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さびー・・・つめてー・・・マイナス9度だって!。天気予報を見た奥方殿は昨夜から大騒ぎだ。「オフロ・・・凍っちゃうよ・・・洗濯・・・出来ないかも?」。仕方が無いので一応はソワソワした振りでご協力。まあ、その辺りのことはオレの表のBLOGで → こちら先週の金曜日に出張に行ってようやくひとつの念願を果たしてきた。岡崎市の北部の幹線道路沿いにできた「うどん屋」のうどんを食ってきたのだ。それより少し前に奥方殿とジャスコへ行ったついでに、「うどんでも食うか?」と近くのうどん屋へ入ったのだが、「あの~・・・ラーメンだけですけどいいですか?」と店主の奥さんらしい人がいきなり言ってきた。おいおい、ここはオレの知っている中では当地一番のうどん屋のはず。その名も「飯田のうどん 藍花(あいか)」と言う。讃岐系の腰のある太い奴でトッピング方式なども讃岐うどんを真似ていた。値段も手ごろで結構オレのお気に入りだったのだが!。「うどん・・・飯田では売れないんです。 飯田はやっぱりラーメンでないと!。 だからラーメンだけにしちゃいました」。「でもさあ・・・こうして断らなけりゃならないって事は、 うどんを目当てに来る人も結構いるんじゃあ無い?」。「止めてみるとそうなんですよね。 特にお昼はうどんのお客さんが・・・!」。奥方殿と目で確認しながら、時間も無かったのでラーメンを食った。普通のラーメンと思うと「ウンッ?」と思うかもしれない。スープの出汁がさかなサカナしている。「こいつは煮干が強いな~」。スープにまだ煮干だかの粉が沢山残っていて香りもきつい。「でも・・・不味くは無いよね」。「うん、確かにラーメンだけど・・・ラーメンじゃあないかな?」。まあ・・・これはこれで・・・個性という事で納得せねばなるまい。好みがかなり分かれる味ではある・・・オレはきらいじゃ無いけど。そんなこんなでうどんを食べ損ねたのと、以前からその派手な「讃岐うどん」の看板が気になっていたのとで、どうしてもその幹線道路沿いに出来たうどん屋へ行ってみたかった。今まで、帰りに道だと車線が反対側なのとでなかなか入ることが出来なかったのだ。店名は多分皆さんご存知の「丸亀製麺」。あちらこちらの街道沿いに派手な看板が出ているのですぐにわかる。暫く前は「讃岐うどん」と言えばターミナル駅にあって、「素うどん」に好みのトッピングを乗っけてお手軽値段で食べられると言う、立ち食い感覚の店が多かったが、こういった郊外型大型店舗がどんどん出来てきた。期待通りだった・・・。つまり期待以下ではないし以上でもないという事。ちょうどお昼時だったせいもあるが、大きな駐車場はほとんど満車でテーブルも満席に近かかった。それでも回転が早いので、トレイを持ってうどんを受け取っている間だにも次から次へと席が空く。調理はシステム化されていて、少人数のスタッフが手際よく対応している。設備投資には相当かかりそうだが人件費はそれほどでもなさそうだ。腰が強くてのど越しの良い麺でうどん事態はオレの好きなタイプ。オレはうどんも蕎麦も熱いのが食えないので冬なのにザルうどんを頼んだ。うどんを大盛にしてトッピングに野菜のかき揚、多分それでも足りなそうなのでと梅肉稲荷寿司を1個加え、締めて500円とちょっと・・・。かき揚は揚げたてでサクサクしていてうまい。稲荷寿司は少々ごはんが水っぽい。うどんは・・・期待通りで・・・それなりに美味かった。でも・・・もうちょっと・・・食いたかったな~。大食漢のオレにはイマイチ量が足りない。しかし、500円玉1枚と10円玉2~3枚でこれなら合格であろう。こんなうどん屋が近所に出来たら2日と空けずに行っちゃうかもね?。でも、飯田市内にはうまくて安いうどん屋・・・無いんだよね~。うどんも有名店へ行くとそれこそ蕎麦に負けないほどの値段がついている。以前にも言ったが盛り蕎麦や煮かけうどんで千円近くも取られると腹が立つ。そもそもこれらは庶民の食材であって高級食材では無いのだから。という事で・・・オレはこの讃岐うどんが気に入っているのだ。丸亀製麺さんにお願いだ・・・早く飯田市に出店して・・・!。そして、安くてうまいうどんを食わしておくれ!。こんど行ったら「釜揚げうどん」を食ってみよう。丸亀製麺 ○○○
2011年01月31日
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「またか?」とお思いの諸兄には申し訳ないが、毎年この時期は来期の役員の選考の時期でもあるので再びその話題。そう、常会と呼ばれる村の毎月の寄り合いの話である。当地のすべての集落にはいまだにこの「常会」と言うシステムが残っている。昔で言うところの「村の寄り合い」なのだが、集落により、毎月26日か27日に必ず開催される。特に議題がなくても「常会」と呼ばれるように毎月定期的に開催される。実はこれは村の最下部組織で、この上に区常会と言うのがあり、それぞれの集落の長はこの区常会での議題を各常会へ持ち帰って報告する。そして、区常会の上には「まちづくり委員会」と言う自治組織がある。「むらづくり委員会」ではないぞ・・・「まちづくり委員会」なのだ・・・なぜかは知らない。3段のピラミッド構造になっていると言えばわかりやすいだろう。それぞれの組織は慣習にならって4月に新年度がスタートするので、3月が役員の交代時期。よって、3月までには各役員が決定されていなくてはならないので、オレの集落では1月26日の常会で来期の役員の選出が行われる。まずは区常会の会長・副会長・会計が選挙で選出される。が、これはあらかじめ決められた当選予定者以外に立候補者が出ない限り、すでに当選は決まっているのでいうなれば「信任投票」となる。その後、オレの集落の来期の役員を決めるのだが、毎年こいつが・・・揉めに揉める。オレの所属する常会は昨年度に世帯数が2戸減って今では15戸で構成。勿論、戸数は減っても役員の数は昨年度と同じ。何をするのか訳のわからない農業関係や林業関係のほかに、日赤関係とか氏子がどうのとか、とにかく訳のわからない役がいっぱいある。そのうちの女性の役に例のごとく奥方殿が指名された。実は奥方殿はまだ一度も集落の役をやっていない。だから役員決めの時には真っ先に候補に挙がる。しかし「はい判りました」などと引き受けるわけには行かない。こんな話を持ち帰ればそれこそ今度は我が家が大揉めになる。という事で、昨年まではオレが現場で全て断ってきたし、勿論、今年も同様に「断固できない」で押し切ってしまった。そして「変わりにオレが何かやるからそれで勘弁ね」と、何だかよくわからないが一つ役を引き受けた。そこまではなんとかなったのだが、その後がいけない。奥方殿が断ったこの役を受ける奴がないのだ。なんだかんだと言い訳をしておばちゃんどもは逃げ回る。あまり揉めると再び奥方のところにお鉢が回ってくる可能性もあるので、オレはひたすら顔を上げないようにして嵐が通り過ぎるのを待った。「私は仕事があるので平日昼間に出るような役はできない」。そりゃそうだ・・・ご無理ごもっともである。「XXさんはは仕事を休んでこの役をやっていたよ」。ええっ・・・仕事を休んでまで・・・アホや?。「みんな仕事があるんだから・・・農家だって仕事だし」・今日できなければ明日すればいいさ、というのを仕事とは言わないんだよ。オレは黙って下を向いて話を聞いていたが、攻められている二人のおばちゃんがちょっと気の毒になって来た。と言って、このどちらかが受けてくれないと再び奥方殿に・・・。どうしたもんだろうと思案を重ねたが、あまりにも非常識に思えてついつい口を出してしまった・・・やめときゃ良いのに。と言うのは、断っている二人のおばちゃんは勤めに出ていて、家に居て気ままに畑や田んぼを耕して遊んでいるわけではない。一人はダンナがいなくて女手一人で息子を育てた人だし、もう一人はダンナが病気でこの奥さんの稼ぎが収入源、年金でのんびりと食っているのとは訳が違うのだ。加えて、昨今の最悪な求人状況を加味すれば「村の用事で休みます」なんて言えない環境。少しでも社会の動性を理解できていれば、「仕事を休んで村の役をやれ」などとは絶対に言えない筈なのだが!。「ちょっと待ってよ。 今時、村の役があるから休ませてくださいなんて通用する時代じゃないよ。 『あっそう・・・明日から出て来なくていいよ』って言われたらどうする?。 もう次の仕事なんて無いよ・・・特に高齢者には。 その辺を判ってあげないと。 大体、世帯数が減っちゃってるのに同じ体制をとるのが無理なんだよ。 毎年こんな事で揉めたってしょうがない、根本的に考え直す時期なんだよ」。はっきり言って奥方殿が断ったことによる揉め事なので、オレがこんなことを言うのもおかしな話なのだが、来年以降のこともあるのでいつか言わなければならないと思っていた。「今更そんなことを言っても来年度の役は決めなきゃいかん」。「ここの常会だけ役員を出せないのは恥ずかしい」。「恥ずかしい」と言うのはまったく理解ができないがそう言うことなのだそうだ。なんだかんだと揉めた結果、駒の入れ替えでなんとか今年はおさまったようだが、来年も同じことが起きることは明白・・・だ。ここで一番の問題は「仕事を休んでも村の役を」と言う部分で、オレがこの言葉を聞いたのはこれで二度目。「仕事ならしゃあないな」と理解を示す人が半分、「仕事を休んでも村の役を」ととんでもないことを言い出す奴が半分。悪いことに「仕事を休んでも・・・」派は年寄りが多く声がデカイ。場の空気はどうしても声のデカイ方へ流れてしまうのだ。都会でも大規模な団地などで高齢化率が上昇しているらしいが、同じシイサンバンサンでも育った環境が違うので自ずと価値観も違う。このまま行くとこの村は本当に消滅してしまうかもしれない。現在村に残っている若者がなんとか風向きを変えてくれることに期待しよう。と言っても・・・、風向きを変えそうな「できる若者」は面倒がってさっさと出てっちゃうんだよね~。それに・・・田舎では食えないしさ~。まあ、暖簾に腕押しだけど・・・やるだけやって見るかな?。
2011年01月27日
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昨年の夏までオレは地元のクルマ屋さんの支店の留守番をしていたが、エコカー補助金の廃止でクルマが売れなくなるのを見越して店を閉めることになった。必然的にオレもクビになったのだが、このクルマ屋さんのオーナーはまだオレを仲間扱いしてくれている。で、昨夜、そのクルマ屋さんの新年会があった。「奥さんもどうですか?」とうれしいことに奥方も誘われたので、奥方殿の分だけ別に会費を払って夫婦で出席した。これはその新年会での出来事。なんの話からか、当地の人口減とそれにともなう消防団の話になった。そのクルマ屋さんのオーナーは50歳そこそこで地元では切れ者として評価されている。そして・・・まあまあ・・・革新的な方・・・だとオレは思っていた。全国的な傾向なのだが、消防団員のなり手がいなくて困っているらしい。オレの住むこの田舎はもっと深刻だ。とにかく若者の人数が少ないのだから当たり前の話である。消防団の主な役割は、 火事の消火 防災意識の啓蒙 災害時の出動や行方不明者の捜索などとオレは解釈しているが、その名のとおり、火事関連が最大の役割だと思う。つまり、地域の自主防災組織である。クルマなど無かった昔は、地域の火事は地域で消さなければならなかったし、地域の災害も地域で復旧しなければならなかった。誰も助けに来てはくれないので、消防団の役割はとても重要だったのだ。だから地域全体から頼りにもされていた。ところが、クルマや電話・携帯電話・インターネットなどが急速に普及して、移動手段や通信手段にとてつもない変革が起きた。そして、人々の生活様式も大きく変わり、山間の農村でも圧倒的にサラリーマンが多くなって、農業や林業で地域に常駐して仕事をすることは無くなった。つまり・・・昼間は消防団員が地元からいなくなってしまうのである。いや・・・昼間だけでは無いのかも知れない。勤め先には残業もあるだろうし、接待や交際で飲み行くケースもある。独身ならたまにはデートだってしたくなる。という事で、深夜の帰宅も珍しくはなくなってくる。ところで、「火事が起きればまずは119番」・・・が昨今の常識。だから火事の情報をつかむのは消防署が最も早いので、現場に最初に駆けつけることが出来るのは消防署の消防車だ。消防団員のほとんどが「家に居ない」状態なのだから当然だ。いつの間にか消防団の主な仕事は「消火」から「火事場の片付け」になってしまった。この点だけを取上げれば、消防団の位置づけは大きく変わったことになる。地域的消防組織中心から広域消防組織中心へと変革していったのである。話は変わるが、小学校の校庭に煌々と照明がついている夜がある。廻りには小さめの消防車や何台ものクルマが停められている。消防団が訓練をしているのだ・・・それも連日連夜である。だいたいは9時~10時頃までやっている。日曜日の午後に集まっている時もある。オレは「ふ~ん・・・頑張ってるんだあ」くらいにしか感じていなかったが、今・・・思うと・・・「なんのための連夜の訓練?」と不思議に思う。そう・・・火事場へ駆けつけることが出来ないのに・・・だ。消防団の大会みたいなのがあって地区ごとにその訓練の結果を競い合うらしい。「オレが団長だった頃はXXX大会で優勝して・・・」などと昔の自慢話も時折耳に入る。つまり、この連日連夜の訓練はこの大会に出て良い成績を収めるためのようだ。会社勤めの団員がこの訓練に参加するのはなかなかキツイ。一日の仕事が終わって家へ帰るや、あわてて飯を掻きこんで飛んでいかなければならない。おまけに、たまの日曜日にも駆り出される。そして、消防団員の仕事はこの訓練がメインではない。乾燥した冬場などに、全村をクルマで回りながら、「火事に気をつけて」と防火の啓蒙もしなければならない。定期的な訓練なども加えるとけっこうな負荷がかかっている。ご苦労なことなのである。そんな消防団員が期末になると新たに入団適齢期を迎えた子供のいる家を回る。「消防団・・・入ってよ」・・・・と。すると・・・件の訓練などを見たり聞いたりしていた団員候補生は、「いやあ・・・ちょっと・・・あれ・・・大変そうだし。 会社・・・入ったばかりで仕事・・・早く終われないし」。などとぐずぐず言いながら入団を渋る。我が村では、男女とも18歳になると消防団に入団しなければならないと言うルールがある。「男女とも」と言うのがみそで、本来なら18歳になると全員が消防団員の筈なのである。しかし・・・最近は・・・ほとんどの18歳が入団しなくなってしまった。分母になる人数が減り、入団する率も下がるのだからもう散々である。かく言う我が家にも入団義務者がいるが、「消防団・・・どうする?」と聞いたら鼻で笑われた。ここで生まれたわけではないし、地域の付き合いも無い我が家の息子に、当地に対する郷土愛を求めても無理なことはわかるが、地元で生まれ育った若者達にももう「郷土愛」はなさそうである。「地域の災害は俺たちで何とかせねば」と言う気構えがなくなってしまったのだ。だから・・・消防団員のなり手がいない。クルマが無くて狭い地域の中だけが生活エリアだった昔と違い、世界中の情報がいながらにして入手でき、クルマでいつでもどこへでも誰とでも移動できる現代社会において、昨今の18歳の若者の頭の中には「消防団員になる」と言う選択肢はもう無い。その親も、「そんなに無理してまで消防団に入らなくっても」と思っている節が見受けられる。行動エリアが狭い地域に限られていて、みんなで同じ事をして楽しむ時代から、好きな時間に好きな場所で好きな人と楽しむ時代に変わり、18歳の若者にとって消防団のような組織に入らなければならないという事は、昔の徴兵制度のように感じられているのかもしれない。前置きが長くなったが、こう言った現実に直面して、さあ・・・どうする・・・という話になったのだ。クルマ屋のオーナーは、「親が子供の教育を間違えている。 地域への愛情をもっと持てるように教育せねばいかん」と言い出した。オレは「う~ん」とうならざるを得ない。つまり、彼の意見は全く現実味が無いのである。他人の家の教育方針に口を挟むことなどできっこないし、「地域への愛情」を意識している親なんてほとんどいない。理想論で片がつく話ではないのに・・・彼にしてこの意見。残念である。「現実を見たら、組織の方が若者に擦り寄っていかないともう持たない。 つまり、組織改革をしなければならない。 今の消防団は若者にとって鬱陶しい存在なのだから、 その鬱陶しさをなんとか魅力に替えなければ誰も入団して来ないよ」がオレの考え方。なぜ鬱陶しいかといえば、「該当年齢の入団義務者が入団しない場合は罰金を科す」と言うルールがあるからだ。それも、もう無理難題に近いやりかたで、たとえば東京の大学へ行っていても、あるいは大学を卒業して東京で就職してしまっても、親が当地にいる限りは親から罰金を巻き上げると言うやり方なのである。勿論、男女の区別は無いので姉妹だけの家族でもこのルールが該当する。「こうしなければいけない」と言われれば抵抗するのは若さの特権、こうなるとこのルールを逆手にとって、「カネだけ払えば入団しなくても良いんだろう」という事になり、ますます入団者が減ってしまう。あるいは、「ああ・・・入団しますよ」と登録だけしておいて、1年のうち1度も消防団の行動に参加しない幽霊会員も出てきてしまう。すると今度は「幽霊会員からも罰金を取る」と言う本当に「馬鹿じゃないのテメー等は?」と疑いたくなるようなルールができるそうだ。こういった経緯を実際に肌で感じていると、「ああ・・・ここの終わりはそう遠くないな!」と思わざるを得ない。このままでは・・・これだけ保守的では・・・、はっきり行って若者は暮らしにくい。一度外へ出て行ったらもう帰ってこなくなるんだろうな~。オレは件のオーナーに言った。「良き伝統と悪しき慣習を取り違えてはいけないよ。 全てが良き伝統ではないし、 全てが悪しき慣習でもない。 その見分け方を間違えると加速度がついて限界集落に転落する」とね。つまりは「改むるを改め、守るべきを守る」という事なのだが・・・!。奥方殿曰く・・・「お父さん、余計な抵抗はやめて、 こんなとこ・・・あきらめちゃいなよ・・・変わりっこないジャン」と。でもね・・・ちょっとだけ抵抗してみようかな?。・・・ゲームならきっと面白い!。
2011年01月23日
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今朝は8時でも気温はマイナス6度、とにかく冷たい。犬たちの散歩に出るときには一種の「覚悟」のような気合が必要になる。午後になると、外は寒いのだがようやく居間に短い日差しが差し込み、背中に光を浴びながらキーボードをたたいていると少し眠くなる。気持ちがいいのである。やはり、自然の暖かさはいいね!、エアコンや石油ストーブの暖かさとは本質が違うような気がする。ところで、前回のBLOGで「村八分」に触れたが、オレに対する隣のジイサン・バアサンの対応は変わっていない。それでも、だんだんと奥方殿も慣れてきたのか、クルマのUターンに関しては何も言わなくなった。もう少しで多少の改善は見られる・・・かな?。もう棺桶に片足を突っ込んだようなジジイ・ババアがする「イヂワル」なのだが、こういった風土は小学校での「いじめ」にも当然つながっていて、娘の小学校時代の「いじめ」の話題は今でも時々聞こえてくる。いじめた方もいじめられた方ももう高校生なのだが、人によっては今でもそれを引きずっていて、「あいつが乗る電車には乗りたくない」などと言う。しかし、通学電車は一時間に1本か2本しか無い訳で、どうしちてもその電車に乗らなければならないのだが、それでも「イヤ」と言えば親がクルマで送ると言うことになる。そうなると今の時期は大変なのである。早朝の道路は凍結している場所が多い・・・危険なのだ。慣れている筈の地元民でも時折滑る。慣れないオレなんか危なっかしくて仕方が無い。小学校時代の「イヂワル」が回りまわってスリップ事故につながるのである。う~ん・・・ちょっとこじつけ過ぎかな?。こんなこともあった。時々奥方殿のガス抜きに飲みに行く近所の旅館のスナックでのこと。その旅館の社長の末娘がラウンジを担当していて、ゴルフを始めたばかりのその娘のためにゴルフコンペをオレが企画した。企画書を作ってその旅館の取り巻きを中心に配っていると、「誰がはじめたんだ・・・こんなのはだめだ、オレが仕切ってやる」などと言うでしゃばり親父が出てきて、結局はそのゴルフコンペを仕切ることになった。オレはすでに隣のジイサンにゴルフコンペへの出席と人集めを依頼していた。「実はこれこれででしゃばり親父に幹事を任せたから」と断りに言ったら、突然隣のジイサンが怒り出した。「お前がやるから人を集めたが、 あいつが仕切るならこの部落からは一人も出さん」などと言い出した。おいおい・・・話が違うだろう。「あんただってこの部落を仕切ってんジャン」とオレは思ったが、あまり訳のわからないことに首を突っ込むのもイヤなので、ここはひとつ高みの見物としゃれ込んだ。この件では大きな問題点が三つある。第一が、田舎では何でも仕切りたがる奴が必ず一人や二人は居ると言う事。そして第二が、よそ者が何かをしようとすると必ず誰かに足元をすくわれると言う事。第三に、部落ごとの主導権争いが常に底流に流れていて事あるごとに顔を出すと言う事。この三つが絶妙に絡み合って、このゴルフコンペ事件は大変興味深い展開を見せた。残念ながらその顛末はまた別の機会にするが、今回の「通せんぼイヂワル事件」は第一と第二の問題点が大きく影響を与えている。それにしても田舎にはこういったせこいイヂワル根性の持ち主が多い。だから子供もそれを見習う。そして・・・小さな学校なのに「いじめ事件」が異様に多い。田舎暮らしのBLOGなどを読んでいると、こういった小さな嫌がらせの繰り返しで田舎がいやになって出て行った人の多い事。もっとも、オレは隣とか部落とかの狭い地域で生活しているわけではないし、今回のことも奥方殿と違ってそんなに問題視はしていない。オレが付き合いをしているのはほとんどが自営業者。果樹園であろうとガソリンスタンドであろうと旅館であろうと、みんな経営者なのでこういったセコイ考え方は持っていないしこんなことは気にもしない。だけどね~、こう言った田舎根性を直さないと、田舎はイジワルジジイとイジワルババアだけになってしまわないかと心配だ。とにかく日ごろはにこにこしているが、一丁事あればひと癖もふた癖もある連中ばかり。都会と同じ気分で田舎暮らしをしようとすると大体はこの壁に跳ね返される。最も、鬱陶しい人間関係から開放されるのはかえって気楽かもしれないが、それには強靭な精神力と多少のふてぶてしさも必要だ。これから田舎で暮らそうと思っているあなた・・・、心してかかってよ~。
2011年01月21日
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いやあ・・・毎日寒いね。名古屋で10センチほどの雪が積もったらしいけど、名古屋あたりでそんなに積もると都市機能は完全に麻痺だね。スタッドレスタイヤをはいているクルマはスノボーきちがいかタクシーだけだから、雪が積もるとまったく動けなくなってしまう。オレが愛知県にいるときも何度か雪が積もったが、舐めてかかってクルマを消火栓にぶつけたことがあった。とにかく普通タイヤだと道路の傾斜だけでも滑ってっちゃうんだよね。それでも、今朝は珍しく穏やかで暖か。こんな風だったら冬も楽なのにね~。20日が大寒なので、これで寒さが終わったわけではないだろう。ところで、今ではほとんど死語になってしまったが、「村八分」と言う言葉がある。Wikipediaよると「地域の生活における十の共同行為のうち、葬式の世話と火事の消火活動という、放置すると他の人間に迷惑のかかる場合(二分)以外の一切の交流を絶つこと(残り八分は成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行)。また、「八分」は「はじく」(爪弾きにする)の訛ったもので、十分のうち二分を除いたものというのは後世の附会であるとの説もある。」とある。葬式の世話とは「死体を放置すると腐臭が漂う、また伝染病の原因となるため。また死ねば全てを許されると言う思想の現れとも」ということだそうで、火事は「延焼を防ぐため」ということだそうだ。最近になってある人からこの言葉を聞いた。「村八分になっても困るしな~」と言うニュアンスだったのだが、確かに昔からここに住んでいるのであれば多少は困るかも知れないな。が、オレのように都市部から来たよそ者は、「村八分」になってもまったく困らない。それどころか、かえって余計な付き合いや出費がなくなって気が楽そうだ。毎月の「常会」と呼ばれるどうでもいい会合にも出なくて良くなるし、そこで巻き上げられる何に使われるかわからないような多額な金も払わなくて良くなる。付き合いが無くなるのだから冠婚葬祭にかかる費用もゼロになる。そして、年に何回か出なければならない共同作業にも出なくて良い。正直、良いことづくめなのである。反面、村八分になって困ることは?。 成人式:来年辺りは息子が該当するが別にここでしなくても 結婚式:当分無さそうだし地元のやつらが来なくってもなんとも無い 出 産:我が家ではもうありえない 病気の世話:病院へ入院するのだから 新改築の手伝:ここで家に金をかける気は無い 水害時の世話:がけ崩れが心配だが修復は土木業者に頼む 年忌法要:俺の家には今のところ無い 旅行:今までだってことごとく断ってきたし今後も絶対に行かないと、何も困ることは無い。こうして考えて見ると、今の社会の村八分って都会の生活そのものなのだ。「田舎に生まれて田舎に育ち田舎から出て暮らしたことが無い」と言う輩には、これは理解できないのかも知れないが、両方とも経験しているオレには、「田舎暮らしの村八分」がどうにも魅力的に思えてくる。なんとなくウマが合うと言うやつはどこにでも居るもので、近所の部落の奴等との交渉は絶っても、そんな面々とはもう人間関係が構築できている。それこそ、クルマもあるし携帯電話やインターネットも使えるので、正直「村八分」の脅し効果はもうまったく無いに等しいと思うぞ。さて、実は今、隣と少々揉めている。しばらく前のこと、奥方殿が布団を干そうとしている時に隣のばあさんが野焼きを始めたので「夕方になったらうちで焼きますから今はやめて下さい」と言ったのがどうも琴線に触れたらしい。二つ目はオレが「時代が変わっているのだからそれに沿って組織を見直して行かないと、 いつまでも昔と同じようなことはできっこない。 特に若者の数が減っているのだし、 クルマや携帯電話の普及で行動半径や通信手段が大きく変わってしまって、 若者の価値観は昔とは大幅に違うんだよ。 消防団員になりたがらないのは当然で、 消防団組織自体が変わらなければいずれ団員はいなくなる」。と言ったのが決定打となったようだ。「そんな考え方だからだめなんど」とばバアサンは怒った。そして、それに尾ひれをつけたり脚色したりしてジイサンに言ったのだろう。隣の所有地だが「ここ、いつでも使ってもいいよ」と言われていた場所にある日突然バリケードができた。我が家は坂の上にあって道路には斜め一方向にしか出られない。だから、隣の所有のこの場所でクルマをUターンしてメイン道路に出ていたのだが、このバリケードでUターンができなくなってしまった。普段であれば直進して別の場所でUターンをしてくれば良いのだが、この先は急な上り坂になっている上に道幅が狭く、そして日当たりも悪いので、雪が降るといつまでも解けないし凍結する。オレだったらバックでそのまま下がって行ってしまうのだが奥方殿には無理。かくして・・・・奥方殿もキ・レ・タ。「あのクソババアめ・・・なんて汚い事を!」。まあ、この言葉もいい加減汚いんだけどね。当地へ引っ越してきたばかりのころは子供達はまだ小さかった。その頃、息子も娘も学校でかなり意地悪をされたようだ。それも原因のひとつで息子は通学をはじめることが出きなかったし、娘は「こんなところへ来たから私があんな辛い目にあった」と言う。今回のこのバリケード事件で思うことは、田舎ってけっこう意地悪なんだと言うこと。とにかくやることがセコイ。言いたいことがあれば堂々と主張すれば良いのに、影でグチグチは言うが言わなければならない場所ではだんまりを決め込んでいる。子供でも、靴をはじめとする持ち物を隠したり、隠れていて石をぶつけたり、携帯電話を盗み出して壊して山の中へ捨ててしまったりと、なんか・・・こう・・・イジイジと隠れてするんだよね。いい年をして今度はとうせんぼ・・・!。なんか・・・笑っちゃうけど・・・。バリケードがいつまで続くのかは定かではないが、ジイサンに「こんにちは」と挨拶しても普通の返事が返ってくる。なかなかしたたかなのである。それにしても・・・奥方の怒りは本物だ・・・これが一番の頭痛の種。
2011年01月18日
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ただ今の気温マイナス6度・・・今日がこの冬一番の寒さかな?。昼間の最高気温も多分氷点下だったような気がする。とにかく冷たい。昼に舞っていた雪は積もらずに止んだのだが、これだけ気温が低いと少しでも濡れていれば道路が凍りつく。つい先ほどまで仕事で出かけていて帰宅したばかりだが、幸いなことに道路に水気が無いので凍結はしていなかった。しかし、神経をすり減らしてもうヘトヘト、この時期の夜の外出は本当に疲れるのだ。昨日は愛知県へ出張だった。千円高速は「不慣れなジイサン辺りがスリップして渋滞」が予想されたので一般道で。が・・・雪が凄かった。それでも、凍結よりも雪の方が見えるだけに気が楽だ。それに冬タイヤも雪道なら機能を発揮するがアイスバーンになると全く役に立たない。それが証拠に、帰りに飯田市内の坂道を下った時、ググっとタイヤが滑って冷や汗をかいた。見たところは何の変化も感じなかったが実は凍っていた。オレのクルマが先頭だったら危なかった。前のクルマがゆっくり走ってくれたので命拾いをしたのだ。実際、坂道の途中のガードレールには仰向けになったクルマが1台引っかかっていた。そんなところを見たもんだから、もう奥方なんかブルブル・・・ワーキャーとうるさいの何の。「もうこんなとこイヤダー・・・暖かいとこに住みたい~!」とまた始まった。まあ・・・わかるような気もするが・・・今更そんなことを言われても・・・ネ!。愛知県まで出かけて行ってなぜ飯田市内なんかへ足を伸ばしたかと言うと、実はメガネを受け取りに行ったのだ。正月に奥方殿とショッピングセンターへ買い物に行ったおりちょうどメガネ屋がお年玉セールをやっていて、遠近両用のレンズにしても1万円以下という破格値のメガネがあった。2~3年前にはオレも遠近両用のメガネをかけていたが、免許証更新の時の視力検査で裸眼でもOKになってしまったので、そのままメガネをはずしてしまった。それはそれでよかったのだが、最近どうも近くが見づらくなった。特に文庫本を読むときが辛い。近視が遠視で中和されて遠くが見やすくなったと思ったら、こんどは近くがいけない。と感じていた矢先だったので冷やかし半分に入店したら結局は買う羽目に。ところで、いつからかメガネのフレームのデザインが随分変わってしまった。縦のサイズが極端に短くなってしまったのだ。その1万円を切ると言うフレームのデザインもそういった奴で、オレはあまり気乗りがしなかったのだが、かけて見ると・・・ウン?・・・ホホホ・・・まんざらでも?。「ちょっとは若く見えるかな?」と淡い期待を込めて買ってしまったのだった。で、一昨日に出来上がりの電話があったので、昨日の夜に回り道をしてメガネを受け取りに行ったと言う訳だ。「・・・・・うん・・・・・?」。そう・・・レンズは遠近両用なのにフレームの縦の寸法が短いので、上側のサイズも下側のサイズも寸足らずに思える。近視用のエリアも狭いし遠視用のエリアも狭い・・・見にくいことこの上もない。それに視界の左右ぎりぎりのラインがひどくゆがむ。「最初は皆さんそうお感じになられますがすぐに慣れますよ」。う~ん・・・そうかな~・・・慣れるのかな・・・?。凍結しているかも知れないのに慣れないメガネでは危ないので、道中は裸眼で家へ帰ってからそのメガネを試してみた。文庫本・・・・オオオオッ・・・字がでかくなっている!。遠くは・・・地面がゆがんで見えるぞ。こいつでクルマの運転は怖そうだな・・・でも本は読みやすい。チッ・・・最初から老眼鏡という事か?。という事で、遠近両用メガネの機能はいまのところ「遠」のみ使用。それに暫くメガネを使わなかったので鬱陶しくて仕方が無い。「最初は皆さんそうお感じになられますがすぐに慣れますよ」が・・・どうもそうでは無いような気もする。息子はゲーム機やパソコンばかり見ていたおかげで目が悪い。オレよりも視力は劣るのだが、オレが読めないような小さな字でも読める。どうしてかと考えたのだが・・・どうも年を取ると暗さに弱いような気がする。光が不足すると極端に読みにくくなることがわかった。ところが若い奴等は薄暗くても読めるのだ。携帯電話の光でも本が読めるらしい。ところがオレはクルマの室内灯の光でも文庫本は読めない。「もっと光を」・・・ゲーテも言ったがオレも言う。ついに「老眼鏡」と言うなんとも情けない響きのメガネを手にしてしまった。早く慣れて「遠近両用」の両方の機能を使わねば!。やはり・・・オレ等は昔ながらのフレームの方が良いかもね?。フレームだけ若くてもレンズはあのゆがんだやつ・・・ってカッコワルー!。
2011年01月16日
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日本中が大騒ぎである・・・久々に心温まるニュースだ。そう・・・例のタイガーマスク事件のこと。それにしても、最初にランドセルを届けた本物は今どうしているのだろう?。良い方向に効果が現れたので「してやったり」とほくそえんでいるのかもしれない。彼は日本人の「性善説」を信じていたのだろうか?。それともこれほどの効果を予測していなかった?。今回の事件によって恵まれない子供達に注目が集まったと言うことが、最大の波及効果だろう。政府は「福祉・福祉」と叫んでいるけれど、主な対象は老人だ。つまり、年金と介護。これは今の選挙制度である以上は当然で、子供には選挙権は無いが老人は選挙権を持っていると言う事実。そう・・・選挙の時の一票が欲しいからどうしても老人に眼が行く。そして例の悪名高き「子供手当て」。これにも両親とジジババ併せて6票の計算がある。勿論、年金も介護も医療も重要案件には違いない。しかし、親から離れて、あるいは親の居ない子供達には今まで陽が当たらなかった。それは・・・親が居なけりゃ票が計算できないからであって、この方面は政治家には「おいしくない場所」だからだ。その暗闇にタイガーマスクは一気に光を当てた。この功績は大である。オレはあまり親の庇護を受けずに育った境遇なので、今回のニュースを初めて知ったときには思わず涙ぐんだ。画面に映る子供達の屈託の無い笑顔・・・、ぜひとも大人になるまで持ち続けて欲しいと願っている。初代タイガーマスクに感化されてプレゼントを用意している人たちにお願いする。こういった施設の子供達が社会に出たときに、差別などせずに、是非立派な大人に育て上げていただきたいと。小さいうちだけ「可愛い可愛い」で、大人になったら「両親が居ない家では?」と冷たく扱うのは許せない。いずれにせよ、今回の寄贈者は今のところ個人が中心。そろそろ企業が売名行為のために動き出そうとしているが、そんなものにはだまされてはいけない。匿名の個人にこそ価値があるのだから。本来なら、内部留保をたっぷり蓄えた大企業が、こういった社会奉仕を率先して実行すべきなのだが、奴等は政府に圧力をかけて法人税率引き下げに奔走している。つまり・・・まだ儲けたいのである。とにかく・・・とにかく・・・、全国のタイガーマスクとその候補にエールを送りたい。そして、そのランドセルを背負った子供たちが大人になった時、新たなタイガーの仮面をかぶって欲しいものである。いや・・・そんな仮面など必要の無い世の中になっていれば最高なのだが!。
2011年01月14日
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今は夜の10時過ぎ、ちょうど息子を迎えに行って家へ帰ったところ。飯田の市街地で気温は0度だったが、家へ着いたら-5度だった。寒いはずである。見上げれば満天の星・・・しかし、寒くてゆっくり眺めていられない。イヤ~・・・寒い・・・本当に寒い。そして、我が家にも冷たい冬の嵐が吹き荒れている。娘がどうにもいけない。口の利き方も悪いし態度も最悪。その上ことごとく突っかかってくる。先日のこと、この寒い夜にお湯が出なくなった。と言うか・・・お湯を沸かすボイラーに燃料が供給されなくなった。燃料パイプに水が入り込み途中で凍ってしまったのだ。オレはヘアードライヤーを持ち出し、タンクとパイプの接合部分を暖めたがダメだった。パイプは縁の下を通っていてどこが凍っているのかはわからない。そんなんでごたごたしているときに娘が帰ってきた。奥方殿が「今日は風呂がダメだから」と告げた途端に暴言が飛んできた。そこで突然の大騒ぎ・・・オレはお湯を何とかしようと外へ出ていた。家の中に入るともうどうにも収集のつかない状態にまで発展。年に何回かこう言う事が起きる。息子のために田舎へ来たことにより、娘は「犠牲になった」と考えていて、その矛先は我々親に向いているのだ。翌日は帰ってこなかった・・・が、昨日・・・帰ってきた。帰ってきたが・・・冷たい風はそのままだ。朝起きた時から夜寝る時まで一日中、奥方の娘についての愚痴を聞かされ続ける。しかし、こいつを逃げると今度はこちら側が燃え上がるので、決して知らん顔は出来ない。辛いのである。オトコも辛いしオンナも辛い・・・小林旭の夢ん中の一節だ。が・・・・息子は随分成長した。片方が悪くなった分片方が良くなった。世の中はなかなかうまくいかないものである。外も寒いし内も寒い。タバコを吸いに出ようとしても足がすくむ。そう・・・冬のホタルは・・・辛いのである。
2011年01月13日
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今朝の空に晴れ間はない・・・重い雲が全体を覆い、細かい雪も降っている。オレの家から歩いてすぐの公園では、地域の男達20人ほどが集まって明日の「どんど焼」の準備に忙しい。「どんど焼」・・・地域によっては色々と呼称があるようだが、南信州辺りでは「三九郎」とか「おんべ」とも呼ばれる。小正月に行われる伝統行事で、田や畑の中に竹や木でタワーを組み立て、最上部に「へいそく(漢字不明)」と言う紙をくくりつけて燃すと言う行事だ。毎年最も寒い時期に行われるので準備が大変だ。準備の日に雪でも降ると手がかじかんでしまって冷たいことこの上もない。今年は準備の係りから外れているので見物役なのだが、じっと見物だけをしているわけにもいかず、そそくさと引き上げてきた。当日は、正月飾りなどを「どんど焼」の炎に投げ入れて燃す。そして、その残った火を広げて餅や芋等を焼いて食べるのだ。書初めをこの火に投げ入れると字が上手になるとか、この火で焼いた餅を食べると一年間健康でいられるとか、伝統行事なので色々とご利益はあるようだ。勿論、当日は「お神酒」も振舞われるし油揚げやみかんなども配られる。オレはこの油揚げを焼いて食べるのが好きだ。配られるのはスーパーで売っているような小さなものではなく、長さ20センチはあろうかと言うデカイ奴で、厚みもあってしっとりとしているので軽く炙ると本当にうまい。醤油に一味唐辛子をぱらりとふり、この油揚げをつけて食べるのだ。半径5~6mほどに広げられた「どんど焼」の残骸は、ほとんど木の燃え残りなので遠赤外線が発せられて暖かい。でっかい焚火と思ってもらえば判りやすいかもしれない。だから、冷たい冬空でも、少々雪が降ろうとも寒くはない。油揚げを「当て」に飲む茶碗酒も悪くはない・・・呑み助には!。おれは酒にはちょいと口をつけるだけでもっぱら餅を食う。いつものことだが、何かイベントがあると誰となくタッパーウエアに漬物を入れて持ってくる。どこからか回ってくる漬物がこんな時には本当にありがたい。タクアンも良し、野沢菜漬けも良し。冬の空を見上げれば白いものもチラホラ。暖かな焚火を囲んで和やかな地域の伝統行事を楽しませてもらおう。ちなみに、都会へ出ている奴等もこの行事に合わせて帰省してくる場合もある。正月から幾日も経っていないのにご苦労なことだ。南信州の田舎の正月はこの「どんど焼」で幕を閉じることになる。明後日からは本格的な「シゴトモード」に突入だ。どんど焼の油揚げ・・・○○○。
2011年01月09日
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どうしても「正月」と言う区切りを意識してしまうので、特に食品製造業は年末が忙しい。今年は「おせち料理」の通販でとんでもないことが起こったらしいね。画像で見たけれど、あれじゃあほとんど詐欺・・・ひどすぎる。元日になってもおせちが届かないとなれば、注文した人にはこれは事件だぜ。まあ、オレがお世話している農園さんでも似たようなことはよくある。「何月何日の何時頃に届けて」とメールで依頼されるのだが、出荷伝票に日付や時間の指定を記入し忘れると、とんでもない日に配達されてしまうことがある。特に「この日からこの日までは旅行で留守なので」などと言われた場合は、受取人がいないのだからもうどうしようもない。農園さんも注意はしているのだろうがとにかく注文が多いのでミスは起きる。オレがメールを管理している農園さんでも実はたまにある。そんな時はメールで苦情が来るので言い訳をするのはオレ。気分を悪くさせないように、なおかつトラブルが大きくならないように、こういったクレーム処理には最も神経を使う。そして、うまく処理が出来たときにはお客の方から感謝される。そして、もう・・・がっちり固定客になる。ところが、相手の性格やその日のご機嫌の良し悪しで、同じトラブルで同じ対処をしても反応が全く逆の場合がある。こういった時にはオレも少々困る。メール受付の代行なのであくまでも本人ではない。だから、その場での決裁権もないわけで、いちいち農園の親父さんに電話をして指図を仰ぐことになる。農園さんは大ごとになって直接電話でもかかってくると困るので、「適当にやっておいてよ、どうでもいいからね。」などと全てオレに丸投げ。ある時など、届くのが遅いと叱られたので、「最高に美味しいものをお届けするためにどうしても完熟までお待ちいただきたい」と言い訳をしたら、「美味いものを送るから黙っていつまでも待てという事か?」と食って掛かられたこともある。こういう時はもうほおって置くしかない。燃えている火に油を注げば火の手は高くなるばかりだからだ。そんな中で最も困るのが「達人の市田柿」。ここの市田柿はメッチャクチャ美味い。一度購入したお客さんは必ずリピーターになる。が・・・出来上がりが遅いのだ。注文する人はみんな「年内に届けてください」と言う。だから注文確認メールには「年末ギリギリのお届けになります」と断りを入れる。しかし、年末も28日を過ぎる頃からメールが殺到して、「注文はちゃんと入っているか?」。「送金したのに確認は取れているか?」。「まだ来ないがどうなっているのだ?」。ともう催促の嵐なのである。それでも達人はなんとか31日までに着くように出荷してくれるので、この騒ぎも元旦には治まる。ところが正月が開ける頃になるとまたメールが来る。「食べてしまったので追加の注文をしたいがまだあるか?」・・・と。ところが実際は、達人の市田柿は年末までに出荷するのは半分ほどで、正月でもまだ市田柿を作っている。正月明けでも・・・まだ作っている。「正月が明けないと本物の北風が吹かない。 特にこのところの冬は暖かくなったので、 この時期まで干しておかないと本当に美味しくはならないんだ」。という事で、今頃・・・干している。「正月に間に合わせたいのはわかるが、 そいつは人間の都合で柿の都合じゃないからな」・・・確かに!。というわけで、オレが知っている農園さんで唯一、今この時期に出来たての市田柿が買えるのはここ。 達人の市田柿「山水園」 → http://tatsujin-fruits.com/ホント!・・・ここのはうまい。「○○○」である。
2011年01月07日
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「お許し下せー、お代官様」。「うるさい・・・うじ虫目供め、こうしてくれようぞ」。時代劇ではだいたいこんなシーンが冒頭に出てくる。江戸時代の役人は概ねこんな風だったのかも知れないな。だから、善政をしいたりすると数が少ないだけに妙に目立つ。そんな殿様や役人は「伝説の人物」になってしまう。先ほど駅まで娘を迎えに行く途中のラジオで藤本義一氏のコメントが聞こえてきた。「今の政治は弱者から搾取するようなそんな政治だ」的な内容だった。それを聞いて江戸時代の代官と農民のやり取りが脳裏に浮かんだのだ。最も「今の政治」は昔と比べればまだましな方かも知れないが・・・。いつの時代でも、どこの国でも、役人とはそんなものである。「威張る・ごまかす・脅す・搾取する・管理する」事が日ごろの仕事なので、決して生産に携わることは無い。強者にはへつらい弱者には威張りちらす・・・当たり前の話である。これは今も昔も変わらない。最も、文明がこれだけ進んでくると昔のようなあからさまなやり方はしない。とてつもない許認可権限を握り、「国民・県民・市民のため」と言う錦の御旗を振りかざして、言葉遣いは一見ソフトだが実はジワジワと首を絞めに来る。実際、東大・京大出の高級官僚達は、我々のような貧乏人の命なんて気にもとめていないのではないだろうか?。「自分とその仲間達の末永い繁栄のためなら多少の犠牲は仕方が無い」くらいに考えているに違いないと想像する。そして、政治家も政治家で、そんな官僚には頭が上がらない。それもそのはずで、官僚達は大学卒業からずっとその省庁にいて専門分野を歩いてきたが、大臣なんぞ名誉職のようなものだから「知識や経験」で及ぶわけが無いのだ。かくして、総理大臣までが官僚の作った原稿を棒読みする。つまり、政治家は官僚には勝てないという事なのである。と言うよりも、官僚が描いたプランの実行部隊が政府という事になる。この構図は、国→県→市町村とスケールは縮んでくるが、基本的には「お許し下せー、お代官様」の世界と同じなのである。本来、行政と言うものは国民が幸せに生活できるためにあるべきなのだ。施政者とその仲間達だけが幸せになるために国民から搾取してはいけない。などと言う青臭い理想論を振りかざすような年齢ではないが、今の日本を見ているとはっきり言って将来は不安である。「ワーキングプアー」なんて言葉が存在すること自体が悲しいし、「働けば食える、努力すれば報われる」と言う方程式も崩れてしまった。差別化・階級社会と言われるがまさにその通りで、まるで新らしいカースト制度みたいな趣きになりつつある。我が家の息子や娘も親が貧乏なのでだいたい先は見えている?。だから、唯物論よりも唯心論を支持して欲しいのだが、見ていると物欲の塊のようだ。人間の幸せって何だろうねえ~。青い鳥の価格は相変わらず値上がりしていて、デフレの影響は受けていないようだね。
2011年01月06日
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朝方は晴れ間がのぞいていたが、お昼頃から雲が広がり、最高気温の予想はそこそこだったが体感する寒さは半端ではなかった。夕方の冷たさはひとしおで、犬達の散歩も今日はチト腰が引けた。ところがこんな日は逆に犬が元気でリードをぐいぐい引っ張る。しかし、運動不足のオレにはそれに対応する力が無いので、かわいそうだが「かけっこ」はあきらめてもらうしかない。と言いながらかれこれ7年になろうか・・・?、まだ一日も散歩を欠かしたことはない。勿論、骨折して入院してしまったときなどは息子か娘が代行をしてくれたが、98%ほどはオレが散歩に連れて行っている。退院してきた時など、松葉杖をついてでも犬を連れて歩いていたほどだ。そのおかげか?・・・通風の再発が無い。実は当地へ引っ越してきたばかりの頃、焼肉を食いながらビールを飲んでいたら通風が出た。ちょうど市民病院の裏手の焼肉屋だったので、すぐに病院へ駆け込んだら通風と言われた。はじめてのことだったがあまりの痛さにオレは気絶、情けないことだがあれほどの痛みをそれまで経験したことが無かったのだ。「魚卵や肉類はダメですよ。お酒も控えめにして。 特にビールや日本酒などの醸造酒がいけない」。とその時の医者に言われ、それ以来しばらくは気にしていた。しかし・・・しかしなのである、タラコや明太子、数の子、イクラにカラスミ、そしてキャビアと、魚卵はオレの大好物。そして、皮肉なことにこれらは奥方殿の好物でもある。だから、オレが食えなくても意地悪く食卓に上る。特に明太子などが目の前にあるのは我慢が出来ない。「ちょっとだけよ~」ドリフターズのせりふではないが、箸の上に載せてちょっぴり味見を始めるともう止まらない。ついには1個をペロリという事になる。そしていつの間にか「魚卵はダメ」を忘れてしまい、今年の正月なんぞは数の子をバリバリ食っているが、幸いなことに今のところ通風の気配は無い。最も、あの通風騒ぎ以来、酒を飲む量は激減した。元来があまり強い方ではないし、晩酌の習慣も無いのでビールや酒が無くても平気で飯が食える。あえて飲むならウイスキーかブランディの水割りを希望するので、「醸造酒」と言われる酒類の摂取量はきわめて少ないのだ。それでもたまにはワインを飲む。ワインのうまい奴は本当にうまいから、上等のワインをもらったりするとどうしても飲みたくなる。勿論そんなことはご存知無いのだが、おれのお客さんでワインコレクターがいて、チョット仕事を手伝うとそのお礼にワインをくれる。これがまたうまい奴なので困ってしまう。桁違いに高級と言うわけではないが絶対に外れの無い、「ピーロートジャパン」で買ったワインなので、どの銘柄を飲んでも、赤でも白でもロゼでもうまい。酒に弱いわが夫婦でもボトル一本が二人で2日とはもたない。ワインも醸造酒なので通風には良く無いのはわかっている。「飲みすぎると通風・・・出るよ」奥方殿は自分の取り分を増やそうとオレに脅しをかけるが、「通風で倒れてもうまいワインは飲む」とオレも譲らない。かくして、あっという間にボトルが空になる。それでも通風が再発しないのは、やはり犬の散歩のおかげだろう。あいつ等には感謝をしなければいけない。「運動が一番の薬ですよ」とその時医者に言われたことを、オレは今でも忘れないのだ。正月も5日を過ぎていよいよ仕事モードに切り替え。今日はすでにメルマガ一本を書き上げたし、明日は新春のあいさつ回りをするつもり。昨日のうちに見積をメールで送っておいたので、うまく行けば来週には新しい仕事の依頼が来るかもしれない。そろそろ気持にも体にも気合を入れないと!。それにしても、暮れから今日まで・・・よく食ったな~。酒をあまり飲まないのでとにかく俺は食べるのだ。「ちょっと~、いくつになると思ってんの~、 いい年して本当によく食べるんだから」と奥方殿に厭味を言われながらも食う・・・食う・・・食う。おかげでウエストが本当にやばくなった。でも、食うのだけはやめられそうに無い。タバコとナニと食い物は我慢できないな~。
2011年01月05日
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「飯を食うならオリジナルジョーズなんて・・・」と言う歌詞が懐かしい。松田優作やゴールデンカップスのエディが歌っているマイナーな曲。その名は「横浜ホンキートンクブルース」→ こちらナカナカの名曲(?)だとオレは勝手に思っている。「ヘミングウエイにはまってフローズンダイキリ」とか、歌詞そのものもおしゃれなのだ。作詞は・・・あの・・・「藤達也」だそうで、およそ45年程前にのオレの目の前のカウンターでピザを食っていた姿を思い出す。いまいちメジャーになりきれなかった彼だが、「愛のコリーダ」で一躍トップ俳優の仲間入りを果たした。「オリジナルジョーズ」のカウンターで夜毎ピザをぱくついていたのはその前の事。オレは言葉も交わしたことがある・・・勿論相手は覚えていないだろうが。彼のオーダーはいつも決まっていた。コンビネーションサラダにミックスピザ、そしてビール。フローズンダイキリは飲まなかったが。その頃の「オリジナルジョーズ」は中華街の入り口にあり、廻りにはうらぶれたネオンが瞬くバーが数軒。1ドルがまだ360円の固定相場制で、アメリカはベトナム戦争の泥沼にはまっていたそんな時代である。休暇を取った兵士達はベトナムの戦場ですさんだ心を抱えたまま横須賀に降り立ち、横須賀の遊びに飽きると横浜まで流れてくる。戦場では使い道の無い多額のドルをポケットに突っ込み、女を買いあさるのが目的でやってくるので、中華街入り口周辺のバーは狭い店の中にケバイ女があふれていた。そんな時代の夜の中華街はすさんでいた。若いアメリカ兵に真赤な口紅を光らせ年増女達が群がり、ポケットのドルを一枚でも多くせしめようと必死だったのだ。1ドル360円、今のおよそ4倍ほどの価値があった。物価も安かったので実際の価値は20倍ほどだったと記憶している。そんな世相の中、本牧に「リキシャルーム」と「ゴールデンカップス」と言う2軒のクラブがあり、ここにもアメリカ兵とそのポケットの中のドルが目当ての女どもであふれていたのだ。ゴールデンカップスの専属バンドがそのままの名前でメジャーデビューした。「長い髪の少女」の大ヒットで一躍スターダムに!。その頃には、別路線で「ブルーライトヨコハマ」を歌った石田あゆみも人気を博していた。今では彼女は俳優だし、ゴールデンカップスの安岡力也も俳優として頑張っている。その頃のオレは高校2年生。年齢を偽って「オリジナルジョーズ」でバイトをしていた。夕方6時から深夜2時までと高校生にはきつい時間帯である。横浜でも指折りの名門県立進学高に通っていたオレにはかなり厳しいバイトだったが、自分で稼がないと学校にも行けない境遇に置かれていたので、成績云々よりも「まずは稼ぎ」と言う切羽詰った状況だったからし方がない。下宿の家賃や授業料を払い、食い扶持も自分で稼がなければならなかった。高校2年生と言えば17歳、今の息子よりも若かったという事になる。とにかく「カネ」を稼がねばならなかった・・・が・・・稼ぎ過ぎてしまった。高校2年生が稼ぐ金額は多分新人サラリーマンの給与を超えていたかもしれない。それもそのはずで、例のバーへ出前に行けば1ドル2ドルとチップが手に入る。これはバイト代に含まれないので臨時収入なのだ。中華街から下宿へ帰るときのタクシー代は確か200円~300円程度だった。1ドルのチップでタクシー代が浮く・・・で・・・朝の通学もタクシーとなる。こんな状況なので大学進学の勉強などできるわけがない。年齢を偽ったままなのでオレは大学を目指す浪人生という事になっていた。つまり・・・昼間はヒマだと思われていたのだ。「明日は平塚だぞ」。「来週は川崎でその次は後楽園」。オリジナルジョーズのコック達は競輪の大ファンであった。「おい・・・明日付き合えよ」とお声がかかるのだ。平日は無理である。「イヤ・・・予備校があるんで」などと断るのだが、「勉強ばかりじゃあ体が持たんぞ、たまにはいいじゃんか?」と強制になると断りきれない。そんなこんなで学校の出席率も悪くなり成績も当然ダウンする。それでもなんとか3年生に進級したのだが、困ったのはバイト先への言い訳である。「また落っこちちゃいました」と言わざるを得ないのだ。すると再び「浪人生」に戻ることになって同じ生活パターンに・・・。楽しい3年間であった。が、その3年間を楽しみすぎたあまり、大学受験には失敗した。とにかく、まとまったカネが無いので国立しか受けられない。同級生は慶応だ早稲田だ上智だと言っているのだが、オレにはそんな高級な大学は無理なのである。そして、成績も3年生の終わり頃にはもう最悪。落ちて当たり前・・・試験と言うものではじめて屈辱を味わってしまった。その後もダラダラとオリジナルジョーズで過ごしヤク中寸前にまで堕落して、もう人生をだめにしてしまいそうな状況まで落ちたのだが、その時のオリジナルジョーズのマネージャーから、「お前は俺らとは違うんだ、こんなことをしていたら本当にだめになるぞ」と諭されて目が覚めた。その彼は今、中華街の中で喫茶店をやっているそうな?。オレには命の恩人である。NHKのラジオから流れてきた「横浜ホンキートンクブルース」が、40年以上前のあの頃を思い出させてくれた。しかし、考えてみればあの頃がオレの最も輝いていた時期かもしれない。日本も戦後のどん底から這い上がりかけていて、東京オリンピック開催・東海道新幹線開業と、右肩上がりの成長のスタートラインに立った頃。オレが17歳の時の生活が息子に可能かと問えば否である。時代の違いは当然だが、親もそんな教育をしていないし、そんなことをさせれば社会が白い目で見る。あの頃、カネは無くても少なくとも不幸ではなかった。いや・・・けっこう幸せだったような気がする。あ~あ・・・人間の幸せってどこにあるのかね~。
2011年01月04日
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今日で新年も3日目。元旦に娘が急に熱を出し、インフルエンザかと心配したが、昨日辺りはかなり元気が戻ってきて一安心。そんなことで今年はまだ初詣に出かけていない。ところで、あの「初詣」と言う奴、奥方殿などは目を閉じ手を合わせて何かを真剣に願っているようだ。オレといえば、回りの目を気にして一応手を合わせるのだが、なにも願うことなど無いのでさっさとその場を離れてしまう。つまり、「神様にお願いをすると願いがかなう」と言うルーチンを信用していないのだ。一般的に日本人は諸外国の人と比べて不信心だと思っている。暮れの24日にクリスマスを祝ったかと思えば、大晦日には除夜の鐘を聞いて煩悩を払い、僅か一晩で今度は八百万の神に願いをかなえろと強要している。これって・・・かなり虫がいい話ではないだろうか?。と言いながらも、今年は息子までが「初詣・・・行かないの?」と言い出した。まあ、あえて反対して波風を立てることも無いので、「おーし、2日に行こう」と言っていたのだが、朝一番に奥方殿と些細なことで言い争いになり、そのまま口を利いていないので初詣は順次延期とあいなった。「物言えば唇寒し正月の朝」なのである。人間は言葉を使える高等動物なのだが、言葉があるばかりに余計な災いに遭遇することも多い。「あの一言が余分だった」「まさか、隣で聞かれているとは思わなかった」などなど、言葉が元で恥をかいたり嫌な思いをしたりさせたりの経験は誰にでもある。夫婦の揉め事なんてだいたいは些細なことが始まりで、まずはそのことが原因で戦端が開かれ、昔のことをあれこれとほじくり出しては戦火を広げ、最後には振り上げたこぶしの降しどころを見失って、イライラしながらの冷戦となるのが通常パターンなのだが、オレはそこに行きつくまでに「撤退」を決め込んでいる。つまり、言い争いをせずにだんまり作戦を実行するのだ。夫婦なんて何十年いっしょに暮らしても所詮は他人なのである。子供時代の成長過程の環境で概ねの価値観が決められてしまうので、なにかあればその「素」が出てきてしまう。物事に対する価値の見極めや対処の方法が双方で根本的に違うので、そこで言い争ってもこれは「両方が正」という事になり、決して解決がつくわけではない。だからオレは可能な限り相手の「言うがまま」にしておく。それでもたまに我慢しきれない時が有って反論をする。仮にオレの方が正論だとしても、相手だって自分が正論だと思っているから当然抵抗してくるし、時には「間違っている」ことがわかっていてもつっかかってくる。そこで宣戦布告なき突然の開戦となる。しかし、我が方の敗戦は目に見えている。相手には「兵糧攻め」と言う最強の戦法がある。こいつを使われるとひとたまりも無いのだ。そう・・・「腹が減っては戦が出来ぬ」状態に追い込まれてしまう。だから、戦線が局部的なうちにすばやく撤退をするのである。幸いなことに今回は未だ兵糧攻めを仕掛けてはこないので、今のところ食糧事情に不安は無い。空気は冷たいが風は無く空は青く晴れて絶好の初詣日和。今日辺りを終戦記念日にしたいのだが・・・!。う~ん・・・正月からなかなか大変だ。
2011年01月03日
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「還暦雲巣管理人独言」と言う名のブログがある。あるシニア向けSNSで知り合ったレオン(HN)さんと言う人が書いている。彼は必ず毎日このブログを更新していた。毎日と言っても2~3行の軽い文章では無い。いつも1万字を超えようかと言う長文なのだ。それを一日も欠かさず毎日・・・その情熱には頭が下がる。彼は無類のボクシング好きで、ボクシングの試合があった翌日には必ずその関連記事が掲載される。それがオレの楽しみの一つでもあった。そのブログが12月15日以降全く更新されなくなった。たまたまオレも忙しくて気が付いたのが昨年の暮れのこと。「オヤオヤ・・・珍しいこともあるもんだ」そのくらいにしか思っていなかったが、件のSNSの新春の挨拶メールで彼が急逝したことを知った。68歳だったそうだ。なかなかの伊達男だった。写真では必ずボルサリーノ風の帽子をかぶり、薄い色のついためがねにマフラー・・・伸ばしたひげも似合っている。チョイワル親父そのもののカッコ良さである。このSNSのオフ会が何度も京都で開かれて、彼はそのお世話を引き受けていた。そう・・・彼は京都の住人なのだ。地域のイベントなどにも積極的に参加していて、と言うよりも中心になってイベントを動かしているといった方が正解か?。そのイベントの報告なども興味深かったし、京都の色町の今昔などはもう「京都色事近代史」と言って良いほど秀逸だった。オレはまだ会って直接言葉を交わしたことは無い。が、ブログの書き込みやSNSでのチャットなどではお世話になっていた。だからそれなりの親近感もある。つい先日・・・そう・・・タバコの値上げ時の禁煙に関して意見を聞いたばかりだ。彼は太い人生を送ってきたようだった。そして、その人生は半分以上オレにあい通じるところがあり、人生の良き先輩として尊敬もしていた。彼の最後のブログのひとつ前の記事に、近所のおばあさんが心臓発作で倒れて亡くなったことが書いてある。この災いが・・・僅か一日後には自身の身に降りかかることなど、到底予測出来るはずも無い。どうやら彼も心臓に持病を抱えていたらしいのだ。こういった訃報に接する機会がやたら多くなった。自分自身がそれだけ年を取ったと言う証明に他ならない。当然、廻りの人たちも齢を重ねていくわけで、毎日顔をあわせている隣近所のジイサンバアサンなら様子がわかるが、めったに顔をあわせない人や遠くの人の消息は判らないから、つまるところは「突然」という事になるのだが、それにしても彼の場合は前日にも長文のブログを書いているし、その内容には明日の自身の運命を予測させるものは何もない。はかなきかな人間の命。そろそろ「団塊の世代」といわれる我々のグループも、「死」を考えることが不自然ではなくなってきた。何かと考えさせられる新年である。BLOG「還暦雲巣管理人独言」は → こちら閉じられないうちにご一読をお勧めする。
2011年01月02日
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