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「直覚霊知」87 宇宙の始原COREの真相(秘学論理) 究極の神的唯一無二の「有」である絶対存在を、直覚霊知はビッグバンを引き起こした「CORE(核)」其のものと捉えます。それ故にその核の爆発であるビッグバン以後の世界の大拡散に伴い、根源的な絶対意思と絶対精神も大宇宙に偏在して存在し、人間が其れを思惟する限りは、神の大光霊の思惟の様態を變化しているとする。人間の霊魂は究極の思惟する存在を観相することになります。其の素材を霊的なものをもって、部分的な霊的な枝葉の存在に過ぎない人間に、云わば様態の變化の末節として凝縮されたのかは、丁度、以前には全く水しか存在しない処に、氷が濃縮されて現れるように、それ迄の神的な霊の存在の中から、素材としての経過や本性が、根源の存在の思惟の結果として現出するのです。人は瞑想による直感知を持ってその経過が知ることが出来得るのです。我々人類を育む物質存在としての惑星地球も、其のような神的宇宙存在から分枝進化してきたといえます。此の惑星地球と結び付いてい全てのものは、それ以前には霊的に惑星と霊的に結び付いていたものから素材の恩恵を受け発生したものです。しかし、全ての素材的なものが根源的な霊に還元されるとは考えてはいけない。究極根源的な神霊的なものは、人間に様態変化する限りに在っての原則であり続けるのです。其れ故、自己を神格化する或いは生まれ変わりと言うのは、世界の理法を冒涜するものと言えましょう。
2013年12月31日
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「直覚霊知」86 究極の霊的存在(秘学論理) 瞑想訓練された精神の真髄である直覚霊知を獲得した者は、自然世界の全ての外感覚的である物質世界の経過の背後に、神的な経過を観ています。地球という惑星の総ての素材における変化が、直覚霊知を獲得した者にとっては、素材の背後に存する神的開示の無限の諸能力を直感します。そして此の様な霊魂的観察を、増々過去に遡らせるなら、全ての素材が存在し始めた進化の原点にまで直覚を巡らすことになります。紀元2011年に欧州合同原子核研究所(CERN)が発見に大きな前進があったと発表したヒックス粒子は世界の始原を見渡すという面でも興味深いものがあります。ヒックス粒子は「神の粒子」とも呼称され現代科学者によってその存在が予言されながら見つかっていなかった究極の素粒子です。137億年前に起きたといわれる宇宙誕生の大爆発、ビッグバンでその誕生の100億分の一秒後に、宇宙全体に拡がり、ヒックスの海を創り、あらゆる物質に質量を与える起源とされるこの粒子は、研究者が宇宙の起源の解明に繋がると期待しているものです。ヒックス粒子の出現まではそれ迄のほかの粒子には真空中を光速で飛んでいたのが、ヒックスの海が出来たことにより、大海の中の水のような抵抗を受けて、それらの粒子は光速より遅くなることにより質量が生まれたと考えられています。他の研究者によれば、ヒックス粒子を光学的には観測しきれない宇宙を満たす仮説上の「暗黒物質」であるとの説を発表しています。いずれの説を取ってもそれ迄の世界には異なる質量を持つ存在、即ち重さも無かったということになります。そのことから宇宙誕生の大爆発、ビッグバンのコア(核)なるものは光速で飛ぶ粒子もなく、重さもなく、そのことから熱エネルギーも存在してないことが導き出されます。此の絶対存在の核を考察すると、丁度、我々の思考に例えられるでしょう。人間が何らかのエネルギーを以って思考したものは、なにがしかの結果を造り上げていますが、それには重さもなく、光速の限界、勿論思考する脳内スピードは光速の影響下にありますが、宇宙の果てに頭を巡らす時には光速をの制限を受けません。此の究極の絶対思考の世界存在「有」である唯一無二の存在を、「直覚霊知」は神もしくは大光霊と捉えるのです。
2013年12月29日
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「直覚霊知」85 霊的存在の根源(秘学論理) 人類に霊魂的な存在が生じたのは、大宇宙の存在其のものの存在の発生にまでに遡らなければ、其の素材を与えてくれた究極の存在が見渡せません。云わば宇宙創世の発生以前に存在する究極の創造者に行き着くことになります。即ち、大宇宙の創造以前には「有」としての世界を創る根源的な存在が在ったことを認識しなければ、たとえ無から有が生まれるとと仮定しても、其の素材を与えたものの存在は否定しきれません。そこには、全くの無しか存在しないところに、素材としての存在が現出されたことを認識する必要があります。直覚霊知は、以前には水だけしか無いところに、氷が濃縮くして現れるように、それ迄の虚無とも云えるものから、素材としての事物を発生した存在を観相します。人間には其の存在の様態変化の一部分を保持する限りは、其のことを霊魂的に覚ることが出来る筈です。素材としての物質存在の経過や本性が、どの源から発生してきたのかを、霊的観察或いは直感知「を持ち得た人間には知ることが出来ます。勿論のこと、人類の母星である惑星地球も、根源的で絶対的な存在から派生し、進化してきました。素材的に惑星地球と結びついてる全てのものは、常に、根源的な霊的存在、言い換えれば絶対精神の一様態としての原則に従っています。
2013年12月28日
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「直覚霊知」84 内覚の重要性(秘学論理) 太古の時代、人類の肉体的様態や、生命様態及び覚醒意識が、一体どの様にして「自我」を受け入れる進化段階にまで辿り着くことが出来たのか、更には「自我」其のものは、どの様にして生じ、肉体的様態や、生命様態及び覚醒意識の内部で作用し働きかける能力を身につけたのかとの疑問が湧きます。その疑問に答えるには、人類が地上生活を送れる状態を創りあげた地球という惑星そのものの成り立ちをも考察しなければなりません。外感覚的な物質現象だけを頼りにする考察方法では、せいぜい、地球の生成の発端に、その素材を原初の星雲からの素材に求めたと推量するしかありません。人間の精神の真髄である霊魂を考えるとき、地球の進化と太陽系や地球を巡る月、更には小宇宙、大宇宙の環境にまで考察が及ぶことになります。人間の霊魂を問題にする時には、地球進化の物質的側面だけを考慮するだけでは足らず、何よりも、人間を育んだ地球の素材の背景にも注目することが必要です。此れは、例えば氷結したハドソン川で子供が氷上で遊んでいた時に氷が割れて水没した時に、それを発見した或者は身の危険を顧みず飛び込んで子供を救い、自らは死亡してしまいます。また、とある他者は、その行為を見て分別のなさを説きます。しかし、その分別なるものが理性なのでしょうか。それは理性ではなく、商売人の小理屈としか思えません。前者は恐らくは自己の霊魂の叫びに従い、後者は頭のなかで損得勘定をしたのでしょう。此のことが人間に素材を与えてくれた地球と人間の関係にも当て嵌まります。外感覚感情しか持たない人間は、地球のことを単なる鉱物の塊としか捉えないのは言わずもがな、前者の子供を助けた人間は地球をガイアとして観て霊の交流が出来る人物です。霊魂を直覚するためには外覚ではなく内感覚的な叡智を持つ「内覚」の助けを得なければ隠された秘密の真相には近づくことはおろか、自己の中にある霊魂さえ滅ぼすことになるでしょう。
2013年12月27日
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「直覚霊知」83 人間の進化の法則(秘学論理) 人類の本性は地球上の物質世界の中で、生死を繰り返し人生を送るに伴って霊的要素を進化させてきました。此の内なる人間本性が現在的な意味合いでの外的生活を過ごす過去の時点に遡れば、人間の内なる本性が現れ、意識様態を伴い生命要素が進化し、肉体的な形状の進化に「自我」が活動し始めた時点から霊的存在である霊魂の受肉が初めて始まります。つまりは、其の時点から人類は自我の形姿をもって霊魂を、次々と進化の中にあって活動することが可能となったのです。此の考察をもって太古の人類を鑑みれば、其の時には既に人類は、肉体的形状や、人間の生命様態や覚醒意識が一定の進化を遂げており、相互に関連して存在していたことが解かります。其の時点で所謂霊的存在の要とも云える「自我」が発生し、此等三つの要素を更なる進化へと導きました。それ迄の人類は「自我」という内なる人間の存在なしに進化をして来ていたのです。
2013年12月26日
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「直覚霊知」82 人間の運命の法則(秘学論理) 人間存在の様態は、現実の肉体、生命を齎す生命要素と覚醒意識、取り分け人間の特徴である自我と云う本性から構成されていると言えます。中でも自我は、肉体・生命を齎す生命要素・覚醒意識から成り立ち、反面に霊的要素を持ち得た「自我」は其れ等の内部で働き、また其れ等を変化させる力と働きがあります。その結果、人間の低次の存最段階では感覚意識・自意識・悟性が生じ、其れ等を以って「自我」は霊魂を高次の段階に高める形成に利用しています。人間の運命の法則は、其れ等全ての本性が宇宙全体に、自然世界と相まって関連しています。それ故に、人間の本性の深層に隠された秘密は、宇宙の進化を洞察することで解答を得られる可能性があり重要視されるのです。人間生活は、何れの場合であっても、活動の場である地球環境を離れては立ち行かない。仮に、外惑星に居住地を求めて宇宙を彷徨うにしても、其処には地球環境が持ち込まれています。人間は母なる地球を離れては生きてはいけません。人間は地球の進化に伴って、育まれ進化してきたのです。ある意味、地球の精神が人間の精神を高めてきたとも言えるのです。
2013年12月25日
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「直覚霊知」81 霊存在の輪廻転生(秘学論理) 絶対存在・絶対理性・絶対意思からなる神的根源である存在が、人間一人一人のために思惟して、個性を発せさせると云うのは不合理です。仮にそうであれば、人間の内面は、地上生活で、他の出合うものに対しては全く異質のものとして扱われることになる。しかし、通常、人間が外感覚的世界である物質界に結ばれた生活を送っている時には、初めて外界世界に生きている存在には見えません。直接、絶対存在・絶対理性・絶対意思からなる思惟である者を除いて、決してその様な事は起き得ない。「直覚霊知」によって暗示される、外感覚的世界の開示された世界、言い換えればダンテの云う「隠された世界」と死後の霊的世界の諸事実が関連するとする東洋的な考え、「輪廻転生」只此の思想が、現代に生きる我々の人生生活を矛盾なく説明してくれる。現代に生きる人間とは、既にかっても地上生活を体験し、更には、何度も、人間の莢に受肉して、現代とは異なった地上環境を経験しているのです。この人間本性が太古から地球の進化とに関連付けされて現代人間の形姿が造り出されてきたと言えます。結局のこと、人間の運命の法則は輪廻転生の因果の法則に支配されているのです。それ故に、ゴータマ・シッダールタは、悪い意味での因果法則を断ち切るために、「輪廻転生」を逸出することを説きます。
2013年12月24日
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2013年12月23日
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「直覚霊知」80 霊的な本性(秘学論理) 一部とはいえ学者の中には、生物学的にな面から見ても、人間が純粋に遺伝子の統合によって、物質的に合成されたものとの考え方を観察により否定し克服した人もいます。彼等は人間の誕生以前に人間個性が先行しており、其れが体的存在を形成し育んだとさえ捉えています。其の彼等でさえ、前人生と後人生の中間段階に、人間が前世で培った反映の存在は否定して、東洋でいうところの「輪廻転生」をの存在を認識できないでいます。「人間学」の著者、イマヌエル・ヘルマン・フィヒテは人間観察で「親は完全な意味では生産者ではない。親は有機的な素材を差し出す。それだけではなく、同時に、気質、固有の情緒、特定の特定の生活欲求などに示される感覚的・心情的なあの中間部分をも差し出す。そして此等を生じさせている共通の源泉はファンタジー(幻想、妄想、空想)に他ならない。此等全ての人格要素の中には、紛れも無く、両親の魂の独特な結合と混合が見られる。従って此等を生殖作用の単なる初産であると考えることは十分根拠のあることであるが、更に、我々認めざるを得なっかったように、その生殖作用を現実の魂の経過であると言うことが出来るのである。けれども、ここにはまさに、人格本来の決定的な中心点が欠けている。何故なら、観察を深めていけばはっきりと分かるように、あの固有の心情の働きも、莢であり道具であるにすぎない。それは人間本来の霊的、理念的な素質を見出して、発展するように促し、時には妨害もするが、その素質を自分の中から生じさせることは決して無いのだから」更には「各人は、自らの霊的な基本形態に従って、産まれる以前から存在している。何故なら、霊的に考察すればどんな個体も、他の個体と似ていないのだから、丁度、動物の種が、他の種と似ていないようにである。と述べています。此の思想は、人間身体の中に霊的存在がが侵入すると考えなければ、理解はおろか解明の入り口さえ見えない。その理解には、人間の誕生に関わる形成力が以前の人生の諸原因に由来するのでなければ、人格が生じるごとに、霊的な本性が究極の根源である絶対存在・絶対理性・絶対意思から各々生じなければいけないことになります。史上、此のような存在だとされているのはナザレのイエスのみでしょう。此のような前提のもとでは、人間の内面から生じてくる素質と、人生の過程で外なる物質環境から此の内面に関わったものとの間の親和性を説明することは不可能事であると想われます。
2013年12月23日
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「直覚霊知」79 霊的な継続の特異性(秘学論理) 世界の理法を眺めるに、直感的な理性による直覚知は非常に大切だと言えるが、それを除外しても、公平な論理を身に付けているならば、人間の教育の可能性と現実性の中にも、霊魂の存在と霊的世界を見出すことが可能です。例えば、動物と人間を対照すれば、動物の場合は生存に必須の能力を生まれながらに持ち、予め遺伝によって伝えられてきた能力が、物質世界の環境に対して発揮されています。即ち、産まれた時点で生きるすべを心得ていると言えます。対して人間は教育によって遺伝とは無関係に、内面生活を豊かにすることが出来ます。人間とは公正な教育者に巡り逢った時には、遺伝された素質と内感覚的な精神の素養を伸長させてくれます。そのことが、人生の内密な部分をも直覚する感受性を育てます。一方、動物もまた調教により一部の動物は、調教というよりも教育によって能力を身に付けることがあります。しかしながら、それは人間の霊魂的な知恵を身につけているようには見えないのも事実です。しかし家畜は人間の調教に依って身に付けた能力を類的に遺伝として伝え得る能力を持っているのです。人間の友として育った犬は教育しなくても類的な遺伝でもって獲物を人間に持ってきますが、この様には人間の教育ではいかない事を考察すれば、霊的な継続を考え得ざるをえないのです。
2013年12月22日
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「直覚霊知」78 内感覚世界の体験を可能とする道(秘学論理) 霊的なる原因についての証明は、人間の内面生活でしか証明することが出来得ないというのは勿論のことですが、どの様な人間にも、実は証明出来る道があります。当然に、自己にその証明が得られなかった人は、自分の霊魂にある力を評価することは当然に出来ません。しかし、そのことを成し得た人間はもはや其の力のことを決して疑いません。何故なら、人間の最も内なる体験でのみ証明されるものが、内なる自己の本性に在ることを理解するからです。其れは内奥の精神の体験に属することだる故に、各々各自が自分で解決しなければ答えは出てこない問題です。此のことは霊魂の問題にかぎらず、例えば、数学においての各種証明は、自分が理解して解決してこそ身に付かないのと同様に、各々の自己が解決すべき問題です。けれども、数学の命題を証明する方法がどの存在においても当て嵌まるように、霊魂の体験する道を可能にする道もそれが真実存在していると確信する限りは、その確信を持ち得た人にとっては、外観各世界とは全く違った内感覚世界の体験を可能とする道が開かれているのです。
2013年12月20日
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「直覚霊知」77 輪廻転生を認識(秘学論理) 直覚霊知に対して、説明のつかない事柄を論理的に説明出来るからといって、其れだけの理由で事実そうなのかは、外感覚的に世界を眺めている方で、更には霊的体験を持たない人が非難するのは理解できます。しかし、その方にも霊的諸事実のみならず霊的な因果法則そのものを体験する道はあります。そのためには、思考内容を今迄とは違ったかたちで受け止める必要があるのは当然ですが、一の方法には禅で云う瞑想があります。普段は自己に向き合わない現代人には霊魂の声を聴くには非常に有効な手段であることは間違いないものです。他方、現実世界に惹き起こす力を、単なる偶然と見做していたものを再考することです。自分が偶然に生まれ、そして偶然に崩壊に向っていると云うことが自己の理性が承認できるのかを問うのです。そうすれば人生で自己が遭遇した出来事が単なる偶然性ではなく必然的なもの、即ち、運命的な背景が其処にあることに気付かされるはずです。勿論、自己の感情を此の方向へ導くためには、持てる思考の全ての想いに力を込めなくてはなりません。そうすることによって、自分が今まで、単に偶然だと見做していたものの背景にあるものの内的経過を考察することにより、其のことが自分の内的な力を発揮させます。人間が正しい仕方で人生生活を考察すれば、世界の理法に従った生き方をする霊魂が、誕生から死亡に至るまで一階限りの人生ではないことに目覚めることが出来ます。東洋で云う「輪廻転生」を認識し、人間生活は一層逞しくなると確信できるでしょう。
2013年12月19日
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「直覚霊知」76 人格の出処(秘学論理) 霊帝世界にいた前世の体験である果実は、人間の現世の資質の中に萌芽として組み込まれ、その人間が人生をを自己の霊魂を確信した自我を形成して成長発展させて、死後には霊的世界において、此の果実が熟し再度の人生のための素質や能力となって變化します。現世の人間の人格は、前世に在って獲得したものの、その結実として形成される訳です。此の理法を受け入れ、人生を観想すれば、我々が此の現世で体験する全てが有意義になり真実に従って生きざるを得なくなります。自己の霊魂の存在に確信を持ち、思考と精神を霊魂の実在に眼を向けることが出来る人間は、感覚的な判断だけで諸事実を理解しようとする姿勢は取らなくなる筈です。此のことが理解できれば一族血統の偉大な人物が遺伝子の統合進化によって出現したとの主張は非論理的とさえ言えます。直覚霊知が語る霊的な諸事実は、人生を論理的に理解させてくれるのです。
2013年12月19日
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「直覚霊知」75 人間の人格形成に先立つもの(秘学論理) とある人物の人格が全て遺伝的特質から生じているという主張は、コンピューターの各々の物質的な要素が集まって、恰も思考している状態が生じていると主張しているように想えます。しかしながら、現代の時点に於いてはコンピューターが人格を持っているという事実はありません。其処にはそのコンピューターの設計者の意図を考慮していないことは不完全です。人格が全て遺伝的特質から生じているという主張の曖昧な点が表れています。しかし、コンピューターの背後に設計者が存在することが、実は大切なのではなく、設計者自身の精神の中にコンピューターについての思考内容が存在していなければそれが造られなかったことが大切なのです。そしてその思考内容は、機械その藻を通して確認できねばなりません。言い換えれば、人間の人格構成に先立って、その背後に霊的なものの存在がおり、その思考内容が当の人物の人格形成に何らかの力を与えてるということになります。外感覚的な物事に秘された超感覚的な世界は霊的存在を信じない人にとっては此のことだけでは、未だ説得がいかないでしょう。其のような人には、隠された霊的な原因の結果は、開示された人間生活の中にも現れていると指摘します。例えば、死後の人間の霊魂は、浄化の段階に遭遇して、自己の人生で行った悪しき行為が人格の発展を妨げていたことを知ります。此の体験が其の霊魂に、その結果を改善したいという衝動に駆られます。その衝動が再生される新しい人生に持ち込まれます。此の衝動があるからこそ、霊魂は自己を改善する居場所を求めるのです。そのことが解れば、誕生を取り巻く環境の運命的な意味が分かります。
2013年12月18日
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「直覚霊知」74 人格の出処(秘学論理) 人には様々な素質が、一族から家族に亘って連綿と遺伝しており、それらの資質が子孫の誰かに統合され、偉大な人物を登場させる事実は否定しようがない。しかし、凡そ、偉大な人物が血族の初めに現れることは稀有なことであり、殆どの場合は、其の終わりに現れています。しかし、そのことがその人の人格的特質の由来を示すものではないとも考察することが可能です。偉大な人物が血統の終わりに現れると云うことは、その人物が自己の人格のために必要な身体を、その血族に求めたことを示しているとも取れます。其れ故、当の人格其のものが遺伝を示すとは言えないでしょう。秘学論理は人格的な資質が遺伝されるとしたら、それは、必ず血統の初めに現れ、其処から子々孫々へと遺伝されなければならないと判断します。しかし其れが終わりに現れるということから、その人物の最終的な人格形成に遺伝が関与したとは考え難い困難を覚えます。
2013年12月16日
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「直覚霊知」73 遺伝的立場の欠格(秘学論理) ある人は惨めな一生を定められて産まれて来たように見えるし、別の人間は充足した満足の生涯が誕生の瞬間から約束されている。しかし、それには遺伝だけの認識では足りないという人もいます。此の現世の世界において、何故其れが定められているのかを明らかにするには足りないとの立場です。もっと根本的に本質的原因がある筈だとする立場を取っています。例えば南極に開花する花は、アフリカでは育ち得ない。その花の本生・本質が、南極大陸と結び付く何かがある。其のことと同様にある人間がを特定の環境に産まれ生きさしめるものが、原因として存在するのに違いない。生物学的な遺伝子だけでは人間の不平等な生涯の、説明がつかないからです。この立場を取る人間は、素質や才能が単なる遺伝だけでは片付けられる問題では無いと主張します。仮に遺伝だけで生涯が決定されるならば、日本の立身出世の標本のような太閤秀吉は祖先の遺伝だけで天下の覇王と成れたであろうか、そもそも、遺伝が生涯を決定するならば、秀吉の両親や祖先も同様の地位についていた筈でしょう。しかしながら、この立場を取る人も遺伝其のものを否定してる訳ではない。確かに其の人物は祖先の系統の諸特徴を示していると言えるが、そのことが全て遺伝に由来してその人格的な特質を決定しているとは思えない。史上稀で偉大な人格が現れることは、ぞの才能に祖先の影響が見られ、当の人物が、まるで其れを統合しているかののようではあるが、それでは、時計の各部品が時を刻むものを成さしめてるようではないか。それに刻ました時計職人の存在を忘れている。人の子のどんな人格にも、全く新しい人格が見られることが屡々あるからです。其れを全て祖先から来ているとするならば、新しい人格は生まれようがない、進化も在り得ないのです。
2013年12月16日
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「直覚霊知」72 霊的世界を拒否する遺伝的立場(秘学論理) 霊的世界での人間に残された自我の浄化の段階での諸経過が、現世での自己の人生のいずれに結果を生じさせているのか、はたまた、霊的世界で浄化の時期を経た人間が、霊的世界で獲得した体験の結果を判別することは、宗教的な信仰に確信を持っている人々を除いては、様々な謎に直面しざるをえないことは致し方ないことでしょう。此の世に生を受けて人生を真剣に、それも十分に考察する人は様々な疑問に立ち向かう。例えば、或る人は、才能もなく不幸の星の下の産まれ、生まれた時から惨めな一生を送るように定められているように想える。一方、産まれた時から、温かい家庭環境と其の周囲の援助の目に守られ、有り余る才能にも恵まれて、充実した人生を送る。この事情を前にした時、メンデルの法則的な思考をもって、自分を物質世界の外感覚的なものが知覚することから、更にはその感覚と結びついた理性か理解する事柄から決して離れようとはせず。或る人間が不幸に生まれついたとしても、別の人間が恵まれた環境での幸福を満喫しうるのも、全てを偶然とは見做さないにしろ、そうした不平等を生じさせる理法としての合法則的な問題があるとは考えようとはしません。素質や才能についても、両親、祖父母、其れに先行する祖先からの遺伝に其の原因を求めることしか考えようとはしないというよりは、想いに浮かびません。真相が、その原因が祖先からの遺伝にあるのではなく、自分の誕生以前に、自己の形成に影響を与えている霊的世界の諸経過の結果をの中に原因を求めることは一切拒否するのです。
2013年12月14日
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「直覚霊知」72 霊的世界を直覚(秘学論理) 人間の死から、霊的世界への参入、そして受肉して誕生を迎え再生される経過を、通常の外覚的感覚で捉えようとしても、その経過は、人間の誕生から死に至るまでの根底に存在する霊魂を観想するよりも、一層困難になります。その深く隠された経過を外覚的感覚に観察しようとしても、霊的なものが物質存在に働きかけた変化の結果しか見ることが叶いません。問題は、此の地上世界に再生した人間が霊的世界の体験を持ち込んだ事実の可否です。例えば山伏が法螺貝を吹くのを見て、其処に生物の存在を見ないとしても、その貝殻が動物の成長する営みの結果生じたことは認識できる筈です。其れは単なる物質的な現象だけでは、そのような形姿は創り得ないからです。それと同様に、人間が人生を送る中に、自己の人生経験から言って、其れに由来する筈のないものを見出したとき、直感的感覚によってそれを霊的なものの語る事柄に由来すると認識することがあります。事実、そのように思慮することによってのみ明晰的な判断がつきます。言い換えれば、感覚的で合理的な観察も、可視的要素の中に不可視的な要素及び原因を見い出せることが可能だということになる。自己の人生を純粋な理性をもって観察する人間ならば、、霊的世界での浄化の段階での諸経過は、自己の人生のいずれに結果を生じさせているのか、はたまた、霊的世界で浄化の時期を経た人間が、霊的世界で獲得した体験の結果を判別することが可能となります。
2013年12月13日
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「直覚霊知」71 人間の再生原理(秘学論理) 我々人間を取り巻く、隠されたものが開示されている世界と外感覚的に体験しうる世界のなかで、人間は誕生し、人生を体験して、死を迎えて、再び生まれてくるとする経過は、更に大世界の中で繰り返されています。東洋で言う輪廻の思想が此れに当たります。人間の身体をもって地上生活に於ける人生体験を果実として霊界に持ち込めた者は、それを霊的世界で更に成熟させて地上に戻ってきます。その反面には、罪業のために霊的世界に侵入することが許されなくて滅却される者、逆に、その人間のカルマを克服して涅槃に入ったものは、いずれも「業」からは縁を離れます。しかし、そのサイクルには、始まりも終わりも無いわけではないことに気付かされます。人間は進化とともに過去の存在形式から現在の存在形式を手に入れたのです。そのことはまた、未来においての、異なった別の存在形式を予感させます。直覚霊知は大宇宙の絶対存在の理法に従い、人間の未来においての、別の存在形式を展望させてくれるのです。
2013年12月12日
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「直覚霊知」70 霊魂の来るべき人生の準備(秘学論理) 新たなる肉体に流入しようとする人間は、大光霊の絶対世界に於ける霊的世界に在って、自己の霊的なものと、其の外覚的環境の物質的表現を自己と関連付けるまでは、人間は霊的世界の己よりは高次の絶対意思の本性の導きの元にあります。其の地球への働きがけは人間の霊魂の遥かな至上の存在位置にある絶対精神から出た本性の指導がなければ果たし得ません。霊的世界に存在位置を置くことが認められた人間存在としての霊的意識様体としてあったものは、死から新たなる誕生に至るその間を、絶対精神を持つ高次の存在の指導のもとで、地球上の存在を改造して、自己に相応しい状況を準備しようとしているのです。直覚霊知は昔日の時代と想像することすら出来な得い多様な可能性を持ち得た今日の地上の状態を現状を生じさせたのは絶対意志のもと、その指針で動いた死者の働きだと認識します。霊魂の存在することを許された死者は、死から新たに誕生するその間も、絶えず地球とは結び付いていたのです。直覚霊知をもって観想すれば、現世の外感覚的な物質世界の中に、隠された霊的なものの開示を見ることが出来ます。内眼或いは心眼的な直覚「直覚霊知」を以って観察する場合、現人的外感覚では、恒星太陽の光や様々な要素からなる環境への物理的影響が地球を変化させているように想えるのですが、直覚霊知は全ての物質世界の中に隠された諸力の開示を見ます。直覚知的で観察する場合には、太陽から植物に注ぐ陽光にもに大光霊とともに働く死者の霊を観想できます。霊的存在からなる世界に存在を許された霊魂は、自己の来るべき人生を準備するだけでなく、地上の外的環境に対してもその影響力を及ぼしているのです。
2013年12月11日
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「直覚霊知」69 隠された開示の絶対意思(秘学論理) 霊的世界にいた人間の霊魂が地上に生命の形姿を持つことは勿論ですが、何も、身体を獲得して形成することだけが目的ではない筈です。死から新しい誕生までの人間は他に果たさなければならないものが課されています。死から新しい再生としての身体が形成される間にも、物質界で生命に溢れる地球は進化し続け、大宇宙の時間線から見れば、比較的短期間で其の要望を変遷させます。5千年前の東京はどのような姿であったのか、果たして現在と似通ったところがあるのか無いのかを考察すれば、容易にその真相が見えて来ます。霊的世界に生きる存在の影のような死後の人間が、カルマをもって地上に再生させられるときは、地球上では自己の人生の時とはかけ離れた可能な変化に相貌を変えています。直覚霊知はこう囁きます。地球上のあらゆる変化には物質界だけの力だけではなく、隠された開示の意志が働いていると。其の隠された開示の絶対意思である存在は勿論ですが、実はまた、其の力に従うかたちで死後の人間の霊魂も、地球上のあらゆる変化に関わり加わって絶対意思である存在に強力をしてきたのです。
2013年12月11日
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「直覚霊知」68 カルマの出処(秘学論理) 霊的世界に生きる高次の存在の影響の指針のと選定によって、再び人間として現世の地上に生まれ出ようとするとき、其の人間は前世に在っては、純化されたものだけでなく、霊的世界に従順でない数々の妨害する力も産み出しています。それは死後の溯行体験で明らかにされたように、生前に生きてきた罪業が業火に焼かれて浄化された筈のもの、その再び霊魂の進化の妨げになるものが、死と共に苦痛となってパノラマ化して霊魂に現出して体験を与えたように、今、来るべき人生を見通す前にして、其のパノラマ化した人生の記憶映像を見せます。それは自己として産み出される段階の前に、如何様にしても取り除かねばならない障害の全てが現されています。この障害こそが霊魂が再度の新しい人生を送るための、持ち込まねばならない起点となります。前人生おいて自分が他人に与えた苦痛の像は、誕生に際して、此の苦痛を再び新しい人生で償おうとする力を与えます。以前の生きてきた人生が、此れからの新しい人生を規定することになるのです。つまり、今から歩む人生は、以前の人生の諸行為により、拒否できないかたちで条件付けられています。此のような以前の生き方と後の生き方の関連を、世界の理法として受け入れ法則として見做していた思想が、東洋で云う「業」或いはカルマと呼称されて認識されている訳なのです。
2013年12月10日
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「直覚霊知」67 生前説・生悪説の出処(秘学論理) 人間は意識が芽生えた瞬間から、感覚は外的環境世界に意識を向けるのであるが、特異的なものとして、外的諸器官を通して感じるだけでなく、内部の自らの隠された世界の開示を受け止める人間がいることは史的にも証明されています。しかし通常、人間は意識が新しく形成されたときには生命体との結びつきをもって肉体を必要として、内からの開示には盲目になります。また、人間は受胎から誕生までは無意識状態に甘んじています。意識は物質界を認識する感覚器官が形成された時に初めて、或る意味再度の目覚めを迎えるのです。実は此の内的知覚及び外覚的知覚を持たない環境が、浄化された霊魂が選別されて決定されているところの受肉の機会が与えられる時期でなのです。ところが、浄化段階に、或る霊的世界の影響力によって浄化されない部分を持ったものは生命力其のものに害を与えるような精神の基体を持ち込んでいます。其れが生前説・生悪説の議論を呼ぶことは周知の通りです。人間の中に隠された諸力を持つ人間ならば、霊力を持って撥ね付けられた筈のものを此の世に害性を齎します。しかしこれも、人間が未だに業(カルマ)を克服する段階には進化していないからでしょう。其れ故、諸事の要素である善悪共々、その本性に従って、選定された両親のところに導かれ、新しい肉体を受け取るのです。
2013年12月08日
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「直覚霊知」66 浄化された自我(秘学論理) 人が睡眠している時は覚醒意識は脱落して、霊的世界の影響である活力を、覚醒時に其の消耗した精神とともに肉体に諸種の力を賦活させます。しかし、死後には肉体と生命体が脱落し、更には慾望や願望にによって物質界にと結びついていた意識様態も霊化して浄化されます。暫くして、死後の自我が浄化段階を経ると、その霊性に流れ込んでくる力の総ては、睡眠状態の時とは異なり賦活する働きにとどまらず、新たな次の人生のための生命力と誕生する人間に流れこむための、対応した人間に内住することが出来る準備がなされます。其のことを受けて、人間は再び形成する力をもって、前世の果実を受け取ったものとして、物質界に戻って自らを再生させます。浄化された自我が脱落した霊魂には、当然に我を感ずる筈もなく、地上に現出する。現世に先んずる人間の前世の果実を担った存在として、人間の意識が誕生し形成されるまでの間、立ち合い続けるのです。このことは、感覚を外感覚的に捉えるのではなく、内感覚的な叡智を持ってみれば、此の開示が知覚出来得ます。しかし、人間に意識様態が形成された其の瞬間には、内的直感、即ち霊的感覚である直感知は一般的には失われて、外観的・外覚世界の影響に捕らわれて、人間内心の世界の開示から遠ざけられるのです。
2013年12月08日
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「直覚霊知」65 生前と死後の思考の発現(秘学論理) 人間が現世の感覚世界の中で、外感覚的なものの中に隠された真実を追求するとき、その思考は霊的存在からなる世界存在の思考を鏡面的に受け取っているとも言える。人間が瞑想する思考内容を、身体から切り離して独自の生きた存在だと考察追求すれば、霊的世界を満たしているものが、その本源が霊的世界の開示であると納得できる。やがて死後の意識体は時を経て、物質生活の方に向ける部分は欠落する。人間の自我が生前獲得した成果を霊的世界に持ち込むことは、霊的世界に成長した新たな種子を加えることにもなります。地上の人間を取り巻いて、その肉体を形成してきたのは霊的本性だからです。生前の自我が霊的なものとして死後の世界に取り込まれたとき、その人間を自己として形成してきたものと向き合います。隠されていたもの、誕生から死までの人間を育成してきたものが、形姿をもって死後の霊魂に流れこむのです。生前生活で人間が獲得した果実を共同して、霊的世界の種子として新たに成長させるのです。生前の瞑想による思考とは霊的世界に生きる存在の影だと申せましょう。ゴータマ・シッダールタの我執を離れた覚りは、推理するに、其れに正しく気付かされたとも想われます。
2013年12月07日
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「直覚霊知」64 生前・霊界の音響感受の類似と相違(秘学論理) 霊的世界と物質界の感覚の感応との類似は色彩反応の印象に増して、類似性を持つのが音響です。人間の霊魂が霊的世界に深く参入して馴染めば馴染む程、直覚霊知が光霊と呼称する或る種生命体とも云えるものが、その生命の在り方を音響や協和音として霊魂に揺れ動く姿を現します。しかし、色彩と同様に其の生命の流れは、外から響くのではなく、霊魂の内なる世界に直接語りかけてきます。それが霊的存在である光霊の自らの存在を示す自己表明なのです。音響が光霊の存在表明としての言葉となるとき、其の存在自身の内面を霊魂に響かせます。霊魂が其の音響に貫かれ感応したときには、光霊と霊魂は相互に浸透し合っています。霊魂の生前存在の自我とは異なり、自他の区別がなくなり、相互と言うことが出来得ない程、結び合い一体化するのです。このときの霊魂は、云わば自他の区別のない高次の世界に参入しているのです。此のことが理解できれば、物質世界では熱が全ての存在を貫いているように、霊的世界では思考其のもののが、其の存在の基底にあるといえます。
2013年12月06日
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「直覚霊知」63 生前・霊界の色彩感受の相違と類似(秘学論理) 直覚霊知をもって霊的世界の事象を捉えて述べるときには、言葉を介在しなければならないために、その象徴する概要しか与えることが出来ない。しかし、其の肉眼では見ることの出来ない直覚的な象を直感として観想します。実は、霊的世界の現実は、我々の世界である物質世界での感覚界に、ある意味では似ているとも言える。それは、感覚界での或る対象物が色となって人間の眼前に現出するように、霊的存在が人間の持ち込んだ霊魂に働きかけるときにも、霊魂にとっては色となって感応します。しかし、それは現世の外から働きかけをする知覚のようではなく、霊的存在の光は、直接、霊魂の核心に触れ、霊魂が色彩像として受け止めるように促すのです。其れ故、死後の霊魂を取り巻く霊的存在は、霊魂には色鮮やかに内部から現れるように観じます。其のさまは当然に感覚世界での色彩の現れ方とは異なってはいるものの、生前死後の色彩に、比較的に見て一定の類似性があることに気付かされます。
2013年12月04日
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「直覚霊知」62 生前果実の霊界参入(秘学論理) 死後も霊魂を持ち得た人間の死後は、霊的世界のみに在ってのみ満足を見いだせる欲求だけを提供しうる世界、それが肉体を失った人間を迎えるとは言っても、人間は霊界環境とは相容れぬ、生前自我が物質界で体験したものを持ち込んでいます。但し、死の直後にはパノラマ的な総合的記憶絵画が現出して体験するのですが、その後は、その記憶絵画も霊魂の記憶からは消滅される筈です。しかし、そこには未だ残留物が残されています。それは生前の自我が獲得した体験と経験の真髄部分です。其の人間が人生を生きた証の成果であり果実なのです。此のことが理解できれば、生前の感覚世界での生き方にも指針が見えてきそうです。外感覚的環境でしか出来得ない生活を送らなかったら生じ得なかった霊的果実を、死後に残り得た霊魂は、自己の内的世界であると認識します。丁度、生前の自我が自己の内奥部分を認識するように霊的存在からなる世界へ其の果実をもって参入します。それは植物の種子が大地に沈められた時のみ生長するが如くに、外感覚的環境でしか出来得ない生活を送らなかったら生じ得なかった霊的果実です。言い換えれば、種子のように自己の霊魂を受け入れてくれた世界に、生前の果実をもって霊界での種子の成長の可能性を見出すのです。
2013年12月03日
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「直覚霊知」61 生前と死後の世界を分かつ門(秘学論理) 人間が生前と死後の世界を分かつ門を通過する時、生前には特異的な存在、現実界の外感覚的な喜びや願望は、もはや提供される筈もない。其処には霊的世界のみに在って人間の死後、霊的なものの中で在ってのみ満足を見いだせる欲求だけを提供しうる世界が肉体を失った人間を迎えます。ただし、霊性を生前に覚醒時にまで持ち得た持ち得たゴータマ・シッダールタやイエス等々は、身体の慾望を離れることが可能であったので、生前に在っても霊性の満足をかち得ることが可能でした。ただ、霊的なものの中で在ってのみ満足を見いだせる欲求だけを提供しうる世界の環境は、生前に自ら自我が知覚していた状況、外界から身体器官を通して語りかけていたようにではなく、死後の人間には、その霊魂には直接語りかけてきます。肉体が滅び離れ去った此の環境は霊魂の深奥に直接、言語などを介せす語りかけてきます。其の環境全体が自己の霊魂と同質の存在に充ち満ちて、今の自己の霊魂は其の者達と交わり通じ合うのです。感覚世界である物質世界での、鉱物や植物及び動物が自己を取り巻いていた環境は否定されます。死後に霊魂化した人間は、人間世界では想像出来得ない、人間以外の霊的本性からなる世界に取り込まれることになるからです。
2013年12月03日
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「直覚霊知」60 究極の絶対存在の霊的試練(秘学論理) 一部の高等動物を除けば、動物は一般には己の欲求を肉体的、本能的なものから覚まされる意識に従って、物質世界での欲求を満足させようとします。其れとは違い、人間は自我の存在の故に、より高次の快楽と幸せを求めます。ところが、其の自我が、理性で自分の存在を維持促進する方向ではなく、自己の霊存在をも破壊しかねない慾望に取り付かねるならば、人間には本能のみならず霊性に取り込まれた自我の作用が働いている以上、、真の形姿を只管に大光霊から逃れては隠している存在の本性、言い換えれば我々人間界が産み出したといえる本性、即ち、自我の欠損を突いて、感覚的な慾望に駆り立てる存在が人間に浸透します。一般的な獰猛で、汚れた獣と言われる動物とは違い、此の物の本性は、其れ等を遥かに凌駕する悪質で聹猛な、人間の情熱と慾望を養分として成り立つ存在が、人間の慾望を喰らうことを目的として人間自らが産んだ力によって生まれ、自らを拡大して来た人間の悪徳の塊です。世界創造の絶対精神と絶対意思からは生まれようがなかった筈のものが、人間存在の慾望を通して、絶対理性から人間の理性の未熟さから様態を變化させた、人類の本性に巣食う魔物です。とは言え、究極の絶対存在は、其れ等全てを総括するものである以上、予定されたことであって、人間に試練を与えているとも解釈することも可能です。
2013年12月02日
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