝心なところが落ちている。 メッカ、メディナのこと……。 妻の言葉などかけらもない。 通訳を担当したガイド氏が慮ったのか、記者がためらったのか、 どちらのケースも考えられる。 どちらにせよ、私は軽々に咎めようとは思わない。 私たちにとって普通の発言でも、 国が変われば普通に受け取られないケースもあるだろう。 時間をかけて埋めていかなければならないことなのだ。(p.360)「国際化」という言葉は、日々頻繁に用いられているけれど、その実現は、そんなに簡単なことではない。サウジアラビアの社会も、十数年の時を経て変化した部分もあるだろうが、コーランの世界に生きている人たちの根本が、そうそう簡単に変わるものでもあるまい。そして、マスコミ。どこの国でも、報道とはこういうもの。そのことを、よくよく理解して、それらに接する必要がある。そこに描かれているのは、決して全てではないし、真実とは限らない。
2017.07.30
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『僕らが毎日やっている最強の読み方 』で紹介されていたので、 『インフェルノ』を読んでから、本著も読んでみました。 先に『インフェルノ』を読んでおいたのは、正解でした。 まぁ、こちらを先に読んでから『インフェルノ』を読んでも、全然OKですけどね。 『神曲』やダンテは、学校でルネサンスについて勉強する際に 必ずと言っていい程、確実に登場してくるレベルのものですが、 実際に『神曲』を読んだことがある人となると、そうはいないでしょう。 私も、その例にもれず、テスト対策に著者と作品名を覚えただけでした。でも、『インフェルノ』を読んで、ダンテや『神曲』についてある程度の予備知識が頭の中に入っていたおかげで、本著は何の抵抗もなく、すんなりと読み進めることが出来ました。『旧約聖書を知っていますか』より、格段に読みやすかったです。 まず初めに暗い森を抜けて地獄の門があった。 アケロン川を渡って第1層のリンボがあった。 下へ下へと落ちて行き、 ミノスの裁定を受けて亡者の行くべきところが定められる。 第2層はよこしまな愛欲に耽った者たちのすみか。 第3層は貪り食った者たちのすみか。 第4層は吝嗇の罪を犯した者、そして浪費の罪を犯した者、 つまり金銭に迷った者たちのすみかだ。 第5層はわれを忘れて憤り、罪を犯した者たちのすみか、 黒い沼が広がっている。 ここまでが地獄の上層部で、これからが第6層ディーテの町。 地獄の下層部が始まり、その城門の前でウェルギリウスも戸惑い、 天使の助けを待って中へと入ったという事情である。(p.62)これは、ダンテが旅する地獄の構造について示され箇所ですが、私はハードカバーで読んだので、ページの数字は文庫本では異なります。そして、ウェルギリウスというのは、森の中に迷い込んだダンテの案内人。古代ローマの詩人で、地獄から煉獄までの道のりを共にします。 そこで第7層は暴力の罪を対象にして、さらに3つのブロックに分けられている。 1は隣人に対する暴力、つまり殺人や傷害だ。 2は自分に対する暴力で、自殺、賭博……賭博は自分の財産に対する暴力だ。 3は神に対する暴力。神を拒むこと、自然の恵みを損なうこと、男色、 そしてなぜか高利貸しもここに入る。 第8層に入ると暴力より罪深い欺瞞が問われ、 偽善、追従、魔術、嘘、窃盗、聖職の売買、女性の売却、収賄などなど。 こうした欺瞞は愛に背くものであり、罪深い。 そして第9層は宇宙の中心にあってディーテの町を支える最下層、 ここではすべての裏切り者が永遠の責め苦を受ける。(p.68)地獄では、罪が重い者ほど、下の階層に振り分けられています。ダンテは、各層に振り分けられた亡者たちが苦しむ様子を眺めつつ、時には言葉を交わしながら、ウェルギリウスと共に先へ先へと進んで行きます。そして、地獄を脱出した二人の詩人が、次にやって来たのが煉獄です。 煉獄は、まず海辺からあがって第1の丘、第2の丘、 それからペテロの門をくぐって第1層から第7層まで、 そして楽園へと至るらしい。(p.161)煉獄は、悔悟に達した者や悔悛の余地のある死者が罪を贖うところ。そして、その頂上で、ダンテは永遠の淑女ベアトリーチェと出会います。天国では、ウェルギリウスに代わって、彼女がダンテを至高天(エンピレオ)まで、その先は、クレルヴォーのベルナルドゥスが案内します。こんな感じで、<神曲>はダンテが地獄、煉獄、天国を巡るお話でした。様々な登場人物が、地獄・煉獄・天国のどこに振り分けられているかは、ダンテの政治的立場や思惑、感情が強く反映しているようです。また、西洋における聖書やギリシャ・ローマ神話の存在感の大きさを再認識させられました。
2017.07.29
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村上さんへの川上さんの4度に渡るインタビューをまとめた一冊。 色んな作品について、色んな質問が投げかけられますが、 中でも『騎士団長殺し』についてのものが多いです。 村上さんの返答には「なるほど、そうなのか」と思わされました。 村上さんの作品は、『海辺のカフカ』から始まって結構読んでます。 村上さんが重視する「文体」や「リズム感」は、私にとってとても心地よいもので、 私も文章を書く時には、そうありたいと思っています。 (なかなか、うまくはいきませんが)一方、川上さんの作品は、最初に読んだのが『ヘヴン』で、これは、結構お気に入り。でも、次に読んだ『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』は、途中で断念(私は、読み始めたものを途中で諦めることは滅多にないのですが)。そして、『乳と卵』を読み終えた後は、彼女の作品には全く手を伸ばしていません。と言うことで、私にとって二人の作品は、対極に位置すると言っていい程のもの。でも、川上さんは、村上さんの作品がとてもとても大好きなご様子。そんな川上さんが発する質問に対して、村上さんの返答は……どうでしょう?本著で分かったことは、村上さんの作品は、決して深読みする必要はないということ。そして、その作品が世に出る前には、想像を絶する書き直しが行われていたということ。なるほど、です。
2017.07.23
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「先生、戻ってきてください」 喫茶re:に姿を現したのは六月。 カネキが「それは出来ない」と答えると、 「私が邪悪なものを取り除いてあげますから」と襲い掛かる。 そこに安浦晋三平も現れ、カネキを追い詰める。 一方、六月はトーカの友人・小坂依子に喰種隠匿の嫌疑がかかっていることを伝え、 トーカにCCGに同行するよう促すが、トーカはそれを一蹴。 カネキも安浦晋三平を倒し、二人はその場から逃走する。 私は ただあの家に …みんなの元に 帰ってきて欲しいんだ 愛してるんだ 佐々木上官を どうしようもないんだ どうにかできるんだったら…… 私は どうなってもいいよその頃、新局長・和修吉福のオッガイによる喰種殲滅作戦は熾烈を極めていた。オッガイに襲われていたところをナキに救われた喰種被害孤児・コウは、24区中層の黒山羊のアジトへと導かれるが、その正体はオッガイ・葉月ハジメだった。彼が六月から預かってきた手紙には、カネキに協力する旨が記されていたが……一方、CCG内部では、新局長の強硬な姿勢に疑問を感じる者も出始める。什造や、妻・依子が処刑されることになってしまった黒磐。そのことを知った才子、そして瓜江もCCGの暴走を阻止しようと動き始める。そして、宇井は、嘉納明博による有馬や伊丙の復活を目論む。カネキとトーカの間に新しい生命が宿り、二人の結婚式が催される。その頃、アヤトは24区最深部にいるという隻眼の喰種を捜索。そして、黒山羊は食料班を編成し、大規模な遠征を挙行する。六月に送り込まれたハジメにも不審な動きが…… ***カネキたちは、和修吉福、六月、ハジメの動きに既に気付いている?そして、24区最深部にいる隻眼の喰種の正体は一体誰?さらには、瓜江や什造たちは、今後どう動いていく?カネキの思いが実現するかどうかは、これらにかかっています。
2017.07.23
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『ちょっと今から仕事やめてくる 』を読んで、 「本著も読んでおかねば」と思い立って購入。 『うつヌケ 』と同じく、ゆうきゆうさんが監修・執筆協力しています。 でも、まず読むべきは本著だと感じました。 事故で両足を複雑骨折したとします 1.いつもどおり生活する 2.気にしないように努力する 3.がんばって全力疾走する 1を選んだアナタ 立てない時点で気づけムリだ 2を選んだアナタ 絶対気になるし何も解決しない 3を選んだアナタ ナニ考えてんだ 正解はもちろん 4.病院に行き適切な治療を受けて休む 当たり前ですね うつ状態も心が複雑骨折しているようなものなのに 「心」となると、この当たり前の選択肢が見えなくなる人が 多いように思います(p.66)うつを扱った書物なら、色んなところで書かれているし、クリニックや病院に行くと、先生がよく言ってくれる例えだけれど、そんな書物や人と、これまで全く関わりがなかった人には目から鱗かも。だから、本著はそんな人たちにこそ読まれる価値があります。 個人的には「辞める」勇気が出ないなら、 「まず休んでみる」のもひとつの選択肢ではないかと思います。 またはメンタルクリニックで、うつ病のテストを受けてみたり、 話を聞いてもらったりしてみるのもひとつの手です。(p.109)これは、ゆうき先生のコメント。そう、まずはちょっと休んで、誰かに相談してみること。そうすれば、今まで気づかなかった色んなことが見えてきます。それから、辞めてもいいし、続けてもいいんです。 苦しんでいた当時の自分に言葉をかけるとしたら? もっと周りの人に相談し アドバイスをもらってください 自分だけで抱え込んでいても見えている世界はどんどん狭まるばかりです(p.123)これはブラック企業で働いていたというYさんのコメント。一人で抱え込んで、一人で色々考えても、何も良い方向には向かいません。自分自身や、その内輪にいる人たちでは見えない、気付かないことに、ちょっと離れた第三者的な立場の人なら、気付くことができることもあります。 つらいので会社を辞めたいけれど、家族が理解してくれません。 どうしたらいいですか? 家族が理解してくれることに、過度な期待をしないようにしましょう。 家族なのだから自分のことをもっと理解してほしい、という気持ちはわかります。 ただ、「家族の理解」というものに、期待を持ちすぎてしまうと、 期待していることと現実のギャップに心が疲れてしまう可能性があります。(p.134)これも、ゆうき先生のコメントですが、スゴイです。実際、正面から襲い掛かって来る敵からの攻撃に備えて身構えている背中に、一番の見方だと思っていた家族が、後方から思いもよらぬ攻撃を仕掛けてきたことに、驚き、怒り、悲しんでいる人たちは想像以上に多いのです。『認知症「不可解な行動」には理由がある』でも、アルツハイマー病で会社を早期退職した男性が、妻と共に実家にそのことを告げに行った際、父親が妻に言い放ったのは、「あんたが一人で騒ぎようとやろ」という言葉でした。これは本当につらい状況ですが、もうどうしようもありません。家族も現実を受け止めきれずに、苦しくつらい思いをしているのですから、そんな人たちに期待すればするほど、悪い状況に陥ってしまいます。家族以外にも、あなたを理解し、助けてくれる人はたくさんいるのです。そして、いつか家族が平静を取り戻し、現実を受け止め、あなたを受け入れてくれる日がやってくると、いいですね。
2017.07.09
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身近な人が認知症になったとき、 どのように接すればよいのかを知るため、 本著を手にしようとする人は多いでしょう。 20もの事例が示されており、とても示唆に富んでいるので。 しかし、本著が優れているなと感じたのは、 「認知」という脳の機能そのものについて、 分かりやすく丁寧に記されていることです。 特に「記憶」についての知識は、認知症を理解する上で欠かせないと思いました。 そして、現場までの道順を調べて地図に書き込んだり、 何枚も何枚もメモを書いたりと、さまざまな手だてを講じます。 しかし、メモしたこと自体を忘れてしまったりするため、 トラブルを防ぐことはできません。 つまり、自分で自分の行動をコントロールすることができないのです。(中略j) 自分で自分の行動をコントロールできない状態は、 人間にとって非常につらいものです。 なぜならば、人間は自律的な存在だからです。(p.39)「自分を自分でコントロールできない」感覚というのは、「自分が自分でなくなっていく」という感覚に通じるものであり、それは言葉で言い表せないほどに、とても恐ろしいものです。肉体としての「自分」は残っていても、本当の意味での「自分」は消失してしまう。 私も大変だけれど、本当はこの人がいちばん大変なのだ。 そのような共感が介護には必要であり、 相手を思いやる気持ちは、共感から生まれるのです。(p.47)そう、介護される側になった人は大変なのです。でも、介護する側になった人も本当に大変。 介護は美談ではありません。 「お優しいですね」「偉いですね」と介護する人に向かって言うことは、 そのような仮面を、介護する人に被らせようとすることでもあります。 介護は、誤解を招くことを承知であえて言うならば、悲惨なことです。 悲惨なことだと思っているからこそ、 周囲の人は、その現実から目を背けるために、 介護する人を褒めて美談に仕立て、 自分はいい気持ちになって去っていくのです。(p.52)本著を読んだところで、辛い現実が変わることはないでしょう。それでも、これまで理解不能だった行動の真の意味を知ることで、介護される側の気持ちを思いやったり、介護する側の気持ちを、少しは和らげてくれることに繋がると思います。
2017.07.09
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『僕らが毎日やっている最強の読み方 』(p.228)で紹介されていたので、 『新約聖書を知っていますか』と一緒に購入しました。 阿刀田さんの作品は、これまで読んだことがなかったけれど、 本著はエッセイ風で、とても読みやすかったです。 私は幼少の頃、カトリック系の幼稚園に通っていたのですが、 そこでは聖劇というものを毎年やっており、 その際、私はモーゼの役をさせていただきました。 自分がどんな場面でどんな台詞を喋ったのかは全然覚えてませんが。そして、小学生になってからも日曜学校なるものに行ってたのですが、そこで聞いたお話では、ダビデとゴリアテのことが最も強く印象に残っています。後日、何かの機会で参加者に小さな紙芝居風のカードがプレゼントされたのですが、その際、私の手元に回って来たのは、そのダビデとゴリアテのお話でした。今は、キリスト教とは全く無縁の日々ですが、そんな幼少期の経験から、自分にとっては結構馴染み深い世界で、今回も、なるほどそういうお話だったのかと感慨深く読ませてもらいました。モーセもダビデも、旧約聖書の中では超一級の重要人物ですね。 私の見たところ、アブラハム以降はイスラエルの民の歴史と考えることができる。 アブラハム以降のエピソードがすべて歴史的な事実とは思わないけれど、 まあ、おおむねあんなことがあったのだろう。 それに比べれば、それ以前は、 つまり第8話のエピソードは神話に属するものである。 旧約聖書はアブラハムの登場を境にして神話から歴史へと変わった、 と私は思っている。(p.206)ここでいう第8話には、天地創造の一週間、アダムとエバ、その子カインとアベル、さらにもう一人の子・セトから何代かの後のノアの箱舟、そして、バベルの塔からアブラハム前の事柄が記されています。第1話は、神の啓示を受け、ハランからカナンの地へと向かったアブラハム、第2話は、アブラハムの孫・ヤコブのカナン帰還と、その子・ヨセフのエジプト行。第3話は、モーセの脱エジプト、第4話は、モーセの後継者・ヨシュアのカナン帰還と、12人の士師たち。第5話は、士師・サムソンと妖艶な美女・デリラのお話、第6話は、預言者・サムエルに見出されたダビデによるイスラエル王国建国。第7話は、ダビデの子・ソロモンと、ヤロブアムのクーデター。第9話は、いろんなお話がごちゃ混ぜですが、次の記述だけで事は足りるかも。 ダビデ王からソロモン王へ、栄華を誇ったイスラエル王国も、 紀元前926年にまっ二つに分裂する。 北イスラエル王国と南ユダ王国である。 北王国は19人の王を繋いで、紀元前722年にアッシリアに攻められて滅亡、 南王国は20人の王を繋ぎ、 紀元前586年に新バビロニアの大王ネブガドネツァル攻められて滅亡。 このとき、大勢のイスラエル人がバビロンに連行され、 これが有名なバビロン捕囚である。 この捕囚が解かれてイスラエル人がふたたびカナンの地へと戻るのは、 ペルシア王キュロスが君臨した紀元前538年からである。(p.235)第10話は、ヨブの悲惨な体験、第11話は、イザヤとダニエルという二人の預言者について。 旧約聖書はユダヤ教の経典であり(厳密に言えば、少しちがうが) バビロン捕囚前後の苦しい現実を前にしてイザヤ書のみならず 多くの預言者がしきりに救世主の到来を預言している。 それに応えて、-さあ、現れましたよー と登場したのがナザレの人、イエス・キリストであり、 そこから新約聖書が始まる。 旧約と新約の接点はそこにある。 一方、ユダヤ教は救世主の到来を預言しておきながら、 イエスについては、「うんにゃ、この人じゃない」と、 イエスを救世主として認めていないのである。 それから2千年、もう21世紀を迎えようとしているのに、 ユダヤ教の見解では、まだその人は現れていない。 そこがイエスを救世主として、新約聖書を尊ぶキリスト教との違いである。(p.277)そして、第12話で『旧約聖書』の総括をして、本著は終了。続いて、『新約聖書を知っていますか』を読んでいきます。
2017.07.09
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一つ目は、斑目氏のお話。 妻・綾乃との間に娘・百葉子が生まれ幸せな日々。 しかし、シンガポールに住む義妹・佳乃はマタニティーブルーで、 その夫・多賀田くんも何やら思い悩むところが……。 二つ目は、ソフィアとその母のハワイ旅行のお話。 旅行には、こだまとその母・織絵らも参加。 中学2年生になったこだまは、いろんな場面で大活躍。 ソフィアと安田の恋の行方は如何に?三つめは、弘基と孝太郎が三人組の男たちに拘束されたお話。1年半前、弘基は両親の借金返済のため高年棒を提示した店に引き抜かれ、現在は、フランスで働いていたのだが……しかも、希実とは遠距離恋愛中だって!!四つ目は、希実がブロンクスビルに住む久瀬篤人を訪ねるお話。母・律子の死後、希実は無事大学合格を果たしたものの、しばらくすると、部屋に引きこもるようになってしまっていたのだが……。そして今、弘基が朝イチの飛行機でニューヨークにやって来る。そして最後は、暮林。希実はすっかり元気を取り戻し、4月からは社会人になるので、新しいブランジェを雇うことにしたらしい。みんな変わっていく。 ***帯に『「まよパン」シリーズ、ついに完結!』「感動の最終巻!!」とあるから、これで、このお話は終わりのはず。でも、 『ビブリア』の例もあるし……番外編やスピンオフを期待してしまいます。
2017.07.02
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『東芝解体 電機メーカーが消える日』を読んで、 ここに至った東芝の経緯を改めて知るため、本著を読んでみました。 発行はおよそ1年前なので、情報としては古くなりますが、 ウエスチングハウスの赤字が明らかになった頃の状況を知るには良いと思い。 そこでは、当然のごとく権力闘争や派閥争いが日常的に繰り広げられており、 恩義ある前任者が始めたことを、後任の者が簡単に止めることなどできない構造が存在。 そして、一度ポストに就いてしまえば、自分の思いを前面に出すことより、 ポストに就いた者として、期待される振る舞いを優先せざるを得ない。ここまで傷口が広がる前に、どうして誰も止めることが出来なかったのか?第三者が、後になって言うのはとても簡単なことですが、リアルタイムで事に当たる当事者にとっては、とても難しいことなのでしょう。それでも、誰かがいつかはやらねばならなかったはず。成長戦略だけではなく、撤退戦についての具体的指針を、どの企業もしっかりと持ちあわせておくべきだと思いました。成熟した社会となった日本という国も。
2017.07.02
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9月26日(月) 「久しぶりやな!俺や、ヤマモト!」 10月10日(月・祝) 「ほな、明日も適度に頑張れよ」 10月15日(土) 「あっ、ばれた?」 10月17日(月) 「お前、ちゃんと発注する前に確認したのか?」 10月22日(土) 「知ってたから。あの日のお前と、同じ表情したヤツ」 11月6日(日) 「俺がやったんだよ」 11月13日(日) 「あったかいやろ」 11月15日(火) 「ちょっと今から仕事やめてくるわ」11月21日(月) 「久しぶりだな……!お、俺だよ……ヤマモト!」12月24日(火) 「先生、俺にも救いたい人がいるんだよ」 ***『ブラックバイト』は読みました。以前、『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』も読みました。次は『「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由』を読むことにします。今、一番思うことは「一人で抱え込んでしまわないこと」です。
2017.07.02
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